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これまでの放送

No.3389
2013年8月1日(木)放送
生命(いのち)の色を被災地へ
~若冲・奇跡の江戸絵画~

記録的な来場者を集める、ある美術展。
子どもから大人まで、東北地方に感動の渦を巻き起こしています。

「勇気づけられる。」

「これ見てね、がんばらなきゃいけないなと。」

見つめる先にあるのは、江戸時代の天才絵師・伊藤若冲の作品です。
息をのむような細密描写と鮮やかな色彩。
8万6,000個の升目に色をちりばめ、命輝く世界を描き出した壮大な屏風(びょうぶ)。
歴史の中に埋もれた若冲を発掘したのは、世界的なコレクター、ジョー・プライスさん。
作品の真価を見抜き、その収集に60年の歳月を費やしてきました。
若冲への愛は、自宅の風呂場にも。

江戸絵画コレクター ジョー・プライスさん
「ありがとうと言いたいです、いま若冲に会えたら。」

被災地で展覧会の開催を決めた、プライスさんと妻の悦子さん。
きっかけは、がれきの中に咲く梅の花でした。
200年の時を超えよみがえる命の色彩。
世界的コレクター、プライス夫妻と共にその魅力に迫ります。

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生命の色を被災地へ 若冲・奇跡の江戸絵画
ゲストジョー・プライスさん(江戸絵画コレクター)

●コレクションを東北へ持って行かなければと思ったのはなぜ?

私は自然のすばらしさを愛してきました。
そして、自然の美しさを描き出してきた江戸時代の絵に励まされ、支えられてきました。
しかし、東北地方の人は自然の最も恐ろしい姿に直面しました。
私は自然が本来持っているすばらしさや癒やしの力を、もう一度、思い出してほしいと強く感じたのです。

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“究極の美”を求めて 世界一の若冲コレクター

ロサンゼルス郊外にある住宅街、コロナデルマール。

江戸絵画コレクター ジョー・プライスさん
「はじめまして。
妻の悦子です。」



その一角にある、ひときわ目を引く邸宅がジョー・プライスさんの自宅です。
自然が持つ造形美をモチーフに、独創的なデザインで造られています。



江戸絵画コレクター ジョー・プライスさん
「僕の部屋掃除した?」

悦子・プライスさん
「ちょっとだけね。
あまりさわると怒るじゃない。」

デザイン重視で、暮らしやすさは二の次なのが悦子さんの不満です。

悦子・プライスさん
「こういうの全然家具が入らないんですよ。
彼は美しければ楽することは求めないんですよ。
ビューティー(美しさ)をとるか、合理的なものをとるか。
彼はビューティーをとる。」

家を建てるとき、プライスさんが最もこだわった場所があります。
絵の鑑賞室です。
照明は使わず、障子を通して入る自然の光だけで絵を鑑賞します。
江戸時代の絵は、当時と同じ環境で見てこそ本当の価値が分かると考えているからです。

600点に及ぶ貴重なコレクション。
その1つ、祭りの様子を描いた屏風です。




江戸絵画コレクター ジョー・プライスさん
「人工の光と自然の光の違いをお見せしましょう。
人工の光だと平面的に見えませんか?
電気を消すと深みが出るでしょ。」

柔らかな光の中で沈んでいた金ぱくが浮かび上がり、奥行きのある美しさが現れました。

江戸絵画コレクター ジョー・プライスさん
「江戸絵画は、雨の日、晴れの日、光の強さで見え方が変わるように描かれているのです。」


石油パイプラインの建設で財を成した一家に生まれたプライスさん。
会社を継ぐため、大学では機械工学を専攻。
美術には全く関心がありませんでした。


しかし、23歳のとき偶然目にした絵が人生を一変させました。
「葡萄図(ぶどうず)」です。
躍動するように伸びる枝。
実際にはこれほど曲がることはありませんが、成長するぶどうの力が見事に表されていると感じました。


江戸絵画コレクター ジョー・プライスさん
「余計なものは取り払って、ぶどうの生命力が伝わるように描けています。
『葡萄図』を見たときから、同じような印象を受ける絵を探すようになりました。」

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歴史に埋もれた若冲 よみがえる生命の色

「葡萄図」を描いたのは、江戸時代、神の手を持つといわれた天才絵師・伊藤若冲です。





若冲、屈指の大作といわれる動植彩絵。
超細密な筆遣いと極彩色で、圧倒的な生命感が描き出されています。




命の躍動を追求した若冲。
絵の裏側にまで色を塗る、「裏彩式」という技法で絶妙な色彩を生み出しました。
細部に命を宿らせるために、若冲が到達した高度な技術です。



日本美術史上、例を見ない独創的な手法で描かれた「鳥獣花木図屏風」。
色とりどりの鳥や花。
当時、日本にいなかった動物まで描かれた、命の楽園です。



8万6,000個の升目を埋めるという、気の遠くなるような作業の果てに完成させました。
升目の中には、さらに升目。
光の変化で輝きを増す仕掛けとなっています。
しかし、若冲の作品の多くは専門家からその価値を見いだされず、歴史の中に埋もれてきました。
この屏風も長年、博物館の倉庫でほこりをかぶっていました。
若冲は、こんな言葉を残しています。

“千載具眼(せんざいぐがん)の徒を竢(ま)つ”
(私の絵を理解する人は、長い時間を経て現れるだろう。)






絵師の名前や専門家の評価に左右されず、ただ自分が美しいと信じるものを大切にしたプライスさん。
そのまなざしが、若冲を現代によみがえらせたのです。

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世界一のコレクター 若冲との出会い
ゲストジョー・プライスさん(江戸絵画コレクター)
ゲスト悦子・プライスさん

●若冲の言う「自分の絵を理解する人」とはあなただったのですね

ジョー・プライスさん:まさか若冲も、アメリカ人の私が彼の絵にほれ込むなんて思ってもみなかったでしょうね。
私が彼の絵の一番の理解者になれたのだとしたら、それは私が美術の教育を受けたことが全くなく、専門家の意見に影響されなかったからかもしれませんね。

●「葡萄図」に出会わなければ全く違う人生になっていたのでは?

ジョー・プライスさん:今でもパイプラインを建設していたかもしれません。
豊かな人生を与えてくれた若冲には感謝ですよ。

●若冲のどんなところがあなたを夢中にさせたのか?

ジョー・プライスさん:人間の手で描かれたとは到底思えない技術に感動したんです。
例えば、私が最初に心を奪われた「葡萄図」をよく見てください。
実は一度も塗り重ねがないんです。
墨のラインはどれも交わらず、互いに接触さえもしていません。
そのことに気付いたとき、私は若冲の才能に圧倒されました。
ここにある江戸絵画のすべてが才能にあふれています。

●初めて絵に向き合うときはどのように絵を見る?

ジョー・プライスさん:距離です。
最初はできるだけ、絵から離れて見るようにしています。
そしてゆっくりと近づいていきます。
距離を少しずつ縮めていくと、その絵を描いた絵師の技術が見えてきます。
そこからさらに近づいても、その技術が目を見張るものであれば、それは達人が描いた作品だと言って間違いありません。
描いた人の名前などもはや関係ありませんよ。
技を極めた江戸時代の絵師たちは、技術の先にある命の本質までも描き出すことができるのです。

●江戸絵画の絵師はどうやって技術を磨いていったのか?

ジョー・プライスさん:それは、日本の鎖国が関係していると私は考えています。
外国から芸術が入ってこなくなったことで、江戸時代の絵師たちはみずからの感性を極めることに立ち返っていったのです。
そして身の回りにある自然を見つめ直し、その美しさや力を愛するという、日本人独特の感性を育んだのだと思います。

悦子・プライスさん:海外の芸術家の多くが、ほかの人とは違うもの、初めて私が作ったというものを目指しました。
しかし江戸時代の絵師たちは自分たちの師匠にならい、その技を超えよう、よりよいものを作り出そうと競い合ったのだと思います。

ジョー・プライスさん: 人と違う絵ではなく、より優れた絵を目指したのです。
その切磋琢磨(せっさたくま)が絵の美しさを磨き、いつしか世界一の芸術へと昇華していったのです。

●長い間若冲の価値が認められず、孤独を感じなかったか?

ジョー・プライスさん: 江戸絵画のコレクターとは、とても孤独な職業だとずっと感じていましたよ。

悦子・プライスさん:特にオクラホマではそうでしたね。
日本人の学者以外、誰も来てくれませんでした。

ジョー・プライスさん: 専門家の多くが、絵そのものでなく、誰が描いたかの署名の部分しか関心がありませんでした。
写真を撮って、じゃあ次のを見せてと言うだけでしたね。

●自分のコレクションを多くの人々に見てほしいと考えている?

ジョー・プライスさん: 江戸時代の芸術を広く知ってもらうために、財団も設立しました。
有名にしたいということではなく、絵師たちの美の世界をほかの人にも楽しんでもらいたいと思ったからです。
そして被災地の人たちに、日本人が残した絵を見てもらいたいと思いました。

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生命の色を被災地へ 若冲・奇跡の江戸絵画

今年(2013年)3月、被災地を訪れた2人。
がれきは撤去されたものの、辺り一面、荒れた景色が広がっていました。

江戸絵画コレクター ジョー・プライスさん
「ここも2年前は、色鮮やかな美しい場所だったんだろうね。
自然の力はなんて恐ろしいのだ。」

東北地方を大津波が襲ったという映像を見たプライス夫妻。
泥とがれきにまみれた灰色の光景に、言葉を失いました。
3週間後、被災地で梅の花が咲いたことを伝えるニュースが流れたとき、世界が色を取り戻したように感じたといいます。



悦子・プライスさん
「ピンク色がわかるんですよ。
周りが何もないところで、なんて美しいんだろうと。
やっぱり色とか形というものが、いかにこういう苦しいときにね、少しは心の手助けになるんじゃないかな。」

今年3月から半年間にわたって、仙台・盛岡・福島を回ることとなったプライスコレクション。

「ゾウさん。」

「赤い目してるサル。」

「ハリネズミいる。」

プライスさんが被災地に最も届けたいと考えたのは、命の色にあふれたあの屏風でした。

絵の前に立ちつくす人がいました。
高校2年生の中野百瑛さんです。
色彩に圧倒されていました。





中野百瑛さん
「感動して、なんかすごい手が震えています。
みんなの命、エネルギーが、なんかすごい鮮やかじゃないですか。」



百瑛さんが暮らす岩手県久慈市。
津波で沿岸部が大きな被害を受けました。
色を失い、様変わりした思い出の場所。
その光景を見るたび塞ぎ込んでいたといいます。
しかし、若冲の絵と出会い、気持ちに変化が生まれました。


中野百瑛さん
「これですね。」

美術館で思わず書き留めたメモです。
感じたのは、命のつながり。
そして力強く生きることの大切さでした。


中野百瑛さん
「ひとつひとつ、モザイクの部分が細胞の核みたいに見えて、いっぱい生き物いるけど、みんなひとつの体っていうか。
生命がつながってきて、いまここに自分がいるわけだし。
心にあいた隙間が埋まるというか、しみ込んで、満たされるというよりも、それ以上にあふれる感じがしました。」

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生命の色を被災地へ 若冲・奇跡の江戸絵画

●絵を届けたら被災者がどう受け止めると考えた?

悦子・プライスさん:震災のあと、私はこの絵を見ることで少し心が安らぐ気がしたのです。
そのとき、この屏風にはつらい思いを多少でも癒やす力があるように感じました。
少しでも、東北の人たちに安らぎを感じてもらえる時間を与えられるなら、この絵を届けたいと思ったのです。

ジョー・プライスさん: 若冲が残した命の世界。
彼が心に描いた、鳥や動物たちが力強く息づく楽園が、東北地方を回る展覧会の始まりだったのです。

●この展覧会が、ご自身が日本で行う最後の展覧会になる?

ジョー・プライスさん: 振り返ってみると人生の半分以上が、どうして誰もこの芸術を気に入ってくれないのだろうと悩む日々でした。
それが今これだけ多くの人たちが、しかも涙を浮かべながら、私と同じくらいに江戸絵画を愛してくれているように思えました。
最高のエンディングだと言いたくありませんが、それでも心からすばらしいと感じる瞬間を迎えています。
本当に報われる思いです。

●若冲のメッセージは力強いですね

ジョー・プライスさん: 展覧会では、絵を見て、そして絵が語りかけてくるものに耳を澄ませてみてください。
多くのメッセージが伝わってきますよ。

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福島“最後の展覧会” 若冲・奇跡の江戸絵画

インタビューのあとプライスさんは、ある絵の前に案内してくれました。
85歳で亡くなった若冲。
最晩年の作品「鷲図(わしず)」です。
生涯で最も力強い作品とプライスさんはいいます。
晩年、京都の大部分を焼き尽くした火事ですべてを失った若冲。
しかし最後まで絵に向かう情熱は失いませんでした。

江戸絵画コレクター ジョー・プライスさん
「この絵は若冲の自画像で、未来を見つめています。
命の楽園を目指しているのです。
この絵をここに展示したのには理由があります。
若冲が自ら描いた楽園を見つめるような配置になっているのです。」

「鷲は未来をじっと見つめていますね。」

江戸絵画コレクター ジョー・プライスさん
「恐れるものはなにもない。
来るなら来い、と。」

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