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6月30日付 よみうり寸評

 戦前の五輪で女子陸上競技の最も長い距離は800メートルに過ぎなかった。それでさえ過酷といわれた◆戦後は女子にも1500メートル、3000メートル……が五輪種目に加わったが、マラソンの採用は、1984年のロサンゼルス大会が初めてだった。永田(旧姓佐々木)七恵さんはこれを目指して、マラソンへの挑戦を始めた◆日本女子マラソンの草分け、パイオニアだ。日体大では中距離が専門だった。卒業後、郷里の岩手に戻り、高校の教員をしていたが、「マラソン人生の師を求めて」上京、エスビー食品陸上部の中村清監督に師事した◆チームメートに瀬古利彦さんらがいた。「泥のついたジャガイモ、荷物をまとめて盛岡へ帰れ」など、中村監督に厳しく鍛えられロサンゼルス五輪代表となる◆この五輪では19位。七恵さんは女子マラソンの日本記録を3回も出した。ロサンゼルス五輪から25年。長いマラソンの歴史から見れば、女子の歴史はまだ新しい◆その急成長の礎を築いた七恵さん。27日に53歳で逝った。早すぎる。

2009年6月30日14時27分  読売新聞)
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