貧乏長屋住まいの八つぁん、家財道具一つないのが何とも寂しい。一計を案じて絵の先生を招き、壁にたんすや鏡台から火鉢、槍(やり)、はては応挙の掛け軸まで一切合切描いてもらう。いい気分で寝ていると新米の泥棒が入ってきて……。落語「だくだく」である。
▼そこからつもりごっこが始まる。泥棒の方はたんすの引き出しを開けたつもり。風呂敷を広げ、着物をどっさり包んだつもり。八つぁんは泥棒をやっつけようと長押の槍をむんずとつかんだつもり。いや、笑ってはいられない。外交にだってつもりごっこの一面があると、改めて分かった。
▼米軍の日本への核持ち込みをめぐり、日米間に密約があったと元外務次官が証言した。密約だから、当時は「なかったつもり」と申し合わせただろう。1960年は東西冷戦さなかでもある。密約の是非は問うまい。しかし50年も前だ。なによりアメリカはとうにごっこをやめ、証拠の公文書さえも公開している。
▼日本では外務次官が一枚紙の文書を引き継いできたという。それなのに「密約はない」と言い張るばかばかしさに、元次官は業を煮やしたか。落語は、槍で突かれた泥棒の「あいたたた、血がだくだくと出たつもり」で終わるが、それもこれも相方あればこそ。独りで続けるつもりごっこは、さぞやしんどかろう。