誰にでもできる影から助ける魔王討伐 第一部 Prologue:集まる英雄たち 誰にでもできる影から助ける魔王討伐 槻影 第一部 Prologue:集まる英雄たち  おいおい、まじかよ。  テーブルを囲んだ面子を見て、俺は途方にくれた。  テーブルの前方。テーブルを囲んでいるメンバーでは俺を除いた唯一の男が立ち上がって、どこか照れながらも口を開いた。 「初めまして、僕の名前は藤堂直継。えっと……自分でこういうのもどこか、小っ恥ずかしいんだけど、一応『勇者』という事になってる。ちょっと事情があってまだこの辺りの文化にも慣れていないし、剣も訓練だけで殆ど振るった事はないけど、魔王を倒すために如何なる苦難にも立ち向かうつもりだ。これからよろしくね。レベルは15だよ」  黒髪黒目の中性的な風貌の優男だ。年齢は十八だと聞いているが、童顔のせいかもっと幼く見える。騎士団による訓練を十日ほど受けたとは聞いているが、その佇まいはまだ戦士のそれと呼ぶにはいささかお粗末に過ぎた。  レベルというのは戦闘能力を測る指標のようなものだが、15というのは初心者から中級者になるかどうかというレベルだ。  だが、彼の本質は決してそこではない。  聖勇者。それが彼が擁する運命の名前。  仮にも人族領内で随一の信者数を誇るアズ・グリード教会の一員である俺はある程度の事情を聞いていた。  闇を司る者。魔王クラノスが人族に宣戦布告をしてから既に十年が経つ。  魔王の軍は精強だ。その配下には多種多様の魔族が一丸となり、人に牙を向く。天敵が現れて尚、内輪の揉め事がなくならなかった人族がそれに対抗出来るわけもなく、年々明らかに劣勢となっていた人族はとうとう禁断の魔法に手を出した。  英雄召喚。異世界から英雄の器足る人族を召喚するアズ・グリード教の秘奥。  闇を払う者。  魔に抗う希望。  人類の最終兵器。  聖勇者  秘術により召喚された世界最強となる器を持つ人族。それがこの藤堂直継である。  この世に存在する八種の精霊王と三柱の聖霊から加護を受けた選ばれし存在だ。  その佇まいは確かにまだ戦士のものではないが、彼は元々平和な世界から召喚されたという事なのでやむを得ないだろう。むしろ実践も経ずしてよくもまあ十五というレベルに達せたものだと感心すら出来る。本来ならば魔物を倒さなくてはレベルというものは上がらない。そういう意味では信じられない程の祝福が成されているのだろう。  だから、俺が唖然とした原因は未熟な英雄の卵ではない。  問題は、他の二人の勇者パーティのメンバーにあった。  勇者パーティ。そう、勇者パーティだ。俺を含めたこのテーブルに座っている四人は神命により、魔族を統率し人類の絶滅を狙う大魔王クラノスを討伐せねばならない。  ぐるりと全員をもう一度品定めした後、勇者が座る。  それを待っていたかのように右隣に座っていた女が立ちあがった。  金髪碧眼。胸はないが、とても面がいい女だ。年月は藤堂と同じくらいだろうか。  ややキツ目の眼に強張った表情は怒っているからではなく、緊張しているからだろう。  先ほどまで被っていた魔道士御用達の三角帽はテーブルに置かれ、輝く髪がはっきり見えた。手入れが完璧に行き届いた背中まで伸びた髪はまず平民では見られない。  纏ったブラウンのローブも最高級品。値段の関係でただの魔道士には手の出ない垂涎の品である。中に着込んだインナーもまたシルクで誂えられた品で、恐らくオーダーメイドだろう。  テーブルに立てかけられた少女の身長ほどの長杖には拳大の紅蓮の宝玉が嵌めこまれており、それもまた魔導師の力を跳ね上げる一品であった。  最高級じゃないのは少女の実力だけだ。血筋は一応最高血統ではある。   「リミス・アル・フリーディア。フリーディア公爵家の第三子。魔導師よ。一通り、魔物を倒した経験はあるわ。よろしく、勇者様」 「レベルは?」  思わず口を出した俺の方にリミスが睨みつけるような視線を向けたが、あって然るべき質問だと思ったのか、ぶっきらぼうに答える。 「……10よ」  何で実践経験がない勇者様よりレベル低いのおおおおおおおおおおおおおおおおおおお?  くそ、こんなの聞いてねーぞ。  装備は最高級だが動作の一つ一つが素人だ。箱入り娘っていう表現がしっくりくる。  頬が強張るのを止められない。リミスは不気味なものでも見るかのような表情でこちらをちらちら見ながら腰を下ろした。  俺だってしたくてこんな表情してるわけじゃねーよ!  フリーディア公爵家は王国屈指の魔導師の家系だ。  始祖は魔導王とも呼ばれた男であり、代々その血筋は精霊魔術に対する高い適性を示してきた。  今代の三子の内、女子に精霊に頗る愛された神童がいるという噂は聴いたことがあった。恐らく、彼女が件の精霊の申し子なのだろう。  才能があるのはわかる。わかる。わかった。わかったけど……  微妙な空気のまま、三人目のメンバーが立ちあがる。  胸がやたらでかい女だ。  青髪で……そして、胸がでかい。胸がでかすぎて面よりも先に胸元に視線が吸い寄せられてしまう。というかそれ以外は割りとどうでもよくなってくる。近接戦闘職が好んで着る硬めのインナーを着込んでいるのに明らかに盛り上がっているのだ。  勇者の視線も俺と同様に胸元に吸い寄せられている。リミスが呪わんばかりに凝視している。まさしく、魔性である。  その女自身、ずっとその視線と付き合って今まで生きてきたのだろう。ちょっと眉をしかめるが、すぐに自己紹介に移ってみせる。 「アリア・リザース。剣士だ。流派はミクシリオン流。まだまだ修行中の身だが、魔王討伐の一員として選ばれて光栄だ。何分迷惑をかけるかと思うが、よろしく頼む。レベルは20だ」 「お父さんは剣王ノートン・リザース?」  胸をガン見しながら質問する。いや、ガン見したくないのだがどうしてもそちらに視線が……  アリアは自らの胸を隠すかのように腕でかき抱き、強めの口調で答えた。 「ああ。だが、父と私の実力とは無関係な事だ。偉大な父だとは思っているし、尊敬もしているが私と接する時は一人の人間として接して欲しい」 「……ああ」  何だこのメンバー。悪意が見えるぞ。  剣王の娘でレベルが20? 中堅レベルじゃねーか。  親父連れて来いよ、親父。しかも、剣王の娘なのにプラーミャ流剣術ではなくミクシリオン流。  剣術の二大流派とはいえ、プラーミャ流の最高師範が父親なのに異なる流派を選んでいる辺り、どこか臭う。  あのたった一人で魔族の軍勢数百と対等に戦ったという馬鹿げた伝説を持つ剣王の実子だ。才能自体はあるんだろうが、魔王を討伐するという重責を負うには……弱すぎる。  貴族の第三子に剣王の娘。  勇者のレベルが低いのは仕方がないといっても、やる気がないと判断せざるを得ない。  三人の平均レベルが15、15である。王都で探してもそれより平均レベルが高いパーティはいくらだっている。  そして、それら長年、魔境を探索して研鑽したパーティが手も足も出ないのが魔王という存在なのだ。  いくらなんでも、この平均レベルで魔王討伐は自殺行為のようにしか思えない。  俺がレベルを聞いて水を差したのが悪いのか、リミスがつり上がった目つきでこちらを見上げた。 「で……あんたの自己紹介は?」 「すいません、ちょっと電話してきていいっすか?」 §§§  アズ・グリード神聖教。  特殊異端殲滅教会。  秩序神アズ・グリードを奉る、人族の中で最盛を誇る宗教体系。  その中でも一風変わった魔族の殲滅を請け負う独自組織の名前である。  組織の都合上、ある程度情報は隠されているがその存在は決して非合法なものではない。  主な仕事は人に仇成す闇を払う事。  アズ・グリードの教義には魔族の殲滅が含まれており、秩序神の加護を持つ俺を含む特殊僧兵は闇と戦うための術を持つ。  聖勇者、藤堂直継がこの世界に来るそもそもの発端となった、異界からの召喚を可能とする『英雄召喚』の秘奥もその中の一つであり、人類の天敵であり闇の親玉である魔王を倒す以上教会からそのための人材を派遣するのは当然であった。  特に一般の僧というのは回復魔法や人体強化を含む加護術式、魔境において一時的に闇を遠ざける聖域生成を初めとした結界術を得意としており、一般の傭兵パーティでも最低一人は参加させるのが常套手段である。神の加護を持たない魔導師にも回復の術はあるが、それは神の加護を持つ僧――プリーストに一歩も二歩も劣る。いるのといないのとではパーティの士気にも関わるのだ。  ある意味パーティの肝となる存在であり、だからアズ・グリード神聖教が魔王討伐に際して、数あるプリーストの中でも特に絶対数の少ないアウト・クルセイド――戦闘経験豊富なプリーストを一人派遣したのも道理と言える。  顔合わせをしていた酒場から一歩出る。昼間とはいえ、熱気と酒気が混ざった空気から新鮮な空気に変わり一息つく。  そのままポケットから黒の石のついたイヤリングを取り出し、右耳につけた。  通信用の魔道具である。耳につけて魔力を通す事で特定位置にいる待機メンバーと会話を交わす事が出来る非常に便利な魔導具だ。高価な魔導具ではあるが、基本的に野外活動がメインとなるアウト・クルセイドには各々配布されているものだった。  ネーミングが電気とか使わないのに『電話』な理由は不明。発明者の故郷にある似たようなアイテムがそのような名前だからだとか噂はあるが真偽は定かではない。どうでもいい。  魔力を通すとほぼ同時に、通信が繋がった事を実感する。  教会総本山で待機しているオペレーターだ。機械じみた抑揚の少ない声は、俺がアウト・クルセイドの一員となってから何度もやり取りしている馴染みの声である。  常在戦場、いつ何時死んでもおかしくない職務のため、二十四時間いつでも繋がるようになっている。 「おはようございます、アレス」 「クレイオ枢機卿に繋いでくれ」 「……了解しました。しばしお待ちください」  枢機卿は教会で第二位の地位を誇る役職だ。  五人存在する教皇に直接お目通り出来る数少ない人物だが、中でもクレイオ枢機卿は教会が保持する僧兵を始めとした戦力管理の責任者だ。英雄召喚を決定したのは教皇だが、それの段取りや実行はクレイオ枢機卿が全て一手に受け持っていた。  立ち位置があやふやなアウト・クルセイドの統括者でもあり、勇者のお供として俺を派遣する決定をした男である。  程なくして、クレイオ枢機卿――聖穢卿、クレイオ・エイメンの声が聞こえた。  一部を除いて平均年齢が六十近い枢機卿位の中では極めて若い男だ。恐らくまだ三十になっていないだろう。その声色は温和であり、話していると安心感を抱きそうになるが、魑魅魍魎とする教会の派閥争いの闇を後ろ盾なく駆け上がった才覚は決して常人のものではない。  落ち着いた低めの声。 「何かあったのか? アレス」 「何かあったのかもへったくれもない。何だあのメンバーは!! 本当に王国は魔王を倒す気があるのか!?」  実践未経験の勇者……は仕方ないとしても、仲間であり攻撃の要である魔導師と剣士が弱すぎる。  あんなのではせいぜい中級クラスの魔物……オークくらいが精一杯だ。  いや、正直に言おう。  あいつらに比べた補助や回復を主とするはずの『プリースト』の俺の方がまだ強い。装備こそかなりの業物だったが、装備で実力は決まらないのだ。  リミスもアリアもまだ十代半ばくらいだろう。年齢にしてはレベルは高めかもしれないが、そんなものは何の慰めにもならないのだ。戦闘技術の向上には経験が必要だ。今の彼女達はただの原石だった。磨けば光るが磨くだけの余裕はない。 「ふむ……魔導院も剣武院も人類最高の才能を派遣したと言っていたが……」  間違えていない。俺は別に剣にも魔導にもそれほど詳しくはないが、間違えてはいないのだろう。  だが…… 「まず魔導師がフリーディアの娘だった」 「ふむ……リミス・フリーディアか……公爵も思い切った事をするものだな……」  返ってきた冷静な口調に怒りを噛み殺す。 「レベルが……たった10だったんだ……」 「ロイダー・フリーディア公爵の一人娘……箱入り娘だから、そりゃレベルは低いだろう。彼は親ばかだな。会う度に散々自慢される。確かに子を可愛がる親の気持ちは一種の美徳ではあるが――」  ちょ……箱入り娘なら箱から出すなよ!!  プリーストが回復の要だとしたら、メイジは攻撃の要だ。いかに回復能力が高くても攻撃力が足らなければ魔族は倒せない。特に上位の魔族は高い再生能力を持つことも多いのだ。  だから、大抵のパーティでは僧侶の次に魔導師が求められる。その二つの役割にどの程度練度の高い使い手をオファー出来るかがパーティリーダーの腕の見せ所とも言える。 「しかしそうか、リミス・フリーディアを出して来たか……予想外だな……あの男が一人娘に魔王討伐に向かわせるとは……」 「いやいやいやいや、いくら装備がよくたって後ろ盾があったって、あんな雑魚を持ってこられても……勇者が危険だ!」  公爵の血族であったとしても、地位で魔王は倒せない。  リミスやアリア、そして俺には変えがあるが、勇者には変えはないのだ。  異世界召喚とはこの世の摂理を捻じ曲げる秘術。藤堂直継を召喚するのに十年単位で貯めこんだ大量の魔力を使ったと聞いている。二度目は恐らく――ないだろう。  俺自身は世界平和がどうとか言う程の善人ではないが、藤堂直継が死んでしまったらそれは勇者パーティの回復役を担う事になるだろう、俺の責任となる。勿論、藤堂が死ぬような状態になったその時は俺も死んでいるだろうが、世間の非難の目は俺の家族にまで飛び火するだろう。それだけは避けねばならない。  クレイオ枢機卿が窘めるような穏やかな口調で言う。 「申し訳ないが、勇者パーティのメンバーはそれぞれ、剣武院、魔導院、教会で一人ずつ選出する約束だ。利権の関係でな。こちらから口を出す事はできない。足手まといがいるのならばフォローしてやれ」  違う。それは違う。  足手まといがいるのではない。足手まとい『しか』いないのだ。 「剣士の方はどうだ? 剣王ノートン・リザースが自信を持って一級の才能を持つ剣士を送り出すと言っていたが……」  だから才能じゃなくて現段階の実力を重視して欲しい…… 「ノートンの娘だった……」  それを言った瞬間、電話の向こうで咳き込むような音がした。いつでも冷静な男が珍しい。 「むふぁ……げ、ごほっごほっ……す、まん……そ、そうか。そう来たか……」 「ああ、レベル20で……胸がでかかった」  むしろ胸しか見てなくてちょっとどんな人物だったか覚えていない。  あんなのぶら下げて動きが鈍くならないのだろうか? いや、そんな事言われても本人は困るだろうけど…… 「そうか……いや、知ってる。会ったことがあるからな」 「もっと詳しい情報が欲しいんだが」 「……そうだな。先入観に囚われるのも不味いが、情報がないのも不味い……か。アリア・リザースは一言でいうと……お転婆娘、らしい……」  お転婆……娘!?  とてもそんな佇まいには見えなかったが……というかそんな情報、別にいらないんだが…… 「ノートンも手を焼いているらしくてな……プラーミャ流正統剣術を継ぐのを嫌がって、ミクシリオン流に鞍替えしたらしい。ノートン曰く、才能はあるらしい。……プラーミャ流の、な」 「……は?」  意味がわからない。  プラーミャ流正統剣術とミクシリオン流剣術は王国でも一、二位を争う剣術の流派だが、その体系は全く異なる。  一言で違いを言うのならば、護る剣と攻める剣だ。剣術何て何でも同じだと思うかもしれないが、その二つは全然違う。  プラーミャ流では盾が剣と同じくらい重要で、訓練時も常に盾を使うが、ミクシリオンは盾を使わない。それだけの差異で、足運び一つとっても大きく違いが出て来る。王国で推奨されているのはプラーミャ流である。  別にミクシリオン流がプラーミャ流に劣っているとは言わないが、それにしてもプラーミャ流の開祖の家系だというのにそれを嫌がり鞍替えするというのはどういう事なのだろうか?  そして、そんな女を勇者パーティに送り込んできたのはどういうつもりなのだろうか? しかも、強いならばまだわかるがレベル二十、レベル二十である! 駈け出しである!  召喚されたばかりの勇者はしょうがない。しょうがないが、後の二人は許容できない。  魔導院も剣武院も何を考えているんだ!?  原石なんぞ出さなくても、経験を遥かに積んだ優秀な武芸者がいるだろ!!  これから突入するのは草木すら瘴気に当てられ魔物と化す正真正銘人類未到の魔境なのだ! ピクニックに行くわけじゃないんだぞ!? わかっているのか!? わかっているならもっとマシなの寄越せ!!  そんなに人手不足なのか!!  そして、また元々、回復役というのは割にあわない職だ。どんなに頑張っても回復が間に合わず仲間が死んでしまえばそれはヒーラーのせいになる。  今回の場合は尚更ひどい。メンバーが勇者と公爵の娘、剣王の娘だ。  一人でも死んだら多分、俺即ギロチン刑。  クレイオ枢機卿は実利を重んじるから、俺を守ってくれるかは微妙な所だ。それで責任を負わずに済むんだったら俺一人平気で見殺しにする男である。 「ど、俺は……どうすればいい?」 「……まぁ、足手まといが一人から二人に変わった所で大差はないだろう。圧力をかけてみるが、教会と魔導院、剣武院は完全に分権されている。結果は期待しないでくれ」 「え? マジで? このままやらなきゃならないの!? 倒せる気がしないんですけど!?」  今の平均レベルだとオークの群れに出くわしたら全滅するような気がする。  通信が切れてしまったイヤリングを擦る。が、クレイオが再度出る事はなく……  呆然としたまま、イヤリングを外してポケットに入れた。額を揉んで表情を解す。  マジかよ……。  ある程度は予想出来ていたが、まさかレベル上げからやらなきゃならないのか……。   §§§ 「……お待たせ……はぁ……」 「あ、お帰り。どうしたんだ? 疲れているみたいだけど……」  先ほどの自己紹介より少しフランクな口調で藤堂が話しかけてくる。  そうか。俺は疲れているのか……そりゃ疲れるわ!  俺がいない間に何か会話していたのか、テーブルの空気は先程よりも若干緩んでいる。  生意気そうな箱入り娘が偉そうな口調でこちらに僅かな険の混じった声を上げた。 「ほら、用事が終わったんならさっさと自己紹介しなさい! 日が暮れちゃうわ!」 「ああ……俺の名前はアレス・クラウン。アズ・グリード教会の神父でこの旅にはプリーストとして参加する事になる。レベルは――」  そこで口を止める。不審そうな三人の顔。  正直に言うのは不味い。なんたって三人の平均値は十五なのだ。俺とはあまりにも差がありすぎる。正直に言ってしまえば引かれるだろうし、勇者達の自信を損なってしまうだろう。何より、いざという時に頼れると思われてしまうと、精神的な隙が生じる。避けねばならない。  幸いな事に、レベルの測定が出来るのは神職のみであって、このパーティならば俺という事になる。嘘をつこうと思えばいくらでもつける。  アズ・グリードの教義では虚偽を悪徳と定めているので、本来の神父は心臓を握られても嘘などつかない。疑われる事もない。  ちょっと迷って、下一桁だけ言うことにした。 「レベルは――3だ」 「3? たった3? ちょっと、そんなんで回復魔法が使えるの!?」  ……まぁ、言ったレベルがレベルだから仕方ないとはいえ、たった10レベルの魔導師に言われると腹が立つな。 「ああ、回復も状態異常回復もレベル測定も、一通りヒーラーの役割はこなせる。安心してくれ」 「あ、そう……まぁ怪我しなければいいのよね」  完全に信用していない眼だった。  回復魔法については教皇のお墨付きである。そう言うと凄いように聞こえるかもしれないが、孤独に異端を狩り続けるアウト・クルセイドの面々に取って回復魔法とは最も重要なスキルの一つでもあった。  藤堂が物珍しげに俺の隣に立てかけてある武器を見ている。  握れる程度の太さの柄の柄頭に勇者の頭蓋程の大きさの棘付き鉄球が付いている武具。  アズ・グリードの教義で僧は基本的に刃物を持てない。下らない教義だが、宗教とはそういうものだ。  実はアウト・クルセイドには異端を狩るために刃が許可されているが、職務の都合上、大抵立ち位置は隠しているので基本、見えるように持つ武器はこの武器のような打撃武器……『メイス』という事になる。  撲殺武器に見えて実は聖なる力が付与された金属で誂えられており、闇に潜む者には特に高い効果を発揮する武器だ。 「これはメイス……僧侶の武器だな……僧侶は刃物のついたものを持てないから。まぁ、打撃武器として使えるがどちらかと言うと回復魔法の効果を増幅する魔法使いの『杖』に近い。護身用の武器だから基本的には使わないと思ってくれ」 「そ、そうか……さすがファンタジーな僧侶だね……」  棘だらけの鉄球を見て、藤堂がごくりと唾を飲む。  何がさすがなのか、何がファンタジーなのか知らないが、まぁ良いだろう。  甲冑ごと騎士を粉砕出来るくらいの威力はあるが、攻撃に使うつもりはない。回復魔法を増幅させるだけならばもっと持ち運びのし易い道具もあるんだが、武器を持っていないと魔物に狙われやすいからな……。  リミスが「そんな撲殺武器、杖と一緒にしないでよ……」とか言っているが、杖だって本気を出せば打撃武器としても使えるのだ。筋力さえあれば鎧くらい簡単に破壊できる。杖が折れなければ、だけど。  アリアが何か言いたげにこちらを見ていたが、そっちを向いてしまうとどうしても胸元に視線が吸い寄せられてしまうのであえて向かなかった。剣王の娘、欲望に負けて手を出したら、彼女の父親に悲鳴を上げる間もなく八つ裂きにされるだろう。  藤堂がごほんと一度咳払いをして、締めくくる。大人しそうな顔をしていて、なかなかやる男だ。 「まぁ、ともあれ、皆で魔王を倒そう! これから宜しく」 「フリーディアの魔導の真髄をお見せしますわ、勇者様」 「未だ未熟な剣なれど、この力、勇者殿に預けよう。共に魔王を倒そう」  やる気だけは満々な面々を見て、俺はため息をついた。  まぁ、パーティ解散の最も大きい要因である人間関係の問題は起こらなさそうだ。  そこだけは運がよかったというべきか。  皆の視線を受けて、俺も一言だけ述べて所信表明とする。 「神の御心のままに」  この時の俺は、今の状態が人生最低の状態だと思っていた。  まさか、それ以上があるとは……俺が言える事はただ一言だけである。  この世界は、クソッタレだ。 page: 2 第一報告 勇者の性能と動向について 第一レポート:現状と今後の対応について  人族。  この大陸で最も大きな勢力を誇るその種の能力は魔族や他の種族と比較して非常に低いが、その特徴として非常に高い成長力を誇る事で知られている。  大神とも呼ばれる秩序神アズ・グリードはその御子たる人族の非常に弱い力を哀れみ、飛躍のための権能を与えた。  それが俗に呼ばれるレベルアップ――闇に与する者を滅ぼした際に発生する存在のフィードバック現象だ。人は他の生命を殺す事により、その生命エネルギーとも呼べる何かを吸収する事ができ、身体能力を初めとした様々な能力を強化する事ができる。  人間は生まれてそのまま成長した状態ではとても弱い。成人男性でも他種の子供に敵わないくらいに弱い。如何な才覚ある人間であってもレベルアップなくして闇の軍勢と戦う事は出来ない。  戦ったりしなかったとしても、低レベルの状態ではあまりにも生命力が低いため、人の子供はある一定の歳になったら親の付き添いである程度レベルを上げるのが習わしだった。レベル5程度あれば日常生活で困る事もない。  アズ・グリードの秘術で呼び出された勇者は別世界の人間だ。  その世界には驚くべきことに、レベルというものが存在しないらしい。その地より召喚された勇者はつまるところ、レベル1の状態という事になる。  反面、この地の人間と比べても比類無いほどの高い成長力、精霊、聖霊の加護を持つが、それでも所詮はレベル1。そのままでは魔王は愚か、低級の魔族にすら勝てない。だからこそ、光栄にも勇者の仲間に選ばれた俺達が初めにやるべき事は勇者のレベル上げという事になる。  勇者として召喚されたのは藤堂直継が初めてではない。  教会に秘蔵される資料には前回、前々回、さらにそのまた昔より、勇者を召喚した際のノウハウが積み重ねられている。  俺達はそのノウハウを元に、効率的に勇者のレベルを上げなくてはならない。勇者召喚の際に発生する波動は魔族達も察知しており、レベル上げに時間がかかればかかる程に刺客が送られる可能性が高くなってくるからだ。現に、過去の記録ではちんたらレベル上げをしている間に高位魔族を送られ死亡した勇者の情報が残っている。  人の能力は才能に大きく左右されるが、レベル上げは完全に努力が反映される。どれだけ才能がなかろうと、生き物を殺し続け、その自身の存在を補強していく事で人は強者になれる。  かと言って、小動物を殺し続ける事によって最強になれるわけでもない。レベルは上がれば上がる程に上がりにくくなっていく。そして、生き物を殺した際に得られる存在力は決して一律ではない。  故に、俺達は段階を踏む必要があった。  魔王は邪神の加護を受けており、聖霊の加護を持つ一部の特別な者の攻撃でなければまともにダメージを与えることは出来ない事がわかっている。俺一人レベルが高くても意味がないのだ。  幸いな事に、1から上げろなどと言われているわけでもない。  仲間である魔術師リミスも剣士アリアも最低以上のレベルは持っている。それでもその家柄を考えると低すぎるレベルではあるが、きっと箱入り娘だったのだろう。俺は自身をそう納得させる事にした。どうせ文句を言った所でやる事は変わらないのだ。  俺を除いた三人の平均レベルは十五。  戦士のアベレージで言う、下の中から上くらいだが、この世界に存在する全ての精霊、聖霊から加護を受けている勇者の成長補正はただでさえ高い人族のそれを遥かに超えており、そして由緒正しい魔術の家門であるリミス、剣王の子女であるアリアについても才能がないわけがないだろう。これで仲間二人の才能がなかったらそれは……詐欺だ。  今はまだ俺の方が強いが、俺は特別な家系でもなければ特殊な加護を受けているわけでもない。才能は考慮するまでもなく俺が一番下、きっとそう遠くないうちに、三人は俺のレベルを越えていく事だろう。  そう思えば、今の状況もまだ許せる。 §§§  ルークス王国は人族の治める国としては屈指の大国だ。  その住民の八割が純粋な人族であり、残りの二割が亜人を始めとした人と共存できる知的生命体となっている。  今代の国王であるアラン・ルークス十八世は各地で収まる事なく発生する戦火と三つの友好国が滅ぼされた事により心を痛め、魔王クラノスの討伐を国是と発表し、アズ・グリード神聖教の聖都であるアズ・グリードに英雄召喚の秘奥の行使を要請した。三つも国を滅ぼすまで何をやっていたのだと言いたくなるが、それはまぁしょうがない。秘奥の行使には寄付金という名の膨大なる金と責任が発生するのだ。いざ人という種が滅ぼされる段階になっても世界は割りと世知辛いのである。  英雄召喚によって召喚される聖勇者はまさしく教会の権威を背負っている。  アズ・グリードの秘奥を使っている以上、その存在に敗北は許されない。秩序神からの加護を背負って召喚された以上、勇者には勝利が約束されており、もし万が一、億が一にでもその存在が敗北する事になればそれは――要請した国の悪徳のため神からの加護が届かなかったという判断がなされる事になる。  教会側の人間である俺が言うのも何なんだが、非常に馬鹿らしい話だ。勇者が弱ければ死ぬしレベルアップが遅れても死ぬし魔族が迅速に手を打っても死ぬ。加護は沢山持っていても勇者は決して不死ではないのだ。  だがしかし、恐ろしい事に人族の八割が秩序神を称える敬虔な信者でもあった。  宗教とは恐ろしい。仮に教会の総本山に睨まれたら冗談抜きで国が滅びかねない。実際に滅んだという記録もある。  自ずと、召喚された勇者は国に取って命と同義になってくる。  そう。勇者は最強の剣にして両刃の剣でもあるのだ。アラン・ルークス十八世がどうして切羽詰まるまで秘奥を行使しなかったのか、わかっていただければと思う。  そして、故に勇者にはあらゆる保護が与えられる。  前代の勇者が過酷な旅の末に手に入れた強力な武具。  旅を容易くするための便利な魔道具の類に、一流の武芸者による武芸の伝授。  そして何よりも頼りになる――優秀な仲間。  魔族と戦う際、一人での戦闘は当たり前の話だが推奨されない。  一人での戦いとは多分、一般的に考えられている以上に過酷だ。  いくら個体として強力なレベルを持っていても、相手の数が多くなってくるとそれだけで不利になってくる。事故の可能性も高くなり、特に麻痺や毒などで倒れた際に誰にも助けて貰えない。  だが何よりも恐ろしいのは――孤独だ。  頼れる仲間もなく、たった一人で戦い続けるというのは人の精神に大きな負担になる。  もし珠玉の才能を持っていたとして、仮に性能面では戦い続けられたとしても……人の精神は脆いのだ。過酷な戦場で人は人のままでいられない。手を差し伸べてくれる仲間がいなければ、人は容易く鬼になる。勇者を殺人鬼なんかにしてしまえば、それを止められなかったルークス王国は間違いなく神への背信と断定されるだろう。  閑話休題。  では何人で組むことが推奨されているのか?  一般的に、魔族や魔物と戦う際は四人から六人のグループを組んで戦う事が推奨されている。  このグループは最小単位の群であり、パーティとも呼ばれるが、グループを組むのは大半な役割が必要とされるためだ。  前衛と魔法使い、そして……回復や補助を担当するプリースト。  それは、今回国から派遣された三人の役割とも一致している。  攻撃魔法の使い手であり、パーティの攻撃の要となる魔法使いのリミス・アル・フリーディア。  ミクシリオン流剣術の使い手であり、戦線維持の要となる近接戦闘職、剣士のアリア・リザース。  そして、後衛職であり戦闘時の補助と戦闘後の怪我の回復を行うプリーストの俺。アレス・クラウン。  この三種の役割は基本的に代わりが効かない。  俺はプリーストが使える回復や補助、結界などの神魔術は使えるが、リミスのように一般的な魔術師が扱う高い威力を発揮する精霊魔術は使えないし、剣も振ったことくらいはあるがド素人だ。今の状態ならばレベル差でアレスの代わりに前衛を務める事もできるだろうが、やはり本職には及ばないしそもそも俺が前衛を担当すれば補助が覚束なくなる。  魔物の中には物理攻撃に強い者、魔法攻撃に強い者、それぞれ存在するため、魔法使いと剣士、両方揃えないと安定して魔物に対応する事が出来ないし、パーティに傷を回復できるプリーストがいないとそもそも誰もパーティに入りたがらない。  大抵の場合は戦線を維持する前衛職が二人、魔法使い一人、プリースト一人でパーティを組むが、今回の場合はまた少し異なる。  聖勇者、藤堂直継。  八種の精霊と三種の聖霊の加護を持つ彼は、この世界では酷く稀な万能選手だ。  精霊の加護がある以上攻撃魔法が使えるし、そもそも身体能力も加護で底上げされている。恐らく、習えばプリーストの扱う神魔術も使えるようになるだろう。その上に成長速度が非常に高いともなれば、勇者という名も俄然信憑性を帯びてくる。  彼にはこの世界でも最高峰の戦士になる素質がある。途中で死ななければ、だが。  藤堂は既にルークス国王から前代、ルークスが呼び出した勇者が使っていたとされる武具を受け取っている。  羽毛のように軽く、しかし物理攻撃にも魔法攻撃にも高い耐性を持つ魔法の鎧、『フリード』  岩をバターのように切り裂き、特に魔物に対して高い威力を発揮する破魔の剣、『エクス』  一個売るだけで一生を遊んで暮らせるような、一般的な戦士の手にはとても届かない、そんな宝具の類だ。  前代勇者は魔法も使える前衛――俗に言う魔法剣士だった。  魔族は基本的に高い魔法の耐性を誇る。高位の魔族を相手とするのならば魔法と剣技、両方が必要とされる。  藤堂も恐らくは前勇者と同様に、魔法剣士として前衛を担当するのが一番だろう。  宿での今後の進め方や戦闘態勢についての話し合い。  藤堂は何故かその端正な顔を僅かに顰めながら俺の言葉を聞いていた。  足を大仰に組み、指輪をいじってはいるが余計な口を挟む気配はない。  今現在の勇者パーティの中で一番経験が豊富なのは間違いなく俺だ。専門分野の知識ならリミスやアリアの方が上だろうが、俺には今まで活動してきたという実績があった。  リミスもアリアもそれがわかっているのだろう。ただ黙って俺の話を聞いている。 「――というわけで布陣は前衛としてアリアと藤堂、中衛として俺、後衛としてリミスという態勢にするといいだろう。俺はそれなりに耐久力もあるし、アリアか藤堂が怪我をした際には代わりに前に出ることもできる。まぁその際は回復魔法を使う余裕はないので、薬なり何なりで回復してもらうが……」  少なくとも、藤堂は勇者の鎧を預かっているし、盾もある。アリアの装着している鎧も剣王の娘だけあってかなりの業物だ。  平均レベル15程度のレベル上げの相手ならば、例え正面から攻撃を受けても大怪我をする事はないだろう。  まだレベルは高いが、装備は各々最高級だ。これもまた負けるわけにはいかない勇者パーティの特権と言える。  勇者は俺の言葉を聞き終えると小さく頷き、 「話はわかった。ある程度城の騎士さん達に訓練してもらったから前衛も務まると思う。だけどさ……」 「だけど?」 「パーティは普通四人から六人なんでしょ? なら、後二人メンバーを入れたほうがいいんじゃないの?」  藤堂のこの地方では珍しい黒の眼がくるくると動いている。  予想外の台詞。新たに大きな力を得たにもかかわらず人を入れるなどという言葉が出てくるとは思わなかった。  大抵の人間は助長するものだ。ましてや、彼は本来戦えなかった人間。この世界に召喚されて得た精霊や聖霊の加護は大きすぎる力、切れすぎる刃だったはずだ。得体のしれない万能感を感じざるを得ない程に。  机に置かれた藤堂の指をぼぅと眺める。たこの一つもない綺麗な指に白い肌。まずこの世界では貴族でもない限りありえない苦労をした事のない手だ。  いや、違うな。  内心で首を振って考え直した。  戦士ではない。苦労をした事がないからこそ、これから魔物や魔族の類と戦わねばならないという脅威に対して慎重になっているのだ。 「追加メンバーについても一考の余地はあるが、取り敢えずはこの四人で進めたい」 「? なんで? まさか他の男を入れるのが嫌だとかじゃないよね?」  何を言っているんだ、この男は。  本来ならばアリアとチェンジで山のような、全身が筋肉で覆われた歴戦の剣士が欲しいくらいなのに。  藤堂の口元がややにやけているが、その眉目は微塵も笑っていない。まさか警戒されているのか?  その表情に冗談を言っているような様子もなく、こんな始まったばかりの段階で不和を起こすのもごめんだ。俺達は魔王を倒さなくてはならないのだ。  テーブルの上で指を組み合わせ、若干背中を落として藤堂の眼を見上げ、はっきりと答える。 「勿論違う」 「ならなんで?」 「レベルアップの効率化のためだ」  一つのパーティで四人から六人が推奨されている理由の一つがそこにある。  水を口に含み、続きを説明しようとした俺に、藤堂が納得の声を上げた。 「ああ、なるほど……そういう事か」 「ん? まだ説明していないが、これだけでわかったのか?」  勇者が召喚される前の世界でレベルは存在していないと聞いているが……。  いや、召喚されてからしばらく、ルークスの城内で剣の扱いや基礎知識などを勉強したと言っていたな。もしかしてそこで説明も受けたのかもしれないな。  勇者のレベルアップは急務だ。  教会内部では大体、魔族は一月程度で英雄召喚の痕跡を発見すると言われている。  まだ召喚されてから一週間しか経っていないので、殆ど時間がなかったはずだが、どこまで聞いているのか確認する必要があるかもしれない。  じっと視線を向ける俺に、勇者がしたり顔で言った。 「倒した魔物の経験値は人数で分割されるから、人数が多いと効率が悪いんでしょ?」  自らの正解を確信している表情。  リミスが困惑の視線を俺と藤堂、交互に彷徨わせている。 「? ……経験……値? って何?」 「……え?」  経験値。経験値。  聞いたことがない言葉ではあるが、想定くらいならばできる。  文脈から察するに、魔物を殺した際に取得できる存在力の事を指しているのだろう。  アリアも険しい表情で腕を組む。  いや、険しい表情じゃない。多分生来、そういう顔なのだろう。  胸の前で腕を組むものだから、でかい胸がより強調されて視線の置き場に困る。  俺はそっと藤堂に視線をずらした。胸眺めている場合じゃない。 「私も聞いたことがないな……」 「え!? レベルって経験値を得ることによって上がるんでしょ!? 普通ゲームとかだとそうじゃん」  どうやら藤堂の世界にも似て非なるものが存在するようだ。  一瞬の視線を感じたのか、今度こそ射殺さんばかりに睨みつけてくるアリアから顔をそむけ、咳払いした。 「違うな。この世界では魔物を倒す際に得られる魂――存在の力によってレベルが上昇する。経験値と言うものは存在しない。まぁ、何となくニュアンスは伝わるが……」 「存在の……力?」  今度こそ聞き慣れなかったのか、困惑の表情の藤堂。  この世界においては子供でも知っている事だが、勇者は異邦人だ。知らなくて当然。 「ああ。魔物を殺した際に、魔物の力の一部が殺した者に吸収されると思ってくれればいい。一定数の力を吸収した際に人はレベルが上昇――能力値が大幅に上昇させる事ができる。藤堂もレベルが15なら既に体感していると思うが……」  それは、1レベル違っただけでも体感できるだけの違いだ。  勿論、身体を鍛える事によっても筋力などは上げることはできるが、レベルアップによる能力上昇はそういう次元ではない。  まさしく、存在が高次元のものになるのだ。だから、魔物を倒した際に吸収される力を存在の力と呼ぶ。 「うん、確かに凄い身体が軽くなったけど……でもそれって経験値と同じようなものだよね?」  まだどこか納得のいかなさそうな表情で俺を見下ろす勇者。 「まぁ、軽く聞いた限りだと概念的にそれほど差異はなさそうだが、今聞いた限りでも致命的な差異がある」 「……致命的な……差異? 何?」  威圧するような視線に負けじとばかりに視線をぶつけ、俺はレベルアップという作業が根本的に面倒臭い理由、そして、今の段階でメンバーを増やす事に対して反対する理由を言った。 「存在力は……分割されない。殺した者にしか入らないんだ」  つまりそれは、パーティで行動していても魔物を殺したその本人しかレベルアップしない事を示している。 page: 3 第二レポート:この勇者、不安定につき  ルークス周辺にはレベルアップのための土地が数多く存在している。  いや、レベルアップに有効な土地が近くにあるからこそ、ルークスは発展したのだと言う方が正しいだろう。  ルークス王国の王都、ルークスから五十キロ程離れた地点に存在する、四方数百キロに渡り広がる、ヴェールの森。  そこは、国によってある程度整備された中堅クラスのレベルアップに相応しいフィールドだった。  さすがに数百キロある大森林の全てが知られているわけではなく、近くの村では森の奥には古代竜がひっそりと生きているなどという馬鹿げた伝説がまことしやかに囁かれていたりするが、今まではっきりとした目撃証言などがあったわけでもなく。  奥に行けば行くほど強力な魔物が生息しているが、レベル三十程度までならば整備されている道の近辺でレベル上げが可能となっている。魔物対峙を生業とする傭兵の間ではこの辺りで狩れるようになると一人前、などと言われている、新人傭兵の一つの関門でもあった。  ちなみに更に奥に進むと魔物のレベルも格段に跳ね上がり、道も地図もないため遭難の危険性が高くなる。行くなら自己責任でどうぞ。勿論勇者に行かせるつもりはない。    魔物には魔人型、魔獣型、植物型、精霊型など幾つかの種類が存在するが、ヴェールの森に生息しているのは魔獣型と植物型が主になってくる。  基本的に物理攻撃を主体として攻撃を仕掛けてくる敵だ。獣の延長であり、魔人型のように高度な知性を持っているわけでもない。特に才能がない傭兵でもレベルさえ上げれば対応できる辺り、その難易度を察していただけるだろう。  だが、同時にサバイバルの知識や森というフィールドでの戦い方など、学ぶべき点は多く、その練習という意味では最適だ。  魔王や高位魔族の支配権は人の手の届かぬ土地にある。必ずやこの森での経験は勇者たちの力になるだろう。  手始めのレベルアップ先についてこの話をした段階で、異を唱えたのはこの三人の中では一番レベルの高い、レベル20のアリアだった。 「ヴェール大森林……まだ藤堂殿のレベルでは危険なのでは?」  藤堂のレベルは15。お前とあまり変わんねーよ、と言いたい気持ちが芽生えたが勿論言わない。  アリアの俺の印象はかなり悪いだろう。別にアリアと色恋沙汰がどうとやらなんて話はするつもりがないが、パーティメンバーとの間のしこりはできるだけ作らないに越したことはない。  恐らくヴェールの森の事は武家の出として知っていたのだろうが、その知識は実際にそこでレベル上げを行った事がある俺程ではないだろう。 「確かに多少危険ではあるが、奥に行かなければこのメンバーなら十分に戦えるだろう。何より、このパーティにはちんたらレベル上げをしている暇はない。いつ魔族が勇者の存在に感づくか……わからないからな……」  もし万が一バレて尖兵を差し向けられた場合は結界などで足止めをするなど最善を尽くすつもりだが、何よりの自衛は勇者のレベルをあげる事だ。取り敢えずレベル30まで上げれば相手次第ではあるが、逃げる事くらいはできるだろう。  後、枢機卿から言われたのだが、勇者のレベル上げ進捗次第で俺にボーナスが出るらしい。勇者の共となった時点である程度の準備金は貰っているが、金はあればあるだけいい。ボーナス欲しい。  聞いているのか聞いていないのかわからない目つきで椅子に座っていた勇者が、顔をあげる。 「そんなにその魔族とやらは強いのか?」 「今高位魔族に出逢えば五分で肉団子だな」  勿論、魔族と一口に言ってもピンからキリまで存在するが、基本的に魔族というのは人が対抗出来ない存在なのだ。  高位ともなれば最低でも、レベル60の一線級の傭兵が複数人で挑んで勝てるかどうかという相手である。いくら才能があったとしても今の段階で相対するのは絶対に避けねばならない。  幸いな事に、魔族は神の敬虔な下僕であるプリーストの知覚に強烈に引っかかる。特に魔法で調べるまでもなく、俺ならば例え寝ていたとしても気づくだろう。  俺の答えが予想外だったのか、藤堂が目を大きく見開く。 「五……分!? い、いや、僕、一応騎士団長から手ほどきを受けたんだけど――」 「魔族の能力値は人の数百倍から数千倍だ。多少剣や魔法を使えた所で相手にならんよ」  だから、万が一を考え俺はもっと強いパーティメンバーが欲しかったのだ。  俺の上司――クレイオ枢機卿にもっと別のメンバーと変えてもらえないかダメ元で問い合わせてもらっているが、進捗は芳しくなさそうだ。身の上的に考えるとこの上ない原石ではあるのであからさまに文句も言えない。  あまり心象はよくなさそうだが、一応ある程度俺の存在を認めているのか、藤堂は特に突っかかってくる事もなく大きく頷いた。  意志の強そうな瞳に、中性的な美青年と呼べる風貌。その動作から溢れる光は一種のカリスマと呼べるだろうか。  勇者の素質と見た目は関係ないはずだが、その仕草は彼が勇者となるであろう事を俺に予感させるに十分だった。 「五分か……。なら……多少危険でもさっさとレベルを上げないとね」 「身体を少しずつ新しい力に慣らしながら無理のないように、だが迅速に上げていく。取り敢えず三十まで上げれば魔族が現れても逃げる事くらいならできるはずだ」  逆に言えば、それまでの間は常に油断ならぬ状態に置かれるという事でもある。  今現在の藤堂のレベルは15、アリアが20、リミスが10。存在の力は基本的に殺したものにしか入らないから、数を狩らなくてはならない。  かと言って、強い魔物を狩れば一気にレベルが上がるのかと言うとそれも違う。人には一度に受け入れられる存在力の限界というものがあるのだ。レベル1の傭兵が仮に最上級の竜種にトドメをさせたとしても、せいぜい上がるレベルは2か3といった所だろう。そして、普通レベル1の人間に竜は殺せない。  楽してレベルを上げる方法はないし、まず勇者の場合は基礎能力アップの他に戦闘技能をつけなくてはならない。そもそもの最終目的は魔王の討伐なのだ。レベルを上げただけで魔王に勝てる程甘くはないだろう。  プランを脳裏に巡らせながら、発言する。 「森に篭もる。目標レベルは最低30。再優先は藤堂のレベル上げだ。最悪、アリアとリミスは代わりがいる」 「……は?」  別に他意はない言葉だった。  仲間としてアリアとリミスは確かにまだ頼りないが、それでもあえて見捨てるような選択肢を取る程でもない。  それは純粋な優先順位の問題、例え剣王の娘だろうが、公爵の娘だろうが、俺はアズ・グリード教会から派遣されてきたプリーストとして勇者の安全を最優先に考えねばならない。  だがそれはきっと、藤堂本人に取って想定外の事だったのだろう。  低い声と同時に、空気がざわつく。全身の毛が僅かに逆立つ。  視線を藤堂に向ける。漆黒の瞳が刃となって俺に突きつけられていた。  それは殺意と呼ばれる類のもの。鋭く引きつった眉目に噛み締められた唇。端正だった容貌がここまで変わるものか、信じられない程の凶相を形作っている。その瞳の奥にはどろどろとした闇が見えていた。  戦闘を生業としない一般人ならば全身を飲み込む異様な感覚に裸足で逃げ出していただろう。  それは、高レベルの傭兵ならば誰しもができる技術であり、しかしレベル15で使えるような技術では断じてない。  意志を昇華し叩きつける技術。 「なっ……」 「あ……う……」  公爵家の護衛も、剣王の弟子も、高いレベルの人間で固められていたはずだ。  だが、殺意を発する事などなかったのだろう。取り巻く異様な空間にアリアとリミスが息の詰まったような声を発し身動ぎする。  その眼は大きく見開かれ、俺と藤堂を見ている。  恐ろしい才覚。いや、これはまさしく神のご加護によるものだと言うべきか。  俺が殺意にここまでの影響力を持たせる事ができるようになったのは、人の動きを縛る事ができる程に影響力を持たせる事ができるようになったのは、何レベルの頃だったか……少なくとも、15では絶対に無理だっただろう。問題はこれが彼の意志で自由に操れているものなのか、それとも突発的に出てしまったものなのか、という点だが……一度こうして出来ている以上、二度目は時間の問題だ。  しばらく様子を観察していたが、これ以上放置していると飛びかかってきそうなので、俺は大きく音を叩いて両手を叩いた。 「悪かった。浅慮だった。別に俺はアリアやリミスをないがしろにするという話をしているわけじゃない」 「リミスとアリアに……謝れ」  唸り声にも似た恫喝の声。  元々ハスキーボイスだったが、喉の奥から絞り出したようなそれは地獄の底から這い出た亡者のような声となっていた。  触らぬ神に祟りなし。俺は神の使徒であり、自身のプライドも神に売っぱらっている。頭下げて済むんだったらいくらでも下げよう。土下座してやってもいい。手っ取り早いし。  即座にリミスとアリアの方に向き直り、深々と頭を下げた。   「俺が悪かった。許してくれ」 「あ……ああ……」 「まぁ……ね」  ご本人達はそれほど気にしていない様子。そりゃそうだ。俺はまだ彼女たちの事を貶す言葉を出しているわけではないのだから。  二人が許すと言ったのがよかったのか、勇者の殺意がやや収まる。二人がほっとしたような吐息を漏らすのが、俺には確かに聞こえていた。  頭をゆっくり上げながら、藤堂の方を観察する。  才覚はあるが不安定、か? 過剰な正義心? それとも幼少時に何らかのトラウマが?  魔王を倒す勇者として適切なのか、不適切なのか?  駄目だ。考えても無駄だ。  どこに地雷があるのかはわからない。観察しなくてはならないだろう。元々、いきなり生まれ育った世界からこの世界に呼び出されたのだ。多少ナーバスになっていても仕方ない。  ごほんと一度咳払いをして、勇者の眼と眼をしっかりと合わせる。  だが、それとこれとは話が別だった。  藤堂は理解し受け入れなくてはならない。自らの命の重さというものを。 「悪かったな」  俺の言葉にも、藤堂の視線は揺るがず、険しいままだ。  険しいまま、納得の言葉を口にする。表情と言っている事がちぐはぐだ。 「……ああ。こっちも悪かった、いきなり。だが、もう二度とリミスとアリアを……下に見るような発言はしないで欲しい。不快だ。非常に不愉快なんだ」 「ああ、不愉快にしたのは謝るし、いきなり誤解されるような事を言ってしまったのも謝る。だが、それは無理だ」 「……は?」  藤堂の眉目が大きく歪む。反射的に力を込めたのか、手の置かれたテーブルがみしりと小さな音を立てる。  再び殺意を放ち始める前に理由を述べる。  仕方ない。嫌われるのは仕方ない。だが、言わねばならない。俺だって好きで言っているわけではないのだ。 「何故なら、俺達の使命の第一は……魔王討伐だからだ」 「は? それが――」 「そして魔王を討伐されるために呼ばれたのか藤堂直継、お前だ。俺やリミス、アリアの役割はお前の魔王討伐のサポートをする事、ただそこにある」  一月前の俺はまさか勇者パーティに参加する事になるだろうとは思っていなかった。  確かに勇者のサポートをして上手いこと魔王を討伐できれば地位も名誉も財産も手に入るだろう。だが、高位魔族を相手にするというリスクには見合わない。あまつさえ相手は魔族の頂点であり王である魔王、クラノス。巷では絶望王などと噂される真性の怪物である。  平均レベル九十を超える最高位の傭兵パーティが魔王討伐に挑み、返り討ちにあったのは記憶に新しい。それに比べてこっちのパーティ平均は何レベルだ? 二十? ふざけんな、である。その二つには大人と赤子以上の差異があるのだ。  俺は別に、魔王を討伐したくてこのパーティに参加しているのではない。枢機卿の命令だから、元々やっていた完遂しかけていた仕事を放り出してまで仕方なく参加しているのだ。  だが、仕事はきっちりやる。仕事だからきっちりやる。  身体を震わせる藤堂の方をしっかりと見つめる。 「藤堂、わかっているのか? お前じゃなきゃ魔王を倒せない事を。国王から話は聞いていないのか?」  正確に言うのならば、藤堂でなくとも加護さえ持っていれば魔王に傷をつけられる。だが、今出さねばならない情報ではない。  藤堂は押し殺すような声で、だが確かに肯定した。 「あ……ああ……」 「ならば簡単な話。英雄召喚の魔法はそう頻繁に使える類のものじゃない。藤堂、お前が死んだら世界は滅ぶんだ。オーケー?」  過剰な言葉で藤堂を揺さぶる。  しかし、こうして改めて考えてみると藤堂も随分と災難だな。  いきなり家族と離れ離れにされて魔王を倒せなど、もし俺が藤堂の立場にあったらボイコットしてしまうだろう。それとも正義感の強いものが選ばれて召喚されているのだろうか?  神への背信とも取れるような事を考えながら、俺は続ける。 「アリアもリミスも強くなるだろう。魔王を相手に一人っきりで戦うのは無謀だ。だから、俺達はレベルを上げなくてはならない。だが、同時にいざという時にはアリアもリミスもお前を守るために死ぬ義務がある。当然、アリアもリミスもこのパーティのメンバーとして抜擢する際に聞いているはずだ」  ちなみに、俺は聞いていない。俺のパーティ加入は神名と言う名の上司命令であった。  だが、パーティの設立理由を考えるとこんな事、言われるまでもないのだ。勿論、俺は死ぬつもりはないが。 「そ、うなの、か? リミス、アリア……」  藤堂がまるで縋り付くようにリミスとアリアに向き直る。  剣王も公爵も悪い噂は聞かない人の親ではあるが同時に国の重鎮である。何故娘を派遣する事になったのかは定かではないが、その程度の事を教えていないわけがない。  俺の予想通り、アリアもリミスも一瞬互いに視線を交わしたが、おずおずと頷いた。 「あ、ああ……父上からは、一身に代えてもお守りするよう仰せつかっている――」 「わ、私もお父様から――」  二人の言葉が最後まで出されるのを待たずして、藤堂が眼をかっと見開き頭を抱えた。 「あ……ああああああああああああああああ……」  表情はわからないが、僅かな雫がテーブルを濡らす。その呻き声には形容できない感情が混じっている。  その姿は間違えても人類希望の光である勇者のものではなかったが、俺は見て見ぬ振りをする事にした。  ぶっちゃけると俺は藤堂が勇者であってもなくても別にどうでもいいのだ。  俺は職業柄、英雄召喚の術式が運命に勝利を約束された勇者を呼び出す術ではない事を知っている。  藤堂が勇者であっても勇者でなくても、レベルを上げ魔王を討伐させる。ただそれだけの事。  藤堂が実際に神に選ばれた勇者であっても魔王を倒せなければ勇者ではないし、藤堂が一般人だったとしても魔王を倒せれば勇者なのだ。アズ・グリード聖神教が求めているのはその成果だけなのである。  未来は如何なる高名な魔導師にも予見できない。結果は蓋を開けてみなければわからない。  ヒーラーである俺の役割はそこに至るまでありとあらゆる呪法を、外法を使って勇者を生き長らえさせる事にある。一人の人間を勇者にする事にある。  好きなだけ泣け。  好きなだけ怒れ。  俺にはその気持ちがさっぱりわからないが、まぁそれも人それぞれの性格という事で特に何も言うべき事はない。  一通り勇者の嘆きのBGMを聞いた所で、俺はため息をついた。偉そうな声色で当たり前の事を言う。 「別に藤堂、お前が強くなって守ればいいだろう。幸いな事に、八霊三神の加護を受けている藤堂は何よりも強くなれる余地がある。誰よりも強くなり、魔王を倒せ。仲間を殺したくなければ全力で守れ。それだけでアリアもリミスも死なないだろう」 「ッ!?」  スイッチが切り替わったように藤堂の泣き声がやみ、その面がゆっくりと上がった。  朱の唇の端から垂れた涎、真っ赤に腫れた眼の奥で光る爛々とした闇の瞳に、俺は初めてぞくりと身体を震わせた。  ……あれ? こいつ、まさかやばい奴?  藤堂の目つき。俺の方を向いていて、だがその視線は俺を捉えていない。  まるでこの世ならぬものでも見ているかのような夢現の眼で、藤堂が呟く。まるで自分に言い聞かせているかのように。 「そ、そう……か! そうだ。そう……だね。勝てばいい……勝てばいいんだ」 「あ……ああ……勝てばいい。そうだ、それだけの話だ。そうだな? リミス! アリア!」  とっさに助けを求める俺。  リミスとアリアの表情もまた、予想外の勇者の表情に強張っていた。 「え、ええ……そうね!」 「あ、ああ……勿論だ! 何、秩序神に選ばれた藤堂殿なら容易く成せるだろう!」  おい! この勇者、大丈夫か? page: 4 第三レポート:非常に繊細なる配慮を要し  夢は見なかった。  体内時計は正確だ。例えどれだけ睡眠時間が足りなかったとしても、幼少の頃に授かった規則正しいライフサイクルは乱れない。  目が覚めると、見知らぬ天井だった。  夜明け前、薄暗い室内がぼんやりと視界に入ってくる。  高級宿特有の柔らかなベッドの上で上半身を起こし、生じる目眩に俺は頭を抑えた。  室内は広く、薄闇の下でもその調度品の一つ一つが洗練されている事がよくわかる。  王都を出て本格的にレベル上げを開始してしまえば、安宿の硬いベッドさえ恋しくなるような生活が待っている。  軍資金を節約するに越したことはないが最初くらいはと、王都で一番の宿に泊まる事にしたのが昨夜の話。  二人部屋を二つ借りたが、隣のベッドには誰もいない。夜に入った時のままだ。  藤堂が俺と同じ部屋で寝るのは嫌だと、アリアとリミスの部屋に引っ込んでしまったためだ。信じられねえ。 「くそったれが……あの色ボケ勇者め……」  別に魔王を倒してくれるならなんだっていいが、初日からこれは――ない。  さすがにそこまであからさまに嫌われるとやるせなさを感じてしまう。  あの男には危機感と空気を読む力が足りていない。そして、それを意外とあっさりと受け入れるリミスとアリアもどうなんだ、とも思う。  野宿では男女別なんて事言っている余裕はないので、ある意味頼もしいといえば頼もしいのだが……俺が何かしたか?  昨日垣間見た勇者の不安定な精神性を考慮すると、文句を言うという選択肢もないのだが。  しかし、そのような人間には見えなかったが、人は見かけによらないものだ。  ベッドから立ち上がり、身支度を整える。  大きく深呼吸。  朝の冷たい空気で肺を満たし意識を覚醒、何着か持っている黒地に白の線の入った法衣を着込んで鏡の前で髪を整える。  苦節十八年付き合った顔がこちらを睨みつけていた。切り揃えられた銀髪に緑の眼はここから千キロ程北上した所にあるアーレス地方出身だった母親譲り。一見穏やかな風貌に見られる事が多かったので昔は舐められたが、レベルが上がったからか魔物を殺しまくったせいか、目つきが悪くなっており、最近ではそういう事もなくなっている。  最後にサイドテーブルの引き出しに閉まっていた黒の指輪を左手薬指に、黒の石のついた金のイヤリングと、十字架の形をした銀のイヤリングをそれぞれ耳に装着すると準備完了だ。  出発は日が昇ってからの予定だ。この時間帯は街の門も閉まっている。  まだ太陽が登るには今しばらく時間がかかるだろう。  主武器であるバトルメイスは置いていくが、代わりに副武器である銀製のナイフを数本、内ポケットにしまう。  隣の部屋は静まっており、聴覚を限界まで研ぎ澄ますと微かに寝息が聞こえた。恐らく、起きるのは日が昇ってからだろう。  なるべく物音を立てないように部屋を出る。宿の受付では従業員が眠そうな表情で立っていた。  前を通る際に声をかける。朝、藤堂達が俺がいない事に気づいても騒がないように。 「教会に行って参ります」 「ああ。お疲れ様です」 §§§  僧侶。  それは、アズ・グリード神聖教の奇跡の体現者である。  得意分野は神聖術。  回復、結界、補助、そして――破魔。  プリーストは信心が高い程に操る奇跡は強くなると言われている。  魔物狩りを生業とする傭兵の中で、最も数が少ないのは回復役だが、昨今のご時世、敬虔な信者が少なくなっているからだという愚痴は度々教会上層部の間で出る定番の愚痴でもあった。  空は雲ひとつない晴天。魔性の力を強化する満月の光だけが夜の街を照らしている。  季節はまだ春になったばかりであり、空気は肌寒いが、ぼちぼち早起きの街人が起きだす時間らしく、すれ違う人々は皆俺の格好を見て挨拶をしてくれる。 「おはようございます、神父様」 「ああ、おはよう。今日も貴方にアズ・グリードのご加護があらん事を」  にこやかに吐き出す定番の文句。  何の意味もない。それでその者に加護が訪れるわけでもない。ただのおまじないみたいなものだ。  朝の礼拝は僧侶の最も有名な慣習である。  秩序神アズ・グリードの力を借りるものは皆、早朝に教会でアズ・グリードに感謝の祈りと加護の願いを捧げる。  といっても、口に出さずに祈るので内心何を考えているのか知れたものではないのだが、実際にこの行為によって扱う術の威力が上がるというのだから馬鹿に出来たものでもない。  俺の両親は僧侶ではなかったものの、そんじょそこらのプリーストなど比較にならない程に敬虔な信徒だった。  幼少時に叩きこまれたのが良かったのだろう、物心ついた頃から続けさせられた習性は、社会の残酷な真理を知ってしまった十八歳の現在に至っても、俺の中に残り続けている。  今では逆に祈祷しなくては落ち着かなくなっている程だ。まぁ、内心何を考えているのか知『られた』ものではないのだが。  人類圏で屈指の規模を誇るアズ・グリードの教会はどんなに小さな村でも最低一つは必ず存在する。  特に、王都であるルークスに至っては両手の指では数えきれない程の数の教会が存在していた。なんでそんなに必要なのか知らないが、恐らく利権とか色々あるのだろう。  町中を悠然と見回しながら大通りを歩く気分は悪く無い。  見回りの警備兵も街人も傭兵も商人も皆、こちらには敬意を払ってくる。  いざ彼等が怪我をした時に、俺達プリーストが助けなければ彼等は医者にかかるしかないからという事もあるし、単に神に仕えるというその身の上を慮っての事でもあるだろう。  奇跡を除けばこの優越感こそがアズ・グリードが与えてくれる最たるものなのかもしれない。  教会を目指して歩いていると、ふと道を歩いている屈強な剣士風の男に眼が吸い寄せられる。  身の丈は二メートル近く。腰に下げた長剣に、そこかしこが凹んだ急所のみを守った鎧。だが、何よりも眼を引いたのはその左手に巻かれた包帯だろう。  足を止めて声をかける。 「ちょいとそこの剣を下げた男」  一回呼んだだけでは気付かず、慌てて追いかけながら何度も呼びかけるとようやくコチラを向いた。 「……あ? ……俺の事か?」  頬に奔った古傷に、見るに耐えない凶悪な魔物を何十匹何百匹も屠ってきたであろう鋭い眼光。日に焼けて黒くなった肌に鍛え上げられた肉体。  背は百七十五センチの俺よりも頭ひとつ分高いが、それ以上にガタイが違うので外から見れば実情以上に俺が小さく見えるだろう。  男はいきなり横柄な口調で話しかけてきた俺に一瞬、殺意とも取れる視線を向けてきたが、俺の格好に視線を向け、続いて耳に取り付けられた銀の十字架のイヤリングを見て、剣呑な気配を霧散させた。 「……僧侶か。何か用か?」 「その傷を治してあげよう」  怪訝な表情をする男を他所に、乱暴に包帯の巻かれた腕に人差し指と中指で触れる。低レベルのプリーストだと傷口を直接触らなければ効果がないが、俺ならば包帯の上からでも問題ない。  そして、神に祈った。 「『三級回復神法』」  呟くと同時に、添えた指先に光が灯った。青白い回復神法特有の光。満月が照らしているとはいえまだまだ薄暗い夜の帳の下、酷く目立つ光に通行人の一部が視線を向けてくる。  光は一瞬で腕に浸透し、すぐに消えた。  唖然とした表情をする男に尋ねる。 「もう痛みはないか?」 「あ……お……痛く……ねえ!?」  男が乱暴に包帯を取り外す。薄汚い包帯に付着した固まった血に鉄の匂い。  だが、包帯の装着されていたその腕には傷一つ残っていない。  包帯の跡から見るに、それほど大きな傷ではなかったようだが……。 「傷を放っておくのは良くない」  顔を上げた男の表情には形容しがたい感情が浮かんでいた。 「あ……お……あ」  口がぱくぱくと開き、言葉にならない言葉を発していたが、俺が黙っているとようやく落ち着いたのか、機敏な動作で深々と頭を下げた。 「すまん、助かったッ!」 「礼はいらんよ。神の信徒に対して当然の事をしたまでだ」  思ってもいない言葉を返す。  何もこちらは慈善でやっているわけでもない。  評判は上げられる時に上げておいた方がいいのだ。プリーストもただの人間、質の悪い者だっているし、プリーストの悪評は凄まじく目立つ。  別にこちらに損はないわけだし、俺は助けられる時に助ける事にしているのだ。  続いて、どこか居心地が悪そうにする男に、僅かに笑みを浮かべ冗談めいた口調で聞いた。 「それとも、仲間のプリーストの仕事を奪ってしまったかな?」 「と、とんでもねえ! 俺の仲間のプリーストはまだパーティに入ったばかりで、回復魔法もあまり使えねえんだ。今も昨日の魔物討伐で神力を使い果たして寝込んじまってる」  プリーストの平均レベルは他職と比較しておしなべて低い。  普通に戦っていたら魔物を殺す機会などないので、レベルが上がりづらいのだ。そのため、何時の時代も高レベルのプリーストは喉から手が出る程欲しい存在だったりする。  まるで土下座しそうな勢いでまくし立てる男に微笑を向ける。 「そうか。それは済まなかったな。だが、信仰と経験さえあれば必ず、立派なプリーストになれるだろう。迷惑をかけると思うが、手伝ってやって欲しい」 「あ……ああ。勿論だ」  頑張れ、少年だか少女だか知らんが、この男の仲間のプリーストよ。  パーティの生き死にに関わる以上、凄まじい苦労をすると思うが、成長すればこうして崇め奉られるぞ。  しきりに頷く男に偉そうな声で続ける。 「ついでに補助魔法もかけてやろう。存在力は十分に溜めてあるか? レベルアップもしてやろう」 「あ……」  奇跡を使う以上、神聖術はただではない。神力と呼ばれる力を消費して行われるが、この程度ならば特に問題ない。  手を伸ばして夢でも見ているかのような表情の男の頭に触れると、額、頬、肩、肋、腹と順々に触れていく。 「『三級筋力向上』、『三級敏捷向上』、『三級耐久向上』――」  魔導師の扱う『精霊魔法』も、僧侶の扱う『神聖術』も、どちらも術式起動時に術式光と呼ばれる光が発せられる。  赤、青、黄、緑。様々な色で発せられる光に道行く人の視線が集中する。  一通り補助をかけ終えると、終わりとばかりにぱんぱんと手を払った。 「レベルアップにはまだ存在力が足りていない。次のレベルまで後2096の存在力が必要のようだ」  どこか潤んだ目つきで俺を見下ろす男。  自分よりも背の高い強面の男が目に涙をためている様子は正直、気持ち悪い。 「あ……ありがとうございますッ!」 「補助魔法は十時間くらいならば持つはずだ。切れそうになったら解るはずだが、あまりいつもと違う魔物を狩りに行ったりはしない方がいいだろう」  良くも悪くも補助魔法はかなり強力だ。  いつもの限界を越えた魔物を狩りに行って戦っている最中に切れるなどしたら目も当てられない。 「わ、分かった……いや、分かりました。あ、お礼は――」  慌てたようにポケットから財布を取り出す男の腕をそっと抑え、止める。  金貨を積み上げてくれるならば考えるが、懐は満たされている。ポケットに入るレベルのはした金なんて必要ない。 「礼はいらん。もしもそれでも感謝するというのならば、その分、貴方のパーティにいる俺の後輩を助けてやってくれ」  その目つきが神様でも見るような目つきに変わる。  普通の一般人がこんな事をやったら何か裏があるんじゃないのかと疑われる所だろうが、忠実な神の僕として知られるプリーストならばそういう事もない。  左耳に下がった僧侶の証である銀のイヤリングを指先で触れる。そもそもの土壌が、地盤が違うのだ。 「え……あ……じゃ、じゃあ、せめて、名前を――」 「……名乗るほどもないが――」  縋り付く男を一瞥し、視線をこっそり周囲に投げかけ、自分が注目されているのを確認した。  虚栄心を満たすためと言うより、これは営業活動の一環である。プリーストの悪行は広まりやすく、善行は広まりにくい。  一度ため息をつき、さも仕方ないとでも言うかのように名乗りを上げた。 「――アレス・クラウン……ただのしがない神の僕だ。貴方にアズ・グリードのご加護があらん事を」 §§§ 「あ、アレス! こんな時間になるまでどこに行っていたのよ!?」 「悪い。礼拝と――迷える子羊達を導いていてな」  その辺で回復魔法や補助魔法をばら撒く事を辻ヒール、辻バフなどと呼ぶ。王都には随分と迷える子羊達が多いようだ。  他の僧侶や医者から見れば明らかな営業妨害だが、通行人に囲まれた俺に文句を言えるわけもなく、また、それでも無理やりに文句をつけようとしてきた者も左耳につけた銀色の十字架と月をかたどったイヤリング――俺がプリーストの中でも司教位である証に顔色を変えて去っていった。  全てを捌き終え、礼拝も終えて宿に戻った時には既に日が登っていた。  藤堂達も既に準備は終えたらしく、宿の食堂に集まっている。  魔物は夜に活発に活動する傾向がある。日が出ている間が人の時間だ。  食堂はやや混み合っており、焼きたてのパンのいい香りが漂っている。  俺の言葉に、リミスが意外そうな表情をした。 「……アレス、貴方ちゃんとしたプリーストなのね……」 「どういう意味だ」 「いや、だって……私の知っている聖職者と比較して言葉遣いとか粗雑だから」  非常に失礼な物言いだが、言いたくなる気持ちもわからなくない。  俺はプリーストであると同時に特殊異端殲滅教会の特殊僧兵でもあるのだ。  回復魔法や説法だけ唱えるその辺のプリーストとは違う。にこにこしていたら闇に舐められる。  勿論、そんなことを馬鹿正直に言うわけにはいかない。短く答えた。 「これは――素だ」 「……それはもっと問題なんじゃないか?」  昨夜の狂気はどことやら。  すっかり平常に戻っている藤堂の指摘に、俺はわざとらしい微笑みで返す。 「勿論、丁寧な言葉遣いも出来ますとも、ご安心ください。藤堂様、リミス様」 「……あ、今、ゾクッとしたわ」  藤堂とリミスの気味の悪いものでも見るような視線。どうしろってんだ、くそったれ。  大体、俺の目つきはもうかなり悪くなってしまっている。今更微笑んだ所で焼け石に水だ。  恨むならば俺を特殊異端殲滅教会に入れたクレイオ・エイメンに言え。  しかし、アリアもどうやらリミスの味方らしい。 「しかし……私も、アレスの藤堂殿に対する言葉遣いはどうかと思っていたが」 「そ、そうよ! 勇者様に失礼でしょ!?」  聖勇者の名は高い。歴代の聖勇者の冒険はオペラなどでも盛んに演じられているし、勇者信仰は市井に根深く浸透している。  アリアとリミスの指摘もそれに基づくものだろう。  だがしかし、俺の目的は勇者を導くことである。下手に出るわけにもいかないのだ。  どう答えるべきか、ちらりと藤堂の方を見ると、藤堂は苦虫でも噛み潰すような表情で口を開いた。 「敬語なんて不要だよ。アレスだけじゃない、リミスもアリアも使わなくていい。様とか殿とかつけられても……困る。僕はそんな人間じゃないんだ」 「との事だが?」  幸いな事に、藤堂の方には横柄に振る舞うようなつもりもないらしい。昨日の醜態が嘘のような意見がすらすらと出てくる。  何と言ったか……そう。確か、事前に聞いた情報によると、藤堂は元の世界では学生だったらしい。  貴族でも何でもないただの平民。言葉の節々に見える謙虚さはそのためだろう。 「で、でも……貴方は、伝説の聖勇者で――」  予想外の言葉に戸惑うリミスに、藤堂が至極真面目な表情を向ける。 「リミス。いらないよ。様なんて他人行儀な呼び方されるよりも、名前で呼ばれる方がずっと嬉しい」  真剣な表情。顔のパーツパーツが非常に整っているため、真面目にしていると、とても映える。  多分、将来藤堂の活躍が聖典に刻まれるとするのならば、絶世の美青年とされる事だろう。絶世のは言い過ぎだと思うが。  俺の面も負けてはいない自信はあるが十人に八人の女はきっと藤堂の方を選ぶだろう。何しろ、目つきが悪くなりすぎているのだ。将来、教会とクレイオを訴える予定である。  互いに見つめ合う藤堂とリミス。  別に俺は噛ませ犬になるためにこのパーティに入ったわけではない。  間に入っていけない雰囲気を意図的に無視し、藤堂の肩をばんばんと叩いた。 「だとよ、よろしくな! 藤堂!」 「ひっ!?」  それほど力は入れていないのに、藤堂が大げさに悲鳴をあげ、びくりと肩を震わせる。 「ちょっと!」  リミスが藤堂から視線を外し、ばんとテーブルを強く叩いた。  こちらを睨みつけているのは、今の今まで見つめ合っていた目つきとは違う、釣り上がった眼。 「あんたは丁寧とかそれ以前に、勇者様への敬意が足りなさすぎるのよ!」 「ほう。アズ・グリードの忠実な下僕である俺が聖勇者に敬意を持っていないと?」 「うっ……そ、れは――」  馬鹿な。俺は誰よりも勇者を敬愛している。  そうでなければいくら上司の命令とは言え、今の状況。とっくに任務を投げ出しているはずだ。  神の名を出され、リミスがはっきりと言い淀んだ。箱入りお嬢様だけあって良い教育を受けているのだろう。  神を馬鹿にするなど、考えた事もないに違いない。俺は最低一日に一回は死ねって思っているのに。  ……まぁでも、藤堂に敬意を持っているかどうかで言えば……持ってないかな……。 「……リミス、あまり相手にするな」  アリアが一瞬、咎めるような目つきをするが、すぐに藤堂の方に向き直った。俺には視線を向けさえしない。 「藤堂殿、取り敢えず全員揃ったことですし、そろそろ出ましょう。ヴェールの森近辺の村までは順調に馬車を急がせても五、六時間かかると聞いております。途中で魔物に襲われたりしたらもっと掛かるでしょう。さっさと行かないと、日が暮れてしまう」 「ああ……そうだね……。遊んでいる暇はない」  ヴェールの森近辺の村まではある程度整備された街道が伸びているが、魔物から完全に守られているわけでもない。他の道と比べれば遥かに安全なだけ、だ。出る時は出る。まぁ、さすがに王都近辺なので盗賊の類が出る可能性は低いが。  俺は断定口調でこっそり設定していた目標を宣言した。 「取り敢えず、二週間で藤堂のレベルを30まで上げる」 「……は!? 二週……間!? さすがにそれは――」  絶句するアリアに、あまりわかってなさそうな藤堂とリミス。  一日一レベル。傭兵たちが聞いたら命知らずと嘲笑するような目標だ。  だが、俺の補助魔法と回復魔法さえ使い、全ての魔物のとどめを藤堂が刺せば不可能な値ではない。  まぁ、アリアとリミスについては後からゆっくり上げさせてもらおう。 「無理だ! いや、やめるべきだ! 魔族に感知される可能性が高くなると言っても……そんなに急ぐ必要があるのか!?」   「ある」  二週間で30まで上げると俺にボーナスが出るのだ。その額、五百万ルクス。これは平均的な中流市民の二、三年分の給金とほぼほぼ同じである。  険しい表情で食って掛かってくるアリアを無視し、当の勇者に向き直る。 「とは言っても、かなりの強行軍になる事は間違いない。藤堂が無理だと言うのならば考えるが――」 「やるよ」  藤堂はやや青褪めた表情で、しかし即答した。  恐怖……ではないだろうが、大きく見開かれた眼、その中央の漆黒の虹彩が爛々と輝いている。  それは決意か覚悟か。  昨晩の様相を一瞬思い出し、眉を顰めた。  さて、上司にどう報告すべきか……。 「強くなる。僕は強くなる。リミスを、アリアを守れるだけ強くなる」 「そうか」  宣言だけは立派であり、やる気もある。後はそれが無謀にならないように調整するだけだ。  取り敢えず今は全ての悩みを捨て、僧侶特有の言葉でお茶を濁す事にした。 「藤堂にアズ・グリードの加護があらん事を」 page: 5 第四レポート:その所作は未だ未熟にして  グラスランド・ウインド。  それは、アリアが藤堂の元に派遣された際に実家から持ってきた宝具の一つだった。  アリア・リザースの生家、リザース家は代々優秀な騎士を排出してきた古い武家の家柄であり、この世界に存在する二つの主たる剣術の派閥の内の一つ、プラーミャ流正統剣術の家元でもあった。  その今代当主であるノートン・リザースは王国の騎士団や軍事を総括する剣武院の最高幹部の一人であり、魔族との戦争が頻繁に起こる今のご時世、剣王と謳われる最も著名な英雄の一人だ。  ルークスに代々仕え、重用されてきたその家の宝物庫には魔剣や聖剣の類は勿論、戦場においてとてつもない効果を発揮するお宝が眠っている。  ノートン・リザースは既に五十歳近いと聞いているが、どうやらまだまだ娘を溺愛しているらしい。何がお転婆娘に困ってる、だ!  アリアが移動用にと取り出したそれは書物で聞いたことのないまさしく伝説級の宝具だった。  大きさは手の平に収まる程度。色は白、材質は不明でつるつるした質感の何かで作られた馬車の模型だ。  宝具の類の殆どは魔術的、物理的に極めて貴重な技術が使われており、基本的に量産は出来ない。  グラスランド・ウインドも、元は妖精種が移動のためにと僅かな数だけ作ったものとされている。如何なる理由で人の手に流れてきたのかは知らないが、壊してしまったら二度と手に入らないだろう。  自信満々に袋から出しておいて、アリアが頬を掻く。 「と言っても、どうやって使うのかは知らないのだが……」  おい、宝の持ち腐れだぞ。  引きつる表情を抑えながら、教えてやる。 「……地面に置いて魔力を込めるんだよ」  宝具の殆どは物質化された魔術法則だ。  物自体に刻まれた魔術は非活性、平時は何の効果も持たないが、魔力を込める事でその奇跡を顕現する。 「へー、どれどれ……」  藤堂が興味深そうにそれをつまむと、地面に置き、まだ慣れぬ動作で魔力を込めた。  行き交う者の多い通りがざわつく。  馬車のミニチュアが強く発光し、音一つなく巨大化した。藤堂が慌てて数歩後退る。  僅か数秒で、そこには貴族が使うような大型の馬車が鎮座していた。 「な……えええ!? な、何これ!?」 「グラスランド・ウインド……物語に登場する魔法の馬車。実在したのね……」  目を見開き愕然とする勇者とは裏腹に、リミスの方は驚いているものの、案外冷静だ。魔術師の家の出だけあってこういう奇抜な魔導具の類には慣れているのだろう。  そして、それを持ってきた当のアリアはやや自慢気に胸を張るのみだった。  中を覗くと、荷台の大きさは四人が乗り込み、荷物を置いてもまだ余る程にスペースが広い。  明らかに見た目よりも広いのだが、空間拡張の魔術でも仕込まれているのだろう。荷台を覆うクリーム色の幌は厚く、雨風くらいは余裕で防げそうだ。  が、一般の幌馬車と大きく異なる点は、その馬車を引く白い馬だろう。  並の馬の一・五倍はある巨躯を誇る六本足の白馬。質感はミニチュアだった時と同じ白くすべすべしており、明らかに生命体ではない。  馬が低い声で僅かに唸り、光の灯らない双眸をこちらに向ける。  馬の魔導人形。疲れ知らずで餌要らず。ノックするように身体を叩くと、こんこんという硬い感触が返ってくる。力が弱いという事もないだろう、小型の魔物くらいだったら無視して踏み潰せるだけの威容があった。魔導具である以上、従順である事は疑う余地はない。  馬車を引く存在としてはこれ以上のものはないだろう。  その一種、異様な迫力に、リミスが短く息を飲む。  魔王討伐の旅が失敗したら失われるというのに、剣王も随分と奮発したものだ。  いくら剣武院の最高幹部と言っても、金で手に入る類の物ではないだろうに。 「これなら馬を休ませる時間もいらないな」 「か、可愛くない馬だ……まさかこの世界の馬は皆こんななのか?」  復活した藤堂が冷や汗をかきながら恐る恐る馬の眼を覗き込んでいる。  んなわけねーだろ。明らかに生き物の眼じゃないぞ、それ。 「いや……それは馬の形をしたただの魔導人形だ。まぁ、馬よりは使い勝手が良いだろう。餌も要らなければ排泄もしない。怪我もしないし疲労もない。確か、ある程度までは壊されても自己修復されるはずだ」  ただし、戦闘用ではないので耐久はそれほど高くないはずだ。もし道中、襲われたら守りながら戦う事になるだろう。  まぁ、縮めれば袋に入れて持ち歩けるサイズなので難しくはないはずだ。 「そ、そうか……至れり尽くせりだね。ゴーレム、ゴーレム、か……」  目を瞬かせ、藤堂が馬の身体に触れる。手の平で撫で付けるように。 「藤堂の世界にはゴーレムはなかったのか?」 「……実在はしてない。でも、物語の中でならあったよ」 「なら、これと一緒だな。グラスランド・ウインドは神話で出てくる宝具だ。滅多に見れるようなものじゃない。まさかリザースが保有しているとは……」 「……そういう意味じゃないんだけど……」  俺の同僚に宝具マニアがいる。今度そいつに自慢しよう。上手くいけば飯くらい奢ってもらえるかもしれない。  ふとその時、リミスが眉を顰めて呟いた。 「原動力は魔力……これ確か、御者が魔力を消費して動かすのよね?」  奇跡はただでは動かない。  大きくするのにも魔力を使ったが、走らせている間も魔力を使うだろう。が、宝具の特性上それほど大量に消費するわけではないはずだ。  加護によって高い魔力を持つ藤堂が駆ってもいいし、リミスが駆ってもいい。アリアは剣士なのでそれほど高くはないだろうが、馬車を少し動かすくらいはできるだろう。  魔術と神聖術は力の源泉が違う。  俺には高い神力はあるが、反面、魔力はそれほど持っていない。  通信の魔導具にも使用するのでできれば節約したい、が――。  そこで俺は、一つの問題点に気づいた。  三人を見渡し、大きく手を上げてみせる。 「この中で馬車の御者をやったことがある人、挙手」 「……」 「……」 「……」  互いに顔を見合わせ沈黙する三人に、俺は何度目かもわからない大きなため息をついた。 §§§  王からの通行許可証は預かっていた。  ルークスの東の大門で優先的に処理を受けると、藤堂を旗頭とした俺達ポンコツ勇者パーティは初めて人類圏外に足を踏み入れた。  王都は巨大な分厚い壁で囲まれている。王都内に魔物はいないが此処から先は話が別だ。  街道は整備され、騎士団や魔物退治を生業とした傭兵が定期的に周辺の魔物を掃討してはいるが、魔物に襲われたという話は日常的に上がる。  幸いなことに、ここら近辺に出るような魔物はそれほど強くない。例え襲われたとしても負けはしないだろうが、とにかく注意はしておくに越したことはない。  消去法で馬車の運転席――御者台に座った俺は、銀色をした手綱を強く引いた。  手の平を通して魔力がゴーレムに伝わり、ゆっくりと馬車が動き始める。  馬車の運転方法を覚えたの何年前だったか。馬車の速度はすぐに一般のそれと同様まで上がり、涼やかな初春の風が頬を撫でて後ろに流れていった。  御者台は二人分のスペースがあったが、隣には誰もいない。  厚い幌で閉ざされた後ろの荷台に三人とも乗っているのだ。旅の始まりであるためか、静かな、だが希望に満ちた会話が聞こえる。  馬のゴーレムは本物の馬とは異なり凄まじく従順だ。手綱を軽く引いただけで思った通りに動く。  これならば素人でも簡単に操作できるようになるだろう。  できれば隣に座って操作方法を見ていて欲しいが、何か少し疲れたので今は何も言わない事にする。俺にだって疲労くらいあるのだ。  王都の周辺は起伏のない平野でできている。  東部には草原が広がっており、遮るものも特になく地平線の彼方までよく見えた。魔物の姿もあるが、道から外れているので特に問題はないだろう。  『草原の風』の名を持つ馬車に相応しい旅路の第一歩と言えた。  サスペンションが効いているのか、今まで乗った馬車と比べて揺れも小さく快適だ。  魔王を倒し終えたらこの馬車、もらえないだろうか……もらえないだろうなあ。藤堂が言えば貰えるかもしれないけど、俺、勇者じゃなくてプリーストだしなぁ……。  そもそもの、魔王を倒せるのかという不安から目を背け、そんな事をぼうっと考えながら馬車を動かしていると、ふと道の外れから獣がふらふらと近寄ってくるのが目に入った。  緑色の毛皮をした中型の狼。数十程度の群を作り、その鋭い牙と爪で襲いかかるグラス・ウルフと呼ばれる獣型の魔物だ。  それなりの知恵も持ち、獲物に襲いかかる前に斥候を繰り出す程度の知恵はある。あの一匹が俺達を与し易しと判断すれば本隊が襲い掛かってくるだろう。  一匹一匹はそれほど強くないが、何しろ数がいるのでこの近辺では油断ならない魔物とされている。  ヴェールの森の魔物と比べて存在力は小さいは、ポコポコ出てくるので数をこなさなくてはならないはでここで相手をしても何もいい事がない魔物である。  藤堂が見たらテストがてら戦いたいと言うかもしれないが、面倒くせえ。  数十メートル先、こちらを窺うような狡猾な眼光を浮かべるグラス・ウルフ。俺は殺意を研ぎ澄まし、魔物に叩きつけた。  狼がビクリと大きく身を震わせ、僅かな悲鳴をあげて逃げ去る。  グラス・ウルフの討伐適性レベルは10から20。  彼我の存在力の差を本能で感じ取ったのだろう、人程の知性のない奴らに生存本能に抗い俺を襲うという選択肢はない。 「ん? 何かあったのか?」 「いや……なんでもない」  背後から聞こえた、厚い幌を通したくぐもった声に、俺はやる気のない答えを返した。 §§§  馬車を走らせる事一時間。  その間、襲いかかろうとしてきた魔物は思った以上に多かったが、殺気を叩きつければ皆すぐに撤退する。襲ってきたものはいなかった。  この、ついこの間までは考えられないような魔物の遭遇率――活性化も魔王の侵攻の影響なのかもしれない。  日も高くに上り、そろそろ誰かに座ってもらって馬車の操作を覚えてもらおうかなどと思い始めた頃に、ふと背後の幌がばっと開いた。 「ん、どうかしたか?」 「うぅ……」  顔を出してきたのは藤堂だ。  血の気のない青褪めた容貌にどんよりと濁った眼。  昨日浮かんでいた狂気ではなく、単純に調子が悪そうな表情。  右手が必死に口を抑えており、今まで向けられたことのない縋り付くような眼で俺を見上げる。 「ぐっ、そ、外の空気を……吸いたい……」  絞りだすような戦慄く声に全てを察する。  俺は勇者の表情を初めて呆れ果てながら見下ろした。  こいつ……まさかこの程度の揺れで酔ったのか。  勇者の背の向こうには心配そうな表情のアリアとリミスの姿。その二人については全く酔った様子などない。  それはそうだ。この馬車、かなり快適な方なのだから。  要人の娘であるリミスやアリアからしてもこれほどの馬車はそうそう乗ったことはないだろう。  今にも吐きそうな顔をしている藤堂。しかしそれでもプライドが勝ったのか、必死に口を抑えながら切れ切れの声で叫ぶ。 「そ、んな、眼を、するなッ!」 「初めに検めた感じだと、馬車の通気性は完璧だ。外の空気とそれほど変わらないだろうよ」 「い……いから、外――」  俺はまだ負けを認めない藤堂の冷や汗に濡れた額に人差し指を突きつけた。 「『六級状態異常回復神法』」  まさか味方にかける最初に神聖術が馬車酔いの回復になるとは、如何に秩序神アズ・グリードでも予見出来まい。  指先に薄緑の光が灯ると、ゆっくりと拡散して藤堂の全身に広がる。  神聖術には等級が存在する。  当然上に上がれば効果も難易度も消費神力も大きくなってくるが、馬車酔い程度ならば一番下の『六級』で十分だ。  効果の発動は一瞬。  口を抑えたままの姿勢で藤堂が唖然と眼を開く。その姿はどこかコミカルだった。  そっけない口調で尋ねる。 「調子は?」 「あ……ああ……」  藤堂がそっと口元から手を離す。  蒼白だった頬には血の気が戻り、顔色は先程とは比較にならないほどに回復している。  スタミナは多少消耗しているだろうが、回復は時間の問題だろう。 「な……何をしたんだ……?」 「俺はヒーラーだ」  口論している時間も、休ませている時間もない。  これからまだ数時間は走る必要があるのだ。一時間で酔う人間を酔うたびにおろして休ませていたら日が暮れてしまう。  藤堂はしばらく戸惑っていたが、何も言わずにさっと荷台に引っ込んだ。  しばらくそちらをじっと見ていたが、戻ってこない事を確認し、前に向き直る。  「……まったく、前途多難だな」  これが文化の違いというやつなのか、藤堂は馬車に慣れていないのだろう。この分だと乗馬も出来ないかもしれない。  レベルが上がれば酔わなくなるだろうか?  全体的な能力が上がるので多分酔わなくなるとは思うが、俺の持つ知識の中にその答えはない。  結局、馬車がヴェールの森の最寄りの村につくまで三度、勇者は幌から顔を出したのだった。 page: 6 第五レポート:自らの身の上への思慮も足らず  ヴェールの森の近郊の村の名をそのままヴェール村と呼ぶ。  その名の通り、その村はヴェールの森でレベル上げをする傭兵達、そしてそれらと商売を行う商人達という人的需要を見込んで発足された村であった。  ルークス王国内でも屈指のレベルアップフィールドであり、中堅まで通うことになる森と、その内部に潜む数々の魔物の需要は何年経っても尽きる事がない。  この村にとって、ヴェールの森は一つの資源なのだろう。  村と言っても、その規模は辺境にある一般的な村とは異なる。  近くに魔物が蔓延っているという特性上、その村の周辺は並の街などよりもよほど強固な壁で囲まれている。  本格的に森でレベル上げをする事になれば、森の中でキャンプを張ることになるが、それでもすぐ近くで物資の補給や休憩を取れるのはありがたい。  魔物が嫌う特殊な石材出できた壁、その門を潜ると王都のものとは異なる喧騒が視界に広がった。  魔物を狩る傭兵に、それに対する需要を見込んで村を訪れる商人たち。  道行く人々の中に普通の村人の数は少なく、その代わり完全装備の屈強な傭兵たちが広々とした道を歩いている。  血と汗の匂いが混じった臭気に、狩った巨大な魔物を載せた荷車が騒々しい音を立てて通る。その空気は戦場のそれとどこか似ていた。  入村の際に、門番に勇者である旨を告げた所、村長の家まで案内された。  王都と比べ、やはり全体的に質素で飾り気はないが、質実剛健という名が相応しい広々とした屋敷だ。  盛んに行われる取引にたいする税金と王都からの補助金で潤っているのだろう。この村がなくなったら王国としても困る事になる。  背丈の低い髭の生えた壮年の男――ヴェールの村の村長が藤堂に頭を下げる。 「王都から、お話は伺っております、お待ちしておりました、聖勇者様」  自分より年上の男に頭を下げられるのに慣れていないのか、藤堂が困ったように頬を掻いた。  今の平均レベルを考えると、取り敢えず森の二分程度の所でキャンプを張ってレベルを上げる事になるだろう。  効率的なレベルアップの際に推奨されるのはそのメンバーよりも三から五程度レベルの高い魔物だと言われている。  それ以上と戦うのは実力的な意味で危険だし、余剰として吸収しきれない存在力が出てくるので無駄が大きい。  今日は狩場まで言ってベースキャンプを張り、試し斬りをする程度で終わるだろうか。 「あ、いや……頭を下げる必要はないよ。勇者なんて言っても、僕まだ何もしてないし……」 「や……そういうわけにも――」  謙虚な態度を取り、逆に困らせる藤堂を眺めながら、俺はその後ろで物珍しげに辺りを見回していたリミスに声を掛けた。  数時間の馬車でやや疲れている様子だが、恐らく王都から出る機会はあまりないのだろう。そのテンションはわかりやすく上がっている。 「おい、リミス」 「ん……何よ?」  声を掛けた途端不機嫌な声色になる女魔導師。  馬鹿でかい紅蓮の水晶の突いた金属の短杖をぐっと握り、それでもこちらを向く。  普通プリーストというだけで大体の者は礼儀を持って接してくれるので、距離感が取りづらいが、その辺はおいおい解消していけばいい。  俺は一度咳払いをして、リミスに尋ねた。 「お前の得意な魔術の系統は何だ?」  『魔導師』  それは、戦場の花型である。  魔導師の扱う攻撃魔法は他の職とは比較出来ない凄まじい威力と範囲、そして射程距離を誇る。  戦争では魔術師の数と質により全てが決まると言われているくらいにその存在は華々しい。  統計では、十歳の男の子のなりたい職業一位が騎士、女の子のなりたい職業一位が魔導師。二位以下は時勢によって変動するが、第一位だけは数十年の間不動の順位である。  同時に、魔導師と一口に言ってもピンからキリまである事もまた有名であった。  魔導師の力量は才能に大きく左右されそして、使える魔術についても、魔術と一口に言っても数えきれない程に多彩に分かれている。  リミスの生家であるフリーディアは、数ある魔術分野の中でも『精霊魔術』と呼ばれる最も高名な魔術を扱う一門――『精霊魔導師』の大家だった。  エレメンタルはその名の通り世界に存在する各種精霊の力を借りて奇跡を体現する魔術で、消費する魔力と比較し、高い威力を発揮する事で知られている。  パーティに魔導師を入れるのならば、取り敢えず精霊魔術の術者を入れておけば間違いない、というのはその筋では有名な話だ。  俺の問いに黙ったまま何も言わないリミス。その表情にふと嫌な予感が頭をよぎる。 「……まさか、アリアみたいに、エレメンタルで有名な家系なのに死霊魔術しか出来ないとか言うつもりじゃないだろうな?」  これ以上の問題はごめんだ。勇者の仲間が死霊魔術しか使えないとかなったら、教会上層部が何と言うか……。 「!? お、おい! それはどういう意味だ!」  藤堂の側で佇んでいたのに俺の言葉が聞こえたのか、食って掛かってくるアリア。  やかましい! プラーミャ流剣術の家元なのに別の剣術やってんのはてめーだろ!  レベルが低いとかそういうのの前に常識で考えろや!  リミスが顔を真っ赤にして怒鳴りつけてくる。 「ば、馬鹿にしないでッ! ちゃんと精霊魔術を使えるわよッ!」 「そうか……よかった」 「おい! アレス! それはどういう意味だ!」  剣を抜きかねない勢いのアリアを完全にスルーし、リミスの杖を観察する。  後ろが透けて見える程に透明度の高い紅蓮の水晶。  その輝き、炎の精霊が好む『焔紅玉』の最高級品に間違いない。  精霊の力を増幅するのに最適の逸品である。貴重品なので偽物も多いが、公爵の出であるリミスの杖についている宝玉が偽物であるというのは考えづらい。  精霊魔術は精霊と心を通わせる事によって行使する魔術だ。武器もそれに準じて最適な物を揃えていく事になる。  となると、リミスが得意とする属性は十中八九、炎精霊と契約を交わして行使する火系統の魔術。数ある精霊魔術の中でも最もポピュラーで最も威力の高い系統という事になるだろう。  別に自分の得意分野を言いたくないのならば言わなくてもいいが、一言だけ言わせてもらう。 「森で火系統の術は使うなよ」 「ッ!?」  リミスがわかりやすく頬を引きつらせて俺を見る。やはり図星だったか。  魔導師の術は剣士の剣術や僧侶の破魔の力と比較し威力と範囲が高く、一流の魔導師が本気で術を行使すると四方数百メートルを焼け野原にできる。  そのため、環境などを考えて行使する術を選択するなどの自制が強く求められるのだ。  ヴェールの森など、延焼の危険がある場所で火系の術を使う際は細心の注意を払う必要がある。というか、魔術系の学校では使ってはならないと教えるらしい。  さすがに命の危険がある際は躊躇ってはいられないと思うが、そもそも味方を焼き殺してしまう可能性もあるので使うなら水系や風系の術の方が無難だろう。  杖が炎精霊用のため、別系統の精霊の術を扱った場合は威力が出ないだろうが、まぁそれはしょうがない。背に腹は変えられん。  当たり前の事を当たり前に忠告した俺を、リミスが射殺さんばかりに睨みつけていた。  だが、そんな視線を向けられる覚えはなく、 「ん? どうかしたか?」 「……ょ」 「え? もう一回」  特に何の覚悟もなく、再度問いかけた俺。  ネクロマンシーじゃないと言われ、安心していた俺に、リミスはあろうことか信じられない事を言った。 「せ、精霊なしで、どうやって戦うのよッ!!」 「は?」  部屋が震える程の怒声に、まだ何事かやり取りしていた藤堂と村長がばっとこちらを振り向く。  リミスの長い睫毛が怒りでふるふると揺れている。杖を掴む腕も、肩も、脚も同様に。  一方の俺は、何を言われているのかわからない。何でリミスが怒っているのかもわからない。  俺がリミスの立場を奪おうとしているように見えたのだろうか?  そんなわけがない。魔導師はパーティの攻撃役の要、レベルアップには欠かせないのだ。 「どうやってって……他の系統の精霊に力を借りればいいだろ」  精霊魔導師は幼少時に各種の精霊と契約を結び、一通りの精霊を扱えるようにする。  何故ならば、魔物や状況によって精霊を使いわける必要があるからだ。  精霊にも相性があるのでその中で得意不得意が出るのは仕方ないとしても、火が使えないから戦えないなど、ただの子供の我儘でしかない。  今までに出会った数々のエレメンタラーを想像しながら述べた言葉に、リミスが涙目で一言小さく呟いた。 「ない」 「……は?」  リミスの様子を見ながら首を傾げる。アリアも藤堂も村長さんも固唾を呑んでコチラを見守っている。  何の話をしてるんだリミスは。 「何の話をしてるんだ? 俺はただ、火系統以外の魔法を使えばいいって言っただけで――」 「ない」  ……何の話をしてるんだ、リミスは。  俺は空笑いをあげながらレベル10の魔導師を見下ろす。  何故か冷や汗が頬を垂れた。 「あは、あははははははは。何を言ってるんだ。俺は知ってるぞ。フリーディアはエレメンタラーの中でも三指に入る旧家だ。その血は代々受け継がれ、今代の当主は最上級――神霊級の精霊二種と契約を交わせたらしいじゃないか」 「それは……お父様よ!」 「おい冗談抜かすんじゃねえ」  気がついたらその華奢な腕を掴み、至近距離から見下していた。  喉から自然と恫喝するような低い声が出る。リミスの碧眼に薄っすら映った俺の表情、眼はかなり甘めの評価をしても闇の眷属を相手にした際の眼をしていた。 「お、おい! やめろっ、アレス! な――こいつ、何て力だッ!」 「精霊王から加護を受けた公爵閣下の、事もあろうに直系が火以外の系統を使えねえだと? はぁ!?」  馬鹿な。そんなのありえん。最低基準すら満たせていない。どうやって魔王を倒すんだ。お守りやってんじゃねーんだぞ、俺は!  後ろからアリアと藤堂が俺の身体を抑えようとしているが、レベル差がある現在、抑えられるわけもなく。  吐息を感じる程の至近から、アリアのその眼をじろじろと見下ろす。その中に答えが眠っているかのように。 「笑えねえ。全く笑えねえな。リミス・アル・フリーディア。てめえ、どうやって戦うつもりだ?」 「だ、だから言ったでしょッ! どうやって戦うのかって!!」 「しらねーよッ! 最低でも基本系統の精霊と契約してから出なおせ! エレメンタラーはそれでようやく半人前だろうがッ!!」  信じられん……公爵閣下は何を考えておられるのだ。  火系統の魔法しか使えないエレメンタラーなんて……逆にレアだぞ。  あまりにも現実味がなさすぎて、燃え上がった怒りが、波が引くかのように鎮静する。  アリアと藤堂の腕が俺の手をリミスから引き離し、後ろから両腕を拘束される。両腕を拘束されながら、ぼんやりとリミスを見た。 「おい、アレス! やめろッ! 落ち着くんだッ!」  アリアの声も藤堂の声もまるで夢幻のようだ。  ……オーケー、落ち着け、落ち着こう。  リミスの言葉の意味をじっくりと考える。何度も頭の中で反芻する。  大丈夫、ただ単純に、ダメだった状況がもっとダメになっただけだ。ああ、平気平気。大丈夫。何の問題もない。  強いて例えるならば達成率が五パーセントだったのがゼロパーセントになっただけの話。どうせ百パーセントまで上げなくてはならないのだから、五パーセントくらい大した違いではない。 「……ああ、もう大丈夫だ」  何度か腹式呼吸をする事で息を整え、拘束している二人に顔を向けると、ようやく腕が解放された。  警戒される中、やや怯えた顔を向けるリミスに顔を向け、謝罪する。 「悪かったな、リミス。取り乱した」 「え……ええ……」 「ちょっと頭を冷やしてくる。すぐ戻ってくるから……待っていてくれ」  ショックのせいか、まだ頭がくらくらする。  小声で自分に精神安定用の魔法をかけると、皆の視線の中、村長の家を後にした。 §§§  大丈夫、まだ焦るほどの段階ではない。  必死に息を整えながら、屋敷の門の内側まで来ると、イヤリングに魔力を通す。  接続すると同時に、開口一番に言った。 「アレスだ。クレイオ枢機卿を繋げ」 「大分、お怒りですね。了解しました」  いつも通り、取次者の感情の見えない声に、やや情動が治まる。  すぐに聞き慣れた軽薄な声が俺を迎えた。 「何かあったか、アレス」 「ああ。リミス・アル・フリーディアの事だが――」  現状を、なるべく感情的にならないように具に報告する。  さすがに火系統しか使えないエレメンタラーはチェンジできるだろ。出来なかったら上層部の頭がおかしい。  何だ? 勇者のレベルを上げながらエレメンタラーの契約精霊探しをやれとでも言うのか?  馬鹿な。俺の役割は魔王討伐それだけのはずだ。連れのレベル上げくらいは手伝ってやってもいいが、それ以上に手をかけるつもりはない。 「ふむ。まぁ、君の言うことはわかった。結論から言うと――」 「結論から言うと?」  息を飲み応えを待つ俺に、クレイオは言った。 「このまま進め」 「この……ま、ま……!?」  この……まま? このままってどのままですか?  混乱する俺に、更に憎たらしい上司が続ける。 「向こうにも事情があるのだ、アレス。機密故に君には言えないが、代替はいない」 「代替は……いない……」  代替は……いない!?  おいおいおい、どういう事だ。そこまでルークス王国の層は薄いのか!?  いやいや、アリアとリミスをその親父とチェンジするだけで戦力は段違いだ。まぁ、重要人物である当主本人を魔王討伐のような勝ち目があるのかないのかもわからない旅に送り出すのは問題かもしれないが、それならば、その次に強い戦士を出してもらえばいい。  まるで縋り付くような気分で進言する。 「平均レベルが……15なんだ」 「頑張れ。なに、可愛い女の子達との旅だ。楽しめばいいじゃないか。君、女好きだろ?」  もし万が一襲ったりしたら、後から俺が粛清されるし、そもそもそれは聖職者が言うような言葉でもない。  大体、男は俺以外にもいる。夜もリミス達の部屋で寝るような奴がいるのに、どうしろというのだ。  息を飲み込み、はっきりと言う。 「俺は……真面目な話をしている」 「私も真面目な話をしている」  枢機卿の声色には躊躇がない。  その声色で、全てを理解した。  駄目だ。こうして話していても埒が明かない。下っ端風情が何を言おうと決定は覆らないだろう。覆るわけがない。くそったれ。  無意識に力を入れていたのか、いつの間にか握っていた屋敷の門の上部に指がとめり込んでいた。  ボロボロと溢れた石の欠片を指先でつぶしながら、最後に質問する。 「……枢機卿、最後に一つだけ聞くが……それが神の思し召し――アズ・グリードの神命なのか?」 「ああ。その通りだよ、アレス・クラウン。アズ・グリードのお導きがあらん事を」 「アズ・グリード、死ね!」  子供みたいな言葉を吐き捨て、俺は通信を切断した。  空は快晴。俺の心情も知らずに、眩いばかりの陽光が地上を照りつけている。  額を抑え、十秒程目を瞑り瞑想、俺は思考を一新した。  そうだ。命令が出た以上は……やるしかない。  もともと、魔導師の攻撃魔法は威力が高すぎる。  藤堂のレベル上げがメインである以上、リミスの自重は必然であった。それがただ、自重からゼロになっただけの事だ。  問題は、藤堂のレベルを上げた後、どのようにしてリミスのレベルを上げるかだ。術を使えない以上、場所を変えるかあるいは杖で撲殺でもしてもらうか。  それと、他の精霊との契約をどうするのか。  まだ思考のどこかを焦がす得体の知れない焦燥感を感じつつも、俺は屋敷の中に戻っていった。 §§§  部屋に戻ると、先ほどの空気は既に切り替わっていた。  涙を滲ませる村長と、どこか自信に満ちた表情の藤堂。  俺の姿を見つけると、藤堂が気力十分と言った様子で宣言してきた。 「アレス、最近この近郊でレベルの高い魔物が現れ、皆、迷惑しているらしい。僕達で倒す事にした」 「本当にありがとうございます、藤堂様! 即座にご了承頂けるとは……貴方様こそまさしく伝説の聖勇者です」  ……こいつらは一体、何を言ってるんだ? page: 7 第六レポート:その正義は敗北に通ず  今年はもしかしたら厄年かもしれないな。  どうしてそんなに自信を持てるのか、自身の敗北を微塵も想定していない表情の藤堂を眺めながら考える。  まず第一に、騎士団に訓練をつけてもらったとは聞いたが、果たして藤堂は魔物と戦ったことがあるのだろうか。  それも、相手は下級の魔物ではない。  魔物退治のスペシャリスト達が大勢いるこの村の村長が『レベルが高い』なんて言っちゃうレベルの魔物である。こいつの頭蓋には果たして何が詰まっているのか。それとも、その蛮勇が勇者の条件なのか。  俺なら例え勝てる相手でもこの短時間で即決などできない。  現実逃避に入りかける思考をすかさず建てなおすと、じろりと村長と藤堂達を睨みつけ、言葉短に聞いた。 「相手は?」 「グレイシャル・プラントって奴らしい……植物だから植物型かな? 火系統の魔法を使えるリミスがいるのならば――」  魔物についてある程度の知識は学んでいたのだろう。  植物型の魔物が火に弱いというのも間違いではないが、中途半端な知識が仇になっていた。  グレイシャル・プラント……植物じゃねえ。  それは――竜種だ。  氷樹小竜  正確に言うと、植物の竜である。  身の丈五メートル以上、根を張って動き、茨で相手を拘束し、冷気のブレスを吐く。  竜種の中には生まれついての竜である純竜と、何らかの原因で他の生物が変化した亜竜が存在するが、グレイシャル・プラントは後者に属する。  純竜種と比較すれば難易度が高い相手ではないが、仮にも竜の一端であるグレイシャル・プラントの推奨討伐レベルは50、それも、六人のパーティを組んだ際のレベルだ。  この地は30までのレベル上げのフィールドであり、なるほど、それを討伐できる傭兵は多くないだろう。  平均レベル15の駈け出しである俺達がどうしてよく知りもしない相手を倒せると自信を持って言えるのか。  ちらりと村長の方を見る。もはや依頼が達成する事を疑っていない眼。  教会の一員として、勇者の権威を落とすのはまずい。  聖勇者を信じる者にとって、聖勇者というのは召喚された瞬間に魔王を倒せる超人なのだ。レベル差など物ともせずに。  だから、村長側にも決して悪意があるわけではないだろう。  ――打算はあるかもしれないが。 「俺は反対だ」 「何故?」 「そんな雑魚と戦っている暇は俺達にはない」  ――だから、俺は虚言を弄する。  勇者の評価を下げるわけにはいかない。  村長はちらりと俺のイヤリングに視線を向け、あからさまに表情を顰めた。  まとまりかかっていた話をいきなり暴れだした僧侶が反故にしようとしてきたのだから当たり前だが、こちらとしても無理なものは無理。  勇者とグレイシャル・プラントを直接相対させるわけにはいかない。  相手は竜種、元は植物とは言え、攻撃魔法に対して耐性がある。火をつければ燃える、などという甘い話ではない。レベル10のエレメンタラーの魔法なんかでは焦げすらしないだろう。  藤堂が受け取っている前勇者の使っていた剣――エクスならばその硬い皮膚に傷をつけられるかもしれないが、それだって持ち手がレベル15では確実ではない。  神様、俺に試練与えすぎだろ。  藤堂が俺の言葉に、呆れ果てたようにため息をつく。 「アレス、僕達は勇者だ。魔王の手の者に被害を受けているものを放ってはおけない」  せめてレベルが30、30あったらもう少し違っただろう。  だが、力のない者がそのような台詞を吐いても滑稽なだけだ。  視線をぶつけ合い、険悪な雰囲気になる俺と藤堂の間に村長が割って入る。 「まぁまぁ……アレス様の仰ることもわかります。勇者様にとっては亜竜など、相手にするまでもないでしょう」 「……竜!?」  やはりわかっていなかったか、リミスが驚きの声を上げる。藤堂に至っては目を丸くするのみで声すら上げない。  驚いた表情はしていてもまだ何とかなると思っているのか。  村長は意に介す事もなく続ける。こいつ、ぶん殴りたい。いきなりきた聖勇者に変な頼み事するんじゃない。  王都周辺でよく見られるライトブラウンの瞳が同情を買うような涙で潤んでいる。 「しかし……私達にとっては、一大事なのです。もう既に傭兵たちの中にはこの場所が危険地帯と定め、ここから出て行っている者さえいます。今の所グレイシャル・プラントの被害は大きくありませんが、噂はすぐに広まるでしょう。私にできる事はグレイシャル・プラント討伐の依頼を、できるだけ早く倒せる上位の戦士に依頼する事だけなのです」  くそっ。まさかこんな事件が起きているとは。  俺は早くも、情報収集よりも迅速な行動を優先した事を後悔していた。  だが、さっさとレベル上げをしないと勇者死ぬし……こんな事になるなら別のレベル上げのフィールドを選べばよかった。  次からはそうしよう。  藤堂の眼に更なる意志の光が灯る。  勇者。聖勇者。  その名の通り、藤堂のあり方は正義を目指している。ただ、そのための力が足りないだけ。  八霊三神も加護を与えるだけじゃなくてちゃんとレベルも上げてくれればよかったのに……いや、こいつがこのままの性格で力を得てしまったらそれはそれで問題になりそうだな。 「アレス、僕は勇者だ。そのために召喚された、召喚に答えた。僕はこの世界の人々のために戦う義務がある」  違う。お前に課された義務は――魔王を倒す事、ただそれだけだ。無駄な事はするな。  英雄召喚の儀式は――そんなに光に満ちたものはない。  その言葉を、俺はすんでのところで飲み込んだ。  今言うべき言葉ではない。感情を無意味にぶつける事は愚者のする事だ。  そういう意味で、先ほどリミスに感情をぶつけた俺は紛うことなき愚者であった。  代替がいないという情報――全ての期待は捨てねばならない。  藤堂は馬鹿ではない。  きっと、このような戦いを続けていけば藤堂はおのずと気づいていく事になる。  海岸の崖が少しずつ波で削られていくように。  俺が今何を言ってもきっと無駄だ。だから、俺は藤堂の感情の矛先をずらす。  藤堂の両肩を掴み、至近距離からはっきりと述べる。 「違う。藤堂、よく聞いてくれ。俺は別にこの村を見捨てろと言っているわけじゃない」 「!?」  大げさに身体を震わせる藤堂から手を離し、続いて村長の方に向き直った。  面倒な事をさせやがって……いや、違う。むしろ、よかったと思うんだ。  村長が余計な事を言わなければ、俺達は何も知らずに森に立ち入り氷樹小竜と遭遇していたかもしれない。  今の状況は悪くはあるが最悪ではない。最低ではない。 「おい、グレイシャル・プラントがいなくなればいいんだな?」 「え……ええ……ま、まぁそうですが……」 「俺達が倒す必要はない。この街の傭兵たちが倒しても何ら問題がないわけだ?」  こいつらは勇者の助けが必要なのではない。この街を困らせている魔物を倒してくれるならば誰でもいいのだ。  俺の言葉に、しかし村長が反論した。 「勿論、それは既に考えました。ですが……今この村には……それを受け入れられるだけの強さの傭兵がいないのです。ハンターたちに依頼を投げましたが、命がかかっている以上無理強いする事も出来ません」  勇者にそれを押し付けるのはいいのか?  一瞬浮かんだその考えもまた、俺の立場から見た主観によるもの。向こうはただ勇者への崇拝故に頼んでしまっただけの話。  彼を恨むのも無駄だ。効率。何よりも効率を考えなければならない。足を止めては誰も幸せにならない。  俺は一度だけ恨みを込めた深いため息をつき、村長を睨みつけた。  何故俺がこんな事に頭を悩ませなければならないのだ。これは本来、パーティのリーダーがやるべき事なのに。  一人で活動してきたつい一ヶ月前が恋しい。 「俺が傭兵たちに話をつける。それでこの話はなしだ。藤堂もそれでいいな?」  やや青褪めた表情で勇者がこくこくと頷くのを見て、少しだけ溜飲が下がる。  藤堂はこのパーティのリーダーだ。その意見に露骨に反対するのはよくない。  大きな確執が発生する事だろう。だが――背に腹は代えられないのだ。  続いて、表情をこわばらせているリミスとアリアにも視線を向けて言った。 「藤堂達は先に宿を取っておいてくれ。情報収集も必要だ。一泊してから森に向かおう」  強力な魔物が出没する以上、今すぐに出るわけにはいかない。  初めの森で全滅なんて目に合ったらそれこそ伝説に残ってしまう。  未来を見通す眼など見なくても前途が苦難に満ちている事ははっきりとわかった。  それは言うまでもなく、俺が魔王討伐に派遣されると聞いた時に想定していた苦労ではない。 §§§   「おい、この中で一番レベルの高い魔物狩りは誰だ?」  傭兵たちの中でも特別に魔物の討伐を生業とする者を魔物狩りと呼ぶ。  彼等は基本的に人間よりも強力な魔物を狩り続けるプロフェッショナルで、そのレベルも人族の平均レベルを遥かに超えている。  村長の屋敷を後にした俺は、ヴェール村で最も大きいハンターの斡旋所を訪れていた。  入ると同時に嗅覚を刺激する鼻の曲がるような煙草と酒の匂い。そして、そこに交じる血と鉄の匂いに顔をしかめる。法衣に臭いが付かなければいいのだが……。  大きめに出した声に、視線が集中した。まるで猛獣の巣に入り込んだような錯覚が全身を襲う。  否、真実、こいつらは猛獣だ。人の形をした人ならざる力を持つ者達。魔物狩りを志すものの中にはこの斡旋所の空気に破られて諦める者さえ居るという。  そしてそれは、慣れ親しんだ錯覚でもある。  斡旋上は酒場にも似た施設だ。何年使っているのかもわからない染みの付いた木のテーブルに、無数の酒瓶が立ち並ぶカウンター。  それぞれのテーブルには酒瓶と料理が乱雑に並び、中には昼間から酔いつぶれて伏せている者の姿もある。  まだ町中なので、重い鎧こそ装着している者は少ないが、それぞれが手元に己の武器を置いている。煤けた空気と相まって、まるで戦場であるかのようだ。  俺は、何年も使い続け、もうすっかり手に馴染んでいるバトルメイスを握る手により力を込め、もう一度言った。 「この中で一番レベルの高いハンターを探している」 「……何か用かい、プリーストさん」  一番手前の席に座っていた錆色の薄汚い髪をした女がふらつきながら立ち上がった。  俺と同じくらいの身の丈をした大柄の女だ。近接職なのだろう、腕の太さは俺の倍はあり、乳房は胸筋と一体化していて、厚手の布を大きく盛り上げている。その隣には人間程の大きさもある無骨な戦斧が置かれていた。  一歩歩くごとに床が僅かに軋み、至近までくると女が俺を見下した。  強い酒気の混じった吐息にやや混濁した灰色の眼。しかし、その瞳はギョロリと強い生命力に輝いている。  まるで巨妖精だ。頼もしい、が必ずしも肉体的練度とレベルが比例しているわけではない。  背丈自体は殆ど変わらないにもかかわらず感じる強い圧迫感を平静で受け流す。 「討伐して欲しい魔物がいる。それもできるだけ早く。可能ならば今日中に」 「……相手は?」 「氷樹小竜」  俺の言葉に、場の空気が張り詰めた。 「帰りな。ここでそれを受ける奴はいねえよ」  今の今までこちらに視線すら向けていなかった赤髪の傭兵がぶっきらぼうに言い捨てる。  目の前の女が下から覗き込むように視線を近づけ、何が面白いのかげらげらと下卑た笑い声をあげた。  だが、ノーと言われて素直に引くつもりはない。藤堂の双肩に魔王討伐の成否がかかっているのだ。  俺は無言で指をぱちりと鳴らし、神に祈った。 「三級広範囲状態回復神法」 「な――」  指先から若草色の強い光が発生し、そのまま俺の身体を伝って斡旋所全体に広がった。  伏せていた白髪頭の壮年の男、酒をラッパ飲みしていた赤黒い容貌をした男も、カードゲームに興じていた者達もそして目の前に立っていた女も、その全員の身体を包み込み、収束するように光が消える。  三級広範囲状態回復神法  一定範囲内の対象の状態異常を回復する神聖術であるそれを受け、酔いも眠気も消え去る。酔いつぶれていた男が起き上がり、やや視線が覚束なかった傭兵たちの視線が正常に戻る。  女が驚愕に目を見開き、まるで猟犬のように唸った。視線の質は既に変わっている。 「範囲魔法……あんた、まさか……高僧か!? 何故、このような村にいる!?」  プリーストは需要と比較し、供給が少ない。レベルを上げづらい事もそれに拍車をかけているが、一定範囲を回復できる神聖術を使えるようになったら基本どこのパーティでも三顧の礼で迎え入れられるようになる。  レベル30ではまず使えるようにはならないので、この村のプリーストの中に使える者はいないだろう。もしかしたら村の教会を統括している神父は使えるかもしれないが、傭兵の中では限りなくレアだ。  まるで言い訳の聞かない子供に辛抱強く言い聞かせるかのような気分でもう一度言った。 「氷樹小竜を倒せる者を探している」 「……報酬は?」  返ってくる答えは先程とは異なっていた。  常識はずれでも見るかのような視線が、興味深げなものに変わる。  俺は至極真面目な表情を崩さずに言い放った。 「竜殺しの栄光」 「……報酬はない、と?」 「氷樹小竜の死骸は好きにしていい。解体して売るなり、その素材で装備を作るなり。俺の取り分はいらん」  下位の亜竜とはいえ、腐っても竜の一種だ。  皮は鎧、牙や骨は剣、臓器は薬などに重宝される。常に需要が供給を上回っており、全身を売り払っただけで一財産になるだろう。  また、竜殺しの栄光は魔物狩りに取って一種のステータスになる。斡旋所での優遇措置はもちろん、実力のある傭兵として名を売る絶好の機会だ。  もちろん、それが命に見合うかどうかは神のみぞ知る。  本来ならば報酬のない依頼など考慮に値しないだろう。  だが、それぞれのテーブルでは難しげに顔を潜め、恐らく気の知れた仲間なのだろう、顔を寄せ合うハンター達の姿があった。  俺は無言で視線を周囲に向ける。俺が求めるのはこの地で最強の傭兵だ。  ――馬鹿、相手は亜竜とはいえ竜だ。リスクが高すぎる。  ――だが、こっちにはハイ・プリーストがいる。この機会を逃せば次はいつ竜など倒せるか……出世のチャンスじゃねえか。  ――くそっ、こういう時に限って武器がねえ。臨時休業だと思って整備に出しちまってる。  ――こっちの平均レベルを考えろ。無理だ!  様々な思惑が交じりあい、欲望が飛び交う。  傭兵はリスクの非常に高い商売だ。殆どの者は英雄に至る前に魔物との戦いで命を落とす。成功するためには実力ももちろんだが、強い運が必要となる。  目の前の巨妖精が質問してくる。 「いっこだけ聞くが……あんたも戦場に出てくれるのかい?」 「諸事情があり、無理だ。だが俺の使える補助魔法は事前に全て掛ける。十時間くらいは持つから、戦闘中に切れるという事はないはずだ」  俺にはあいつらのお守りがある。確実を期すならば一緒に戦いたい所だが、あいつらを放っておくわけにはいかない。  その言葉に、審議していたハンター達の雰囲気が変わった。俺が戦場までついていくと思っていた連中だ。  高レベルのプリーストの有無は勝敗に直結する。補助魔法だけではまだ不安なのだろう。  だが、その程度の実力のハンターに用などない。  俺が求めるのは成果。アズ・グリードが求めるのは常に成果だけだ。  やがて、一人また一人と静かになり、ようやく残ったのは一つのパーティだけだった。  トロールのような女傭兵を含んだ五人のパーティ。前衛が三人、魔導師が一人、僧侶が一人。  平均レベルは40、この森で安全にレベル上げをできるアベレージを考えるとかなり上の方だ。  女傭兵に負けない体躯を持った髭面の男――そのパーティのリーダーらしき男がだみ声で腕を差し出した。  日に焼けきった手と手を交わす。 「俺はこのパーティのリーダーのトマス・グレゴリー。こいつらは剣士のグスタフ、魔導師のダミアン、僧侶のエリック。さっきあんたに近づいたのが斧戦士のマリナだ」  分厚いバスタード・ソードを立てかけた壮年の男。  気怠げにふんぞり返る魔導師風の青年に、どこかおどおどしている法衣の少年。  それらにチラリと視線を向け、トマスに向き直る。 「アレス・クラウンだ。神の僕をやってる」  握手と同時に手に込められる万力のような力。だが、トマスは歴戦の勇士だがまだ俺の方がレベルが高い。  平然とそれを受ける俺に、トマスが額に皺を深く寄せる。 「どうしてこの地に?」 「忠実な神の下僕がこんな所にいる理由が神命以外にあるわけがないだろ」  ヴェールの森の深層部は危険過ぎる。  効率のいい30までここでレベルをあげたらさっさと次に進むのが常道だ。  この地は俺にとって既に通り過ぎた地であり、もう二度と来る予定ではなかった地でもあった。  だから、今ここに居るのは神命以外に説明が付かない。  俺は唇をペロリと舐め、半ば本気で、しかし冗談めかして言ってやった。 「まぁ、そろそろ神の僕も引退かなとは考えている」 「む……範囲回復まで使えるのに、何故?」 「神もなかなか人使いが荒くてな」  これが試練というのならば、神は酷いサディストだ。  敬虔な徒なのだろう、プリーストのエリックが立ち上がりかけ、がたんと大きな音を立てる。  見た目とは裏腹にマリナなんていう可愛らしい名前を持っている女傭兵が目を丸くした。 「あんた、面白いね」 「気に入ってもらって何よりだ。ビジネスの話に移ろう。このままじゃ日が暮れちまう」  藤堂が痺れを切らして森に入っていく前に、さっさと始末をつけて貰わねばならない。 page: 8 第七レポート:あらゆる手法を講じ  村長の厚意で取ってもらった宿を眺める。  大通りに面した場所に建てられた三階建ての宿屋だ。元々はここで宿泊する予定はなかったが、強力な魔物が出ている以上仕方ない。  さすがに王都の宿程綺麗ではないが、駈け出しのパーティが宿泊するには立派すぎる宿である。風呂も付いているし、蟲の湧いていないベッドもある。  この贅沢に慣れてしまうときっとこれから苦労する事だろう。だが、そこまでは俺の関知する所ではない。  フロントで部屋の場所を聞き、部屋に入ってまず目に入ってきたのは、どこか昏い勇者の顔だった。  部屋は二部屋取ってもらったようだが、今は全員が俺と藤堂の部屋に集まっているようだ。  俺が入ってきた事に気づき、丸テーブルを囲んで地図を広げていた藤堂が顔をあげる。 「……話はついたのかい?」 「ああ……おかげ様でな」  俺にできることは全てやった。  依頼したハンターパーティのリーダー、トマス・グレゴリーは勝利を約束してくれた。  補助魔砲も念入りにかけたし、トマス達の平均レベルは40。例え相手が亜竜であっても、よほどの事がなければ倒せるはずだ。  逆に、彼等に倒せなかったら王都に騎士団の派遣を依頼しなくてはならないだろう。 「凄腕のハンターのパーティに快諾してもらった。明日には討伐されているだろう」 「そう……か」  聞きたいこともあるだろうに、色々言われると思っていたのだが、藤堂は何も言わなかった。  それをメリットと取っていいものか悪いものか、後で一気に爆発させるくらいだったら少しずつ不満を出してもらった方がいいのだが……。  一方で、その隣のリミスの方はあからさまに不満を隠そうとしない。  杖の持ち手を忙しなく布で拭きながら今更な文句を言う。 「……私達で討伐するってナオが言っていたのに……他のパーティに頼むなんて……」 「……ナオ?」  聞き慣れない名前に首を傾げると、その隣に座っていたアリアがため息をついた。  先ほどの確執のせいかどこか空気が重い。リミスに食って掛かった事で全てが狂っているような予感がする。あれがなければ村長が依頼を切り出した瞬間に止められて、雰囲気ももう少し柔らかかっただろう。  いや、変わらないか?  「……藤堂直継殿の事だ。直継殿の世界では藤堂が苗字、直継が名前になるらしい」 「ああ。それで直継のナオか。俺もそう呼んだほうがいいのか?」  どうやら俺が見ない間に随分仲良くなったらしい。藤堂はどこか薄ぼんやりとした表情で俺の方をちらりと見た。 「……ああ。好きにするといい」 「ちょっと! 無視しないでよ!」  何が気に食わないのか、険しい表情のリミス。相手にするのも面倒臭い。  ため息をつき、持ってきた布袋をテーブルの上に投げ出し、法衣の上から着ていた上着を脱いだ。  目の前に投げ出された袋に、藤堂がこちらを見上げる。 「アレス、これは何だ?」 「そこのお嬢様が使うための武器だよ。まさか杖でぶん殴らせるわけにはいかねえだろ」  魔導師の耐久性のなさは僧侶以下だ。レベルも一番下だし、前衛に出したら一撃で重傷を受けかねない。  もし万が一、公爵閣下のご令嬢を殺してしまったら間違いなく消し炭にされてしまう。  コート掛けに上着をかけると、残された椅子に腰をおろし、布袋の中からそれを取り出した。  L字型をした機械だ。細長い筒にトリガーを持つ中距離武器で、火薬の力を借りて金属の弾を飛ばす。弓よりも力の弱い者でも扱えるため、最近では人気があるらしく、行商人が扱っているのはもちろん、武器屋にも何種類も置いてあった。俺が買ってきたのは、その中でも一番非力な者が使えるものだ。  ナオの表情が、目の前の機械に一変する。  目を大きく見開き、ぽつりと呟いた。 「銃……?」 「……なんだ、ナオは知ってるのか」 「そりゃ、知ってる……けど……」  博識だな。  変な所でスペックの高い藤堂を眺めながら、武器屋で購入したばかりの銃――回転式拳銃のグリップを握って持ち上げてみせた。  金属でできているが故の重量感と、黒塗りの銃身から感じるなんとも言えない不吉な見た目。  使い方は武器屋に教えてもらってきた。以前から噂では聞いていたが、俺もこうして自らの手で持つのは初めてだ。  慣れない手つきで銃身の手前にあるシリンダーを振り出し、別売りで買ってきた弾を丁寧に込める。  リミスが気味が悪そうな表情で俺の所作を見ていた。 「……何よ、それ?」 「回転式拳銃と呼ばれる武器だ。こうして金属製の弾を込め、引き金を引くことによって火薬の爆発の力を利用し射出する。弓よりも力が要らず、素人でも簡単に使える。命中するかどうかは話が別らしいが……」  だが、威力は大したことがないらしいのであくまで護身用だろう。杖で殴るよりはマシ程度のレベルだ。  火薬の力程度では魔物を倒せない。弾丸を魔性に有効な祝福された銀で作るなど、工夫はしているらしいがそれでも威力が足りていないとは武器屋の談。  火薬の力を借りている故に大きな音もあがり、射程距離も弓以下。速さはそれなりなので避けづらいが、あたっても致命打にならないのならば意味がない。  尤も、この辺の魔物ならば頭蓋に連続で撃ちこめば何とか殺せるという話である。まぁ、牽制くらいには使えそうだが、基本的にはとどめを刺す用だ。杖でぶん殴るくらいじゃ死にかけの魔物も倒せないだろうからな。 「……それをどうするって?」  頬を引きつらせながら尋ねてくるリミス。 「お前が使うんだよ」 「は? 何で私が!? 嫌よッ! 私は魔導師よ!? 精霊魔導師よ!?」  火系統の精霊としか契約できてねえくせに文句言うんじゃねえ、この似非魔導師がッ!!  罵倒を声に出さずに封じ込め、リミスをじっと見つめる。努めて冷静を装う。 「じゃあ、お前、森の中でどうやって戦うつもりだ? まさか森の中で炎の魔術を使うつもりじゃないだろうな?」 「え……そ、それは――」  何も考えていなかったのだろう、あたふたとナオとアリアに視線を投げかけるが、二人が答えを持っているわけもない。  元々、それを考えるのは本人の役割だ。 「ヴェールの森を燃やしたら間違いなく問題になる。高名な勇者様に森への放火などという罪を背負わせるつもりか? ええ? リミスお嬢様はどうお考えで?」 「え……ええ……っと……そ、そう! 契約、契約すればいいのよ、他の精霊と! そうすれば他の系統の魔法も使えるように――」  苦し紛れに凄い事を言い始めるリミス。  俺はなるべく素っ気なく聞こえるように言い放った。 「じゃーさっさと契約してこいよ」 「……」  俺だって物の道理は知っているつもりだ。  エレメンタラーの大家であるフリーディアのご令嬢が火精霊としか契約していないという事実。  馬鹿げた案件ではあるが、冷静に考えてみると、そこに理由が存在しないわけがない。むしろ、ルークス王国公爵の権力と金を使っても何ともならない理由があると考えるのが道理である。  逆にこれがお嬢様の我儘が理由だったらどれほどよかったか。  黙って腕を組み見下ろす俺に、リミスは何も言わず唇を噛んでこちらを睨みつけている。  ナオがそこで大きなため息をついて俺達を止めた。 「アレス、口が悪いよ。リミスも、武器を持たずに魔物と相対するのは危険だ。使う使わないは置いておいて、持ち歩くくらいはいいだろう。せっかく手に入れてきてくれたんだから」 「……ナオがそういうなら……」  さすがにリミスも、勇者様の言葉は聞き入れるらしい。  ふくれっ面でひったくるかのように俺の手から回転式拳銃を取り上げると、予想以上に重かったのか、腕が宙で大きく泳いだ。  こいつ……本当に力がないんだな。  その様子に、ナオが慌てて手を伸ばす。と同時に、リミスの人差し指が偶然、銃のトリガーを引いた。 「ひゃ!?」 「あ……」 「ッ!?」  青ざめ悲鳴をあげるナオにぽかんと口を開くリミス。ナオの悲鳴に、短く息を飲むアリア。  三者三様の反応に、俺は一つだけ説明し忘れていた事に気づいた。 「……いい忘れたが、撃鉄を上げてからトリガーを引かないと弾は出ないらしい。まぁ、使うにしても使わないにしても一度撃ってみた方がいいかもな。使うにしても使わないにしても」 「……はぁ……はぁ……び、びっくりしたぁ」  ぜえぜえ肩で息をして、床に這いつくばる勇者。  大した武器でもないらしいが、随分と大げさな反応だな……。  弾は取り敢えず百発程買い込んできた。矢よりも安いが矢とは異なり一度使った弾丸を再利用は出来ない。  金食い虫なので、できるだけ早くリミスには戦力になって欲しいものだ。  ナオが落ち着きを取り戻し、席についた所で続ける。 「最初はヴェールの森の浅い層で戦う。リミスが役立たずでも、アリアと藤堂……ナオで十分戦えるだろう。怪我をしても大抵の傷ならば俺が回復できる」  防具は上等だ。よほど奥まで行かなければ大きな傷を負う可能性は少ない。  藤堂直継の戦闘力は完全に未知数だが、アリア・リザースの剣術はそれなりに期待できる。リザースは武家だ。剣術の習得は女と言えど必須だろう。別の家の流派を使っているというのが不安材料だが、今考えても仕方ない。  唯一、初戦で完全に役立たずになりそうなリミスが猛犬のように唸った。 「や、役立たずなんて、失礼ね!」 「じゃー何か役に立つのかよ」  魔導師は基本的に筋力がない。原因はまだ解明されていないが、一節では強力な魔力が筋力の発達を阻害するからだとか言われている。  予想外だったとはいえ、銃の重さで手が泳ぐお嬢様には荷物持ちすらさせられないだろう。  ちゃんと森の中を歩ける体力があるのかがとても心配だ  俺の問いに、リミスは涙目で悔しそうに睨みつけてくる。  口の中で「火起こしとかできるし……」と口の中で呟いたのが聞こえたが、自分でもそれはエレメンタラーの本懐ではないと思ったのだろう。はっきりとは言わなかった。  あまり攻めると森の中で構わず火精霊を使いそうだな……。 「物資の補給はしたか?」 「……いや」  俺が傭兵たちと話をつけに行っている間、何をしていたのだろうか。  ……まぁいい。言ってなかったからな。 「じゃあまずは物資の補給だ。森の中でもある程度は手に入るが、水と食料は最低限持っていく。今回は国から預かっているものが既にあるので補充の必要はないが、回復薬と解毒薬の類も切らさないように。毒も傷も俺の回復魔法で治せるが、戦場では何が起こるのかわからないから、それぞれ最低限の薬は常備する必要がある」  魔物狩りのイロハである。なりたての新人だって知っている知識を懇切丁寧に教えてやっていると、ふいにナオが呟いた。 「回復魔法……」  下を向いていた顔が僅かに上がる。  その目と目があった。陰りのない黒の眼はここから遠く彼方にある、とある国では神聖の象徴らしい。  そんな噂がふと頭をよぎった。  こちらをじっと見つめ、ナオが尋ねた。 「回復魔法って……僕も覚えられるのか?」 「覚えられる」  考えるまでもない。即答する。  一般人から見れば差異は感じないかもしれないが、神聖術は魔術ではない。  その本質は神に対する祈りにある。俺達、神官は神への祈りによって奇跡を乞うのだ。  恐らく、この世で最多の加護を持つ勇者の祈りは誰よりも神に届きやすい事だろう。  本来ならば、その奇跡を扱えるのは長年の祈祷により神との親和性を高めた聖職者だけだが、勇者の資質ならば魔術、祈り、武術、その全てを極められるかもしれない。 「興味があるのか?」  俺の問いに、ナオが目を静かに閉じる。  ゆったりした厚手の服が呼吸に従い僅かに上下し、やがて、ゆっくりと目を開けた。  まるで何か腹を決めたかのように。 「……ある。……教えてくれる?」 「断る理由はないな」  万能性は勇者の最も強い武器だ。  勇者本人が回復や補助をかける事ができたのならばそれは魔王討伐で強い武器になるだろう。  また、神聖術は射程が短い。中位までの回復魔法の射程はせいぜい十センチ程度だ。補助魔法も同じ。  祈りの担い手が増えればパーティ全体の安定性が段違いに高まる。  まぁ、俺の補助魔法は何時間も持つので使い道はないかもしれないが……。  俺の答えに、ナオが強張った表情で、唇の端を僅かに持ち上げた。  酷く歪なものだったが、それはもしかしたら俺が初めてこの勇者から向けられた笑みだったのかもしれない。  だが、それに対して俺の胸中に渦巻いたのは恐怖とも罪悪感とも呼べない得も知れない感情だった。  笑顔に圧されるように、神妙にこちらを見ている残り二人のパーティメンバーに視線をずらす。 「ナオはまだ召喚されたばかりの勇者で、まだ技術も力も未熟な状態だ。リミスもアリアも、教えられる事は教えた方がいい。俺達は……一蓮托生だ」  魔王の討伐に成功するか、その過程で志半ばで倒れるか。俺達に残されている道はその二つだけだ。  無意識のうちに、闇を払う者である証である左手薬指の指輪に触れていた。  それは俺の半生そのものでもある。 page: 9 第八レポート:旅路は苦難に満ち  幸いな事に、出立の日は雲ひとつ浮かばない晴天だった。  雨天時の行軍は大きな負担になる。ツキはこちらに来ていると言えるだろうか。  手早く朝食を終えて、街の出口に向かって繰り出した。  物資の類は既に昨日の内に買い揃えられており、それらの荷物は国から賜われた魔導具により、異空間に収納されていた。  指輪の形をした魔導具だが、貴重なもので、一個しかないのでナオの指に収まっている。  まだ早朝であるためか、人通りはそれほど多くない。  ハンターにとって、魔物の討伐はレベル上げのための手段でもあり、生業でもある。  魔物の死骸は売れる。骨、皮、血、腸。需要に寄って値段も上下するので、ハンターの殆どは毎朝斡旋所に寄って情報交換し、何をターゲットとするのか定めるのが常だった。  そういう意味で、事前にある程度の金銭を受け取っており、利潤を無視してレベル上げだけに注力できる勇者パーティは恵まれている。  歩きながら確認する。 「ナオは魔物を倒した事は?」 「……ない」  やはり昨夜もリミス達の部屋に泊まったナオが眠そうに欠伸をしながら答えた。 「私はある」 「私もあるわ。お父様が弱らせた魔物にとどめを刺しただけだけど……」  とどめを刺しただけで倒したことがあると呼べるのか、疑問ではあるが、この国で魔物にとどめを刺したことがない者は少ない。  大体の人間は最低限の能力を得るために、遅くとも十歳くらいまでの間にレベル5まで上げる。  逆に、倒したことがないという事実こそ、ナオが異世界からの勇者である証明とも言えた。  何で魔物を倒してないのに15レベルまで上がっているのかが謎だが、莫大な加護を持っている聖勇者、何が起こってもおかしくない。過去の資料の中には、空気中に漂う極々微量な存在力を吸収することで生活するだけでレベルを上げていった勇者の情報だって残っている。この世界で生を受けた人間には信じられない事だ。 「魔物と出会った事は?」 「檻に入れられた犬みたいな魔物なら見たことはあるよ」 「倒せる自信は?」 「……ある」  力強く答えるナオのその言葉に気負いはない。  前勇者の剣は振っただけで大抵の魔物は切り裂ける。  後は、その才能が完全に開花されるまで魔族に目をつけられないかどうかだ。  ふと、その時地面が僅かに震えた。  にわかに進む先が賑やかになり、そちらに視線を向けたナオがぽかんと口を開ける。  頑丈な木の滑車に載せられ、運ばれてきたのは巨大な魔物の死骸だ。  全身が深い濃紺色で出来た獣。数メートルはある薄い何層もの皮膜に包まれた体躯には一文字に巨大な傷が穿たれており、どくどくという濃い青の血が僅かに流れている。その下部には、巨躯に見合わぬ細い脚が無数に生えていて、生理的な嫌悪を抱かせた。  虚のようにぽっかりと空いた瞳が絶命を主張し、ただ天を見上げている。 「……何だ、あれは……大きい……あんな魔物がいるのか」 「あれは大物だ。俺達が行く森の浅い部分には生息していない」 「そう……か……」  さすがにこれだけの魔物が運ばれる機会は多くない。  道行く傭兵や商人たちに囲まれ、まるで英雄のような所作で死骸を運ぶ魔物狩りのパーティ。その先頭に立っていたリーダーの男がこちらに気づき口を開きかけるが、俺が視線をそらすのを見て、言葉の代わりに雷鳴のような笑い声をあげた。ふいに笑い出した英雄のリーダーに、周囲が怪訝な眼を向ける。  それでいい。お前らはお前らの仕事を果たした。貸しも借りもない。ビジネスはそれで終わりだ。  立ち止まり道を開ける俺達の前を、グレイシャル・プラントの死骸が通り過ぎていく。  ナオが死骸の眼を見て、僅かに息を飲んだのがはっきりわかった。  完全にそれらが通り過ぎるの待って、ナオが独り言のように小さく呟く。 「凄い……あんなものを倒さないといけないのか……あんな怪物を倒せるのか、僕は?」  さすがに今の状態であれを倒せるとは考えていないのか、その声には昨日とは違い、自信がなかった。  倒せる、倒せないではない。倒して貰わねばならない。氷樹小竜など足元にも及ばない怪物達を。  そのために、藤堂直継はこの世界に召喚されたのだ。 §§§  近隣の村とは言え、ヴェールの村のその名の由来となった大森林地帯までは数キロの距離がある。  馬が襲われると役立たずになってしまうので、普通のパーティは馬車など使わないが、魔導具の馬車を持っている俺達は別だ。  ここに来た時と同様に御者台に座ろうとした俺に、珍しいことにリミスが声をかけてきた。 「わ、私が……運転するわ」 「……お前、馬車が動かせるのか?」  いや、動かせなかったからこそ、ここに来る際に俺が運転していたはずだ。  しげしげと珍しい事を言い出したリミスの全身を眺める。  明るめのブラウンの魔導師のローブは地味ながら最高級品で、その杖も帽子もインナーも首にかけている魔力を増強するのであろうペンダントも、そのどれもが一端の魔導師では手の届かない垂涎の品で、だがきっとリミスはその価値を知らない。  まだレベル10、箱に入ったままこれまで生きてきたお嬢様にはいつだって仕えてくれた使用人が掃いて捨てる程いたはずだ。  そんなことを言い出すなんて予想外だった。  運転もそれなりの体力を使うし、魔導師は体力がない。王都から村までとは異なり、森では戦闘を行うのだ。できればこういった役割はナオかアリアに担ってもらうべきだ。  僧侶と魔導師は要である。優先順位は僧侶の方が上になるが、無駄に消耗させてしまうのは愚策だ。  リミスが本気で嫌そうな表情で続ける。  嫌なら言わなければいいのに、使命感でも湧いたのか、それとも何も出来ない自分が嫌になったのか。 「だ、だから、あんた……私の隣に座って教える事を許可するわ」 「言い方に文句をつけるのも時間の無駄だからそれは置いておくが、馬車の運転を覚えてもらえるならアリアかナオに覚えてもらったほうがありがたいな」 「は? どういう意味?」  別にリミスに嫌悪を抱いているわけではない。俺はリミスなんて足元にも及ばない我儘で屑でどうしようもない人間を腐るほど見てきた。  眉を釣り上げかけるリミスをできるだけ怒らせないように言い方を選ぶ。 「貴重な魔導師の体力を馬車の運転なんかで無駄に消耗させるのは愚策だと言ってるんだ。例えこの森でお前が役立たずだったとしても、セオリーは常に守っておいた方がいい」 「……貴方、本当にプリースト? ほんっとうに失礼ねッ!」 「うちの教義では虚偽は悪徳だ。守っている者は多くないが、俺は忠実な神の下僕だからな」  後ついでに酒も煙草も女も悪徳である。その全てを守っている人間が果たして何人いるか……。  逆に礼儀作法についてはそれほど多くの条項がないのだが、それは礼儀を守るのが当然の行為だからだろうか。  ともかくとして、世間一般のプリースト像に合っていないのは間違いないだろう。  リミスは俺の冗談に、嫌悪感からか眉を潜めたが、すぐに口を開いた。 「アリアかナオにやってもらうのは無理よ」 「……何故だ?」  馬車にせっせと手荷物を積み込んでいるナオとアリアの方にちらりと視線を向ける。  仲がいいとは言えないが、話せばわかってくれるだろう。幸いなことに、彼等は自分が素人だということを自覚している。  俺の思惑に反して、リミスはごく論理的に無理な理由を教えてくれた。 「まずアリアは物理的に無理。彼女には……魔力が無いらしいわ」 「……は? 待て待て……」  確かに魔導具の類は魔力がないと使えないが、殆どの魔導具の消費魔力は魔導師の魔法とは異なり微々たるものだ。  大体の魔導具はその辺にいるレベル5の街人だって使える。  この馬車は伝説級の魔導具だが、恐らく設計思想からして人族でも扱えるように作られているのだろう。  実際に使ってみたから知っている。  魔力を込めれば込める程その速度を上げることができるだろうが、普通に歩かせる分なら魔力の消費はそれほど高くない。  近接戦闘職は魔導師とは異なり、魔力が少ない傾向にあるが、剣士の技の中にだって魔力を消費するものが存在するのだ。  レベル20の剣士であるアリアに扱えない道理はない。  ――普通の剣士ならば。  俺は顔を顰め、もう一度確認する。 「魔力が……無い、と言ったのか?」 「そうよ」 「それは……全くのゼロ?」 「そう」  マジかよ……。  そっとアリアの様子を確認する。  魔力がゼロの剣士。ゼロ、ゼロ、かぁ。どうやって戦うんだろう……。  もし、昨日のリミスの、火系統しか使えないという暴露がなかったら俺はきっとアリアを釣り上げ、攻めていただろう。  二度目なので衝撃耐性がついていて、何とか耐える事ができた。  稀に生まれつき魔力がゼロの人間が存在するという話は有名である。  数としては十万人に一人とか百万人に一人とか、そういう割合だったはずだが、稀に生まれてくる『魔力なし』にはあらゆる魔導具が使えない。  そんなもんだから、当然、魔法を使う事も、近接戦闘職の持つ魔力を消費する技を使うこともできない。  どう甘く見積もっても、魔力がその力の肝となるハンターにふさわしい人材とは言えないだろう。  一般の生活を送る事すら不便なはずだ。  剣を振る事くらいはできるだろうが、強力な技はすべからく魔力を消費する。剣の腕とレベル上昇による能力増強だけでどこまで戦えるか……。  何故剣王は娘とは言え、そんな女を勇者パーティに推薦したんだ。頭おかしい。  まだ数日しか経っていないのにどんどん問題が露呈してくる現状に嫌気が差す。  本当にこのパーティでいいのか? もし何個も勇者パーティが存在したとして、どのパーティが魔王を討伐するか賭けがなされていたとするのならばこのパーティは間違いなく大穴だ。俺なら賭けない。  色物集めてんじゃねーんだぞ。  もちろん、苦情を入れてもチェンジはできないだろう。  ストレスか、ずきんずきんと鈍く痛む額を抑え、俺は至極建設的な意見を述べた。  「……魔力ゼロの人間に魔導具を使えるようにするための補助具が存在する。魔力を貯蓄しておける水晶で、魔導具利用の際に代わりに魔力タンクとなってくれる物だ。空になったら魔力を補充してやらなちゃならないが、街に戻ったら国に申請しよう。で、ナオの方の理由はなんだ?」 「……冷静ね」  意外そうな表情で俺を見るリミス。  冷静じゃねーよ!  むしろ、今までその事実を黙っていた事を詰りたい気分だがそんな事をしても意味がない。意味がないのだ。  チェンジが不可能である以上、俺は孤軍奮闘するしかないのである。 「で、ナオの方の理由は?」 「……」  リミスは瞳を伏せ一瞬言いよどみ、しかしすぐに顔を上げた。 「あんたの精神衛生的に聞かない方がいい……かも」 「今更だな。俺の精神衛生はここ数日でひどい状態だ。これ以上悪くなりそうにはない。言ってくれ」  今になって何故俺の精神衛生に気を使いはじめるのか。  内心戦々恐々だが、面倒事は放っておくと後から必ずそのつけを払うことになる。  どうせなら最初に全ての問題を出してもらった方がマシだ。これで勇者にも魔力が無いとか言われたら詰んでしまうんだが、昨日馬車の起動をしていたし、そういう事はないだろう。  黙って言葉を待つ俺に、リミスはため息をついた。 「やっぱり言わないでおくわ。取り敢えず、ナオは無理だから」 「……一応、念のために聞いておくがそれは物理的に欠陥があって、という事か? 魔力が魔導具を使うだけでなくなってしまう程少ないから、とか」  物理的欠陥。勇者に限ってそういうことはないだろうが、もう今となっては何が起こってもおかしくない感がある。  もし一週間前の俺が聞いたら一笑に付すような話も、今となっては笑い事ではない。  緊迫した状態で出した問いに、リミスはあっさりと首を横に振った。 「いえ、そういう話じゃないわ……まぁ、色々あるのよ」 「そう、か……」  色々って何があるんだよ……。  非常に気になったが、押し問答するのも時間の無駄だ。  消去法でリミスしかいないのならばリミスに運転を覚えてもらうしかない。  何も言わずに御者台に乗り、一歩奥に詰める。リミスが慣れない動作で隣に座った。  自分の身体とは違う華奢な魔導師の身体。貴族故によく手入れされたウェーブの掛かった金髪から僅かにいい香りが漂ってくる。  教えると言っても馬とは違ってこの馬車を駆るのは簡単だ。元々、術者の思い通りに動くようにできている。  恐る恐るといった様子で手綱を握るリミスに基本的な動かし方を教える。  全員乗車した事を確認し、馬車がゆっくりと動き出した。揺れ動く風景に、リミスが僅かにどこか艶めかしい吐息を漏らした。  勇者が召喚されてから今日で――十三日目。  魔族が勇者の召喚に気づき始めると想定されている日まで後十七日。  俺は小さく十字を切り、前途にこれ以上苦難が立ちはだからない事を神に祈った。 page: 10 第九レポート:しかして勇者は戦神に似て  エクス。  それは、聖戦剣エクスの名で知られている、光の力を持つ剣だ。  神が鍛えたとされるその剣は闇を払う権能を有し、その刃は担い手の精神力に呼応して斬れ味を増すという。前代の勇者はその剣により、高位の魔族により振るわれる『魔剣』ごと魔族を叩き切ったと言われている。眉唾な噂だ。  だが、目の前で勇者の振るうその刃には確かにその威光の一端が見て取れた。  青白い剣身が樹木の隙間から降り注ぐ陽光を反射し光の線を描く。  声一つ出さずに発された裂帛の気合とともに放たれた剣撃は、焦げ茶色をした植物型の魔物――樹木の悪精の一種の硬い身体を容易く切り裂き、両断した。  黒くぽっかり空いた三日月型の口が声なき絶叫を放つ。  音もなくびりびりと世界を震わせるそれに、リミスが眉根を潜めて耳を塞いだ。  森に入って初めて行われた初戦――この森で出てくる最も弱い魔物の一種であるトレントとの戦いは意外な程にあっさりと終了した。  遭遇した魔物が一体だった事もよかったのだろう。  アリアも剣こそ抜いたものの、手を出す暇すらない。当然、同じ前衛であるアリアがそうなのだから、俺とリミスは完全に見ていただけだった。  トレントの枯木のような死骸を見下ろし、ナオが見惚れるような鮮やかな動作で剣を腰の鞘に治める。  危うげのない身のこなしに、騎士団に少々の訓練があったとはいえ、ぶれのない鋭い斬撃。  だが、何よりも異常なのは――初めての魔物を前にして怯えが全くない事だろう。  息遣いに心臓の鼓動、頬に浮かんだ僅かな汗に体温。  五感で感じるその全てがナオの状態が――平時と同じである事を示していた。  魔物とは人の命を容易く摘み取る怪物だ。  大体の人間は初めて魔物と相対すると、その気配に強い恐怖を感じて円滑な行動が取れなくなる。  これは幾度もの戦いを経る事で緩和されるが、全く平常な精神で魔物を殺すというのは他者が思っている以上に難しい。  相手が動物ではなく植物型であったのも理由の一つかもしれないが、今勇者の見せた身のこなしは常軌を逸している。ましてや、ナオはこの世界の人間ならば誰しもが幼少の頃に経験する魔物の殺害を経験していないのだ。  いざという時には割ってはいろうと考えていた俺にとって、それは青天の霹靂だった。 「やるじゃない……ナオ」  リミスが、ナオの方に駆け寄る。  魔物を前にして圧勝したにもかかわらず、勇者の目には喜びがない。 「いやいや、この程度……出来て当然だよ。僕は勇者だからね」 「いや、見事な太刀筋です。ナオ殿は剣技の経験が?」  アリアも同じく称賛する。  俺に剣を見る目はないが、見事な太刀筋であった事に疑いはない。  剣王の娘が称賛するとは、それほどのものだったという事だろう。  殺したばかりの魔物の残骸に視線を落とし、ナオが僅かに微笑みを浮かべた。 「いや……召喚された時が初めてだよ。体育の授業でも剣道なんてなかったし」 「なるほど……躊躇いのない剣閃は易易と出せるものではありません。私が聖勇者様にこう申すのも僭越なのですが……才能はかなりのものかと」 「ああ……ありがとう」  褒められた当人はあまり嬉しくなさそうにお礼を言うと、 「この倒した魔物は……このままでいいのかな?」  倒木と無作為に生えた草を踏みしめ、ナオの一歩後ろまで歩みを進めた。  腰を落とし、死骸を検分する。  倒れた死骸の斬れ味は酷く滑らかだ。きっとそれは剣の力だけではないだろう。 「トレント系の魔物は魔力を帯びており、その死骸は木材として優秀だ。このトレントは低位の魔物だが、それでも売ればそれなりの値段になるはずだ。まぁ嵩張るので全身を持ち帰る者は殆どいない。眼が特殊な鉱物でできていてトレントの素材では一番高額で売れるからそこだけ切り取って持ち帰る者が多いが、俺達はその魔導具に収納できるから持ち帰ってもいいな」 「……そうか。わかったよ」  勇者がかがみ込み、トレントの死骸に触れ、魔導具を使用する。  トレントの死骸が一瞬で黒色に変色し、崩れて消える。魔導具の力で異空間に収納されたのだ。  ナオはため息をつくと、ゆっくりと立ち上がった。 「疲れたか?」 「いや、問題ないよ。むしろ思ったよりも大した事はなかった」 「俺から見ても特に問題はなさそうだ。一応レベルを上げられるか見ておこう」 「あ……ああ……そうだったね。……それって触れる必要はあったっけ?」  魔物を倒し存在力を一定量集めることでレベルは上がるが、ただ集めただけではすぐにレベルは上昇しない。  レベルアップとは存在の強化――身体能力の強化だ。  放っておいてもゆっくりと身体が作り変えられていくが、それを加速させるのもプリーストの役割の一つだった。  プリーストの力を借りない場合、1レベル分の身体能力を上昇させるのに二日から三日かかるが、プリーストの力を借りれば一瞬で作り変えられる。  レベル15なのだから何度も経験しているはずだがどこか歯切れの悪いナオに答える。 「触れた方が楽だが、触れなくても出来る」 「……そう。触れなくてもいけるんだ……じゃあ触らない方向で」  ナオの答えに、今までの情景を思い出した。  そう言われてみれば、触れるたびに大げさに動揺していたような気がする。  眉を潜め、一応の確認をする。 「……ナオ、お前、身体的な接触が苦手なのか?」 「あ、ああ……少し、ね」 「補助魔法や回復は接触行使が基本なんだが……」   「……」  何も答えずに眉を顰めるナオに、ため息をつく。  先日までの様子を見るに、別に触れただけで死ぬわけでもないらしい。掛ける時は無理やりにでも掛けよう。  命と天秤には乗せられまい。  右手を大きく掲げると、要望の通りナオの頭の上――なるべく離れた位置に固定した。 「『秩序神の祝福』」  祈ると同時に、黄金の光がきらきらと手の平から舞い降り、勇者の全身を包み込む。  雪片のようにその頭、肩、身体全体に触れた光は溶けるように消えた。  だが消えたのは一瞬。勇者の全身が今まで以上に強い、白の光を帯びる。 「どうやらナオはレベルアップに十分な存在力が溜まっているようだ」  光り輝いているのは、器が存在力で満たされている証。術者にしか見えないが、レベルアップが可能である証明だ。  普通、下級のトレントを一体倒しただけではレベルは上がらないのだが、元々レベルが上がりかけていたのか、レベル上昇に十分な存在力が溜まっている事がわかる。  アリアが俺の台詞に感嘆のため息をついた。 「アレス、まさか貴様、レベルアップの儀式を出来るのか」 「ああ」 「……聖職者の中でも中堅以上の者にしか出来ないと聞いているが……」 「……レベルアップの儀式も出来ないプリーストを教会が勇者パーティに派遣するわけがないだろ」  なるべく早く勇者を鍛えなければならないのに、自然にレベルが上がるのを待っていたら魔族に襲ってくれと言っているようなものだ。  アリアはやや怪訝そうな表情をしたが、納得したのか小さく頷いた。確かにレベル3の僧侶では出来ない儀式ではある。適当に作ったレベルに穴が出来てきたな。 「じゃーレベル上げるぞ」 「……ああ」  続けて、上げた右手を握りながら下ろし、勇者の身体の前で小さく十字を切った。  ナオが僅かに吐息を漏らし、その額から小さな汗の粒が垂れる。  レベルアップに痛みは無いが、成長のために身体が一瞬熱を発するのだ。  数秒で全身に纏っていた白の光が消え、レベルアップが完了した。  見た目はレベルアップ前と変わらないが、15レベルだったナオはこれで16レベルとなった。能力値もそれに準じて上がっているはずだ。  肩の力が抜け、ほっとしたようにナオが呟く。 「……はぁ。何度受けてもこの身体の奥底から湧き上がるような奇妙なむず痒さには……慣れないな」 「どうしようもないな。何しろ、存在の強さが一段階上がるんだ、それなりの感覚はある。ちなみに、レベルアップの儀式を受けないと自然にレベルが上がるまでその感覚を薄めたような感覚が二、三日続く事になる」 「……そうか。それは……嫌だな……」  言葉だけではなく、心底嫌そうな表情を作る勇者様。  まぁ、暴れないだけ彼はマシである。  レベルアップの感触が苦手な者というのは本当にどうしようもなく嫌がるものだ。特に、人間以外の種族に多いが、手がつけようが無いほどに暴れる者もいる。人以外の種は滅多にレベルが上がらないが、そのレベルアップの儀式はどのプリーストも嫌がる案件となっている。  まぁ、教義的にはそれを求められたプリーストに拒否権なんてないんだが。  最後にいつも通りの文言でレベルアップを閉めた。 「ナオはこれでレベル16に上昇した。次のレベルアップまでは後25780の存在力が必要のようだ」 「……そのゲーム的な表現、城で儀式を受けた時もシスターが言ってたけど、意味あるの?」 「ゲーム的な表現とやらが何を示すのかわからないが、レベルアップ時に次のレベルまでの距離を示すのは教義で定められている」 「……何で中途半端にRPGが入ってるんだ、この世界は……」  何がなんだかわからないが、納得いかなさそうな表情でぶつくさ呟くナオ。  接触を好まないという事で、数歩後ろに下がる俺に、ナオがふと顔を上げた。 「そうだ。そのレベルアップの儀式も、僕、できるようになるかな?」  どうも、聖勇者様はプリーストの神聖術習得に乗り気のようだ。  レベルアップの儀式は別にパーティ内で一人できれば問題ないものなのだが、出来るに越した事はない、か。 「出来るようになるだろう。だが、覚えるのはちゃんと魔物を倒せるようになってから、そして回復や補助を覚えてからだな。レベルアップは俺が使えれば十分だし、どこの村でも最低一人、使えるプリーストがいる」 「……今倒して見せたけど?」 「植物型と動物型では勝手が異なる。植物型は倒せるが動物型は相手にしたくないというハンターだっている。太刀筋は見事だったが、それだけで油断するのはまだ早い」  まぁ、そんなハンターはハンター失格なわけだが、動物型を嫌がる者は少なくない。俺は別にどっちも問題ないが。  ナオが、まるで俺の言葉を信じてないような、小馬鹿にしたような目つきをした。 「それは……どうして?」 「臭いからだ。場合によっては血と内臓を浴びる事にもなる」 「……ああ……」  血の臭いに慣れていないと吐く者さえ出る。ハンターの洗礼とでも言うべきか。  俺の答えに、ナオが陰鬱そうな納得の声をあげる。  アリアもリミスも、殺した経験があるから知っているのか、同意するように頷いていた。  ――だが、結論から言うとこの心配は杞憂だった。  この後に出てきた狼型や猿型と言った獣型の魔物に関しても、ナオはトレントを相手にした時と何ら変わらずに、眉一つ動かさず惨殺してみせたのである。  その異様なまでの胆力と精神力、容赦のなさに俺は勇者パーティに入って初めて、彼が正義感しか取り柄のない只の人間などではないという事を実感したのだ。  喜びも悲しみも感じさせずただ作業のように命を刈り取る。  血飛沫を浴びて尚、動揺の欠片も見せない勇者の姿は、どこか人ならざるものの気配を感じさせる。 page: 11 第十レポート:その道筋に光明が差し  ヴェールの森は広大だ。  人の手の入った前半部のみに絞って言っても、その広さは王国内で屈指である。  巨大な一本の本道を軸に何本もの細い道が枝分かれしており、夜を明かすキャンプのための開けた場所も幾つか存在する。  道から外れた箇所についても、前半部分についてはどこに何があるかくらいはヴェール村で売りだされている地図に記載されており、方位磁石と地図を持っていれば迷うことはまずない。  一通り戦闘を終え、それなりの手応えを得た俺達は、日が沈む前に、川辺の近くの開けた場所を本日の寝床と定めた。  森に入ってからのおよそ三時間、遭遇した魔物の数はおよそ五十体。本道からは早々に外れ獣道を歩いて行ったので遭遇率はかなり高い。  だが、現れた魔物の殆どを、ナオは一刀両断で葬っていた。  まだ、探索を行った場所は前半部の中でも特に手前であり、現れる魔物の平均レベルは20前後。レベル的には格上だが、八霊三神の加護という人族屈指の洗礼を受けたナオの敵ではなかった。  歩きまわっての連戦にも関わらず、終始腕を鈍らせる事なく魔物の尽くを葬ったその動きは、とても魔物を相手にした初日とは思えない才覚に満ちていた。  群れを作る者もおらず、一度に現れた魔物の数は多くとも二体。アリアとナオという二人の前衛が居るこのパーティにとって大した相手ではない。  流石に剣王の娘だけあってアリアの腕も相当なもののようで、俺とリミスは、まるで枝葉でも払うかのように魔物を一刀に切って伏せ先に進むアリアとリミスの後ろをただ付いて行くだけだった。  一部のとどめはアリアがさしたとは言え、五十体前後の魔物を倒したナオはレベルを二つ上げ、現在18レベル。レベルは、上がれば上がる程上がりづらくなっていくが、初日としてはなかなかのペースだと言えるだろう。  完全に夜になると魔物の動きが活発化され、また、朝出会った者とは異なる夜に対応した魔物が出現するようになる。  本来のハンターならば苦労して持ち込んだテントでキャンプを張らねばならないが、俺達にはグラスランド・ウインドがあった。  持ち運びが容易いその馬車は、幌を締め切れば風雨を完全に防げ、並のテントなどよりもよほど広い。  ナオが馬車を巨大化させている間に、水筒に川の水を汲む。  アリアは周囲の警戒、リミスは馬車の前の開けた場所に枝葉を集め、火を起こすための準備をしている。  ふと気づくと、ある程度距離を取った所から、ナオがこちらを覗いていた。 「……水を使うのか」 「いや、ただの水じゃない。これは聖水だ」  僧侶の役割は回復や補助だけじゃない。  キャンプを張った際に、魔物を寄り付かないようにする結界を張るのもプリーストの大切な役割の一つである。  まぁ別に、場合によっては魔導師の魔術でも代用はできるし、斥候が居るパーティでは物理的なトラップを仕掛けたりもするが、このパーティで出来るのは俺くらいだろう。  俺の扱う神聖術が気になっているらしいナオに説明しながら作業を続ける。 「結界の媒体として最も簡易なのは聖水だ」 「? 聖水って言っても、それは今川から汲んだばかりの水じゃ……川に聖水が流れてるのか?」 「違う。水を祝福するんだよ。聖水を作るのは聖職者の特技の一つだ。もちろん、プリーストにも出来る」  神官系の職で魔物狩りになるような職は僧侶以外にも聖騎士や聖闘士など存在するが、水の祝福は基礎中の基礎で出来ない者は恐らくいない。  俺は興味深げにこちらを遠巻きにするナオに見えるように、水筒に十字を切って見せた。 「『水の祝福』」  水が一瞬強く発光し、すぐに光を失う。光は失うが、祝福で得たその聖性は失われない。  光が発せられたその瞬間を、驚いたように大きく目を見開き見ていたナオにその水筒を掲げてみせる。 「これで祝福は完了、ただの水から一瓶百ルクスの水の出来上がりだ」 「……随分お手軽だね」 「見習いのプリーストがバイトで作ってたりするからな」  だが、それなりに神力を消費するので見習いプリーストでは一日に二、三本程度が限界だったりする。  聖水は結界を張る以外にも様々な所で需要があり、供給が常に足りていない。 「……十字を切るだけで祝福できるんだ」 「十字を切るだけじゃない。ちゃんと祈ってるぞ」 「……僕の世界では祈っても何も起こらなかった」  ナオがどこか物憂げに沈んだ眼でため息をつく。  そして、馬車の側で目を閉じて周囲の気配を探るアリアと、むすっとした表情で小枝を集めるリミスの方にちらりと視線を向けた。 「レベルアップもそうだけど、僕はそういう魔法を見る度に自分が異世界に来てしまったと言う事を実感するんだよね」 「神聖術は正確には魔法じゃないんだが……そういえばナオの世界では魔法が存在しないと言っていたか?」 「……うん。空想の物語の中では存在するけどね。いや、正確に言うなら……ここに来るまでは――存在しないと思ってた」  故郷を懐かしんでいるのか、ナオの眼はどこか胡乱だ。ここに召喚されてしまった事を後悔しているのかもしれない。  俺には魔法が存在しない世界なんてさっぱり想像すらできない。この世界で生を受けた俺にとってはそれは常に隣にあったものだ。  神も精霊も加護も。  少し考え、水筒を逆さにして作ったばかりの聖水を捨てる。  再び水筒に水を汲むと、目を見開いてこちらを見ているナオにそれを放った。  いきなりのそれをあたふたと、しかししっかりと受け止め、怪訝な表情をするナオに提案する。 「聖水を作ってみろ」 「……え?」  ナオは受け取ったばかりの水筒を見下ろし、困ったように顔をあげた。 「作り方……分からないよ」 「お前は俺の何を見てたんだ。十字を切って祈るんだよ」  最も重要なのは十字の切り方でも信心でもない。加護と神力だ。  加護と神力のない者に聖水は作れない。  もう一度わかりやすく教える。 「十字を切って唱えるんだ。主よ、我らを救い給え。その御力、聖霊となりて祝福を齎さん。『水の祝福』」 「……さっきと呪文が違うんだけど」 「省略してたんだ。毎回長ったらしい祈祷をしてられるか。心の中では祈ってたよ。省略する事をお許しくださいってな」 「……アレス、君本当にプリーストなの? 城のシスターと違って信仰心の欠片もなさそうだけど」  ナオはまるで非難でもするように眉を顰めていたが、俺が視線で促すと諦めたように水筒に視線を戻した。  漆黒の双眸が真剣な表情で水を見つめている。  そして、剣を振るった時よりもよほど緊張した様子で、ナオが唱えた。 「主よ、我らを救い給え。その御力、聖霊となりて祝福を齎さん。『水の祝福』」  慣れない動作で十字を切ると同時に、水が仄かに発光する。祝福がなされた証だ。  祝福の強さによって聖水には等級が存在する。ナオの施した祝福は本職である俺よりも弱かったが、確かにそれは聖水であり、ナオに神々による加護が降りているという何よりの証だった。  奇跡を起こしたのは初めてなのか、自分の成した事に固まるナオに伝える。 「それが祝福だ。そして、それこそがお前がこの世界の神々に愛されているという証明でもある」 「愛されていると言う……証明」  呆然と聖水に視線を落とすその様子は酷く頼りない。  だが、折れてもらう訳にはいかない。召喚された勇者が元の世界に帰れたという記録は――存在しないのだ。勇者がその事実を知っているのかどうかは知らないが、教会でも一部しか知らないはずなので誰か余計なおせっかいを抱く者がいなければ勇者がそれを知る事はないだろう。  ナオには強い加護が施されるが、所詮それは求めぬ者にとって無用の長物でしかない。  神々の加護がせめて少しでも勇者の心の支えになればいいのだが。  聖水に視線を落としたまま静止しているナオを眺める。  思わず内心が口から零れ出た。 「ああ……面倒臭えなあ」 「……何がさ?」  何もかも全てが、だ。  貧乏くじを引かされた。俺は自分が犠牲になれば他の誰かが犠牲にならなくて済む、なんていう自己犠牲の精神は持っていない。  かと言って、それを勇者にぶちまけるなんて許されるわけもなく。  多少は立ち直った様子の勇者に、言葉を選ぶ。 「結界を張るのが、さ」 「結界……聖水を使って張るんだっけ?」 「ああ」  恐らく、結界術も覚えたいのだろう。  作ったばかりの聖水を遠くからどう渡すべきか迷っているナオに、俺はもう何もかもが面倒になって、先ほど聖水をどぼどぼ零した場所を足で踏み鳴らした。 「『三級浄化結界』」  聖水を零したその場所を起点に光の波が広がった。  音もなく、光も淡い。だが、感覚の鋭い者は眼を瞑っていてもその世界の確かな変化を感じ取れるだろう。  結界は古来より闇なるものを遠ざけた由緒ある神聖術だ。  神の力により、今この瞬間このキャンプ付近は浄化された。  魔なる者は淀んだ場所に好んで現れる。例え夜で活性化していたとしても、しばらくの間、本能に従うような低級の魔物がこの付近に近寄る事はないだろう。  唐突な術式光にしゃがんで作業していたリミスが体勢を崩しかけ、アリアが意外そうに眼を丸くする。  ナオが戸惑ったように眼をくるくるとさせ、手元の聖水と俺を交互に見つめた。 「え? ……今の何?」 「今のが結界術だ」 「……聖水使ってないけど」 「使った」  先ほど捨てたのをリサイクルしただけだ。 「足踏みしただけに見えたけど」 「ちゃんと祈ったぞ」  ナオが睨むような視線を俺に向ける。 「……冗談だよね?」 「神は冗談が嫌いだ。多分な」  この状況が冗談だったらどれだけいいか……いや、この状況が冗談だったら俺は神の下僕を降りていたかもしれないな。笑えねえ冗談だ。  まぁ、ふてくされていても始まらない。もしかして一番大変なのは、いきなり異世界に召喚され、それぞれ問題がある仲間たちを連れて旅をする事になったナオなのかもしれない、そう思えるだけで少し溜飲も下がる。  リミスは分からないが、アリアもそれなりには戦えそうだし、ナオの腕が予想よりも上だったおかげか、少しは勝ちの目が見えてきた。  まだ納得のいかなさそうな表情のナオをしっしっと手の平を振って追い払った。 「結界は神聖術の中でも一際難易度が高い。聖水と違って初回で成功させるのは難しいし、教えるのは最後だな」 「……聖水こぼした場所を足で踏んだだけなのに……納得いかないな」 「ちゃんと祈ったって。足で踏む事をお許し下さい、ってな」  ちなみに、神は冗談は嫌いだが、俺はけっこう好きだったりする。  冗談が過ぎたせいか、あからさまに舌打ちする暇そうなナオに、余計なことを考えないように次の仕事を与えた。 「さー、ナオ。結界は張ったからここは取り敢えず安全だ。アリアと一緒に食い物でも取ってこい。猿や狼は食えたもんじゃない。もっとうまいもんがいいな」  保存食は買い込んであるが、それはあくまで予備だ。  サバイバルの知識を身につけるためにもできるだけ食料調達もやらせた方がいい。それこそがこの森を狩場に選んだ一つの理由なのだから。  ナオが俺の顔をまじまじと見て、囁くような小さな声で聞いてくる。 「……まさか魔物を食べるの?」 「魔物じゃないのがいればそれを食うがこの森にそんなのは殆どいないな」 「……シスターから魔物食は教義で忌避されてるって聞いたけど?」 「安心しろ。俺は全然いける」  さすがに人間の形をした魔族は食べたくないが、この森に居るのは動物にちょっと毛が生えたような奴らばかりだ。  悪しき魔力を帯びており、そのまま食べると腹を壊すパターンが多いが、俺ならば問題なく浄化出来る。  プリーストに魔物を食いたがらない奴が多いのは確かだが、それはどちらかと言うと個々人のモラルによるものだ。俺にモラルはない。  度し難いものでも見るような眼で、ナオが俺を見上げた。 「……アレス、君はプリーストだろ? 教義を守るつもりはないのか?」 「守っている。神聖術がその証明だ」 「……僕の眼には破戒僧にしか見えないよ」 「よく言われるよ」  事実を言っているだけなのに、勇者様にはお気に召さなかったようで、ナオは眉間にしわを寄せ、俺を睨みつけてきた。  よく他の真面目なプリーストにそういう表情をされる事はあるが、果たしてナオはそこまでこの世界の神に忠実だったのだろうか。僅か十日でそのような信心を抱いたとするのならば、神が彼に加護を与えるのは当然なのかもしれない。  別にからかっていたわけではないのだが、聖剣の錆になりたくなかったので続ける。 「魔物を食う行為は確かにあまり他人からいい目で見られないが、決して教義で禁止されているわけじゃない」 「そう……なのか?」  よほどいいシスターに教えられたのか、ナオはまだ半信半疑だ。  自分で『禁止』ではなく『忌避』と言ったくせに。 「この森はまだ付近の村から近いが、もう少しこちらのレベルが上がってくると、対応する魔物が人間の手の届かない場所に生息するようになってくる。食料や水の持ち込みには限界があるから、そうなってくると食べる物は魔物しかない」 「……なるほど」  所詮、教義で忌避すべき事として定められていても、人は食わないと生きていけない。そして、教会側もそれを知って禁止ではなく忌避としているのだ。  また、一部の高レベルの魔物は他の動物と異なり、かなり美味しい。さすがに食べられる魔物と食べられない魔物があるが、ハンターの中には食べる事を目的として魔物を狩る剛の者も居ると聞いたことがある。  俺が言葉を撤回しない事を悟ったのか、ナオは釈然としなさげな表情でアリアの方に歩みを進める。  二言三言何事か話しかけると、アリアが愕然とした表情で俺を見た。  大概アリアも堅物だな。なに大丈夫、へーきへーき。  話し合うつもりはない。いずれしなくてはならない事だ。  視線を避け、枝を一生懸命集め、火の準備をしているリミスの近くに腰を下ろす。  森林地帯だけあって、燃料に使える枝葉は腐る程落ちていた。  ちょうど十分な量が集まったのだろう。こんもりと不格好に積み重ねられたそれはお世辞にも綺麗とはいえないが、燃料としては過不足ない。  既に辺りは薄墨色の闇に包まれ、空は夕日で真っ赤に染まっている。  結界でこの近くに魔物が来る可能性は低いが、完全に暗くなる前に火を灯した方がいい。俺は暗闇でも平気だが、まだレベルの低いリミスだときついだろう。 「火石は持ってるか?」 「……必要ないわよ」  着火用の魔導具である火石を取り出そうとする俺に、リミスが面倒臭そうに呟く。  同時に、リミスのゆったりとしたローブの袖がかさりと不自然に動いた。  輝くような朱の蜥蜴が音もなく袖から跳ねると、地面に降り立った。  いや、輝くような、ではない。実際にその蜥蜴は強い光を放っている。大きさは十センチ程。滑らかな真紅の表皮に、宝石のような濃い暗赤色の瞳。  身体は小さくとも、そこには魔物とも動物とも異なる超越した雰囲気がある。 「契約している火精か!?」 「ガーネット」  俺の問いに答えず、リミスが一言だけ述べる。  それに呼応するように、蜥蜴が小さな舌でちろりと枝の一本を舐めた。  それだけの動作で、枝が一瞬で強い炎に包まれ燃え盛り、他の枝葉に伝播する。  炎に色は殆どない。透明な炎が幻想的な陽炎を生み出し、熱が風を呼んだ。小さな焚き火だというのに全身に感じるすさまじい熱気は火石を使用した時とは比べ物にならない程の強い火力。乾燥も禄にしていない集めた枝葉が完全に燃え尽きるのは時間の問題だ。  俺は、視線をそらし黙ったまま、しかし少し自慢気な様子のリミスをじっと睨みつけた。 「火力が強すぎる。俺達の目的はそれを燃やし尽くす事じゃない」 「ッ!? ……ガーネット!」  蜥蜴の眼が一瞬淡く輝く。燃え盛っていた透明な炎が赤に変色し、その火勢が衰えた。  既に大半が灰になってしまっていたので、森に一歩踏み入り、枝と葉を一抱え持ってきてそこに投げ入れる。  静かにぱちぱちと音を立てて燃える火をじっと見つめ、考える。  精霊を現世に一つの生命体として顕現化するのは非常に高度な術だ。普通のエレメンタラーはその力を魔術という奇跡で発現する事しか出来ない。  魔導師は才覚に大きく左右される職とは言え、まさかレベル10で出来る者がいるとは思わなかった。というか、何で精霊の顕現化まで出来るのに火精としか契約してないんだよッ!  極端すぎるぞ!  何と声をかけるべきか。ただ火精とだけしか契約していないエレメンタラーよりも火精とだけしか契約していないが火精を顕現化できるエレメンタラーの方が遥かに優秀なのに、あまりに予想外で声を出せない。  この勇者パーティは一体何なんだ。  結局考えに考えて出てきた言葉は端的な言葉だった。 「火精を呼べるのか」 「ガーネットよ」  それが名前らしい。確かに、その蜥蜴の眼はガーネットのように輝いている。  火精が僅かに鎌首をもたげ、俺を見上げた。  エレメンタラーの力は精霊の力に比例し、そして精霊はその内包する力の大きさによって形状を変える。  顎に手を当て、ガーネットを観察する。 「火蜥蜴か」  尤もポピュラーな火の精霊。  力は中の上程度で、よく中堅のエレメンタラーが結んでいるが、普通、中堅のエレメンタラーでは精霊の顕現化など出来ないので現世でその姿を見ることは少ない。  俺の言葉に、リミスがこちらをじろりと見上げ、信じられないことに――一言呟いた。 「……形状は変えられるわ。ガーネット」  輝く蜥蜴がリミスの合図と同時に、大きく膨張し光の玉となって爆発した。  あまりの光量に一瞬視界を失い、戻った時に目の前にあったのは身の丈二メートルの巨大な光だ。  輪郭が薄いが、かろうじて人型を模している事がわかる。  半透明の身に渦巻く力は本来見えないはずのもの。魔力があまりの密度に燃え盛る炎のイメージで視覚化しているのだ。  熱を発してはいないはずのそれに本能が熱を感じ、無意識に荒い呼吸が出る。  ただ、その様子に一瞬足りとも目を離せない。 「馬鹿な……炎の魔精……だと!? 何故、レベル10のエレメンタラーが最上級の精霊を扱える!?」 「……アレス、あんた意外と……詳しいのね」  高位の精霊は自由に形状を変えられるという。となれば、こっちの姿が素と考えるべきか。  まだ完全ではない。完全に具現化された精霊は先程見せたサラマンダーと同様にこの世界に確かな形を刻む。  しかし、まだ完全ではないが、中途半端の力しか具現化できていないが、このクラスの精霊を具現化出来るのは間違いなく――天稟と呼べる。なんといってもリミスはまだ――レベル10なのだ。 「あんた風に言うなら……フリーディア卿が精霊も具現化できないエレメンタラーを勇者パーティに派遣するわけがない、と言った所かしら?」  リミスの声色には微かな侮蔑の色が混じっていた。  昼間の意趣返しか。  確かに公爵閣下は冗談でリミスを派遣したわけではないらしい。現時点の力を比較するのならば、リミスよりも強いエレメンタラーも存在する。だが、その才覚という意味で今見ているこれ以上のものはちょっと見たことがない。  リミスが指を鳴らそうとする。音がならなかったが、ガーネットは主の意図を察したように収縮し、サラマンダーの姿に戻った。  恥ずかしいのか顔を真っ赤にするリミスの姿もしかし、気にならない。からかう気にもなれない。 「何で……」 「……?」 「……何でそこまで出来るのに他の系統の精霊と契約してねーんだよ!」 「ッ!?」  心の叫びがつい声になって夕闇に染まる森に木霊した。  絶対おかしいだろ。イフリートを顕現できるエレメンタラーなんて滅多にいないぞ!? どこのパーティでも引っ張りだこだ。これで他の精霊も問題なく使えれば文句なしだったのに。  ちぐはぐ……ちぐはぐすぎる。ちぐはぐすぎて悪夢でも見ているかのような気分だ。 「……あ、あんたには関係ないでしょ!?」  俺の言葉に、引きつった表情でリミスが咆哮する。  確かに。確かに俺は赤の他人だ。公爵閣下とも接点はないし、ただの一人のプリースト、人の事情に立ち入るだけの気概もなければそのつもりもあまりない。  要は必要なのは勝利だ。勝てば何でもいいし勝たなければ全ての意味が露と消える。 「ああ、確かに関係ない。関係ない、が――くそッ……世の中ままならねえ!」  せっかく収まっていた頭痛が中途半端な良材料に再発する。  半端にでもイフリートを扱えるが他の系統を使えない魔導師と、全系統を満遍なく使える魔導師ならば俺は後者を選ぶ。選びたい。  そのくらい相手による系統選択というのは重要で、そして何より――恐らく俺達の倒すべき魔王は、炎の魔精を十全に使えてもそれだけでは敵わないのである。  ファンファーレのようにリズミカルにずきずきと発せられる頭痛を我慢しながら、俺はリミスを真剣な表情で見た。 「リミス、お前の才能は確かだ……間違いなく天才だ」 「……え? 何? 今更、いきなりの手のひら返し?」  別にこっちだって貶したくて貶してるわけじゃねーよ!  気味悪そうな表情をするリミスに、深々と頭を下げる。 「だから、頼むから世界のために他の精霊と契約を結んで他の系統の精霊魔術も使えるようになってください」 「……え。無理よ」 「は? 何で無理だよ!? お前、ふざけんな!?」 「ちょ――」  元々そう決まっているかのように反射的に返ってきた『無理』の答え。  俺の慟哭とリミスの悲鳴が空気を切り裂き、夜のヴェール大森林に響き渡った。  確かに炎の魔精は強力だし、レベル10でそれを扱えるのはから恐ろしいという表現でも足らない。  だがしかし、それ以外の精霊と契約出来ないのならば、目的を達せないのならばそれはアズ・グリード神聖教の教義に置いては――愚者と区分される。 page: 12 第十一レポート:  森に突入してから十日が経過した。  レベル上げは非常に順調に進んでいる。  勇者、ナオは強かった。恐らく、勇者じゃなかったとしても天才と呼ばれる人材だろう。  前代勇者の装備がその強さに拍車をかけ、森の中で敵はいない。牙も爪も、たまに受ける攻撃は鎧と盾に阻まれ、すかさず繰り出される反撃は頑強な筋肉と硬い骨を持つ魔物の急所を容易く貫く。  次々と立ちふさがる魔物を危うげなく倒していく勇者の様子は、今までずっと感じていた不安を補って余りあるものだ。  彼には才能があった。戦人としての――天稟。それはきっと加護によるものだけではなく、彼は召喚される前からそういう人間だったのだろう。  レベルを上げる前から戦えていたが、レベルが上昇するに連れてその力は突出と呼んでいいほどに研ぎ澄まされていった。剣技や戦場での妙を知り、サバイバルの術を得、魔物と知識を蓄積し、それに追加して俺が教えた神聖術に、リミスの教えた精霊魔法が彼を万能な勇者にする。  馬鹿ではなく、教えた事を素直に吸収する度量もある。敵を相手にした際に見える虚ろと呼んでもいいほど容赦のなさだけが懸念だったが、それは恐らく、魔王の討伐においてのデメリットにはならない。  唯一、不満に思うのは、毎日夜寝る際に俺以外の三人が馬車で、俺だけが外で寝ている事くらいだろうか。  どうやら、彼の『接触嫌い』は男限定らしい。もしかしたら男ではなく『俺』限定なのかもしれないが、面倒だったので俺はそれを受け入れる事にした。  順調とは言え、魔王の討伐にはまだまだ時間がかかる。時間が彼我の溝を埋めてくれるだろうという楽観も少しある事は否定しない。  十日の強行軍――人外の領域で過ごす日々は肉体的、そして精神的に疲労を蓄積させているはずだが、リーダーであるナオが文句一つ言わずに動いているのでアリアもリミスも特に何も言わない。そして、俺は慣れているので一年でも二年でも森に籠もれる自信がある。  ナオは突出して強かったが、リミスとアリアの方も予想よりは悪くない。逆に言うのならば良いわけではないのだが、想定よりも上なのだから文句を言う必要はないだろう。  アリアについては魔力はなかったが剣の腕は流石に冴えており、剣自体の力とレベルアップによる能力上昇により、今現れる魔物については全て危うげなく葬り去っている。夜のキャンプ時に一人稽古をしている様子も度々目撃しており、彼女自身も魔力がないという致命的なハンデをよく理解しているのだろう。訓練の際に見える鬼気迫る表情からは何としてでも食らいつくという意気が見て取れる。  恐らく、このままのペースで魔物のレベルを上げていった場合、遠くない将来、魔力を活用する技を使えない彼女はどうしても攻撃力が不足する事になるだろう。その際に円滑に『諦める』事ができるのか、それだけが俺の持つ目下、最大の懸念点である。  そしてまた、彼女は攻撃力は高い反面、防御が疎かになりやすいきらいがあった。  彼女が生家の流派であるプラーミャ流正統剣術を捨ててまで手に入れたミクシリオン流剣術は攻めの剣だ。  やられる前にやる。常に先頭に立ち切り込むその剣技は非常に攻撃的であり、プラーミャ流正統剣術と異なり盾を持たない。そのため、もともと攻撃を受けやすい剣術ではあるが、彼女はそれに輪をかけて負傷する。  技術が攻撃に意識が寄っていて、ミクシリオン流で重要な避けるための足運びや、剣による受け流しの技術が疎かになっているのだ。剣王の娘である以上、元々はプラーミャ流を習っていたはずなので、もしかしたら、マクシミリア流に流派替えをしてそれほど時間が経っていないのかもしれない。  鎧が優秀な事もあり、今の所致命傷を受けたりはしていないが、より強力な魔物や魔族と戦う際にそれは致命的な弱点になりうるだろう。ナオは滅多に傷を受けないので、俺が一番回復神法を掛ける機会が多かったのは彼女だった。  一応忠告はしたが、専門外である俺の忠告がどの程度聞き入れられるか、そして仮に聞き入れられたとして、すぐさまその戦い方を治せるのかどうか微妙な所だ。  リミスについては特に特筆すべき点はない。  火精だけとは言え、レベルに見合わぬ強力な炎の魔精を顕現できる彼女は目下のところキャンプファイヤーの係である。  周囲一帯が非常に燃えやすい森というフィールドに篭もる以上、彼女の火精は危険過ぎて使えない。イフリートならば完全に燃やし尽くす事で延焼させずに戦う事も出来そうだが、今の所、『危険』を理由に彼女には魔法を自粛してもらっている。  いくら才覚があろうと、彼女はまだレベルが低い。イフリートなんていう強力な精霊を何度も使ってしまえば、あっという間に魔力を消費し尽くして倒れてしまうだろう。  また、イフリートを使ってしまったら、強力過ぎてナオが魔物を倒す機会がなくなってしまうというのも自粛の一つの理由だ。  リミス本人は魔法の自粛に非常に不満を抱いているようだが、イフリートの強さは自覚しているのだろう。今の所自制が効いている。  公爵令嬢だけあって高い水準の教育を受けていたのだろう。夜は大体、ナオの魔法の先生をしており、ナオが下位の攻撃魔法を使えるようになった時は手放しで喜んでいた。  戦闘にはほぼ参加していないので弱点と呼ばれるものもまだ明確ではないが、強いて挙げさせて貰えるのならば、そのプライドの高さこそが弱点と呼べるだろうか。  魔導師である事の強い自負と、公爵令嬢というその地位に対する高いプライド。勇者に対する憧憬。根は悪人ではなさそうだが、それらの思想は時たま、とてつもない面倒事を巻き起こす。  初対面の印象が良くなかったのか、それとも面が気に喰わないのか、そのプライドは常に俺を下に見ており、度々彼女は俺につっかかってくる。それは別に構わないのだが、それによって効率を優先できなくなると非常に困る事になる。  例えば、サバイバル初日から行った魔物食に最も強い忌避を示したのは結局、彼女だったし、俺が護身用に与えた回転式拳銃についても練習する気配がない。  結局最終的には嫌々ながらも魔物の肉を食べられるようになったし、リミスのレベル上げのため、魔物のとどめを刺す際に何度か銃を使ってとどめを刺していたが、酷く不服そうだった。  戦闘時にも、自分が役に立たない事にいらいらしている様子がしばしば見られ、いつか爆発するのではないかと心配している。この状況は仕方がない事なのだと理屈で言い負かしても意味のない状態だ。そこにあるのは恐らく、理屈ではなく感情の問題なのだから。理屈で駄目なのは既に彼女自身誰よりも知っている事だろう。  根本解決として何とかするにはプライドを叩き折らねばならないが、恐らくそれはこの森では無理だろう。この森でどのような苦難を経験しようと、彼女は『魔術が自由に使えないから』という理由に逃避する可能性が高い。次のフィールドに移動した際に何とか修正を試みるつもりだが、アリアとナオはどちらかと言うとリミスの味方であり、結果が予測しづらい状況である。  目下、そんなパーティに所属する俺の役割は主に、ナオへの神聖術の教授と、戦闘後の回復・レベルアップ、魔物やサバイバルに対する知識の継承や結界術の行使になっている。  レベルを上げると同時に戦闘に慣れさせたいので、補助魔法の類は使っていないし、もちろんメイスを振るって戦闘に参加などもしていない。戦闘中はリミスの隣でリミスがやけを起こさないか監視しながら戦況を見守っている。場合によってはリミスが襲われた際の足止めも担当したが、前衛が優秀なのでその回数は多くない。  概ね彼等は優秀なハンターの卵であり、俺のやることは多くない。ナオについても綿が水を吸収するような速度で神聖術を覚えており、有用な術から優先順位をつけて教えているが、そろそろ下位のプリーストと同様の事は出来るようになる事だろう。  勇者に施された神々の加護はプリーストに取って垂涎の品であり、神力も神聖術をそこそこ使える程度にはある。勇者の祈祷は間違いのない奇跡を呼び、レベルアップにより神力を高める事ができれば、中位から上位の僧侶並の術を使えるようになりそうだ。  教授する奇跡についても、下位の奇跡においては、他の攻撃手段が豊富なナオには必要ない退魔術を除けば残る所、結界術のみとなっており、それを教えたら次は中位の回復神法を教える予定だ。また、下位ではないが、レベルアップの呪法についてはナオ本人の要望で既に教えてある。  かなり神力を使うので今のナオには一、二度しか連続使用できないが、使えるようになったとというその事実が、彼の持つ加護の凄まじさを物語っていると言えるだろうか。必死に毎日祈祷して、まだ中位になれないプリーストから刺されそうな過保護っぷりだ。  現在のレベルはそれぞれ、ナオが27、アリアが25、リミスが17、俺は変わらず。  基本的にナオのレベルを最優先で上げているが、一番レベルの低いリミスについてもこの森を出るまでに20にはしたい所である。  このまま、レベルを調節しつつナオを30まであげたらヴェールの森を切り上げ、次のフィールドに向かう予定だ。  リミスのストレスが溜まっているので、火系統の魔術を思う存分使用でき、そして存在力の高い魔物が多いゴーレム・バレー辺りを次の目的地として想定している。魔導生命体の中でもサンド・ゴーレムやロック・ゴーレムは火属性に強いので、リミスの鼻っ面を叩き折るのにもおあつらえ向きだ。  夜間、そして行軍中に常に気を払っているが、今の所上位下位問わず、魔族が近づいてくる気配はない。教会の見解の通り、まだ英雄召喚の実施が察知されていないようだ。  以上で報告を終了とする。  期間内にレベル30は達成出来そうだ。ボーナスを忘れるなよ。  定期的に行っている報告で、クレイオ枢機卿が含み笑いのような声で答えた。  通信用魔導具から聞こえる人を苛つかせる声。説法の時の声色とは全く違う声。詐欺である。 「くっくっく、どうやら随分と眼をかけているようじゃないか」 「……目をかけてるんじゃねえ。俺は目的達成に向かって、自分の出来る事をやっているだけだ」  誤解してもらっては困る。  眉を顰め、ひっそりと佇む勇者たちが眠る馬車に視線を向ける。 「もしも今すぐに任を解けるんだったら、さっさと元の仕事に戻りたいくらいだ」 「くっくっく、残念だが、君程の適任を私は他に知らなくてね。教会も大概、人材不足なんだよ。引き続き頼む。何かあったら連絡を入れてくれ」 「……了解」  通信が切れている事を確認し、俺は小さく舌打ちをした。  森の奥から得体の知れない獣の遠吠えが聞こえ、無意識にそちらを睨みつける。  英雄譚で、英雄はすべからく苦難を味わう。  この旅がハッピーエンドで終わるかどうかは、まだわからない。 §§§  これは勇者のパーティだ。  俺はただのそのサポート役であり、敵を倒す事には貢献しない僧侶。  目的さえ達成できれば、それなりの地位と富が約束されるが、その道は酷く険しく、責任は重い。  これは――遊びではないのだ。  結果の見えた物語でも、華々しい勇者の活躍を飾る劇でもない。  だから、俺は……別に、侮蔑するためだとかそういう理由じゃなくて、聞きたい。  ……お前ら、やる気ある? §§§    そして森に入って十一日目の夜、ふいに勇者が言った。 「一端、村まで戻ろうと思う」  現在、ナオのレベルは27。だが、もうレベルが上がりかけているので明日何体か魔物を狩れば28になることだろう。  当初の目標では、二週間で30まで上げるという目標を立てていたが、この目標値も余裕を持って立てられている。魔族が召喚の気配を察知する一ヶ月までに30にできればいいのだ。三日から四日は余裕があったし、馬車を使えば村までの直線距離はそれほど遠くない。  俺は、今まで一度も出ていなかった話を突然出し始めたナオの方をじっと見つめ、眉を潜める。  可能か不可能かで言えば不可能ではなかったし、状況によっては一度村に戻る必要があるかもしれないと考えてはいたが、今のところレベル上げは順調だ。  順調過ぎて、予定にはないアリアとリミスのレベルも少しずつ上げている所である。  焚き火を挟んだ向かい側にある勇者の表情。焚き火の灯に照らされオレンジに輝くその双眸はいつも通り真剣だ。 「レベル30までは篭ってレベル上げをする予定だ。村に戻ればもう一度この地点に来るまでの時間がロスになる」 「でも時間はある。そうでしょ?」 「……確かに時間はある。村で一泊して戻ってきても、目標期間内に30には上げられるだろう」  ナオも強いし、装備も強い。雑草でも刈るかのように魔物を狩るなど、普通のハンターには出来ない事だ。相手が格上ならば尚更の事。レベル上げの効率はかなり高い。  疲れているのかどこか口数の少ないアリアとリミスの方も見る。  体調回復にはヒーリングがあるが、精神的な疲労までは取れない。  今の所、戦闘行為に影響は見えないが、戦えないリミスにストレスが溜まっているのも間違いではない。  後二、三日で目標レベルに達せる。ここで戻るのもきりが悪いが、油断も禁物……か。  余裕のある内に休んだ方がいいのも確かな話。今後、魔族に召喚が気づかれれば更なる激戦になる事だろう。  いきなり言い出した理由はわからないが、このパーティは俺のパーティではなく、ナオのパーティである。  もしかしたら、俺とは違う視点で何かを感じ取ったのかもしれない。  数秒考え、顔をあげた。 「リーダーの意見に従おう」 「……ああ、ありがとう。神聖術も、やっと結界まで覚えたしね」  勇者がキャンプ内をゆっくりと見渡す。  今日張った結界は勇者が張ったものだ。強度は俺のものより低いが、そこは慣れもある。この森に出る魔物程度ならば十分な効果が見込める。 「まぁ、アレスのように足を踏みならすだけでは張れないけど……」 「俺の手法は効率に特化している。聖水で境界を作って張るのが本来のやり方だ」  地面に聖水で線を引き、そこを境界として結界を張る。  大きい範囲を囲めば囲むほど聖水の消費が激しくなるが、明確な範囲指定があった方が低位のプリーストにも境界を張りやすい。  ちなみに、結界は消耗が激しいので、今回使った聖水については俺が作ったものを使った。 「一通り修めたとは言え、まだまだナオの神力は高くない。毎日少しずつ使っていけば、神力の方も徐々に上がっていくはずだ」  レベル上げでも上昇するが、何より神力は神聖術を使えば使う程上昇する。この辺りは魔術を使えば使う程上限が増える魔力の性質と似ている。  プリーストは本来、時間をかけて何度も何度も術を行使し、神力を増やしながら少しずつ使える術の数を増やしていくものだが、ナオは一気に出来るようになってしまった。  そのため、ナオの神力は、同じ術を使える並のプリーストよりもずっと下だ。  まぁ、彼の役割はあくまで攻撃役。少し使うくらいならば問題ない。  下位の術は教えたので順番的には次は中位なのだが、それよりも先に神力を上げるべく下位を頻繁に使わせた方がいいかもしれないな。  真剣な面持ちで話を聞いているナオに、更に続ける。 「ある程度行使に慣れたら、教会で試験を受ければ、神聖術を補助する魔導具が配布される。それを使えば神力の消費も抑えられるだろう」 「補助する魔導具?」 「これだ」  左耳につけている十字と月を模したイヤリングを弾いてみせる。  それは、神の下僕の証であり、僧侶の証であり、神聖術を修めた者の証であり、神聖術の効能を強化し、神力の消費を少しだけ抑える力がある。  この証を持たないプリーストは見習いみたいなものであり、魔物狩りのパーティがプリーストを入れる際の大きな基準になっている。  ナオが眼を見開き、俺のイヤリングを観察する。 「もう……貰えるかな?」 「村に戻って試験を受ければいい。受けるだけなら無料だ。ただし、受かっても魔導具を作ってもらうのに数日かかるから受け取るのはレベルを上げた後だな」  難易度は高いものではないが、今のナオでは受かるのはかなり難しいだろう。神聖術を行使した数が圧倒的に足りていないのだ。  まぁ、受けるなら無料だし、受からなくてもペナルティはない。明日帰った後に受けてみるのも悪くないだろう。ナオはプリーストではないが、自分が今、どの段階にいるのかを知るいい指標となる。 「……試験って何をやるの?」 「試験官の目の前で指定された神聖術を順番に行使していく。俺が教えたものができれば問題ないだろう。最初に貰える魔導具の試験では、教えていない退魔術は必要とされないから、そこは安心していい」 「……最初?」 「使える神聖術のレベルで、何段階かあるんだ。それによって、貰えるイヤリングの形も変わっていく」 「……へぇ」  気になっているのか、ナオの視線が俺のイヤリングを追っている。  残念ながら、このイヤリングは試験を受けたその張本人じゃないと効果がない。特殊な製法で作られており、製作時に本人の血液が使われているのだ。  手持ち無沙汰に、枝を数本、焚き火に入れながら話題を変える。 「帰るなら朝一で帰って一日休み、村で一泊して明後日ここに戻ってくるプランがいいだろう」 「……倒した魔物も売らないとね」 「魔物狩りの斡旋所の近くに専用の売却所があるし、商人たちと直接交渉してもいい。前者が楽だが後者の方が価格が高めになる傾向がある」  そういえば、サバイバルやら戦闘やらで村での動き方については教えていなかったな。  アリアもリミスもお嬢様だ。一般的な常識はどれくらい持っているのだろうか?  焚き火の近くをちょろちょろしていた、ガーネットが不意に俺の方を見上げる。  炎を反射する暗褐色の眼の輝きに、何ともいえない不吉を感じ取り、視線を外した。  懸念点は腐る程あるが、今の所順調だ。きっとこのまま上手くいくはずだ。  八霊三神――この世に存在する主たる精霊神と三柱の神々が勇者に微笑んでいる。 §§§ 「悪いんだけど、アレス……このパーティから抜けてくれないか?」  そして、村に戻った俺は勇者、藤堂直継のパーティを首になった。  死ね! page: 13 第二報告 勇者の足跡とこちらの体制について 第十二レポート:信仰は微塵の役にも立たず  親が神の敬虔な信徒だった。  俺が僧侶になったのは、ただそれだけの理由だ。 §§§  俺は久方ぶりに、自身の絶叫で眼を覚ました。 「死ねええええええええええええええええ!」  視界が開ける。  見覚えのない天井。物の殆どない部屋。  身体全体がじっとりと冷たく湿っていた。初春の早朝、適当に入った安宿のベッドの中は非常に寒い。  反射的に身を起こし、荒い息を吐く。冷たい外気が体内を循環し、少しずつ俺の意識を覚醒させていった。  夢は見なかった。  いや、覚えていないが、見ていたとしてもそれが悪夢だったのは全身にかいた冷たい汗が示している。手で襟元に触れる。そこは、水でも被ったかのようにじっとりと塗れていて、気持ち悪い。 「るせーぞ、おいッ! 何時だと思っていやがるッ!」  ガラの悪い荒い声。隣の壁が、俺の精神にとどめでも刺すかのようにがんとなった。  勇者と泊まった宿とは異なる、一泊千ルクスちょいの安宿の壁は薄い。いや、仮にここが勇者たちと泊まった高級宿だったとしても、今の絶叫は聞こえただろう。  悪夢だ。まさしく、最悪の気分だ。  頭も身体もとてつもなく重い。がんがんと脳を苛む痛みはどこか、死地で感じる警鐘に似ていた。  暗闇の中、強く舌打ちをする。  天気は雨。窓ガラスを大粒の雫が叩いていた。外はまだ闇に包まれており、何一つ見えないがそれはまだ太陽が上っていないせいもあるだろう。  昨晩は朦朧として寝付けなかったはずだが、体内に刻まれたリズムはこんな状況でさえきちんと働いたらしい。  強い吐き気と頭痛。ただでさせ陰鬱になりそうな湿った空気がそれを助長している。  頭を抑え、俺は誰もいない空中を殺意を込めて睨みつけ、状態異常回復魔法を使った。  吐き気と頭痛が消える。だが、気分は微塵も良くならなかった。  大丈夫。まだ俺は冷静だ。  自分に言い聞かせるように呟く。何度も。何度も。  その心の奥底に刻みつけるように。  呟く事数分、ようやく少し頭が冷えた気がして、俺はシャワーを浴びる事にした。  もしかしたら汗と一緒にこの憤懣も流れ落ちてくれるかもしれない。 §§§ 「悪いんだけど、アレス……このパーティから抜けてくれないか?」  馬車を駆る事数時間、ヴェール村に戻った俺は、ナオに呼び出された。  場所は以前、村長の厚意で取ってもらった宿と同じ宿。リミスとアリアは宿につくや否や、自室に行ってしまい、部屋に残されたのは俺だけだ。  強烈な違和感を感じた。その正体に気づいたのは、ナオが口を開き始めてからだった。  そう、ナオは、出会ってからその瞬間まで……一度も俺と二人きりになっていなかったのだ。  神聖術を教えるその瞬間でさえ、リミスとアリアが付き添っていた。  俺はその瞬間、初めてナオと一対一で向かい合っていた。  唐突に出されたその言葉は俺にとって完全な予想外で、一瞬何を言っているのかわからなくなったのも無理はないだろう。  何しろ俺は、国に代わり教会が選定した――勇者パーティのプリーストだったのだから。  もちろん、聖勇者その人の意志が最大限に尊重されるとは知っていても、普通はよほど大きな問題でもなければ、国の選んだ人材を放逐したりはしない。  ナオの表情はいつも通り真剣で、その漆黒の瞳は憎たらしい程にその強い意志を示している。  普通、追い出したりはしない。その常識が冷静な思考を阻害した。だからその瞬間、俺にあったのは怒りではなく純粋な疑問だった。 「何でだ?」  間抜けな俺の疑問に、ナオが動揺一つない落ち着いた声で答えた。  まるで、道理でも説くかのように。 「必要なくなったからさ。馬車もリミスが動かせるし、野営の知識も大体頭に入っている。神聖術も、僕が使えるようになった」  意味がわからない。最下位の祈祷を出来るようになった所で、魔王討伐にどれほどの効果があろうか。  ナオの加護は確かに強力だったが、俺の神聖術とナオの神聖術ではまだまだ天と地程の差異がある。僅か十日の訓練で埋められる程、俺の経験は安くない。 「アレス、君には世話になった。君の性格は僕とは合わなかったが、それでも十分な働きだったよ。特に、初めに会った時は――自分の技術を僕に教えてくれるとは思わなかった」  淡々と述べられる言葉も理解できない。  頭は悍ましい程に冷え切っていた。だが、その正体が冷静さではなく、あまりに俺の道理に反していたためだという事に気づかなかった。  ただ、理解は出来なくとも、口は勝手に開いていた。 「教えるのは当然の事だ。俺の任務はナオ、お前が魔王を討伐するまでのサポートにある。勝率を上げるためなら何だってする」 「そういうドライな所が好きじゃないんだ」 「俺の役目はお前に好かれる事じゃない」  すらすらと出てくる言葉に感情はついていかない。  まるで我儘を言う子供を見ているかのような気分だった。俺にその権利があったとするのならば、俺はナオの代わりに次の勇者召喚を望んだだろう。力だけ強くても魔王は倒せまい。  ナオが、嫌悪感からか眉目を歪める。その目つきは、嘗てナオが俺に対して殺気を放ったその瞬間の目つきに酷似している。  だが、そのような事を気にしている暇もない。脳は勝手に次の事を考えてきた。考えなければ生きてこれなかった俺の思考機能は神聖術と同様に効率に特化している。 「回復と攻撃、両立出来ると思っているのか?」 「出来るさ。僕は勇者だ」 「それは傲慢だ。その両立はかなり難易度が高いし、勇者の役割でもない」  神力と魔力は競合する。神聖術と魔術は同時に使用することができない。  レベルが高くなるにつれ、人間は魔力を有効活用しなくては戦っていけなくなる。戦闘中に神聖術を使用する余裕はなくなるだろう。  勇者は、ただ淡々と告げられる俺の言葉に、唇を歪める。 「……少なくとも、最低限の事は出来る」  いや、無理だね。ナオじゃまだ無理だ。将来はできるようになるかもしれないが、まだ無理。  神聖術をあっさり使えるようになって天狗になっているのだろうか。いや、その言葉を反芻してみると、ナオはどうやらもともと、このつもりだったように聞こえる。  俺の表情から何かを察したのか、まるで言い訳でもするかのようにナオが続ける。 「大体、今の時点でアレスの神聖術は戦闘中に役に立っていない。戦闘後の傷の治療くらい、僕の魔法でも出来る。そうだろ?」 「いや、無理だ。俺の代わりに回復までやるとなると、お前の消耗が激しくなる。戦闘のペースを、レベル上げのペースを落とす事になるだろう。それは魔族に対して付け入る隙を与える」  一度目を瞑り、ナオがゆっくりと瞼を開く。  次にその口から放たれた言葉には力があった。 「それくらい……覚悟の上だ」  覚悟の上。その言葉どおり、その声には強い意志があった。絶対に我を通すという鋼鉄の意志が。  その瞬間、俺は全てがどうでもよくなった。これは俺には――崩せない。これを崩そうとするのは効率的ではない。  何故そのような事を言い出したのか、詳しい事情は知らない。  ナオの持つ元来の性格である勇猛さと無謀さ、勇者として召喚された自負の全てがそこには篭っていた。  煮込みに煮込んで濃縮した闇のような濁った漆黒の眼。何故、どうしてそこまで無謀になれるのか、俺にはわからない。わからないが、それもどうでもいいと思った。  俺には聖勇者に反論する権利があるが、従う義務もまたある。それは教義で決まっている。  勇者の唇がやや持ち上がり、歪な笑みを作る。  が、その眼は微塵も笑っていない。 「ここだけの話、もともと僕は――パーティメンバーを皆女の子にしてもらう必要だったんだ。そういう条件を王国側に出していた」 「そうか」 「それなのに、何故か僧侶だけ君だった。敬虔な信徒ならば問題ない、と。結果的に、君は優秀だったけど、でも駄目なんだ。そういう問題じゃない。女の子がいいんだよ、僕は」  下らない理由だ。  俺にはその条件が、世界の命運と天秤にかけるに相応しいものなのか、判断できない。 「二つ、条件がある」  ナオの述べる戯れ言を完全に無視し、二本指を立てる。  心臓の鼓動は乱れず、俺の眼はきっと今、敵対する闇の眷属を見るような眼になっている事だろう。  が、そのような事ももはや関係ない。死ね。 「条……件?」 「ああ」  訝しげな表情をするナオに、しっかり聞こえるように言う。  それが俺が出来る、せめてもの最後の責任だ。  まず一つ目。 「まず一つ目。明日朝一で新しい僧侶を探して仲間に入れろ」 「……それは――」  言い淀むナオ。  その言葉こそが、彼がまだ新米の傭兵程の知識も持っていない事を示している。もし彼が知識を持っていたのならば、「当然だ」と答えていたはずだ。 「パーティに回復は必須だ。ヒーラーがいなければ、お前たちは遠からず全滅する事になる」  この十日間あまり、ナオが殆ど傷を受けずに戦ってこれたのは間違いなくその天稟故である。  だが逆に、アリアの方は、俺がいなければ小さな傷が積み重なって死んでいたはずだ。傷は動きの悪化を招く。プリーストがいなければ、消耗品である回復薬のストックがその生命とイコールになってくる。  最後の言葉くらいは聞き入れる気はあるのか、沈黙するナオに強くいいつける。 「僧侶が仲間になるまでは――街から出るな」 「……アレス、君は、君を追い出す僕に忠告するんだね」  下らない。下らない。何もかもが下らない。  頭が冷たい、心臓も冷たい。このままでは命が停止してしまいそうだ。  そしてきっと俺は、命が停止しても気づかずに動き続ける事だろう。そのくらい、俺の身体は、言葉は今、効率的に動いている。  出てくる声も平静だ。平静でそして、あらゆる感情を廃した平坦。 「勘違いするな。これは好意ではなく――信仰だ」 「信……仰」 「あいにく、俺は秩序神アズ・グリードの――忠実な信徒なんでな」  部屋の片隅においてあったバトルメイスを握る。全身が白銀色の金属で作られた、魔族の頭蓋をぶち砕く為の凶器。  帯剣していない、鎧も盾も持っていない今のナオなら一撃で殺せるが、そんな事をしても意味はない。無駄に状況を悪化させるだけだ。  肩に担ぐと、まだ開けていなかった自分の荷物の入ったリュックを背負い、出口に向かう。既にここに居る理由はない。  聖勇者、藤堂直継の色のない視線がただ俺を追っていた。  すれ違いざまに、藤堂が心の篭っていない声で形ばかりの謝罪をする。 「悪いとは思っているよ。国から貰った準備金について、四分の一をあげよう」  準備金の四分の一。その金額にして、俺がクレイオ受け取るはずだったボーナスの倍はあるだろう。  微かに首を曲げ、後ろを振り返り、藤堂の目を見た。 「いらん。お前の勝利に投資しといてやる。次の僧侶の装備でも買ってやるんだな」 「……あ、ああ……わかった」  魂がどこかに飛んでいきそうになるくらいに心が軽い。  虚無感、とでも言うのだろうか。悟りを開いてしまいそうだ。  扉を締めかける俺に、ナオが最後の言葉をかけてくる。 「……待った、アレス。まだ……二つ目の条件を聞いていないよ」  何だそんな事か。  俺は、振り向いて笑顔を作ると、本来言うまでもない最後の条件を言った。 「絶対に魔王を倒せ」  そこからどこをどう歩いたのかはよく覚えていない。  俺は夢遊病者のように歩き、その辺にある安宿に部屋を取ると、通信を繋ぎ、クレイオの一歩手前の交換手に、枢機卿に勇者パーティから追い出された事を伝えるように言伝を頼むと、まだ切れていないその魔導具を引きちぎるように外してテーブルにぶん投げ、ベッドの上に倒れこむようにして横になった。  泥のような睡眠が、死のように足首を掴み俺を引きずり込み、眼が覚めた時には冷静になっていた。  そうだ、今の俺は冷静だ。  何しろ、今の俺にははっきりとわかる。  藤堂と話していた時のあの感情が冷静さでも悟りでもなく、理性をも崩壊させる耐え難き『怒り』と『絶望』であったという事が。  そして、あの時冷静でなくてよかった。もし藤堂と話していた時に今の感情を理解出来ていたとするのならば俺は――あいつの頭蓋を叩き割っていたかもしれない。 §§§  恐らく、僧侶のソロだったから、宿の従業員から何か事情ありと思われたのだろう。  払った値段にしてはかなり上等な浴室で熱いシャワーを頭から浴びる。  全身を絶え間なく流れ落ちるお湯。視界を遮る雫のその向こう、鏡の中では、ぼやけていてもはっきりわかるくらいに歪んだ俺の顔が映っていた。ただでさえ悪い目つきが更に悪くなっている。どう甘めに見積もってもそれは、人殺しの眼だった。  もし、昨日宿に駆け込んだ際にこの表情をしていたとするのならば、随分と宿の者を怖がらせてしまった事だろう。  ただ何となく舌を出し、流れ落ちるお湯を舐めとる。  憤懣は消えない。消えるわけがない。俺はベストを尽くした。問題も多分なかった。関係性は良くはなかったが許容範囲内だろう。あいつは何と言った? 女にする予定だった、確かにそう言ったのだ。同じ男として理解できなくもないが下らない。  だが同時に、その憤懣が消えないにしても多少は治まってくるのもまた、わかった。何故か? もう考えても意味が無いことだからだ。それは『効率的』ではない。  教義としては、勇者の命令は上司のそれを上回る。抜けろと言われたら俺は抜けるしかない。例えそれが、藤堂を見捨てる事に繋がったとしても。 「くそったれが……ここまで虚仮にされたのは久しぶりだ」  試しに出してみる勢いのある言葉にもどこか力がない。いや、力がないと思い込む事にした。  神なんていない。いたとしても俺には興味がない。それを実感したのはもう十年以上前の事だ。  だから魔物も食らうし刃も持つ。人も殺すし煙草も吸えば酒も飲み女も抱く。  実は教義なんてどうでも良かった。俺が聖穢卿――クレイオ・エイメンに従っていたのはそれがビジネスであり、そしてそれが俺の誇りだったからだ。  だから、本音を言えば勇者の命令を反故にしても構わなかった。無理やり抜ける事を拒んでも構わなかった。その必要があるのならば、勇者殺しでさえ――躊躇うつもりはない。  上部から絶え間なく、まるで大雨のようにお湯を落としていた魔導具を止める。  ただ、雫が頬、肩、胸筋、腹、下半身を伝い落ちるに任せたままで、俺は大きく深呼吸して呼吸を整えた。  目頭を摘んで揉みほぐし、目つきを整える。殺人鬼の眼から、機嫌が悪ければうっかり人を殺しそうな男の眼へ。  その後、大きくため息をつき、心を落ち着けた。  感情をお湯に溶かされ、残ったのは教会の持つ武力組織『特殊異端殲滅教会』の一員である特殊僧兵の一人だけだ。  唇を舐め、乾いたタオルで頭を拭く。  もう一度、クレイオに直接連絡せねばなるまい。昨日のあれは報告などと呼べない。  浴室から出て、いつも通りの身支度をいつもよりも心なしか遅めに終えた頃には、既に日が上っていた。  その時、初めて俺は日課の祈祷を忘れている事に気づいたのだ。 page: 14 第十三レポート:さりとて宿命はその手にあり 「昨日は悪かったな……」  安っぽい木で出来た、宿の受付に立つ従業員に声をかける。  部屋も勇者と一緒に泊まった宿と比較すると遥かにグレードが低かったが、エントランスも値段相応に古びていた。  清掃は定期的にきちんとなされているのだろう、清潔感こそあれど、しかし木造のその建物の経年劣化は隠し切れていない。  だが、ここは魔物狩りの村、需要はかなり高いのだろう。  まだレベルが低く、寝床に高い金を使えない傭兵たちの姿が、併設されている食堂兼酒場に屯しているのが見える。   「いえいえ……大分顔色の方もよくなったようで……」  俺の言葉に、ブラウンの髪をした少し痩せた女従業員が苦笑いで答えた。  やはり昨日チェックインした時に顔を覚えられていたらしい。 「……そんなに顔色、悪かったか?」 「……ええ、まぁ……教会から僧侶を呼ぶ必要があるか迷いましたね」 「……そうか」  僧侶のために僧侶を呼ばれてちゃ世話ねえな。  袋から財布を取り出し、小金貨……一万ルクス硬貨をカウンターにぱちりと置く。宿屋は基本チェックイン時に代金を支払うルールで、ここの宿代も昨日払ったが、これはまた別口だ。  金持ちなわけでもないが、俺には勇者に預けられた準備金がなくとも、教会から別口で給料が与えられている。 「部屋のグレードが高かっただろう。差額だ。釣りはいらん」  一般的に、安い部屋に浴室はなく、シャワー付きの部屋は普通の部屋よりも高い。  いくら高いかはわからないが、一万ルクスよりも高いという事はないだろう。  従業員が、差し出した薄汚れている小さな金貨を見て、明るい茶色の眼を丸くする。 「……いえ、ちょうど部屋が開いていたので……」 「なら、チップ代として取っておけ。夜中に騒いでしまったしな」  さすがにあれで宿の評判が落ちるような事はないと思いたいが。  視線を金貨から俺に移し、戸惑うような笑みを浮かべる。  ちらちらとその視線が俺の左耳を捉えている。 「僧侶を救うのはアズ・グリードの信徒として当然です」  教義は末端にまで浸透している。  ただし、その教義をどう捉えるかは人次第だ。粗雑に扱う者もいれば助けてくれる者もいる。分類的には半々といった所だろうか。  従業員の少しこけた頬に視線を向ける。 「信徒を救うのは僧侶として当然の義務だ。俺は金がある。あんたはもう少しちゃんと食事を取った方がいい」  貸しは作っても、借りを作るつもりはない。  それは俺の刃を鈍らせる。これはビジネスだ。追加でサービスを受けた分を支払うくらいの金は持っている。 「は……はい。ありがとうございます」  視線に圧されたように、従業員がゆっくりと、細い指先で金貨をつまみ、それをカウンター内の箱の中に入れた。  この従業員は恐らく雇われただけだろう。チップだというのに懐に入れないその行為を美徳というべきか否か。  いずれにしても、行動はいつか結果として返ってくる事だろう。  赤の他人の俺がつべこべ言うような事ではない。 §§§  食堂の席に着き、酒と軽食を頼む。  魔物狩りは基本的に一人で行うものではない。傭兵たちは各々、固定のメンバー、パーティを組んで行動する事になるが、まだ固定のメンバーを作っていない新米のハンターはコネや実力、あるいは大規模な傭兵団の面談を経てパーティに参加する事になる。  一度パーティを作ってしまえば、コミュニケーションを高める意味もあり、その集団で同じ宿を取ることになる。食堂内にはもうとっくに日が登っているにも関わらず傭兵たちが何グループかいたが、一人でいるのは俺だけだ。  勇者のパーティに入っていた時には酒は断じていた。  思考の僅かなぶれが及ぼすあまりにも大きな影響を考えると、勇者パーティでその娯楽を嗜むのは効率的ではない。  運ばれてきた波波と満たされたゴブレット。琥珀色の液体に唇につける。久方ぶりの酒は、何故か味がしなかったが、発生した熱は思考に景気をつけるに十分だ。  一息に注がれた全てを嚥下すると、追加を頼んで、俺はようやく袋の中から通信用の魔導具を取り出した。  昨日はこちらから強制的に切断してしまった。イヤリング――金の細工の中心に埋め込まれた黒の石が僅かに白んでいる。  基本的に魔導具は魔力を込めなければ発動できない。やや薄白く変色したそれは、教会側から通信が来ているという証拠だった。  切断したままだと教会からメッセンジャーが派遣されてくるかもしれない。一度ため息をつき、イヤリングを右耳につける。  ほぼ同時に、通信が復活したのを感じた。乾いた唇を舐める。 「アレスだ」 「!!」  目に見えなくても伝わってくる動揺の気配。  続いて、いつも通りの冷たい女の声――交換手の声が返ってくる。  だが、その声はいつもより心なしか乱れていたようだった。 「……ああ。無事でしたか」 「無事じゃないが、まぁ何とか生きているな。昨日はいきなり悪かった」 「体調は復調したようですね。問題ないようで何よりです」  謝罪に対して返ってくる言葉短な返答。  効率的。効率的だが、心配をかけたのは確からしい。いつもなら二言三言の会話すらないのだから。  俺は再び運ばれてきた、ただ強いだけの酒を舐め、思考に油をさす。  問題ない? 問題だらけだ。  もう俺には関係ないとはいえ、その問題は消えていないのだ。  あの藤堂直継のパーティに命運がかかっているという問題は。 「枢機卿に代わります」  通信が切り替わる。  意識も切り替わる。周りの食堂の喧騒ももはや気にならない。 「アレスか。無事だったようだな」 「ああ。まぁ、状況はあまり芳しくないな」  聞こえてくるクレイオの声色はいつもと何一つ変わらない。  俺を推薦した奴にとって、俺が首になるというのは大事件なはずだが、微塵も見せない動揺は流石、海千山千の教会上層部で生き抜いてきた男というべきか。 「オペレーターから聞いていると思うが、勇者パーティを追い出された」 「ああ、聞いているよ。全く、面倒な事をしてくれた……くっくっく、プリーストが勇者に追い出されるとは……前代未聞だ」  押し殺した笑い声からはしかし、愉悦の感情は伝わってこない。  黙ったまま言葉を待った。やがて、クレイオが一言問う。 「アレス。今の藤堂直継で魔王は倒せるか?」 「冗談だろ? まだレベル30にもなってないだぞ? 前回報告した通り才能はかなり高いが、魔族と戦うには絶対的に自力が足りてない。自殺行為だ」  俺達がここ十日あまりで倒したあれは『獣』である。  俺達の倒すべき相手は獣ではない。人と同等以上の知性を持つ悪魔だ。そもそものステージが違う。まだ前座すら終わっていないのだ。  そして、一刻も早くレベルを上げなければ相手は上位の魔族を局所的に派遣し、一気に勇者を殺そうとするだろう。  召喚の儀式を察知されたとしても、勇者の場所がすぐにバレるわけではない。  むしろ、バレないように人間側でも勇者の存在はごく一部の上層部を除いて秘匿されている。 「今、勇者のパーティには僧侶がいない。見つけるまでレベル上げをするなとは言ってあるが、すぐに代わりを見つけられるとも思えない。一刻も早く代替の僧侶を派遣してくれ」  特にまずいのは回復役の僧侶が不在という事実。  これがアタッカーである魔導師ならばまだ他の攻撃職で代替できた。剣士ならば代わりは更にいくらでもいる。  藤堂のプリーストとしてのスキルはまだまだ未熟だ。回復薬はランクにもよるが高価で貴重だし、僧侶がいなければ生存力が大きく下がる。  だが、返ってきた答えは俺の想定とは異なっていた。 「アレス。君の任務はまだ終わっていない」 「……は?」  クレイオはアズ・グリード神聖教の枢機卿だ。誰よりもプリーストの重要性を知っている。  当然、即座にイエスと返ってくると思っていた。その返答に、呆然とする。  ゴブレットの表面、注がれた液体が刻む水面をじっと見つめる。見つめて、答えを待つ。  クレイオは欠片もふざけた様子もなく、ふざけた事を言った。 「これは試練だよ。アレス、代わりはいない。教会側から出すつもりはない」 「……何の冗談だ? 俺は藤堂の命令で追い出されたんだ」 「逆に言えば、まだ追い出されただけだ。アレス、君に出された命令を覚えているか?」  理解できない。  教会は勇者の味方じゃないのか? 勇者のパーティは今や風前の灯だ。  僧侶の数は少なく、傭兵となると更に希少になる。さらに高レベルでパーティ未所属となると、砂漠で一粒の砂粒を見つけるようなものだ。勇者の名を公に使えない藤堂に入れられるプリーストなんて駈け出し中の駆け出しくらいだろう。  そして、傭兵以外の高レベルの僧侶の殆どは教会側が握っていて、教会の斡旋なくしてパーティに追加はできない。  藤堂にプリーストなしで魔王を倒せ、と?  いかれてる。死にに行かせるようなものだ。そして、藤堂のパーティが全滅する時、当然だが国の重鎮の娘であるリミスとアリアも死ぬ事になる。  必死に思考を巡らせる俺に、再度クレイオが問う。 「命令を復唱したまえ」 「……聖勇者、藤堂直継をサポートし、魔王クラノスを討伐せよ、だ」  単純かつ明快な、成果を求められる教会に相応しい命令。  言葉を発するに連れ、嫌な予感が全身を貫く。  魔王クラノスを討伐せよ。魔王クラノスを討伐せよ。藤堂直継をサポートし、魔王クラノスを討伐せよ。 「アレス、君風に言うならば、魔王討伐は……ビジネスだよ」 「ビジ……ネス」  敬虔な信徒が聞いたら目の玉が飛び出るような聖穢卿の言葉が脳裏に反響する。 「教会はルークス王国の申請に従い、聖勇者、藤堂直継を召喚し、そして更に魔王討伐に相応しい僧侶――アレス・クラウンを『投資』した。これは商売と同じだ。尤も、ルークス側にとっては進退窮まる状況だったようだが、それはまぁ我々には関係ない」  『関係ない』  あまりにドライなその言葉を勇者が聞いたら、どれだけ激高することだろうか。  そうだ。教会は国境とは無関係。ルークス王国にも教会支部はあるし信徒は数えきれない程いるが、教会総本山にとってはそれは小さな問題でしかない。  何故ならば、ルークス王国イコール人族ではないのだから。  クレイオが淡々と続ける。  奴は俺以上の破戒僧だ。いや……神とは必ずしも個人の味方ではないという事か。 「我々は神の使徒だ。結果だよ、アレス。『最終的』に勝てばいい。局所的な敗北など……考慮に値しない。教会側は既に勇者に対して最善を尽くした。もしそれで問題があるとすればそれは――神が聖勇者に課した試練だ」 「……」 「もちろん、敗北を黙って見ているわけでもない。アレス、程々にやりたまえ。大丈夫、人族に破滅が迫ればまた別の国が英雄召喚の実施を望むだろう」  つまり、藤堂に如何に才能があったとしても、所詮は代わりがいる勇者だという事。  代わりがいるという事は知っていた。理解していた。教会側である俺に与えられた情報は多分、勇者に与えられた情報よりもずっと多い。だがこれは……  沈黙を守る俺にクレイオがもう一度述べる。 「アレス、命令の意味はわかっているね?」  冷たい問いが、アルコールにより回りかけた熱を溶かす。  既に理解できていた。クレイオは俺と同様に効率を求める男。  俺に下された命令は『聖勇者、藤堂直継をサポートし、魔王クラノスを討伐せよ』、だ。  唇を噛む。押し殺すような声が出た。 「……まだ終わっていないという事か」  通信の向こうで乾いた拍手の音が聞こえる。  唇を噛み、ゴブレットの中身を全て煽った。酒を飲まなければやってられない。 「その通りだ、アレス。君のその理解力の良さは教会屈指だ。教会の老いぼれと首をすげ替えたいくらいだよ」  ふざけろ。お前が言ったのだ。まだ終わっていない、と。 「クレイオ、貴様……俺がパーティを首になるであろう事を知っていたな?」 「藤堂直継は女のプリーストを望んでいた。それだけだ。全てには理由がある。藤堂が女を望んだのも、魔導院と剣武院が未熟者を差し出したのも、そして――我々が君を出したのも」  効率的ではない。  この会話は全くもって効率的ではない。  もったいぶった会話など不要だ。真実のみを話せ。 「アレス。君の仕事の本領はここからだ。もちろん、藤堂が心変わりしたのならばそのままで構わなかったが――命令を上書きする。これはビジネスだ。ビジネスが結果のみを求める事を、君は良く知っているだろう?」 「……ああ」  くそったれ。そういう事か。  今更ながら、俺はこの任務の難易度を見誤っていた事を知った。  力を入れすぎて、握ったままだったゴブレットに罅が入る。 「アレス、藤堂直継をサポートし、魔王クラノスを討伐せよ。下らぬ私情で交代を求める勇者に代わりのプリーストを投資する余裕はない。アレス、これは君の得意なビジネスだ。神への逆徒を討伐するのは君の得意分野だ」 「……チッ。……人出が足りない」  即座に返答が返ってきた。恐らく、クレイオはこの答えを予測していたのだろう。 「……ならば、アレス、『君』に投資しよう。君に従順なプリーストを。アレス・クラウン。神のご加護があらん事を」 「死ね」  通信が途切れ、喧騒が戻ってくる。  これは試練だ。今までにないでかい山だ。  俺はこのビジネスを何としてでも完遂せねばならない。  目の前の空のゴブレットには、凄まじいまでの憎悪を秘めた俺の顔が写っている。  俺は、藤堂のパーティをその外からサポートし、奴らの魔王討伐を完遂させねばならない。 page: 15 第十四レポート:その敵は魔だけにあらず  かつてこれほどまでに高難易度の依頼はなかったのではないだろうか。  ただ魔王を討伐するだけでも英雄的な所業だというのに、それを影から支えて達成しなくてはならないという難事業。  教会側の考えもわからないでもないが、本音を言わせてもらうと――馬鹿げてる。  どの英雄譚の中でも、英雄は度々常人では耐え難き苦難に見まわれ、しかし乗り越え、その栄光を世に知らしめていく。  もしかしたら、それら英雄譚の中にも、名すら広まらない影からこそこそ正義をサポートしていた者がいたのかもしれない。  枢機卿の言葉を思い出すと、自然と舌打ちが出た。  見えないのに、どんな表情をして出した言葉なのか予想がつく。  きっと、唇を歪めたようなにやけた笑みで出したに違いない。あの男はそういう男だった。 「……チッ。あの野郎……何が程々に、だ」  ビジネスだ、とクレイオは言った。だが同時に、程々にやれ、とも言われている。  そのビジネスの重要度は彼自身の中では――高くないのだろう。勝てばよし。負けても他に打てる手はある、そういうレベルのビジネス。  神の使徒。  どこまで本気なのかは知らんが、俺は俺の出来る事をやるだけだ。  魔王討伐の成否は、藤堂直継がどれだけ運命を引き寄せられるかにかかっている。  直情的にして正義感。馬鹿ではなく才能もあるが、融通の利かない聖勇者。  恨みがないといえば嘘になるが、それはもういい。  人は変わる。教義でもそう説かれている。  汝、他者の過ちを許せ。  許せ? 違う。これが俺のビジネスだ。  あの放っておけば簡単に死にかねない、俺から言わせてもらえれば『愚か』な勇者を本物の勇者にするというビジネス。  たかが人の身で運命でも操れるかのような錯覚でも抱いているか? 否。運命など存在しない。  伝説にならずに打ち崩れるそれを本物の伝説に作り直す。放っておけば勝手に辿るであろう聖勇者が神に課された運命を変える。人によっては神への叛意だとみなされるかもしれない。  俺は何故、聖勇者のパーティに自分が選ばれたのか、改めて理解していた。  始まりの記憶。  プリーストになる直前、神の描かれた聖なる札を躊躇わずに踏み躙ったその時の思い出を俺は、忘れた事がない。 §§§  プリーストは正式に一人前になると、教会からその証と武具を賜われる。  聖職者は教義によって他者を殺傷する刃物を持ち歩くことを許されない。賜われる武具は昆の一種――俗に呼ばれるメイスと呼称されるものだ。  俺達、プリーストはその賜われたメイスに自ら祝福をかけ、それを神の武器に強化していく。祝福を掛けられた武具は闇を払う力があり、その強さは術者の信仰の強さに比例する。  プリーストは殺害を好まない。祝福を受けたそのメイスも祈祷のための祭具の意味が強く、打撲武器としても扱うがその時もどちらかと言うと制圧や護身の方に重きを置く。  アズ・グリード神聖教の聖職者にとって、メイスは己の信仰の具現であり、誇りそのものだ。  故に俺は、それで数々の闇に傅くものを葬り去ってきた。他のプリーストではなかなか見られない長い棘の生えた柄頭は、他のプリーストとは異なる『異端を葬り去る』という俺の信仰の証でもある。  いざという時は、サポートという本懐を捨ててそれで敵を撲殺する予定だったが、パーティの外からではもうそれも出来ない。  まずは勇者の動向を知る必要があった。  藤堂直継はこの世界の常識をあまり良く知らない。追い出すほどに嫌っていた俺の忠告をどこまで聞き入れるかもわからない。  リーダーの無知を正すのはパーティメンバーの仕事だが、リミスとアリアもお嬢様だ。本来、魔物狩りなんぞを生業にする必要もないお嬢様。その感覚は世間一般とは異なる。  湯水の如く金を持ち、武器防具が足りなければ努力なくそれを与えられ、必要とあらば優秀なメンバーをさえ斡旋される。恐らく彼女達がいた世界はそういう世界で、これから出る世界はそういう世界ではない。  敵は決して魔物だけではない。それをきっと、藤堂達は思う存分知る事だろう。  宿を出て向かった先は、傭兵たちの斡旋所だ。  魔物狩りを生業とするものは仲間を探す時、第一にそこを訪れる。  レベル、職、目的。  数多の傭兵たちが富や栄光、力を求めそこに集い、志を同じくする仲間を探している。  既にパーティを組んで活動している傭兵たちもまた、商売仲間たちからの情報を求め、度々そこを訪れる事になる。  その歴史は非常に古く、英雄たちの物語がその斡旋所――通称、テュラーから始まるのは誰しもが知る所だろう。  ヴェール村には斡旋所が多数存在するが、藤堂が求めるプリーストが高レベルのプリーストだとしたら、向かう先は想像がついていた。もし仮に藤堂達がその知識を持っていなかったとしても、宿の者に聞けば確実にそこを教えられるはずだ。  向かう前に、一般人向けの服屋で厚手の茶色のフード付きコートを購入し、法衣の上から着こむ。藤堂に放逐された今、顔を見られるのはいい影響を与えないだろう。  フードを被って道を急いでいると、途中で露天で並んでいた仮面が目についた。顔全体を隠す、白の仮面だ。笑っているかのような三日月に開けられた眼と口の穴。  被れば表情を隠すこともできるが、目元だけならば兎も角、顔全体を隠す仮面はあまりにも怪しく、目立つ。顔に傷がある者だって被らないし、顔が割れた犯罪者だって被らないだろう。目元だけならば兎も角、顔全体ではアクセサリーとしても認められない。  それをつけた自分の姿を想像する。  どう考えても変質者だが、今更な話。逆にあれを被って何か話せば、印象には残るだろう。俺ならば間違いなく残る。それがいい印象かどうかはまた別の話だが。  一瞬、俺の中のプライドが挫けそうになったが、買ったからといって使わなくてもいいのだ。    小銭を出し、仮面を指指して購入の意思を伝えると、何でプリーストがこんな物を、と言わんばかりの怪訝な眼で見られた。まさか売る側も、プリーストが買うとは思わなかったのだろう。放っておけ。  歩くこと十数分、辿り着いたのは十日前にグレイシャル・プラントを倒してくれるハンターを探して訪れた斡旋所だ。  買ったばかりの仮面を被るか迷ったが、結局被るのをやめた。勇者と遭遇する可能性は高くない。ちょっと覗いて勇者がいたらその時は――フードを深く被って身を潜める事にしよう。  一人の傭兵が入っていく、その後ろについてこっそりと扉を潜る。  日が完全に上っている事もあり、斡旋所の中で屯するハンターの数は前回来た時程多くない。尤も、前回はグレイシャル・プラントの影響もあったので特別、待機しているハンターが多かっただけかもしれないが。  どこかテーブルを囲むハンター達の空気は前回よりも沸き立っていた。  周囲をそっと観察するが、勇者の姿はない。受付のカウンターにも、併設されている酒場のような待機所にも。藤堂の華奢な容姿は屈強な傭兵たちの中では特別に目立つ。ましてや、連れ立っているアリアとリミスの美貌はそれ以上だろう。  テーブルを囲み、待機している傭兵たちの中に、グレイシャル・プラントの討伐を依頼したトマス・グレゴリーの姿を見つけた。  まだこの地にいたのか……もうとっくに適正レベルは超えているだろうに。  前回のグレイシャル・プラントの金がまだ残っているのだろう。そのテーブルに乗った酒と料理は他の傭兵グループより二段階程豪華なものだ。  フードを深く被り、何やら粗雑な笑い声を上げているトマス達一行の元に近づく。 「トマス」 「あ? 何だぁ?」  いきなりの乱入者に、卓を囲んでいたメンバーの視線が集中する。その中で、ゆっくりとフードを少し上げた。  トマスが目を丸くし、破顔する。笑い声と共に唾が飛んできて、顔を顰める。 「がははははは、なんでい、アレスじゃねーか。その格好はファッションか?」 「ああ。好きでやってるんだ、気にしないでくれ。そっちは調子が良さそうだな」  リーダーのトマス・グレゴリー。メンバーのグスタフ、ダミアン、エリック、マリナ。  それぞれ、どこかしらの装備が以前会った時から一新されている。  料理のグレード然り、酒のグレード然り、氷樹小竜の死骸は随分と高く売れたようだ。  相変わらず、リミスの倍程の体躯を持つ巨漢女――マリナがにやりと残虐な笑みを浮かべる。 「もう、あたいらも亜竜とは言え、竜殺しだからねえ。武器も新しくしちまった。前まで愛用してた戦斧は英雄の持つような武器じゃねえ」  あんたの面は英雄の面じゃねえ。赤ん坊が見たら泣いちまう。  その言葉を飲み込み、マリナの側の武器にちらりと視線を向ける。  マリナの傍らに置かれていたのは前回まで持っていた無骨で巨大な斧ではない。スマートな装飾のなされた白銀色に磨かれた長柄武器。先端につけられたのは黒色の斧頭と刺突用の針。斧槍と呼ばれる武器だ。僧侶により加護が付与されているのだろう。その刃に灯る輝きは闇を払う武器特有のものだった。  自慢気な表情でマリナが続ける。 「くっくっく、金槌工房の新作だよ。思い切って買っちまった、おかげで竜殺しの報酬が吹っ飛んで財布が元の通り、すっからかんさ。と言っても、惜しくはねえ。竜殺しの名を頼る依頼者なんぞごろごろいる。すぐにまた貯まるだろう。アレス、あんたは幸運の使者だよ」 「そうか」  それは良かった。  俺が幸運の使者……ならば、その幸運の使者とやらにも少しは幸運が訪れてもいい気がするが、案外人生なんてそういうもんなのかもしれない。 「世辞はいらん。あれはビジネスだった」 「相変わらずだな。そんで、アレス。俺達に何か用か? 報酬ならもう全部使い切っちまったぞ?」  トマスが髭で覆われた顎をこすり、その赤く濁った虹彩で俺を見上げる。 「今更たかろうとなんて思っていない。金に困ってるわけでもない」 「ハイ・プリースト様は言うことが違うねえ……なら、どういう理由で? また何か依頼かい? いや……あんたにもパーティメンバーがいるようじゃないか?」  そういえば一度道ですれ違ったか。  俺は眉を潜め、深いため息をついた。 「いや……残念ながらパーティは首になった」 「……は?」  マリナが愕然と眼を見開き、じろじろと俺の顔を舐め回すように見る。  よほど意外だったのか、黙ったまま盃を傾けていたダミアンも、居心地が悪そうに俺の話を聞いていたエリックもぽかんと口を開けて俺の話を聞いている。  数秒の沈黙。  俺の表情からその言葉が真実だと読み取ったのか、トマスが呆れたように首を捻った。 「おいおい……何でハイ・プリーストがパーティを首になんだよ。アレス、あんた一体何したんだ?」 「言いたくないな」  育つのに非常に時間がかかるプリーストを首にするパーティはまず存在しない。  更にレベルの高いプリーストが仲間に入ることになった、なんて事があるのならばまぁ、ありえない事もないが、大抵の場合は長年連れ添ったメンバーの方が優先される。  トマスが面白そうに鼻から息を吐く。 「するってえとなんだ? 俺のパーティに入れて欲しい、とか?」 「!? トマスさん!?」  トマスのパーティの僧侶であるエリックがびくりと震え、立ち上がる。その右耳には、中位の僧侶の証である十字と三つの星をあしらったイヤリングが揺れている。レベルは30ちょい前くらいだろうか。トマスのパーティの平均からは一回り低いが、基本的な祈祷は使えるだろう。  心配いらん、エリック。中位のプリーストならば仮にパーティを首になったとしてもいくらでも働き口がある。  俺はにやりと笑みを作り、トマスを見下ろした。 「トマス、あんたのパーティの平均レベルが後30上がったら考えてやるよ」  俺のメインフィールドはずっと先だ。平均レベル40程度じゃ話にならない。  偉そうな俺の言葉に、トマスが呆れたよう分厚い唇を曲げた。 「後30……? んなパーティ、こんな所にいねーよ。やれやれ、これだからハイ・プリースト様は……」 「あんた見てると、うちのエリックが如何に真面目な僧侶だかわかってくるね」 「……そんな事、ないですよ……」  マリナの言葉に、エリックが気弱そうな眼を細め、しかし満更でもなさそうに頬を掻いた。 「あ、そういやプリーストっていえば――」  急にトマスがにやりと悪戯でも思いついたような笑みを浮かべる。 「さっきおもしれえ連中がきたぜ?」  トマスの言葉が他のテーブルにも聞こえたのか、別の席に座っていた連中が歓声を上げて笑う。酒に溺れた赤ら顔。機嫌がいいのはアルコールだけが理由ではなかったか。前回より沸いているように見えたのは気のせいではなかったか。  どうやら、俺の勘も捨てたもんじゃなさそうだ。 「……面白い連中?」 「ああ。高レベルのプリースト様を仲間に入れたいって連中よ。綺麗どころ二人引き連れた優男だ。朝から笑わせて貰ったわ」  間違いない。藤堂達だ。  俺の忠告はなんとか聞き届けられたらしい。  マリナが思い出し笑いでもしたのか、げらげらと下品な声をあげる。それに釣られたように、ダミアンもグスタフも、エリックまでも笑いをこらえている。 「ああ。くっくっく……あんたももうちょい早く来てりゃ会えたのにねえ……あれはここしばらくで一番の笑いだった」 「それは……残念だ」  俺の言葉に、トマスがにやりと笑い、まるで冗談のオチでも話すかのような口調で言った。 「何が面白いって、そいつ、女のプリーストが欲しいとか抜かしやがったんだよ。信じられねえ男だ。常識はずれにも程があらあ!」 「そうか」  それはそれは、藤堂も流石にこの連中の反応は堪えた事だろう。  奴は知っていたのだろうか。女のプリーストのハンターは殆どいないという事を。そして、そのプリーストが男のいるパーティに入ったりしないという事を。 「笑えるだろ? アレス! くっくっく、男としちゃあ気持ちはわからんでもねえが、処女じゃねえと碌な奇跡も使えねえ女のプリーストが事もあろうに、女限定とか、あからさまな条件つけてるパーティに入るわけがねえ! そうだろ?」 「……そうだな」  女の僧侶と魔導師の性能はその処女性に左右される。  魔導師ならば威力がやや下がる程度だが、女の僧侶は基本的に、一度でも淫行を行うとその奇跡の大部分を失う事になる。貯めこんだ神力はなくならないが、神聖術がまともに発動しなくなるのだ。  その『行為』は、教義に反している。  僧侶の殆どは神に操を立てている。  聖職者は男女問わずよく左手の薬指に白の指輪を嵌めているが、それこそが『神の花嫁』である証。誓いを立てる事により、プリーストは強大な奇跡を賜り、それを反故にした瞬間にその奇跡を失うのである。  だから、魔物狩りを営むプリーストに女は殆どいない。  常日頃から戦場に立ち、死と接しているハンターの性欲はすこぶる強い。そのパーティに女のプリーストをぶち込むのは双方のためにならない。  急にプリーストが神聖術を使えなくなればパーティの崩壊に繋がるし、本人だって、奇跡を行使できなくなればプリーストは廃業するしかなくなる。ヤラなければいいだけなのだが、感情はしばしば理性を上回る。あえてリスクを背負う必要もない。  故に、女のプリーストの大部分は市井に降らず、教会に務める事になる。藤堂が城でレベルアップしてくれたというシスターもその一員だろう。  今まで笑っていたトマスが、そこでふと笑みを止めた。歪められた瞳に映ったのは愉悦ではなく、不快の感情。 「大体よお、レベル上げの手伝いもしねえで高レベルのプリーストを欲しいっていうその根性が気に食わねえなぁ。俺達だってエリックのレベル上げのためにまだここに留まってるってのに」 「……すいません」  身体を縮めるエリックに、マリナがばんばんと背中を叩く。 「なぁに、構わないさね。あんたがいなくなったらこのパーティは崩壊しちまう。今更、他のプリーストを引っ張ってくる事なんて出来やしねえ。最近は物騒だからねえ」 「げ、げほっ……マ、マリナさん……痛いです」 「あ、悪い悪い。くっくっく。でもあんたはもうちょい身体を鍛えた方がいいねえ」  魔王の猛攻のせいか、最近は魔物の出現率が多い。プリーストはもちろんの事、魔導師だって剣士だって人出が足りないのだ。  ルークス王国でも、今度新米ハンターのための補助金制度が出来ると聞く。  藤堂に残された道は、神の加護に全てを任せて女のプリーストを探し続けるか、一からプリーストを育てるかのどちらかしかない。俺を追い出したのだ。今更男で妥協したりはしないだろう。 「その男がどこに行ったのか知ってるか?」 「……ん? まさかアレス、そのパーティに参加するつもりか?」 「いや、そのつもりはない」  何しろ、俺は……追い出されたのだから。  俺の答えに怪訝な表情をしながらも、トマスが骨付き肉を骨ごと口に入れ、ばりばりと頬張った。  骨が砕かれる音を聞くこと数秒、ようやく嚥下し終え、トマスが口を開く。 「どこに行ったかは知らねえが……んなプリースト、ここにゃいねえ、教会にでも行くんだなって言ってやったなぁ」 「教会、か……」  この村に教会は一つだけだ。  しかし、この男、適当な事言いやがる……。  いや、傭兵っていうのは基本こんなもんか。行き当たりばったり、脊髄反射で行動し、いつ力尽き倒れるかわからない人生を適当に生きている。  俺は顔を顰め、ため息をついた。 「……教会にもいねえよ」   「ああ、そうだなあ……がっはっは」  陽気そうな表情で、トマス達が笑い、他のハンター達も笑う。  果たして藤堂がプリーストが手に入らないこの状況にどのような判断をするか。  全く予想できず、俺は笑う気にすらなれない。 page: 16 第十五レポート:その勇者の足跡をたどり  教会とは、僧侶にとって家みたいなものだ。  毎朝のお祈りの習慣がある以上、傭兵、教会所属を問わず、僧侶はそこを頻繁に訪れる事になる。  規模こそ違えど、それぞれの村、街には最低一つの教会が存在し、アズ・グリード神聖教総本山よりレベルの高い僧侶が派遣され、神の家を守っている。  基本的に回復魔法を扱うには高い信仰が必要とされる。目に見えてわかるレベルの効果を発揮できる祈祷が可能なのは聖職系の職につくものだけだ。  大怪我をした際にきわめて有用なそれは、村人や街人に取っての生命線でもあった。物理的な手段を扱い人を治療する医者や、魔導師の中には精霊の力を借りて傷を癒せる者などもいるが、回復という観点でいうと、僧侶は頭一つずば抜けている。  教会に派遣された僧侶には責務が存在する。  怪我人・病人の治療、レベルアップ、僧侶の位の認定、呪いの解除、教会総本山との連絡に、他の場所で信仰を高めたがっている僧侶の紹介。  もちろん、僧侶も霞を食って生きていくわけにはいかないので多少のお布施は貰うがどちらかというとその行為は信仰を高める意味合いが強く、その責務に相応しい報酬ではない。もちろん、中には金儲けに奔る連中もいるが、それは全体数から見ると極僅かだと言えるだろう。  以前、俺がレベル上げのためにこのヴェール村を訪れたのはもう五年近く前の事だ。  傭兵達がレベルを上げる事を目的として訪れる街、という街の雰囲気自体は変わっていないが、教会の管理者は基本的に派遣であり、移り変わりが激しい。  十日前あまり前に一度訪れ確認したが、教会を管理していた神父は五年前と変わっているようだった。  教会は、村の大通りに面した人通りの多い位置に立地していた。  レベル上げという作業は荒事だ。死傷者も多く発生し、おのずと教会の役割も大きくなる。ヴェール村の教会は、村の教会という分類で言うとかなり大きな建物だった。  白塗りの壁に、尖塔に設置された大きなベル。扉の上部には秩序神アズ・グリードを奉る教会の証である天秤を模した十字架のモニュメントが設置されている。大きさこそ村長の屋敷よりは小さかったが、遠くから見るとその威容は白亜の城のようにも見える。  僧侶の祈祷の時間はとっくに過ぎているとはいえ、教会は賑わっている。  説法を聞くために集まった村人達に、怪我の治療を求めにやってきた傭兵たち、そして、より強大な奇跡を求め自主的に祈祷を行うまだ見習いの僧侶達。  窓の外からこそっと中を除き、藤堂達が近くにいない事を確認した。  教会の前を箒で掃いていたシスターに声をかける。  露出を抑えた青の法衣に、首から掛けた天秤のネックレス。緩やかな袖から伸びた手、その左手薬指には神の花嫁の証である白の指輪が嵌められている。  年齢は十代半ばか。まだ聖職についたばかりなのだろう、その左耳に下がるイヤリングは最下位の僧である簡素な十字架だ。 「シスター、一つ聞きたい事があるんだが」 「はい……ッ!?」  シスターがこちらを向いて、怯えるかのようにビクリと身体を震わせる。そこで俺は、自分がフードを深く被った状態である事に気づき、フードを取った。  眼と眼が合い、シスターが泣きそうな表情をする。俺、何もしてないんだけど……。  まぁ、随分と付き合いの長い自分の顔だ。眼があっただけで子供に泣かれた事もある。傭兵の中では一目置かれるが、一般人から怖がられる事は少なくない。どう見ても聖職者の顔つきじゃねえからな。  俺はため息をつき、自らの左耳を親指で差した。 「シスター、この眼は生まれつきだ。別にとって食おうってわけじゃない」 「あ……す、すいませんッ!」  同職の証を見て、少女があたふたと頭を深く下げる。  視線が集中している。教会の目の前で謝られても困る。秩序維持の衛兵でも呼ばれたら事だ。 「頭を上げてくれ。一つ聞きたい事があるんだが」 「は……はい。なんでしょうか?」  俺の言葉に、ようやくシスターが顔を上げた。  が、今度は物珍しげに俺の容貌をじろじろと見ている。僧侶は穏やかな顔つきの者が多いから珍しいのだろうが、シスターとしてその態度はどうなのだろうか。  明け透けな視線を受けながら、簡潔に要件を述べた。 「人を探している。教会に向かったと聞いたのだが」 「人……ですか?」 「ああ……この辺りではあまり見ない黒髪黒目の男で――」  そこまで話した所で、シスターの表情が変わった。  目尻が僅かに下がり、まるで困惑でもしているかのような表情に。  箒の柄をどこかもじもじといじりながら、瞳を伏せる。 「あ……ああ……その方ならつい一時間程前に、来られましたよ。神父様と話されたようです」 「一時間前か……チッ。ずれてるな……」  いや、ずれていて運がいいと言うべきか。振り回されている感もあるが、今回直接接触するつもりはない。  プリーストの斡旋は教会の役割の一つだが、そこには大きな責任が生ずる。  もちろん、プリースト本人の希望が第一だが、求める者のパーティ構成、実力、性格、それが教義に反していないか、などなど様々な条件をクリアしないかぎり、プリーストの斡旋は認められない。  総本山からの命令があれば話は別だが、クレイオは派遣しないと言っていたし、万が一、リミスやアリアの生家から通達があったとしても、魔導院や剣武院からの圧力では教会は屈しないだろう。  美少女を二人引き連れた男が女プリースト希望、だなどという要請が通るとは思えない。藤堂に限らず、シスターを食い物にしようとする世間知らずの傭兵はたまに出てくるが今までそれが通った事はなかったはずだ。  それでも、そのシスターの態度に嫌なものを感じて尋ねた。 「そいつに何か言われたか?」 「え……あ……はい。パーティに誘われました……」  シスターがやや頬を赤らめて言う。茶色の緩やかなウェーブが掛かった前髪が揺れる。  藤堂は面がいいから、なりたての僧侶ならば好意に付け込んで引っ掛けられるかもしれない。 「受けたのか?」 「い、いえいえ! まさか! 私の信仰はまだ……未熟ですので……」  ぶら下がっている最下位のイヤリング。多分このシスターはまだレベル上げの儀式すら出来ないだろう。  だが、回復や補助は一通り修めているはずだ。面も極めていいというわけではないが決して悪くない。  あいつが何を基準にシスターを勧誘しているかは分からないが、このシスターが仲間に入ればパーティは安定する事だろう。まぁ、シスターのレベル上げの分負担は増えるし、そもそも犯してしまえば奇跡を失ってしまうのだが。  俺は忠告すべきか否か迷い―― 「そうか。神父様はいるか?」 「あ、はい……中におられるはずです」  ――全てを運命に任せる事にした。  このシスターには悪いが、多少の犠牲は覚悟の上だ。もし奇跡を失ったとしても、藤堂に反省が生まれればそれでいい。あの正義感が何も感じずにシスターを一人使い潰せるとは思えないしな。  内心の苛立ちを全て封じ込め、俺は唇を歪め小さく十字を切った。 「神のご加護を」 「は……はい! 神のご加護を!」 §§§  教会内部は賑わっていた。  需要が多い事もあり、総本山からヴェール村に派遣されてきている僧侶は少なくない。  資金も潤沢にあるのだろう。透明感のあるステンドグラスから様々な色の光が差し込む光景は一般人の信仰を深められる程度に幻想的だ。  教会の管理者は、礼拝堂で静かに跪いていた。十日前の朝に祈祷に来た時はいなかったので、会うのは初めてになる。  後ろ姿から見る。年齢的には俺よりも五つか六つ上だろうか。漆黒の僧衣を纏った金髪の男だ。  耳元から僅か見えたイヤリングは司祭位のもの。さすがに怪我人が多く出る村だけあって、厚い人材が派遣されているようだ。  そういえば、俺が昔訪れた時も管理者は司祭位だったな……そういう決まりでもあるのだろうか。  下らない事を考えながら歩みを進めると、男が静かに立ち上がった。その身の丈は二メートル近いだろうか。俺よりも頭ひとつ分大きく、しかし痩せているため巨漢という感じはしない。  後ろを振り向く事すらなく、よく通る声で尋ねてくる。 「何かこの教会に御用ですか?」 「人を探している」 「ほう……話は事前に窺っております」  男が振り変える。金髪に、それと同色の金の瞳。  頬に深い傷跡があり、もしかしたら元傭兵だったのかもしれない。しかし、それにしてはその容貌は穏やかと言ってもいいものだ。  細められた視線がゆっくりと俺の顔の表層を睨めつけ、そのまま左耳の証にたどり着く。その後、ゆっくりと視線が下がり、俺の左手薬指の指輪を見た。 「アレス・クラウンだ」 「お会いできて光栄です、アレス様。閣下から話は伺っております、この教会の管理人の……ヘリオスと申します」  閣下……クレイオが手を打っていたか。どうやら、意地でも藤堂に追加のプリーストを派遣する気は無いらしいな。  ヘリオスがにこりと笑みを作る。穏やかな声色に滲んだどこか胡散臭げな響き。  レベルの高いプリーストは大体ろくでもないプリーストである事が多い。特に、教会本部から派遣されてきた者程その傾向がある。  何故ならば、レベルの高いプリーストとは――殺生を厭うという教義をどうにかして突破している者だという事なのだから。  穏やかで、だがどこか挑戦的な視線を受け、眉を潜め、それを向かい打つ。 「藤堂様は先程いらっしゃいました」 「僧侶を?」 「ええ……丁重にお断り差し上げましたが」  冗談めいた仕草で、ヘリオスが首を振る。  こいつはどこまで知っているのだ。あれが聖勇者である事は知っているのか?  いいや。恐らく、伝えられていないだろう。ホーリー・ブレイブの情報は教会内でも機密だ。  恐らく、俺も勇者パーティに参加することにならなければ教えられていなかったはずだ。  だが、と、ヘリオスの眼をじっと見つめる。  恐らく、何となく感づいてはいるだろう。特定個人の要求を断れ、など本来有り得る命令ではない。ましてや、それが枢機卿から直々にとなると、概ね何が起こっているのかは予想できる。  その金色の虹彩は透明感があり、だが、何故か底が知れない。 「そうか。藤堂は何と?」 「激高されておりましたが……明日、僧侶の位の試験を受けるために再びいらっしゃるとの事です」  激高か。どのような言葉で断られたのかは知らないが、無理もない。  その様子が目の裏に浮かぶようで、ため息がでた。  しかし……プリーストを容易く仲間に出来ないとわかったら次は自分が試験を受けるのか。  なるほど、論理的ではある。いないならしょうがないで外に出るよりもよほどいい。何よりも、時間が出来たのがよかった。外からサポートしろなどと命令を受けても、すぐさま出来る事など高が知れてる。 「認めたのか?」 「ええ。神の使徒として、それを行うのは当然の義務ですから」  どこまで本気でそう思っているのか。  したり顔で頷くヘリオスを数秒睨みつけ、プランを立てる。  事態は迅速な行動を要する。時間が出来たのはいいが、それは同時に魔族に気づかれるその瞬間が迫っている事も示している。  最低でも、監視をつける手段は考えなくてはならない。俺だと気づかれずに導くための手段も。  先ほど買ったばかりの仮面の事を考え、俺はもう死にたくなった。 「……どうかなされましたか?」 「……いや」  怪訝そうな表情のヘリオス。  その佇まいから何となく感じる力の格――この男、相当にレベルの高い僧侶だ。司祭位と言う事は最低でもレベル50は超えているだろう。もしかしたら60も超えているかもしれない。  この男をなんとか藤堂のパーティに叩き込めれば心強いが、きっとそれは不可能だろう。藤堂が男であるヘリオスを受け入れるとは思えないし、ヘリオスもまたその指示を受けるとは思わない。  考えていた事を全て心の奥底に封じ込め、尋ねた。 「藤堂は受かると思うか?」 「……ふむ」  ヘリオスが顎に手を当て、首を僅かに捻る。 「……まぁ、難しいでしょうね。奇跡は使えるのでしょうが……あの者の神力はかなり低い」 「俺の見解と同じだな」  個々で見るのならば、藤堂の神聖術は必要最低限の性能を持っている。  だが、それだけだ。試験では有する神力の絶対量も求められる。  藤堂の今の神力ではきっと、神聖術の連続使用に耐えられない。  俺の答えに、ヘリオスが慇懃無礼な笑みを浮かべる。 「それはそれは……光栄です」 「明日試験を受けるという事は、今日の所は村の外に出ることはなさそうだな」 「ええ……『時間を稼いで』おきましたので」 「……助かる」  プリーストの試験は、基本的にいつでも受けられるようになっている。  藤堂ならば今すぐに受けようとするだろう、それが明日になったのは恐らく、この男がそれを断ったからだ。  短い礼に、ヘリオスは笑みを崩すことなく続ける。 「聖穢卿からの命令ですから……アレス様にもう一つ言伝を承っております」 「言伝? ……何だ?」 「人手を送る、との事です」  人手……?  今朝クレイオと通話した際に言っていた言葉を思い出す。  あれは冗談ではなかったのか。何が送られてくるのかはわからないが、何にせよ顔が割れていない人材というのは素直にありがたい。  最悪、見ず知らずの傭兵を雇うという手も考えていたが、教会の者ならば素性も知れているし安心だろう。 「わかった。場所は聞いているか?」 「今朝の宿、と」 「人相は?」 「行けばわかる、との事です」  行けばわかるって……適当すぎるぞ!? おいッ!  ……チッ。ヘリオスに文句を言ってもしょうがない事か。  もともと、クレイオがそういう、嫌な感じにトリッキーな事は随分前から知っていた事だ。  その言葉を信じるしかない。 「わかった。助かった」 「いえ……アレス様に神のご加護があらん事を」 「また機会があれば何か助けて貰うかもしれない」  ヘリオスが俺の言葉に、大仰な動作で両腕を開いて喜びを示した。 「ああ。もちろんですとも。いつでも仰ってください……異端殲滅官。闇を払う貴方の役に立てるのは、神の徒として非常に光栄です」  こいつもこいつで若干頭おかしいな。 page: 17 第十六レポート:万事が上手く転がる事なく  ヘリオスに断られた今、勇者は一体、何をしているのだろうか。  宿に戻っているのか。あるいは、道具の補充でもしているのか。はたまた、魔物の素材の売却か。  この世界で一番勇者の事を考えているのは多分俺だろう。何故、恋する乙女のように俺を追い出した男の事を考えなくてはいけないのか。  これも仕事なのはわかっているつもりだが、こう、うまく転がらないと消化不良のような、奇妙な心地になってくる。  明日、試験を受けるのに今日外に出る事はないだろう。  一端、藤堂の足跡を追うのをやめ、クレイオの手の者とコンタクトを取るために今朝取っていた宿に向かう。  昼間である事もあり、人通りも非常に多く賑わっていたが、幸いな事に藤堂達とは出会わなかった。  道中、ふと疑問が頭をよぎる。  そういえば、リミスとアリアも俺を追い出す事に賛成していたのだろうか?   あの時、藤堂から首を告げられたその時、彼女たちは不自然に俺と藤堂を二人っきりにした。それを考えると、事前に話は通してあったのだろう。もしかしたら、リミスが突然馬車の運転を教えて欲しいと言ってきたその時から、計画は始まっていたのかもしれない。  が、しかし、だ。  聖勇者の名は高い。藤堂の身分を知っている彼女たちは反対こそしなくとも、もしかしたら……多少は協力してくれるのではないだろうか。  何よりも藤堂がどう動くかわからないのがまずい。レベル27の戦士にとってこの辺りは危険でいっぱいだ。少しうっかり道を外れれば危険域のレベルの魔物と遭遇する事になる。その辺りを定期的に連絡して貰えると、サポートする身としては非常に助かる。  宿は大通りから少し外れた場所にあった。  頑丈そうな木造建築。掲げられた宿の印である寝台のシンボルが刻まれたレリーフも長年の風雨で劣化しており、その歴史を感じさせる。  交代したのか、フロントに立っていたのは今朝話した女従業員ではなく、髭を生やした中年の従業員だった。  尋ね人が来ていないか確認すると、食堂の方に一人、待っている旨を伝えられる。  しかし、クレイオと話をしたのはつい今朝の事だ。  それなのにもう人を送ったとは……あの男もなかなか手が早い。そこまで出来るならもう少し頑張って、勇者の方に僧侶を派遣してくれればいいのに。  例え高レベルシスターが傷物にされて使い物にならなくなる可能性があったとしても……その程度で手を緩めるような性格でもあるまいに。  冷静に考えると、俺に『投資』とか意味がわからない。こんなのただの嫌がらせじゃないか。  時間が中途半端なせいか、食堂にはあまり人がいなかった。  朝っぱらから安酒を飲んで酔っ払っている四人パーティらしきハンター集団が一つ、三人パーティが一つ。恐らくこいつらは違うだろう。朝から酒を飲むような奴らがクレイオからの増援だったら俺はこの仕事を降りる。  二人組で唾を飛ばし侃々諤々の議論を行っている卓が一つ。側に長剣が立てかけられているし、恐らくこいつらは剣士だろう。クレイオはプリーストを派遣すると言っていたのでこれも違う。  明るい灰色のワンピースタイプの衣装を纏った紺色の髪をした少女が一人。耳にプリーストの証がぶら下がっていないのでこいつも違う。華奢な体つき、その様相から見るに傭兵でもなさそうだが、一体何故こんな安宿にいるのか。  まぁいい。ヘリオスからの言伝では、行けばわかるそうだからな……。  食堂を見渡す事十数秒、俺の視線はようやく、一人で席についている僧侶に引きつけられた。  いや――プリーストではない。  壮年の禿頭の男。トマスと比較しても遜色無い程に筋肉の鎧で覆われた肉体。遠目で見ただけで感じさせる圧迫感のある巨体に、水色の法衣が全く似合っていない。  黒く日に焼けた容貌は精悍極まりなく、その巨体に相応しい強面だが、目つきが悪くないためか、見るものに恐怖というより厳格さを感じさせる。  左耳にぶら下がったシンプルな十字架は低位の僧侶である証だが、十字架の他にも金の短冊のようなものがぶら下がっている。これはただのプリーストではない――己の肉体を鍛え神への信仰とする僧兵の証である。  側に俺のそれよりは随分と細い棍棒のようなメイスも立てかけてあるが、テーブルの上に投げ出された岩石のような拳と比較し、どれだけ頼りない事か。  モンクか……悪くないな。  心の中で深く頷く。  なかなか頼りになりそうな人材である。鍛え上げられ引き絞られた肉体。魔物との戦闘経験もかなりのものだろう。  神聖術の性能こそ一般の僧侶には劣るものの、僧兵の武器は己の肉体である。自らの肉体に補助を掛け、あらゆる神敵をその拳で打ち払う、悪魔殺しや異端殲滅官とは異なる形の教会戦力だ。  魔物と戦う事もでき、聖職であるが故に神聖術も扱えるモンクは、ハンターの中でも特に大きな人気を誇る人材でもあった。プリーストと比べて祈祷の力が低いので、プリーストはまた別に必要になる事は多いがそれでも、補助・回復が出来る者が二人存在するというのはそれだけでパーティの生存率に大きく影響する。  一方で、僧兵は僧侶以上に市井に下る数が少ない。モンクの存在意義は魔物に襲われる一般市民の救済であり、魔物狩りを商売とする傭兵とは相容れないのだ。  殆どの僧兵は教会直下で働き、現教会戦力をまとめるクレイオの命令により各地の教会に散っている。ハンターのパーティに入る者は、それを神の試練とみなし、己の肉体をより鍛え上げ、より強い信仰の証とせんとするごく一部だけだ。  神聖術は俺が一通り使えるので、別に低位の神聖術しか使えなくても構わない。  力が強く、タフネスでそして、その見た目から傭兵たちにも舐められない。レベルが俺より高いという事はないだろうが、どんな肉体的酷使も鋼の肉体と精神で耐え切れるだろう。  修行僧として、他者から侮られる事もなく、藤堂達も彼を侮る事はないだろう。一騎当千の雰囲気を持つその男の忠告を聞かないという事もあるまい。  何が来るのかと思ったがなるほど……モンクを一人融通するとは、俺に投資するという言葉も嘘ではないらしい。  見ればわかる。ああ、確かに見ればわかる。  念のために辺りをもう一度確認するが、他にプリーストらしき影はない。  満を持して、その男の側に歩みを進めた。  唐突に側に来た俺に、モンクが睨みつけるように見上げる。  灰色の透き通った眼。容貌に薄く刻まれた傷跡はその戦績の証か。眼が俺のイヤリングに気づき、続いて俺の左手に嵌められた黒の指輪を追った。 「アレス・クラウンだ。いきなりすまないが、あんたが俺の待ち人で間違いないか?」 「……司教格の異端審問官……」  その体躯に相応しい荒々しく太い声。  視線が再び上に動き、俺の顔をもう一度じろりと見た。 「ダラス・ブランク。僧兵だ」 「そうか、ダラス。さっそくだが話をさせてもらっていいか?」  ようやく俺の任務にもツキが向いてきたようだ。  前の席につこうとする俺に、ダラスが顔を顰め、信じられない事を言った。 「……残念だが、人違いだと思われる。私は誰も待っていない」 「……は?」  もう完全に、目の前の豪傑が待ち人だと決めつけていた俺は、その予想外の返答に目を丸くする。  そんな馬鹿な……他に僧侶はいなかったはずだ。  混乱の極みにある俺に、ふと背後から声が掛かった。  ダラスとは相反する透き通るような声色。 「アレス、こちらです」 「……は?」  振り向きたくないという思考と振り向かねばならないという義務感の鬩ぎ合い。  なんとか後者が勝利し、ぎりぎりと首を回転させる俺の視界に入ってきたのは、先ほど食堂を覗いた時にもいた、藍色の髪の少女だった。  年の頃は俺よりも一つか二つ下か。傭兵にはとても見えない、抱きしめたら折れてしまいそうな華奢な身体と、癖のない髪にワンピース。  だが何よりもその女は僧侶の証を下げておらず、神の花嫁である証の指輪もしていない。  芯の通ったやや気の強そうな容貌、髪と同色――藍色の眼が感情のこもらない視線を俺に向けている。  思わず、ダラスと少女の方を交互に見る。これは……どういう事だ。  懇願の眼で見る俺に、ダラスがため息を付く。 「……どうやら待ち人が来たようだな」 「マジっすか……」 「マジです」  そっけない動作で前髪をいじり、少女がその意見を肯定した。  行けばわかるって? どういう事だよ。  まるで軽蔑するかのような冷たい視線を向けてくる女の方に向き直る。  なるほど、意志は強そうだがこれで……どうしろって? 「……ちょっと電話してきていいか?」 「どうぞ」  何というぬか喜び。落差が……落差が酷すぎる。  何故、女僧侶を求める勇者にそれを入れず、俺の方に僧侶でもない女を派遣してくるのか。  俺はクレイオに抗議を入れる事にした。 §§§  食堂の隅に向かい、通信を繋ぐ。  珍しい事に、いつもならばすぐに繋がるのに、数秒のタイムラグがあった。  耳元で聞こえてきたのはいつものオペレーターではない、慌てたような女の声だ。  後ろからどたばたしている音が聞こえるところを見ると、総本山で何かあったのだろうか? 「あ……はわあ……は、はいぃ! こちら、教会本部ですぅッ!」 「アレスだ。クレイオ枢機卿に繋いでくれ」 「は、はい! アレスさんッ! 初めまして、こ、この度、新りゃしく――あ、新しく交換手に、な、なりました。ス、ステファン・ベロニドですぅッ! 以後、お見知り置きくださいッ!」  舌を噛みながらも必死で自己紹介してくるオペレーターに思わず、沈黙する。  何だこいつは……。今までのオペレーターはどうしたんだ。  半ば呆れながらも、まぁ新人ならばしょうがないと納得しておく事にする。それよりもまずはクレイオに連絡だ。 「わかった、ステファン。アレス・クラウンだ、今後ともよろしく頼む。それで……クレイオに繋いでくれるか?」 「は、はいッ! よ、宜しくお願いしますッ!」 「クレイオに繋いでくれ」 「わ、は、はい! 承知しましたぁッ!」  効率的じゃねえな。まぁ、これが初回だし、改善されると信じたいが……。  背後から漂ってくる慌ただしいノイズを聞きながら待つこと一分近く、ようやくクレイオが通信に出た。どうして通信繋ぐだけでこんなにかかるんだよ……。 「アレス、また何かあったのか? 今こちらは少々……立て込んでいるのだが」 「送られてきた人材の話だ。僧侶の証もつけていない女が待ち合わせに来たんだが……」  プリースト送るっつってたのに、どう考えてもあれは詐欺だ。肉体的に頑丈そうにも見えないし、囮くらいにしか使えそうもない。  モンクが仲間になると勘違いしていたせいか、余計に腹立たしい。いや、勘違いは俺が悪いんだが……。  俺の問いに対して、クレイオが意外そうな声をあげる。 「ん? 証もつけていない? いや、恐らく外しているだけだろう。彼女は間違いなく僧侶だよ。君も知っての通りね」  外しているだけ……?  基本的にプリーストは寝る時や風呂に入る時を除いて証をつけるルールになっていたはずだが……。  背筋をまっすぐ伸ばして一人席に座る少女に視線を向ける。  まぁ、プリーストならプリーストでいいとしても――。 「女僧侶は投資しないんじゃなかったのか? というか、そもそも、俺はあいつと会ったことがない」 「……ん? それはおかしいな……彼女は会ったことがある、と言っていたのだが……」  目立つ容姿だ。  リミスやアリアにも勝るとも劣らない整った目鼻立ち。どこぞのお嬢様のようにも見えるその容姿、彼女のようなプリーストに一度関われば忘れない自信がある。そもそも、基本、外で闇の眷属との戦いに明け暮れていた俺がシスターと関わり合いになる機会は多くない。  あらゆる疑問が脳裏に沸いたが、それを全てスルーしてただ一言聞いた。 「あれは……耐えうるのか?」  厳しい旅だ。時には藤堂達に先行してフィールド調査をする事もあるだろう。  体力的にも意義的にも、かなりの負担が想定される。  クレイオはしかし、呆れたように答えた。 「彼女に尋ねたまえ。アレス、君は私に文句を言いすぎだ。私は一応……枢機卿なのだが」 「俺だって言いたくて言っているわけじゃない」 「ふむ……」  クレイオがふと、思案げな声を上げる。 「だがしかし、私もアレス、君には期待している。もし君が他の人員を望むのならば、考えなくもない」 「……言ってみろ」 「ステファン・ベロニドというシスターだ。高い魔力と高い神力を併せ持ち、最年少で交換手の地位についたまさしく……神童だよ。まだまだ未熟だが、まぁそこは君が上手い事やってくれ」  出てきたのはさっきあたふたとクレイオに通信を繋いだシスターの名前だった。ファック。  まだ一言二言しか会話を交わしていないが、あまり性格的に合いそうにもない。前のオペレーターに戻して欲しいくらいだ。 「……手助けと言うよりは負担になりそうだ。というか、どう考えても嫌がらせ――」 「他にも一人、手が空いている者がいる。君ならきっと断るだろうと思って、出さなかったが――」  ステファン以下がいるのか。教会の層は一体どうなってるんだ……。  沈黙したまま言葉を待つ俺に、クレイオが続ける。 「アレス、君と同じ特殊異端殲滅教会の一員だ。二つ名は殲滅鬼――」 「ファック!」  反射的に怒鳴りつけ、慌てて周囲に視線を巡らせる。  幸いなことに誰にも聞かれていなかったらしい。壁に向き直り、声を潜める。  知っている。名前も知っているし、会ったこともある。任務を共にした事もある。  グレゴリオ・レギンズ。  殲滅鬼の二つ名を持つ異端殲滅官の一人で、神聖術の内、退魔術しか使えないという僧侶を馬鹿にしたような性能を持つ異端殲滅官である。  反面、全信仰を攻撃力に振り切っており、馬鹿みたいに強い。俺よりも攻撃的な僧侶を俺は、アレしか知らない。 「あれは人の下につくようなタマじゃないし、俺はずっと奴を異端殲滅官から外すべきだと思っている」 「そうか」  どう考えても異端審問される側である。  そもそも仮にも聖職にも関わらず、ついた二つ名が殲滅鬼の時点でイカれてる。  通信先に聞こえるように大きな舌打ちをして、送られてきた少女の方に視線を向ける。  今あげられた二人に比べれば確かにまぁまだマシかもしれない。 「まぁ、取り敢えずは送った人材でなんとかしたまえ。人員が空いたらまたそちらに送るが、こちらも何しろ人手不足でな」 「……チッ。……了解」  ないものをねだっても仕方ない。元より、人員を送ってもらえるとは思っていなかったのだ。  足りなかったら傭兵を雇おう。そっちの方が精神的に良さそうだ。  通信を切る直前に、さっきから疑問に思っていた事を尋ねる。 「そういえば、交換手が変わったようだが、前回まで俺を担当していたオペレーターはどうした?」 「……ん?」  ステファンより前回までのオペレーターの方が遥かにその職に向いている。  後々改善されるだろうが、繋ぐのに一分かかるって、緊急事態で掛けた際にどうするつもりだよ。  俺の問いに対して、何を馬鹿な事を、とでも言うかのように、クレイオがあっさりと答えた。 「いや、どうしたって……君の所に送ったじゃないか」  送っ……た……? 「……マジかよ」  なるほど、あの女、オペレーターか。道理でどこかで聞いた声だと思った。  なるほどなぁ、通信越しとはいえ長い付き合いだし、そりゃ聞いたことあるわ……って、あほかあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!  ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ! 「じ……事務職を派遣して……どうするつもりだ?」  俺の問いに答える事なく、通信が切断された。  死ねばいいのに。 page: 18 第十七レポート:  文句を言っても仕方ない。所詮何事においても、手元にある札で勝負するしかないのだ。  きりきり痛む胃にこっそり状態異常回復魔法をかける。何か最近、神聖術を無駄遣いしているような気がしてならない。  俺の気持ちも知らず、元オペレーター現助っ人の少女は、瞼を閉じ、まるで人形のように規則正しく椅子の上に安置されていた。  そう、それは『安置』という単語に相応しい、まるで生き物でないかのような佇まい。  染み一つない白雪のような肌、その容貌はまるで表情の変化がなく、ただ、呼吸により微かに動く胸元だけが、彼女が生きているという事を示している。  その佇まいは非常に静かで音を感じさせず、奇しくも通信越しで感じていた印象と一致している。  しかし、また癖が強そうなのを持ってきたものだ……もうちょっと普通の人材はいないのか、普通の人材は。  人には適正がある。静かなのも感情を廃するのも最低限の会話しか交わさないのも、オペレーターとしては優秀な適正かもしれないが、これからの任務に有効とはとても思えない。  しかも、そもそも彼女はもともと事務職である。教会本部の事務なのだからキャリアとしてはエリートなのだろうが、どれだけ現場で働けるのかもわからない。頭が良くても身体を動かせなければ意味がない。  席に座る前に、テーブル越しにじっとその女を観察する。  自分からこんな割の合わない任務に参加するとは思えない。クレイオからの命令で強制的に派遣されたのだろう。  ずっと昔、俺が異端殲滅官になったその時からオペレーターをやっていた彼女にとってみれば今回の任務は左遷みたいなものだろうか。  そう思うと、上司の無茶振りを受けた仲間としてちょっとばかり親近感が湧いてくる。  もちろん、親近感が沸いたとはいえ、容赦するつもりはないが……  対面で咳払いをすると、女の瞼がゆっくりと開いた。濃い藍色の虹彩はルークス王国から遥か北、数千キロも離れた北方によく見られる眼髪色だと聞いたことがある。深い藍の髪と眼にどこか黒髪黒眼の藤堂を思い出し、俺は僅かに顔を顰めた。  気を取り直し、口を開く。  女はまるで珍動物でも観察しているかのような視線を投げかけてきていた。 「アレス・クラウンだ」 「知ってます」  名も知らぬオペレーターが僅かに目尻を下げ、ただ一言答える。  そっけねえ。  下手したらリミスやアリアよりもこちらに興味がなさそうだ。俺は果たして彼女とうまいことやっていけるのだろうか。 「……ああ、そりゃ知っているだろうさ。通信越しとは言え、数年の付き合いだ。世話になってる。だが、こうして対面するのは初めてだろ。違うか?」  俺が教会に引き取られ異端殲滅官となってからすでに五年以上が経過している。その際に配られた通信用の魔導具の交換手が彼女だったので、俺のクルセイダー歴は彼女との付き合いの長さと一致している。  俺の言葉に、女が極僅か、注意していないと気づかない程度に眉を潜めた。 「……違います。一度……会った事があるかと」 「……そうか」  全然覚えてない。  もうすでに俺が覚えていないという事には気づいているだろう。遠慮無く、その顔をまじまじと眺める。  すっと通った目鼻立ちに長い睫毛。深い藍色の瞳に、黒に近い藍の髪が肩まで伸ばされている。胸はそこそこだが、全体的に華奢なせいか実態以上に大きく見えた。背丈は女性にしては高く、年齢は俺よりも多分下。その辺ではなかなか見かけないレベルの美少女である事に間違いはない。  だが、知らない。容姿がいいので見かけたら深く脳に刻まれると思うが……というか、そもそも名前すらも知らないのだ。  俺の視線を受け、少し擽ったそうに身じろぎをする少女。  十数秒じっと見つめ、その容姿を記憶に刻みつけると、両手を上げて降参する。印象が悪化するかもしれないがやむを得ない。 「降参だ。悪い、覚えていないようだ」 「そうですか……」  どこか消沈したように僅かに感情を滲ませた声で少女が呟く。この感情の機微も恐らく初対面だったらわからなかっただろう。  だが、一回一回の話す長さは短いとはいえ、通信越しで話し続けていた俺には何となくわかる。これで名前すら知らない事がバレたらどう思われるか……。  通信越しだから姿形は知りませんは通るかもしれないが、さすがに何年もオペレーターやってもらっておいて名前も知らない、はないよな……。気を悪くしてしまうかもしれない。  何しろ、自己主張が殆ど無かったので甘えてしまっていた。効率を優先したとも言う。しかも名前の方は多分……最初に通信した時に名乗りあった覚えが朧げながらにあるのだ。くそっ……呼ぶ機会がなかったせいか、思い出せない。  少し考え、気を取り直した振りをして右手を差し出す。 「改めて自己紹介をしよう。アレス・クラウン。知っての通り……異端殲滅官をやっていた。今は僧侶として任務についている」  差し出した右手を、女がジト目でただ見つめている。  もしかして、案外感情表現豊かなのだろうか。無関心よりはよほどいい。何しろ俺はこれから、この女と即席のパーティを組んで勇者のサポートをしなくてはならないのだ。  そういう意味では、事前の知り合いを派遣したというのはコミュニケーションの手間が省けて助かる……かもしれない?  やがて、そろそろと手を差し出してきた。  容貌と同様、内勤だったためだろうか、殆ど日に焼けていない白の指先が俺の手の甲に触れた。  色素の薄い唇が僅かに開き、すらすらと言葉が流れる。 「アズ・グリード教会総合魔術部交換手……アメリア・ノーマン。ご存知かと思いますが、貴方のオペレーターをやっていました。クレイオ卿の命により、本日よりアレスさんのサポートにつきます」 「……ああ、助かった。アメリア。よろしく頼む」  最後まで言い切り、微かに不機嫌そうな目つきを向けてくるアメリアを軽く受け流す。ちなみに、名前を聞いても思い当たる節がなかった。どうやら当時の俺は随分と余裕がなかったらしい。  総合魔術部。神の奇跡を是とする教会において魔術という相反した奇跡を統括する部門である。異端殲滅教会とはまた別の意味で教会内では孤立している部門で、同時にそこに所属する者は僧侶ではなく白魔導師と呼称される事もある。  魔力と神力。相反する二つの力を有するその魔導師はエリート中のエリートだ。  思わぬ所属にもう一度アメリアを見つめなおす。なるほど、通信オペレーターは総合魔術部の管轄だったのか……今まで知らなかった。  白魔導師、白魔導師、か……。神聖術と魔術の同時使用は出来ないとはいえ、手札が多いのは悪いことではない。もしかしたら儲けものかもしれないな。  何となく今後のプランに見通しがついてきた。  なるほど、もしかしたら……クレイオが俺にアメリアを派遣した理由もわかってきたかもしれない。  面談しているかのような心地で質問を続ける。 「レベルは?」 「55です」  ……ほう。  55か。思わず感嘆のため息がでる。  内勤なのにかなり高い。大体50を超えるとプリーストはハイ・プリーストと呼ばれるようになる。大体、この辺りからそれだけで戦局が変わるような強力な補助が使えるようになるからだ。僧侶の中でもこの域まで達せるのは上位十パーセント程度と言われている。  悪くない。悪くないぞ。  攻撃力こそなくとも、その神聖術の性能は俺に代われる。レベルが55もあれば、その身体能力もかなり高いだろう。少なくともヴェール大森林程度では揺らぐまい。 「プリーストの証はどうした?」 「持ってますよ」  純白の布で出来た袋を取り出し、その中から僧侶の証であるイヤリングと白の指輪を出してみせる。  ただし、イヤリングは低位の僧侶がつけるものではない、銀の十字架と小さな金の十字架が組み合わされたもの――ヘリオスも装着していた、司祭位の証だ。  ヘリオスは協力的ではあっても、立場的に俺の使える人材ではなかった。だが、アメリアは違う。否が応でも期待が高まる。その上、リミスやアリアにも遜色ない美少女。藤堂もこいつなら文句なく受け入れられるだろう。  にやけかける頬を力づくで抑え、質問する。 「何故つけて来なかった?」 「……アレスさんが気づくかどうか確かめようかと……」  こいつ、そんな下らない理由で証をつけてこなかったのか。  ルールを何だと思っているんだ……と言いたい所だが、思惑通り気づかなかったので文句も言えない。 「そうか。それは……悪かったな」 「いえ……構いません」  端的に答えると、さして気にした風もなく後ろ髪を僅かに掻き上げ、慣れた動作でイヤリングを左耳に装着した。  髪を掻き上げた瞬間に僅かに見えた染み一つない華奢なうなじと本当に何気ない動作、清楚さの中に交じるそこはかとない色気に、心が乱され思わず感嘆のため息が出る。  いける。これならいけるぞ。なりたてのシスターを犠牲にするまでもない。事情もある程度知っている彼女ならば新たな藤堂パーティのプリーストとして、そしてスパイとして満点だ。  やるじゃないか、聖穢卿。  勇者にこれ以上、僧侶を投資するつもりがないとか言っておいて、こんな人材を派遣してくるとは……いや、表向きには俺への投資としてだが実は、という事か。  本気で勇者を見棄てるつもりなのかと思っていたが、程々にというのもただのブラフだったのか……やれやれ、人が悪い男だ。もしかしたらさっき仲間になると勘違いしていた僧兵よりもベストな人材かもしれない。  これも不幸中の幸いという奴か。  純粋な支援職である彼女に戦闘能力は見込めないので、確かに俺が直接パーティに入ってサポートするよりも不安ではあるがその反面、俺個人が藤堂の動きにとらわれず、個別で動けるというメリットもある。藤堂サポート用の別動部隊を新たに作ってこっそり障害を排除する事だって出来るだろう。  感情を抑えるべく深くため息をつく。  がたがた机を鳴らして幸運を噛みしめる俺を、アメリアは不思議そうな眼で見ていた。  ようやく運が向いてきたか……そうだ。大体、藤堂の動きもキャッチできずしてどうしてサポートできようか。あの男は勝手に竜退治を請け負うようなそんな男だぞ? 地獄へ一直線だろう。そう、これはあって然るべきサポート、あって然るべきサポートなのだ。大仰に喜ぶまい。  舌を噛んで、しかめっ面を保とうとするがどうしても頬が緩む。  俺は仰々しく咳払いをして、アメリアの方を向いた。 「アメリア、今のメンバーを考慮して、体制を考えた」 「体制、ですか?」  目を僅かに見開き、僅かに首を傾げるアメリア。  ああ、今すぐにでも藤堂の泊まる宿に向かって欲しい。あいつは本当にどう動くかわからないからな。 「ああ。枢機卿からは後から人員が余ったら送るとは言われてはいるが、現状からは期待できない。藤堂はいつ死ぬかわからない。効率的に動く必要がある」 「効率……的?」 「ああ」  俺は、極めて事務的にアメリアに指示を出した。 「アメリア、君には藤堂のパーティにプリーストとして参加し、藤堂のサポート及び動向調査をお願いしたい」 「え? 嫌です」  俺は死んだ。 page: 19 幕間その1 英雄の唄  その時全身で感じた万能感を、藤堂直継は二度と忘れる事はないだろう。  八霊三神の加護。異世界の住人がそう呼ぶ計十一の神々の祝福は、それが存在しない世界からやってきた藤堂にとっても体感出来る程に凄まじいものだった。  身体に漲る力。鋭敏化された知覚。  風のざわめき、水のせせらぎ、降り注ぐ陽光から、夜空に浮かぶ月の光に至るまで、その全てが藤堂に力を与えていた。  身体はこれまでになく軽く、試しに持たされた剣も羽毛のように軽い。  それはまさしく万能感としか言いようのない、強い快感だった。  神、精霊、剣、魔法、魔王、そして……勇者。  現代日本ではフィクションの中でしか存在しないその単語の群れはしかし、凄まじいまでのリアリティを持って藤堂直継の世界を一変させた。  しかし、何よりも藤堂の精神に影響を与えたのは、召喚直後に与えられた一つの言葉だ。  ルークス王国の王城内に存在する教会――聖なる力の宿った白亜の宮殿、光り輝く召喚魔法陣の上で聞いた言葉。この世界に来て初めて投げかけられた言葉。  全身、ゆったりとした白地に金糸で模様の施された法衣を纏い、右手に色を失った水晶を持った、信じられないくらいに美しい少女――アズ・グリード教が掲げる聖女であり、召喚者でもある少女の告げた言葉。  ――ようこそお越しくださいました、勇者様。私達の世界をお救いください。 『勇者』  常人ならばまず戸惑うであろうその単語を聞いた瞬間、藤堂はその世界の全てを受け入れたのだ。  勇者。英雄。正義。  奇しくもそれらは、藤堂が日本で喉から手が出る程に欲し、そして得られなかった代物だった。  例え――何の前触れもなく呼びだされ、魔王クラノスなどという怪物を倒さねばならないと言われても惜しくないくらいに。 §§§  状況は一変して、悪いものだった。  何故だ。どうして、彼等は僕に協力しようとしない?  藤堂はいらいらとしながら、宿の一室、椅子の上で足を組んだ。  怒りを表に出すのは馬鹿のやる事だ。その事を藤堂は前世の経験から知っていた。  だが、例え表層で冷静さを装ったとしてもその眼光に滲む殺意にも似た感情は隠しきれていない。  勇者。英雄。魔王を倒す者。魔王を倒し、世界を救う者。  王から与えられた使命と称号が、藤堂の中で燻り、その気を急かしていた。  もともと、魔王討伐の旅が楽な旅になるとは思っていなかった。相手は、国が対応を諦め異界の勇者に助けを求める程の敵相手なのだ。  だが同時に、藤堂には課された『正義』を成し遂げる自信があった。  それは、この世界で加護を受けた時に感じた万能感が理由ではなく、藤堂本来が持っていた性質によるものだ。  だがしかし、王都出発からレベル上げまでは上手く言っていた旅が、下らない問題により足止めを喰らっている。 「……僕は勇者だ。何故彼等は僕に協力しようとしない?」  心底理解できなかった。  唇を噛み締め、天井を睨みつける。  自らの実力不足が原因ならばまだ諦めがつく。だがしかし、プリーストが見つからないなんて下らない理由で足止めされるのは屈辱だ。  何よりも藤堂を苛立たせるのは、この世界の者が非協力的な事。  中でも昼間、プリーストを仲間にするために傭兵たちの斡旋所を訪れた際に受けた仕打ちには深い怒りと失望を抱かせられた。例え、魔族からその痕跡を隠すため、公に勇者を名乗る事が許されておらず、勇者である事を明かせなかったからといって、そのような行いは許される行いではない。それは藤堂の考える正義ではない。  人族に強い敵意を持ち、ルークスの友好国を既に三つ滅ぼしたとされる魔王、クラノス。  それを倒すために召喚された勇者は希望の星であるべきであり、他の人間は全面的に協力すべき。  傭兵たちに笑われ馬鹿にされた時は、本気で殺意を覚えた。  剣を宿に置いてきた事と、リミスとアリアという同行者がいた事もありなんとか屈辱を飲み込めたが、もしその時、同行者がおらず剣が手元にあったのならば、藤堂は傭兵たちを斬り殺していただろう。  そして、あろうことか……その後……その後訪れた教会においても、プリーストの斡旋を頼み、断られている。こちらが勇者である事を理解しているのかしていないのか、しかし、その神父の鋭くまるでコチラを見くびるような目つきは、  今までの順調さが嘘であるかのようだ。まるでツキが離れてしまったかのような感覚。  なまじ、王都出発から今まで、特に大きな問題もなくスムーズに進めてこれていたので、余計に目の前の障害が大きく感じてしまう。  険しい表情の藤堂を慮るように、アリアが相槌を打った。 「……魔物退治をする僧侶の多くは男性だと聞いております。やむを得ない事なのかもしれません。よもやここまで見つからないとは思いませんでしたが……」 「……ああ、理屈は、わかる。理屈は……わかるんだ。だけど、納得できない……」  深呼吸をして、頭の中に僅かに燻ぶる焦りをなんとか止めようとする。  藤堂は正義だ。少なくとも、それを目指そうとしている。  異世界で力を手に入れたからといって、横道にそれるつもりもない。藤堂の目的は最速での魔王討伐であり、故にアレス・クラウンが出した効率的な案に乗ったのだ。  まだこの世界に慣れていない自分よりも、この世界で生まれ育ったアレスの方が知識も経験も詰んでいると思ったから。  理由があれば、どのような相手の言う事でも受け入れる事が出来る。いや、全て受け入れるわけではなくが、少なくとも、アレスの案は受け入れるに足るだけの説得力を持っていた。  アレス・クラウン。  銀髪碧眼のプリースト。研がれた刃のように鋭い目つきに、それに見合った冷酷、冷徹な言動。  神に祈るような人物には到底見えず、しかしプリーストとしての役割を全うしていた『男』  性格こそ合わなかったが、有能な男ではあった。  その男の言葉を思い出す。  アレスを追い出す事に関しては、事前にアリアとリミスにも話し、了解をもらっていた。  役割を全うしていたアレスを追い出すのは悪いとは思ったが、それは仕方のない事で、もともと自分と同年代の少女をパーティメンバーとして要請していた藤堂にとって、パーティに入った当初から男だったアレスはいつか追い出さないといけないメンバーだったのだ。後悔はない。  例え――今の状態がそれに端を発していたとしても。  訪れた沈黙の中、リミスがふと口を開きかける。 「……やっぱり、代わりが見つかってからアレスを追い出した方が――」 「!? リミスッ!!」  その言葉を、アリアが遮った。  睨みつけるかのような険しい表情に、リミスの顔色が変わる。慌てたように藤堂の方に向き直り弁明する。 「あ……ご、ごめんなさい……ナオ。べ、別に追い出したのが悪いって言っているわけじゃ――」 「……いや、いいんだ。あれは……僕の都合だった」  リミスの謝罪に、藤堂が僅かに首を横に振る。  彼女の言葉も尤もだ。  だが、代わりが来るのを待っていたら、いつ交換出来るかわかったものではない。何よりも、長い間世話になってしまったら追い出した時の罪悪感も深くなる。最低限の神聖術の取得、知識の習得のタイミングで追い出したのはどちらかと言うとこちらの理由の方が大きい。  その事を口には出さず、藤堂はしっかりとリミスを見据えると、 「だが、今のタイミングが、アレスにとっても僕にとっても傷が一番浅くなるタイミングだった。皆には迷惑かけるが、これは仕方のない事だ」 「……ええ」  藤堂の断言に、リミスが小さく頷いた。 「僕に出来る事はアレスとの約束……魔王討伐を出来るだけ早く達成する事だ。それが彼にとっての贖罪になるだろう」  好きではなかったが、殺したいほど嫌いでもなかった。  アレスは藤堂が今まで会ってきた男達の中でも割りとマシな部類に入る。だから、アレスが抜けたことに関しては、彼自身の責任ではない旨を添え、王国に連絡をとっている。旅の半ばでの脱退になるが、アレスが罪を問われる事はないはずだ。 「そ、そうね……魔王なんてさっさと倒して驚かせてあげましょう! ……次会った時は『どうやって戦うつもりだ? 』なんて言わせないんだからッ!」 「ああ……そうだね」  半ば空元気のようなリミスの言葉に、藤堂が微かに微笑みを浮かべた。  緩みかけた空気に、アリアが口を挟む。  アリアは武家の出身で、魔物の討伐についてもある程度の教育を受けていた。実戦経験こそ乏しくても、そのイロハくらいならば知っている。  魔術に関する教育や一般教養しか受けていないリミス、そして召喚されたばかりの藤堂の知識が少ない以上、アドバイス出来るのはアリアだけだ。 「しかし、プリースト抜きでの旅は危険過ぎる。今ならばまだ回復薬の類で賄えるでしょうが、いつか絶対に無理がくるかと思われます」 「ああ……わかってるよ」  問題はたったひとつ。回復役がいない事。  神聖術については藤堂が教授してもらい、一通り使えるようになってはいるが、アレスが最後に残した言葉を無視する気にもなれない。追い出されながらも最後になされた忠告、それを無視する事は藤堂の正義に反している。  戦闘が終わった後に傷を治すくらいならできるが、戦闘中に傷を負った場合がネックになる事に藤堂は気づいていた。  現在の前衛はアリアと藤堂の二人、リミスが前衛を務められない以上、アリアが戦闘中に大怪我をしてしまえば藤堂のみが魔物と切り結ぶ事になる。  そうなってしまえば、回復魔法を唱える余裕などない。そもそも、藤堂の使える回復魔法は直接接触しなくては効果がないのだ。別のプリーストか、あるいは最低でも、前衛が傷を負った際に治療の時間を稼げるメンバーが必要なのは明白だった。 「……一応、私もお父様に手紙を送ってみたけど……僧侶についてはうちの管轄じゃないから……」 「……私も送ってみるが、プリーストは……難しいかと」  アズ・グリード教会は国を跨がない独立した組織であり、友好的ではあるが、ルークス王国が直接擁している組織ではない。ルークスの重鎮であるリミスとアリアの生家からの要請でもどこまで通るか、予想できない。  よしんば、交代のプリーストが送られる事になったとしても時間がかかる事だろう。  苦虫を噛み潰したかのような表情で、藤堂が呟く。 「30レベルのリミットには間に合わない、か……」 「……間に合わないわね」  最善策はヴェール村でプリーストを補充する事だった。だが、それは今日の段階でかなり難しいという事がわかっている。  召喚からおよそ三十日で魔族に勇者の存在がバレるという話は聞いていた。  そして、それまでに最低でも30にした方がいいというアレスの言葉も覚えている。 「……多少強行軍にはなりますが、プリーストは置いておいて、レベル上げを優先した方が良いかもしれません」 「……もう27だし、もしかしたらなんとかなるかもしれないけど……」  藤堂の言葉に、リミスが言いづらそうに口を挟む。 「……私のレベル、まだ17だし……まずいかも」 「ああ……・僕が27、アリアが25、リミスが17、か……」  レベル。  それもまた、藤堂の世界では存在しなかった概念ではあるが、その重要性はわかっていた。  レベルが1上昇すると、明らかに目に見えて身体能力が上昇するのだ。レベル30でぎりぎり逃げきれる相手にレベル17で逃げきれるのか、魔族と実際に出会ったことがない藤堂には判断が付かない。  目を瞑り考える。  メンバーの不足。レベルの不足。時間的制約。  しばらく、通夜のような重い空気が漂っていたが、やがて藤堂がゆっくりと眼を開けた。 「取り敢えず全ては明日だ。明日、僧侶の技能認定に受かれば、僕がプリーストの代わりを出来るという保証になる。そうなれば、回復役の代わりに前衛を一人追加して回復については僕が臨機応変に対応すればいい」  仲間が怪我をした際にのみ治療に専念する。  仕事が増える分レベル上げのペースは落ちるだろうが、それが一番いい方法のように思えた。  というか、現段階ではそれしか方法がない。 「前衛ならすぐに見つかるだろ? パーティメンバーも別に四人限定というわけではないんだし、プリーストが見つかって入る事になっても五人パーティという事にすればいい」 「……確かに前衛ならば、うちの家の者を入れる事も出来るかもしれません。あるいは斡旋所にて斡旋してもらう事も可能でしょう」  やることは決まった。  足止めを喰らっている時間はない。こうしている間も、世界中で罪のない人々が魔王の軍勢により苦しめられているのだ。  まるで現実を振り払うかのように首を大きく左右に振ると、立ち上がる。  何もせずに宿に引きこもっていると、気が滅入ってしまいそうだった。 「……取り敢えず、回復薬だけ、まだ減っていないけど追加で補充しておこう。今の僕の回復魔法じゃ、本職には敵わないかもしれない」 「……本職って言っても、アレスはレベル3でしょ? レベル27で加護持ちのナオの回復魔法が劣っているなんてありえないと思うけど……」 「……神聖術の効果はレベルだけでなく、信仰に応じて威力が上がるらしい。どちらにせよ……備えはしておいた方がいい」  もちろん、藤堂とて自信がないわけではない。  例え最低限の神聖術を教えられていたとしても、自信がなければ、アレスを追い出したりはしなかっただろう。実際に、教わった神聖術についてはアレスの前で使ってみせ、お墨付きを貰っている。  が、同時に、命がかかっている事を無碍にするわけにも行かなかった。  自信はある。才能もある。そして、意志もある。  だがしかし、それだけでは上手くいかない事がある事を、藤堂は痛いくらいに知っていた。  それこそが、聖勇者 藤堂直継の持つ唯一の『闇』なのだから。 page: 20 第三報告 聖勇者の起こすトラブルとその対応について 第十八レポート:アレスさんのレポートは冗長なので今度からは私が書きます  この世界の主人公は自分ではない。  物事は物語のように万事上手くは進まず、常に俺の想定の斜め上を行く。  教会の思想では、全ての物事は神の導きによるものだとされているが、俺は運命なんざ信じていないし欲しくもない。  だから、今までは立ちふさがる全てのものを力づくでねじ伏せてきた。  腕力、神力、権力、思想、金。使えるものは何でも使ってきた自負がある。  ストレス耐性が上がったおかげか、復帰には時間が掛からなかった。  腕を組み、派遣されてきたばかりのシスターを見下ろす。  凶悪な俺の視線を受けても、アメリアは表情一つ変えなかった。  それほど多くの会話を交わした記憶はないが、俺の事はわかっているのだろう。もしかしたら事前にクレイオの奴から何かを吹きこまれている可能性もある。  万感の思いを込めて、聞き直す。頬が僅かに引きつったのを感じた。 「……嫌?」 「はい。嫌です」  それが何か? とでも言わんばかりのすまし顔。腹が立つ。  嫌、嫌、かぁ。なるほどなるほど……確かに俺がアメリアの立場だったら嫌かもしれないな。  って、言ってる場合か!  これはビジネスだが、ちょっとばかり測りきれない程度の人の命もかかっている。 「何故だ?」 「……アレスさんは、藤堂さん達のパーティに選ばれたのがリミス嬢とアリア嬢、あの二人だった理由について考えた事はありますか?」  問いに対して返ってきたのは一つの質問だった。  当然、ある。むしろ、藤堂のパーティに入ってそれについて考えなかった日はない。  藤堂直継という召喚された聖勇者に対して、リミス・アル・フリーディアとアリア・リザース――ルークスの重鎮の息女があてがわれた理由。  例え才能はあったとしても、同時に彼女たちには欠陥もあったし、そもそも現時点での実力が足りていなかった。いくら藤堂が女を望んだとは言え、代わりはいくらでもいたはずだ。  どう考えても効率的ではなく、大国ルークスがそれに気づかないわけもない。  通信でメンバーチェンジを求め、事情ありで断られた瞬間に何となく予想がついていた。ヒントはいくらでもあったのだ。  アメリアの表情を観察する。さすがエリート、頭がいい。知識が深いとかホーリー・プレイが使えるとかではなく……常に考えている。  小さく舌打ちして、端的に答えた。 「ある」 「言って下さい」 「……予測の範疇を出ない」 「言って下さい」  まっすぐとこちらを貫く視線。  冷たい視線に俺は全面的に降伏した。  俺が言わなくても、この女はきっとその理由に気づいている。  周囲を覗い、こちらに注意を払う者がいない事を確認する。いや、それはただの時間稼ぎだった。アメリアの視線はじっとこちらに釘付けになったままだ。  元より、どうせ今の時点で気づいていなかったとしてもいずれはわかることだ。  覚悟を決め、アメリアの方に向き直る。乾いた唇を舐め、ただ一言で答えた。 「血だ」 「……」 「『聖勇者』の血を取り入れるため、だよ。加護は遺伝する可能性があるし、魔王討伐を達成した勇者の血族ともなればこの上ない権威が手に入る。魔族由来の貴重な財だって持ち帰るだろう。面もいい。ルークスの王族は何代か前も『聖勇者』の血を取り入れてる」  あのルークス王国の宝物庫で眠っていた聖剣エクスも、その他の強力な武具もそれが理由だ。  男をコントロールするのならば色を使うのが一番手っ取り早い。  沈黙するアメリア。だが、その眼に動揺は見えない。  現在のルークスの王室に王女はいない。だから、ルークスでも屈指の名家であり、王室に高い忠誠心を持っており、年頃の娘がいるフリーディア公爵家と、リザース家に白羽の矢が立ったのだろう。  旅の途中でどこぞの馬の骨や、他国の手の者にたぶらかされてしまっては目も当てられない。藤堂はルークス王国が多大なリスクを背負って召喚した『財産』なのだ。魔王を倒すだけでなく、それ以降の国益にまで影響するような、そんな財産。  思えば、リミスとアリアの性格を知った時点で疑問に思うべきだった。あいつらが、貴族の家柄で蝶よ花よと育てられたリミスと武人であるアリアが、聖勇者とはいえ会ったばかりの男が寝所に入ることを許容するだろうか?  もちろん、対面で確認したわけではないが、恐らく親からそういう命令を受けていたのだろう。俺がクレイオから命令を受けていたように。  それでもいきなりリミス達の部屋で眠る事を自分から選んだ藤堂は間違いない色ボケというか傍若無人だが、それもまた国側としては都合がよかったに違いない。    そして、その意図に気づいていないわけでもなかろうに、そんなハーレムパーティに、魔王討伐最優先という名目で俺という男をねじ込んだクレイオ枢機卿はかなり性格が悪い。  アメリアは俺の言葉に聞き入っていたが、やがて一度呆れたようにため息をつき、 「アレスさん、貴方は恐ろしい人です」  音に出さずに舌打ちする。 「俺の負けだ」 「通信越しで会話していた時から気づいていましたが効率重視で――自分がそれを出来るから他の者も出来ると思っている。他の者もすると思っている」 「俺の負けだって言ってるだろ」  舐めていた。戦力の一つ、ユニットとしか見ていなかった。  気づかれなければそれでも良かったのだが、気づかれてしまった以上、教義的にも道徳的にも強制することは出来ない。 「もう一度聞きますが――」  降伏する俺に、半ば身を乗り出し、アメリアが口撃を続ける。  突き貫くような鋭い眼光、その声から感じられる肝が冷えるような覇気はつい先日まで内勤をやっていた女のものではない。 「『神の花嫁』である私にどうしろと命令しましたか?」  声色は静かで顔色も変わっていないが、怒っている事だけはわかった。 「お前、性格悪いな」 「貴方程ではありません。アレスさん、貴方まさか――私を勇者の贄にするつもりですか?」  贄。言い得て妙だ。本質を掴んでいる。  参ったな……どう弁明していいやら。  別に贄にするつもりはなかった。だが、同時になるかもしれないとは思っていた。  俺がいる間に、隣の部屋や馬車の中で事がなされていた気配こそなかったが、今のパーティの現状がどうなっているのかは予想がつく。 「レベル55なら襲われても対抗出来る。藤堂のレベルはまだ27だ」 「それは『今は』ですよね? 前線で魔物と撃ち合える男を相手に、か弱い私がいつまで抵抗出来ると?」  どう考えても『か弱い私』の言うような台詞ではないと思ったが、その言葉を口に出すのはやめた。  俺の負けだ。身の危険に対して反対するのは当然の行い。ましてやこの女は内勤だったのだ。  淫行が教義で悪徳とされている以上、無理強いする事は出来ない。  処女を失えば奇跡が使えなくなる事を話せば襲われないだろう、などという提案も、こうなってしまえば意味をなすとは思えない。こいつはきっと全てを理解して俺に問うているのだ。  私に教義を破る事を命令するのか、と。  俺が無条件降伏したのに気づいたのか、満足気に一度鼻を鳴らすと、席に座り直した。  まるで定規で測ったかのように乱れのない綺麗な姿勢。 「私が嫌な理由はわかっていただけたでしょうか?」 「……オーケー、俺の負けだ」 「ちなみに……」  こほんと小さく咳払いし、アメリアが続ける。 「クレイオさんからも、君の役割はあくまでアレスさんのサポートだという命令を受けています」 「それはつまり……藤堂のパーティに入れるのはNGだって事か」 「はい。私はそのように受け取りました」  理解できない。全くもって理解できない。  シスターの派遣。  仁義には反していても、効率的な事は間違いない。それを自ら潰すとは……というか、そういう命令を受けているなら先に言えよ。  ……聖勇者よりも身内のプリーストの方が大事だという事なのか。否、あいつはそんなタマではない。  奴は俺よりもよほど残酷で、手段を選ばない。俺のビジネスの進め方は少なからずその影響を受けている。まさか本当に試練だと考えているわけでもないだろう。もし試練だと考えているのならば、俺も撤退させねばおかしい。  くそっ、それぞれの思惑が絡み合い過ぎてよくわからない。  混乱しかかっていた頭を沈める。一端考えを打ち切る。  現場の人間である俺にできる事はその指示に従う事だけ。例え意味のわからない柵があろうと行動しなくてはならない。 「アメリア、お前は何が出来る?」  勇者パーティに入れられないとなると、有用性は随分と減ってしまう。  今は猫の手も借りたい状態なのでいないよりは全然マシだが、神聖術の腕は俺の方が上だ。皮肉なことに、藤堂のパーティとは違ってプリーストは間にあっている。  アメリアは糞真面目な表情で答えた。 「そうですね……掃除、洗濯、料理――」 「おいッ!?」 「――は出来ません」  ……こいつ、俺の事を馬鹿にしてるのか?  しかも出来ねーのかよ。いや、別にそんな仕事ないんだが。  今すぐにでも叩き返してやりたい所だが、空気を読んでいるのか読んでいないのか、アメリアは全く恐れる様子もなく続ける。  こいつの度胸は一体どうなってるんだ。鋼の心臓か? 「神聖術については中位までは一通り修めています。戦闘についてはメイスを振り下ろす事くらいしかできません。戦闘技能は習った事がないので……」 「ああ、それはいい」  教会本部で内勤をやっていたプリーストならば十分有り得る事だ。彼女に魔物を倒してもらおうなどとは思っていない。  もし戦線に出すとしたらそれは、外様の傭兵パーティのサポートで、という形になるだろう。 「魔物は怖いか?」 「怖いように見えますか?」  眉を僅かに潜め、まるで挑発するような言葉を吐く。  ……こいつ、本当に度胸があるな。こんなキャラだったっけ? ……いや、最低限の会話しかしていないかったから気づかなかっただけか。まぁ、度胸はないよりも有るに越したことはない。  冗談めいた声で、アメリアが気づかない程僅かに微笑みを浮かべる。 「どちらかというと、魔物よりも人の方が怖いです」 「そりゃ奇遇だな。俺も同じだ。勇者のパーティに入らなくても尾行くらいは出来るな?」 「どちらかというと、魔物よりも人の方が怖いです」  ……本当に大丈夫なのか……こいつで。  先ほどまで感じていた希望がしおしおとしぼんでいくのを感じる。上げて落とすとか最低すぎる。  思った以上にポンコツっていうか……質が悪いぞ。頭叩けば治るだろうか?  まるで、そんな俺の考えを見通したかのように、そのタイミングでアメリアが深々と頭を下げた。 「誠心誠意お仕えさせて頂きます、アレスさん」 「マッド・イーターはありえないが、もし無理そうなら、ステファンとチェンジするから言ってくれ」  オペレーター時代に築き上げたアメリア像ががらがらと崩れ落ちるのを感じる。  質の悪い冗談を言うこいつよりもまだステファンの方が面倒がないかもしれない。どの道、俺は孤立無援なのか。  割りと冗談抜きで出した言葉だったが、俺の台詞は次のアメリアの台詞で呆気無く打ち崩された。 「いえ。志願してきましたので……やる気はあります」 「志……願……?」  左遷じゃなく、自分から進んでこの任務についたのか……マジかよ……。  俺はその瞬間、とんでもなく厄介なパートナーを得てしまった事を知った。  これで実務能力が優秀だったらまだマシだが、これで能力が低かったら目も当てられない。……ないよな?  品定めするつもりで、じっとアメリアの方を見つめる。  俺の視線も何のその、当の本人は視線をあっちにふらふら、こっちにふらふらと彷徨わせている。  本当に……本当に大丈夫なのか? おい、その挙動は本当にやる気のある者の挙動なんだよな!?  エリート。こいつはエリートなんだ。  テーブルの下で拳を握り、必死に脳内で自分の言い聞かせる。だが、微塵も気分はよくならなかった。  くそッ、神よ……俺に力を与え給え。 page: 21 第十九レポート:行動開始・短所・欠乏  目覚めは悪かった。  魔王討伐の任を受けてから十日あまり、藤堂からパーティを追い出される前も含め、目覚めが良かったことはない。  今まで、ずっと一人で戦ってきた。任務によっては協力者もいたが、その殆どは俺自身が頑張れば解決するような内容だった。  異端殲滅教会の異端殲滅官は教会の暗部の一種であり、その行動も殆ど公にされていない。同じ教会所属の僧侶ならば、黒の指輪が異端殲滅教会所属の証だという事は知っているが、それだけだ。  ほぼ大部分の人間はその指輪の意味すら知らず、対外的に見れば異端殲滅官はただの僧侶に見える。  仄暗い噂を纏い、魔が活性化する闇夜を掛ける殲滅官は教会の教義の一部に反しており、そしてその性質上個人主義者が多い。俺達は、俺達の実力を鍛え、俺達の責任で敵を撃つのだ。  だが今回のこれは違う。ただ異端を殲滅するだけではない、どう動くか予測が付かない勇者のサポートという仕事は想像以上にストレスになっている。 「おはようございます」 「……ああ」  窓の外はまだ暗かったが、部屋には既に明かりが灯っていた。  久しぶりに投げかけられた言葉に胡乱な返事を返し、ゆっくりと身を起こす。  ベッドの隣には、昨日の服とは異なる深い紺色の法衣を着こみ、準備万端の様子のアメリアが見下ろしていた。まだ早朝だが、その表情には一切眠気という物を感じさせない。  左耳につけられたイヤリングに左手薬指に嵌められた白の指輪。そこには一切隙のないシスターがいた。  昨日の態度が嘘みたいな有様である。詐欺みたいな態度の遷移に、いい傾向のはずなのに何故か頭がずきりと痛む。  猫を被っているのか、あるいは昨日のあれは何かの間違いだったのか。後者である事を信じたいが、昨日の様相を見ると前者にしか思えない。 「質の悪いジョークだ」  頭を二度三度振り、ため息をついた。部屋の中を見回す。  シングルベッドが二つ設置されたツインルームは昨日まで宿泊していた部屋よりも大分広い。  隣のベッドはアメリアが使ったはずだが、まるで未使用のようにきちんと整えられている。  部屋の隅には俺が持ってきた荷物とアメリアの持ってきた荷物、そして俺の物よりも二回り程細いメイスが立てかけられていた。  この新しいパートナーは度胸がすごい。  野宿の場合はどうしようもないが、恋人でもない異性と寝室を共にするのはリスクが大きい。ましてや、俺とアメリアが対面するのはその時がほぼ初めてなのだ。  当然、シングルルームを二つ取ろうとした俺を止めて二人部屋を取ることになったのは、一重にアメリアが節約を叫んだためだ。  シングル二部屋よりもツインを一部屋の方が安上がりなのは確かだが、別に金で困っているわけでもないのに、自ら一部屋を選ぶその根性は一般的に慎ましいとされるシスターの領分から大きく乖離している。  度胸が凄いというよりはもう馬鹿の域に見える。俺が僧侶だから襲われないとでも思っているのだろうか?  いや、元オペレーターの彼女が、俺が教義におとなしく従う一般の僧とは違う事を知らないわけがない。  俺の言葉に答える事なく、アメリアはまるでそこに居て当然のような表情で、丁寧に畳まれた法衣を差し出してきた。  窓を叩きつける風の音。どうやら、昨日も天気は良くなかったが、今日もあまり良くないらしい。 「早いな」 「朝の祈祷がありますから」 「……まるで敬虔な教徒だな」  藤堂のパーティに居た頃は、俺が目を覚ます時間は皆が起きる随分と前だった。  朝の挨拶を受ける側になるのは久しぶりだ。  思わず出た俺の言葉に、アメリアが憮然とした表情で答える。 「アレスさん、私は間違いなく敬虔な教徒です」 「……そうだったな。悪かった」  昨日の第一接触のせいでかなり突拍子もないイメージを抱いてしまったが、確かに昨日の会話は別に教義に反するものではないし、元より、教義云々について、それを守っていない俺に口を出す権利があるわけもない。  さっさと朝の身支度を終えると、何が面白いのかじっとこちらを見ていたアメリアに向き直る。  現在の勇者の状況については昨日のうちに伝えてある。今日からが任務本番だ。 「教会で待ち伏せる。藤堂の試験の結果によって動きも変わってくるはずだ」 「はい」 「できれば藤堂と会話して今後の動きについてもある程度コントロールしておきたい。俺は顔が割れているから接触はアメリアの仕事になる」  一応持ってはいくが、仮面は使わずに済みそうだ。  俺の言葉を受け、アメリアは自信なさそうでもありそうでもない、無表情で小さく頷いた。 「……パーティに入って欲しいと言われたら断っていいんですよね?」 「……ああ。もちろん断って構わない。何なら、入ってくれても構わない」 「お断りします」  俺の半ば本気で出した冗談に眉を潜めるアメリアに、俺は顔を大仰に背けた。  俺は一人でも大丈夫だから、何かの間違いであのパーティに入ってくんねーかな。いや、本当に。  それだけで俺の負担が大きく軽減されるんだが……。  それが何よりのサポートと言えるのではないだろうか? §§§  神聖術とは神の奇跡である。  信仰を深める事で威力が増すとされるそれは、起こされる結果だけ見れば魔術と大して変わらないように見えるが、厳密に言えば全く別の力とされている。故に、教会の本部は神聖術を指すのに魔法という言葉を使わず、神法という言葉を使う。  一般には魔法という言葉の方が伝わりがいいので、俺や魔物狩りを営むプリースト達は魔法という言葉を使っている事が多いが、教会の総本山で働くプリースト達が聞いたら苦い表情をされる事もあるだろう。まぁ、どうでもいい話だ。  プリーストの能力認定は礼拝堂で行われる。   祭壇の前にはヘリオスと藤堂が向い合って立っていた。  その背後にはどこか心配そうな表情のリミスと、硬い表情のアリアが控えており、ヘリオスの後ろには補佐という名目でアメリアが佇んでいる。  天気が悪いにも関わらず客の数は少なくない。  フードを深く被り、礼拝客に紛れるように数十席ある席の一つに着く俺に、藤堂達が気づいた様子はなかった。  もちろん、気づかれたとしてもプリーストである俺が礼拝堂にいるのは何もおかしい事ではないだろう。  視線が遮られない程度にフードをあげ、ばれないように注意しながら藤堂を観察する。  疲れが溜まっているのか、藤堂の眼の下には薄っすら隈が見える。だが、自信があるのだろう。その表情に不安などは見えない。  藤堂までの距離は十メートル以上あったが、意識を聴覚に集中するとぎりぎりで会話が聞き取れた。 「それでは、これから藤堂さんの能力認定を実施します」   「……はい」 「神は貴方の信仰に相応しい奇跡を授けてくださいます。私がこれから述べる奇跡を順番に行使して頂き、十分な奇跡を授かっていると判断できれば合格です」 「……わかりました」   粛々と進んでいく説明に、藤堂が真剣な表情で答える。  教会本部で働くようなプリーストには知識も必要とされるが、プリーストにとって最も重要なのは奇跡である。何故ならば、教義によって、奇跡は信仰心を反映したものだとされているからだ。  そして、祈祷によって能力が上がる以上その情報はあながち間違いというわけでもない。  藤堂は召喚された際に八霊三神から加護を得ている。  八霊とは八柱の偉大なる大精霊の事を指し、三神とは三柱の大神の事を指す。アズ・グリード教会の僧侶の奉じる秩序神アズ・グリードは三神のうちの一柱であり、その加護を強く受けている藤堂に使えない奇跡は恐らく存在しない。  今はまだ祈祷の祝詞を添えなければ奇跡を起こせないが、いずれ俺と同様、奇跡の名前だけで神聖術を使用する事ができるようになるだろう。  試験が開始される。  俺が見ている事もつゆ知らず、ヘリオスの要請する術を行使していく。  詠唱も術式も所作も俺の教えた通り、完璧だ。彼の頭は悪く無い。大体の呪文は一度で覚えるし、十字を切る動作も当初とは異なり、洗練されたものになっている。  祝福、回復、補助と危うげなく、迷いなく行使していく藤堂。集中しているのだろう、その真剣な表情と淀みない動作に、リミスがほっと息を吐くのが見えた。  もともと藤堂は、最下級の認定試験では求められないレベルアップの奇跡まで行使できる。今回求められるであろう奇跡で使えないものはなく、ヘリオスも試験内容で不正は起こさないだろう。それは神への冒涜だ。  特に問題なく進む試験。  一通り終えた所でヘリオスが急に言葉を止め、慇懃無礼に両手を叩き始めた。  穏やかな微笑みを浮かべ、藤堂を称賛する。 「素晴らしい才能です、藤堂さん。神聖術を覚えてからどの程度経ちましたか?」 「……十日……くらいかな」 「最下級とは言え、たった十日で奇跡を許されるとはまさしく――アズ・グリードはまさしく、貴方に微笑んでおられる。奇跡の効果も特に問題ありません」  最下級の神聖術は種類もそれほど多くなく、難易度も高くない。だがそれでも……並のプリーストでは習得に一年はかかる内容だ。  それをたった十日で修める事ができた藤堂の特別性に疑う余地はない。 「……じゃあ――」  少し硬かった藤堂の表情が僅かに緩む。  まるでそれを見計らっていたかのように、ヘリオスが満面の笑みを浮かべて言った。 「では、今行使した神聖術をもう一度使用して頂きましょう」 「……どういうこと?」 「それにて、藤堂さんを第五級僧侶として認定致しましょう」  眉を潜める藤堂の言葉を無視してにこにこと続けるヘリオス。  藤堂は憮然としていたが、それ以上話し合っても無駄だと判断したのか、再び『祝福』から順番に神聖術を使用し始める。  変化はすぐに訪れた。  二度目の五級回復神法を行使してみせた所で、藤堂の表情が、やや訝しげなものに変わる。  ヒーリングが終わったにも関わらず、次の術を行使する様子を見せない。 「? どうしたの? ナオ」 「……いや……何でもない」  今まで淀みなく進めてきた藤堂の変化に、リミスが首を傾げる。  藤堂は眉をしかめながらも、次の術に入る。  ――だが、既に試験は終わっていた。  続けて筋力アップの補助をかけ、敏捷アップの補助を掛けた所で、藤堂が感じていたであろう違和感が表に出始める。  特に遠くからだとその異常がよく見えた。  姿勢が変わる。ぴんと立っていた身体が動き初め、足が僅かに震え始める。十字を切る手にぶれが見え始め、唱えられる詠唱の声色にも乱れが出始める。  ヘリオスの表情は変わらない。ただ、張り付いたような穏やかな笑み。  一方で藤堂の方はようやく自覚出来る程の症状が現れたのだろう。顔色がやや白み眼が大きく開かれ、自身の震える指先に向けられていた。  神力とは信仰心の証、神の加護の証だ。  人は皆、生まれつき神力を持っており、神の加護を受けている。魔力とは異なり、神力がゼロの人間は存在しない。  無意識の内に受けている加護は実はとても強力で、本来ならばそれが切れる事はない。  ――ではいかなる時にそれが切れるのか? 「身体が……重い……?」  藤堂の唇が僅かに震え、呆然としたような小さな声を出す。  次の瞬間、膝が碎け崩れそうになった藤堂を、慌てて前に出たアリアが支えた。  これがその答え。  神力の枯渇現象。無意識の内に受けている加護の消失だ。  藤堂は今、自身の身体がとてつもなく重く感じている事だろう。プリーストならば誰しもが一度は体験するそれは、気づかない内に受けている加護がどれ程強力なものなのかを教えてくれるものだ。  砕ける膝。重い身体。手足の力は驚くほど入らず、ただ立っているだけで疲労が蓄積されていく。  握った剣は上がらず、鎧の重さに負け、一度伏せば立ち上がることすら困難になる。  身体能力の異常低下。神の奇跡を下ろす代償は大きい。本来、生活しているだけでは切れるわけがない加護が切れた時  特に、レベルが上がれば上がる程、無意識の内に受けている加護も強くなっていくので、神力が切れた場合に感じる落差も大きくなる。  少し休めば神力が自然回復し加護が復活するが、戦闘中の枯渇はなんとしてでも避けねばならない。  震える視線でヘリオスを見上げる藤堂に、優しげな声でヘリオスが述べる。 「藤堂さん、それが神聖術の代償――神力が枯渇した証です」 「神力が……枯渇?」 「ええ……」   今まで後ろに下がっていたアメリアが前に出て、藤堂の頭に触れる。  一瞬アメリアの手の平が飴色に輝く。藤堂がふらつきながらもしっかりと立ち上がった。  アメリアが行使したのは、自身の神力を譲渡する術。本来、プリーストが一人しかいない一般的なパーティではまず披露されることのない術である。  手の平を開閉して戻ってきた力を確かめる藤堂に、ヘリオスが続ける。 「藤堂さん、貴方の神聖術は八霊三神の加護を持つ者として相応しい力を持っています……が、足りません」 「足り……ない?」 「はい」  笑みを崩さないヘリオスに、藤堂は引きつった表情を向けた。  ヘリオスの細められた眼の奥はきっと、笑っていない。 「貴方には奇跡を起こした回数が圧倒的に足りていない。最下位の奇跡を二周連続で行使出来る事、それが――第五級僧侶……教会の定めるプリーストとしての最低限の力です」 「ちょっと待て……つまりそれは……不合格、と?」  アリアが険しい表情でヘリオスを睨みつける。  恐らく、不合格は予想していなかったのだろう。  ヘリオスはアリアの鋭い視線もどこ吹く風、再び疎らな拍手を始める。 「ええ。まぁ、奇跡の効果は問題ありません。素晴らしい。敢闘賞はさし上げましょう」  本心なのか挑発しているのか。傍目からは馬鹿にしてるようにしか見えない。  案の定、リミスが猛然と食って掛かる。 「なにそれ!? 馬鹿にしてるの!?」 「いえいえ、魔導師のお嬢さん。教会の奇跡をたった十日で使えるようになったというのは間違いなく偉業です。総本山で修行に勤しむエリートでもそこまでの速度で奇跡を使えるようになった者は殆どいないでしょう」  ヘリオスの言葉は正しい。速度は大したもの、加護は大したもの、才能は大したものだ。  足りていないのは時間と努力だけだ。そしてそれは、徐々に教えていくはずだったものだった。  縋りつくかのような暗い声色で藤堂が呟く。  「でも……駄目、なのか……」 「ええ。ご容赦下さい、勇者様。プリーストのスキルには人の命がかかっており、神力の枯渇はプリースト本人の命にも関わる。教会としては妥協するわけにはいきません」  馬鹿にしたような態度に、それに追加で付け加えられる論理的な意見。  人の命がかかっているとまで言われた以上、藤堂がそれを押し通す可能性は低い。声を荒げる様子も、あからさまに敵対するような態度もとっていない以上、ヘリオスは藤堂にとって非常にやりづらい相手だろう。  リミスも顔を真っ赤にしているが、何も言えずに睫毛を震わせている。  藤堂の美徳は正義である事であり、そして弱点もまた正義である事だった。  ヘリオスが慰めるように手を肩に伸ばす。藤堂が反射的に一歩後ろに下がり、それを避けた。  それでも、ヘリオスの笑みは曇らない。伸ばしかけた手を引っ込め、何事もなかったかのように続ける。 「……藤堂さん、そう落ち込まずに。足りないのは時間だけです。何度も繰り返し使用し神力さえ高めれば、すぐにでも試験に合格することでしょう」 「時間が……時間が、足りないんだ。立ち止まっている暇は僕達には……ない」  口調は弱々しく、だがしかし絶対の意志を感じさせた。  思いつめたような表情。その表情に、一抹の疑問が沸く。  ――ならば何故、どうして俺を追い出したのだろうか。どうして俺は追い出される事になったのだろうか。  不思議だ。とても不思議だ。彼は正義であり、使命感もある。  遊びで勇者をやっているわけでもないし、直情型だが決して物分かりが悪いわけでもない。彼我にあった蟠りも決して致命的なものではなかった。追い出される兆候はなかったはずだった。だからこそ、俺はレベル上げを最優先にしたというのに。  女じゃなければ駄目なんだ、なんていう理由でプリーストを追い出すか? 代わりが簡単に見つかると思っていたから?      想定はいくらでもできるが、どれもしっくりとこない。まぁこれは、藤堂の猫かぶりを俺が見抜けていないだけなのかもしれないが……。  目を凝らし、じっと藤堂の横顔を観察する。そこからは何も読み取れない。  その時、藤堂の視線がヘリオスからその後ろに立つアメリアに移った。  藤堂の眼に希望の光が灯る。食らいつくようにアメリアの方に一歩出る。 「そ、そうだ……そこの君、僕のパーティに入ってくれないか?」 「……私ですか?」  無理だ。それは無理だ。上司からの命令という形をとっても無理だった。  唐突なスカウトにもアメリアの表情は変わらない。無表情のままだ。  どう考えても好感触の表情ではない。  それに気づかないのか、あるいは交渉出来る自信があるのか。  それとも、それこそが勇者の持つ勇気という奴なのか。勇気と言うよりどちらかと言うと無謀に見える。 「ああ。僕達のパーティにはやむを得ない事情でプリーストがいない。戦闘は僕達がやるから、サポートだけしてくれないか!?」  イエスと言え! 助けてやるんだ、アメリア!  大丈夫、クレイオには俺が話を通しておく! 哀れな勇者を助けてやってくれ!  藤堂の意志と俺の祈りが今初めて一致する。  アメリアは僅かに首を傾げ、唇を小さく動かした。 「嫌です」  たった一言、拒否の言葉。  スカウトした藤堂はもちろん、アリアもリミスも、ヘリオスまでも、あまりに簡潔な答えに呆気に取られている。  無駄がないにも程がある。嘘でもいいから理由くらい言ってやれよ。 page: 22 第二十レポート:正義・憤慨・攻勢 「術自体は申し分ありません……流石に強い加護を持っていらっしゃる」  本心から感心するようにヘリオスが顎に手を当てる。  藤堂達は既に礼拝堂から出て行っていた。アメリアも見送りの名目でそれについていっている。  深くフードを被る怪しい男(俺)と、教会の神父の組み合わせが珍しいのか、礼拝客がちらちらとこちらに視線を向けていた。  それに気づいていないわけでも無かろうに、しかしヘリオスは笑顔を絶やさない。  その様は穏やかというより少しばかり狂信的に見えた。 「あれで攻撃役となると……『聖騎士』になるのも夢ではないでしょう」  教会の擁する戦力の中でも本当にごく一部しかなれない特殊な騎士の名前を上げる。  俺はため息をつき、 「あいつは魔術も使える」 「……おやおや、まさしく勇者的ですねぇ……」  神力と魔力は反するもので、どちらも同時に伸ばすことは難しい。  魔術を極めようとすれば信仰を深める時間がなく、信仰を極めようとすれば魔術の深奥に足を踏み入れる暇はない。  その双方を可能にするのには神聖術と魔術、両方の極めて高い才能が必要とされる。  何度も言うが、ポテンシャルという意味で、藤堂直継の才能はずば抜けている。  剣を振れて守れて魔術を使え神聖術も使える。現実世界よりもお伽話の中でよく見られるような、そんな英雄的な人材。  しかし、その前に確認しなくては。  その細められた眼に視線を合わせ、問いただす。 「その勇者という単語はどこで聞いた?」 「人の口に戸は立てられません。状況は劣勢で、そして……召喚を行う聖女の動向は追いやすい」 「……チッ」  抜け目のない男だ。もう完全にバレている。  ヘリオスは教会の人間でおまけに司祭位。聖勇者という存在に対するリテラシーはかなり高いだろうが、藤堂が勇者様という呼称を否定しなかった事によって確信したのだろう。  大きく深呼吸して心を落ち着ける。  知られてしまったものは仕方ない。使えるものは使う。 「この近くに魔族が現れた形跡は?」 「村の周辺に現れたという形跡はありませんが、大森林の奥には魔族が住み着いているという噂が有ります」  ただの噂、都市伝説の類だ。だが、魔族は一般の魔物が進化した姿だという説もある。  時間経過によって召喚の痕跡は確実にバレる。一処に留まれば確実に補足されてしまう。  魔王は馬鹿ではない。  その時は、この村のキャパシティを大きく超える上位の魔族が復数派遣される事になるだろう。  レベル30代のハンターが複数人いた所で上位魔族には敵わない。 「ヘリオス、あんた、魔族と戦えるか?」 「ふふふ……最下級ならば問題なく」  にやりと唇を歪め、ヘリオスが笑みを作る。その眼の奥にちらちらと見える暴力的な衝動だ。以前抱いた印象、疑問が確信に変わる。やはりこの男、普通の神父ではない。  攻撃的でなければ、暴力的な傭兵が多数存在するこの村で神父などやっていられないのだろう、などと考えてしまうのは簡単だが、どう考えてもその奥に見える欲情はそういうレベルのものではない。  神聖術の一種である退魔術は闇の眷属に高い威力を発揮する。  その分野においてのみ、俺達は攻撃役としての役割も兼任する事が出来る。  半ば確信しつつ尋ねる。 「……あんた、元悪魔殺しか」 「……もう既に引退した不詳の身です。しかし、盾になるくらいならば出来ましょう」  断罪する者の眼。殺しに付随する快感、征服欲、愉悦。  瞳の奥には心が眠っている。何故引退したのかわからないくらいに、ヘリオスの闇に対して抱いている感情はかなり高い。  精緻に研がれた剣のような眼光は盾になる事くらいしか出来ない人間のものではない。  レベルは聞いていないが司祭位を持つ悪魔殺しならば、最下級の魔族を相手に遅れを取るような事はないだろう。  命を掛ければ上級魔族の足止めも可能かもしれない。尤も、神父が死んだらこの村の人々は大いに困る事になるだろうが。 「魔族の気配を感じたら報告してくれ」 「承知しました。アレス様は何を?」 「面倒だが最善は尽くすつもりだ。藤堂が森に入ったら気づかれないように注意しながらそれを追跡する事になるだろう」  想像するだけで怖気立つくらいに面倒臭い作業。  だが、やむを得ない。手が足りていない。藤堂の死は即ち、この任務の失敗を意味する。手放しで放置しておける程、藤堂達はまだ強くない。  幸いな事に尾行の経験はある。斥候や盗賊など、感覚が鋭敏なメンバーがいない今の状態で俺の尾行が気づかれる事はないだろう。  ヘリオスの表情が変わる。目を瞬かせ、意外なものでも見たかのような表情。 「それはそれは……お疲れ様です」 「アメリアには街での工作を任せる。手が足りなくなったら助けてやってほしい」 「……ええ、それはもちろん。あのような面白いお嬢さんは初めて見ましたよ」  心底感心したような口調。  あれを面白いで済ませられるのは恐らく当事者ではないからだが、確かに俺もあんなシスターは初めて見た。それがいいか悪いかはまだわからん。 「有力な仲間候補を見つける。勇者のレベルを上げる。レベルが上がる前に現れた魔族はなんとしてでも止める」  俺が魔族ならば村の中にいる勇者を襲ったりはしない。  あまり平均レベルは高くないとはいえ、この村は傭兵の村として有名だ。村をずらりと囲う頑丈な壁があるし、村全体に高名な僧侶による結界も張られている。  闇の眷属の力を縛る結界だ。高位魔族の侵入を防ぐ事さえできなくとも、その能力を大きく縛ることくらいはできるだろう。魔族側に取って、この村で勇者を襲うのは効率的ではない。  プランは単純だが、実施は困難で、だがプランというのは大体そんなものだ。  どうしようもない問題は一つだけ。 「プリーストの融通は?」 「くくく……クレイオ枢機卿閣下はその件についてはノータッチを決め込んでいるようです」 「……チッ。あの男、本気でやる気がないのか?」  クレイオの思考だけがわからない。  藤堂が更生する事を見込んでいるのか。それだけの時間が今存在すると思っているのか。俺にはそれが楽観にしか思えない。  プリーストが欲しい。プリーストが手に入らなければ、それ以外で、僧侶以外で回復の術を持つ仲間を入れる必要がある。妖精魔導師や薬師……だが、どれも一長一短だ。  そしてプリーストは諦めたとしても果たして……女の妖精魔導師や薬師が彼の仲間に入ってくれるだろうか?  選択に欲望が透けて見えすぎている。  英雄色を好むとは言うが、勇者のラベルを剥がした藤堂についていく魔導師が何人いる? 顔が良ければついていくか? 金があればついていくか? 力があればついていくか? カリスマかあるいは権力か?  今の所、展望は見えない。  藤堂、お前は自らの剣で魔王を殺さねばならない。ヒーラーをやっている暇など一秒たりとも存在しないというのに。  ヘリオスが、肩を叩いてきた。 「心配なさらずとも。私共の斡旋こそ止められておりますが、自ら女僧侶をスカウトすればよろしい。そこまで妨害しろとの命令は受けておりません」 「……そうか」  だが、女僧侶のみを求めるその姿勢が受け入れられる可能性がどれだけある? 顔でたぶらかすか?  何故男では駄目なのか、そう聞かれた時に何と答えるつもりなのか?  藤堂が女だったらよかった。女だけで組むパーティは珍しいが存在しない事もない。魔物との戦闘において発生する分業、女だけで進む道中のリスクやいざこざを考えると効率的ではないが、性的な安全を求めるその考えは理解出来る。  ヘリオスが取ってつけたような慰めの言葉をかける。 「神がきっと藤堂さん達をお導きくださるでしょう」  神様に任せておけたらどれだけ楽だったか。  ため息をつき、無駄な袋小路に陥りかけていた思考を切り替える。  立ち止まっている暇はない。藤堂にも、そして俺にも。  それだけが俺と藤堂の双方に存在する唯一の共通点だった。 §§§  アメリア・ノーマンというシスターは優秀だ。  レベル55という高いレベルに強力な神聖術。  清楚な見た目に、冷徹に物事を実行するくそ度胸。性格こそまだわからない所が多いが、これで命令をちゃんと聞く事ができたのならば完璧だと言えるだろう。  だが、たった一つだけ、何よりも優秀な点を述べるとするのならば、彼女がただの僧侶じゃない――白魔導師である点が上げられる。  総人口が少ない職だ。まず市井で見かける事はない。もし俺が僧侶じゃなかったのならばその魔導師の名前すら知らなかっただろう。  俺も全然詳しくないが聞いた所、その魔導師は攻撃でも回復でもない分野に特化しているらしい。  昨日少しだけ確認したのだが、その中の一つに通信の術式がある。  そう、遠方の相手と通信するための術式。  彼女はあろうことか……魔導具なしで遠くにいる他者と会話する事ができたのだ。  俺も初めて知ったのだが、もともと俺が受け取っている通信用の魔導具はその術式をベースに構築された道具らしい。  言わば、この魔導具は『不可視の波紋』と呼ばれるその通信術式の劣化版と言える。  アメリアの使う魔法は、間に取次を挟む必要もなく、そして受信する相手も魔導具を必要としない、そんな術式だ。  まさにスパイにうってつけの術式であり、それを聞いた瞬間にもう一度藤堂の元にいってくれないか頼んでみたが断られてしまった。  それはそれで残念ではあるが、例え潜入しなかったとしてもその術式の有用性は霞まない。  スパイさせるにしても別行動を取るにしても、情報の伝達手段が大きなネックになってくる。アメリアのその術式は、他の性能を全て無視して彼女を優秀と評価出来るような、そんな術式だった。  教会を出て、藤堂達が狩りを始めた時の備えのために薬屋で回復用のポーションを買い漁っていると、急に脳内で声が聞こえた。  聴覚ではなく、脳に直接響き渡っているような声。藤堂と共に出て行ったアメリアのものだ。 『アレスさん、藤堂さん達から、これからどうするのか聞き出しました』 「ああ」  聞き出せたのか。よくやった。  プリーストが仲間に入れられないとなった時の藤堂の行動。  色々想定はできるが、単純に考えれば今後の行動は二つに絞られる。  プリースト抜きでレベル上げに行くのか、それとも行かないのか。  誤解しないように言っておくが、藤堂は物は知らなくとも馬鹿ではない。こうして俺の忠告を守り二日という日数を消費しているのがその証拠。だが彼は勇者でもあった。僅か十日程度とは言え、寝食を共にしたのだ。何となく行動理論はわかる。 『傭兵の斡旋所で新しい仲間を探して、レベル上げに戻るとのことです』  アメリアから返ってきた言葉は、ある意味では予想外だったがある意味では予想通りだった。  レベル上げに戻るという選択が予想通りで、新しい仲間を加えるというのが予想外。  買ったばかりのポーションの束をリュックにつめ、それを背負いあげながら考える。  新しい仲間……昨日、斡旋所を訪れ、女僧侶を仲間に入れるのは不可能と悟った事だろう。  傭兵たちに馬鹿にされたにも関わらず今日も訪れる、新しい仲間を探すというのならばそれはきっとヒーラーではない。  となると、目的は攻撃役か。  回復役の大きな役割は回復だ。攻撃役を増やして、ダメージを受ける前に魔物を殺す事ができれば有用性は薄れるし、無傷でなくとも多少のダメージならば回復薬や藤堂のヒーリングでカバー出来る。  少なくとも、そのまま三人でレベル上げに戻るよりは無謀ではない。  誰の入れ知恵だ? リミスがそんな事を考えるとは思えないので、アリアか藤堂の発案だろうか。  面白い案だが、その案には一つだけ問題がある。  いや、そもそも、勇者という事を隠して藤堂のパーティにメンバーを追加するのはかなり難しい。  もともと、世間知らずを集めたそのパーティには問題があった。優秀な傭兵を仲間にするには権力か金か理かあるいは――強い運がいる。  今の藤堂のパーティには手を汚せる人間がいない。  俺と別れてから二日。藤堂はそろそろ自分たちの役割がお伽話のようにただ敵を倒す事ではないという事を実感している頃だろう。  天を見上げる。風は強く、分厚い灰色の雲が見渡す限りを席捲している。もしかしたら今夜はまた雨かもしれない。  別に信じているわけではないが、まるでそれは藤堂の未来を暗示しているかのようだった。 「どうやら藤堂の運命が試される時が来たようだな……」 『運……命?』  厚いフードを再び深く被る。  斡旋所は復数あるが、藤堂が訪れるとしたら昨日も訪れたあの斡旋所だろう。  プリーストの代わりに入れるのだ。強さを求めればあそこに行き着く。  大通りはハンター達と商人達で賑わっていた。  露店ですぐに食べられる串焼きやサンドイッチの類を売っている者、魔物の特定部位の買い取りを行う者、別の町から取り寄せた効果の怪しいお守りを売りさばくもの、はたまた補助魔法を低価格でかけると謳う者。  藤堂。お前はこの中の何人がお前の正義をわかってくれると思う?  大部分の人は皆、自らの欲望に沿って動く。特に傭兵はその傾向が強い。  藤堂の持つ前代勇者の剣――エクスは持ち手の意志を斬れ味に変換する聖剣。言わばそれは勇者の意志それ自身だ。  果たしてこの世界の残酷さを知ったその時、全てが思い通りに動かないと知ったその時、その剣は斬れ味を保っていられるか?  英雄だって挫折する。  いや、苦難に見まわれ数多の辛苦を乗り越えてこそ、英雄となるのだ。  その剣の元の持ち主もまた、無数の困難と向き合いそれを乗り越えた。故に――勇者。  俺と別れてから受けたであろう数多の試練はまだ序章でしかない。  それを乗り越えるのは藤堂の責任だった。 §§§  そして、斡旋所で俺が見たのは悍ましい程の熱だった。  扉を開けた際に響いた鈴の音に注意を向ける者はいない。  視界を満たす赤と黒。  床を濡らす血だまりと、テーブルに伏す青褪めた男。床に転がり蠢く腕のない男。びくんびくんと断続的な痙攣を繰り返す白目を剥いて伏す男。うめき声と響き渡る怒声。わめき声にすすり泣くような声。  怪我人は一人ではない。恐らく、掴みかかろうとして斬られたのだろう。死なないまでも重傷を負ったものは少なくない。  腕のないもの。足から血を流す者。鋼鉄の鎧を着込んでいたにも関わらず、装甲ごと切り裂かれ転がる戦士。部位は様々だが、全て――斬撃によるものだ。  同じパーティのメンバーなのだろう、跪き、怪我人に必死に回復魔法をかけるプリーストの姿。回復魔法には格がある。アベレージ30では部位欠損までは治癒できないし、そもそも一人一人かけていたら神力が枯渇する。  だが、より哀れなのは仲間のプリーストがこの場にいなかった怪我人だ。傭兵の死は自己責任。助けを求める声、無数の無情な旋律は戦場で良く聞いたものだった。それに手を差し伸べようにも他のプリーストにも余裕はない。  薬もないのか、血が流れるままに放っておけば遠からず死ぬだろう。  うめき声に交じるのは怨嗟ではなく絶望、そして恐怖。  意味のなさない声は生ける死体に似ている。 「はぁ、はぁ、はぁ……あ……う……血……あ……」 「……なるほど、そう来たか」  呟く俺の声を聞くものはいなかった。  斡旋所内を見渡す。藤堂一行の姿はない。  面倒な事をしてくれる。いや、これがお前の選択という奴か。  ……まぁ良いだろう、勇者。  お前の役割は魔王を倒す事。俺の役割はお前のサポートをする事だ。  血だまりを踏みつけ前に進み、伏す男の側に屈みこむ。  二の腕から下がなくなった腕、断面を確認する。躊躇いのない切り口だが、そこに意志は感じられない。反射的に切り刻んだのか。斬られたからそれほど時間は経っていない。聞いてからすぐに斡旋所に向かう事にして正解だった。  死人はいないようだ。  どうせならば殺してしまえばその存在力でレベルが上がっただろうに……いや、そこまでやってしまえばもはや勇者とは呼べない、か。  苦悶のBGM。  誰一人としてこの惨状を成した者の名を叫ぶものはいない。だが、俺は確信していた。 「これは貸しだ。藤堂直継」  乱暴に被っていたフードを解放する。  唇を舐め、血の香りを吸い込むと、眉一つ動かさずに祈りを捧げた。 page: 23 第二十一レポート:証拠隠滅・保護  英雄召喚  アズ・グリード神聖教の有する秘奥。  聖女の祈りと莫大な魔力・神力を消費し、異世界から世界を救う英雄を召喚するその儀式は、度々お伽話の中で現れるが、現実での試行回数は多くない。  場と術者と力、その三つが揃わねば使用する事すら出来ないその神聖術は教会の歴史を紐解いても数える程度しか行使されてこなかった。  百年に一度? 二百年に一度? あるいは――それ以上か。  世界が闇で包まれんとする時、どこからともなく現れる数多の加護を持つ勇者。  それはまさにお伽話に出てくる世界を救う魔法と言えるだろう。  術式についての情報は教会の最高機密であり、その術式の行使を要請したルークスの王すら詳細は知らないだろう。  だが、教会の人間である俺にはある程度の情報が与えられていた。  異世界にはこの世界の神々がいない。レベルも無ければ魔法もないし、当然――加護もない。  召喚されてきた勇者に加護が与えられるのは術式の効果の一つだ。教会の過去の記録の中で、加護を一つも持たない勇者が召喚された記録はない。  ――だからといって、召喚対象は誰でも良いというわけでもない。  俺の知る情報の一つに……英雄召喚の術式は決してランダムで異世界人を引っ張ってきているわけではない、というものがある。  そりゃそうだ。攻撃性、残虐性の高い人間が勇者として召喚されてしまえば、複数の加護を持つ超人が敵になると言う悪夢のような事態に陥りかねない。内側から滅ぼされるという可能性すら出てくる。  最低限の制限は必要だ。  曖昧模糊とした単語、あやふやな概念。  俺の知る英雄召喚の対象の選定基準。  それは対象が――『正義』であるという事である。 §§§  どうする? などと思考するまでもなく、俺の行動は決まっていた。  勇者が町中で抜刀し事もあろうに複数人に重傷を負わせる? 下らない冗談だ。  俺の足元を中心に、鮮やかな緑色の光が奔っていた。それは波となって戦場跡さながらの斡旋所内を満たす。  最上位の神聖術『一級範囲回復神法』  部位欠損を治癒するには一級以上の回復魔法が必要だ。  切り落とされた部位が残っているのでもう少し手を抜いても問題ないのだが、あえて最上位の回復魔法を使用した。これは俺のエゴだ。  神力が大量に消費される感触。  範囲を対象とする神聖術は神力の消費が激しい。だが、それに見合った奇跡をもたらす。  上がっていた亡者のようなうめき声が戸惑いの声に変わる。  必死に治療――切断された腕をくっつけようとしていたプリーストの手の中で、切断面が光で包まれ再生する。  包帯を巻かれ寝かせられていた男の痙攣が止まり、唐突に上半身を起こす。その包帯は滴るほどに血で滲んでいたがもう既に傷はないだろう。  切断された右足に包帯を巻いていた男がうめき声を上げる。包帯を突き破って生える新たな足に、すぐ側で男に哀れみの眼を向けていた老年の傭兵が悲鳴をあげた。 「あ……え……」  やがて、仁王立ちでそれを見守っていた俺に視線が集まる。  奇跡の瞬間。  範囲回復魔法何てそうそうに見られるものではない。  俺だって使うのは久しぶりだ。だが、どうせ使うのならば戦場で使いたいものだった。  視線が眼に、銀髪に集まり最後に僧侶の証に集まった。  声にならないざわつき。リュックサックを背から下ろし、あえて大きな音を立ててテーブルの上に置く。  今まで黙って突っ立っていた痩せた斥候風の男が恐る恐るといった様子で声をあげる。 「あ、んた……昨日来た、ハイ・プリースト……様」 「アレスだ。さぁ、何があったのか話してもらおうか?」  まずは状況把握から。  斡旋所内。まだ真っ昼間なので席は埋まっていないが、二十人近いハンターがいる。パーティでいえば四、五個か。  パーティ単位で全員揃っているとは限らないので実際はもう少し多くのパーティのメンバーがいるだろうが、数で言うのならばそれほど多くはないだろう。もしこれが夜だったら酒を飲みに来ている者がいるのでもっと多かったはずだ。  腕を切り落とされていた男がふらふらと縋り付き、涙と涎でぐしゃぐしゃに濡れた顔で感謝の言葉を述べてくる。  感謝なんていらん。欲しいのは事情の説明だ。  数秒の間黙ったまま見下ろしてやると、ようやく俺の要求を察したのか、嗚咽混じりで説明を始めた。  黙ったまま話を聞く。嗚咽混じりの言葉は酷く聞きづらかったが、何とか理解できた。  やはりこれは藤堂の仕業のようだ。  予想通り、藤堂が仲間を探すにもう一度訪れたらしい。  条件は前衛火力でレベル30前後で――女性。  いきなり30前後の戦力になる傭兵……おまけに女を見つけるのはそもそも難しいが、それ以上に前提条件が悪かった。  藤堂のパーティには回復役がいない。  誰がヒーラーのいないパーティに入ろうと思うだろうか?  ド素人ならばまだ知識不足で引っかかるかもしれないが、レベル30にもなった傭兵がそのようなリスクを踏むわけがない。踏むわけがないのだ。  リスク管理は傭兵の基本である。誰が命綱なしで魔物と戦おうとするだろうか?  そう、それこそが俺が藤堂の次の行動を知った時に浮かんだ問題だった。  プロの傭兵はヒーラーの重要性を痛いほど知っている。  義理も金も権力もなしでヒーラーもおらず、女を求める。そんな藤堂のパーティに入ろうとするものなどいない。いるわけがない。こいつらは遊びで傭兵をやっているわけではないのだ。  前回と同様、その傭兵のイロハとも呼ぶべき『常識』を知らなかった藤堂たちは暇を持て余していた傭兵たちの良い的だった。  嘲笑われた藤堂は顔を真っ赤にして、しかし怒りを堪えていたらしい。  しかし、そこでまた一つ問題が発生する。傭兵の一人――腕を切り飛ばされていた男――が、無知な新人に対するからかいだったのか威嚇だったのか、藤堂の肩を掴んだのだ。  そして、次の瞬間、男の腕は藤堂の剣で切り飛ばされていた。  他に傷を受けていた数人は完全にとばっちり。いきなり抜剣した藤堂を押さえようと跳びかかって斬られた。急所を突かれていなかったのは藤堂にとっても殺す気ではなかったから。  ともすれば、藤堂自身、反射的に剣を抜いた可能性すらある。激情しやすいあいつならやりそうだ。  話している内に怒りが恐怖に打ち勝ったのか、興奮した様子で荒い息を漏らす男。 「ッ……あの野郎……いきなり剣を抜きやがった。何て野郎だ。次に見かけたらぶっ殺してやる」  つまり……まだマシという事か。  よかった。本当によかった。誰一人死人が出ていないという事、そして重傷を負わせたのが一般の村民や商人ではなく傭兵たちであったという事。こういうのは不幸中の幸いというのだ。  一般市民を殺してしまえば口封じが面倒臭い。この狭い村、噂はあっという間に広まるだろう。  まぁ、もうこの斡旋所で新しいメンバーを探すのは無理だろうがな。  俺は一度小さく息を吐き、目の前の運の悪かった男に言った。 「つまりお前は、負けたわけか」 「……は?」  なるべく穏便に口封じをしなくてはならない。できれば、治した相手を殺したくはない。だが、心配ないだろう こいつらは物分りが良いはずだ。  予想外の言葉だったのか、目を見開く男に畳み掛けるように言う。 「からかおうと肩を掴んだら腕を斬られた。そうだな?」 「え……や、いや――」 「油断して新人に負けたわけだ。反応も出来ずに腕を切り飛ばされた。挙句の果てに囲んだにも関わらず――」  ぐるりと周囲を見下ろす。包帯を巻いた剣士風の大男に、再生した足をさすりながらコチラを見上げる痩身の男。  傷を負っていた者は六、七人程度か。  悪いのは完全に藤堂だ。こいつらはいつものように、ちょっとした悪ふざけをしただけで恐らく藤堂に傷をつける意図はなかった。  だが、そんなのは関係ない。  藤堂には魔王を倒してもらう。こいつらには口を噤んでもらう。  ただ、それだけの話だ。  まるで馬鹿にしているかのような口調で吐き捨てる。 「――取り囲んだにも関わらず、何も出来ずに斬られた。おい、この村の傭兵はいつからそこまで質が落ちたんだ?」  これが他の者から言われたのならば激高で返していただろう。傭兵連中は気が荒い者が多い。  だが、言葉を出したのは自分たちを救った高位のプリーストである俺だった。こういうのも……マッチポンプと言うのだろうか。 「……は? な、何を――」 「たかがレベル27の剣士に良いようにやられるとは情けない」  レベル自体は藤堂よりここの傭兵の方が高いだろう。だが、結果はこの通り。  油断していたとは言え、何もできずに何人も斬られてる。  それが加護持ちの恐ろしさ。  八霊三神の加護。  レベルアップと一口に言っても、その能力の上昇幅は個々人で違う。  神々の加護は藤堂の能力を最大までに強化し、その技術習得に大きな補正をもたらす。あいつはただのレベル27ではない。  レベル27の英雄なのだ。  俺の言葉を聞き、周囲がざわめく。  さっきまで必死に説明していた男が、愕然とした表情で俺の方を見る。 「レベル……27……だと? い、いや――待て、何故あんたがそんな事を知ってる……?」 「ここでは何もなかった」 「……は?」  呆然とする男を無視し、目を細め斡旋所内を見渡す。  唇を舐め、丁寧に説明する。しなくてはならない後始末だ。 「ちょっとした喧嘩はあったが、まぁ日常茶飯事だ。新人がちょっとおいたをしてしまって、ベテランのお前らが許した。多少の傷は負ったが教会からの任務でこの地に来ていたハイ・プリーストの俺が治した」  固まっている目の前の男の肩を叩く。  もしかしたらこいつも、藤堂の肩を掴んだりなんかせずに叩く程度だったらその怒りを刺激せずにすんでいたのかもしれない。  こういう時に凶相は役に立つ。睨んでなくても相手は勝手に萎縮してくれる。  眉を顰め、僅かな殺意をスパイスとして加え、 「単純な話だ。そうだな?」 「あ……あ、あ……」  青褪めた表情で僅かに頷く男。  そう、そうだ。長いものには巻かれろ。無駄なリスクは踏むな。それでいい。それこそが傭兵が長く生きるためのコツだ。  顔を上げ、再度周りを見渡す。僅かに笑みを作れば、視線を合わせた全員がこくこくと頷いてくれた。  物分りのいい連中は嫌いじゃない。  テーブルに置いていたリュックを背負う。上に乗っていたワインの瓶がぶつかり、下に落ちてけたたましい音を立てて割れた。血の臭いに被さるようにワインの芳香が立ち込める。  チッ、外套に染みが出来ちまった。  フードをもう一度深く被り、斡旋所を後にする前にもう一度、室内を見渡す。 「まぁ、お前らは運が悪かった。今日はさっさと宿に戻ってゆっくり眠るといい」 「……ああ……」 「今日は何もなかった。お前らは何も見ていないし聞いていない。俺を怒らせるなよ。俺は藤堂と違って手加減が出来ないからな」 「……あ……ああ……」  掠れたような声。ここまでやっておけば明日には全て忘れている事だろう。  体当たりでもするかのように扉を半分開け、もう一度だけ脇の下から背後を眺める。殺意を込める。  後始末はちゃんとする。証拠も隠滅する。  人の口に戸は立てられないと言うが、こいつらは賢い。もっと相応しい言葉を知っている。  死人に口なし。触らぬ神に祟りなし。  外に出て扉を閉める寸前に、背後で息を呑むような音が聞こえた。  ――あいつ……本当にプリーストかよ。  余計なお世話だ。 §§§  斡旋所の外で、青褪めた表情で中を窺っていた一匹の似非精霊魔導師を捕まえたので保護する事にした。  はぐれたのか、可哀想に。 page: 24 第二十二レポート:交渉・妥協・デジャヴ  手首を握り連行する。  リミスの身体がもう少し小さくて軽かったら首根っこを掴んで連行していたんだが、例え子猫程の脅威しかなくとも人間であるリミスにそれは不可能なのだ。 「ちょ……な、何するのよッ!」 「……お前らが何してるんだよ」 「……か、関係ない……でしょ」  声では抵抗しながらも、手を引かれるままに連れて行かれるリミス。  リミス・アル・フリーディア。  脳内で情報を整理する。  フリーディア公爵の第三子。  意志が弱くプライドが高く逆境の経験がなく、恐らくは……怒られたことすら殆どない。  フリーディア公爵家はルークス屈指の旧家であり、現王室とも密接なつながりを持つ精霊魔導師の家系である。  その魔術の腕は王国でも随一と言われており、現当主は王国の魔導師を管轄する魔導院のトップでもあった。  なるほど、肩書だけは最高だ。金も権力もある。魔王さえ現れなければ、大国ルークスの公爵の子女というこの上ない生まれの恩恵を十分に享受し、まっとうな人生を送れていた事だろう。  アリアの生家、リザース家は武家だが、フリーディアは厳密に言うと、武家ですらない。  アリアはお嬢様でも、剣の振り方を知っていたが、リミスはそれすら知っていない。  恐らく、俺達四人の中で一番運が悪かったのは――この眼の前の少女だ。  俺には経験があった。アリアには戦人としての覚悟があった。藤堂には狂気的なまでの正義(といってもあれを正義と呼べるかは甚だ疑問だが)があったが、彼女には何もない。  その経歴は同情するに足る。  蝶よ花よと育てられ、そのままだったらどこかいい家に嫁ぎ幸せに暮らすはずだった人生にいきなり現れた魔王の影は彼女にとって絶望を感じさせるに十分だったはずだ。  例えそれが英雄の妾という、ある意味栄光のある道に繋がっていたとしても――彼女は恐らく、ただのお嬢様だった。  透き通った肌はここ十日あまりの強行軍で日には焼けているがしみ一つなく、その手の平も傷一つ、たこ一つない綺麗なものだ。長く背中まで伸ばされた金の髪は昨今の強行軍で多少傷んでいるがよく手入れされており、ちょっと遠目で見るだけで彼女がただの魔導師でない事がわかる。  生粋の傭兵ならば髪を伸ばしている暇などないし、手入れする暇などもない。例え勇者のパーティに参加したとしても、リミスは貴族のご令嬢そのままだった。  だが、今その表情はぱっと見てわかる程に狼狽している。  死人のように蒼白の表情。  前髪が汗で額に張り付き、やや引きつった双眸と痙攣する頬からその心中の欠片が垣間見える。  彼女はお嬢様だ。綺麗なものばかり与えられて生きてきた生粋の公爵令嬢。  魔物を殺した経験はあったとしても、人の斬られる姿など見たことがなかったのだろう。人殺しと魔物狩りは違う。  掴んだ手を通して心音が伝わってくる。荒げられた息。  緊張、恐怖、動揺、彼女は善人だ。多少我儘であったとしても、世間知らずだったとしても。  一人で戻ってきたのは彼女の性によるものか、アリアの入れ知恵か。剣を抜いた藤堂の命令という事はないだろう、あいつだったら戻るんだったら自分が戻るだろうし。  何にせよ、あまり頭のいい考えとは言えない。様子を見に戻るとしても、顔くらいは隠すべきだ。  いきなり腕を切り飛ばした男の仲間がたった一人――おまけに華奢な女――が怒れる傭兵たちの中に入っていくなんて馬鹿げている。  あいつらは決して善人ではない。中には犯罪者崩れの者だっている。報復に手段は選ばないだろう。  引っ張ること数分、斡旋所が見えなくなるまで離れた所でようやく思考が再起動したのか、リミスが無理やり俺の手を振り払った。 「ッ……はな、しな、さいッ!」 「ああ」 「ッ!?」  遠慮無く手を離すと、覚束ない足運びでふらふらと回転し、盛大に尻もちをついた。  涙目で睨みつけてくるリミスを見下ろし、考える。  使えるか? 使えないか? 信頼出来る性質か?  藤堂への信奉の程度は? 実力は? 内偵は可能か?  俺の中でリミスの評価は決して高くない。魔導師としての実力はなかなかのものだが、彼女はまだ若すぎる。接触した印象もあまり良くない。  彼女では二重スパイになりかねない。妙なフィルターの掛かった情報は不要だ。  ……恐らく、無理だ。いや、ダメ元で提案してみるくらいはいいか? 「ッ……な、なによ。何であんたがいるのよ!?」 「傷は全て治した。死人はいない」 「ッ!! そ、そう……」  リミスがほっとしたような息を漏らす。  藤堂が今回の件をどう思っているのか気になるな。故意的なものなのかあるいは反射的なものなのか。反射的に斬りつけるとか完全に危険人物だし、だからといって許容できるような内容でもないが、こんな事を何度も繰り返されると非常に困る。  最終的には彼が勇者である事は全世界に公表される事になるだろう。多少の情報操作はなされるだろうが、最低限のモラルは必要だ。  「これは貸し一つだ。事情は聞いた。斡旋所を訪れたのは偶然だ。だが、もし俺が行かなければ死人が出ていたかもしれない」 「……そ、そう……」  死人を強調してやると、リミスの眼がまるでその感情を隠すかのように僅かに伏せられる。  やはり甘い。  十日間のレベルアップの作業で、俺達は一度も危機的状況に陥らなかった。それはまさしく作業であり、魔術を使えず戦闘に殆ど参加できなかったリミスにとっては尚更だ。果たして今後苦戦するような状況に陥った際に、リミスはそれを乗り越えられるのか?  藤堂が英雄になるという事は、その仲間であるリミスやアリアもまた英雄になるという事でなる。英雄はタフでなくてはならない。  ……まぁいい。それはまた別の話だ。  周囲にそっと視線を向け、藤堂たちが見ていない事を確認する。尻もちをついたリミスとそれを見下ろす俺。面倒な誤解が生まれそうだ。  藤堂たちがいない事を確認し、そしていくつかこちらに向けられていた視線を視線で牽制してからリミスに尋ねる。 「一つ聞きたいんだが、リミス、お前何で斡旋所に戻ったんだ? 藤堂の指示か?」 「え……や、いや――」 「まぁいい」  藤堂じゃなかったらアリアの指示かあるいは本人の意志か。アリアが仲間にそんな危険な事をさせるとは思えないので後者か。  戻ってきた理由だってどうせ大した理由ではないだろう。様子を見るためか釈明のためかあるいはただのエゴか。  言いよどむリミスの言葉を遮り続ける。 「藤堂に伝えろ。ああいった事は二度とするな、と。今回は偶然俺がいたから治療できたし死人も出ていなかったが、死人が出てしまえば無駄な遺恨を残すことになる。聖勇者の格だって落ちかねない」 「ッ……ナ、ナオだって……わざとやったわけじゃ――」  言い訳するようにリミスが叫ぶ。それに冷たい視線を投げかける。  わざとやったわけじゃないのか。わざとではなく、傭兵達を切り刻んだのか。  だが、そんなことは関係ない。どの道酷い危険人物だ。あいつは一体前の世界でどうやって生きていたのだろうか。そして、何故召喚の術式はあいつを勇者として選んだのか。  尤も、過去の勇者にだって問題のある人物はいた。魔王を倒せれば全てチャラにできる。 「俺が言える事は二つだけだ。二度とやるな、そして万が一やってしまった場合は――ちゃんと口封じしろ」 「……は? 口封……じ?」  きっとこの言葉は受け入れられないだろう。だが、言っておかねばならない。  リミスやアリアも二度目からは十分に警戒する事だろう。藤堂に対する牽制にもなる。 「お前の家は何のためにある、フリーディア公爵令嬢。少なくともこの国ではお前やリザースの名は有効だ」  何度も使えるような手ではないだろうが、公爵の名や剣王の名を使えば一方的に傭兵側を悪にする事も出来るだろう。犯罪者として拘束する事だって可能だ。斬られた上に拘束される傭兵側には可哀想だが世界のために犠牲になってもらう。  俺の言葉の意味を察したのか、リミスの顔が徐々に赤く染まる。  頭に血が上っているのか。だが、使えるものは全て使わないのは馬鹿だ。既にリミスやアリアや魔導具や金銭という形で実家の力を借りている。 「お、お父様に、ふ、不正を、しろと!?」  不正か。不正という認識はあるのか。  リミスの中では、先ほどの件は藤堂が悪いことになっているようだ。 「しろと言っているんじゃない。そういう方法もある、と言っているんだ。斬ったままで放っておけば問題になる」  腕っ節で食っているあいつらが虚仮にされて黙っているわけがない。  今の藤堂ならばもしかしたら返り討ちにできるかもしれないが、それはそれで問題になる。  視線が集まってきた。尻もちをついているリミスの手を握り引っ張り上げ、立たせる。  軽い。筋肉のついていない身体。一撃受けたら木っ端のように吹き飛びそうな身体だ。 「まぁ、そうなる前にお前が藤堂を止めればいい。お前やアリアの仕事は藤堂についていく事だけじゃない」 「言われなくたって……わかってるわよ」  どこか力なく答えるリミス。その眼には僅かに後悔が見えた。  必要なのは結果だ。だが、今はその思いがあれば十分。レベルの低いリミスにはあまり期待していない。  今回の事は俺にとっても、アリアやリミスにとっても、そして恐らく藤堂にとっても予想外だった。 「ならいい」  この程度のレベルならばまだ俺でも止められる。  だが、これ以上になれば、俺一人の手で負えなくなれば、上に連絡を取って本格的に証拠を隠滅しなくてはならなくなる。場合によっては全員殺さねばならない。  狂っているとは思うが、神の名の下に全ては正当化される。  俺はなるべく無辜の民を傷つけたくはないし逆に……勇者を殺すのもごめんだ。  ようやく人心地がついたのか、リミスが顔をあげた。やや憮然とした様子で尋ねてくる。 「……あんた、今何やってんの?」 「はぐれプリースト」 「……そう」  それ以上続ける言葉を持たなかったのか、再び沈黙。  しかし、俺の脱退が藤堂だけの意志だったのか、それともリミスの意志も入っているのか若干気になるな……。  思い当たる節はないが、彼女と俺では性別も国籍も職も育ちも違う。どの行動が地雷となるのかもわかったものではない。  まぁ、火精霊しか契約していないと知った時に詰め寄ったのはまずかったかもしれないが……でも、なぁ。  眉を顰め、大きく深呼吸して再び袋小路に入りかけた思考を何とか立て直す。  駄目だ。最近考えこむことが多い。  ――どちらにせよ俺のやることは変わらないというのに。  考えるのは後だ。 「こうして会ったついでに藤堂に伝えて欲しい事がある」 「……な、何よ?」  一歩後退り身構えるリミスを品定めする。  そうだな、この女にどこまでの事ができるのか。  スパイは無理だろう。彼女に演技など出来るわけもない……が、世間知らずというのも腹芸が出来ないというのもメリットにもなりうる。  特に……利用する側からすれば。  どの程度の頼みならば聞いてくれるか。どの程度の頼みならば俺の影を感じさせないか。  言葉を選んで伝えた。 「引き継ぎ忘れていたんだが、定期的に動向を教会に知らせて欲しい」 「動……向?」 「ああ」  指針だけでもあれば俺も対策を立てやすい。  リアルタイムで知らせてもらうのは無理だろう。それほどの信頼があれば、俺を抜くという案を出された際に反対してくれていたはずだ。  そもそも、手段もないし、俺の持つ通信用の魔導具には予備がないのでそれを渡す訳にもいかない。 「藤堂の旅の進捗はルークスにおいても教会においても重要度の高い案件だ。旅の状況、レベル、これから何をする予定なのかや、現時点での問題点などを伝えて万全のバックアップ体制をとっておく必要がある」  わかっているのかわかっていないのか、リミスは真剣な表情で小さく頷いている。  そもそも、藤堂には報告の任務は課されていなかったのだろうか? 俺が同じパーティにいる限りでは何もしていなかったようだが……。 「教会に定期的に報告を入れてくれ。各地の教会経由で国に伝わる。もともと俺の仕事だったが、俺にはできなくなったからな」 「……ええ、わかったわ。伝えておく」  後援者からの要請という事にすればさしもの藤堂も拒否すまい。……しないよな?  ……もし拒否されたらその時はまた新しい方法を考える事にしよう。  ふと、リミスが何かに気づいたように勢いよく顔をあげ、俺の眼を見た。 「そうだ、アレス! 新しい僧侶が見つからないんだけど、貴方心当たりの人とかいない?」  追い出した側の癖によくもまあ顔を合わせて聞けるものだ。  俺の脱退はリミスの中でどう決着が付いているのだろうか。  全く悪いと思っていなさそうな表情で俺を見上げるリミス。  だが、その貪欲さは悪くない。無神経さというのもまた、一つの才能だ。  ……いつか誰かに刺されそうだが。 「探してみたが見つからなかった。悪いな、教会も人手が足りていないし、そもそも女のプリーストでハンターというのは数が少ない」 「……そう。そう、よね」  何を言われたのかは知らないが、傭兵たちから散々笑われたのだろう。  リミスが瞳を伏せ、深くため息をつく。  果たして藤堂はこの後、妥協して男の僧侶を追加することになるだろうか、それとも奇跡を信じて女の参加を待つだろうか?  前者の可能性は高くないし、後者が成功する可能性もまた高くない。藤堂が僧侶の代わりをするなど以ての外だ。  ならば、できるだけリスクを下げるためにどうすべきか。  手は並行して打って置くべきだ。女僧侶の募集については俺も少し探してみることにして、それまでの回復手段の確立は急務だった。 「リミス、お前、妖精魔導師って知ってるか?」 「……ええ。名前だけは……植物の妖精を使用する魔術よね?」  ちなみに俺はプリーストなのであまり詳しくない。  が、職務上、ドルイドと組んだ経験はありそして、その力は知っていた。  怪訝な表情を作るリミスに続ける。 「あれには僧侶とは異なる摂理で傷を癒やす力がある。初級でもいいからそれを修めれば、プリーストの真似事くらいは出来るだろう」  どうせ森の中で火の精は使えないのだ。ただつったっているよりはよほどマシだろう。  少なくとも、これから女の妖精魔導師や僧侶を探すよりは目がある。 「……は? 私は妖精魔導師じゃなくて精霊魔導師よ!?」 「別に精霊魔導師が妖精魔導師の技を使っちゃいけないなんてルールはないだろ」  複数種の魔術を使用出来る魔導師だって存在する。  藤堂のパーティ――少人数で魔王を倒すのならばある程度の万能性は必要だ。  リミスは一瞬眉を歪め激高しかけたが、それでも思う所があったのか、一度ため息をつくと目尻を下げて気弱げに呟く。 「それは……そうかもしれないけど……」 「精霊魔導師の家系としてプライドでもあるか?」 「……やった事ないし……教科書も持ってないし……」  道具の問題。経験の問題。下らない。それは世界を救わない理由にならない。  誰にも倒せなかった魔王を倒すには、リミスが世界最強の魔導師になる必要がある。 「本や道具は魔法屋に売ってるだろ。あるいは家に連絡して送ってもらっても良い」  女は男に比べて高い魔力を持つ傾向が強い。  僅かレベル10で『炎の魔精』と契約をかわせるような女に魔術の才能がないわけがない。  最後に残るのはやる気の問題だけだ。  やる気を出させるような言い方は知らない。だからせめて、しっかりとリミスに視線を向けてはっきりと言う。 「試してみないと出来るかどうかもわからないだろ。試してみろ。もしかしたら藤堂の負担を軽減出来るかもしれん」  どうせ彼女が妖精魔術を使えるようになったとしても、僧侶は必ず必要になる。使えるようにならなかったらならなかったで、その時はその時だ。  プリーストが入ったとしても、彼女の努力は無駄にはならない。選択肢が多い事はいい事だ。  まぁ、そんな暇あったら火以外の属性精霊と契約しろって言われたらその通りなんだが。  リミスは少しの間戸惑うように視線をあちこちに投げかけていたが、ようやく覚悟が決まったようで、顔をあげた。 「……わかった……やってみるわ。使えるようになるかどうかはわからないけど……」 「俺はレベル10でイフリートと契約している魔導師を他に知らない。才能はあるはずだ。練習すれば使えるようになるだろうさ」  俺の言葉に、リミスが驚いたように僅かに目を見開く。  そして、もじもじと指を弄りながらとても言いづらそうに礼を言った。 「あ……ありがと」 「礼はいらないからさっさと魔王を倒してくれ」  早く倒してもらわないとストレスで倒れてしまいそうだ。  しかし、道端で随分長々と話してしまった。藤堂たちもリミスの事を心配している事だろう。  取り敢えず今回はこの辺りか。できれば定期的にアリアかリミスと顔を合わせたいものだが、流石に不自然、か。 「じゃあ、俺はもう行く。教会への報告の件、くれぐれも藤堂によろしく言っておいてくれ」 「……ええ。わかったわ」  さて、これが凶と出るか吉と出るか……少なくとも、悪いようにはならないだろう、と思いたい。  踵を返し、数歩歩いた所でふと背後からリミスの声が聞こえた。  振り返ると、どこか泣きそうな表情のリミスが立っていた。 「アレスッ!」  顔には日差しで陰ができていたが、それでもやはり整った眉目、ルークス人に多い鮮やかな金髪碧眼は可愛らしというよりは美しい。  フリーディア公爵の用意した箱入り娘、箱はどうやら宝石箱だったようだ。  でも、やっぱり戦いには向いていないよな……。  リミスが感極まったように叫ぶ。 「ありがとう! 魔王は絶対に私達が倒すから……あんたは安心して教会でお祈りしてなさいッ!」 「……ああ。任せた」  そのまま踵を返し、駆けていくリミスを見送る。  軽快なステップだが、背丈の小さなリミスがやると小動物が逃げているようにしか見えない。  眉を顰めて、リミスの言葉を脳内で反芻する。  安心して教会でお祈り、か。安心していられるかどうかはまさにリミスたちに掛かっている。  魔王討伐の旅、最短でも数年の旅になるだろうが、今俺が余裕を持てているのはまだレベルが高いからだ。  俺の、アレス・クラウンの持つ才能は大した才能ではない。だから、俺の手助けはそれほど長くは続かないはずだ。  恐らく後半、加護の数が少ない俺は足手まといになる事だろう。少なくとも、魔王と相対できるレベルではない。  リミスの姿が角の向こうに消え、見えなくなった辺りで、ため息をつく。  祈っているだけで藤堂たちの手助けになるのならばいくらでも祈る。だが、まだ俺には具体的に出来る事があった。  せいぜい、彼等の旅が円滑に進むように手助けさせていただくとしよう。  差し当たっては状況報告と、アメリアには藤堂たちの隣の部屋に入ってもらい情報の収集をさせるか。  現状、プリーストの問題がどうにもならない以上、藤堂たちは森に出ることになるはずだ。そうなってしまえば、しばらくは街に戻れない。  馬車も無ければ道具を収納するための魔導具もない。  今後の事を考え、もう一度ため息をつく。ついた所で脳内に声が広がった。 『アレスさん、ご報告が』  いつも冷静なアメリアの声がやや乱れている。凄まじく嫌な予感がした。 「ああ」 『村長が藤堂さんに依頼をしたらしいです』  ……は?  髭を蓄えた小男――この村の村長の姿が脳裏を過る。  次から次へとよくもまぁ問題を持ってくるものだ。  眼を凝らし、辺りを見回すが当然リミスの姿はもう見えなかった。  くそっ……。覚悟を決める。 「……言ってみろ」 『なんでも、グレイシャル・プラントという魔物が現れたとか』  俺はその言葉を聞いた瞬間、頭のどこかで何かが切れるのを感じた。  そ、それ、一回やっただろうがッ!!  くそがあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!  あああああああああああああああああああああああああああああいうえおおおおおおおお!! page: 25 第二十三レポート:是正・挑戦  何故、どうしてそこまであいつは安請け合いするのか。  受けるのをやめろと言っているわけじゃない。俺は、勝ち目のある勝負をしろ、と言っているのだ。  勝てるかどうかわからない勝負に挑むのは勇気ではなく無謀である。せめてすぐに受けるのではなく、敵の情報を調べてから受けるようにしてもらいたいものだ。  試練などいらない。  ある程度の余裕を持って戦いレベルを上げて必然で魔王を倒すのがベストのプランだった。奇跡やら秘めたる力の覚醒に賭けるのはごめんだ。  なにせ、如何に勇者と言えど、藤堂には命が一つしかないのだ。命がけの遊びは全て終わった後にやってくれ。  一方で、勇者に依頼する側も依頼する側である。  あの男……なめやがって。村長という立ち位置、勇者の情報を知っているからといって、その力に頼ろうとするとはどれ程愚かな事か。  一度目で何だかんだ上手く解決してしまったから味をしめたのか。藤堂のパーティには時間がない、その上今は……プリーストすらもいないというのに。  ずきずきと痛む頭をあえてそのままに、村長の屋敷に急ぐ。  敏捷上昇の補助魔法を掛ければ疾風の速度で動ける。人の間は全速力で駆け抜けながら、アメリアからの通信に意識を傾ける。 『どうやら、二匹目が現れたようで、偶然村長の家を訪れていた藤堂さんに白羽の矢が立ったようです』  偶然……?  藤堂が村長の屋敷を訪れたのは本当に偶然か?  この村で藤堂の身分を知る者は村長と神父のヘリオスのみ。ヘリオスがそれを知っている事を、藤堂は恐らく知らない。  反射的にとはいえ、傭兵を切り刻んだ後に偶然村長の屋敷を訪れたとは思えない。相談に行ったと考える方が妥当だろう。となると、依頼というその行為にも打算じみたものが見えてくる。  だが、そのまま放っておくわけにもいかない。今の藤堂の地力では竜種を相手にするのは早過ぎる。  村の中央部にある村長の屋敷。門には屋敷の警備のための兵が二人立っていた。  怒りを一時沈める。一度目に立ち入った時に顔を覚えられていたのだろう、門を警備している兵に頭を下げると、すぐに応接室まで通してもらえた。最悪、阻まれたらぶちのめしてでも通らなければならないと思っていたので嬉しい誤算だ。  出迎えてくれたのは、にこやかな表情の村長だった。 「これはこれはアレスさん。どうなさいましたか?」 「どうなさいましたかじゃない」  一度深呼吸をして感情を整える。穏やかな村長の表情を見ていると底知れない怒りが湧き上がってくる。  暴力は最後の手段だ。わかってはいるが、定期的に抑えないと手を出してしまいたくなってくる。例え手を出しても証拠は教会が片付けるだろう。そういった分野は異端殲滅教会の十八番の分野だった。  深呼吸しても何ともならなかったので、仕方なく『鎮静』の術をかける。額に人差し指を当て唱えると、視界が一瞬青く明滅した。  怒りが波が引くように治まり、冷静さが戻ってくる。なるべく精神に影響する神聖術は使いたくないが、背に腹は代えられない。  しっかりと冷静さが戻った事を確認した所で、村長に向き直った。 「藤堂に依頼をしたそうだな」 「……ああ。その件ですか」  村長が困ったようにため息をつくと、髭に触れながら答えた。 「こんな事はそうないんですが……どうやらグレイシャル・プラントがまた森の奥地から出てきたようで」  村長から詳細な話を聞く。  内容自体はそう難しい事ではなかった。  何故かグレイシャル・プラントが再び現れた。藤堂がちょうどいたので討伐を頼んだら快く受けてもらえた。要約するとただそれだけ。前回、村長には時間がないから受けられないと言ったはずなのだが、一体こいつは何を考えているのだろうか?  魔物には縄張りがある。グレイシャル・プラントは本来ヴェールの森の最奥に生息するとされる魔物だ。それが森の浅い部分に現れるというのは確かに稀有な出来事ではある。困るのもわかるし、二回も現れたとなればそれはご愁傷様という他ない。  だが、それならば取るべき手は、本来取らなくてはいけない手は、勇者に解決を依頼するなどという事ではないはずだ。  村長を睨みつける。  恐らく、戦闘とは無縁の男なのだろう。視線を受け、村長がびくりと身体を震わせた。  初めから、最初に藤堂に依頼した時から、釘を刺すべきだった。これは俺のミスだ。  唇を舐め、落ち着いた声を意識して問いただす。 「ならば何故、騎士団の派遣を依頼しない?」 「それは……」  ルークス王国にはルークス王国のルールがある。  勿論、ある程度の自治権は各町村の長に認められているが、今回の村長のやり口は異常事態発生時のノウハウに反している。  本来、こういった地方の村で強力な魔物が発生したり、異常事態が発生したりした場合は王都に騎士団の派遣を頼むのが筋なのだ。  本来、森の浅い部分では見られないはずの強力な魔物の出現。  一度目は偶然で片付けても良いかもしれないが、この短期間で二度目となると異常事態と呼んでいい。その解決策を取るのは村長として、このヴェール村を治める者としての責務の一つであり、それは勇者への依頼ではない。 「王都には知らせたのか?」 「え、ええ……勿論です」  わかりやすく目を逸らす村長。明らかに怪しい挙動に、一歩前に出てもう一度尋ねる。 「一度目じゃない。二度目の方だぞ?」  俺の言葉に、村長の顔色が変わる。一瞬口ごもり、言いづらそうに答えた。 「そ、それは……これからです」 「何故だ? 二度目ともなれば調査隊の派遣を依頼し、原因を調べるべきだろう」  たまにとは言え、竜種が現れれば傭兵たちのレベル上げも滞る。傭兵の平均レベルの低下は国力の低下を意味する。レベル上げの場はここだけではないとは言え、それは憂慮すべき事態だ。  俺の言葉に、村長が眉を顰め、答える。 「……仰る通りですな。勇者殿に依頼を――」  舐めてんのかこいつはッ!!  反射的に出そうになった手を額に当て、もう一度『鎮静』の術をかける。  くそっ、どいつもこいつもこんな奴ばかりか。  何故レベル27の藤堂にそこまで頼れるのか、理解できない。 「ふざけるな。勇者に時間がない事はわかっているはずだ」 「……そうは言いますが、アレスさん」  冷静さを必死で取り繕う俺に、村長が乾いた笑みを浮かべて見せた。 「――貴方はもう聖勇者のパーティメンバーではないのでは?」    ……ああ、もう駄目だ。  こいつ、俺をなめているな?  やむを得ない。任務遂行のためにはあらゆる手段が許容される。  大きくため息をつき、拳を握る。  そして、そのまま、その場に立ったまま、数メートル離れた壁に向かって拳を振るってみせた。  空気が振動し、屋敷全体が大きく震えた。衝撃が腕を通りぬけ、空気を奔る。  世界が爆発したかのような轟音。壁に掛けてあった絵が落ち、棚が倒れる。 「ッ!? な――」  村長が弾けるようにしゃがみ込み、耳を抑える。  衝撃はすぐに治まる。俺が拳を向けた壁は衝撃で完全に崩れ去り、瓦礫に塗れた廊下を露わにしていた。  ぱらぱらと落ちてきた破片を払い、蹲る村長の腕を掴みあげて無理やり立たせる。 「確かにお前の言うとおり、俺はもう藤堂のパーティメンバーではない」  初めからこうしていればよかった。やるならば徹底的に。勇者の敵は魔物だけではなく、そして俺の敵もまた魔物だけではない。  震える村長の目に視線を合わせ、淡々と続ける。 「だが、俺には教会所属のプリーストとして、あらゆる手法を用いて聖勇者の使命を助けるという責務がある。障害は全て打ち砕く。崇高な使命を阻む者は人魔関係なく全てが神敵だ」  教会の一門に悪魔殺しと呼ばれる者達がいる。  悪魔や不死者など、闇に傅く者を祓う、戦闘する僧侶だ。  ならば、それらと異端殲滅官に何の違いがあるのか。  単純な話だ。  ――異端殲滅官の敵は魔だけではない。  殺意を込めて目の中を覗き込む。  思考は冷静に、怒りを沈め、意志を束ねる。  俺の任務は藤堂を助ける事。これはビジネスだ。  あらゆる障害は取り除く。あらゆる手段を使う。殺しも厭わない。世界のためには全てが許容される。 「二度目だ。これで二度目だ。今回は、今回だけは許そう」  発生したトラブルを国の助けを借りずに解決できれば、確かにそれは村長の『功績』になるだろう。  だが、許さない。次は許さない。絶対に許さない。打算は秩序神アズ・グリードの神敵として消す。  己の命とどちらが重要か、存分に天秤に掛けるがいい。  村長の目の中に映った俺の表情には怒りが浮かんでいなかった。無表情。  ああ、俺は冷静だ。冷静に問いかける。 「なぁ、お前は……神の敵か?」 「ッ……」  青褪めた村長は答えず、ただまるで出来の悪いからくり人形のように首を左右に振った。 §§§  氷樹小竜。  亜竜種の中でも珍しい植物型の竜である。  植物型とは言っても、でかい図体と極めて硬い皮膚、ブレスを初めとした強力な攻撃手法は何も変わっていない。  討伐推奨レベルはおよそ50の六人パーティ。まぁ、魔物の中でも特に強い『竜種』としては、弱い方だ。  他の竜種とは異なり、植物型なので炎が効き(といっても、竜種にしては、という注釈が付くが)、飛行能力を持たない点もイカしてる。  そんな、竜種にしては最弱と呼べるグレイシャル・プラントだが、藤堂が戦った場合はどうなるか。  十中八九、敗北するだろう。ただの敗北ならばまだ良いが、殺される可能性が高い。  藤堂には苦戦の経験がなく、物理攻撃以外の攻撃をしてくる魔物との戦闘経験すらない。  リミスが炎の魔精を十全に扱えるのならば話は別だが、顕現してみせたイフリートは境界があやふやだった。レベル17で十全に扱える可能性はまずゼロだろう。魔力のないアリアなんて話にならない。  だが、状況は最悪ではない。最悪は、俺が知らない内にグレイシャル・プラントと戦い、知らない内に死ぬ。そういう事だ。まだ今の段階ならばリカバリが効く。    また、トマスたちに補助魔法を掛けて討伐を依頼してもよかったが、今回は別の方法を使う事にした。 『どうするつもりですか……?』 「藤堂たちに苦戦というものを味わってもらう」  リュックを宿に置いて、姿を隠すのに使っていた防御力のない外套の代わりに、各種耐性を持つ戦闘用の外套を羽織る。  メイスに施された加護に綻びがないか確認し、闇を祓う力がある銀製のナイフの代わりに物理的な攻撃力の高い金剛神石製のナイフを懐に忍ばせる。 「俺がいくら事前に障害を排しても、藤堂の意識が今のままではまずい」  藤堂には危機意識が足りていない。  彼は今まで枝葉の如く魔物を屠ってきた。適正以上の魔物を軽々と屠れるその実力は驚嘆に値するが、世界には更に強力な魔物がごまんと存在する。俺も最善を尽くすつもりだが、俺の手に負えない魔物だって存在するだろうし、いつも事前にキャッチ出来るとは限らない。藤堂の意識を変える必要があった。  事前に強力な祝福を施したガラス性の瓶に入れた聖水を五本、傷を癒やす回復薬を五本、いつでも使えるように腰のベルトに吊るす。神聖術を妨げない特殊素材で作られた手袋を嵌める。   「ポジティブに考える。物理攻撃以外の攻撃手法を持つ格上の敵。攻撃力が高く表皮も堅牢。藤堂の鼻っ面を折るのにうってつけだ」  ついでに、とどめを刺すことができれば藤堂のレベルも、今上げられる上限――5レベルくらい上げられるだろう。  負ける可能性も十分にあるが、殺されそうになったら影からサポートしてやればいい。 「グレイシャル・プラントを藤堂が苦戦して倒せるレベルまで弱らせる」  期限は藤堂が討伐を決行するまでの間。つまり――今すぐだ。 page: 26 第二十四レポート:追跡・接敵  神よ、この英雄に苦難とそれを乗り越えるだけの加護を与えたまへ。  いつかその光の剣が全き闇を打ち払わん事を。  人類屈指の加護。  八霊三神の加護は強力だ。  成長さえすれば、藤堂は間違いなく世界最強の人族になれる。魔王を討伐出来る。  俺の役割は徹頭徹尾、その成長を守る事だけだ。 §§§  竜種。  数限りなく存在する魔物たちの中でも、最強の種の一つとされる魔物である。  勿論、竜種と一口に言ってもピンからキリまであるが、そのどれもが一般人にとって災害と変わらない脅威を持っている。  故に、竜を殺した者には羨望と畏怖、敬意を込めて竜殺しの称号が与えられる。  その称号を持つというのは戦人にとってこの上ない誉でもあった。  手早く準備を終えると、リュックを背負う。  強力な魔物が発生した際、その情報は斡旋所や、村の門を守る門番に預けられる。目撃地点もそこで教えてもらえるだろう。  藤堂たちが、いきりたって村を出て行く前に全てを終えねばならない 『アレスさん、私も行きます』  断言口調のアメリアからの通信。 「……今どこだ?」 『教会です。藤堂さんが村長さんの紹介状を持ってプリーストを借りに来ていて……一時的に借りたい、という話みたいですが、ヘリオスさんが対応しています』  なるほど……さすがに村長もヒーラーなしで竜退治に行かせる程馬鹿ではないという事か。  アメリアが、村長が藤堂に依頼したという情報をキャッチできた理由もわかった。藤堂たちを見送った後、教会に戻っていたのだろう。  流れが来ているのを感じる。首の皮一枚で繋がっているようなものだが……。 「こっちの手助けは不要だ。アメリアは藤堂たちの足止めをしてくれ」  アメリアのレベルは55。この辺りのアベレージは大幅に超えているし、グレイシャル・プラントの適正討伐レベルを超えているのも確かだが、今回こちらの人数は揃えられない。  僧侶の本領は多人数のパーティでこそ発揮される。  竜種を相手にすれば例え適正を超えているレベル55でも安心出来ないし、僧侶は既に足りているので、戦えないアメリアは残念ながら足手まといにしかなりそうもない。  早歩きで門に向かう。もう既に竜種出現の報が公に出ているのか、心なしか人通りは多かった。  傭兵たちの殆どは前回同様静観を決め込むことだろう。商人たちは新たに持ち込まれるであろう竜種の素材に商機を見出しているかもしれない。  世界は平和だった。概ね、険しい表情をしているのは俺だけだ。  しばらく沈黙していたが、やがてアメリアから返答があった。 『……わかりました。どの程度足止めをすれば?』 「一日……最低でも半日は欲しい。探す所から始めなくちゃならないからな」  とは言っても、竜種は莫大な存在力を持つ。近くまで行けば間違いなく感知出来るだろう。 『……お一人で戦うつもりですか?』  珍しくどこか攻めるような口調。  意外に思いながらも、他の手段はない。  傭兵を雇おうにも、目的が弱らせるだけでは素材も存在力も竜殺しの栄誉も与えられない。傭兵にメリットを与えられないし、そのリスクをカバーできるだけの金銭も払えない。 「問題ない。俺のレベルならば弱らせるくらいは出来るはずだ」  ヴェールの森に棲むとされる魔物のレベルは全体的に低めだ。  いくら最奥から出てきたとは言え、そこに棲む竜種のレベルも大体予想がつく。何より、トマスたちで倒せたという実績がある。 『……』  俺の言葉をどう受け取ったのか、アメリアは通信の向こうで躊躇うような空気を見せていたが、やがて一言だけで返した。 『……ご武運を』 「……ああ」  武運を祈るのならば勇者のために祈ってやれ、と一瞬思うが、こんな時くらいは素直に受け取って置いてもいいだろう。  予定通り門の近くの詰め所に顔を出すと、そこには見知った顔があった。  厳つい容貌を深刻そうに歪めるトマスとそのパーティメンバー。斡旋所にいなかったと思ったらこんな所にいたのか。  イライラとした様子で椅子に深く腰掛けていたマリナが脚を組んだ。その全身を覆った金属鎧には、鋭い傷が幾本も並行して奔っている。 「……何かあったのか?」 「ん……おお、アレスじゃねえか!」  トマスが顔をあげると、その表情を一変させた。 §§§  ヴェールの森の入り口についた時には既に日がとっぷりと暮れていた。  何度も通った森の入り口は、整備された道であるとはいえ闇に包まれた今、まるで巨大な生き物の口腔のようだ。  夜は人間の世界ではない。闇の眷属たちの能力は夜の下でこそ最大限に発揮される。  既に辺りに人気はなかった。竜が出た今、おまけにこんな夜に森に入ろうとするハンターはいないだろう。  耳を澄まし聞こえるは風の音のみ。  どこか奇妙な笛にも似たその音の中に、本来混じるはずの鳥獣型の魔物の気配や蟲の鳴き声の類がない。  まるで身を潜めているかのような静寂。本来の縄張りを超えてきた上位者に対する萎縮。  本能に従う魔物の感覚は鋭い。  人間ではいくらレベルを上げても手に入らない独自の知覚能力がある。  魔物狩りの中の教えにもある。 『静寂のある所に近づくな』  現象があれば理由もある。  唇を舐める。トマスたちから得た新たな情報を思い返す。  今回のグレイシャル・プラントはトマスたちが以前戦ったものよりも強い。  どうやら、森を探索中に偶然出会ってしまったらしい。  新たな装備も手に入れたことで戦力を増していたため、挑戦してみたところ完敗したとの事。  幸い命だけは助かったようだが、敗走の際に新調したばかりの武器を失ってしまったとの事で、憤懣やるかたない様子で話していたマリナの姿が浮かぶ。  トマスの平均レベルはこの街でトップクラス、その装備もトップクラスだった。  彼我の戦力分析は大切だ。挑んだ者はいないだろうから目撃場所だけ確認しようと考えていた俺には朗報だった。  既に森の地図は頭に入れてある。  相手は体長が数メートルもある竜種で飛行能力がない。その痕跡は色濃く残されている事だろう。一度その跡を見つければ、後はそれを辿ればいいだけだ。  森に踏み入る。取り敢えず整備された道を歩いて行く。  初春、気温の低さはいくらでも我慢できるが、森の中には薄っすらと霧がかかっていた。  意識を周囲に投げかけながら歩く。冷たい空気と頬を打つ風、その奥に視線を投げかける。  闘前故の精神の昂ぶり。肺を満たす空気に全身の感覚が鋭敏になるのを感じる。握りしめたメイスの重みは慣れ親しんだものだった。  藤堂たちの事を、今だけは頭から追い出す。  霧を切って、無言で歩みを進める。しかし、奥に進んでも、周囲からは雑音がしない。  俺はトマスたちとグレイシャル・プラントの戦闘を見ていない。俺が見たのは結果……トマスたちが運んできた死骸だけだ。  だが、あのグレイシャル・プラントが弱かったとは思えない。となると、今回の個体が特別に強いという事になる。  勿論、竜にだって幼生体や成体などで強さは変わるし、同じ成体だったとしても個体差もある。  もともとグレイシャル・プラントはトマスたちが倒せる適正レベルより上の相手だ。だから補助なしで挑んで負けるのもおかしな事ではないし、彼らの目利きをどの程度信じて良いのかだって俺は知らない。だが――  森に入り一時間程が経過した。  霧はますます濃くなり、月明かりもないが、感覚を研ぎ澄ました俺の視界にはその先がはっきりと見えていた。  ――近い。  音を立てないように息を呑みこむ。乾いた唇を舐め、鼻を動かす。  気配を辿るようにして道を外れる。魔物の気配はない。鳥獣型は勿論、樹人を初めとした植物型の魔物に至るまで、いくら霧が出ているとはいえ、活動が活発化される夜に気配がないというのは尋常ではない。  近くにいる。迫っている。長年培った戦士の勘――僧侶の勘が囁いている。  メイスを握る手に更に力を入れる。  やがて、開けた場所に出た。  いや、開けた場所ではない。それは破壊された跡だった。  力ずくでぶち折れ踏み砕かれた無数の木々、枝葉と、はっきりと地面に刻みつけられた巨大な何かが通った跡。地面にはびっしりと霜が降りている。  それは鬱蒼と茂る草木を物ともせずに、獣道と呼ぶには大きすぎる新たな『道』を作り出していた。そこからわかるのは圧巻な力だ。  道の端の樹木に触れる。薄手の手袋を通して伝わってくる手の平が張り付く程の強烈な冷気は氷樹小竜の持つ氷の力によるもの。着込んだコートの襟をもう一度しっかり寄せ、通り道に足を踏み入れる。  そして、ただ通り過ぎただけで生み出された破壊の跡を静かに検分した。 「……小さいな」  破砕され、生み出された道はおよそ幅三メートル。  これがグレイシャル・プラントのものだとするのならば、トマスが引っ張っていた死骸よりも一回り程小さい事になる。  基本的に魔物は同じ種であるのならば大きければ大きい程強い。前回よりも強いという事前情報から前回よりも巨大な個体を想定していた俺には肩透かしだった。  凍りついた周囲から察するに、ここを通り過ぎたのが氷の力を持つ魔物であるのは間違いない。そして、ヴェールの森の浅い部分に、他にそのような性質の魔物は生息しない。  ……それだけ俺のかけた補助が強力だったという事か……。  トマスのような歴戦のハンターがそれを加味せずに情報を出したとは考えにくかったが、無理やり納得する事にする。どの道、やる事は同じだ。  残された気配、魔力からどちらに向かったのか割り出す。  時間はいらなかった。追跡は経験がある。  冷気や残された気配の薄さからどの程度前にここを通ったのかはわかる。  猟犬のように注意深く、猟犬のように獰猛に進む。どんどん近くなる気配、闘争の気配がより神経を高ぶらせる。  静かに繰り返す呼気が白い水蒸気となって霧に交じる。冷えた地面はどんどんその程度を深くしていた。霜の生えた地面が完全に凍りついた地面に変わる。  辿ること十数分、やがて俺はそれにたどり着いた。  彼我の距離、十数メートル。視界に入ってきたのは地面をこする巨大な尾と、その小山のような体躯だ。  暗闇でわかりづらいが色は紺に近い緑。靭やかに伸びた尾と、背に生える節くれだった枝のような突起。木々から舞い落ちた葉が空中で凍りつき粉々になって消える。ただそこに居るだけで発生する現象はまさしく災害と呼ぶに相応しい。  トマスの引きずっていた死骸よりも遥かにスマートな外見に、眼を窄めた。  まだ気づかれていない。だが、十数メートルを置いて尚感じる莫大な魔力と存在力はトマスの敗北を納得させるに十分だった。  しばらく黙ったままその巨躯を見ていたが、やがて大きくため息をついた。  ため息が一気に凍りつき視界を白で染める。どこか枯れ木のざわめきを思わせる低い唸り声が耳を打つ。  まずいな……こいつ、ただの氷樹小竜じゃない。『上位個体』だ。  ……チッ、藤堂にはトラブルを呼びこむ才能でもあるのか? page: 27 第二十五レポート:交戦  それは、一般的な竜の形状をしていた。  体表こそ新緑の葉に近い深緑だが、四本の頑強な脚に、枝に酷似した棘の生えた尾はトマスが運んでいた死体とは似ても似つかない。  グレイシャル・プラントは亜竜である。その形状は竜とは似ても似つかない。  現に、トマスの運んでいた死骸はとてつもなく巨大ではあったが、どちらかと言うと竜と呼ぶより猪に似ていた。  舌打ちが出る。  その巨体から放たれる冷気に周囲の樹木があっという間に凍りつく。故意に何らかの能力を発動しているわけではない。そういう生態なのだ。だが、それだけで中級魔導師の魔術程の威力はあるだろう。  竜が僅かに唸る。空気が震え、遠く彼方でまるで怯えるような獣の遠吠えが上がる。  音を立てないように樹の幹に身を隠し、悠々と歩みを続ける竜を観察した。  前戦ったものよりも強い? トマスの言葉を思い出し、眉を顰める。  そういうレベルではない。この個体は明らかに以前の個体の倍は強い。そもそも、形状が明らかに竜に近くなっている。  亜竜と一口にいってもピンからキリまであるが、基本的に竜に近い形状をする程強力な力を持つ。  何故、ここまで明確な特徴をトマスは俺に言わなかったのか。  抱いた疑問を自ら否定する。いや、違うな。言わなかったのではない。  彼は歴戦のハンターだ。自らのプライドで魔物の情報を隠したりしないだろう。恐らく、トマスが会った時にはまだ普通の氷樹小竜だったのだ。  存在力を蓄え力を上昇させるのは何も人間に限った話ではない。  種族によっては力を一定まで蓄える事でその形状を変える種も存在する。  それが上位個体。それはまさしく、一種の進化と呼べた。 「……脱皮でもしたか?」  タイミングが悪すぎる。亜竜種の進化などめったに起こる事ではない。  間違いなく王都に騎士団の派遣を依頼する案件だ。  ヴェール村にこいつを真っ向から倒せるパーティはいないだろうし、倒せたとしてもせいぜいが相打ちだろう。いや、奴らは倒れる程戦わない、か。  力を目測で図る。その身から溢れ出る、身体が萎縮しそうになるエネルギー。  俺はグレイシャル・プラントと藤堂の差を限りなく好意的に見て三倍程度だと考えていた。これは藤堂の持つ八霊三神の加護と、前代勇者から引き継いだ強力な装備、そして彼自身の戦闘センスを加味したものであり、レベル27である事を考えると破格である。  だが、目の前の個体は小竜ではない。  存在力だけが強さを測る指標ではないが、前回の竜の倍強い。  身の丈こそ前回程巨大ではないが、その体表の硬さも、その爪の鋭さもブレスの威力も、上位個体となった種は基本的に全ての能力が跳ね上がり、進化前には持たなかった独自の能力を得るパターンもある。  唯一、不幸中の幸いなのはこいつが上位個体になったばかりである可能性が高い事だろうか。まだ自身の能力に慣れていない。付け入るならそこか。  しかし……まずいな。  言葉に出さずに、指先を動かし自身に神聖術を掛ける。  一級持続回復神法。  一級耐冷補助神法。  一級耐久向上神法。  一級知覚向上神法。  一通り順番に掛け、リュックを下ろすと、樹の影から静かに一歩踏み出した。    気温は既に氷点下を下回り、真冬でも吹かないような寒風が吹きさらしていたが耐冷のおかげで寒さはさほど感じない。  神に祈る者には神の加護が宿る。  大きく増大した力に万能感でも感じているのか、竜の知覚は極めて鋭いはずだがこちらに注意を向ける気配はない。  敵だと思われていないのか。王者ゆえの傲慢か。  唇を歪め一瞬だけ笑みを作ると、凍りついた地面を踏み砕き、一歩で接敵した。  まるで要塞のような竜の体幹に思い切りメイスを横薙ぎに振りかぶる。  時間が圧縮される。意識が集中、聖銀製のメイスがしなり、コマ送りのように棘の生えた柄頭が岩のような皮膚にめり込む。  メイスと共に放たれた殺気に竜の身体が一瞬痙攣する。  そして――力が解放された。  硬いものを穿った感覚が衝撃となって手の平、腕、身体に伝わる。  壁のようだった巨体が樹々を薙ぎ倒しながら吹き飛ぶ。足元、凍りついた地面が大きな音を立てて割れた。  爆風によって霧が晴れる。目の前には巨体に巻き込まれなぎ倒された樹々、新たに出来た道がぽっかりと空いている。随分とふっ飛ばしたのか竜の姿は見えない。  振り上げたままだったメイスを下ろし、二、三度腕を回す。破砕された足元を足裏で平らげ、闇の向こうを睨みつけた。 「……まずいな。硬いぞ……」  一人呟く。頬が引きつっているのを感じる。  間違いなくクリティカルヒットだった。相手はこちらの攻撃に大してなんの体勢もとっておらず、だがしかし手に残った感覚は生き物を殺した感覚ではない。  根源的恐怖を抱かせる細長い咆哮が風音を切ってあがる。全身に感じられる上から押しつぶされるような感覚。生物的な上位者からの殺意。人の遺伝子に刻まれた天敵への恐怖が警鐘となり脳内に鳴り響く。  メイスに生えた棘には茶色の液体がべっとりと付着していた。それを人差し指で救い、確かめるようにして親指とこすり合わせる。粘性の強い亜竜の血だ。  表皮は碎けてダメージは与えられているが、所詮それだけだ。致命傷ではない。  相手が以前トマスが倒したものと同等程度ならば今ので十分致命打となったはずだ。 「……弱らせても藤堂じゃ倒せないかもしれないな……」  呆然と呟くそれを遮るように、闇の向こうから氷柱の混じった吹雪が放たれた。 §§§  適正討伐レベル60。何度かの交戦により俺は、目の前の対象をそう見積もった。  振り下ろされた小剣のような爪を、踏み込みざまにかち上げたメイスで弾き、返す刀でその岩のような竜の喉元を弾き飛ばす。  一撃は重く、ブレスは空気を一瞬で凝固させる程の冷気に、無数の氷柱の交じった氷属性。寒さで動きが鈍る人族にとっては厄介極まり無いものだ。  退魔術は闇の眷属に対してしか効果がない。  相手が竜では使用できず、攻撃力が足りていない。  悲鳴のようにも憤怒のようにも聞こえる咆哮が夜の闇を揺らす。  硬い。硬すぎる。既にもう五度程吹き飛ばしているが、未だ相手の動きは鈍る気配がない。  鋼の表皮に、引き絞られた野生の筋肉。皮、肉、骨、全て頑強極まりなくそして、何よりも厄介なのはその身に纏う冷気だ。耐性がなければ一気に近接戦闘職の体力を奪い動きを制限することができる。  叩き込んだだけで凍りついたメイスを二度三度空中で振る。  剣ならば切れ味が鈍っただろうが、メイスは打撃武器。凍りついただけで威力は落ちない。柄も凍りつく程に冷たいが、冷気耐性を強化している今、特に影響はない。  だが―― 「藤堂の相手には荷が重いか……?」  竜を吹き飛ばした方向から強い風が吹き抜ける。ブレスの予兆。  構わず前に踏み出す。極端な前斜姿勢。前に寄せた外套を盾に肉体を一つの弾丸と化す。眼は逸らさない。  嵐のような風と身体の芯から凍りつくような冷気、それに混じった無数の氷柱をメイスと加護で真っ向から打ち破る。頬をかすった氷柱、出来た小さな傷は事前にかけていた持続回復により一瞬で消える。  氷嵐を踏破する。闇の中でも輝くエメラルドの眼を目指す。  人一人を丸呑み出来そうな程開いていた顎を下から上にぶちぬく。  手に感じる何かを砕くみしみしという感触。決してダメージがないわけではない。傷は確かに蓄積しているが、耐久が高すぎる。  開いた胸元に蹴りを叩き込む。既に大体の実力はわかった。  再び吹き飛ぶ巨体を追い、更に打撃を繰り返す。樹皮に似た皮が剥がれ、茶色の血液が飛散する。不凍なのか、飛散した血は凍らずにべっとりと外套を濡らした。  竜が悲鳴のような咆哮をあげる。その背の皮が奇妙な音を立てて開く。  ――翼だ。  その身と比べ小さな翼が大きく揺らめいた。突然の猛風に地面を踏み砕き、耐える。  グレイシャル・プラントは飛べない竜のはずだが、その翼は武器として十分か。  一瞬動きの止まった俺に対し、前足が振り下ろされた。  それをとっさにメイスで受け止める。全身を貫くような衝撃を眉一つ動かさずに受け流す。棘が足裏を貫き、しかし相手は力を緩める気配がない。  眼と眼が合う。怪しげに輝くエメラルドのような瞳の奥には底知れぬ戦意が見えた。  竜種は強さを至上とする気質がある。既に数撃撃ちあった時点で実力差は、レベル差はわかっているだろうが、その誇りが撤退を許さないのだろう。好都合だ。  腕に力を入れる。全身の重量をかけて押しつぶそうとしてくるグレイシャル・プラントの鉤爪を押し返す。植物型の亜竜なのでその体重は一般の竜程ではない。  真っ向からの力勝負。種族も重量も大きさも遥かに劣っているがしかし、腕力は俺の方が上だ。種族差以上に彼我の間にはレベル差、存在力の差があった。  メイスを振り切る。前足を弾き、その顎目掛けてフルスイングを当てる。  速度も力もこちらが上。  見上げるような巨体がまるでボールのように弾け飛んだ。無数の樹々を巻き込み、地面を大きく抉る。轟音が夜の静寂を破り、今まで身を潜めていた奇怪な漆黒の鳥が翼を羽ばたかせ夜の空に消える。  藤堂のポテンシャル次第だが、聖剣エクスならば問題なくその表皮を切り裂けるはずだ。ならば問題は、剣の届く距離まで果たして近づけるのかどうか。  纏う冷気はその力に相応に強力だ。レベル27では近づくまえに氷漬けになってしまうかもしれない。といっても、今更詮なき話。撤退という選択肢は存在しない。  ふと空からひらひらと白い欠片が降ってくる。雪だ。  昼間から天気は悪かった。竜の冷気が影響したのだろう。まるで桜の花びらのようにも見える。  手の平に落ちたそれを握りつぶすように握りしめ、樹木を巻き込み地面に横たわる竜に一歩、歩みを進める。  胸ポケットからナイフを四本取り出し、左手に構える。  ある程度開けた場所が欲しい。  息を整え、伏せたまま、腹の底に響き渡るような唸り声を上げる竜の目の前に立つ。メイスにより砕けた顎、無数に穿たれた穴、しかしその殺意に些かの陰りもなし。至近距離から覗き込む濁った眼の奥に見える憤怒に視線を叩きつける。  横薙ぎから叩きつけられる風。撥条のような速度で横薙ぎに振られた鉤爪を、右手で掴み受け止めた。  離したメイスが地面に落ち、凍りついた地面を砕く。受け止めた鋭く研がれた刀のような鉤爪がぎしりと悲鳴のような音をあげる。  その瞬間、燃えるような殺意を内包した竜の眼が初めて歪んだ。恐怖か驚愕か。  どうせなら、ナイフじゃなくて杭を持ってくるべきだったな……。 「ギッ――」  多少動きを鈍らせるだけで、自由まで奪うつもりはなかった。だが、このレベルになると完全に止めなければ不安が残る。  亜竜とはいえ、竜の端くれだ。その回復力は並大抵ではない。朝になればある程度の傷は癒え、鈍くなっていた動きも回復することだろう。そうなれば藤堂に勝ち目はない。  強く鉤爪を握りしめる。頑強極まりないそれが、しかし負荷に耐え切れず砕けると同時に大きく前に出た。  開いた胸板を膝で蹴り飛ばす。これで何度目か、森を抉り吹き飛ぶその巨体がようやく樹々生い茂る森の中から川沿いの開けた場所へと抜けた。  風の音に川のせせらぎが交じる。すぐさま体勢を立て直したグレイシャル・プラントが、今更威嚇するかのように咆哮する。  空気が揺れる。  同時に、その身体を中心として周囲一帯が凍りつく。ぴしぴしと音を立てて氷結する川の水面に視線を一度向け、鎌首をもたげるグレイシャル・プラントを睨みつけた。  その姿は亜竜とは思えない程に力強くそして、神秘的だ。  完全に殺すのはまずい。が、足の一本や二本吹き飛ばしておいた方がいいかもしれない。  グレイシャル・プラントが顎を大きく開く。放たれたのはブレスでも咆哮でもなく、しわがれたような鳴き声だった。 「ぎ……が……キ、サ――マ……」 「……」  その鳴き声は確かに意味をなしていた。  竜は高い知性を持つ。中には人の言葉は勿論、魔法を操る竜だっている。  まさか、こいつ既に人語を交わせるのか。いや、交わせるようになったのか。  ならば喉も潰さねばならない。藤堂に妙な事を吹き込まれると困る。  手足を潰し翼を潰し喉も潰す。結界を張り、閉じ込める。できれば体幹を杭か何かで死なない程度に串刺しにしたかったがナイフでは長さが足りない。木なら腐る程あるが流石に刺さらないだろう。  闇の眷属ならば退魔術で全て事足りるというに、相手がただの魔物だとこうも面倒くさい。  身体を動かしたせいか、精神が高ぶっていた。暴力衝動は時に快感となる。僧侶としてそれは良くない。律さねばならない。  血潮が流れる熱い鼓動を感じながら、俺は血の滴るメイスを二度三度、宙で振った。 page: 28 第二十六レポート:あ……え? あ、取り敢えず今回の報告は終わりです。  やらねばならない事があった。俺にしか出来ない事があった。俺に出来る事があった。  行動を起こすのに、それ以外の理由はいらない。  樹齢云百、云千年か、両手を回しても回しきれないくらいに太い幹は薄っすら白み始めた空を突き、どこまでも伸びている。  足を引きずるようにして幹に手をつくと、僅かに乱れていた呼気を整え、背負っていたリュックとメイスを下ろした。  グレイシャル・プラントを釘付けにした場所から大きく離れたはずだが、その気配がまだ色濃く残っているせいか未だ森の中には風の音しかしない。  生命の音のしない薄暗い森の下、人の声はよく響く。  脳内に響く声に答える。 「ああ。全て終わらせた。戻らずに近くで待機してる。恐らく、問題はないはずだが……」 『了解しました』  目覚めたばかりのはずだが、耳元で聞こえたアメリアの声はいつもと変わらない。まぁ、彼女が寝ぼける所なんて想像も付かないが。  その口調に遊びはないが、そこに頼もしさを感じる。そもそも、彼女が派遣されていなかったら藤堂のサポートはかなり難しくなっていただろう。やはり人手というのは多ければ多い程いい。これで彼女が恒常的に藤堂のパーティに入ってくれればどれだけ助かる事か……。  いや、駄目だ。多くを望んではいけない。  浮かびかけた思考を打ち消す。クレイオがここまで早く助けを派遣してくれた事、それ自体がこの上ない僥倖なのだ。これ以上を望んでは罰が当たる。 「竜の気配は本道の道なりに進んでいけばわかるはずだ」  魔物の気配について、ある程度読めるようになっている事は既に、ともにレベルを上げた十日で確認している。  そも、それは傭兵の必須技能でもあった。亜竜クラスの大物を辿るのも、遠距離から辿るのも初めてのはずだが藤堂のポテンシャルならば何とかなるだろう。 『藤堂さんが万が一辿れなかった時は?』 「樹木に十字のマークを付けておいた。マークのある木を追えばたどり着ける」 『……了解しました。藤堂さんにはうまいこと言っておきます』 「ああ、任せた」  準備は全て終えた。今回アメリアには、一時的という条件で藤堂をサポートしてもらう手はずとなっている。  レベル55の彼女の神聖術ならば亜竜を相手としたサポートとしても十分だし、何よりも事情を知っている上に通信手段まで持ち合わせているのでやりやすい。  唯一、一時とはいえ藤堂に随行に同意してくれるかだけが心配だったが、意外にも快く了解してくれた。クレイオの命令との兼ね合いだけが気になっていたが、どうやらその命令を厳守するわけでもないようだ。  彼女の行動原理はわからないが、俺の命令を完全に聞かないようでもないようなので、出会った瞬間に落ちる所まで落ちた彼女の評価は目下のところ、うなぎのぼりだった。これが策だとしたら相当な策士である。  顔をあげて薄っすら明るくなりつつある空を見上げる。  藤堂が来るまではまだ時間があるだろう。グレイシャル・プラントの周囲には結界を張ってある。弱ったグレイシャル・プラントが他の魔物に襲われる可能性はまずない。  計画に穴がないかもう一度反芻する。失敗しても致命的ではないが、プライドがそれを許さない。  翼はもいだ。手足も潰した。喉も潰したし、周辺を探索しマリナが失ったと言っていたハルバードを見つけたのでそれで死なない程度に身体を串刺しにしてある。生命力が低下した事で纏う冷気もだいぶ弱まっていた。アメリアの補助魔法があればレベル27の藤堂にも十分耐えられるはずだ。  穴は――ない。  グレイシャル・プラントは既に半死半生なので、藤堂に苦戦させるという目的こそ達せないがそれはもうしょうがない。彼のレベルを上げるだけで我慢しよう。半死半生とはいえ、圧倒的格上の魔物の存在は十分彼への警鐘となるはずだ。  見ればわかる。馬鹿でもなければ。 『アレスさん、少し休んでは?』 「いや、問題ない」  ダメージはない。上位個体とは言え、下位の亜竜を相手に手間取る事はない。タフネスだけが俺の売りなのだ。  寝ていないし、身体は動かしたので疲労がないといえば嘘になる、が、この程度の疲労で腕が鈍ったりしない。  何より、戦闘したばかり気が昂ぶっていた。殺意は戦士の眼を覚まさせる。結果的に格下だったとはいえ、あの竜は間違いなく人間の天敵だった。  ぎんぎんと覚めた眼は薄闇を見通し、高ぶった精神は遥か彼方にある弱らせた亜竜の気配をはっきりと感知していた。クールダウンさせなければ眠れもしないだろう。  イヤリングを通し、アメリアが珍しく語気を強くして言う。 『いけません。ちゃんと身体を休めないと、いざという時に動きが鈍っては困ります』 「……この程度で鈍ったりしない。神聖術を使えば疲労も回復できる」 『精神の疲労は回復できないでしょう』  アメリアの言葉に、反射的に言い訳をしようとして、ぎりぎりで止めた。  目を瞑りゆっくりと深呼吸する。  冷たい呼気が脳内にまわり、しかしその程度では猛りは治まらない。  だが、高ぶった精神の中、彼女の言葉が正しい事ははっきりとわかっていた。  その通りだ。無理は良くない。休める時に休む。今すべき事は他にないのだ。ならば、次に備えるべき。  何しろ、相手は伝説の聖勇者。馬鹿な奇跡の一つや二つ起こった所で不思議でもなんでもないのだから。 『後は私にお任せください。少し眠った方がいいです』 「ああ。ああ、そうだな……」 『アレスさんはもう……一人じゃないんですから』  なるほど。然もありなん。  役割分担は大切だ。一人だと滅多に取れない休憩も、二人いれば交互に休める。  樹の幹に背をつけ、ずるずると座り込む。彼女の言葉には理がある。  一人じゃない、か。それは……盲点だった。  ずっと一人で戦ってきたが、複数人で任務に当たる理がわからないわけではない。  自分に言い聞かせ暗示を掛ける。一度回したエンジンはそう簡単に静まらない。  乾いた唇を舐め、心配を掛けないように一言で答えた。 「わかった。少し休む。後は任せた。何かあったら連絡をくれ」 『わかりました』 「何もなくても森に入る前に連絡をくれ。グレイシャル・プラントが回復するかもしれない。藤堂が辿り着く前にもう一度弱らせておく」  あらゆる障害は潰さねばならない。  念押しに告げる俺に、呆れたようにアメリアが答える。 『わかりました。……アレスさんは心配性ですね』 「……そうかもしれないな」  正直、心配だ。俺は藤堂の事を心配で心配でしょうがない。ここまで俺が心配した相手は後にも先にもあいつだけだろう。  あいつはもう俺の事を随分と裏切っている。あいつの目の前には常に苦難がそびえ、しかもその殆どは彼の自業自得なのだ。あいつは焚き火に自ら飛び込んでいく虫なのだ。しかも、既に燃えている火に飛び込むだけでなく、自分で火をつけたりする。  もうこれから何をしでかすか。  俺にカバー出来る範囲ならばいいが……もしかしてこの気の昂ぶりは決して戦闘直後である事だけが理由なのではないんかもしれない。  舌打ちする。思考を切り替える。大丈夫だ。今度こそ大丈夫だ。  川で頭を冷やして一眠りしよう。俺にできるのは祈る事だけだ。  ああ、秩序神アズ・グリードよ。藤堂に導きを与たまへ。 「寝る」 『……おやすみなさい』  遠く感じる弱った亜竜の気と静まりかえるヴェール大森林。  状況をもう一度確認しなおし、頭の中で整理してため息をついた。  もしかしたら考えすぎかもしれない。俺はここまで臆病だっただろうか。  答えはいくら考えても出る気配がない。 §§§  現場から十数メートル離れた高い樹の上に登り、息を潜めて観察する俺の眼の前で、藤堂が半死半生の竜に駆け寄った。  翼をもがれ手足と喉を潰され、ハルバードに身を貫かれた竜の側にしゃがみこみ、呆然と呟く。  その声が聴覚に意識を集中していた俺にははっきりと聞こえた。 「なんて……酷い……アメリアさん、回復魔法を……」  ――そして俺は地獄を知った。  なるほど……今度はそう来たか。ショックはない。もう慣れた。むしろ感心している。そうか、そういう方法もあるのか、と。  なるほど、なるほど、なるほど……は? page: 29 第四報告 勇者サポートの現状 第二十七レポート:今回の報告は愚痴書くわ  英雄とは常に運命に導かれるようにして数多の苦難を乗り越え目的を達成する。  才覚は当然、必要とされる要因の一つではあるが、何よりも必要なのは運命をたぐり寄せる引きだ。  これは物語ではない。これは現実だ。  だが、もし彼が本当に英雄だというのならば、俺はもしかしたら伝説の一端を見ているかもしれない。  ファック! §§§  戦場では適切で迅速な判断力が必要とされる。  闇の尖兵と戦い続けて早十年近く、屍山血河を乗り越えあらゆる闇に属するものと戦い勝利してきた。判断力には自信がある。いや、あった。  だがこれは……。  もはや瞬きする力すら残っていないかのように投げ出された竜の首。喉は潰され翼はもがれ、串刺しのように体幹に深くハルバードの突き刺さったその身体は誰が見ても明らかな重傷で、今生きている事が奇跡のようにも思える。  無防備な事に、剣を抜くこともなくその近くに跪き、それを痛ましげに見つめる勇者の姿はなるほど確かに、お伽話の一シーンのようだ。  ……だが藤堂、お前は一体何をしに来たのだ。回復しろ? お前、そいつを討伐しに来たんだよな? おいッ!  藤堂にめちゃくちゃな要請をされた当のアメリアはと言うと、心外そうに僅かに眉を顰め、何も答えずそっとあちこち視線を飛ばしている。  一見、冷静に見えるが俺にはわかった。かなり動揺している。どのくらい動揺しているかというと、反射的に、どこかで自分を見ているはずの俺を探してしまうくらいに動揺している。通信する事を思いつかないくらいに動揺している。  こっちから通信を繋いでやりたいが、それは出来ない。俺の通信用の魔導具は本部への通信用、行使しても繋がるのは本部に詰めてるアメリアの後任にだけだ。  しかし、逆にアメリアが焦っている所を見た事で俺の心に余裕が出来た。もし、俺一人だけだったら藤堂の前まで出て行ってしまっただろう。  そして、驚愕を通り越したその次に全身を襲ったのはどうしようもない『やるせなさ』だ。  藤堂が何を言っているのかわからない。言っている事はわかるが、意味がわからない。  おい、お前は何をしたいんだ!? 何故治療しようというのだ!?   感じないのか!? たとえ死にかけていたとしても理解出来るはずだ、その竜から立ち上るオーラを! お前じゃ勝てない、勝てないんだよ、無傷のグレイシャル・プラントには勝てないんだ! 何のために俺が事前に弱らせたと思っている!? 殺さないように弱らせるのにどれだけ苦労したと思ってる!?  藤堂が立ち上がり、もう一度アメリアの方を見る。お前は知っているのか。今お前が立ち上がれるのは俺がそいつを弱らせて纏う冷気を弱体化したおかげだという事を!  聞き取れなかったとでも思ったのだろうか、もう一度言う。 「酷い傷だ……誰が一体こんな事を――アメリアさん、回復を――」 「……何を言ってるんですか?」  アメリアが硬い表情、冷たい声色で返答する。  聞いた瞬間に自分に好意を持っていない事が理解出来るような、冷酷にすら聞こえる声。しかし、藤堂は図太いのかその辺り天然なのか気にしている様子はない。  藤堂が真剣な表情でアメリアの方に一歩近寄る。冗談で言っているわけではないだろう。そもそも、藤堂はそういう人間ではない。 「急いで傷を癒やさないと……手遅れになってしまうかもしれない――」 「……何で治す必要があると?」  アメリアの尤もな答えに、藤堂が目を大きく見開いた。  そもそも、本当に何故どうして藤堂は自分が退治しにきた竜を癒やそうとしているのか。  くそっ、彼の思考理論がさっぱりわからない。異世界からの召喚者であるが故なのか。藤堂の世界では、戦う時は万全の状態で戦うというルールでもあるのか。敵を治療してまで? どんな文化だよ!  眉を顰め、まるで咎めるような口調で藤堂が尋ねる。 「まさか……アメリアさんは……これを殺せ、と……?」 「はい。それが今回のターゲットの氷樹小竜です。誰が弱らせたのか知りませんが、弱っていてラッキーでしたね。今の状態ならば首を飛ばすだけで容易く屠れるでしょう」  白々しい説明口調で答えるアメリア。  意見は全くもって正しいのだが、慈悲深いシスターが言っていいような内容でもないなこれ……。  藤堂が大きく首を振って唇を戦慄かせる。 「馬鹿な……こんな弱っているターゲットを殺す? 君には仁義というものがないのか?」  まさかの台詞に枝を踏み外して落ちそうになる。がさりと大きく枝葉が動いたが、幸い藤堂たちが気づく気配はない。  仁義……だと!? 魔物相手に何を言っているんだ、こいつは。  こいつは、魔物だ。竜だ。しかも、この辺りでは恐らく無類の強さを誇る。  ヴェールの森は国内屈指のレベルアップのフィールドだ。こんな浅部にこのクラスの魔物を野放しにしておけば何人の戦士が倒れるかわかったものではない。  いや、そもそもお前は――村長からの依頼でこいつを討伐に来たんだろうがッ!!  それが仁義? 今こいつ、仁義といったのか? グレイシャル・プラント相手にどんな仁義を通そうというのだッ!  さすがのアメリアも予想外だったのか、眼を幾度か瞬かせる。 「……何を言っているんですか、貴方は」 「僕は……弱いものいじめをするために勇者になったわけじゃない」  藤堂がじっとアメリアを見つめ、強い口調で断言した。  風に揺れる黒髪に吸い込まれるような漆黒の瞳。すっと通ったやや幼気な目鼻立ち。面がいい事もあり、その姿は非常に凛々しい。  ……面白い事を言う野郎だ。弱いものいじめ、とは。  くそっ、まさか弱らせすぎたのか。だが、グレイシャル・プラントに自由を許せばどうなるかわかったものではない。俺はどうすればよかったのだ。強化を諦めさっさと片付けてしまえばよかったのか?  ……次からそうしよう。  オーケー、お前が仁義とやらを尊ぶのならば俺はそれを行使する機会を作らないようベストを尽くそう。そちらの方がこちらも手間にならない。 「大体、半死半生の状態でもこの魔物からは相当な力を感じる。ここらのハンターでは相手にならない相手を半殺しに出来る存在がこのあたりにうろついているという事だ。こいつを退治するよりもそっちの方が重要じゃないか!?」  ……おいおいおい。風向きがおかしくなって来たぞ。  絶句するアメリアをよそに、いつの間にかアリアが竜の横っ腹に近づいていた。聳えるような胴体部、縦深くに突き立てられた白銀色のハルバードと、そこかしこにメイスの棘によって穿たれた深い傷跡をじっと見つめる。  傷めつけられた魔物を見るのは初めてなのか、若干顔色が青白いリミスが後ろからそれを覗く。  馬鹿、無闇に近づくんじゃねえッ! 油断するなッ!  その巨体が一瞬身動ぎする。俺はとっさに殺意を束ね、グレイシャル・プラントに叩きつけた。  悲鳴のような唸り声を上げ、その巨体が大きく崩れ落ちる。それだけで地面が揺れた。散々自分を傷つけた者の殺意だ。本来このクラスの魔物を縛る力はないが、それでもよく効く事だろう。  しかし、ここまで痛めつけてまだ動けるとは竜種の生命力はかくも恐ろしい。たとえ手足が潰れ串刺しにされ喉を穿たれ翼をもがれても、レベル30前の人間を殺す手段なんていくらでも持っている。  アリアが一歩後退り、ため息をつく。動揺の滲んだ声で藤堂の方を向いた。 「……ナオ殿、こいつの傷跡は……力ずくで吹き飛ばされて出来たもののようです」 「力……ずく!?」 「……はい」  アメリアの説得を諦めたのか、藤堂がアリアの隣に移動する。  竜の半開きの濁ったエメラルドの眼が藤堂を追う。何故、どうして竜を相手にそこまで堂々としていられるのか。その度胸だけは英雄に相応しい。  アリアが険しい表情で分析を続けた。 「こいつの身体を御覧ください。足元は当然ですが、背にも土に擦られた跡がある」 「……ん? つまり、こういう事か? こいつが戦った相手は、この三メートルはある巨体をひっくり返せるような相手だ、と」 「ええ。ここに来るまでも、樹々が力づくで薙ぎ倒された跡がありました。恐らく、それもこいつと何者かの交戦の跡、かと」  さすがに戦場を片付ける事はできなかった。どれだけレベルが高くても俺は僧侶なのだ。森を燃やすわけにもいかない。  いや、問題になるとは思っていなかったと言うべきか。アメリアで十分ごまかせるレベルだと。 「傷跡も本来人間が竜と戦う際に出来る類のものではありません。斬撃でも魔法による攻撃でもない」 「あの突き刺さった槍は?」 「……あの槍は――斧槍は本来、刺突で使う武器ではありません。少なくとも、先の刺突部以上に身体を貫いている……力技です。偶然傭兵が落としたものを使ったのかと」  ああ、そうだよ。力づくだよ。悪かったな。他になかったんだよ、硬い棒が。  眉を顰める俺を他所に、予想外の分析スキルを見せつけるアリア。 「身体に無数に開いた穴も槍で突かれたにしては小さいし、周囲が少し凹んでいる……丸い球か何かをたたきつけられたような……」  アリアの表情には口調には、何かを確信している気配があった。  ……おいおい。これ、まずいんじゃないか?  俺の武器は既に見られている。  まさか殆ど実戦経験がないはずのアリアが死骸の分析を出来るとは思っていなかった。  俺にたどり着きかねない。アリアにだけ話し協力を求めるべきか? いや、彼女は直情型だ。隠し事が出来るとは思えないし、聖勇者に隠し事をするとも思えない。そもそも、教会の都合など知ったことではないだろう。  どうすべきか……。  頭を抑え、アリアの言葉に集中する。藤堂が、まだ僅かに身動きをする竜を睨みつけながら呟いた。 「……結論を言って欲しい」 「……はい」    アメリアが、ようやく状況がまずいことに気づいたのか、止めようとするが、間に合わない。  アリアが唇を一度舐め、口を開いた。 「ちょ――」 「グレイシャル・プラントをここまで傷めつけたのは十中八九人間ではありません」  ……は?  一瞬思考が空白になる。が、その間も説明は続く。 「この傷跡は多人数による攻撃ではないし、もし万が一、一対一で圧倒出来るような戦士がいたとしてもこのような傷跡は出来ない。この巨体を吹き飛ばせるような力があるならば頭を砕くなり首を飛ばすなりで一撃のはずです。ましてや、ハンターがこのように殺さないように注意して痛めつけるような真似をするわけがありません。これじゃ存在力も素材も手に入らない。メリットがない」 「……人間の仕業じゃない事なんてわかってるよ。可能不可能は兎も角、この跡はあまりに暴力的、猟奇的すぎる。これが人間だったら間違いなくサイコパスだ」  何か凄い言われようなんだが……。  アメリアが伸ばしかけた手を引っ込め、神妙な表情でそろそろと後ろに下がる。  下がった目尻に噤まれた唇。いや、神妙な表情じゃない。これは笑いをこらえている表情だ。  俺とアメリアを置いてけぼりにして推理が続く。 「この巨体を吹き飛ばせる事から、恐らく体長三メートル以上、手の甲に無数の棘を生やした亜人型の魔物かと」 「手の甲に無数の……棘?」 「はい。この皮膚に穿たれた無数の穴は棘のようなもので貫かれた跡です。打撃の跡なので恐らく拳撃によるものでしょう。しかも、何度も何度も執拗なほどに攻撃を受けている」  レベルアップ時には傷つくことも恐れず、敵を切り捨てた勇敢(無謀とも言う)なアリアが、自らの言葉に恐怖するように身体を震わせる。  それが伝染したかのように、藤堂も一度ビクリと肩を震わせると周囲に忙しげに視線を投げかけた。まるでその巨人が近くにいるかのように。  ……くっ、惜しいようで惜しくない。いや、文句言うつもりはないけど……。 「……新たな脅威の可能性がある以上、村長への報告は必要です」 「ああ……そうだな」 「何で次から次へとトラブルが起きるのよ……」  リミスが唇を尖らせてぼやく。奇しくもその言葉は俺の胸中と一致していた。こいつらやべえ。  藤堂が深くため息をつくと、完全に蚊帳の外だったアメリアの方を向いた。 「アメリアさん、わかっただろ? 新たに強力な魔物が出た可能性がある以上、グレイシャル・プラントにかまっている場合ではなくなった」 「……何を言ってるのですか、貴方は?」  本当に何を言っているのだ、こいつは。  藤堂が呆れているような、人をいらっとさせるような表情で言う。 「わからないのか! グレイシャル・プラントが襲われたのには理由があるはずだ。このままとどめをさしてしまえば問題が起きるかもしれないじゃないか。治療は必須だ」 「問題……? ……例えばどんな問題ですか?」  藤堂が一瞬困ったように眉を寄せ、自信なさげな口調で答える。 「……グレイシャル・プラントが森を守護している存在で、新たな魔物が侵略しにきた所を何とか追い返した、とか」  凄い想像力だな、おい。  グレイシャル・プラントの生息域はもっと奥地だし、そもそも魔物にあるのは守護などではなく縄張りという概念だけだ。魔物とはそもそもが基本的に人の敵対種であり、例え藤堂の話が百歩譲って当たっていたと仮定しても、人間である俺達には関係ない。  だが、何よりもその案が凄いのは、何も知らない者が聞いたら何となく筋の通ったもののように感じかねないという点だろうか。アリアとリミスにその意見を否定する気配がないのを見て、俺は肩を震わせる。  アメリアは大きくため息をつき、肩を竦める。肩を竦め、はっきりと言った。 「ありえません。魔物が森を守護するだなんて聞いたこともないし、そもそもグレイシャル・プラントを倒せるような魔物はこの周辺地域には生息しない。腕利きのハンターが偶然通りかかって戯れに半殺しにした説の方がよほど信憑性があるかと。それに、魔物を治療するのは教義に反します」 「……はぁ。わかったよ」  藤堂が失望したように深い溜息をつく。  視線をずらし、何気ない動作でグレイシャル・プラントの方にもう一歩近づく。 「アメリアさんは僕のパーティじゃないしね。その意見を尊重しよう。だからこの魔物は――僕が治す」  なっ――!?  声を上げる間もなく、藤堂がその腕をグレイシャル・プラントに伸ばす。  そのまま、スムーズな動作で十字を切った。その所作は先日テストを受けた時よりも遥かに洗練されている。練習したのか。くそッ、何でそういう所だけ真面目なんだよッ! 「六級回復神法」  弱々しい緑の光が手の平で瞬く。  最低級の回復魔法だ。ちぎれた翼の再生はもちろん、潰れた手足の回復も無理。傷口をちょっとばかり塞ぐ効果しかない初歩的なヒーリング。  だが、死にかけの亜竜に多少の動作を可能にする程度の力はある。まるで水を得た魚のように、巨体が蠢く。その生命を燃やし尽くすようにして放たれる世界が揺らぐような咆哮。潰れかけた手が僅かに動き、振り上げられる。  体幹を貫通したハルバード、傷口からみちみちとした音が響くが、全身を貫いているはずの激痛についても気にする気配はない。  潰れた前足から伸びる折れかけた鉤爪、その鋭い断面が藤堂を狙う。  思考が凍った。とっさに咆哮する。 「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」  樹々が震え、風が止まる。自身の口から出ていると信じられないような獰猛な声。  同時に再び殺気をぶつける。先ほどのように研ぎ澄ませる暇はない。点ではない、面を対象に放ったそれに、リミスの膝が砕けるように崩れ落ち、藤堂とアリアが弾かれたかのように大きく後退った。  振り下ろされた鉤爪が寸でのところで空振る。藤堂の前髪が数本散り、そこに発生した一瞬の隙に殺意を束ねた。  グレイシャル・プラントの身体がビクリと痙攣し、再び地に伏す。肉体的なダメージは回復出来ても精神にはまだ隙が残っているのだろう。  伏せるのを確認。一拍遅れて、ぞくりと冷たい何かが背筋を通り抜ける。徹底的に痛めつけたのは僥倖だった。  でなければ俺は墓を掘らなければならなかっただろう。  それ見たことか。回復魔法を掛けてやったにも拘らず、相手からの反応は攻撃行為だ。  亜竜と言っても所詮は魔物。魔物と分かり合うなど――奇跡でも起こらなければ不可能だ。人類圏には、魔物と分かり合おうとする者は今でも一定数いるが、その殆どが非業の死を遂げる。 「な、なんだ今のは!?」  自身の命が首の皮一枚で助かった事も知らずに藤堂が叫ぶ。その手には反射的に抜いたのか、聖剣が握られている。  青ざめた容貌に頬から落ちる汗。多少は懲りたか。  アリアも動揺に剣を構えている。震える手足に戦慄く唇。 「馬鹿な……何て――殺意……咆哮……威嚇行為……ナオ殿、ここにいるのは……危険ですッ!!」 「ッう……あ……」  一番レベルの低いリミスは耐えられなかったのか、座り込んだまま起き上がる気配がない。  手加減する余裕はなかった。  俺のミスだ。まさか自ら回復魔法を掛けに行くとは……そこまで馬鹿だとは思わなかった。いや、思いたくなかったのかもしれない。もう散々思い知らされているというのに、未だに俺は奴を信じたいのか?  藤堂が必死に目を瞑り、神経を研ぎ澄ませている。  呼吸を止め、気配を消した。どうやら居場所はバレていないようだ。  眼をつぶる藤堂に、顔色の変わっていないアメリアが急かす。  俺の殺気だと勘付いているのだろう。 「藤堂さん、早く撤退すべきです。今の殺気の主に見つかったら今の藤堂さんのレベルでは間違いなく勝てません」   「ッ……い、いや、駄目だ。逃げるわけには……いかない」  藤堂は歯を食いしばり、目を開いた。まるで幽鬼のような目つきでアメリアを見返す。その声から感じられるのは、以前感じた事のある……壮絶な覚悟、意志。  こいつ、馬鹿か? 彼我の力量差を感じられない程愚かではないはずだ。今の俺と藤堂ではレベルに天と地程の差がある。広域に放ったとはいえ、先ほどの殺意は根性などで耐え切れるものではない。  もし殺意の主が俺じゃなかったら藤堂はとっくに死んでいる。そういうクラスの殺意である。  アリアも今度ばかりはアメリアに賛成なのか、藤堂の肩に触れた。 「ナオ殿……今の主は――無理です。少なくとも、今のレベルでは手も足も出ないでしょう。下手したら魔族の可能性すらあります」 「魔族……い、いや、ならば絶対に――」  それでも、まだ徹底抗戦を叫ぶ藤堂。  そんな藤堂に、アリアが肩に手をおいたまま、渾身の意志を込めて叫ぶ。 「ナオッ!!」  今まで見た事がない程険しい表情。引きつった眉に、青の瞳は深く底が知れない。悔恨、怒り、悲哀、あらゆる感情がないまぜになった壮絶な表情に、藤堂の意志が初めて陰る。  アリアが続ける。冷静さを装ってはいたが、その声色は僅かに震えていた。 「ナオが死んだら――誰が魔王を倒す、と? どうしてもここで今の殺意の主に勝ち目のない戦いを挑むというのならば……私とリミスにお任せください。ナオは今ここで死ぬわけにはいきません」 「なッ!?」  アリアの言葉を聞き、ペタンとへたり込んだまま、リミスが涙目で藤堂を見上げる。恐怖と絶望の交じり合ったその視線に、しかし藤堂に対する怒りだけは浮かんでいない。何だかんだ、二人共覚悟だけはしてきたのだろう。少なくとも、この状況で盾になる程度の覚悟は。  無造作に下ろされていた手、リミスのローブの袖から真紅の蜥蜴がちょろりと地面に降り立ち、主と同じようにそのくりくりした眼で藤堂を見上げる。  藤堂の首がまるで油の切れた絡繰人形のようにゆっくりと動く。青ざめた表情でアリアを見て、そしてリミスを見下ろした。  人形めいた蒼白。その唇から放たれた声が戦慄く。 「絶対に……勝てないのか?」  アリアとリミスは答えない。ただ、その視線が語っていた。  恐らく、アリアはその武家の出という経歴故に、そしてリミスはそのレベルの低さ故に。藤堂が感じる以上の絶望を感じていたはずだ。  アメリアが場の緊張を叩き潰すように小さく手を打つ。 「勘違いしてはいけません、藤堂さん。今はまだ、です」 「今は……まだ……」 「貴方はまだ勇者としてはあまりにもレベルが低い」  そうだ。うまいこと全てを有耶無耶にしろ。  自覚させろ。自分の弱さを。理解させろ。その生命の重さを。その無謀を、勇気に昇華させろ。 「いくら勇者としての素質があっても、レベルが低ければ魔族には叶いません。ですが、逆に言うならばレベルさえ上げれば――魔族にも勝てるという事になる」 「レベルさえ……上げれば」  感情のこもらないアメリアの事務的な口調に、しかし藤堂は気にする事もなく、その言葉を小さく反芻する。  それはまるで自分に言い聞かせているかのようだった。  心配そうにその様子を見つめるリミスとアリア。どうでもいいけど、俺が敵だったらそんな事してる間にお前ら全滅だからな。  藤堂の呼吸が変わる。大きく息を吸い、そして吐いた。未だまるで夢現でも見ているかのような不確かな表情で、三人を交互に見る。そして一言、 「……撤退……する」 「わかりました。リミス」  昏い声に即座にアリアが反応した。  いくら実戦経験がなくとも、さすが剣王の娘か。 「た、立てない……かも……」  一方で腰が抜けたのか動けない様子のリミス。必死に腕を使って立とうとしているが、全く効果がない。  アリアが顔を顰め、その腕を引っ張りあげて軽々と背負う。リミスは小柄だ。剣士としてレベルもそれなりにある以上、大きな負担にはならないだろう。魔導師は体力や敏捷性が低いため、撤退時は荷物のように抱えられる事が多い。当のリミスは屈辱そうな表情をしているが、文句を言える立場じゃないことはわかっているらしく大人しくしている。  遠くから見ると明らかに一人だけ気負った様子のないアメリアが、まだ足元の覚束ない藤堂に確認した。 「藤堂さん、グレイシャル・プラントの方は放置する、でいいですね?」 「……ああ……」  藤堂が、今この瞬間も、殺意の照射により四つん這いで痙攣しているグレイシャル・プラントを見る。  藤堂たちが去るその瞬間まで外すつもりはない。  数秒、半死半生で恐怖に縛られるグレイシャル・プラントに視線を向け、アメリアの方を向く。  口から出てきたのは力ない言葉で、しかし内容自体は初めと変わっていなかった。 「……アメリアさん。無理を承知でお願いだ……あれを回復させてやってくれないか」 「……」  一体何が彼をそこまで駆り立てるのか。  魔物。何度もいうが、魔物である。例え可哀想という印象を一瞬抱いたとしても、最終的には自分を納得させるのが普通だ。もしかしたら、それが藤堂のルーツに関係しているのだろうか?  通信が繋がる。 『どうしますか?』 「やってやれ」  どうせ藤堂たちがいなくなったらすかさず仕留める。予定通りにはいかなかったがそれで終わりだ。 『了解しました』  通信が途切れる。  大きくため息をつくと、アメリアがグレイシャル・プラントに近づいた。レベル的にはアメリアも適正以下だ。一層の力を込めて縛り付ける。  何を考えたのか、その隣に藤堂が立つ。まるでその所業を見届けるように。  万が一がないように、更に力を込めて殺意を放つ。精神を集中しすぎて頭が焼ききれそうな程に熱い。だがいい。後少し、後少しだ。  そして、アメリアが『回復魔法』を唱える。藤堂が唱えた際のそれより遥かに強い緑色の光がグレイシャル・プラントの全身を包み込んだ。 §§§  光が消えた時、竜がなんか知らないけど女の子になっていた。  俺はクレイオに苦情をいれる事にした。 page: 30 第二十八レポート:変な加護は持っているし  一瞬意識が遠くなり、木から落ちそうになって慌てて体勢を立て直す。  まるで悪夢でも見ているかのような気分だった。  思わず目をゴシゴシとこすり、もう一度眼下を見る。  年の頃は十代半ばくらいだろうか。グレイシャル・プラントの体表と同じ色の髪をした少女だ。身体の大きさはリミスと同程度のコンパクトサイズ。整った目鼻立ちに深緑の瞳が強い警戒心を持ってじろじろと目の前の藤堂を見据えている。  どこからどう見ても少女である。少女以外の何物にも見えない。もう一度言おう。そこには、川岸には、先ほどまで竜を拘束していた川岸には、今や竜の姿はなく見知らぬ少女の姿が代わりに一つ。  ふぁっく、まじファックである。死ねばいいのに。 「どういう理屈なんだ……」  あえて口に出して考えてみるが、理解できない。  高位のあやかしの類には、人に化ける者がいるという話は聞いたことがある。人化の術と呼ばれるものが存在する事も知っているが、竜は勿論の事、亜竜が人化するという話は全く聞き覚えがない。  そもそも、何故どうして今このタイミングで人に変わるのだろうか?  奇想天外過ぎてどうしていいのかわからない。この件に関して藤堂を責めるのは酷か? 彼も意図してやった事ではないだろう。いや、意図してこれをやったのならば俺はこの仕事を降りる。もう無理。  幸いなのは、人化したグレイシャル・プラントが亜竜の身体の時と異なり大きく力が制限されている事だろうか。巨大な身体、重量、リーチの長い足に尻尾、硬い鱗、この類は戦闘に置いては間違いなく大きな力である。いかなる摂理か人の身体を得たグレイシャル・プラントにそれはない。その身体から感じる存在の力も大きく削がれている。今の状態ならば藤堂でも何とか押さえつけられるだろう。  藤堂は一瞬戸惑っていたが、すぐに相好を崩し、一糸まとわぬ少女に手を差し出した。彼は勇者だった。俺が彼の立場ならば間違いなくそんな事出来ない。ショックから立ち直る速度も早過ぎる。  俺は一体どうしたらいいのだ……。  俺には時間が必要だった。不確定要素が多すぎて、即座に判断するにはリスクが大きすぎる。  拳を握りしめ固唾を呑んで見守る俺の前で、元亜竜の少女は険しい視線を周囲に向けた。  藤堂が口を開きかける。 「君は――」 「ッ!!」  同時に、少女が大きく動いた。ぺたんとついていた腿が動き、ふらつきながら地面を蹴る。  初速は十分。身体能力も十分高い事は見て取れる。が、状況が悪いし、そもそも彼女はまだ人の体というものに慣れていないようだ。  地面に座り込んだ状態から動くには大きなラグが発生する。姿勢が不安定。地面を蹴る瞬間、僅かにバランスが崩れるのがはっきりわかった。レベルは低くても天性の素質を持つ藤堂にそれが捉えられないわけがない。 「待って。何もしないよ!」 「ッ!?」  逃げようとする少女の腕を易易と捕まえ、藤堂が安心させるように言う。  少女の目が驚愕に歪む。力を入れ逃げようとするが、やはり膂力も大きく落ちているのか、藤堂の身体は動かない。  ようやく状況に追いついたのか、アメリアから通信が来る。 『……どうしますか?』 「……逃げきれていたらこっそり処分出来たんだがな」  一瞬でも藤堂たちの視界から消えていればそれを拐えて処分出来ていた。森の奥に消えて見つからなかったのならば藤堂たちも諦めていただろう。だが、実際に少女は藤堂に捕まってしまった。この状況から挽回は無理だ。  展開が全く予想出来ない。取り敢えずクレイオに苦情もとい相談は必須として、なるように任せるしかない。  まず第一に、あの少女が藤堂に敵対しているのかどうかもわからないのだ。何故人の姿になったのかもわからないのだ。  取り敢えず、様子を見る。何か問題が起きそうだったら強制的に介入しよう。もう影からとか言っている場合じゃない。  予備の外套を着せられる元竜を眺めながら、唇を強く噛んだ。  胃がキリキリと痛み始める。だが、その痛みにも慣れ始めた自分がいた。  やばいなこの仕事……不確定要素を押さえようとすればするほど新たな不確定要素が出てくるなんて。俺は一体どうしたらいいのだ。  答えてくれる者はいない。 §§§ 『ほう。亜竜が人に、か』  俺の報告にも、クレイオの声色は微塵も揺るがなかった。藤堂の度胸は言わずもがなだが、こいつのメンタルも大概人を超越している。  場所は宿。熱いシャワーを浴びたら思考は多少冷静になったが、気分はまったく良くならなかった。  アメリアにはまだ理由をつけて藤堂たちについてもらっている。竜少女は最初は多少暴れていたが、人の状態では藤堂にも勝てない事を察したのか今の所まだ大人しくしているらしい。人語は話せるはずがまだ一言も口を聞いていないとの事。警戒しているのだろう。  ある程度の状況の操作はアメリアに任せてある。というより、彼女に出来なかったらどうしようもないのでその時はなすがままに任せるしかない。 「竜の類が人に変わるなどという話は聞いたことがないし、どうして今のタイミングで変わったのかもわからない。何か情報があったら欲しい」 『……竜の人化については聞き覚えがある』  マジか……あるのか。いや、無いほうがおかしいのだ。何しろ、今目の前で間違いなく起こっているのだから。  長い間、国を問わず回ってきた。珍しいもの、奇怪なもの、恐ろしいもの、あらゆるものを見てきた自信はある。が、世の中これだから面白い。くそっ、ファック。 『アレス、君はレムレースの竜騎士を知っているかい?』 「……ああ」  レムレースの竜騎士。  ルークス王国にもその直属の騎士が構成する騎士団が存在するし、教会戦力には聖騎士と呼ばれるアズ・グリードに仕える戦力があるが、数多存在する騎士の中で最も精強として有名なのがレムレース帝国が持つ最強戦力、『レムレースの竜装騎士団』だろう。  傭兵の中でその名を知らぬ者はいまい。  俺はレムレース帝国には行ったことがないのでその自慢の竜騎士とやらに会ったことはないが、噂では一人の竜騎士が他国の騎士数百人に値する戦闘能力を持つらしい。  何よりも特異なのはその騎士団その名の通り『竜を駆る』という点。  竜に跨がり空を自由自在に飛行し、一方的に攻撃を仕掛ける。常識からは考えられないその特徴が、その竜装騎士団を一種伝説的な存在のようにしている。  今やレムレース帝国に刃を向けようという者は、同等以上の大国にも存在しない。  そもそも竜とは人よりも遥かに上位の存在である。プライドも高く知性も高いその竜種がいかなる理由で人に駆られる事をよしとするのか。  現に、レムレースを除いて他に竜を手懐けたという実績は存在しない。竜騎士などというふざけた存在を擁するのはレムレース帝国だけだ。  そのノウハウの全ては謎に包まれている。  面倒な事になってきた。舌打ちする。  竜を駆るノウハウはレムレースにとっての最重要機密だ。教会の力を借りたとしても情報が手に入るとは思えない。  何よりも厄介なのは――レムレース帝国の国教がアズ・グリード神聖教じゃない事だろう。  クレイオが落ち着いた声で続ける。 『レムレースの竜は普段人の形を取っていると聞いたことがある。だが、君も知っている通り、かの国は我々の管轄じゃない』 「ああ」  レムレースへの介入は困難だ。教会のバックアップが薄い。  別に向こうを邪教と認定しているわけでも邪教と認定されているわけでもないが、奉じる者が異なるというのは時に何よりも大きな溝となる。  どうすべきか……いや、これは個人でどうこうなる問題ではない。情報収集は任せるしかないな。 『だが、だからこそ信憑性がある。アレス、それこそがある意味勇者の証であるとも言える。八霊三神の三神の意味する所を知らぬ君ではあるまい』 「くそっ、面倒だな……」 『……やれやれ。君はもう少し神への敬意を持った方がいいな』  つい本音が出すと、クレイオが苦笑の声を漏らした。  アズ・グリードとは異なるとはいえ、この世界に存在する最高神の一柱の思し召しともなれば、非難するわけにもいかない。 『レムレースに手懐けられる以上、その余地はある。危険性はあるが、リスクを踏まずして魔王を討伐する事など出来まい』 「……そうだな」  大きく深呼吸をして気持ちを落ち着ける。  考え方を変えよう。竜を仲間に出来るのならば心強い事この上ない。竜装騎士団のホームグラウンドが空である以上、竜の姿に戻す事も可能なのだろう。最悪、敵にならないならば途中で死んでも構わないのだ。  その時、クレイオがふと質問してきた。 『これを聞いてどう思った?』  その質問がどういう意図なのかわからなかったが、思いついた事をそのまま答えた。 「……どうせ仲間になるのならばグレイシャル・プラントなんかじゃなくてちゃんと空を飛べる真性の竜が仲間になったらよかったのに、と」  なんたって人化したのはグレイシャル・プラント、所詮は亜竜なのだ。確かにそこそこ強かったが、これからずっと使う事を考慮すると明らかに力不足である。レベルはちゃんと上がるのか?  俺の言葉を聞き、クレイオが押し殺すように笑う。 『くっくっく。そういう所が我々が君を選んだ理由でもある』 「……そうか」 『シオンの加護があらん事を。レムレースには問い合わせてみるが、あまり期待しない方がいいだろう』 「……了解」  通信が切れる。が、切れた後もしばらく俺はその場で佇んだままだった。  レムレース、か。面倒だ。何という面倒事だ。  加護はあればあるだけいいが、それで面倒な手間が増えるのならば無い方がマシかもしれない。だが、悩んでも仕方ない。もらってしまったものを破棄する事など不可能だ。  レムレース帝国が奉じる神、シオン・グシオン。  藤堂直継に加護を授けた八霊三神、三神の一柱にして、この世界に存在する最高位の神の一柱。  司る属性は愛。あらゆる者に尽きぬ愛を注ぐことを至高とする大神。  慈愛神、シオン・グシオン。  数こそ少ないものの、魔物を手懐けようとする愚か者達が競って奉じる神でもある。 page: 31 第二十九レポート:部下は気が強いし  正直に言わせてもらえば、まだ藤堂たちと顔合わせをする前、一番初めにクレイオから藤堂についての情報を聞いた際に抱いた感想は、これならば魔王に勝てるかもしれない、だった。  レベルと性格も勿論重要な要素だが、何より奴が異常だったのは、この世界に召喚された際に習得した加護の強さである。  八霊三神。  この世界に存在する精霊、神々は数多くいるが、奴が得た加護はその中でも特別強力なものだった。  複数の神から加護を受ける者は稀にいるが、その加護を授けた全ての神が最高位の神であるパターンは歴史を紐解いても殆ど例がない。  即ち、この世界で最も多くの人族が信仰する神であり、神聖術を司る大神、秩序神アズ・グリード。  人々に戦うための力を与え、絶対の勝利を約束するとされる、戦人に信奉者が多い軍神、プルフラス・ラス。  そして、件の慈愛の神、シオン・グシオン。  秩序神アズ・グリードは闇を祓い混沌を平定する力を、軍神プルフラス・ラスは万象一切の障害を打ち砕く力を与える。秩序神の加護は当然だが、軍神の加護は極めて強力な結界を纏う魔王とその眷属と戦う上で必須と言える。  反面、慈愛の神は具体的にどのような力を与える、などという事もなく、デメリットもないがメリットも特にない、おまけのような神だと思っていた。  現に、この三柱、位的には同格とされているが信仰者の面で言ってみればシオン・グシオンは他の二柱に二歩も三歩も劣っている。レムレース帝国が奉じている事から知名度はそれなりではあったが、誰が何の力も与えてくれない神を奉ろうと考えるだろうか。  だが、それが藤堂に影響を与えるとなれば話は別である。  情報を集めねばならない。見極めねばならない。  シオン・グシオンは邪神の類ではない。悪影響は無いとは思いたいが、何しろ魔物は魔物である。自由自在に手懐けられるのならば強い味方になるだろうが、今まで数えきれない程の魔物を葬ってきた俺にはどうしてもそんな事が出来るとは思えなかった。  娘の姿をとり油断させ、寝込みを襲う可能性だってある。各地に伝わる伝承の中にはそういう質の悪い妖魔が出てくるものも少なくない事を俺は知っていた。  如何に勇者としての加護が強くても、寝込みを襲われてしまえば対応出来まい。古今東西、色が原因で死んだ英雄など腐る程いるのだ。  疑い過ぎか? いや、油断して勇者を殺される位ならば疑い過ぎるくらいがちょうどいい。  奴が他者を疑わないのならば俺がその裏の全てを洗う。  唇を噛み、決意を新たにする。そうでもしなければやるせなさに全て放置してしまいそうだった。そのフラストレーションを解消する手段はまだ見つからない。  藤堂にぶつけるわけにもいかないし……藤堂が死んでしまう。 §§§  アメリアの魔法は本当に便利だ。彼女が派遣されてきたのはこの任務についてから随一の僥倖と言えるだろう。  彼女がいなければ俺はたった一人身を隠しながら藤堂たちの動向を探る羽目になっていた。どれだけの手間がかかるのか、考えただけでも嫌になる。  ほぼ丸一日ぶりにまともな朝食を取りながら通信する。若干硬い黒パンに焼いた肉と卵。食べなくても神聖術を常用すれば長時間活動できるし、繊細な舌を持っているわけでもないが、質素ではあっても食欲誘う香りは活力を取り戻させてくれた。  食べながら、脳内に響くアメリアの声に答える。彼女たちも無事宿についたようだ。   『――はい。グレシャに服を購入後に村長に報告に向かう予定です』 「グレシャ……?」 『はい。いつまでも竜と呼ぶわけにもいかないので……名前を付けました。尚、まだ彼女が人語を話す気配はありません』  グレイシャル・プラントだからグレシャか……安直だな。  胸ポケットから癖で葉巻を取り出す。闇の眷属が嫌う薬草を使って作られた特別製。指で挟みしばらく眺めていたが、臭いがつく可能性を考え再びポケットにしまった。  ため息をつき、水の入ったグラスを呷る。アメリアが頑張ってくれているのに俺が手を抜くわけにもいかない。  まさか竜の姿でも人語を話せたのに人の姿で操れないという事もないだろう。操れなかったら何のために人化したという話になってくる。  しかし、果たして奴らは村長にどのような報告をするつもりなのだろうか? 「大人しくしているか?」 『今の所は……しかし、警戒心が強く心を開く気配もありません。隙を見せれば襲ってくる可能性もあるかと』 「藤堂は何を考えている?」 『……藤堂さんは特に気にしている様子はありません。まだ慣れていないから警戒しているのだと言うのが彼の見解です。逆にアリアさんの方はかなり注意して見ていますね』 「……リミスは?」 『……興味を抱いてすらいません。ずっと本を読んでます』  ずっと考えていた事だが、アリアが何だかんだ藤堂パーティで一番の良心なんじゃないだろうか?  魔力がゼロの彼女が一番伸びしろがないんだが……。  銀のナイフで肉をざくざく切り刻みながら考える。シオン・グシオンの加護をどこまで信用していいか。俺が手を出す事で問題が深化する可能性もあるが放っておくわけにもいかない。  竜の人化は予想外ではあったが、メリットがゼロというわけでもない。使いようによっては、俺たちにとってもメリットになりうる。  藤堂が竜……グレシャをこのまま放り出す可能性はないだろう。あまりに無責任すぎる。  恐らく、仲間にしようとするはずだ。アメリアはパーティから抜けてしまうし、グレシャをこちらでコントロールできれば情報収集もサポートもかなり楽になる。問題は如何にしてグレシャと分かり合うかどうかだが。  俺は既に彼女(?)を一度半殺しにしている。難易度がかなり高いな……。  どちらにせよ、最低でもどういうつもりなのかは話し合う必要はある。 「グレシャを一人に出来るか?」 『……難しいですね。少なくとも、今は一人にしない方針で動いています』  人化した竜……さすがに危険性は理解しているか。 『……今は全員一室にいます。後で藤堂さんがグレシャの着る服を買いに行くのでその時ならば監視が薄くなりますが……』  今は藤堂の着ていた外套を着せているようだが、真っ裸の見た目少女を連れ回すわけにはいかないのだろう。好都合だ。  プランを立てながらアメリアに尋ねる。 「何人残る?」  アメリアが珍しい事に憮然とした様子で答えた。 『何人残しましょうか?』 「……凄い自信だな」  ある程度はコントロール出来るという事だろう。頼もしい事だ。 『アレスさんのサポートですから』 「出来るだけ少なくしてくれ。アリアと藤堂は最低でも外して欲しい。リミスは……どうにでもなる」  確か、まだ彼女は十五歳だったはずだ。  脳裏に映るは手入れされた金髪碧眼、矮躯と称するに相応しい凹凸のない身体。魔術のポテンシャルはあるし、俺の殺意を前に藤堂をかばった所を見ると意志もあるが、全体的に甘い所は否めない。  俺の印象では、彼女は子供である。  藤堂のポテンシャルは疑いようもないし、何をしでかすかわからない怖さがある。アリアは剣士らしく油断が薄いし、なかなかどうしてできるやつだ。リミスもポテンシャルでは負けていないが、彼女はまだ精神が未熟だった。年齢はアリアや藤堂とあまり変わらないはずだが、生家の方針によるものだろう。  出し抜く方法など腐るほど思いつく。  外部のメンバーであるアメリア一人にグレシャを任せるとは思えない。となると、ベストはアメリアとリミスのペアが残る事。俺が藤堂の立場ならば、身体能力の低い僧侶と魔導師を危険度未知数の竜娘の監視に使ったりしないが、その辺りはまぁ駄目だったら駄目だったで……上手いことやろう。  人の一人や二人攫うなど……慣れてる。 『……了解しました』 「ああ。宿の側で待機している。タイミングが来たら速やかに決行する」  ナイフとフォークを置き、空になった象牙色の皿を見下ろす。  ナプキンで口元を拭き、グラスを最後まで呷る。立ち上がった所で、ふと再びアメリアから追加で通信が入った。 『……ところで、アレスさんは何故自分がこの任務につく事になったのか知っていますか?』  予想外の問いかけだ。 「ああ、勿論知っている」  答えながら準備を続ける。  リュックの中から小ぶりのナイフを取り出す。濃緑色の鞘に修められた金と銀で装飾のなされた柄を持つ逸品だ。  銀製のナイフが持つ闇を祓う効果も、竜を繋ぎ止めるのに使った金剛神石製のナイフ程の切れ味もない。一見、儀礼用のナイフにも見える。  だがその実、それは俺が持つ数少ない魔導具の一つでもあった。対魔物では対して役に立たないが、対人では大きな威力を発揮する。  異端殲滅官は時に著名人に化けた悪魔を退治しなくてはならない事もある。適当にメイスでぶん殴ればいいという話ではないのだ。  まぁ、メイスでぶん殴るだけでいい方が楽なんだが……。  しばらくの沈黙後、アメリアから返答が返ってきた。 『そのアレスさんの予想は……恐らく、この任務につく理由になった一端でしかないかと』 「……どういう意味だ?」  躊躇うような気配。ただ、黙って答えを待った。  アメリアに与えられた情報は俺が与えられた情報と違うのだろうか?   海千山千のクレイオの事だ。情報操作はお手の物だろう、可能性は低くないが……。  全ての可能性は込みでここにいる。今更一つや二つ情報が新たに出た所で刃がぶれたりしない。俺のビジネスはたった一つだけだ。  リュックを自室に置き、宿を出た所でようやくアメリアから答えがあった。  ここ最近は天気が悪い日が多かったが、天には雲ひとつなく眩いばかりの太陽が地上を照らしている。 『アレスさん、この任務はただ藤堂さんをサポートするものじゃない。この任務は……アレスさんの弱点を克服するためのものでもあるのです』 「俺の……弱点?」  弱点などいくらでも思いつく。  魔力が少ない事。加護が殆どない事。  俺の性能の殆どはレベルによるもので、きっと誰もがレベルを上げれば到達出来る程度のものでしかない。  だが、アメリアの言葉は俺の考えるそのどれとも異なっていた。 『……ええ。アレスさん、貴方の弱点は――全て一人でやろうとするという事。他人を頼らないのは、何でも自分でやろうとする性質は聖穢卿にとって……大きな弱点です』 「……」  他人を頼らない事。言葉の意味は理解出来るが、俺は何も答えられなかった。  いや、答えられなかったのではない。俺は考えていた。そのクレイオが見出した弱点とやらが今の状況にどういう影響を及ぼしているのか、を。  報告はしているし人が足りないとも言った。頼っていないかというと頼っているはずだ、が、彼女が言いたいのはそういう事ではないだろう。  アメリアが淡々と続ける。 『アレスさんは私をパートナーとして使うとなった時、私の能力を詳しく聞かなかった。アレスさんにとっての私はただのレベル55の僧侶だった。そのレベル55のプリーストが可能である最低限の能力のみを見込んでいた。こうして魔法で通話が可能である旨も、私が言い出さなければ気づかなかったでしょう』 「……ああ、そうだな」  確かに俺には彼女が何を出来るのかよく知らない。知っているのは最低限の事は出来るという事と、エリートだという事くらいだ。  その程度で十分だった。残りは俺ならばどうとでも出来る。 『アレスさん、貴方は私に――殆ど期待していなかった。いや、今も期待していない。貴方にとってこの任務はどこまでも自分の任務で、私はただのちょっとした補助でしかない。疲労しても眠らない。指示は念には念を押し、常に万が一失敗した際の事も考える。手厚い対応と言えばそうですが、貴方は最終的には失敗しても成功してもどうにでもなると思っている。根本的に貴方は私を信用していない。疑心は悪徳でもあります』  ただ平坦な声で告げられる分析。  全くもってその通りである。しかし、気が強い女だ。  知っている。ああ、知っているとも。自分の事、百も承知だ。俺の性格は神の寵愛を受けるに相応しくない。  左手薬指の黒の指輪に視線を落とす。黒の指輪は神への叛逆の証。アズ・グリードの教えを反故にし、神敵を討つ異端殲滅官の証だ。  だから、アメリアの指摘を受けても微塵も心は揺るがない。 「つまり、どうしろと?」 『改善を要求します。私は聖穢卿から貴方のサポートを承っている。中途半端な仕事で終わらせるつもりはありません』  改善を要求する、か。  道のど真ん中で足を止めその意味を考える俺に、アメリアが言った。 『これは私のビジネスです』 page: 32 第三十レポート:厄介事は次から次へと降って来るし  フードを深く被り、万一の際は逃げ出せるように準備を整えて宿の裏で待機する。  幸いな事に、宿の裏手は人通りが殆どない。そうでなければ、晴天にもかかわらず顔を隠すような格好をしている俺は注目の的だっただろう。 『アリアさんと藤堂さんが出ました』 「了解」  先ほどの思わせぶりな発言もどことやら、事務的なアメリアの報告に短く返す。  潜入捜査には慣れていた。レベルが高いというのは存在力が高いという事。存在力が高いと言うのはこの世界で出来る事が他者よりも多いという事を指す。レベルの高さが絶対的な指標になっている、それが一つの理由だ。  息を顰め精神を集中すればあらゆるものが感じられた。  視覚、聴覚、嗅覚、触覚。  目を瞑り息を潜めれば、壁を何枚隔てても藤堂とアリアの気配が感じられる。鼻を動かせば、アメリアのつけている微かな香水の匂いが判別できる。俺は足音を顰め、アメリアの居る部屋の下についた。  上を見上げれば開け放たれた小さな窓が見える。宿は三階建てで、藤堂たちが取っている部屋も三階だ。二階の部屋の窓は閉まっており、人の目はない。窓の大きさも、多少の余裕を持って入れる程度の大きさはあるだろう。  出っ張りもない殆ど平坦な壁に手の平で触れた。建物の影になっていて太陽光が当たらない、ひんやりとした感触。爪でかりかりと表面をひっかく。  平坦だが、壁を登る程度容易い事だ。大切なのは出来ると信じる事。 『アレスさん』 「ッ!!」  アメリアの合図と同時に、短く息を吸うと俺は地面を強く蹴った。  爪を立て、それをとっかかりに壁を登る。僅か数秒で十メートルを登り切り窓までたどり着くと、縁に指を引っ掛け中を伺った。  リミスの気配に竜娘の気配。大きな動きはない。  右手で身体を支えたまま左手でポケットからナイフを取り出し、口に咥えて鞘から抜く。接触した対象を昏倒させる魔導具だ。存在力の高い闇の眷属には効きづらいがレベル20以下のリミスならば抗う術はない。  目撃されるのは避けたい。気配を消したまま、俺は部屋の中に飛び込んだ。  室内の配置は既に把握していた。部屋番号は俺の泊まっていた部屋とは異なるが、配置には殆ど差異はない。  二つのベッド。サイドテーブル。間接照明。クローゼット。コート掛け。金庫。茶色のソファに。四脚の椅子に大きなテーブル。  思わず息を短く吐く。ナイフを片手に、俺はゆっくりと室内を見渡した。  ソファには黒の外套に包まれた竜娘が身動ぎ一つせずに横たわっている。テーブルには同じようにリミスが身体を預け倒れていた。一見、外傷はないが、だらんと垂れ下がった腕はまるで死体のようだった。足元には革表紙の本が落ちている。  これは一体どういう事か。  アメリアだけが背筋をピンと伸ばしたまま、入り口の扉の方に視線を向けていた。気配を殺すのをやめ、強く足音を立てる。  アメリアの肩がびくりと震え、弾かれたように振り返る。その機敏な動作が少し面白かった。  リミスに近寄る。緩やかな呼気の音。死んではいない、眠っているだけだ。竜娘の方も同様。  アメリアに尋ねる。 「何がどうした?」 「ど……どんな所から入ってきてるんですか……」  一瞬目を大きく見開き俺を見ると、アメリアが呆れたように呟く。 「……扉から入るなんて言ってないだろ」 「窓から入るとも聞いていませんが……」  玄関から入るとなると、扉を開け閉めするアクションが必要とされる。さすがにリミスに気づかれずにそれを行うのは面倒臭い。  尤も、心配は無用だったようだが……。  室内をもう一度見回し、もう一度アメリアに尋ねた。 「これはどういう事だ?」 「眠らせました。気づかれてはいません」 「どうやって?」 「魔法です」  魔法、魔法、か。  リミスとグレシャに視線を向ける。触れなくてもわかる。深い眠りだ。  答え自体は簡潔だが、言うほど易い事ではないはずだ。竜種も魔導師も高い魔術への耐性を持つ。その二人を一瞬で二人眠らせるなど、並の魔導師の技ではない。魔術にそれほど明るくない俺にもそれくらいわかる。  正直に言って、それは彼女に期待していた技能をはるかに上回っていた。エリートにも程がある。これほどの技能があるのならばどこでも重用される事だろう。プリーストとしてでも魔導師としてでも十分やっていけるレベルだ。何故彼女は俺の下に志願してまで来たのか。  眉を顰め、アメリアの方を見る。 「聞いていないぞ」 「聞かれてませんから。私だって聞いてません」 「そうか。悪かったな」  確かにそれほどの技能を持っているのならば、下に見られるのが我慢ならないのもわかる。もしかしたら、俺には勿体無い人材なのかもしれない。  謝罪に、アメリアがどこかバツが悪そうに視線を逸らす。 「……いえ。ですが……これからどうするつもりですか?」  リミスもグレシャも深い眠りについている。寝息で僅かのその身体が上下しているのが見えた。  藤堂たちが帰ってくるまで何分かかる? 十分という事はないだろう。二十分? それとも三十分か?  ……十分だ。  グレシャの方に近づく。亜竜の感覚は鋭敏なはずだが、敵意を持つ俺が近づいても起きる気配はない。眠りが相当に深化しているのだろう。 「尋問する。リミスが起きる心配はないか?」 「ええ。相当に大きな声を上げないかぎり起きる心配はないと思いますが……尋問? 交渉ではなく?」  魔物に交渉? 尋問の経験はあっても交渉の経験はそれ程ない。大体、交渉するには時間が足りていない。  尋問中に勇者パーティの誰かに見つかる事だけは避けたい所だ。  グレシャを見下ろす。  艶のある深緑の髪に、ぶかぶかの外套の隙間から垣間見える眩しい程の白い肌。閉じられた瞼にあどけない寝顔。あの変化の瞬間を見ていなかったら魔物だなどと思えない。  だが、同時にわかった。こいつは亜竜だ。至近距離で感じるその存在力。確かに竜の身体だった頃と比べたら弱っているが、その痩身から感じる力は今の藤堂などとは比べ物にならない。  ――危険だ。  左手で抱え込むように畳まれていた腕を掴み釣り上げる。軽い。重量はない。肉体強度はどれ程のものか。  被せられていた外套を剥ぎ取り、床に落とす。眩いばかりの裸身に膨らみかけの胸。今この光景を見られたら俺は言い訳出来ないだろう。  アメリアが制止の声を上げる。 「ちょ……アレスさん?」 「起きろ」  俺はそれを無視して、グレシャの頬を軽く叩いた。  さすがに外的刺激を受ければ眠りも覚めるのか、僅かに身じろぎし、グレシャがゆっくりと瞼を開けた。  視線が宙空をさまよい、最後に俺の顔を見上げる。表情が引きつる。薄い朱の唇が開く。喉が動く。吸い込んだ息で胸が僅かに膨らむ。俺はすかさず、右の拳を握り腹に叩き込んだ。 「――ッが!?」 「なッ――」  極短い悲鳴。  吊るしていた腕がみちみちと音を立て、グレシャの腹がくの字に曲がる。目が大きく見開かれ、苦痛に表情が歪む。吐瀉された生暖かい唾液が右手を濡らす。  手に残った感触を分析する。柔らかいが硬い。並の人間なら今ので腕が引き千切れ腹が破裂していたはずだ。やはり存在力相応の力はあると言えよう。  まぁ、どちらにせよ……竜だった頃も少女の姿を取った今も、俺からみればサンドバッグには変わりない。  咳き込むグレシャの咥内に無理やり指を入れ、舌を掴む。元が氷樹小竜であるせいか咥内は人と異なりひんやりとしていた。  必死に嗚咽しようとするグレシャの耳元で声を落とし囁く。 「騒いだら殺す。敵対行為を取っても殺す。俺の問いに答えなくても殺す。忘れるな、俺のレベルならばお前が叫ぶよりもよほど早くお前を殺せる」  拳だったから貫けなかったが、手刀ならば間違いなく腹部を貫けていたはずだ。  慈愛神の加護? 藤堂の意志? 知らない。そんなのは知らない。騒ぐならば処分もまた――やむなし。  嗚咽する事すら出来ず、グレシャがその代わりとばかりにケレンするように身動ぎする。  その目に宿る恐怖をじっと観察する。指は舌を掴んだままだ。必死に舌を逃がそうとするが強く掴んでいるので無意味だ。 「アレス、さん……やり過ぎ、では?」 「問題ない。傷は神聖術で治せる」  顔が腫れ上がるほどにぶん殴ろうが腕の一本や二本引きちぎろうが全て元通りだ。 「そ、そういう意味では――」  誤解してはいけない。こいつは人の姿を取っていても魔物なのだ。  ただ、無言でグレシャの眼を覗き込む。髪色と同色の深い緑の虹彩、その奥を。  恐怖が浸透した所で、舌を一瞬離し、舌が動いたのを見計らってもう一度掴み軽く引っ張る。グレシャの身体がびくりと痙攣した所で、俺は咥内からゆっくりと手を引いた。  ゾットするほどの冷たさが脳内を満たしている。  頭の中は透き通っていた。この状態ならば十全のポテンシャルを出せる。例え何が起ころうと、その前に殺せる。  ただ冷徹に。心を鎮め、戦意を鎮め、俺は尋問を開始した。 「問いに答えろ。それ以外の言葉を発したら殺す」  こいつは不確定要素だ。シオンの加護など、藤堂の意志など知ったことではない。俺はアズ・グリードの信徒である。秩序を保つためならばあらゆる手法を使う覚悟がある。  俺の言葉が通じているのは目の色で分かった。  何かを言いかけ、息が詰まったように言葉を止める。いや、俺の脅しが効いているのだろう。  オーケー、話が通じてよかった。  腕を離すと、ソファの上に崩れ落ちた。逃亡は許さない。殺意で動きを縛れる事は竜だった頃に確認済みだ。上唇を舐め、リミスを起こさないように低い静かな声で問いかけた。 「お前が人化した理由を言え」  まずはそこからだ。その意図、方法、悪意の有無、そして何故森の奥から出てきたのか。  俺の問いにグレシャの目が大きく見開かれる。華奢な喉が僅かに動き、しかし声を出さなかった。目尻に涙を滲ませたまま、グレシャが大きく横に頭を振る。  反抗ではない。言葉は出さずとも、その意図は伝わっていた。  いや、そもそも可能性は予感していた。舌打ちする。グレシャが怯えたように僅かに肩を震わせる。  ああ、そうだ。可能性は有ると思っていた。真性の竜ならば兎も角、下等な亜竜種が人化の魔法など操れるとは思えない。  直感だが、その仕草に虚偽はない。だが、そうなると面倒な事になる。  この人化が慈愛神の加護によるものだとしたら、これから何度これと同じ現象が起こるかわからない。 「わからない、か。嘘じゃないな?」 「ッ……」  グレシャが首を左右に振りながら、両手を必死で動かし、座ったまま後退る。数歩後退したところで逃げられるわけがないというのに。  最近伸びて目元を隠しつつあった前髪をかき分け、はっきりと目と目を合わせる。冷徹な目、侮蔑の目、殺人鬼のような凶悪な目つきもこういう際には役に立つ。 「次の質問だ。お前に藤堂を――あの黒髪の人間及びその周りの人間たちを害する意志はあるか?」  シオンの加護がどこまで魔物を変質出来るのかわからない。そもそも、シオンの加護が原因だと確定したわけでもない。極めて可能性が高いだけだ。  竜とは害獣である。一部を除けば、人類の敵でしかない。善悪を議論するつもりはない。こいつらは人を喰らい、そして俺たちはこいつらを存在力やその素材のために殺戮する。俺たちは相容れない。  人に酷似した肉体、ならば心は? 危険性は? 万全を期すのならば処分一択である。  俺の質問に、グレシャが怯えた目線を向ける。だが、怯えの中に窺うような気配を感じ、俺は唇を歪ませ、形ばかりの笑みを向けた。  恐怖が効いているのならばいい。プライドがないのならばそれはそれでいい。  危険性があるのかと同時に藤堂たちにとって有用なのかも、グレシャの処分についての大きな判断基準になる。空を飛べない亜竜でもその力は強力だ。なんなら途中で消費してしまっても問題ない。王国貴族のリミスやアリアと違って彼女には後腐れがない。  竜ならば、誇り高き強者として知られるあの種ならば、脅しも通じないかもしれない。敗色濃厚な状況でも牙を向けるかもしれない。  だが、亜竜なら? 媚び諂いの目を受けて確信した。彼我の間にできている『上下関係』を。  パーティメンバーに必要なのは信頼だ。だが、俺は藤堂のパーティメンバーではない。グレシャと結ぶのは服従と被服従の関係でいい。信頼は勝手に藤堂たちと結んでくれ。   一歩踏み込む。慌てて後退ろうとして、仰向けに転んだグレシャの腹に伸し掛かるように膝を乗せ、腕を抑えこみ、至近距離からその瞳の中を覗き込む。その目の中に映る自分と向き合うかのように。  膝でその腹を軽く推す。グレシャが呻く。握ったその腕はしっとりと湿っていた。  言葉に、視線に殺意を込める。その存在それ自体に刻みつける。トラウマになるように。万が一にも俺に逆らわないように。 「藤堂たちに手を出したら殺す。例えどこに逃げようが確実に追い詰め惨たらしく殺す。だが、俺の命令に従う限り手を下さない事を約束しよう」 「……や」  その喉から初めて声が出た。透き通るような女の声。竜だった頃に聞いた声とは異なり、ノイズはない。声帯も人のものに変わっているのだろう。大きな声を出したらその瞬間に喉を潰すつもりだったが、声は囁くように小さかった。そのままの姿勢で続きを待つ。  その唇は震え、荒い息を仕切りに吐き出している。顔色はすこぶる悪く、血の気というものが感じられない。トラウマを、上位者の存在を刻みつける。俺は自身の仕事に満足した。 「やくそく……する」  まだ慣れていないのか、舌っ足らずな声。  だが、そんな事はどうでもいい。そもそも、どうして森の奥に住むこいつが人語を操れるのかが不思議なのだ。重要なのは意思疎通ができたという事。  身体をゆっくりと離す。ほっとするようにその身体が上下に揺れる。 「これは……契約だ」  一方的な通達、断定に、グレシャは身体を震わせまるで引き寄せられるようにして俺を見上げていた。  哀れだとは思わない。これはやむを得ない犠牲。  竜の一匹や二匹、魔王討伐のためならば捧げよう。人のエゴのために死ぬがいい。 「アレスさん……」  アメリアが乾いた声で俺の名を呼ぶ。俺のやり口は既に知っていると思っていたが、実際に見るのとでは違っているか。  あらゆる外敵を排して生きてきた。今更手を汚す事に抵抗はない。 「抗議は後で聞く」  部屋に掛けられた時計を確認する。突入して十分。他に詰める内容もある。藤堂たちが帰ってくる前に退出、リミスも起こしておかねばならないだろう。時間はない。  まだペタリと座り込んだままのグレシャに質問を続けた。確認せねばならない事は他にもあった。 「グレシャ……ああ、お前を便宜的にグレシャと呼ぶが、お前は何故森の奥から出てきた? お前の縄張りはあんな浅い部分ではなかったはずだ」  偶然? 事故?  ありえない。そもそも、グレイシャル・プラント出現の報は二度目である。一度目ならばたまたまという線もありえるだろうが、そう何度も連続で発生する事象でない事は既に村長から聞いている。  いや、偶然だとしても確信が欲しかった。  グレシャが俺の問いに、ひゃっくりでもするかのように喉を慣らして、そして答えた。 「あ、あくまが……」  果たして、グレシャからの回答は俺の嫌な予感を裏付けるものだった。  俺から脅されたためではないだろう。慄くような唇、恐怖の滲んだ目線。 「あくまが、もりに、あらわれた」  厄介事は厄介事を呼び寄せる。災厄の芽は潰さねばならない。 「あ……くま……?」  アメリアが肩を震わせ、こちらを見る。白皙と呼ぶよりは青ざめると表現した方がしっくりくる表情。  だが、俺は既にその現実を予測していた。予想が確信に変わっただけだ。  何が起ころうが、任務は遂行する。  鬼が出るか蛇が出るか。  亜竜が二度も出たのだ。悪魔の一匹や二匹で今更騒ぐものか。 page: 33 第三十一レポート:どんな聖職者だよ 「ああ、そうだ。悪魔だよ。適性レベルもわからないし、種類もわからないが、討伐適性50レベルの亜竜種を追い立てられる程度には強力だ。尤も、力を蓄えれば勝てると思ったらしいからそれほど強力なわけでもないだろう」  グレシャについてはアメリアに任せ、俺は報告しながら村の中を歩き回っていた。  既にグレシャからの事情の聞き取りは完了している。  どうやら、森の奥底で慎ましやかに生活していた彼女はある日突然現れた強力な悪魔に縄張りを追い立てられたらしい。  力量差を感じ取り一時縄張りを離れた彼女は力を蓄えリベンジするために森の浅部で魔物を喰らい、上位個体に進化したそうだ。一度目に現れたグレイシャル・プラントについては何も知らないようだったが、恐らく同様だろう。  悪魔。紛うことなき魔族の一種である。  魔術に高い適性を持ちあらゆる種の魔術を自由自在に操り、知性と強靭な身体能力を併せ持つ人類の天敵。低位の悪魔でも一般の人族が束になっても敵わない程の力を持ち、高位の悪魔となると邪神からの高い加護を持つ者さえ居る強力な魔物だ。  その力はピンからキリまであるが、一体の存在が確認された時点で騎士団や教会の応援を呼ぶ、そういうレベルの魔物である。上位の悪魔によって滅ぼされた国は数えきれない程存在し、それの撲滅は教会の一つの目的でもあった。  村を囲む壁を検分する。頑丈な石材で作られ、ぐるっと村を囲む防壁。ただの村ならばただの壁である事が多いが、もともとヴェールの森が近いこの地の防壁はただの防壁ではない。  専門の魔導師が掛けた魔術的な加護によりあらゆる攻撃行動に対して耐性がある他、壁が存在する限り門からしか入れないよう呪術的な仕組みが施されている。基準としては、ヴェールの森で確認されたあらゆる魔物が一斉に襲いかかってきても一週間程度は持つ、そういうレベルの頑丈さ。尤も、魔物避けの魔術も施されているので本能で生きる魔物はそもそもこの村に近寄ろうとすら考えないだろう。  懐から小さな袋を取り出す。中に入っているのは貴重な聖銀の粒だ。それを、村の地図を確認しながら、それぞれ街の四方に埋めていく。  神聖術の中でも結界の奇跡は特に才能が必要とされる。ヴェール村の結界はその才能あるプリーストの施したもので、施してから十年は経過しているはずだが大きな綻びはない。が、あくまでこの結界はヴェールの森に生息している魔物に対するもの。  ヴェールの森に生息する魔物は主に動物型が殆どであり、闇の眷属は殆ど生息していない事もあって悪魔に対する対応能力は高くない。低位ならば防げるが中位以上の悪魔が相手では防ぎきれないだろう。  長くは持たないが、俺の結界術ならばそれよりも強力な結界を張れる。今の段階で村に攻め入ってくる可能性は低いはずだが、万全を期した方がいい。  魔王クラノスの配下に強力な悪魔たちが存在している事は既に周知の事実だ。  いつか相手をしなくてはならない事はわかっていたとはいえ、まだ藤堂のレベルは27。あまりにも早過ぎる出現と呼べるだろう。聖穢卿にとっても予想外だったのか、その声はいつもよりも心なしか暗かった。  『悪魔、か……勇者の出現がばれたか?』 「わからない、が、可能性は高くないだろう。もし勇者の存在がバレたのならば、亜竜をけしかけるなんて消極策は取らないはずだ」  ましてや今回の手法はけしかけるより追い出すと表現したほうがいい。明らかに目標を絞っていない。  勇者の歴史は魔族にも広く知れ渡っている。  歴史を省みても、勇者の出現とは魔族との熾烈な戦いの開始を意味していた。もし存在を確信し、その居場所まで知れ渡っているとするのならば強力な魔族が直接狙ってくる事だろう。 『ふむ……可能性はあるが高くない、か』  上層部が魔王側に勇者召喚がバレると想定した期間は一月。  一匹目のグレイシャル・プラントがこの村の付近で出てきた理由も今回と同じ理由だとすると、想定よりも遥かに早く勇者召喚がバレているという計算になる。しかし、それにしては手が緩い。  恐らく、確実にバレているわけではない。  人と同様に、悪魔も強力な個体は少なく、それらの殆どが魔王軍を指揮しており各国の軍と熾烈な争いを繰り広げている。  俺の考えもクレイオと同様だった。  何となく勘付かれているが百パーセントではない、その程度。現在、前線は拮抗していると聞く。向こうも低い可能性に手を裂く程余裕はないのだろう。  媒体を埋め終え、結界を張り終える。神力が大きく消費される力が抜けるような気持ちの悪い感覚を、俺は首を左右に振って追い払った。  ミスリルは貴重だ。またこういう機会が来ないとも限らない。手持ちがなくなる前に補充しなくては。  一仕事終えると、壁に背をつけ息を整えた。  結界神法は消耗が激しい。特に村一つという規模となると、レベルが高い俺でもかなりの負担が生じる。 「どの道、悪魔を捕らえて尋問すればいいだけの話だ。悪魔殺しか異端殲滅官を派遣してくれ」 『勇者とぶつけるのは?』 「つまらない冗談だ。まだ早い。せめてレベルが倍はないと……」  グレイシャル・プラントがその脅威を認め縄張りを捨てるレベルの魔族である。グレイシャル・プラントの討伐適性レベル50、しかもそれはパーティで挑んだ際の話だ。それに脅威を感じさせるレベルなのだから、それと真正面からぶつかるのならば藤堂のレベルは60……いや、欲を言うならば70は欲しい。  まぁ、リミスがイフリートを完全に使いこなす事ができればまた話は別かもしれないが……せっかく事前に情報を得られたのだから、有効活用したい。  悪魔の存在は近づけばわかる。森を探索していた頃も、俺の知覚にそれらしい存在は引っかからなかった。その悪魔がまだヴェールの森に潜んでいるとすると、相当奥にいるはずだ。  事前準備さえしっかりすれば悪魔と言えど恐るるに足らない。 『悪魔、悪魔、か……手が空いている者がいないな……』 「殲滅鬼が空いてるって言っただろ。あいつでいいよ」  グレゴリオ・レギンズ。戦闘狂の異端殲滅官。レベルも高いしキャリアもある。  あいつ、悪魔大好きだしぴったりだろ。唯一の心配は尋問する前に殺してしまわないかどうかだけだ。  耳元で意外そうな声が聞こえる。 『……君は彼が嫌いなんじゃなかったか?』 「嫌いじゃない。苦手なだけだ」  聖職者としては認められないが、奴が優れた戦士なのは否定しようがない。むしろ何故傭兵にならずプリーストの道を選んだのかが謎である。  悪魔、不死者、悪霊を見つけ次第、何も考えずに飛びかかっていくその姿を想像して眉を顰める。仲間に入れると非常に面倒だが、けしかけるだけならば問題ない。  ……しかし、冷静に考えると、まるで爆弾みたいな奴だな。 『わかった。手配しよう。ちょうど彼は本部で待機している。二、三日もあればそちらにつくだろう』 「わかった。俺と勇者たちはさっさと次の街に行くから後は任せた」  そもそも、顔をあわせなければ苦手も嫌いもない。俺にできる事はその悪魔の冥福を祈る事だけである。 『……離れるのか? レベル上げはどうする?』 「悪魔の生息する街に残るよりもさっさと次の街でレベルを上げたほうが早いし安全だ」  勇者の居所がバレた可能性がある以上、一処にとどまるのはリスクが高い。  藤堂とアリアは兎も角、リミスのレベルの低さだけが懸念だが、まぁ何とかなるだろう。  次に想定しているゴーレム・バレーはヴェールの森と異なり見晴らしもいいのでいざという時のフォローもし易い。  頭の中で情報を整理しながら報告を続ける。 「グレシャを取り込めたからそっちから行動をコントロールするつもりだ」  何か思う所あるのか、今回この村での成果が想定よりも低かった事が気になっているのか、クレイオはしばらく沈黙していたが、やがて深い溜息をついて言った。 『……了解した。悪魔についてはこちらで何とかしよう』  色々あったが、何だかんだ上手いこといきそうだ。  額を手の平で抑え、天を仰ぐ。  相手も知らずに亜竜に挑もうとした事。パーティを追い出された事。傭兵を半殺しにした事。倒しに来たはずの亜竜を治療しようとした事。亜竜が人化した事。  まだここに来て十日ちょっとしか経っていないのに思い返すとイベントが大量に発生している。  ……これから大丈夫なのだろうか?    まだ一個目の村、まだレベル27。今後マシになっていくと思いたいが、今の所その傾向は見られない。  戦々恐々としながらも今後の展望を考えていると、クレイオが尋ねてきた 『そういえば、アメリアの調子はどうだい? 随分と張り切って行ったんだが』 「……ああ。今の所……特に問題はない」  元内勤とは思えない鋼のメンタルと高い魔法のスキルを持つ少女の姿を思い浮かべる。  藤堂のパーティに参加してくれないのだけが残念だったが、それを除けば特に文句はない。俺の出来る事と彼女の出来る事、うまい具合に噛み合っているので非常に使いやすい。愛想はないが今の所問題にはなっていない。  てか、張り切ってたのか……。  俺はアメリアが張り切っている姿をイメージしようとしたが、すぐに諦めた。全くイメージ出来る気がしないのだ。  だが、張り切っていようといまいと実績は出している。 「彼女は優秀だな。神聖術やレベルもそうだが、特に、魔導師としての能力が素晴らしい。むしろ何で教会に所属しているのかが不思議なくらいだ」  プリーストは貴重だが、レベルの高い魔導師も同じくらいに貴重だ。プリーストはあくまで清貧を尊ぶのが教義なので、地位や名誉、富を求めるのならば魔導師になる方が効率がいい。 『そうか……彼女は古くからの魔導師の一族の直系でね。まぁ、役に立っているようならば結構だよ』  魔導師の一族か。  魔導師の能力は血筋に大きく影響する。能力の高い魔導師がプリーストになる機会は多くない。何か事情があるのだろうか。  若干気になったが、すぐに考えを改めた。  無闇に踏み込むのも良くないだろう。人にはそれぞれ知られたくない事情というものがあるものだ。俺にも事情くらいある。  そこまで考えたちょうどその時、いい方法を思いついた。ダメ元でクレイオに話す。 「そうだ。一つ頼みがあるんだが」 『? 何か?』 「……今の交換手いるだろ? ステファン・ベロニドと言ったか?」 「ああ」   アメリアと比べて、まだクレイオに繋ぐのに数十秒の時間をかける未熟な交換手だ。  だが、実際に組んでみてわかった。交換手の通信の魔術、これは――使える。伊達にエリート、白魔導師を名乗っていない。 「一度断った手前申し訳ないんだが、彼女を追加で派遣して欲しい」 『……え? ……本気か?』 「ああ」  未熟だという話は聞いている。だが同時に、アメリアと比べればまだまだだが、ちゃんと交換手としての役割も果たせている。  こちらからは通信を繋げられないとはいえ、いつでも会話出来るのは大きなメリットだ。眼と耳が増えているようなもんである。何か会った時に即座に情報を流してもらえる。  会話した感じ、性格はかなり怪しいが、その辺りも考慮したその上で現在、エリートな交換手に付いているという実績がある。  アメリアの予想外の使いやすさに、俺の中で交換手のイメージは鰻登りだった。  もう一人いれば、こうして俺が結界を張り、アメリアが藤堂たちを見張り、もう一人が村長への口止めをする、そんな役割分担だって出来るのだ。アメリアを休ませる事だって出来るだろう。  少なくとも、二人でこの先やっていくのはかなり厳しい。ならば、まだ何とかなっている内にメンバーを育成するのも悪くないだろう。  クレイオが深刻そうな口調で言う。 『アレス、君は誤解しているかもしれないが……彼女は、酷いぞ?』 「……え?」  酷い……だと?  初めて聞くクレイオの声色に、思わず肩を震わせ、尋ねる。 「実力が低いのか?」 『いや……実力はある。が、酷い。酷いのだ、アレス。性格と能力は必ずとも比例しない』  性格と能力が比例しない事は藤堂でとっくに知っている。  実力があって性格が悪いならば実力がなくて性格が悪いよりもマシだろう。  クレイオの声色に冗談を言っている様子はなかったが、アメリアを見て感じた優秀さは、それを加味してでもステファンを受け入れる価値があると思わせた。  しばらく迷い、答える。 「……わかった。あんたがそこまで言うんだ。相当に酷いんだろう。それを加味した上で一端研修という形で派遣してくれないか? 使えなかったら返す」  任務には適性がある。一度使ってみなければどの程度使えるのかもわからない。  何より、猫の手も借りたい気分だった。  数秒の沈黙後、クレイオが深くため息をつく。 『……わかった。アレスがそこまで言うなら、派遣しよう。だが、文句は言ってくれるなよ?』 「使えなかったら返すと言ってるだろ」 『……わかった。返してくれていい。そちらに向かわせよう。だが……後悔するぞ?』  おいおい。どんな聖職者だよ。 page: 34 幕間その2 強制イベント  身体の芯から凍えるような殺意だった。  それは確かに濁流のように全身を飲み込み、確かに一瞬、藤堂直継の心身全てを停止させた。  厳格だった父親から怒鳴りつけられた際にも、ルークス王国の騎士団長と訓練場で初めて相対したその時にも、そして、ヴェールの森で初めて魔物と遭遇した時にすら感じなかった桁外れの『恐怖』。  殺意が人を縛りうるという情報は持っていた。実際に、王宮で一度受けた経験すらあった。  だが、その瞬間に藤堂を貫いた衝撃はそんなものがまるで児戯に感じられる程の代物だった。  その瞬間、僅か一瞬ではあったが、その瞬間確かに勇者である藤堂の脚はくじけたのだ。いや、その場に仲間がいなければ、恐らく藤堂が立ち上がるのに更なる時間を要しただろう。  ルークス村の村長から討伐の依頼を受けたグレイシャル・プラントは強力な魔物だった。実際に目で見たからこそ、理解している。  藤堂は勇者だ。しかし、ただ勇猛なだけではない。まだ戦いを初めて日が浅いので慣れていないが、何となく彼我の力の差を見極める事くらいできる。  グレイシャル・プラントは傷だらけの状態ですら、藤堂が勝てるかどうか怪しい、そういうレベルの魔物だった。だが、それ以上にその存在が伏せているというのは衝撃だった。  傷跡から見える圧倒的な暴虐。まるで甚振るかのように、翼をもがれ脚を潰され喉を穿たれ、槍で身体を串刺しにされた姿は、アリアの推測が完全に正しいと考えているわけではないが、『化物』の存在を思わせた。  突如森を揺るがせた咆哮。  どこか人の声に似た化物の咆哮は酷く悍ましく、それが魔族の声だと言われても納得出来る。  ――戦ってはならない。  ――戦わなくてはならない。  人としての本能と勇者としての義務。感情と理性。  だが、全てが終わり冷静になった今ならばわかる。  もし仮に藤堂があの時、咆哮の主と戦闘する事になったとするのならば――奇跡でも起こらない限り敗北していただろう。  だが、同時に思うのだ。  果たして理性でそれを知ってしまった今、再びあの咆哮の主と相対したその時、自分は果たして――その勇気を奮えるのか、と。  レベルを上げればいい、と、藤堂よりもよほどこの世界の戦に詳しいアリアは言う。  今はまだ引きどきです、と、藤堂の倍程のレベルを持つ僧侶のアメリアは言った。  だが、ならば何時、何レベルになったら戦えるのか?  いくつレベルを上げればあの『敵』と対等に戦えるのか?  その疑問に答えてくれる者はいない。 §§§ 「……ああ、承知しました。ありがとうございます、勇者様」 「あ……ああ……」  藤堂直継の報告に、ヴェール村の村長はどこか疲れの滲んだ表情で頭を下げた。  村長の依頼はグレイシャル・プラントの討伐である。人化というアクシデントがあったとは言え、その目的は達成できていない。  文句の一つや二つ来る予想していた藤堂はそのあまりにもあっけない返答に思わず目を丸くして村長の方を見る。  側では、買ったばかりのワンピースを着たグレシャが緊張した様子で周囲を眺めていた。  人化した証拠……グレシャを見せた。疑われると思ったが、ツッコミ一つこない。  これが聖勇者の威光、信頼なのか……?  隣についていたアリアとリミスと一瞬視線を交わし、もう一度村長に尋ねる。 「……あの、討伐はできていないんだけど、問題ありませんか?」  藤堂の問いに、村長の眉がぴくりと動く。まるで監視している誰かを探すかのようにきょろきょろと視線を彷徨わせると、どこか昏い笑顔を藤堂に向けた。 「……ええ。もう村に影響はないのでしょう。ならば、村長の立場から言うべき事はありません」 「……ちょっと村長さん、大丈夫? ……顔色悪いけど」  リミスが心配そうな表情で、自身の祖父程の歳の村長を見上げる。まだ前回会ってから一日程しか経っていないが、そのたった一日で村長はめっきり老けこんだように見えた。  髪には白髪が増え、肌にも張りがない。老年ではあっても精強そうに見えたその容貌はたった一日で十も歳を取ったかのように見える。 「え……ええ。大丈夫です。ただ、少々……そう、疲れているかもしれません。……はぁ」 「……それは、僕が傭兵を切り捨ててしまった件について、ですか?」  藤堂がやや眉を歪め、尋ねる。事故とは言え、傭兵たちを斬ってしまったのはまずかったと思っていた。  報告した際の呆気に取られたような表情は今も覚えている。  もしもその対応で心を痛めてしまったのならば、藤堂としては謝罪するしかない。  そんな藤堂の言葉に、村長が首と手を大きく左右に振る。 「いえいえいえ、と、とんでもありません! 勇者殿は関係ない、これは……私の問題です」 「……なら、いいですけど……」  以前会った時とは明らかに違う挙動に、藤堂が僅かに首を傾げた。  まるで萎縮しているかのような態度、村長はもっと自信ありげな人間だったはずだ。歳こそとっていたが、聖勇者相手に全く動じない老獪さがあった。それが今はどうだ。まるで蛇に睨まれた蛙のように態度が小さい。  疑問に思いながらも、藤堂は頬を掻いた。深い黒の虹彩がじっと真実でも見抜くかのように村長の矮躯に注がれる。  その視線からまるで逃げようとしているかのように、村長が高い声を出す。 「そ、そういえば勇者殿。次はどこの街に行かれるので?」 「……いや、まだ決めていませんが……」  そもそも、色々ごたごたしていて三日前からレベルが上がっていない。  藤堂自身は想定レベルまで後少しだが、アリアはともかくとして、リミスのレベルを上げるにはまだまだ時間が必要だった。  いきなり話を変えた村長に不審げな視線を向けながらも、 「しばらくはヴェールの森でレベルをあげようかと……」 「……実は藤堂さん」  藤堂の言葉に、一瞬何か思いつめるかのように目を瞑り、村長が口を開く。 「ヴェールの森はしばらく閉鎖される予定でして」 「へ……閉鎖!?」  目を丸くする藤堂一行に、村長がバツが悪そうに続けた。 「いえ。実は、藤堂さんも報告にあがりましたが、森に危険な魔物がいるという事で……その討伐が行われるまで危険なので立ち入りを禁止する事となりまして……」 「危険なので立ち入り禁止? そんな話、聞いたことないが……」  アリアが訝しげな目つきで首をかしげる。  もともと、森は魔物の巣窟、そこに立ち入るのは自己責任だ。危険な魔物が発生し、その討伐のために騎士団の派遣がなされるという事はあっても、一切の立ち入りまで禁止するというのは尋常ではない。  村長は眉一つ動かさずにアリアに視線を向ける。 「魔物の危険性を考え、今回は特別措置を取ることになりました。最近魔物の動きも活発ですからね」 「……確かに、今まで見たことのない魔物だったけど……」  唯一、咆哮で腰まで抜かしてしまったリミスがその光景を思い出し、肩を掻き抱き震わせる。  藤堂がその村長の言葉を吟味し、眉を顰めた。 「……しかし、今報告したばかりなのに立ち入り禁止……?」 「……いえ。事前に別の筋からその件については報告を頂いておりまして……この決定は勇者殿からの報告によるものではありません」 「……別の筋?」 「ええ……ここでは言えませんが、さる筋です」  きっぱりとした断言。これ以上何も言わないと言わんばかりにへの字に閉じられた唇。  村長の目つきに、藤堂は問いただすのを諦めた。疑問点はいくつもあるが、そう言われてしまえば何も言えない。  一瞬、ならば僕が――と言いかけたが、あの咆哮を思い出し口を噤んだ。今朝敵わないと実感した相手に自ら挑むなど自殺行為。準備や覚悟の一つや二つで敵わない事は、はっきりとわかっていた。  心配そうな表情で藤堂を見ていたアリアがその様子にほっと胸をなでおろす。 「……しかし、困ったな。僕たちには時間がないんだが……その討伐にはいつまでかかるのか分かりますか?」 「ハンターが来てくれるのに二、三日かかると聞いております。最低でも一週間は見たほうがよろしいかと」 「一週間……か……」  当初決めた一ヶ月という期限は既に目の前に迫っていた。  一週間もただ黙って待っているわけにはいかない。目標レベルは30。現在、レベル27の藤堂はともかくとして、リミスのレベルが低すぎる。  迷う藤堂に、村長がまるでその迷いを断ち切るかのようにぱんぱんと手を打った。 「勇者殿に時間がないのは存じております。勇者殿は次のレベル上げの場に向かうのがよろしいかと」 「次のレベル上げの……場?」 「ええ」  机の引き出しから、村長が一枚の色あせた地図を取り出す。  ルークス王国の領内の地図だ。何やらそこかしこに無数の書き込みがなされている。 「現在地がここです」  村長は、地図の右端に大きく広がっている森林部に人差し指を当て、その指を左上にずらしていった。  指は王都の東方に大きく広がるヴェール草原を超え、荒野を超え、高低差の激しい山岳地帯の一歩手前で止まる。 「『GolemValley』」  書き込まれた文字を、リミスが目を丸くして呟く。  村長が大きく頷き、すらすらと説明を始めた。 「ええ。ゴーレム・バレー。存在力の高い魔導人形種の魔物が数多く存在する山岳地帯で、ルークス王国屈指のレベル上げのフィールドです。ここならばヴェール大森林を超える効率でレベル上げが可能でしょう」 「ちょっと待て……」  アリアが説明に割って入る。  剣士として、武家の一門として高い教育を受けたアリアには国内のレベル上げの場についても最低限の知識を持っていた。  村長の方をじっと睨みつけ、アリアが険しい口ぶりで反論する。 「ゴーレム・バレーの適正レベルは確か40以上だったはずです。私達の平均レベルは未だ30にも達していません」  藤堂が27、アリアが25、リミスが17。皆が皆、一回り以上適性レベルを下回っている。  推奨レベルは適当に設定されているわけではない。ましてやアリアたちの人数はグレシャを合わせても四人、一パーティに満たない上に、ヒーラーがいない。  アリアがじっと地図を見下ろし、人差し指を這わせる。 「レベルを上げるならばもう少し適性が下……そう、ええと……ヴェールの森と同程度の適正レベルである、『大墳墓』あたりがよいかと」  アリアの指の先を、藤堂の視線が追った。指は遥か下方で止まった。  ユーティス大墳墓。  不死種の魔物が多く生息する大墳墓である。  数世紀前の貴族が葬られているなど、様々な曰くのある地下墳墓で、長い年月で淀み溜まった瘴気が溢れ死と生の境が定かではなくなり、今や大量の魔物が徘徊する地下層型の巨大な迷宮とも呼べる地だ。最奥にはアンデッドの王が居るとされているが、浅い層に関して言えば、低レベルのハンターでも手順次第で容易く倒せる歩く骸骨や邪霊しかいない、それなりの狩場として有名であった。  だが、アリアの意見に対して、村長がまくし立てるように反対意見を述べる。 「プリーストなしで大墳墓に入ろうなど、死にに行くようなものです。あの地は僧侶のレベル上げの場として有名な地ですぞ。内部にいる魔物は存在力が低く数を倒さなくてはレベルが上げづらい。おまけにある程度進むと麻痺や毒を持つ魔物が増えてくる。また、墳墓に充満する瘴気は、聖なる鎧を持つ勇者殿は兎も角アリア殿とリミス殿を容易く蝕むでしょう。屋内なのでリミス殿の火の魔術も使いづらい。次のフィールドとして適性とはいえないでしょう」  村長の言葉にアリアが目を丸くし、その髭面をじっと見た。 「……村長、何故そんなに私達の事に詳しいのだ?」 「……い、いえ。ただの予想、予想です。私が勇者殿の事に詳しいなど、恐れ多い」  目をそらし、村長がゴーレム・バレーに置いた指を叩く。 「それと比較し、ゴレーム・バレーに住む魔導人形は非常に戦いやすい。絡め手を持つ種も少なく、一体一体で得られる存在力も多い。攻撃力は高く防御力も高いですが動きが遅く、核さえ破壊できれば容易く倒せます。屋外なので、もしもの時はリミス殿の火精で焼き尽くせますし、撤退も容易です」 「よし、そこにしましょう!」  魔術を思う存分使えると知り、今まで黙ってみていたリミスが大きく頷いた。  その意気に触発されたように、袖から火精であるガーネットが出てくるとその腕をするすると登り、肩の上でぺたんと伏せる。  リーダーである藤堂は首を傾げ、アリアと村長の方を交互に見た。 「……僕としてはどちらでもいいけど……」  どちらに信頼が置けるかというと間違いなくアリアである。というか、村長の言葉は明らかにおかしい。話してはいないはずなのに、こちらが何が出来て何が出来ないのか把握しているように見える。  疑いの視線を向ける藤堂に、村長が引きつった表情でだらだらと冷や汗を流す。  ふとその時、今の今まで黙ったままじっとしていたグレシャが声を上げた。 「ごーれむ・ばれー!」 「……へ?」  放っておくわけにもいかず連れてきたグレシャの初めての声。  藤堂が慌てて周囲を確認し、自分の隣でさっきからむすっとしたように黙っていた元竜に視線を向けた。  その視線を気にする事もなく、グレシャがまだ慣れていないような舌っ足らずの声でもう一度言った。 「ごーれむ・ばれー、いく!」 「……何を言ってるんだ? というか、君、喋れたのか!?」  藤堂の混乱を他所に、グレシャがまるで壊れた絡繰人形のように繰り返した。 「ごーれむ・ばれー! ごーれむ・ばれー!」  リミスもあまりに意外で唐突な援軍に戸惑っていたが、すぐに気を取り直したように瞬きする。  リミスはあまり深く考えるのが得意ではなかった。 「ほ、ほら。グレシャも言ってるじゃない! ゴーレム・バレー! ゴーレム・バレー!」  一緒になって復唱し始めるリミスに、アリアが呆れた視線を向ける。 「いや、どう考えても怪し――」 「……どうやら、決まったようですな」 「!?」  アリアの言葉を遮るように村長が口を挟んだ。  まるで一刻も早く話を終わらせようとしているかのように、早口で藤堂に告げる。 「勇者殿、向かうのならば早い方がいいでしょう。近日中に、悪魔討伐のため村の出入りを制限する予定です」 「え……そんな急に!?」 「ごーれむ・ばれー! ごーれむ・ばれー!」 「ゴーレム・バレー! ゴーレム・バレー!」 「何なんだ、これは一体……」  まるでそれが自分の使命だと言わんばかりに単語を叫び続けるグレシャに、アリアがふるふると唇を戦慄かせる。  理解できない。もう何がなんだかわからない。予想外の事態にアリアと藤堂が混乱している間に話がどんどん進められていく。  村長が机の影から、大きな袋を三つ取り出し、藤堂の足元に置いた。 「携帯食料やポーションなどの消耗品、予備の弾丸などは一通り揃えておきました」 「……え!?」 「この地図も差し上げましょう。勇者殿のために用意したものです、遠慮なさらずに」  地図を突き出され、有無をいわさず押し付けられる。 「い、いや、僕たちはまだどうするか決めてな――」 「さー、お急ぎください、勇者殿。時間は有限です。お世話になりました。非常に名残惜しいですが旅に別れはつきもの。また魔王討伐後は是非ヴェール村にいらっしゃって下さい。その際は盛大に歓迎させていただきます」 「え、ちょ――」  あれよあれよという間に袋を持たされ、疑問を呈する前にさっさと部屋を追い出される。  その剣幕には勇者と言えど邪魔できない何かがあった。  屋敷の外まで追いやられると、最後に村長が眉を釣り上げ、ただ一言、まるで声を潜めるように藤堂に言った。 「勇者どの、プリーストは選んだ方がよろしいかと」 「へ……? あ、は、はぁ?」  意味がわからない。  必死に思考を巡らせる藤堂の目の前で、玄関の扉が閉まる。  残ったのは本当に壊れたように続けるグレシャの声だけだった  「ごーれむ・ばれー! ごーれむ・ばれー!」 「これは一体……」 「い、いや、僕が聞きたいんだけど……」 page: 35 シスターのお仕事 「……また無理やりいきましたね」  アメリアは一人、戸惑う勇者一行の光景を見てため息をついた。  場所は村長の屋敷の裏。  それほど細い道というわけではないが、大通りから離れているので他に人はいない。屋敷をぐるっと囲む石塀に背中をピタリとつけ、術式を行使する。  瞳を閉じ、じっとその体内で魔力を循環させる。脳内にははっきりと十数メートル離れた勇者たちの様子が映しだされていた。  レベルによる五感の強化などではない、研鑽された魔導による奇跡。アメリアの眼にはすぐ一メートル先にいるかのように藤堂たちの様子が見え、その声が聞こえた。相手のレベルが高ければ第六感で見られている事がバレる可能性もあるが、藤堂たちが監視に気づいた様子はない。  白魔導師。  教会が極少数有するその人材、その名は決して特定種類の魔導師を意味しない。白魔導師とは何らかの魔導を有する僧侶を指す言葉であり、魔導師に様々な種類が存在する以上、一口に白魔導師と言っても出来ることが違う。  中でも、交換手の地位につくものが身に付ける魔導は探査に長けた魔導だった。  通信する対象を見つけるための探査魔法。対象に声を届けるための念話を含めた魔法群――俗に灰魔術と呼ばれる魔術は諜報に長け、そして希少だ。  千里を見通す眼はあらゆる分野で重用される。  アメリアは、屋敷の前で展開されたその光景に眉目を微塵も動かさず、しかし大きくため息をついた。  ……いくらなんでも不自然だと思うのですが。  村長から告げられる次のレベルアップポイントに、明らかに事情を知りすぎているその態度。  追い立てられるように告げられた言葉に、突然それに同意を示し始めるグレシャ。どう考えても怪しい、怪しすぎるし強引すぎる。 『ああ、大丈夫だ。村長の説得もしておいた。誘導は完璧だ』  きっぱりと言い切ったアレスの表情を思い出し、アメリアは自身の肩から力が抜けるのを感じていた。  藤堂とアリアが不審そうな表情で会話を交わしている。これからどうするのか。本当に次の街に進んで良いのか。悪魔が討伐されるまで待つべきではないのか? 十日あまりで貴重なプリーストを追い出した勇者は、愚かではあったが馬鹿ではない。  アレスは今頃、ゴーレム・バレーの近くに建てられた中規模都市に向かう準備を進めているはずだ。だが、それも勇者の今後の動向次第では無駄になる可能性もある。  藤堂はこの世界の常識を知らないし、アリアとリミスもまた一般庶民の出ではない。グレシャに至っては逆に何を知っているのか、というレベルである。  アレスの思惑が尽く外れ、次から次へとトラブルが発生しているのはパーティ内に藤堂を止められる常識人がいないという点も大きいだろう。もしプロの傭兵が一人でもパーティにいたのであれば、プリーストを追いだそうなんて話にはならなかったはずだ。  取り敢えず結論は後から決める事にしたらしく、宿に向かっていく藤堂を確認して、アメリアは遠視を打ち切った。じわじわと消費されていた魔力が止まり、小さく吐息を漏らす。  さすがに次の街として大墳墓の方に向かう事はないだろう、その危険性は既にアレスから村長を通じて藤堂たちに伝えられている。  軽く伸びをすると、アメリアはアレスの待機する教会の方に足を向けた。 §§§ 「ほほう、悪魔退治、ですか……」 「ああ。人に酷似した姿の悪魔で闇系の攻撃魔法を自由自在に操るらしい。最低でも中位以上の悪魔だと考えられる」  銀髪碧眼、非常に目つきの悪い青年が真剣な表情で続ける。それに対して、多くのプリーストが愛用する紺色の法衣を着た長身の男――ヘリオス・エンデルがにやりと唇を歪ませた。  場所は教会の奥の一室。  話題が話題なので、アレスとヘリオスを除いて他の者はいない。  アメリアが部屋に入ると、二人はちらりとアメリアの方に視線を向けたが、すぐに視線を戻して会話を再開する。  邪魔をしないよう片隅でそれらを見守りながら、アメリアはまるで違法な取引現場にいるかのような気分を味わっていた。  事務的な口調で情報を告げる凶相のプリースト。それに対して歪んだ笑みで相槌を打つ神父。  少なくとも一般人がこの光景を見てプリーストを連想する事はないだろう。人相が悪すぎるのだ。 「既存の結界の内側に新たに結界を張った。その場しのぎだが、一月は持つはずだ。中位の悪魔ならば立ち入りを禁止できるし、上位でもその力を大きく削げる」 「ほう……結界術にも通じているのですね」 「通じているという程ではない。その場しのぎだ」  一月とはいえ、上位悪魔の力を削げる結界術をその場しのぎなどといいません……。  少なくともハイプリーストであるアメリアでも無理である。  口を挟もうとしたが、アレスの表情がそれが本心である事を語っていたのでやめる。  教会の持つ戦力の中で、最も苛烈で最も倫理から外れ、そして最も人数の少ない戦士、異端殲滅官  その攻撃性能は同じ攻撃型のプリーストである悪魔殺しを遥かに超える。力を削ぐのは本来のクルセイダーの役割ではない。クルセイダーの役割は削ぐ事ではなく、消す事であり、その行動方針は教会の教義から大きくズレる。  退魔術が使えない亜竜を相手にしてすら圧倒するその力が本来の教会の敵たる闇の眷属に向けられた時どれ程のものになるのか、アメリアは少し想像して顔を顰めた。  それは、今回与えられた仕事の本分ではない。  そんなアメリアを他所に、アレスが続ける。 「本来ならば勇者に経験を積ませたい所だが、今のレベルではまず勝てないだろう。クルセイダーの出動を要請した。ヘリオス、あんたにはそいつのサポートを頼みたい」 「クルセイダーの出動ですか……それはそれは……」  その言葉に、ヘリオスが初めてその爛々と輝く瞳を歪める。  足運びに身体の運び、呼吸に会話、手の動き、それらの佇まいは常に何かを警戒しているように隙がない。それらは間違いのない戦闘に携わる者のものだ。  アメリアは、アレスがヘリオスの事を悪魔殺しに類する者と予想していた事を思い出した。  感情の機微を感じ取ったのか、まるで言い訳でもするかのようにアレスが言う。 「勘違いするな、あんたの実力を疑っているわけじゃない。だが、今回の敵は不確定要素が大きすぎる。グレシャの言葉も果たしてどこまで真実なのか怪しい所だ。魔王の手先は闇に属する者だけではない。俺は、今回現れた相手が『悪魔』でない可能性もあると考えている」 「……なるほど」  人型を取るのは決して悪魔だけではない。魔王クラノスの配下に強力な亜人や精霊などがいるのは有名な話だ。森の深奥部でずっと暮らしていたグレシャに闇の眷属とそれ以外の差がわかるとは思えない。  僧侶の戦闘性能は対悪魔やアンデッドに特化している。もしも今回の敵が仮に悪魔ではなく、その他の種族だったならば、面倒な事になるだろう。 「貴重なハイプリーストを万が一にも失うわけにはいかない。端的に聞くが、ヘリオス、あんた、相手が悪魔やアンデッドじゃなくても勝てる自信はあるか?」 「……」  悪魔殺しの役割は退魔術による悪魔やアンデッドの浄化。それ以外は専門外だ。  ヘリオスの視線が、アレスの嵌める黒の指輪、クルセイダーの証に注がれる。アレスは強い視線で断言した。 「俺は勝てる。勝てる自信がある。それは、今回俺が呼んだクルセイダーも同じだ。わかるな?」  ヘリオスの身体とて、鍛えられていないわけではない。だが、アメリアの眼から見ても、二人の力には大きな差異があった。腕についた筋肉からわかる膂力の差、運動性能の差、他者のレベルを上げる儀式を使える者だけがわかる、両者に存在する存在力の、レベルの差。戦闘も出来るプリーストと生粋の戦闘者の差。  あの森の中で、殺意を向けられた瞬間に感じた絶対的な生物として格差を思い出し、アメリアは僅かに肩を震わせた。  目を細め、ヘリオスが身体の前で手の平を組んだ。 「……承知致しました。サポートに徹した方が良さそうですね」 「ああ。助かる」 「ちなみに、いらっしゃるクルセイダーはどのようなお方で?」  ヘリオスの問いに、アレスがあからさまに表情を崩した。  苦虫を噛み潰したかのような苦渋の表情。 「殲滅鬼と呼ばれる戦闘狂の男だ。戦闘性能はお墨付きだが、補助魔法や回復魔法の類は一切使えない」  「……それは本当にプリーストなので?」 「……何でプリーストになったのかわからない男だよ。まぁ、二つ名は物騒だが理性がないわけじゃない。何より奴ならば、悪魔だろうが竜だろうが狼男だろうがなんだろうが気にせずぶっ殺せるだろう。クルセイダーとして適切かどうかは置いておいて、今の状況には適任だ。……何より、他に空きがいなかったしな」 「……なるほど。承知しました」  アメリアには、最後の一文が本音のように聞こえたが、ヘリオスは何も言わずに僅かに頭を下げた。  どうやらヘリオスさん、見た目ほど尖っているわけじゃないみたいですね。  半ば感心しつつ、アメリアはその様子を眺め小さく頷いた。  勇者一行を見ていると、思った通りに動いてくれるだけで素晴らしい人のように思える。 §§§  太陽はすっかり沈み、窓からは極僅かな月光のみが差し込んでいた。窓ガラスには無表情なアメリア自身の表情が映っている。  通信を切り、椅子に座ってナイフを始めとした武装の整備をしているアレスの方を見る。  アレスの説得によりグレシャに協力を取り付ける事ができたが、報告手段としての通信魔法はアメリアにしか使えない。グレシャからは発信できないので、日に三回、アメリアの方から通信を繋いで状況を報告してもらう手はずになっていた。  たった今、受け取ったばかりの情報を報告する。 「アレスさん、定期報告です。グレシャと通信が完了しました。どうやら、ゴーレム・バレーに向かうことに決めたようです」  違和感は残っているようだが、リミスが同意していたのが良かったのだろう。  あんなに強引な展開なのに……グレシャと一緒に手放しでゴーレム・バレーを復唱していたリミスの姿を思い出し、アメリアは首を僅かに振った。  リミスからはダメな匂いがする。 「そうか。わかった。日程は?」 「明日の朝には出ると」  夜に活発化する魔物は多い。勇者一行の決定は概ね想定通りだ。  ナイフを一本一本丁寧に鞘にしまい、アレスが深くため息をつく。 「わかった。どうやら、うまく行きそうだな」 「そうですね……あまりに強引な方法だったのでどうなるかと思いましたが」  どこか責めるような色が出てしまったのは否めなかったが、アレスはそれを気にする様子もなく大きく背伸びをした。 「もう深く考えるのはやめだ。考えてもうまくいかない時はうまくいかない、うまくいく時はうまくいく」  確かに、グレイシャル・プラントの人化は酷かった。何の前触れもない予想外中の予想外。目の前でそれが発生したアメリアからしても、悪夢でも見ているかのような気分だったのだ。一晩かけて苦労して準備したにも拘らずあの結末になったアレスの心中、慮るばかりである。 「……アレスさん、まさか開き直ってます?」 「開き直ってるように見えるか?」  僅かに唇の端を持ち上げ、皮肉げな笑みを浮かべ聞き返してくる凄腕クルセイダー。開き直っているようにしか見えなかったが、アメリアはそれを指摘するのをやめた。  それで僅かでも負担が減るのならばそれでいい。ここ一月近く動きっぱなしだったのだ。そのくらいは許されて然るべきだろう。 「……まぁ、ひとまずは一段落という所ですか?」 「そうだな。まぁ、明日までの僅かな時間だが」  軽く腕を伸ばし、答えるアレスの声色にしかし、リラックスした雰囲気はない。表情も険しいままだ。尤も、生来そういう目つきなのかもしれないが。  アメリアとアレスの付き合いは相応に長い。初めて会ったのは五年以上前、交換手としてのやり取りも同程度になるが、こうして顔を合わせる程近くにいた期間はほとんどない。  アレスはあまり気にしている様子はないが、まだアメリア本人としては、人見知りしている状態だった。通信で会話はしていたとはいえ事務的なものだけだったし、そもそもあまり会話を得意とする人間でもない。  アレスの後ろ姿をしばらくぼうっと観察し、ふと思いついて食事にでも誘おうかと口を開きかけたその瞬間、アレスがふと呟くのが聞こえた。 「今の藤堂のパーティだと基本的な知識が足りないな……知り合いに偶然を装って接触してもらえば……」  腕を組み、難しそうな表情でつぶやくと、紙の束を取り出しテーブルの上に広げ始める。 「……あの……アレスさん?」 「ん……ああ……なんだ?」  視線を紙から外す事なく答えるアレスに、アメリアは若干いつもより上ずった声で尋ねた。 「あの……食事でも行きませんか? 今日何も食べてないでしょう?」 「ん……ああ、行ってきていいぞ。俺はまだやる事がある」 「……それって今日やらなくてはいけない事何ですか?」 「いや?」  一言だけで答え、しかし手を動かすのは止めない。  ペンを取り出し、手紙を書き始めるアレスの肩を掴み、アメリアが顔を覗き込む。 「もう一段落したんですよね?」 「ああ、そうだな」 「……あの、食事でも行きませんか? 色々ごたごたありましたし、たまには身体を休めて」 「俺はまだやることがある。アメリアは行ってきて構わないぞ」 「……それって今日やらなくちゃいけない事なんですか?」 「……いや?」 「……」  顔を動かす事なく答えるアレス。  アメリアは眉を顰めてしばらく黙っていたが、ふと思いついた事を恐る恐る尋ねた。 「……アレスさんってまさか、仕事中毒ですか?」 「……いや、そんな事ないが……」  答えつつも手を止めないアレスの姿に、アメリアはここに派遣される直前にクレイオ枢機卿から言われた言葉を思い出した。 『アメリア、彼は優秀だが放っておくと動き続けるから適度に助けてやって欲しい。なまじ自分で神聖術を使えるから質が悪いんだ』  ……あれだけ働いてまさかまだ働き足りないんですか?  アレスの表情、その目元にははっきりと疲労が見える。それはそうだ。ここ数日アメリアの知る限り、アレスが休んだのは森の中で数時間程度。それもこの様子では本当に休んだのか怪しいものだ。  神聖術では肉体的な疲労は取れても精神的な疲労は取れない。  アメリアはその瞬間、枢機卿からの言伝の意味を知った。  アレスの後ろからそっと腕を伸ばし、一気に手で目元を隠す。 「アレスさん!? 仕事ばかりしてないで、休んでください。倒れますよ?」 「……いや、問題ない」 「!?」  アメリアは目を見開いた。紙にペン先が滑る微かな音。 「……アレスさん?」  こともあろうに、視界を塞いでいるにも拘らず、アレスの手は止まらない。  中をそっと覗いてみるが、適当に書いているわけでもない。  愕然とアレスの後頭部を見つめるアメリアの耳に、ぼそりとアレスが呟いたのが聞こえた。 「視界を閉ざした程度で俺の動きを止められると思ったら間違いだ」 「……そ、そういう問題じゃないですッ!」  腕を振り上げとっさに書きかけの手紙を奪い取る。中には、知人にたいする手紙か、助力を請う旨が記載されていた。  憮然とした表情で見上げるアレスに、手紙をばさばささせながらいつもより心持ち高めの声で抗議する。 「アレスさん!? これ、今やる事じゃないんですよね!?」 「ああ。他に優先度の高い仕事があるんだったらそっちを優先してやるが」  何かあったか? と言わんばかりにこちらを見上げるアレスに、アメリアは冷たい視線を向けた。  駄目だこの人……放っておいたら動き続ける、枢機卿の言うとおり。ならば助けるの意味もなんとなく理解出来る。  アメリアは言葉を選び、なるべく平然とした声で言った。 「……実は相談があるんですが」 「相談? ……なんだ?」 「ここじゃ言い難いので、食事でも取りながら……いいですか?」 「……ああ、分かった」  ようやく立ち上がり準備を始めるアレスを見て、アメリアは聞こえないように小さく吐息を漏らした。 page: 36 勇者の理由  ヴェールの『村』と聞いていたけれど、その喧騒は藤堂の想定する村よりはどちらかと言うと街に近かった。  西洋風の建築と呼べるだろうか。藤堂が召喚する前に住んでいた日本程近代的ではなく、しかしその建築技法は、まだ高校を卒業したばかりで殆どその分野に明るくない藤堂の素人目に見てもそれなりに洗練されて見えた。  異世界と地球では大きな差異がある。  文化が違う。人と同等以上の知能を持つ種族が人以外に存在し、魔法が、精霊が、日本では空想上の産物とされたあらゆる神秘が存在する。  軽く町中を歩いただけで、藤堂はそれらを確認する事が出来た。  分厚いローブを着た魔導師が持つ黒の炎を灯した魔法の杖。路端で者を売る商人の頭には獣の耳が生えており、藤堂の身長の倍はある巨躯の男が、その身の丈と同じくらいに巨大な青の狼の死体をぶら下げ歩いている。  最初にそれらを見た時は酷く驚いたものだ。  もはや随分と昔のように感じられる記憶を思い出し、藤堂は短くため息をついた。  黒髪に黒目はこの地方では珍しい。容姿端麗である事もあり、道行く人々がちらちらと視線を向けていたが、それを気にする様子もない。  村の中なので鎧こそ着ていないが、その背には細身の剣が背負われている。  聖剣エクス。勇者の剣は担い手を選ぶ。藤堂にとってその重さはまるで羽のように感じられ、常時帯剣も殆ど負担にならない。 「変わらないのは表情だけ、か……」  喜び、悲しみ、怒りの表情。それだけは異世界も日本も変わらない。  呟く声は喧騒に消えた。  まだ前線ではないとは聞いていた。だがその光景は、魔王が侵攻しているとは思えないくらいに、平和に見える。  細い腕がうずく。締め付けられた胸、心の臓が強く鼓動するのを感じる。  平和を守る。正義を成す。藤堂直継はずっとそれを目指して生きてきた。異世界に勇者として召喚する前から。  かつては力がなかった。今はある。そして、レベルが上がるに伴いそれはどんどん成長していく事だろう。  しかし、その意志は果たしてどうなのか。  ぼうっと考える藤堂の後ろから、すっかり聞き慣れた声がかけられた。 「藤堂殿、お待たせしました」 「ああ……いや、待ってないよ」  表情を変える。穏やかな微笑みを浮かべ、振り返る。  以前とは異なり、今いるたった二人の仲間。青髪で剣王の娘らしい女剣士と、魔導師屈指の家柄だという女魔導師の方を。  まだ共に旅をして久しいが、既にそれなりの関係性を築けている。尤も、それが勇者としての立場に伴うものだという事もまた理解していた。本当の信頼関係を結ぶにはまだ時間が必要だろう。  藤堂のそれよりも巨大な剣を背負ったアリアが、軽い足取りで藤堂の後ろに立つ。  その容貌を眺める。一月の旅ですっかり日に焼けた肌はしかし、染みひとつない。  この世界はレベルが全てだ。  レベルが高ければ剣で切りつけられても傷を受けないし、病にかかる事もない。老化もある程度は抑えられるし、獣の疾さで動く事もできる。現に、アリアよりもレベルの高い藤堂の肌は日を殆ど焼けていなかった。藤堂の意志がそれを拒絶しているのだ。  ――レベルが高ければなんだって出来る。単騎で一軍を滅ぼしたという逸話を持つ魔王だって倒せる。  故にレベルを上げねばならない。レベルが上がるまでは危険を冒してはならない。理性では理解できる。だが感情ではまた別だ。 「日が高い内に出たほうがよいでしょう。大草原を超えねばなりません。途中の街で補給も出来ますが、なるべく補給の回数は減らした方がいい」 「……レベル上げも終わってないしね」 「はい」  アリアが真剣な表情で頷く。その凛々しい様は藤堂がイメージする物語の騎士と一致している。 「大草原に棲む魔物は群れを作る者が多く、強さの割には存在力が低いとされています。草原でレベル上げをする傭兵は殆どいません。それに習うのがよろしいかと」 「……ガーネットなら全部焼きつくすこともできるけど?」 「……群れを作る魔物を舐めない方がいい。魔法の気配に気づかれたら間違いなく狙われるぞ。勿論、なるべくリミスの事は守るつもりだが、数十匹に囲まれてしまえばかなり厳しい戦いを強いられる事になる。ましてや――」  アリアの視線がちらりと背後に向けられる。そこには興味深そうにあちこちに視線を向けるグレシャの姿があった。  リミスよりも更に低い身長に長い緑の髪、華奢な体躯と雰囲気はまるで無邪気な妖精のようで、とてもあの死にかけの竜だとは思えない。  グレイシャル・プラントの人化は藤堂にとっても完全にイレギュラーだった。藤堂がやろうとしたのは死にかけの竜の治療だけだ。だが、如何なる摂理かわからないが変わってしまった以上その責任は取らねばならなかった。勿論、森に帰りたいという意志を見せた場合は森に帰すつもりだったが、今朝方確認して既に一緒についていくという意志を受け取っている。  藤堂が手を伸ばし、ゆっくりとその美しい長い髪を撫でる。グレシャは僅かに身じろぎをして、悲しげな瞳で藤堂の方を見上げた。 「おなか……すいた……」 「……」 「……食費がだいぶ掛かりそうですしね」  アリアがため息をつく。  食事はつい数十分前に宿で取ったばかり。  どうやら、身の丈は縮んでもその食欲だけは竜の身体の時と大差ないらしく、その子供のような身の丈に見合わずグレシャは凄まじい食欲を発揮した。おかげで、宿泊費は本来の想定の倍もかかってしまっている。道具を無限に収納出来る魔導具がなければ食料を運ぶだけで一苦労だっただろう。  藤堂は苦笑いで手を髪から離した。 「あはは……食料は多めに用意しようか」 「……はぁ……さすがにあれだけ食べるのでは多少は戦ってもらわないと……」 「でも、戦えるの? こんなに小さいのに……」  自分より更に身長の低いメンバーに、どこか偉そうにリミスがグレシャの方を見た。  確かに、見た目だけならばとても戦えるようには見えない。 「……何が出来るのかは今後の課題だな。元があれなんだから戦えないという事はないとは思うが……」  戦については教育を受けているアリアにも、魔物が人化するなどという話は聞いたことがない。  その件に関しては実家に調べてくれるよう手紙を送るつもりだったが、それまでグレシャを放置しておくわけにもいかない。  リミスはどこか釈然としなさそうな表情で自分より小さな少女を見ていたが、やがて飽きたのか顔をあげた。 「まぁいいわ。さっさとゴーレム・バレーに行きましょう! 私の精霊魔術を見せてあげるんだから!」 「……ああ、楽しみにしてるよ。まぁ……教会に報告だけ入れてからかな」 「ああ……そうだったわね」  リミスから伝えられたアレスからの頼み事。それを達成するために、藤堂たちは教会に向けて足を進めた。  その内心に燻ぶる得も知れぬ感情に目を向けぬよう注意しながら。 §§§  前回と同様、教会の外を掃除していたシスターに挨拶をして教会の中に入る。  陽光を反射するアズ・グリードの象徴、天秤の模様のステンドグラスにどこか静謐とした空気。回復魔法を求めて来ている傭兵たちの間を抜け、藤堂は教会の奥に向かった。  来るのは一日ぶり。前回は神聖術の試験を受けに来ていたが、今回の目的はまた別だ。  腕を磨いてもう一度挑戦するつもりだったが、時間がなくなってしまった。幸い、試験はどこの教会でも受けられるらしいのでまた機会はあるだろう。  教会を管轄する神父は一番奥の部屋にいた。  藤堂が入室するや否や、何やら机の上に道具を並べていた神父が藤堂の方を向き、僅かに唇の端を持ち上げ薄い笑みを浮かべる。 「これはこれは藤堂様……」  相変わらずの人を喰ったような笑み。常に睨みつけるような目つきをしていたアレスといい、藤堂のイメージしていたプリーストとは大きくかけ離れている。  神父が緩慢な所作で立ち上がる。その身の丈は藤堂よりも頭ひとつ半程大きい。細身にも拘らず感じられる威圧感に、藤堂は僅かに眉を顰めた。敵対とは言わないまでも、あまり歓迎されていない事くらいわかる。 「報告にきました。……アレスから聞いていると思いますが」 「ああ……伺っておりますとも」  神父――ヘリオス・エンデルが笑みを深くし、ぽんと手を打つ。  リミスが暇そうにそのテーブルの上に目を向け、並べられた道具類に目を丸くする。  銀の十字架に複数本の十数センチ程の銀色の杭。きらきらと輝く透明な液体の入った瓶に、先端が丸い銀の杖。他にも何に使うのか予想すら出来ない奇妙な道具の数々。  藤堂から報告を受けていたヘリオスの方を見上げ、尋ねる。 「……これ、何?」 「ん……ああ。悪魔討伐のための武具ですよ。フリーディアのお嬢様」  ヘリオスが何気ない動作で杭を指に挟み、素早く手を振る。軽い音と同時に、杭が壁に浅く突き刺さった。  随分と手慣れた投擲。向けられた驚く視線を気にする事もなく、ヘリオスはもう一本の杭を手にしてそれを愛おしげに撫で、続ける。 「悪魔は祝福された銀に弱いのです。尤も、それほど頑丈ではないので悪魔やアンデッド以外には効果が薄いですが……」 「悪魔討伐……森に出た悪魔を?」  杭の動きを視線で追っていた藤堂が、神父の方に視線を戻す。その言葉に、ヘリオスが目を細めた。 「……ああ、ご存知でしたか。悪魔は教会の敵、私も及ばずながら協力させていただく予定です」 「プリーストが戦闘を……?」 「ええ……私たちには――退魔術がありますから」  退魔術。  必要ないとの事で唯一習わなかった神聖術の名前に、藤堂が眉をぴくりと動かす。 「エクソシズム……確かに退魔術は悪魔に有効ですが……ヘリオス殿がたった一人で戦うと?」  アリアが険しい表情で尋ねる。それに対し、神父は大仰な動作で手を振った。 「いえいえ……私はあくまでサポート、本命は他に専門家が来る予定です」 「騎士団の要請を……?」 「いえ。教会から専門の僧侶が」 「プリースト……ですか……」 「ええ。数日中に愚かなる悪魔は討伐されるでしょう……」  ヘリオスは酷薄な笑みを浮かべた。 「……プリーストだけでは危険なのでは?」 「くっくっく……危険など承知の上ですよ。危険を冒さずして神の敵を滅ぼす事はできません」  アリアの言葉を意に介する事もなく、ヘリオスは突き刺さった杭を抜いた。 §§§  教会で報告を終えると、村の市場に出て食料品を買い込んだ。  携帯食料の類は基本的に割高だが、十日の強行軍で得た魔物の素材を全て売り払い、準備金も潤沢にもらっていた藤堂にはまだ余裕があった。グレシャの胃袋を数日満たせるだけの食料を買い込むと、その足で街の出口に向かう。  数日しか滞在していない村だが、こうしていざ村を出るとなるとどこか感慨深い。少なくとも、魔王を討伐するまでこの村を訪れる事はないだろう。  途中で藤堂が『事故』を起こした傭兵とすれ違ったが、藤堂は気づかなかった。  傭兵の方は藤堂の姿を見てぎょっとしたように目を見開いたが、何も言わず怯えるように足早に去っていった。  出口が見えてきた辺りで、藤堂は教会を出てからずっと思案げな表情をしていたアリアに声をかけた。  食料品を買い込んでいる間中も何かを気にしているかのように上の空だった。同じパーティを組んでおよそ一月、それほど長い期間ではないが、さすがに気づかないわけがない。 「さっきからどうしたの?」 「……いや……別にどうしたというわけでもないのですが……」  どこか言いづらそうにアリアが、もはや屋根すら見えない教会の方角に視線を向ける。 「もしかして、さっきの悪魔討伐の話かい?」 「いや……別にそういうわけでは…………はい」  否定しかけたが、藤堂の真っ直ぐな視線に、アリアは諦めて小さく首肯する。  出入り口が近く封鎖される事が通達されているのか、門にはいつも以上に人が多かった。村の出入りには手続きが必要とされる。勇者である藤堂にはそれを優先して受けるための証明書が与えられているが、それでもそれなりに時間がかかりそうだ。  相変わらずきょろきょろと辺りを見渡しているグレシャと、まるでそれを監督するかのようにひらひらした服の裾を捕まえているリミスに一度視線を向け、アリアの方に声を顰めて尋ねた。 「……何か不安点でも?」 「……はい」  悪魔について藤堂は殆ど知識を持っていない。  勿論、上位の魔族が強力な力を持ち、一般人では太刀打ち出来ない事や、並の加護では打ち破れない堅固な結界を纏っているなどの基本的な情報、現在確認されている悪魔の情報などは教えられたが、所詮は付け焼き刃にすぎない。  声を潜める藤堂に、アリアもまた声を落とし、返す。 「……藤堂殿は覚えていますか? 私たちに向けられたあの殺意の咆哮を」 「……ああ、忘れるわけがない」  答えながら心中で繰り返す。忘れるわけがない。ああ、忘れるわけがない。  藤堂は勇者だ。それを萎縮させる程の威圧は打ち破るべき一つの壁だった。  確かに思った。勝てないと思った。だがしれは決して、負けを認めたわけではない。勝ち目のない戦いだろうと、正義のためならば挑む事に躊躇いはない。  首肯する藤堂の表情に、アリアは聞こえないように小さくため息をつく。  唇が、口の中が乾いていた。  言うべきなのか言わざるべきなのか。アリアは迷った。迷っていた。  あの殺意を前にした藤堂の反応。人間性は決して悪ではないが、その勇気はあまりにもその実力に見合っていない。あまりに無謀だと言わざるをえない。もしアリアが止めなければ  だが、藤堂は勇者だった。信頼すべき聖勇者だった。これから長く旅を共にするリーダーに隠し事をするべきではない。  リザース家の家訓は誠実である事。アリアはその剣術こそ流派を違えたが、家訓を変えたつもりはなかった。  結論を出すと、アリアは乾いた唇を舐めて言った。 「あの殺意の主、あれは……悪魔ではありません」 「……え!?」  アリアはそれを思い出し、肩を震わせた。  レベルの高い生き物の殺意は物理的に人間を縛る。剣王という人類最上位の剣士を親に持つアリアは、実戦経験さえ少なくとも、上位者の存在を常に身近に感じてきた。  訓練とは言え、その殺意も何度も身に受けてきた。森の中で感じたそれは、高レベルの剣士が放つそれに勝るとも劣らない。だが、問題なのはそこではない。 「藤堂殿はご存知ないかと思いますが……悪魔やアンデッドと言った闇の眷属の気配には独特の感覚が付随するのです。言葉には言い表せない恐怖、身体の奥底、心臓を闇に浸されるような独特の気配が。ですが、あの時感じた殺意は質量自体は相当大きくとも……その気配がなかった」 「闇に浸されるような……気配……」  真剣な表情で藤堂がその言葉を反芻する。 「そもそも、ヴェールの森に悪魔やアンデッドの類は存在しないはず……十中八九あの殺意はもっと別の……動植物系の魔物のものでしょう」 「……動植物系、か……それで何か問題が?」 「……はい」  目を見開き、藤堂の方をじっとみつめ、アリアが言った。 「あの神父が言った通り……プリーストが使う攻撃手法――エクソシズムは闇の眷属以外に効き目が薄いのです。藤堂殿、彼らはきっと――敗北します」 「敗北……する?」  唇から出た乾いた声。藤堂の思考が遅れてその言葉の意味を理解する。  藤堂の瞳孔が大きく開き、漆黒の虹彩がアリアを射抜いた。 「負ける、というのか? 彼らが?」 「おそらくは……」  その感情の色に、僅かな後悔がアリアを襲う。が、既にもう遅い。  そもそも、それに付き合うと決めたのだ。アリアの役割は勇者に付き従い魔王を倒す事。  藤堂が震える声でアリアに問いかける。 「彼らは専門家を呼ぶと言った」 「それは……悪魔討伐の専門家です。プリーストは決して魔物討伐の専門家じゃ……ない。それはこの国では剣武院――騎士団の管轄なのです」  事実、王国内に侵入してきた強大な魔物たちの殆どは、騎士団によって討伐されてきた。勿論、教会からのプリーストの派遣もあったが、それはあくまで回復や補助魔法のためであって、直接魔物と刃を交わしたわけではない。  藤堂は必死に頭を回転させた。  ヘリオスに対して、藤堂は決して好意を抱いてはいなかったが、敗北すると聞いて喜ぶ程の嫌悪も抱いていない。それは藤堂の目指す正義ではない。  ふとある事に気づき、藤堂が顔を上げ、アリアを問いただす。 「待て……何故それをヘリオスさんに言わなかった? それを教えていれば――」 「……無駄、だからです……」 「……は? 無駄……?」 「……はい」  村を出る順番が着々と近づいてきていた。  後ろに並んだ傭兵のグループに急かされるように前に進み、アリアが答える。 「プリーストが討伐に動くという事は、教会本部からその命がくだされたという事。それは言わば……神命、彼らにとって何よりも優先される。あの神父は例え勝ち目がなかったとしても挑むのをやめないでしょう」 「……は?」  あまりにも理解できない言葉。  呆気にとられる藤堂に、アリアが続ける。アリアは知っていた。剣武院と魔導院、そして教会は国防の要。それぞれの特性は理解している。それぞれ、一長一短、特性、歴史、役割がある。例え魔王からの苛烈な侵攻があったとしてもそれは変わらない。 「そして、それは教会から派遣されてくるという専門家についても……同様。藤堂殿、覚えていませんか? 本来教会で忌避されている魔物喰らいを自ら進言し行ったアレス・クラウンの姿を。魔王討伐という神命のために教義をすら破ったプリーストの姿を。プリーストとは元来……そういうものなのです」  アリアの言葉に、藤堂は思い出した。  魔王討伐を達成するためにあらゆる全てを犠牲にしていたあまりにも苛烈なプリーストの姿。とてもプリーストには見えなかったが、アリアの言葉が本当ならば納得がいく。  黙ったままそれを聞く藤堂の表情を見て、アリアが浅くため息を付く。  予想通り。予想通りである。勇者はきっとそれを望まない。それを選ばない。不義を認めない圧倒的な理想の追求者。常人では決して選ばぬ選択を容易く成す者。  「藤堂殿、私は……言いたくなかった。本来ならば言うべきではなかった。しかし、私たちが取れる手段が二つあります……」  アリアの言葉を聞いて、藤堂が険しい表情で下唇を噛んだ。 page: 37 酒乱  万全の体制が必要だった。  もうすぐ一月が経過する。  グレシャを森の深部から追い立てたという悪魔はともかくとして、これまでの記録が真実ならば間もなく魔王側に聖勇者の存在がばれるだろう。  これは総力戦だ。人族と魔族の総力戦。  俺達は藤堂のレベル上げを全面的にサポートし、魔族はなんとしてもそれを妨害し勇者の命を狙う。  此処から先は一処にとどまり続ける訳にはいかない。プリーストが闇の眷属の存在を察知出来るのと同様に、悪魔にも似たような能力を持つ者がいる。  場所を頻繁に変えつつレベルを上げ続ける作業は藤堂たちにとって、大きな負担となるだろう。  魔王配下の軍と人族の軍の戦力差は明白である。ベースの強さがそもそも違うのだ。レベル上げをすれば力量差は縮まるし、数自体は人族の方が多いが、ピンポイントで上位魔族を派遣され、狙われたら守り切るのは難しい。  人の利点は数が多い事である。その基本的な戦闘能力に大きな差異があるにも拘らず、まだ人族が魔族に敗北していない理由がそこにある。例え相手が上位魔族であっても、最上位クラスの戦士を複数人編成すれば対応出来るだろう。  しかし、現在は戦時、魔王の出現により活性化した魔族と魔物により、どこの国も苦境に立たせられている。魔族を相手取れる程高レベルの傭兵となると、どこの国も喉から手が出る程欲しており、中には爵位を与えると名言している国さえある。それらを複数人集めるのはかなり難しい。  本来ならば、だ。  ここ数日で、俺は理解していた。一人や二人で藤堂たちをサポートするのは……無理だ。教会に依頼した所で派遣されるのは僧侶、戦闘能力を持っていたとしても、せいぜいが僧兵や聖騎士程度にすぎない。戦えないわけではないが、戦闘能力ではやはり専門職に一歩劣る。  教会の持つ戦力は基本的に守るための力。藤堂たちを襲うであろう圧倒的な悪意を取り除くには純粋な戦闘能力が必要だった。レベル故に俺は戦えるが、同時に俺は無敵でもなんでもないのだ。  幸いな事に、長くあちこちを旅していた事もあり、知り合いは多かった。謝礼は弾まなくてはいけないが、恐らく俺が頼めば断らないだろう。  前線で傭兵業を営んでいる友人に手紙を認めると、俺はようやく顔を上げた。  壁に掛けられた時計を確認する。既に日は高く登っていた。  既に藤堂たちは街の外に出ただろうか。  ゴーレム・バレーの付近の街までは大草原を超える必要がある。いくつかの村を中継していく形になるはずだ。距離はかなりあるが、出現する魔物はそれほど強くないし、道も複雑なわけではない。アイテムも最低限の物は村長を通じて渡してある。道中で問題が起こる可能性は高くない。  既に教会本部を通じてそこまでの村の教会には連絡を取ってもらっていた。辿り着いたら連絡が来るはずだ。  こちらの準備も既にできている。藤堂たちは四人だがこちらは二人。馬車は必要ない。  藤堂たちを追跡する形になる。馬では速度が遅いため、教会に依頼して騎乗用のランナー・リザードを用意してもらった。人に懐く珍しい蜥蜴種の魔物であり、馬を超える速度と持久力を持つ。需要が多く高額で馬と比べて扱いにくいという性質があるが、操作については慣れている。    勇者パーティとは違って収納用の魔導具が用意できていないので旅は快適な物にはならないだろう。そこは精神力でカバーするしかない。俺は平気だが果たしてアメリアが耐え切れるかどうかが不安だ。  ……まぁ、普段の彼女を見ているとへこたれる様子がイメージできないんだが。 「アレスさん、藤堂さんたちですが、門の外に出たという連絡が入ってきました」 「そうか」  外に出て連絡を取ってくれていたアメリアが入って来て報告してきた。事務的な会話。交換手をやってもらっていた時の事を思い出す。  アメリアはシスターの着る法衣とは異なる活動しやすそうな象牙色のジャケットとパンツを着ていた。耳に下がるイヤリングと指輪だけがプリーストの証だ。証がなければシスターには見えない。彼女は少し……自由すぎるな。  アメリアが俺の視線に気づいたようで、俺の目の前で軽快なステップでくるりと回転してみせた。 「似合いますか?」 「……ああ」  教義で明確に定められているわけでもない、が、本来のプリーストとは常に法衣を身に纏うものである。俺だってなるべく法衣を纏うようにしている。もしかしたら魔術を扱うホーリー・キャスターは異なるのかもしれないが。  俺の答えが嬉しかったわけでもないだろうに、薄く笑みを浮かべるアメリアに、小さくため息をつく。文句を言うわけにもいかない。負担の大きな仕事だ。別に任務に影響するわけでもないし、服装くらい好きにさせてやろう。 「藤堂が中継地点の村に着くと同時にこちらも出よう。道中顔を合わせるのは避けたい」  もし首にしたはずのメンバーがついてきていると知ったら藤堂がどう思うか……一度や二度ならば偶然で済ませられるかもしれないが、なるべくならば避けたい所だ。  夜中の行軍になるが、幸いランナー・リザードは夜目が利くし、俺も夜目が利く。魔物の動きが活発になるが俺のレベルならば草原の魔物で喧嘩を売ってくる者は殆ど居ないだろう。  既に準備も終えている。村長への話も通しており、ヘリオスへの情報伝達も済んでいる。  漏れはないはずだ。指を折りながら確認すると、前髪を弄りながらこちらを見ているアメリアに言った。 「アメリア、今日は夜中に動く事になる。今の内に寝ていた方がいい」 「……それは、アレスさんにも言えると思うんですが……」  眉を顰め、アメリアがまるで抗議でもするかのような口調で言った。 「俺は三日三晩寝ずに戦える。実際に戦った事もある」  何かあった時のために一人は起きているべきだ。いくらアメリアが平気な表情をしていると言っても、彼女は女である。人族は生物的に男性の方が身体能力に秀でる。俺よりも体力がないのは間違いないだろうし、追加で言うのならば俺の方がレベルもずっと高い。  俺の答えに、アメリアが珍しくため息をついた。俺の言葉を信用していないのだろうか?  もう一度強く説明する。 「飲まず食わずでも三日までならば問題ない。実際に戦った事もある。アンデッドに飲み込まれた街を三つ、一人で対応した時の事だ」 「……あなたは疲れを知らないゴーレムか何かですか?」 「早急な対応が必要だった。さすがに出来るならもうやりたくないが、必要ならばまた同じ事を出来る」  三年程前の話だ。  アンデッドだけならばまだ一気に浄化できたが、あの時は魔族が関わっていた。高位の魔族が現れると解決の難易度は大きく跳ね上がる。  俺の答えを聞いて、むっとしたようにアメリアが言った。 「……一応言っておきますがアレスさん。私はアレスさんが定期的に休みを取らない限り休むつもりはありません」  彼女は一体何故そのような事を言うのだろうか。俺とアメリアでは性能が違いすぎる。  俺は少し考え、アメリアを刺激しない事にした。おそらく、歳は俺と同じくらいだろうが、この年頃の女の子が一体何を考えているのか俺にわかるわけもない。 「休んでいるさ。今も休んでいる」 「……睡眠を取ったほうがいいのでは?」 「昨晩十分に取った」 「私もアレスさんよりちゃんと睡眠を取りました」 「……そうか」  どうも彼女は俺の事を心配しているようだ。ありがたい話だが、自分よりレベルの低い者に心配される謂れはない。  三日三晩戦闘したのは随分と前の話だ。今の俺のレベルならばやろうと思えば一週間以上ろくな睡眠も食事も取らず連続で行動出来るだろう。疲労もダメージもある程度ならば神聖術でごまかせる。彼女は先程俺の事を魔導人形と表現したが、出来ることはおそらく大差ない。  が、言っても無駄だろう。  まぁ、夜間行軍といっても起きていなければいけないのはリザードを操作する俺だけだ。揺れさえ気にしなければランナー・リザードの上でも十分睡眠を取れる。  黙る俺に何処か気まずかったのか、アメリアが話を切り替えるかのようにぽんと手を打った。 「ということで、夜まで時間があります」 「定期連絡を忘れるなよ」  朝の七時と昼の十二時、夜の七時に定期的にグレシャと連絡を取る事。魔法で通信が出来るアメリアにしか出来ない仕事である。  アメリアは顔色一つ変えず素っ気なく「わかってますよ」と答えた。 「アレスさんにも仕事はありません」 「やらなければならない事はないがやれる事はある」 「……そこで、相談があります」  ……お前、昨日も同じ事言って結局何も相談してこなかったよな?  俺の訝しげな視線を感じていないわけでもあるまいに、アメリアは平然と言った。 「飲みましょう。ヘリオスさんからいいお酒を貰ってきました」 「……お前本当にプリーストか?」  酒は教義で禁止されてはいないが、節制が求められる。敬虔な信徒ならば飲まない事も少なくない。事実、俺の両親は酒類を嗜まなかった。  既にここ数日で何度も思った事だが、どうやらアメリアのメンタルは大概頑丈らしく、その問いに関しても全く気にした様子を見せなかった。  なるほど、なかなか頼りになりそうではあるが釈然としない。 「大体、まだ昼間だぞ? こんな昼間から飲むのか?」  窓の外を指して見せる。まだようやく昼になったばかりだ。酒好きの傭兵でもこんな時間から飲むような奴は少ないだろう。  アメリアがどこからともなく酒瓶を持ってきて軽く上げてみせる。 「お酌しますが?」  駄目だ、話が通じない。昼間から酒を飲むことに抵抗がないでもないが、俺はそうそう酔わない性質だ。酔ったとしても神聖術で酔いを飛ばせる。  どうやら、どういう事なのかアメリアは飲む気満々らしい。仕方なく、出来る限り嫌そうな表情を作って尋ねる。 「お前、飲めるのか?」 「当然です。私は強いです」 「……そうか」  ……もしかしたらストレスでも溜まっているのだろうか?  まだ数日だったが、理不尽な状況だった事は否めない。仕方ない、それを解消するのも上司の役目である。  ため息をつき、アメリアに言った。 「……準備が万全であるかもう一度確認した後だ」 「了解です」  微塵もストレスなどなさそうな表情でアメリアが答えた。 §§§  ……どこのどいつだ。酒に強いなんて言ったのは。 「あれすさぁん。きーてるんですかぁ?」 「聞いてる聞いてる」  平時からは微塵もイメージできない呂律の回らない間延びした声で、アメリアがグラスをどんとテーブルに置いた。  白い頬には僅かに朱が差し、いつも感情の浮かばない藍色の虹彩が熱で潤んでいる。俺はそれを眺めながら自分のグラスに口をつけた。  辛みの強い酒が口腔を満たし喉を通り抜ける。度数はそれなりに強いだろうが、アメリアがこの状態になるまで必要とした酒量は僅か一口である。素面に戻ったら一体どの要因から自分が酒に強いなどと宣言したのか問い詰めたいものだ。  俺のため息を気にすることもなく、アメリアはグラスを持ち上げると半分以上残っていたその中身を一気に煽った。唇から溢れた雫が白い喉元を雫となって濡らし、テーブルにこぼれる。飲み始めた時には着ていたジャケットは暑い暑いと言い出してとっくに床に投げ捨てられており、薄水色の薄手のシャツとなっているが、完全に酔っ払っているせいで雫が溢れシャツを濡らし、後ろの下着が透けて見えた。神の花嫁が聞いて呆れる。 「……酔いを飛ばすか?」 「らから、酔ってないっていってるれす!」  憮然とした様子でアメリアがぶんぶんと首を左右に振った。  れすじゃねえ、れすじゃ!  酔ってない奴はそんな事言わねえんだよ!  腕を掴んで神聖術を掛けようと手を伸ばすと、アメリアは酔っているとは思えない程俊敏な動きでそれを避けた。酒瓶を左腕に抱きかかえて椅子から立ち上がり、口を開きかけた俺にびしっと右手人差し指を突きつけた。 「たまにはいいれしょ! あれすさんは硬すぎなんれす!」  あまりにキャラが変わりすぎて逆に不安になるわッ! 「お前……何か今の待遇に不満でもあるのか?」 「べ〜つ〜に〜? わたし、のぞんできたんれすし?」  ならこの醜態の原因は一体何なんだ。  今まで誰かと酒を飲む事がなかったわけではない。だが、一般的に高レベルである傭兵たちはここまで酒に溺れない。酒精に耐性があるのだ。誰が今の彼女を見てプリーストだと思おうか。  まるで俺から奪われるとでも思っているのか、大事そうに酒瓶を両手で抱きしめ、俺に潤んだ視線を向ける。  その様はいつもとは正反対でとても子供っぽい。酒って怖え。 「いまはしごとないれすし? おふれすし?」 「……ああ、わかった。わかったよ。思う存分酔っ払ってくれ」  定期連絡の時間が来たら問答無用で捕まえて素面に戻してやる。  まだ意識はあるのか、俺の言葉を聞いてアメリアが今まで見たことがないくらい満面の笑みを浮かべる。 「わーい! あれすさん、だいすきなのれす!」  ご丁寧に酒瓶をテーブルに置き、両手を広げタックルのような勢いで飛び込んでくるアメリアを、椅子から立ち上がり素早く回避する。激しい音。アメリアが椅子を巻き込んで床に倒れる。  俺はできるだけ冷静を装いつつその様を見下ろした。こいつ……まさか絡み酒か? 面倒臭え。  アメリアがごろごろとそのまま床を転がって、恨みがましげな視線でこちらを見上げた。 「……酷いのれす」 「わーいじゃねえ! わーいじゃ!」  大体酷いのはアメリアの方である。さすがにこの醜態、彼女を派遣したクレイオも知らない事だろう。  眉を顰め、少しでもアメリアが冷静に戻れるように声を荒げて叱りつける。 「大体シスターが男に抱きつこうとするんじゃねえ!」  貞淑が求められるシスターともあろうものが酔っ払っているせいとはいえ酷すぎる。彼女を藤堂のパーティに派遣しなくてよかったと思うべきか。  俺の言葉の意味が理解出来ているのか出来ていないのか、アメリアはその場で起き上がって床に座り込んだまま、一言呟いた。 「……あ……あついの……れす」  熱い吐息を漏らすと、覚束ない手つきでシャツのボタンに指をかける。  思わず目を開く俺に真っ赤な顔を向け、アメリアの身体はふらふらと左右に揺れていた。  ……よかった。勇者のパーティに入れる事ができなくてよかった。入れていたらあっという間に神聖術を使えなくなっていただろう。  果たして酔いを覚ました後、この有様を彼女は記憶に残しているのだろうか?  飲む前に自分は強いと宣言していた以上、可能性は低いだろうか?  俺は立ち上がると、ボタンを千切るような勢いで外し始めているアメリアを見下ろし、素面に戻った後覚えていないであろう事も承知の上で宣言した。 「俺は二度とお前に酒を飲ませないぞ」  あまりにも性質が悪すぎる。  時計を再度確認する。定期報告の時間まではまだ間があった。が、そろそろ潮時だろう。これ以上放っておいたら真っ裸になりかねない。  シャツを脱ぎ捨て白のキャミソール姿になったアメリアを眺める。身体を隠す物は薄布だけ、だが性欲を刺激されないのは彼女の今の状態故か。ぼうっとした表情でアメリアの眼が俺を見上げている。  ぽきぽきと手を鳴らして一歩距離を詰めた。 「俺の本気を見せてやろう」 「手を出したらせきにんとってもらうのれす?」 「……お前は俺を何だと思っているんだ」  この村の最後の敵はレベル55の白魔導師か。  奴のせいでない事はわかっていたが、俺は後でクレイオに愚痴を言う事にした。  いや、言わずにはいられない。酷い。 page: 38 第五報告 ヴェールの森の異変とその顛末について 第三十二レポート:レベルを上げろ  加護。才能。レベル。人間の力はその三要素により大きく決まる。  この三つの中で個人の努力で何とかなるのは三番目だ。  だが、十分だった。それだけあれば十分だった。  レベル、レベル、レベル、レベル、レベル。レベルを上げろ。  魔物を殺せ。存在力を高めろ。  人間は脆弱だ。魔物は強力だ。魔族は更に強力だ。そもそもの生態が違う。身体能力が違う。魔力が違う。中には神聖術に似た術を操る者だっている。加護だって決して人間にのみ与えられるものではない。魔族にのみ加護を与える神だっているのだ。  人が突出しているのはその強力な成長能力だけだ。  レベルを上げろ。レベルを上げろ。レベルを上げろ。  人の長所を最大限に発揮しろ。加護が、才能があろうとレベルを上げなければ無意味だ。  魔物を殺せ。効率のいい魔物を殺せ。存在力を多く持つ魔物を殺せ。  強敵は避けろ。魔王の手から逃げろ。いずれ倒せるようになる。レベルさえ積み重ねれば必ず倒せるようになる。多少の犠牲はやむを得ない。召喚には大きなコストが掛かっているのだ。全て、ここ十日あまりで俺が藤堂に話した事だった。  信条も正義も力なくしては無力。俺だって最初はレベル上げを行ったのだ。  藤堂には自由が認められていたが、自由とは義務を果たす事が前提にありそれには力が必要とされる。  一月以内に30レベルという目標だって根拠なく立てているわけではない。ルークス王国が旅に出るまでの訓練や勉強の時間を減らしてさっさと藤堂を魔王討伐に出したのだってこれまで積み重ねられてきたノウハウに準じたものだ。  藤堂には資質があるが、資質が開花する前に戦死した前例などいくらだってある。 §§§  くそっ、面倒くせえ。これならまだ魔物と命のやり取りをしていたほうが楽だ。  眼はとろんと潤んでおり、足元も覚束ないにも拘らず、アメリアは酔っ払っているとは思えない回避性能を見せた。  魔物を追い詰めるのは得意でも人を追いかけるのは得意ではない。俺にとって追い詰めるイコール攻撃なのだ。そして、俺とアメリアのレベル差ならば素手でも余裕で殺してしまうし、全力で身体能力を発揮すればこんな宿の床など簡単に踏み抜けてしまう。  それでも、身体能力の差は埋められない。  ひらりひらりと躱すアメリアを壁際まで追い詰め、その腕を掴まえる。  ようやく追い詰めたぞ。この酔っぱらいが……  状態異常回復神法を掛けるべくその頭に腕を伸ばしかけた所で、しかし不意にアメリアがびくりと身体を震わせた。  手を止める。顔が上がり、こちらを見上げてきた。その眼のあまりに鋭さに思わず手が止まる。頬はまだ赤いが、酔っ払っているとはとても思えない表情。  そして、いつもと同じ感情のこもらない声で言った。 「……アレスさん……藤堂さんたちがどうやらヴェールの森に侵入したようです」  ……まだ酔いを飛ばしてはいないはずなんだが……。  そのあまりの切り替えの早さに一瞬、呆気にとられるが、その言葉の内容はそれ以上に衝撃だった。  藤堂が……ヴェールの森に? いやいやいやいや。  脳がその言葉を理解するのを拒絶する。おかしいだろ。ヘリオスを通じて今後の動向については伝わってきている。ゴーレム・バレーに向かう。俺が村長を通して藤堂たちに伝えた通りである。  藤堂たちが教会に嘘をつく理由はなく、またその意味もないはずだ。よしんば、途中で心変わりしたとしても、ヴェールの森に向かうなどありえない。村長から立ち入り禁止を伝えられているはずなのだから。  眉を顰め、アメリアの表情をじっと見つめる。が、嘘などと書いてあるわけもない。  尋ねる。なるべく平静を装うが、声が低くなってしまう事は止められなかった。 「何故だ?」  「……グレシャの言葉は要領を得なくて理由までは……」 「……チッ」  思わず舌打ちが出た。  何故あいつらはこう、うまい事動いてくれないのだ。森は危険だって言ってんだろ、くそがっ!  腕を離し、乱暴に椅子に座る。  焦りは禁物だ。既に森に入ったと言った。今から追いかけても森に入るまで一時間はかかる。  酒瓶を握り、一気にラッパ飲みする。アルコール特有の熱が喉を通り抜けるが、些かも苛立ちを紛らわせては暮れなかった。  前の席に行儀よく座ったアメリアが謝罪する。 「すいません……もっと早く連絡を取っていれば……」  壁の時計を確認する。まだ事前に決めた定期連絡までは数時間がある。  瓶を置いて、唇を手の甲で拭る。 「謝罪は不要だ。むしろ、この段階で気づけてよかった」 「少し不安だったので……」  欲を言うならば向かい始めた時点で気づけていれば更に良かったが、過ぎた話である。  というかこいつ、べろんべろんに酔っ払っていたんじゃ……。  じっとアメリアを見つめるが、すました表情であった。オンとオフの切り替えが激しすぎるぞ、おい!  言いたいことはいくつもあったが、それらは全て後回しにする。今は仕事だ。  グレシャから聞き取りを行った時のことを思い出しながら一つ一つ確かめながら言葉に出した。  まずすべき事は安全性の確認。俺が森から藤堂たちを遠ざけたのは極端に危険だったからではない。少しでもリスクを落とすべきだと考えたためだ。 「グレシャが追い出されたのはヴェールの森でも特に深部、グレイシャル・プラントが生息している地点のその最奥だ。ヴェールの森は広大だ。藤堂たちが侵入した所でグレシャを追い出した悪魔と遭遇する確率は低い」 「グレシャを森の浅い層まで追い立てた理由がまだ判明していません。前回のグレイシャル・プラントが現れたのも同じ原因だとするのならば、理由があるはずです」  その通りである。だからこそ俺は万が一を考え、ヴェールの森でレベル上げをさせるのを諦めたのだ。  グレシャを追い出した悪魔が魔王の手の者だったとするのならば、面倒な事になる。レベルを上げている最中に遭遇してしまえば勝ち目は薄いし、逃がしてしまえば勇者の居場所がバレてしまう。 「藤堂の目的が知りたいな」  レベル上げが目的ならまだいい。迂闊に深部に向かったりはしないだろう。  だが、ありえないとは思うが、悪魔を討伐しに立ち入ったとするのならばリスクは桁違いに上がってしまう。そもそも、藤堂たちのレベルでは森の深部に出てくる普通の魔物ですら危険なのだ。  俺の言葉に、アメリアが深くため息をついた。 「……今わかる状況はグレシャがお腹が空いているという事だけです」 「そんな事どうでもいい」 「お腹が空いているとしか言わないんです」  まさか恫喝が足りていなかったのか? 腕の一本でも潰して見せねばならなかったのか?  ……まぁいい。大きく深呼吸をして気を落ち着ける。今考えても仕方のない事だ。冷静に対応せねばうまくいくものもうまくいかない。前を見なくては。  と言っても、選択は一つしかない。  本来討伐を担当してもらうはずだったグレゴリオが派遣されてくるのもまだ先だし、そもそもあいつと藤堂を会わせてはならない。きっと面倒なことになる。 「万一を考えて森に入る。単純にレベル上げだったらそれはそれでよし。いざという時は俺が悪魔を殺す」 「了解しました」  打てば叩くアメリアの反応。素晴らしいのは素晴らしいんだが、酒乱時の反応とギャップがありすぎてちょっと引く。  俺は一度咳払いをして、アメリアに言った。 「……一応、わかっているとは思うが、アメリアはここで待機だ」 「……何故ですか?」  アメリアが俺を非難でもしているかのような目つきで僅かに首をかしげる。  わかっていないのか。足手まといは……いらないのだ。  俺の戦闘スタイルは単純である。身一つで敵陣につっこみ、補助魔法による身体能力の強化とヒールによる回復力を有効活用しつつメイスでぶん殴る。敵陣につっこむ以上、アメリアがいた所で意味がない。補助魔法も回復魔法も基本、接触を必要とするのだ。また、彼女の使える神聖術は俺が使える。  勿論、機嫌を損ねられると面倒なので正直に言ったりはしない。 「俺の戦闘スタイルはソロに特化している」 「つまり、私は足手まとい、だと」  ……こいつ、俺があえて言わなかった事をはっきり言いやがった。  彼女は優秀でも所詮プリーストの域を出ない。レベルは高くとも戦闘経験はそれほどないだろう。レベルはまぁ高いが、魔族相手では心もとない。プリーストは本来前衛がいてこそ生きてくる職なのだ。そして、俺は他者を守る事に慣れていないしそのための技術も持っていない。  さて、どう説得すべきか……。  アメリアは俺の眼をじっと見つめると、そのまま表情を変えずに続けた。 「そもそも、アレスさん、たった一人、あの広大な森の中でどうやって藤堂さんたちを発見するつもりですか?」 「感覚を集中すれば藤堂たちの気配はわかる」 「限界があるのでは? 私の魔法ならばアレスさんの数十数百倍の範囲を探れるかと」  確かにその通りではある。  気配察知は専門ではない。俺の感知はただレベルの高さに任せたものだ。専門の訓練を受けた斥候や魔法の力には大きく劣る。  唇を舐め、目を細めてアメリアの方を睨む。万全を期すのならばアメリアを連れて行くべきだ。だが、彼女をもしこの森で失ってしまえば今後のサポートで苦労する事になるだろう。人員は貴重だ。ステファンが派遣されてきた暁にはアメリアに教育を任せるつもりでもあった。  彼女が側にいればどうしても守らなくてはいけなくなる。相手に知性があればその弱点をついてくる事だろう。これは経験上、ほぼ間違いない。  果たして守り切れるのか? 聖勇者とアメリアでは人としての価値には大きく差異があるが、個人的な感情とはそれとはまた別……。  俺の迷いを感じ取ったのか、アメリアが小さくため息をついた。そして、顔を上げて、はっきりと言った。 「アレスさん、私は……死んでもいい覚悟でアレスさんのサポートに立候補しました」  その言葉には一切の迷いがない。  ……自分の命は気にするな、という事か。  何が彼女をそこまで駆り立てるのか。使命感というわけでもないだろうに。  だが、そうだな。そこまで言われてしまえば連れて行かざるをえない。彼女の決意を無駄にする事になる。  何より、この旅はまだ始まったばかりだ。魔王側もレベルのアベレージの低いこの村の近辺に強力な魔族を派遣したりもしないだろう。なるべく後方支援に置くつもりだが、アメリアもいずれ戦闘に巻き込まれる可能性は高い。  最後に強く睨みつけるが、アメリアの表情は変わらない。 「……いいだろう。ただし、命の危険を感じたらすぐに逃げる事。俺の事は気にしなくていい。俺の神聖術は……お前より上だ」 「分かりました」  その即答が不安になるんだよ! 本当にわかってんのか、こいつは。  勇者の命は重いがアメリアの命だって重いのだ。俺は英雄じゃない。俺にできる事は多くない。  俺に出来る事は……祈る事とぶん殴る事だけだ。 「アメリア、ヘリオスに連絡を。ランナー・リザードが用意されているはずだ。ちょっと早いが取りに行くと伝えてくれ。俺は枢機卿に現状を説明する。十分後に出発するぞ。準備しろ」 「了解しました」  幸いな事に、夜には立つ予定だったので準備は既にできている。  ふと気づき、まとめられた旅装の中から使う予定のなさそうだった仮面を取り出した。少し迷い、懐に入れる。  ただ顔を隠す事しか出来ない仮面一枚だ。対面してしまえばバレてしまうだろうか? 会話はしない方がいいだろうが、一度藤堂をぶちのめして身の程を知らせてやりたいものである。  勿論、聖勇者を崇拝する教会からしてみれば許される事ではないだろうが。 page: 39 第三十三レポート:勇者一行を追跡せよ  体長はおよそ二メートルと半。滑らかな山吹色の鱗に地面を強く掴むための鉤爪。背には馬に使う倍以上大きな専用の鞍が設置されている。  馬よりも一回り大きく、一般的な蜥蜴種と比較すると僅かに小さいそれは人間が騎乗用に交配を繰り返した種であった。大きく見開かれた深緑の目がぎょろぎょろと辺りをせわしなく観察しており、喉の奥からはぐるぐるという唸り声が響いている。  教会の入り口付近に繋がれたその珍しい生き物に、傭兵たちが遠巻きに様子を窺っていた。  騎乗蜥蜴は高級品だ。馬よりも利便性が高いが馬よりも数が少なく値段が高くそして、操作が難しい。  側で手綱を握り、気性の荒いそれを宥めていたヘリオスに声をかける。 「準備は万端のようだな」 「ここは魔物の多いヴェールの森の近くですから、備えくらいあります。尤も、使うのは初めてですが」  肩を竦め、神父がいつもと同じ薄い笑みを浮かべる。  準備は事前にされていたのだろうが、予定よりも遥かに早い要請に答えてくれたヘリオスには頭が上がらない。  リザードがこちらに気づき、大きく身体を左右に震わせる。まるで威嚇でもするかのように高く唸り声をあげる。他の蜥蜴種と比べれば懐きやすいが、馬と比べたら人に懐きづらい。それもこの生き物が一般にあまり流通されていない理由であった。乗りこなすには日頃から世話をして慣らすのが推奨とされる。 「リザードの騎乗経験は?」 「ある。問題ない」  ヘリオスの手から手綱を受け取る。だがしかし、本来は慣らさなくてはならないが、レベルが高ければ話は別だ。  手綱を受け取った瞬間、リザードが大きく嘶いた。こちらを遠巻きに見守っていたギャラリーがぎょっとしたように一歩後退る。  が、俺が何も言わずとも、すぐにリザードは大人しくその場で伏せをした。  ランナー・リザードは人に慣れにくいが、上位者に忠実だ。大体レベルが60もあれば初対面のリザードでも言うことを聞くとされている。  ヘリオスが感嘆するかのようにため息をついた。 「……お見事です」 「ただのレベル差だ」  レベルさえ上げれば誰だって出来る事だ。複数の加護を持つ藤堂ならばもっと低レベルでも操れるようになるだろう。尤も、疲れ知らずの魔法の馬車に勝る移動手段などそうは存在しないはずだが……。  大人しくなったリザードにアメリアが荷物を載せていく。頑強とはいえ、人二人に追加で荷物を載せるのだ。リザードの体力は無限ではないのでそれほど量はない。 「連絡はアメリアの方から随時入れる」 「承知しました。……本来、来るはずの異端殲滅官の方は?」 「不要になるかもしれないが、今後の方針は勇者の動向を観察して決める。予定通り三日後……いや、もう二日、か。二日後に到着するはずだ。それまでにはどうするのか決められるだろう」  もしも藤堂がすぐに森から離れるようならば、こちらも悪魔には手を付けずにそれを追跡するつもりだ。俺たちにとってヴェールの森の異常解決の優先度は高くない。  リザードの頭、冷ややかな鱗に手の平で触れ、祈りを捧げる。  補助魔法特有の光がその身を包み込む。筋力、敏捷、耐久の向上。これで少しは差が縮まるはずだ。  蜥蜴の瞳孔が大きく開く。唸り声が多少大きくなるが、能力が向上しても敵わないと悟ったのか、すぐに再び大人しくなった。  そう。それでいい。余計な手間をかけさせるな。そんなの、勇者だけで十分だ。  ヘリオスが僅かに目を見開き、尋ねてくる。 「……このような所で神力を無駄に使用してもよろしいので?」 「ベストは尽くす。これ以上面倒事はごめんだ」  節約していざという時に間に合わなかったら今までの苦労が水の泡だ。あまり気の進む仕事ではないが、仕事である以上手を抜くつもりはない。  軽く地を蹴り、鞍にまたがる。視線が高くなる。騎乗蜥蜴の脚力はただでさえ馬よりも強力だ。速度もかなり出すことになる。揺れは相当なものになるだろう。いくらレベルが高くてもそれだけはどうしようもない。  荷物を積み終えたアメリアの方に手を差し伸べ、注意する。 「完全に酔う前に自分に神聖術を使え。万が一吐きそうになった時は吐く前に言え。降ろす」 「……アレスさんは一体私を何だと思っているんですか……自慢じゃありませんが、私乗り物には強いタイプです」  お前、酒の時も同じ事を言ったな!?  アメリアの手を握り、一気に上に引っ張り上げる。  ちゃんと後ろに座ったのを確認し、最後にヘリオスの方に向き直る。何を話すか迷い、一言だけ言った。 「世話になったな」 「こちらこそ、勉強させて頂きました」  ヘリオスが仰々しい動作で礼をする。  問題を起こしそうな奴が問題を起こさず、起こしそうにない奴が起こす。初対面時は随分癖のある男だと思ったが、蓋を開けてみればこの通りだ。人間、なかなかどうして見た目には寄らないものである。 「アズ・グリードの加護があらん事を」 「……ああ」  と言っても、アズ・グリードの加護を持つ藤堂があれなのだ。もはや信仰もへったくれもあったもんじゃない。  脳裏に浮かびかけた考えをため息で打ち消し、俺は手綱を引いた。 §§§  ヴェールの村から森までは草原が広がっている。  準備してもらったランナー・リザードは健脚だった。  大地を穿つ音と凄まじい揺れ。代わり映えのしない景色が凄まじい勢いで流れていき、風が強く身体を打つ。  蜥蜴に乗るのは初めてだろうに、アメリアはしっかりと俺の体を掴み、悲鳴一つあげない。俺が影になっているとは言え、大した根性である。 「アメリア、奴らが今何処にいるのかわかるか?」 「……はい。森の、本道を、歩いている……ようです」  つっかえつっかえ出される声。  ……こいつ、本当に大丈夫か?  酔っ払った時も思ったのだが、アメリアはどこか大言を吐くことがあるようだ。通話越しにやり取りしていた時はいつも冷静で完全無欠な印象だったが実態は違うらしい。言動には注意を払う必要があるかもしれない。  やばそうだったので、無言で神聖術をかけた。こういう時に、自分がプリーストでよかったと思うのだ。  体力、状態異常の回復ができればいくらでも動けるし動かせる。  アメリアがゆっくりと身を起こす気配がする。  まるで言い訳するように言った。 「……嘘ではないんです。酒に強いのも乗り物に強いのも」 「そうか」 「ただ……ちょっとこれは予想外というか……内蔵が毎秒毎秒かき回されているような……」  上下の動きが凄まじいからな……俺にも経験がある事である。別に責めるつもりもない。  黙っていると、俺の言いたい事を察したのかゆっくりと言葉を出し始める。まるで空気中に波紋が発せられたかのような奇妙な気配が脳髄を揺らす。近くで探知系の魔法が行使された際に感じられる独特の気配だ。 「……ヴェールの森本道のちょうど半分くらいの地点です。特に戦闘の気配などはありません」 「グレシャと会話出来るか?」 「……この速度で移動しながらでは無理です。通話には通話相手の居場所の探知と通信の二工程が必要とされますが、この速度では相手の居場所を確定出来ません」  通信魔法は発展途上の魔法だと聞いたことがある。制約があるのも致し方無い。  魔力は有限だ。問題なさそうであるならば節約させた方がいい、か。  しかし、逆に言うのならば探知魔法の使い手が二人いれば交互に休ませ常時使わせる事も出来るかもしれない。ステファンの派遣を申請したのは間違いなかった。  言葉を選び口を開く。 「グレシャが追い出されたのは夜だ。そもそも、魔族も夜行性が多い。昼間に遭遇する可能性は低いだろう」 「……まるで自分に言い聞かせているかのように聞こえます」  変な所で鋭い女だ。 「気休めだが、そう思っているのは本当だ。だが、最終的には藤堂の運にかかってくるな」  何時どこで何をやってもおかしくない。何を引いてもおかしくない。  全体的に何をしでかすかわからない男だ。確率は低いが魔族と遭遇する可能性だってある。そもそも、歴史書に残る英雄は皆すべからくそういう運命力とでも呼べる力を持っているものだ。厄介なことこの上ない話である。 「最悪、藤堂さえ生きていればリカバリは可能だ。グレシャはともかく、リミスもアリアも言葉だけならば奴を守るつもりのようだった。レベルは低いが囮くらいにはなるだろう」 「抗議が来るのでは?」  それこそ知った事ではない。俺は表向き既に追い出されているのだ。  村からヴェールの森まではそれほど距離がなかったこともあり、リザードを駆る事一時間弱、森の入り口が見えてきた。  いつもは傭兵のグループが何個かいてもおかしくなかったが、入り口の周囲には誰もいなかった。  街の出入りを一時封鎖するという話と森を閉鎖するという話は、藤堂たちを次の街へ向かわせるための嘘だったが、危険な魔物が出現するという話は既に傭兵たちに通達されている。彼らはリスクに敏感だ。いや、敏感でなければその業界では生き残れない。彼らが求めているのは冒険ではなく地位と名誉である。よほどの理由がなければ未知の危険に挑もうとはしないだろう。  本道はそれなりに広いが、ランナー・リザードでは樹々の生い茂る中、入ってはいけない。藤堂たちも徒歩のはずだ。途中で放棄するくらいならば、森の外に置いていった方がいい。  ふらつくアメリアを下ろし、ランナー・リザードを入り口のすぐ隣までついていく。紐でつなぎ留めたりはしない。馬ならばともかく、リザードの筋力ならば魔法の鎖でもなければ引きちぎられてしまう。力を込めて命令する。 「待て」  瞳孔が狭まる。数秒後、落ち着いたようにリザードがその場で伏せた。賢くプライドが高い。首筋をぽんぽんと叩いてやる。 「荷物はどうします?」 「持っていく」  この森の浅層に生息する魔物くらいならばランナーリザードに勝てる者はいないはずだが、気まぐれな傭兵たちが通るかもしれない。盗まれたら事である。そういう所で傭兵を信頼してはいけない。嵩張るがやむを得ない。戦闘の時だけ下ろせばいいのだ。  アメリアが下ろし、背負おうとした一番大きく重いリュックを取り上げ、背負う。食料から野営の道具。戦闘に扱う武具など全部含めると相応の重量はあるが問題はなかった。藤堂に与えられた収納の魔導具が欲しいが、あれはとんでもない貴重品だ。教会のバックアップを受けても手に入らなかった  リュックを取り上げられたアメリアがむっとしたように言う。 「私でも持てます」 「森を歩いた経験は?」 「……ありません。この間、藤堂さんに付いて歩いたのが初めてです」 「55までどこでレベルを上げた?」 「地下墓地のアンデッドです」  屋内と屋外では勝手が違う。俺は慣れている。慣れているのだ。この程度、大した負担ではない。  俺にとって最も困るのは途中で倒れられた時である。すぐに使える聖水の類などが入った小さなリュックを指す。 「そっちを持ってくれ」 「……敏捷性が損なわれるのでは?」 「俺に必要なのは敏捷性じゃなくて耐久と筋力だ」 「アレスさんは少々過保護かと思います」 「そんなに背負いたいなら余裕のある時に背負わせてやるよ」  過保護ではない。優しさでもない。ただの効率の話だ。  アメリアは諦めたように俺の刺したリュックを手にとった。役に立ちたいという気持ちはありがたいが、人には適性があるのである。 「代わりに定期的に居場所を教えてくれ。その分神経を割かなくて棲む。できれば常に先回りするように動きたい」 「わかりました」  アメリアが頷くのを確認し、視線を背け森の入口に向ける。  時計を確認する。まだ日が沈むまでは時間があるが出来るならばそれまでに状況を解決したい。無理か。 §§§  藤堂たちの居場所がわかるのは大きなメリットだった。アメリアの探知魔法は数十キロ離れた場所からでも藤堂たちの居場所をはっきりと捉える事ができた。  時々探知魔法を使って藤堂たちの居場所を確認しながら、森の中を早足で進んでいく。今の所藤堂たちは整備された道を進んでいるらしい。  道なりに出てくる魔物は少ない。レベルを上げに来たのならば道を外れ、森の中に入っていかなくてはおかしい。嫌な予感がする。  眉を顰め、思考を巡らせながら、現れた|樹木の悪精に強く握りしめたメイスを叩き込む。本気を出すまでもない。俺がまだ齢十の頃でも倒せた魔物である。風のざわめきにも似た悲鳴を上げると、枯木に似たその身体は吹き飛び、ただの命の宿らぬ木切れとなった。習慣で二度三度メイスを振り、手応えを確認する。 「……プリーストとは思えぬ手際ですね」 「アメリアでもこの程度の魔物には遅れは取らないだろう。レベル55ともなると、この程度の魔物ではいくら倒してもレベルは上がらないだろうが」  言い方は悪いが殺しは俺の専門である。長くレベルを上げてきた。異端を殲滅してきた。僧侶の中には殺しに慣れていない者も少なくないし、中には退魔術が効く不死種系の魔物しか倒せない者もいるが俺は違う。    魔獣だろうが不死種だろうが悪魔だろうが邪精だろうが、竜だろうが――例え人間だろうが、相手をするのに躊躇いはない。いや、そういう者しかクルセイダーにはなれないのだ。  慣れれば探知魔法を使われた際、その気配を感じ取る事もできるが、藤堂たちではまだ無理なのだろう。勇者一行の反応に異変はない。相手も早足とは言え、こちらは明確な尾行である。魔物が現れた際の戦闘にかかる時間の差異もあり、少しずつ距離は縮まっていった。  違和感に気づいたのは森に入って十回目の戦闘が終わったその時だった。  下位の魔狼をメイスで撲殺し、メイスについた血を払うと、軽く腕の筋を伸ばす。後ろについてきたアメリアに振り向いた。 「……魔物が多すぎるな」 「魔物、ですか?」 「入ってから既に戦闘は十度目だ。本道を歩いているのにこの数はおかしい」  魔物避けの対策が完璧になされているわけではないが、狩人の頻繁に通る人工的に作られた道は魔物に嫌われている。  今の所、深層の魔物は現れていないが、もしかしたらグレイシャル・プラントと同様の他の魔物も縄張りを追いやられている可能性がある。  瞼を軽く綴ると精神を集中し、感覚を研ぎ澄ませる。闇の眷属の気配は――ない。  唇を舐める。偶然か? 確かに、偶然何度も戦闘が発生している可能性もなくはないが、万一の事を考えるべきだ。  そろそろ藤堂たちの進行方向を先回りした方が良いかもしれない。万が一、悪魔が現れたとしても俺が相手を出来る。 「道を逸れる。先回りするぞ」 「はい」 「進行速度をあげる。疲労は?」 「大丈夫です」  どこまで本当なのか……いや、信じよう。信じるしかない。レベル55ならばまだ大丈夫なはずだ。  彼女は自分からついてきたいと言ったのだ。先ほどアメリアは俺に過保護すぎると言ったが、遠慮は不要か。  アメリアも馬鹿ではあるまい。無理ならば無理というはずだ。  最悪倒れたら背負って行けば良い。 「探知を展開しながら歩けるか?」 「……はい」 「限界時間は?」 「……一時間くらいなら問題なく。魔力の回復薬も持ってきているのでそれを使えばもう少し持ちます」  一時間か……短いな。  魔力の枯渇は意識の喪失を意味する。通話も必要となる可能性があるし、常時展開は現実的ではない、か。 「なら、常時展開はいい。定期的に大物がいないか確認してくれ」 「わかりました」  アメリアからの了承を得て、道から一歩外れる。その時、ふと一つ思いついた。ヴェールの森に生い茂るのは樹齢の高い太い木が多い。  ダメ元でアメリアに尋ねる。 「地面を歩くより木の上を飛び回った方が速度を出せる。可能か?」 「……アレスさんは私を何だと思っているんですか?」  やはり無理か……。 page: 40 第三十四レポート:目標を補足せよ  生い茂る樹々、獣の足跡しかない大自然の中を背の高い草や飛び出した樹の枝を薙ぎ払いながら黙々と歩く。  風と樹々の影になっているおかげで気温は高くない。それだけが幸いだった。同行者の体力だけが懸念点だ。例えレベルが高かったとしても、足場の悪い道を歩くには慣れがいる。障害物はなるべく廃しているが、疲労の蓄積は避けられない。  日は傾きかけている。後二、三時間もすれば完全に沈むだろう。藤堂たちはちゃんとキャンプを張るだろうか。夜間に森の中を散策する程馬鹿だとはあまり考えたくない。  藤堂を追って森の奥に入っていくにつれ、傾向が変わっている事に気づく。  本道に普段以上の数の魔物が現れた先ほどとは逆に、出現する魔物の数が減っているのだ。  おかげでメイスを振るう回数は減っているが、嫌な傾向だった。本来この近辺を縄張りにしている魔物が浅部まで追いやられている可能性がある。経験上、大抵こういう時は面倒な事になるのだ。  足を止め、苛立たしげに地面を強く踏みつける。  広範囲に殺意を放てばターゲットをおびき寄せられるだろうか? いや、リスクが高すぎる。藤堂たちにも気づかれてしまうだろう。焦りは失敗を生む。堅実な方法を捨てるべきではない。まだ状況は決して致命的ではないのだ。 「アメリア、藤堂は?」 「三キロほど先です」 「三キロか……追いつけるな」  早足で進んだかいがあった。僅かに頬を紅潮させながらも、アメリアの口調からはまだ余裕があるのが感じられる。日が暮れる前に追いつけそうだな……。 「あ――アレスさ――」  アメリアが声を上げかける。  後方上空より舞い降り襲いかかってきた一メートル程の蝙蝠型の魔獣を半ば反射的にメイスで叩き潰す。骨を、肉を破壊する独特の手応え。地面に潰れ絶命したそれをぐりぐりと靴底で踏み潰し、短く息を吐く。  気配を潜めているせいか、本来寄ってこない雑魚が寄ってくる。この手の魔物は個々の特性にもよるが、基本的には自分より上の存在には襲いかかってこないものだ。今回現れたという悪魔の特性が不明である以上、気配を潜めるのは仕方ない事とは言え、弱い者いじめでもしているようであまり気分が良くない。魔物を殺した事で存在力が極々僅かに流入してくるが、今更何の足しにもなりはしない。  アメリアの方を振り向く。 「何か言ったか?」 「……いえ……何でもありません」 「でかい気配はあるか?」  俺の問いに、アメリアが目を瞑り、魔法を行使する。探知の魔法を扱えない俺にはどのように知覚しているのか、出来るのかは分からないが、グレイシャル・プラントに匹敵する気配はこの森ではそうそうないはずだ。  やがて、アメリアは瞼をゆっくりと開いて小さく首を横に振った。 「……森の奥の方には何体かいますが、それがターゲットかまでは……」 「悪魔の気配は?」 「ないですね……闇の眷属の気配ならばわかるはずです」  ヴェールの森の最奥にはグレイシャル・プラントを始めとした亜竜クラスがゴロゴロしていると言われている。もともとこの森に生息していた魔物なのか判断が付かない。  少し考えてみたが、とりあえずは藤堂の追跡を優先する事にした。さすがに森の奥には行かないだろう。今の藤堂には命がいくらあっても足りない。いくらあっても足りない。行くなよ。絶対行くなよ。クソがッ! 「対象が闇の眷属でない可能性も低くない。魔王の配下には知られているだけでも何人かその手の者がいたはずだ」 「森の奥でもともと生息していた魔物がグレシャのように偶然進化してグレシャたちを追い立てた可能性は?」 「……ないとは言えないな。さすがにもともと生息していた魔物に追い出されたのならばグレシャもそう言ってくると思うが……」  偶然。ただの偶然。とても巡りあわせの悪い偶然である可能性もある。俺としてはそれを祈るばかりだが、行動しないわけにもいかないし、今議論しても仕方がない。  邪魔するものを粉砕しつつ森の中を進む。時には地図を確認し、時にはアメリアに藤堂の位置を確認してもらいながら。幸いな事に、魔物こそ何体も現れたものの、この地の適性の魔物であり、障害とはならなかった。  藤堂の気配探知の能力はまだまだ低い。藤堂一行から一キロ程先を歩く事にした。この距離ならばアメリアの力を借りなくとも、大まかな気配は察知できる。  久しぶりの行軍で疲労しているのか、藤堂たちの進行速度は少しずつ鈍くなっている。時たま十数分程度の休憩も入れているようだ。  人間は男性の方が身体能力が優れており、女性は魔術的素養に秀でる傾向にある。近接戦闘職であるアリアや男である藤堂はともかく、魔導師であるリミスの体力はかなり低い。神聖術で疲労を飛ばしてやらなくては限界はすぐにやってくるだろう。レベルさえあればある程度カバー出来るが、リミスのレベルは17、彼らのパーティでは最弱である。  藤堂たちの動きが再び止まり、俺たちもそれに合わせるように立ち止まる。  アメリアが僅かに荒くなった息を整えながら、背を木に預けた。 「……鈍ってますね」 「仕方のない事だ。戦闘に参加せずとも、歩き続ければ疲労はする」  お嬢様だとかそういう話ではなく、これは全てのハンターが経験する事だ。  逆に慣れていないはずなのに弱音一つ吐かずに何時間も森を歩けるアメリアの方がかなり稀有であると言えるだろう。  水筒を放ると、アメリアは慌てながらも上手にそれをキャッチした。  キャップを外しながら、アメリアが憮然とした様子で俺を見る。 「……アレスさんは、疲労は?」 「俺の身体は頑丈だし、慣れてる」  といっても、疲れないわけではない。疲労を我慢できるだけだ。  だが、この程度ならば特に問題ない。  疲労が頂点に達したのか、藤堂たちが動く気配はない。  腰に下げていた袋から森の地図を開く。藤堂たちの進行方向、この先に水場がある。間もなく日も暮れる。夜間行軍をしないのならばそこでキャンプを張る可能性が高いだろう。今から森を出る可能性もなくはないが、疲労を考えるとあまり良い手ではないのは彼らもわかっているはずだ。  できればグレゴリオが突入してくる前に引き上げたいものだが……。 「グレシャからの情報は?」 「……お腹が減っているようでして……」  アメリアに尋ねるが、返ってくる回答は先程から全く変わらない。  使えねえ奴だ。後でもう一度説得する必要がありそうだな。   §§§  果たして、藤堂たちはキャンプを取る事にしたらしい。  藤堂たちが止まったのを待って、俺たちも寝床を定める。藤堂のキャンプ地から一キロちょっと離れたやや開けた場所。魔法の馬車を使えばいい藤堂たちとは異なり、こちらは手間を掛けてキャンプを張らねばならない。雨が降っているのならばテントを張ったほうがいいが、幸いな事に天候は良好だし、地面で寝ても問題ないだろう。  獲物を狩るためか、藤堂とアリアが森の中に入る気配がする。  リミスとグレシャだけ野営地に残された。結界もまだ張っていられていない、不用心な事だ。  俺は、無言でリュックから聖水を一瓶取り出し、地面にぶちまけ、藤堂たちのキャンプ地まで範囲に入るよう調整して結界を張った。本来ならば自分たちでやらせるべきだが、状況が状況だ。いざという時のため、無駄に体力を消費させるわけにはいかない。  俺の役割は藤堂たちの魔王討伐を――サポートする事なのだから。  地面に落ちた枝葉や石の類を避けていたアメリアの方を向く。 「夜間の見張りは俺がやる」 「え……いや――」  反論しようと口を開きかけるアメリアに強く言う。  慈悲をかけているわけではない。これは適材適所だ。俺はなるべく効率的にコストを減らし多くの成果を得る必要がある。 「心配は不要だ。一晩や二晩寝なくても問題はない。アメリアには明日も探査魔法を使ってもらう。今日は休むといい」 「……」 「この距離ならば俺でも状況が手に取るようにわかるし、アメリアが見張りをやるとなると夜間にも魔法を使う事になる。いざという時に使えないと困るんだ、こっちは」  魔力の回復は活動時より休眠時の方が遥かに大きいし、神聖術に魔力を回復させるものがない以上、無駄に使わせるわけにはいかない。  アメリアの目をじっと見る。平静を装っては居るが、その容貌にはいつもと比較して明らかに疲労が見えていた。  レベル55。レベルは大きな指標ではあるが、それ以外の要素がないわけではない。経験が全く力にならないわけではない。彼女は俺の要求に十分に答えてはいるが、百戦錬磨と魔物狩りと比較するとまだまだ脆いのだ。  その事実を、自らの状態を正しく理解しているのだろう。アメリアが諦めたように頷いた。 「……分かりました。……途中で何かあったら起こしてください」 「ああ」  言われなくても、その時が来たら容赦するつもりはない。  野営の準備が終わるのとほぼ同時に日が沈んだ。森の中が濃い闇に包まれ、魔物の気配が活発になる。  なるべく証拠は残さない方がいい。ビスケット状の携帯食料で飢えを満たす。結界を張ったため、付近に魔物の気配はない。少しでも藤堂たちとアメリアが体力を回復出来ればいいのだが……。  森の中は確かにいつもとは異なっていたが、今の所、大きな異常は見られない。  先ほどまで起きていたアメリアが樹を背もたれに目をつぶり、うつらうつら船を漕いでいる。油断はできないが藤堂たちも夜に野営の場を離れる事はないだろう。  結局、今日は何も起こらなかったな……固くなった腕、足の筋を伸ばし、ほぐしている所――俺の感覚に大きな気配が引っかかった。  顔を上げ、樹々の向こう、闇の中をじっと見つめる。感覚を集中する。五感を研ぎ澄ます。  いる。見えないが間違いなくいる。肌を撫でる魔物の気配に、唇を舐める。  眉を顰め、ゆっくりと立ち上がる。闇の眷属の気配ではない。だが、この辺りに出現するような小物の気配でもない。耳を澄ますが、鳴き声の類は聞こえない。ただ、夜の帳が降り、ざわつき始めた森の中が少しだけ静かになっている。  距離はまだ遠い。俺の探知領域のぎりぎりだ。この距離では何の魔物が現れたのか、種類も何もわからない。ただ、その気配がやってきたのは幸いな事に森の奥からだった。俺よりも先に藤堂たちが遭遇する事はないだろう。  座ったまま静かに眠りに入っているアメリアを見る。  先ほどのアメリアの言葉を思い出す。詳細はわからないが、敵の気配は予想よりも小さい。一人でも殺せるはずだ。  なるべく声を潜め、アメリアを起こす。 「アメリア」 「……ん……」  僅かにどこか艶めかしい声をあげると、一度身じろぎしてアメリアが半分瞼を開いた。  一人で殺せる。殺せるが、アメリアの仕事は俺のサポートである。可哀想だが、万が一を考えると寝かしておくわけにはいかない。 「大物が出た。今から討伐する。通信を繋げ。状況は適宜報告する」 「……ッぁ!? ……はい。わかりました」  闇の眷属ではない。退魔術は通じない。これが目的の者かわからないが、ヘリオス一人に任せていたら苦労していた事だろう。尤も、俺にとってみればどちらにしても同じ事だ。  眠りから覚醒したアメリアがふらふらと立ち上がりかける。それを手の平で止める。 「アメリアは来なくていい。いざという時に備えてここで待機だ」 「え……?」 「俺一人で十分だ。これは上司としての命令だ。アメリアの役割は他にある。わかるな?」  もしも万が一、俺が負けた場合、彼女には藤堂たちに状況を知らせ何としてでも逃がすという役目がある。逃走が成功する確率は高くないが……。  俺の言葉に、アメリアが眉根を歪め、僅かに震える声で聞く。 「私は足手まといですか?」 「違うな。これはただの役割の差異だ。アメリアが探し、俺が殴る。それがアメリアのすべきサポートだ」  即答する。  相手が退魔術の効く相手ならば戦わせてみるのも悪くないが、今現れた魔物が相手ではかなり分が悪いだろう。  俺の断言に、アメリアが唇を噛んだ。 「私も……戦えます」 「……」  戦えるかどうかではない。戦う必要がないのだ。彼女の力が必要だったら、俺は彼女の力を躊躇わず借りる。  どう説得していいものか。アメリアの表情を眺めながら考えていると、 「……が、今回はアレスさんの命令に従います。私はアレスさんに迷惑をかけるために来たわけではないので」 「……助かる」  なら初めからそう言えよ、という言葉を飲み込んだ。彼女の性格には慣れるしかない。  一直線で近づいてきているわけではないが、気配は少しずつこちらに近づいてきている。まるで辺りの気配を窺うように慎重な歩み。音はない。気配も薄い。風上にいるせいで匂いもしない。メイスを持ち上げ、数多の獣を貫いた棘を撫でる。戦闘の気配。それだけで腕に力が漲ってくる。  アメリアが不意に背伸びをして、手の平で俺の頭に触れた。手の平が強く発光し、闇をしばし切り裂く。  神聖術。中級の――第三階位の補助が掛けられる。身体能力が大きく上昇するのを感じる。 「神力は節約した方がよろしいかと」 「……ああ」  すぐに身体を離し、そう嘯くアメリア。  できれば、藤堂たちに何かあった時のために取っておいて貰ったほうが良かったが、好意にそう返すのも野暮だろうか。  リュックは置いていく。そう長くはかからないだろう。 「じゃあ行ってくる。通話は繋いだままにしてくれ。適宜状況を報告する。問題は?」 「当然、ありません」 「藤堂に何かあったら知らせてくれ。問題は?」 「勿論、ありません」  魔力は回復したか。  顔色も休憩前よりは良くなっている。まぁ、仮に途中で通信が途切れた所で俺が問題なく殲滅すればいいだけの話だ。  メイスを軽く二、三度振り、加減を確かめる。疲労はない。気分も悪くない。例え相手が魔族だったとしても十分戦えるだろう。加減を確かめる俺に、アメリアが頬を少し緩め、まるで冗談でも言うかのように聞いた。 「無理そうだったら逃げ帰ってきて下さい。アレスさんに死なれると私が困ります。問題は?」 「……ない」  問題ない。俺が負けるわけがない。  非戦闘職か否かなど無関係に、負けるわけがない。数えきれない程戦ってきた。敗北の経験だってある、が、最終的には全てに打ち勝ってきた。  アメリアは知っているのだろうか。聞いているのだろうか。俺は知っている。気づいている。数多の僧侶の中から、俺が藤堂のサポートとして選ばれたその理由を。 §§§  気配はどんどん強くなってくる。  感覚はこの上なく研ぎ澄まされていた。例え相手が今から気配を隠したとしても、俺には手に取るようにわかっただろう。  空には雲ひとつなかった。月の光が森を照らしている。薄い光に照らされた森の樹々はまるで影のようだ。  そのど真ん中にそれはいた。  まるで太陽のように輝く怪物。  紅蓮の鬣に濃い橙の身体を持つ獣。その身体はそれ自体が強い光を放ち、その周囲の闇は完全に取り払われ昼間のように明るい。  全長は二メートル。銀色に輝く鉤爪に牙。その尾には強い炎が燃え盛り、周囲の草に引火して一帯を焦土に変えている。  それは獅子だった。紅の獅子。  姿を認めたその瞬間、俺はまるで夢でも見ている気分に陥った。それくらい、それは予想外の魔獣であった。数百メートル先、轟々と燃える炎の匂いが感じられるかのようだ。  目を二、三度瞬かせ、ゆっくりと深呼吸をする。そして、もう一度それを確認して、深くため息をついた。  通信が繋がっている事を確認し、仕方なくアメリアに報告する。 「……焔獅子系の一種だった」 『……え?』  俺だって言いたくて言ってるわけじゃねーよ、こんな事。  しばしの沈黙の後、アメリアが聞き返してくる。俺だって実際に目の前にしてなかったら、信じられない光景である。 『……今フレイムって言いました? ヴェールの森にそんなの出るんですか?』 「……出るわけないだろ。燃えてるんだぞ?」  そんなのが生息していたら、森なんてあっという間に丸焼けになってしまう。  こういうのは火口付近とかに生息するんだよ。  見たこともあるし、戦った事もある。  特殊能力を有する魔獣は総じて討伐適性レベルが高い。焔獅子はその名の通り、炎の力を有する魔獣である。高い身体能力と凶暴性、知恵に炎。適性討伐レベルは――65。  尻から伸びた燃え盛る尾が何気なく樹木に触れ、燃えにくいはずの生木を一瞬で松明に変える。凄まじい煙が空高く登る。 「……誰だ、こんなのをこんな所に連れてきた奴は……」  ヴェールの森で自然に発生する魔物ではない。  強い弱いなどとは関係なく、悪夢のような光景に、俺は久しぶりに逃げ出したくなった。  これなら魔族の方がまだマシだ。 page: 41 第三十五レポート:赤き獣を討伐せよ  舌打ちをしながらも、放っておくわけにはいかない。俺には魔獣は倒せても火を完全に消し止める事はできないのだ。 「『一級炎耐性付与』」  火属性に対して高い耐性を付与する神聖術をかける。  この手の魔獣は専用の耐性装備か耐性の術を扱える出来る僧侶が居なければ苦戦する事になる。俺は後者なので戦うにあたっての問題は特にないが、厄介なのはこの獣の特性であった。  闇の中でその身体自体が強い光を放っているフレイム・リオンは酷く目立つ。  例え視力が悪くてもわかるだろう。これが本来生息する火山口などだったらそうでもないんだが、一体こいつを連れてきたものは何を考えて連れてきたのか。そこは水獅子か風獅子にしとこうよ。ここ、森だぞ!?  属性を持つ魔獣はその属性こそが厄介な要素であり、属性を取っ払えば大した事がない。耐性を適宜付与できる俺との相性もかなりいい。悪いのは状況だけだ。  フレイム・リオンは種族名である。一口に言っても、それにはピンからキリまで存在する。高熱を放っているそれに全速で接近すると、手始めにその身体の体幹をメイスで殴りつけ、地面に叩きつけた。  悲鳴のような咆哮が森を揺るがす。メイスに生えた棘がそのあまり固くない皮膚を突き破る。メイスを戻す。血が飛散する。飛散した血が樹に、服にかかる。燃え盛る血液を受けた樹が盛大に燃え上がった。クソがッ!  耐性が付与されているおかげで熱は感じないし、服も燃えない。が、周囲はそうはいかない。下手したら延焼して森の大部分が丸焼けになるだろう。 「アメリア、水は出せるか?」 『……残念ながら』  返事は想像がついていた。が、実際に聞くと舌打ちが出てしまう。  その生命を燃やしているかのような咆哮と同時に振り上げられた鉤爪を半歩後ろに下がり回避する。まるで鏡のように紅蓮が映った爪撃が前髪を数本持っていった。  戦った経験はある。火口で相手にした時は問題なかった。あそこには燃えるものが殆どない。ここはこいつを相手にする上で最悪のフィールドだ。  この手の炎を纏った魔物は水属性の魔術で仕留めるのが常道である。殆どの場合は水系の精霊と契約した精霊魔導師の領分になってくる。。  炎の燃える尾が大きく伸び、鞭のようにこちらを狙う。屈んで避けた所で放たれた前足の薙ぎ払いをメイスで受ける。メイスが僅かに軋むと同時に、真っ赤に熱される。手は離さない。こいつを素手でぶん殴るのは骨だ。  獅子がその顎を僅かに開く。その胸筋が収縮する。手の内は読めている。前足を強く弾き、炎を吐かれる前にその口の中にメイスを叩き込んだ。  骨の砕ける衝撃。肉の潰れる感触。巨体が地面を二度、三度バウンドし、吹き飛ばされる。その身が触れた草木が燃えあがる。煙と熱気で視界が悪化する。  多少煙を吸った所で俺のレベルならば問題ないが、なるべく煙を吸わないように浅く息を吸う。  どうする? いや、どうしようもない。火を消す方法も無ければスマートに倒す方法もない。水を出す魔導具はあるが、非常事態に飲料水を生み出すための代物である。どうして燃え移った火を消す事ができようか。  煮えたぎるメイスを振り、伏せる魔獣に一歩近づく。同時に、メイスで炎を帯びた樹の幹をぶん殴った。  轟音。幹が弾け、魔獣の方に向かって薙ぎ倒される。フレイムリオンに触れた瞬間、発火するが衝撃までは消えない。  面倒臭え事しやがって…… 「周囲一帯の樹木を伐採し延焼を止める」  この辺り一帯が更地になってしまうが何もしないよりはマシだろう。魔獣の放つ炎はただの炎ではない。  伏せたままこちらに伸びた尾。顔面を狙ってきたそれを手で掴む。目の前で真紅の炎が揺らめく。尾の先にある赤い宝石のような石、燃えあがるそれがフレイム・リオンの中で最も価値ある素材である。 『アレスさん……嫌な報告があるんですが』 「藤堂が気づいたか?」 『……はい』  そりゃ気づく。燃え上がった森は一キロ離れた場所からでもはっきりとわかるだろう。煙だって目立つ。これで藤堂たちが気づかなかったら逆に不安になる。  尾を思い切り握り、手前に引く。こちらに勢い良く寄せられた魔獣の頭を狙い、タイミングよくメイスで地面に叩き落とした。  棘がその脳まで至った感触。頭蓋が陥没する。その身体が目も眩むような今まで以上に激しい炎で燃えあがる。否、その生命が燃えつくされているのだ。僅かな存在力が俺の中に流入する。が、魔獣が死んでも草木に移った炎は消えない。  尻尾を離し、激しい炎を吹き続けるその死骸にメイスを叩きつける。爆風と衝撃がその身の炎を吹き飛ばし、かき消した。はじけ飛ぶ血肉は炎の欠片のようで、しかし生きている時と比べればその熱量は低い。それに触れた草木は燃えあがる様子を見せなかった。  しかし、兎にも角にも大仕事である。懐から仮面を取り出し、念のために被る。同時に、メイスを強く振りその風圧で煙を飛ばす。焼け石に水だが、視界は良くなった。どこまで倒すか、辺りを観察しながらアメリアに報告する。風圧と衝撃で消し飛ばしてもいいが、うまくやらないと延焼を増長させる事になりかねない。 「とりあえず、対象は討伐した。後始末に入る。藤堂たちは?」 『まだキャンプ地に居ますが、そちらに向かうのも時間の問題でしょう。……グレシャを追い出した相手でしたか?』 「違うな」  違う。炎獅子はグレシャを縄張りから追い出した相手では……ない。  姿形が違う。グレシャを追い出したのは黒い人型だと聞いているし、そもそも炎獅子は氷樹小竜を大幅に上回る力を持つ魔獣ではない。特にここは森、本来、火山に住み着くフレイム・リオンが万全に戦える環境ではないのだ。現に、戦ったフレイム・リオンの帯びた熱は本来のそれよりも低かった。  倒れる方向を注意深く計算しながらメイスを振るう。一抱えもある太さの樹々が倒れ、地面が大きく揺れる。  炎の弾ける音と樹の倒れる音をBGMに、会話を続け自分の考えをまとめる。 「だが、偶然現れるような魔獣でもない。何者かが連れてきたのだろう」  火山や岩山の奥に住み着く魔獣である。ヴェールの森から最も近い生息地でも千キロ以上離れている。その距離を火山を縄張りにする魔獣が理由もなく踏破するとは思えない。そもそも、道中必ず人間に見つかるはずだ。フレイム・リオンに飛行能力はないし、奴の存在は目立つのだから。 「フレイム・リオンを無理やり連れてこれるような存在がまだ森の中に残っている可能性はある」  とびきり厄介な能力を持った奴だ。常に高温の炎を纏うフレイム・リオンを歯牙にもかけない戦闘能力を持ち、飛行能力か、あるいは長距離を一瞬で移動出来る転移魔法を扱える存在が。  特に後者だった場合、ターゲットはかなり絞られる事になる。転移魔法は高位の魔法だ。魔族の中でも中位以降の魔族にしか使えないし、魔獣や竜の中にも一部操れる者はいるが、まぁどちらにせよ相手をしたくない類の存在である。 「できれば俺は戦いたくない。グレゴリオに任せよう。あいつなら大丈夫だ。そういうの好きだから」 『……そうなんですか……』 「そうなんだ」  あいつなら文句も言わない。奴にとって戦とは信仰である。その信仰が戦闘能力を高め、自らの戦闘能力こそが神の寵愛だと考えている。神の意志を確信しているからこそ喜んで敵に撃って出る。普通の傭兵よりもよほど喧嘩っ早いのだ。  樹々をなぎ倒すと同時に、風圧でうまいこと消し飛ばせる炎を消し飛ばしていく。徐々に炎の量が減っていった。だが、酷い惨状だ。きな臭い焦土の匂い、地面は燃えカスで真っ黒に煤けており、踏みしめる度に僅かな感触がある。  それでも、考えていた最悪の結果よりは遥かにいい。この程度の被害ならばこの森でレベルをあげる者達に影響はないだろう。傷跡も年月さえあれば回復するはずだ。  ようやみ見込みがたち、煙の薄くなった空気をほっと吸い込んだその瞬間、ゾクリと悪寒が身体を貫いた。 『アレスさん、藤堂さんたちがそちらに向かい始めたようです。後始末はどうですか?』 「悪い知らせがある」 『……え?』  斜め上空を見あげる。正確にはとっさに振り上げた左腕、その手で掴み取った漆黒の光を。禍々しく揺らめくその光は炎の薄くなった暗闇の中でも不思議と目についた。  黒の中の黒。漆黒の魔法である。手の中を汚染しようとするそれを、レベル故の耐性で握りつぶす。光が消え、小さな痛みの奔った手の平をひらひらと振りながら、メイスを握る右手に力を込める。頭を狙われていた。命中していれば、油断していれば、死なないまでもただでは済まなかっただろう。  その技には見覚えがあった。対象の存在を汚染し破壊する暗黒の矢。暗黒術。神聖術と相反する、邪神の加護を持つ魔族が好んで扱う術である。 「魔族だ。戦闘を開始する」  報告と同時に、風が吹いた。ようやく感じた闇の眷属が近づいた時特有の気配に、今更脳が警鐘を鳴らす。  全てを吸い込む黒の風。霧が渦巻き一所に集まり、一つの人型を作り上げる。全身を染め上げる黒衣に血の気のない頬に切り揃えられた黒の髪。人に酷似し、しかし誰しもが人ではないと確信出来るような容貌。人類の敵。強い嫌悪感を感じる。  その容姿はグレシャの証言と一致していた。  ざわめく心を鎮めながら、仮面を落ちないようにしっかりと固定する。  首をあげる。まだ薙ぎ倒していなかった樹の上、太い枝の上に立つソレを睨みつける。視線が交わる。フレイム・リオンの尾の先についていた炎の宝石よりも禍々しい真紅の虹彩は、黒き血の民である事を示している。  必死に頭を回転させていた。何故ここに。どうして今このタイミングで。果たしてどれ程の力量を持つのか。その身からほとばしる邪気からその能力を測る。  血を塗りたくったような真っ赤な唇が僅かに開き、夏にも拘らず白い呼気を吐き出した。ため息か、あるいはその持ち上げられた唇の形からは愉悦の笑みにも見える。  ため息をつきたいのは俺の方だった。  戦いたくなかったが何のつもりか、現れてしまった以上相手をせざるを得ない。 page: 42 第三十六レポート:黒き血の民を討伐せよ  樹の枝に添えられた手、長く伸びた爪がその表面をかりかりと引っ掻いている。  性別は男。年齢は十代前半か。血の気のないその容貌と相まって酷く華奢に見えるが、その身に宿した膨大な魔力が俺の目にははっきりと感じられた。  魔族の身体能力はただでさえ人間のそれよりも高い。  黒き血の民。異端殲滅官として、敵の情報、特性は頭の中に入っている。人に酷似した姿形とそれを超える高い知性を持つ闇の眷属。ずば抜けた身体能力、複数の強力な特殊能力を有し、夜闇に潜み人里に忍び人の血を吸い取るという特性から『吸血鬼』と呼ばれる事もある種である。  視線と視線がぶつかり合う。殺意を引き絞り視線に乗せるが、その身体は身じろぎ一つしない。  唇が僅かに開きかける。ちらりと見えた鋭く尖った犬歯。俺は即座に腰のベルトからナイフを抜き取り、それを放った。  延焼を気にしている余裕はなくなった。勇者の存在を知られる前に、藤堂にその脅威が届く前に今ここで殲滅せねばならない。絶対に逃がしてはならない。  投擲と同時に、全力で踏み込む。地面が大きく揺れ、枝の上の吸血鬼がぐらりと体勢を崩す。が、身体を逸らした状態でその腕を大きく振るった。  祝福された聖銀製ナイフが手で弾かれ地面に突き刺さる。だが、全ては想定の上だ。黒き血の民の身体能力は人族を遥かに凌駕する。膂力、脚力、動体視力、全てが、生物としての存在の格が――上。故に、こちらから討伐する際は事前の準備が必要とされた。  踏み込みと同時に放ったメイスが樹の幹を大きく抉り取る。視界に入らなくても、闇の眷属の気配は手に取るようにわかった。樹の幹が倒れる、が、既にターゲットはその場から消えている。 『アレスさん!? アレスさん!?』  耳元では仕切りにアメリアからの声が聞こえるが答える余裕はない。短く息を吸い、腕を大きく振りかぶり振り向きざまにメイスを放つ。  音が、風の感触が、時が止まったかのようだった。全力を込めたそれが不自然に止まる。 「……ッ」  目の前、ほんの手の届きそうな所に、血のように赤い眼があった。  黒き血の民の特徴の一つであるそれが何の感情も浮かべずに至近距離からこちらを見ている。その右手は、俺の放ったメイスを空中で受け止めていた。まるで骨のように細い華奢な指先がメイスに生えた棘の間に添えられている。メイスを握る右手に更に力を込めるが、ピクリとも動かない。  若き吸血鬼が小さくため息を漏らす。その唇から、見た目相応の僅かに高い少年の声が漏れ出た。  「面倒な任務を貰ったと、思ったんだ」  そうか。奇遇だな。  左手でナイフを抜き、再度、投擲する。至近距離にも拘らず、音速に迫る速度が出ているにも拘らず、その鬼は容易くそのナイフを振り払った。弾かれたナイフが回転しながら茂みの中に落ちる。これで二本。  祝福された銀は闇の眷属に大きなダメージを与える金属だ。明確な脅威を向けられたにも拘らず、僅かも気を負う様子もなく、まるで日常会話でもするかのように吸血鬼が続ける。 「この僕が、吸血鬼の王の血を引くこの僕が、どうしてこんなど田舎に派遣されてこなくちゃならないのか――」  受け止められたメイスを引くが、掴まれているらしく、膂力は向こうの上らしく全く動かない。仕方なくメイスを離し、大きく後退する。  そんな俺の動作に、吸血鬼は目を丸くした。今気づいたとばかりにメイスに視線をやり、反対方向に投げ捨てた。  暗雲立ち込める空を窺う。この手の魔物は月齢によって大きく力を増減させる。  今日は――満月だ。この手の魔物と相対するには最悪の日。 「君は随分と……暴力的だね。もう少し理性的になりたまえ。どうせすぐに……思考出来なくなるのだから」 「随分とお喋りが好きなんだな」  戦闘中に会話を交わす余裕があるとは、羨ましい事だ。 『アレスさん!? 大丈夫ですか!?』 「問題ない」  こちらに向かって来そうな剣幕だったので一言で返す、問題があるとすればそれは、藤堂がここにのこのことやってくるタイミング、それだけだ。  返答したのがよかったのか、アメリアの声の勢いが弱まる。ただ、短く聞いてくる。 『助けはいりますか?』 「不要だ」  できれば藤堂たちの足止めを頼みたいが、もう無理だろう。  ベルトからナイフを抜き両手に構える。吸血鬼がつまらなさそうに言った。  生暖かい風が吹く。焼け崩れ落ちた深き森の奥。ちらちらとそこかしこで燻ぶる炎が唯一の光源。それはどこか終末を予感させる。 「既に実力差はわかったはずだ。君は人族にしては『やる方』だが……僕には勝てない。何故なら――」  言い終わるのを待たずに地面を蹴った。握ったナイフを斜め下からその顎めがけて大きく振り上げる。  その容貌が僅かに、しかし凶悪に歪む。髪の一房も掠れずにナイフが空を切る。だが、避けられる事も承知の上だ。そのまま連続でナイフを放つ。その刃の輝きの意味を理解しているのか、吸血鬼側はその全てを最小限の動作で後退して避けた。  ――見切られてる。 「やれやれ、これだから人族はつまらない。人の話はちゃんと聞きなさいって習わなかったのかい?」 「お前は人間じゃない」  翻したナイフをそのまま振り下ろす寸前、吸血鬼がにぃっと笑みを浮かべたのが見えた。  腕が止まる。手首が握られていた。顔と同様に死人のような蒼白の肌。刃のように尖った爪が僅かな明かりに光っている。  悪寒が身体の中を駆け巡る。それに惑わされる事なく、躊躇いなく左手で新たなナイフを抜きそれを思い切り突きだした。  手首を押さえられているという事は後退出来ないという事。心臓を狙った突きに、吸血鬼の表情が歪む。  確かに突き出されたナイフは、しかし手応えを返して来なかった。  右手は受け止められたままだ。 「だから無駄だって言ってるのがわからないかなぁ」  呆れたように吸血鬼が言い放つ。  手首が、その体幹を突き抜けていた。ちょうど心臓の部分が黒い霧状に変化し、俺の腕を突き通している。 「君、まさかヴァンピールと戦った事がないの?」  呆れたようにソレが言う。それに構わず、腕を引きナイフを投擲する。吸血鬼が眼を丸くし、しかしそのナイフは再び霧と化した身体を突き抜けその背後の地面に虚しく突き刺さった。  不思議と、燻ぶる火種のぱちぱちとした音が耳に残っていた。聴覚を集中させる。風と火のなる音、その他に気配はない。  肉弾戦は不利だ。吸血鬼にもピンからキリまであるが、刃を交えてわかった。こいつの能力、決して低くない。  吸血鬼が歪んだ笑みを浮かべる。腕を振り払おうとするが、掴まれていて全く動かない。舌打ちをして、恫喝するように尋ねる。 「ヴァンピール、名を名乗れ」 「くっくっく、あーっはっはっっは、今更、今更か……」  何がおかしいのか、吸血鬼が甲高い哄笑をあげた。  その身体を中心に、恐ろしい魔力が渦巻く。空気の温度が急激に下がる。それは、グレイシャル・プラントが纏った冷気に似て、しかしそれよりも遥かに強い。地面に一斉に霜が降り、周囲が音を立てて凍りつく。くすぶっていた火がそれに圧されるように消えた。延焼の心配はなくなったな。  握られた手が焼きごてを当てられているかのように冷たい。  哄笑が止む。リセットされたかのように、その眼は、感情はフラット。 「まぁ、良いだろう。僕の名はザルパン。ザルパン・ドラゴ・ファニ。偉大なる吸血鬼の王の血を引く者だよ。本来は人間の相手などする存在ではない。光栄だろう?」  ファニ……教会に所属する者ならば全員が全員、間違いなく聞いたことがあるであろう吸血鬼の最上位の個体のひとつだ。共感はできないが、それが本当ならばこいつの自信の一端もわかる。  爛々と輝く血色の眼光。その狂気、抑えきれない戦意を感じさせるそれに対して視線を外さずに口を開く。 「吸血鬼の王……目的は?」  吸血鬼――ザルパンの双眸が、俺の問いに訝しげに歪む。 「……ん? 何だい? 何で君にそんな事を言わなくちゃならないんだい?」 「……」  ……さすがにそこまで馬鹿ではないか。  目的がわかれば今後の指針が立てやすくなる。そもそも、藤堂がここを訪れたタイミングで起こった森の変異……タイミングが良すぎるのだ。  沈黙する俺を、ザルパンはしばらくじっと見ていたが、やがて一つため息をつき、話し始めた。 「……やれやれ、まぁいいか。何も知らずに死ぬのも不本意だろう」  アメリア、こいつは……馬鹿だ。  手首がぎりぎりと強く握られる。感じる痛みを無視する。傷は神聖術でいくらでも治せる。  ザルパンはうめき声一つあげない俺をつまらなさそうに数秒眺め、ため息をついた。 「勇者、だよ。勇者。知ってる?」 「……」  こいつ……本気か?  気分は最悪だった。もうバレてる。ラッキーなのは、まだ藤堂たちと魔族が出会っていないという点だけだ。  黙ったまま続きの言葉を待つ。俺の心中も知らずにザルパンがぺらぺらと続ける。 「我らが王がその存在を察知してね……といっても精度は高くないらしいんだけど、念のため人間界の様子を確かめるために、次の幹部候補として期待されているこの僕が栄誉ある任に預かった、というわけさ」 「……」 「まぁ、君からしたらとばっちりみたいなもんだ。といっても、高貴な血を引くこの僕がこんな低ランクの魔物しか存在しない森に派遣されるってのも、とばっちりみたいなもんだから、お互い様だろう」 「……」 「僕に功績を立てさせるためとか言っていたけど、我らが王も何を考えているのやら……こんな弱い魔物しかいない所に伝説の聖勇者なんて来るわけがないじゃないか。一月も篭って引っかかったのは君みたいな人間だなんて」 「……」 「全く僕が誘導した魔物を討伐したのも君だろう? 僕程ではないが、君の戦闘能力もまぁ、そこそこ大したものだ。しかし、面倒な事をしてくれたね。竜はともかく、あいつをここまで連れてくるのに僕がどれだけ苦労したのかわかってるのかい? 万死に値するよ」 「……」  ザルパンが眉を潜めると、俺の眼を覗きこむように顔を近づける。 「急に黙ってしまってどうしたんだい? 僕もこんなど田舎に派遣されてしまって暇でね。あまり大っぴらに破壊するなとの命令も受けているし……少しは暇つぶしに付き合ってもらいたいんだけど」  アメリア、こいつは……馬鹿だ。  敵相手にべらべらと会話を交わすのは馬鹿の証だ。俺がこいつなら絶対にそんな真似をしたりしない。まぁ、こいつの認識では俺は敵でもなんでもないのかもしれないが。 「ああ、事情はわかった。最後に一つだけ、あんたの王ってのは魔王――クラノスの事か?」 「……は? 君は――」  俺の言葉に、その表情が、余裕が僅かにぶれる。表情が、眼の色が変わる。警戒の色。だがもう遅い。その反応で十分だ。  握りつぶさんとばかりに腕を握られたまま、今度は俺が口を開いた。 「ザルパン、あんたは強力なヴァンピールだ。ヴァンピール・ロードの血を引いているというのも頷ける」 「……何を――」  まぁしかし、俺の予想は超えていない。超えていたのはタイミングだけだ。できればグレゴリオが来てから始めて貰いたかったが、こうなってしまっては詮なきことだ。 「そして、あんたの王は慧眼だな。勇者が訪れる可能性の高いこの森に配下を派遣するなんて……しかし、当の派遣される本人であるあんたがその意識じゃまずい。任務は忠実にこなさないと、な」 「……何を言っている」  これはビジネスだ。油断などもっての他だ。  俺は油断しない。  掴まれていない左手で仮面をゆっくりと外す。俺の顔をしっかりと見せてやる。  唇を歪め、笑みを使って目の前の吸血鬼を見下した。 「俺の名はアレス・クラウン。あんたの王が探している勇者とは……この俺の事だよ」  同時に、森の中に白の光が溢れた。  馬鹿なヴァンピールでよかった。絶対に逃さない。 §§§  ザルパンの表情が驚愕に歪む。  視線がこちらから逸れる。それが向けられているのは、森を切り取るように張られた白色の光だ。  結界術。媒体としたのは弾かれたナイフとメイス。俺の手で祝福されたそれらは結界術の触媒としては最大だ。  手首を握ったまま固まる吸血鬼に言ってやる。 「ヴァンピール。人族とは異なり、レベルの上がりにくい魔族たちに対して俺たちは『階位』という区分を持っている、あんたのステージは俺の見積もりでは、ステージ3だ。中位魔族。適性討伐レベルは60後半から70。勿論これはパーティで戦った場合の話だ」  ザルパンの視線が再びこちらに向けられる。殺意というよりは忘我の視線。その視線を真っ向から受け、続ける。  戦闘中には理由なく会話をしてはならない。速やかに標的を抹殺する事。結界は完璧に作用している。こうしている間も、徐々にその魔族の持つ強大な能力を低下させている。だから、俺は会話を続ける。 「有する能力は暗黒術などの汎用魔法を除けば『霧化』、『動物化』、『血液操作』、『生命吸収』。他にも眷属作成や吸血など様々な力を持つが、相対するにあたって重要なのはその四つ程度だ。他にも高位の吸血鬼になってくると独自の能力を持っている事もあるが、あんたは持ってないだろ?」  俺の問いに、その眼と頬が僅かに動いたのを確認する。  評価を上げる。  こいつ、何か持っているな。ここでしっかり殺しておかないとまずい。尋問する余裕はない、か。 「最も厄介なのは戦闘能力じゃない。その機動性だ。霧に変化され逃亡されたら追いつくのは困難だ。だから俺たちは、街に入り込んだ吸血鬼を殺す際は事前に結界を張ってそれを封じる。今、張っているこの結界だよ。闇の眷属の――ヴァンピールの能力を制限する効果がある。張るのに準備がいるのが厄介だ。だから、いつ逃げられるか気が気じゃなかったよ」  ついでに、こいつは恐らく転移の魔法が使える。いきなり俺の感知領域内に現れたのはその力だろう。結界を張ればそれによる逃亡も防げる。  ザルパンの表情が変化する。忘我から憤怒へ。遭遇して始めて、その感情から余裕が消えた。  夜がざわめく。まるで泥のように濃密な殺意が森を覆い尽くす。だが、放たれていた冷気は既に消え去っていた。結界は有効に作用している。 「ザルパン、あんた見たところ才能はあるが戦闘経験がないだろう? 戦闘経験の豊富なヴァンピールはメイスを武器にする相手に対して油断しない。会話したりもしない。覚えておくといい。逃がすつもりはないから、二度と使う機会はないと思うが」 「ッ!?」  ザルパンが思い出したかのように掴んでいた右手を離す。そのまま、その爪が自らの左手の平を撫でた。人の物とは異なる、漆黒の血が手の平から垂れる。が、それだけだ。  『血液操作』  自らの血液にのみ強力に作用する念動力。 「力を制限する効果があると言っただろ?」  尤も、結界を張った直後だったらもう少し使えただろう。結界の効力は外に出さない事がメインであり、力の制限は副次的効果である。その事は言わない。話してしまえば、万が一逃がした時、次の戦闘時に苦労する事になる。  なるべく時間を稼ぎたい。仮面を再度被る。脳内ではアメリアからの報告が流れている。藤堂たちが後数十秒でこちらについてしまう、と。十分だ。  無言。ザルパンの身体が音を立てて膨れ上がる。細腕が膨張し、その眼が暗い光を放つ。身体能力の高さと格闘センスは生来のものだろう。吸血鬼の中には特殊能力だけで戦う者もいるが、こいつは違う。  握られていた手の平をひらひらと振りながら、補助を上書きする。せっかく掛けてくれたアメリアには悪いが、俺の補助の方が強力だ。神力の消費も問題ない。 「『一級筋力向上』『一級敏捷向上』『一級耐久向上』『一級感覚向上』」  ザルパンの姿が消える。踏み込みで大地にクレーターが発生、だが強化された感覚はその動きを完全にとらえていた。背後から振り下ろされたその腕を右手で受け止める。爪の先がこちらの喉元を狙っている。全身を通り抜ける衝撃に大地がひび割れる。先ほどの光景の焼き直し。  しかし、振り下ろされた腕は完全に停止していた。  獣のように黒き血の民が荒い息を漏らす。その動きが一瞬止まる。受け止められた事が不思議か?  幸いなのは、敵が本当に闇の眷属であった事。こいつらには退魔術が通じる。  さぁ――神の裁きを受けるがいい。 「裁き光」  眼球を突き刺す眩い光。  俺の前方から放たれた神聖な力を持った光の波が、その痩身を大きく弾き飛ばした。 §§§  神の裁き、放たれた光により吹き飛ばされた痩身が、目に見えない結界の壁に当たり地面に落ちる。  不可思議な手応え。しかし、それもまた予想のついていた事だ。俺には経験がある。魔族共を相手に長く戦った経験が。  本来ならば一撃で闇の眷属を浄化し殲滅せしめる裁きの光。ぷすぷすと黒い煙を上げながらも、ザルパンの身体は形を保ちすぎている。  舌打ちしたい気持ちを押さえ、地面に倒れるザルパンに迫る。メイスは結界の媒体としているが、ないならないでやりようがある。 「『裁き剣』」  手の平に不確かな感触が発生する。光の剣。闇の眷属にのみ効果を及ぼす裁きの剣だ。  薄ぼんやりと輝くそれが倒れる吸血鬼の弱点、その心臓に向かって突き出されそして――掻き消えた。    ザルパンの身体が弾かれたように跳ね上がる。振り上げられた爪の一撃、それを一歩後じさり回避する。  光の剣を阻んだのは一種の結界である。魔族の中でも一握りの者しか持たない強力な加護結界。魔王やそれの加護を持つ高位の魔族が勇者を始めとした加護持ちにしか倒せないとされる最大の原因。  秩序神と相反した邪神。ダメージの殆どを無効化する力。  『ルシフ・アレプト』の加護。一瞬で張れる結界ではその強力極まりない神の結界を削ぐ事は出来ない。  ザルパンが四肢を使い着地すると、ゆらりと立ち上がる。その黒衣は解れ、身体には細かい傷こそあるものの、致命傷となる傷は存在しない。加護を持っていなければ三度殺せる程のダメージだったはずだ。  下を向いていたその顔が上がる。表情に浮かんでいたのは殺意でも憤怒でもない、歪んだ歓喜。攻撃の直前に浮かんでいた恐怖は消え去っている。 「あは……あはははははは……驚いた、驚いたよ……まさか、この僕が……『勇者』と戦えるなんて」  邪神の加護。厄介極まりない。まさかこの程度の魔族が邪神からの加護を持っているとは……。  逃せば大きな脅威になる。雑魚の内に殲滅しなくては。  自らの結界が破られない事に気を良くしたのか、ザルパンには余裕が戻っていた。 「しかも、何てラッキーだ。君……まだ加護を持っていないね」 「ああ、お前はとてもアンラッキーだ」 「……え?」  注意が緩んだその瞬間に懐に踏み込む。一級の補助魔法を掛けた俺の身体能力は魔族のそれに迫る。  がら空きだった鳩尾を、右拳が貫く。拳から伝わる衝撃。インパクトの瞬間に再び祈りを捧げた。 「裁き光」 「ッ!?」  拳から再び光が放たれる。広範囲に対してではなく収束して。  ばちばちという何かが弾ける音と共に、ザルパンが吹き飛ばされた。地面を大きく削り、俺の張った結界に当ってようやく消える。咳き込むような音を聞きながら、宣告する。 「加護を持ってなければ一瞬で楽に出来たものを……ルシフの結界があるんじゃ、殺すまでに時間がかかるな」  場所を変えたいところだが結界の移動は不可能だ。結界が崩され解放された瞬間に逃げられるだろう。  仮面をしっかりと被る。銀髪は隠せないが、銀髪の人間は少なくない。  ブーツのつま先で地面をぐりぐりと踏みにじり、手を払う。立ち上がるまで待つ。肉体を折るよりも心を折った方が早い。  ザルパンがよろよろと立ち上がる。吸血鬼には高い再生能力があるが、この結界の内部ではそれも無意味だ。ダメージの殆どが軽減されているとはいえ、痛みはあるはずだがその眼にはまだ力があった。  ベルトに差していた杭のように細長いナイフを抜く。投擲用のナイフと同じく祝福された銀製の短刀。実体のない光の攻撃は効果が薄い。副武器だが、ないよりはマシだろう。  藤堂たちが間違えても結界内部に入ってこないようにだけ注意しなくては。 「結界を解け、ザルパン。楽に殺してやる」 「くだらない冗談だ。確かに強い、が、君は人間で僕はヴァンピールだ。力は僕の方が高い」 「それは一般論だ」  ダガーを無造作に真横に閃かせる。隣に立っていた樹の半ばに銀の線が奔り、そのままずれた。  轟音。一瞬乱れた注意、倒れると同時に突進を駆ける。握った短刀に破邪の光を灯す。  血が全身を熱く駆け巡る。世界が鮮明に見える。  こちらに気づいたザルパンが腕を振り下ろす。目前でスピードを落とし、それを回避、身体を守るかのように構えられた腕の隙間からダガーを突き入れた。ばちばちと反発する音。貫けない。皮一枚で止まってる。結界は硬い。反発で崩れたその身体、脚を払う。  ダガーの握りを変える。片手から両手へ、地面に倒れこんだその身体、心臓目掛けて、全身の重力をかけて両手で握ったダガーを突き降ろす。反発しようにも後ろは地面だ。激しい雷光に似た光が瞬き、その刃が僅かに肉に食い込んだその瞬間に力を行使する。  媒体はダガー。その刃の先、肉に僅かに食い込んだその先端から。 「裁き光」 「ッ――」  しっかり踏ん張っていたはずだが、衝撃で身体が僅かに浮き上がる。光が夜闇を焼いたその瞬間、その表情に苦痛の色が浮かんだのを確かに見た。ダメージはある。再生は許していない。  一瞬痙攣したように震えたその細腕が弾丸のような勢いで伸びる。その場から後退する。爪の先が僅かに頬にかすった。熱と一瞬遅れて痛みが頬を奔る。  鮮血の玉が宙に舞い、しかしそれが落ちるその前に体勢を戻す。思い切り足でその腹を踏みつけた。反発と同時に鈍い呻き声を上げる。衝撃を逃せなければそれなりにダメージは通る。  人差し指で頬の血を拭い、こちらを能面のような眼で見ているソレに向かって宣告した。 「死ぬまで相手をしてやる」  上から見下されているにも拘らず、ザルパンは唇を大きく釣り上げ、壮絶な笑みを浮かべる。 「く……ふっ……君……の、体力が尽きるのが、先だ……」 「俺はヒーラーだ」 「……は?」  人差し指を傷口に当て、祈りを捧げる。淡い薄緑の発光。一秒待たずに与えられた傷は消え去っている。  その光景に、ザルパンの眼の色が変わる。動揺。戦慄したような声を吐き出す。 「馬鹿な……化物――」 「それはお前だ。吸血鬼」  精彩を欠いている。後少しだ。その双眸を見下す。腕がびくりと動く  複数の気配が近づいてくる。藤堂たちの気配。迷っている時間はない。  ダガーを下手に持ち替えると、その切っ先を眼球目掛けて振り下ろした。  押し殺された悲鳴があがる。ヴァンピールの痛みへの耐性は強いが、それは偏に本来持っている強い再生能力故だ。始めて強い痛みを継続して受けるというストレスはその動きを鈍らせる。  痛みに対する凄まじい抵抗に、ザルパンの上から跳び去る。精彩を欠いていてもその攻撃力は脅威だ。ダガーを突き立てた右目――眼球の表面しか削れていないはずだが、それを押さえザルパンが野獣のように咆哮する。咆哮が衝撃となり周囲一帯に奔る。滲んだ恐怖、憤怒。機能が制限されて効果を発揮できないその身に秘める魔力が暴走し、風に、衝撃になる。  右目を抑えたまま、ザルパンが地面を踏み抜いた。技術も何もない力による突進――しかし、速度のみ桁外れのそれを横にずれ、振り下ろされた腕にダガーの切っ先を当てる。力も耐久も補助を掛けた俺の方が上だ。発生した反発に体勢を崩すザルパンを蹴り飛ばす。その身体が張られた結界に接触し、そのまま地面に崩れ落ちた。  その頭を全力で蹴り飛ばす。反発も関係ない。ダメージは少しずつ、だが確実に蓄積されている。踏みつける。蹴りつける。殺す。殺さねばならない。確実に。 『アレスさん』 「来る必要はない。問題ない。そこで……待機していろ」  しかし、いつも思うのだが硬い。硬すぎる。中位魔族が加護を受けただけでこの様だ。魔王は、クラノスは果たしてどれだけ強いのか。  倒れたザルパンがそのまま地べたを這いずり、自身が投げ捨てた俺のメイスの所にたどり着いた。  結界の要だ。よく見れば気づくだろう。その地点を起点としてこの結界が張られている事を。  腕を組み、黙ったままそれを見送る。 「これが……これがなければ……」  まるでうわ言のように呟くと、ザルパンがそれに触れた。爪の先が触れた瞬間、その身体が大きくはじけ飛ぶ。  闇の眷属が起動中の結界の媒体に触れられるわけがない。結界の炎に焼かれ、苦しげに呻くザルパンの側に近づきしゃがみ込む。  この程度のダメージ、苦痛で動けなくなるとは何という惰弱。王の血を引いているとは思えないが、将来の強力な魔族をここで討滅出来ると思えば悪くない。 「手は尽くしたか? 吸血鬼」 「まだだ。まだ負けてない。まだだ。まだまだまだまだ――力が、力が戻れば――」  こちらを見ているのか見ていないのか。呟き続けるその眼はとても正気には見えない。加護結界を解かないのならば、死ぬまで殺すだけだ。  その髪を掴みあげ、ぶん回す。遠心力をつけ、それを地面に叩きつける。地面が揺れ、大きく凹む。衝撃と苦痛に眼が見開かれる、口でも切ったのかその唇の端から一筋の血が流れ落ちた。  咥内で『裁き光』を食らわせれば多少は大きなダメージを与えられるだろうか。その口を無理やり開かせ、ダガーを入れようとした所で――気配が辿り着いた。 「これ……は……」  ハスキーボイス。ヴァンピールのソレとは違う艷やかな黒髪に、凛々しい、しかし少し幼気な印象のある整った容貌。  実際に目の前にするのは数日ぶり、か。伏すヴァンピールの腹に一度蹴りを入れ、立ち上がる。仮面が外れていないか再度確認する。  燃え尽き、折れた樹々。そこには、どこか懐かしい勇者一行の姿があった。まだ何も知らない、まだレベルの低い勇者一行の姿が。 page: 43 第三十七レポート:黒き血の民を討伐せよA  藤堂の顔を見る。視線と視線が合う。俺の正体に気づいている様子はない。  とても憎たらしかったはずのその顔を見ても、思ったよりも感情は動かなかった。  大丈夫。俺は――冷静だ。  鋭い視線。荒く吐かれる息に、無造作に下げられた腕には聖剣が握られている。その後ろには、リミスとアリアの姿もあった。ここに来るまでに時間が掛かったのは準備をしていたためか。グレシャの姿が見えないのは置いてきたからだろう。 「これ……は……一体――何が……」  その視線が俺から、地面に倒れるザルパンの方に向けられ、その瞬間、肩が震えた。  表情が強張ったものに変化する。だが、その表情の変化を見ても俺に不安はなかった。  グレシャの時とはわけが違う。邪魔される心配は――ない。わかるはずだ。秩序神の加護を持つ藤堂ならば、俺などよりも遥かに理解出来るはずだ。黒き血の民の持つ邪悪な気配を。人に似て人に非ざる闇の眷属の力を。魔物ではあっても闇の眷属ではなかったグレシャとの明確な違い。  藤堂の足が震え、恐る恐ると言った様子で足を進めようとする。俺は正体がばれないようにできるだけ声色を潜め、警告した。 「そこから動くな。結界が張ってある」  結界にも様々な種類が存在するが、俺が張り巡らせたのは特に闇の眷属に効果を及ぼす聖域結界である。人間である藤堂たちには全く効果はないし、物理的な障壁があるわけでもない。入ろうと思えば容易に入ってこれる。  俺の言葉に、上げかけた藤堂の足が止まり、元の位置に戻る。よし、大丈夫だ……言葉は通じる。よし、よし、よし。  ダガーを強く握ったまま、藤堂の方に足を進める。勿論、倒れ伏すザルパンの方からも注意を外したりしない。特殊能力が制限されていても、黒き血の民は油断出来る相手ではない。  藤堂まで二メートル程の所で足を止める。あまり距離を詰めると警戒を抱かせるだろう。 「この森は現在、悪魔の出現が確認されたため閉鎖されている。何をしに来た?」 「……えっと……それは……」  俺の詰問に、藤堂が口ごもった。  この様子を見た感じでは、レベル上げなどではないだろう。となると、欲が出たのだろうか? 自分たちならば悪魔を討伐できる、と。村長に警告をさせたのがまずかったか。どうすればいいんだよ、おい。せめてこちらにわかるように動いて欲しいものだ。  幸運だった。アメリアが定期連絡の時刻よりも早くグレシャに連絡を取ったのは本当に幸運だった。そして、すぐさま行動を開始した事も。何しろ、こうして実際に闇の眷属が現れている。もし連絡を取らなかったら、俺が相手をする前に藤堂たちと遭遇していたかもしれない。そうなれば、藤堂では相手を出来なかっただろう。  タイミングが悪い。ザルパンは一月森に篭っていたといったが、事を起こすタイミングとしてはこれ以上なく悪い。何も藤堂が入ってきたこのタイミングで起こさなくてもいいだろうが。奇妙な運命、強烈な引き。これも勇者の資質と呼べるだろうか。  地べたに這いつくばり、しかし虎視眈々とこちらを狙っているザルパンの方を手で指し示す。その意志はまだ折れちゃいない。魔族というのは得てして人族を見下しているものだ。隙を見せれば飛びかかってくるだろう。  視線で牽制しようが、殺意で威圧しようが、無意味。邪悪で強力で残忍でそして生き汚い。奴らはそういうものだ。 「まぁ……いい。現在、戦闘中だ。ここは危険だ。今すぐにここから離れ、夜が明けるまでキャンプ地で待機、夜が明けたら即刻森から立ち去るといいだろう」  滅多に存在しない加護持ちの魔族を派遣してきているのだ。これ以上、敵が存在するとは考えにくいが、念には念を押したほうがいい。  俺の言葉に、しかし藤堂が食い下がった。正義感かそれとも意地なのか、非常に面倒臭い。 「いや、僕は――」 「見たところ戦闘はそれなりに出来るようだが、手伝いはいらない。これは俺の――」  言いかけた所で、気配が跳ねた。隙に見えたのか。この会話が隙に見えたのか? それは――違う。  闇の気配はわかる。奇襲とは、ばれていないからこそ効果があるのだ。嗅覚で、聴覚で、そして肌に触れる風の動きで、例え見えてなくてもその動作が手に取るようにわかる。  藤堂の眼が大きく見開かれる。 「危なッ――」  振り向くと同時に身を低くし、一歩前に踏み込む。上空からの腕による振り下ろし、そのタイミングをずらす。こいつのもう一つのミスは自身の特殊能力を過信しすぎてそれが封じられた時のための武器を携帯していなかった事にある。大抵の人族ならばその身体能力で圧殺できるが、地力で負けているとジリ貧になる。それがこいつのミスでそして、戦闘経験が浅いというその証明でもあった。  その速度も感覚も補助魔法をかけた俺よりも低い。がら空きの鳩尾に拳を叩きつける。結界による反発。肉を穿った感触も骨を砕いた感触もないのはとても珍しい。しかし、衝撃は伝わっている。  衝撃で浮いたその腕を取り、その痩身を地面に叩きつけた。踏み出すようにしてその頭を踏みつける。衝撃でその感覚は乱せているが、全然ダメージが通っていないのを感じる。こいつが戦い慣れていたらすぐさま反撃してきていただろう、その程度のダメージ。拳じゃ出来て牽制程度、ダメージを与えるのは無理か。  呆気に取られたように俺を見る藤堂に、ザルパンを踏みつけながら説明してやる。 「魔族は頑丈だ。特にこいつはとびきり厄介な結界を持っている。討伐には時間がかかる。手伝いはいらない。これは俺の仕事だ。邪魔はしないでくれ。何もしないでくれ。大人しくここから立ち去ってくれ。頼む」 「なっ――」  必要なのは時間だ。時間だけだ。それ以外はいらない。余計な事はするな。自らの安全だけを考えてくれ。頼むから。  絶句する藤堂に、先ほどから険しい表情でザルパンを睨みつけていたアリアが声をかける。リミスも頻りに頷いている。 「ナオ殿、どうやら私の勘違いだったようです。この場で私たちが出る幕はないかと。苦戦している様子もありませんし……」 「そうよ、ナオ。その人がいいって言ってるんだからキャンプに戻りましょう?」  そうだ。戻れ。仲間もそう言ってるだろ!  ザルパンが身体ごと転がり、距離を取る。追わない。よろよろと起き上がる。その顔が朧げな月明かりの下、明らかになる。その容貌はもともと血の気がなかったが、ここ数分で更に憔悴してより幽鬼のように見えた。  まるで頭痛でも堪えるかのように頭を押さえ、ブツブツと呟く。 「この……僕が……暗黒神の加護を持つこの僕が、人間如きに、負ける? ありえないッ!」  強く握りしめられたその拳に漆黒の光が集まる。暗黒術の発動の予兆。生来の能力とは異なり、暗黒術は秩序神と同格である暗黒神――邪神の力を借りたもの、封じるには時間がかかる。だが、発動は出来てもこの結界の中で高い威力を発揮する事は難しい。  暗黒の光が一本の短い矢を形作り、高速で飛来する。速度も矢の大きさも、初撃で受けたものよりも遥かに低い。間もなく、発動すら出来なくなるだろう。結界を張った時点で、その生来の特殊能力に頼っていた時点で、既にお前は詰んでいる。  ただ無言で祈った。邪悪には秩序を。闇の矢には光の矢を。  無言の祈りに応えるように、俺の周囲にぽつぽつと無数の白の光が宿る。  それは一つ一つがザルパンの放った矢の数倍の長さと変化し、標的に向かって飛翔した。先頭の矢がザルパンの放った暗黒の矢と正面からぶつかり、それを容易く打ち消す。暗黒術は神聖術と相反する術式だとされているが、基本的に闇が光に打ち勝つ事はない。  残りの数十の矢がザルパンの全身に降り注ぐ。避ける事もなく、何の抵抗もなく、ザルパンが光に包まれる。ただ、光の中に飲み込まれるその寸前に浮かんだ唖然とした表情だけがその心境を物語っていた。  無理だ。もし加護がなければ殺せたかもしれないが、加護がある状態で光の矢は通じない。  光が消失し、そこには蹲るヴァンピールが残る。青ざめた表情。ダメージは殆どない、が、全てにおいて上を行かれるというその事実が心を削るのだ。  窘めるように声をかける。 「わかったか、ザルパン。もう諦めろ。俺も鬼じゃない。結界を解けよ」 「まだ……まだだ……あは……あはははは……僕が……負けるわけがない。あはははははははははははは!」  往生際が……悪すぎるな。  狂ったように笑いながら、ザルパンが立ち上がる。その腕が勢い良く振りかぶられた。  蹲った際に拾ったのだろう。拳大の石が吸血鬼の膂力によって飛来する。握ったダガーでそれを弾く。硬い音を立て、石が結界の外に着弾した。 「あっ……」  ちょうど近くに石が飛んできたリミスが短い声をあげる。  ザルパンの視線がゆっくりとそちらに向けられる。くそッ、失敗した。 「さっさと去れ」 「そうか……この結界、物理的な障壁じゃあないのか」  軽く踏み出し、一歩で加速する。  全力を込めて、ダガーで右目に突きを放つ。ザルパンがまるで木の葉のように吹き飛ぶ。手応えが今まで以上にない。自ら跳んで衝撃を殺したのか。冷静さが戻っている。良くない傾向だ。  空中で姿勢を整え、ザルパンが手足をついて着地する。と同時に、その視線が俺から外され、まだ逃げない勇者一行に向けられた。その手が土の一塊を握る。  これだから……一人じゃないと面倒なんだ。その膂力、俺には脅威じゃなくても、藤堂たちにとっては脅威となりうる。鎧を着ている藤堂とアリアはともかく、リミスならば致命傷になりうる。  行動を変更する。既にバレている。踏み込む。自身の身をザルパンと藤堂たちの間に滑りこませる。 「さっさと逃げろッ!」  再び大きく腕が振りかぶられる。石ならばともかく、土は防ぎきれない。少しでも命中率を下げるため、買ったばかりの外套を脱ぎ捨て宙に放り広げ、目眩ましにする。 「くっくっく、勇者も大変だね」  回避はできない。外套が膨れ上がりはじけ飛ぶのがスローモーションで見えた。  弾丸の速度で撒き散らされた土を全身で受ける。鈍い衝撃が何度も俺の身体撃つ。土埃が眼球に振りかかる。目は閉じない。ただの土だ。痛みはない。ダメージはない。体勢は崩さない。  土の嵐に続くようにして、ザルパンが身を屈めるようにして飛び込んでくる。まだ接近戦を挑む余裕があるのか。自信があるのか。一瞬の隙さえ作れば勝てると思っているのか。舐められたもんだ。   眼と眼が合う。唇を舐める。浮かんだ酷く歪んだ笑み。良いだろう、相手をしてやろう。目前でザルパンが大きく身を屈める。狙いは顎か。真下から放たれた爪による斬撃を上体を後ろに反らし躱す。連続で流れるように放たれた突きを数歩後退して回避する。  腕ではリーチが短すぎる。俺とお前ではリーチが違う。  嵐のような攻撃を縫うようにして短剣を走らせた。祝福された銀の刃によりその身を包んだ結界が作動、ザルパンの腕と短剣がぶつかった瞬間、結界により反発が起こりその動きが一瞬停止する。明確な隙を見逃さず、その喉元に刃を突き刺す。  無駄だ。無駄なのだ。特殊能力を封じられ、経験も身体能力も俺の方が上。隙をつこうが優位は揺るがない。法衣の下にはチェインメイルを着込んでいる。この階位のヴァンピール程度の攻撃ならば防ぎきれるだろう。  衝撃によりザルパンが無様に転がる。咳き込み停止するその身体を思い切り踏みつけ、そこに手の平を向ける。もう話す隙も与えない。藤堂たちを逃がそうとも思わない。いや、逃げないのならば迅速に殺す。 「裁き光」  光がその身体を押しつぶすように放たれる。神聖な光が闇を切り裂き、一瞬周囲が昼間のように明るくなる。  光が収まる。ダメージは殆ど入っていない。わかっている。欲しいのは隙だ。流れるような動作でダガーを逆手に持ち替え、身を落とすように重力をかけてその刃を口の中に突き入れた。  目が大きく見開かれる。血走った目。淀んだ血のような濁った虹彩が収縮する。刃を通し、神聖術を放つ。 「裁き光」 「ッ!?」  光がその咥内で爆発する。口の端から垣間見える尖った牙、その奥から苦痛の呻きが上がる。駄目だ。ダメージは通っているが、死なない。口が必死で閉じられる。両腕が俺の腹を打ちつけ押しのけようとする。銀の刃の表面をヴァンピールの特徴である牙が引っ掻く。それを無視して、俺は全力でダガーを喉の奥に突き刺した。 「裁き光」  裁き光  裁き光  裁き光  裁き光  裁き光  裁き光  光が断続してその咥内を暴れまわる。嗚咽と声にならない悲鳴に腹が何度も痙攣するように揺れる。くそっ、死ねッ! 死ねッ! 死ねッ! 勇者に被害を与える前に死ねッ!  ヴァンピールはその生命を失うと灰になる。形を保っているのがまだ死んでいない証拠だ。  連続で十度程光を放ち、収束したがザルパンはまだ多少弱った程度のダメージしか受けていなかった。 「……チッ、くそっ、ダガーじゃ威力がなさすぎる」  加護を持つ魔族には大物が多い。能力的にこちらが負けている以上、その討伐は入念な準備の末行われる。こういう遭遇戦というのはまずない。加護持ちとサブウェポンだけで戦うのは初めてだ。  短剣も質が悪いわけではないが、神聖術による祝福を重ね威力を向上させているメイスと比較すると数段落ちる。  白目を向いているザルパンの頭を左拳で殴りつける。鈍い打撲音が響き渡る。  硬い壁を殴っているかのような感覚。くそっ、俺に藤堂のように軍神の加護があればこんな結界、一撃で破れるというのに。  ダメージは通らなくても、衝撃で感覚が揺れているはずだ。隙は与えない。拳が裂け、血が滲む。力は緩めない。裁き光を使用しながら、本当に極少しずつダメージを蓄積させていく。 『アレスさん、大丈夫ですか?』 「ああ、大丈夫だ。くそったれ、こいつなかなか死なねえッ! しぶといッ!」 『……大丈夫ですか?』 「大丈夫だッ!」  アメリアからの通信に答える。俺には他に方法がない。時間がかかるのはわかっていた事だ。  優位は揺るがない。ザルパンはそういうレベルの実力ではない。  ただ黙々と拳を振るう。ザルパンの容貌に打撲傷が少しずつ増えてくる。抵抗は激しいが、何とか抑えこむ。何十何百撃いれたか、ふと俺の耳に嫌な声が入ってきた。  その声はいつも俺に不吉を運んでくる。 「あの! こ、これを――!」  藤堂の声。いるのはわかっていた。注意はしていたが、ただいるだけならば特に問題はないはずだった。ザルパンに行動する間さえ与えなければいいだけなのだ。  顔を上げる。立っている位置が変わっていた。俺は、自らの表情が歪んだのがはっきりわかった。  藤堂の立っている位置――俺のメイスが置かれている位置である。  藤堂が屈み混む。その指先が俺のメイスに触れる。藤堂は闇の眷属ではない。結界は効果をなさない。とっさに叫ぶ。 「やめ――」  違うッ! それは、落ちてるんじゃないッ! そこに置いてあるんだッ!  だが遅かった。藤堂の指先がそれを持ち上げると同時に、空気が変化する。  媒体を動かした事で結界が消失する。発動まで時間はかかるが、消失は一瞬だ。  膝で押さえ込んでいたザルパンの身体がびくりと大きく震える。  藤堂が両手でメイスを持ち上げ、その重さにふらつきながらもこちらに投げつける。俺の隣にそれが落ちるのと、押さえつけていたザルパンの身体が消えるのはほぼ同時だった。  何もするなって言ってるだろッ! page: 44 第三十八レポート:黒き血の民を討伐せよB  藤堂の表情がはっきりと引きつった。自分の行動により何かが変化したのがわかったのだろう。  邪悪な気配が煙のように揺らめき、俺から数メートル離れた位置で再度固まった。  『霧化』  自らを霧と変化させるヴァンピールの能力の一つ。  そこに立っていたのは、完全な吸血鬼であった。血の気のない肌に、それに対比したような濁った血のような瞳。汗ばみ張り付いた前髪と解れた黒衣を除けば、最初に出会ったその時の姿と何ら変わりない。俺が苦労して与えたダメージは、復活した高い再生能力により一瞬で消え去ってしまった。  マジかよ……。 「あははは……あはははははははははははははははははははははは!」  今の今まで白目を向いていたヴァンピールが嘲笑する。  即座にナイフを抜き、投擲する。ザルパンは人差し指を立て、その爪で手の平を浅く傷つけた。傷口から溢れた血がその念動力により薄く形を取り、ナイフを包み込むように絡めとる。  二度は通じないか。結界を張るには時間がかかるし、張り終えるまでは媒体は無防備だ。  俺の考えを読んだかのようにに、血が蠢き、先ほどまでの結界の媒体となっていた地面のナイフを抜き取り絡めとる。結界を張るには四本の媒体が必要とされる。あいにくもう一度結界を張るだけの予備はない。詰んだ。 「はーはーはー、いやぁ――」  哄笑がぴたりと止まり、その目が細く窄められる。傍らのメイスを握りしめ、俺はゆっくりと立ち上がった。メインウェポンは戻ったが代償はあまりに大きい。 「死ぬかと思ったよ」 「死ねよ」  本音だった。  くそっ、これは……逃げられるな……失敗した。結界の媒体もバレてる。機動性はザルパンの方が圧倒的に上だ。転移魔法を使われればもう追いつけない。  藤堂の方に視線を向ける。結界に封じられていない本物の黒き血の民の力を感じとったのか、藤堂は怯えたように目を見開き、後退った。死ねッ!  アリアが剣を抜きリミスをかばって戦闘態勢を取るが、ヴェールの森程度でダメージを受けるなんちゃって剣術じゃこいつ相手には十秒持つまい。 「くくく……ふふふ……馬鹿な仲間を持つと苦労するねぇ……」 「……まったくだな」  もう仲間ではないのだが、何も言えない。敵にまで指摘されてしまった。何も言えない。  考えを切り替える。こうなってしまった以上、最悪は藤堂たちを殺される事だ。倒すのは無理。もう無理。逃げられる。逃げられたら追いつけない。追いつけないのだ。  出来るのは最悪を回避する事くらい。まだこいつには藤堂が勇者だとバレてはいないはずだ。  ため息をつき、額を押さえザルパンを睨みつける。 「仕方ない、逃がしてやるよ。とっとと尻尾巻いて逃げろよ、ヴァンピール」 「……は? 君は何を言ってるんだ」  血にとらわれていたナイフが消失する。転移魔法でどこかに送ったのか?  そのまま血液が空中でぐるぐると渦巻くと、一本の細剣を形取った。  ザルパンが頬を引きつらせるようにして笑う。冷静さを装っているが、明らかに怒っていた。 「力が戻ったんだ。第二ラウンドといこうじゃないか」 「……まぁ、どうしてもやりたいなら別に……構わないが……」  再度ため息をつき、メイスを持ち上げる。  もう俺の中からはやる気が失せていた。負けそうになったら逃げられるというのに、どうして本気になれようか。転移魔法を使われたら止めようがない。ナイフ消してみせた腕前から見るに、素人ではないだろう。 「……僕が力を取り戻したからって、随分とテンションが低いじゃないか……」 「はいはい」  ため息をつきながら、一歩で数メートルの距離をつめる。同時に、握ったメイスに神聖術を使って加護を降ろす。ダガーとは異なり、メイスとは俺の信仰心そのものである。加護の通りが違うので『裁き光』を放つよりも直接光の力を付与してぶん殴った方が効率がいいのだ。  油断していたのか呆然と開かれる眼。とっさに放たれた申し訳程度の数の血のナイフをメイスの一撃で全て払う。操作する血にまではルシフの加護が下りていないらしく、また力そのものが殆ど込めていなかったのだろう、メイスに触れていないものも含め全てが全て、邪悪な力を払われただの血液に戻った。手に握られていた剣も例外ではない。油断しすぎ。  がら空きになった胴体にメイスを思い切り叩き込む。骨が、肉が軋む手応え。まだ本来のそれよりも遥かに軽減されているが、先ほどと比べれば雲泥の差だ。棘に貫かれ皮膚が破れ血が噴き出す。  吹き飛ぶザルパンに一歩で追いつき、そのままメイスを振り下ろし地面に叩きつける。手応えが、手応えが違う。やはり、短剣だけではダメだな。メイスじゃないとダメだ。 「ッ!?」  ダメージは与えられているが、吸血鬼の再生能力は折り紙つきだ。防御は低く攻撃力が高く回復力が高い。それが吸血鬼の特性なのだ。  飛散した血液が形を変え、薄い壁になる。こいつは俺を馬鹿にしているんだろうか? 遊んでいるんだろうか? 目の前に発生した血の防御壁を気にする事なく、俺は無言でメイスを二度三度振るった。  一度目で壁が消失し、二度目で身体に到達、皮膚を貫き、三度目で肉に到達する。ザルパンが苦痛に呻く。何故か霧に変化する気配がない。 「? 逃げないのか?」  思わず口から思っていた言葉が出てしまった。  手が振り上げられるが、そんなの気にせずにメイスで叩き潰す。本来の力が戻ったとしても、所詮は闇の眷属。それを専門として戦う異端殲滅官の敵ではない。退魔術は闇を祓うために生み出された力なのだ。もともと、問題は如何にして逃さないかの一点だった。  倒せなかったのもただ単純に邪神の加護が強すぎただけで、ヴァンピールとしての能力がハードルだったわけではない。身体能力は確かに高いが、一級の補助を掛けた俺程ではないし、ヴァンピールの防御力は対して高くないのだ。こちらの攻撃力が上がれば差異も縮まって当然。  重力を乗せた一撃一撃がその身体に確かに命中している。その生命を少しずつ削っている。霧に変化すれば避けられるにも拘らず、何故躱そうとしないのか。やられる寸前に霧化して逃げ出し、俺を苛つかせる作戦なのか。もしそうであるのならば、さすが意地の悪い魔族としか言い様がない。  丹精だった顔つきがあっという間にぼこぼこになる。歪んだ真紅の眼が一瞬輝き、力を放った。  『生命吸収』  生ある者の命を吸収するその能力が発現し、俺に掛けられた光の加護に弾かれて消える。周囲に疎らに生えた草が余波を受けて枯れるがその程度では回復もできないだろう。一般人や加護のない剣士などならともかく、僧侶相手に『生命吸収』など効かない。  まるでサンドバックでも殴るかのようにメイスを振るう事十数秒、ようやく手応えが消える。黒い霧が流れ、数メートル離れた所で再構築される。  ザルパンが跪き涙目で咳き込んでいた。黒衣のそこかしこには穴が空き、黒に染まっている。 「げほっ、げほっ、あ……な、どうな、なんだ君はッ!?」  答えずに距離を詰め、メイスを振り回す。今度は命中する寸前にその身体が霧に変化し、避けられる。逃げるならさっさと逃げろよ。俺は暇じゃないんだよ。やることが沢山あるんだよ。  霧は樹の上高くまで舞い上がると、枝の一つで人の形に戻った。  咳き込むように荒く呼吸をする。傷が少しずつ回復しているのがわかる。 「はぁ、はぁ……化物……め……」  失礼な奴だ。メイスを肩に担ぎ、ザルパンを見上げる。逃げるならさっさと逃げろよ。俺は暇じゃねーんだよ!  藤堂はまるで麻痺したようにその場にとどまったままこちらを見ている。ストレスに胃がキリキリと傷んだ。頼むから安全な場所に行ってくれ。  ザルパンの傷が九割方再生した所で、今度はその全身が大きく震える。  血の気のない白の皮膚に黒の毛がぞわりと生え、その背から影が飛び出る。  『動物化』  動物に自由自在に変化するというヴァンピールの特殊能力の一つ。特に狼と蝙蝠に変化する傾向が強いので、恐らく変化先は蝙蝠だろう。飛んで逃げるつもりか。まぁ、それならそれでいい。転移だろうが飛行だろうが逃げられる事に代わりはない。レベルはあっても俺には翼がない。  立ち止まって見守る中、変化したのは予想どおり蝙蝠の姿だった。闇を切り取ったような巨大な蝙蝠。牛程の大きさはあるだろう、それが甲高い声で鳴く。そしてこちらに襲いかかってきた。  逃げるとばかり思っていたので、思わず目を見開いてその光景を見返してしまう。  複雑な機動、野生の蝙蝠よりも遥かに速い速度で旋回を繰り返し襲いかかってくる。それをメイスを振るって叩き落とした。キーキーというどこか哀愁漂う悲鳴が森に響き渡る。明らかに人の方が強い。何故戦闘力の落ちる蝙蝠で襲いかかってくるのか。  これはボーナスステージか……? ヴァンピールの形状変化は連続で使用出来ない。一度人の姿に戻らなければ霧化して逃げる事も不可能だ。  内心、首を傾げながらも、その翼を踏みつけ動きを止め、その小さな頭蓋骨にメイスを叩きつける。もはやストレス解消に近かった。何度も何度も叩きつける。人の形に戻ろうとするが、構わずにメイスを振るう。数秒で人の形に戻るが、その時には既に頭はぼこぼこに腫れ上がっていた。  思い切り振り下ろしたメイスが空振る。霧化か……痛みはあるはずだが逃げずに向かってくるとは、こいつもしかしてマゾなのか……?  少し離れて、霧が再び人に戻るが、ダメージはそのままである。  戦闘中に会話を交わすなんて馬鹿のやる事だが、思わず問いかけてしまう。 「……お前、何がしたいんだ?」 「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な、この、この僕が、暗黒神より加護を頂いたこのザルパン・ドラゴ・ファニが、万全の状態で人間になんて、負けるわけが――」  俺の問いかけが聞こえているのか聞こえていないのか、それとも独り言の癖でもあるのだろうか?  いや、違うな……もしかしてこれ、殺せちゃう?   馬鹿だ。こいつは馬鹿だ。  プライドを擽ればいけそうである。俺は考えを改めた。こいつは馬鹿だ。絶対に逃げられると思っていたが、やれるのならばやってしまった方がいい。  言葉を選びながら、ザルパンに宣言する。 「……ザルパン・ドラゴ・ファニ、全力でかかってこい。その身に流れる王の血に誇りがあるのならば、正々堂々と決着をつけよう」  ザルパンが俺の方に表情の抜け落ちた顔を向ける。 「の……望む、所だ。あは、あははははは……この僕が、負けるわけがない……」  声に力はない。緊張かあるいは武者震いか、その身体は震え、身のこなしはお世辞にも見れたものではない。だが、その意志はこちらに向いていた。殺せる。殺せるぞ、これは。  想定外の展開に気力が湧いてくる。  藤堂は愚かだがザルパンも同じくらい愚かだ。心変わりされる前に……殺す。面倒な事は後回しにしない。ビジネスのコツである。  ザルパンがぱちりと指を鳴らす。空中に、先ほど撃った時とは比べ物にならない無数の闇の矢が発生した。その数、百本近く。これが本来の実力か。一本一本が致死の威力を秘めている。藤堂なら一撃だろう。アメリアでも危ないかもしれない。  無言で祈りを捧げ、同数の光の矢を生み出す。何度も神聖術を行使したが、俺は神力だけは人並み外れているのだ。力にはまだまだ余裕があった。  闇の矢が射出される。光の矢がそれを迎え撃つ。それを皮切りに、身を低くしして地面を蹴った。  もはや動物に変化して迎え撃つ事は諦めたのだろう。ザルパンも同じように、両手に血の剣を握り突進してくる。光と闇の矢がぶつかり、夜の森に破裂するような音が断続して響き渡った。  血の剣を確認する。今度は先ほどよりも力を込めているだろう。メイスで打ち払っただけで消せるかわからない。だが、問題ない。打ち消せないのならばそれはそれでやりようがいくらでもある。  一体奴は何を持って勝機を見出したのだろうか。それとも、もうその勝利は諦めたのだろうか。  答えは出ない。接敵、左右の手に握った血の剣が形状を変え刺突の勢いで伸びる。読めていた。血流操作の基本的な戦法だ。ヴァンピールなら皆やってくる。初見ならばまず受けるが種が割れていれば、警戒していれば回避は難しくない。  突然伸びてきたそれを跳躍し躱す。ついでにつま先でその顎を蹴り飛ばした。鈍い感覚。本当に霧に変わらないのか。着地すると同時に、メイスを一瞬放し、腕の開いたその身体の鳩尾に手の平を当てる。ザルパンの腕が伸び、手の平が爪を立てて肩をぎりぎりと掴む。握力に肩が軋み、しかし中に着込んだチェインメイルのおかげで爪は肉にまで至っていない。 「裁き光」  手の平から放たれた何度目かわからない光、衝撃に腕が離れ身体が後ろに吹き飛ぶ。メイスを掴み、それを追う。  遠心力を利用してメイスをぶん回す。一撃に全力を込める。徹底的に全て壊す。横薙ぎに払われたそれを、ザルパンがとっさに腕を固めて防御する。が、悪手である。肉体的にそれほど強くないのに受けようなどとは愚の骨頂。  ザルパンが勢いよく吹き飛び、樹木に叩きつけられる。倒れたそれに追撃をかける。伸し掛かり、ただ夢中でメイスを振るう。血が飛び散り、頬にかかるが気にしない。武器を通してザルパンの生命力が落ちているのがわかる。意識が半分飛んでいるのがわかる。頭を重点的に狙ったのがよかったのだろう。司令塔が脳である点は人間も黒き血の民も変わらない。十数度程叩きつけた所でその身体が霧に変わる。生存本能が働いたのだろう。反射みたいなものだ。それは、後少しで殺しきれる事を示している。  それを証明するように、少し移動した所で霧が元の人の姿に戻った。血まみれの頭。満身創痍の姿。だが、意識は戻っていた。逃げられないように挑発する。  メイスを二、三度振り、血を振り落とす。 「どうした、ザルパン? 俺はまだ一撃も食らっていないぞ。遠慮せずに本気を出して見せろ」  若き吸血鬼がその言葉に大きくふらつく。そしてふと上げられた頭、その眼光が俺を貫いた。  死にかけの男のものではない、怨嗟と悔恨のないまぜになった眼、怖気の奔るような眼だ。油断など微塵もしていなかったが、こういう眼をする魔族は厄介な事が多い。  ちらりと引きつったような忘我の表情で観戦している藤堂の方に視線を向ける。何故さっさと逃げないのだ。いや、まぁいい。リミスとアリアは諦めよう。最悪藤堂だけ何とか助ける事ができれば――。  ザルパンがまるで地獄の底から這い出る亡者のように、低く呻いた。 「あ……あ……ま、けだ……」  耳を疑う。こいつ、今、『負けだ』と言ったのか?  傲慢な、誇り高い魔族が敗北を認める? ありえない。  警戒を更に強める。周囲に視線を投げかけ、いざという時の行動パターンを脳内に浮かべる。  ぶつぶつと呟くようにザルパンが続ける。 「化……物……ああ、あはは、はは、今回は……僕の負けだ。ああ、認めよう。あは、はははははは……今の僕じゃ……敵わない。あんたには敵わない……『勇者』ッ!!」  逃げるのか。  その言葉、喉まで出かかった所で俺はそれに気づいた。  ザルパンが一歩こちらに近寄く。殺意ともなんとも取れない理解不能の気配。逃亡ではない。何のつもりだ?  さらに一歩こちらに近づく。今にも倒れそうな状態にも拘らずこちらに近づいてくる。俺もまた、一歩前に出た。彼我の距離は二メートル。相手は満身創痍だが一撃で殺せる程ではない。だが、もう一度マウントを取って何十度か殴れば殺せるだろう。  眼が輝いている。深く、昏く、爛々と。  悍ましい。例えプリーストでなくとも、人族ならば誰しもが感じる神の敵。  そして、ザルパンがそこで弱々しく笑みを浮かべた。 「勇者……次は……負けない。殺す。この血に賭けて」 「次があるとでも?」 「ある……さ」  なんだ……この自信は?  悪寒を無視する。これ見よがしに鼻で笑い、メイスを強く握り直したその瞬間――目の前の気配が、膨れ上がった。  違う。気配ではない。膨れ上がったのは――身体の中の『何か』。邪悪な力のその根源。 「あは、あはははははははは、ははははははははははははははははははッ!」 「ッ」  今までの経験、勘が脳内で甲高く警鐘を鳴らす。  次の瞬間、身体が自然に動いた。行動はほぼ反射だった。踏み込むと同時にメイスを強く振り上げる。  狂ったように笑うザルパンの身体を全力で撃ち上げる。高く飛ばすと同時に、神に祈った。  ――刹那の瞬間、大地が空気が震え、空が暗黒に染まった。  世界が破壊されたかのような凄まじい轟音に脳が揺さぶられ、衝撃に身体が持っていかれそうになりぎりぎりで踏ん張る。  嵐のような風に仮面が外れ、半ばぶち折れ、飛来してきた樹の幹をメイスで叩き捨てる。同時に理解した。  あの野郎――自爆しやがったっ!  後悔したが、もう遅い。歯を食いしばり耐える。  数十秒か、数分か、衝撃が止んだ。状況を確認する。  そこには、何もなかった。  フレイム・リオンの死骸は勿論、火を消し止めるためになぎ倒したはずの樹は吹き飛ばされ、地面はまるで掘り返されたかのように何もかもが消えている、高く伸び生えていた樹は削られたかのようにごっそりと上部がなくなり、ザルパンの姿は……ない。気配も何もない。それはそうだ。爆発の起点はあいつ自身だった。如何に暗黒神の加護を持っていても、内部からあれほどの爆発を受ければ耐えられまい。  空中広くにとっさに張った半円形の光の壁がかすかに瞬き、消えた。最上位の防御魔法の一つ。持続時間が短いがあらゆる攻撃を防ぐ高等術式である。それでも、衝撃の一部は防ぎきれていなかった。もし万が一展開が間に合わなかったら、俺でも大きなダメージを受けていただろう。 『アレスさんッ!? アレスさんッ!?』 「あ……ああ、生きてる。大丈夫だ」  アメリアは……無事か。一度咳き込み、何とか答える。  自爆魔法……暗黒術の中にそのような術式があるというのは聞いたことがあったが、実際に見るのは初めてだった。術者が確実に死ぬ魔法など、普通は使おうとは思わない。  ザルパンの最後の言葉は本気だった。次は勝つという言葉も。  呼吸を整える。周囲に敵の反応はない。軽く手の平を握る。身体は動く。ダメージはない。感覚も正常。  腕を上げ、顔を触れる。仮面は……ない。どこに飛んでいったのかもわからない。仕方ない。何とか精神を鎮め、アメリアに連絡する。 「脅威は消えた。アメリア、こっちに来れるか?」 『……はい。わかりました。……藤堂さんたちは?』 「……生きてるよ。藤堂は勿論、リミスもアリアも無事だ」  生命反応は三。全員無事だ。  本当によかった。防御魔法が間に合って本当に良かった。間に合わなかったら藤堂たちのレベルだったら塵一つ残らなかったはずだ。  アメリアが来るまでの間に確認する。  藤堂は地面にうつ伏せに倒れていた。側に跪き、念のため脈拍を確かめる。心臓も止まってはいない。音と衝撃で気絶したのか、意識はない。外傷は打撲痕と擦過傷。ちゃんと鎧を着てきたのがダメージ軽減につながったのだろう。飛んできた樹か石か頭を打ったのか。頭に大きなたんこぶができているが回復魔法を掛ければ問題ない。  アリアは屈んだまま気絶していた。その手は飛ばされまいととっさに突き刺したのか、意識がないにも拘らず地面に深く刺さった剣を強く握っている。やはり細かな傷はあるが、生きていさえすればなんとでもなる。  リミスはアリアの下にいた。押し倒されるような形で気絶している。いや、アリアが庇ったのだろう。意識はないが、外傷も殆どない。慣れていないだろうに、とっさに庇ったのは大したものである。軽装だし、一番死にやすいからな。  全員無事。全員無事で、対象も消え去った。結果だけ見れば問題はないが、奇跡、奇跡である。奇跡だとしか思えない。  ようやく戻った静寂が身を包む。どっと疲れが出て、その場で座り込んだ。  肉体的にはまだまだ動けるが、精神的に凄くしんどかった。  しかし、忘れてはいけない。ここは……一つ目のレベルアップの場なのだ。藤堂を最強の勇者にするには、後五つか六つ、できるだけフィールドを減らしたとしても最低三つのフィールドを経由せねばならない。  アメリアが合流するまでの間、俺は如何にして藤堂を導くか、疲れた頭で答えのでない問題に取り組み続けた。 page: 45 Epilogue:集まる英雄たち  椅子に浅く腰かけ、足をテーブルに投げ出す。一難去っても、俺の仕事は終わらない。  場所はヴェール村。その安宿の一室。チェックアウトしたばかりなのに再びチェックインした俺たちを、カウンターの従業員は不思議そうに見ていた。  水を一口咥内に含み唇を湿らせ話しかける。金のイヤリング、通信の魔道具は遠く離れた教会本部にいるクレイオ枢機卿に繋がっている。 「ああ、だから黒き血の民だよ、吸血鬼だ。ステージは3。能力自体は対して高くなかったし、何よりも馬鹿だったが、ともかく向こうにもだいぶ目の利く奴がいるらしい」  俺の言葉に、イヤリングが落ち着いた声を返した。 『ヴァンピールか……今までヴェールの森で出た事は?』 「ない。初めてだ。教会にも確認したが、村の中では勿論、気配を感じた事もここ最近はないそうだ」  闇の匂いは強く香る。特にプリーストならば相当遠くからでも感じ取れる。事実、先ほどヘリオスに確認した所、昨晩ちょうど俺が戦闘していた頃に微かな闇の眷属の匂いを感じていたらしい。仮にいままでそんな事があったのならば、教会からさっさと討伐隊を差し向けていた事だろう。 『ルシフの加護を持つ吸血鬼、か……』 「もう少し向こうに経験があったら苦戦していただろう」  何しろ、俺の攻撃は相手に殆ど通じていなかったのだ。暗黒神の加護はそれだけで加護を持たない戦士に対して圧倒的な優位性を発揮する。  黒き血の民はただでさえ強敵だ。今回は……相性が良かった。ザルパンは言っていた。功績を立てさせるために派遣された、と。つまり奴は魔王軍の中では新参でそして……恐らく本当に期待されていたのだろう。  ヴェールの森が格好のレベルアップの場であるというのはちょっと調べればわかる事だ。勇者のレベルが低ければまず訪れる事になる。そして、低レベルでは勇者と言えどステージ3の魔族には敵わない。  危うかった。相手は本気だ。本気で殺しに来ている。わかっていたことだが、改めて実感する。今回は向こうにも確信がなかったという話だったのでこの程度で済んだが、次はこうはいかないだろう。 「どういう手法かまでは聞き出せなかったが、勇者の出現は予想されていた。ザルパンから連絡が取れなくなったと知れば、次は確信を持って襲ってくるだろう。何より、ちょうど一月が過ぎた」  壁にかけてあるカレンダーにちらりと視線を投げかける。  史実によると、勇者召喚の術式はおよそ一月でバレるとされている。どちらにせよ、ウォーミングアップはもう終わりだろう。  テーブルから足を下ろし、立ち上がって窓の側まで歩く。そっと外を窺った。  昨晩とは異なり、雲ひとつない空。眩いばかりの太陽が燦燦と人の営みに降り注いでいる。  ヴェールの村は盛況、いつも通り何一つ変わった様子はない。 「勇者たちはどうした?」 「……全員眠らせて教会に運んだ。大きなダメージはない。眼が覚めたら次の刺客が来る前に次の街に立ってもらう事になるだろう」  アメリアに魔法を掛けてもらい教会に運んだ。馬車を使えたのでそれほど手間ではなかった。運び終える最後までその意識はなかった。顔は見られていない……と思う。  腹減ったしか言わない役に立たなかったグレシャへの説得も終わっているし、ヘリオスにはきつい説教をしてくれるよう言伝をしてある。これで少しでも変わってくれればいいのだが……。  適所適所で厄介な真似をされると非常に困るのだ。死ぬのは自分だっていうのに、藤堂は無意味にアクティブ過ぎる。  既に、胸中に沸く感情は怒りから諦観に変わりつつあった。何で何もするなっていうのに余計な事するんだよッ!  悪意のある行動ではないからこそ余計に腹立たしいのだ。  此処から先一つの街に長くとどまるのは危険だ。一つのミスが致命的になる事もあるだろう。  俺の声に滲んだ感情を感じ取ったのか、クレイオがふと思案げな声を出す。 『ふむ……』  そして、唐突に想定外の提案をしてきた。 『アレス、この任務、辞めたいかね?』 「辞めるわけがないだろ」  くだらない提案だ。  立て付けの悪い窓を閉めると、もう一度席に戻った。アメリアには教会で藤堂たちの動向を確認してもらっている。こちらも藤堂たちに続いて次の街に出なくてはならない。  余計な事に思考を割いている暇はない。 『面倒なんじゃないのか?』 「俺がやらなければ誰がやる」 『他にも異端殲滅官はいる』 「そいつらは俺よりも弱い」  これはベストな選択だ。確かに面倒臭い、ストレスのかかる仕事だ。子供のお守りをしている気分だ。魔族相手に何も考えずにメイスを振るっていたほうがよほど楽だ。だがしかし、俺を選んだ枢機卿の判断は正しい。  十人存在するクルセイダーの中で一番強く耐久があり数多の闇の眷属と戦いそして何より……一番レベルが高いのは俺だ。 「心配はいらない。これはビジネスで、俺はプロだ。例えどれだけストレスがかかろうが面倒だろうが、藤堂の頭をかち割ったりしない。胃痛も頭痛も全て神聖術で治せるし、耐えるのには慣れてる。実際に、俺は無防備に気絶していた藤堂たちを傷一つ付けずに教会に置いてきた」 『……ああ、それなら問題ないが……』  クレイオがその言葉を最後に沈黙する。しかし、まだ通信は切れていない。  こちらからは何も言わず、研ぎ直し、磨き直した短剣の刃渡りを再度確認する。今回はサブウェポンの弱さが明るみに出た。ザルパンに奪われた聖銀製のナイフも結局失われたままだ。  武装は途中で補給しなくてはならないが、そう簡単に手に入るようなものでもない。しばらくはメイスだけで戦わなければいけないだろう。攻撃力の低下だけが心配だった。ただでさえプリーストの俺は攻撃力が低いのだ。  確認を終え、ダガーを再度鞘に納めたところで、クレイオが再び話し始めた。 『アレス。我々教会は『聖勇者』藤堂直継に君を派遣したが、実はもう一人派遣する可能性のあった候補がいた』 「……誰だ?」  初めて聞いた情報だった。  異端殲滅官は皆、基本的に多忙だ。クレイオから辞令が下ったその時、俺も大物と戦う準備をしている最中だった。結局後輩のクルセイダーに引き継いで勇者のサポートに従事する事になったが、もう一人の候補と言われてもイメージが湧かない。まさかグレゴリオを派遣する程、馬鹿ではないだろうし……。  そして、クレイオがその単語を言った。 『聖女だよ』 「……は?」  思わず、今まで考えていた今後の計画を全て忘れる。それは、そのくらい衝撃的な単語だった。  聖女。アズ・グリード神聖教に存在する象徴的な存在。最高位の神聖術の使い手にして、秩序神の加護を誰よりも深く受けている少女。異世界から藤堂直継を召喚したアズ・グリードの秘奥、英雄召喚の術者でもある。  その命の価値は俺よりも遥かに重い。 『いや、もともと……英雄召喚を試行するその直前まで、我々は聖女を勇者パーティの一員とする予定だった。任務執行中の君が呼ばれたのは、それが反故になったためだ』  確かに、呼び出しは本当に急だった。何しろ、俺はターゲットの討滅にとりかからんとする寸前にその指令を受け取ったのだ。せめて討伐を完了してからにして欲しいという要求も受けいれられる事はなかった。  聖女は強い。戦闘能力が高いわけではないが、聖女の受けているアズ・グリードからの寵愛は他のプリーストとは桁が違う。 「何故反故になった? 聖女の能力ならば少なくとも……藤堂の要求にマッチしてる」  俺は聖女についてあまり詳しくないが、少なくともパーティから追い出されるような事はなかったはずだ。  その問いに、クレイオが、百戦錬磨の聖穢卿が、珍しい事に、非常に苦々しい声色を出した。 『……性質が……違った。そう、我々の想定とは異なっていた。今までに文献に残っていた勇者とは違っていた。それが理由だ。アレス。わかるね?』 「……ああ」 『藤堂の同行者として、レベルの低いリミス・アル・フリーディアとアリア・リザースが選ばれたのも……それが理由だ。勿論、剣武院や魔導院にも各々の思惑があるだろうが、一番の理由はそこだろう』  その言葉を聞きながら思い起こす。  知っている。わかる。性質の違い。  同じパーティだった、たった十日ちょっとの間でも度々感じ取った違和感。  女好きはまぁ置いておくとしても、行動の節々に狂気に似た何かを感じていた。歪な正義、とでも呼べるだろうか。確かにそれは、教会が聖女を預ける事をためらってもおかしくはないリスクと言えるかもしれない。  だが、そうなると……藤堂のレベルを上げてしまうのはリスクになるのではないだろうか?  いや、違う。確かに、教会の召喚した勇者が異常者だったとなれば角が立つ。サポートしないわけにはいかない。が……俺が選ばれたのは、万が一の際に始末をつけるためか?  今の状態ならば間違いなく俺の方が強い。いくら八霊三神の加護を持っていても、しばらくは俺の方が強い状態が続くだろう。  ぞっとするような考えを、頭を振って打ち消す。今考えても無意味だ。ただ、覚悟だけはしておく必要があるかもしれない。  明確に命令が出る事はないだろう。それは教義に反する。  タイミングを見計らったかのように、クレイオが言った。 「アレス、あまり悩む必要はない。大きな意図があるわけではない。私が言いたいのはつまり、そう、君には選ばれた理由があるという事だ。そして、君にはそれを成すだけの能力がある。わかるかい?」 「……ああ」  わかる。覚悟はある。  俺は出来る事を、すべき事をやるだけだ。今までと何ら変わらない。相手が魔王であれ、勇者であれ。  通信の向こうで、クレイオが薄い笑みを浮かべた気配がした。 「ならばいい。期待してる、アレス・クラウン。アズ・グリード神聖教会、異端殲滅教会序列第一位、レベル93の……異端殲滅官よ。今までどおり、藤堂のサポートの任につき、魔王クラノスを討伐せよ」 「……了解」  通信が切れる。精神的に疲れた。しばらくぼーっとしていたかったが、すぐに立ち上がる。  考える暇があったら、身体を動かした方がいい。  命令は完遂する。勇者がどんな人間であっても関係ない。勇者のレベルを上げる。魔王の討伐をサポートする。  勇者には加護があり、サポートする俺には教会からのバックアップがある。それだけ揃っていれば十分だ。誰にだって出来る。障害は消す。勇者のレベルを上げる。容易い事だ。  藤堂たちの情報収集は全て終わったのだろうか。  廊下を通るアメリアの軽い足音が聞こえ、扉が軋んだ音を立てて開く。  俺は報告を聞くために、今後の指針について話し合うために、リュックサックの中から地図を取り出し、テーブルの上に広げた。  聖勇者、藤堂直継のレベル。  現在……27。 page: 46 英雄の唄A  そして、藤堂直継は覚醒した。  見覚えのない天井。朦朧とした意識をそのままにゆっくりと身を起こす。  家具の殆どない簡素な部屋、ベッド、机、椅子。肩、腕、体幹。重要部分を守護する勇者の鎧が擦り合い、かしゃりと音を立てる。  状況判断もそのままに、汗で張り付いた前髪に指で触れる。その指は微かに震えていた。  夢を見ていた。恐ろしい夢だ。だが、内容は何一つ覚えていない。  ベッドから足を下ろし、立ち上がる。足に力が入らず大きくふらつくが、何とか転ばずにたちあがれた。  ずきん、と。頭に奔る頭痛を抑えるように額に手の平を当て、藤堂は一人小さく呟いた。 「ここは……」  時間と共に、少しずつ昨晩の光景が蘇ってくる。  自分は森の中にいたはずだ。  少しでも被害を減らすために。悪魔を討伐するために。  勝てる可能性は少なかった。が、自分には聖剣が、勇者の使った装備がある。立ち向かわねばならなかった。藤堂直継は勝利できる確率の大小で立ち向かうか否かを決めたりはしない。今までも、これからも。正義の顕現とは、そういうものではないのだ。  森の中。その奥底で発生した光。初めて見る――魔族に、それと戦っていた仮面の男。  今は何時だろうか。部屋に時計はないが、眠っていた時間は短くはないだろう。  寝かされていたベッド、部屋には特徴がなかったが、ここがヴェールの森の中ではない事は理解できていた。  ――そうだ、リミスとアリアは……?  室内には自分以外に人はいない。記憶は、突如発生した衝撃の波で途切れていた。全身がばらばらになりそうな衝撃。手足を軽く動かすが、勇者の鎧が軽減してくれたのか、ダメージは残っておらず、身体に異常はない。唯一ある痛みは、頭の奥底で波打つように発生している頭痛だけだ。  敵に捕まった……? いや、ならば拘束くらいされていなければおかしい……はず。  指にはアイテムを異空間に収納できる魔道具がはまったままだ。側には剣がなかったが、その内部に収納されている事が、装備者である藤堂にはわかった。  扉の外から足音が聞こえる。いや、それは見知った気配だった。  鍵が開けられる音がして、木の扉がゆっくりと開く。 「ヘリオス……さん……」 「お目覚めですか、藤堂さん」  前回会った時と同じように、穏やかな、しかし油断のならない笑顔を浮かべ、ヘリオス・エンデルが訳知り顔で頷いた。 §§§ 「ヘリオスさんが居るという事は……ここは教会か」 「ええ、ヴェール村の教会の一室です。藤堂さん、貴方は……闇の眷属との戦いに巻き込まれ、意識を失ったのです」 「そう……か……他のみんなは?」 「全員無事です。怪我なども特にありません」  状況を聞きながら、ヘリオスについて歩く。  全員が無事だという言葉を聞いて、藤堂は安心したように息を吐いた。  何が起こったのかも理解できない。突然全身を襲った衝撃。高性能な鎧を持ち、パーティ内では最もレベルが高い藤堂ならばともかく、アリアやリミスならば致命的なダメージを受けてもおかしくない。そう思っていた。そう思わざるをえないくらいに、凄まじい衝撃だったのだ。  案内された一室には既にリミスとアリア、グレシャがそろっていた。ようやく、日常に戻った気がして、藤堂の肩のちからが少しだけ抜ける。アリアもリミスも、着替えたのか部屋着になっていた。 「ナオ殿、ご無事でしたか」 「……ああ。気分は悪いけど、大丈夫、問題……ないよ」 「ナオだけ目を覚まさないから凄い心配したんだから……」  詰め寄ってくるリミスに、藤堂は弱々しく笑みを浮かべる。 「ああ……ごめんごめん。悪い夢を……見ていたみたいだ」 「……大丈夫? 酷い顔だけど」 「大丈夫。何の夢を見ていたのかももう……覚えていないから」  心配そうな表情をするリミスに答える。実際に、気分は良くないが起きた直後程ではない。  ヘリオスが水差しからコップに水をつぎ、藤堂に渡す。喉はからからに乾いていた。それを飲み終えるのを待って、ヘリオスが口を開いた。 「……さて、藤堂さんが眼を覚ましたので状況をご説明しましょう。と言っても、状況は単純です。貴方がたは闇の眷属――黒き血の民との戦いに巻き込まれ、気絶した所をここに運ばれました。記憶は?」 「……ある」  アリアとリミスの方に視線を向ける。それに応えるように、二人も小さく頷いた。  グレシャの方に視線を向ける。元竜の少女は顔を上げる事も無く、椅子の上でぶらぶらと足を揺らしていた。 「介抱に当たり、装備や、キャンプにあった道具は全て藤堂さん、貴方の魔道具に入れてあります。……藤堂さんの着ている鎧だけ、脱がせられなかったらしくそのまま寝かせる事になりましたが……」 「……ああ。この鎧は、僕にしか着脱出来ないんだ」  聖鎧フリードは強い加護のあるものにしか扱えないという特性をもつ。リミスは勿論、アリアにも装備出来ない勇者の鎧だ。  藤堂の言葉に、ヘリオスが大きく頷いた。 「外傷などは多少ありましたが、全て治療済みです。痛みなどはありませんか?」 「……ああ、ありがとう。大丈夫、ちゃんと動くよ。痛みもない」  全滅したら教会に戻るのだろうか?  一瞬浮かび掛けたゲーム的な考えを自ら否定する。これは現実だ。例え、レベルという概念が存在し魔法という神秘が存在し、魔物なんてものが存在していたとしても。  静かな声で、藤堂がヘリオスを見上げ問いかける。 「一つ、聞きたい事があるんだけど……」 「どうぞ」 「魔族……黒き血の民は……どうなった?」  藤堂の記憶の中では、魔族の方が圧されていたはずだ。あそこから逆転出来るとは思えない。  あの魔族は『負けだ』と言ったのだ。怨嗟と憤怒の混じった声。確かに藤堂にも聞こえていた。が、となると自分の意識を刈り取った衝撃の原因がわからない。  ヘリオスが素っ気ない様子で言った。 「自爆しました」 「……自……爆?」 「ええ。魔族の使う術の中にそういう術があるのです」  自爆。  予想外の言葉に、目を大きく見開き、ヘリオスをじっと見つめる。 「……戦っていた人は?」 「無事です。貴方がたをここまで運んできたのはその方ですよ」 「そう……か。よかった」  ほっと息を吐く藤堂の姿を、ヘリオスが目を細めて見ていた。 「……その人は?」 「……既に村を発ちました。忙しい方ですので」 「そう、か……助けてもらったお礼を言おうと思ったんだけど」  リミスとアリアと藤堂。グレシャは自分で動けたとしても、三人を運ぶのは骨が折れるはずだ。  また、魔族との戦いを邪魔してしまった謝罪もしなくてはならないだろう。 「藤堂さん、貴方がこれからも魔族と戦っていくのであればいずれまた出会う時が来るでしょう。その際に礼を言えばいいでしょう」  ヘリオスの言葉に、真剣な表情で藤堂が一度頷いた。 「ああ……そうするよ」 「土下座すればよろしいかと」 「……土下……座……?」  目を丸くしてヘリオスの方を見る。冗談を言っているような表情ではない。  視線をどこに向けていいかわからず、室内を見回す。以前入った時は様々な悪魔討伐のための道具が置いてあったが、今はもう全て片付けたのは何もない。戦いは終わった、という事なのだろう。  ヘリオスが藤堂たち全員に視線を送る。 「さて、その方から伝言があります」 「……伝……言?」  藤堂の肩が緊張にこわばる。  邪魔をしてしまったのはわかっていた。武器を、メイスを渡した時に感じた空気の変化、何が起こったのかはわからないが、清浄な空気が闇に汚染されるその様子は強烈に藤堂の脳内に刻み込まれている。  武器を渡さなければと思った。あんな事になるとは思わなかった。が、言い訳など出来るわけがない。 「……まぁ、色々と罵詈雑言を言付かっておりますが、その辺はいいでしょう。貴方がたが何故教会に報告した通りに動かなかったかも、既にアリアさんに聞いています。貴方の判断は個人的に尊敬に値しますが、こちらも何も考えていないわけではない。相手がなんであれ、十分攻略に足る戦力は用意されていました。余計な事をする必要はなかった」 「……ああ」  その場にたどり着き、戦闘の光景を見た瞬間に圧倒している事はわかっていた。  その戦闘能力。まだこの世界に来て戦い始めて間もない藤堂にでもわかる。自分よりも遥かにレベルが高いという事が。それでもつい手を出してしまったのは、何か手伝わなくてはという意識が先走ってしまったからだ。結果論で言えば、手を出すべきではなかった。何もするなという言葉に従うべきだった。  行動に、意志に後悔はしていないが反省点はある。  どこか不満気な表情をしているリミスを視線で牽制する。仮にも良かれと起こした行動に対して叱られるのが納得いかないのだろう。だが、行動が裏目に出てしまっている。反論出来るはずもない。 「終わってしまった事は仕方がない。しかし、次から行動を起こす際は……教会に一言頂けると助かります。こちらからもサポートできる事があるかもしれません」 「……プリーストを派遣してくれない癖に」  リミスがぼそりと呟いた言葉に、ヘリオスは笑みで返した。笑みで返し、その事には言及せずに続ける。 「我々は貴方がたの味方です。勿論、我々に神の寵愛を受ける聖勇者の意志を阻む権利なんてない。ですからこれは強制ではなく……お願いですよ」 「ああ……わかったよ」  頷き、その言葉を記憶に刻みつける。確かに、行動は尚早だったのかもしれない。一言連絡してから森にはいってもよかったはずだ。それが出来なかったのは……藤堂の中に教会に対する不信感があったから、なのかもしれない。  その様子に三度頷き、ヘリオスが本題に入る。 「さて、ここから先は質問です。藤堂さん」 「質……問?」 「ええ……初めて見る魔族は……如何でしたか?」 「初めて見る……魔族……」  真剣なその言葉に、藤堂は昨夜の光景を思い出した。  人の形を取り、しかしひと目見た瞬間に人ではないと確信出来た黒き血の民の姿。視界に入った瞬間に空気が変わった、世界が塗り替わったかのように錯覚した。心臓の鼓動が早くなり脳裏に絶望が過ぎった。何故自分と同じ人の姿をしているのかがわからなかった。  邪悪。感じ取った。実感した。人類の天敵の意味を。例え地に伏せてさえ微塵も同情がわかず、ただ脳が警戒を促す。地に伏してさえ、殴られ顔を腫らしている、その瞬間でさえ、安心出来ない。  あれは敵だ。わかる。僕はあれを……殺さねばならない。  その表情を読み取り、長きに渡り魔族と戦ってきた神父は続けた。 「あれが魔族です、藤堂さん。貴方が討伐しなくてはならないのは……あれよりも何十倍も強い者、この世界の人間では勝てない魔王です」 「あれよりも……何十倍も強い……」  想像すら出来なかった。魔族は強かった。その何十倍も強い敵。  その光景を見た瞬間、空気に飲まれた。身体はまともに動かず、しかし視線を外す事ができなかった。  邪悪と秩序。光と闇のぶつかり合い。今まで、昨晩まで、藤堂は自らが敗北する事など考えていなかったが、目の前で繰り広げられた戦闘はその意志を覆すものだった。藤堂には――その殆どが理解できなかった。理解は出来なかったが、肌で感じられた。魔族の強さを。そして、それを圧倒する仮面の男の強さ。  召喚され、勇者として魔王を討伐する事を求められた時、藤堂は何故この世界の人間で倒せないのか疑問だったが、その戦闘を見た今ではその理由がわかる。人の天敵という意味が。  そして、それと相対せねばならないという重責が実感出来る。  藤堂が顔をあげる。ヘリオスの方を見上げる。 「強かった……本当に強かったんだ。あの魔族も……そして、それと戦っていた仮面を被った男も……」 「そうでしょう」 「僕ではきっと、今あの魔族に出会ったら……敵わない。多分、僕の剣ならば防御は切り裂ける。でも、一太刀与えるイメージがわかない。僕には……その攻撃が全く見えていなかった。対処方法のイメージもわかない」  移動速度。攻撃速度。無数に発生した闇の矢も、血の剣も、巨大な蝙蝠に化け飛来するその速度も、その一つ一つが自分に取って未知の光景だった。  強いと思っていた。強くなったと思っていた。この世界に君臨する神々の加護、八霊三神の加護を持つ勇者。城で受けた一時の訓練でその才能を認められ、前代勇者の装備すら預けられた。  グレシャと出会った夜に受けた姿無き殺意だけではない、実像のある圧倒的な敵。  藤堂直継が勝利をイメージできない魔族。と、それを一方的に打ち砕いた男。思い出すだけで緊張のせいか、心臓が強く鼓動するのを感じる。  魔王はこの世界の人間では敵わない。故に、藤堂は最終的にはその男を超えなくてはならない。  考えただけで……手が、身体が震えてくる。 「僕は……勝てるのか?」 「藤堂さん」  思わず口から出たその問いに、ヘリオスが問いかける。 「貴方にその意志は残っていますか?」  意志。その問いに藤堂は目を見開いた。  実力が足りなかった。経験が足りなかった。知識が足りなかった。ずっと、何もかもが足りていなかった。だがしかし、意志だけは目的だけは見失ったことはない。それは藤堂直継のプライド。  今更考えるまでもない。絶望的な敵と戦うのは初めてではない。 「ヘリオスさん。僕は召喚される前も世界を変えようと思いました……でも力がなかった」  藤堂はため息をつき、指輪から武器を取り出した。  手の中に一振りの長剣が顕現する。装飾のない黒い鞘に修められた無骨な剣だ。勇者の証、前代勇者が振るい数多の魔物を屠った聖なる剣。それを鞘から抜く。選ばれし者のみが扱えるとされる剣は、藤堂の手の平にしっくりと馴染んでいた。  如何なる金属で作られているのか、青白く輝く美しい刃が藤堂の横顔を映す。  聖剣、エクスの刃は担い手の意志そのものである。それが輝き光を放っているその事実こそが藤堂の意志が何一つ変わっていない証だった。  手の震えは既に収まっている。 「でも、今は振るえる力がある。まだ足りないかもしれない。でも、勝つ。相手がなんであれ、例え僕よりも遥かに強かったとしても。僕は……この世界を救うためにここにいる」 「そうですか。やはり、心配なかったようですね……」  感嘆したようにヘリオスが呟いた。自分よりも遥かに強い魔族と相対しまだ意志を保っていられる人間は多くない。  少なくとも、意志という面に置いては、この勇者は並外れている。実力さえ付けばあらゆる障害を打ち砕く勇者となれるだろう。  ヘリオスが藤堂から視線を外した。 「藤堂さん、貴方は人間の限界レベルが何レベルか知っていますか?」 「限界……レベル?」  アリアとリミスの方に視線を向けるが、二人は首を小さく横に振った。  レベルは上がれば上がる程に上がりにくくなってくる。普通は限界なんて意識しない。 「ご存知ないようですね。これはアズ・グリード神聖教内部で知れ渡っている一つの説なのですが、人間の限界レベルは……100だと言われています」 「レベル……100……」  藤堂のレベルは現在27である。どれ程の時間を掛ければ100まで上がるのか、全く想像がつかない。  その戸惑いを他所に、ヘリオスが続けた。 「ええ。教会の知っている限り、今この世界でそのレベルにまで達しているのは……たった三人。その三人もまた、正規の手段でレベルを上げたわけではない」 「正規の手段……?」  藤堂の言葉に、ヘリオスが頷く。頷き、そして笑った。 「まずは、そこを目指すとよろしいでしょう。レベル100、八霊三神、誰よりも強い加護を持つ貴方がそこに至る事ができれば……貴方は間違いなく世界最強になれる。必ずや魔王の討伐も出来る事でしょう。藤堂さん」  高く掲げたヘリオスの手の平から白の光が放たれる。その光を、藤堂はただ黙って受けた。 「貴方のレベルは現在27。次のレベルアップまでは後32657の存在力が必要のようです。魔王討伐、ご武運を祈ってます」 §§§  ヘリオスに礼をいい、以前までとっていた宿に戻る。  最後に、ヘリオスは魔族が勇者の存在に感づいたという情報を教えてくれた。時間はない。出来る限り早く次の街に行かなくてはならないが、疲労が既に限界だった。  疲れていた。肉体的ではなく、精神的に。  高く意志を持つ事。正義を貫く事。藤堂の性質は父親が幼い頃から叩き込んだものだ。だが、それは決して疲労しないという事を意味しない。  鎧を脱ぎ、シャワーを浴びる。疲労をお湯と一緒に流し落とし、宿の一室で仲間と向き直った。疲れてはいるが、一刻も早く今後の指針を立てなくてはならない。 「みんな、お疲れ様。僕の行動であんなことになってしまって悪かったね」 「いえ……あれは皆の責任です。そもそも、私も早とちりでした……」  アリアの言葉に藤堂は疲れたような笑みを浮かべ、首を横に振った。  確かに、森に入った発端はアリアの「負けます」発言だったが、決定したのは藤堂である。  そもそも、全ては自分の責任だ。このパーティは他でもない、藤堂直継のパーティなのだから。  もしもアレスが残っていたら止めていただろうか。ふとそんな考えが浮かび、すぐに打ち消す。今更いない者の事を考えても無駄だ。  席につくアリアとリミスの方に視線を向ける。グレシャはどうも元気がないようで、ベッドの上でごろごろしながら足をばたばたとさせていた。もともと、グレシャはついでに連れているだけで特に何かを求めているわけでもない。教会においておいて貰えないか頼んでみたが、断られてしまった。  テーブルの上にルークス王国内の地図を広げる。  藤堂はヘリオスから話を聞いている間に考えていた事を話した。 「次の目標地点だけど……ゴーレム・バレーじゃなくてアリアの言っていたユーティス大墳墓にしようと思う」 「……なぜですか?」  その提案を初めに出したのはアリアだが、村長から却下されたはずだ。様子はやや不自然だったが。述べられた理由は納得に値するものだった。  リミスも、初めて聞く話にやや不満気な表情で藤堂を見た。屋内で火属性の精霊魔術は危険。大墳墓を次のフィールドとするとなると、火の精霊しか使えないリミスにとって再び消化不良の戦いが続く事にる。  二人の顔を交互に確認し、続ける。 「僧侶を……仲間にするためだよ」 「プリーストを仲間にする……ため?」 「ああ……」  藤堂が音を立てて地図を叩く。その表情には疲れが残っていたが漆黒の眼は静かに輝いていた。  黒き血の民の操った特殊能力は、まだヴェールの森で低レベルの魔物しか狩った事のない藤堂の見たことのないもので、それと相対する僧侶の姿もまた、初めてみる類のもの。  新しい知識、経験は指針となる。 「魔族を実際に眼で見てわかったんだよ……このパーティには僧侶が足りていない。少なくとも、今は良くても魔族との戦いが始まればこのパーティの弱点となる」 「はぁ……まぁ、そうですね……」  常識中の常識だ。傭兵のパーティはまず回復役を探す。大抵の場合、それはプリーストとなる。  当たり前の事を今更言い始める藤堂にアリアが訝しげな表情を見せる。 「もともとは、僕がある程度カバーしようと思っていた。ヒールも結界も、神力こそまだ低くともある程度は使えるから……」 「……回復なら最悪ポーションを買い込めばいけますからね……」  それは、既に一度パーティ内で話し合った内容だ。レベルアップを優先する。実際に探してみたが、プリーストはいつ見つかるともわからない。アリアとリミスの生家のバックアップさえあれば、貴重な回復薬もある程度数を揃えられる。  リミスが眉根を寄せて、藤堂に尋ねた。 「……それで、今更何がいいたいのよ? ナオが言ったんじゃない、プリーストは後回しにするって」 「それじゃダメなんだ! 僕はわかった……僕には足りないものがある」 「何よ?」  藤堂は大きく頷き、その言葉を出した。 「『退魔術』、だよ」  藤堂の瞼の裏に焼き付いていたのは、仮面の男が放った無数の光の矢。魔族の放った闇の矢を全て崩す流星のような光景だ。闇を祓う光の矢、だ。  その光景こそ、魔族との絶望的な力量差に見いだせる唯一の希望。  若干興奮した様子で、パーティメンバーに言う。 「あの力は間違いなく今後の戦いで必要になる。手に入れるならば、早い方がいい」 「……まぁ、確かにないよりはある方がいいのは間違いありませんが……」  藤堂が何に触発されてそんな事を言い出したのか、アリアにはよくわかった。図らずも、その一戦を同じように見ていたアリアにも引きつけられるものがあったからだ。。 『闇を祓う光の矢』。その術は退魔術の基礎であり、僧侶に詳しいわけではないアリアも知っている。 「ユーティス大墳墓はアンデッドの蔓延る場、僧侶も沢山いるはずだ。新たなプリーストを仲間に入れるには格好の場所だと思う」  藤堂の言葉に、アリアとリミスがゆっくりと顔を見合わせた。  言っている内容は間違いではないし、理屈はそれなりに通っている。もともと、ゴーレム・バレーを次の目標にしたのは村長から薦められたから、レベル上げの効率がいいと言われたからで、特にそこに拘っているわけではない。勿論、村長の言った問題点はあるが、それを上回るメリットがあるのならば、リーダーの藤堂がそう決定するのならば、アリアは従うつもりだった。 「ゴーレム・バレーよりも経験値効率が劣るが、プリーストを仲間に入れることができたならば……問題があったのならばゴーレム・バレーに移動してもいい」 「なるほど……確かに、大墳墓にはプリーストが大勢いるでしょう。あそこは神聖術のみで戦える数少ない地ですから」  攻撃力の乏しいプリーストのレベルを上げられる格好の地だ。仲間のプリーストのレベルを上げるためにあえてそこを訪れる傭兵パーティも数多いと聞く。 「……ですが幾つか問題が」 「問題? 何?」  首を傾げる藤堂に、アリアが言った。 「ええ。ナオ殿はあの光の矢を見て退魔術を手に入れようとしているのだと推察されますが……それは恐らく不可能です」 「……何故?」 「ナオ殿はこの世界に来て間もないので知らないと思いますが……昨晩魔族と戦っていた男は間違いなく退魔の専門家です」  アリアが説明を続ける。武家の一門だけあって、魔物狩りというものについてもある程度の教育を受けていた。その中には悪魔祓いの情報もある。 「退魔の専門家は基本的に教会に所属しています。あのランクの退魔術を持っているプリーストは大墳墓にもいないでしょう」 「? プリーストなら誰でも使えるんじゃないの?」 「基本的にプリーストは回復職です。退魔術を全く使えないという事はないはずですが、まず求められません」 「……なんで?」 「……退魔術を修めるのに時間を掛けて回復や補助を疎かにするよりも、他のメンバー剣や魔法で倒したほうが手っ取り早く安定しているからです」  アリアの言葉を、藤堂が眉を顰め、アレスから退魔術を習わなかった理由を思い出した。確かに言っていた。優先度は低い、と。とりあえずは覚える必要はない、と。  ヴェールの森では大きなダメージは受けなかったので実感がないが、確かに戦闘中に怪我をする事が多くなれば退魔術など使っている暇もないだろう。  だが、そんな事で引くのならば最初から口に出してなどいない。 「……全く使えないって事はないなら、僕が教えてもらえば――」 「そこでもう一つの問題が……」  アリアが深くため息をつく。言うべきか言うべきでないか迷い、結局その言葉を口にした。  黙っていてもいい事はない。どうせいつかは知る事でもある。 「神聖術は……普通、僧侶になった者しか教えてもらえないんです」 「……は? ……僕は……教えて貰ったけど?」  予想外の言葉に、藤堂が目を丸くする。  やっぱり知らなかったか……。  それは、傭兵ならば誰しもが知っている情報である。皆が一度は考える事だからだ。 「教義で決まっているらしく……まぁ、傭兵の間では教会の利権だとかもっぱらの噂ですが、それを口に出す者はいませんね」 「僕は教えて貰ったけど?」  苦々しい表情でアリアが首を振る。 「……あれはアレスがおかしいのです。奴は……魔物も食べれば刃物も使ってましたから。どちらもアズ・グリード神聖教で制限されているはずなのに……」  本当の敬虔な僧侶を見てきたアリアにとって、それは信じられない光景だった。本職のプリーストがそれでいいと言っているので何も言わなかったが、何度その事を指摘しようとしたか。自分の信仰が試されている気分だった。  その表情から本当の事を言っているのだと感じ取り、しかし藤堂が尋ねる。 「……聖勇者でも無理かな?」 「……そこまではわかりませんが……可能性は高くないかと。何しろ、教会は融通が効かない所がありますから」  確かに、教えてくれる可能性もなくはない。だが、そうであるのならば、魔王討伐の旅に出発する前に教えてくれていないとおかしいのではないだろうか。回復魔法を使えるのと使えないのとでは生存率が大きく違うのだから。  アリアはアズ・グリードの信徒だが、そこまで教会に詳しいわけではない。なんとも言えなかった。そもそも、国境を持たない教会には機密主義のきらいがある。  アリアの言葉に深刻そうな表情で藤堂が考えこむ。それを慰めるように、アリアが続けた。 「まぁ……どちらにせよ、僧侶は必要です。大墳墓に先に行くという案は悪く無いかもしれません。な、リミス」 「……まぁ、私はどっちでもいいけど……」  方針については基本興味なさげなリミスが、足をバタバタさせているグレシャを眺めながら何気なく言った。 「でも……退魔術を覚えたいんだったら、わざわざそんな遠くに行かなくてもアレスに教えて貰ったらいいんじゃない? 三日くらい前に会ったし多分まだこの村にいると思うけど」 「!?」  リミスの言葉に、アリアは本気で目の前の少女の神経を疑った。一方的に追い出した相手に教えを乞うとは……並の心臓でできることではない。  藤堂も同じ意見なのだろう。テーブルに肘をつき、落ち着かなさそうに髪を掻き上げる。 「無理だよ。一方的に出て行って貰ったんだ。今更どの顔をして頼めばいいんだ」 「私はプリーストを融通して欲しいって頼んだけど」 「……リミス、君、凄いね。僕なんかよりよっぽど勇者だよ。マジかー」  出会ったとは聞いていたが、まさかそんな事まで頼んでいたとは。  魔物に立ち向かう事はできても、魔族と戦う勇気はあっても、藤堂には出来ない事である。 「頼んで見るだけならタダだと思うけど……」 「無理だ。僕には無理だ……僕は彼に男はいらないって言ったんだよ!?」  テーブルに上半身を伏せ、ばんばんと力なくテーブルを叩く。  とても勇者には見えないその様を見て、リミスが目を丸くした。  アリアがどこか疲れたようにその様を見下ろす。 「……といっても……その件については正直、私もそろそろ無理があるかと……思っていました」 「……知ってるよ。知ってる」  藤堂がばんばんと現実を叩き潰すようにテーブルを叩く。  気にすることなく、アリアが続ける。 「女僧侶を入れる件についてはまぁ置いておくとしても……ナオ殿が一番気づいていると思いますが……」 「知ってるって言ってるだろ!? くそっ、普通、魔法の鎧なら装備者の体格に自動で装着されるとか、そういう力あってもいいじゃないか! なんで軽さ軽減の魔法はかかってるのにサイズを合わせる魔法がかかってないんだよ。馬鹿じゃないのか!? 僕は勇者として召喚されたはずだろ!?」 「? 何の話?」  一人、わかっていないリミスに、アリアが引きつった苦笑いを零した。  ぴたりと藤堂の動きが止まる。数秒後、観念したようぼそりと呟いた。 「最近……勇者の鎧が――聖鎧フリードが……きついんだ。その、胸が大きくなって……今でもかなり真剣にやばい。このままじゃ近いうちに勇者の鎧が着れなくなる」 「……ぷっ」  吹き出したリミスに、藤堂が涙目で掴みにかかる。  肩を掴み、がくがくと前後に振った。 「やばいよ、リミス。笑い事じゃない。真剣にやばいんだ。今までは何とか誤魔化してきたけど、胸が小さかったから普通に着れてたけど……レベルが上がる毎に……大きくなってる」 「ナオ、やめっ……わ、わかったから……」 「わかってない。わかってないよ、リミス。大体、なんだよ。自分から呼び出しておいて、今までの勇者とは性質が違う。女の聖勇者はいなかったって! おかしいだろ!? 呼び出したのはそっちだろ!? 僕はぬか喜びかよ!」 「お、落ち着いて下さい、ナオ殿ッ! 冷静になって、ほら……鍛冶屋で調整してもらうとか……」 「無理だ。無理だよ。神の作ったとされる何の金属で出来ているのかもわからない、ふぁんたじぃな鎧をどこの鍛冶屋が直せるんだよッ!」 「えっと……それは……伝説の鍛冶屋とか……」 「どこにいるんだよッ!」  つっこみを入れ、力尽きたように再びテーブルに伏せる。伏せて、ぼそりと呟いた。 「大体、胸の部分だけ直したら……絶対に女だってバレる。冗談じゃない。せっかく勇者になったのに……王国からも教会からもバレないようにって言われてるのに……僕は……希望なんだ」  アリアが気の毒そうに聖勇者を見て、慰める。 「……ですがナオちゃん。さらしで引き締めるのももう限界です。もう既にかなり苦しいのでは?」 「ナ、ナオちゃんって呼ぶなぁぁぁぁぁ!」 「藤堂ちゃん……あまり無理をするとダメージが入りますが……」 「藤堂ちゃんって呼ぶなッ! ……レベルが上がったから、まだ我慢出来てるんだ」 「でも、レベルが上がったから胸が大きく――」 「ああ、わかってるよッ! わかってるからッ! ああああああああああああああああッ! もうッ! レベルってそういうものじゃないだろ、普通ッ! 今まで全然成長しなかったのに、なんで勇者になったら――」 「存在力を吸収する事により存在が大きくなっているのです」 「いいよッ! わかったよッ! 今更だよ、その情報ッ! 建設的な話をしよう!」  ゆらりと起き上がり、藤堂が鋭い目つきがリミスを見た。正確にはリミスの薄い胸を。  猛禽類のような眼を見て、リミスがびくりと震えた。 「リミス……胸を交換しよう」 「い、いや、無理だから」 「いや、いける。きっといけるよ。頑張ればいけるよ。僕は……負けない」  藤堂の腕が伸びる。リミスが慌てて躱そうとしてひっくり返る。  狭い室内で追いかけっこを始めた二人を見て、アリアは眼を細めため息をついた。  果たしてこれで魔王を討伐出来るのだろうか。 【NAME】藤堂直継 【LV】27 【職業】聖勇者 【性別】女 【能力】  筋力;あまりない  耐久:あまりない  敏捷:そこそこ  魔力:かなり高い  神力:あまりない  意志:かなり高い  運:ゼロ 【装備】  武器:聖剣エクス(軽い。振り回せる)  身体:聖鎧フリード(凄くきつい) 【次のレベルまで後】32657 page: 47 第二部 Prologue:こうして勇者は全滅した  体内時計が狂っていた。今が朝なのか夜なのかもわからない。  頬を撫でるじっとりとした湿った重い空気、通風口から感じる風の流れ。  光源と呼べるものは自ら発光する火蜥蜴と、時たま現れる火の玉のような形状の魔物――ウィスプのみで、辺りには空気と同じくじっとりとした闇のみがあった。  側には仲間を除いて他に人影はない。いや、もし仮に他のパーティが付近にいたとしても、ユーティス大墳墓は地下に広がる墳墓である。通路は無数にあり、まず他のパーティと遭遇したりする事はない。  息を殺し、どこか焦燥した表情で藤堂が歩みを進める。黴びたような匂いと、飲み込まれてしまいそうな濃い闇がその精神を少しずつ削り取っていく。石造りの通路はヴェールの森とは異なり歩きやすいが、その足取りはヴェールの森を探索していた時よりも遥かに重い。  頬に垂れた冷や汗を手の平で拭う。静けさと闇のみがあった。まるで、殺した息が聞こえてきそうな程の音のない空間。  その後ろには、同じく頬を強張らせたアリア。そして、その逆にいつもと大して変わらない表情のリミスと、グレシャが続く。リミスの手の中には地図が広げられていた。  今まで、何人もの傭兵たちが潜って来たその集大成。深層はともかく、今歩いている浅層ならば、あらゆる分岐のその先が網羅されている。  使い込まれたその地図は、ユーティス大墳墓付近の村の教会に寄った際に与えられた者だ。各部屋や通路に現れる魔物の種類や、仕掛けられた罠など、注意点などが所狭しと書き込まれていた。  やがて藤堂が立ち止まり、後ろをちらりと振り返って尋ねる。 「……リミス、今どの辺?」 「……まだ入って一時間しか経ってないから」 「……そう、か。まだ一時間か……」  もう何時間も潜っているような気がするよ、という言葉を、藤堂は飲み込んだ。リーダーの気勢はメンバーに伝わる。その事を、藤堂は知識の一つとして知っていた。  一時間という事はまだ昼間のはずだが、ユーティス大墳墓は地下墳墓であり、昼間である事を示すものは何もない。  リミスが呆れたように声をかける。 「ナオ、大丈夫? 顔色が悪いみたいだけど」  その肩に乗ったガーネットが同意するかのようにきーきーと鳴いた。  藤堂が唇を噛んで答える。しかし、その口調にはいつもと違って明らかに力がなかった。 「だ、大丈夫だよ……まだ慣れていないだけさ」  続いて、リミスの視線が墳墓に入ってから異常に口数の少ないアリアの方に向けられる。 「アリアも顔色が悪いみたいだけど?」 「……大丈夫だ。慣れていないだけだ」  リミスの方を向きさえせず、視線を忙しなく何もない周囲に投げかけながらアリアが答えた。  光源は少ないが、レベルがそれなりにあるアリアや藤堂にはある程度の視界が確保できていた。  天井は高く、通路の幅も藤堂たち一行が横に並んで通れるだけのスペースがあった。広い通路を流れる冷たい空気の流れに、藤堂がぞくりと肩を震わせる。  ふと、リミスが正面通路の角から現れたその影を見つけ、声をあげる。 「あっ」 「ッ!?」  藤堂とアリアがその声にびくっと目を見開き、ゆっくりと顔をリミスの視線の先に向けた。    現れたのは――一体の生ける屍。事前に集めていた情報にあったこの大墳墓に出現する最弱の魔物の一つである。藤堂とアリアがまだ十メートル以上離れているそれに、反射的に剣を抜く。  吐き気を催させる腐臭が漂い、怨嗟と悲哀を感じさせる呻き声が通路に響き渡る。  身の丈は人と変わらず、その姿もまた人に似て、しかし人とは決定的に異なっている。まるで煮詰めたようにぐずぐずに崩れた皮膚と肉、その頭はうつむくように床に向けられ、藤堂たちの方を見ていない。が、その身体は緩慢な動きで藤堂たちの方に湿った音をたて、確かに一歩一歩近づいてきている。  リミスが眉を潜め、じっとそれを見つめると僅かに首を傾げた。 「ずっと考えてたんだけど、あれ、どうして動いてるのかしら?」 「……」  それに答えず、無言で藤堂とアリアが顔を見合わせる。互いの青ざめた表情を確認し、藤堂が唇を開いた。 「あ……アリア……倒していいよ」  アリアが目を剥き、唇を噛みしめて藤堂を睨みつける。 「いいいえいえ、な、なおどのに、譲ります」 「あ、悪霊!」 「ヒッ!?」  リミスの声に藤堂とアリアがシンクロして身を震わせ、慌てて後退ろうとして足を縺れさせ地面に転んだ。  床に顎をぶつけ、しかしそれを気にすることなく、慌ててひっくり返る。聖鎧が床に擦れ、甲高い音を立てた。  リビングデッドの頭の上を通り抜ける透けた肉体。浮かんだ虚ろな表情に、身に着けているのは錆びた鎧だがしかしその全てが透けており、それがこの世に肉体を持っていない事を示していた。動きはそれほど速くないが、崩れた身体で這いずりまわるように向かってくるリビングデッドと比較すると遥かに速い。 『悪霊』  それもまた、アンデッドの中ではポピュラーな種であり、ユーティス大墳墓でリビングデッドに並び最弱とされる魔物である。  藤堂が限界まで目を見開き、更に後じさり壁に衝突する。  アリアががたがた震える手で剣を正眼に向けた。地面をのそのそと向かってくるリビングデッドを指し、震える声をあげる。 「わ、私が、あれを、やります。ナオは、レイスを」 「い、いや、僕があっちをやるよ」 「いいから、さっさと倒しなさいッ!」  突入してから何度も繰り返されたやり取りに、リミスが杖で床を打ちつけ、声を荒げる。  浮遊するレイスのぽっかりと空いた眼窩が、あれこれ言い合う藤堂たちを補足した。宙を浮遊するようにゆっくりと流れていたその動きが藤堂たちに向かって加速する。ぼろぼろに錆びた手甲に包まれた手が虚ろに前にあげられた。しかし、その動きは小走り程の速度であり速くない。 「ひぃっ!?」 「炎の槍」  リミスの声と同時に、煌々と燃える炎の槍が射出された。リミスの腕ほどの太さの炎の槍が術式に従い飛翔し、レイスを貫き小規模な爆発を起こす。  不安定だったレイスの肉体が、飛散し、弾ける寸前にレイスが断末魔をあげた。壁が震え、空気が震える。リミスが眉を潜め、両耳を抑えた。 「ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいああああああああああああああああああっ!!!」 「ッ!?」  鼓膜を貫き、脳を揺さぶるような叫び声に、藤堂の身体が白目を向く。その身体が大きくふらつき、床に崩れ落ちた。 「ちょッ、ナオ!?」  慌てて駆け寄るリミスに、アリアが血の気のない表情で説明した。 「『嘆きの叫び』……人の精神を揺さぶり意識を奪うレイス種の技……だ」  説明し終えると、まるで糸が切れたようにアリアの身体が倒れる。 「アリア!?」  何も攻撃を受けていないのに戦闘不能になった二人を、リミスが交互に見る。恐る恐る、二人がまだ生きている事を確認し、リミスは額を抑えて呆れたように呟いた。 「……聖勇者なのにアンデッドが苦手って……どうなのよ……」 「うぅ」  リビングデッドが呻き声を上げながら進んでくる。一般的な人族の歩行速度よりも遥かに遅い動きだ。普通に歩いているだけで引き離せるだろう。ヴェールの森の魔物の方が遥かに俊敏だった。 「お腹空いた……」  倒れた二人に視線を向ける事もなく、向かってくる敵に視線を向ける事もなく、グレシャが悲しげに呟く。リミスはパーティに入って初めて危機感を覚えた。  事前に、ユーティス大墳墓の攻略に必要な最低限のアイテムは教会で受け取っていた。  その中に気付け薬もあったが、まさか本当にそれを使う羽目になるとは……。  それを先に使うかどうか迷い、リミスは結局、先にリビングデッドを片付ける事にした。  慣れた動作で杖を持ち上げ、亀のような動きでこちらに向かってくるリビングデッドに杖を向ける。  こんな動きが遅い魔物、初心者でも倒せるわよ。 「まったく……頼りにならないんだから……『炎の槍』」  炎の槍を打ち込まれたリビングデッドの身体が爆散する。体液が蒸発し凄まじい異臭が広がる。 「え……」  麻痺性のそれを至近距離から吸い込んだリミスの意識が一瞬で遠のき、全身から力が抜ける。意識を失うその寸前まで、リミスは自分に何が起こったのかわからなかった。 § § § 「なんでここを選んだし……」  俺は、たった一時間ちょっとで全滅してしまった勇者パーティにうんざりした。  もはや怒りすら抱けない。哀れみや呆れを感じるが今更である。俺にとっての藤堂とはずっとそういう奴であった。  完全に意識を失ったようなので、さっさと距離を詰め、倒れ伏す藤堂、アリア、リミスに近づく。ついでに神聖術で辺りの空気を浄化する。  唯一意識が残っているグレシャが俺に気づき、びくりと大げさに身体を震わせた。仮にも元亜竜であるグレシャに最下級の生ける屍の麻痺毒は効かなかったのだろう。  頬を引く付かせ、グレシャがまるで言い訳でもするかのように呟いた。 「お腹……空いてないです」 「そういう意味じゃねえッ!」  確かに、腹が空いたばかり言ってんじゃねーと叱ったが、俺が言いたいのは断じてそういう事ではない。馬鹿が。この馬鹿が!  だが、説教している場合じゃない。  藤堂とアリアの脈を取り、瞳孔を確認する。命に別状はない。レイスの『嘆きの叫び』で精神的にダメージを受け、気を失っているだけだろう。アンデッドを苦手とする者によく見られる症状である。神聖術でも回復させられるが、時間経過で回復する。運ぶ途中で目が覚めると厄介なので用意していた睡眠薬を仕込んでおく。  続いて、リビングデッド相手に中途半端な威力の炎の魔法をぶち込んだリミスの方を確認する。  リビングデッド系のアンデッドの麻痺毒は極めて高い即効性があるが、命を奪う類のものではない。アンデッドや悪魔が持つ瘴気を合成して生み出したもので、大なり小なり秩序神アズ・グリードの加護を持つ人族ならば時間経過で自然に抜けるものだ。まぁ、大体の場合は意識失ったら殺されるんだけど、今回は相打ちだったので運が良ければ次の魔物に襲われる前に目を覚ましていただろう。やはり、同じように睡眠薬を仕込んでおく。  続いて、藤堂の手首とアリアの手首にロープをしっかりと結びつける。防御力の低いリミスを背負うと、手で束ねたロープを握り、出口に向かって歩みを進めた。  引きずられている藤堂とアリアの鎧がかんかん音を立てるが、こいつらは防御力が高いから大丈夫。グレシャも、大人しくついてきている。  時たま現れる下級アンデッドを裁き光で片手間に浄化しながら、俺はずっと考えていた。  こいつら本当になんでここ選んだし。  ここはユーティス大墳墓。  多種多様な状態異常攻撃を繰り出してくるアンデッドが蔓延る厄介な地である。 page: 48 第一報告 聖勇者の弱点克服について 第一レポート:聖勇者の弱点について  ルークス王国王都から南東に数百キロも進むと、荒野地帯に入る。  草木も生えぬ荒涼とした地のその中央に、それはあった。  ユーティス大墳墓。  何が埋葬されているのか、今もまだ盛んに議論が交わされている古代の遺跡である。   ルークス王国が建国される以前から存在していたとされているその遺跡は、今ではアンデッド系の魔物が多数生息する事で有名な地であった。  過去、ルークス王国から正式な調査隊が送られ何度かその墳墓の調査に挑んだらしいが、地下に広がるその墳墓は迷宮のように無数の分岐が存在し、その全容は未だ明らかにされていない。一説では荒野地帯、三分の一以上の広さを占めているのでは、とされているが、その真偽は定かではない。  結局、調査隊は内部に生息する厄介なアンデッドたちと墓荒し対策らしき無数の罠によって大きな被害を受け、無期延期された。  今では立ち入る者は殆どおらず、レベル上げのために魔物狩りや教会の者がたまに侵入するくらいだ。たまに宝飾品の類が見つかるらしいが、侵入者を撃退するためのトラップも健在であり、効率は酷く悪いとの事。  上げる事のできるレベルは25から50くらいまでと言われているが、ハンターの中でここでレベルを上げるものは極小数だった。  この国には、ユーティス大墳墓よりもよほどレベルを上げるのが楽なゴーレム・バレーがあるので、皆そっちに流れるのである。  ヴェールの森程有名な場所ではない事もあり、ユーティス大墳墓から一キロ程離れた場所に存在する唯一の村、『ピュリフ』は寂れていた。  石造りの塀で囲まれた中規模の広さの村だ。だが、村の広さに対して人口はかなり少ない。ピュリフはまだ王国がユーティス大墳墓に調査隊を送っていた頃の拠点となっていた村であり、人口密度の低さはその名残だった。  宿屋もそれなりの大きさのものがたった一つしかないが、教会は三つ存在し、村の周囲に張ってある結界も頻繁に張り直されていて、アンデッド系の魔物が村に襲撃をかけてきても撃退できるようになっている。武器屋も道具屋も一つしかないが、品揃えは揃っており、特にアンデッドへの対策は十分できるようになっていた。ユーティス大墳墓にはアンデッドしかいないので当然である。  例え、ユーティス大墳墓に挑むための準備が出来ていなくても、この村の中で準備できるようになっている。物資の補給、人材の確保。例え人気がなかったとしても、大墳墓に挑む者達の拠点である事に間違いはないのだ。  俺は、無残な勇者たちを教会に届けると、重い身体を引きずるように宿に向かった。  肉体的疲労ではない……はずだ。勇者を引きずって荒野を横断した程度で疲れたりはしない。  無言のまま、事前に取っていた部屋に戻る。深刻そうな表情をしていたのか、誰にも声はかけられなかった。  アメリアには、藤堂のパーティに入れられる女僧侶がいないか、教会に再度確認してもらっている。まだ戻ってきてないのか、部屋の中には誰もいなかった。いなくてよかった。あまり、部下に愚痴りたくない。  結局使わなかったメイスを立てかけ、落ち着くために水差しから水を汲む……が、その時に気づく。  手が震えていた。  そんな馬鹿な……例え上位の魔族を相手にしてさえ冷静に戦える俺が動揺している……だと!?  震えを止めようとするが、どうにも止まる気配がない。駄目だ。この状態は駄目だ。せめて、俺だけでも冷静さを取り戻さなくては。  浴室に向かい、シャワーを浴びる。頭を空っぽにして、冷水で頭を冷やす。  藤堂たちは今頃目が覚める頃だろうか。いや、多めに仕込んだので藤堂のレベルだと少なくとも今日一日は眠ったままだろう。レベル上げは急を要するが、対策を練る時間が必要だ。夢だと思いたいが、間違いなく夢じゃない。あいつら……いや、アリアと藤堂の奴……アンデッド相手に恐怖を感じていた。悪い傾向である。すこぶる悪い傾向である。くそっ。  浴室から出ると、ちょうどアメリアが戻ってきていた。浴室から出た所で出くわし、きょとんとした表情で俺を見上げる。  深く息を吐き、目頭を揉みほぐす。頭を冷やしたかいがあって、何とか指先の震えは止まっていた。  ああ、仕方ない。仕方ない事だ。障害はどうしたって起きる。ああ、仕方ない事なんだ。 「……チッ。アメリア、作戦を……立て直すぞ」 「ッ……はい」  ビクリと肩を震わせ、アメリアが小さく頷いた。 §§§  藤堂がその目的地を俺が想定していたゴーレム・バレーからユーティス大墳墓に変えたと報告を受け取ったのは、つい一昨日の事だ。  理由は、強力な僧侶を仲間に入れるため。  どうやらヴェールの森でザルパンとの戦いの余波で気絶した件が多少は効いたらしく、ちゃんと教会を経由してやってきた情報は……まぁ、許容範囲だった。  俺がゴーレム・バレーを次のターゲットとして設定したのは、そこが一番効率のいい場所だからであって、レベルさえ上げられて、それなりの効率を出せればどこだって構わない。  また、藤堂たちが目的としているプリーストを仲間にするという判断も間違ってはいない。仲間にできるかどうかはまた別の話だがまぁそれは置いておく。  さて、魔物には種類や個体によってグレードというものが存在する。  それらは肉体的強度、攻撃手法、生態、知能指数、加護、存在力の高さなどの様々な要因によって決定されるが、必ずしもそれは『厄介さ』と一致しない。  強くないにも拘らず、存在力も大して得られないのにも拘らず、非常に厄介で、対策必須な魔物というものも、時には存在する。  その代表が……状態異常系の攻撃を仕掛けてくる魔物である。  誰が、一体何のつもりでそんな呼称にしたのか俺は知らないが、状態異常とは毒、麻痺を初めとした、正常な身体や精神の働きを妨げる影響の総称を指す。対策をしないとレベルの高い者でも簡単に倒れてしまう、そういう類の攻撃だ。だから、魔物狩りを生業にする大抵の傭兵はそういった攻撃を持つ魔物を警戒の必要のある魔物として『イエロー』などと呼び、戦う際は準備を怠らないし、そもそもなるべくそういう魔物のいないフィールドを狩場として選択する。  状態異常を与えてくる魔物の代表的な種がアンデッドであり……設定されるグレードがその厄介さとは裏腹に低くなりがちな魔物の代表であった。  面倒臭い敵である。  屍鬼や悪霊を初めとした、その種の魔物は大抵が毒や麻痺などの肉体的状態異常、恐慌などの精神的状態異常を与えてくる事を得意とし、奴らの大半が、墓地などに満ちる瘴気が怨念を取り込み実体化した魔物であり肉体的強度を持たず、存在と言うものが『薄い』。  おまけに、ヴェールの森の魔物はその身体やら骨やらが素材として売れたが、アンデッドから取得できる素材は基本的に安価である。どれくらい安価かというと、拾わないほうが効率がいいくらい安価である。  例え、状態異常を回復できる優秀な僧侶がついていたとしても、消耗する回復アイテムの量は他の魔物を狩る場合と比較し遥かに多く、そこまでデメリットが揃っているとハンターもなかなか狙わない。  何が言いたいかというと、ユーティス大墳墓は今の藤堂たち一行にとって鬼門だという事だ。俺がゴーレム・バレーを選択した大きな要因の一つでもある。  ――だが、考えてみれば、それはそれで……悪くない話。  状態異常系の攻撃は魔物と戦う者にとっての一つのハードルだ。今後、魔王討伐の旅を続けていけば確実にそれを持つ敵と出会う事になる。レベルが上がれば耐性がつくので、ある程度レベルを上げてから体験させるつもりだったが、先に体験させても特に問題はない。藤堂には初級だが状態異常回復の神聖術も教えてあるし、教会経由で回復アイテムを渡せば大事には至らないはずだ。  存在力についても、ユーティス大墳墓のアンデッドはそれほど強くないし、わさわさ出てくるので数さえ倒せれば十分レベル上げを行える。  藤堂たちにとってはかなり疲れるレベル上げになるだろうが、彼らの目標は魔王である。精神的な苦痛にも慣れさせておいた方がいい。  そう思ったのだ。ああ、そう思っていたのだ。  藤堂一行のレベルはまだまだ高くないが、ユーティス大墳墓浅層のアンデッドはヴェールの森の魔物よりも弱く、十分戦える。はずだった。  誰が予想できるだろうか。聖勇者が……まさかアンデッドが苦手だなんて。どんな勇者だよ。  勿論、事前知識としては知っていた。魔物狩りの中にはアンデッドを苦手とする者もいるという事は。  アンデッドは基本的に不快な見た目をしている。リビングデッドはその名の通り、腐乱死体が動いているかのように見えるし、レイスもまぁ……宙を浮くし半透明だし物理攻撃は効きづらいしで、嫌う者は少なくない。  だが、それはあくまで個人の嗜好の問題であって……藤堂は今まで何が相手でも一刀両断にしてきたのだ。ヴェールの森で戦った枯木の精だってそんな愉快な見た目はしていないし、狼やら猿やら魔獣系の魔物だって悪臭を放っている。藤堂はそいつらを捌き、血しぶきを浴びても顔色一つ変えていなかったのだ。動きはヴェールの森の魔物の方がずっと速いし、藤堂の持つ聖剣ならば物理攻撃の効かないレイスだって一刀両断にできる。  何故、どうして今まで戦闘能力に関してはそれほど不満がなかったはずの藤堂が……リビングデッド程度相手に怖気づくというのか。何故、どうしてレイスの『叫び』で意識を失うというのか。精神ダメージも緩和するはずの聖鎧を装備してるはずなのに……。  お前、ヴァンピール相手にした時もそんな風にならなかっただろ!? あれの方が千倍強いから。  テーブルを挟み、アメリアが姿勢を正してじっとこちらを見ている。俺の言葉を待っている。  さて、なんと声をかけるべきか……。  とりあえず、軽く質問してみる。 「アメリア。お前、アンデッドとかいける?」 「? いける、といいますと?」 「……怖くないか?」  俺の言葉に二、三度目を瞬かせ、アメリアが呆れたように言った。 「何言ってるんですか、貴方は」  だよな。そうだよな。アンデッドが怖い僧侶なんていないよな。というか、傭兵の中でもそんな奴ら少数である。そもそも、そういう心臓の奴は戦士として……向いていない。  特にプリーストにとって、アンデッドは格好の的である。どっちかというと俺たちはナマモノの方が怖い。  ……現実逃避はこの辺にしておくか。  俺は、なるべく冷静な声を作ってアメリアに言った。 「藤堂たちが全滅した。どうやら……藤堂とアリアは……アンデッドが苦手らしい」 「……?」  アメリアが不思議そうな表情で首を僅かに傾げる。  まるで俺の顔に答えでも書いてあるかのように、俺の顔をじろじろと見てくる。いや、別にクイズとかじゃねーよ。 「最下級のレイスの『嘆きの叫び』を受け、意識を喪失したので教会に運んだ。勿論、全員命は無事だ」 「えっと……誰がですか?」 「……藤堂たちだ」 「???」  正確にはリミスとグレシャは除くが、まぁ奴らも奴らで問題山積みである。  そこまで言っても、アメリアは眼を丸くしたまま首を傾げている。冗談とかではないだろう。本気で分からないのだ。意味が。安心するといい。俺もわからん。 「藤堂とアリアは今のままではアンデッドと戦えないだろうな」   「……なんでですか?」 「……多分、怖いから」 「……誰がですか?」 「……藤堂とアリアだよ」  ループしてるループしてる。  アメリアが沈黙する。人差し指で唇をなぞり、真剣な表情で考えている。  やがて、呟くような小さな声をだした。 「藤堂さんはゴミクズですが聖勇者ですよ?」  ……お前、藤堂の事そんな風に思っていたのか。  ただ頷いてやると、アメリアは無表情のままもう一度首を傾げ、きょろきょろと落ち着かなさそうに視線を室内にやり、最後に俺の方を見て立ち上がった。 「……すいません、シャワー浴びてきていいですか?」 「……行ってこい」  頭冷やしてこい。理解出来たら対策を話しあおう。 page: 49 第二レポート:神敵と対策について 「もしかして……まずいですか?」  やっと事の深刻さを理解したらしく、アメリアがぐいと身を乗り出し尋ねる。  シャワーを浴びたばかり、髪を乾かす事すら忘れたのか、濃い藍色の髪が額に張り付いてどこか色っぽい。  いや、もしかしなくてもまずいから。 「不死者が怖い勇者なんて冗談にもならん」 「冗談じゃないですか?」 「冗談だったらぶん殴るぞ」  洒落になっていない。魔物自体が苦手とか、戦いが怖いとか、そういう話とは訳が違う。  不死者や悪魔などの魔物は他の種の魔物とは明確に区別される。  奴らはアズ・グリード神聖教の教義で明確な神の敵として指定された存在だ。その根絶は俺たち秩序神をを奉じるプリーストの重要な役割の一つであり、退魔術もそのために生み出されたものだ。  プリーストにとって、神の敵を恐れるというのは信仰の堕落である。だから、例え竜や獣を恐れても、俺たちは悪魔やアンデッドを恐れない。 「アリアはまぁ……どうとでもなる。問題は藤堂だ」  アリアは一般人である。アズ・グリードの信奉者ではあるはずだが、殆どの信仰に厚くない一般人にとって教義なんてあってないようなもので、教会側もそれを知っている。だからいい。彼女がアンデッドを恐れるのは別に構わない。  だが、それが聖勇者ともなれば話は別だ。聖勇者は秩序神の使者である。信仰の体現者となるべきその存在が神の敵を恐れる……?  教会も一枚岩ではない。派閥も存在するし、思惑も存在するし欲望も存在する。  神敵に恐怖する聖勇者。それは、付け入る隙だ。  藤堂がアンデッドを怖がっている事がバレたら面倒な事になるのは明白だった。 「最悪、偽物だと弾劾されるかもしれないな……」 「呼び出した王国の責任ですか」  英雄召喚の術式は表向き、召喚を依頼した国の信仰心によって呼び出される英雄が決まるとされている。性格がおかしかったり、力が弱かったりした勇者が呼び出された時のための布石である。責任の殆どは、召喚の依頼主――ルークス王国が被る事になるだろう。 「どうします?」 「……バレる前にアンデッドに慣れてもらうしかないだろう」  下手したら王国が割れるぞ。  リミスやアリアからバレる心配はないだろう。彼女たちは王国側の人間だ。バレたら問題になる事は明白だし、もし仮に下手打っても彼女たちから伝わった情報はもみ消されるはずだ。  テーブルに肘をつき、頭を抱える。治まったはずの頭痛が再発してきた。 「くそっ、俺はカウンセラーじゃないんだぞ……」  恐怖は精神に根付いたものだ。  毒や麻痺はレベルさえ上げれば耐性がつくが、藤堂が気絶した『嘆きの叫び』などの精神攻撃に対する耐性はレベルではなかなか上がらない。レベルの低いリミスが平気で、肉体的強度もレベルの高さも上のアリアと藤堂が気絶した事からもそれはわかるだろう。  思想や精神は育った環境に依る所が大きく、外部から手を入れて矯正するのはかなり骨が折れる。というか、俺にはちょっと無理。 「頭、殴ったら治らないかな……」 「殴ってみますか?」  アメリアが冗談なのかそうではないのか判断が付かない真面目な表情で言う。  そういうわけにもいかない。奴には……魔王を討伐してもらわなくてはならないのだ。  頭を抱えている場合ではない。苦手の克服、時間との勝負になるだろう。  身を起こし、頬を叩いて気合を入れなおす。 「報告はどうしますか?」 「当然、入れる」  伝えないわけにもいくまい。  クレイオ枢機卿は今の所、こちらの味方だ。藤堂が駄目になれば、英雄召喚の責任者であるクレイオにもダメージがある。もともと、最年少の枢機卿である彼には柵が多い。力になってくれるだろう。隠しておいてもいい事は何もない。  思考を切り替える。問題はこれからどうするか、だ。 「ポジティブに考えよう。今この段階でわかってよかった」  ここの浅層に出現するアンデッドはアンデッド中最弱である。腰が引けていても相手にできる連中だ。  聖鎧フリードがあれば滅多にダメージを受ける事もないし、アリアやリミスの装備だってかなり良い物だ。グレシャは知らない。どうでもいい。  レベルが上がってから気づかなくてよかった。  アンデッドは特に上位と下位の能力差が激しく、上位のアンデッドは退魔術の使い手でも危うい存在になってくる。この間交戦したザルパンも上位のアンデッド――吸血鬼だが、それ以上も存在するのだ。  そいつらを前にして怯えて動けなかったなどとなれば、討伐以前の問題である。  まだ最悪ではない。ああ、まだ最悪ではない。  アメリアが感心したようにぽつりと言う。 「アレスさんってタフですよね……」 「……」  我慢できるだけだ。いや、我慢できていないが、少なくともまだ大丈夫。まだ大丈夫だと思わないとやっていられない。  鞄から地図を取り出す。藤堂が持っている地図と同じ地図だ。というか、藤堂が持っている地図は俺が教会経由で渡したものである。  そこには、現時点でユーティス大墳墓についてわかっている事、全てが書き込まれていた。  地理は勿論の事、存在するトラップ、出現するアンデッドの種類とその対策。どこの部屋で何が出現し、キャンプをするのならばどこの部屋がベストか。レベルを上げるにはどこがいいのか。探索する上での注意点など。  アンデッドの種類は豊富だが全体的に弱い。 「アメリア、勝てないのはいるか?」 「私は……強いです」  どこか自慢気にアメリアが胸を張る。  ……知ってるよ。ただの確認だ。レベル55で司祭格の神聖術持ち。司祭格の認定には知識も必要だが、退魔術を含むかなり強力な神聖術が必要になる。耳に下がった司祭格の証は彼女の信仰の象徴だ。  アメリアから視線を逸し、指で地図をなぞる。  当然、俺に勝てない相手もいない。例え相手が万の軍勢だったとしても、相手がアンデッドならば『裁き光』の一撃で浄化できるだろう。  例え先ほどのように、アンデッドの大群の中で意識を失ったとしても、即座に助けに入れる。  しかしどうしたものか……。  地図を睨みつける俺に、アメリアがぽんと手を打った。 「私にいい考えがあります」 「……いい考え?」 「実は私も昔はアンデッドがほんのちょっとだけ嫌いだったのですが、それで克服できました」 「ほう」  俺は子供の頃――まだ僧侶になる前から神力が強かった。アンデッドや悪魔に恐怖を覚えたことはない。  平然とした表情で嘯くアメリアをじっと見つめる。アメリアが、ほんの僅かに唇を持ち上げ微笑んでみせた。  何故か、その微笑みに、この間の、私は酔いませんとか言った時のアメリアを思い出す。  アンデッドを嫌いそうな性格にはとても見えないんだが……信じていいのだろうか。  まぁ他に方法があるわけでもない。停滞している時間は少ない方がいい。  少しでも可能性があるのならば、賭けてみるか。 page: 50 第三レポート:克服のための布石について  クレイオへの報告を終え、ため息をつく。  藤堂の現状について、致命的な欠陥を聞いたクレイオはしかし、予想以上にあっさりとした反応を返した。  権謀術数渦巻く教会上層部で生き残ってきた男だ。感情を外に出さないなど朝飯前だろうが、そこまで反応が薄いと現場としては少し心配になってしまう。  もしかしたら、奴にとって藤堂の優先度は本当に高くないのかもしれない。  聖勇者の召喚はここしばらく実施されておらず、本当に久しぶりだと聞いている。藤堂はテストケースなんじゃないだろうな……?  以前も……藤堂に代わりはいると言っていたはずだ。教義で虚偽は禁止されている、嘘ではあるまい。近いうちに弱点を克服し希望の少しも見せないと、本格的に見捨てられるかもしれない。  明るい水色の丈の長い法衣に着替えたアメリアが聞く。 「聖穢卿はなんと?」 「……こちらに任せる、だそうだ」  黒の手袋を嵌め、前回ヴェールの森で紛失し、新たに買い直した仮面を懐に潜ませる。  大墳墓は森と異なり、食料品の類を内部で取得できない。嵩張らず高栄養価の携帯食料を揃え、水は魔導具で何とか補うとしても大荷物になる。  ザルパン戦で失われたナイフもまだ補充できていない。教会には申請しているが、ミスリルは貴重品だ。優先してもらえるとはいえ、補充にはもう少しかかるだろう。  手入れを終え、鈍く輝くメイスを握る。毎晩込めている祝福は、下位のアンデッドならば触れるだけで浄化できる程に強力だ。 「藤堂たちはどうだ?」  俺の問いに、アメリアが軽く瞼を閉じた。唇が僅かに動き呪文を紡ぐ。  藤堂たちは宿屋ではなく、教会に滞在している。いや、俺が滞在させてくれるように頼んだのだ。魔族が現れたとしても、教会ならば多少は安全だから。  距離はそこそこあるが、アメリアの探知の腕は相当高いらしく、数秒で眼を開けた。濃紺の虹彩がさまようように宙を見つめている。 「まだ教会の外に出ていないみたいです」 「目は覚めたか?」 「はい……動いてはいますね――」  そこで、アメリアが不自然に口を噤む。  僅かに眉を寄せ、じっとその場で停止する。  また何か起こったのか……? 今度はなんだ?  ただ黙って次の言葉を待つ俺に、不本意そうにアメリアが視線を向けた。  まるで気の毒なものでも見るような表情。  もういいよ。何が来ても驚かないよ。いいからさっさと言えよ。 「……藤堂さんですが」 「ああ」  そこで珍しい事に、アメリアが口ごもる。視線で続きを促すと、しぶしぶといったように続ける。 「その……ここを諦めて……ゴーレム・バレーに向かう事を検討しているようです」 「……は?」  欠片も想定していなかった答えに思わずアメリアを二度見する。  ゴーレム・バレーに向かう? 何故だ? いや、確かに純粋にレベルアップの速度で言うのならばそちらの方がよほど速いんだが……。  お前は一体何のためにここに来たんだよ。  いつもの藤堂ならば、目を覚ましてすぐさまもう一度墳墓に挑むくらいに勇猛……無謀だったはずだ。それが、目的地を……変える? 「……理由は?」  まだ大墳墓に挑む前ならばまだ許容出来た事実である。だが、奴がアンデッドを恐れている事が発覚した今、ここから逃がすわけにはいかない。アンデッドが生息するのは何も大墳墓だけではないのだから、なんとしてでもここで克服してもらう必要がある。魔王クラノスの配下の大部分はアンデッドや悪魔などの神敵だ。克服せずして魔王は倒せないだろう。  ユーティス大墳墓よりも弱いアンデッドが生息する場所は勿論存在するが、ここから遠く数も少ない。時間がない事を考えると、移動するという手はない。 「何故今更になって心変わりした?」 「それは……怖いからでは?」  怖い? 怖いから心変わりした……?  わからない。俺には全くその気持ちがわからない。怖いのならば、苦手なのならば、すぐさま克服するべきだ。  そもそも相手は強くないのだから、心持ちさえ何とかすればあっさりとクリアできるだろう。  舌打ちをして、はっきり口に出して言う。 「奴は勇者だ」 「ですが、人間です」  アメリアがため息をついた。  今までの無駄な勇猛さはどこに行った、藤堂直継!  これまで見た藤堂は、良かれ悪かれ一種超越的な何かを持っていた。少なくとも、普通の人間ではなかったはずなのに、ここに至ってどうして人間を主張し始めるのか。  どうする? 無理やり教会からの命令で大墳墓に向かわせるか?  駄目だ……教義上聖勇者は教会の上位に存在する。命令する事は出来ない。奴は、聖勇者は神の使徒なのだ。少なくとも今この時点では。  そもそも、意志なくして再び挑んだ所で……何の足しにもなるまい。 「噛み合わないな……くそっ」  椅子に身体を預け、頭を押さえる。藤堂が大墳墓に向かわなければ、さっきアメリアの言った対処療法も使えない。  今まで教会の命令で、数多くの異端を殲滅してきた。格上と戦ったこともあるし、罠に嵌められた事もある。だが、ここまで噛み合わなかった事はちょっと記憶にない。影から行動を誘導したことだって初めてではないが、藤堂は別格だ。 「諦めさせるわけにはいかない。これは、後回しにすれば後回しにする程面倒になるタイプの問題だ」  墳墓じゃなくたってアンデッドは出る。そもそも、墳墓のアンデッドは墳墓に立ち込めた瘴気が思念を得て実体化したものが殆どであり、死体が動いているわけではないが、実際に人間や動物の死体がアンデッドになるパターンもあるのだ。  どんなに慎重に立ちまわっても、この世界で戦っていくのならば絶対に一度は対面する、そういう類の魔物である。  アリアはまぁ、正直途中で才能不足でドロップアウトすると思っているので割りとどうでもいいのだが、藤堂が今のままでは非常に困る。リスクが高すぎてこのままいくパターンを想定する気にすらならない。  掛け時計がかちかちと静かな音を立てて時を刻んでいる。時間はない。既に夕方なのですぐにここを出ることはないだろうが、下手したら明日の朝逃げ出してしまう可能性すらある。  自分の意志でもう一度墳墓に挑ませる方法……か。 「何が怖いのかわからないからな……」  勇気があるから勇者なのではないのだろうか。英雄召喚の術式はもっと対象を選んだ方がいいと思う。女好きくらいなら魔王討伐に大きな支障が出る可能性は低いだろうが、これは直で支障がでるのだ。尤も、今更文句を言っても詮無い話。  グレシャに「ユーティス大墳墓に入る!」と連呼させてもきっと通じないだろう。結局、ゴーレム・バレー連呼も意味がなかったわけで……。 「藤堂は正義だ。扱いづらいことこの上ないが、少なくともそうあろうとしている」  この際、傭兵を斬り捨てかけた事は捨て置く。女好きで初日からリミスたちの寝室に潜り込んだ事も捨て置く。  魔王討伐の依頼を受けた際も特に文句を言うことなくそれを快諾したと聞いている。グレイシャル・プラントの討伐を頼まれた時も即座に受けようとしていたし、ザルパンとの戦いでも逃げようとせず、俺の武器をこちらに投げてくれた。思い出せば出す程ことごとく行動が面倒臭くて腹が立ってくるが、奴は身の程知らずではあっても邪悪ではない。  性格を考慮して考えると、奴を墳墓に再度挑ませるのは簡単だ。  そうだな―― 「――子供がユーティス大墳墓に入って行方不明になった」  このシナリオなら、藤堂は恐怖を我慢してでもユーティス大墳墓に挑もうとするだろう。  冷静に考えて、そこそこ近いとは言え、大墳墓の恐ろしさについては痛い程聞かされている『ピュリフ』の子供が一人でそこに入ったりするわけがないのだが、そこまで深く考えたりはしないだろう。  それで助けに向かわなかったら……その時はまた別の策を打つしかないが……。  アメリアが眉一つ動かさずに尋ねてくる。 「子供を攫って墳墓に連れて行くんですか?」 「……お前は俺を何だと思っているんだ。ただのシナリオだよ」  それ、秩序神の信徒のやる事じゃないから。  アメリアの眼に俺はどういう存在に映っているのか、少し問いただしたくなったが、どんな答えが返ってくるのかわからないのでやめておいた。  必要なのは実体ではない。藤堂を動かせればそれでいい。……いや、実際に子供がいないと藤堂は子供が見つかるまで外に出ようとしないかもしれないな。  教会にも子供の一人や二人いるだろう。手伝ってもらうか。 「それなら、私にいい方法があります」  アメリアが声を上げる。  良かれ悪かれ、自ら意見を言ってくれるのは非常に助かる。……ちょっと不安だが、協力的なのは好ましい事だ。 「それは?」 「……今度また飲みに付き合ってください」 「やだよ。さっさと言ってみろ」  お前、この間酔わないとか言ってべろんべろんに酔っ払っていただろ。  アメリアはやや傷ついたような表情をしたが、すぐに気を取り直したように答えた。 「予想外の状況で報告が遅れましたが、実は藤堂さんたちのパーティに入れられそうな女僧侶を見つけました」 「……」  二、三度瞬きをして、アメリアの顔を見る。自慢気でも何でもない、すました顔。  女僧侶を見つけただと? クレイオは派遣しないと言っていたはずだ。となると、アメリアが説得したのだろうか? 説得出来たのだろうか?  念のため、確認にだけは行ってもらったが、ダメ元だった。男一人女三人(グレシャ入れて)の藤堂パーティに入ろうとする女僧侶なんて普通はいない。アメリアが俺からの要請を……断ったように。 「嘘じゃないな?」 「アズ・グリードの信徒は嘘をつきません」 「……今度、飲みに付き合ってやる」  久しぶりにいい知らせだ。藤堂の弱点発覚と相殺できるだろうか?  もしもアメリアの見つけたという僧侶が優秀だったのならば、少しは状況を改善する事ができるだろう。 「僧侶を餌に誘き寄せましょう。さすがに、そこまで条件が揃っていればゴミクズの藤堂さんたちも来るはずです」 「……お前さ、藤堂の事嫌いなの?」 「いえ……別に……?」  不思議そうな表情でアメリアが首を傾げてみせた。 § § § 「それはなんだ」 「シスターです」  アメリアの連れてきたのは、清潔ではあるが使い込まれたヨレヨレの服を身につけた女の子だった。  ルークスは多人種からなる国であり、くすんだ灰色の髪と眼はこの当たりでよく見る特徴である。最低限の食事しか取っていないのか、手足は折れそうな程細く、頬も僅かにくぼんでいる。年齢は十二、三だろうか。  しかし何より、耳にはプリーストの証であるイヤリングがなく、左手薬指にも証である白の指環がない。どう見ても僧侶じゃない。  がちがちに緊張しながらこちらに窺うような視線を向けてくるその女の子から視線を外し、アメリアを問いただす。 「どう見てもシスターじゃないんだが?」  百人が見て百人、シスターじゃないと答えるだろう。というか、僧侶的な要素がない。  詰問されても何ら表情を変える事なく、アメリアが答える。 「正確に言うと……これからシスターにします」 「……どこから連れてきた?」  違う。わかる。  観察するような、表情を窺うような媚びた視線。古い記憶が蘇り、顔を顰める。  孤児だ。  魔王が現れ、それに伴い魔物が活性化してから随分と増えた。そういった子供たちは教会や、国が運営する孤児院で引き取られる事になる。  アメリアが少女に視線を向けると頭を一度撫で、言った。 「教会です。教会が世話をしている身寄りのない孤児から一番顔のいい女の子を連れて来ました。許可は取っています」  ……驚くべきことに、才能が評価項目に入っていない。 「魔王討伐だぞ?」 「このまま野垂れ死ぬよりマシです。それに、既にいるシスターを見つけるよりもよほど楽です。信仰は命の危機にあったその瞬間にこそ……磨かれますから」  アメリアの言うことは間違えてはいない。神聖術は魔術と比べて、基本的に血筋や才能よりも経験と知識がモノを言う。命の危機でこそ信仰が深まるのもよく聞く話だ。だが、同時に一朝一夕で身につく類のものでもない。藤堂はそういう意味で特別だった。  うんざりしながら、アメリアが攫ってきた少女の方に視線を向ける。俺の視線を受け、顔を引きつらせ肩を震わせた。  ……これをどうしろって? 「気が進まないな。十中八九途中で死ぬぞ」  十中八九ではない。九割九分九厘確実に途中で負ける事になるだろう。  魔王に立ち向かった傭兵たちの殆どは逃げ帰る事すら出来なかったのだ。 「成功すれば英雄です。多少のリスクはやむを得ないでしょう」 「神聖術の使えない子供を僧侶として藤堂のパーティに入れるつもりか?」 「才能のある見習いという事にしましょう。いないよりはマシなはずですし、藤堂さんならば入れようとするはずです」  俺の問いは事前に想定していたのだろう。すらすらと返答が返ってくるが、全体的に人の道に反している。  確かに藤堂ならば入れようとするかもしれない。  孤児なので見栄えこそ良くないし、やせ細っているがしかしそれでもそれでも見た目は整っている。肉がつけばさぞ可愛らしくなるだろう。いや、肉を付けなくても見栄えを整えれば藤堂の基準点は満たせそうだ。そもそも、顔のいいのを選んだらしいし。 「藤堂さんたちのレベルはまだ高くありません。今ならばまだ追いつけます」 「レベルの高低と神聖術の強さはあまり関係ない。神聖術の強さに大きく影響するのは信仰と加護だ」  全く影響がないわけではない。  だが、レベルの低い僧侶の神聖術の方がレベルの高い僧侶の神聖術よりも強いなんてパターンもざらに存在する。アズ・グリードより加護を受けた藤堂の神聖術は、それよりもレベルの高い僧侶の神聖術よりも強力に作用していたし、何より俺が……その手の僧侶だったからわかるのだ。  アメリアが意外そうな声を出す。 「効率を考えるアレスさんが気が進まないなんて珍しいですね」 「お前は俺を何だと思っているんだ」  俺にも基準くらいある。効率以外の事だって考えているし、その基準によるとアメリアの策は……なしだ。 「……なら、教会に返しますか?」 「そうだな」  返して来い。  そう答えようとした瞬間、張本人が顔を上げた。灰色の艶のない髪に、しかし瞳だけが光っていた。萎縮したようなか細い声をあげる。 「あ、あの……」 「……何だ」  ゴクリと喉が僅かに動く。俺の声を受け、頬を強張らせる。今にも泣きそうな表情。  別に、睨みつけているつもりもないんだが……。視線を外してやると、俯いて、言った。 「頑張り……ます」 「冗談ではなく、死ぬぞ」 「頑張ります」  まるでオウムのように同じ言葉が繰り返し出てくる。なるほど、同意は取れてるようだが、一体アメリアはどんな説得をしたのか。  教会や孤児院で世話を受けるというのはは決して悪い事ではない。予算が足りず全体的に貧しい生活を送る事が多いし、他者から見下される事も少なくないが、命は助かる。戸籍もあるし、今は貧しくとも成長して運が良ければ人並み以上の生活を送れる事になる。高レベルで才能と経験のある傭兵すら死んでいった魔王討伐の旅に出るのとどちらが幸せかは知らない。 「アメリア、お前、どういう説得をしたんだ?」 「危険な旅だけど、努力すれば今よりもいい生活を送れるよ、と」  いや、確かに間違えてはいないが……。  危険な旅。危険な旅だ。  こちらも最善は尽くすつもりだが、藤堂のパーティはかなり危険である。魔族からも狙われている。志半ばで倒れる可能性は決して低くない。  何よりも、この子には大義がない。リミスとアリアは王国の重鎮の娘だし、藤堂は言わずもがな。何も好んで命を捨てる事も無かろう。  といっても、何もしないよりは僅かな希望にすがった方がいいのも確かである。何より、孤児ならばもしも途中で死んだ所で……こちらは痛くも痒くもない。  もしも成長すればよし、成長しなかった所で、途中で新たなメンバーを見つけることができれば交代させる事もできる。  人道を取るか挑戦してみるべきか。名前もまだ知らないこの子がもし嫌だと言うのならば、人道を取るべきである。だが、見たところ別に嫌なわけでもなさそうだ。現実が見えていないとも言える。  迷っていると、アメリアが提案してきた。 「とりあえず、僧侶として藤堂さんたちのパーティに入れるかどうかは置いておいて、攫われる役をやってもらうのはどうでしょう? どちらにせよ、餌は必要ですし、実際に戦場を体験してから彼女自身に決めてもらうのがよろしいかと」  餌という言い方は悪いが、その通りだ。どのみち、誰かに頼むつもりだった。アメリアの連れてきたこの娘でも支障はないし、何よりも時間がない。藤堂たちが逃げ出す前に仕掛けなくてはならない。  まるで俺の答えを待つかのように、少女がこちらを見ていた。反対する様子はない。  試すだけ試してみるか……高額ではないが、謝礼も払えるし、墳墓に現れるアンデッドのレベルならばフォローも十分にできる。 「名前は?」 「あ……は、はい。ス、スピカ……です」  スピカ、か。短い付き合いになるだろうが、  まだおどおどとした目つきでこちらを見上げてくるスピカに、アメリアが余計なフォローを入れる。 「大丈夫です、スピカ。アレスさんは人殺しのような目つきをしていますが間違いなく聖職者なので、取って食ったりはしません……多分」  ……フォローしようとしているのか、それとも馬鹿にしているのか。  そんな台詞で様子が変わるわけもなく、スピカはおどおどしたままだった。 「さぁ、さっさと藤堂に仕掛けるぞ」 「はい」 「スピカの教育はアメリアに任せる。プリーストとして入れるのであれば、一つか二つ、神聖術を仕込んでおけ」 「わかりました」  何故か湧いてくる不安を押し込め、一度咳払いした。唇を舐める。  さぁ、藤堂……楽しい修行の時間の始まりだ。 page: 51 第四レポート:克服のための布石についてA  夜明け前の墳墓は、昼間とはまた違った様相を見せていた。天をつく巨大な建造物は闇に彩られ怪物じみており、地下深くから伝わってくる強烈な瘴気に、眉を潜める。  空はまだ薄暗く、肌を撫でる空気も冷たい。  いくら藤堂がアンデッドを怖がっていたとしても、村を出るのは夜が明けてからだろう。その直前にこちらに誘導する手はずとなっている。藤堂たちが侵入してくるまでに準備を終わらせねばならない。  ユーティス大墳墓は地下に広がる迷宮だが、地上部は荒れ果てた神殿じみた遺跡となっている。  無数に立ち並ぶ崩れかけた太い柱と壁はしかしただひたすらに巨大で、かつてこの地を支配していたであろう者の権勢を示しているかのようだ。その壮大な光景に息を飲むスピカを連れて、風雨で劣化したのかあるいは他の要因によるものか、ボロボロに打ち捨てられた門を潜り、瓦礫の散らかされた内部へと内部に足を踏み入れる。  砂礫をざくざくと踏みくだき、広い講壇のような部屋のその中心部にそれはあった。  半壊した『何か』の像に囲まれた巨大な穴。  かつては巨大な石製の棺で塞がれていた――地下への階段。幅は三メートル。まるで地獄に続く穴であるかのように伸びるその奥底には、現代の技術でも全容を測ることの出来ない迷宮が広がっている。  いつ、何のために作られたのか。どうしてこのような巨大な地下迷宮を生み出せたのか。数多の考古学者が躍起になって取り組んだ、それらは俺にとってどうでもいい事だ。  重要なのは、この地下に神敵たるアンデッドが腐る程に存在するという事、それだけである。  階段の周囲は瓦礫などが取り払われており、キャンプの跡もあるが、他に人影はない。  後ろから、びくびくと周囲を伺いつつ、スピカがついてくる。格好は先ほどアメリアに紹介された時に着ていたボロ布ではない。ほぼ露出のない純白のローブとフード。教会から受け取った子供の僧侶用の装備で、気休め程度だが闇の眷属を遠ざける効果を持つ。手に持たれた短めの錫杖も殆ど飾りだが、神聖術を補助する効果がある。  とりあえず中身は空っぽだが、外面だけ整えてみた。作戦を決めてから出発するまでの間、アメリアからスピカにいろいろ引き継がせたが、流石にまだ神聖術を使えたりはしない。  ルークス王国では十五歳から一人前と認められる。  勿論、十五歳ではまだ成長半ばなので大抵の場合十代後半までは親の庇護の下で生活する事になるが、才覚を示した傭兵の中ではスピカくらいの年齢――十三歳程で既に戦場を駆け巡り名を馳せる者もいる。  だが、スピカはそうではない。もしもまだ彼女の親が生きていれば、こんな所に連れては来れなかっただろう。今回は教会が孤児院の役割を持ち、面倒を見ていたのでそちらに許可を取っているが、本来ならばこの年齢で立ち入るべきではない。 「怖いか?」 「ッ……い、いえ」  短く聞くと、慌てたようにスピカが首を横にぶんぶん振った。  レベルの高い俺には暗闇をある程度見通すことができるが、スピカのレベルはまだ3らしく、雲に霞んだ月の光だけでは殆ど周囲の状況を把握出来ないだろう。  二言、三言、祈りを捧げて、宙に光の球を浮かび上がらせる。  退魔術の初歩中の初歩、『導く灯』の術だ。アンデッドを浄化するための術だが浄化性能は低く、どちらかというと光源として使う事が多い。  朝のように、とまではいかないが、闇が取り払われ視界が開ける。しかし、それでも階段の奥底は全く見えない。  闇を祓う内に培われた感覚が地下に蠢く無数の闇の気配を捕らえる。力の大小は何となくわかるが、ここまで多いと細かい事はわからない。わかるのは、奥に行けば行く程強力なアンデッドが現れるだろう、という事だけだ。  スピカの視線がその光に吸い寄せられるように向けられる。 「そ、それが……神聖術ですか」 「ああ。それの初歩中の初歩だ」  右手の指を鳴らすと、ふわふわと宙に浮いていたその光が階段の奥に移動していく。 「入るぞ。側から離れるなよ。ここに出る魔物はアンデッドの中では最弱だが、いくら最弱とはいえ……レベル3では太刀打ちできない」 「は、はい」  敏捷性こそほぼないに等しいが、リビングデッドの腕力は平均的な成人男性を超えるし、レイスは精神の弱い者に乗り移りその身体を操る力を持つ。側に近づけばはっきり検知できるはずだが、油断はできない。  俺の声が本気を感じ取ったのか、スピカが恐る恐る一歩距離をつめる。  段差の大きな階段を一歩降りる。腕を動かし背負ったリュックの位置を調整する。  神聖術の光で照らされて尚、いや、照らされてこそより深く感じさせる闇に、僅かに唇を持ち上げた。  恐怖は人の心を縛りその動きを鈍らせる。だから、異端殲滅を専門とするプリーストは笑わねばならない。その闇に決して敗北する事のないように。 § § §  俺が初めて戦った不死者が何だったか、俺はもう覚えていない。  ユーティス大墳墓の構造は、方向感覚を乱す曲がりくねった無数の通路と無数の部屋、無数の死角から出来ている。  墓荒し対策か、あるいは、墓の整備をするための人員や墓守が暮らしていたのか、大墳墓の浅層にはトラップの類はそれほど多くない。  反面、深層には致死性のトラップが多くなってくるが、決して抜けられない道もまた存在しないとされていた。仕掛けさえ理解していれば、どの道も通れるようになっているのだ。  権勢を示すという目的もあったのだろうが、埋葬するためだけにここまで大規模な墳墓を作る事は考えずらい。何らかの目的があったのだろうが、それもまた今となっては泡沫の夢と呼べるだろう。  角から現れた人影に、指を鳴らす。  祈りに従い、無数の光の矢が周囲に浮かぶ。神聖術特有に白色の光に、角からあらわれたソレが露わになる。  アンデッドの中でも実体を持っているタイプ。腐りかけた屍に似た醜い姿形を持つこの世ならざる世界の住人。  潰れかけた指が壁に軽くぶつかり、湿った音を立てる。微かに聞こえる怨嗟の呻き声、俯いたまま向かってくる闇の眷属に、指示通り後ろからこそこそとついてきていたスピカが僅かに息を飲んだ。 「……ッ」  悲鳴を上げかけたが、とっさに自分の手の平で口を覆い塞ぐ。スピカは、愕然と眼を見開き、初めて見るであろうその存在を脳内に焼き付けていた。  まるで人の屍が歩いているように見える事から名付けられた、『生ける屍』と呼ばれる魔物である。高い腕力を持ち、瘴気による麻痺や毒などの状態異常を与えてくる事を得意とするが、反面その戦い方には知性と呼べる代物がなく、動く速度も遅いため子供でも逃げきれるという最弱のアンデッドだ。  なんか藤堂よりもスピカの方が平気そうなんだけどどうすりゃいいんだこれはッ!!  脳を破壊しても心臓を破壊してもいいし焼きつくしても凍らせても良い。あらゆる手段で倒せるが、瘴気から構成された体液を受けると意識が軽く飛ぶので近づかずに倒すか、完全に浄化するか、事前に神聖術による麻痺耐性を付与する必要がある。リミスはもっと遠くから炎を放つか、もっと高い火力で焼き尽くすべきだった。  スピカがはっきりとそれを確認したのを見て、ぱちんと指を鳴らす。それをトリガーとして、俺の周囲に数十本の『闇を祓う光の矢』を展開する。光源が一気に増え、薄暗かった通路が光で溢れる。  知性なき『生ける屍』の身体が、僅かに揺れた。 「『闇を祓う光の矢』」  本来不要な詠唱と同時に、本来不要なまでに展開された光の矢が一斉に、本物の矢を遥かに超える速度でリビングデッドの全身を貫く。避ける暇などあるわけがない。  勝負は一瞬だった。  後に残ったのは静寂だけ。光が弾け消える。  その時には、リビングデッドは影も形もなくなっている。完全に浄化したのだ。断末魔を上げる間すら与えない。まぁ、リビングデッドは断末魔なんて上げないのだが。  神聖術の中でも闇の眷属をブチ殺す事に特化した退魔術。魔物を倒したことで塵以下の存在力が流れ込んでくる。  小さく息を吐き、リビングデッドを見た時よりも遥かに呆気にとられた表情でこちらを見上げるスピカに一言告げた。 「これが……神の加護だ」  返答を聞かずにさっさと歩みを進める。スピカは数秒間固まっていたが、すぐに小走りについてきた。  奇跡を確信させる事。神の加護を実感させる事。  僧侶への第一歩はそこから始まる。実利なくして人は信仰を抱けないのだ。例えいくら口で教えられようと、歴史を学ぼうと、目の前で起きた鮮烈な光景には及ばない。  全身に感じる重く冷たく、そして湿度の高い空気は、ここが地下である事を如実に示している。光はあるとはいえ、慣れていないスピカでは長時間ここに入れば狂ってしまうかもしれない。  まだ未踏破とはいえ、ここはレベルアップのフィールドとしても確立されている地である。  目標地点――藤堂たちをおびき寄せる場所は既に決めていた。  現れたレイスやリビングデッドなど最下級アンデッドを一撃で浄化しながら進んでいく。出会い頭に一撃ではない、あえてその姿を見せこちらに襲い掛かってくる寸前に浄化していく。  神聖術の中では低位のアンデッドが近寄るのを防ぐ術も存在するが、今回は使わない。僧侶として参加するにせよしないにせよ、スピカに少しでもそれらへの耐性を付けさせるためだ。  初めはやや怯えていたスピカもすぐにそれらに慣れ、後半は僅かに緊張するのみで、恐怖を抱かなくなっていった。今ならばレイスの『叫び』を聞いても精神ダメージは薄いだろう。対面して戦うとなると話はまた別だが、初めてにしては上等といえる。  その成長に、アメリアが提案してきた『いい方法』を思い出す。  彼女は必要なのは慣れです、と言った。  人は未知を恐れる。剣士はレイスを初めとした実体を持たないアンデッドを恐れる者が多いと聞く。何しろ、奴ら霊体種は物理攻撃が効きづらい。つまりそれは、明確な理由あってのものだ。  藤堂が装備している武器は勿論の事、アリアが装備している剣も剣王の娘だけあって相当な業物である。聖剣とまでは呼べないが、魔剣という表現が正しいかもしれない。特殊な加護の降りているそれらの剣は霊体種をまるで実体があるかのように切り裂く。恐れる理由はない。  なるほど、荒療治ではあるが、アメリアの策も適当に言ったわけではないようだ。  大墳墓に踏み込んで一時間程で、目的地に到着した。  到着するまでに今まで見かけたどの部屋よりも広い部屋だ。天井は高く、壁には火の灯っていない豪奢な装飾の燭台が均等に配置されている。  奥には三メートル程の白い石で出来た精緻な人型の像と祭壇に似た台が設置されていた。祭壇は酷く簡素なもので、全てが石材で出来ているように思える。  地図に記載された部屋の名称は『鬼面騎士の祭壇』。  鋭い二本の角を生やし、怒り狂ったような鬼面をした像がその名の由来だ。腰に吊るした刀の柄を握り、今にも抜き放ちそうな精緻なそれらはまるで生きているかのような躍動感を持っていて、何かの条件を満たした時に動き出すのではないかとここを訪れた傭兵の間ではもっぱらの評判である。何度も調査隊が侵入し調査を行ったはずだが、今の所動いた事はない。  祭壇の間は外とは違い殆ど破壊の跡がなかった。いくら百戦錬磨、神を神とも思わぬハンターたちとはいえ、このような不気味な像を前に無体を働こうとは思わなかったに違いない。  その像の姿形、正体は未だ不明。異端の神かそれを守るための呪い的な意味を持つのか。それは考古学者たちの研究に任せる事にして、今重要なのはこの部屋が祈りを捧げる場として非常に優れた構造をしているという点だ。  この部屋の中では神聖術の威力が上昇し、奇跡を下ろしやすくなる。正式な教会には一歩及ばないが、神力を節約できるのでプリーストが修行に選ぶ場としても知られている。藤堂の神聖術は未熟だが、ある程度マシにはなるはずだ。  部屋の中は広く、祭壇と像を除いて障害物もなく、戦いやすい。何よりも出入り口が一つしかないのが素晴らしい。逃げられないからだ。  多数の魔物が雪崩れ込んで来ると、囲まれてしまうが、この当たりに生息するアンデッドは最弱である。最悪でも死ぬことはないだろう。多分。 「予定どおり、ここを拠点とする」  目を凝らして鬼面騎士の像を見上げているスピカに言う。  何千年も前に作られたとは思えない滑らかな石像。念のため、破壊しておいた方が良いだろうか? 一瞬頭によぎるが、何の神だかは知らないが、像を破壊するのはあまり良くない。教義にも他の神を貶めない事とある。  動くことはないだろう……ないよな? 「スピカ、さっきも言ったが、お前はこの地に修行の名目でやってきた、まだ神聖術も使えないプリーストの卵だ」 「……はい」  わかっているのかいないのか、スピカが小さく頷く。 「立ち入りが危険なので教会から禁止されていたが、どうしても信仰を深めたくて、たった一人でこの地に入り込んでしまった。教会は置き手紙でそれを知り、何時までたっても戻って来ないスピカを心配して藤堂たちに救助を依頼する」  一人で大墳墓に侵入する僧侶の卵ってどんなんだよ。内心でつっこみながら説明を続ける。  穴だらけの理屈だが、多少不自然でも構わない。重要なのは藤堂たちをここまでおびき寄せる事なのだから。 「ここで祈っていると、スピカを心配した藤堂たちが――魔物狩りのパーティが助けにやってくる」  アメリアには村に残ってその辺りを誘導してもらう手はずになっている。嫌そうにしていたが、通信で指示を出すだけでは心許なかったのでやってもらう事にした。お前の考えた作戦だろ、やれ。  周囲の気配を探る。うじゃうじゃいる。腐る程いる。もともと大墳墓のレベルアップのやり方は、弱小のアンデッドを何十何百匹も倒す事にある。 「そこで、藤堂たちがこの部屋でスピカを見つけるわけだが……無事である事を安心した所でアクシデントが発生する」  アメリアの案を思い出す。至極真面目な表情で出された言葉を。 『アンデッドを倒せば倒す程に慣れていきます。私は初めは怖かったですが、数百匹のアンデッドに囲まれて無我夢中で倒していったらすぐに慣れました』  血が苦手だった人間だって、傭兵として数多くの魔物を殺していくにつれ、殺しに、恐怖に慣れていく。  いくら怖いとは言え、相手はとにかく弱いのだ。倒していれば勝手に慣れていく事だろう。慣れなかったらその時はその時でまた考えればいい。 「生者の気配を感じ取った大量のアンデッドが運悪く雪崩れ込んでくる。スピカには俺が強い加護を与えておくが、あまり近づくなよ」 「な、何匹ぐらい来るんですか……?」  息を飲んで、掠れた声で尋ねてくるスピカに言ってやった。  そんなの決まっている。 「藤堂たちが慣れるまで、だよ」  克服してもらう。いや、勇者ならば、出来て当然だ。 page: 52 第五レポート: 「実は僕……ホラーは苦手なんだ……」  憔悴した表情で藤堂が言った。もう大墳墓から脱出して数時間経っているのに、その頬は少しやつれて見える。  ヴェールの森では現れる魔物を意に介す事なく、一騎当千の働きを見せた勇者の言葉に、リミスが額を押さえた。 「その……剣で切れない者は……少々、苦手で、な……」  アリアもまた、とても言いづらそうにそう呟く。 「悪霊はともかく……生ける屍は斬れるでしょ?」 「……面目ない」  珍しく歯切れの悪い回答に、リミスは頭を振った。まるで悪夢でも見ているかのような気分だった。  藤堂たちがピュリフについたのはつい一日前の事だ。  教会に到着の報告を入れ、試しに大墳墓に挑む事にしたのが数時間前。教会から直々に必要なアイテムの類と地図を分けてもらい、プリーストこそ見つからなかったものの、それを除けば万全の体制だった……はずだった。  そもそも、ユーティス大墳墓に現れる魔物の戦闘能力はそれほど高くない。厄介なだけだ。状態異常にさえ気をつければ、ヴェールの森の魔物よりも戦いやすい。そう聞いていた。  それがまさかこんな結果になるとは……。 「信じられない……何なの、あなたたち!」  場所は教会の一室である。  宿として貸してもらった広めの一室に、リミスの声が響き渡った。杖でばんばんとテーブルの縁を叩き、詰問する。  藤堂とアリアは顔を見合わせ、情けない表情をした。 「いくらなんでも、アンデッドが怖いって……どういう事よ?」 「いや、だって……」 「だってじゃない!」 「……はい」  消沈する二人に更なる追撃をかける。グレシャは一人、椅子の上で膝をかかえて、我関せずと硬いパンを齧っている。  その様子に、リミスは少しいらっとしたが、すぐに思い直す。今回は叱る筋合いはない。むしろ、大金星である。不甲斐ない前衛二人に向き直り、ぎろりと睨みつける。  木製のテーブルに思い切り手を叩きつける。上に乗っていた水の入ったグラスがぐらぐらと揺れた。 「グレシャが街まで運んでくれなかったら全滅していたかもしれないのよ!?」 「わ、わかってるよ」  藤堂が深いため息をつく。倒れる前の記憶は残っている。ぞっとするような恨みに満ちた表情をしたレイス。身体の芯が凍りつくような絶叫。  事前に情報を得ていた、その『嘆きの叫び』で気絶してしまったのは完全に不覚だった。 「でも、リミスも結局気を失っ――い、いや、なんでもない……です」  睥睨するような視線に、藤堂は口を噤む事にする。  魔導師は基本的に前衛がいてこそ活きる。前衛である自分たちが先に倒れてしまった事に関しては言い訳のしようがない。  気持ちを落ち着けるべく一口、水を含み唇を湿らせ、アリアが重い溜息を漏らした。 「問題はこれからどうするのか、だ」  当初の予定ではプリーストを仲間にする予定だったが、やはりここでも見つからず、その上試しにダンジョンに挑んでみれば新たな弱点が発覚する始末。  藤堂も日々、神聖術について練習はしているが、今の状態はそういう問題ではない。何しろ、真っ先に気絶したのは藤堂である。術を使う暇もありはしない。  頭を抱え込むようにして、藤堂がもごもごと言い訳をする。 「僕の住む世界では……アンデッドがいなくて、ね」 「……何が怖いのよ?」  眉を顰め、尋ねるリミスに、藤堂が目を伏せ、ぽつりと呟いた。 「……全部」 「……全部って……あなたねえ……」  思い出しただけでもう駄目なのか、藤堂の白んだ顔色に魂抜けるような深いため息をつく。  藤堂は頬をテーブルにつけながら、ばんばんとテーブルを叩きながら主張した。 「見た目も色も臭いも音も何もかもダメなんだ……あれは……良くないものだよ」 「そりゃ魔物だし……」 「逆になんでリミスは平気なんだよ……意味がわからないよ」 「私も……剣で斬れないのはちょっと……」  情けない表情で藤堂に追随するアリア。その様子は、ヴェールの森の獣を容易く屠った戦士にはとても見えない。  これは……重症だわ。  二人の様子に、本格的にまずい事を悟る。苦手なんていうレベルではない。このままでは戦えないかもしれない。  聖勇者に、剣王の娘。それはただの『称号』である。が、そのような来歴を持っている勇者パーティに、誰がアンデッドが苦手なんていう弱点があると思おうか。  実際にユーティス大墳墓を次の目的地にするといったのは、真っ先に気絶した藤堂直継その人だったのだ。 「アンデッドには魔法が効くから」 「……なら、リミス一人で倒してよ」  情けない事を言い出す勇者に、アリアが口を挟む。 「ナオ殿、ナオ殿の持つ聖剣エクスならば霊体種でも通じるはずです」 「えッ!?」  背後から撃たれたかのような表情を向ける藤堂。  聖剣エクスは万物を切り裂く光の剣。意志の強さによって斬れ味を増し、一振りで山を吹き飛ばしたという謂れすら持つその剣に斬れない者はない。  もちろん、既にその情報は知っていたが、藤堂がアンデッドが怖い理由は斬れないからではない。怖いものは怖いのだ。  リミスがジト目でアリアを見上げる。 「アリア、貴女の剣もレイスを斬れるでしょ」 「……」  図星を突かれたアリアが黙ったまま視線を逸らした。  藤堂一行に与えられた装備はルークス王国の秘宝だ。  そもそも、レイスなどの霊体種を斬れる武器は少なくない。アリアの剣もリミスの武器もかなりの業物であり、あらゆる魔物に対応出来るようにできている。 「で、怖いのはわかったけど……どうするの?」 「どうするって……」  藤堂が言い淀む。  もともと、リミスとしてはどちらでもいいのだ。聖勇者に弱点があるのは良くない事だとは思うが、リミスは別に怖くないし、大墳墓でのレベル上げに拘っているわけでもない。むしろ、火属性の精霊魔術しか使えないリミス本人としては、屋内で戦うよりも屋外で戦う方がずっと楽なのだ。  リーダーの答えを待ちながら、リミスは手の平を二、三度開閉し、確かめる。  リビングデッドとレイスの分の存在力が入っているはずだが、全く強くなった気はしなかった。アンデッドの存在力の低さは有名である。特に、先ほど遭遇したレイスやリビングデッドなど、思念が形を取ったタイプの下級アンデッドになると相当数倒さなければレベルが上がらない。  そして、威力が高い事で有名な火属性の精霊魔術は、アンデッド相手では例え最下級の魔法を使ってさえオーバーキルだった。沢山群がった所に一発ぶち込めばそれなりの存在力が入るはずだが、広いとは言っても屋内ではそれほどの数が一箇所に集まる事は見込めないだろう。  そもそも、昨日は現れたのがリビングデッドとレイスだったからまだ対応できたが、それ以上のアンデッドが現れる可能性だってゼロではない。中級以上の火属性魔術は狭い通路内で使うにはリスクが高すぎるし、昨日対応したように『炎の槍』などの下級の魔法で対応するにしても無限に使えるわけではない。  物心ついた頃から魔術的な訓練を繰り返してきた。決して自分の実力に自信がないわけではないが、お荷物を二人背負ったまま進むには流石にリスクが高すぎる。一時間しか入っていないが、リミスにそう感じさせるだけの危険な臭いを大墳墓は持っていた。  リスクが高く、リターンは少ない。  挑む必要があるのならばともかく、そうでないのならば挑まないに越したことはない。リミスの役割は魔王討伐のサポートである。最悪の時の覚悟はしているが、志半ばで倒れるわけにはいかないのだから。  戸惑うような眼差しを浮かべる藤堂に、何度目かもわからないため息をつく。  リミスが知るかぎり、藤堂直継という聖勇者はいつだって自らの判断で動いてきた。それなのに、今日の勇者はリミスからみればとてもくだらない理由でそれを躊躇っている。 「そもそも、ナオ、貴女、退魔術を覚えたいって言っていたけど、覚えることができたらアンデッドに立ち向かえるの?」 「それは……」 「プリーストがいれば立ち向かえるの?」 「……」  退魔術はあくまで一つの戦闘技術、手法でしかない。対抗手段を得ることで恐怖を和らげる事もできるかもしれないが、それも場合によりけりだ。特に、既に藤堂はアンデッドに対する対抗手段を持っているのだから。  プリーストについても同様。傭兵たちはプリースト抜きでアンデッドに挑む事は殆どないが、それは厄介な攻撃手段を持っているからであって、決して『恐怖』が原因ではない。  藤堂が恐る恐る、自分より頭一個分身長の低いリミスに尋ねる。 「リミスは……どっちがいい?」 「貴女の決定に従うわ、ナオ。私はどっちでも……戦えるもの」  眉一つ動かさずに、リミスがきっぱりと言い切った。  パンを齧っていたグレシャが空気の変化に気づき、藤堂とリミスの方に視線を彷徨わせる。 「……アリアは?」 「私も……ナオ殿の決定に、従います。ただ……知っての通り時間はもうない。出来る限り急いで力を強化しないと――」  もともと、教会の予測では、勇者の情報は召喚しておよそ一ヶ月で魔王側に伝わるという話を聞いていた。それももう数日前に過ぎ去っている。  実際に、教会経由で魔族側に勇者の存在がバレたらしいという情報も受け取っており、まだ具体的に被害が出ているわけではないが、出来る限り迅速にレベルを上げる必要があるという点でパーティ内の見解は一致していた。  アリアの言葉を聞き、藤堂は眼をつぶった。  結局、仲間になってくれる僧侶を見つける事は出来なかったし、今の状態ではこのままこの土地にいてもレベル上げは進まないだろう。  結果的に遠回りになってしまったが、本来行くはずだったのゴーレム・バレーとやらに行ってアンデッドじゃない魔物でレベルを上げたほうがいい。  藤堂はゆっくりと瞼を開け、パーティメンバーと視線を交わす。表情には苦笑いのような笑みが浮かんでいた。 「……明日の朝、ここを発つ」 「アンデッドは克服しなくていいの?」 「……ま、まぁ、もうちょっとレベルを上げてから、かな」  藤堂の最終討伐目標は『魔王』である。アンデッドと戦えるようになる必要はない。  思わぬ弱点が露呈してしまったが、人間誰にでも弱点はあるものだ。  聖勇者としてどうなのだろうとも思ったが、聖勇者が完璧な人間を指していない事は付き合いの中でわかっている。アリアはアリアで、ほっとしたように頬を緩めていた。 「夜明けを待って明日、ゴーレム・バレーに向かおう。各自、明日に備えて準備を」  グレシャが不思議そうな表情で、目をぱちぱちと瞬かせた。 § § § 「子供が大墳墓に……?」  教会を管轄し、その一室を宿として提供してくれた初老の神父が縋り付くような眼で言う。  本人も戸惑っているらしく、礼拝堂は慌ただしい喧騒に満ちていた。  神父が憔悴した表情で説明を続ける。 「は、はい……この教会は孤児の面倒を見ているのですが……どうやら、昨日の藤堂さんたちが僧侶を探しに来ていたのを聞いていたらしく……」  言葉を聞いていく内に、藤堂の眼が険しく変わっていく。  事情は単純だ。藤堂が僧侶を探している旨を盗み聞きした娘が、自分が僧侶となって手伝うべく大墳墓に向かった。ただ、それだけの話。 「一体なんで大墳墓に……」 「さぁ……」 「さぁって……」  藤堂は呆れ果てるが、困惑したような神父の表情に嘘は見えない。  本人にも事情がわかっていない、そんな表情だ。 「その娘はまだ僧侶としての力を持っておらず……信仰は闇の中でこそ高まります。もしかしたら、力を身につけるために――」 「僧侶としての力を持っていない? 大丈夫なのか?」 「……」  沈黙に、今の状況が非常事態である事を悟る。  まだ藤堂は大墳墓にたった一度しか踏み入っていないが、そのフィールドがどれだけ危険に満ちているかは理解していた。  現れるアンデッドの能力は低いが、ただの子供が太刀打ちできるようなものではない。 「助けは?」 「それが……今、教会には人材が……」  教会の僧侶は決して皆が皆、戦える者ではない。神力が祈祷で上昇する以上、その殆どは最低限の魔物しか狩った事のない人材だ。  アリアが青ざめた表情で口を結ぶ。 「ナオ殿」 「あ……ああ……」  アリアの言葉に、脳裏に過るのは大墳墓で出会ったアンデッドに対する――恐怖。  恐怖を押しとどめ、青ざめた表情で藤堂が呟いた。 「行かなきゃ……」  世界を救う事。子供一人救えずしてどうして世界が救えようか。  恐怖で思考が鈍る。考えこんでしまえばそれだけ、大墳墓に侵入してしまった子供の生存率は落ちるだろう。  恐怖と子供の命、天秤には掛けられない。それも、その発端が藤堂の言葉にあったのならば尚更の事。  藤堂直継は勇者だった。明確な理由があるのならば、例え相手がなんであれ立ち向かわねばならない  深く考える事なく、神父の方を見た。時間が経てば意志が鈍ってしまいそうだった。  今にも倒れそうな青ざめた表情に、神父の頬が僅かに痙攣する。  「僕たちが……行きます」 「え……あ……しかし……」 「……大丈夫です。任せて下さい」  感情を押し込み、安心させるように引きつった笑顔をつくり、藤堂が言い切った。  宿を貸してもらった恩もある。譲ってくれた対アンデッド用のアイテムもまだ残っている。  行く。行かなければならない。同じく、昨日酷い醜態を見せたアリアも意義を唱える様子はない。どうしてパーティメンバーを前に情けない様子を見せられようか。  唯一、アンデッドが苦手じゃないリミスだけが心配そうに二人の方を見ていた。  教会を出て、さっそく墳墓に向かう。子供がいなくなったのは昨日の夜。もう一刻の猶予もなかった。  空は晴天で、藤堂の内心とは裏腹に雲一つない。じりじりとした陽光が大地を照りつけていた。 「だ、大丈夫なの? ナオ」 「大丈夫じゃ……ないよ。でも、行かなきゃ……」  リミスの言葉に、藤堂が断言する。  幸いな事に、目的地には検討がついていた。置き手紙があったらしい。  大墳墓の浅層。入って一時間程の所にある鬼面騎士の祭壇。ユーティス大墳墓にはアンデッドが大量に生息するといっても、浅層はそれほどでもない。現に、藤堂たちが侵入した時には二度しかアンデッドに遭遇しなかった。二度目で気絶してしまったのだが、運が良ければアンデッドと遭遇せずに部屋に辿り着けるだろう。  同時にそれは、少女が生きているという可能性も示唆している。  馬車に乗っている間、藤堂とアリアは無言だった。  能面のような表情で御者台の隣に座る藤堂に、リミスが必死に話しかける。 「本当に貴方大丈夫!?」 「大丈夫だよ。ふふ……ふふふ……せ、聖水を作って投げればいいんだ……そうだ。聖水だ」 「大丈夫そうに見えないけど……」 「い、いざとなったら逃げればいいんだ。なるべく遭遇しないように、もし遭遇したら戦わない方向で行こう。時間がもったいない」  確かに通路は広いし、アンデッドの動きはそれほど早くないが、進行方向に現れたアンデッドを避けるのは至難に思える。特に、アリアと藤堂は身体能力が高いからいいが、リミスの体力は高くない。 「倒した方が早いと思うけど……」 「できれば頑張る」  藤堂の言葉に、リミスは現れたアンデッドを片っ端から焼き尽くす事を決意した。  魔力の消耗は激しいが、やるしかない。  魔力回復薬、いくつあったかしら……。  魔力を回復させる薬は非常に高価で希少だ。いざというときのための切り札だったし、まさかもう使うとは思わなかったが、背に腹は代えられない。  既にパーティは満身創痍だった。後ろを振り向くと、膝を抱えてぶつぶつと呟いているアリアに、欠伸をしながら退屈そうにごろごろと転がっているグレシャの姿。アリアは今回使い物になりそうにないし、グレシャはもうどうしようもない。  程なくして、大墳墓にたどり着く。ユーティス大墳墓の地上部、遺跡には閑散とした雰囲気が漂っていた。  ヴェールの村とは逆に、ピュリフの村の中には傭兵の姿は殆どいなかった。それは、いざというときに助けを求められる相手がいないという事だ。  馬車を片付け、墳墓の入り口に向かう。  重い足取りの藤堂とアリアに代わり、リミスが先頭に立って歩く。ガーネットがちょこちょこと腕を上がり、リミスの頭の上に乗った。これが戦闘態勢。サラマンダーは身体の大きさこそ小さいが、その強さは下位のアンデッドなど歯牙にもかけない。この世界の生き物ではないので毒なども効かないし、最悪、殿を努めてもらう事だってできる。  今にも倒れそうな足取りでついてくる二人に、とうとうリミスが言った。 「……あんた達……外で待ってる?」 「……行くよ」 「……行く」  足手纏いはいらないんだけど……  どこからどう見ても、リミスには今の二人が使い物になりそうに見えない。せいぜい、壁になるくらいだろうか。  だが、行くというのならば連れて行くしかない。魔術師一人で突き進める程、大墳墓が楽な場所ではない事もわかっている。  入り口――地下に向かう階段の近くにたどり着いたその時、ふとその側に一つの人影を見つけた。  一瞬地下のアンデッドが這い出てきたのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだ。  リミスが眼を丸くする。  ……僧侶?  それは、リミスと同じくらい背の低い男だった。  深い藍色の法衣を身にまとい、側に置いてある大きなトランクケースからは一見旅行者にも見えるが、大墳墓に旅行者が来るわけがない。  リミスが気づくと同時に、男が振り向く。  藤堂と同じ黒髪に黒の眼。見た目は藤堂よりも一つか二つ下だろうか。右耳に下げられた十字の形をした僧侶の証のイヤリング。まだ幼さの残る双眸が、リミスたちの姿に微笑を作った。  丁寧に切りそろえられた髪に、穏やかな表情は僧侶のイメージと一致していたが、反面、このような危険な場所にいるような男には見えない。  あまりにも場違いなその様子に、一瞬助ける対象である可能性が思い浮かんだが、大墳墓に向かったのは女の子だと言っていたはずだ。  リミスが口を開く前に、少年の唇が僅かに開く。耳障りのいい落ち着いた声。 「こんな所で、友に出会うとは……」 「……? 貴方、誰? どうしてこんな所にいるの?」  友? 会ったこと……ないけど。  思わず聞き返す。  少年が太陽を仰ぎ、深くため息をついた。  見かけによらない落ち着いた達観したような仕草に、リミスは目の前の少年の年齢がわからなくなる。  まだ顔色の良くない藤堂が、リミスの隣に並ぶ。 「ここは……危険だよ。逃げた方がいい」 「危険? いやいや……とんでもない。僕は……仕事が入る予定だったのですが、予期せぬ休暇を頂いてしまって……」  支離滅裂な言葉に戸惑う藤堂たちを置いて、少年が続ける。 「この墳墓はとても有名で、一度訪れて見たいと思っていたのです。ちょうど近かったので、来てしまいました」  戦場を戦場とも思わない言葉に、目を丸くする。  そういえば、神父も言っていた。信仰を深めるのにうってつけの部屋があると。 「? 修行に来たって事?」 「? ええ、まぁ……修行……そう、僕はまだ修行中の身でして」  目を細め、ぽっかりと開いた地下への階段を見つめる。その視線に恐怖は浮かんでいない。  その様子に、リミスはふといいことを思いついた。 「……貴方、まさかレベル高い?」 「いえいえ……まだ修行中の身なので、大した事は……」 「どっちでもいいわ。僧侶、よね?」  リミスの言葉に、意図に気づいたアリアが目を大きく開く。  少年が照れたように僅かに唇の端を持ち上げた。 「いえ……ですが、似たようなものです」  リミスが藤堂の方を見る。男嫌いの藤堂はしかし、すぐにぶんぶんと首を縦に振った。  どうやら、男よりもアンデッドの方が嫌いらしい。 「私たち、これから中に入るんだけど、僧侶がいないのよ。もし良かったらついて来てくれない?」  リミスの提案に、少年が人差し指を顎に当て、首を傾げる。その指に嵌められた黒の指環に、リミスは強い既視感を感じた。 「構いませんが……僕は回復魔法を使えません。それでも?」 「……回復魔法が使えないって、どんなプリーストよ」 「お恥ずかしい話ですが、修行中の身でして……」  全く恥ずかしくなさそうに少年が言う。  不安になったが、選択肢はない。いないよりいいのは間違いないだろう。  何よりも、今回藤堂とアリアは使い物にならないのだ。リミスは深くため息をつき、少年の方をじっと見た。  飲み込まれそうな黒の虹彩がじっとリミスを見返している。 「それと……どこまで行かれる予定でしょうか? 僕はそれなりに深く潜る予定ですが……」 「私たちはそんなに奥まで行かないわ。片道で一時間くらいの予定だから」 「それならば、途中で離脱する形でもよろしいでしょうか?」 「……ええ」  リミスの答えに、少年がにっこりと笑った。笑い、手を差し出してくる。  血管が薄く浮いた華奢な手首に、傷一つない白い指先。  戦闘出来るようには見えないが、贅沢を言っている場合ではない。回復魔法が使えないプリーストに何の意味があるのかは知らないが、いないよりはマシだ。  リミスはため息をつき、藤堂に代わってその手を握る。握った手から感じた思わぬ力強さに、眉を緩めた。 「リミスよ。こっちの調子悪そうなのが、ナオとアリア。短い間だけど、よろしくね」 「ええ。申し遅れました」  少年が僅かに唇を舐める。  僧侶の証とは逆の耳に下げられた金のイヤリングに再び既視感。  その正体に気づく前に、少年が言った。 「僕はグレゴリオ。グレゴリオ・レギンズです、我が友。どうぞお見知り置きください」 「その、『我が友』って……何よ?」 「秩序神に従い、闇の眷属を討ち滅ぼす者を友と呼ばずしてなんと呼ぶのでしょうか」 「……知らないわよ」  平然と言い放つ少年の姿に、リミスは底知れぬ不安を覚えた。  別に役に立たなくてもいいけど、邪魔だけはしないで欲しいものだ。 page: 53 第二報告 地下墳墓の怪物について 第六レポート:慣れてはいるな 「四級回復神法」  祈ると同時に、手の平から緑の強い光が放たれる。  最も一般的な回復魔法だ。五級回復神法の回復力はかなり低いので、この魔法を使えて初めて僧侶は一人前と言えた。  スピカがきらきらした眼でその様子を見ている。慣れない大人と二人きりでいたせいか俺の目つきのせいなのか、先ほどまではおどおどしていたが元来こういう性格なのだろう。  使えるようになるかどうかはわからないが、回復魔法を使えるようになれば孤児でも将来職に困る事はない。才能がなくても、数年間毎日祈祷すれば最下級の物は使えるようになるだろう。 「これが基本的な『四級回復神法』だ。日常生活で負った傷ならばこれで十分回復出来る」 「わ、私も出来るように……なりますか?」 「なる」  しかし、世の中にはなかなかどうしてどうしようもない事もあるものだ。  例えばそれは、俺の信仰厚かった両親が神聖術を使えず、俺が使える事だったり、藤堂が勇者として世界の命運を背負っている事だったりする。  スピカが僧侶として大成出来るかはわからない。  スピカが手の平を見下ろし、開閉する。  やれとは言わない。彼女には藤堂のように強力な加護がない。あいつがたった一度教えられただけで祝福を使えたのは間違いなく奴が特別だったからだ。 「スピカ、お前のレベルは3だと言ったな?」 「……」  俺の問いに、スピカが目を伏せて頷く。  普通、一般人でも十歳くらいまでに5レベルまでは上げるが、それも保護者あってのものだ。  今の時代、孤児は少なくない。教会にもレベルを上げさせる程余裕がないのだろう。知っている。よくある話だ。  だが、仮にも勇者のパーティに入るかもしれないのにこれではまずい。  ため息をつき、手を差し伸べる。 「レベルを上げる」 「……え……でも――」  スピカが驚いたようにその眼を大きく開き、俺の顔を窺うように見上げた。  幸いな事にここの魔物は俺と相性がいい。本来ならばレベル3で倒せるような魔物ではないが、やり方はいくらでもある。  藤堂が辿り着くまではまだ時間があるだろう。それまでに10くらいまでは出来る限り上げておきたい所だ。 § § §  僧侶の戦闘能力は他の職と比較し、一部の殲滅鬼とか殲滅鬼とか殲滅鬼とかを除いてとても低いが、不死者を相手にした場合のみ、その戦闘能力は跳ね上がる。  退魔術は闇の眷属を相手取るために下された奇跡であり、退魔術を修めた僧侶にとって下位のアンデッドは恐れるに足りない。上位になるとまた違ってくるが、ユーティス大墳墓の浅層にいるアンデッドは知性もなく本能だけで動くような奴らばかりだった。  鬼面騎士の間を中心に結界を張る。アンデッドを遠ざけるためのものではない、光を求めるアンデッドを引き寄せる性質を持つ『誘魔結界』だ。アンデッドは生者の魂や光に引き寄せられる性質を持つ。その性質を利用したこの結界は本能に従うアンデッドをおびき寄せる。  結界を張り終えると、スピカに短剣を渡した。金の装飾がされた柄と黒の鞘。一目で高価だと分かるそれを受け取り、こちらに戸惑うような視線を向けた。 「聖銀製のダガーだ。ミスリルは闇を遠ざける効果がある。貸してやる」  それと非常に軽い事で有名だ。子供の細腕でも振る程に。  俺がずっと使っていたものだが、メンテナンスは怠っていないので斬れ味に支障はない。  俺にとってはそれほど大きくない短剣も、スピカと比較するとショート・ソードのように見える。ゆっくりと鞘を抜き、その研がれた刃の輝き、白銀の光にぽかーんと口を開けた。  ミスリルの装備は闇の眷属に大きな効果があるが、レベル3では不十分だ。佇むスピカの頭に人差し指と中指で触れ、神聖術を掛ける。 「『一級守護神法』」  白銀の光が頭頂から全身に流れるように広がり、燐光となって煌めいた。  人を一時的に聖域に変える補助魔法。上位のアンデッドには通じないが、下位のアンデッドならば触れただけで浄化出来る。今の状態ならば、短剣で一突きしただけでアンデッドを倒せるだろう。  自分にまとわり付く光の粒に、自分がどうなっているのか、背中を見ようと、スピカがくるくると回転した。  ついでに各補助魔法を重ねがけし、万全に万全を期す。  ちょうど最後までかけ終えた所で、結界に引き寄せられたリビングデッドが部屋の入り口に姿を見せた。  その数三体。スピカが強張った表情で、道中何度か見たそのアンデッドに視線を見つめた。  倒すのと見ているのとでは勝手が違う。リビングデッドは動きが遅いので倒せるはずだが、念には念を押して、祈りを捧げる。  人差し指から放たれた光が蛇のようにリビングデッドに絡みつき、その動きを縛る。  アンデッドの動きを縛る『聖者の鎖』の退魔術。全身を光で縛られたアンデッドが地に伏せ、びくびくと痙攣した。  これなら子供でも倒せる。赤ん坊でも倒せる。 「さー、倒せ」 「は……はい……」  促すと、スピカが恐る恐る倒れ伏すリビングデッドに近づき、短剣の先端でリビングデッドの頭部を少しついた。  リビングデッドが爆発するように弾け消える。完全に浄化されたので麻痺毒なども残さない。これで……レベル4。 「残りも倒せ」 「はい」  今度は怯えた様子もなく、短剣の端っこでちょんちょんと残り二体のリビングデッドを浄化した。  新たに引き寄せられてたリビングデッドとレイスのグループをすかさずバインドで縛る。視線で促すと、スピカがちょこちょことそちらに近づいていった。  その時、村で教会の神父たちと交渉し、藤堂の誘導にあたってもらっていたアメリアから通信が入った。  ここの教会の神父はヴェール村のヘリオスとは違い、融通が利かない真面目な爺さんだ。うまく騙して藤堂たちをこちらに送ってもらわなくてはならなかったが、どうやらうまくやってくれたらしい。 『こちらは終わりでした。どうですか?』 「準備は出来た。今はスピカのレベルを上げている」 『へ? なんでですか?』 「そのままでは危険だからだ」  空中で動きを止めたレイスを一生懸命ジャンプして突こうとしているスピカを眺めながら答える。  さすがにレベル3だとアンデッドの存在力でもさくさくレベルが上がる。元々ここの適性レベルはゴーレム・バレーと変わらないのだ。  アメリアはしばらく黙っていたが、ふと声色を落として奇妙な事を言ってきた。 『アレスさん……アレスさん、なんかスピカに甘くないですか?』 「甘くしているつもりはないが……」  普通だ。普通。 「スピカを囮にする案も渋ってたし……冷血漢なアレスさんらしくありません」  アメリアは一体俺を何だと思っているだ。冷血漢って……。  通話を続けながらもどんどん引き寄せられてくるアンデッドを片っ端からバインドで縛る。数はかなり多いが、下位のアンデッド程度、俺の敵じゃない。  最初に硬い表情だったスピカもいつの間にかリラックスしたようにとどめを刺していっている。  一気に上げられる限界である3レベル分くらいの存在力を得たので近づき、レベルアップの儀式をする。  これでスピカのレベルは6になった。次のレベルアップまで後152の存在力が必要なようだ。  何が気に食わないのか、憮然とした様子でアメリアが繰り返す。 『絶対、贔屓してますって』 「贔屓なんてしてない。……が、確かに孤児の扱いには慣れてはいるな」  もしかしたら、それが贔屓しているように見える原因なのかもしれない。  満面の笑みを向け始めたスピカの頭を撫で、新たなアンデッドを指指す。  レベルはどんどん上がりにくくなっていくが、10くらいならばすぐに到達出来るだろう。例え藤堂のパーティに入らない事になっても、レベルが高い事は無駄にはならない。  まだ夢中になっているので気づいていないが、今のスピカの能力はレベル3だった頃よりも大分上がっているはずだ。 『慣れてる?』 「俺の親は孤児院を経営していたからな」  周りにはスピカみたいな連中が大勢いた。兄弟が大勢いるようなものだ。  もう十年近く会っていないが、今も元気でやっている事だろう。 『アレスさん、孤児だったんですか?』 「違う。親が『孤児院を経営』していたんだ。手伝いをやっていたから慣れてるんだよ」  大分古い記憶だが、感傷がないというと嘘になるだろう。  存在力が溜まったのかこちらを向くスピカに親指を立てた。俺は褒めて伸ばすタイプである。  ある程度レベルが上がったら最下級の神聖術も使えるようになるかもしれない。神聖術の力は感じているはずだ。奇跡を身に受けた時、人の信仰は深まるものなのだ。  アメリアが釈然としなさそうにぶつくさ続ける。 『なるほど…………やっぱり贔屓じゃないですか?』 「贔屓じゃねーよ」  どこがどう贔屓なのか教えて欲しいものだ。 page: 54 第七レポート:引き取ってくれ  周囲に他に魔物を狩る者が誰もいなかったのも良かったのだろう。スピカのレベルはどんどん上がっていった。  アンデッドは上位になればなるほど知恵を蓄える。鬼面騎士の間の周囲に現れる程度のアンデッドではそこまで高いレベルまであげる事はできない。  レベル10まで上げた所で、結界を崩してアンデッドを遠ざける。リミスが現在17なので、それ以下にしておかなければ無駄な軋轢を生みかねない。  戦闘とも呼べぬ戦闘だったがそれなりに身体を動かしたせいか、荒い息を吐くスピカに水を渡す。  レベル7を超えてきた辺りからスピカの動きからはどんどん恐れが消えていった。恐怖の消える実例を前にして、藤堂達のアンデッド克服にも期待が高まる。  藤堂達には神聖術による補助がないが、最上級の装備ならばアンデッドなど恐るるに足らない。恐慌状態で振った剣が容易くアンデッドを殺すのを見れば、彼らもアンデッドが恐れるような相手ではないという事が分かるだろう。  時間を確認する。アメリアからは既に、藤堂が村を出て予想通りこちらに向かったという情報をもらっていた。ヴェールの森の件があるので不安はあるが、今回はいたいけな少女の命がかかっているのだ。ちゃんと来てくれるだろう。  順調に進めばそろそろ現れてもおかしくない。スピカの方を向き直る。 「スピカ、そろそろ作戦を開始する。手はず通りにやるんだ」   「は、はい! あの……アレスさんは?」 「アンデッドを誘導する。いざという時は全て浄化する事も考えている」  アンデッド克服で勇者が死んでしまったら目も当てられない。叛逆者になってしまう。  退魔術には範囲を対象とした浄化の術もある。薄い壁ならば透過するのでこの部屋くらい浄化するのは簡単だろう。その時はまた言い訳を考えなくてはいけないが……少なくとも、その手を使う時はスピカ以外が意識を失った時だ。  スピカに順番に神聖術をかけ直す。きらきらと光る様々な色の術式光を、スピカがきらきらした眼で見ていた。  資質にもよるが、神聖術への憧れから僧侶になるものは決して少なくない。そういう意味ではアメリアの目利きも、もしかしたら正しいのかもしれなかった。 「疲労はないな?」 「はい、大丈夫です。あの……」  そこで、スピカが俺の顔を見上げた。一度言いよどみ、意を決したように続ける。 「わ、私も、アレスさんみたいに、なれますか?」 「無理だ」  無理だし、なる必要もない。  俺の僧侶としての経歴はかなり歪だ。だから俺は、勇者のパーティの補佐をやっているのだから。  涙ぐむスピカを撫で、一言答えた。 「お前はお前の出来る事をやればいい。俺みたいにならなくてもな」  人には役割が、運命というものが存在する。  もしかしたら、スピカの役割が勇者パーティの補佐として世界を救う事である可能性だってあるのだ。  だから俺は俺の出来る事をやる。  スピカと別れ、離れた部屋で吸魔結界を張り直す。  アンデッドの誘導は何度もやった事があった。異端殲滅官をやっていた時に部下のレベルをあげるためにやったこともあるし、任務で一般人のレベルを上げるのに使ったこともある。  結界を鬼面騎士の間に張り直さなかったのは、その痕跡を藤堂に見られた時の事を考えたためだ。彼には何度も結界を見られている。変な所で鋭いので、これが仕組まれた事だとバレてしまうかもしれない。  リビングデッドやレイスが光に釣られ、何体も室内に入ってくる。  すぐさま浄化したい気持ちを押さえ、出口を防がれないように注意しながら部屋の中に押し込んでいく。レベル差と神の加護もあり、アンデッドは俺に近づきつつも触れようとしなかった。  この辺りには主に生ける屍、悪霊を除くと、歩く骸骨、邪霊などが出現するが、そのどれもが下位のアンデッドでありどれをけしかけても問題ない。  一部屋に誘き寄せ終えると、出入り口を結界で封じて次の部屋に移る。三つ程部屋をいっぱいにした所で、研ぎ澄ませていたセンサーが生ける者の気配を察知した。  室内であり、おまけに闇の眷属がしこたま周りにいることもあって察知しづらい。  精神を集中してようやく大体の状況がわかる。彼我の距離は五百メートル。少しずつ、だが確実に一直線に鬼面騎士の間に向かっている。  道中の部屋の一室、小さな何もない部屋で壁を背に身を潜める。近づくに連れ、気配がどんどん鮮明になっていく。  目を閉じればより詳細にわかった。  強く光り輝くような気配は藤堂の物、小さく、しかし強い燃え上がるようなエネルギー思わせる気配はリミス、静かで鋭い気配はアリアのもので、その身に反して桁外れに大きく重い気配はグレシャのもの。  そこで俺はふと気づいた。  ――もう一つ気配がある。  藤堂、リミス、アリア、グレシャの四人のはずなのに五人いる。これはどういうことだ?  アメリアから向こうの状況は伝わってきていた。教会からの助っ人はなし、四人でこちらに向かっている、と。  どこで増えた……計画を中止するか……?  浮かんだ考えを首を振って自ら消し去る。誰が増えたのか知らないが、藤堂達の苦手の克服を優先せねばならない。  大墳墓に潜るような奴だ。そう簡単には死なないだろう。最悪、ギリギリを見計らって全て浄化すれば問題ない。  気配が近づいてくる。百メートル。五十メートル。十メートル。五メートル。  そこで、ふとその気配に覚えがある事に気づいた。アリアに負けずに静かで、そして鋭さのない凪の水面のような気配。それでいて、非常におぞましさを感じさせるそれに、一瞬頭がずきりと痛む。  覚えはある。確かに感じたことはあるんだが――思い出せない。  気配が部屋の前を通り過ぎる。リミスの声が僅かに部屋の外から聞こえた。 「なんか今回はアンデッド、出なかったわね」  俺が張った吸魔結界の影響だろう。そして、それに答える場違いに穏やかな声が耳に入った。 「ええ。拍子抜けですね……沢山いると期待していたのに」 「期待って……貴方、変ね」  期待……?  アンデッドを狩りに来た傭兵と偶然合流してしまったのだろうか?  ならば問題ない。どのみち、一人で倒しきれる数ではないのだ。  手を広げる。何故か冷や汗をかいていた。問題無いはずなのに動悸が激しくなってくる。思い出してはいけないものでも思い出しかけているような……。 「……ところで、貴方のそのトランクケース、何入ってるの?」 「あ、これですか? 空っぽです。何も入っていませんよ、我が友」 「え? じゃあ何のために持ち歩いているの?」  言葉がまるで呪詛のように脳内を蝕む。頭を押さえ蹲る。  やばい。なんか吐き気がしてきた。  そして、そんな俺の必死の祈りは結局聞き届けられる事なく、会話のやり取りが聞こえてきた。 「信仰のためです、我が友。これは僕の……メイスなのです」 「……貴方、頭大丈夫?」  あああああああああああああああああああああ!!!  大丈夫じゃねえええええええええええええええええええええッ!   歯を食いしばり、必死で頭を壁に打ちつけたい気分を我慢する。我慢して、クレイオに通信を繋いだ。  クレイオに通されると同時に、一言尋ねる。 「おい……グレゴリオはどうした?」 『ん? ああ……彼なら、手が必要ないなら行きたい所があるからしばらく休暇を欲しいと言われてね。休暇を出したが……また手伝って欲しいとか、か?』 「い……いらないから……引き取ってくれ」 『……は?』 「引き取って……ください。お願いします」  いらねええええええええええええええええええええ!  チェンジだッ! チェンジ!  馬鹿な……何故ここにいるッ!?  どんな運命だ。何が一体俺の邪魔をしているのだ。俺の邪魔をしてそんなに楽しいか!?  息を潜め、気配を潜める。まるで小動物にでもなったかのような気分だった。  気配を探る。何度探っても、どこからどう見てもその気配は昔会ったことのあるグレゴリオのものだった。死ねっ!  殲滅鬼。グレゴリオ・レギンズ。  民を友と呼びトランクケースを信仰と呼び、異端の殲滅を自らの使命とする頭のイカれた……異端殲滅官。  法もモラルもその信仰の前には存在せず、まるで狂った機械のようにあらゆる教会の敵をその信仰の前に殲滅し続けた異端殲滅教会で最低最悪の男。  絶対会いたくない男が、絶対会わせてはならなかった男に、今最悪のタイミングで会っている。 「殲滅鬼に帰還命令を出してくれ」 『悪いがこちらから連絡は取れない。後数時間もすればグレゴリオの方から定期連絡を入れてくるはずだ。その際に命令を出そう』 「……わかった」  通信が途切れる。ほぼ同時に藤堂達の気配が鬼面騎士の間に辿り着く。  思考が煮えたぎる程に荒ぶっていた。どうする? どうすればいい?  このままアンデッドをけしかけるか? いや、そういうわけにもいかない。  藤堂が聖勇者だとバレているか? いや、バレていないはずだ。  もしも神に選ばれた聖勇者が、アンデッドを苦手としているという事がバレたら唯では済まない。 page: 55 第八レポート:奴は危険だ。 「あ……いたぁ!」  余程怖かったのか、安心したような藤堂の声。リミスやアリア達がスピカに駆け寄る足跡が反響する。  合流までは予定通りだ。本来ならばここでアンデッドをけしかける予定だったが、もはやそれも何の意味もあるまい。  グレゴリオは異端殲滅官の中でも屈指の戦闘能力を誇る。ただの異端殲滅官でもユーティス大墳墓浅層程度のアンデッドなんて一瞬で浄化出来るのだ、多分最下層のアンデッド相手でも五分五分以上に戦えるだろう。低層のアンデッドなどものの数ではない。  それよりもさっさと藤堂と引き離す必要があった。奴は危険だ。もしかしたらザルパンよりも危険である。マッド・イーターの狂気は殲滅対象を示しているのではない、本人に掛っているのだ。  スピカに計画変更を伝えたいが、伝える術がない。通信用の魔導具は本部にしか繋がらないし、アメリアを経由すればいけるかもしれないがこういう時に限ってアメリアとの通信は繋がっていなかった。地味に役に立たねえ。 「大丈夫!? 大丈夫だよね!? 無事でよかった。さっさと出よう!」 「あ……ありがとうございま……す?」 「修行のためとは言え、こんな所まで一人で来るのは感心しないな……まぁ、話は後にして今は急いでここから出よう」  浮かれたような藤堂の声に戸惑っているスピカの声とアリアの声が重なる。スピカには対象の人数を伝えてあった。恐らく、予定よりも多い救助要員に戸惑っているのだろう。俺も戸惑ってる。本当になんで一緒にいるんだよ。  あー、どうしよう。本当に。なんかもうこの仕事辞めたい。  その時、ふとグレゴリオが訝しげな声色で尋ねる。 「……おや、お嬢さん。随分と強力な結界を纒っていますね」 「ッ!?」  息を飲む音。藤堂にわからずとも、同じ僧侶のグレゴリオにはバレてしまうだろう。全てが全て俺の想定とずれていた。  感心したような声が続く。一見穏やかな声で近づき対象をぶっ殺すのがグレゴリオのやり口である。 「結界……?」 「ええ……最上位の守護結界に一級の補助魔法……並の使い手じゃありません。ふふふ……このクラスの神聖術を同時に重ねがけ出来る僧侶となると……最低でもレベル70はあるでしょう。この低層でこのレベルの加護は少々、過剰ですが……」 「レベル……70? えっと……それは君が!?」 「えっと……その……」  藤堂の戸惑いを隠せない声。そんな子供が使えるわけねーだろ、常識で考えろ。  そして、グレゴリオが喜色の混じった声でその意見を否定する。 「いえ。そこのお嬢さんのレベルはまだ10、彼女のものでは……ないでしょう。素晴らしい腕前、しかし何よりも神力の絶対量が素晴らしい……。もしかしたら――」  何よりも厄介なのは、奴が馬鹿ではないという点である。時に人里に隠れ潜む闇の眷属を討伐する異端殲滅官は馬鹿では勤まらない。グレゴリオがとても嬉しそうに呟く。恐ろしい男だ。 「――もしかしたら、我が同胞に会えるかも知れません」  会いたくねえええええええええええええええええッ!! てめえ自分の客観的評価考えろッ! 「同胞……?」 「ふふふ……僕と同じように魔族の討伐を受け持つ者です、我が友。僕達はなかなか忙しいので滅多に出会う事はないですが……」  幸いな事である。相手が極めて強力な魔族だった場合、異端殲滅官同士で組む事もあるが俺とグレゴリオは双方ともに攻撃力が高い方であり、役割が被るため組ませられる事は殆どない。  必死に自分に精神鎮静の魔法をかけながら状況が過ぎるのを待っていると、ふとスピカが何気なく声を上げた。 「え? ……アレスさんの、お知り合い……?」  ちょッ……名前言うんじゃねえ!  焦る俺を他所に、グレゴリオが感極まったような声を上げる。もうなんか色々とダメだった。 「おお! 我が友、アレスっ! 彼が来ていたのですね……何という幸運でしょう! これも秩序神のお導きか……」  ああああああああああああああ名前があああああああああああああああッ!  クソっ、ちゃんと口止めしておくべきだった。  きりきりと痛む頭を神聖術で癒やす。早く。アメリア、早く俺に通信を繋いでくれッ! スピカを止めてくれッ! 「お嬢さん、貴方にその結界を掛けたのがアレスだというのならばそれは間違いなく……僕の親友のアレスでしょう」  ゾットする何かが背筋を駆け巡る。好き勝手に情報が吹き込むんじゃねえッ!  いつからお前の親友になった! おいッ! 一方的な関係は親友と呼ばないだろッ!  頭を壁にぶつけたい衝動を必死に押さえる。音を立てたら居場所がバレかねない。  その裏では、ひそひそと藤堂とアリアが会話を交わしていた。 「アレス……? アレスってあのアレス……?」 「……いや、恐らく違うでしょう。僧侶にアレスというのはありがちな名前ですから」 「あ、そうなんだ……」  十人僧侶がいたら一人はアレスがいてもおかしくない、そういうレベルの名前である。俺は初めて両親にありがちな名前をつけてくれた事を感謝した。  今まで黙っていたリミスが空気を読まず、退屈そうな声で言う。 「じゃースピカも見つかった事だし、こんな辛気臭い所さっさと出ましょう?」 「そ、そうだね……早くこんな所出よう!」 「それでは、名残惜しいですが共に進むのはここまでのようですね……。僕はこの地に巣食うアンデッドの王とやらを退治しなくてはならないので……」  グレゴリオの言葉に思わず目を見開く。  お? おお?  予想外の言葉だ。本当に途中で合流しただけなのか。見えていた地雷が不発弾だったような気分だった。別れてしまえばどうとでもなる。  アンデッド克服はまた別のフィールドでやる事にしよう。グレゴリオの方が余程危険だ。今は少しでも奴から距離を取りたい。  拳を握りしめ息を潜める俺の耳に、しかしその時予想だにしない言葉が入ってきた。スピカの声だ。 「や……いや……もう少し」 「え……?」 「もう少し……その、ここにいたいというか何というか……」  あ……あああああああああああッ!! スピカ、予定通りアンデッドが襲来するのを待つつもりかッ!?  いやいや、いなくていいから。もう計画は失敗だから。  そんな言葉も通信の魔法を使えない俺では届ける術がない。クソっ、やっぱりもう一人欲しいな、通信魔法使えるやつ……。さっさとステファン来てくれないものか……。 「い、いや、ここは危ないし、さっさと帰った方が……」  藤堂が一度奇妙なひゃっくりをして、スピカを説得にかかる。今だけは俺も藤堂と同意見だった。 「いや……その……」  そのありがたい提案に、スピカが必死に答える。 「私、危ないの、好きなので」 「え……ええッ!? ど、どうしてッ!?」  もはや乾いた笑いしか出ない。  本当にどうしてだよッ!? お前、その答えはないだろッ!? 危ないの好きって……。 「ふふふ、流石アレスさんが結界を掛けた子だ。勇敢ですね。もしかしたら同胞足りうるかもしれません」  頓珍漢な回答にも、グレゴリオだけは戸惑う様子もない。危ないの好きな奴同士、何かシンパシーを感じているかもしれない。スピカはお前が考えているような奴じゃないからなッ!?  もういいから、さっさと帰ってくんねーかな。  リミスが無愛想な声で尋ねる。もう今の状況を打開出来るかどうかはリミスの空気の読まなさに掛っているといっても過言ではないだろう。頑張れ、リミス。 「……じゃー聞くけど、貴女はいつまでいたいの?」 「え……っと……あー……一時間……?」 「ええ!? 一時間も!?」 「そ、それはちょっと……」  どっから来たんだ、一時間という数字は。  藤堂が化け物でも見たかのような悲鳴に似た声を上げる。アリアの声も若干、震えていた。 「ふふふ……じゃー僕は少々、近くのアンデッドを浄化してきますね」  グレゴリオが部屋から退出し、通路を歩いて行く。奴のアンデッドに対する感知能力は俺と何ら変わらない。  迷いない足取りで俺が苦労してアンデッドを詰め込んだ部屋の前まで行くと、扉を開けた。  開けたとほぼ同時に中で蠢いていたアンデッド達の気配が消失する。一瞬で、声一つ出さずに浄化したのだ。一瞬聞こえた含み笑いにも似た笑い声。  今のうちに、接触するか……? いや、駄目だ。  接触してしまえば、何故俺がここにいるのかという話になってしまう。まだ藤堂達が聖勇者だと気づかれてはいない。少しでもばれる可能性は減らしたい。少なくとも、藤堂が聖勇者たる男になるまで、アンデッドを克服する瞬間までは。  グレゴリオの独り言が聞こえる。俺の隠れている部屋の前を通り過ぎる。  幸い、まだ俺の場所はバレていないらしい。会いたくねえ。 「ふふふ……アレスさん、もしかしたらこのアンデッド達は僕へのプレゼントですか? ヴェールの森で僕の獲物を奪ったお詫びですかね?」  そんなわけがない。常識で考えろ、この馬鹿野郎がッ!  僅か数分で全ての部屋のアンデッドを浄化し、再びグレゴリオが鬼面騎士の間に戻る。 「浄化は終わりました。決まりましたか?」 「ええ……三十分だけ待つことにしたわ」  折衷案が出たのか。  三十分くらいだったらグレゴリオにばれる心配はないだろう。いや、ないと思いたい。この周辺にアンデッドはいないし、吸魔結界も既にない。よしんばアンデッドが近寄ってきたとしてもグレゴリオが即座に浄化するだろう。その腕前に疑いはない。  一刻も早く時が過ぎるのを祈っていると、グレゴリオが言った。  祭壇の前に立つ鬼面騎士の像を眺めているのだろう。 「しかし初めて来ましたが、この像――」 「あ、ああ……この地に祀られた神に関する像らしいが、詳細は不明との事だ」  アリアがまた無駄な雑学を披露する。  そして、グレゴリオがあっさりと言い放った。 「異教徒の奉った像です。破壊しましょう」 「え……ええッ!?」 「それもまた我々の仕事なんですよ」  いやいやいや、そんな仕事ねーからッ!  むしろ逆に他教を貶めないというのも教義にあるからッ! 「ちょ……」  トランクの金具を開けるぱちんという小さな音。  もうこうなっては止める者はいない。  奴のトランクケースは全てが全て聖銀製である。本人のレベルも70以上あったはずだ。石像を砕く事など容易い。  頼むから何事も起こってくれるなよ。  必死に祈る俺を他所に、部屋全体が僅かに振動したのを感じた。 「おやおや……?」 「ッ!? えッ!?」 「なッ――」  巨大な気配が一つ増える。予想を尽く裏切る展開に俺はもう仕事を放り出して帰りたくなった。もちろん、そんな事許されない。てかもしかして、こう色々起こるのって藤堂じゃなくて俺が悪いのだろうか?  ぱらぱらと破片の落ちる音。硬いもの同士のぶつかり合う轟音が部屋全体を通り抜ける。  藤堂達の悲鳴が遅れて響き渡る。その悲鳴の中で、不思議とグレゴリオの声が聞こえた。 「ふふふ……異教の神……許しておけません。許せるわけがない。我が神の手でその罪、悔いる時間も与えません」  通路全体が大きく揺れる。見えていないのに、俺には状況が手に取るようにわかった。  鬼面騎士の像が――動いている。  こいつ、触らぬ神に祟りなしという言葉を知らねーのかッ!  死ねッ! 一人で死ねッ! なんで粗雑な傭兵も手を出さねーようなもんに手出してんだよッ! 死ねッ! 動くなよ!  俺の悪態も他所に、グレゴリオが厳かな声で名乗りを上げた。 『異端殲滅教会、第三位、グレゴリオ・レギンズ。我が神に代わり、その罪、神の天秤にて計りましょう。ふふ、はは、あは、あはははははははははははははははははははっ!』 page: 56 第九レポート: 「ひぃッ!? 石像が動いたッ!?」  藤堂にとって、それは何ら幽霊と変わらない代物だった。  悲痛な声が室内に響き渡る。アリアもまた蒼白の表情で一歩後退った。  今にも襲いかかってきそうな鬼面の石像。  それは確かに、今にも動き出しそうくらいに精巧な像だったが実際に動くとなるとなると話は別だ。  いかなる摂理か、暗闇の中で鬼面の双眸が青く薄ぼんやりとした光を放っていた。その眼から感じられる物は酷く無機質で、しかし確実に害意と呼ばれる物を含んでいる。  短いながらも今まで戦って来た経験。その意思に反応するように、藤堂が震える手で剣を抜く。しかしその時には既に鬼面の像は、腰の刀を抜き去っていた。  薄闇の中でまるで弧月のように輝く金属の輝き。  それは、藤堂の知識の中では刀と呼ばれる武器だった。しかしその長さは藤堂の知る刀よりも遥かに巨大で、藤堂の持つ聖剣エクスよりも一・五倍長い。  緊張に息を呑む藤堂を無視し、像がそのままぐるりとまるで辺りを見渡すように首を傾けた。 威圧するように見下ろす巨大な像、それが纏う異様な気配にリミスが目を見開き、呆然と震える声を出す。 「魔導人形ッ!? そんな気配は――」 「所詮は滅び去った異教の遺物――」  一人、先ほどと何ら変わらない落ち着いた声を出し、グレゴリオがトランクを手にしたまま一歩距離を詰める。  そして、像の顔がグレゴリオを見下ろした。  グレゴリオと石像の身長差は倍近い。  押しつぶされるような圧迫感に唇を舐め、青白く輝く無機質な双眸と、グレゴリオの漆黒の双眸がはっきりとぶつかり合う。  アリアが正気に返り、スピカの手を握り引く。それとほぼ同時に、刃が放たれた。  鋭く重い一撃。風を切り裂く奇怪な音を伴い、二メートルはある巨大な刃、磨き上げられた銀の刃が薙ぎ払いの要領で巨大な弧を描く。  とっさに動けない藤堂を庇うかのように、グレゴリオが更に前に出た。  鼓膜を揺さぶる金属。部屋全体が震える。リミスが耳を塞ぎ、アリアが目を見開いた。 「なッ――」 「どうやら……闇の眷属ではないようです」  刃が止まっていた。遅れて藤堂が正気に帰り、数歩後ろに離れ剣を構え直す。  盾となったのは大きく開いたトランクケースだ。先ほどグレゴリオが言った通り、その中には何も入っていない。ただ、中の質感は外とは異なり、闇の中うっすらと白銀色に輝いている。ケースの上部から刀の先が牙のように飛び出し、ケースを両断しようとしているが、その表面には傷一つついていない。  刃が一瞬上がる。石像が台座から飛び降り、強く踏み込むと同時に次撃を放つ。それを、グレゴリオがケースを振り回して弾き飛ばした。重力の力を借りた上段からの斬り下ろしが容易く弾かれ、壁を強く穿つ。  恐怖を忘れ呆気にとられる藤堂達に対して静かな笑みを向ける。その頬には汗一つなく、息も乱していない。ただ、その瞳だけが見てはっきりわかる程興奮に輝いていた。 「ですが……ふふ……、関係ない。関係ありません。我が友」 「あなた……大丈夫?」 「ええ。大丈夫。大丈夫ですとも。僕の信仰には……曇り一つない」  その所作に力を感じ取ったのか、刀を正眼に構え、鬼面が摺足で数歩後ろに下がる。  その姿勢には熟練の技が見て取れた。スピカを背に隠したまま、アリアが愕然と呟く。 「何だあれは……見たことない……技を持つ魔導人形だと!?」   「異教の技などどうでもよろしい。これはつまり……僕の信仰とアレの力比べですよ」  開ききったトランクをぱたんと畳む。取っ手を持つと、そのまま何気ない動作で鬼面に近づいた。  そのトランクケースが相当な強度を持つ事は刀を受け止めた事から明らかだったが、その仕草はあまりにも無防備に見えた。  藤堂が震えていた左手の平を一度強く握り、一歩前に出る。指環が輝き、収納していた巨大な盾が左手の中に現れる。  目の前で動き出した石像がどうやらアンデッドなどではない事がわかり、その顔色は大分良くなっていた。  聖剣が藤堂の意思に呼応するように輝き、室内が僅かに明るくなる。 「アリア、リミス。僕達もいこう」  リミスがその声に慌てて、その杖を構える。アリアもまた、一度深く息を吸い剣を抜いた。  その時には構える三人を気にすることなく、グレゴリオがその間合いに入っていた。  鬼面が動く。その刃がギロチンのように振り下ろされる。しかし、グレゴリオの視線ははっきりそれを捉えていた。  上から降りてくる斬撃の線を一歩横に踏み出し躱し、床を蹴る。蹴ると同時に、閉じたトランクを振りかぶった。ステップと同時にそのまま勢いを付け身体を回転させると、遠心力を利用して鬼面の胴を殴りつける。  ケースの角が石材を削り、白い破片がぱらぱらとこぼれ落ちる。巨体が、そのトランクケースに込められた異常な力にくの字に曲がり、壁まで吹き飛ばされた。  空気が震える。藤堂がぽかんと口を開き、呆気に取られたようにその光景を見て二度、瞬きした。 「……は? 何あれ?」 「……」  藤堂よりも背の低いグレゴリオが、藤堂の倍はあろうかという石像をふっとばす光景は現実味がない。しかもグレゴリオが使っているのはトランクケースで、グレゴリオは僧侶である。  アリアも一瞬夢でも見ているような気分になったが、目を擦ってもう一度確認する。その時には、グレゴリオは壁に叩きつけられた鬼面に接近していた。壁にめり込んだその身体に再びトランクを振り被る。  起き上がろうとした鬼面の顔面に容赦なくケースを振り下ろす。狂ったような笑い声が響き渡る。 「あはははははははははははははははははははははははっ!! 我が信仰に触れ灰となれッ!!」 「な……何……あれ?」  リミスもぽかーんとグレゴリオの予想外の戦いを眺める。手を出す間などない。  硬いもの同士が叩きつけられる轟音が何度も何度も響き渡る。一撃一撃で破片が削れ、鬼の角が折れその顔面が削られていく。鬼面が身体を捩り、右腕を使って起き上がろうとするが、即座に躊躇いなくその腕を踏みつける。それだけで腕に罅が入り、二、三度踏んだ時には腕は完全にくだけていた。  グレゴリオの唇が僅かに歪み、まだ動いている鬼面に吐き捨てる。   「この程度ですか。所詮は異教徒」 「グ……グレゴリオ殿――」  アリアの声を無視して、グレゴリオが一際力を込めてトランクケースを鬼面の頭部に叩きつける。床に亀裂が奔る程に叩きつけ、そして、我に帰ったように振り返った。 「どうかしましたか、我が友」 「い、いや……」  あまりにも平時と同じ声色。まるで二重人格のような変化に、アリアは一瞬気後れするが、首を振って考えていた事を述べる。 「その……それは恐らく魔導人形だ。ならばどこかに核があるはずで、それを壊さなければ――」 「いえ、恐らくこれは魔導人形ではないでしょう」 「……え?」  グレゴリオが静かに鬼面を見下ろし続ける。その眼は凪の湖面のように静かで先ほどまでの笑い声がまるで嘘であるかのようだ。 「魔力を動力源とした核を持つ魔導人形ならば事前にその気配が察せていたはずです。それが、今動いているこの状態に至ってもその気配がない。恐らく、そこの魔導師のリミスさんも気づかれているかと思いますが……」  アリアが視線を向けるとリミスがおずおずと首肯する。 「え、それならどうして――」 「未知の異教の技かと。ですが我が友、原理など……どうでもいいのです」  アリアの戸惑いの声に、当然のように返し、グレゴリオ再びトランクの取っ手を強く握る。 「何故ならば、僕が異端を殲滅するのは確定事項なのですから。例え闇の眷属だろうが異教徒の技だろうが『浄化』するのは僕に下された――神命、万物を打ち砕く神の剣となる事。そこに相手の背景など……関係ない」 「!?」  鬼面騎士が残った左腕を使い、自身の上に立つグレゴリオを薙ぎ払う。それを軽く後ろに跳んで回避すると、体勢を立て直し、立ち上がる石像にトランクケースを握った腕を向ける。ゆったりとした黒の法衣には数度矛を交えたにもかかわらず埃一つついておらず、その眼には恐怖がない。いや、命のやり取りをしているという自覚すら。  特に感情の篭っていない声に得体の知れない何かを感じ、藤堂がグレゴリオを見つめる。しかし、その表情に隠された思考は全く読むことができなかった。 「か、核がないのならばどうやって倒すのよ!?」  リミスの言葉に、グレゴリオが慣れた動作で再びトランクケースを、大きく上下に開く。  どう考えても取り回しの悪い武器とも呼べずその『武器』の取っ手を掴み、しかしグレゴリオが僅かに微笑んだ。 「完全に破壊するのですよ、我が友。それこそが異教の創造物たるこの人形への救済になるのです」  鬼面騎士が地面に落ちた大太刀を左手で拾い握る。  散々に叩きのめされ、頭部には罅が入り右腕は半ばで完全にくだけているにも拘らずその動きには微塵の動揺も感情もない。  硬い物が床を穿つ鈍い音が響き渡る。強い踏み込みと同時に、鬼面の左手で握られた大太刀が横薙ぎに払われた。  空気を切り裂く音さえ聞こえてきそうな一撃を、神父は一歩前に出て開いたケースで受け止める。金属同士のぶつかる鋭い音。と同時に、グレゴリオはその刃を受け止めたまま、刃をトランクケースの表面に滑らせるようにして前方に駆けた。 「なっーー」  金属同士がこすれ合う不快な音が響き渡る。鬼面騎士の目の前まで来ると、グレゴリオが膝を落とし大きく跳んだ。  咬み合っていた刀が対象を見失い空を斬る。  跳躍するグレゴリオに相対する鬼の像。両者がすれ違う瞬間を、藤堂は瞬き一つせずに見ていた。  留め金の外れたトランクケース、長方形の外面がグレゴリオの姿を一瞬隠す。そしてそのまま大きくそれが鬼面の頭部に振り下ろされた。  先ほどまで響き渡っていた鈍い音ではない、刃と刃が噛み合ったような高い音が響き渡る。  そして、藤堂は眼を見開いた。  グレゴリオが鬼面の隣に着地する。ほぼ同時に、藤堂の隣に一抱えもある白い塊が落ちた。頭頂から付きだした一本の角に精緻に彫られた牙。そして、色のない瞳。 「……は?」  思わず出た藤堂の間の抜けた声。  何が起こったのかわからなかった。    呆然と膝を付く鬼面騎士を見上げる。頭部があった場所にあったのは綺麗な断面だ。頭頂の角から捻れた角から牙にかけて、ごっそりと消え去っている。  だが、残された眼には未だ光が灯っていた。生き物ならば間違いなく死んでいる傷でも生命なき石像には意味がない。その巨体がなんでもないかのように刃を振り被る。  その様子にグレゴリオが嗤う。怖気の走るような笑い声と共に、グレゴリオが再び飛びかかった。 「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ!!」  それは広々としていた室内が狭く感じるような乱闘だった。  リミスが慌ててアリアの後ろに隠れる。とてもじゃないが入っていける戦いではない。混戦のせいで魔法を使えばグレゴリオに当ってしまいそうだから、という理由ではなく、入ってしまえば標的に定められてしまいそうで。  お世辞にもスマートとは呼べないその戦闘の風景は獣同士の喰らい合いにも見えた。  しかし、鬼面騎士の側はダメージこそ見られなくとも、腕が一本なくなったことによって既に攻撃手法は限られている。上下段の切り払いが、薙ぎ払いが、不意を付いて放たれた蹴撃は全てが全てトランクケースで防がれ、逆にそれを振るわれる度に石像の一部が抉られたように減っていく。  大腿部の一部が抉られ、鬼面騎士の体勢が崩れる。その隙を見逃さず、グレゴリオがその懐に潜り込んだ。  小柄な体格を活かし、鬼面騎士の膝を蹴り、宙を舞う。上下逆さに、鬼面騎士の頭上を通り過ぎるその寸前にその頭部をトランクで挟み込んだ。  まるでギロチンでも落ちたかのような鈍い音が響き渡る。藤堂の隣を何かボールのような物が落ちて転がった。 「――ッ!?」  あげかけた悲鳴をぎりぎりで押さえる。それは鬼面騎士の首であった。半分をえぐり取られている首。残された眼からも光は消え、それは今まで動いているのが不思議なただの石の塊に見える。  しかし、未だ鬼面騎士の像はそびえ立っていた。頭をもぎ取られしかし、その巨体が崩れ落ちる気配はない。  踏み潰そうというのか、闇雲に振り下ろされる巨大な脚に空気が揺れる。頭部を失ったためか、その狙いは定まっていない。  石床がその衝撃に耐え切れずに亀裂が奔る。リーチの広い斬撃、闇雲に振り回される刀を、藤堂が慌てて距離を取って回避した。狙いは定まっていなくても、その勢いはまるで暴風のようだ。  刃の先が壁に部屋の壁に幾筋もの傷を刻む。まるで最後の命を使い尽くすような斬撃を、グレゴリオは全てトランクを盾に防いだ。  全力の込められた一撃一撃。トランクケースから手の平に伝わる衝撃にしかし、グレゴリオの容貌には笑みが張り付いたままだった。  その僧兵を止めるにはその信仰を砕くだけの力が必要で、まともに言葉も交わせない魔導人形もどきにそのような力があるわけもない。  嵐のような攻撃の代償か、その鬼面騎士の身体からぴしりと音がした。僅かに生じた亀裂は一撃一撃で確実に広がっていく。このままこのような攻撃を続けていれば自壊するのも時間の問題に見えた。  攻撃範囲から離れたところで、藤堂とアリアが烈火の如く暴れる魔導人形の一挙一足を睨みつける。その後ろから、青褪めた表情でスピカがその暴虐を見つめる。  その時初めて、グレゴリオが眉を潜め、そして信じられない事を言った。 「まずい……このままでは自滅してしまう。僕の信仰で破壊しなくては」 「あっ−−」  連続して響き渡る破壊の音の隙間から藤堂達がその声を感じ取った瞬間には既にグレゴリオが前に出ていた。  袈裟懸けに振り下ろされた刃に対して、大きく身体を回転、両手で握ったトランクをぶつける。次の瞬間、その刀を握っていた右手の手首が衝撃に耐え切れずぶち折れた。  吹き飛んだ大太刀がくるくると回転し壁に当って落ちる。刀が甲高い音を立て落下したその時には既に、グレゴリオはその信仰を下していた。  踏み込んだグレゴリオがその武器を鬼面騎士の鳩尾に叩き込む。  空っぽのトランクケースによる一撃に、重さ数百キロはある石像が宙に浮く。衝撃で動きが止まったその一瞬、半身で一歩踏み込み跳躍すると、鬼面騎士の背を強く打ちつけ、地面に叩き落とす。  自身の身の丈を遥かに超えた相手を何ら萎縮することなく殴り続ける僧侶に藤堂が呆然と呟いた。 「この世界の僧侶って……凄いな」 「い……いや、あれが基準かというと……」  アリアもまた引きつった表情で答えた。 § § §  断続的に反響する破壊の音と嘲笑のような笑い声。  闇の眷属なんかよりもよっぽど不吉を誘うその音に俺はもう頭を抱えて蹲りたかった。  不幸中の幸いであるのは、相手が例え神聖術の効く相手じゃなかったとしてもグレゴリオならば問題なく相手を出来るという点。そして、その戦闘行為を見た藤堂達はおそらくグレゴリオを忌避し避けるであろうという点だろうか。  一般的に僧侶が一人で相手を出来る魔物は不死種や悪魔など、退魔術の効く相手だとされているが、異端殲滅官は皆、それ以外の魔物に対する対応手段を持っている。  それは例えば武技であり、退魔術を除いた神聖術の腕であり、あるいは勇気や人脈である事もあるが、グレゴリオの場合それは信仰だった。狂信的なまでのその意思はグレゴリオから退魔術を除いた神聖術――一般的な僧侶が使える回復や補助、結界などの術を奪い、しかしその戦闘能力は他の異端殲滅官を遥かに越える。  一般的には武器とさえ呼べない特注のトランクを振り回し数々の異端を狩ってきたその男の戦闘能力は一言で表現するとイカれており、その精神性と他の神聖術を使えないというピーキーな性能を憂慮し教会側がグレゴリオに下す指令を選別していなかったら、もしかしたら俺よりもレベルが高くなっていたかもしれない。  光景は見えないが音から何となく状況は把握出来た。  さすがのグレゴリオでも藤堂達を見捨てるような真似はしないはずだ。  壁越しで反響する音は酷く聞き取りづらいが、藤堂達がダメージを負った様子はないし、グレゴリオが苦戦している様子もない。徐々に戦闘の音は一方的なものになり、やがてグレゴリオの狂笑とトランクケースを打ち付ける音のみが残る。  それにしても、異教の技、か。理屈はわからないが、さっさと壊しておくべきだったのだろうか?  いや、知らなかった。気づかなかった。どうしようもなかった。……が、次があったのならばその時は考慮する事にしよう。  その時、ようやくアメリアから通信が繋がった。 『状況は如何ですか?』 「作戦は失敗だ。スピカに街に戻るよう伝えてくれ」 『……承知しました』  俺の声色に何か感じ取ったのか、何も聞く事なくアメリアからの通信が途切れた。  さて、これからどうしたものか……ともかく、今は奴らを引き離す事だ。  グレゴリオの目的はこの地下墳墓らしい。この後、藤堂達と別れる事になるだろうが、これ以上グレゴリオという爆弾の存在するこの地に藤堂達を留まらせておくわけにはいかない。教会経由で情報操作し、別の地に移動させなくては。    ……何故魔族だけではなく教会側から遠ざける事も考えなくてはならないのか。勘弁してくれよ。  やがて、戦闘の音が止む。対象が沈黙したのだろう。  なんでもいいから、さっさと藤堂たちと別れて最奥にでもどこにでも好きに行ってくれ……。  祈るような思いで状況を見守る。  その時、グレゴリオがふと怪訝そうな声をあげた。先ほどの狂笑からは想像も付かない真面目な声、誰を相手にしたものでもない、独り言のような声色。何故か背筋がぞくぞくする。 「……なるほど。これは……違う。わかる。わかります。僕がここに来た理由は……これじゃあない」 「……な、何言ってるの? 貴方」  先ほどまでの会話と比べ、大分引いた声で投げかけられるリミスの問いに、グレゴリオが今その存在に気づいたと言わんばかりに落ち着いた、明るい声をあげる。 「いえ。失礼しました、お嬢さん。どうやら……僕は貴女がたと一緒に一度ピュリフに戻った方が良さそうです」  恐ろしい嗅覚。常軌を逸した勘。果たして今の状況から一体何を感じ取ったのか。  口の中に血の味が広がる。遅れて感じる熱い痛み。自分が唇を噛みきっていた事に気づく。血の雫を舌で舐めとる。  奴の行動理由を俺が理解できた事はない。 page: 57 幕間その1 殲滅鬼  それを、グレゴリオ自身は臭いや、あるいは導きなどと呼んでいた。  戦場に身を置いて既に十数年。  積み重ねられた経験はグレゴリオ自身に奇跡と呼ぶに相応しい一種の勘を与え、それは信仰に殉じるという自身の気質に強烈に適合していた。それこそが、殲滅鬼 などという物騒な二つ名を受けながらも異端殲滅教会の序列三位まで上り詰めた男の本質だった。  ――故に、その男は行動を躊躇う事がない。  重く冷たい空気。窓一つない石作りの通路を紅蓮に輝く火蜥蜴の光だけが照らしていた。  静かな足音だけが冷たい回廊に反響し、周辺にグレゴリオ達を除いて人影はない。だが、僧侶として加護を受けたグレゴリオにはその周辺に存在する無数の闇の眷属の気配が手に取るようにわかっている。  それらの大部分はレイスやリビングデッドなど、取るに足らない小物だ。  不死種は基本的に陽の光を苦手とする。故に、地下墳墓のようなフィールドにおいて、魔物は地下の方がより強力になっていく傾向にあった。事実、グレゴリオは地下墳墓に足を踏み入れてからずっと、遥か地下から魂を侵食するような強い邪気を感じ取っている。  本来ならば元々のバカンスの目的――それらを滅ぼすために奥底に潜るはずだった。が、既にその目的は頭の中から消え去っていた。  先ほど倒したばかりの魔導人形もどきの事も、ユーティス大墳墓自身の事も。  軽く丈夫な聖銀製のトランクを片手に、偶然にも道中を共にする事になった少年たちに随行し地上に戻りつつも、グレゴリオは自身が神の導きに沿っている事を、正しい道を歩いている事を確信していた。  どこに行き着くのか、何が起こるのかわかっているわけではない。グレゴリオに未来を読むなどという大層な力はない。だが、それで構わないのだ。  ――全ては神の導きのままに。 「あの……グレゴリオさん」  ふと、少年達が救出しに来たというスピカという名らしい少女が灰色の眼でこちらを見上げてくる。  まるで窺うような目付き。それに笑みを浮かべたまま答える。 「どうかしましたか、お嬢さん」  その身に下された神聖術による強力な補助に、まだ十代前半にもかかわらず、深くないとは言え大墳墓の中を生きて進むことが出来たという不自然さ。状況が多分に不自然だった事を理解しつつも、その様子を表には出さない。  そんな事はどうでもいい事だ。  全体的に肉付きの悪い身体に伏せられた眼。内向的に見える少女が先ほどまで大暴れしていた異端殲滅官に声をかけてくる不自然もまた、その異端殲滅官にとってはどうでもいい事だった。  一度小さく息を飲み、スピカがおどおどと続ける。 「グレゴリオさんは……なんで街に戻る事にしたんですか?」 「神の導きです。ふふふ……お嬢さんも僧侶になるのならば、いずれわかる時が来るでしょう」  グレゴリオ自身、理解されるとは思っていない。いくらアズ・グリードの信徒とは言え、一般人と僧侶では信仰の格が違う。  他者と自分が異なる事を、グレゴリオはそれまでの経験からよく知っている。よく知りつつ、どうでもいいと断じている。自身を理解出来るのは自身と同じ役割を持つ異端殲滅官の同胞だけだ。  その声色に何か感じたのか、スピカが沈黙する。  その沈黙を緩和するかのように、隣を歩いていた顔色の悪い剣士――アリアが口を開く。 「グレゴリオ殿は……その、いつもあのような戦い方を?」 「いえ、僕は……僧侶ですから」  グレゴリオの答えにアリアが目を丸くする。 「そう……か。……グレゴリオ殿はもしや悪魔殺しなのか?」 「まぁ、似たようなものです……が、我が友。僧侶ならば皆悪魔を殺せて当然です。何故ならばそれが――神命なのですから」  ふと、進行方向の天井から黒い霧のようなものが下降してくる。  下位アンデッドの一種。グレゴリオは極自然な動作でそれに人差し指を向けた。  次の瞬間、視界が一瞬白に包まれる。  リミスの火妖精の明かりも、一瞬何もかもが白に塗りつぶされ、再び暗闇が戻る。しかし、先ほどまであったはずの黒い霧は欠片も残っていない。  藤堂がぱちぱちと瞬きをする。アリアが息を飲み、しかしすぐに復帰した。 「なるほど……退魔術、か……」 「僕は神敵の殲滅を神に誓ったのです」  リミスがその言葉に僅かに唇を開きかける。戸惑うように藤堂の方に一度視線を向け、しかしすぐに閉じた。  行きよりも僅かに時間をかけてユーティス大墳墓の外に出る。  新たに発生したのか、帰り道は何度かアンデッドに襲われたが出ると同時にグレゴリオが殲滅していた。強烈な白の光は藤堂達にアンデッドの姿を見せる暇を与えず、アリアと藤堂の顔色は以前程悪くない。  天高くに上った太陽。降り注ぐ陽光。暗闇からのギャップに、真っ先に外に出た藤堂が目を細める。  スピカが、アリアとリミスが、そして一言も喋らなかったグレシャが石造りの階段をふらふらと登り、地上に帰る。  最後に外に出たグレゴリオが、入った時と変わらない表情を藤堂一行に向けた。 「ありがとうございました。それでは僕はこの辺で」 「……これから貴方、どうするの?」  悪い人物ではなさそうだが、好んで接したいとも思えない。リミスが何かを声をかけようとして迷い、結局無難な質問をする。  その問いに、しばらく考えグレゴリオが笑顔で答えた。 「しばらくはピュリフの教会に滞在するつもりです。何かあったらいらして下さい。教会の神父に尋ねれば案内してくれるでしょう」 § § § 「今なんと?」  異端殲滅官はその目的を達成するため、教会内部に置いて高い地位を与えられる。  滞在のために借りた教会の一室で、グレゴリオは目を瞬かせた。  耳元で聞こえるのはグレゴリオの上司の声。  定期報告のため、本部に繋いだ通信で受けた言葉はグレゴリオにとって予想外の言葉だった。 『悪いが、バカンスは終わりだ。すぐに本部に戻り給え』 「何故ですか?」 『新たな仕事だ』  グレゴリオがユーティス大墳墓を訪れたのは休暇を貰ったから――本来やるはずだった魔族の殲滅の仕事が急になくなったからだ。  その前にやっていた任務は既に完了しているし、次の仕事が入るにしてもそう連続で入るという事はなかなかない。異端殲滅官も人間であり、疲労はあるのだ。  上司――クレイオ枢機卿の声を聞きながら、グレゴリオが部屋の隅のトランクケースに視線を向ける  クレイオの声は質問を廃する威圧を秘めていたが、気にする事無く聞き返す。 「それは急ぎの仕事でしょうか、閣下」 『急ぎの仕事だ。……何かあるのかね?』 「ええ。神の導きです」 『そうか……だが、戻って貰わないと困る。これは……神命だよ』  理解し難い言葉にも間断なく、クレイオが返す。  その言葉に、グレゴリオが眉を顰めた。神命。その言葉を自分の上司はなかなか使わない。  ベッドに腰をかけ、天井を見上げる。弛緩したような格好とは逆にその眼は爛々と輝いていた。 「それほどの仕事ですか」 『その通りだ、グレゴリオ。君でないと困る』  グレゴリオを動かすのは地位でも金でもなく、神の導きだ。  その言葉に違和感があったわけではない。ただ、まるで本当に神に導かれているかのようにグレゴリオの舌が回った。何の感情もこもらずに。 「僕がこの地にいると何か問題が?」 『何を言っているのかわからないな』 「お断りします、閣下」 『……何故だ? 討伐任務は君の本懐だろう』  その通りだった。グレゴリオがその手の任務を断った事は殆どない。現に、前の仕事が終わった直後に下されたヴェール大森林での討伐任務は二つ返事で受けている。  感情の見えないクレイオの声にグレゴリオが穏やかな声で答える。 「そうあるべきだからです、閣下。僕はまだこの地にいるべきだ。これは……神の導きです」 「理由は?」 「神の導きこそが理由です、閣下。これ以上の行動理由はないでしょう」 「命令を無視すると?」 「閣下、無視ではありません。無論、休息が必要なわけでもない」  決して上司への反骨精神を持っているわけではない。  聖穢卿の役割には敬意を持っているし、異端殲滅官に任命してくれた恩もある。  だが、その優先度は神の導きに遥かに劣る。ただそれだけの事。 「閣下、神が私に神託を下しているのです。いなくてはならない。私はこの地にいなくてはならない。少なくとも――今はまだ」  善悪を論じるつもりもなく、決して未来が見えるわけでもない。  言語で説明できる類のものでもなく、理解される類のものでもない。  だが、その声にはぶれはなく、それは、可否を求める声ではなくただの断定だった。  クレイオが初めて言葉に詰まり、押し殺した声で尋ねる。 『……何をするつもりだ?』 「全ては神の導きです、閣下。また連絡します」  上司の言葉を待たずに通信を切断する。  室内に戻った静寂の中、グレゴリオはただ一人いつもと何ら変わらない笑みを浮かべていた。 page: 58 幸運の星  ここ二日はおそらく、生まれてから十二年の人生の中でも激動の二日だった、と、スピカ・ロイルは思う。  いつもと何ら変わらない日々だった。  親の顔は知らない。物心ついた頃から教会で生活し、子供でも出来る簡単な労働の代償に最低限生存に必要なもののみ与えられて生きてきた。  ピュリフは寂れた村だ。  ユーティス大墳墓はレベル上げのフィールドとしてよく知られているが、他の同レベル帯のフィールドと比較すると、立地と現れる魔物の傾向の条件が悪く、レベルを上げづらい。同程度のレベル上げのフィールドとして、ヴェール大森林という屈指のフィールドが国内に存在する事もあり、来訪者の数は年々減りつつある。魔族の侵攻が激しくなり、レベル上げの必要性が高まるに連れ効率が求められるようになってからは特にそれが顕著であり、今や傭兵の間でユーティス大墳墓は『美味しくない地』として有名だった。  豊かではなく、発展する見込みも少ない。  そんな村に生まれ育ったスピカにとって時間はゆっくりと進むものであり、変化というのは滅多に発生しないものだった。  親はないが、孤児はスピカの周りだけ見ても沢山いたし、それを悲劇と考えたこともない。  僧侶になりたいと思った事もなければ、何かしたいと思った事もない。ただ漠然とこれからもずっと教会で働いて、大きくなったら誰か適当な村の住人と結婚してピュリフで一生を過ごすものだと思っていた。  ――あの日。突然、何の前触れもなく、スカウトを受けるまでは。  選択というものをした事はなかった。だが、今目の前にはスピカ自身が決定出来る選択肢がある。  経験がなくとも、知識がなくても、本能から理解できていた。事前にリスクやリターン含めた説明は受けていたが、例えそれがなかったとしても理解していたことだろう。  今目の前に広がるこの選択肢は――自分の今後の人生を左右するものだ、と  ――そして、それをどうするのか、スピカはまだ決められていない。  大墳墓から救出され、連れだされた教会の一室で、スピカはきょろきょろと辺りを忙しなく観察していた。  日に焼けた壁に天井から下がる簡素なシャンデリア。元々教会の賓客が宿泊するために作られた部屋は、村の規模が規模だけに豪華とはいえなかったが、それでもスピカがいつも寝起きしている部屋と比べたら雲泥の差があった。  スピカが誘導するはずだった三人は別室で着替えをしており、室内には薄緑の髪をしたスピカよりも幾つか年下に見える少女――アレスからはグレシャという名だと事前に聞いている――しか、いない。そのグレシャも何を考えているのか、スピカ自身に興味を示す様子もなくぼんやりとした目付きで宙を見つめている。  腰に下げられた借り物の短剣の重さが何故か気になった。  着せられた新品の法衣は間違いなくスピカが着た衣装の中では今までで一番高級なもので、大墳墓内を歩いている間は忘れていた違和感が再び蘇り、裾をいじる。  大墳墓での行軍と緊張の連続で身体は重かったが、何故か眠気は全く感じない。  手持ち無沙汰に自分の手の平をじっと見つめていると、別室から三人が戻ってきた。 「ごめんごめん、待たせたね……」 「……いえ」  大墳墓を進んでいた時に装着していた鎧を外し、ゆったりとした室内着に着替えた青年がはにかみながら微笑む。  夜のように昏い漆黒の髪と眼は、村から出たことのないスピカにとって初めて見るもので、しかし驚く程美しい。  藤堂直継。スピカがアレスの指示で誘導するはずだった青年で、これからスピカが入ることになるかもしれないパーティのリーダー。  スピカが今まで見てきたどの傭兵とも異なる雰囲気と佇まい。  屈強な傭兵たちと異なりその身体は小柄で、表情が穏やかで仕草に粗暴な点がない事もあって、強そうな印象を受けない。アレスから伝えられた前情報がなかったら、その青年が戦士だと想像できなかっただろう。  既に概ね情報は伝えられていた。  隣に佇む、金髪の長い髪をした自分よりも幾つか年上の少女が精霊魔術師、リミス・アル・フリーディア。  長い蒼髪を後ろに結った長身の女性が剣士のアリア・リザース。  三人が三人とも、今までスピカが出会ってきた傭兵と比べて随分と変わった印象を持つ不思議な者達だ。その感情の正体をスピカは言語化出来なかったが、決して悪い印象は受けない。  一挙一足見逃すまいと観察するような視線を向けるスピカに気づく様子もなく、藤堂がテーブルを挟んだスピカの目の前に座る。  アレスからの言葉を脳内で反芻する。  元々の依頼は藤堂のアンデッド克服の手伝いだった。こちらはもう予想外のアクシデントにより失敗が確定している。  が、二つ目の依頼をどうするのかはまだ決めていない。  藤堂が口を開く。耳当たりのいい声。これまでスピカが受ける事の多かった侮るような色も恫喝するような感情も篭っていない声。 「えっと……スピカさん、でいいのかな」 「……はい。スピカ……スピカ・ロイルです」 「そうか……えっと、僕は藤堂直継。こっちの2人がリミスとアリア。そこに緑の髪の女の子がグレシャだ。スピカって呼んでもいいかな?」 「……はい」  周りの三人を指し、最後に藤堂がその視線をしっかりとスピカにあわせる。そして、にっこりと笑った。  大墳墓を進んでいた時は悪かった顔色は良くなっており、暴力的な雰囲気がない事もありその容貌は一瞬視線を奪われる程度に整って見える。  そして、唇を閉じる事を忘れ、ただじっと見つめてくるスピカに、藤堂が笑顔のまま続けた。 「それで、スピカ、君が僕のパーティに僧侶として参加希望しているって聞いたんだけど……あってるかな?」  §  傭兵業は危険な職業だ。魔物狩りも、人を相手にする傭兵もそれは変わらない。  ピュリフにもユーティス大墳墓でレベルを上げるため、外から傭兵がやってくる事がある。  人口密度の低い村で外から来た者の姿は酷く目立つ。傭兵たちは必ず一度は教会に立ち寄るので、教会周辺を生活圏にしていたスピカにも何度も会う機会があった。  その中の一部はしばらくの滞在の後、無事にユーティス大墳墓の探索を終え、村から出て行った。  が、行方がわからなくなった者も決して少なくない。  教会を経由せずに、この地がレベルを上げるのに割の合わない事を知って別の村に出て行ったのか、あるいは大墳墓の闇に飲まれ消え去ったのか。  傭兵の多くは魔物を狩りに行く前に痕跡を残し、目的達成後に報告を行う。狩りの間に何か起こった際にそれが周囲に分かるようにするためだ。確率は少ないながらも、救助が出される可能性もあるのでそれを怠る者は殆どいない。  といっても、一番重要なのは開始の痕跡を残す事であり、終了報告は上げなくても本人たちに大きなデメリットはないので、傭兵の中には終了報告をしない者もいるし、何らかの事情で行わなかったパターンも考えられる。  本当に死んでしまったのか、村から出ない上に率先して情報を集めたわけでもないスピカにはわからなかったが、周りの大人の会話や雰囲気から傭兵が命の危険に晒された職だという事は心の中に染み付いていた。  銀髪の青年――スピカに取引を持ちかけたアメリアの上司であるアレス・クラウンは言った。  諸々の危険性や藤堂たちの情報を説明した後に、眼と眼を合わせ真剣な表情で。 「だから、スピカ。最終的にどうするかについてはお前が藤堂を見て決めていい。その選択に口を挟んだりはしないし、例え付いていかないという決定をしたとしても――謝礼は払おう」  藤堂とは逆にその目付きは今までスピカの出会ってきた歴戦の傭兵たちに負けず劣らず凶悪だったが、その口調には誠実さがあった。  隣で何か言いたげな表情をするアメリアを視線で止め、スピカからの返答を待つ。 「でも……私が行かないと困るんじゃ……」  言い淀みながらも質問するスピカ。  それに対して向けられた言葉と表情はスピカの脳裏に強く焼き付いている。  唇の端を僅かに持ち上げた。向けられたその表情が笑みだったと気づいたのは、大墳墓に向かったその後だったけれど。 「大切なのは……スピカ、お前が本当に藤堂たちの助けになりたいと思うかどうか、だ。心配ない。お前が断ったところで……どうにでもなるし、どうにでもするさ」 §  アレスから受けた言葉を思い出しながら、藤堂の表情は観察する。  事前に得た情報はあまり良い類のものではなかったが、その表情、特に透明な眼差しからはやはり、悪い印象は受けない。  静かに微笑んだままスピカの答えを待つ藤堂。  必死にどう答えるべきか迷っていると、その隣に座っていたリミスが眉を潜め、藤堂の肩を叩いた。 「……ナオ、さすがにこの年齢の子供を連れて行くのは問題なんじゃない? なんというか……想像していた以上に小さいんだけど……」 「むぅ……年齢までは聞いていませんでしたからね……確かに、この年齢で旅に出るというのは……」  自分の背の低さを棚にあげて唸るリミス。逆側に腕を組んで座っていたアリアもまた同じ意見らしく、唇をへの字にしてスピカを見ている。  スピカ自身自分と同じくらいの傭兵を見たことはない。  ルークス王国内では成人は十五歳とされる。その年齢まで働けないというわけではないが、特別な事情がなければ成人前に傭兵のような危険な職につく者はいない。  藤堂がスピカに尋ねる。 「……スピカ、君、幾つ?」 「……十二歳です」  スピカの答えに、リミスが前髪を掻き上げ、あからさまな動作で額を抑えた。藤堂のそれに負けず劣らず透き通った碧眼がじろじろとスピカに投げかけられる。 「まだ子供じゃない。どうして大墳墓なんて危険な場所に……」  不躾な視線と物言いに、スピカがむっとしたようにリミスを見る。  全身を――特に頭の先と胸元を。 「……リミスさんとは、あまり変わらないです」 「ッ……一応、言っとくけど、私は、もう、十五歳だから」 「まぁまぁ、落ち着いて、リミス」  唇を噛むリミスを宥め、藤堂がスピカの方に向き直る。  どこまでもまっすぐな視線に、それだけで、スピカは今抱いていた感情が消沈するのを感じた。 「スピカ。僕たちは……詳細は話せないんだけど、ある理由があって……魔王クラノスを倒すために旅をしてる」 「魔王……クラノス……」  それも既に聞いている情報だ。  そのパーティが魔王を倒すために旅をしている事。魔族に常に追われており、レベルを上げるために各地を転々としている事。そして――まだ実力がその目的を達成するに十分ではなく、志半ばで倒れる可能性が高い事。  だが、こうして目の前で聞いても、スピカにはその名前が実感を伴ったものに聞こえない。  魔王クラノス。  それは、そこかしこで囁かれる魔物の王の名前だ。  人類の敵。村の中で蔓延するそれに関する会話には恐怖と畏怖こそ込められていたが同時に、未だピュリフの住人にとって噂話の域を出ないものだった。  魔物が活発化しているという話もあるが、実際に村の内部に入りこんだわけでもなく、村に直接大きな被害を与えていない事も大きい。  実際に村が受けた影響は傭兵の姿が減った事、くらいであり、スピカも含めて村人の中に危機感を感じている者は多くない。  口の中で名前を改めて転がしてみる。が、やはり実感を持てない。スピカにとってそれは、感覚的にはお伽話お魔王の名を呟いたのと何ら変わらない。  藤堂が真剣な表情で続ける。 「危険な旅だ。できるだけ早く魔王を討伐しなくてはならないから戦い続ける事になるし、僕達のレベルもまだまだ低い。僕達についてきたら……死ぬような目に会うかもしれない」 「……」  しかし同時に、その押し殺すような声から、スピカは理解できた。  魔王が存在するかどうかはわからない。だが、少なくとも、目の前で話す青年は、その魔王を討伐するために死ぬ事も覚悟の上で旅をしている、という事を。  スピカの唇が無意識に戦慄くように開く。気づいたら声を出していた。 「わ、私……まだ、神聖術……使えない……ですが」 「ああ。事情は教会の人に聞いて知ってるよ。でも、スピカの僕達の役に立とうという行動は僕にとって何よりもありがたかったし、嬉しかった。……きっと、その意思があれば神聖術もすぐに覚えられる、と思う」  実際、僕も十日で覚えられたしね、と。藤堂が微笑む。  アリアの眉がぴくりと動いた。 「……ナオ殿、それはナオ殿が――」 「もし、すぐに覚えられなかったとしても……僕が――全力で守る。もちろん、アリアもリミスも、ね」  藤堂の言葉に、アリアがため息をついて口を噤む。  初めは反対していたリミスも藤堂の言葉を遮るつもりはないのか、呆れたような表情をしつつも何も言わない。  藤堂は立ち上がると、はっきりした口調で言った。 「だから、もしもスピカが……本当に僕達の事を助けたいと思ってくれるのならば……長い時間がかかってしまうと思うけど、一緒についてきて欲しい」 「……」  一緒についてきて欲しい。  その強い言葉に、一瞬反射的に「はい」と答えかけ、アレスの言葉を思い出し、ぎりぎりで踏みとどまる。  止まらなかった舌。開きかけた唇から出たのは、全く違う言葉だった。 「あの……私が行かないと……困りますか?」  上目遣いで投げかけられたスピカの言葉に、藤堂が一瞬ぽかんとして、すぐにその表情が苦笑いに変る。 「いや。大切なのは君の意思だ。スピカがもし今の話を聞いて付いていけないと思ったなら、それでいいよ。まぁ、僧侶が足りないのは確かだけど、何とかするし、何とでもなるさ」  その言葉に、再びアレスの言葉がスピカの脳裏を過った。  藤堂とアレスでは纏う雰囲気は全く異なる。だが、二人には今までスピカの出会った傭兵たちとは異なる雰囲気を持っているという共通点があった。  気が付くと、スピカも立ち上がっていた。話を聞くことに集中しすぎたせいか、脚に力が入らずふらふらと不安定な状態で。  まだスピカは結論は出せていない。そう簡単に出せる類のものでもない。  あの時、何時も通りの日常の中でアメリアから声を掛けられたあの出来事が自身にとって幸運な事だったのかもわからない。  身体を支えるためにテーブルを掴む小さな手の平。それが魔王を討伐するという大役を受けるに値するものなのかも。  ふらふらと立ち上がったスピカに、藤堂が一歩近づく。  その姿を見上げる。まるでお伽話の英雄であるかのように凛々しい容貌。僅かにかかった前髪の奥から宝石のような黒の眼が光っている。 「わ、私――」  呟きながらまるで引き寄せられるかのように藤堂の方に踏み出そうとした瞬間、スピカの体勢が崩れた。  脚がもつれ、身体が崩れるように倒れる。 「あっ――」    呆然と出た呟き。その身体を、藤堂が反射的に前に出て抱きとめる。  柔らかな感触。回された腕、抱きとめられた状態で、スピカは目を見開き藤堂を見上げた。 「危ないな……大丈夫?」 「……あ」  優しい声。  藤堂が、眼にかかったスピカの長い前髪を人差し指で軽く寄せる。見上げる藤堂の飄々は驚く程に美しかったが、スピカの中にあったのはただただ驚きだった。  驚きのあまり、先ほどまであった緊張が綺麗に消え去っていた。  回されていた腕が離され、スピカが何とか一人で立つ。  そして、自分よりも頭ひとつ半程高い藤堂の顔、優しげな表情を見上げた。 「怪我はない?」 「……」  投げかけられた言葉も頭に入らない。  訝しげな表情で、スピカの手が伸ばされる。  そして、そのまま小さな手の平を藤堂の胸元に押し付けた。  藤堂の笑顔が一瞬で凍りつく。 「!?」 「……女の……人?」 「あ……」  指先に返ってくる感触に、スピカが目を見開き、藤堂の顔つきを眺める。  先ほど抱きとめられた時に額に感じた感触と同じ、柔らかい感触。  確かに、中性的ではある。男性っぽい装いだったので気づかなかったが、女性だったとしてもおかしくない、そんな顔立ち。  スピカの視線に、藤堂の表情は凍りついたまま、止まっている。  一方でスピカの方も予想外の結果に頭の中ではぐるぐると思考が巡っていた。  ――アレスさん……男だって言ってたっけ?  記憶を必死に探るが、性別を明確に言われた覚えはない。  ただ……私が勘違いしていただけ?  スピカが正気を取り戻し、もう一度じろじろと藤堂の方を観察する。  凍りついた表情。側のアリアとリミスの表情も完全に凍りついている。  その表情に、スピカは自分の失敗を理解した。慌てて頭を下げる。 「ご、ごめんなさい……わ、私、藤堂さんの事……男性だと……」 「あ……あはははは……そ、そう……」  引きつった目元に頬。藤堂の乾いた笑い声にも気づかず、スピカは純粋な眼で藤堂の方を見上げた。  見上げて、すっかり藤堂を男だと思い込んでいたその理由――アレスに教えられていた情報について尋ねた。 「あの……その……少し聞いた話なんですけど、藤堂さんって……女性なのに、女性の事が好きなんですか?」 page: 59 プリーストのお仕事  時には目に見えないものが真実である事もあるのです。  かつて、信仰のみを柱に狂ったように戦い続ける男はそう言った。  その感覚こそが怪物の怪物たる所以である事を知ったのは大分後の事だ。  猟犬のような執念深さと、狂信者の如き意志。そして、殺人鬼のような戦闘能力。  何よりも厄介なのはその信仰がアズ・グリード神聖教の教義と一致しない事。奴は『自称』神の使徒であり、教会に忠義を誓っていない  その行動指針は強迫観念に限りなく近い『妄想』を元にしており、何を言いたいかというと俺は、グレゴリオが自身の上司たる聖穢卿の言葉に従わない可能性も割りとある事を知っていた。  ――ただ、それを信じたくなかっただけで。  眉がぴくぴくと引きつっているのを感じていた。  宿の一室。はめ込まれた安っぽい窓ガラスには自身の凶相がはっきりと映っている。 「命令に従わない、だ?」  低く恫喝するような声。丸テーブルの上で書類をまとめていた、アメリアが心配そうな表情でこちらを見ていた。  ここのところ、悪い予感ばかりが当たっている。ツキが落ちているのを感じる。  胃がきりきりと傷んだ。クレイオの声の素っ気なさがそれに拍車をかけている。  俺に平穏が訪れるのは一体いつなのだろうか? 『ああ、あれは……駄目だな。彼は『神託』、と』 「……チッ。敵に回すと厄介極まりない、な」  神託。グレゴリオ・レギンズの独自の行動理論を指す。  いかなる理屈か。その行動には理由がない。強いて言うのならば勘だとでも言えるだろうか。  ただし、それはただの勘ではない。恐るべき精度の『勘』だ。  奴は言語化できないその神がかった『感覚』によって多くの闇の眷属を追い詰め打ち破ってきた。    何を嗅ぎ取っているのか。俺だって予感めいた事を感じる事くらいあるが、グレゴリオのそれは半ば未来予知に近い。  どちらかというと行動に理由を必要とする理屈派の俺とは相容れない理由の一つだった。  短く呼吸をして思考を冷静に保つ。解っていたことだ。グレゴリオと出会ってしまった以上、どう転んでも面倒な事になるのは解っていた事だ。  だからこれはまだ――最悪ではない。 「グレゴリオに勇者の情報は伝えたか?」 『伝えていない。聖勇者の情報は少なくともまだ伏せる事になっている。ルークスの意向もある。いずれは皆の知るところになるだろうが、ね』 「だが風の噂で察知している可能性はある」  ヴェールの村のヘリオスが予測していたという前例もある。人の口に戸は立てられない。  クレイオが珍しくやや心配そうな声色で尋ねてきた。 『アレス、大丈夫かね? そんな事は……当たり前だろう』  その通りだ。言葉に出すまでもない。本来ならば聞き返す必要のない事で、それは効率的ではないし、仮にそうだったとしても……どうしようもない。  俺は奴を苦手としている。会話していると疲れるし、そもそも俺にはあの男を理解できない。  深呼吸を繰り返し、自身に鎮静の魔法をかける。  頭痛が引き、僅かに冷静さが戻るのを感じた。思い込みかもしれないが……。  何とかグレゴリオを藤堂たちから遠ざけたい……が、これはかなり難しい。奴の持つ感覚は本当に厄介だ。感覚型の戦士は大なり小なりそういった側面を持つが、味方にすれば心強く敵にすれば恐ろしい。  理屈派の天敵とも呼べる。何しろ、全ての計画を『なんとなく』で打ち破ってくるのだから。  厄介なのは、藤堂がこの街を去ったところで奴が――それを追ってくる可能性がある、という点だ。  常識で考えたらありえない。ありえない、のだが、その常識を打ち破ってくるのが殲滅鬼という存在だった。  かつて一度、ある邪神を信奉する人間のコミュニティを壊滅した事がある。  その時にコンビを組んだのがグレゴリオだった。  その任務は対象の居場所がわかっておらず、情報収集から始めなくてはならない類のものだったが、奴は、全く何の事前情報もない状態から、人間であるが故に感知出来ない背信者の集団を短期間で見つけ出しそれらをたった一人で壊滅してみせた。  ふらっと散歩に行くような様子で外出し、任務を全うした奴に、どうやって見つけ出したのか尋ねた。その結果返ってきた言葉が『信仰故』であった。俺が聞いているのはそういう話じゃないというのに。  グレゴリオを打ち破るにはその信仰を凌駕する理屈がいる。奴を納得させる必要がある。奴を、奴自身の世界の理屈で説得する必要がある。  ザルパンを相手にするなどとは比較にならない程の難事であった。  ……やりたくねえ……っていうか、もしかして無理? 「逃げ出しても追ってくるかなぁ……」 『アレス……大丈夫かね?』  多分追ってくる。十中八九追ってくる。いや、そもそもそういう『リスク』を踏むべきではない。  逃亡する側と追跡する側、有利なのは後者だ。戦争は撤退時が最も被害が大きいのだ。  俺はグレゴリオがあまり得意ではないが故に、それなりにその男の事を知っている。その能力も。  理屈型は感情を大きな要素としない。苦手であるという事は立ち向かわない理由にならない。  これは……ビジネスだ。 「俺が……奴に接触して説得する。あんたも続けて奴を遠ざけるよう説得してくれ」 『……ああ、わかった』  短い了解の言葉と共に通信が切れる。  俺は深い溜息をついて、アメリアの方を振り返った。これは試練だ。やるしかない。藤堂の戦力強化もしなくてはならないが、優先度はこちらが……上。  一応人族の範疇であるあの男から藤堂を守るのは魔族から守るよりも余程難しいのだ。  アメリアがぱちぱちと深い藍色の瞳を瞬かせ、俺の方を見ていた。  今のところ俺にとって完全な味方は、使える駒は、アメリアだけのようだ。  ……いくらなんでも彼女にグレゴリオの説得を任せるわけにもいかないが。 「報告は終わりましたか」 「ああ。まぁ、あまり芳しい状況ではないな」  できるだけ早くレベルを上げなくてはならないのに、何故それに注力させてくれないのか。  ぶちまけたい愚痴を内心に全て封じ込め、椅子に腰を下ろす。アメリアがやけに慣れた手つきで紅茶を入れてくれた。  さて、どうするべきか……できれば次のフィールドまでこの問題を引っ張りたくないが……。  既に外は闇の帳に包まれていた。  ヴェールの村とは異なり、それほど規模の大きくないピュリフには街灯が殆ど存在せず、夜になると外が真っ暗になる。   「お疲れですか?」 「肉体的な疲労はないに等しいが精神的には若干疲れたな」  二ヶ月くらい前、たった一人で異端殲滅の任務についていた頃が少しだけ懐かしい。  抱きかけた感傷を殺し、前を見る。  グレゴリオの居場所は既にわかっている。グレゴリオの滞在しているのは教会だが、藤堂の滞在している場所とはまた違う場所だ。  朝一で顔を接触するか……朝から会いたくはないが、早ければ早い程いい。  今すぐは……ちょっと無理。一回休まないと逆に押し切られてしまいそうだ。  対面していたアメリアが立ち上がり、後ろに回る。首筋からひやりとした感触がする。そのまま、肩と首筋にゆっくりと力がかかった。 「……大分、肩こってますね。硬いです」 「それはレベル差だ。アメリアの攻撃力よりも俺の防御力の方が高い」 「……なんか理不尽です」  だから、恐らくアメリアが刃物で俺を突いても俺には傷一つつかない。  アメリア程のレベルになると、自身以上のレベルには日常で出会う事はまずないだろうが、レベル差とはそういうものだ。俺とアメリアでは存在の絶対量に差がありすぎる。  それは藤堂と魔王の間にも同じ事が言える。 「アレスさん、スピカへの指示はどうしますか?」 「明日グレゴリオと会話する。それ次第でどう指示を出すか決めるが、まぁそれもスピカが藤堂についていくかどうか、次第だな」  グレゴリオさえ説得できたのならば、予定通りここでアンデッドを克服させるのもいいだろう。何よりもここはスピカのレベル上げには最適だ。レベル10であり、リミスと異なり攻撃手段を持たないスピカのレベルを上げるのにここ以上の土地は存在しない。  だが、それもスピカがどうしたいか、その意志次第ではある。注意事項は全て告げた。危険性。藤堂が女好きであるという事。勇者である事は教えていないが、それは仕方がない。  変わらず、肩を揉もうとしながらアメリアが聞いてくる。 「スピカは才能はありましたか?」 「ないな。本当に才能があるのならば、俺たちが来る前から神聖術を使えたはずだ」  才能とはそういうものだ。  特に神聖術はその信仰に大きく左右される。高名の僧侶には、教わる前から神聖術を使えた者が少なくない。  が、同時に才能がなければ僧侶を出来ないわけでもない。スピカが藤堂のパーティでやっていけるかどうかは彼女自身の努力に掛ってくるだろう。  修行方法については適宜教えられるし、装備についても最大限に補助出来る。 「先程スピカと連絡しました。藤堂さんたちについていくかどうか、決定は少し待って欲しいと」 「そうか」  時間はないが、自身の人生に関わる問題だ。納得して参加しなければ神聖術の伸びも悪くなる。少なくとも、グレゴリオの説得を終えるまでなら待てる。  目を瞑り、言葉に耳を傾ける。ふと、アメリアが笑いをこらえたような声色で続けた。 「そういえば、スピカから聞いたんですが――」 「んー」 「藤堂さん、女好きじゃないらしいですよ。確認したそうです」 「ん……? んん……?」  何を確認してるんだ、スピカの奴は……。  確かに女好きだから気をつけろとは言ったが、普通本人に確認するか……? 「……女好きかどうか聞かれてイエスと答える男がいるわけないだろ」  俺だってノーって答えるわ、そんなの。  しかし、女二男一のパーティを組んでおいてなかなか苦しい言い訳だ。尤も、今の俺だって人の事言えないだろうが……。  そして、肩揉みをしながら、アメリアが予想外の事を言った。 「どっちかというと、普通に男が好きらしいです」 「……」  背筋がぞくりとした。一瞬耳を疑う。  どっちかというと、普通に男が好き……? なんだ? どこが普通なんだ? それが異世界の文化なのか?  ……いや、そうではないはずだ。召喚元の世界については、今まで召喚してきた勇者からの聞き取りである程度わかっている。  魔法や奇跡のない世界だが、基本的な人間の思考や生活体系はこの世界と大差ない。  その意味についてしばらく黙ったまま考えるが、すぐに結論に当たった。 「……藤堂の奴も、凄い言い訳を考えたものだな」 「そうですね」  いくら答えづらい質問を貰ったからといえ……いくらなんでも男の方が好きという回答はないだろう。しかも、普通にって……普通にってなんだよ。普通ってなんだよ!  焦っていたのだろうか? リミスやアリアがそれを聞き、どう思うかも考えなかったのだろうか?  いや、スピカを少しでも安心させるため、か? どちらにせよ、墓穴を掘ってる感は否めない。 「まぁ、嘘だな。スピカも藤堂の言葉を鵜呑みにしているわけではないと思うが一応、引き続き気をつけるよう伝えてくれ」 「既に、その話を聞いた時に伝えました」  しかし、男の方が好き、か……なんという回答。  ため息をつき、感想を言う。 「ちょっと面白かった」 「私も面白かったです」 page: 60 勇者と剣士  月には薄く雲がかかり、ぼんやりとした光のみが地上を照らしていた。  教会の裏庭。月光を除いて明かりのないその場所に、藤堂は立っていた。  肌を撫でるのは生暖かい風のみ。手に張り付くのは木剣の感触。  聖剣エクスと同じ長さのそれは、旅に出る前に誂えて貰ったもので、軽い聖剣とほぼ同じ重量を持っている。  暗闇の中、眼を細め前方を睨みつける。目の前、三メートル程のところで剣を構えるアリアを。  魔王討伐の旅に出て一月あまり、藤堂が剣を握らなかった日はない。  その上達加減こそルークスの騎士団長も目を見張るものだったが、平和な世界に生まれた藤堂直継には剣の経験がなかった。いくら加護が強くても、加護だけで達成出来るほど魔王討伐の旅は甘くなく、いざという時に物を言うのはそれまで積み重ねてきた経験だ。  日頃行っているアリアとの訓練は、少ない経験を少しでもカバーしようと、藤堂自体が申し出たものだった。  短く吐かれた呼気。神経を集中させ、目の前のアリアの佇まいを観察する。  まだ一歩も動いていないのに、背中にはじっとりと湿った感覚があった。  アリア・リザース。  剣王の息女。  ルークス王国でも屈指の剣術の大家で生まれ育ったその少女に立ち居振る舞いは静かで乱れなく、しかし凄まじい威圧を感じさせる。  アリアの身長は藤堂よりも高く、両手に握られた剣も藤堂のそれよりリーチが長く、藤堂がその剣を届かせるにはアリアの攻撃可能範囲の一歩奥に踏み込まなくてはならない。  藤堂とアリアのレベルの差は7存在するが、藤堂は上がった身体能力に未だ慣れきっておらず、アリアは逆に稽古で自分よりも上のレベルの者との戦闘経験が豊富にあった。  構えられたアリアの木剣の切っ先は、藤堂の眉間に向けられている。  じりじりと小刻みな歩みで距離を計り、そして――藤堂が一歩強く踏み込んだ。 § § § 「ナオ、貴方の弱点の一つは……腕力のなさです」  訓練終了後。  剣を無造作に下ろし、アリアが評価した。  結局、一太刀も与える事ができなかった。  本来の聖剣とは異なる木剣。同等の武器を使い試合形式で戦った場合、藤堂直継の腕はアリア・リザースよりも一歩も二歩も劣る。  全力を込めた一撃は容易く受け止められ、アリアの奇妙な起動を描く剣は藤堂の腕を、肩を斬りつける。  聖剣を持つ藤堂にとって魔物との戦闘の殆どは初撃必殺で終わる。それはつまり、まともに剣を受け止められた経験がない事を示していた。  乱れた息を整えながら、藤堂はアリアの言葉に耳を傾ける。 「ナオの攻撃は……軽い。ヴェールの森では聖剣の性能で押し切れましたが、この先一撃で屠れない魔物が現れた場合……苦労する事になるでしょう」 「レベルを上げれば腕力も上がる?」 「上がります。しかし――」  アリアが木剣を鞘に納めながら、言いにくそうに続ける。 「その上昇幅はそれほど大きくありません。一般的に人族の女性は……男性に比べて筋力の上昇幅が小さいですから」  藤堂が自らの手の平を見下ろす。痺れたような感覚の残る華奢な手の平。  聖剣エクスの斬れ味は常軌を逸する。場合によっては金属製の防具ですらバターのように切り裂けるだろう。だがしかし、それは聖剣の力であって藤堂の力ではない。 「男性は筋力と体力が伸びやすく、剣士するに適している。その代わり、女性は敏捷性と魔力が上がりやすいですが、それならば剣士になる必要はない。ナオ、この世界で女性の剣士は……それほど多くありません。特にある一定以上の域に達すると皆男になる。これは……人族としての種族の特性です。もちろん、レベルや武具の質によってある程度カバーはできますが、その特性だけは頭に置いておく必要がある」 「……なるほど……わかるよ」  藤堂の元いた世界においても、女性と男性では身体能力に差があった。それは藤堂自身も何度も実感した事であり、今更言うに及ばない。  しかし、勇者として召喚されたにも拘らず再び立ちはだかった壁に、藤堂は肩を竦めてみせた。 「それは、今まで召喚された聖勇者が皆男だった事と関係あるのかな?」 「さぁ……召喚は……教会の秘匿技術ですから。しかし、少なくとも剣士として召喚するのならば――」  アリアが僅かに表情を苦々しく顰め、続ける。  アリア自体も、剣王の娘として苦労してきた。アリアには兄がいたため、剣王の跡継ぎとしての期待は降り掛かってこなかったが、色眼鏡で見られる事は避けられない。 「男性の方が適しているといえるでしょう」 「……」 「幸いなことに、聖剣には重さがない。聖鎧にもないし、ナオ殿に与えられた盾も一般の盾と比べれば遥かに軽い、魔法のかかった品です」 「どうすれば身体能力の差をカバー出来る?」  藤堂の問いに、アリアが躊躇いなく答えた。 「恐らく、剣では無理です」  剣では無理。  目を見開き、アリアの顔を見上げるが、その表情は至極真面目なものだ。  藤堂が半ば捨て鉢のような言葉をかける。 「剣王の娘なのに、随分と弱気だね」 「剣術の指南をずっと受け続けたから分かるのです、ナオ。私達と彼らには……最終的に隔絶した差が出来上がる。例えば、男剣士と女剣士、同じ練度を持ち同じ武器を使った場合、百回に百回前者が勝つでしょう。私達はそういう風に創られていない」  無表情で答えるアリア。その表情に、藤堂は得体の知れない寒気と、覚悟に似た何かを感じ取った。  それでも諦められずに、聞きかじった情報について確認する。 「剣士も魔力を使った技があると聞いたけど?」 「……ありますが、剣士の技は魔力をそれほど使わないし、そもそも今現在存在する評価はそれを加味したものです」  そもそも、レベルを上げればいくら剣士といえどある程度の魔力を得る。  魔力によってそれほど大きな差が出来上がるのならば、女剣士が不遇とされる事もなかっただろう。  藤堂はそれに答えず、その代わりに軽く剣を閃かせた。  空気を切る鋭い音。ひらめく剣身は淀みなく、一般人ならば見惚れる程のものだったが、実際に受けたアリアにはそこに殆ど力が入っていない事を知っていた。  速度は出ているし、聖剣を使えば下級の魔獣を骨ごと両断出来るが、所詮出来るのはただそれだけだ。  果たしてその斬れ味だけでどこまでやっていけるか――。  無言で、無心で剣を振る藤堂に、アリアが深く感慨深いため息をついた。そして、言った。 「……ですが、ナオは運がいい。貴女には……高い魔力がある。魔術の才能がある」 「魔術の才能……」 「魔術と剣術、双方を扱える者は少ない。魔術の深淵は最上級の剣術に匹敵するとされております。ナオ、魔法使いは逆に……男性よりも女性の方が多いのです。そちらはリミスの方が詳しいでしょう」 「魔術、か……」  最後に大きく刃を振り被ると、藤堂はそれを全力で振り下ろした。  鋭い音。汗の玉が宙を舞い、地面に落ちる。その気合に、アリアは昔の自分――剣術を極める事が難しいと解った直後の自分を思い出した。 「……できれば、剣の才能が欲しかったなぁ……」 「何故ですか?」 「格好いいじゃん? 剣を使うって」  力なく笑う藤堂の顔。  やや童顔にも見えるが、すっと通った目鼻立ちに色艶のいい黒の髪は男性にも女性にも見える。  が、女性と言われてもストンと納得できるような……。  伸びた前髪に隠れた漆黒の瞳から目を背け、アリアが話を変えた。 「ナオ、髪も伸びてますし、そろそろ髪を切ったほうがいいかもしれません」  その言葉に、藤堂が濡れた前髪を人差し指とや指でつまんだ。 「あー、確かに少し邪魔かもしれないな……」 「正直……今のナオは、そうと言われないと男に見えません。」 「え……?」  声も男性にしては高いし、背も低い。無理をすれば男に見えなくもないが、一般的な男の剣士や傭兵と比べて明らかに骨格が華奢だ。女と言われても驚かないくらいには。  能力の特性にその容姿。  スピカに気づかれたのは予想外だったが、そうでなくてもいずれそれを隠し通すのは難しくなるかもしれない。  アリアのため息に、藤堂がぱちぱちと目を瞬かせた。 page: 61 第三報告 グレゴリオとその対策について 第十レポート:襲いくる脅威  武具を机の上に広げ確認したところで俺は、スピカに短剣を貸したままだった事を思い出した。  眉を顰め、唇を強く噛みしめる。  不吉だ。とても不吉だ。  例えどれほど弱い魔物を相手にする場合でも、俺は事前の準備を怠らない。命が一つしかない以上、それは魔物狩りにとっての基本だった。  テーブルに並べられているのは数少ない俺の武装だ。  結界の生成にも使えるミスリル製のナイフが二本。メインウェポンであるバトルメイスに、闇の眷属を退ける効果のある聖水の瓶が幾つか。  そこにスピカに貸している長めの短剣を入れれば、相手がなんであれそれなりに戦える。  本来ならばナイフは後四本あり、予備を含め六本揃えてあったのだが、それらはザルパンに奪われてまだ補充出来ていない。  ミスリルは高価であり、扱える鍛冶屋も限られている。備品の申請はしてあるが、俺の手元に来るまではもう少し時間がかかるだろう。  メインウェポンが健在である以上、たいていの相手は何とかなるが、グレゴリオは残念ながら大抵の相手ではない。フル装備でも相手をしたくないのに、まさかここまで武装がない状態で相対する事になるとは……。  もちろん、相手は遺憾とはいえ、同じ異端殲滅教会のメンバー。殺し合うつもりはないが、奴を相手にろくすっぽ準備もせずに会うのは避けたかった。  並べられた武装を見下ろし、顔を顰めていると、アメリアが心配そうな声を出した。 「あの……アレスさん、私も行きましょうか?」 「言っておくが、あいつは相手が女でも容赦したりしない」  奴にある判断基準は神の敵か否か、ただそれだけだ。  そして神の敵か否か、その判断基準は奴自身の中にのみ存在する。グレゴリオがまだ生かされているのは偶然その基準が教会の判断と一致していたから、そして、奴の能力が有能だったから、ただそれだけの理由にすぎない。 「大丈夫です。私も会った事はあります」 「……友人だったりするのか?」  俺の問いに、アメリアが珍しくとても嫌そうな表情をした。  その表情の変化に驚く暇もなく、 「ちょっとだけ……殺されかけました」 「……」  アメリアの顔を二度見する。そこには何時も通り、表情の見えない顔があった。  一体何をやったら殺されかけるのだろうか……。  ……まぁいい。 「俺の代わりに話してきてくれるか?」 「……どれだけやりたくないんですが」  上位の魔族と差しで戦う方が百倍もマシである。  俺は、あの男が、苦手なのだ! 面倒臭いのだ。  ……代わりに話してきてくれというのは冗談だが。  テーブルに肘を立て、頭をかかえる。  後悔していた。例え、それがベストな選択だったとしても、ヴェールの森にグレゴリオを呼ぶべきではなかった、と。呼ばなければ、俺に近づかせなければ、あいつがユーティス大墳墓に来ることもなかっただろう。  あの男を動員するというその考えが誤りだったのだ。クレイオに誰を派遣するかも含め、全て任せるべきだった。  全てが俺のミスだ。くそっ、その危険性は十分わかっていたと言うのに。  用法を守ってもグレゴリオを使うべきではなかった。  あああああああああああああああああああああ! 「アレスさんがそんなに嫌がるの初めて見ました……」 「俺にだって……好き嫌いはある」  別に食わず嫌いをしているわけではない。長く付き合い、奴を知っているが故の嫌悪だ。クルセイダーは癖が強い奴が多いが、グレゴリオが一番癖が強い。  多分、俺が人員を要求したその時、クルセイダーで唯一グレゴリオに任務が振られていなかったそれが、その理由なのだろう。 「ああああああああああああああああああああああああああああ!」  嫌だ。会いたくない。会話を交わしたくない。視界に入れたくない。お腹痛い。  ちゃんと上の言うこと聞けよ、グレゴリオォォォォォォォォッ!!  ああああああああああああああああああああああ!  しばらく目を閉じて、荒くなっていた呼吸を整え、そして開いた。  よし、思考がクリアになった。いや、まだ危ういがとりあえずクリアになったという事にしよう。 「よし…………行くぞ」 「なんかアレスさんのせいで私もお腹痛くなってきました……」 「『状態異常回復』」 「……貸し一個ですよ?」  もうこうなったら一個でも十個でも百個でも構わん。 § § §  異端殲滅官の間には序列というものが存在する。  何のために存在するのかは知らないが、それは能力と実績、そして何よりも教会の上層部の判断によって決定され、必ずしもその強さと一致しない。  グレゴリオの序列は第三位だが、奴のクルセイダー歴は俺よりも長く、その戦闘能力、純粋な攻撃力だけ切り取れば俺と同じかそれ以上と言える。  例えば、ザルパンを相手にしたのが俺ではなくグレゴリオだったら、自爆する間を与えることなくザルパンを討滅していた事だろう。  そのやたら物騒な戦闘能力を支えているのが奴の武装。  全身ミスリル製のトランクケース。  奴自身が『禁忌の箱』と呼ぶ闇の眷属の棺桶だ。  取り回しの悪いその武装は奴が異端殲滅官となったそのルーツであるらしい。討伐した闇の眷属の死骸をそこに納め持ち帰るというのは異端殲滅官の間ではまことしやかに囁かれる噂だった。  もちろんただの噂だ。実際の奴は闇の眷属の死骸に固執しない。しかし、その噂だけで奴が周囲にどのような評価を受けているのか分かるだろう。  待ち合わせの場所としては宿の食堂を指定した。教会だと藤堂と鉢合わせる可能性があったからだ。  クレイオを通じて申し込んだのだが、快諾されたという旨を聞いて腹痛が酷くなったのは秘密である。  待ち合わせの時刻の十分前。食堂の入り口から顔を半分だけ入れて中を窺う。  果たして、そこには奴がいた。大墳墓では結局顔を合わせなかったので、俺が奴の顔を直に見るのは数年振りだ。ああ、お腹痛い。  丁寧に切りそろえられた黒の髪に黒の目。背の高さは俺よりも低く、顔が童顔のせいか殲滅鬼などという二つ名を持つような男には見えない。  身につけた深い藍色の法衣は教会指定のもの。耳にぶら下がるイヤリングといい、足の先から頭の先までどこからどう見ても優等生の僧侶がそこにはいた。  表情は温和そのもの。見た目だけならば俺よりもよっぽど一般的な僧侶のイメージに近い。それを考えるたびに俺はとてもやるせない気分になる。  見た目だけならば十代中盤から十代後半に見えるが、奴の見た目は俺が初めて出会った十年近く前から一切変わっていないので騙されてはいけない。どういう理屈なのかわからないが、何しろ妖怪のような男なのである。    宿に宿泊しているのは俺達だけらしく、食堂にはグレゴリオを除いて他の人間はいなかった。  こちらが腹痛をこらえてまで来ているというのに平然とした様子のグレゴリオに腹痛が増す。俺は奴を苦手としているが、奴は俺を苦手としていないので当然の帰結ではある。  しかし、いつまでも覗いているわけにはいかない。  一度深く深呼吸して覚悟を決めると、一歩足を踏み入れるその寸前にアメリアが聞いてきた。 「……補助魔法はかけなくて大丈夫ですか?」 「……補助魔法をかけて俺が殺る気だと思われたら困る」 「思われるんですか?」 「思われる」  信仰を確認がてら攻撃を仕掛けてきたりするので注意が必要である。そんなのトラウマだトラウマ。僧侶のやる所業じゃねえ。  といっても、文句を言っても仕方ない。意識だけ戦闘時のものに切り替えて、食堂に一歩踏み込んだ。  ――瞬間、全身に怖気が奔った。  悪意。戦意。殺意。それらに似てしかし異なる異様な気配に、レベル93である俺の足が一瞬竦む。 「ッ!」  覚悟はしていたので声は出なかった。  風を切って飛んできた視界を遮る『黒』に握ったメイスを横薙ぎに叩き込む。  硬いものを殴り飛ばす感触と金属同士がぶつかり合う音。視界が開ける。それを確認する間もなく、俺は次の行動を開始していた。  懐に入られた。飛んできたのはトランクケースで、しかしそれは囮だ。  目の前、至近に奴がいた。ざっくばらんに乱れた黒の髪。至近からぶつかり合う眼球がギョロリと奇怪な色を発する。  予想していたから対応できた。躊躇いなくそれに膝蹴りを叩き込む。  骨と肉の軋む音。グレゴリオの矮躯が衝撃を受け、宙に舞う。致命傷ではない。手の平で受け、自ら飛んだのだ。 「アレスさんッ!」  アメリアが悲鳴に近い声で叫ぶ。  逆に俺は冷静になっていた。  心配いらない。これは……好機だ。向こうから手を出してきたのならば、正当防衛で殺してしまっても仕方のない事だ。仕方のない事なのだ。後でクレイオに謝ればきっと許してくれる。  メイスを叩き込んだトランクがテーブルを破壊し床を擦りながら転がる。それをちらりと視線を向けて確認し、すぐにグレゴリオに視線を戻す。床を蹴って前進した。    グレゴリオの手に武器はなく俺の手にはある。蹴りは受け止められても棘の生えたメイスは受け止められまい。  殺意を収束する。一撃で殺す。目標は頭だ。さすがに頭を潰されればいくら化物でも、死ぬだろう。  一歩で速度を増し、二歩で最高速に達し、三歩で宙に跳ぶ。腕に全力を込め、メイスを振り被る。腕の筋肉がみしみしと軋む。自らの血潮の流れる音が何故かよく聞こえる。  ターゲットはすぐ目の前。さすがのグレゴリオでも宙では受けきれまい。 「死ねええええええええええええええええええええッ!」  少しでも動きを牽制するために咆哮する。びりびりと空気が震える。  勢いをつけ腕を振り下ろすその寸前、グレゴリオの表情がはっきりと見えた。歪められた唇が。  恐怖ではない。それは笑みだ。  それを見た瞬間、反射的に俺は動作を変えた。振り下ろしかけたメイスの方向をずらす。身体を無理やり回転させ、攻撃方向を背後に変える。  先程とは比べ物にならないほどの衝撃が殴りつけたメイスに、腕に伝わってきた。巨大な鐘でも鳴らしたかのような音が響き渡る。 「――ッ」  床に着地する。そこでようやく俺は、自分が殴ったものがトランクである事に気づいた。全力を叩き込んだにも拘らず、そのトランクケースには傷一つない。  おかしい。奴は宙にいた。トランクは確かに床に転がっていたはずだ。反撃するような暇は確かに与えていなかった。  理解不能の衝動が脳裏を巡る。  しかし、その時には全てが終わっていた。  視線を向ける。  俺とほぼ同時に地面に着地したグレゴリオがぱんぱんと法衣を払っていた。怖気の奔る気配はもはやどこにもない。  特に何事もなかったかのようにグレゴリオが言う。  腕を振り上げ、まるで歓迎しているかのような笑みを浮かべて。 「おお、アレス。我が同胞。健勝そうで何よりです」  ……チッ。仕留め損なった。 page: 62 第十一レポート:神の敵を討つ者 「あ……これは……お客様……!?」  物音を聞きつけたのか、宿の従業員が食堂に駆け込んでくる。  脚の折れたテーブルに椅子。他に客がいなかったので大した被害は出ていないが、酷い有様だ。  顔を引きつらせ、俺とグレゴリオを交互に見る従業員に、グレゴリオが薄い笑みを浮かべ、何気ない動作で近寄った。  懐から袋を取り出す。 「失礼しました。久方ぶりの再会で少々――弁済させていただきます」  罪悪感の見えない表情に落ち着いた声色。頬を引きつらせていた従業員の表情が困惑に変わる。恐らく、相手がゴロツキなどではなく一見穏やかそうな僧侶に見えるのもよかったのだろう。  世の中、一見化物に見えない奴の方が化物じみていたりするのだ。本当に世も末である。  テーブルと椅子の弁済には些か多すぎる程度の額を渡されると、まだどこか戸惑いながらも、従業員が出ていった。  部外者のいなくなった食堂。  グレゴリオがまるで旧友に会うかのような喜びの表情を浮かべた。思わず一歩後退る。  はっきり自分でも分かるくらいに顔を顰めているのだが、グレゴリオはそんな俺を一切構う事無く、つかつかと近寄ってくると、右手を伸ばしてきた。  握手の姿勢だ。仕方なく手を取る。  自身の指と比べ、全く力と呼べるものが見えない一般的な僧侶よりも貧弱に見える手だ。何故筋力のかけらも見えないこの手で魔族を撲殺出来るのか。目の前の男は間違いなく化物であった。  というか、本当に歳いくつだよ……こいつ。 「お久しぶりです、アレス・クラウン。相変わらず、信仰はお変わりないようで」 「チッ」 「僕は今……喜びに満ちあふれています。我が同胞、数少ない我が同胞の中でも、事もあろうに貴方から呼ばれるとは。僕はこの幸運を神に感謝します」 「……死ね」 「ええ。アレス。僕も貴方と同じ気持ちです。魔族の全てを討ち滅ぼすまで、共に戦いましょう」  俺の後ろに隠れていたアメリアがちょんちょんと俺の肩をつっつく。  そして、耳元でぼそぼそと囁いてきた。 「アレスさん。この人、コミュニケーションが取れていません」  言われなくても知っとるわ!  元々、まともにコミュニケーションを取れるとは思っていないし、取りたいとも思っていない。この男と俺とでは住む世界が違い過ぎるのだ。  アメリアの存在に今まで気づいていなかったわけでもなかろうに、グレゴリオが眼を大きく開き、大げさな声を上げる。  俺に話しかけるのに使っていた物静かな声とはまるで異なる、意気揚々とした声だ。『話す』というよりも『叫ぶ』に近い。 「シスターーーーーーアメリアッ! 何故貴女がここにッ!?」 「ヒッ!?」  俺はその時、初めてアメリアの恐怖の悲鳴を聞いた。気持ちはすごく分かる。  肩を掴んで俺の後ろに完全に隠れるアメリアに、グレゴリオが爛々とした眼を向ける。それは獲物を狙う鬼の眼であった。  先程聞いた一度殺されかけたというのは冗談でもなんでもなかったのかもしれない。  ちょっとアメリアを連れてきた事を後悔した。後で影響が出ないか心配だ。  腕をゆっくりと上げる。グレゴリオの感情を刺激しないように、少しずつ少しずつ。  そして、人差し指を広げる。指をさす。グレゴリオの眼がアメリアから離れ、俺の指先を追う。指の先、椅子を見る。 「座れ」  俺の命令に、グレゴリオが満面の笑みを浮かべた。事ある事に笑顔になるの、本当にやめて欲しい。 「いいでしょう、アレス。しかしその前に、シスター・アメリアとの関係を教えて頂きたい」 「部下だ。何か問題が?」  手出してこねーかな。そうしたらさっさと手っ取り早く処分出来るんだが。  グレゴリオの能力は確かに凶悪だが、不意打ちなしで一対一でやりあえば恐らく俺に軍配があがる。何故ならば奴は回復魔法も補助魔法も使う事ができず、俺には退魔術は効かないからだ。レベルも恐らく俺の方が高い。  半ば挑発じみた俺の答えに、しかしグレゴリオは予想外の反応を見せた。眼を前回に開き、手を自分の前で祈りのように組み交わす。その瞳孔が一気に縮まる。 「それは――素晴らしいッ!」 「は?」  若干引き気味な俺を他所に、ようやくグレゴリオが椅子に腰を下ろした。  テンションの落差に付いていけない。押せば引き、引けば押してくる。  次に出たグレゴリオの言葉、その口調は穏やかで静かなものになっている。 「貴方の元でならば、間違いなくシスターアメリアもその業を雪ぐ事が出来ましょう」  ……業?  本当にアメリアは一体何をしたのだろうか。  ちょっと気になったが、今の俺にはどうでもいい事だ。アメリアの派遣は教会の決定であり、色々あったが結果的に助かっている。例え犯罪者だったとしても、俺はアメリアの手を借りるだろう。  俺はその言葉に一切触れる事なく、グレゴリオの対面に座った。  アメリアも続いて俺の隣に座る。何かいいたそうな表情をしていたが、俺が何も言わないせいか黙ったままだった。  それでいい。俺の目的はグレゴリオを説得する事であり、それ以上でも以下でもない。  まだ交渉の席についたばかりなのに身体が重い。それらを無視し、グレゴリオの方を睨みつける。 「グレゴリオ、俺がお前を呼び出した理由がわかるか?」 「ええ、もちろんです。旧交を温めるためでしょう」  間髪入れずに言い切るグレゴリオ。何を言っているんだこいつは。  まさか、俺は今そんな事を予想させる表情をしているのだろうか? 鏡がないか周囲を見回すが、そんなものがあるわけもなく。  というか、そんな表情するわけがないし、よしんばしていたとしてもいきなり攻撃を仕掛けてきた時点で吹き飛ぶだろう。  ペースを乱されている。額を抑え、冷静さを保つ。  こいつの言葉にいちいち乗ってはいけない。まともに取り合ってはならない。  舌を噛み切りたい思いを押しとどめ、感情を押し殺し、声を出す。 「もちろん違う。グレゴリオ、お前、枢機卿の命令を拒否したそうだな」 「? はい。それが何か?」  目を瞬かせ、グレゴリオが本気で何を言われているのかわからないと言った表情をする。  上司の命令などどこ吹く風。こんな部下を持ってクレイオも大変だ。てか、本当にがんじがらめに拘束して地下牢かなんかに放り込んで置いた方がいいんじゃないだろうか。 「閣下から何か言われたのですか?」 「命令を拒否した理由は?」  グレゴリオの問いに答えず、こちらから一方的に質問する。  それに対して何ら嫌な表情をせずに、グレゴリオはゆっくりとその人差し指で自分の鼻を指差してみせた。 「運命、です。アレス・クラウン」 「具体的に言え」 「アレス。僕と同じ貴方ならば分かるはずです」  断定口調に、アメリアが「え? わかるの?」みたいな眼で俺を見る。  わかんねえよ。一緒にするな、この化物が。  グレゴリオが唇の端をゆっくりと持ち上げた。持ち上げて言った。  人間にそのような表情ができるものなのか。何故か強い違和感を感じさせる、ゾッとするほど満面の『笑み』。 「神の敵です。アレス・クラウン」 「……」  沈黙を持って答えとする。グレゴリオのその眼に小さな火が灯る。 「僕がここにいるのは神の導きに他ならない。これはッ! 運命ッ! 奇跡ッ! 神は、秩序神、アズ・グリードは、この僕に、神託を下されたッ!」  両手を振り上げ、グレゴリオがまるで祈りを捧げるかのように叫ぶ。  よく通る叫び声。しかし、そこに見え隠れしているのは狂気だ。ぴんと伸びた背筋がびくびくと痙攣のように震える。充血した眼球にその笑み、容姿こそ華奢でもそれは鬼の姿に他ならない。  狂ったように神の敵を討ち滅ぼす鬼。殲滅鬼  狂気を浴び、逆に冷静になる。冷静になって思考する。  こいつは何を感じ取ったのか。神の導きとやらが何なのかは別にいい。狂人の妄想にまでかまっていられない。問題はこの男が何をするつもりなのか、だ。  ぴたりと声が止まる。その両腕が下がる。  打って変わって、グレゴリオがまるで子供を窘めるような穏やかな声で言う。 「故にアレス。閣下には非常に申し訳ないですが、僕はここにいなければならないのです」  やはり、予想した通り、全然理解できなかった。やばい。  一縷の望みをかけて返す。 「闇の眷属の気配はない」 「ええ、ええ、確かに。しかし、貴方も知っての通り――僕たちの敵は闇の眷属のみではありません」  俺達異端殲滅官にとって、敵の大部分は闇の眷属ではない。闇の眷属は俺達にとって一番強力で一番警戒が必要でそして……一番やりやすい相手にすぎない。  神の敵はどこにだっている。  邪神を奉じる神官。悪魔に魂を売り、邪な術を修めた魔術師。闇の眷属の呪いを浴び、堕落した騎士。  かなりの遠距離から気配を察知出来る闇の眷属と異なり、そう言った闇に堕ちた人間を俺達は感知できない。  異端殲滅官に対して求められる能力が単純な戦闘能力だけでないのはそのためで、しかしグレゴリオは本来ならば綿密な情報収集により特定するそれら人間の敵を、神がかった勘で察知する男であった。    その眼をじっと覗き込む。その瞳の先に映るものがなんなのか、俺には検討もつかなかった。  いや……検討をつける必要などないのだ。  仮にこの男に、藤堂が『聖勇者』だと気づかれ、且つレイスの悲鳴なんかで気絶するくらいにアンデッドが苦手だと気づかれてしまったら、間違いなくその異端殲滅の対象となる。  例え、この男が同胞と称する俺がその前に立ちふさがったとしても、『異端殲滅』が止まる事はあるまい。  出来る事なら面倒事が起こる前にぶっ殺したい。が、そういうわけにもいかない。この男は扱いにくい事この上ないが、一応味方なのだ。  クレイオからも『殺すな』との命令を受けている。当然である。この男は味方なのだから。敵だったらよかったのに。  俺の思いも知らずに、グレゴリオは不気味な含み笑いを漏らす。 「ふふふ……そもそも、こともあろうに、序列一位の貴方がこのような辺鄙な村にいる。僕がここに留まる理由についても検討がついているのでは?」  異端殲滅官は理由なくその辺にいるような存在じゃない。  全部で十人しかいないその存在は、常に神の敵を討ち滅ぼすために、任務を受け、世界各地に散っている。異端殲滅官のいるところには大抵、神の敵もいるものだ。  今の俺の任務は勇者のサポートなので、今回は神の敵はいないけど。  アメリアの様子を窺う。いつも冷静沈着で便りになるパートナーは、今回ばかりは冷静でいられないようだった。  ……聖勇者のサポートにあたっているという事情を話し、さっさと出ていってもらうべきか?  いや、無理だ。絶対に無理だ。そんな事を話してしまえば、間違いなくグレゴリオは聖勇者をその眼で確かめに行く。  問題なのは、既に藤堂とグレゴリオの間に面識がある事である。大墳墓を歩いていた際に怯えていた様子も見られているだろう。  神の敵に怯えるような男が聖勇者だと知られたら――  脳裏に浮かんだグレゴリオのトランクケースに詰まった藤堂の姿を、眉を潜めて消し去る。  縁起でもねえ。 「及ばずながら、アレス。僕は今休暇中でして、そのお手伝いを出来るかと」  頼むから大人しくしてくれ……その存在が俺の負担になっているのだ。  俺は改めて――例え何があっても、二度とグレゴリオを呼んだりしない事を改めて、決意した。 「本題に入るぞ。俺がお前を呼んだ理由は簡単だ」  策を弄するのも面倒だ。そもそも、勘の鋭い男である。  こういう時は、単純明快に済ませるに限る。  俺はちらりと一度アメリアの方に視線を向け、そしてグレゴリオを睨みつけた。 「失せろ」 「……それはどう言う意味で?」 「わからないのか。これは俺の任務であり、お前は不要だと言っているんだ」  一瞬、場に沈黙が訪れる。はっきりとした拒絶の言葉に、しかしグレゴリオの感情は全く動く様子はない。悲しみも怒りも喜びも、何もない。  そんな男に、続ける。  相手は狂人だが、同時に知性を持っているし、何よりも、吐き気を催す事に、俺に対する同族意識を持っている。そこを突く。 「アレス。理解できませんね。僕の能力を知らないわけでもないでしょう」 「理解しろ、グレゴリオ。これは試練だ」 「試練……?」  いつも通りの任務ならば借りてもよかった。いや、借りるべきだとさえいえるだろう。  こいつの言うとおり、俺はグレゴリオの力を知っている。厳しい訓練を受けた優れた猟犬のような――獲物を追い詰めるその力。神がかった感知能力は存在を察知出来ない神敵を相手にするのに非常に有用だ。   だから、グレゴリオは理解できない。俺がこいつをよく知っているように、こいつもまた俺の事を知っているからだ。あらゆる敵を葬るのにあらゆる手を使ってきたこの俺が、自分の力を借りない理由が。 「これは……俺の試練だ。俺の持つ信仰が神に試されている。俺は秩序神の忠実な下僕として、何としてでも俺の力でこの任務を達成しなくてはならない」  全く効率的ではない言葉をぺらぺらと話す。やむを得ない。全く俺らしくないが、やむを得ないのだ。  抽象的で、具体性のかけらもなく、何よりも俺はあまり神を信じていない。  だが、しかしだからこそ、この狂信者には通じるのだ。  アメリアがあっけにとられたように俺を見ている。その視線がとても痛い。 「わかるな?」  俺の問いに、グレゴリオが沈黙する。  数秒の沈黙の末、果たしてグレゴリオは当たり前のように大きく頷いた。  何が琴線に触れたのか、その表情からは笑みが消え、真剣なものだ。 「わかりました。同胞の信仰を邪魔するわけにはいきませんね」 「助かる」  その言葉に、賭けに勝った事を確信する。心中でほっと胸を撫で下ろす。  賭け。そう、賭けだった。俺はグレゴリオの事をよく知っているが、同時にあまりよくわからないのだ。何しろ、狂人である。  グレゴリオがその眉根を寄せ、困ったような表情を作った。 「それでは、僕はこの村を去りましょう。この村の神の敵を貴方が殲滅するのならば僕がここにいる理由はない。……本来なら、大墳墓に潜る予定でしたが、貴方の邪魔になってしまいそうですね」  この村を去る。  その言葉は俺の望んだ通りのものだったが、ふと少し気になり、聞き返した。 「次はどこに?」 「神の導きのままに。とりあえず……北ですね」 「具体的には?」 「? ……北西、ですかね?」  北西。ユーティス大墳墓の北西には……ゴーレム・バレーがある。  瞼がぴくぴくと痙攣するのを感じる。多分ストレスのせいだ。 「……北西はやめたほうがいいな」 「? 何故ですか?」  むしろ、何故ピンポイントで北西なのか聞きたいわッ!  グレゴリオが不審そうな表情をしている。  まずい。とりあえずグレゴリオを遠ざけたところで、再び出会ってしまっては意味がないのだ。そして、再び出会ってもおかしくない、そんな怖さがこの男にはある。先回りされるとやばい。  次のレベル上げはゴーレム・バレーでする予定だ。そこを外すと一気に効率が落ちる。グレゴリオを恐れて藤堂のレベル上げの効率を落としてしまえば本末転倒だ。  むしろ、グレゴリオにはここに留まってもらい、藤堂をさっさとゴーレム・バレーに向かわせた方がいいか?  しかし、それはそれで一抹の不安が残る。藤堂も俺の誘導の通り動いてくれるとは限らないという点だ。俺の周りはそんな奴らばっかりだ。  ……命令違反になるが、やっぱり、なんかグレゴリオにはここで死んでもらうのが一番手っ取り早くて安全な気がしてきた。 「どうかしましたか、アレス」 「……いや」  教会本部に帰ってもらう? いや……俺がそんな指示を出すのは不自然だろう。  クレイオに任務を与えてもらえばそれに従うだろうか? 本当に従うのか? もう既に命令を拒否しているのに?  思わずがたがた膝を鳴らし、グレゴリオを睨みつける。視線で人が殺せたらいいのに。 「僕がここを出たら問題が?」 「お前の存在それ自体が問題だ」 「アレス。ご安心ください。貴方の試練を邪魔するつもりはありません」  試練を邪魔するつもりはないかもしれないが、ふらっと偶然藤堂を殺しそうだから困ってるんだよ、俺はッ!  もちろん、手を出しかけたら守るつもりではいる。だが、まずそんな状況が起こらないようにするのが第一だ。  全く信頼のおけない同輩に尋ねる。 「グレゴリオ、あんた今何処の教会に滞在してる?」  グレゴリオが首を傾げ、手を組み合わせて答えた。 「? 第三教会ですが」  この村には教会が三つ存在する。  藤堂が滞在しているのが一番大きな第一教会だ。  第一教会には全ての設備が揃っている。藤堂たちが第三教会に行くことはないはずだ。距離もあるし、用事があるわけもない。  俺は深くため息をつき、グレゴリオに言い放った。 「おーけー、じゃあ俺がいいと言うまで第三教会から一歩も出るな。絶対に出るなよ」 page: 63 第十二レポート:神の導きに従う者  今回の件が藤堂のせいだと言われたら、俺は首を横に振るだろう。  俺は自分を追い出した藤堂の事を好きではないし、そもそも奴がアンデッドを苦手としていたのがことの発端ではあったがそれでも――教会に所属するグレゴリオが藤堂を殺めてしまえば、それは間違いなく教会の落ち度である。  無論、その程度で教会が揺らぐ事はないだろう。勇者に偽物のレッテルを張ることなどクレイオにとって朝飯前であり、それはそれでクレイオの権威に傷はつくだろうが、それだって恐らく、そこまで致命的なものではない。  だがそれでも、こんな下らない理由で魔王討伐が失敗してしまったら、教会にも王国にも顔向け出来ない。 「……すいません、何もサポートできず……」  部屋に戻ると、アメリアが肩を落とし、申し訳なさそうな表情で言った。  確かにアメリアは殆ど喋らなかったが、謝罪は不要である。元々、アメリアにどうこうしてもらおうとは思っていない。まぁ、グレゴリオのあの反応は予想外だったし、また一つ彼女について謎は深まったが――。  言葉を選び、声をかける。 「まぁ、仕方ない。あの男を得意とする人間がいるわけがないからな」 「……まぁ、そうですね」  一度その本性を知ったのならば、常人ならば間違いなく近寄ろうとしないだろう。  しかし、それでも何とかグレゴリオは俺の要求に対して頷いてくれた。不審そうな表情をしていたが、俺の『試練』とやらに関係がある事だと勝手に納得したのだろう。  一段落ついた。これでようやく一段落ついた。  ……などと考えてはならない。ヴェールの村ではその油断が命取りになりかけたのだ。    念には念を入れる。  窓際に行き、そっと眼下を睨みつける。  ちょうどその時、宿の外に出たグレゴリオの背中が見えた。手に持った黒のトランクケースと丈の長い法衣は、遠くから見ても一発で分かる。  声を潜め、アメリアに告げる。 「アメリア、俺は奴がちゃんと特に問題を起こさず第三教会に戻るか確かめる」 「……私が行きましょうか?」  ややいつもより上ずった声で提案してくる。顔を見なくとも、無理をしているのがばればれだった。  さすがのグレゴリオもシスターに手を出すような真似はしない……と思うが、フィールドワークは俺の領分である。逆に事務的な仕事はアメリアの方が得意だろう。 「いや、俺が行く。途中で万が一、億が一藤堂が襲われた際に、アメリアでは助けられないからな」 「……さすがにありえないと思いますが」 「ありえなかったらいいと思うよ」  俺にしかできない。俺にしかできないのだ。  グレゴリオを止めるには、グレゴリオと同程度以上のレベルで、同程度以上の戦闘経験を持ち、同程度以上に容赦のない、そんな人材が必要である。ちょっと俺の記憶にも心当たりがない。  茶色のフード付きの外套を羽織る。まだ少し沈んでいるように見えるアメリアに指示を出す。 「一個一個問題を片付けよう。アメリアはクレイオへの現状報告と、藤堂達の動向の監視を頼む。藤堂達の動きに異変があったら即座に知らせてくれ」 「わかりました」  切り替えが早いのか、感情の隠蔽が得意なのか、アメリアの声色はいつものそれに戻っていた。  一歩近づき、その表情をじっと観察するが何も見えてこない。  アメリアの方は首を傾げてこちらを見ている。もう大丈夫なのか?  ……一度、ケアしてやったほうがいいかもしれないな……酒に付き合うのは気が進まないが。 「……行ってくる。グレゴリオが教会に戻ったのを確認したらすぐに戻ってくるが、それまでに何かあったら随時連絡を」 「はい。わかりました」  メイスを置いていくべきか迷う。荷物になるし、俺のバトルメイスはアメリアの持っているメイスと比べて目立つ。  だが、もし万が一グレゴリオと戦う事になったとすると、メインウェポンなしで戦うのは非常にリスクが高い。俺に退魔術が効かないように、グレゴリオにだって退魔術は効かないのだ。  結局持っていく事に決めた。ついでに懐にちゃんとナイフが収まっている事も確認する。一般的に、人間は柔い。鎧などを着込んでいないグレゴリオにナイフは非常に有用である。もしかしたら俺のように、法衣の下にチェインメイルを着ている可能性もあるが、その時は顔や手などの露出部に当てればいい。眼球にナイフをつきたて脳髄をかき回せば、さすがのグレゴリオも死ぬに違いない。  トランクを盾にされたら歯が立たないが……。  装備を確認する俺に、アメリアが呆れたような口調で言った。 「アレスさん、やる気満々ですね……」 「……違う。これはあくまで念のため、だ。奴は有用だ。どうせ死ぬならこんなところで死なず、魔王に特攻して死んで欲しい」  そうすれば、その後に戦う事になるであろう、藤堂達の勝率も多少は上がる事だろう。 § § §  レベルとはその者の持つ存在力の指標であり、高ければ高い程その存在は生物として強力だが、同時にそれはこの世界での権限レベルを指す。  そう、権限レベルだ。レベルを上げた人間はレベルの低い人間ではどう足掻こうと出来ない事ができる。本来出来ない事を実行する権限がある。  それは、魔力が高まるので使える魔術が増えるだとか、腕力が上がるので重いものを持てるだとか、そういう話ではない。  それは例えば、物理現象を無視しある程度の重力を無視して素手で垂直の壁を登る事であり、完全に気配を消す事であり、数キロ先から気配を察知する事であり、殺意で人の動きを完全に拘束する事だったりする。  そして、異端殲滅官はそのレベルが他の戦士と比較し、おしなべて高い傾向にあった。  それは、そのレベルの戦闘能力がなければその職務が務まらないという事であり、同時にその任務の過酷さを物語っている。  俺のレベルは異端殲滅官の中では一番高いが、俺が異端殲滅官になるずっと前から魔族を殺しまくっているグレゴリオのレベルも当たり前に高い。  気配を完全に消し、距離をとってグレゴリオを追跡する。  彼我の距離、およそ三百メートル。遮蔽物もあり、姿は見えない。  人通りは多くはないが、少なくもない。強い風の音に足音。話し声。雑多な騒音の中、意識を感覚に集中しながら歩いている俺の耳にふと、グレゴリオの呟きが聞こえた。  独り言だ。淡々とした声はまるで誰かに話しかけているようで、しかし周囲に他の人間はいない。 「ああ、アレス。貴方は……強い」  音量は小さい。レベルが高いから聞き取れているのだ。恐らくレベルの低い一般人では、ごく近くにいても聞き取れないだろう。そんな声。 「貴方はまさしく神に選ばれてる。尽きぬ神力、鋼の精神、淡々と敵を処断する貴方はまさしく――第一位に相応しい。ああ、アレス。僕は――貴方と初めて出会った時……とても驚いた。まさかこのような人間が存在するなど、と。多くの僧侶と出会ってきたが、僕が驚いたのは後にも先にも――一度だけだ」  その淡々とした声、賞賛の声が酷くおどろおどろしく聞こえる。  俺は凡人だ。ただレベルが高く、そして運が良かっただけ。だからその声は的外れだし全く嬉しくもなんともない。  言葉を発し続けながらも、その脚は止まる様子がない。その足取りは迷う事無く、俺の要求した通り第三教会に向かっていた。 「超越者。異端殲滅教会の『超越者』。二位は有象無象の類だ。他の異端殲滅官も取るに足らない。ああ、だが貴方は、貴方だけはッ! 僕は神が貴方にどのような試練を、運命を下したのかとても……興味がある」  その足が目的の教会の前で立ち止まる。  結局、外に出てからグレゴリオは一度も不自然な動きを見せなかった。 「これは運命だ」  唯一の不自然な声はその声のみ。いつしか、その声は独り言ではなくなっていた。  まるで歌うような声。やや感極まったようなその声に、俺も立ち止まる。  姿の見えない距離、騒然とした周囲の状況。例えば俺とグレゴリオの立ち位置が逆だったとしたら、俺はグレゴリオの追跡に気づけないだろう。  それを想定していなければ。 「アレス、貴方は今日この日に僕と出会ったのが偶然だと考えているかもしれませんが、これは……運命だ。僕たちは神の導きに従い、然るべくしてこの場所で出会った。忘れてはならない。僕も貴方も所詮は――運命の歯車の一つに過ぎないのです」  その声には確信の響きがあった。  狂信者なりの信条か。  ……チッ。これは、尾行がバレてるな。  いや、バレても構わない。元々、奴の勘が鋭い事はわかっていた。  だが、バレても構わないが……尾行に気づかれたというその事実はかなり重い。  自分が信頼されていないという事さえも折込積みか?  狂信者ではあっても、完全に狂ってはいないと言うべきか。激しい『狂気』と垣間見える『理性』。 「ご安心ください。アレス。僕は今のところ、一切貴方の試練を邪魔するつもりはありません。大人しく――教会に閉じこもる事にしましょう。久しぶりに普通の教会の仕事をするのも……悪くはない」  疑心暗鬼。どうしても信じられない。  本当に大人しくしているつもりなのか。殺してしまった方がいいのではないか。  かつてアメリアは疑心を悪徳と断じた。だが、奴にはそれを抱かせるだけの実績があるのだ。 「さようなら、アレス・クラウン。願わくば再び相見えん事を。神の――御心のままに」  扉が閉まるばたんという音。それを最後に、グレゴリオの気配が消えた。  数秒がまるで数分のようにも感じた。しばらく待ち、グレゴリオが出てこない事を確かめる。確かめ、俺はようやく踵を返した。  いつの間にか荒くなっていた呼吸を整える。恐ろしい男だ。奴は俺を超越者と呼んだが、俺には奴の方がよほど超越しているように思える。  スペック上は負ける余地がないはずなのに、全く勝てる気がしない。それは恐らく、奴が俺の持たない信仰を持っているからなのだろう。狂っていても偏っていても、強い意志を持つ者は手強いものだ。 「運命の歯車、か」  グレゴリオの言葉を口の中で反芻する。  それこそが俺の神への信仰が浅いその理由でもある。今この状況が全て神の導きによるものだとしたら、俺は神をぶん殴ってやりたい。  ちょうどその時、アメリアから通信が入る。  ここ一日、グレゴリオの事で占めていた頭を切り替える。とりあえずグレゴリオの方はその言葉を信じるしかない。 『スピカの件なのですが――』  アメリアの言葉に耳を傾ける。  アメリアからの通信。それは、状況が動く事を示していた。  それがいい事なのか悪い事なのか、グレゴリオの言う通り神の導きによるものなのか、俺にはわからない。 page: 64 第十三レポート:希望の光  最終的に何が決め手になったのかわからないが、元々その判断はスピカに任せていたものだ。  急ぎ足で宿に戻った俺を、私服に着替えたアメリアが迎えた。  メイスを壁に立てかける。外套を脱ぎ、それを掛ける。その間も、俺はずっとどうすべきか考えていた。 「おかえりなさい、アレスさん。どうでしたか?」 「ああ、問題ない。グレゴリオがしばらく外に出る事はないだろう」  観察すれば嘘をついていないかどうかくらいわかる。  少なくとも今の時点でグレゴリオが何かしでかす気はないだろう。状況が変わったらどうなるかわからないが……。  そして、別の教会に滞在する藤堂たちが、用事のない第三教会にわざわざ行くという事もまたあり得ない。  グレゴリオの方から思考を切り離し、アメリアに尋ねる。 「それで、スピカの方は?」  アメリアからの連絡。それは、スピカが藤堂のパーティに入る事を了承したという報告だった。  俺の中でのスピカの評価は下の中だ。  アンデッドに対する恐怖は拭ったし最低限のレベルにはしたが、スピカには経験がなく知識もなく、年若く才能がなくそして何よりも、リミスやアリアと違って藤堂のパーティに入る理由がない。  メリットは大きいがそれ以上にデメリットが大きい。スピカは現段階では空っぽの器だ。足りないものがありすぎるのだ。  俺はスピカに藤堂のパーティに入るべきか問われた際に、スピカの意志に決定を委ねた。しかし本音を言わせてもらうと、入るべきではないと思っていた。アリアやリミスも途中で死ぬ可能性が多分にあるが、それ以上にスピカが死傷する確率は高い。彼女はあくまでただの教会の手伝いをこなして生きてきた孤児であり、経験は浅くとも魔物との戦闘に手間取らなかったリミスやアリアとは違う。  といっても、今更詮無きこと。その意志は何者よりも優先される。藤堂が参入を断るのならばまだしも、藤堂の方からスカウトをかけてきているのだ。  スピカが藤堂のパーティに付いていくと決めたのならば、俺たちはそのサポートに当たる。それだけの事だ。  僧侶として動いていくための心得に、そのための装備。レベルの上げ方、神力の高め方。それらを、同じく僧侶として生きてきた俺はよく知っている。  最低限の装備は既に与えてあるが、本格的に藤堂達に付いていくのならば揃えるべきものはまだ沢山あった。 「必要な道具を揃える。教会に連絡してくれ」 「既に連絡済みです」  道具の類は教会を通じて与える事ができる。この街に在庫がなかったとしても次の街までに本部から取り寄せればいい。  一番大きな問題は、スピカ自身の能力をどうするかにあった。  神聖術が使えないのはまだいい。あれは、時間さえあれば誰でも使えるようになるものだ。また、俺はスピカの前で一度『奇跡』を見せ、その信仰を補強している。手順さえ誤らなければそう遠くない内に神聖術を使えるようになるだろう。 「問題はスピカのレベル上げをどうするかだな……」 「そうですね……」  僧侶のレベル上げは大変だ。教義故に刃物を持つことができず、神聖術には一般的な魔物に対する攻撃魔法が存在しない。  どのパーティでも僧侶のレベル上げは悩みの種である。特にスピカはまだ十二歳、筋力がまだ発達しておらず、俺の持つようなバトルメイスも満足に振り回す事が出来ない。  一番効率がいいのは、俺がやったように強力な補助をかけてアンデッドを相手に戦わせる事だ。だが、それではまともな戦闘経験も積めないし、そもそも、低レベル向けでレベル上げに適したアンデッドの生息する地はここくらいしか存在しない。退魔術を覚えればアンデッド相手に一人で戦えるだろうが、どれ位で覚えられるかには個人差がある。  この地でしばらくレベルを上げさせるべきか……?  アンデッドを恐れている藤堂がそれを是とするだろうか?  僧侶は意識してレベルを上げていかないと、あっという間に他のメンバーとレベル差が発生してしまう。 「アメリア、アメリアはどうやってレベルを上げた?」 「私は……魔術も使えますので、退魔術を覚えるまではそれで……」  こいつ、まさか攻撃魔法も使えるのか……?  思わずアメリアの方をまじまじと見つめる。  まあ、下位の攻撃魔法よりも難易度の高い探査魔法と通信魔法を使えるのだ、別に何ら不思議ではないが……全然参考にならねえ。  俺の視線に、アメリアが顔を背け、聞き返してくる。 「アレスさんは?」 「俺は最初から退魔術を使えてたからな……」  退魔術だけではない。補助魔法も回復魔法も使えていたし、メイスも振り回していた。加えて、異端殲滅官は特例で刃物を持ち歩くことが許されている。  眉を潜め、昔を思い出す。 「最初はパーティに入って戦闘経験を積んだが……困った事はなかったな」  そもそも、俺のバックボーンは一般的な僧侶とは違う。  俺は異端殲滅官にスカウトされて教会に入ったので、教会側から与えられたカリキュラムもそれに準じたものだった。参考にならない。 「せめて三ヶ月くらいくれれば、最低限鍛えられるんだが……」 「三ヶ月ですか……」  戦士は一日にしてならない。実践は人を大きく成長させるがそれにだって限界はある。  今回の場合スピカに課されるべき役割は補助なのでまだマシだが、ある程度のレベル上げは急務だった。  次向かう予定になっているゴーレム・バレー。そこに生息する魔導人形は非常に防御力が高い事で有名であり、例えば、俺はヴェールの村でリミスに銃を買い与えたが、あれを使ってもその装甲は貫けないだろう。  その手の魔物は打撃武器と相性がいいが、今のスピカじゃ倒すのは無理だ。というか、無理。力がないのである。もしかしたらアメリアでも難しいかもしれない。  元々、スピカが藤堂のパーティに入る事にした場合、藤堂と一緒にこの地でレベル上げをさせるつもりだったのだ。あの男がいなければ。 「ゴーレム・バレーに向かう前に間に一個別の場所を挟むべきか?」 「……」  いや、それこそ本末転倒だ。効率。効率を重視しなくては。  重要なのは藤堂だ。藤堂だけだ。効率を落としてレベル上げが足りなくなったら目も当てられない。既にレベル上げは遅れているのだ。最悪スピカは……死んでもいい。  息を飲み込み、冷静さを取り戻すべく試みる。  アメリアが俺の答えを待っている。彼女はあくまでサポートであり、最終的には俺が決めなくてはならない。  そこまで考え、俺は自らの誤りに気づいた。  違う。違うな。最終的に決めるのは俺じゃない。藤堂だ。俺に出来る事はあくまで誘導であり、ユーティス大墳墓に進路を変更したのも奴の意志であり――。  ふと先程のグレゴリオの言葉を思い出す。  運命の歯車。  顔を上げる。腹を決めて、じっとこちらを見ていたアメリアの方に視線を合わせる。 「グレゴリオとは交渉した。少なくとも、数日は大人しくしているだろう。数日でスピカのレベルをある程度上げ、藤堂たちがアンデッドを克服し、次のフィールドに向かうのが最善だ」  最善。ただの最善だ。世の中、そううまくはできていない。その事を俺は、ヴェールの村で痛いほど思い知ってる。  だがやるしかない。うまくいかないとわかっていてもやるしかない。 「それまでにこちらも準備……ですか」 「こちらの準備は引き続き進める。だが、藤堂たちがどうするかは藤堂次第だ」  完全なカバーは無理だし、完全な誘導もまた無理だ。そもそも、聖勇者の行動を強制する事は出来ないし、強制したところで藤堂は大人しく従うような玉ではない。 §  自分の意志で決めろ、とアレスは、そして藤堂は言った。  それは優しく、しかし残酷な言葉だ。スピカ・ロイルは自らの意志で何かを決めた事が殆どない。  だから、一晩ゆっくりと考えた末、最終的にスピカが頷いたのは、スピカを頷かせたのは結局のところ、藤堂がスピカを助けに来てくれたからとかそういう理由ではなく、女だとわかったからとかそういう理由でもなく誰かに必要とされるという事実が嬉しかったからなのだろう。  それでも、スピカの中には僅かな迷いが、不安があった。  ほぼ初めて自分で決めたその選択が正しいのか、どうか。  今までずっと、孤児だった自分の世話をしてくれたシスターの元にその事を伝えにいったその時も、スピカはずっと迷っていた。  あらゆる他愛もない考えが頭に浮かび消えていった。それは、今後の先行きについてのものだけではない。  例えば――今まで教会で下働きをしていた自分がいなくなって大丈夫か。他の友達に負担がいくのではないのか。そして、自分の決定が今まで育ててくれたシスターに対して恩を仇で返す結果にならないか。  だから、今までずっと自分を育ててくれた初老のシスターが微笑んでスピカの決定を肯定してくれた時は驚いたし、それ以上に嬉しかった。 「スピカ・ロイル。貴女がそう決めたのならば、私は秩序神の信徒としてその前途を祝福しましょう。今後貴女の往く道に幸多からん事を」  シスターのその言葉が、即座に出された了承が、事前にアレスにより成された根回しによるものだとスピカが気づく事はなかったが、とにかくその答えにより、スピカの中にあった迷いは消えないまでも、小さくなったのである。 「スピカ……本当にありがとう。君の決意に僕は敬意を表する。一緒に頑張っていこう」  藤堂が滞在している第一教会の一室。藤堂が厳かな声でスピカの加入を祝福した。  教会に部屋を借りているので歓迎会のような事はできなかったが、卓の上には飲み物と軽食が並んでいる。  スピカの参加前まではその若さ故にその参加に難色を示していたアリアとリミスも、今はただ藤堂と一緒に祝福の言葉をかける。  グレシャはいつもと変わらない表情で何も言わずに干し肉を齧っている。 「改めて……アリア・リザース。このパーティでは剣士を担当している。これからよろしく頼む」 「リミス・アル・フリーディア。精霊魔術師よ。得意なのは火の魔法。貴女と同じ後衛だから……よろしくね」 「スピカ・ロイル。レベルは10。僧侶の見習いで……まだ神聖術は使えません。よろしくお願いします」  各々自己紹介を行い、最後に藤堂が立ち上がる。 「藤堂直継。このパーティのリーダーだよ。基本的には剣で戦うけど、魔法も神聖術も使えるから……神聖術を教える事も出来ると思う」 「神聖……術……?」  その言葉にスピカが瞬きして藤堂を見る。  神聖術は僧侶以外は使えないはずだ。少なくとも、スピカは他に使っている者を見たことがない。  スピカは内心首を傾げたが、すぐに自分の知識が足りていないのだろうと納得する事にした。 「よろしく……お願いします」 「ああ。よろしく」  藤堂が笑顔で差し出した手を握り、握手を交わす。  そして、スピカはずっと気になっていた事を聞いた。何一つ言葉を発する事なく、ムスッとした表情でずっと干し肉を齧っている少女の方に視線を向ける。  藤堂たちとは何度か顔を合わせたが、その女の子が言葉を話しているのを見たことがない。 「あの……そこの子は?」 「ああ……彼女は……グレシャだよ。ちょっとした事情があって……行動を共にしてる。……あまり話さないけど……たまに役に立つんだ」  名前を呼ばれ、グレシャは一瞬藤堂の方に視線を向けるが、すぐに視線を背けた。  その挙動に、藤堂が諦めたような笑みを浮かべる。  グレシャとのコミュニケーションは藤堂パーティの持つ課題の一つだった。  大墳墓の中で全滅した際に運んでもらったり、役に立つ事は立つのだが、いくらコミュニケーションを取ろうとしてもなかなか話そうとしないのでどうしようもない。何を考えているのかもわからない。  仲間に入れてから十日あまり。根気よく話しかけてはいるが、今のところ大きな進歩はない。  そんなグレシャの肩をリミスが軽く叩く。 「グレシャ。自己紹介は?」 「……」  不審そうな表情でグレシャがリミスの方を見る。口を開きそうにないグレシャに、リミスが深いため息をついた。  想像通りの結果に、藤堂が苦笑いで続ける。 「言葉は話せるんだけど、まだあまり慣れてなくて……」 「小さいけど力が強くて……後は、そう。食べるのが好きね」  藤堂の言葉を引き取り、リミスが説明する。  グレシャと一番接しているのはリミスだ。共に後ろの方にいるというのもあるし、リミスが自分よりも小さいグレシャに対して世話を焼いているという事もある。  全く気を払う様子もないグレシャを置いて、リミスが紹介を続ける。 「後は……いつもお腹空かせていて――」 「お腹すいてないです」 「!?」  急に出されたその言葉に、リミスが目を見開いた。  視線がグレシャに集中する。干し肉を口の中に全て入れ、もぐもぐと咀嚼し、グレシャがもう一度言う。  まつ毛が震え、その透き通る翠の眼が順番にメンバーに向けられる。 「お腹……すいてない……です」 「……らしいわ」  困ったような表情でリミスが藤堂を見る。藤堂が困ったような眼をアリアに向ける。アリアは困惑した。 「……と、まぁこんな感じでたまに話すわけだ……」 「そ、そうなんですか……」 「お腹……すいてない」  言い終わるとほぼ同時にグレシャの腹からぐるるるという音が響き渡る。  リミスが立ち上がり、部屋の隅に置いてあった袋から買ったばかりの干し肉を一枚取り出し、グレシャに渡した。  グレシャが無言でそれを受け取って、再び齧り始めた。 「まぁ……よろしくしてあげてよ。基本的に戦闘には参加しないから」 「はい……わかりました」  スピカはこの不思議なメンバーと一緒にやっていけるかどうか不安になったが、一端それは頭の隅に追いやる事にした。現実逃避とも言う。  そんなスピカの事を穏やかな眼で見ていた藤堂が、アリアの方に話しかけた。 「アリア、スピカのレベル上げはどうするべきだ?」 「……レベル10の僧侶、ですか……」  藤堂の問いに、アリアの視線がスピカに向く。  そのまましばらくスピカをじっと見つめ沈黙していたが、やがて言いづらそうに唇を開いた。 「正直……レベル上げの方法はかなり限定されるかと思います」  スピカが一言たりとも聞き逃すまいと、真剣な表情で息を飲む。  僧侶としてパーティに参加することの危険性は聞いていたが、スピカの持つ僧侶についての知識は少ない。元々スピカを育ててくれたシスターもスピカを僧侶にするつもりはなかったためだ。  だから、アリアの話し始めた情報は初めて聞くものだった。 「そもそも、攻撃手段の乏しい僧侶はレベルを上げづらいものですが……スピカは若すぎるのです。通常、子供がレベル上げをするには、大人が魔物を半殺しにしてとどめだけ子供に任せるといった方法を取ります」 「あるいは、檻に入れた魔物に攻撃魔法を当てたり、ね」  リミスが自分が初めてレベルを上げた時の事を想起しながら言う。  元々、人族の身体能力は魔物よりも低い。子供ともなれば尚更だ。子供のレベルを上げるには手間がいる。それこそが、余裕のないピュリフの村でスピカのレベルがたった3だった理由でもあった。  アリアがスピカの方をじっと観察する。折れそうな程華奢な腕。リミスと比べても小さい身体。リミスと異なりやせ細った身体はその生育環境があまり豊かではない事を示している。 「ある程度成長すれば筋肉もつきますが、十二歳では身体能力も成長しきれていない。リミスのように魔法を使えれば話は別ですが、剣術も魔法もある程度形にするには長くの訓練が必要です。今からやっても形になるのは随分後でしょうし、そもそも僧侶は……教義により、剣を握れません」  アリアのその言葉に、藤堂はアレスがいつも持ち歩いていた武器を思い出した。 「あー……あれ、かぁ……」  棘付きの鉄球のついた長い錫杖。アレスがバトルメイスと呼んでいた凶悪な武器を。  その重量を利用して叩き潰す武器であり、実際にそれで戦っている姿は見ていないものの、振り回すのを見せてもらった事があった。  アレスはまるで木の棒か何かのように軽々と振り回してみせたが、目の前の少女にそれが出来るとは思えない。そもそも、アレスの使っていたバトルメイスは目の前の少女の身長よりも大きかった。  アリアも藤堂の連想したものがわかったのか、深刻そうな表情で頷く。 「そう。あれです」 「……確かに、無理だよね……スピカにあれは……」 「……まぁ、バトルメイスは普通の僧侶が扱う武器ではありませんが……そういう意味で彼は……本当に『例外』でした」  僧侶は後衛であり、あくまで補助職であり、その真髄は神聖術である。敵を撲殺する必要はないため、バトルメイスのような重量のある武器を使う者は多くない。  そういう意味で、あの元パーティメンバーは異常だった。アリアはその事を改めて噛み締め、しかしすぐに思考を戻す。今はスピカの、目の前の見習いシスターの話だ。  傭兵パーティをいくつも見てきたアリアには、スピカのレベル上げが如何に難事であるのかがわかっていた。そもそも、自分達のレベル上げさえ予定通りに進んでいないのだ。だが、僧侶抜きで旅を進めるリスクを考えるとそれは、いずれぶつかる壁でもある。 「次に向かう予定だったゴレーム・バレーの敵は恐らくスピカの攻撃では……倒せないでしょう。あそこの敵は硬い事で有名ですから……例え倒せたとしても、かなりの手間と時間がかかってしまいます」  藤堂とアリアにはトップクラスの武器があるし、リミスには高位の火精がいるが、スピカにはそれがない。 「……他の場所でいい場所がある?」 「いくつか心当たりはありますが――」  ルークス王国は広い。  レベルアップに使える地はいくつもあるが、現在知られている中でゴーレム・バレーよりも効率のいい地はなかった。少なくともアリアには心当たりがない。  藤堂の難しい顔を見て、アリアはそこで深くため息をついた。まるでその身体の中の弱気を吐き出すように。  長く時間をかけて息を履き終えると、何時も通りの表情に戻し、藤堂に告げる。 「一番いいのは……その……ここでレベルを上げる事かと思います」 「……うぇ!?」 「ここは……その、元々、僧侶のレベル上げの効率としてはトップクラスの地ですから……」  蛙が潰れたような声。一気に藤堂の表情から血の気が引く。  忘れよう忘れようとしていた大墳墓の光景が蘇った。具体的にはリビングデッドとレイス、アンデッドの姿が。  元々聞いていた話とはいえ、目の前で起こったその表情の変化にスピカが目を見開き、凝視する。  その視線を受け、居たたまれなそうに藤堂が顔を背けた。 「その……私も正直気が進みませんが……」 「……い、いい。最後まで聞こう。聞いてから判断しよう」  藤堂の言葉に、アリアが一度頷き、 「ここのアンデッドは……下位のアンデッドは、防御力が皆無に等しく、対策さえ十分にとれば恐れるような相手ではありません。対策さえ十分にとれば」 「対策……ね。怖いのって消せるかな?」 「……ナオ、貴女何言ってるの?」  リミスの呆れの滲んだ言葉に、藤堂がそっぽを向く。そして、偶然スピカと視線が合い、下を向いた。  そんな藤堂の様子を無視して、アリアが続ける。 「特に……アンデッドは神聖術、退魔術を最大の弱点とします。ヴェールの森で仮面の男が放った光の矢――あれほどではなかったとしても、最低限の退魔術でも、最下位のアンデッドならば十分に倒せるでしょう」 「……使えないじゃん。退魔術」  そもそも、藤堂はその当の退魔術を手に入れるためにユーティス大墳墓を次の目的地と定めたのだ。  ようやく仲間に出来た僧侶も見習いで、神聖術すら使えない。     そこで、アリアが一度水を飲み喉を潤し、まるで子供に道理を説くかのような超えで言った。 「そこです。使えないのならば……教えて貰えばいいんですよ。使える人に」 「……あー、なる程ね」  アリアの言葉の意図に気づき、藤堂がその視線をスピカに向けた。  神聖術は教義により、僧侶にしか教えられないが、今は見習いとはいえ、スピカがいる。  アリアの言葉。それに納得の様相を見せる藤堂とリミスを見て、スピカが首を傾げた。 page: 65 第四報告 アンデッドの克服状況について 第十四レポート:サポートするのに必要なもの  俺達、異端殲滅官はその職務を全うするため、一般的な僧侶としても高い地位――司教位を受けている。  アズ・グリード神聖教は基本的に縦社会であり、例えそれが外様の神父だったとしても、位の高い神父を無碍に扱う事はない。  俺達がピュリフの教会に出した僧侶の装備を欲しいという要求も、スピカを僧侶としてパーティに参加させるという要求も、表向きは好意的に承諾された。  ピュリフの孤児たちの世話をしていたという初老のシスター。スピカの育ての親とも呼べるシスターヨランデが心配そうな目、すがりつくような声をあげる。 「しかし、アレス司教。スピカは……あの娘は僧侶として全く何の訓練も受けておりません。本当に大丈夫なのでしょうか?」  血の繋がった娘ではなくとも、彼女にとってスピカは娘みたいなものなのだろう。  大丈夫なのかと言われると割りと大丈夫じゃないが、既に賽は投げられてしまった。  できるだけ穏やかな声色を作る。  藤堂のパーティに参加するスピカを、この先のスピカの未来を彼女が確認する事は……まずない。 「シスターヨランデ。例え僧侶となるべく修練はなくとも、スピカは教会で育てられ……敬虔なシスターを見て育っている。必ずやその土壌は彼女を優秀なシスターにするでしょう」  すらすらと思ってもいない事が口から出てくる自分に若干の嫌悪を覚えながらも、しかしこの工程は必要なものだ。不安を残すと碌なことにならない。  薬指に装着された黒の指環を擦る。異端殲滅官たる証を。  あらゆる罪悪は教会の名の下に許容される。 「ご安心を、シスターヨランデ。秩序神は間違いなく彼女を祝福しています」 「……はい。スピカを……よろしくお願いします」  頭を深々と下げるシスターに、やるかたない気分でため息をついた。  シスターに別れを告げ、教会の倉庫に入る。スピカでも使える道具を確かめるためだ。  法衣の予備も必要だし、他にも有用な物があるかもしれない。  倉庫の明かりをつける。定期的に掃除はされているようだったが、倉庫の空気はどこか埃っぽい臭いがした。  ざっと確認するが、辺境の教会の倉庫らしく貴重な物は殆どない。  基本的なメイスに教会指定の法衣。聖水用の瓶などはあるが、もしあったらいいなと思っていた聖銀製の道具も無ければ、ただの銀製のアクセサリーなどもないようだ。ピュリフの教会は財政的に厳しいそうなのでそれらは教会の運営に回されているのだろう。しかしこれならば、教会総本山に申請し取り寄せてもらった方が余程質のいいものが手に入る。  既にアメリアにはその申請はやってもらっているので別にそれはそれで構わないが、期待はずれな感は拭えない。こういった辺境の教会などに宝が眠っているパターンもまあまああるのだが、都合良くはいかないという事だろう。  棚から子供向けの新品の法衣を数着取り出し、机の上に積み上げる。箱の中からアズ・グリードの教えを綴った新品の教典を一冊取り出す。  アズ・グリードの教典は本来、僧侶ならばどんな見習いでも持っているものだが、スピカの場合形だけ急遽整えたのでまだ持っていない。  神聖力の源、神力は信仰に比例する。教典を読み解くだけでそれなりの神力は得られるし、後は訓練の具体的な方法を書いた紙をここに挟んで渡せばいい。  できれば手ずから教えてやりたいが、いちいち来てもらうのも不自然だ。俺にできるのは隙を見て習熟度を確認するくらいだろうか。  棚を漁っていると、その奥にあった小さな箱の中にアクセサリーを見つけた。  アズ・グリードのシンボル。天秤を模した十字架のついたネックレス。細かな鎖に下がったそれを持ち上げる。  本来僧侶の装飾具は闇の眷属が忌避する聖銀製、あるいは最低でも銀製である事は望ましい。僧侶のつけるそれらは、自身でかあるいは上位者の僧侶が神聖術による祝福を込めたもので、ほんの少しだが闇の眷属の攻撃から身を守る効果がある。  そのネックレスは安価な赤銅製で、祝福を込めるにしてもあまり適した素材とは言えないが、だからこそ倉庫に残されていたのだろう。  スピカの装備は藤堂達の装備よりも遥かに弱く、スピカに藤堂達並の装備を用意する事も難しい。奴らの装備の質は最上級の傭兵の装備に匹敵している。  だが、繋ぎとしては十分か。あまり高級な装備を与えると、逆にそれを目印に闇の眷属に襲われやすくなる可能性もある。特に僧侶は闇の眷属に狙われる。自分でそれを退けられるようになるまで、あまり高級品を与えるのは逆効果だ。  拝借するものをまとめ、箱にいれる。  シスターを通してスピカに預けよう。事情はアメリアから通信で伝えればいい。    箱を抱え、倉庫から出て再びシスターヨランデの元に向かおうとしたその時に、頭の中でアメリアからの通信が繋がった。  聞き慣れた声に、足を一瞬止める。が、すぐに移動を再開する。  急に頭の中で声がするのもすっかり慣れてしまったな……。  アメリアは、挨拶を飛ばしすぐに本題に入った。 『藤堂さん達ですが、ここでしばらくレベル上げをする事にしたようです』 「そうか」 『アリアさんの案だそうです』 「そうだろうな」  アリアの家は生粋の武家だ。アリアにもそのノウハウは十分に引き継がれているのだろう。  経験がまだ浅いので酷い勘違いをしたり危機感が薄かったりするが、それでも彼女は自分に出来る事をやろうとしている。俺の個人評価でも、藤堂パーティでは一番評価が高い。未来ないけど。  アンデッドが苦手だったとわかった時にはどうしようかと思ったが、判断に私情は挟まなかったようだ。  基本的な行動方針として、勇者は一つの街に長く滞在出来ない。その存在を察知し、魔族が襲ってくる可能性があるためだ。  ピュリフに滞在してもう既に一週間近く経っているので、長くても後二週間かそこらだろう。そのくらいならばグレゴリオも閉じ込めておける。いや、閉じ込める。 「スピカのレベル上げももちろんだが、都合がいい。最初にやろうとしていた藤堂とアリアのアンデッド克服も一緒に行ってしまおう」  元々は大量のアンデッドを倒せば克服出来るだろうという作戦だったが、それ以上に目の前で自分達よりもずっと小さなスピカがアンデッドをぶち殺すのを見ればアリアと藤堂も流石に発奮するんじゃないだろうか。いや、俺が藤堂の立場だったらだったら間違いなくするね。  藤堂の行動指針がわかったので、プランを立て直す。  今回の相手はアンデッドだ。  元々スピカには、習得する神聖術として回復や補助などを優先して習得させよう考えていたが、レベル上げをするのならば退魔術を先に教えた方がいい。補助と回復は藤堂も使えるし、ある程度はポーションで代用出来る。  また、退魔術を使える僧侶がいれば藤堂達の恐怖も多少緩和するはず……。 「先に退魔術を教えよう。最初だけ対面でやってみせよう。スピカとのスケジュールの調整を頼む」 『あ……その事なんですが――』  アメリアの言葉に、一端立ち止まる。 『藤堂さん達も含めて全員で教会の僧侶に教えを乞いに行くとの事です』  教会の僧侶……?  確かにピュリフの教会には大勢僧侶がいるが、彼らは傭兵じゃない。一通りの神聖術は使えても有象無象の類である。レベルが高いのも、本部から教会の管理者として送られている神父くらいだが、その神父もアメリアよりレベルが低い程度だった。  最下位の退魔術を教えるくらいなら出来るはずだが、いい教師とは言えないだろう。  神聖術を乞う相手として教会の神父を選ぶのは間違えていないが、今回はあまり適任ではない。ヴェール村の教会を管理していたヘリオスとかだったらそこそこ良かったんだが……。 「相手は誰だ?」  『そこまでは……確認します』  既にピュリフに存在する三つの教会全てに顔を出している。一通り神父にもシスターにも会ったが、藤堂たちは誰に教えを乞うつもりなのだろうか。  何にしても、自ら問題を解決しようとするのはいい事だ。それは経験になる。  だが、教会の僧侶と言ってもみんながみんな親切なわけではない。根回しはしておいた方がいいだろう。  ただでさえ、奴らは新しい僧侶を派遣してもらえなかった件で教会に不信感を持っているはずだ。印象は向上させておいた方がいい。  ピュリフの教会の面々を脳裏に浮かべる。場合によっては、教えを乞われた神父から別の神父を紹介させねばならないだろう。  んー……俺が仮面を被って教えるのは……無理だな。アメリアでも不自然か? 偶然という事で押し通せるか?  いや、スピカだけならば俺が別枠で教えればいいだけの話だ。藤堂にはスピカを通して教えればいい。今回教えを乞う相手が誰だったとしても大きな問題にはならない。  確認のため切断されていた通信が蘇る。  そして、アメリアの驚くほど昏い声が言った。 『グレゴリオです』 「……」 page: 66 第十五レポート:神聖術に必要なもの  グレゴリオ・レギンズ。  年齢不詳。温和な雰囲気を纏い、回復魔法を使えない異質な僧侶。  退魔術を覚えればいいという結論が出たその時に、藤堂やアリアたちの頭の中にその男が浮かんだのは、つい先日知り合いになったばかりだというのも理由の一つだが、何より大墳墓を共に歩いた際に垣間見た烈火の如き戦闘風景が酷く強烈に記憶に染み付いていたからだろう。 「……いきなり行って大丈夫かな?」 「……わかりませんが、試してみるしかないでしょう。何よりも彼は……少なくとも、私達よりはレベルが高いはずです。教えてもらえるかはわかりませんが、話を聞くぐらいなら……」  不安げな表情の藤堂にアリアが答える。  レベルの高い僧侶は希少で、それ以上に鬼面騎士を相手に見せたその戦闘能力はその情緒不安定な戦いぶりを考慮しても、並外れた物だった。  『悪魔殺しのようなもの』と自称していた事といい、人選として誤りではないはずだ。  何より、藤堂達には他に僧侶の知り合いがいない。滞在のための部屋こそ貸してくれたが、教会の神父達とは親しくないし、スピカがいなくなった際に助けに行かない程度の者達である。  単身で大墳墓に入ろうとしていたグレゴリオの方が余程頼りになる。それがアリアの見解だった。 「他の術は使えないと言っていましたが、基本的な知識くらいは持っているはずです」 「……まぁ、そうだね……ちょっと変わっていたけど」  藤堂も、眉を顰めながらもその意見に賛成する。  男は苦手ではあったが、パーティに入れるというのならまだしも、教えを乞うのを躊躇う程狭量ではない。  別れ際にグレゴリオが言っていた通り、教会の神父に居場所を聞くと、すぐに第三教会に滞在している事を教えてくれた。  五人連れ立って、第三教会に向かう。  まだユーティス大墳墓に再度潜る勇気が出ていないのか、若干表情の暗い藤堂を元気づけるようにアリアが言った。 「私達は運がいい。悪魔殺しは数が少ないですから」 「そうなんだ……」 「スピカが退魔術を使えるようになったら、さっさとある程度レベルを上げて次の場所に向かいましょう」 「そんなに早く使えるようになるかな?」 「が、頑張ります」  第三教会は藤堂の滞在している第一教会よりも一回り程小さな建物だった。  立地が村の外れに位置しているという事もあり、周囲の活気も少なく漂う寂寞とした空気が不思議とその神聖さを際立てていた。  グレゴリオは第三教会の礼拝堂にいた。  その姿に一瞬呆気にとられ、すぐに正気に返ったリミスが声をあげる。 「……何、やってるの?」 「ん……ああ。リミスさんに藤堂さん。またお会い出来て……光栄です」  別れた際と全く変わらない表情。  誰もいない礼拝堂。グレゴリオが首だけ回し、リミス達の方に視線を向ける。  グレゴリオがいたのは、ステンドグラスがはめ込まれた高い天井の近くだった。その手は突起の一つもない壁を掴み、まるでヤモリのように張り付いている。  予想外の姿にとっさに何も返せない藤堂達を他所に、グレゴリオが手を離す。数メートルはある高さから音一つなく着地すると、ぱんぱんと手を払って近寄ってきた。思わず藤堂が一歩後退る。 「失礼しました。ステンドグラスを磨いていたのです」 「そ、そう……流石ね……」  困ったような表情でリミスが一言だけ返した。 § 「失礼しました。あのような姿を見せてしまって」 「い、いや……急に来た僕たちも悪かったので……ありがとうございます」  グレゴリオがいれてくれた紅茶。芳しい香りが漂うカップを受け取り、藤堂が困ったような表情で頬を掻く。  案内された部屋は藤堂達の借りていた部屋よりも家具も少なく、トランクケースが一つだけ置かれており、生活感がまるでない。  リミスがその部屋を興味深げに見回し、そしてグレゴリオに尋ねた。 「……ちょっと聞きたいんだけど……貴方、垂直な壁にどうやって張り付いていたの?」 「ああ。どうということもない、ただの……信仰ですよ」 「……そう」  そんな話聞いたこともない。リミスは改めて、目の前の男が変人の類である事を心に刻みつけた。  アリアがこほんと咳払いをして、スピカの肩に手を置いて言った。  「今日はグレゴリオ殿にお願いがあって参りました。お時間はありますか?」 「ええ。教会の外に出るような内容でなければ」  気を悪くする様子もなく首肯するグレゴリオに、ほっと息をつき、アリアが本題について話す。 「実は……退魔術を教えて頂きたいのですが」 「構いませんよ」 「実はつい先日助けにいったスピカが私達のパーティに参加してくれる事になったのですが――って……え?」 「構いませんよ」  予想外の即答に、アリアはまじまじとグレゴリオを見た。  あまりにも早い答え。あまりにも軽い言葉だ。本来、神聖術は教えて欲しいと言って教えてもらえるような類のものではない。  説得する必要があると思っていたアリアにとってその快諾は予想外だった。  呆気に取られる藤堂達に、グレゴリオがにこにこ笑って続ける。 「神の敵を討つ者が増えるのは喜ばしい事です。僕は常々、全人類がそうなるべきだと思っているのですよ」 「……神聖術は教会の秘匿技術では?」  一応、確認するアリアに、グレゴリオがあっさりと答えた。 「これは……神の意志ですよ。アリアさん。貴方がたが退魔術を覚えようと、そう考えたのならばそれもまたアズ・グリードの思し召しに他ならないでしょう。僕はそれに従うまでです」 「そ、そうですか……」  自分のイメージする僧侶とはあまりにも違うその考えに、アリアは自分の頬が引きつるのを感じた。  少なくとも、アリアの知るアズ・グリードの教義にそのようなものは存在しない。が、アリアはアズ・グリード神聖教の教徒ではあっても僧侶ではない。  その耳にぶら下がる僧侶の証を再度確認し、引きつっていた頬を無理やり緩める。信仰としての格は眼の前の男の方が間違いなく強い。  そこで、グレゴリオがふと気づいたように告げる。 「あ、一つだけ条件があります。僕は今……この教会から出ないように要請を受けております。それに反しない程度の協力になりますが、よろしいでしょうか?」 「は、はい。もちろんです」  元々、教えてもらえるとは思っていなかったのだ。  是非もない言葉に頷く藤堂たちにグレゴリオが一度頷き、一息に紅茶を飲み干した。 「とりあえずは……場所を変えましょうか。広いスペースが必要です」 § 「あの……事前に必要なものは?」 「信仰です」 「道具とかは?」 「いりません。信仰があれば」  スピカの問いに対して、自信満々にグレゴリオが答える。  プロの僧侶のその言葉に、スピカは余計な事を言うのをやめた。  僧侶アリアがそのやり取りを、正気を疑うかのような眼で見ていたが、結局特に何も言わない。  グレゴリオが先頭に立って案内したのは教会の中庭だった。  広さは四方数メートル程の狭い庭で、地面には石畳が敷き詰められ、中央には天秤を持った女神を模した像が申し訳程度に設置されている。  何気なくその像を見上げる藤堂に、グレゴリオが説明した。 「秩序神アズ・グリードに仕える女神の像です。天秤はアズ・グリードのシンボルであり、罪を計る天秤によって秩序神は世界を平定するとされています」 「罪を計る……天秤」 「僕の付けているイヤリングなど至るところで見られるでしょう。俗に言う……十字天秤と呼ばれるものです。シスタースピカは――」  そこで、グレゴリオの視線がスピカの耳元に向けられる。視線を受け、スピカが慌てて瞳を伏せた。 「――まだ持っていないようですが」 「ま、まだ神聖術を使えないので……」 「やむを得ない事です。かくいう僕も……神聖術を使えない頃はありましたから」  興味深げな目付きでスピカの方を確認し、持っていたトランクケースを地面に置く。  グレゴリオは一度手をぱんぱんと払うと、藤堂、アリア、リミス、グレシャ、スピカと順番に視線を投げかけ、唇をぺろりと舐めた。  その姿にまるで獲物を前にした蛇を連想し、リミスがぞくりと肩を震わせる。 「さて、まず初めに神聖術に必要なものが何か、ご存知ですか?」 「必要な……物?」  グレゴリオの視線はスピカに向けられていた。  その言葉に、スピカが女神の像を見上げ、必死に考えた。  脳裏に浮かぶのはスピカが今まで見てきた僧侶達の姿だ。  今まで見てきた教会の神父が神聖術を使う姿。  大墳墓に入った際にアレスが神聖術を使っていた姿。  神聖術を行使する僧侶はまさしく奇跡の体現者であり、村人にとっても傭兵にとっても尊敬される。  たっぷり一分ほど時間をかけ、スピカは一つの答えにたどり着いた。神聖術に必要なもの。つまりそれは、僧侶にあって村人にはないもの。  ヒントはあった。それは当の本人が散々言っていたものだ。 「……信仰心?」  恐る恐るといった様子で出されたその言葉に、グレゴリオが瞼を上げ、大げさに拍手をした。 「……素晴らしい。その通りです。シスタースピカ」  ゆっくりとグレゴリオがその歩みを進める。女神の像を見上げ、ゆっくりとその周りを歩く。  凝視する藤堂たち一行に諭すかのような声色で説明をしながら。 「我々僧侶の武器、メイスはその信仰の体現。神聖術もまたそれに準じます。レベルも身体能力も二の次に過ぎない。我々はその信仰を武器に神の敵を討ち滅ぼすアズ・グリードの使徒なのです。これは、これだけは忘れてはならない」 「ちょっと待って。信仰心があれば僧侶じゃなくても神聖術を使えるの?」  リミスのその質問に、グレゴリオは足をピタリと止める。そして、断言する。 「然り。今のリミスさんが神聖術を使えないというのならばそれは、信仰心の不足に他なりません」 「信仰心があれば魔族に勝てる?」 「然り。闇の眷属に敗北するというのならばそれは……その者の信仰心が足りていなかった。それだけの話です」 「そんな馬鹿な……」  取り付く島もないその言葉に、藤堂が眉を顰める。アリアもまたそれに同感らしく、低く声をあげた。 「つまり……グレゴリオ殿。今、諸国が魔王の猛攻に破れ次々と滅ぼされているのも信仰心の低さ故と、貴方はそう仰るのですか?」 「ええ。とても心が痛みますね」  にべもない様子で答えられたグレゴリオの言葉。  あまりにも乱暴な意見を述べるその神父に、アリアが口を開きかけ、しかしすぐに唇を噛んだ。  今の言葉が為政者の者だったならば、アリアも藤堂も一言口を出していただろう。しかし、目の前にいるのは神父であり、その信仰が常人のものではないのは明らかであり、反論は無駄だ。ならば口を出す意味はない。  藤堂もそれを理解しているのだろう。唇を噛み、何も言わない。 「と言っても、民の中に信仰心が薄い者がいるのはしようのない事です。それこそが人の持つ消し去る事の出来ない業なのですから。故にそれら弱者を守るために、その信仰を代行するために――我々がいるのです」  その言葉はまるで説法するかのような言葉だった。穏やかな声色。内容は僧侶以外の者を馬鹿にしているかのようなもの。しかし、それを説く本人の表情には微塵もそのような様子は見られない。  グレゴリオの手の平が天に向けられる。 「故に、神は我々に民を守るための力を授けられた。その信仰がある限り我らに敗北はなく、故に我らは神の名にかけてあらゆる災禍を祓わねばならない。それこそが僧侶に与えられた神命であり、シスタースピカ、例え貴女のレベルが低くとも、神聖術が使えなかったとしても……決して忘れてはならないのです。これは……義務だ。立ち向かう事をやめた僧侶に存在価値などありはしない」  グレゴリオのその台詞に熱量は含まれていない。ただ淡々と説かれるその苛烈な言葉はそれ故にグレゴリオ自身の信条を強烈に藤堂達に印象づけさせた。  リミスが思わずグレゴリオを睨みつけ、声をあげる。 「グレゴリオ、貴方、そこまで言うならちゃんと術を使えるんでしょうね?」 「僕の信仰は残念ながら……未だに未熟です」 「は? 散々色々な事言っておいて――」  リミスがそう文句を言いかけたその瞬間――グレゴリオの周囲に光の柱が立ち上った。 「ッ!?」 「なっ!」  一本ではない。唐突に発生した光の柱は中庭を埋め尽くすかのように、藤堂達各々の隙間を縫うように派生していた。  降り注ぐ陽光の中でさえはっきりと見えるその光に藤堂が、アリアが息を飲む。  突然のそれに思考停止に陥る面々に、グレゴリオがため息をついた。 「僕にはこの程度の事しか出来ないのです」 「この……程度!?」  その言葉に、藤堂が初めてこの光景が目の前の神父の生み出したものである事を理解する。  リミスが口をぱくぱくとさせる。グレゴリオの表情には得意げな様子はなく、本当にその言葉のままの事を思っているように見えた。 「これは――」 「ああ、ただの『闇を祓う光の矢』です。俗に言う、『光の矢』ですね。退魔術の基礎中の基礎と言えるでしょう」 「基礎中の……基礎……」  グレゴリオが右手を上げ、ぱちんと指を鳴らす。  それを合図に、無数の光の柱がグレゴリオの頭上目掛けて一斉に射出された。  無数の柱が集まり、一つの小さな光の玉と化す。小さな太陽にも似た強烈な輝き。その光に圧されるようにスピカが数歩後退る。  あまりに眩い光に、しかし藤堂は瞬きもせずにそれに見つめていた。その眼に焼き付けるかのように。  それはまさしく、神の裁き。神の聖なる術の名に相応しい。  そして、術の行使者が唱えた。 「『闇を祓う光の矢』」  その言葉と同時に、煌々とした光の球がまるで弾丸のように天上に向かって射出された。  尾を引き、光の残像を残し、光の球が天空に消える。  しかし、確かにその光は本物の太陽の下でもはっきり分かるくらいに強く輝いていた  空の彼方に消えた後も、グレゴリオを除いた全員の視線は空に釘付けにされたままだ。  グレゴリオが大きな音を立てて手を叩く。その音に、藤堂の意識が現実に戻される。  しかし、グレゴリオに向けられる藤堂の視線は変わっていた。藤堂だけでなく、アリアやリミスの視線もまた。  神聖術に詳しくなくても、今見た光景が並の使い手に生み出せるものではないことだけはわかっていた。そのくらいにそれは衝撃的な光景であった。  その視線に気づいていないわけでもなかろうに、グレゴリオは術を使ってみせる前と何一つ変わらない口調で講釈を述べた。 「力を矢に変換し放つ『魔法の矢』の術はあらゆる魔術の中で基礎中の基礎とされています。神聖術は魔術ではありませんが、まぁ同程度の難易度と言えるでしょう。上位の闇の眷属相手では足止め程度にしかなりませんが、基礎なくして応用もまた存在しない。『闇を祓う光の矢』を使えずして、他の術は使用出来きません」 「……それ、使えるようになるんですか?」  おずおずとスピカが尋ねる。あまりにも鮮烈すぎる奇跡に、スピカの頭には再び暗雲が立ち込めていた。  グレゴリオが不安げなスピカの顔をじっと見つめ、穏やかな笑顔で答える。 「ああ、大丈夫です。僧侶ならば誰でも使える類のものです。もし仮に使えるようにならなかったら――」 「な……ならなかったら?」 「…………」  その言葉に何も答えず、グレゴリオが視線をスピカから外し、他の面々に向けた。  場は既にグレゴリオに支配されていた。先ほどまで文句を言いかけていたリミスも沈黙したまま、その訓示を受ける。   「とりあえずは今の術から使えるようになっていただきましょう。幸いな事に、ユーティス大墳墓低層のアンデッドを相手にするのには十分な威力があります。そこのアンデッドを浄化してきて下さい」 「ちょ、ちょっと待った……まだ、スピカは今の術を、使えないと思うんだけど?」 「闇の眷属を前にしたその時、初めて人は自らの信仰を浮き彫りにされる」  藤堂の言葉を受けても、グレゴリオの声には微塵の揺らぎもない。その声には確信の色があった。  グレゴリオが再びスピカを、自分よりも僅かに背の低い少女を見下ろす。  スピカはその時、今更ながら、その穏やかな視線が決して慈愛に満ちたものではない事に気づいた。  血の気の引いたスピカの頬を、グレゴリオの指先が撫でる。吐き出されるその声の質は耳当たりのいいものであるにもかかわらず、ぞっとさせる何かを感じさせた。 「安心してください。シスタースピカ。貴女の信仰が真なるものであるのならば、間違いなく神もまたそれに答えてくれる事でしょう」 page: 67 第十六レポート:退魔術に必要なもの 「あいつは頭がおかしい……」 「……」  椅子に深く腰を掛ける。足を組み、テーブルに肘をつく。手持ち無沙汰にナイフを指先で弄ぶ。  対面に座るアメリアを睨みつける。  アメリアに言っても意味がないのはわかっているが、もう一度言った。 「あいつは頭がおかしいんだ。時たま、常識的に見えるのがとびきりやばい」 「……」  アメリアは何も言わない。何も言わず俺を見ている。  そこに憐れみの色が混ざっていたら泣いていたかもしれないが、混ざっていなかったので俺は泣かなかった。 「確かに藤堂とグレゴリオに面識があるのは知っていた。だが、それでそいつに神聖術を教えてもらいに行くと思うか? 普通。藤堂はパーティから男を追い出すくらいに男を嫌っているし、そもそも一度藤堂はグレゴリオの戦闘風景を見ている。思わない。俺ならそんな男に教えてもらおうとなんて思わないね」  言い訳のような言葉だと自覚はしていた。だがどうしても言わなければならない。  危機意識が足りていない。奴には危機意識が絶望的に足りていないのだ。  もしや藤堂は、グレゴリオが味方だとでも思っているのだろうか。それは違う。教会の味方かどうかもちょっと怪しいくらいなのに。 「そもそも、奴はあの場で退魔術はもちろん神聖術すら使っていないんだ。そんな男にどうして神聖術を教えて貰おうと思う? ああ、そうだ。スピカにグレゴリオの危険性を語っていなかったのは俺のミスだよ」  情報を出し渋りすぎた。だが、スピカは腹芸が出来る程経験を積んでいないし、適性があるとも思えない。  そして、今更そんな事を言っても仕方のない事だ。既に藤堂達はグレゴリオに接触してしまったらしい。積極性があるのは大変結構だが、奴らは行動力が無駄にありすぎる。もうちょっと考えて行動しようよ。あんなのどう考えても爆弾だろ。  一度咳払いし、手の中でナイフをくるくると回す。 「グレゴリオを教会に閉じ込めても、藤堂達が自分から教会に行ったら意味がないだろ」  「……そうですね」 「ん? なんだ? 奴らは俺を馬鹿にしてるのか? 俺の仕込んだことが全て筒抜けで俺の意図に反するように動いてるのか?」 「……いや……落ち着いてください、アレスさん」  大丈夫、冷静だ。アメリアの言葉もちゃんと耳に入ってきてる。俺は、冷静だ。  そうだとも。いつだって冷静にやってきた。怒りを抱いてはならない。例え、その行動行動が全て裏目に出ていたとしても。  回転するナイフの尖端が日の光を反射して煌めく。俺はそれを視線で追いながら続けた。 「まだ最悪じゃない。最悪の事態には達していない」 「……」 「だがこれは振りじゃない。振りじゃないんだ、アメリア。俺は奴らが最悪の事態に陥る事を望んじゃいないッ! いいか、全てが全てうまくいくとは思ってはいない。思ってはいないが、今のところ全てが全て――裏目に出てる。裏目に出てるんだ、アメリア。これはとても……驚嘆すべき事だな」  一体何が俺の邪魔をしているのだろうか。神の意志か? やり方が悪いのか? どこからやり直せばいい?  腹が立つとかじゃなくて、けっこう本気で疑問なんだが……  アメリアとの距離がちょっと遠くなっているのに気づく。どうやら無駄な話をしてしまったようだ。  回転させていたナイフをテーブルに突き立てる。両手で頬を叩き、気分を切り替える。  深く深呼吸をして気分を落ち着ける。完全に落ち着いたりはしなかったが、大分マシになった。なったような気がする。 「ここだけの話、俺は人に神聖術を教えるのがあまり得意じゃない」 「私も得意じゃないです」  アメリアが憮然としたように答えた。  そもそも、神聖術というものは教えて使えるようになるものではないのだ。何故ならばそれは個々人の持つ神力の量と加護に左右されるからである。神力がなければどう頑張っても神聖術は使えないし、逆に神力があればそれほど頑張らなくても神聖術は使える。  アズ・グリードの加護を持つ藤堂が一度俺に教えられただけで神聖術を使えるようになったように。 「だが、それでもグレゴリオよりはまだマシだ。奴の神聖術は直感型でそして――一般的な僧侶と比較してかなり歪だ」  そして何よりも危険な事に奴はそれが正しいと思っている。  信仰により神聖術がなる。その意見は決して誤りではないが、それだけで神聖術を成すには極めて限定的な才能と境遇が必要だ。グレゴリオは頭おかしいがあれはあれで一種の天才型と呼べるのだ。 「どうします?」 「現職の異端殲滅官は、あらたに異端殲滅官となった者に仕事を教える風習がある。もちろん俺も何人か見たし、グレゴリオも何人か見た――が、グレゴリオの弟子になった者はその大部分がその弟子期間中に死亡している」  アメリアは黙ったまま俺の言葉を聞いていた。  恐ろしいことだ。これはとても恐ろしいことだ。 「何故ならばグレゴリオにとって、僧侶が闇の眷属を殺せるのは当たり前の事であり、退魔術を使えるのは当たり前の事だからだ。信仰さえあれば勝利は自ずと手に入る、故に、任務の途中で死した僧侶はその信仰心の欠如こそがその理由であり、死んだ所で何の問題もない」 「……どうしますか?」 「そして、その危険性故に現在、グレゴリオの下につく者はいなくなった。教会も、もはやグレゴリオに弟子をつけようとは思っていない。異端殲滅官に選ばれる程の優秀な僧侶がただ無為に死ぬのを見ていられなくなったからだ」  初めて聞いた話だったのか、アメリアが目を丸くする。  殲滅鬼の名は伊達ではないのだ。  教会だって風評は気にする。そんな人聞きの悪い二つ名が並大抵の評判でつくわけがない。  くそっ、どうして俺は食堂で奴にとどめを刺しきれなかったのか。  悔やんでも悔やみきれない。 「クレイオさんに連絡しますか?」 「連絡しても無駄だ。……まぁもちろん連絡はするが、既に賽は投げられてしまった」  やるしかない。やるしかないのだ。  グレゴリオに教えを乞うてしまった以上、撤退は許されない。成長させるしかない。グレゴリオに納得させるだけの神聖術を修める以外に生き延びる道はないのだ。  奴は――自らの下についた者が信仰を得られなかったという事実を、決して許さないのだから。 「スピカに連絡を取ってくれ。作戦を立てるぞ」  アメリアが通信の魔術を発動する。  グレゴリオのターゲットはスピカだ。藤堂が聖勇者だとバレたら別だが、奴は基本的に僧侶以外を弟子としてみなさない。  だから、スピカが退魔術を覚えることができれば何とかごまかせるだろう。  スピカの姿を思い浮かべ、俺は頭を抱えた。  どう考えてもうまくいくように思えない。俺だって別に万能じゃないのだ。  どうしようか……。 § 「もっときつく縛ってくれる?」 「……あまり締め付けると苦しいのでは?」 「大丈夫だよ……もうとっくに苦しいから」  藤堂のその言葉に、アリアは、思い切り白の晒を締め付けた。  肌着の上からその胸を押しつぶすように巻かれた晒に、藤堂が眉を顰め、小さく息を漏らす。  胸にかかる圧迫感は並大抵のものではないが、苦しげな表情はしても、泣き言は言わない。我慢するのは慣れていた。  アリアがしっかりと結んだ事を確認すると、藤堂は短く連続で呼吸をして息を整える。  そのおかしな光景に、スピカが何度も瞬きをした。ベッドの上に座り、杖を磨いているリミスの方に視線を向ける。同じ部屋だ。気づいていないわけでも無かろうに、リミスもそちらに注意を向ける様子はない。  仕方なく、スピカが尋ねた。 「……何してるんですか?」 「……こうしないと鎧が入らないんだよ」  泣きそうな眼で言う藤堂に、スピカはそれ以上つっこむのをやめた。  恐らく何か事情があるのだろう。他の鎧を着ればいいだけだと思うけど、パーティに入ったばかりの自分では踏み込んではいけない類のものなのかもしれない、と。  白を基調としたスマートな風貌の鎧を着れば、そこには立派な騎士がいた。先程までの醜態を見ていなかったら見惚れていたかもしれない。  リミスもローブを着込み、身支度を整えている。スピカは緊張で僅かに震える手の平を握りしめ、昨晩呼ばれてアレスのところに行った際に受け取った赤銅製の十字架のネックレスを取り出し、目の前でぶら下げて眺める。  リミスがふとそれに気づき、話しかけた。 「……それ、どうしたの?」 「……知り合いの僧侶の人に貰いました。お守りだって」  そう。お守りだ。銀製ではないので、それほど性能もよくないというただのお守り。  リミスがまるで元気づけるように手の平を叩く。 「大丈夫よ。どんな魔物が出てきたとしても、私とガーネットが焼き尽くしてあげるから。元気出しなさい」  リミスの頭に乗っていた深紅のトカゲがその言葉に同意するようにちょろりと舌を出す。  その手に持った杖の頭には、スピカが今まで見たことのないくらい大きな宝石が輝き、内部でメラメラと小さな炎が燃えている。 「それに、スピカ。あんた、アンデッドが怖くないんでしょう?」  リミスの言葉に、びくりと藤堂とアリアが肩を震わせる。  その様子に、スピカはゆっくりと首肯し、言いづらそうに唇を開く。 「……ま、まぁ……そんなには」 「なら大丈夫。ナオ達よりは……マシよ。ナオ達なんて、前行った時に攻撃も受けてないのに気絶したんだから」  それは本当に大丈夫なのだろうか?  激しく疑問に思うスピカにつっかかるように藤堂が抗議した。 「失礼な! あれもれっきとした攻撃だよ! そうだよね、アリア?」 「ええ。そうですね。確かに物理的な攻撃じゃなかったが、悪霊の『嘆きの叫び』は紛れもない攻撃だ。何の攻撃も受けていないのに気絶だとか、妙な嘘を吹き込むんじゃない!」 「気絶したのは本当じゃない」  必死の反論はリミスの一言で完全に破壊された。藤堂とアリアが居たたまれなさそうに視線を背ける。  その様子にリミスが肩を竦め、これみよがしとため息をついてみせた。 「大丈夫よ。例え貴女がすぐに退魔術を使えるようにならなかったとしても私がサポートしてあげるから。ナオやアリアだって、壁くらいにはなるし……グレシャもグレシャでそれなりに役に立つと思うわ」 「……はい」  当のグレシャは唯一準備するでもなく、我関せずに椅子に座って足をぶらぶらさせている。  アレスから与えられた数々のアドバイスを思い出し、スピカは遅ればせながら覚悟を決めた。  ようやく着慣れてきた法衣の袖を掴み、立ち上がる。滑らかな肌触りのメイスに、懐には教典も入っている。腰にはまだ返すことはないと言われたアレスの短剣が下がっていた。  今出来うる全ての準備を終え、ふと昨日の言葉を思い出し、藤堂に言った。 「……そういえば、知り合いの僧侶の人が言っていたんですが……いきなり千体のアンデッドを倒すのはかなり難しいらしいです」  グレゴリオから与えられた課題。  それは、三日以内にアンデッドを千体討伐する事だった。  アリアも藤堂も反論したのだが全く効果はなく、ただ与えるだけ与えられた課題は本来まだ神聖術を覚えていないスピカに課されるようなものではない。  スピカのその言葉に、藤堂が強張った笑顔で言う。 「……あー……その知り合いの僧侶の人に着いてきてもらうとかどうだろう? ほら、スピカもまだ神聖術を使えないらしいし……」 「……ついてきてくれるそうですよ」 「……ん? なんか言った?」  藤堂に聞こえないくらいに小さな声で呟く。聞き返してきた藤堂にはにかむように微小を浮かべ、スピカは拳を握た。  ついてきてくれるとしても、退魔術を覚えられるかどうかはスピカ自身の問題だ。  自分で選択した結果だ。何としてでもやり遂げなくてはならない。  自分一人ではできなかったとしても今は――後ろからサポートしてくれる人がいるのだから。 page: 68 第十七レポート:地下墳墓の歩き方  魔物が生息する地は数多くあるが、地下墳墓を初めとした人工施設型のフィールドはその中でも危険な部類に入る。  例えば、打ち捨てられた遺跡。  例えば、人の住まわなくなった古い城。  例えば、繁栄の跡の残る滅ぼされた都市。  森や洞窟など自然からなる場所を探索する場合と比較し、それらを探索する場合は外敵を撃退する事を意図して仕掛けられたトラップの類に注意しなくてはならない。例え前住民がトラップを仕掛けていなかったとしても、そういった人の臭いの残る地には知恵ある魔物が棲みつくパターンが多く、それらがトラップを仕掛けている可能性もある。  ユーティス大墳墓は地下墳墓だが、その例には漏れない。  特に墳墓系の場所には墓荒らしをターゲットとした極めて致死性の高いトラップが仕掛けられている可能性が高いとされており、ユーティス大墳墓にも知らなければ危険な罠が幾つも存在する。  とは言え、この地は元々幾度も王国から正式な調査隊の派遣された地であり、他にも埋葬されているであろう宝を求めたトレジャーハンターや、修行のために教会から派遣されたパーティなど、何度も人が足を踏み入れた地だ。  浅い層のトラップの殆どは解除済みであり、性質上解除出来ないタイプのトラップについても、地図に注意書きとして書き込まれているので、地図のない場所まで行こうとしない限り危険性は低い。  グレゴリオが倒した鬼面騎士の像もトラップの内の一つだろうが、浅い層にあるにも関わらず形を保っていたあのトラップはとても稀有な例と言えるだろう。  灰色の石で出来た回廊には俺とアメリアの足音だけが響き渡っていた。  藤堂達に先んじて、俺達はユーティス大墳墓に突入していた。  実は俺は過去この地を訪れた事はなかったので、これで三回目である。俺が先頭に立ち、アメリアが後ろからついてくる。  前方には俺の浮かべた『浄化の光』が擬似的な明かりとして周囲を満たしており、十分と視界は確保されていた。  頭の中に叩き込んだ地図と現在位置を確認しつつ、周囲の気配を探る。万が一にも強力なアンデッドが現れ、藤堂達に襲いかかったりする可能性を下げるためだ。  基本的にその手の魔物は深層に行くほど強力になっていく傾向があるが、地下深くから強力なアンデッドが地上部に乗り出してきたパターンも決してなくはない。本来ならば懸念する程の可能性でもないが、こと藤堂に関わるとなると出来ることは全てやっておいた方がいい。 「過保護過ぎませんか?」 「そうかもな」  アメリアの言葉にそっけなく返す。  否定はしない。魔物を狩るのは基本的に自己責任だ。勇者もそれは同じ。魔物の間引きは安全性を高めるが同時に奴の適応能力の成長を妨げるだろう。  だが。だが、それでも。 「だが、パーティの平均レベルを30にするまでは今の方針で行く」 「何故ですか?」 「大体レベル30で出来る事が変わるからだ」  傭兵や魔物狩りはレベル30未満と以上で大きく死亡率が変わる。  だからこそ、出来ることならば一月以内にレベルを上げさせてやりたかった。  入り組んだ通路。角から剣を持った人骨、『歩く骸骨』が襲い掛かってくる。  目の前に浮かべた光球を避けるように迂回して飛びかかってきたそれを、無造作に蹴り飛ばす。  骨が壁に叩きつけられ、床に甲高い音を立てて散らばると、空気に溶けるようにして薄れて消えた。持っていたぼろぼろの剣も、その身を覆っていた朽ちかけた甲冑も同じように消える。  床に残ったのは唯一、小指の先程の大きさの禍々しい紅蓮をした結晶のみ。アンデッドの力の根源、物質化した思念にして魔力の塊。アンデッドが死して残す数少ないアイテムである『魔結晶』だ。  極小さく、売ったとしても微々たる額にしかならないそれを踏み砕く。  そのまま放置していくと、墳墓に満ちる瘴気を吸って再びアンデッドが復活してしまう。復活には週単位の時間がかかるので利用も出来ない。  アメリアを連れてきたのは随時スピカと連絡を取るためだった。グレゴリオの動向も探りたかったが、やはりどうしても人数が足りない。  以前、クレイオに依頼したステファンの派遣はどうなっているのだろうか。  後で確認しようと心に決めながら、アメリアに問いかける。  薄暗い墓地であるにも関わらず、アメリアの様子はいつもより変わらない。いや、いつもよりやや上機嫌にも見える。表情は浮かんでいないが。 「スピカ達はどこにいる?」 「まだ墳墓に入っていませんね」  昨日スピカに話を思い出す。  スピカに出された課題はたった一つ。  三日以内に墓地のアンデッドを千体討伐する事だ。普通に考えて、まだ神聖術の使えない僧侶見習いに与えるような課題ではない。 「数だけはいるみたいですけど……大丈夫でしょうか?」 「普通なら無理だな」  無理だ。絶対に無理だ。  恐らく、藤堂たちがいることを考慮して与えた課題なんだろうが、そもそも課題を与えるだけでは教えるとはいえないし、まだ見習いのスピカではアンデッドの気配を感知することすら難しい。  千体という事は一日三百体強のペースで狩り続けなければいけない。いくら墳墓とはいえ、奥まで行かなければそれだけのペースでアンデッドと出会う事は難しいし、瘴気の満ちる地は人の身を徐々に蝕んでいく。  その課題は、奇跡でも起こらなければ達成出来ない課題だった。そして、恐らくグレゴリオはそれを望んでいる。 「何を考えてるんでしょうか?」 「俺にグレゴリオの思考が理解出来るわけがないだろう。だが――」  上空から襲い掛かってきた悪霊をメイスで散らす。  下位のアンデッドなど、今の俺ならば例え眠っていても殺せる。  だが、昔はそんなことはなかった。  グレゴリオの与えた課題は頭おかしいが、同時に苦難なくして成長しないのもまた間違いのない事なのだ。 「――もしも、スピカがこのグレゴリオの課題を達成することが出来たのならば、大きく成長できるだろう」 「……達成出来なかったら?」 「俺達が達成させるんだよ」  達成できなかった時にグレゴリオがどんな反応をするのか、考えたくもない。  特に想定以上の強力なアンデッドが出る事もなく、道中は順調に進んだ。  ユーティス大墳墓は神の敵が多すぎる。僧侶の感覚は闇の眷属の気配を見逃さないが、墳墓においてそれは過剰に反応する。  レベルの高い俺でも余程神経を集中させないとアンデッドの位置を詳細に察知出来ない程だ。だが、でかい気配が近づいてきているかどうかくらいはわかるだろう。  例え、仮にザルパンのような魔王配下の魔族が勇者を狙って侵入してきたとしても十分対応出来るはずだ。  歩いていると、アメリアがいつもと何ら変わらない表情で話しかけてくる。  藤堂達にもアメリアを見習って欲しいものである。 「しかし、この墳墓、何が埋葬されてるんでしょうね……強い邪気を感じますが」 「知らん。知りたくもないね」  作られた年代も不明。王国が解明することを諦めた墳墓だ。地下に広がる迷宮のその規模から言っても、小国の王の墓地だとかそういうレベルではない。  人ではなく、忘れられた邪神やら悪魔やらが封じられていても何らおかしくない。  そんなことをしている間に、目標地点である鬼面騎士の間の前までついた。  墳墓などで長期間魔物を狩る際に必要なのは安全性の確保だ。  今回の場合、藤堂達には鬼面騎士の間で滞在させるつもりだった。もちろん、前回の事もあるので問題があったら場所を変更するつもりだが、神聖術の通りやすいこの部屋は格好である。  黒い錆びついた扉が軋む音を立て開く。中の光景に、俺は眉を顰めた。  鬼面騎士の間は以前入った時と比べて何一つ変わっていなかった。  広々と取られたスペース。石造りの祭壇に、その上の――鬼面騎士の像。 「アメリア、下がれ」 「え?」  俺に続いて入ろうとしたアメリアを制止する。バトルメイスを強く握り直し、像に近づく。  像に不自然な点はない。以前見たとおり、東方の鬼に似た凶悪な容貌に腰に下げた大太刀。今にも飛びかかってきそうな精緻な作りで、今では実際に飛びかかってくるパターンもあるという事までわかっている。  だが、根本的な点がおかしい。眉を顰め、その像にもう一歩近づき観察する。  確認するが、鬼面騎士の像には傷一つない。 「……何故直っている?」  鬼面騎士の像はグレゴリオが確かにばらばらにしたはずだ。奴らが去った後に実際に俺はその残骸を確認している。  頭はえぐり取られ、腕は砕け、動く気配のない残骸を。直すのが難しい程に砕かれていたし、例え誰か物好きが修理したとしてもこうも完璧に元の状態には戻せまい。石像だから回復魔法も効かないだろうし。  罠の中には自動的に再設置されるものがあるのは知っているがこれは……参ったな。 「どうしました?」  アメリアが俺の隣に立ち、鬼面騎士の像を見上げる。  参った。この手の遺跡の作り手が独自の文明を持っているパターンが多い。  このギミックもその手の類だろう。復活型の罠だったのだ。 「参ったな……俺には解除出来ないぞ」 「ああ……グレゴリオさんが壊したと言っていた……あれですか」  察しのいいアメリアが慎重に手を伸ばし、像の表面に触れる。  この手のトラップは俺と相性が悪い。物理的なギミックならば何とかなる事もあるが、元々俺はレベルが高いだけの人間なのだ。知識も浅ければ技術も高くない。トラップが魔術的な力によるものならば解除する術がなくなる。そして、ここまで復元するとなるとそれは間違いなく魔術的な力に寄るものだろう。  無表情で何事か検めるアメリアに藁をもつかむ思いで尋ねる。 「何かわかるか?」 「ただの石像ですね……ゴーレムなどではないようです」 「そうか」  それは知っている。リミスも言っていたし、グレゴリオも言っていた。  魔導人形じゃないという事は、恐らく失伝した文明、ロストテクノロジーの産物だろう。もしかしたら像がそのまま残っていたのも、今までここに来たハンターが壊したりしなかったからではなく、自動的に修復されたからだったのかもしれない。  ……となると、この部屋は避けるしかないか。先に来ておいてよかった。  アメリアがふとこちらを見て、首を傾げる。 「攻撃をしかけると動くんですか?」 「知らん。まぁ前回はグレゴリオの攻撃をスイッチに動き出したように見えたが」  もしかしたら攻撃ではないのかもしれない。異教への憎悪がスイッチになっているのかもしれないし、人数や男女の比率がスイッチになっている可能性もある。あまり興味もない。  この部屋を使えればベストだったが使えないのなら使えないで代案を考えるだけだ。 「……試しに攻撃しかけてみていいですか?」 「ダメだ」  いいわけないだろ。何故わざわざあると分かっている罠を踏まなくてはいけないのか。  アメリアが言葉に詰まる。そしてもう一度口を開き変えたその時―― 「……あー……悪い、違ったな。攻撃をスイッチじゃない。攻撃の前に動き出してたんだ。正確に言うのならば攻撃意志をスイッチ、か?」  ため息をつき、自身に補助魔法を掛ける。  軋むような音。上空から舞い落ちる細かな破片に、地鳴りに似た振動。  アメリアが目を見開き、数歩後退る。  まるで冗談のように動き出した鬼面騎士の石像がその視線をアメリアと俺の間に動かし、俺の方で止まる。 「攻撃意志のスイッチか。数あるトラップの中でもかなり曖昧なスイッチだな。グレゴリオが初めて起動させたとも思えないな。それにしては情報がなかったが――」  全員死んだか? このフィールドで効率よくレベルを上げられる適性レベルは高くても50前後であり、そしてこのあたりの――浅い層ならば更に低くなる。可能性はまぁ……なくはないだろう。 「アレスさん、来ます」 「ああ」  その手が腰の太刀に掛けられる。抜き放たれ頭上から襲い掛かってきたそれを、メイスの頭で受け止めた。  音と衝撃。彼我の距離は一メートルない。台座の上から出された打ち下ろされた斬撃は彼我の身長差もあり、あまり力を込めることができていない。  台座の高さも含めると、自身の膝くらいの身長の人間を斬ろうとしているようなもので、その体勢は酷く不安定だ。  そのまま頭上から降って来る斬撃を二度、三度と受け止める。四度目の斬撃を受け止めたその瞬間、刃が翻る。首を狙い右から放たれた横薙ぎを止めると同時に、素早く数歩後ろに下がった。  鬼面騎士が台座から飛び降り、その前に仁王立ちになる。図体の差もあり、頭上からくだされるプレッシャーはかなりのものだ。  ただし、独自の理論か何かは知らないが、魔導人形としての質はそれほど高いものではない。  アンデッドではないので退魔術は効かない。それだけだ。ただそれだけだ。 「下がってろ」  後ろに控えていたアメリアに短く指示を出す。  長い間戦っていると数太刀交わすだけで様々な事がわかる。特に相手が魔導人形だとそれはわかりやすい。動きが機能により成立しているものだからだ。  意気も何もなく、まるでそれが当然であるかのように鬼面騎士が突撃してくる。  踏み込みの重さ、刃の速度、フェイントも何もなく放たれたそれは、それほど剣士との戦闘経験を持っていない俺でもとても捌きやすいものだ。アリアが技のある『魔導人形』と言ったが、それは違う。こんなもの構えだけである。  鍔迫り合いすら必要ない。俺はその行動法則と基本的な性能から鬼面騎士のゴーレムの討伐適性レベルを40前後と推定した。  右上空から放たれた刃をメイスで弾き、勢いそのままに左から旋回してくる刃を数歩踏み込んで回避する。  基礎性能で勝っていれば奇策はいらない。俺はそのまま、石像を粉々に砕くつもりでメイスをその胴に叩きつけた。  石像が壁に叩きつける。壁に大きな亀裂が入り、石像が地面に伏した。  アメリアがぱちぱちと拍手し、無感動に言う。 「アレスさんの攻撃。会心の一撃。鬼面騎士に150のダメージ。鬼面騎士をやっつけた」 「……さすがに硬いな」 「鬼面騎士が起き上がって、まだ戦いたそうにこちらを見ている」  アメリアのナレーションの通り、鬼面騎士が腕をつき、起き上がっていた。アメリアのナレーションの通り、やる気満々のようだ。アメリアのナレーションの通り。  やっつけてねーじゃねーか。 「鬼面騎士の攻撃。鬼面騎士は鬼神斬を使った」  なんだそれは。と突っ込む間もなく、爆発的な勢いで鬼面騎士が踏み込み、居合に近い姿勢で刃を放ってきた。本来の居合と異なるのは鞘ではなく自らの手の平で刃を滑らせているところだろう。人ならば指が落ちるので魔導人形ならではといえる。  そのリーチを計り、後ろに大きく跳び、それを回避する。 「ミス。アレスさんには当たらない」  鬼面騎士が再び台座の前で正眼の構えを取る。硬度が高い。ただの石ならば砕けていたはずだ。  ザルパンの持っていたルシフの結界と比べれば手応えは雲泥だが、結界に似た頑強性を高める何某かの処理がされていると見える。つまりは防御力が高いだけの雑魚だ。  アメリアが続けて呟く。 「アレスさんの攻撃――」 「悪い、ちょっとそれやめてもらっていいか?」 「やることないのでアレスさんの応援していたんですが」  やめろ。気が散るからやめろ。 § 「わかったことがある」 「私もわかったことがあります」  ばらばらに砕け、動作を停止した鬼面騎士を傍目に、台座の上に腰を掛ける。  硬いだけのゴーレムなど敵ではない。これは自信ではなく、純粋な性能比較である。厄介な特殊能力があるだけまだグレシャの方が強い。  散々変なナレーションしくさったアメリアが今は真面目な表情で俺を見上げている。  いや……ナレーション中も真剣な表情していたな……感情が読みづらいというのがこうも厄介なものだとは思わなかった。ふざけているのか、あるいは天然なのか……。  一言文句を言う前に弁明を聞く事にした。 「言ってみろ」 「『箱庭』です」  何を言っているんだ?  眉を顰める俺に、アメリアが淡々と続ける。 「『箱庭』の魔法です。空間操作系の魔術の一種でしょう」 「……それはつまり、このトラップの正体か?」 「はい」  何でもない事のようにアメリアが頷く。  この短時間でトラップの正体を見抜いたというのか? いや、確かに魔術を使えるとは聞いていたが、魔術と一口に言ってもその種類は本当に多岐に渡る。様式も理論も異なるので、自分の分野ならまだしも他の分野の魔術を解析するのは至難のはずだ。  だが、アメリアの口から出てくる言葉には迷いはない。 「失われた秘術の一つです。空間を切り取り、独自の法則を付与したミニチュアの世界を生み出す術です。非常に高度で……とても強力な魔法です」  何故アメリアがそんな事を知っているのだ?  不思議だったが、そのまま聞く事にする。元々俺はクレイオからアメリアの出自を聞いていないし、何よりも有用ならばそのまま使った方がいい。  聞き入る俺にアメリアが説明を続ける。 「詳細は省きますが、範囲はこの部屋の内部でしょう。効果は恐らく、その石像を動かし特定行動を取った外敵を撃退する事。魔導人形の気配がしなかったのは、魔術の対象がこの部屋そのものだったからです」 「グレゴリオが倒したそれが元に戻っていたのは?」 「世界が保たれているのです。一定期間で世界は元の状態に『リセット』される、それが『箱庭』の魔法の本質と言ってもいい。砕いた石像も……壁や床などの破壊の跡も」  アメリアの視線が亀裂の奔った壁に向けられる。そう言えば確かに、グレゴリオの戦闘時に破壊されたはずの壁も元に戻っていたな。  リセット。リセット、か。それが真実なら恐ろしい術である。罠としては打ってつけだし、何よりも無限の戦力を作り出す事ができる。失われていてよかったと言うべきか。 「デメリットは消費魔力の激しさです。箱庭の魔法の魔力消費は付与する法則の複雑さとリセット間隔に比例します。今回の場合は付与された法則も石像一体動かす事、世界を保つ間隔もそれほど……早くないようですね」  破壊した石像が元に戻る気配はない。そもそも、グレゴリオが破壊した時も……俺が見に行った時はまだ破壊されたままだった。  と、そこまで考えたところでふと思い出した。  アメリアの方に顔を向ける。暗闇の中で石像を見下ろすアメリアのその眼には驚くほど色がない。 「リセット間隔を短くする事も出来るのか」 「はい。今回は……設置型なので、間隔を相当絞っているようです。仕掛けを施した術者は恐らく既に死んでいます。何処かに魔法を発動する魔力の源があるはずですが……」 「術者がいればリセット間隔は更に短く出来る?」 「はい。間隔も短く出来ますし、法則それ自体も複雑化する事ができるでしょう。例えば――」  アメリアが思案げに視線を上に向ける。 「そう、例えば、単純に動かす石像の数を……二体、三体と増やしたり」 「……なるほどな」  その言葉でようやく確信した。  この魔法を俺は――知っている。正確に言えば、随分前に任務で倒した事があるのだ。  相手は歴史の深い魔術の名門出の男で、他者を害する魔術を深く研究し家を追い出された魔術師。その男の使う魔法に区間限定で『無限の兵隊』を生み出す物があった。  その時は石像ではなかったが、単体でもそこそこの能力を持つ兵隊が尽きることなく現れたのには肝を冷やした覚えがある。  研究結果は教会が回収したので、アメリアが知っているのもそれを確認したためだろう。  思わぬ再開に、もう一度崩れ去った石像を見下ろす。一体で良かった……。 「『失われた秘術』、か……」 「……正確に言えば『元』ですね。十数年前にある魔道士が復元しましたが、広くは広まっていないはずです」  広まり悪用されたら酷い事になる。  このクラスの戦闘能力ならばまだいいが、更に強力な兵隊を大量に用意されるとたった一人では対応仕切れない。  謎が解けた所で本題に入る事にした。 「解除できるか?」 「難しいですね……箱庭の魔法を解除するにはその魔力源をどうにかする必要があります」 「無理か」 「少なくとも一日二日じゃ無理です。この広さの箱庭を長期間維持するには半永久的な魔力供給源が必要で――」 「わかった、無理ならいい。助かった」  また説明を始めたアメリアを止める。無理なら無理でいい。原理なんてどうでもいいし、俺には理解できないだろう。 「……どういたしまして」  説明を止められたアメリアは憮然とした様子で一言呟く。  しかし、原理がわかったとしても解除出来ないのであればこの部屋を使う事はできないだろう。藤堂がなにやらかすかわからないし……部屋の内部のみのトラップだと解っただけマシだろうか。  よし、別に拠点にふさわしい場を用意しよう。適当に結界でも敷いといてやればいいだろう。  さすがにこの瘴気の中じゃ即席の結界は長続きしないので何度か張り直してやらなければならないだろうが……。 「あ、もう一つだけ」 「まだあるのか」 「……アレスさん、冷たいですね」  冷たいか? ……確かに冷たいかもしれないな。  だが、ナレーションの件の文句を有用な情報提供で相殺してやったのだからいいと思って欲しい。  ギャップが大きすぎるんだよ、お前は。  黙ったままの俺を見て、アメリアが小さくため息を漏らす。そして、続ける。 「箱庭の魔法だという事は解ったんですが、何のためにかけられた魔法なのかがわからなくて……何分消耗の激しい魔法ですし、その魔法を長期間保つ仕組みを作るのは並大抵の事ではないはずなのですが……」  やや眉を寄せ、少し不安そうな表情で報告してくるアメリア。なるほど……優秀だ。クレイオが派遣してきた理由がはっきりと分かる。わからなかった事を報告してくれるのはとてもありがたい。 「……なるほどな」  そして危なかった。話に聞き入っていてすっかり忘れていた。  台座から降り、アメリアの側に歩み寄る。  至近距離からアメリアのその透き通るような藍色の眼を見下ろす。アメリアが珍しく動揺の滲んだ声をだす。  さっきまで平然と喋っていたアメリアのその声がちょっと笑える。 「……な、なんですか」 「言うのを忘れていたが、俺もわかったことがある」 「……え?」  大きく身体を回転させた。強く踏み込み身体を旋回、今まで座っていた台座に遠心力を借りてメイスを叩き込む。  棘の生えたメイスの頭が石の台座をぶち壊す。轟音に部屋の空気が揺れる。 「ッ!?」  唖然とした表情でこちらを見るアメリア。  振り終えたメイスを持ち直すと、先ほどまで台座のあった場所をその先で指し示してやった。  台座のあった位置にはぽっかりと穴が開いている。いや、穴ではない。それは人工的に作られた『入り口』だ。 「あの鬼面騎士だが、まるで台座を守るかのように立ち回っていた。絶対何かあると思っていたが、どうやら隠し部屋のようだな」 「な……ぁ……え?」  そもそも、鬼面騎士の起動スイッチが像の破壊の意志だとすると、本来襲われるのはそのスイッチを押したアメリアとなるべきである。だが、実際には鬼面騎士は俺をターゲットに定めていた。  となると、鬼面騎士のターゲットもなんとなく見えてくる。鬼面騎士の優先順位は恐らく『台座』に最も近い者、だったのだろう。確かにあの時、後ろに下がらせたアメリアよりも俺の方が台座に近かった。  そもそも、戦闘中にも不自然な点はいくつもあった。台座の上にいる状態ではまともな一撃など放てる訳がないのに、台座の上から初撃を放ってきた事。一度壁際に吹き飛ばした後に再度台座を守るように立ち回った事。インプットされている行動理論はとても単純だ。それは恐らく、先程アメリアの言った法則を複雑にすると消費魔力が跳ね上がるという話に繋がっているのだろう。  光球を操り、ゆっくりそれを床の穴の中に入れる。中の部屋はそれほど広くないようだ。  集中して気配を探るが、特に闇の眷属の気配は感じない。いや、それどころか、下の部屋には地下墳墓全体を満たしていた瘴気が一切感じられない。 「恐らく、その魔法の目的は地下を隠すためなのだろう。隠し部屋としては杜撰と言えば杜撰だが、台座も完全に床と一体化していたし、砕かない限り開かない。まぁ、どっちみち藤堂達をこの部屋に留めるのはナシだな」 「……アレスさん、意地悪です」  中を覗き込みながら話しかける俺に、アメリアが小さい声で言った。 page: 69 第十八レポート:アンデッドの倒し方  部屋の四隅に特殊な製法で作られた銀のチョークを滑らせる。  結界術の堺は明確であればある程いい。特に墓地などの瘴気の強い土地ではきちんとした手順で結界を張らなければ持続時間や効果が大きく減衰してしまう。銀のチョークは結界の効果を増大させるためのもので、聖水よりも高い効果が見込める。  チョークで線を描くと、軽く祝詞を上げ、墓地の一室を一時的な聖域と化す。瘴気が祓われた事を確認し、俺は部屋の真ん中で聖銀製のネックレスを注意深く観察していたアメリアの方に声を掛けた。 「何かわかったか?」 「……ダメですね。私の専門じゃ……ないようです」  肩を竦め、アメリアがあっさりと匙を投げると、持っていた白の混じった銀、聖銀独特の色をしたネックレスを俺に手渡してくる。  細かな鎖の先に小さな四方体の装飾があしらわれたネックレス。  それは、鬼面騎士の間の地下隠し部屋、その中にぽつんと置かれていた箱の中に入っていた物だった。 「わかった。後で教会に送って調べて貰おう」  ネックレスを布で包んでポケットに入れる。  この手の遺跡には時たま魔法の力が込められた道具が見つかる事がある。地下の隠し部屋にあったそれもその手の魔導具の一種だった。基本的に早い者勝ちなので浅い場所で見つかる可能性はかなり低いのだが、今回は運がよかったという事だろう。  効果は調べて貰わないとわからないが、持ち主にデメリットを与える類の物でもなさそうだ。  まぁ、今考えても仕方ない。一端その事を頭の中から追い出す。  地下墳墓の第一階層の地図を取り出し、アメリアにも見えるように空中で広げる。  現在地点は地図のちょうど中間当たり。出現するアンデッドは最低ランクで、適正レベルは10から20程になる。レベル27の藤堂にとっても、レベル25のアリアにとっても容易く倒せる相手だ。本来ならば。 「とりあえず徐々にペースを上げていこう。アンデッドに慣れさせるのをまず第一の目標とする」  今回は前回試みた時よりもやりやすい。スピカが同行しているから、スピカを通じてある程度の行動を制御できる。  いつもは街で待機させているアメリアを連れてきたのも随時スピカと連絡を取るためだ。  アメリアが頷くのを見て続ける。 「アンデッドにも幾つか種類がある。種類によって得意、不得意があるはずだ。……ヴェールの森では吸血鬼相手に極端に恐れる様子はなかったしな」  全くもって不合理な事だ。リビングデッド程度何百体いたとしても吸血鬼の足元にも及ばないだろうに。  低層のアンデッドは大体種類が決まっている。強さはどいつもこいつも似たり寄ったりだが与えられる恐怖は違うだろう。  俺は怖くない。昔から怖くなかった。物心ついた頃から神聖術を扱えた俺にとってそれらは割のいい獲物でしかなかったのだ 「アメリアはどれが一番怖い?」 「……どれもあまり……でも私なら『歩く骸骨』にしますね」  参考にならなさそうな事を言いかけ、しかしアメリアが一つの魔物の名前を出した。  『歩く骸骨』  アンデッドの種類で言う骨人系の魔物である。リビングデッドと異なるのはその身体が骨だけで成り立っている事。リビングデッドと比較して敏捷性が高く膂力が低い傾向にある。他にも多くの特性を持つがそのどれもが藤堂の実力を鑑みると憂慮しするような点ではない。 「理由は?」 「……生ける屍よりはまだ怖くないのでは? あれは如何にも人の死体ですし、忌避感が違うかと」 「生ける屍は人の死体じゃない。あれは色のついていない魂が瘴気を吸って物質化したものだ。その証拠に、その身体を維持出来ないだけのダメージを与えれば塵も残さず消える」  俺の言葉に、アメリアが何度か瞬きをし、困ったように言う。 「……理屈はどうあれ、人に似ているでしょう」 「オーケー。骨から行こう」  最終的には全て克服してもらうが、アメリアがそういうのならばそうなのだろう。アンデッドに対しての感性は、自分のものよりアメリアのものの方がまだ信頼できる。  立ち上がり、深く深呼吸して、集中力を高める。  感覚を集中させ、周囲を徘徊するアンデッドの気配を捕まえる。  さて、仕事を始めようじゃないか。 §  恐怖を感じる理由なんてなかった。強い弱いとかは関係ない。理由なんてなしに、ただただ怖かった。  いや、逆に藤堂にはリミスやグレシャやスピカがアンデッドを怖くないその理由が理解出来ない。  藤堂直継はそれまで自分の事を臆病だと思った事などなかったが、煌々と輝くガーネットの明かり一つで暗闇の中を平然と歩くリミスやスピカを見ていると、それが間違いであるかのように思えてしまう。 「……な、なんかここ、寒くない?」 「……ナオ、地下墳墓系のフィールドは……気温が低いものです」  隊列はアリアと藤堂が前を歩き、その後ろを非戦闘要員のグレシャ、最後にまだ慣れていないリミスとスピカが続く。  本来ならば背後からの攻撃を警戒し、後ろにも戦線を維持できる前衛のメンバーを立てるのが定石だったが、左右が壁になっており背後を取られる心配が少ない事、リミスが今のアリアや藤堂よりは自分の方が頼りになると言い張った事からそのような編成になっていた。  いたたまれない視線を背後から受けつつ、唯一の救いはその隣に藤堂と同じ気持ちのアリアがいる事だろう。藤堂は今この瞬間、魔王討伐の旅に出て一番仲間のありがたみを実感していた。  アリアが鼠一匹見逃さないとでも言わんばかりの血走った眼で進む先を睨みつけている。  光源は藤堂の頭の上に伏せているガーネットだ。火の精霊の一種が形になったその小さな蜥蜴は確かに強い光を発しているが、数メートル先を見通せる程の強さではない。  息を荒げ、必死で感覚を集中する。レベルが27に上がったのは少し前の事、上昇した身体能力も鋭敏になった五感も随分と慣れた。近くにいる生き物の気配はなんとなくだが読める。そして、生き物じゃないものの気配もまた。 「……多すぎる」  藤堂が眼を剥き、小さく呟いて唇を噛む。  藤堂が感じる気配。それは、並大抵の数ではない。多すぎてどこに何がいるのかわからない程に、アンデッドの気配は多かった。  大墳墓に入って何度となく確かめたが、結果が変わる事はない。  前髪を掻き上げ、床を睨みつける藤堂の肩をアリアが叩く。 「……頑張りましょう」 「無理だよ。だって、想像しただけでちょっと吐きそうだもん、僕」  大墳墓に入るまでは、神聖術を会得するためなら我慢出来ると思っていたが、実際に再び入って見るとやはり違う。最初に入った時だってすぐに逃げ出したかったのだ。藤堂をまだ地下墳墓に留めているのは勇者としてのプライドだけだった。  逃げ出しそうになる足を何とか前に進めながら、後ろから付いていく三人の様子を探る。  足の遅い藤堂達と比べて後ろの三人の足取りは軽い物だ。グレシャはただ黙々と歩いているが、リミスとスピカについては楽しげに会話を交わしながらついてきている。  この暗闇の、地下墳墓の中で楽しく雑談出来る二人の気持ちが藤堂には全くわからなかった。  藤堂と同じ事を考えていたのか、アリアが僅かに頬を強張らせ、苦笑いをつくる。 「……人間、得意不得意がありますから」 「それでも……情けないよね……」  藤堂の言葉に呼応するかのように、ガーネットが小さく鳴き声をあげた。  歩きながらも、リミスがまだ若干雰囲気の硬いスピカを元気づけるように話しかけているのが聞こえてくる。 「大丈夫よ、スピカ。貴女がもしここで退魔術を使えるようにならなくても――ナオが全部倒してくれるから。大体、あんなの教えた内に入らないでしょ」 「えっと……」 「え!?」  唐突に出された自分の名前に藤堂がリミスを振り返り、リミスの睨みつけるような険しい視線に屈した。  ことユーティス大墳墓においての力関係は明確に定まっていると言える。元々のリミスの気質もあるが、リミスがいなければ最初に大墳墓に入ったさいに酷い目にあっていた事だろう。  藤堂が情けない表情で笑う。 「……ま、まぁ、僕とアリアね。僕とアリア。ははは」 「……私を巻き込まないでいただきたい」  藤堂の言葉に、今度はアリアが憮然としたように反論する。  その眼は本気だった。 「そう言わないでよ……同じパーティじゃないか、僕達」 「今は敵です」 「あんた達、いい加減にしなさいッ!!」  リミスの鋭い一喝が密閉された通路内に反響し、リミスよりも背丈の高いアリアと藤堂が身体を震わせた。  呆気にとられるスピカをおいて、リミスがその杖先を床に甲高く叩きつける。  がんがんと叩きつけながら、叱咤した。 「大の大人が二人、そんな事で喧嘩してたら初めてパーティに入ったスピカが不安がるでしょ! というか、私も不安よッ!」 「……あ、ああ……そうだね。悪かったよ」 「大体、何が怖いのよ。ここのアンデッドは最下級のアンデッドだって言ってたでしょ? 装備も万全だし、準備もしてある。恐れる必要ないじゃない」 「いやでも――……はい、仰る通りです」  言い返そうとしたが、すぐに神妙な面持ちを作った。リミスの目付きが再び険しくなりかけたからだ。  そんなリミスにアリアがため息をつく。 「リミス。誰にだって得意不得意はある。虫系の魔物が苦手な傭兵だっていれば植物系の魔物が苦手な者だっている……倒せるとか倒せないとかじゃない。お前だって苦手なものくらいあるだろ?」 「ないわ。虫だろうが植物だろうが魔導人形だろうが亜人だろうが」  宥めるアリアにリミスが断言した。  二人の身長の差異から、それは傍目から見ると子供が大人に食って掛かっているようにも見えた。  そこでリミスが、一度指先を唇に当て思案げな表情を作って言う。 「でもそうね……強いていうならば、ピーマンとか苦手かしら」 「……」  予想外の答えに、アリアは何も言えない。  そんなアリアを放置し、今度はリミスが藤堂に視線を変える。そして、左腕を伸ばし、目を白黒させているスピカの肩を抱いて叫んだ。 「でもね、私が言いたい事はそうじゃないし、アリアの言いたい事もそうじゃない。そうでしょ? 私達は今、グレゴリオからの依頼でアンデッドを千体……千体も倒しに来たのよ!? 苦手とか苦手じゃないとか言ってる場合じゃないでしょ!? 違う?」 「……仰る通りです」 「そもそも、覚悟してきたんでしょ? 違う?」 「……仰る通りです」  素直に頷く藤堂にリミスは満足げに笑みを浮かべると、冗談なのか本気なのかわからない言葉を出す。 「じゃー進むわよ。アンデッドに近づくのが怖かったら、剣でも投げて攻撃してみたら? あるいは魔法で攻撃するとか」 「……そうだね」  ぼんやりとその腰の剣を見下ろし、藤堂は乾いた笑い声をあげた。  そもそも、藤堂には魔法があるし、盾だって持っている。剣を投げたりしなかったとしても、他に選択肢はいくつもある。  ないのはアリアだ。アリアにできる事は剣を振るう事だけである。  アリアと藤堂の雰囲気はまだ暗かったが、それでもリミスの一喝によってやや表情が回復していた。  苦手とか苦手じゃないとか言ってる場合ではない。先程言われたその言葉を思い出し大きく頷くと、前に向き直る。  そして、再び歩き始めたちょうどその時、スピカが緊張の滲んだ声をあげた。 「あ、あの……藤堂さん。来ます」 「……何が?」  藤堂が訝しげな表情で振り返る。スピカが答えようと口を開きかけたその瞬間に、藤堂の耳が『それ』を捉えた。  アリアが剣を抜く。リミスが杖を握る。グレシャが欠伸をする。スピカが下唇を噛み、闇の奥底を見通さんとばかりに目を大きく見開く。  そして、藤堂はそれを認識した。  暗闇の向こうから聞こえるカタカタという音。僧侶は闇の眷属の気配を遠距離からでも察知出来ると言うが、藤堂ではまだできない。  周囲を満たす濃厚な瘴気と無数に存在するアンデッド達がその感覚を著しく乱している。だから、音が聞こえる距離に接近されるまで、それに気づかなかった。 「『歩く骸骨』です」  スピカの言葉を証明するかのように、影からそれが現れた。  アリアと同じくらいの身長。ぼろぼろの鎧を身につけ、朽ちかけた剣を握っる象牙色の人骨。  唯一、ただの骨でない証明として、その頭蓋、開いた眼窩から怪しげな黒紫の光が浮かんでいるのが垣間見える。  皮はなく、肉もない。以前出会ったリビングデッドとは異なり、腐臭はしない。  カタカタという音は骨と甲冑が擦れ合う音で、足甲も付けられていない脚が歩行のさいに床とぶつかり合う音。  動きは生ける屍よりは速く、しかしその名の通り『歩く』と呼べる速度だ。  息を飲み、腰から聖剣を引き抜くと、硬い表情で藤堂が言った。 「……僕が……やるッ!」  藤堂が、冷え切った脳内でその挙動を観察する。  動きは緩慢。その武器もはっきり見て分かるくらいにボロボロで力も感じない。今にも崩れてしまいそうな鎧は聖剣エクスならば間違いなく両断出来るし、鎧を抜けなくても蹴りつけただけで崩れ去りそうに見える。  野生もなければ技もない。ただ向かってくるだけの容易い敵だ。殺意も無ければこちらを認識しているかも定かではない。ただその眼窩からは不思議と昏い憎悪だけが感じられた。  アンデッドの大部分は死体ではなく、世界に満ちる魂が、死した者が残した負の思念と魔力を取り込み形を持って生まれるらしい。その存在は死者の無念を存在根底に持つが故に生あるものを憎悪する。  リミスやアリアから学んだ知識を反芻する。盾の持ち手を握る左手に力を入れる。唇を、舌を噛み鋭い痛みで恐怖を紛らわせる。憎悪に負けないように殺意を込めて目の前の存在を睨みつける。  リミスがその鬼気迫る様子に心配そうな声を掛ける。 「ナオ」 「ッ!!」  そして、藤堂は全力を込めて床を蹴った。  歩く骸骨と比べ、その速度は風のようだ。脚が縺れそうになりながらも一瞬で接敵すると、そのまま左手の大盾を振り被る。 「はぁぁああああああああああああああああああッ!」  気合を入れると言うよりは悲鳴のような絶叫が響き渡る。強い戦意と無意識の内に魔力が乗せられたそれを受け、歩く骸骨の結合が崩れ足元から崩れ落ちかける。  それを、藤堂は崩れかけている骸骨を思い切り盾でぶん殴った。  甲冑がひしゃげ、骨がまるで爆散するかのように辺り一帯に飛び散る。ボロボロの剣が壁に辺り乾いた音を立てる。  大きく見開かれ、瞳孔の開いた藤堂の眼がぎょろりと辺りを見回す。 「はぁ、はぁ、はぁ……やっ……た……?」 「ああ……ええ……まぁ。おつかれ」  散乱していた砕け散った骨が大気に溶けるように消失する。  息も絶え絶えの藤堂に、若干引き気味でリミスが答えた。  立ち止まって様子を観察していたアリアが言う。 「……完全にやり過ぎですね……『咆哮』の時点で倒していたでしょう」 「ッ……『咆哮』……?」 「魔力を声に乗せて相手にダメージを与える技術です。剣士などの近接戦闘職が使う最も基本的な魔力の使い道ですね」  アリアが、先程までアンデッドのいた空間を見る。  咆哮は基本的な技術だが、アリアはまだその存在を藤堂に教えていなかった。魔力の使い方を教えるよりも剣の基礎を教えるほうが常道だったからだ。  気合を入れた際に無意識に使えるようになったという話はアリアも聞いた事があったが、それが今ここで藤堂に起こったのは藤堂が他の剣士などと違って魔術を使える程豊富な魔力を有しているからだろう。 「……ッ……つまりそれは、近づかなくても声だけで倒せると?」 「『咆哮』のダメージは極小さく普通の魔物相手だと一瞬動きを止めるくらいしか効果はありませんし、非常に非効率な魔力の使い方らしいのでやめた方が……」  そもそも、敵を倒すのに使うような技ではない。歩く骸骨を倒せたのはとどのつまり、それだけ彼我の間に力量差があったという事だ。  アリアの答えに藤堂が僅かに肩を落とす。その表情はヴェールの森で魔物を葬った時とは異なり、一戦しかしていないとは思えないくらいに消耗して見えた。  その顔色に心配そうにリミスが尋ねる。 「……魔力乗せすぎよ。身体大丈夫?」 「あ、ああ。大丈夫、平気だよ」  神力が切れても身体能力が大幅に落ちるだけで意識は保たれるが、魔力を急激に消耗すると気絶する可能性があった。 「消耗は激しいので、最低限の魔力で打てるようになるまでは打たない方がいいでしょう」 「そうだね……」 「!!」  ようやく落ち着きを見せる藤堂。  スピカがきょろきょろとあちこちを見渡し、申し訳なさそうに藤堂に伝えた。 「藤堂さん……いっぱいくるみたいです」 page: 70 第十九レポート:アンデッドの倒し方A 「うわぁぁぁあぁぁあああぁぁあぁあああああああああああああああああああああああああッ!!」  聴覚を刺激する気味の悪い音。  現れたのは数え切れない程の人骨の集団だった。その数に、別にアンデッドに対して苦手意識を持たないリミスもさすがに表情が変わる。  藤堂は、その真っ只中に涙を流しながら踏み込んだ。  魔力が過剰に乗せられた『咆哮』にビリビリと空気が震え、一番前にいた骸骨が崩れ落ちる。その後ろの骸骨も同じように崩れる。しかし、その後ろの骸骨は一瞬動きが止まっただけで、すぐに体勢を立て直し向かってきた。  魔力とは元々形のないものだ。  魔力を乗せた咆哮は距離が離れれば大きくその威力を減衰させ、また、障害物があればあるほどその威力を減衰させる。その減衰率は明確な現象として世界に神秘を発現する『魔術』の比ではない。  アンデッドは倒して数秒で世界から消える。もっと世界に明確な形を刻む力の強い上位のアンデッドならば話は別だが、ウォーキング・ボーン程度では倒した側から消えてしまい、障害物にもならない。  泣きながら盾と剣をがむしゃらに振る藤堂に続き、アリアもまたそれに続き、及び腰で剣を振るう。  アリアに振るわれる剣もまた魔性のそれだ。火の精霊と土の精霊の力を借りて鍛えられたとされる魔剣ライトニングハウルはルークス王国が剣王に授けた由緒正しい剣であり、精霊の力を借りて生み出されたが故に強い神性を持つ。  神聖な力を持つ剣はウォーキング・ボーンをその振るう剣ごと両断し、塵に変える。  しかし、それでも数は全く減る気配がない。後から後から現れる骨人はまるで波のようで、後方から冷静に眺めても、尽きる事がないかのような錯覚さえ感じさせる。  幸いなのは前方からのみで後方からは敵が現れていない事。リミスが苛立たしげに藤堂とアリアに叫んだ。 「ナオ、アリア! 邪魔よ! 混戦してたら魔法が使えないでしょ! ちょっと下がりなさい!」  リミスの声にしかし、焦りのあまり剣をがむしゃらに振るい、前に出続ける藤堂とアリアは反応を見せない。  強く押し出した盾が骨を砕き、剣がその肋を斜めに両断する。一体一体は強くないが、何しろ数が多い。 「うわああああああああぁぁぁぁああああッ!! ああああああああああああッ!」 「ナオ、うるさいッ!」  無我夢中に繰り出された攻撃は隙だらけだったが、碌な技も持たず、そもそも回避する様子すらないウォーキング・ボーンには効果抜群だった。そもそも、敵が振るう剣の速度はそれほど速くはない。例え相手に攻撃する暇を与えたとしても、視認してから反射的に躱せただろう。  だから、心配なのはその体力だけだった。藤堂は無駄に叫びながら突撃しているし、アリアにもいつもの精細が見られない。 「これ、何体いるのよッ!?」 「え? おかわり? 無理、無理ですッ!」 「? スピカあなた、何言ってるの?」  突然変な事を言いだしたスピカに、リミスが訝しげなリミスは訝しげな視線を向ける。  スピカは首をぶんぶんと横に振った。 「な、なんでもないですッ!」 「なんでもないって……しかし、どうすればいいのかしら、これ」  一端スピカの方に注意を向けた事で、リミスが落ち着きを取り戻す。  藤堂とアリアが暴れているため、ウォーキング・ボーンの魔の手は後方にまで出ていない。いや、後衛を狙う程ウォーキング・ボーンには知恵がない。  一度深く深呼吸すると、改めて戦場を見た。  カタカタと鳴らす骨とその中を嵐のように暴れる勇者の姿。  力も敏捷も耐久もアリアと藤堂が圧倒的に上。レベル差故に今のところその風景に危うげはない。 「後何体いるかわかる? いや、そもそも……何体倒した?」 「……わからないです」  予想外に多いその数に慌ててしまい、スピカには数を数える余裕すらなかった。  しかし、その視線が地面に転がる魔結晶に向けられる。 「でも……後から結晶を数えれば何体倒したかはわかると思います」 「そうね。一端仕切り直しましょう。ナオもアリアもちょっと気が高ぶってるみたいだし……」 「え……でもどうやって――」  リミスが握った杖を今なお尽きることないウォーキング・ボーンの群れに向ける。藤堂とアリアが押しとどめるその先に向けて、精神を集中させた。  杖の宝玉が、リミスの込めた魔力により煌々と光を放つ。その光はガーネットの纏っていたものに酷似していた。  そして、リミスが短く唱えた。 「ガーネット、『炎の風』ッ!!」  宝玉で増幅された火の魔力が藤堂の頭の上にしがみついていたガーネットに送られる。瞬間、ガーネットが膨れ上がった。 「ッ!?」  発生した強い熱に反射的に藤堂が数歩後退る。真っ赤に輝いたガーネットがその頭から前方に飛び降りる。  アリアも藤堂と同様に後ろに下がった、それと同時に、その前方に炎が吹き荒れた。  それは指向性を持った炎の嵐だ。紅蓮は今まさにこちらに向かってこようとしていた三体のウォーキング・ボーンを容易く飲み込み、通路全体を奔流のように駆け抜け、隙間なく満たす。 「熱っ!?」  炎こそ飛んでこなかったが、全身に感じた強い熱風に慌てて藤堂がリミスの所まで戻る。  魔術は現実の物理法則を超えた力だ。それなりに制御されていたからその程度で済んだが、もしもこれが魔術によるものでなかったならば藤堂は丸焦げになっていただろう。  炎の嵐は数秒間吹き荒れ、唐突に消失する。そこには何も残っていなかった。  『歩く骸骨』はもちろん、それが落としたはずの魔結晶も何も。黒く焼けた床と壁、乾ききった空気と上昇した温度だけがその魔法の威力を物語っている。  リミスが左手でぱたぱたと胸元に風を送り込み、 「あっつ……やっぱり狭い所で使っちゃだめね……一応、殆ど熱は残っていないはずなんだけど……」 「凄い……」  呟くスピカに、リミスがにっこりと笑った。力を行使し終えたガーネットがリミスの杖から登り、その杖頭まで上がる。  再び戻った闇の向こうから、新しいウォーキング・ボーンが現れる気配はない。  全身に感じる特有の感触に、自身の手の平を見つめ、リミスが呟いた。 「あ、レベル上がったみたい」 「上がったみたいじゃない。危ないだろッ!」  息も絶え絶え、抗議してくるアリア。  炎が直接当たったわけではないので大きなダメージはないが、至近から浴びた熱風で顔が真っ赤になっている。  藤堂も同様に、唐突に放たれた魔法とその威力に顔色を失っていた。 「あんた達が下がらないから悪いんでしょ! 巻き込まなかっただけいいと思いなさい」 「いやいやいや、巻き込まれたからな! 大体、屋内で炎の魔法を使うのは――」 「ならどうしろって言うのよ? ずっと戦い続けてみる?」 「いや……それは……」  その言葉に言い淀むアリアに透かさず人差し指を突きつけ、微笑みかける。  その眼にアリアは本気を感じ取った。 「下がれって言っていったらすぐ下がりなさい。次は燃やすわよ?」 「ああ……解った」  青ざめ頷くアリアに満足げにすると、リミスが藤堂の方を見た。 「一端、作戦を立て直しましょ。少なくとも、『歩く骸骨』を倒せる事はわかったんだから」 「……そうだね。一端どこかの部屋で休憩して作戦を立て直そう」 § 「威力がレベル17の精霊魔術師のものじゃないな……さすがフリーディアの系譜と言うべきかなんというか……」  精霊魔術師の実力は契約した精霊と術者の練度に比例する。上級の精霊と契約してもその魔術の威力は必ずしも強くはならないが、本体の能力の方もどうやら普通ではないらしい。  一度咳き込み、熱の残った空気を吸い込む。振り返るが、せっかく集めた『歩く骸骨』は一匹も残っていなかった。 『大丈夫ですか?』 「問題ない」  近くの部屋で待機させていたアメリアからの通信に答える。  効果範囲も広く威力も十分だったが、こういう状況を想定して事前に自身に炎耐性を付与してあった。まぁ、付与してなかったとしても死にはしなかっただろう。如何に優秀であっても所詮はレベル17の魔術師の魔法だ。  元々、法衣もそう易易とは燃えない素材でできている。髪の毛一本焦げちゃいない。  少し驚いたが、ただそれだけだ。 「取り乱しすぎていたが、前には進んだな。この調子で行くか」 『そうですね』  人は慣れる生き物だ。苦手を得意にしろとは言わない。何とか、まともに戦えるようになって欲しい。できれば……正気を保ったままで。  張られた簡易な結界に釣られるようにして、再びアンデッドが寄ってくる。大墳墓は広大だ。強い瘴気により定期的にアンデッドは発生するため、リミスがいくら焼き尽くしても尽きる心配はない。  リビングデッド、ウォーキング・ボーン、レイス。リビングデッドが腐りかけぶよぶよになった手を俺に伸ばし、俺に掛けられた加護に弾かれ反射のように手を離す。  下位のアンデッドに知恵はない。まるで絡繰り人形か何かのように同じ行為を繰り返すリビングデッドを横目に、寄ってきたアンデッドの数を数えてアメリアに伝えた。 「もうとりあえず『歩く骸骨』をもう一セットいっておくか」 『了解です』 page: 71 第二十レポート:アンデッドの倒し方B  歯を食いしばり、強く鼓動する心臓の音。その音をはっきりと感じつつ、藤堂が震える手で剣を振るう。  その動作はぎくしゃくしており、いつものポテンシャルを十全に発揮しているとは言えない状態だったが、ウォーキング・ボーンはその刃を受け止めきれない。悲鳴の一つも上げずに塵になったアンデッドを確認し、藤堂が膝に手をつき、ぜえぜえと荒く呼吸をした。 「なんだ、倒せるじゃない」 「も、もちろんだよ……」  青褪めた表情で藤堂がリミスに引きつった笑いを向ける。その表情はお世辞にも大丈夫には見えなかったが、リミスはそこには触れずに大きく頷いた。  後ろでその戦闘風景を見ていたアリアももっともらしく頷く。 「ま、まぁ……元々、ナオ殿の力ならば、冷静になれば問題ないでしょう。冷静になれば」 「……アリア、あんたも次、やるのよ?」 「……分かってる」  通路の途中にあった一室で小休止を終え、藤堂達は再び大墳墓を歩いていた。  休憩を挟んだおかげである程度冷静さが戻り、その動きも先程とは比べ物にならないくらいに回復している。  リミスが主導となり決めたルールはたったひとつ。冷静さを努めて保ち戦闘を行う事。  元々予想していた事だが、先程のウォーキング・ボーンの群れとの戦闘で彼我の能力差は明らかになっていた。  相手は脅威を感じる程の魔物ではない。後は精神面の問題だけであり、それは本人が慣れるしかない。  藤堂が水筒を取り出し水を一口飲むと、口元を腕で拭った。心臓はまだいつもより激しく打っているが、ある程度呼吸は落ち着きを取り戻す。 「レベル……上がらないな……」 「そもそも、後九百九十九体倒さなくちゃならないのよ?」  先程倒したウォーキング・ボーンの群れはその討伐証明にもなる魔結晶ごと燃やし尽くしてしまい、何も残らなかった。  床に転がる小さな結晶を広い、藤堂がため息をつく。 「この層のアンデッドではレベルは上がりにくいでしょう。奥に行けばペースも上がると思いますが……」 「……ヴェールの森と比べてどれくらいなのかな?」 「……今倒したウォーキング・ボーンなら、一体で『 樹木の悪精』の三分の一くらいですね」  強さも三分の一くらいですが、と告げるアリアに、藤堂の表情が曇る。  その計算でいくと、藤堂のレベルはしばらく上がらない事になる。数を倒す必要があるという言葉の意味を、藤堂は改めて理解した。  スピカが居心地悪そうに呟く。 「私が……神聖術を使えれば……」 「言ったって仕方のない事よ。私だって精霊と契約するのに――随分と時間がかかったんだから」  リミスが慰めるようにその頭に手の平を載せる。スピカは一瞬びくりと肩を震わせたが、そのまま瞳を伏せた。  村でも、そして休憩している間も、スピカは何度か神聖術を行使しようと試み、その全てに失敗していた。  藤堂達にとってそれは承知の上だったが、それでも僧侶として入ったスピカが神聖術を使えないという事実はかなり重く伸し掛かってくる。  藤堂にとって神聖術とは簡単に使えるようになったものであり、スピカの気持ちを想像する事すらできない。 「とりあえず、先にアリアとナオに余裕を持ってアンデッドを相手出来るようになってもらうのが先ね」  実戦は訓練に勝る。グレゴリオの出した課題は、そのような趣旨で出されていると魔術師であるリミスは考えていた。  実際、魔術の分野においても、練習で全く使えなかったものが実戦でピンチになり初めて使えるようになったという話は良く聞く話だ。特に魔術と神聖術はその精神性が大きく効果に影響するためその傾向が高い。  その為にはまず、アンデッド相手に試行錯誤できるだけの時間を稼げるようになる必要がある。 「火の精霊は攻撃しか出来ないし……いざという時は倒すけど、最後の手段よ」 「……魔結晶まで燃えちゃうしね」 「火の精霊魔術が得意とするのは範囲殲滅ですからね……」  恨めしげな表情でリミスを見る藤堂に、アリアがため息をついた。  そして、まだ伏し目がちなスピカを元気づける。 「大丈夫だ、スピカ。神聖術は使えなくとも、闇の眷属に対する感知能力は大したものだ。恐らく才能はある」 「あ……えっと……はい。な、なんとなくわかっただけなので……次はわからないかも、です」  通信で連絡が来てるんです、とも言うわけにもいかず、困ったようにスピカが視線を彷徨わせた。  初戦と比べ、それ以降の戦闘は藤堂達にとって遥かに楽なものとなった。  まだぎこちなく、しかし危うげなく、遭遇したウォーキング・ボーンを討伐したアリアが袖で冷や汗を拭い、後ろを振り返る。   地下墳墓のひんやりとした空気は滲んだ汗を冷やし、体力を消耗させる。暗闇の中、ただ延々と苦手なアンデッドを相手取るのは精神を大きく消耗させる。 「随分と慣れてきたわね」 「……まぁ、最初よりはさすがに、な」  既に何度も敵と遭遇し、藤堂とアリアで交互に相手取っているが、今の所大きな問題は発生していない。  動作自体は完璧とは言えないが、つい数日前に大墳墓に初めて突入した時の様子と比べれば上達が見て取れる。  もちろん、現れる相手の数が少ないのもあるが、動きの向上の理由はそれだけではない。 「さすがにこれだけ現れると……少しは慣れてくるな」 「まだ怖い?」 「……怖い、が……」  リミスの問いに、アリアが視線を闇の向こうに向けた。静まった空間には互いの声しか存在しない。  アリアが剣を鋭い動作で鞘に抑え、険しい視線を向ける。 「慣れもあるが、相手が『歩く骸骨』であるのも大きいな」 「あー、確かにね……」  アリアの言葉に、藤堂も同意する。  最初に遭遇したウォーキング・ボーンの群れから始まり、随分と内部を探索しているが未だそれ以外のアンデッドが出る気配はない。  ウォーキング・ボーンには出会っているので、アンデッドがいないというわけでもない。 「『歩く骸骨』ってよく考えてみると、あのヴェールの森で出会った『樹木の悪精』とあまり変わらないよね。あれはあれで……おどろおどろしかったし」 「恐ろしいことは恐ろしいが、『生ける屍』や『悪霊』と比べれば随分とマシですね」  見た目のグロテスクさも然ることながら、ウォーキング・ボーンにはリビング・デッドやレイスと比較してその表情から感情というものがとてもわかりづらい。悲鳴のような声も呻き声も無ければ、臭いも薄い。如何にも怨嗟の表情で襲ってくる他のアンデッドとはやはり勝手が違う。  藤堂やアリアにとっては都合のいい事だったが、アリアが教会で受け取った地図に書き込まれていた内容を思い出して呟く。 「しかし、不自然ですね……教会で受け取った地図によると、このあたりにはリビングデッドやレイスの方がメインで出現するはずなのに……」  低位のアンデッドと言っても出現率にはばらつきが出る。  中でも骨と甲冑という限定的な形を取るウォーキング・ボーンは死者の形そのものを取るリビングデッドやレイスと比べてこの世界に発現しにくい。  それがアリアの知っているアンデッドの知識だ。もちろん、戦場跡など特定場所などでは出現率が変わる事は知っているが、ここまで偏りがあるといくらなんでもおかしい。  その言葉に、スピカがあわあわとあちこちを忙しげに見渡す。その表情がまるで誰かに助けを求めているかのように見えて、アリアは安心させるように力強い声を掛けた。 「まぁ、大丈夫。すまなかった、そういう事もあるだろう。不安にさせようとかそういうわけじゃないんだ」 「い、いや……大丈夫、です」 「この調子で千体倒せればいいんだけどね……」  藤堂が憂いを帯びた眼で自らの手の平を見下ろす。その指先はまだ僅かに震えている。  恐怖の感情は一朝一夕で克服出来るものではない。それは理性ではなんともならないものだ。  その時ふと、召喚される前の事を思い出し、沈んだため息をついた。 「……何にせよ、油断は禁物だな」 「……来ます」  アリアが床に転がる魔結晶を拾う。スピカが短く声を出す。藤堂は、進行方向から現れたウォーキング・ボーンの方に双眸を向けた。  呼吸を平静に保ち、その眼窩を強く睨みつける。 「怖くない。僕がやらなければ――誰がやる」  小さなその呟きは藤堂以外の誰にも聞こえなかったが、しかしそれだけで先程まであった指先の震えは止まっていた。  そんな藤堂にスピカが小声で報告する。 「藤堂さん……いっぱいきます」 「……え?」  スピカの方を振り向く。  いっぱいとは一体、具体的にどれくらいなのか。尋ねようとした瞬間、ふと強烈な、気絶してしまいそうな程に強烈な臭いが漂ってくるのを感じた。  藤堂が引きつった表情で視線をスピカから外し、暗闇に向く。向かってくるウォーキング・ボーン。その更に先の闇は濃く、未だ何も見えないが、視覚以外の全ての感覚がその存在を示している。 § 「こうしていると思いませんか? 私達、何してるんでしょうって」 「やる気が無くなるような事言うな」  地下墳墓は密閉されているため音が反響する。一応、通風口などは存在するが、暗闇を歩いていると藤堂達の悲鳴がよく聞こえた。  ウォーキング・ボーンにある程度慣れたようだが、まだリビングデッドは無理だったらしい。だが、既に何体もそちらに送ってしまっている。  作戦は順調だった。少なくとも、ウォーキング・ボーンには慣れたようだから、他のアンデッドに慣れるのも時間の問題だろう。  アメリアが相変わらずの感情の見えない表情で、手から繋がった光を引っ張る。  『聖者の鎖』  退魔術の中でも下位に属する、闇の眷属を拘束する光の鎖だ。  光の先、編まれた光に数珠つなぎのように捕らえられた無数のウォーキング・ボーンやリビングデッドが、アメリアの手の動きに連動するように引きずられた。   『うわああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!』  俺の送ったリビングデッドの大群に気づいたのか、先程よりも激しい悲鳴が木霊する。その悲鳴には魔力が乗っていた。  俗に言う『咆哮』と呼ばれるそのスキルは非常に単純なスキルであり、とても扱うのが難しいスキルでもある。  咆哮に魔力を乗せ相手を攻撃するスキルだが、魔力効率は悪く効果も足止め以上の意味を持たない。手札の一つとしてはありだが、有効に使うには長い鍛錬がいる。  ましてや、それで敵を倒すのはかなり難しい。骨からなる非常に不安定な肉体を持つウォーキング・ボーンやこの世に物質の身体を持たない悪霊ならばバラバラにできても、擬似的な肉の身体を持つリビングデッドには効果が薄いだろう。使うのが無駄だとは言わないが、効かない相手の方が多いのだ。乱用してもらっては困る。  その悲鳴を眉一つ動かさずに聞いていたアメリアが、小さくため息をつきこっちを向く。 「追加はどうします?」 「様子を見る」 「これで何体目でしたっけ?」 「六十二体目だ」 「……先は長いですね」  千体。目標は千体、だ。雑魚とはいえ、まだ十分の一も向かわせていないし、恐怖と戦う事によりその精神はその肉体以上に疲弊するだろう。そしてまた、藤堂は未だ連戦と言うものを経験していない。  それを考慮すると、グレゴリオの与えた課題はやはり過剰だと言えるだろう。果たして俺達がサポートせずにその試練を乗り越えられたかどうか……。  しかし、同時に奴が馬鹿ではないのも事実。見込みは少ないが、もしかしたら、俺達抜きでも藤堂達は課題をクリア出来るのかもしれないし、その事により、より成長出来たのかもしれない。俺達の行動がその芽を潰す結果になってしまう可能性だってある。  神の光に束縛され引きつるように痙攣を繰り返すアンデッドを睨む。  だが……仮定など無意味、か。  今分かるのは、この悲鳴には先程初めてウォーキング・ボーンの群れを差し向けられた時よりも遥かに高い恐怖が混じっているという事だけだ。  アメリアが俺の表情を見て、あけすけな言葉を掛けてくる。 「深刻そうな表情をしています」 「この顔は生まれつきだ」  悩んでも仕方のない事だ。俺は俺の出来る事をやる。  今まで理屈で全てをこなしてきた。運命の存在を身近に感じた事はあるが、それを頼った事はない。  現在の状況から計画を立て直す。藤堂とアリアのアンデッド克服状況。レベル。戦果。そして、スピカの状態も考慮し、最もあり得る未来を最もあるべき未来にするために。  グレゴリオの思惑なんて……くそくらえだ。 「スピカには夜間に少し時間を取って貰って訓練をつけよう。何としてでもスピカにはこの三日の内に神聖術を修めて貰う」 「わかりました」 page: 72 幕間その2 神の試練 『あるべくして勝利する』  グレゴリオ・レギンズの信条はただその一つの言葉で表現される。  魔王クラノスの存在が人の世界で認知されるその遥か以前から異端殲滅官として戦ってきた。  その職務の激しさ故、メンバーの移り変わりの激しい異端殲滅教会の中で、グレゴリオは屈指の経験と実績を誇る。  しかし、グレゴリオは自身が成し遂げた全ての結果を自分の功績だと考えていなかった。    例え如何なる災禍が訪れようと、秩序神の下僕が敗北するわけがない。  神の下僕故に、神の御心のままに動き、当然に勝利する。ただそれだけだ。そこに自身の努力や意志などは介在していない。  水が上から下に落ちるように、それが神の導きであるのならば、あらゆる試練は達成される。それこそが神の加護に他ならない。  故に、グレゴリオは自らの与えた試練についても何ら心配していなかった。  退魔術の習得を欲する者たちに試練を与えてその日から一日半が経過していた。  日も沈み、第三教会に借りている自室で教典を開いていたグレゴリオがふと顔を上げる。  試練を与えたその日とは異なり、空には分厚い雲が広がり、激しい雨が屋根を打つ音が響き渡っていた。  夜間、それも雨天時に教会に来る者は少ない。  まだ深夜と呼ぶには早すぎるが、室内はもちろん教会全体は寝静まったように静かで、耳に入ってくるのは雨の音のみ。  静寂の中、グレゴリオが声をあげた。落ち着きのある声が誰も聞く者のいない部屋に響き渡る。  まるで不自然なものでも見たかのような感情の滲んだ声。 「……導きが……全然消えませんね……」  教典を手に持ったまま立ち上がり、室内を歩き回る。その視線が部屋の隅に置かれた黒のトランクケースに向けられる。  頭の中、脳の片隅で燻る奇妙な感覚。 「アレス・クラウンが対応するのであれば僕はもう不要なはずですが……はて……」  不思議そうな声。その黒い瞳がじっと宙を見つめる。  グレゴリオは自分の行動指針を全て、神の導き――他者からは勘と呼ばれるものに委ねているが、その精度は一般的に呼べる『勘』のそれを遥かに上回る。その精度たるや、教会の本部が高い信憑性を抱いている程だ。  大抵の場合、グレゴリオは自身のやるべき事がわかった。神の導きはあらゆる予知を凌駕する。それは当然の事であり、多少のラグはあってもそれが外れた事は殆どない。  アレス・クラウンとの邂逅から既に二日。今この村が自身のあるべき場所でなくなったとするのならば、グレゴリオ自身にその事がわかるはずだ。  だが、最初に大墳墓に侵入した際に得たその『導き』は消える気配がない。  つまりそれは、自分のやるべき事がまだ残っているという事である。  まるで臭いでも嗅ぎ取るかのように鼻を動かし、グレゴリオが首を傾げる。  闇の眷属の気配はない。少なくとも、村の中にはないし、そもそもアレスが対応するのならば自分は不要だ。異端殲滅官にも得意不得意はあるが、アレスは補助から回復、戦闘まで全てをバランス良くカバー出来るオールラウンダーである。加護こそ持っていないものの大抵の相手に負ける事はないし、そもそも負けるような相手であるのならばその性格上、間違いなく助けを求めて来るだろう。  グレゴリオが天上を見上げ、まるで天に問いかけるように呟く。  興奮の欠片もない冷静な声で。 「神よ。僕にはまだやることがあると、そう仰るのですね」  その瞳には何も映っていない。答える者はいない。だが、グレゴリオは確かにその問いに対する神託を感じ取っていた。  ならば、それに殉じるだけだ。やるべきその時になればやるべき事がわかる。  開いていた教典をパタリと閉じる。  神の使徒。グレゴリオ・レギンズには不安も躊躇も存在しない。 §  満身創痍とはこの事かと、藤堂は朦朧とした意識の中、考える。いや、考え続けなければ意識が飛んでしまいそうだった。  ユーティス大墳墓を歩き回る事、果たして如何程の時間が経過したのか。  頭には断続的な痛みが奔り、息は苦しく手足も重い。度重なるアンデッドの襲来は確実に藤堂達を疲労させていた。精神疲労、肉体疲労、無数の生ける屍の腐臭により嗅覚は既に麻痺し、全身に浮かんだ汗が空気で冷やされ体力を奪う。隣に立つアリアもまた、疲労の滲んだ目付きで辺りを見回していた。  剣を持ったまま、その手を壁に付け、ゆっくりと呼吸をする。  たった今、こちらに襲撃してきた三体のリビングデッドを屠ったばかりだ。周囲に魔物の姿はいない。近くに気配があるかどうかはわからない。  目に見える範囲にアンデッドの姿はないが、次に現れたその時にまともに戦えるのか、藤堂には全くわからなかった。 「はぁ、はぁ……スピカ……周りに……魔物は?」 「……いない、みたいです」  藤堂の問いに、藤堂やアリアよりも顔色のいいスピカが答える。その答えに、藤堂は心の底から安堵する。  軽量の金属でできた盾が、重さを感じないはずの剣が酷く重く感じる。断続的な頭痛は魔力が切れかけている証だ。  もう何体のアンデッドを倒したのか、藤堂は覚えていない。途中までは数えていたが、千体という終わりの見えない目標数と殆ど切れ目なく襲来してくる無数のアンデッドに、藤堂は途中から数えるのをやめてしまっていた。その事に意識を割くほどの余裕がなくなったためだ。  決して、強力なアンデッドと遭遇したわけではない。だが、久しぶりの長時間の連続戦闘は藤堂たちの体力を極限まで削るのに十分だった。 「……アリアもナオもかなり疲れているみたいだし、今日はこの辺で終わりましょうか」  そういうリミスの顔色もあまり良くなかった。アリアと藤堂の体力消耗が一番激しいのは間違いないが、リミスもリミスで魔法を何度も使い、その度に大量のアンデッドを焼き払っている。そうする必要があるくらいに、アンデッドは現れたのだ。  元々体力がない事もあり、元気よく振る舞ってはいるが、その顔色からは無理をしているのがはっきりわかる。  スピカがおずおずと進言する。 「近くに……休める部屋があるみたいです」 「……とりあえず、そこに行ってみようか……」  自分の心臓の音がやけに強く聞こえていた。  生存本能と呼べるものなのか、意識は今にも落ちそうな程朦朧としているにも関わらず、身体はまだ動く。  陣形は変えずに、前に、ただ前に進む。もう随分と奥まで踏み込んでしまった。休まなければ帰ることすらままならない。  スピカが指し示したのは、教会に借りている一室と同じくらいの大きさの部屋だった。  借りている部屋と異なるのは、その部屋には家具も何もないという事。薄暗いという事くらいだ。  部屋につくと同時に、崩れ落ちるようにして床に座り込む。厚手の外套から伝わってくる冷たい感覚にようやく生の実感が戻ってきた。 「藤堂さん……すいません。結界を……張らないと……」 「……ああ……そうだった」  スピカに言われ、異空間から聖水と『魔法の馬車』を取り出す。  馬車の方をリミスに任せ、這いつくばるようにして聖水を蒔く。部屋の隅に不思議なマークがあったが不自然に思う事なく、藤堂は最後の力を振り絞って結界術を行使した。 §  藤堂直継にとって、スピカ・ロイルは謎の多い少女だ。  神聖術を一つも使えないのに単身大墳墓に向かった事といい、そのおどおどした様子とは裏腹に見え隠れする優秀な能力といい、どこかチグハグな印象を受ける。  例えば、下位の神聖術を修め秩序神のアズ・グリードの加護を持つ自分よりも先に、そしてより精密に闇の眷属の居場所を察知する能力。  例えば、休憩時に結界を張る事を忘れていた藤堂にそれを進言する抜け目のなさ。  そして例えば―― 「スピカ、貴女よく覚えてたわね……」 「いえ……そんな凄い事では……」  目を丸くするリミスに、スピカが居心地悪そうに瞳を伏せる。  アリアもまた、謙遜するスピカに賞賛の言葉を掛ける。 「……いや、見事な物だ。戦闘に気を取られて……すっかり忘れていたからな」  広げられた薄汚れた地図に目を落とす。戦闘に無我夢中で現在位置がわからなくなっている事に気づいたのは部屋に入り、一息ついた後だった。  ヴェールの森とは異なり、どこまでも広い地下墳墓で現在の場所がわからなくなる事は死に直結する。磁石があるので方角はわかっても、無数に存在する同じような通路から偶然帰り道を見つけるのは難しい。  顔色をなくす藤堂達にとって救いの手になったのは驚くべき事にスピカの存在だった。  藤堂やアリア、リミスが失念していたそれを、スピカは詳細に覚えていたのだ。  スピカが小さな声で自嘲気味に呟く。 「私には……これくらいしか出来ませんから……」 「いやいやいや、十分だよ」 「魔物狩りの死因の二十パーセントは遭難だと言わていますからね……」  藤堂には異空間にアイテムを収納する魔導具があり、その中に食料も水も大量に入っているが、それだって無限ではない。何よりも、アンデッドの蔓延る地下墳墓で迷子など、考えたくもない。 「じゃー……今日の戦果を確認しましょうか」  リミスが、腰につけていた袋をひっくり返す。本日戦闘を行った成果――魔結晶がじゃらじゃらと床に散らばる。  一瞬見ただけでは数え切れないくらいの数。だが、どう見ても千個はない。  一個一個丁寧に数え終え、藤堂が沈んだ声を出した。 「百三十個……か……」 「一日の戦果としては大きいと思いますが……」  体感ではかなりの数のアンデッドと戦った感覚があるが、実際に数えてみるとそれ程でもない。アンデッドの大きさは人と同程度であり、基本的に通路で戦っているので応対出来る数は限られる。  慰めるようなアリアの声に、しかし藤堂は深くため息をつき、肩を落とした。  千体。その目標から考えると、明日と明後日は今日よりも更に頑張る必要があるという事だ。できれば三日も掛けずに終わらせたいと考えていた藤堂にとってその結果はあまり良い結果とは言えない。 「ま、まぁ私が燃やしてしまったものもあるし?」 「……それは倒したと証明出来ないじゃないか」  かと言って、リミスを攻めるわけにもいかない。リミスの魔法がいなければ、藤堂たちは何度もアンデッドの波に飲み込まれていただろう。そうなれば、死なないまでも大きな傷を負っていた可能性が高い。  今は床に寝そべっているガーネットもまた、火を炊くことの出来ない室内で焚き火の代わりの熱源となっており、消耗した体力の回復に貢献している。  アリアもそれについては何も言う事なく、ただ膝を手で打って力強く宣言した。 「まぁ、明日は今日よりも倒せるだろう。私も……少しは慣れたしな……」 「……ああ、そうだね……」  慣れたのは事実だ。事前の覚悟さえあれば、激しく取り乱すような事はないだろう。  遭遇したのがウォーキング・ボーンやリビングデッドばかりで、悪霊と出会わなかった事だけが懸念だが、遭遇しなかったのは仕方がない。  気を取り直すべく、自らの頬を両手でぱちんと叩き、藤堂が顔を上げた。  続いて、久しぶりにレベルアップの儀式に入る。  藤堂のレベルこそ上がっていなかったが、アンデッドの群れを倒し続けた事で、リミスとアリアの方はレベル上昇の感覚を感じ取っていた。  まずはレベルの低いリミスの方にレベルアップの儀式を施す。  藤堂の手の平がリミスの頭、肩を腕に触れ、まだ慣れない動作で十字を切る。  きらきらした金の光が全身を包み、リミスが唇を噛んで艶めかしい吐息を漏らす。  身体からはっきり分かるくらいに神力が抜け、身体全体がだるくなるが、かつて教わったとおり、てきぱきとした口調で続けた。 「これでリミスはレベル18になった。次のレベルアップまでは存在力は……ごめん、ちょっとわからない……」 「……まぁ、倒し続ければいいでしょ」 「……そうだね」  次のレベルアップまでの存在力は儀式を行った結果数字が頭に浮かぶわけではない。何度も繰り返す上でなんとなく見積もれるようになるものだ。  続いてアリアの方を向き、申し訳なさそうな表情で藤堂が言った。 「ごめん、アリア。アリアの儀式は……ちょっとまだできそうにない。結界を張ったせいか、神力が足りなくなっちゃいそうで……」 「……わかりました。まぁ、明日の朝回復した後にやっていただければ……」  神聖術は要だ。スピカが使えない以上、藤堂が消耗しすぎるのはまずい。  ざわめくようなレベルアップ可能時特有の違和感を全身に感じながらも、それをおくびにも出さずにアリアが頷く。  藤堂が悔しそうに唇を噛んで唸った。  「彼なら……出来たんだろうけどね……」 「……本職はやはり違うという事でしょうね」  脳裏に蘇るのは、僧侶に求められるあらゆるタスクを顔色一つ変えずにこなしてみせた、レベルがたった3のプリーストの姿だ。  首を振り、その姿を消し去る。何が足りないのか。どうして彼に出来る事が自分には出来ないのか。  激しい劣等感を感じるが、今更弱音を吐く権利があるわけもない。 「私も……頑張ります」  まるで、藤堂のその考えを読み取ったかのように、スピカが小さく拳を握って呟いた。 §  そして、夜間、藤堂は唐突に目を覚ました。  全身に感じる強い疲労。暗闇の中、まだ重い瞼を擦り、何気なく馬車の中を見渡す。  『草原の風』の幌は気密性が高く、馬車の中は外と比べて暖かい。その内部は一種の魔法が掛けられており、外から見る以上に中のスペースは広い。  ほぼ完全な暗闇の中、じっと眼を凝らす。  枕元に杖を置き、毛布を抱きしめるようにして眠る小さな影。規則正しい寝相で小さな寝息を漏らす長身の影。  特におかしな物音もなければ殺意や敵意も感じない。  しかし、そこで藤堂はある一つの事に気づいた。 「……あれ……すぴかは……?」  自分の隣で眠りについていたはずのスピカがいない。手探りで辺りを触れる。スピカが寝ていた場所にはただ丁寧に畳まれた毛布だけが残っている。  疲労がまだ残っているのだろう、意識を闇の中に引きずり込もうとする強烈眠気。それに必死で抗い、まだ靄の掛っている頭を回転させる。記憶を探る。  確かにスピカは隣で寝ていたはずだ。おやすみなさいと、はにかみながら囁いたスピカの気弱そうな眼がはっきりと頭の中に残っている。  特に異常はない。スピカがいない事以外には異常がない。  半分寝ぼけていたが、徐々に冷静さが戻ってきた。頭を振るい、ぼんやりとした眠気を思考から追い出す。  スピカはレベル10だ。アンデッドに対する苦手意識さえないとは言え、神聖術も使えないスピカでは歩く骸骨を相手にする事も難しいだろう。  馬車から出たのか? 部屋には結界が張ってある。部屋の外に出ない限り、アンデッドに襲われる心配はないはずだ。  リミスやアリアを起こそうか迷い、起こすのをやめる。ただ、枕元にいつでも抜けるように置いておいた剣を手に取り、ゆっくりと身を起こす。  一応外の様子だけ見ておこう。  藤堂がそっと立ち上がろうとしたその瞬間――視界が真っ暗になった。 「ッ!?」  心臓がどくんと強く鼓動する。反射的に叫ぼうとしたが、声が出ない。  遅れて自分の視界いっぱいに広がったのが馬車の床である事に気づく。  ――あれ? 立ち上がったはずなのになんで……?  考えようとした瞬間に意識が暗闇に吸い込まれる。その力は、先程まで感じていた眠気を遥かに超えた強制力を持っていた。 「おやすみなさい、藤堂さん」  小さな、しかしどこかで聞き覚えのある声。その声の正体を考える間もなく、藤堂の意識は完全に闇に飲まれていった。 page: 73 守護者 「聖水じゃ足りない。三十点だな」  藤堂の張った結界はお世辞にも強固とは言えない。瘴気の満ちる地下墳墓では更にその強度は落ちる。  俺がその部屋に足を踏み入れた時には既に藤堂の結界は壊れかけていた。恐らく、朝まで持たないだろう。足りない場合、持続時間を想定して余裕を持って定期的に結界を張り直す必要がある。  俺の張った結界が残っているので壊れたとしても問題はないが、そういう事もあるのだと後からスピカに伝えて貰う事にする。  元々、神聖術について詳しい教育を受けていない藤堂では知らなくても仕方のない事だが、この辺りは一度経験し、強烈に記憶に焼き付ければ忘れる事はない。危機感は持っておくに越した事はないのだ。  アメリアから呼ばれ、馬車の幌からスピカが這い出てくる。  余程眠いのだろう、目を擦りながら出て来たスピカは頼りなく、その歩みも覚束ない。  無言でスピカに状態異常回復神法を掛ける。申し訳ないがこちらは一刻を争うのだ。  突然消えた眠気に眼をぱちぱちさせるスピカと入れ替わるように、アメリアが馬車の方に手の平を向ける。何事か呟くと、薄っすらとした靄が馬車全体を囲んだ。  今まで見たこともない魔法だが、それが以前リミスとグレシャを眠らせた『眠りの魔法』という奴なのだろう。 「万が一にも起こすなよ。特に……藤堂はその手の魔法に耐性を持っているはずだ」 「はい」  スピカが駆け寄ってくる。直接戦闘に関わっていないとはいえ、強行軍はレベル10の身ではかなりきつかったのだろう。途中で起こしたせいか、その表情には明らかな疲労が残っている。  それでも、スピカには疲れている表情こそあれ、嫌そうな表情はしていない。これならもう一働きしても大丈夫だろう。肉体疲労は神聖術である程度消せるのだ。 「アメリア、ここで藤堂たちが起きないように監視を頼む」 「了解しました」 「……後、アリアのレベルアップの儀式をしておいてくれ。藤堂の神力を節約させたい」 「わかりました。やっておきます」  明日は今日以上に強行軍になる。余計な事をさせている場合ではない。  アメリアが頷くのを確認し、部屋の出口に向かう。スピカは戸惑うにようあちこちを見回していたが、手招きするとわたわたしながらついてきた。 「疲労は大丈夫か?」 「は、はい。大丈夫……です」  気丈な言葉だが、半分くらい嘘だろう。  歳不相応だが、孤児を出自とする者にはこういう過剰な気遣いをする者が少なくない。 「出来るだけ早く終わらせる。疲れているだろうが、明日以降のためだ。少し付き合ってくれ」 「……いえ、そんな……こちらこそ……ありがとうございます」  最低一つ。この三日で最低一つ、いや、今日を除けば二日だが、この二日で神聖術を覚えさせなくてはならない。  一日目は藤堂パーティの現状を把握させた。今日まで神聖術を使えるようにならなかったのは想定の範囲内だ。  魔術も神聖術も、奇跡は最初の一つを覚えるのが最も時間がかかる。ゼロをイチにするのはイチをニにするのとは訳が違う。  ユーティス地下墳墓には用途不明の部屋が無数に存在する。スピカを案内したのはそんな部屋の一室だった。  入った直後にスピカのその表情が強張る。その視線は部屋の中央、石のテーブルの上に直立した巨大な骸骨に向けられていた。  体長はウォーキング・ボーンのほぼ倍。大きさだけならば、鬼面騎士の像と変わらないそれは、ウォーキング・ボーンとは異なり明らかに人間の骨のサイズではない。  ウォーキング・ボーンより強い瘴気から生み出される不死種。骨人の一種であるそれを『巨躯の骨人』と呼ぶ。  ウォーキング・ボーンの数倍の強さを持つが、今それは、足元から茨のように伸びる光を全身に受け、動くこともできずにただ握り拳程の大きさの眼窩がこちらを見下ろしていた。  適性討伐レベルは30程度。このユーティス大墳墓でも、地下二階から少しずつ出現し始め、地下三階からは雑魚としてゴロゴロ徘徊しているその程度のアンデッドだ。それほど強い魔物ではないが、スピカは見るの初めてだろう。  目を凝らし、怪物を見上げるスピカ。  何も言わずに、拘束されたヒュージ・スケルトンに寄りかかるような形で、石のテーブルに腰を下ろす。  冷えた空気の中、少し緑がかった灰色の眼がヒュージ・スケルトンから俺に向けられた。  ヒュージ・スケルトンが身を捩る。その頑強な骨を模した身体が光とぶつかり紫電の弾ける音に似た音が響く。その身体を束縛している『光の茨』は『聖者の鎖』の強化版のスキル。ヒュージ・スケルトン程度に破られる心配はない。  その音に微かに身体を震わせるスピカに、努めて平静な口調で宣言した。  既にアメリアの方から通信で用件は伝えてあったが、もう一度はっきりと。 「スピカ、お前に神聖術を覚えてもらう。今夜の内に一つは……使えるようになるだろう」 「ッ……はい!」  先程までとは異なる、気合の入った声。  昼間何も出来ないまま藤堂達の後ろにいたのが余程堪えたのだろう。厳密に言うと、情報の伝達には役に立っていたが、それを自分の功績だと考える程スピカはまだ大人ではない。純粋無垢とも呼べるかもしれない。  神聖術に必要なのは感情である。それも、基本的に強い感情であればある程いい。  それは例えば……憤怒、慈愛、悲哀、勇気、あるいは義務感や確信、信仰心などでも構わないが、スピカが神聖術を未だ使えないのは、神力がまだあまりないのもあるが、それが足りなかったからだ。  上位の僧侶はそれを得るために長く厳しい修行や奉仕を行う。悲劇的な境遇を持ち、そのトラウマから由来する強烈な感情により、強力な神聖術を操る者もいる。  だが、スピカはそのどちらにも当たらない。  付き合いは浅いが、スピカがやや内向的な面がある事はわかっている。この手の気質の人間は強い劣等感を抱きやすい。ましてや、彼女の周りにいるのはそれほど大きく年齢の変わらないリミスやアリアであり、出自が出自でもある。  通常、後ろ向きの感情で神聖術は目覚めない。スピカが強気な人間だったらそれに発奮され、引っ張られる形で神聖術を使えるようになる可能性もあったが、この性格ではその可能性も高くない。  だから俺は、スピカが神聖術を修めるための走りとして、『錯覚』を利用するつもりだった。  元々、人間は生まれたての状態だったとしても、最下級の神聖術を使えるくらいの神力をその身に有している。スピカもその例に漏れない。  真剣なスピカの眼差しを覗き込むように質問する。 「スピカ、俺が与えた教典は読んだか?」 「はい。一通りは……」  教典とは即ち、アズ・グリードの教えであり、秩序神の徒がどうあるべきか説いているものでもある。大多数の僧侶はそれを信仰の源として修行を行い、奇跡を授かるのだ。  逸話や教えなどの書き込まれた正式なそれは全十三部にもわかれており、その全てを読み込むのには相応の時間がかかるが、スピカに与えた教典は入門であり重要な部分だけピックアップされたものである。  スピカの表情に不自然な点は見られない。それほど時間はなかったはずだが、一通り読んだというのは嘘じゃないのだろう。  それを確認し、口を開く。 「知っての通り、アズ・グリードは秩序を司る神だ。俺達、僧侶はその教えに従いこの世界の秩序を保つ事を、引いてはその平和の礎となる事をその宿命とする。病や怪我の治癒、力の足りない人間の補助、そして災禍の顕現である闇の眷属の討滅もまたその役割によるものだ」  強い光の茨に照らされたスピカの表情はとても真剣だ。スピカを選んだ理由が理由だけに、一番最初は不安だったが、案外アメリアの引きも悪くないのかもしれない。顔だけで選んだとか言ってたけどなー。  光の茨に手を差し込んで見せる。スピカの灰の眼が僅かに輝く。  成人男性の膂力を遥かに越える力を持ったヒュージ・スケルトン。その動きを完全に束縛する光の茨も神の徒である俺には何ら影響を及ぼさない。 「故に、僧侶はすべからくその為の奇跡を授かる。例外は――ない。スピカ、グレゴリオの野郎はお前に何を見せた?」 「え……えっと」  スピカが必死に説明を始める。  立ち昇る無数の光の柱。天を貫く光の弾丸。神聖術と一口に言っても、その威力はその神力や練度に影響する。スピカの言葉は殲滅鬼の持つ類まれな退魔の力を示していた。  奴が藤堂達の眼の前でやって見せたのは一種の極地である。本来の『闇を祓う光の矢』は光の矢を放つだけの神聖術だ。  柱のように発生させる事も難しければ、それをまとめて一つの矢にする事は更に難しい。それを成すためには出力の強さではなく、非常に緻密な操作が必要とされる。暴れまわっているように見えて、長年の経験に裏打ちされたグレゴリオの退魔術の精度は異端殲滅官でも屈指だ。  厄介なものを見せてくれた。神聖術の威光を見せるには打ってつけだが、手本が過ぎる。  少し悩み、一度深呼吸する。そこまで緻密な操作は、レベルだけならグレゴリオよりも高い俺でも難しい。  石の台から降り、スピカを少しヒュージ・スケルトンから離させる。二メートル程距離を置き、俺自身もその隣に立つと、右手の指をぱちんとならし、唱えた。 「『闇を祓う光の矢』」 「あっ……!!」  俺の目の前、三十センチ程の空間に小さな光の球が浮かぶ。  スピカが目を丸くするその前で、光はみるみる内に大きく拡張し、一メートル程の大きさになった所で捻れるように変形した。  光の球が形作ったのは矢だ。いや、それはもはや矢というよりも、光の槍のようだった。  本来込める以上に込めた神力はその光に質量を与え、煌々と輝くそれが呆けたように口を開くスピカの表情をはっきりと照らす。  印象だけならばグレゴリオのやったそれに勝るとも劣らないが、技術的な面で言うのならばグレゴリオの技よりも遥かに下だ。  だが、それでいい。一度、グレゴリオの与えた幻影を吹き飛ばさなければいけない。  そして、光の槍が無言で出した合図に従い射出された。  槍は刹那の瞬間でヒュージ・スケルトンに達し、その体幹を貫くと、まるで爆発でもしたかのように強烈な光を辺りに撒き散らす。  スピカが反射的に腕で目元を隠し、そして光は一瞬で消えた。  音はまったくなかった。光が消え、暗闇が戻る。まだ目を押さえているスピカに淡々と説明する。 「僧侶はその信仰に応じた奇跡を得る。グレゴリオはその存在全てを賭けて闇の眷属を討ち滅ぼす事を誓った。奴の類まれな退魔術はその覚悟の顕現だ。一般的な僧侶に出来る事ではない」  賛辞の言葉。気質こそ認められないが、その能力だけは疑いようもない。  奴の誓いは奴から退魔術以外の術を奪い、強力な戦闘手段を与えている。スピカはもちろん、俺も含めて殆どの僧侶が真似出来ない事だし、真似をしても意味はない。  テーブルの上には先程まで確かに存在していたヒュージ・スケルトンも、それを拘束していた光の茨も残っていなかった。  ようやくスピカが腕を下げ、目元を露わにする。  一瞬あけて、乾いた音が暗闇に反響する。ヒュージ・スケルトンの魔結晶が床を打つ音だった。  その眼を愕然と見開き、言葉もなく空っぽのテーブルに視線を向けるスピカ。その視線を切って進み、改めてテーブルの上に腰を下ろす。 「ここまで強力なものではないが、スピカ。お前には既に神聖術を扱える地盤がある」 「え……ほ、本当ですか?」 「本当だ。だが、実際にやってみて使えなかった、そうだな?」  訓練が足りなかった。信心が足りなかった。そもそも、スピカが僧侶となることを決めたのはここ数日だ。  スピカが萎縮したように、ただでさえ小さな身体をより縮める。しかし、その視線だけはしっかりと俺の眼に合っていた。  暗示だ。これは一種の暗示のようなものだ。スピカが本当にそんな事を思っていたのか、俺はそれを知らない。  だが、やってもらわねばならないのだ。全ては――魔王討伐のために。決定権は既に与えた。 「秩序神に対する信仰もある。教典も読んだ。朝夕の祈祷もしている。藤堂の――闇の眷属と戦う覚悟もあるし、パーティの役に立ちたいという思いもある」 「は……はい……あります」  改めて言葉に出すことにより、スピカの心にそれを強く印象づけさせる。感情を、信仰をそちらに向ける。闇の眷属と戦う事。パーティに僧侶として参加する事。今までただピュリフで一人の孤児として生活していた日常から――魔王討伐という非日常に。  言葉に強い説得力を持たせる。言葉で威圧する。それもまた、レベルが上がって出来るようになる事の一つだ。  そして、俺は一度唇を舐め湿らせると、忘我の表情で言葉に聞き入っているスピカに問いかけた。 「スピカ、ならば――お前に足りないものが何なのかわかるか?」 § 「……え? なんで?」  思わず口から出た言葉。藤堂はまじまじとスピカの顔を見た。  少し隈の残る双眸。灰色の髪に眼。小柄な身体に法衣。昨日と何ら変わった様子はなかったが、その表情は昨日よりも明るい。  リミスもアリアもまた、藤堂と同じ気持ちなのだろう、夢でも見ているかのような表情でスピカの様子を見ている。  スピカのレベルは前日とは変わらず、その姿形にも変化がない。ただ、その前に小さな光が浮かんでいた。  そう、光だ。直系数センチ程の大きさの光の球。  室内の瘴気を浄化するかのような清浄な光が確かに、周囲の闇を祓っていた。 「? 昨日は使えなかったはずでは?」  アリアが戸惑いの表情を浮かべ、宙に浮かぶ光球を凝視する。  それは小さく光も弱かったが、確かに神聖術と呼ばれる術だった。光が明滅し、音もなく消える。  スピカがまるで言い訳でもするかのように呟いた。 「昨日の夜……練習したので……」 「す……すごいじゃないッ! スピカッ!」  リミスが喜色満面でスピカの手をにぎる。その言葉に、ようやく藤堂とアリアにも実感がわいた。  そのリミスの勢いに押され気味になりながらも、スピカが嬉しそうに微笑を浮かべる。 「昨日は使えなかったはずなのに……どうしたの?」 「誰にでも出来るような……一番簡単な退魔術ですけど……」 「それでも凄いよ!」  藤堂が目を輝かせ、手放しに賞賛する。  アンデッド討伐に対する不安、朝から漂っていたどんよりとした暗い空気はいつの間にか残っていなかった。  スピカの使ってみせた小さな光はアンデッドを倒せる程強くなかったが、それは間違いなく希望の光だった。例え最下級だったとしても、神聖術を使える僧侶がいるのといないのとでは精神的な安心感が違う。  身体は重い。体力はゲームのように一晩寝ただけでは回復せず、アリアもリミスの一挙一足もどこか緩慢だ。  だが、その声は明るかった。まるで辺りに満ちる闇を吹き飛ばすように、藤堂が力強く宣言する。 「よし、今日も頑張ろうッ!」 「はい! 頑張りましょう!」  首から掛けた十字のネックレスを人差し指で無意識にいじりながら、スピカも珍しく大きな声で応えた。 page: 74 第五報告 ピュリフにおける勇者のサポートとその顛末について 第二十一レポート:アンデッドの討伐をサポートせよ  藤堂一行の戦闘地点からの直線距離は凡そ三百メートル。  距離だけ述べると近いように思えるが、大墳墓は入り組んでおり、間には角や壁が存在する。見つかる心配はない。  通路内を反響し、遠くから聞こえて来る激しい戦闘音には悲鳴が混じっていなかった。  まるで犬の散歩でもするかのように、次に送るアンデッドを縛った光の鎖を引きながらアメリアが言う。 「調子、良さそうですね」 「そうだな」  アメリアの言葉は端的だったが、現状を正確に示していた。  一晩で何とか使えるようにしたスピカの神聖術、『導く灯』は非常に初歩的なものだ。周囲のアンデッドを遠ざける効果を持つスキルで、一応攻撃力はあるが例えぶつけた所でアンデッドを殺し切る事はできないし、そもそもスピカの今の神力ではそれも長くは持たない。  だが、それでも藤堂の精神的支柱にするには十分だったようだ。 「どうやって神聖術を使えるようにしたんですか?」 「簡単な暗示だよ。子供騙しみたいなものだ。一応、最下級のものは使えるようにしたが、今後成長するかどうかはスピカ自身の努力次第だな」  気弱な事や純粋な事がメリットとして働くパターンもある。所詮、師としての教育を受けたわけでもない俺に言える事はない。  アメリアは俺の答えに、腑に落ちない表情をしていたが、何も言わなかった。  一夜が明け、藤堂がユーティス大墳墓に入って二日目。アンデッドを討伐するその速度は前日の比ではなかった。  リーダーである藤堂が立ち直ればアリアの負担も減り、アリアの負担が減ればリミスが魔術を使う機会も少なくなる。グレシャは……あいつはまぁレベル上がるかどうかもわからないし割りとどうでもいいが、落ち着いて最小限の動きで魔物を倒すことが出来れば体力の消耗も少なくて済む。  多少、スピカの成長で気を持ち直せるとは思っていたが、正直、この結果は予想以上だ。 「何体目だ?」 「ん……実際の討伐数は三百二十三体目、証の残っているものだけなら二百五十一体ですね」 「そろそろ慣れてきただろう。悪霊を送ろう」  最初は恐怖を感じづらい『歩く骨人』を送り、それにある程度慣れた所で続いて強烈な臭いとグロテスクな姿形を持つ生ける屍を送る。それもある程度倒せるようになった所で、最後に精神攻撃を得意とする悪霊を送る。  最初にレイスを送っていたら最初に全滅した時のように『嘆きの叫び』で意識を奪われていたかもしれないが、恐らく今ならば耐えられるだろう。 「……まだ歯を食いしばって戦ってるみたいですか?」 「知らん。俺は藤堂達に楽をさせるためにここにいるんじゃない」 「……わかりました」  最終的にはアンデッドを送るのをやめ、俺達は見守るのみで藤堂本人に大墳墓を探索させてアンデッドを探させ、戦わせるつもりだった。  効率をあげるためとはいえ、いつまでも俺達が手を入れるのはそれはそれで後々に悪影響が出る。俺達はあくまで……補助でしかないのだ。  アメリアが、束縛していたアンデッドの内の一匹――悲哀と怨嗟の混じった表情で声にならない叫びをあげるレイスを開放する。まるで揺蕩うような動きでこちらに襲い掛かってくるそれを、アンデッドの忌避する『導く灯』を利用して上手いこと藤堂達の方向に差し向ける。  レイスは獣の鳴き声のような怖気の走る叫び声をあげたが、すぐに逃げるように藤堂たちの方に消えていった。 § 『そうか、解決に向かっているか……』  久方ぶりの良い報告に、クレイオの声にもどこか安堵の響きがあった。  二日目は特に何事もなくあっさりと終わった。  特筆すべき問題はない。追加で送ったレイスについても、多少まだ苦手意識はあるようだが倒すことができている。アンデッドに対する恐怖が着々と克服されているという証だ。  藤堂達は既に眠りに入っており、今日はアメリアが俺の代わりにスピカの神聖術の教師を引き受けている。アメリアは既に藤堂達の眠る部屋に向かっており、側には誰もいない。  レベルもいくつか上がり、藤堂が28、アリアが27、リミスが19、スピカが10だ。スピカはまだアンデッドを倒せる程の退魔術を使えないのでレベルが上がっていないが、グレゴリオの課題も何とか明日中には終了するだろう。  そうすれば、彼らとグレゴリオの縁も切れる。スピカへの残りの神聖術は随時俺が教えてやればいいだけの話だ。レベル上げだけは……何もしてないのに上がったら不自然なので、藤堂たちに任せるしかないが。 『魔王からの追手は?』 「現状、その気配はないな。まぁ、例えやってきたとしても問題ないだろう。俺が相手をしてもいいし、グレゴリオだっている」  そもそもどういう手法で魔族共が勇者の気配を追っているのか、まだわかってないのだ。そうである以上こちらは常に受け手に回る事になる。  この地に長期間滞在するつもりもないので、今回はあまり心配していなかった。 『勇者はまだ手がかかりそうか?』 「ずっとつきっきりになるつもりはないが、ある程度レベルが上がるまでは今の形を続けるつもりだ」  影から助けると言っても、出来ることには限界がある。  こんな事を続けた所で藤堂が魔王を倒せるようになるとは思っていないし、純粋培養の勇者など冗談にもならない。  今は死ぬリスクが高いからついて回っているだけで、僧侶も育ちある程度心配いらなくなったらフィールドを先行するのはやめて他の方面に手を回すつもりだった。何しろ、考えるべき事は山ほどあるのだ。  部屋の扉をすり抜け、一体のレイスが侵入してくる。  それを無言で『光の矢』を放って消し去り、確認する。 「グレゴリオの様子を教えて欲しい。奴の狙いなどがあれば」 『ああ。彼からは……まだその地でやる事があるという報告を受けている』 「……」  あまり聞きたくなかった情報だ。  説得はしたが、基本的に奴に関わると碌な事にならないし、何が起こるのか予想も難しい。やはりあまり長居はせずに、さっさとこの地から去った方がいいだろう。  クレイオが詳しい情報を教えてくれないという事は、クレイオ自身がそれを聞いていないという事である。クレイオが確認しないわけがないので、グレゴリオ側の問題だろう。報告はちゃんとしろよ、グレゴリオッ!!   運命とかふわふわした言葉じゃんくて、ちゃんと明確な言葉で説明しろ!  叫ぶ代わりにため息一つで感情を封じ込め、頭を切り替える。現実逃避ではない。これは断じて現実逃避ではないが、あまりグレゴリオに構ってもられない。  未来を見なくてはならない。ずっと気になっていた事を聞く。 「そういえば、新たに派遣してくれると言っていたステファンの件はどうなった? 頼んでからもう十日近く経っているが……」  アメリアの時はほんの数時間で派遣してきたのに……まぁ、もしかしたらアメリアの時は元々派遣するつもりで準備してくれていたのかもしれないが。  派遣を依頼した次の通信から、交換手が変わったのですぐに来てくれると思っていたのだが、既に要請から結構な日数が経過している。いくらなんでもちょっと遅い。  俺の質問に、クレイオが珍しく疲れたような声で言った。 『迷子だ』 「……悪い、もう一回頼む」 『迷子になったため、遅れている』  ??????????????????  首をまわし、周囲に視線を投げかける。誰もそれを受け止めてくれる者はいなかった。  ……迷……子? 全然わからない。意味がわからない。  その意味を真剣に考える。誰もいない、静かな部屋は考え事にはもってこいだ。  眉を潜め、考える俺に、まるで言い訳でもするかのようにクレイオが続ける。 『誤ってそちらに行く馬車とは逆方面の馬車に乗ってしまったらしい。付き人をつけるべきだった。ああ、私のミスだ。アレス、すまない。すまない……が、付き人をつけてもう一度送ったので……もう間もなくそちらにつくはずだ』  謝罪すべき所、違くね?  怒りとか悲しみとかではなく、純粋に疑問を抱く。 「ステファンって何歳だ?」  数える程度しか話していないが、声はそれほど幼くはないはずだ。 『十六だ。アレス、歳はまだ若いが……彼女は神童だよ』 「十六で……迷子?」  十六。この国では既に成人済みの年齢である。激しく嫌な予感がした。  必死に自分に言い聞かせる。自己暗示を掛ける。  別にいい。道を間違えるなど、誰にでもあることだ。乗る馬車を間違えるのは……確認不足が過ぎる気もするが……。  神童って……神って一体何なんだろう……。   「……方向音痴……なのか?」 『まぁ……狭義の意味では異なるが、広義の意味ではそうとも言えるかもしれない。恐らく、目に映っている風景が私達のそれとは違うのだ。アレス、彼女は……人生の方向音痴なのだ。ははっ』  誰もうまいこと言えなんて言ってないんだが……。ははって……お前、そんなキャラじゃなかっただろ。  別にちょっと話した分ではそれほど問題のある人格には見えなかったが……。 「もしかして問題児?」 『そう言ったはずだ、アレス。君が言ったのだ。問題があったとしても一度試用してみたいから派遣して欲しい、と。そうだろ?』 「教会碌な人材いねぇな」  そんな事はないはずなのだが、グレゴリオと遭遇した後、更に迷子とか言われるとちょっと……。  おまけにステファンは俺の方から頼んだのであからさまに文句を言う事もできない。  アメリアもあれはあれで……癖が強いし。別に嫌いじゃないが。  思わず出た俺の本音には触れず、まるで誤魔化すかのようにクレイオが言った。 『アレス・クラウン、神のご加護があらん事を』 「……その言葉は免罪符じゃねーんだぞ」  事あるごとに使うんじゃない、トラウマになるだろ! page: 75 第二十二レポート:アンデッドの討伐をサポートせよA  骨を断つ感触も、肉を切り裂く感触も、極めて高い斬れ味を誇る聖剣エクスを振るう手には殆ど残らない。  袈裟懸けに切り裂かれ、悲鳴一つなくウォーキング・ボーンが崩れ去る。左前方から掴みかかってきたリビングデッドを左手の盾で受け止める。  腐臭に似た強烈な臭いが鼻を焼くが、それももう慣れていた。事前の覚悟さえすれば耐えられる程度のものだ。  指先の震えは止まり、恐怖は既に外に出ていない。心の内にはまだしこりのように残っているが、それがもたらす影響は殆どないに等しくなっていた。  身体にはかつてヴェールの森で戦っていた際とほぼ変わらない力が漲り、墳墓を探索して一日目の自分が如何に精神的に不安定だったのかがよく分かった。 「ナオッ!」  リミスの鋭い声。それとほぼ同時に、思考が思い切り揺さぶられた。  衝撃に動きが一瞬停止する。心臓がどくんと強く打つ。  絶叫。それは世界が崩壊しそうなくらいに激しい絶叫だった。混濁しそうになった意識を、とっさに舌を噛んで耐える。  痛みと引き換えに、藤堂の思考にかかりかけた靄があっさりと晴れた。  荒く呼吸をする。冷たい空気が肺を満たし、思考がよりクリアになる。  その絶叫の主、アリアが相手をしていた悪霊がその半透明の身体を両断され、恨みがましげな表情でこの世界から消え失せる。  短く呼吸をし、盾にしがみついていたリビングデッドを素早く突き放し切り捨てるすると、藤堂は深く息を吐き出した。 「大丈夫でしたか、ナオ殿」 「あ……うん……」  藤堂よりも至近から『嘆きの叫び』を浴び、大分顔色の悪いアリアが駆け寄ってくる。  顔色こそ平時のものではないが、気絶はしなかった。初めて足を踏み入れた際は遠距離から意識を刈り取られた、その技を受けてもちゃんと意識を保っている。まだ完全に克服しているわけではないが、その事実が藤堂とアリアの成長を示していた。  戦闘中は杖を構え、戦況を俯瞰していたリミスを振り向く。リミスが『叫び』の瞬間に警戒を促してくれなかったら危なかったかも知れない。 「リミス……助かったよ」 「毎回、死ぬ寸前に悲鳴を上げてくるのも厄介よね」  藤堂やアリアと異なり、悲鳴を聞いても眉一つ動かさなくなったリミスが呆れたようにため息をつく。  慣れたのは藤堂やアリアだけではない。元々アンデッドを苦手としていなかったリミスやスピカについては既に叫びは完全に意味をなしていなかった。 「退魔術か高火力の魔術で一気に倒せば悲鳴をあげる事なく倒せるはずです」 「いちいち悪霊相手に高火力の魔術なんて使ってらんないわよ。すっごく疲れるんだから!」 「まぁ、今も耐えられたわけだし……もっと慣れたらリミスみたいに完全に効かなくなるんじゃないかな」  藤堂の言葉に、リミスが軽く肩を竦め、周囲に視線を投げかけた。  暗闇に石造りの壁。最初は精神を摩耗させた圧迫感と冷たい空気にも既に身体は適応仕切っている。 「……そうね。まぁ、そこまで慣れるまでここにいるかどうかは話が別だけど」  既に出された課題の期日が来ていた。丸三日なのでまだ数時間、時間はあるが、翌日の同じ時間帯には既にピュリフに戻っているだろう。  アリアが剣を鞘に収め、闇の先を睨みつけながら呟く。 「レベル上げの効率が悪いからな……ここは」 「貴女はアンデッドと戦いたくないだけでしょ」 「効率が悪いのも本当だ」  言い合うリミスとアリアを、藤堂が止めた。  険悪な雰囲気ではない。旅をする前から顔見知りの二人にとって、それはじゃれているようなものなのだ。だが、かといって止めないわけにもいかない。 「まぁ、ここで慣れなくてもまた別の場所で戦う機会はあるでしょ」 「……そうですね」  スピカが、今倒したばかりのアンデッドの魔結晶を拾い、魔結晶を入れた袋を持ち歩いているリミスに手渡す。 「これで……八百九十二個、ね」 「後百八個……ですか」  初めは途方もない目標数だと思ってみたが、やってみれば案外出来るものだ。  感慨に浸る藤堂に、リミスが提案した。 「そろそろスピカも戦闘に参加した方がいいんじゃないかしら?」 「あー……そうだね」  リミスと藤堂、アリアの視線を一身に受け、スピカが緊張に肩を強張らせた。  この三日間、成長したのは藤堂やアリアだけではない。二日目に突如神聖術を使えるようになったスピカも、『導く灯』だけでない、新たな力を得ている。  スピカが無言で祈りを捧げる。宙に小さな光が浮かび、それがゆっくりと細長く変形する。  光が成すのは一本の矢だ。たった一本、光の強さも決して強いとはいえない。  だが、それは間違いない退魔術の一つだった。  退魔術の初歩中の初歩。僧侶の持つ最も基本的な攻撃スキル。  『闇を祓う光の矢』。  完成した矢が、間髪入れずに射出される。  藤堂が何気ない動作で盾をずらし、それを受け止めた。 「ご、ごめんなさ……まだ、矢を空中に保てなくて……」 「いや、大丈夫だよ。……でも確かに……次の場所に行くとスピカのレベルは上げづらくなるのか……」  グレゴリオから与えられた課題があまりにも困難なものだったので失念していたが、そもそも退魔術を教えて貰おうと思ったのはスピカのレベルを上げるためだったのだ。  アリアが大仰に頷いてみせる。 「とりあえず次の事は置いておいて、一度スピカの退魔術の威力は確認しておいた方がよいかと」  アリアの言葉に、リミスが二日前までの無様な有様を思い出し、茶化すように言った。 「威力を確認って事は、足止めしなきゃいけないのよ? ちゃんと時間稼ぎ出来るんでしょうね?」 「無論だ。スピカ、足止めは私に任せて安心して撃つといい」  胸を叩き、自信満々に宣言するアリア。  その姿はとても最初にあれだけ怖がっていた者の姿には見えないが、スピカのイメージする騎士の姿に合致しており、とても頼もしく感じられた。 §  アメリアが背を壁に預け、目をつぶったままこつこつとブーツの踵で床を叩いている。  懐から懐中時計を取り出し、時間を確かめる。そろそろ三日目も終わりに向かっている事を示していた。  アメリアが目を開けると、何を考えているのかわからない表情で俺に言った。 「暇ですね」 「その言い方はどうかと思うが」  藤堂の調整は最終段階に入っている。一応、その位置の把握こそしているものの、今藤堂達は自分の手で墳墓を散策しており、俺達のやることは当初と比較すると随分と減っていた。  状況がうまく回れば回る程俺達の手は空く。つまり、これまでが大変過ぎただけなのだ。  藤堂とアリアはそれなりにアンデッドを克服し、スピカは未熟ながらいくつかの神聖術を使えるように、討伐目標数ももうすぐ達成出来る。暇は歓迎だ。  アメリアが何を考えているのかわからない視線を俺に向ける。 「しりとりでもしますか?」 「……しねーよ」  本当に何を考えてるんだか……。  なんでいくら時間があるからと言え、アンデッドの徘徊する墳墓で意味もなく二人でしりとりしなくちゃならねーんだよ。TPOをわきまえて欲しい。  ……本気じゃないよな、おい?  アメリアは俺の答えに少しだけ悲しそうな表情をした。 「残念です」  遠くから聞こえる断続した戦闘の音に悲鳴が混じっていない事を確認し、アメリアの容貌をじろじろと観察する。  いくら暇だからってしりとりって……別に物理的な被害があるわけではないけど、精神がじわじわと蝕まれているような気がする。  ちょうどその時、藤堂達と、他のアンデッドよりもやや大きな気配が遭遇した。これ幸いとアメリアの言葉を無視し、目を軽く瞑る。 「大物が出てきたな」 「『巨躯の骨人』ですね」  大物といっても、藤堂達のパーティからすれば十分倒せる相手だ。レベルだけで考えると適性よりもやや上だが装備もいいし、ヒュージ・スケルトンは強力な特殊能力を持つわけでもない。  力はそれなりに強いが、その動きはさして機敏でもなく盾を持つ藤堂ならば十分受け止められる。  手助けはしない。元々、地下二階辺りから出現する魔物だが、階段の間に結界があるわけもないので、一階に上がってくる事もある種である。イレギュラーと呼べる程のイレギュラーではない。実際に魔物を誘導する上で俺も何度か出会っている。  数分後、そちらの方を探っていたアメリアが感嘆のため息をつく。 「……倒しましたね。少し戸惑ったみたいですが、割りとあっさりと」 「聖勇者だからな」  骨が崩れ落ちる音。本来、苦戦するような相手ではないのだ。  そして、ヒュージ・スケルトンが問題なく倒せればこの階層で負ける事はまずない。  既に目標数の達成も近い。俺達のフォローがなくても後一、二時間で達成出来るだろう。アンデッドに対する苦手意識は完全には消え去っていないようだが、大きく戦闘に影響を及ぼすものではない。  既に状況は十分だ。後は仕上げだけである。 「先行して村に戻る。グレゴリオともう一度念を押して、会話をしてくる」 「私はここに残って藤堂さんに何かないか見てますね」 「……頼んだ」  頼もうとした事を先に言われる。癖で頭を押さえる俺に、アメリアが極僅かに唇の端を持ち上げて見せた。  当初はどうなるのかと思ったアンデッド克服も終盤に近づき、解決の兆しを見せている。  スピカも神聖術を覚え、藤堂達に対する誘導も格段にやりやすくなった。  藤堂達も見習いとは言え、僧侶を仲間に入れる事ができた。  万事がうまくいっていた。いっていたはずだった。  だが、忘れてはならない。未来とは不確定であり、藤堂の行動は当事者ではない俺には完全にコントロール出来るものではないという事を。  そして――その行動の責任を藤堂本人が負える程、聖勇者の名は軽くはないという事を。 page: 76 第二十三レポート:災厄から勇者を守護せよ 「素晴らしい。それもまた神の思し召しでしょう」  地獄のような三日間の行軍を終え、教会を訪れた藤堂達を、グレゴリオは何時も通り落ち着いた笑みで迎えた。  藤堂達の挙動には疲れが滲んでいたが、その表情は明るいものだ。 「千体倒しました。これがその証明です」  藤堂の言葉を受け、リミスがぱんぱんに詰まった袋をひっくり返そうとする。  それを、グレゴリオがやんわりと制止した。 「ああ、見せなくて構いません」 「え……? なんでよ?」 「リミスさん。見なかったとしても、僕には貴方がたがちゃんと僕の要求を守っている事がわかるのです。神の試練に証拠など……必要ありません」  眼を何度も瞬かせるリミス。グレゴリオの視線がリミスからその後ろに立っているスピカの方に向けられる。  事実、藤堂達本人は気づかなかったが、三日の強行軍でそのパーティの纏う雰囲気は大きく変化していた。一度宿に戻り休憩は取っていたが、汚れや疲労は落ちてもその経験が落ちることはない。  椅子を薦められ、藤堂達がそれに腰を下ろす。グレゴリオが立ち上がり、お茶を入れてその前に置いた。  準備を終えると、沈黙したままその言葉を待つ藤堂達に告げる。 「実は重要なのは……討伐する数ではないのです」 「……それはどういう事ですか?」  藤堂の疑問に、グレゴリオは一度頷き、にっこりと笑った。 「退魔術の習得、そしてそれを使いこなすのに必要なのは知識でも技でもなく……闇の眷属を相手にして抱く強い感情。今回、僕が藤堂さん達に与えた課題はそれを培うために必要なものです。今の藤堂さん達には……身に覚えがあるはずですが」  グレゴリオの言葉に、藤堂の脳裏にこの三日間の出来事が蘇る。  地下墳墓に満ちる瘴気と冷たく昏い臭い。無尽蔵に湧くアンデッドに対して最初に感じたのは身も心も凍りつくような強烈な恐怖だった。  取り乱したし、自分の命を、仲間の命を守るためにがむしゃらに戦った。疲労し、挫けかけた。スピカが神聖術を得た際は手放しで喜んだし、その希望は藤堂に力を与えた。  前半に感じた恐怖、それはいつしか戦意に上書きされた。  三日前の自分と比較した時、藤堂は自分が確かに成長したと胸を張って断言出来る。  アリアもリミスも、そしてスピカも。思う所があるのか、神妙な表情をしている。 「闇の眷属との戦いは人の心を浮き彫りにする。悪魔と戦い続けるには肉体的な能力や経験以上に強い精神が必要とされる。それを失くしたその時、人は魔に敗北するのです。我が友、僕の課題は――容易く達成出来る人と、どうあがいても達成出来ない人がいるのですよ」 「……」 「退魔術はただの手段です。闇の眷属と戦う意志なくしてその術に意味はないしそして――その意志があれば自ずと手段は与えられる」  グレゴリオの言葉に、スピカが自らの手の平を見下ろす。  導く灯。光の矢。たった二つだが、それは確かに三日前までのスピカが持っていなかったものだ。  そんなスピカに、グレゴリオが言った。 「シスタースピカ、貴女は特に恵まれている。貴女が教えを受けた師は僧侶としては……教会の中でも五指に入るでしょう」 「教会で……五指?」 「しかし、あくまでそれは彼の力であって、貴女の力ではない。シスタースピカ、今後貴女がどうなるのかは……貴女次第です。そして――それで何を成し遂げるのかも」  この短期間で、簡単なものとはいえ、神聖術を二つ使えるようになったのはかなりの成長だ。だが、それはスピカ自身の力であると同時に、所詮助けを借りて手に入れた力でもある。  グレゴリオのその言葉に、スピカが小さく頷く。その幼気な容貌に浮かんでいたのは、鬼気迫ると言ってもいいくらいに真剣な表情だった。  スピカが震える声で尋ねる。 「私は……どうしたらいいですか?」  曖昧な、迷いの混じったその言葉に、しかしグレゴリオは嫌な表情一つせずに答える。 「シスタースピカ。貴女が何を考えているのか僕にはわかりませんが、少なくとも貴女は今回一つの壁を乗り越えた。その事を忘れない事です。それを忘れない限り、この先存在する全ての艱難辛苦はシスタースピカの信仰をより精錬する事でしょう」  その言葉に聞き入るスピカ。  グレゴリオの視線が、今度は平等に全員に向けられる。向けられたその漆黒の瞳には力があった。 「我が友、アズ・グリードがその信徒を裏切る事はない。故に、僕達が正しき意志を持つ限り、正しき意志にて神の神の敵と相対する限り、敗北はありえない」 「それは……相手が例え魔王だったとしても?」  グレゴリオの強い言葉。それに対して藤堂の口から出されたその問いに、アリアとリミスが目を見開き、藤堂を見る。  真剣な眼差しを向けてくる藤堂にグレゴリオが頷いた。 「その通りです。藤堂さん。例え相手が魔族の王だったとしても、恐るるに足りません」  その声には、疑念の一片も混じっていない。  そのあまりにも気負いのない言葉に、藤堂は呆気にとられた。魔族に劣勢を強いられているこの時勢で果たして何人いるか。事実、藤堂は召喚された際にルークス王国の国王や国の重鎮達、国を守る騎士団のメンバーや僧侶と顔をあわせているが、その表情は良いとは言えなかった。  だが、今目の前にいるグレゴリオの表情はそれとは全く違う。  その瞬間、藤堂の脳裏に、数日前にグレゴリオが行使してみせた無数の『光の矢』を思い出した。まだ藤堂の持っていないあまりにも強力な『力』。  舌を一度強く噛み、押し殺すような声を出す。  そんなことを言っても仕方がない事はわかっていた。だが、理性ではない、感情によって藤堂の言葉は止まらない。 「僕は……強くならなくちゃならない」 「そうですか」  藤堂は男が苦手だ。  日常生活には支障はないが、側に長時間置く事など考えられないくらいに苦手だ。それを理由にパーティから追い出すくらいに。最初のパーティの仲間の条件として女性である事を出したくらいに。  藤堂が顔を上げる。顔色は青白かったが、その目は強い意志でしっかりとグレゴリオを睨みつけていた。  気づいたら、声が勝手に出ていた。  大きな声ではない。食って掛かるような勢いがあるわけでもない。静かな、しかし妄執にも似た執念を感じさせる声。 「グレゴリオさん。僕には……アズ・グリードの加護があります。僕に……退魔術を教えていただけませんか?」  それは、人を引きつける声だった。聖勇者としてのカリスマが垣間見える声だった。  その感情は多くの人の心を動かす類のものだった。偏屈な修行僧だろうと、技の伝承に好意的ではない頑固な剣豪だろうと。  だが、それを受けたグレゴリオは違っていた。  空気が変わる。グレゴリオがその言葉に初めて笑みを消し、藤堂の方にしっかりと視線を向ける。  「アズ・グリードの加護?」  疑念の滲んだ声。グレゴリオが眉を顰める。顎に手を当て、じろじろと藤堂の顔を見る。  人は皆、大なり小なり秩序神の祝福を受けているが、明示的にそのように言う場合はまた違ってくる。  アズ・グリードの加護とは破魔の力だ。神聖術の取得を容易にする他、その攻撃に聖なる属性を付与する事でよく知られているが反面、最高神の一柱とされるその神の加護を持つ者は極めて希少であり、僧侶の中にも殆どいない。  様子が変わったのを感じ、リミスがグレゴリオと藤堂の方を交互に見やる。当然、イエスと返ってくるとばかり思っていたアリアが瞬きをしてグレゴリオの方を観察する。  刹那の瞬間、グレゴリオの瞳孔が一瞬広がり、ぎらりとその眼が剣呑に輝いた。  得体の知れない寒気に、アリアが身体を震わせる。  アズ・グリードの加護。本来ならば、その神の信徒たる僧侶ならば、歓迎するはずの言葉に対する反応ではない。  吸い込まれるような眼の輝き。グレゴリオが小さくため息をつき、右手で髪を掻き上げる。 「ああ……なるほど。この僕としたことが……ここまで気づかないとは……」 「――ッ!?」  がりがりと乱暴にその髪を掻く。その間も、その眼は藤堂に向けられたままだ。  その時、藤堂は気づいた。表情が僅かに変わる。  身体が動かなかった。声も出ない。まるで周りの空気が固まったかのように。指一本動かせない。必死で身体を見下そうとするが、頭を動かせない。  痛みはない。しかし、動かない。表情を僅かに変える。視線を僅かに変える。瞬きする。その程度の動作しかできなかった。身体が脳の命令に従う事を放棄してしまったかのようだ。  藤堂が視線の方向を必死で変え、リミスやアリアの方を見る。リミス、アリア、スピカの表情もまた、藤堂と同様に強張っていた。  緊張やプレッシャーなどというものではない。レイスに『嘆きの叫び』を受けた際に身体が硬直したが、それとも異なる。  異常な状況に、得体の知れない恐怖が湧いてくる。  一方で、グレゴリオの表情は再び元に戻っていた。  穏やかな表情で、誰も静止する中、ただ一人悠然と紅茶のカップを手に取り、優雅な動作で一口含む。 「レベル30未満……藤堂さん、どうやら我が友――僕と出会うのが随分早かったようですね」  混乱の極みにある藤堂を置いて、グレゴリオが部屋の隅に向かう。そこに置いてあったトランクを取ると、再び席に戻ってそれをテーブルの真ん中に置いた。  乱暴な動作に、紅茶のカップが一瞬浮き、中の雫がテーブルに零れ落ちる。 「動けないでしょう。指一本動かせないでしょう、声一つ動かせないでしょう。初めてですか? それは……藤堂さん、強いていうのならば、貴方の弱さの証ですよ」  黒い革張りのトランクケース。その留め金を外す。  何を言っているのかわからなかったが、尋常な様子でない事はわかった。だが、文句を言う事も抵抗する事もできない。 「魔術でも神聖術でもありません。これは――存在の差ですよ。藤堂さん、貴方よりもレベルの高い僕の方がこの世界で出来る事が多い」  グレゴリオがトランクを開く。トランクの蓋に弾き飛ばされたカップがテーブルの下に落ち音を立てて割れた。  以前一度だけ見た白銀色の内張り。トランクの縁はくすんだ色に汚れており、どこか不気味な印象を抱かせる。 「とても、数奇な運命です。ですが、僕は神の下僕としてこのような運命を授けてくれた事をただ感謝しましょう」 「――」  辛うじて呼吸は出来る。目の前の少年の表情には怒りも悲しみもない。いつも通りの張り付いたような微笑み。  しかし、そこで藤堂は気づいた。唯一――その瞳の中に渦巻く濁った光に。  まるで頭から冷水でも掛けられたかのように、藤堂の混乱が収束する。冷静さが戻って来る。  だが、身体の動かない藤堂に出来る事は眼の前のグレゴリオを睨みつける事だけだ。  リミスが必死に立ち上がろうとする。だが、強張っているわけでもないのに身体が全く動かない。  そちらの方にちらりと視線を向け、グレゴリオが再び前を向く。 「教会や仲間の異端殲滅官は僕のこのトランクを『禁忌の箱』と呼びます。我が友、僧侶の武器はその信仰そのもの。僕が異端殲滅官として、闇の眷属を討つ僧侶として我が神に信仰を捧げた、このトランクは僕のその根源でありそして、あらゆる全ての罪過を封じるための箱でもある」  トランクの縁を、グレゴリオがゆっくりとなぞる。箱の縁にこびり付いている汚れは取れる気配がない。  優しげな手つきでトランクを撫でながらグレゴリオが唇を開いた。 「聖勇者」  その唇から飛び出した単語に、藤堂の、アリアの、リミスの眼の色が変わる。身体は動かせなかったので、ただそれだけの変化だったが、グレゴリオは僅かな変化も見逃さない。  いや、その時点で、その声には確信の色があった。 「闇を討つ者。世界を平定するもの。異界の知識を携え多くの神霊の加護を受けし者。噂は聞いていたのです。ルークスが聖女ティルトのちからを借り受け、その奇跡を賜ったと。秩序神の加護を持つ者が現れた、と」  異端殲滅官にはその職務上情報が集まる。勇者の情報は秘匿情報だったが、如何なる機密も長時間隠し通す事はできない。  その言葉に、アリアの表情が緊張に強張る。グレゴリオの様子が、その視線が決して味方に対して向ける者ではないと気づいたためだ。 「まぁ正直、如何に奇跡の賜物とはいえ、あまり興味はありませんでしたが……それが神の導きであるのならば、是非はない。藤堂さん――」  そして、グレゴリオが嗤った。 「貴方の価値を計りましょう。貴方の罪を濯ぎましょう。我が神の名に置いて」 page: 77 第二十四レポート:災厄から勇者を守護せよA  グレゴリオ・レギンズという男が異端殲滅官となったのはもう二十五年も前の事だ。  異端殲滅官となる前のグレゴリオは中流家庭に生まれた、それなりの信仰を持つ少年だった。僧侶でもなんでもないただの少年だった。  生まれ育ったその街が一体の悪魔に滅ぼされるまでは。  まだ魔王が世界にその名を轟かせる前の話。  魔族の脅威は知れ渡っていたが状況は人側に有利であり、故に街の防御もそれほど堅固なものでもなくそして――教会に派遣されていた僧侶もまた、それほどレベルの高い者ではなかった。 「僕の故郷は既に地図には存在していません。軍事的な要所でもなく、経済的に価値のある土地でもない。街の全てが崩壊し、その住人の殆どが死に絶えてしまった以上、復興する価値すらもなかったのです」  街に襲来した悪魔は強力だった。討伐レベルが七十を越える高い階位の魔族であり、戦術を考えるだけの知性もあった。  悪魔はまず街に侵入すると、唯一抵抗しうる力を持つ僧侶を容易く殺戮した。そこから先、発生したことは悪夢でしかない。 「本当に短時間だったらしいです。僅か一晩で僕の故郷は瓦礫の山となりました。友も家族も何もかもが死に絶えた。街を一つ滅ぼした悪魔は何者に追われる事もなく、傷一つ付けられる事もなく、悠々とその場を去っていきました」  内容とは裏腹に、グレゴリオの口調は平静だ。  ただ、動きを拘束され黙る事しか出来ない藤堂達に説法するかのように言い聞かせる。 「僕が助かったのはただの偶然です。ちょうど――家にあったのですよ。当時の僕が……ちょうどぎりぎり入るくらいの大きさのトランクケースが」  街の異変に早くに気づいた両親が、グレゴリオを守るためにトランクケースに隠し、留め金をかけた。  そして、結果的にそれは功を奏した。今だから分かる。例えその時、家族と共に逃げ出した所で確実に悪魔はグレゴリオ達を殺していただろう。  それほど頑丈でもないトランクに詰め込まれ、グレゴリオだけが生き延びる事になった。  死と絶望、悲鳴と恐怖、暗闇の中で過ごした一夜をグレゴリオが忘れた事はない。  極めて鋭敏な知覚能力を持つ悪魔を、街の尽くを滅ぼし尽くした悪魔をただのトランクケースに入っただけでやり過ごせた事が奇跡ではなく何と呼ぼうか。 「僕が奇跡を信じるようになったのは、アズ・グリードの忠実な徒になったのは、神聖術を行使出来るようになったのは――その日からです。神は奇跡を、僕に神命を与えた。僕はその奇跡に報いるため、この世界に存在するあらゆる神の敵を、全ての神の敵を、殺し尽くす事を誓った。僕が悪魔殺しではなく異端殲滅官となったのは――『神の敵』が決して悪魔だけではなかったためです」  優しげな声色がとてつもなく不気味だった。その声に熱はないが、その眼には身を焦がすような黒い炎が燃えている。  気が遠くなるかのような威圧感。全身を押しつぶすような重圧。  言っている内容の全てが藤堂に理解出来ているわけではない。  しかし、その声に、藤堂はもちろん、アリアもリミスもスピカもまるで催眠術にでも掛けられたかのように聞き入っていた。  ふと、藤堂は、喉がからからに乾いているのに気づく。  グレゴリオが神経質そうにその頭をがりがりと掻く。隙間から垣間見える眼光は尋常なものではない。 「藤堂さん、僕はその当時の事を決して後悔していないし、哀れんで欲しいわけでもない。故郷が滅んだのは必定であり、我が神が愚かだった僕にその運命を知らしめるためにはやむを得なかった事だと考えています。しかし――同時に、IFを考えてしまう事もある。もしも当時――もしも当時、僕の故郷の教会を取りまとめていた神父が、その悪魔を討ち滅ぼせるくらいに強かったら、とね」  それこそがグレゴリオ・レギンズの根源。  信仰と経緯。  悲劇により与えられた神聖術はそれ故に退魔術のみとなった。  他者を害する事しか出来ない神聖術は悲嘆すべき事に、今現在、魔王に劣勢を強いられる時勢に非常にあっている。  その歪さ故に根の深い信仰。それは一種の時代の生んだ英雄と呼べるかもしれない。  グレゴリオが椅子から立ち上がり、藤堂の方に顔を近づける。  至近から見えるその眼、その奈落に藤堂の額に冷や汗が滑り落ちた。 「奇跡は決して無限ではない。浅い信仰は神に対する冒涜であり、深い悲劇を生む。ああ、我が友。聖勇者。ここで僕と藤堂さんが出会ったのは偶然ではありません。これは……運命だ」 「――」  声が出ない。怖い。男が至近にいる事に対する忌避感よりも遥かに強い得体のしれない者に対する恐怖。  どれだけ身体を動かそうとしても動かないという感覚は一種悪夢を見ているかのようだ。  その腕が伸びる。あまりにも自然な動きで、その華奢な手の平が藤堂の首元に掛かる。  藤堂が気がついたのは喉元を抑えられていた後だった。恐らく、身体動いた所で触れられるまで気づかなかっただろう。 「聖勇者に弱者はいらない。選ばれし勇者にとって弱さとは……罪だ。その弱さのせいで数え切れない程の無辜の民が死ぬ」  空気が撓む。それは殺気だった。藤堂達が感じた事のない質の――殺気。  淀んだ空気に呼吸が阻害される。それを向けられた本人だけでない。側にいるアリアとリミスの瞳孔が緊張と、そして恐怖で窄む。声を出せていたら、悲鳴を上げていただろう。  憎悪と怨嗟のみ向けてくる不死種とは違う。ヴェールの森で戦ったトレントや魔獣とも異なる。  理解できないものであっても明確な意志で向けられたそれに、藤堂は初めて人間に対して強烈な恐怖を抱いた。  指に力がはいる。その瞬間、今まで置物のように黙って座っていたグレシャが眼を瞬かせ、問いかけた。 「その悪魔は……どうなった?」  グレゴリオの技は大きなレベルの差、この世界に対して行使出来る権限の差を利用した『肉体の束縛』である。  強力な力ではあるが、力の行使には極めて高い集中力が必要とされる上にその能力はレベル30まで上げる事で抵抗を得られる事で知られていた。それは傭兵がレベル30まで率先して上げる必要のある理由であり、最低でもレベル30ないと高位の魔族からは逃れられない理由でもある。  藤堂達には通じても、亜竜種であり元々の討伐適性レベルが60であるグレシャには通じない。  予期せぬ横槍に、グレゴリオの手の力が緩む。集中が乱され能力の束縛が緩む。  藤堂の拘束が解け、椅子から床に倒れ込んだ。  先程までは一切動けなかった身体が嘘であるかのように動く。げほげほと激しく咳き込む藤堂に一度視線を向け、グレゴリオが静謐な微笑を浮かべた。目の前で開かれたトランクケースを指し示す。 「ああ……ご心配なく。既にその悪魔は滅びました。御覧ください、『禁忌の箱』の外側に張られた皮は――その悪魔の皮を剥ぎ取ったものです」 「げほっ、げほっ……ッ――ば、かな――」  嗚咽のように咳き込み、藤堂の脳裏にあらゆる感情が渦巻く。  グレゴリオの眼が激しく動き、感極まるように頭を押さえる。 「そして……ふふふッ……はははははっ……これを見る度に、『禁忌の箱』を見る度に僕の信仰は、高まるッ!」  咆哮と同時に、残りの三人の拘束が消える。いきなり戻った身体の力に体勢が崩れる。  グレゴリオがテーブルをひっくり返し、まだ床に伏す藤堂の顔面目掛けて蹴りを飛ばす。とっさに取り出した盾につまさきがめり込んだ。 「これは――神命だッ! 神は――聖勇者に試練を与えたッ!」  盾を出せたのはほぼ奇跡に近かった。藤堂の盾は持ち歩くのが不便なくらいに巨大だが、異空間に収納できる魔導具を持っている藤堂にとってそのデメリットはほぼ消せる。  凄まじい膂力が盾を伝わる。床に伏している状態で踏ん張れるはずもなく、藤堂が盾ごと壁に叩きつけられる。骨が、内蔵が軋み、頭を打った事で視界がぐらつく。 「ガーネットっ!」  第一に反応したのはリミスだった。とっさのその叫びに、肩にいたガーネットが跳ねるようにグレゴリオの方に飛びかかる。その小さな身がリミスの戦意に反応し、膨大な熱を纏う。  空気が歪むような熱量に眉一つ動かす事なく、グレゴリオはタイミングを見計らい、その小さな蜥蜴を慣れた動作でトランクケースの中に閉じ込めた。  そのままぱちんとトランクに留め金を掛ける。そのあまりに呆気ない所作に、リミスは一瞬目を疑い、しかしすぐに命令を発した。  ガーネットは炎の神性の中でも上位の精霊。岩だろうが鉄だろうが一瞬で蒸発させられる。 「燃やしつくしなさいッ!!」  声が空気を伝播する。ガーネットはリミスに忠実だ。  だがしかし、命令は確かに届いたはずなのに、トランクに変化はない。 「ッ……!?」 「はははっははははっはあはははははははっ、無駄、無駄です。この『禁忌の箱』は……金剛神石と聖銀で構成されているッ! あらゆる魔術も瘴気も何もかもを通さないッ! 藤堂さん、古き聖勇者が使ったとされる神の盾と――同じ素材です」  軽々と振るわれたトランクがリミスを打ち付ける。耐久力のない、鎧も着ていないリミスが衝撃に宙に浮き、受け身も取れずに床に崩れ落ちる。  死んだように伏せるリミスに一度視線を向けすぐに背けると、蹲る藤堂にグレゴリオが近づく。  ようやく事態を把握したアリアが床から飛び起き、起き上がり様に抜剣する。  逆袈裟に襲い掛かってくる刃に、グレゴリオが軽い動作でトランクを振り下ろした。  刃が弾き飛ばされ、がら空きになった胴に蹴りが入れられる。まだ甲冑を着ていたのが功を奏した。鎧がなければ確実に骨が折れていただろう。その長身が容易く吹き飛び、棚に衝突する。砕けた食器が床に伏す身体に降りかかり騒々しい音を立てる。意識はあるが、ダメージでとっさに起き上がれない。 「はははははははははっはあっ! 脆い……脆すぎるッ!! ……これが、聖勇者!?  人類の希望ッ!? 馬鹿なッ! 失敗作にも――程がある。ふふふ、ですが、それが神の命というのならば――僕はそれに殉じましょう」  アリアとリミスの行動が稼いだ時間は決して無駄ではない。  脳を揺らされた影響で藤堂に生じていた強烈な目眩がやや治まる。しかし、その時には既にグレゴリオが目の前に来ていた。  軋む身体、苦痛を噛み締め、盾を構える。グレゴリオが容赦なくその盾をトランクで殴りつけた。  ウォーキング・ボーンの、ヒュージ・スケルトンの斬撃を受けてもびくともしなかった盾が軋む。防がれているのも構わずに、グレゴリオが連打する。  藤堂と殆ど変わらない身長のグレゴリオから下される打撃は重く嵐のような激しさがあった。  衝撃に盾を握っていた手が痺れる。藤堂の盾――『輝きの盾』は、聖剣や聖鎧程の至高の品ではないが、ルークス王国では最高クラスの品だ。加工しやすく頑丈な『ブルーメタル』から作られ、数々の魔法による付加の施された盾は打撃にも斬撃にも魔法にも強力な耐性を持つ。  しかし、その盾もそれ以上の金属で作られた稀有なトランクケースには劣る。  今まで一月使い続け、傷一つ付かなかった盾の表面はグレゴリオの攻撃にあっという間に傷だらけになっていった。 「さぁさぁさぁッ! 聖勇者ッ! アズ・グリードの御意志、その力を僕に示すがいいッ!」 「ッ――」  叫びながら殴りつけているにも関わらず、その殴打の勢いは衰える気配がない。  藤堂は必死で堪えた。聖剣を抜きたいが、その嵐のような打撃に剣を抜く暇すらない。両手で盾を構えなければ瞬く間に弾き飛ばされるだろう。  その時、アリアが痛みをこらえ立ち上がり、その背後からグレゴリオに斬りかかる。  隙だらけに見えた背中。それに刃が達する寸前、グレゴリオは大きく身体を回転させた。トランクが横薙ぎにアリアの胴体を打ち付ける。刃が空振り、アリアが軽々と吹き飛ぶ。 「アリアッ!!」  だが、一瞬の隙は出来た。藤堂が聖剣を抜く。とっさの動作だったが、既に何度も行った動作だ。  抜き放たれた聖剣が窓から差し込む陽光の中、青白く神秘的に輝く。  その輝きにグレゴリオの動きが刹那の瞬間、止まる。藤堂は全ての力を込めて、目の前の男に聖剣エクスを振り下ろした。  その様は気合十分にして、しかし明確な隙があった。しかしグレゴリオは避ける事なく、反撃する事もなく、その斬撃をトランクで防御する。  金属同士のぶつかり合う音。  手に返ってきた感触。予想外のその感触に、藤堂の口から呆然とした声があがる。 「えっ……?」  発生した思考の空隙。グレゴリオのトランクが刃を弾き、がら空きになった半身に叩きつけられる。  骨の折れる、肉の潰れる嫌な音。  身を折る藤堂に、グレゴリオが呆れたように言った。 「……まさか藤堂さん、貴方……斬れない物と出会った事がないのですか?」 「……ぁっ……」  呼吸ができない。藤堂の口から細い風のような音が溢れる。それは一種の悲鳴のようにも聞こえる。  聖剣エクスは至高の斬れ味を持つ。ヴェールの森の魔物の中には鋼鉄などに引けを劣らない強力な骨を持つ魔獣もいたし、ユーティス大墳墓のアンデッドには甲冑や剣を使う敵もいたが、それらに対して藤堂が抵抗を感じた事はない。  金属をすら抵抗なく切り裂ける神の鍛えた剣。  衝撃と痛み、混乱で藤堂の視界が暗くなる。必死に気を保とうとしても、まるでその意志をあざ笑うかのように、感覚の全てが薄らぎ、深い沼の中に落ちていく。  完全に意識が消えるその直前、爆発のような音が聞こえた。  そして、グレゴリオが漏らした愉悦の篭った声も。 「『神の怒り』……ふふふ、お待ちしておりました、『超越者』」 page: 78 第二十五レポート:災厄から勇者を守護せよB  俺の人生はなかなか波乱万丈で他の僧侶とは異なっている事を自覚しているが、それでもこれまでうまくいかなかった事は殆どなかった。  何故ならば、俺が担当する仕事とはそのような類のものだったから。藤堂のサポートは今まで俺のこなしたどのビジネスとも質が違う。  だが、既に泣き言を言うつもりはない。  既にヴェールの森で一度、俺はそれを経験していたからだ。  扉には巨大な穴が空いていた。状況は理解していた。  どくんどくんと頭の深奥で熱い何かを感じる。既に補助魔法は可能な限り全て掛けてあった。既に慣れた動作で仮面を被る。 「これは――覚悟だ」  扉の残骸を踏み砕き、その中に入る。  メイスは手にない。メイスは既に投擲してしまった。グレゴリオを――止めるために。 「手は打った。俺の出来るうる限りの事、ベストは尽くしたつもりだ。だが、同時に歪な物になってしまった事は否定できない。これは――俺の経験不足によるものだな」  後悔はない。だが、他にもっと良い方法がなかったのかと言われると疑問が残る。次もう一度同じ状況に出会ったら、もっとうまくやれるに違いない。  部屋の中は酷い有様だった。棚は壊れ壁に大穴が空き、テーブルも椅子をひっくり返って足が折れている物もある。  グレゴリオは壁際に立っていた。その足元には小柄な男が伏せている。ピクリとも動かない、黒髪の男。見覚えのある鎧に、大きな盾。そして床に転がっている――聖剣。  生きている事はわかっていた。生きている間に突入したのだ。 「あ、アレス――さん……?」  部屋の隅っこで腰を抜かしてたスピカが青褪めた表情で俺の名を呼ぶ。グレシャがスピカのものとは違った、まるで悪魔でも見たかのような表情で後退る。  リミスとアリアは藤堂のように床に伏していた。意識はないようだ。だが、生きている事はわかる。それはつまり、グレゴリオが手加減したという事だ。  グレゴリオを睨みつける。背の低いグレゴリオと視線を合わせるとおのずと見下ろす形になる。  黒の眼に黒髪、大人しい風貌に見えるが、その眼を見てその印象に騙される者はいないだろう。  俺は落ち着いていた。何故ならば、このシーンを既に予見していたからだ。俺は予見していたからだ。  歴史は繰り返す。アクシデントはつきものだ。一度ヴェールの森でやらかした以上、二度目も想定して当然。  グレゴリオのように鋭い勘などなくてもわかる。だが、あえてグレゴリオの言葉を借りるのならばこれは―― 「これは――運命と言う奴だ、殲滅鬼。俺はこの光景を予想していた。俺がいくら隠し通そうとお前がそれを気づく可能性だってあるし、藤堂がバラす可能性だってある。なんたって、自らお前との接点を持とうとする、そんな男だ。そうだろ、グレゴリオ? だから俺は今――非常に落ち着いている」  腕利きの傭兵でも引くような俺の視線を、凶相を見ても、グレゴリオは飄々としている。藤堂には危機意識が欠如しているが、この男もまた同じ厄介さがある。  グレゴリオが軽くその傍らのトランクケースを持ち上げ、肩をすくめる動作をする。そして、まるで探偵が謎を解くかのような口調で話し始めた。俺の被った仮面については触れる事なく。 「おかしいとは思っていたのです。『異端殲滅教会』の序列一位、超越者が課されるような試練がこのような地に存在するわけがない、と」  然り。だが、グレゴリオ、お前なんかに俺の仕事の何が分かるというのか。  メイスはグレゴリオの横の壁を破壊し、突き刺さっていた。 「常に最悪を考慮するようにしている。藤堂もアリアもリミスも倒れ伏し、お前だけが生き残っている。だが、これは最悪ではない。こうして三人とも……生きているのだからな」  聖勇者だとか、剣王の息女だとか、魔導王の子女だとかは関係ない。  グレゴリオと藤堂一行の戦力比は甚大だ。レベル差に経験。百回やって百回敗北する、一対三でも決して覆らない。それだけの戦力差がある。  やろうと思えば初撃で殺せたはずだ。  かつてグレシャの動きを止めた時のように、意志を引き絞り叩きつける。  だが、グレゴリオの表情は変わらない。レベルか経験か。いや、それは恐らく――覚悟。  グレゴリオも俺が割っている事を予想していたという事なのだろう。俺と異なるのはその覚悟が、『待望』と呼べるもの 「僕が藤堂さんの正体に気づいたのは……アレス、貴方の存在があってこそです。希少な秩序神の加護と、教会最強の異端殲滅官、偶然と呼ぶにはあまりにも出来すぎている。ふふ、アレス……これは勘ではありません。これは――論理的な思考能力によるものです」  神の加護は特殊な眼でも持っていない限り、見て分かる類のものではない。  藤堂は相手を見極めてそれを述べるべきだった。グレゴリオの性格をちゃんと理解して話すかどうか決めるべきだった……が、狂った思考を推測出来るわけがない。これを運命と呼ぶか。そう呼ぶべきなのか。  部屋の構造を一瞬で把握する。割れた床、テーブルや椅子の残骸。メイスの場所、負傷者の状態、グレゴリオの挙動に、スピカとグレシャの位置。そして何よりも――自分のパフォーマンス。  前髪を掻き上げ、グレゴリオに警告する。  パフォーマンスは完璧。いつでも――やれる。 「引け、グレゴリオ。これは、これが俺の――試練だ。俺は、お前に言ったはずだ。俺の邪魔をするな、と。そうだな?」  レベル差がわからないのか。戦力差がわからないのか。いや、この男がわからない訳がない。わかっていてこうして俺の前に立ちふさがる。だからこそ、恐ろしいのだ。  如何に経験を積もうと、俺とグレゴリオの間では差が存在する。低レベルの戦士を三人一方的に叩きのめすのとは訳が違う。ましてやグレゴリオは――回復魔法が使えないのだ。  グレゴリオが旧知の友を相手にしているかのように笑う。 「アレス、我が同胞。貴方は今朝、僕に――シスタースピカの安全を要請した。約束は守りました。この通り、シスタースピカには傷一つつけておりません」  指差され、スピカが震える。  違うわ! 俺の言いたかった事はそういう事じゃねぇ!  確かに俺は、藤堂たちが帰る前にグレゴリオの元を訪れ、スピカの安全を要請したがそれは、藤堂パーティに対して余計なアクションを起こさないようにしろという意図であり、断じて今の状況を示唆するものではない。  スピカ以外戦闘不能にしておいて安全保ったって、言われた事しかできねーのか、てめえは!  怒鳴りつけたかったが全て飲み込む。冷静さを失ってしまえば相手の思う壺だ。 「グレゴリオ、分かるな。これは俺の試練だ」 「わかります。そして――僕の試練でもある」  話が……通じない。  こうなると思っていた。絶対にこうなると思っていた。だから、事情を伝えなかったのだ。  言う事聞くと見せかけて、グレゴリオは自らの信仰のためならば人の約束を平気で反故する。この男のイエスは決して信じてはならない。  グレゴリオが天を仰ぐ。その大仰な動作で、まるで託宣でも行うかのように叫ぶ。 「ああ、アレス。これは信仰の競合です。貴方の意志と僕の意志は今――拮抗している。これが何と称すべきものだが、わかりました?」  知りたくもない。  グレゴリオが叫ぶ。 「これこそが――神の意志。これこそが――運命。アレス、神はこう仰っておられる。信仰を示せ、さすれば勝利は――与えられん。これは悲劇にして喜劇ッ! アレス・クラウン、我が同胞。僕は今――押しつぶされそうな程の悲哀と歓喜を感じているのですッ!」  グレゴリオの左目から、左目のみから、涙が零れ落ちる。  感極まったような声色に、怖気が走る。狂人。狂信者。この男を指し示すのにそれ以上に適切な言葉はない。  いいか、藤堂。この世界には――話の通じない人間が一定数いるんだ。  その顔が伏せられ、その双眸が改めて剣呑な色を帯びた。 「アレス。未熟な正義は時に毒となる。無能な味方は時に有能な敵よりも害になりうる。僕達、異端殲滅官は今までそうやって――無数の人間を殺してきた。そうではありませんか?」 「俺はお前と意見を交わし合うつもりは一切……ない。グレゴリオ。これは聖穢卿、クレイオ・エイメンの命令だ」  クレイオへの連絡も既に取ってある。恐らく、戦闘になるだろう、と。アメリアにも既に指示を出している。  深く息を吸い、言葉に力を込める。俺の精神は、意志は、既に戦闘体制に入っている。  そして、俺はクレイオからの命令を自分なりの言葉に置き換えて吐き捨てた。 「失せろ」 「神ならざるただの人間が、同じ人間に命令するなどおこがましいと思いませんか?」  グレゴリオが安らかな、まるで聖人な表情でトランクを持ち上げ、そう言った。 §  俺とグレゴリオ・レギンズは同じ異端殲滅官だが、決して実力が同等というわけではない。  それまでの経験の差、扱える神聖術の差、レベル差。  体格差、身体能力差、思考の、信仰の差、仲間の差、などなど。  それら全てを考慮したその結果として、俺は殲滅鬼と戦いたくはなかった。できれば言葉だけで戦闘を回避したかった。だが、俺は基本的に戦闘員でありそれ以外の能力は高くない。 「グレゴリオ、俺のレベルは――93だ」  床をとんとんとつま先で叩き、足元を確かめる。  レベル93。そのレベルは人類の中では最高クラスである。一般的な人類最大レベルが100とされている事を考慮すると、そのレベルがどれだけ高いのかが分かるだろう。  そもそも、魔物を狩ってレベルを上げるといっても存在力の高い魔物を狩るのは難しく、このレベル帯には普通に魔物を狩っているだけでは達する事は難しい。  ただの傭兵ならば相手が悪いと感じるはずだ。  だが、グレゴリオは爛々とした眼で俺を見ている。警戒もない。嬉々としているようですらある。 「アレス、僕のレベルは――83です。ふふふ……ちょうど10の差ですね」  グレゴリオの声から、引くつもりがない事がわかる。  レベル83。高位も高位。僧侶でその域に達する者が果たして何人いるか。  だが、予想通りだ。俺の予測の範疇だ。確かに高いが俺よりは低い。  ……相手したくねぇ。 「グレゴリオ、これが最後の通告だ。大人しく引いてくれ。仲間同士の争いなど――非効率だ」  万感の思いで放った言葉に、グレゴリオが不思議そうな表情で瞬きをした。 「アレス、貴方は強い。神に祝福されし数多の僧侶の中でも、貴方に勝利しうるものは数える程度でしょう。中でも闇の眷属を討伐する能力はピカイチだ。故に授かった『超越者』の二つ名。ですがそれは――互いの信仰の競合を解決する理由にはならない」  グレゴリオが壁に突き刺さった俺のメイスを引き抜く。棘の生えたバトルメイス。グレゴリオは自らのトランクケースを両手で扱う事が多い。二刀流には慣れていないだろう。隙ができるはずだ。  一方、俺には短剣がある。一時スピカに貸していたが、ユーティス大墳墓、一日目の夜。神聖術の訓練を行った際にスピカから返してもらったものだ。  暗示の一部だった。普通の僧侶は刃を持つ事を許されない。それは、神聖術の行使の妨げになるから――という名目で取り上げたものだが、まさか再びこの短剣で戦う時が来るとは思わなかった。  だが、俺の予想とは逆に、グレゴリオは取り上げたメイスをこちらに放ってきた。宙を舞うそれを右手でキャッチする。 「アレス。自らの信仰の正当性を証明したくば、『神の怒り』にて証明するがよろしい」 『神の怒り』  それは、俺に与えられた長柄のバトルメイスの名前。俺がつけた名前ではない。気がついたら、周囲からそのような呼称で呼ばれるようになっていたのだ。  使い慣れた、大仰な名で呼ばれているそれを軽く空中で振る。  風を切る音は雷鳴の如く。あらゆる災禍を打ち砕かん。  グレゴリオがその眼差しを足元の藤堂に向ける。その眼の色は控えめに言っても正気の人間のそれではない。 「アレス。僕は貴方を尊敬しているのです。今まだ藤堂さんが生きているのがその証明。もしも貴方の持つ試練を持っていたのが貴方ではなく他の異端殲滅官だったら……既に排除していたでしょう。あまねく全ての民のため、そして――我が神の信仰のためにッ!」  グレゴリオの持つトランクケースが不自然にかたかたと震える。まるでその感情を示しているかのように。  そして、酒精に侵されているかのような恍惚とした表情で呟いた。 「神は――常に正しき者に微笑む」  自らの正しさを、その信仰を確信している声。戦闘は――不可避だ。 「俺は未熟だ。同胞一人すら説得する事ができない。だが、唯一そんな俺にでも分かる事がある」  グレゴリオ。俺は今まで、お前を恐れても……敗北すると思った事はない。  お前は、本当に俺に勝てると思っているのか?   「勝つのは正しい者ではなく、強い者だ」 「ふふ……異な事を仰る」  僅かに頬を捻じ曲げ、グレゴリオが笑った。いつも浮かべる微笑みではなく、人に絶望を感じさせる悪魔のような凶悪な笑みだ。 「力あってこその正義。勝利こそが神の御心。力なき正義とは毒。弱者すら救えぬ正義に意味など――」  グレゴリオの姿が消える。いや、感覚を強化した俺にはその動きが辛うじて見えた。  独特の足運び。レベルの高さ故の速度と、洗練された技。足に弾き飛ばされ木片が舞う。死角から振りかぶられたトランクにメイスを合わせる。 「――ないッ!」 「ッ!!」  音と衝撃に火花が散った。  メイスを握った手が、ザルパンの攻撃を受け止めた時すらなんともなかった手が痺れる。  本来ならば補助魔法なくして達成できる力ではない。  だが、受け止める事は出来た。両手で握ったトランクケース。  息が熱い。まるで食い破らんとばかりに見開かれたグレゴリオの瞳孔が、感覚の強化により緩やかに流れる景色の中はっきりと映る。  グレゴリオの眼の中の俺もまた、グレゴリオと同じような表情をしていた。 「ッ――お前、やっぱり僧侶なんかよりも傭兵をやったほうが儲かるぞッ!」 「あはははははははははははははははははははッ!!!」  体勢が良かった。トランクを弾き飛ばす。小柄なグレゴリオもまた宙を舞う。  それを追った。神聖術の分、俺の方が強い。俺は――グレゴリオの異常な力の正体を知っている。だから、その力に対する恐怖もなければ見くびりもない。  家具の残骸を踏み砕き、接敵する。禁忌の箱は確かに頑丈だが、分類的には武器ではない。リーチはこちらが――上。  これで負けたらそれこそ神の御心という他ないだろう。  斜め右上からメイスを叩きつける。グレゴリオが箱で受ける。構わない、何度も何度も殴りつける。  床は木だ。グレゴリオが耐えられても、真上から叩きつければ床は耐えきれない。床が割れ、グレゴリオの足が亀裂に食われる。  その瞬間、横薙ぎにメイスを振り払った。  俺はグレゴリオの動きが見えるが、グレゴリオの方も俺の動きが見えているのだろう。メイスと箱が衝突し、鈍い金属音が鼓膜を揺らす。衝撃で床が割れ、グレゴリオの身体が吹き飛ばされる。  ――窓を割って、外へ。地上に向かって落ちていく。  よし――追い出した。グレゴリオのその意図がなかったとしても、戦闘に巻き込んでしまえば藤堂の命などない。  端っこでがたがた震えていたスピカがすがりつくような声を出す。 「あ……れす……さん?」 「スピカ、大人しくしていろ。俺が全ての――片を付ける」  スピカが、すっかりぼろぼろになった部屋を見渡す。そして、俺を見上げて聞いた。 「え……あ……こ、殺しちゃうん、ですか?」 「……非常に残念な話だが、クレイオから殺しの許可は出なかった」  これは仕事だ。俺はグレゴリオとは違う。 page: 79 第二十六レポート:神の御意志を証明せよ 「死ねえええええええええええええええええええええええええッ!」 「あはははははははははははっ! 天が――僕を祝福しているッ!」  幸いな事に、グレゴリオの部屋の下――教会の裏手には人一人いなかった。もしもこの光景を誰かに見られたら貴重な信徒が失われていた事だろう。  飛び降りると同時に、重力をかけてメイスを叩きつける。  グレゴリオは既に体勢を整えていた。グレゴリオの箱は武器と言うよりは盾だ。非常に高度の高いあらゆる攻撃に耐性を持つ――盾。  地面は土。昨晩の雨でぬかるみ、柔らかくなった土に踏ん張りが効かず、受け止めたグレゴリオが滑る。  反撃の間を与えずにグレゴリオに連続攻撃する。それを、慣れた動作でグレゴリオが防ぐ。  一撃一撃に対して的確に行われる防御。ザルパンと戦った時とは異なる明確な技術。  相手の表情に張り付いているのは愉悦の感情だ。その感情の意図は読めない。  優勢なのは間違いなくこちらだ。身体能力も多分、こちらの方が少しだけ高い。  打撃の合間に光の矢を放つ。メイスとは逆方向から放たれたそれはグレゴリオの首を貫いたが――グレゴリオには些かの痛痒も見られない。  わかっていた事だが、吐き捨てるように咆哮する。 「くそっ、お前本当に人間だったのかッ!!」 「我が神に力を捧げる」  言葉通じねえッ!  メイスの一撃一撃に全力を込める。竜すら吹き飛ぶ重さのはずだが、グレゴリオはその全てを受けてみせた。  力が拮抗しているのではない、受け流しているのだ。  何故こいつが人間なのか。こいつに退魔術が通じないなんて、この世界は間違えている。  こいつに力を与えるとは、やはり神などいないに違いない。  攻撃を入れ続ける事数撃、グレゴリオの体勢が崩れる。泥で滑ったか!?  絶好の隙を逃さず、トランクの側面を殴りつけた。 「ッ――」  衝撃に、トランクがグレゴリオの手から離れる。大きく弾け、回転しながら吹き飛ぶと、数メートル遠くの地面に落下した。  禁忌の箱はグレゴリオの主武器、それを信仰のルーツにするグレゴリオは他の武器を持たない。すかさずポジションを変え、落ちたトランクを背にグレゴリオに対面する。  呼吸を整える。身を低くし、未だ獣の眼差しを向けるグレゴリオを見下ろす。 「降参しろ、グレゴリオ。既に勝負はあった」 「ふふふ……あはははははははは――超越者。僕の身は未だ健在にして、どうして勝敗が分かるでしょうか」  グレゴリオが諸手を上げ、まるで跳ね上がるように飛びかかってくる。爪、歯、拳、足。なるほど、確かに健在だ。レベル83もあればその身体もまた凶器になりうる。  といっても、レベルに差があるのならばともかく、素手で俺に致命傷を与えるのは難しいだろう。そもそも、武器ありでも俺の方が――強いのだ。 「これ以上は殺す事になる」 「それが神の御意志ならばッ!」  話にならない。舌打ちする。  一歩後退する。飛びかかってくるグレゴリオの横顔。  メイスで真横からその頭を叩き潰す――と見せかけて、柄を回転させ、その腹を穿つ。  グレゴリオがとっさに膝を入れ防御するが、柄には確かにダメージを与えた感覚が残った。骨は折れていないだろうが、打撲で十分だ。  痛覚はあるのか、グレゴリオがステップを踏んで下がる。  それを逃さず、踏み込んだ。グレゴリオが楽しそうに叫ぶ。 「あはははははっはははっ、アレス。貴方は――優しいッ! 破壊ではなく制圧しようなどとはッ!」 「やかましいッ! 頭を狙っていたら防御してただろ、お前ッ!」  メイスを振り上げる。振り下ろすと見せかけて蹴りを放つ。  踏み込みを深く、その足の甲を踏み砕く。右手のメイスを振り下ろすと同時に左拳を振りかぶり顎に当てる。グレゴリオにとって致命傷を受けることは敗北につながる。  ブラフを交え攻撃を仕掛けるが、力が入り切らない。だが、グレゴリオも完全に防御しきれていない。  打撲に疲労。跡の残らない程度のダメージを蓄積させる。  疲労は、ダメージはその動きを確実に鈍らせる。退魔術に特化した異端殲滅官、グレゴリオ・レギンズの弱点をつく。  グレゴリオの眼にははっきりと俺の身体にまとわり付く碧の光が見えるはずだ。持続回復魔法が掛っている俺の身体に――肉体疲労は殆ど溜まらない。  グレゴリオが防御に専念する限り、一撃で戦闘不能にするのは無理だ。向こうも、致命傷だけはなんとしてでも避けようとするだろう。 「ふふ……はははははははッ――強いッ! アレス、貴方の信仰が――伝わってくるかのようですッ!」  だが、俺はグレゴリオにとって――最悪の相手だ。  己の得意とする退魔術の通じない耐久力の高い相手。レベルも高く、何よりもグレゴリオの事をよく知っている。  左手で腰から短剣を抜く。激しい応酬の中、グレゴリオの視線が刹那の瞬間そちらに注目するのを確認する。  さぁ、グレゴリオ。打撃と斬撃――お前はどちらを優先する?  刃を下から顎目掛けて振り上げる。いい。死ななければいいのだ。傷は――直せる。出血させれば体力の消耗も大きくなる。  斬撃はまずいと思ったのか、グレゴリオが大きく仰け反り刃をかわす。その代償に崩れる体勢、がら空きになったその胴体――わかりやすい隙に向けてメイスを大きく振り被る。  そして俺は、グレゴリオを狙わずに身体を旋回させた。  グレゴリオが瞠目する。メイスが背後から俺の後頭部目掛けて迫っていたトランクを弾き飛ばした。  トランクが地面を数度バウンドし、数メートル先でようやく動きを止めた。  ぞっとしない何かが背筋を駆け上がる。  二度目。二度目だ。最初にグレゴリオに出会ったその時に見た。だから警戒していた。故に、反撃できた。  近接戦闘に集中している最中、警戒していなかったら躱せなかっただろう。攻撃の瞬間こそ、人が最も無防備になる瞬間でもある。  跳ねた泥が顔を汚す。それを拭うこともせずに、グレゴリオを睨みつけた。 「これは……なんだッ!?」 「素晴らしい……本当に素晴らしい――アレス・クラウン。貴方には序列一位となる理由がある」  既に体勢を立て直していたグレゴリオが静かに、感嘆したように呟いた。低く、やや幼くも聞こえる声。少年の声。  トランクがカタカタと動く。距離があるにも関わらず。  魔術? 否、魔術には気配が付随する。グレゴリオは何もやっていない。  風はない。トランクを動かす要素はない。 「僕の『友』を見抜いたのは初めてです」 「友……だと!?」  グレゴリオの言葉に反応するかのように、トランクが大きく宙を舞った。  数メートル高くの空を、円を描いて飛翔すると、弾丸のような勢いで頭上から襲来してくる。それを、メイスで打ち上げる。  天高くに飛んだトランクは今度は地面に落ちる事なく、ブーメランのように旋回してグレゴリオの傍らで停止した。  そのトランクをまるで慈しむかのようにグレゴリオの指先が撫でる。  警戒し、一歩距離を取る。メイスを構える。  正体が――分からない。  魔術でもないし、レベルを上げる事により得られる権限にもそのようなものはない。 「それはなんだ!?」 「ふふふふふ、アレス。貴方は――見たことがないようですね」  グレゴリオの指先がトランクの留め金にかかり、それを丁寧に外した。まるで服のボタンでも外すかのような所作で。  トランクが開く。契約した魔術師が気絶しているためだろう、中から大分弱い光を纏ったガーネットが地面に零れ落ち、こそこそとした動きで離れていった。  だが、それだけだ。中には――何もない。銀張りのトランクケース。 「紹介しましょう、アレス。僕の友――『パンドラ』を」  グレゴリオが手を離す。トランクケースが再び宙を舞う。グレゴリオの周りを三度、凄いスピードで回ると、まるで威嚇するかのように俺に向かって何度もがたがたと開閉した。  見た目だけならば魔物の一種、迷宮に存在する宝箱に擬態する魔物に非常に似ている。だが、目の前に浮かぶそれは決して魔物ではない。生命を感じない。ただの――トランクだ。  警戒を一段上げる。魔術ではない動く物体。鬼面騎士に似ているが、グレゴリオはそんな高度な魔法を使えないだろうし、魔力もないだろう。  グレゴリオの合図もなしに、パンドラが飛来してくる。聖剣すら受け止める、特殊合金の塊だ。勢い良くぶつかればただでは済まない。  真正面から飛んでくるメイスで弾く。同時に、身を低く突撃のような体勢でグレゴリオが接近してくるのが至近から見えた。 「アレス、これが――奇跡です」 §  スピカは恐怖していた。  グレゴリオ・レギンズの変化と、今の目の前にある破壊の跡に。  スピカは恐怖していた。  自分が何もできなかった事に。  もう拘束は解けているはずなのに、床に座り込んだ状態から動けない。  腰が抜けているのか、力が入らなかった。  手足の震えが止まらない。思考が定まらない。魔物との戦いの経験はあっても、人同士の殺し合いを見るのは初めてだった。  そう、殺し合いだ。スピカの眼にはグレゴリオの唐突な反応は全く理解の出来ないものであったし、藤堂達がそれに対して反応出来たのもまた理解の出来ないものだった。  心臓が痛い。息が荒い。熱い呼気を吐き出す度に、スピカの身体から力が失われていくかのようだった。  床についた手が砕けた木片を強く擦り、痛みにようやく我に帰る。  室内には誰もいない。倒れ伏しピクリとも動かない藤堂達。  何を考えているのかぼーっと隣に佇むグレシャに、一瞬怒りが沸くが、自分もまた何も出来ていない。  いや、今回だけではない。大墳墓においても――スピカ自身は何一つパーティに貢献出来ていない。藤堂達やアレス達の全面的な協力に従い、ただ動いていただけだ。  無意識に胸元に持っていった手が、天秤のペンダントに触れる。  天秤十字はアズ・グリードの証。赤銅製のそれは碌な効果も持たないただのアクセサリーだ。  だが、スピカの身体を僅かに動かす効果はあった。 「治療……しなきゃ……」  這いずるようにして一番近くに倒れ伏すリミスに近づく。  ぐったりと完全に意識のないリミスの身体を苦労してひっくり返す。リミスの身体はスピカとそれほど変わらない大きさであるにも関わらずとても重かった。  力のなく、冷たい手の平を握る。教典は読んでいた。どのような訓練を受ければいいのかも教わっていた。  しかし、スピカが実際に回復魔法を使った事は、使えた事は一度もない。  記憶の中から情報を必死に探る。回復魔法は接触行使が基本だ。高位の回復魔法ならば触れただけで癒やしの力を全身に及ぼせるが、低位ならば傷口を触らねばならない。 「頭……? 肩?」  リミスの身体を探る。心臓は動いているが、どこに回復魔法をかければいいのか、こういった場合どこに掛けるべきなのかわからない。  血は出ていない。顔が青く鬱血しているる。意識はない。  混乱のあまり頭がくらくらしてきたその時、ふとスピカの耳の中に聞き慣れた声が入ってきた。 「これまた……派手な……」 「アメリア……さん?」  いつの間に部屋に入ってきたのか、室内を見渡していたアメリアがスピカの声に振り向く。  言葉とは裏腹に、アメリアの表情には焦りがない。 「なんで……ここに……」 「私が治す手筈だったからです。手遅れになってしまえば、全てが水の泡になります」  すたすたと、壁際に倒れ伏す藤堂の方に近づくと、慣れた動作でひっくり返した。  脈を取り、瞳孔を確認すると、その手の平を藤堂の頭に軽く触れる。  その手の平から発生した強く暖かい緑色の光。 「あの……アメリアさん……私は、どうすれば……」 「何もしなくて構いません」 「で、でも……」  言い淀むスピカに、アメリアが視線を向けた。  紺色の瞳がスピカに向けられる。失望しているわけではなく、卑下しているわけでもない。  その感情の正体をスピカは知っていた。  それは――『無関心』だ。 「シスタースピカ、貴女はまだ何も出来ないでしょう。せめて邪魔だけはしないで下さい」 「ッ!」  あけすけな言葉に、ショックで一瞬息が詰まる。そんなスピカを気にする事なく、アメリアが全員に順番に処置を施していく。  最後にスピカの方に近寄り、僅かに血の滲んだスピカの手を取った。 「あの……私より……アレスさんを……」  自分の傷は深くない。直接殴られたわけでもない。  それよりも、スピカの脳裏に浮かんだのは、窓から出ていったアレスとグレゴリオの事だ。  スピカの言葉に、しかしアメリアがきっぱりといい切った。 「不要です」 「え……な、どうして、ですか?」 「こと彼が同じ僧侶を相手に――負けるわけがないからですよ」  断言するそのアメリアの言葉には、信頼以上の何かが込められている。 §  レベル83。レベルは上げれば上げる程にどんどん上がりづらくなってくる。そのレベルは、グレゴリオの積み重ねた戦闘の歴史そのものであり、レベル83ともなればその戦闘能力は高位の魔族に匹敵する。  だが、グレゴリオは歴戦の異端殲滅官の中でも特に尖っていた。  本来、レベルを上げても人間の身体能力は高位の魔族に劣る。故に、技巧や魔術を使ってそれをカバーしなくてはならない。  僧侶の能力、神聖術の中で最も重要なのは――傷や疲労を癒やす回復魔法である。特に耐久力の高い魔族と戦うためにはそれが必須だ。  俺はずっと不思議だった。如何に狂信的な信仰と退魔術を持っていたとして――どうして、基本的にソロで動くグレゴリオがこれまで長い年月を生き延び続ける事ができていたのか。  何故、自らの傷を癒やす手段を持たないグレゴリオがまだ生きているのか。 「これが――その理由かッ!!!」  背後から襲いかかってくるパンドラとやらをメイスで殴りつける。まるでメイスに噛み付くようにまとわりついてくるトランクを、構わずグレゴリオに振り下ろす。それを、グレゴリオは一歩下がり避けた。  神経が摩耗する。相手が二人になったようなものだ。理屈は不明、少なくともそれは、奇跡などという陳腐な言葉で言い訳がたつ限度を超えていた。何か絡繰りがあるはずだった。  人の視界は凡そ百二十度、どう立ち回っても死角ができる。それでも感覚を集中すれば背後からの攻撃にも対応出来るが、今度は前方が疎かになる。  グレゴリオの足が地面を抉る。泥が飛散し、低めの蹴りが飛んでくる。  その身体能力は脅威だが、所詮は手足だ。蹴りを膝で受ける。脚に広がった痺れが持続回復により一瞬で消える。  ――やりづらい。  グレゴリオの眼は未だ戦闘開始時と同様、爛々と輝いたままだ。  握ったメイスが重い。パンドラが未だかたかたとそのメイスの頭に噛み付いている。ありえん。  グレゴリオに、パンドラが噛み付いたままのメイスを振り下ろす。肩目掛けて振り下ろしたそれの軌道が強制的にずらされ、空振った。  その隙に左から蹴りが飛んでくる。回避は無理だ、仕方なく腕で受ける。肉が、骨が軋む音がした。  後退する。ダメージは大きくないが、致命的ではないが、先程まであった流れがグレゴリオにいっている。これはまずい。  距離を取った途端にパンドラが離れ、がんがんと騒々しい笑い声をあげた。  魔物ではない。悪魔でも、幽霊の類が道具に取り憑いているわけでもない。そもそも、仮にも僧侶であるグレゴリオがそんな道具を使う訳がない。  グレゴリオの手元にパンドラが戻る。その取っ手を握り、少年が嗤う。  確信した。これは――制圧を目的にすれば持久戦になる。予想外だ。  息を整える。痺れの残る肩に回復魔法を行使し、即座に癒やす。 「得体の知れない術を……お前、本当に人間か?」 「ふふ……アレス。貴方にも出来ますよ」  グレゴリオが手を離す。同時に弧を描き、パンドラが飛来する。自立式のハンマーを相手にしているような感覚。  メイスを投げ出し、それを両手で受け止める。俺の腕を噛みちぎろうとするそれを力づくで押しとどめる。膂力だけならば俺の方が高い。  数歩下がる。グレゴリオが迫ってくる。謎を解かねばならない。  トランクの表面は上位悪魔から剥ぎ取ったもの。構成金属はオリハルコンとミスリル。悪魔の皮はともかくとして、武器それ自体は教会から与えられたものだ。  グレゴリオの拳を、蹴りを、逃げようと藻掻くパンドラで受ける。金属を通り抜けた衝撃が腕を伝って身体を揺さぶる。  中も外も、何ら不思議な点はない。トランクを調べるのを諦め、パンドラを振り回してグレゴリオを殴りつけると同時に手を離した。  飛来するパンドラをグレゴリオが横に回避する。パンドラはグレゴリオの後ろを旋回し、再び俺をターゲットにする。  顔面目掛けて飛んでくるそれに、拳を叩きつけた。  パンドラが回転しながら宙に吹き飛ぶ。骨に罅でも入ったか、拳がじんじんと痛みを訴えてくる。  回復魔法で回復しつつ、パンドラが戻ってこないうちに投げ出したメイスの方に走った。  格闘戦は愚策だ。二対一である以上、必ず隙が出来る。  グレゴリオがメイスの前に立ちふさがる。拳で弾き飛ばしたパンドラがこちらに落ちてくる。  俺は覚悟を決めた。パンドラは受けられる。その威力は、速度は、グレゴリオが直接振るった程ではない。  懐からナイフを取り出し、投擲する。グレゴリオの反応が突然のそれに一瞬遅れ、しかし回避される。  そして、メイスまで後一歩と迫ったその瞬間――背中から凄まじい衝撃が俺の身体を通り抜けた  page: 80 第二十七レポート:神の御意志を証明せよA  痛みは恐怖を呼び起こすと言われている。しかし、俺はそれを感じた事はない。  何故ならば、俺にとって傷とは――自ら治療できるものでしかなかったからだ。それも、物心ついた頃から。  全身を揺さぶるような衝撃。それを利用し強く踏み込むと、地面のメイスを右手に握り取る。同時に、勢い良く身体を反転させる。  一瞬息が止まる。内蔵が圧迫される感覚。衝撃に耐性のあるミスリルのチェインメイルを着ていても、グレゴリオの打撃は身体の芯まで響く。  だが、それが俺の動きを止める事はない。即座に自らに回復魔法をかける。持続回復を待つ必要などなく、傷も疲労も消える。  一瞬だが、確かに背中を見せた俺を、グレゴリオは追撃しなかった。ただ瞠目して俺を見下ろす。 「流石……超越者。何回使いました? 補助魔法はご自分で?」 「……」 「消費の激しい回復魔法を連続で行使し表情を崩さない。尽きぬ事ない無限の神力。圧倒的な継戦能力。やはり貴方は――違う」 「お前に認められても嬉しくないな」  立ち上がり、法衣に付着した土を払う。神力にはまだまだ余裕がある。  お前は負ける。負ける理由がある。グレゴリオは先程俺が一位である理由が分かると言ったが、まさしく俺とグレゴリオでは差が、理由があるのだ。  例えレベルにそれほど差がなかったとしても、身体能力に差がなかったとしても――俺とグレゴリオの神力の差は……二倍や三倍などではない。  グレゴリオの顔に疲労はなく、ダメージもない。  だが、それは確実に蓄積している。疲労しない人間などいない。一時的には意志で封じ込めても、決してそれが消え去っているわけではない。  パンドラ片手にグレゴリオが飛びかかってくる。先程よりも遥かに速い速度のそれをさばく。テンションか、意志の力か。  いいだろう。アメリアには藤堂の相手を頼んだ、邪魔が入る心配はない。一日でも二日でも気が済むまで――付き合ってやる。 「神の、御心のままにぃいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!」  グレゴリオが充血した眼で叫ぶ。その様はアンデッドなんかよりも余程恐ろしい。  だが、俺にはわかっていた。既にもう俺に負けはない。  戦法を変える。致命傷になりうる攻撃以外の全てを正面から受ける事にした。  グレゴリオ・レギンズの戦闘能力はその退魔術によるものだ。身体能力は確かに高いが、あくまでそれは補助的な要因に過ぎない。  退魔術さえ効かなければ攻撃力が不足する。  拳を拳で受ける。脚をメイスの柄で受ける。振り下ろされるパンドラをメイスで受ける。 「素晴らしい、信仰が貴方に――力を与えているッ!」  グレゴリオの咆哮に惑わされずに冷静に対応する。  狂信者であってもこの男では馬鹿ではない。グレゴリオもその自分の攻撃力の不足には気づいていたはずだ。それ故の――奇襲。  グレゴリオが俺に勝ち得るのは一番最初の背後からの奇襲の瞬間、それだけだった。最初にそれを使わず、パンドラを弾き飛ばされるタイミングを待ったのは奇襲を成功させるため。  奇襲とは気づかれていないから成り立つのだ。一度失敗すると二度目は警戒され、成功の可能性が著しく低下する。  グレゴリオのミスはたったひとつ。最初に宿の食堂で出会ったその時に、パンドラを使ってしまった事だけだ。  宙を舞うパンドラを叩き落とし、それを踏みつける。抜いた短剣をグレゴリオに投擲する。グレゴリオは半身でそれを回避した。  戦闘を続けながらも思考は回る。力を思考に割く余裕が出来ているのだ。  意図せぬ方向から飛来するパンドラは脅威だ。武器に噛み付いてくる戦法も場合によっては厄介だろう。だが所詮は――それだけだ。致命的ではない。相手が二人いればいいと考えればいいだけだ。  おまけにパンドラの動作は噛み付くか、ぶつかるの二通りのみ。トランクなので仕方ないが、人を二人相手にするより遥かに易い。  そして、もう一つ気づいた事がある。  戦闘中もずっと観察していた。パンドラはグレゴリオの切り札だ、それを暴かずして完全な勝利はない。  わざと攻撃も受けた。弾き飛ばしたし、武器を捨てるという危険を冒してまでパンドラを調べた。  グレゴリオの蹴りを手で受ける。脇腹を狙うパンドラを腕で防御する。  必要なのは――覚悟。覚悟さえしていれば衝撃も耐えられる。そして、俺はグレゴリオに囁きかけた。 「このパンドラ――自立思考で攻撃しているわけじゃないな」 「ッ!」  グレゴリオが俺の言葉に僅かに目を見張った。  魔導人形などとは違う。ならばどうやって攻撃をしているのか。  苛烈になる挟撃をメイスの柄と頭で受け流す。回転させたメイスの柄に、グレゴリオの反応が一瞬遅れ、顎にかすった。攻撃の代償にパンドラが俺の膝を撃つが無視する。我慢できる出来る程度のダメージだ。 「グレゴリオ、気づいていないのか? お前――パンドラを飛ばすようになってから、弱くなっているぞ」  初めは素手になったから勝手が変わっただけかと思ったが、違う。  パンドラを飛ばしてから、攻撃の捌きが甘くなっているのだ。回復魔法を使えないグレゴリオにとって回避と防御は必須である。同じように回避を主とするアリアのようにまだ未熟なわけでもない。  パンドラが宙で回転し、俺を威嚇するように顎を鳴らす。  何故弱くなったのか。疲労もダメージの影響も見られないのに、何故動作が遅れているのか。  結論から遡れば原理も見えてくる。恐らくこのパンドラ……グレゴリオは先程、まるで自ら動いているかのように『友』と紹介したがこいつは恐らく――。 「お前が操作しているんだな」 「……」  意識の一部がパンドラの操作に割かれている、だから本体の行動がどうしても疎かになっているのだ。戦闘開始時と比べ口数が減っているのも操作に集中しているためだろう。  グレゴリオの表情から笑みが一瞬消え、それ以上の歓喜が浮かぶ。その唇の隙間から並んだ白い歯がちらりと見えた。  一撃一撃の速度がより激しくなる。降りかかる嵐のような殴打、噛み付くように襲ってくるパンドラのその口をメイスで突いた。  重い。速い。全力、これが全力だ。だが全力は長くは持たない。防御に力を割く。  絶対に受けてはならないのは――『噛みつき』だ。挟まれれば腕の一本や二本持っていかれるだろう。急所への攻撃もまずいが、如何に治療出来ても手足が欠損すれば確実に隙ができる。だが、噛みつきは警戒していれば防げる。  グレゴリオの蹴りが腕を撃つ。みしりと音が鳴った。痛みを噛み殺す。  恐ろしい男だ。あらゆる全てを俺を打ち倒す事に、その信仰を示す事に費やしている。  その一撃一撃の重さはまさにその意志の証だ。これで上司からの命令をちゃんと聞いていれば完璧だったろうに。  そして最後に――どうやって操作しているのか。  魔術ではない。如何にグレゴリオでも魔術は門外漢だ。魔道具の力でもなければ、一部の魔族が持つ念動力の類でもない。そんな力を持っているのならば、俺の武器を奪った方が有効なはずだ。  答えは既にわかっていた。バカの一つ覚えのように体当たりを繰り出してくるパンドラをメイスで弾き、至近距離から睨みつける。  俺の武器、『神の怒り』とグレゴリオの『禁忌の箱』の差。  そしてグレゴリオ自身の言葉、  『貴方にも出来ますよ』  『これが――奇跡です』  狂信者故の妄言ではない。冗談でもない。それはまさしく真実だった。  恐ろしい技だ。素晴らしいアイディアだ。この技はまさしく――俺の力になる。  懲りずに俺の首を噛みつきに来るパンドラをメイスを大きく打ち上げる。同時に術を唱える。  グレゴリオの膝が鳩尾に突き刺さり、意識が一瞬ぐらりと揺れる。疲労が溜まっているとは思えないキレ。  だが、俺はそれを耐えきった。グレゴリオの表情が不審に歪む。  グレゴリオ。戦場で余計な事を言ってはいけない。  天からパンドラが、グレゴリオの信仰が凄まじい勢いで落ちてくる。陽光を遮り、それはまるで天が落ちて来ているかのようだ。  奥底からこみ上げてくるような吐き気を我慢し、ただ笑みを浮かべる。グレゴリオの眼がその狂信を忘れ、一瞬不思議そうに瞬く。  パンドラは俺の頭を目掛けて飛来し――  ――衝突する寸前でその軌道をグレゴリオの頭に変更した。 § 「アレスさん、大丈夫ですか?」 「……ああ……」  一度下に降りたのだろう。アメリアが窓からではなく、教会の表の方から駆け寄ってくる。  そして、泥だらけの俺と地面に大の字で寝転がっているグレゴリオを呆れたように見た。  頭から濁った色の血が流れているが、死んではいない、気絶しているだけだ。グレゴリオのレベルならば回復魔法など使わなくてもすぐに気がつくだろう。  その隣には、グレゴリオの気絶の原因であるパンドラが転がっている。グレゴリオが気絶した以上、『友』とやらが動く事はない。 「藤堂達は?」 「無事です。治療して眠らせてあります」  その言葉に、ようやく俺は安堵した。肩の力が抜け、身体がぐらりと揺れる。  アメリアが支えようとしてきたが、その前に自分で立ち直った。傷や疲労はない。だからこれは精神的なものだ。  アメリアが難しい表情で唸る。 「むー……」  しんどい戦いだった。ザルパンよりも余程しんどかった。予想していたとは言え、まさか本当に――殲滅鬼と戦う事になるとは。  共闘するのも嫌なのに相手をする羽目になるとは……ハード過ぎる。  せめて戦う相手は闇の眷属にしておいて欲しいものだ。 「殺したんですか?」 「生きてるよ。自分の武器で頭打って気絶しているだけだ」 「? ……一体何が?」  アメリアが首を傾げる。俺が彼女の立場だったとしても首を傾げていただろう。  無言で腕を伸ばし、トランクの方に向ける。そして、唱えた。 「『聖者の鎖』」  いつもよりも色の薄い光の鎖が手から伸び、トランクの表面に付着する。そのまま手を動かさずに鎖を操作し、大きく鎖を引っ張った。  トランクが光の鎖に引っ張られて勢い良く宙を舞う。  これが――グレゴリオの『パンドラ』の正体。なんてことはない話だった。  『聖者の鎖』は闇の眷属にしか効果がない。当然、金属に作用しないが、悪魔の皮を張っていれば話は別だ。  両手から二本伸ばして両面にくっつければ開閉する事だって出来る。  俺ではまだグレゴリオのようにジグザグに操作したり光の鎖を完全に不可視にしたりは出来ないがそれも――練習次第だろう。  面白い事を考える男である。大道芸じゃねーんだぞ。  よもや殲滅鬼と呼ばれるこの男がこんな下らない……失礼、面白い戦闘技能を編み出すとは誰も思うまい。 「思えば、トランクを飛ばし始めてから確かに蹴りばかり使って来てたし、ただの金属製の留め金は自分で外してた。ヒントはあったんだな」  だが、同時にバレてしまえばそれまでだ。  闇の眷属は『聖者の鎖』を使えないが、俺は使える。  精密操作はグレゴリオの方が得意だが、出力は神力の高い俺の方が上だ。  だから、俺に引っ張られて制御を奪われるなんて無様な結果になるのである。  しかし同時に、それこそが、その闇の眷属を相手とする事のみを想定したその戦法こそが――グレゴリオが殲滅鬼たるその所以なのかもしれない。  アメリアが興味なさげな様子で俺の言葉に頷くと、再度グレゴリオを見下ろした。 「……今の内にとどめ刺しておきませんか?」 「……ささねーよ」  アメリアの提案はとても魅力的だが、さすがのグレゴリオもこれだけやれば負けを、俺の信仰を認めるだろう。……クレイオにも止められているし。  地に伏すグレゴリオを見下ろす。  そもそも、グレゴリオ自身俺に本気で勝つつもりはなかったように思える。障害物のない平地で基礎能力の高い俺と真正面にぶつかり勝つのは難しい。本気で勝とうと考えるのならば、姿を隠せる屋内で戦っていたはずだ。  だから、恐らく本当にこれは――信仰を確かめるためだけにやったのだ。  天を見やる。いつの間にか太陽は沈み掛け、空は紅に染まっていた。  ため息をつき、大きく背筋を伸ばす。地面に伏せるグレゴリオの腕を掴み、担ぎ上げる。  殲滅鬼などと言う物騒な二つ名を持っていても、その身体は驚くほど軽い。 「帰るぞ。次の作戦を立てる」 「そうですね。次の作戦を――あの……ちょっとは休憩しません?」 「大丈夫だ。疲労は神聖術で消せる」 「……そういう問題じゃ……」  ぶつくさ言い訳のように呟くアメリアを置いて、俺は歩みを進めた。 page: 81 Epilogue:超越者の憂鬱 『そうか。よくやったアレス』  グレゴリオとの戦闘もとい説得から早丸一日。  事の顛末を聞いたクレイオは、ただ一言そう返してきた。  酷い戦いだった。  法衣もぼろぼろだし、武器とインナーとして着ていたチェインメイルは無事だったが酷いものだ。  事前に戦闘を想定して準備していたから、まだこの程度で済んだが、準備をしていなかったら更に酷い事になっていただろう。  実は藤堂がグレゴリオの部屋に入るその前から、俺とアメリアは既にその隣の部屋で待機していたのだ。何が起こっても……対応できるように。だから、突入するタイミングも見計らう事ができた。  藤堂が意識を失うその直前まで部屋に突入しなかったのは、藤堂も少しは……痛い目にあった方がいいと思ったからである。  アメリアが身支度を終え、リュックサックに買い込んだ物資を詰め込んでいる。次の場所に移動するための準備だ。そちらに視線をちらりと向け、再び会話に注意を向けた。 「正直に言おう、しんどい戦いだった。二度と――同じ教会の仲間同士で争うような事はないようにしたいものだ」  魔王討伐の旅に出て間違いなく一番大変だった戦闘である。  接戦でこそなかったが、油断すれば負けていてもおかしくはなかった。グレゴリオがもう少し本気だったらまた少し違った勝負になっていただろう。  俺の言葉の意図を掴んだのか、クレイオが乾いた声を上げる。 「安心しろ、アレス。君や聖勇者に戦闘を仕掛けようとしてくるような異端殲滅官は――グレゴリオだけだ」 「そんな何人も居てたまるかッ!!」  思わず叫ぶ。が、考えようによっては今回最悪は乗り越えたのだ。  ポジティブに考えよう。ポジティブに。  癖の強い異端殲滅官とはいえ、枢機卿の命令を聞き入れない者は殆どいない。いない、はずだ。だから、最悪は乗り越えたのだ。 『勇者のレベルはどうだ?』 「多少は上がった。目標レベルには未だ達していないが、それ以上にアンデッドに対する苦手を緩和出来たのは大きい」 『克服まではいかなかったか……』 「戦うにはそれほど支障ないはずだ。そもそも、グロテスクが苦手の原因のようだから、上位のアンデッドが相手ならば問題ないだろう」  ザルパン然り、基本的に上位のアンデッドは人に似た姿を取る。ザルパンが平気だったのであれば、その恐怖の根源が見た目だというのであれば――力の抜ける話だが、上位の魔族相手ならば萎縮する心配はないはずだ。  藤堂達の傷も完璧に治している。  気絶から回復したグレゴリオは大人しく俺の指示を聞いた。藤堂達に攻撃した事に対するフォローもさせた。全ての手を打った。  この地での課題は全て解決したといえるのではないだろうか。 「藤堂次第だが、次はゴーレム・バレーに向かう。本格的にレベル上げをしなくてはそろそろまずい」  尤も、本当にこの予定はただの俺の希望だ。  彼らがスピカのレベル上げのためしばらくここに滞在するという選択をするのならば、俺達もそれに応じる事になる。まぁ、どちらにせよ長くて一月といったところだろうか。  スピカのレベル上げをせずに次に向かうという選択を取ったとするのならば、ゴーレム・バレーで何とかスピカのレベルを上げる方法を考えねばならない。  僧侶だけレベルの低いパーティというのは非常にバランスが悪い。知性のある闇の眷属は回復の要である僧侶を真っ先に狙う傾向がある。守るにしても限界がある。  プランは立てていた。もう何年も訪れていないが、ゴーレム・バレーは昔俺がレベル上げに使った地でもある。  できれば、魔王との戦いが激化する前にアメリアのレベルももう少し上げておきたい所である。ゴーレム・バレーならばそれも出来る。 『わかった。何かあったらまた連絡を』  その言葉を最後に、クレイオからの通信が切れる。俺は軽く身体を伸ばし、柔軟した。  ここ数日頭の中を占領していた問題が消えたせいか、気分は悪くない。  だが、油断はできない。きっとまたすぐに新たな障害が発生することだろう。今のうちにレベルを上げておきたい所である。  荷物を詰め終えたアメリアがふとこちらを見上げ、尋ねてきた。 「そういえば、グレゴリオさんは……強かったですか?」 「あれは化物だな」  今回のはただ、相性が良かっただけだ。相性が良かったはずなのに、制圧するのにそれなりの時間がかかってしまった。  グレゴリオはパンドラの絡繰りがバレた際に全力でかかってきたが、攻撃に注力すれば防御が疎かになる。あれがなかったら更に時間がかかっていたはずだ。  まぁ、敵ではない。今は――まだ。  グレゴリオは本気ではなかった。少なくとも、俺を殺す気はなかっただろう。なかったと……信じたいな。  思い出しただけで気分が悪くなり、眉を潜める。 「二度と戦いたくないな……」 「グレゴリオさんは補助魔法を使えないのでは?」  アメリアの疑問は正しい。  グレゴリオは補助魔法を使えないし、俺の使える補助魔法はかなり強力だ。レベルもこちらが高いし、本来ならいくら戦闘技能が高くても拮抗したりはしないだろう。  だが、奴は俺にないものを持っている。  肩を竦め、窓から遠く空を見た。 「……ああ。奴は補助魔法を使えないが――加護を持っているんだ」 「加護? ……アズ・グリードの加護ですか?」  そんなわけ無いだろ。もしそんな事があったら俺は秩序神の信徒をやめるわッ! 「いや……武神だよ」  藤堂の持つ軍神の加護よりは落ちるが、結界破壊と身体能力の底上げの効果のある加護である。戦いに人生を賭けている者がよく与えられる加護だ。  身体能力の向上もだが、鬼面騎士の纏っていた結界はもちろん、藤堂の盾や鎧など、高位の魔物や武具には防御結界が張られている事が多い。それらを阻害する能力は闇の眷属と戦う上で極めて有効な効果を持つ。  俺の言葉に、アメリアの頬が僅かに引きつった。 「……僧侶なのに、武神の加護を持ってるんですか?」 「秩序神の加護よりはマシだろ」 「ま、まぁ……そうですね?」  釈然としなさそうにアメリアが首を傾げた。  持っているだけマシだ。もしも何の理由もなしにあれだけ強かったら詐欺だぞ、詐欺。才能なんてもんじゃねえ。  ふとその時、玄関からノックの音がした。  俺の滞在する部屋を知っているのはこの村ではスピカとグレゴリオ、後は教会の人間くらいだ。  鍵を開けると、そこにいたのはスピカだった。すっかり着慣れたらしい法衣の裾を握りしめ、どこか居心地悪そうに佇んでいる。その首には俺が預けたペンダントが下がっていた。  ある意味、今回の件で一番の被害者は、最初から最後まで情報を与えられずに状況に流され続けた彼女だと言えるだろう。  といっても、既に終わった話。ここから先は完全に巻き込んでいかなくてはならない。  まだまだその力は未熟だが、状況を正確に教えてくれるだけグレシャよりも役に立つ。 「どうした、スピカ。何かあったのか?」    声をかけ、部屋に通す。スピカとの連携はアメリアの通信魔法で定期的に取っている。  呼び出す事はあっても、ほぼ常に藤堂達と共にいるスピカが、彼女の方からわざわざ会いに来るのは初めてだった。  アメリアの方を見るが、無言で首を横に振っている。  何も聞いていない、か。  忙しない動きできょろきょろと視線を動かしているスピカを席に座らせる。  何の理由もなくやってきたりしないだろう。 「藤堂達に何かあったのか?」 「いえ……」  スピカが首を振る。大抵の話ならば日に三回行っている通信で事足りるはずだ。  言い辛い事なのか、スピカが顔を伏せ、沈黙した。何も言わずに話し出すのを待つ。  スピカがわざわざやってくるような理由は思いつかない。グレゴリオがまた藤堂達に襲いかかったとかではないだろう……多分。  たっぷり数分待った所で、スピカが大きく深呼吸した。  顔を上げる。先程まで眼に浮かんでいた躊躇いが綺麗さっぱり消えていた。 「一つお話があってきました」  思えば、最初の印象と比べてスピカもなかなか変化があったものだ。  僅か数日で発生するには大きすぎる変化である。俺が気づかなかっただけかもしれないが。  アメリアも俺と同様に、何も言わずにスピカの言葉に聞き入る。そして、スピカがついにその言葉を言った。 「私、藤堂さんのパーティに入るのやめます」 「……は?」 §  そして、スピカは深々と……頭が腹に付くほど深々とお辞儀すると、涙の滲んだ眼をこちらに一瞬向け、すぐに部屋から出ていった。  呆然としているアメリアをちらりと見て、頭を左右に振る。  精神的な疲労を感じていた。頭が重かった。一度ゆっくり休憩を取ったほうがいいかもしれない。 「……いいんですか?」  いいわけがない。いいわけがない、が、俺に止める権利はない。  何よりも無理に引き止めた所で良い結果にはならないだろう。スピカのその眼には確かに覚悟があった。俺が言葉で止めた所で意志を撤回したりはしなかったに違いない。  彼女はそこまで――強かっただろうか。仮にも十二歳の子供がするような眼ではない。 「いいも悪いもないだろ。スピカが決めた事だ」 「……まぁ、そうですか。しかし短剣は……」  まだ釈然としなさそうな表情でアメリアが俺に尋ねる。  俺の副武器だった聖銀の短剣は既に俺の手元にはない。背の低いスピカと対比すると短めのショート・ソードにも見えるその武器は今はスピカの腰に下がっている。 「武器はまた補充する必要があるな。何、それなりに高価な品だが、別に銘のある品でもない。後でいくらでも手に入る。最悪それまでは素手で戦うさ」  見習い僧侶ではなかなか手に入らないランクの短剣だ。恐らく、スピカの強い助けになるだろう。  それは仮にも平凡になるはずだった彼女の人生を勝手な理由で変えてしまった贖罪でもある。 「アメリア、辛気臭い顔をするんじゃない。計画を変更するぞ」 「……分かりました」  もう一度クレイオに連絡しなくては……。  窓ガラスに反射する強張った自分の表情を見て、俺は再び深いため息をついた。  超越者などという二つ名を預かっていても、こういう状況になってしまえば僧侶である俺にできる事はただ――祈る事くらいだ。  栄光あるその未来を。スピカに幸あらん事を。 page: 82 英雄の唄B  ユーティス大墳墓地下一階。  最初に探索した際は強烈な恐怖を感じた、肌を撫でる冷たく湿った空気も暗闇も、既に藤堂にとって慣れきったものとなっていた。  通路を歩くその足取りは軽く、自然体だ。肩にも力が入っていない。前を見ながらも、何時も通りの口調で話しかけた。 「いやー、しかし予想外だよね……スピカがあんな事言うなんて」 「そうですね。まぁ……彼女自身がそう言うのならば致し方ないでしょう」  藤堂の後ろを歩いていたアリアが答える。その足取りもまた藤堂と同様に乱れを感じさせない。 「でも、心配よね……大丈夫かしら?」  リミスの声と同時に、天井近くを滑るようにレイスが近づいてきた。それは、藤堂を発見し一気に速度を上げ、覆いかぶさるように襲いかかってくる。  絶望と怨嗟を感じさせる昏い表情。それと共に、空気が一層冷える。声一つなく襲いかかってきたそれに対し、藤堂は―― 「まぁスピカなら大丈夫だよ、きっと」  ――軽口を叩きながら、慣れた動作で聖剣を抜き、あっさりとそれを両断した。  クリティカルヒットだったのか、悪霊が絶叫を上げる間もなくあっさりと消える。  あまりにも鮮やかな動作、視線を向ける事もなく葬って見せた藤堂に、リミスが思わず目をぱちぱちさせる。 「……やるじゃない。ナオ、そんなに簡単に倒せてたっけ?」 「? ……あー……そう言えば」  リミスの言葉に、藤堂は初めて気づいた。  身体が――動く。三日間の強行軍を終えたその直後よりも遥かに円滑に。  千体のアンデッドを倒した後にも頭の奥底に残り火のように燻っていた『恐怖』がいつの間にか消え去っていた。今いる場所がどのような場所なのか、忘れてしまう程に。  手の平を開閉させ、藤堂が眉を潜め、首を傾げる。   「……そういえば、私も調子がいいな」  アリアもまた同様に、不思議そうな表情で呟くと、剣を抜く。そのまま、地面を軽く蹴った。  進行方向近くを、緩慢な動作で動いていた一体のリビングデッドに一瞬で接近、流れるような動作でそれを袈裟懸けに切り裂く。  腐臭を感じる。そのおどろおどろしい表情が見えないわけでもない。呻き声が聞こえないわけでもない。  だがしかし、アリアには何の感情も生じない。  刹那の瞬間にリビングデッドが消滅し、あっけなく魔結晶が地面に落ちる。軽い動作でそれを拾うと、アリアは剣の刃をじっと見つめた。 「不思議だ……身体が軽いな。何かあったか? レベルが上がったわけでもないし……」 「うーん……でもまぁ、スピカ抜きでも大丈夫そうだね」  スピカが藤堂達に一時パーティの脱退を申し出たのは昨日の事。  本来ならばもう潜る必要のない大墳墓に再び潜入したのは、スピカ抜きでもアンデッドと戦えるか確かめるためだ。  しかし、結果ももう出た。  調子がいい。それも、スピカがいた時よりも遥かに。 「? 全然……怖くないぞ……?」 「……ナオ、何か変なものでも食べた?」   失礼な事を言うリミス。だが、それもまた無理もない意見だ。今の藤堂を見て、リビングデッド一体に右往左往していた姿を想像する者はいないだろう。  かたかたという独特の足音が反響する。藤堂は剣を収め、恐怖の欠片もない眼をその音の方向に向ける。  そして、軽く祈った。敬虔に、闇を撃つ光の矢の奇跡を。 「『闇を祓う光の矢』」  秩序神はその加護の持ち主の祈りを無下にしない。  光の矢が出現し、即座に射出される。煌々と神聖な輝きを持つ矢は闇を切り裂き、未だ闇の奥、音のみで姿すら見せていなかったウォーキング・ボーンの頭蓋に突き刺さった。  音もなくアンデッドが消える。驚いたようにアリアとリミスが目を見開く。  初めて使った退魔術に、しかし当の本人に喜びはない。喜びの代わりに、納得が言ったかのようにぽんと一度手を打った。 「あー……わかった」 「? 何がわかったの?」  リミスの疑問に、藤堂が顔を向ける。  むず痒いような、あるいは苦笑いのような微妙な表情。旅を開始した際と比べて、すっかり伸びてしまった前髪を掻きながら言った。 「リビングデッドよりもレイスよりも……グレゴリオさんの方が怖かったからだ」 「ああ……」  アリアもまた、喜んでいいのか悲しんでいいのか、微妙な表情で納得の声を上げた。  怨嗟に悲哀。殺意に絶望。アンデッドの持つ恨み辛みなどグレゴリオの全てを飲み込むような狂信と比較すればどれだけ軽い事か。  本来比較出来るような類のものではないが、同時に――より強力な恐怖を味わった今、アンデッドの纏う闇などなんでもない事のように思える。  リミスが呆れたようにため息をつく。 「あんたたちねぇ……」 「ま、まぁグレゴリオさんも――ただ試すだけで殺す気はなかったって言ってたし」 「……今思い出しても、あれは絶対に殺す気だったと思いますけどね……私は」  死ぬかと思った。  意識が落ちる寸前、二度と目を覚まさない事を確かに藤堂は覚悟した。  が、結果的に目を覚ました藤堂を待っていたのは飄々としたグレゴリオだった。  傷は全て癒え、疲労も消え去り、予想外の状態に戸惑う藤堂に掛けられた言葉を、藤堂は決して忘れる事はないだろう。 「『力なき正義に意味などない』、か……」 「発破をかけるにしてはやり過ぎだと思いますが……」  アリアが難しい表情で唸る。  急に様子を変え、襲いかかってきたグレゴリオはとても演技には見えなかった。だが、気絶から目を覚ましたアリア達を待っていたのは様子を一変させたグレゴリオだ。アリアも藤堂も、リミスも意識を失っていたらしく、その間の状況を語るものはいない。  グレシャにも一応尋ねてみたが、何も語る事はなかった。  藤堂が小さく息を吐き、決意の篭った声で呟く。 「……まぁいいさ。全てを糧に力をつければいいだけの話だ。今回の事も……いい勉強になったよ」 「まぁ、そうね……」  藤堂の言葉に、リミスもアリアも同意する。  力をつける。世界を救うだけの力を。魔王を討伐するだけの力を。  あまねく世界の神々が藤堂直継に加護を与え、魔王を倒すだけの力を与える。  例え、その未来に如何なる苦難が待ち受けようとも、やり遂げねばならない。  グレゴリオの奈落を思わせる眼を思い出し、藤堂が唇を噛む。  グレゴリオに容易く打ち払われた、その光景を思い出し、とアリアが剣を握る手に力を込める。  リミスが軽くため息をつき、肩に乗ったガーネットに視線を向けた。 「……スピカに負けないように頑張りましょう」 「そうね……でも、本当に大丈夫かしら?」  リミスが心配そうな眼で、ユーティス大墳墓の奥深に目を凝らした。  その先にスピカがいるわけではないとわかっていたが、そうせざるを得なかった。  真面目な表情でメンバー全員を集め、頭を下げたスピカの真摯な眼。断る事はできなかった。  藤堂達にはとても断る事ができなかった。 「パーティの役に立てるように、しばらくグレゴリオに弟子入りしてきます、なんて」  藤堂が苦笑いで、ただ少女を思う。 「……祈るしかないね」 「大人しそうに見えて、けっこう無茶しますよね……彼女」 「そうね」 「お腹すいた」  踵を返す。  頻繁に襲いかかってくるアンデッドを、墳墓に満ちる瘴気を切り抜けながら、藤堂達は地上に向かった。  聖勇者。藤堂達に立ち止まっている時間はない。  だが、藤堂は確信していた。例え先に向かっていたとしても、スピカが確実に追いついてくる事を。 【NAME】藤堂直継 【LV】29 (↑UP) 【職業】聖勇者 【性別】女 【能力】  筋力;あまりない  耐久:あまりない  敏捷:そこそこ  魔力:かなり高い  神力:少しはある (↑UP)  意志:かなり高い  運:ゼロ 【装備】  武器:聖剣エクス(軽い。振り回せる)  身体:聖鎧フリード(凄くきつい)  盾:輝きの盾(罅が入っている) 【次のレベルまで後】79222 【特記】  アンデッドも平気 page: 83 幸運の星A  何も出来ないのが嫌だった。  与えられた自由は、力は、それまでスピカが持っていたモノと比較しあまりにも大きかった。  既にスピカ・ロイルに制約を課すものはいない。故に、スピカに・ロイルに降りかかるのは『できなかった』ではなく、『やらなかった』だ。  孤児として生きていた頃は教会が仕事を割り振ってくれた。それをこなすだけでよかったが、今のスピカにはそのような仕事を割り振る者はいない。  いや、正確に言うのならば――割り振る者はいる。ただ、それに対してスピカが満足できなくなっただけだ。  レベルが上がり身体能力が上がった。簡単だが神聖術を覚えた。  だが、出来る事が増える度に増えるのは、スピカの内に発生したのは焦燥感だ。  成長してはいる。だが、周りには自分より遥かに上の者しかいない。それが、スピカ自身の無力を浮き彫りにする。  ユーティス大墳墓では、守られるままだった。一日目、知り合ったばかりのスピカに振られた『課題』のために傷つく仲間がいた。二日目も三日目も、藤堂達は成長したが、スピカももちろん成長したが、役に立ったとは言えないだろう。  そして、グレゴリオ・レギンズへの報告。叩きのめされ、床に伏す藤堂たちを見た時、スピカはついに理解した。  ただ、震える事しかできない自分と、立ち向かう事の出来る者の差を。  年齢。性別。生まれ。経験。要因は沢山あるが、その時スピカにあったのはただの感情だ。  自分に対する――やるせのない怒り。仮にも数日を共にした、自分のために危険な大墳墓に潜ってくれた仲間が倒れるのをただ黙って見ている事しか出来ない悔恨。  動くべきだった。例え負けたとしても、出来る事がなかったとしても、立ち向かうべきだった。恐らく、大多数の人間がそれは誤りだと、無意味だと言うだろ。仕方のない事だろうと言うだろう。  だが、それでも立つべきだった。仲間のためではなく――他でもない自分自身のために。  何故ならば――力なき正義に意味などないないのだから。  それでも、比較する対象がいなければスピカはそのまま藤堂達についていっただろう。  だが、『幸運な事に』スピカには手本にすべき者がいた。  スピカは、そんな自分自身の変化を、今まで気づかなかったその感情を理解していた。  要するに、スピカ・ロイルは今まで見えなかった世界を、現実を知って少しだけ――欲張りになったのだ。 「ほう。それで、僕の元に……シスタースピカ、貴女はとても変わっている」  そして、求めた結果、目の前に男がいる。  グレゴリオ・レギンズ。スピカの知る中で最も苛烈な――僧侶。  グレゴリオは数日前のあの様子が嘘であるかのように穏やかな眼でスピカを見ている。  膝の上に乗せられた、握られた手の甲は震えていた。だが、それでもスピカのその眼はしっかりと目の前の少年を見上げている。  スピカと殆ど変わらない外見年齢であるにも関わらず、僧侶であるにも関わらず、無数のアンデッドを倒した藤堂達三人を一方的に叩きのめして見せた男。  嵐の如き感情の波を微塵も感じさせず、グレゴリオが落ち着いた声で諭すように言う。 「シスタースピカ。その勇気に敬意を表しましょう。そして、僕はそれに対して答える義務がある。シスタースピカ――教えを請うのならば、僕よりもアレス・クラウンの方がいい」 「なんで……ですか?」  スピカの問いに、グレゴリオが顎を手に薄い笑みを浮かべた。 「安全だからです、シスタースピカ。僕の試練は達成出来なければ死ぬ。これは……冗談でもなんでもありません。あらゆる力には――代償がいるのです」  その声には真実を述べる時特有の凄みがあった。その声に僅かに萎縮し、しかしすぐにスピカが呟いた。 「……アレスさんじゃ駄目なんです」 「ほう。それはどうして?」 「アレスさんは……優しいから」  装備を用意してくれた。レベルも上げてくれた。アンデッドの恐怖を拭う手伝いをしてくれたし、神聖術も教えてくれた。数々の物を与えてくれた。その事には感謝してもし足りない。  スピカの浮かべた表情に、発した言葉にグレゴリオの表情が僅かに変わった。唇が、眼が愉悦に歪む。 「素晴らしい、シスタースピカ。自ら試練に立ち向かうその意志は気高くかけがえのないものだ。僕を見て、アレを見てたった一人で僕の元に来る。そのような事が出来る僧侶が果たして何人いるか――」 「そんな……いいものではありません、グレゴリオさん」 「……?」  スピカが胸元に下がった天秤十字の細工をいじる。まだ試験も受けたことのない、最下位の僧侶の証すら持っていない、それがスピカの僧侶である証だ。僧侶になるという意志の唯一の証だ。  スピカが一度顔を伏し、すぐに上げる。透明感のある灰色の眼がグレゴリオを見上げる。 「グレゴリオさん。これはきっと、意志でもなんでもない。きっとただの――欲望です」  心を焦がすような焦燥。安全な世界で目標もなく生活を送っていたスピカにはなかったもの。知らなかったもの。そして、知ってしまった以上は戻る事はできない。 「私は――羨ましい。戦える人が、立ち向かえる人が、守れる人が、守るべきものがある人が」  与えられるだけではなく与えたい。それは、そういう欲求だ。  贅沢な欲求だ。今の自分には不相応だ。  わかっていた。だから、手を伸ばす。その為ならば如何なる犠牲も払おう。そう思えた。  わがままだとわかっていた。スピカが僧侶となる機会を与えられたのは、それがアレスにとって必要な事だったから。一度受けておいてそれを反故にするのはあまりにも身勝手で、後ろ足で砂をかける行為だ。  だが、しかしそれでも――やらねばならない。それはもはや本能に近い欲求だった。行動しなければ確実に後悔する。それがはっきりと分かる。  だから、もう一度スピカははっきりと言った。 「グレゴリオさん、私を――弟子にして下さい」  小さな、しかしスピカの万感を込めたその言葉に、グレゴリオの笑みが消える。  グレゴリオの腕が伸びが傍らのパンドラを撫で付けた。 「シスタースピカ。僕の年齢が幾つかわかりますか?」 「……え?」  スピカの願いとは何の関係もない問いかけ。スピカが困惑したようにグレゴリオの全身を改めて見る。  年齢。全くわからない。黒髪に黒目、やや幼さの残る容貌にその背の高さ。雰囲気は大人びているが、見た目だけならばスピカとあまり変わらないように見える。アレスやアメリアよりは間違いなく下だ。  だが、そんなわけがない。そんな人間がいるわけがない。  グレゴリオが含み笑いを漏らす。興奮に開ききった瞳孔が静かにスピカを観察する。 「僕が異端殲滅官になる切っ掛けになったのは、僕の住む街が滅ぼされたのは――もう二十五年も前。当時僕は――十四歳、正確に言えば十三歳と十ヶ月でした」 「二十五年……前?」 「忘れもしない。ああ、忘れもしない。運命の日。街中が炎に包まれて友の、家族の、無辜の民の屍が山と積み重なり尊き血が大地を濡らすその日に僕は異端殲滅官となった。シスタースピカ、僕はその日以来、肉体的に――一切の歳を取らなくなったのです。この世界の……全ての闇を討ち滅ぼすために」  馬鹿げた話だった。そのような話聞いたことがない。  だが、眼の前の少年は本気だ。本気でそう言っており、スピカ自身そうであっても不思議ではないと思っている。  囁くようにグレゴリオが告げる。その様子、表情が、スピカにはまるで悪魔のように見えた。 「シスタースピカ、一つ教えを授けましょう。貴女は欲張りだ。ああ、とても欲張りです。しかし、僕には分かる。魂を吸い尽くすような無力感、焦燥感、身を覆い尽くすような絶望。シスタースピカ、貴女に最も必要なものは――」  悪魔のようだ。まるでそれは悪魔の囁きだ。だが、スピカは自らが正解を引いた事を確信した。  スピカの求めるものを手に入れるために、これ以上効率的なものをイメージできない。 「――殺し尽くす覚悟です。シスタースピカ、貴女は随分と良い物を持っていますね」  グレゴリオの眼が、スピカの腰に向けられる。そこには一本の短剣が下げられていた。  一度貸し与えられ、大墳墓での試練、その一日目の夜に神聖術の妨げになっているからという事で返却し、そしてついさっきアレスにグレゴリオに師事する旨を伝えに行った際に貰った聖銀製の短剣。  スピカが無言でその短剣を抜き、テーブルの上に置く。 「アレス・クラウンは本当に過保護だ、貴女が僕を頼るのも理解出来る。シスタースピカ、これは――護るための短剣です。貴女の安全と未来を祝福している」  とつとつと伝えられるグレゴリオのその言葉に熱が篭もる。  アレスは決して短剣をくれる時にそのような事を何も言わなかったが、それが真実だとわかる。  そして、グレゴリオがとても嬉しそうに言った。 「しかし、貴女はこれで――何もかもを殺し尽くさなくてはならない。貴方の欲しいものを手に入れるためには」 「ッ……」  スピカが小さく息を呑む。壮絶な言葉だ。冗談などでは決してない。  理解できた。目の前のグレゴリオはその結果だ。背景は大きく異なっていたとしても、終着点は同じだ。欲する者のためにあらゆる全てを捨てた男。  よしんばそれを逃れても間違いなくそれに寄る。  グレゴリオはスピカの返事を待たなかった。ただスピカの浮かべたその表情を確認し、満足げに頷く。 「シスタースピカ。よろしい、貴女を祝福しましょう。僕は貴女を――立派な異端殲滅官にする事を約束します」 §  空に輝く星。  無数に存在する星のどれなのか、スピカは知らないが、スピカは自分の名前が星の名に由来している事を知っていた。  ならば、それはきっと、幸運の星に違いない。  自分が何を求めているのか、それすら知らぬ者が大勢存在するこの世界でそれを得る権利を得た。それ以上の幸運が一体どこにあるだろうか。  決意を、覚悟を新たにし、グレゴリオを見上げる。  時刻は昼。未だ空に星は浮かばないが、確かにスピカはその感じ取っていた。 【NAME】スピカ・ロイル 【LV】12 【職業】見習い僧侶 【性別】女 【能力】  筋力;ぜんぜんない  耐久:ぜんぜんない  敏捷:ぜんぜんない  魔力:ぜんぜんない  神力:少しはある  意志:がんばる  運:かなり高い 【装備】  武器:アレスの短剣(頑張れば振り回せる。売れば高い)  身体:子供用法衣(肌触りがいい)  アクセサリー:天秤十字のペンダント(瘴気を弾く祝福つき(効果期限あり)) 【次のレベルまで後】1256 【特記】  アンデッドは平気  帰る場所あり page: 84 第三部 Prologue:されど人は希望を求める  視界がただただ広かった。  町の端、切り立った崖の上から見上げるどこまでも広がる蒼穹は藤堂がこれまで見たことがないくらいに大きく、連なる山吹色の峡谷は荘厳で美しい。  季節はまだ夏だが、標高が高いせいか気温は低い。だが、頬に感じる冷たい空気も風も、どこか精神が洗われるかのような気持ちにさせる。  ゴーレム・バレー。  それが、魔導人形が無数に棲息する峡谷地帯にして、ルークス王国でも屈指のレベルアップのフィールドの名前。  陸路から辿り着ける崖の上に存在する町、その片隅に存在する展望台から見下ろす景色は傭兵の間でも是非とも一度は見てみたいと有名なものだった。 「これが……ゴーレム・バレー……」 「凄い……わね……」  思わず出た藤堂の感嘆のため息。リミスもまた、風で帽子が飛ばないように頭を押さえながら呟く。  ゴーレム・バレーはルークス王国の中でも屈指の危険地帯だ。険しい自然は人が集まるのには適していない。  効率のいいレベルアップリソースである魔導人形や、それから取れる貴重な素材などのリターンは大きいが、そこで安定して狩りを行うには一定以上の実力が必要とされる。  町に屯するレベルアップ目的の傭兵や魔物狩りのレベルもそれだけ高く、道行く傭兵たちの眼光もどこかヴェールの村にいた傭兵たちよりも鋭いように見えた。  危険な町なので、傭兵以外の人間の――商人や住人の平均レベルも他の町と比較すると著しく高く、町全体の雰囲気が違う。  ルークス王国公爵の息女であるリミスも、ゴーレム・バレーに来るのは初めてだった。レベル上げでもなければ来る機会のない土地だ。  アリアもまた、目を見開きその光景に見入っていた。かつて聞き及んだ内容を思い出し、藤堂に告げる。 「王国の騎士団のメンバーは一定以上のレベルに達すると皆、修行をするためにここを訪れる事になっているのですが……ここの光景が一番記憶に残ると聞いたことがあります」 「そうなのか……確かに凄いね」  大地の匂いが風に乗って嗅覚を刺激する。強い風に髪が舞い上がり、藤堂はとっさに頭を押さえた。だが、眼は見渡す限り続く峡谷地帯に向けられたままだ。  いつも無反応なグレシャもまた、その景色にはさすがに思う所があるのか、沈黙したまま、しかしずっと峡谷を見下ろしている。 「スピカにも見せてあげたかったな……」  藤堂の呟きに、アリアが柔らかな笑みを浮かべ、言った。 「宿を取りましょう。今日はもう遅い。計画も立てる必要があります」 「うん、そうだね。……あ……あの動いているのが『魔導人形』?」  落下防止の柵により掛かるようにして藤堂が腕を伸ばす。その指の先には豆粒程の茶色の何かが動くのがぎりぎりで見えた。 リミスが呆れたようにため息をつき、藤堂の服の裾を引っ張った。 「さ、わかったからさっさと行くわよ。これから嫌になるくらい戦う事になるだろうから」 「わ、わかったよ……」  後ろ髪引かれる思いで藤堂は最後に空を見上げ、大きく息を吸った。  新天地にその身体を慣らすかのように。  ゴーレム・バレー。  そこは、古き魔導師の生み出した無数の『魔導人形』と、険しい環境に適応した魔物の棲まう地である。 §  数年ぶりに訪れたゴーレム・バレーの第一の町はしかし、以前訪れた時と何ら変わらない様相を見せていた。  ゴーレム・バレーは標高千メートルを超える峡谷地帯である。遙か下には流れの激しい、船ですら渡れない川が流れ、それに分断されるように隆起した大地が連なっている。隆起した崖の上部、そしてそれをくり抜くように空いた複雑な洞窟にはその地の名の由来となった魔導人形が無数に活動している。  そこに入るのに整備された陸路は一本しかなく、ゴーレム・バレーを訪れたものは意図的に避けでもしない限り、まず第一の町にたどり着く事になる。  その町はレベル上げに訪れる傭兵たちに補給所を提供すると同時に、峡谷に無数に棲息する高度な魔導人形をゴーレム・バレーの外に出さない防波堤に似た役割も持っており、ここを経由せずに峡谷に入るには垂直に近い切り立った崖を登る必要がある。  峡谷は見渡す限りに広がっているが、そこに存在する魔物のほとんどは魔導人形であり、生き物の数が極端に少ない。道も細い箇所が多く大荷物を持ち込む事が難しく、一度足を踏み外すと千メートル近く下を流れる川まで一直線に落下してしまう、フィールドとしての危険性は屈指といえる。  ゴーレム・バレーの内部には、レベル上げに挑む者たちが滞在するための小中規模の町が五つほど分散して存在している。レベル上げに訪れた者たちは皆、そのレベル上げの状況に応じて拠点の町を変えるのが通例になっている。  ゴーレム・バレーに存在する町はそれぞれ町の出来た順番の数字で呼称されるが、第一の町は役割が一際重要なこともあり、五つ存在する町の中では最大の規模を誇っていた。  ゴーレム・バレーで得られた鉱物や素材の類を外に持ち出す商人なども大抵はこの町に滞在しており、人の行き来も最も多い。  藤堂に遅れる事半日、ファースト・タウンに入った時には既に日が暮れかかっていた。  崖の上に存在しているため、ピュリフと比べて面積は狭いが、人口密度はその比ではない。  響き渡る車輪の音に無数の足音。商売のためにこんな辺境くんだりまで来た逞しい行商人に、レベルを上げにやってきた精強な傭兵。ゴーレム研究のためにこの地に居を築いた魔導師たちに、それらに加護を与えるためにこの地の教会に滞在する僧侶たち。  標高は高く風は強い。平野に比べて過酷な環境だがそれらの喧騒を見つめていると生命の力強さというものを強く感じさせられる。  数年前とは言え、ゴーレム・バレーは俺がかつて通り過ぎた町だ。勝手は分かっていた。  もともと、ゴーレム・バレーは傭兵の間では、一流への登竜門としてよく知られている地でもある。  ここでのレベル上げは効率的な面で言うと間違いなくトップクラスだが、同時に藤堂たちにとって一つの壁となるだろう。  細く足場の悪い道に、標高が高い故に薄い空気。レベル上げをするために倒さなくてはならない魔導人形は力強く、俊敏で、頑丈で、数が多く、何より死を恐れない。魔導人形と言っても種類も豊富でそれぞれ対策する事が求められる。  ゴーレム・バレーで効率よく上げられるレベルは六十前後までだが、この地でレベルを上げる事のできた者はその数値以上の強さを持つとまで言われている。  藤堂の現在のレベルだとかなり厳しい戦いになると予想されるが、ここを乗り越えられたその時、藤堂は戦人として一つ上のステージに上がっている事だろう。  藤堂には才能と加護、聖剣がある。だから、俺は藤堂についてはあまり心配していなかった。大墳墓の時のように妙な弱点が発覚しない限り――高所恐怖症だとか言い出さない限りなんとかなるはずだ。  逆にリミスとアリアについては心配だが――ここでダメならどうせこの先も耐えきれまい。その時はパーティメンバーの交代という事になるだろう。  ただの孤児だったスピカがグレゴリオに修行を付けてもらいに行っているのだ。お前らも頑張れ、俺に言える事はただそれだけである。グレゴリオの下で修行するよりはここでレベル上げする方がずっと楽だろうし……。  自らの意志でそれを決めた強いスピカの表情を思い出しながら感慨に浸っていると、教会の方に話を付けに行っていたアメリアが戻ってきた。藍色の眼に同色の髪が強い風に吹かれさらさらと流れている。  教会との連携は生命線だ。物資の補給に藤堂に対する情報供給。事前にクレイオを通して話はつけてもらっていたが、アメリアが向かったのは『足』としてここまで乗ってきた騎乗蜥蜴をしばらく世話してもらうためと、『新人』に仕事の方法を教えるためである。 「アレスさん、お待たせしました」  既に話をつけたのは通信で聞いている。だから、俺の興味はそこにはなかった。  目を凝らしてアメリアの後ろを探す。  いない。アメリアが連れて行ったはずの『新人』がどこにもいない。アメリアの後ろにも隣にももちろん前にもいない。  頭がズキリと痛む。額を抑え、アメリアに尋ねた。 「おい……ステファンはどうした?」 「……え?」  アメリアが慌てて後ろを見る。辺りをきょろきょろと見回す。  主要な通りなので人通りは多いが、はぐれるような混雑でもない。『普通』ならば。  ステファンは身長こそ低いが完全な黒の髪はこのあたりで見るようなものではなく、それなりに目立つ。  いない。どこにもいない。  アメリアが唇を噛んで、上目遣いで俺を見上げる。 「……ッ……つい先程までは……確かに私についてきていたんですが」   「マジかよ……」 「ちゃんとついてくるように行っておいたんですが……」  なんで前を歩くアメリアに付いていくだけの仕事なのにはぐれるんだよッ!! 「どうしましょう……崖から落ちてる……かもしれません」 「ありえない。展望台を始めとして、町で落下する可能性がある場所には柵が設置されてる。馬鹿でもなければ落ちたりしない」 「アレスさんはステイを知らないんです」  深刻そうに囁くアメリアの表情を一笑に付す気にはならなかった。  あああああああああああああああああああああああああああッ!!! 「……探せ」  アメリアが呪文を呟き探査の魔法を行使する。  それを横目に見ながら、俺はクレイオに何と連絡すべきか考えていた。  クソッ……要員入れるの……早まった。 page: 85 第一報告 増員メンバーの問題点と今後の予定について 第一レポート:迷子のステファンの話  ステファンの事はアメリアに任せ、宿に戻る。自分用に取った一人部屋に入ると同時に通信の魔導具を起動した。  ファースト・タウンはそれほど広くない。アメリアの探知魔法ならば全域を探せる。  迷子のステファンを見つけるのも時間の問題だ。『迷子』の……ステファンを……。  ……迷子のステファン。 「ああああああああああああああああああああああああああッ!!」  頭をぶつけたい衝動を懸命に抑え、なんとかただ叫ぶにとどめる。現実が……厳しすぎる。厳しすぎて心が折れてしまいそうだ。  そんな……馬鹿な。馬鹿な話があるんだろうか! 迷……子? 迷子ってなんだ?  通信がつながり、特徴のない、しかしステファンよりも大分マシな交換手が通信をクレイオに繋いでくれた。  なんかもうこの交換手とステファンをチェンジしたい。交換手だった頃のステファンは少なくとも、まだマシだった。迷子にはならなかったからな。  てか、チェンジだ! チェンジ! チェーンジッ!  これは魔王討伐をサポートする旅だ。ピクニックやってんじゃねーんだぞ。というか、ついてくるだけで迷子になってたらピクニックも出来ね―だろうがッ!  イヤリングから聞こえるクレイオの重い声が言う。心なしか、その声には疲労が見える。 『また勇者に何かあったのか、アレス』 「いや、ステファンが――」 『その件については私は一切の苦情を受け付けるつもりはない』  俺が何か言う前にクレイオがストップをかける。ああ、わかったとも。あんたの言っていた意味がよくわかったとも。俺が悪かった。ああ、俺が悪かったよ。  だがこちらも旅行に来ているわけじゃない。というか、旅行でも結構厳しい。  通信を繋ぐ前までは言いたいことが沢山あったのに、実際に苦情を言えるようになって出てきた言葉はたったひとつだった。 「あいつは……なんだ?」 『ステファン・ベロニドだ。ああ、アレス、君が言いたい事は分かっている、何も言わなくていい。彼女は優秀だ。優秀なんが――少しばかり癖が強いのだ』 「……少……し?」  俺は数多くの癖の強い傭兵達に出会ってきたし頭のネジが外れた闇の眷属を討伐してきたが、ピクニックもできないのが癖と言っていいのか全く検討も付かない。  ある程度の問題は許容するつもりだった。通信魔法にはそれだけの価値がある。だがそれはあくまである程度だ。  だって普通思わない。教会本部で白魔導師として働く成人しているシスターが、前を歩く先輩にただ付いていく事もできないだなんて。  俺の問いに、クレイオの声色が変わる。まるで説法でも解くかのような穏やかな声に。  深く息を吸って、俺も呼吸を整える。クレイオが言った。 『アレス。ステイも――ああ、これはステファンの愛称なんだが、ステイも可哀想な娘なんだ』  お前は俺に何を話そうとしているのだ!? 「……悪い。多分それは今俺の聞きたい言葉じゃない」 『そうか。まぁ長くなるんだが、まずベロニドの姓に聞き覚えは?』  聞きたい言葉じゃねーって言ってんのに続けてんじゃねえッ!  出しかけた暴言をギリギリで押しとどめる。  無駄だ。クレイオと言い争うのは効率的ではない。確かに俺はミスをしたがそれはまだ挽回出来る程度のミスだ。 「クレイオ、俺が聞きたいことはたったひとつだ。派遣してもらったばかりなのに申し訳ないが――彼女は余りこの任務に適していないようだ。差し戻したい。事前に話していた通りだ。あんたが止めていた理由がよくわかった。俺が悪かった。俺が悪かったから、返す。可能だろ?」  迷子になるんじゃいないほうがマシだ。迷子になったから放っておきましたってわけにもいかない。  やや捲し立てるような声で要請してしまったが、クレイオの答えは平静だった。 『もちろん可能だ、アレス。私はきっと、君がそういうと思っていた』 「よし。じゃあ――」  さっそくステファンを。そう言おうとした瞬間にふと気づいた。  ステファンを……どうする?  ここはゴーレム・バレーである。レベルを上げる戦士や命知らずの商人くらいしか訪れない土地だ。過酷な地なので教会の規模もかなり小さい。  ゴーレム・バレーで最も規模の大きいファースト・タウンの教会でも僧侶がたった三人しかいない。ここまで来るパーティは大抵高レベルの僧侶を擁しているから大きな問題にはなっていないが、需要と供給が噛み合っておらず、凄まじく多忙である。ステファンを任せるのは難しいだろう。 「……迎えを頼めるか?」 『ゴーレム・バレーまで安全にとなると、今はグレゴリオしか空いていないが――それでよければ派遣しよう』  究極の選択が――いまだかつてない選択が……。  俺の知る最も狂った男と、俺の知る最も厄介な女が出会ってしまったら世界はどうなってしまうんだ。  ……まてまてまてまて、落ち着け。まず落ち着こう。  混乱する思考に鎮静の神聖術をかける。もう一度深呼吸をすると、とりあえず椅子に腰掛けた。  水差しから水を一杯注ぎ、腔内に含む。水が喉を通り抜けた時には少しばかり冷静さが戻っていた。  まず、それは――なしだ。当然、なしだ。よし、俺は冷静だ。  一度咳払いをして、扉を睨みつける。アメリアはまだ戻ってこない。 「クレイオ、効率的な話をしよう。ステファンは死んでも問題ないか?」 『落ち着け、アレス。どうやらまだ混乱しているようだ』 「……」  クレイオの言葉に、頭を一度振る。  違う。そうじゃない。死んでも問題ないわけがないし、問題ないとか言われたって殺すわけにはいかない。  クソッ、誰か俺に戦いをくれ! 上位魔族でもいいから何も考えなくて済むような戦いをくれ! 『彼女には共がついていたはずだ。男女の侍従……バーナードとヴィルマが。彼らはどうした?』 「ピュリフで俺たちにステファンを預けて逃げるように帰った。クソッ、今思えばその時に突き返すべきだったッ! くそったれがッ!」  二人。今思えば、二人もリソースを費やしたのだ。たかが一人のシスターをピュリフに届けるために。  知らなかったのだ。想像すらしていなかったのだ。この世には強いとか弱いとかではなく、そこまで厄介な人間がいるという事を。  だが――もう覚えた。次は見誤らない。そして、彼女を知ってしまった今俺は藤堂の全てを笑顔で許すことができそうだ。何故ならば彼は迷子にならないからだ。  クレイオが淡々と述べる。 『彼ら二人は幼少の頃よりステイを見ていた言わばステイの専門家だ。交換手となる際も一緒に引き取らざるをえなかった』  ここまで嫌な気分にさせられる言葉が未だかつてあっただろうか。  男だから首とか言われたり、アンデッド怖いです無理ですと言われたり、最近の俺の運気は落ち込みすぎじゃないだろうか。 「言いたいことがありすぎて困るがそのあたりは全て省く。単刀直入に教えてくれ。俺は、ステファンを返却したいだけなんだ。アメリアも困っている」 『アレス――』  ここまで必死に嘆願したことがあっただろうか。俺の言葉に、クレイオは粛清したいくらいに情緒のない声で言った。 『いつでも引き取ろう。君がステイを教会本部まで連れてきたら、な。私は君の事を高く買っている。君は今まであらゆる不利な条件を背負いつつも全ての任務を達成してきた。今回もそれを期待している』  好きで不利な条件背負ってるわけじゃねえよッ! 「最近頭が痛いんだ。ストレスで白髪が増えるかもしれない」 『ははは。君の髪は既に白いだろう、面白い冗談だ』 「これは……銀だ」  吐き捨てるように答え、しばらく返答を待つが、返事は返ってこなかった。どうやら通信が切れてしまったらしい。  呆然として天井を見上げる。藤堂が少しばかりまともになったと思ったら全然別方向から新たな問題が起こってしまった。しかも、とても下らない問題だ。神は俺のことが嫌いなのだろうか。  俺も神のことが嫌いだからある意味気が合っている。 「アレスさん……ただ今戻りました」 「手……手、痛いんですが――」  深呼吸を繰り返す。平静を保っていると、扉の外からアメリアの声が聞こえてきた。  隣にはステファンの気配がする。どうやら……無事見つけ出せたようだ。  そんな下らない事で安堵した自分が情けなくて、俺は額を抑えた。  頭痛え。  入ってきたのはアメリアと、白くなる程に手を強く握りしめられた黒髪のシスターだった。  ステファン・ベロニド。新メンバーにして……死んメンバー。  長く伸ばした黒髪に黒目の女だ。年はアメリアよりも二個下。背はアメリアよりも頭一個分小さく、リミスよりも僅かに高い程度しかないが胸はアメリアと見比べてはっきりわかるくらいに大きい。  そもそも顔がよく、目の色と髪の色もこのあたりでは珍しいものであり下手したらアメリアよりも目立つが、何よりも目立つのは――その服装である。  黒を基調とした法衣はアメリアよりもずっと丈が短く、すらっと伸びた脚がはっきり見える。スカートのようにしか見えない、余りにも見せつけるような格好だったので指摘したのだが、あろうことか正式に教会で認められた法衣だと返ってきてしまった。  俺は初めて見たんだが、どうやら本当らしく――。  何をいいたいかというと、ぱっと見て分かるくらいに新メンバーはイカれていた。それに対してすぐに彼女を放り出さなかった俺は危機意識が足りていなかったと言われても仕方がない。  俺の視線に気づいたのか、ステファンが強張った、しかし庇護欲を擽る笑みを浮かべる。 「ああああアレスさん。あの……その……も、申し訳ありません。先輩に、ついていったはずなんですが……いつの間にかいなくなってて」  いなくなったのはアメリアじゃなくてお前だ、お前。  黙ったままどう料理すべきか考えていると、弁明のためか、ステファンがこちらに近づこうとした。  そこで、手を握られていた事を思い出し困ったようにアメリアを見上げる。アメリアが深い深いため息をついて、その力いっぱい握っていた手を離す。  ステファンの表情が僅かに明るくなり、自由を取り戻した身体で俺の方に一歩踏み出した瞬間――体勢を崩した。  それは見惚れるようなダイブだった。足を滑らせたわけでも、足を何かに引っ掛けたわけでもないのにびたーんと大きな音を立てて床に倒れる。受け身すら取れてない。  衝撃でスカートがめくれ上がり、純白の下着が丸見えになっている。  アメリアが沈黙する。俺も沈黙する。ステファンは床に伏したまま、しくしくと泣いていた。  パンツから目を背け、アメリア告げる。 「こいつにスカートを履かせるべきじゃない。僧侶としてはもちろん、人間としても愼みに欠けている」 「アレスさん、好きで履かせているわけじゃありません。このくらい短くないと裾を踏んづけて転ぶんです」  それは何か別の所に問題があるんじゃないだろうか。というか…… 「今も転んでんじゃねえかッ!?」 「油断すると意識が散漫になるみたいで……私に相談もせずにメンバーを決めたアレスさんが悪いと思います」  意識が散漫って……散漫過ぎるだろ!? どこの世界に意識が散漫な事が理由で転ぶ人間がいるんだよ!?  アメリアが心なしかむっとしているような目つきで俺を見上げる。  悪かった。ああ、俺が悪かったとも。全面的に俺が悪い。  そこでようやく、俺は新たな解決策を思いついた。チームのミスはチームで挽回せねばならない。 「アメリア、命令だ。ステファンの事は全面的にお前に任せる。最低でも死なないようにするんだ」 「……謹んで承ります」  欠片も謹んでいない表情。アメリアの仏頂面。  それは、俺がアメリアに初めてステファンの参入を伝えた時の表情によく似ていた。 §  アメリアに新規参入メンバーについて話していなかった事に気づいたのは、ステファンがピュリフにたどり着く寸前の事である。  完全に俺のミスだった。他の仕事で忙しかったとか、考える暇はなかったとか、教えなくても問題無いと思っていたとか、理由はいくらでも作れるが何の言い訳にもならない。  今思い返せば、クレイオからの警告を押し切った時点で、賽は投げられていたのだ。  そして俺は、初めてステファン参入の話をした瞬間に変化したアメリアの表情を見て、決定を早まった事を悟ったのである。  そして、あろうことかしかし悟りこそすれ、その意味を理解しようとしていなかったのだ。その瞬間ならばまだ回避できていたはずなのに。  アメリアはもともと余り感情豊かな方ではないが、その時の表情はいつも以上に硬かった。  アメリアはゆっくりと手を伸ばすと、自らの頬に触れる。そして、まるで見せつけるかのように自らの頬を抓ってみせた。  数秒ほどそのままの姿勢で静止し、至極真面目な表情で手を下ろした。 「……すいません、よく聞こえませんでした。もう一度言って頂けますか?」 「新しい勇者のサポート体制としてステファン・ベロニドを入れる事にした」 「これは夢ですか?」 「……お前、たった今頬を抓ってただろ」  人員を追加するという話は常々していた話である。そりゃ、確かにアメリアに相談せずに決めたのは良くなかったのかもしれない。  だが、そのアメリアの表情はそういうレベルではなかった。一見いつもより瞼を少しだけ大きく開いているだけのように見えるが、藍色の瞳孔が大きく広がっている。まるで、その表情の代わりに驚愕を示しているかのように。  宿の一室である。窓から見える空は暗く、しとしとと雨が降っている。  ただでさえ気分が落ち込みがちな空模様なのに、アメリアのこの様子に、俺は深くため息をついた。  アメリアは聡明である。彼女が取り乱したのはグレゴリオを見た時くらいで、つまり今回はそれに近い厄介度という事を示していたのだ。だが、俺はそれに思い当たらなかった。  のんきな俺をよそにアメリアがゆっくりと呼吸をする。  硬い表情をしている事に気づいているのだろう、両手で自分の頬をぷにぷにと揉みほぐす。まるで気を落ち着けるためにグルーミングしているかのようなその必死な仕草がちょっとだけ可愛らしかった。  落ち着いた所を見計らって聞く。 「……知り合いなのか?」 「……後輩です。ですがそれは置いておいておきましょう」  アメリアがため息をついた。そして、話し始めた。 「色々言いたいことはありますが、まず私が言わねばならない事は――アレスさんは贅沢だという事です」 「贅沢……?」  何を言っているんだこいつは。  予想外の言葉に戸惑う俺に、アメリアはもう一度深々とため息をついて続ける。 「魔法の知識が豊富で神聖術も使いこなせてアレスさんの事をよくわかっていて行動力があってレベルも高くて白魔道士の中でも筆頭で気立てが良くて可愛くて私の事を完全に忘れていたダメダメだったアレスさんを心配してこうして尽くしている、このアメリアちゃんの何が不満なんですか?」  ……無駄に饒舌だな。 「ジョークセンスが壊滅的なところだ」  後、TPOを弁えず真面目なシチュエーションでふざけた事を抜かすところだ。  アメリアは俺の答えに一度咳払いをすると、佇まいを正した。正して、再び口を開く。 「……まぁ、それは置いておきましょう。アレスさん」 「それも置いておくのか……」  置いておきすぎじゃないだろうか? 本当にそれは置いておいていいものなのか?   というか、本当にこれから藤堂をサポートする要員がこの気立てのよくて可愛いアメリアちゃんでいいのだろうか?  俺の事をよくわかっていて行動力のあるアメリアちゃんは行動力を発揮し、俺の内心を無視して言葉を続ける。 「アレスさん、アレスさんが異端殲滅官になってなかったと仮定して――」 「……?」 「どこの国、だとか、財政的に可能かどうかとか、目的だとかは置いておいて、学校に行くとするじゃないですか?」 「……」  何の話を始めるつもりだよ。激しくつっこみを入れたかったが、我慢して続きを待った。  アメリアもまた真剣な表情で続ける。 「まぁ、目付きが悪いとか柄が悪いとかは置いておいて、アレスさんはまぁ異端殲滅教会の序列一位まで成り上がるくらいのポテンシャルがあるわけで、勉強も運動も出来るわけです。面倒見もまぁいいわけですし、顔もご両親のどちら似なのかはわからないですが、決して悪くないわけです。ちょいワルですね、ちょいワル」 「さっさと結論を言ってくれ」 「そしてまぁ、同級生の中に溶け込めるかどうかはちょっと怪しいですが、それだけスペックが高いと、周りに人が集まってくるわけですよ。可愛いアメリアちゃんとか気立てのいいアメリアちゃんとか頭のいいアメリアちゃんとか……幸薄そうなスピカとか」 「……」  アメリアはスピカに何か恨みでもあるのだろうか。しかし、こいつ、饒舌になる時は碌なこと言わねえな。  俺の抱いている思いを察していないわけでもなかろうに、アメリアは深刻そうな表情を崩さない。 「その中でいるんですよ、一人。一見優秀そうに見えて、常に人が周りにいて、頭が良くて、話してみるとけっこう楽しくて、言葉の端々から育ちの良さが見えて人懐っこくて、おまけに容姿が優れていて、まるで恋愛小説とかなんかに出てきそうな――」 「出てきそうな……?」  その言葉だけ聞く限りは問題は特にないように見える。人に好かれるというのは一つの資質だ、聞き込みなどにも有用に働くだろう。  恋愛小説とかあまり読んだ事ないが……。  まだ状況が理解出来ていない俺に、アメリアが一息貯めて言い切った。 「出てきそうな――致命的な……『ドジっ子』……です」  一体何を言ってるんだ……。  その時の俺は呆れたようにアメリアを見る事しかできなかった。  そして、その言葉がその単語以上の意味を持っている事を知った時には全てが終わっていたのだ。  俺はそこから二つの重要な事を学んだ。  まず、人を決める際には能力だけでは見ず、人間性に問題がないか、致命的な欠陥がないか確認しましょう。  そして――ジョークセンスが壊滅的なアメリアちゃんで満足しない俺は罰を与えられても仕方ないくらいに贅沢である。  ……もっと激しく止めてくれ、アメリア。 page: 86 第二レポート:機嫌の悪いアメリアの話 「まずは立ち位置を定めましょう」  テーブルを囲み、アメリアが至極真面目な表情で言う。そうか、そこからなのか……。  その隣では何を考えているのかわからないステファンがふわふわした笑顔で行儀よく座っている。何が楽しくて笑っているのだろうか。まだ参入したばかりだと言うのに何故かその笑顔からは不安しか感じられない。  酷く機嫌が悪そうなアメリアに一応報告する。 「ちなみにクレイオに返品申請したが却下された。返品したいならば本部まで連れてこいと」 「……その件については私が後で聖穢卿に文句言っておきます」 「文句言えば解決するのか?」 「しませんね。でも多少溜飲は下がると思います」  そうか……好きなだけ文句を言うといい。止めはしない。  ステファンが俺たちの言葉を聞いて、テーブルを一度手の平で叩いた。 「先輩……に、アレス、さん。私はお仕事があると言われて来たんです……けど……いや、なんでもないです、はい」  アメリアが向ける冷たい視線にステファンの言葉は小さく消えていく。どうやら力関係は出来上がっているらしい。  泣きそうな表情でステファンが俺を見上げる。  だが、なるほど。ステファンの言う事ももっともである。今回は俺が請うて来てもらったのだ。予想とはかなり異なるキャラだったが、ステファン自体が悪いわけではない。話をちゃんと聞かなかった俺が悪い。 「ステファン、お前は何が出来る?」 「アレスさんッ!?」  アメリアが俺に咎めるような視線を向ける。  まぁ、話くらいは聞いてもいいだろう。少なくとも交換手としての能力はあるのだ。  ステファンは俺の問いに花開くような笑顔を作った。人懐こいというのは本当なのか。最初に通信した時に聞いた、焦っているような様子は欠片もない。まだ顔を合わせてから数日しか経ってないのに。 「アレスさん……私の事はステイとお呼び下さい。お父様からも、友達からもそう呼ばれているので」 「……ステイ、お前は何が出来る?」 「アレスさん、凄い表情してますが大丈夫ですか?」 「気のせいだ」  アメリアの指摘に平静を装い返す。  余計な事言わずにさっさと答えて欲しい。効率的じゃないのは余り好きではないのだ。が、それを指摘したらそれはそれで引き伸ばされてしまう。  ステイがにこにこしたまま指折り言葉を続ける。まるで歌うかのような声で。 「お掃除、お洗濯、お料理はお任せください」 「……アメリア、お前より高性能だ」  って違う。俺が聞きたい事はそうじゃねえ。  なんだ? 白魔導師の中では家事の技能が重要視されてるのか!?  アメリアがステイを絞め殺しかねない表情で睨んでいる。いや、表情自体は変わらないがその視線からは憎悪に似た何かが感じられた。やばい。  その視線に気づいているのか気づいていないのか、ステイは笑顔を崩さずに更に続けた。 「後は……神聖術は一通り使えます。怪我とかした際はお任せ下さい!」 「一通り……中位までか?」  白魔導師って本当にエリートなんだな……ゴーレム・バレーにまでこれる僧侶は皆、中位の神聖術は修めているだろうが、全体の総数の比率で考えると、中位の神聖術を使えるプリーストはかなり優秀な部類に区分される。  おまけにこいつ、通信魔法も使えるんだろ?  表情を変えずに感心していると、ステイが小動物のように首を傾げて言った。 「? いえ、上位までですけど?」 「……どうしよう、アメリア。お前より高性能だ」 「ちょっとアレスさん、そのコメントやめてもらっていいですか?」  いや、だって……どうしよう。  げんなりしながら、アメリアとステイの方を交互に見る。  シスターが嘘をついたりはしないだろう。という事は、この迷子になったり何もない所で転んだりするステイは僧侶の中でも極めて優秀な部類に入る事になる。  おそらく、僧侶の中でいえば上位一%とか二%に入るだろう。トップクラスの傭兵パーティの中でくらいしかお目にかかれない存在だ。  頭を掻きむしる。よもや僧侶として優秀だという点が俺の精神をさいなませる事になろうとは。  確かにその笑顔は世界の善性を心の底から信じ切っているかのような……悪く言えば何も考えていない笑顔に見える。  もしかしたらそれがいいのか? 何も考えていないのがいいのか?  そして、更にステイが衝撃的な言葉を続けた。 「後は……えっと――レベルは70くらいです」 「……はい?」  70? こいつ今、70くらいって言ったのか?  そんな馬鹿な……。呆然としながらも腕を伸ばしてその頭に手を乗せる。  手を乗せられ、きょとんとしているステイ。無言で、そのレベルを測定する。  その身に溢れた輝きに、俺は目を疑った。 「馬鹿な……レベル72……だと!?」  アメリアが55だからそれよりも17も高い事になる。レベルは上がれば上がるほどに上がりづらくなっていくのだ、そのレベル帯で17の差というのは尋常ではない。  ゴーレム・バレーで上げられる適正レベルも超えている。……こいつ一人で帰れるんじゃね?  72もあればその戦闘能力も計り知れない。というか計り知れない戦闘能力がなければ72までレベルを上げられない。  というかアメリア、全部ステイに負けてるんだが? 本当にどうなってるんだ? アメリアも普通に優秀なはずなのに……。  アメリアが呆然としている俺の眼の前で手を振って無表情のまま言った。 「アレスさん、アレスさんの言いたいことはわかります。わかりますが……無理です」 「何故だ?」 「ステイのレベルが高いのは、そのくらい上げなきゃちょっとした事で死にかねないと判断されたためだからです」 「理解……できない。理解できないぞ」 「理解しなくていいです……受け入れて下さい」  どこの世界に72までレベルを上げなきゃ死にかねない人間がいると言うのだ。そんな恐ろしい世界ならばとっくに人間は絶滅してる。  しかもこいつ今、くらいって言ったんだぞ! 『くらい』って。自分のレベルを把握していなかったという事だ。  騒いでる俺たちをステイは意に介すことなく、じっと窓の外を見ていた。釣られるように窓の方を見るが特に何もない。  どうしよう、これ……。  確かにクレイオは優秀と言っていた。言っていたが……素朴な疑問がある。どうやってステイは72までレベルを上げたんだ?  まだ十代で72レベルだ。普通に戦っているだけじゃそこまで上げるのは至難のはずだ。  ……藤堂の倍以上レベルあるんだがッ!? 「アレスさん、全ての期待は――捨てて下さい。レベル高いし、能力は優秀そうだから使おうとか考えてはいけません」 「いや、もう期待していないが――藤堂のパーティに派遣するのはどうだろう?」  藤堂パーティの僧侶の枠はいずれ戻ってくるスピカの枠だ。だが、たとえグレゴリオの修行を乗り越えたとしてもスピカが成長するのには時間がかかるだろう。  それまでのつなぎとして彼女の能力は完璧だ。  問題は、ステイもアメリアのように藤堂パーティへの派遣が禁止されていそうだという点だが、彼女を見るに口先で何とでも誤魔化せそうである。  そんな俺の半ば本気の言葉に、アメリアが馬鹿でも見るかのような眼をこちらに向ける。 「アレスさん……貴方は勇者パーティを壊滅させるつもりですか?」 「……やめておこう」  賢く尽くしてくれるアメリアちゃんの言う事は聞いておいた方がいい。  ため息をつき、アメリアから視線を反らして前を向く。目の前に座っていたはずのステイは影も形もなかった。 「……なるほど……こうやって消えたのか」  なまじレベルが高いせいで無駄に隠密性があるのだろう。  いつの間に移動したのか、ステイは部屋の窓を開けて下を覗き込んでいた。話してる最中に席を立つんじゃねえ。  アメリアが慌てて席を立ちステイの首根っこを捕まえる。  そりゃ勇者パーティにいれられないわ、これ。 「ひゃ!? せ、せんぱい!? 大丈夫ですよ、子供じゃないんですから!」  ステイがアメリアに掴まれたままわたわたと言い訳する。子供でもしねえよ!?  だが、ステイの事ばかり構ってもいられない。俺達の仕事はあくまで藤堂の魔王討伐のサポートなのだ。 「アメリア……ステイの事はもうほんとお前に任せた。何かあったら報告してくれ、俺は藤堂のレベル上げ計画を考える」 「貸し一つです。今度お酒をおごって下さい」 「わぁ……先輩、私も! 私も飲みたいです! 私、とっても強いんですよ、アレスさん!」  神は二物を与えないとはこの事か。  どうやら秩序神はステイにあらゆるものを与えたが唯一、最も人間として重要なものを与えなかったらしい。理性か愼みか落ち着きか、そういった類の何某かを。  アメリアが珍しく額を押さえ、暗い声で言う。  俺はその瞬間、初めてアメリアに強い仲間意識を抱いた。 「アレスさん……機会はないと思いますが、絶対にステイにお酒を与えちゃダメです。彼女は一口で頭があっぱーになりますから」  以前、たった一口であっぱーになったアメリアが言うあっぱーとはどれほどあっぱーなのか。  普段でもけっこうあっぱーに見えるのに……一転回って正常に戻らないものか。そうすれば色々使いみちが思いつくものを。 「そんな先輩……久しぶりに会ったのに。冷たくないですか? 私、とっても先輩と会いたかったのに」  その言葉に、ステイが懇願するような声をあげ、アメリアの身体にすがりつく。  まるで捨てられた子犬のような眼をするステイに、アメリアは冷徹な眼で一言言い放った。 「ステイ……『待て』」 「は、はいぃ!」  弾かれたように佇まいを正すステイ。  ちょっと待て。ステイの愛称ってまさか――。  ふとよぎりかけた考えを振り払う。  駄目だ。詳しく考えちゃいけない。詳しく考えるとストレスで倒れてしまいそうだ。 page: 87 第三レポート:体調を崩したリミスの話 「なんか異国って感じがするよね」  広々とした宿の一室。ピュリフの教会とはまた違った質感の壁を眺めながら藤堂が呟く。  宿のランクは王都のそれよりも遙かに落ちるが、ファーストタウンの宿は高地に存在するにも関わらず現代人である藤堂を納得させるだけの設備を備えていた。  水の魔導具を活用したトイレや浴室はもちろん、部屋の広さも家具の類も申し分ない。  扉やら家具は木製だが、壁や床などは全てクリーム色の岩石であり、藤堂の眼にはそれが酷く新鮮に映る。  鎧と剣を外し、部屋着に着替え終えたアリアが答えた。 「土地柄ですね。この辺りには――岩石しかありませんから」 「うーん……どうやって作ってるんだろう?」 「土属性の精霊魔術で加工してるんでしょ、多分。この辺りには……土の精霊が多いから」  外套を壁にかけ、リミスがベッドの上に腰を下ろす。ガーネットがまるで主人の意見に同意するように頭の上で首を左右に降った。  その言葉に、藤堂がにわかに目を閉じる。  藤堂直継が召喚に際して得た加護、八霊三神は八種の精霊と三柱の加護を指す。  火、水、土、風、木、金、闇、光。この世界に存在するとされる八種類の精霊の加護は藤堂に精霊に対する高い知覚能力を与えており、未だその力を有用に使えてはいないものの、感覚を集中すれば周囲に存在する精霊の力を感じ取ることができた。  目を開けた藤堂が感心したように唸る。 「全てが全て魔術で説明がつくんだね」 「まぁ、精霊の力なくして人の発展はありませんからね。むしろ私にはナオ殿の世界がどうして発展したのかわかりません」 「……科学の力だよ。僕も別に詳しいわけじゃないけど、もしかしたら地球に精霊と神の奇跡が存在していたらこっちの世界のように発展していたのかもしれないな……」  といっても、今更考えても仕方のない事である。  レベルの存在、魔術に神聖術。あるものはあると考えるしかない。藤堂にとって現在この世界は紛れもない――現実なのだから。  科学の方が優れているのか魔法の方が優れているのか、藤堂は既に半分くらいどうでもいいと思っていた。何しろ、本当に地球とこの世界の物理法則が合致しているのかも怪しいのだから。  藤堂の思いを知ってか知らずか、アリアが話を変える。 「魔導人形は頑丈なことで有名です。物理的な攻撃よりも魔術的な攻撃が適している、と。もっとも、エクスならば装甲も切り裂けるでしょうが……」 「うーん……僕も魔法は使えるけど……どっちかというと、剣の方が適している感じがあるんだよなあ」  己の手の平を見下ろし、藤堂が呟く。  魔王討伐の旅に出て既に二月が過ぎようとしていた。その間ずっと藤堂は剣で戦っていたが、他の技術を疎かにしていたわけではない。  魔術はリミスに教わっていたし、神聖術だって最低限のものは使用できる。  だが、その中でも一番手にあっているものを言えと言われたら藤堂は迷わず剣術をあげるだろう。神聖術はともかくとして魔術は実用に耐えうる段階ではない。  藤堂の表情に、リミスが深々と重いため息をついた。 「まぁ、いくら八霊の加護があったとしても精霊と正式に契約をかわさなければ人の身で強力な精霊魔術を使うのは難しいわ」  精霊の力借りずして大きな神秘を現すのは難しい。  精霊の加護はあくまで精霊に対する適性を与えるもの。それは、藤堂が最初にリミスから魔導について教授してもらった際に教わった言葉であり、魔術が二ヶ月経った今でも実用段階にない理由でもあった。  精霊魔術の威力は契約した精霊の力に比例するものなので、適当な精霊と契約するわけにもいかないのだ。精霊同士の相性だってある。  火種を作ったり飲料水を得るくらいならば現在の藤堂でも出来るが、そもそも火種を作るならばガーネットを使えばいいだけの話で、飲料水も指輪の力で無制限の荷物を持ち運べる藤堂にとって余り意味のある力ではない。  その言葉に頷いていると、ふと藤堂はリミスのため息にいつもと違う色を感じ取った。  ベッドに腰を下ろし、瞳を伏せるリミスに視線を向ける。もともとリミスの肌は白いが、いつにもまして蒼白に見えた。どことなくその動作も重い。 「? リミス、ちょっと疲れてる?」 「……ちょっとだけ……身体が重いわね」  いつも強気な発言を欠かさないリミスの、珍しく気怠げな答え。 「大丈夫か? ……最近は強行軍だったからな」  ヴェールの森。ユーティス大墳墓でのアンデッド討伐。移動時間を除けばほとんど休憩を取っていない計算になる。 「休憩、取ったほうが良かったかな……」 「そうですね……魔導師は私達と比べて体力が低いですから……」  藤堂やアリアは前衛である。常に身体を動かしており、訓練も欠かしていない。リミスの体力が低いわけではないが、どうしても差は出てきてしまう。  リミスが朦朧とした眼で藤堂とアリアを見て、最後に椅子に座って我関せずな表情でぶらぶら足をぶらつかせているグレシャを見た。  アリアがそっとリミスに近づき、その額に手の平を当てる。それに対して、リミスは何も言わなかった。  しばらく様子を確認して、アリアが顔をあげる。 「……少し熱があるようです」 「……状態異常回復神法をかけようか?」 「いえ……恐らく、体力の消耗が原因でしょう。神聖術は――決して万能ではありませんから」  神聖術は術者の力量に大きく左右する。怪我も病気もある程度万能にカバーできるが、医者や薬師という職業があるのはそのためだ。  藤堂はその言葉に、じっと心配そうにリミスを見る。  自分よりも小柄な少女。いつも強気で弱音を殆ど吐かなかったリミスの姿が、今はとても頼りなく見えた。  半分だけ瞼を開け、小さく囁くような声でリミスが呟く。 「大丈夫……少し、疲れただけよ」  力のない弱々しい声。リミスの頭を一度慈しむように撫で、アリアが藤堂に言った。  いつも明確に指示を出してくれるその声にも心配そうな響きが混じっている。 「二、三日休ませて様子を見ましょう。無理をさせるのは良くない。王都を発って二ヶ月、慣れない旅です。気づいていないうちに疲労が溜まっていた可能性もある。私達の中でもリミスが一番レベルが低いですから……」 「あぁ……そうだね。すぐに……良くなるといいんだけど」  ふらふらと頭をふらつかせ、リミスがゆっくりとその背をベッドにつける。そのまま這いつくばるようにしてベッドの中に潜り込むと、リミスが最後に藤堂の方に視線を向けた。  ご主人の頭から飛び下りたガーネットがその枕元に伏せる。 「少し……寝るわ」 「ああ……ゆっくりおやすみ。何か欲しいものとかある?」  リミスはゆっくりと首を左右に振ると、静かに眼を閉じた。 「私がリミスの看病をしますので、ナオ殿はリミスが倒れた旨を教会に」 「ああ……そうだね。医者とか呼べないかも聞いてくるよ」 「リミスはゴーレム・バレーの適正レベルを考えるとかなりレベルが低いですからね……私達もですが、ここで体調を万全に整えましょう」  アリアがその眼を小さな魔導師に向けられる。  ゴーレムに物理攻撃は効きづらい。足場の悪い場所も多いゴーレム・バレーで戦うにはリミスの力が必須だ。  その時、今の今まで我関せずの様子だったグレシャが突然立ち上がった。  その首がきりきりと動き、藤堂の方に向けられる。その余りにもいつもと違う様子に藤堂は思わず一歩後退った。 「ど、どうしたの? グレシャ」 「……用事、できた」 「用……事?」  思わず聞き返す藤堂に、グレシャが仏頂面で首肯する。  いつも滅多に話さない、話す際も最低限の言葉しか出さないグレシャに、アリアが呆気にとられ、しかしすぐに我を取り戻して聞き返す。 「用事……用事って、何の用事だ? グレシャはヴェールの森出身だろう?」  傷ついた氷樹小竜が少女の姿に変わる奇跡は今でもアリアの頭に鮮明に残っている。  グレシャは何もない答えない。  藤堂は困惑したように目を瞬かせ、ふと思いついた事を尋ねる。 「もしかして……お腹減ったの?」 「!!」  その言葉に、グレシャの眼がやや大きく見開かれた。エメラルドグリーンの虹彩が大きな窓から取り入れられた陽光にキラリと光る。  グレシャの食べる量は他の三人を遙かに超える。食糧には余裕があったのでゴーレム・バレーまでの移動中も藤堂はグレシャに割り振る食糧をかなり多めにしていたが、グレシャが事あるごとに空腹そうにお腹を押さえているのを藤堂は気づいていた。 「あれほど食べてまだ食べ足りないのか……」 「もとの姿が姿だから……ねえ……」  ため息をつき呟くアリアに、藤堂がその肩を叩く。 「まぁ、街にいる間くらいはお腹いっぱい食べさせてもいいんじゃないかな?」 「……残金にだけは気をつけてください。国からバックアップを受けられるとはいえ、無限ではありませんから」  グレシャの食べる量は藤堂とアリア、リミスをあわせた量よりも多い。  今のところ金には余裕があるが、大墳墓でアンデッドを倒して手に入れたアイテムは殆ど金にはならなかったし、もし国から支度金が出ていなければすぐに困窮することになっていただろう。  藤堂がニッコリと笑ってグレシャに言う。 「じゃあ、リミスには申し訳ないけど、一緒に行ってどっかでご飯でも食べようか」 「…………………………………………………………………………用事、ある」  唇を噛み、今にも泣きそうな表情でグレシャが答えた。  珍しく感情の篭った表情に驚く藤堂。グレシャはふらふらとその隣を通り抜け、部屋の外に出る寸前に藤堂の方を向いて言った。 「用事、終わったら、すぐ、戻る」 「あ……ああ……いってらっしゃい……」  扉が音を立てて閉まる。  完全に閉まった扉に数秒視線を向け、藤堂とアリアは互いに顔を見合わせた。 「用事って何なんでしょう?」 「さぁ……僕に分かるわけないじゃん。……まぁ、グレシャにも色々あるんじゃないかな」  そもそも、何故人の姿に変わっているのかもわからなければその理由も不明なのだ。  何度かグレシャのいない所で話し合ったが結論は出なかったし、グレシャにも聞いてみたがついてくる理由になると黙り込んでしまうのでお手上げの状態なのだ。 「……ま、まぁ、僕は……聖勇者だし、そういう事もあるんじゃないかな」 「……そうですね。竜を連れて旅をした英雄の伝説もあったはずですから、そういうものなのかもしれません……」  その場に妙な沈黙が広がる。  変な話だよなぁと思いながらも、藤堂は自分を納得させるべく一度大きく頷いてみた。微塵も納得できなかったが。 page: 88 第四レポート:可哀想なグレシャの話  好き勝手に動く人間を裏から操作しようとするのは今更だが、かなり難しい。  もともと魔物の討伐や戦争を生業とする傭兵は死にやすいものだ。どれだけレベルを上げようが経験を積もうが、高名な戦士がちょっとした事で戦死したなどという話は枚挙に暇がない。  ただでさえ死にやすいものだというのに、全体的に危機感が足りていない藤堂たちが今まだ生き残っているというのはかなりの幸運だと言えるだろう。  事前に先回りし障害を排し、必要な物資を教会を通じて供給し、新たなパーティメンバーを仕立て上げ、弱点が見つかればそれを克服させる場を整える。  問題は次から次へと面白いように発生するのだが、力づくでなんとかなるものは力づくで、交渉が必要なものは交渉でなんとか収める。  だが、それでも不確定要素は発生する。最善は尽くしているつもりだが俺は神でもなんでもない。  俺がこの旅を開始して作成した課題の一覧にはずらーっと問題点が並んでいて、いくつかは斜線が引かれているがまだまだ解決せねばならない事柄は多い。  そして、今現在最も大きな不確定要素は、ヴェールの森で何故か人化した氷樹小竜――グレシャと呼ばれる存在だった。  ステイの存在はステイの存在でかなり厄介な問題だが、グレシャの方は藤堂のパーティに入っている事もあって万が一の時の影響が違う。  第一の街についてから一夜が明け、ようやくステイの問題が自分の中で落ち着いた所で、俺は早速その問題に取り組む事にした。  グレシャとの取次を頼んだ所、アメリアがその藍色の眼を瞬かせ首を傾げる。 「処分ですか」 「……しない。それは最後の手段だ。スピカがもし藤堂のパーティに参加していたらそれも一つの手だったんだがな……」  今グレシャを処分すれば藤堂達が受けるショックは予想も出来ないし、奴には定期連絡に答えるという任務を課している。  内部からの情報は、どうしてどうやって人化したのかわからないグレシャを奴の側に置くというリスクを考慮しても余りあるメリットだ。スピカがパーティに参加しなかった今、グレシャがパーティから抜ければ、適宜状況を把握する術が完全になくなってしまう。  早いもので、グレシャを藤堂のパーティに潜り込ませてから既に一月が経過していた。  何かしらリスクを感じさせる行動をしたらその時点で攫って処分するつもりだったが、この間、グレシャは特に藤堂達に対して何もやっていなかった。  グレシャのスタンスは一貫している。  通信をすれば答えは返してくるが、自発的に動いたりしない。命令には従うがそれ以上の行動はしない。  敵ではないが仲間でもない、そんな微妙なスタンス。考えての行動なのかあるいは何も考えていないのか、それすらもわからない。  藤堂達にとってみれば無駄に大食いで何の役にも立たないメンバーを一人飼ってるようなもんだが、よく文句を言わないものだ。俺が奴のパーティにいたら間違いなく叩き出していた。  理由も意図も方法も何もかもがわからないので定期的なコミュニケーションは欠かせない。グレシャが絶対に変な気を起こさないように。  アメリアには通信魔法という手段があるが、俺は通信魔法を使えないわけで、一度刻み込んだ恐怖も時間が経てば薄まるだろう。  アメリアがグレシャに対する通信を行っているその間に準備をする。  法衣の上から茶色の外套を羽織る。メイスは目立つので持っていかない。人化したグレシャの耐久は竜だった頃と比較して大きく落ちている。メイスを使えば殺してしまうだろう。  その代わりに薄手の手袋をはめた。今のグレシャが相手ならばこの拳で十分だ。   もっとも、回復魔法では服は治せないのでぶん殴るなら血が出ないようにするかあるいは服を剥ぎ取ってからやる必要があるが……。 「藤堂に後をつけられたら面倒な事になる。展望台に来るよう伝えてくれ」  人通りが多い場所を選択する。藤堂が来なかったら場所を変えてもいい。  暴力は最後の手段にしたい、俺だって心が痛むのだ。任務遂行に私情を挟んだりはしないが。  その時、側で俺とアメリアを見ていたステイがおずおずと手を上げた。白い肌、漆黒の眼、その下にはくっきりと隈ができている。  内容は知らないがアメリアと夜通し話し合っていたらしい。それで少しでも行動が改善してくれたらいいんだが……。 「あのー……アレスさん、私は何をすれば……?」 「何もするな。ステイ、お前は宿で待機だ。アメリアと、宿で、待機」  アメリアと話し合った。本部に連れて行くまでの間にステイをどう扱うべきか。  交換手の先輩としてそれなりの付き合いがあるアメリアによると、ステイには人を常時一人付けるべきらしい。でなければ、結果的にそれ以上の要員を割かねばならなくなるとか。  できれば二人がいいらしいが、二人付けたら動ける人間がいなくなってしまう。  もうドジっ子とかそういうレベルじゃないと思う。  俺の命令に、ステイが唇を尖らせいじいじと手を組み合わせる。 「……私……一応、求められて仕事しにきたんですけど……」 「ステイ、お前に何が出来る?」 「お掃除にお洗濯にお料理はお任せください」  それは昨日聞いた。  彼女は外に出してはならない。ただでさえ露出度の高い格好をしているのだ、場合によっては教会への信仰に影響するだろう、彼女自身のためにもならない。  そこで、ベストな命令を思いついた。 「よし、ステイ。命令を与えよう」 「は、はい。なんですか……?」  ごくりと真剣な表情で息を呑むステイ。優れた容貌に真摯な瞳、外面だけ見れば仕事できそうに見える。ああ、アメリアの言うとおりだ。外面だけ見れば凄く仕事が出来そうに見えるとも。  どうして世の中こう、ままならないのか。目を瞑り、一度ため息をついて命令した。 「お茶をいれてくれ。お前の得意なお料理だ」 「……それだけですか? すぐにできますが?」 「お茶を入れ終わったら次は……洗濯をするんだ。俺の予備の法衣とか、アメリアの服とか自分の服とか洗濯してくれ」  ちなみに洗濯は、別料金だが宿に依頼すればやってくれる。  アメリアと俺には洗濯に割く時間がなかったので、今までは宿に頼んでいた。  ステイがむずむずとくすぐったそうに身体を動かし、縋るような眼で聞いてくる。 「そ……それが終わったら?」  そんなの決まってる。  俺は至極真面目な表情を作り、人差し指でステイを差した。 「部屋の掃除だ」 「……」  不満そうな眼で俺を見てくるステイ。  お前が言ったんだ。その三つが出来ると。彼女はとても優秀である、何故ならばアメリアも俺もその三つを余り得意としていない。 「ステイ、これは重要な仕事だ。俺にもアメリアにも出来ない、お前にしか出来ない重要な仕事だ」 「? そ、そうなんですか?」 「そうなんだ。俺はお前を……その三つのために呼んだんだ。わかったな?」  そんなわけあるか。  言いながら内心自分につっこみをいれるが、その時にはステイの表情からは不満が消えていた。  真面目な、そして嬉しそうに目を輝かせ、ステイが頭に手をふらふらと当て、決まらない敬礼をした。 「わかりました。謹んでご命令、お受けします」  こいつまさか今の信じたのか……自分で言っておいてなんだが、割とやばいな。  目を丸くする俺の前で、ステイは一度笑みを浮かべると、早速お茶を淹れる準備をし始める。  ……まぁ、いいけど。大人しくしていてくれるなら何でもいいけど。  果たしてお茶を入れるのが料理と呼べるのかどうなのか、ともかくステイの手つきは随分と慣れていた。  家事が得意と言ったのは本当なのだろう。もっと他に習得すべきことがあるだろうに。  その手つきをじっと眺めていると、通信を終えたアメリアが報告してきた。 「アレスさん、グレシャを呼び出したので向かって下さい」 「わかった。……ステイの事を頼む」 「……はい。お気をつけて」  それはこっちの台詞だ。  そういいかけたその時、ステイが短い悲鳴をあげた。 「アレスさ……あッ!」  お盆に乗せたティーセットを持ったステイが何もないのにつんのめる。  まだ二日目なのにこの光景は二回目だ。  お盆とティーセットが宙を舞う。翼もないのにティーポットが飛来し、湯気の立ったお茶が俺とアメリアの方に降り掛かってくる。  俺は何も言わずに、固まっているアメリアの肩に腕を回し、一緒にそれらを避けた。  陶器のポットとカップが落下し、けたたましい音を立てる。  ステイが体勢を崩した勢いでくるくると回転すると、その上にびたーんと倒れる。例によって受け身も取れていなかった。  その光景を見下ろし、蔑みでも怒りでも憐憫でもなく、ただ納得する。 「なるほど……お茶を入れる事はできても運ぶことはできないのか」 「え……あ……ま、まぁ……そういう事ですね。い、いや、割と成功する事もあるんですけど、ね……」  しどろもどろに弁明のような言葉を出すアメリア。  これでレベル72……レベル72、かぁ。呪われてるんじゃないだろうな、こいつ。 「掃除とステイの面倒を頼んだ」 「……わかりました」  腕を離し、アメリアの華奢な背中を労うようにぽんと叩く。  ステイは前日と同様にしくしく泣いていた。ドジった回数数えて後でクレイオに報告してやろう。  少しだけ優しくなれる気がしていた。  人間とは慣れる生き物だ。今の俺はヴェールの森で藤堂をサポートしていた俺とは違う。たった二ヶ月だが俺はあのグレゴリオ・レギンズを乗り切ったのだ。  結果がベストなわけではなかったが、その経験が、その自信が俺に力を与えてくれる。レベルは上がっていないが、確かに俺は変わっていた。  展望台の中に足を踏み入れた瞬間、柵に身体を預けるようにして待っていたグレシャが俺の方を向く。  距離はまだ百メートル以上あるというのに、俺の事をずっと探していたのだろう。その亜竜種特有の高い感覚能力は鈍っちゃいない。  深緑色の髪に眼。強張った表情に、窄まった瞳孔がその緊張を表している。見た目の年齢こそ低いものの、こうしてその姿だけ見ると人の子供にしか見えない。  もっとも、視力以外の感覚を動員すれば異常がわかる。その小さな身体に凝縮された力の強さを。だが同時に、どれほど腕利きの魔物狩りだったとしても、そういった情報は知ろうとしない限りわからないものだ。  現に、展望台には魔物狩り達が何人もいるが誰一人としてその異常に気づいていない。子供がたった一人でこんな所にいるというのがまず異常なので、そちらに視線を向けている者はいるがただそれだけだ。  恐ろしい人化の精度。俺も過去、一度しか見たことがないレベルである。  人に対して悪意を持った魔物がこの精度の人化の術を手に入れれば大きな脅威となる事だろう。  周囲に藤堂達の気配はない。俺はさっさとグレシャの側まで歩いていった。 「待たせたな」  俺の声に、グレシャがびくんと身体を震わす。その小さな唇が震えるように声を出した。 「待ってない…………です」  表情から分析する。まだ恐怖は残っている。たかが亜竜、されど亜竜。記憶力は高いらしい。 「そうか。場所を変えるぞ」 「……」  こくんと頷くグレシャの手を取り、向けられる視線を切って歩く。  なるべく目立たない場所がいい。藤堂がついてこなかったので宿屋に連れ込んでもいいが、そこまでする事もないだろう。  言葉が通じるならば言葉で意思疎通を試みる。俺は人間なのだ。  歩いていると途中で、引くグレシャの手が僅かに固まった。立ち止まり後ろを向くと、グレシャの視線があさっての方を向いている。  俺が立ち止まったのに気づいたのか、グレシャが蒼白の表情で俺の方に向き直る。  グレシャが見ていたのは、道端に出ていた串焼きの屋台だった。  食欲をそそるいい匂いが漂ってくる。 「……なるほど、腹が減ってるのか……」 「い……いや……」 「そう言えば藤堂に食事をせびっているらしいな」 「…………」  目を見開きぶんぶんと首を横に振るグレシャ。その動作とは逆にグレシャの腹がぎゅるると小さな音を立てている。  図体は小さくなったのに食欲が落ちないと言うのもおかしな話だが……ふむ。  確かにグレシャは何もやっていない。大した役に立っているとは言えないが、定期連絡には使っているのは事実。  俺も甘くなったものだ、グレゴリオやステイと関わってしまったせいで相対的にグレシャの評価が上がってしまったのだろう。  一度頷き、グレシャに尋ねた。 「いいだろう、働きには報酬がないと、な。何本欲しい?」 「……!?」  グレシャが目を見開き、驚きの表情で俺を見る。  そんなに意外だっただろうか、俺は別に鬼じゃないのだ。グレシャを半殺しにしたのだってやむを得ずにやったのであって、理由があればやるし、ないならやらない。  良くも悪くも、これはビジネスなのだ。 「餌くらいくれてやるさ。さぁ、何本欲しい?」  俺の問いに、グレシャが口を結び、窺うような視線を向けてくる。  怒りを買うのが怖いのか。もし怒りを買うのが怖いのならば、俺の最初の交渉は十分なだけの効果を残していると言える。  だが、怯えられたままでも問題だ。 「さっさと言え、時間がもったいない」 「……百本」  グレシャが小さな小さな声で言った。  百本。百本か。  屋台に並んでいる数だけじゃ足りないしその前に――。 「おいおい、グレシャ。百本も串を刺したらいくらお前でも痛いと思うぞ?」 「!?」 「眼で二本。鼻の穴に二本。耳で二本で両手両足の指で二十本。……案外いけるか? ああ……大丈夫、傷は残らないから安心しろ。俺の神聖術は打てる数だけならば異端殲滅教会の中でもトップだからな」 「ッ……」  グレシャが今にも泣きそうな表情で俺を見上げる。  身体が、腕が、足がぷるぷると震えていた。しばらくじっとその眼を覗き込んでいると、ふと異臭を感じた。  下を見ると、どうやら漏らしたのかグレシャの足元に水たまりが出来ていた。  人の尿とは異なる臭いである。亜竜種であるせいか、多分老廃物も人のそれとは異なるのだろう。  それに視線をむける余裕もなく震え続けるグレシャの肩を叩く。 「冗談だ、グレシャ。今のは冗談だ、安心しろ。俺は罰は与えるが、理由なく暴力を振るったりしない。コストの……無駄だからな」  体力だって使うし、暴力は病みつきになる。俺は僧侶なのでそれを戒めていた。  興奮しているせいか、グレシャの周りの空気の温度が僅かに低下している。  涙目で俺を見上げるグレシャにもう一度囁きかけた。 「さぁ、グレシャ。もう一度聞くぞ。何本欲しい?」 「さぁ、食うんだ」 「……はい」  結局話し合いは対面できる喫茶店で行う事にした。  俺の言葉に、グレシャがまるで何かに追われるように串焼きに齧りつく。  今のは命令ではないんだが……それほど切羽詰まって食べても味はわからないのではないだろうか。  髪を掻き上げ額を手で押さえてその様子を観察する。  俺の手の中にはまだ九本の串焼きがある。俺は腹が減っていないので、これは全てグレシャの分だ。  優先順位としては鼻、耳、眼、陰部、その他になるだろう。耳と眼を潰すと音も聞こえず何も見えなくなるのできれば後回しにしたい所だが、それは状況に応じてという形になる。  グレシャがむしゃぶりつくようにして、あっという間に一本食べ終える。その頬にソースがついていた。  食べ終えた串を強く握りしめたままグレシャが言う。   「……食べました」 「二本目だ」 「!? ……はい」  空になった串を受け取り、二本目を渡す。グレシャは一瞬絶望したような表情になったがすぐにそれを食べ始めた。  そうだ、食べろ。これは褒美だ。今までの報酬と、これからすべき仕事の報酬の前払いをしているのだ。  別に殺意を込めているわけでもないのに、グレシャは手を止める事無く串焼きを食べ続けた。三本、四本、あっという間に全ての串が空になる。  串は竹製だった。硬くしなやかで安価で数が手に入る。武器の素材として使われる事はほとんどない。  まだ少し肉片がこびり付いているそれを手の中で弄びながら尋ねる。 「美味かったか?」 「……はい」  それは……金を出したかいがあったというものだ。  おどおどとしたグレシャを何も言わずに見下ろす。  特に叱っているわけでも罰を与えているわけでもないのに、その表情は沈黙している間にみるみる青ざめていった。  何度か口を開きかけるが、ちょっと睨みつけるとすぐに噤んだ。  柱にかけてある時計。その針が少しずつ時を刻む。長針が四分の一ほど進むまで待って、俺は口を開いた。  喫茶店に入った時に頼んだ紅茶からは既に湯気が消えている。 「食後の休憩はこのくらいでいいか?」  俺の問いに、グレシャが凄い勢いで何度も頷く。ならば話を始めさせてもらおうか。  竹串の尖端を指で押し、しなりを確かめる。グレシャの視線はまるでそこに何かあるかのように竹串に向けられていた。 「腹いっぱいか?」 「ッ……はい」 「そうか。それは良かった」  串を逆手に握り、テーブルに叩きつける。  頑丈な木製のテーブルに音一つなく竹串が半分程刺さった。グレシャが小さく、聞こえないくらいに小さく悲鳴をあげる。 「グレシャ、今のは――報酬だ」 「報……酬」 「そうだ。今までのお前の仕事に対する報酬でもあり、そしてこれからの仕事に対する報酬の前払いでもある」  グレシャの怯える視線を受けながら、丁寧に説明する。人とは異なる文化で生きてきた亜竜にもわかるように。  ヴェールの森ではいい。ユーティス大墳墓もまぁしょうがない。グレシャがもし自発的に動いたとしても出来る事はなかっただろう。  だが、これからはどうなるかわからない。  藤堂は馬鹿だしまだ弱い。俺のサポートが間に合わない可能性も大いに有り得るし、そういった緊急事態に動けるのはグレシャだけだ。 「今までお前は無報酬で仕事をしていたわけだ。もちろん、命を助けてやったというのは何にも代えられない報酬だとは思うが、それだけじゃ足りない。そうだろ?」  そうじゃなきゃ、定期連絡で腹減ったなんて送ってくるわけがない。 「い……いや……」  グレシャが頭をふるふると震わせる。  他の卓についていた客が何事かとこちらを窺ってきたので、それを一度睨みつけて跳ね除けた。  俺はビジネスの話をしているのだ。人のビジネスに首をつっこまないで欲しい。  まるでこの世の終わりを見たかのような表情をしているグレシャに続ける。 「だから俺はこうして報酬を与えた。お前はそれを受け取った。つまり、次の仕事からお前はその報酬に足る成果を出さなくてはいけないという事だ」 「……」  このままではいけない、と。ずっと思っていた。  グレシャの立ち位置は正直かなりおいしい立ち位置だ。  なんだってできる。俺がグレシャの立ち位置にいればなんだってできただろう。だが、現在グレシャは碌な成果を出せていない。  やっているのはアメリアからの通信に対して返答することだけで、その情報の精度もかなり甘い。   別に出来ない事をやれと言っているわけではないし、グレシャに出した指示は情報の提供だけだった。  だから、許す。指示していないことをやっていないからと言って叱るつもりはない。  だが、舐めてもらっては困る。自分の立場を理解してもらわねばならない。  こちらに提供する情報は明確にしてもらわねばならない。  時には自分から動いて情報を収集してもらわねばならない。  場合によっては藤堂の代わりに戦闘を行ってもらわねばならないし、万が一の時はその命を賭して藤堂をかばわねばならない。  だから、その行動に足るだけの報酬を与えた。  空になった串を一本つまみ、その尖端をグレシャに向ける。グレシャが座ったまま、座ったままで大きく仰け反った。まるで少しでも距離を空けようとするかのように。 「グレシャ、この串を見ろ。この串はお前が前払いで受けた報酬の残りだ。そのままだとただのゴミだが、俺はゴミでも無駄にしない。何に使うかわかるか?」 「……」  必死に首を横に振るグレシャ。唇を舐め、声をかける。何故か心なし低い声が出た。  ボディランゲージだけでやっていけると思ってもらっては困るのだ。 「答えろ。何に使うかわかるか?」 「……知りたくない、です」 「駄目だ。お前は知るべきだ、グレシャ」  竹串を立てる。その尖端を天井に向け、説明する。 「この串は罰だ。グレシャ、お前は既に今後の仕事の報酬を受け取ったが、成果を出せなくても串焼きを返してもらう事はできない。もう食っちまったからな」  気づいたらグレシャが、その翡翠のような瞳から涙をぽろぽろ流していた。  悔恨の表情。それを意に介さずに続ける。 「だからこそ、これを罰に使う。こっちはお前の仕事に代価を払っているわけだ。代価を受け取っているのだから、お前には成果に対する責任が生じる。お前が俺の要求を満たせなかったその時俺は――」  串をくるりと回転させ、その尖端をグレシャの眼に向けた。 「この串をお前に刺す。一本ずつ、な」 「ッ!?」  グレシャの視線が俺の手元にある十本の串に移動する。  離れていても、俺の耳にはその心臓の音が聞こえていた。早鐘のようになる鼓動が示す感情は恐怖だ。  捲し立てるように続ける。 「おい、グレシャ。これは竹だ。竹製の串だ。お前は亜竜だ。人化して皮膚は柔らかくなっているが、その防御力は人の比じゃない。下手すりゃ金属の剣ですら傷を負わないだろう。なぁ、グレシャ。お前はこの串が自分に――刺さると思うか?」 「ッ……」  グレシャが息を呑み、目を丸くする。俺の言葉の意味を考えているのだろう。  ヴェールの森でのグレシャとの戦闘を俺はまだ良く覚えている。手加減したとは言え、その耐久は脅威だった。ルシフの結界を除けば、ザルパンよりも上かもしれない。  元来竜種というのは高い能力を持つ者なのだ。  考え終えたのか、グレシャの表情が僅かに、本当に気づかないくらいに僅かに緩む。  つまり、そういう結論が出たのだろう。 「グレシャ、俺はお前にそれを試すことがない事を祈ってるよ。俺はこれでも――人を傷つけるのは苦手なんだ」 「はい」  グレシャが間髪いれずに頷く。少し恐怖が治まったようだ。現実逃避かもしれないが、まことに結構。  俺は冷めきってしまった紅茶を一口静かに口に含み、唇を湿らせてから言った。 「さて、グレシャ。罰を受ける場所を選んでもらおうか」 「……え?」  グレシャが呆けた表情をする。  そんなグレシャに見えるように、手に持った串で空気を切ってみせた。レベル93の俺の手で振られた竹串はひゅんひゅんといい音を立てる。 「精算だ、グレシャ。俺は今、これまで仕事の分の報酬も支払ったが、お前のこれまでの仕事振りはその報酬に見合うものではなかった。これは精算だ、グレシャ。グレゴリオだったら即刻処分していただろうが、俺はゴミでも有効活用する男だ。お前のようなゴミでも使う男だが……過去は精算せねばならない」  一端戻りかけた顔色がみるみる恐怖に歪む。そうだ、その表情だ。  忘れてもらっては困る。お前の仕事に世界の命運がかかっているのだ。全力を尽くしてもらう。  下らない冗談にしか聞こえないが、冗談じゃないから困る。  俺は深くため息をつき、グレシャが少しでも安心出来るように笑みを浮かべて言った。 「安心しろ、グレシャ。刺さる。お前は刺さらないと判断したかもしれないが、ちゃんと刺さるぞ。お前はちゃんと過去を精算出来る。そこから先は俺達は――対等だ。俺は二度とお前に罰を与えたりしない事を祈ってるよ。祈るのは得意だからな」 page: 89 第五レポート:とりあえず仕事するアレスの話  ゴーレム・バレーはレベル上げのための土地だ。  標高は高く、近くには他に街もない。一応ルークス王国領内だが辺境も辺境であり、管理のための人間――ゴーレム・バレーを統括領に含む貴族の手も殆ど入っていない。  基本的にそういった街は数年もあればそこに住む人間がガラッと変わる。  レベルを上げる目的で来た者はレベルを上げ終えるかあるいは志半ばで倒れいなくなるし、街の管理のために派遣されてきた者も過酷な土地での任務を厭う場合が多く、数年で入れ替わっていく。ストレスで倒れる者も多いらしい。  町長も一応いるが、そんな事情では高い権力があるわけでもない。ゴーレム・バレーは半ば国の手を離れた土地でもあった。  俺がかつてレベル上げを行った際にこの地にいた者もほとんどいないだろう。  町並みは変わっていないが、門を守る衛兵の姿は変わっていたし、恐らく町長も変わっているだろう。変わっていないのは教会を守る――僧侶くらいだ。  グレシャと平和的な交渉を終え、俺が次に向かったのはファースト・タウンの教会だった。  現在のゴーレム・バレーの状態の確認のためだ。昨日アメリアには騎乗蜥蜴の世話と一緒に依頼していた事だがどうやら教会の統括者が不在だったらしく、詳細な話は改めてという形になっていたらしい。  また、もともと俺も向かう予定だった。情報の収集はもちろん、物資の補給や藤堂への情報提供など頼むべき事は多い。  魔王はまず間違いなく勇者の存在を補足している。大墳墓では何も起こらなかったが、ゴーレム・バレーがルークスでも有数のレベルアップフィールドであることは魔族側も知っているはずだ。  ヴェールの森では森の奥に生息する亜竜が浅層に出現するという形で異常が露わになっていた。この地に魔族が手を伸ばしているのならば、何らかのシグナルがあがっていてもおかしくない。  本来、そういった情報に一番敏感なのは魔物狩りだ。命懸けで魔物を狩る彼らはリスクに酷く敏い。  それでも俺が魔物狩りから情報を取得せずに教会に向かうという選択をとったのは、この地の教会の統括者がこのゴーレム・バレーという土地で恐らく一、二を争う古株だからである。  俺が前に来た時点で既に二十年以上この地の統括者をやっていた。誰よりもゴーレム・バレーの風を知る彼女は誰よりも長くこの地の平和を見守ってきた。傭兵や魔物狩りにも顔が効き、あらゆる情報が彼女に集まる。  教会はファースト・タウンの中心――町長の屋敷の隣にあった。  ヴェールの村やピュリフの教会と比較すればこじんまりとした建物だが、大きく開け放たれた扉には商人や僧侶、傷を負った魔物狩り達が並んでいる。  本来、国の所属ではないアズ・グリード神聖教会の建物と領主の屋敷が並んで建てられる事は殆どない。が、この地ではそれが罷り通っているのは、この地で生き延びるのに強固な協力関係が必要だったからだろう。  行列を無視して裏手に回る。  鍵もかかっていない裏口の扉を開けると、そこには数年前から変わらない懐かしい光景があった。  手狭な書斎。乱雑に本が並んだ書棚に、書斎には余り似つかわしくないベッドとソファ。薄汚れた木製の机に、椅子。  そしてこちらを背に、かがみ込んで書棚から何やら本を抜き出している巨漢。  扉の開いた音に気づいたのだろう、それがぬっとこちらを振り返る。  部屋の全てが彼と比べれば酷く小さく見える。いや、事実小さいのだ。  かがみ込んでさえ、男の頭の位置は書棚よりも上にあった。  全身に分厚い灰色の法衣を纏った男である。肩幅は俺の倍で身長も一・五倍、基本的に身体が大きい傾向のある傭兵の中にも彼程大きな人間はそうはいないだろう。腕も折りたたんだ状態の足も丸太のように太く、振るわれていなくてもその威力が容易く予想出来る。  一見僧侶には見えないが、身体相応に巨大な頭に短く刈り込んだ焦げ茶の髪。その耳に下がるイヤリングが彼の位を示している。  その図体からは想像ができないくらいに穏やかな目が俺を捉える。以前会った時とその顔貌は何ら変わっておらず、まるで歳を取っていないかのように見えた。  人のサイズを超えた巨漢なのは彼の身に半分巨人族の血が流れているため。初めは驚くだろうが、慣れてしまえばなんということもない。  俺は、久しぶりに顔を合わせる、温和な気性の友人に早速用件を述べた。 「ウルツ、久しぶりだな。マダムに話があってきた。会わせてくれ」 「アレス……そうか。お前が例の任務の責任者、か」  そのブラウンの瞳が驚きに見開かれ、力のある声でウルツが呟いた。  カリーナ・キャップ。  それが、齢六十を越えて未だ現役のシスターであり、ゴーレム・バレーに存在する全ての教会の統括者である女傑の名前。  まだゴーレム・バレーに存在する街が一つしかなかった最初期にファースト・タウンの教会に赴任し、それから現在に至るまで神の家とそこを訪れる傭兵達を守り続けた彼女をこの地の人間は敬意を表し、『マダム・カリーナ』、あるいはただの『マダム』と呼ぶ。  ルークス王国出身の高レベルの傭兵で彼女の世話にならなかった者はいない。いや、ゴーレム・バレーでのレベル上げはルークス王国騎士団のカリキュラムにも組み込まれており、そういう意味で彼女のルークス王国内での影響力は計り知れないだろう。  俺はルークス王国の出身ではないが、レベル上げの過程でゴーレム・バレーも訪れているので、彼女とも面識があった。マダムもまた癖の強い人物だが、彼女はとても頼りになる。  さすがに迷惑になるのでステイを預ける事は出来ないが、相談に乗ってもらう事位できるだろう。何よりマダムにはあのクレイオですら頭が上がらないのだ! 積み重ねって凄い。  久方ぶりにあったマダムは数年前と何ら変わらない格好をしていた。  巨大な木の安楽椅子に腰を掛け、その身体を俺の方に向けてにやりと笑う。  シスターには見えない横に広く縦にも広い見た目。その容貌に年相応に刻まれた皺。表情は柔和とはとても呼べず、皺の中に見える大きな瞳はぎらぎらと力強い生命力を表している。シスターと言うよりはどちらかと言うと魔女であるかのようだ。  その無造作に伸ばされた紫の髪には白髪の一本も混じっておらず、その耳にはその身が俺と同じ司教である証が下がっている。  何度も教会本部から与えられた本部への栄転の辞令を拒否し、最前線にいる事を選択した偉大なるシスター。  俺は昔から一種の物の怪ではないかと疑っているが、恐らく当たらずとも遠からずと言った所だろう。  マダムの居室まで案内してくれたウルツが一度会釈して扉を締める。俺は一度だけそちらに視線を投げかけ、すぐに目の前のシスターに向き直った。  相手の見た目がまるで変わらないので、過去に戻ったかのように錯覚する。  俺はさっさとマダムに近づき、一メートル程手前で止まった。懐かしいマダムのまるでこちらを威嚇するように見える目を見下ろす。 「マダム、忙しいところを無理を言って申し訳ない。聖穢卿から連絡がきているとは思うが、例の件に関する話があって来た」  聖勇者の情報は彼女には伝わっているはずだ。何しろ、ゴーレム・バレーで動く以上、マダムの協力はこの上なく心強いし、マダムから情報が他に漏れることもありえない。多分グレゴリオから情報が漏れるのと同じくらいありえないだろう。質は違えど、どちらも秩序神に忠誠を誓っている。  マダムは何も言わずに俺の言葉が終わるのを待つと、そこでにやりと唇を歪めて笑った。 「くっくっく、相変わらずのようだね、アレス坊や。挨拶もなしかい。噂は聞いているよ、随分と上手くやったようだ。あの坊やが今では――『神から来たり者』なんて呼ばれているんだってぇ?」  嗄れた声が脳を揺さぶる。初対面では意地の悪さのみ感じさせるようなそんな声。  この声に大抵、皆気圧される。そしてそれこそがマダムがこの地でその地位を保てている理由でもある。  僅かに微笑みを作る。 「マダムのお陰だ。そして二つ名は俺が自称しているものじゃない」 「くっくっく、随分と口もうまくなったようじゃないかい。あれ以来、ただの一度も顔を見せなかった癖にねぇ」  世話になったのは間違いない。マダムが口元にその膨れ上がった手の平を当て、含み笑いをする。その内容とは裏腹にその表情に気を悪くした様子はない。  さっさと本題に入る。とっつきにくいように見えてマダムは聡明だ。俺が自分より遥かに経験を持つ存在を評するのもおこがましい話ではあるが、俺は彼女のことをそれなりに知っていた。   「マダム、その件に関しては申し訳ない。……が、また貴女の力を借りたい。」  言い訳したくなくもないが、俺は別に歓談しに来たわけではない。  俺の言葉にマダムが肘掛けをその手で叩き、愉快そうに笑った。。 「相変わらず仕事一辺倒かい。くっくっく……よもや最短でここを通り過ぎた坊やがまたこの老いぼれの力を必要とする時が来るとは――随分と神も奇妙な縁をくれる」  マダムの言葉はまったくその通りだった。この魔物蔓延るご時世、戦人は相当な実力を持っても長くは生きられない。  特に異端殲滅官の殉職率は高い。マダムは顔を見にも来ないと言ったが、前回ここでレベル上げを終えた際に俺は既にマダムに別れは告げているのだ。  よもやこうして再び顔を合わせる事になるとは、魔王討伐の任務を受ける前の俺には想像すら出来ない事だっただろう。 「全くだ。だがマダムのお陰で今回俺は楽を出来る」 「ふっ……異端殲滅官様のお役に立てるなら光栄だねぇ」 「そうすれば空いた時間で次に向かう土地のことを考えられる」 「……坊やは本当に相変わらずだねぇ」  マダムが初めて呆れたように表情を変えた。 § § §  多忙のマダムにまた会う約束を取りつけ宿屋に戻ると、俺の部屋には憔悴した様子で肩を落とすアメリアとわたわたと周囲に視線を向けるステイの姿があった。  軽く室内を見回す。部屋の中は酷い有様だった。  テーブルはひっくり返り、ベッドはシーツが剥ぎ取られ床にくしゃくしゃに捨てられていた。おまけにベッドには得体の知れない液体で染みができているし、窓にはヒビが入り壁に取り付けられていた間接照明にもヒビが入り、床には粉々に砕けたティーカップとポットらしき残骸にひっくり返ったバケツが――。  何だこれ。  アメリアが俺が帰って来たことに気づき、少しだけ顔をあげて微笑んだ。 「……一応聞くが、襲撃があったわけではないな?」 「……ある意味襲撃かもしれません」  うまいこと言えなんて言った覚えはない。  ステイが俺の顔を見てぱぁっと目を輝かせる。まるで現状の解決の糸口を見つけたかのように。  彼女は頭がぱぁになってると思う。 「こ、これは違うんです、アレスさん。お掃除してたんですけど――」  わかった。何も言わんでいい、何も。  俺が悪かったのだ。冷静に考えてお茶を運ぶことすら出来ないステイがお掃除なんて出来るわけがない。  自慢じゃないが、俺の適応力はかなり優れている。  俺は無言でステイの期待レベルを最低まで下げ、世界で三番目くらい嫌いな物に『ドジっ子』を設定した。  ステイがまるで弁明するように近づいてこようとしたので、アメリアのやったように叫ぶ。 「ステイ、『待て』!」 「はいぃッ!」  まるで条件反射のようにステイがその場で姿勢を正した。  表情が引きつっている。よく見てみると水でも被ったのか、ステイは頭の上からつま先までぐっしょりと濡れ、身体の線がはっきり見えていた。一体何をどうすればこんな状態になるのか想像もつかない。  硬直するステイの隣を通り抜け、ベッドの上に腰を下ろした。 「ステイに『待て』を仕込んだ人間は天才だな」  少なくともこうして転ぶ回数を一回減らすことはできる。  果たしてどうやって条件反射の域にまで仕込むことができたのか、俺はただその偉大なる先駆者に敬意を抱いた。もっと他に仕込むものあるだろ。  ステイが照れたように笑顔で頬を掻く。 「あ……え、えへへ、それほどでも――」  褒めてない褒めてない。待てとか犬でも出来るわ!  どうしてこんな状態で笑顔を浮かべられるのか、直立したまま何故か嬉しそうにするステイに人差し指を突きつけて宣言した。  はっきり口に出してやらなければうっかりその選択をとってしまいそうだった。 「俺は今無性にお前をグレゴリオに預けたい気分だがスピカが可哀想なのでやめておく!」 「あ……ありがとうございます?」  何を言われたのかわからないのだろう、ステイが首を傾げる。  だがいい。そんなことはどうでもいい。障害の一つや二つで立ち止まっていたら世界が滅ぶ。  珍しく落ち込んでいるのか、顔色の良くないアメリアに指示を出す。 「よし、アメリア。お前の部屋でミーティングを行う。俺の部屋は新しく取る。この部屋の弁償代はステイの給料から差し引く。何が起こったのかは聞きたくもないから報告しなくていい。質問は?」  指示を受けて、アメリアがよろよろと立ち上がる。そこで、ステイが小さく手を上げた。 「あのー……私、給料とか貰ってないんですが……」 「……ありかないかはともかく、凄い納得した。とりあえずどうして濡れているのかは知らないが、お前はまず着替えるのが先だ」 「あ……は、はい。急いで着替えますッ!」  返事だけはいいステイ。アメリアが次の瞬間、顔色を変えてステイに飛びついてその腕を掴んだ。  しかし、俺ははっきりと見ていた。こいつ――この場で服を脱ごうとしやがった。  止められてもまだステイは何で止められたのかわかっていないかのように目を白黒させている。  なんかもういつもとは別の意味で頭痛い。現実逃避したいが、トップである俺が動揺すればアメリアも動揺する。  俺は深々とため息をつき、なるべく感情を排した声で命令する事しかできなかった。 「可愛くて忠実なアメリアちゃん、そいつの着替えを手伝ってやれ」 「……わかりました」  やっぱりマダムに預けられないな、こいつは……迷惑過ぎる。 page: 90 第六レポート:冷静に考えたらこれ報告でも何でもねえな 「リミスさんが、ですか……」 「まぁ魔術師は体力がないからな。いつかはこうなると思っていた」  教会で新たに得た情報を告げると、アメリアは目を丸くした。  元々、命のやり取りは精神を消耗させる。  ある程度の訓練は受けているはずのアリアや、意味分からないくらい無謀に強い精神を持つ藤堂はともかく、リミスが体調を崩すのは時間の問題だった。  恐らく今までほとんど休みを入れずにやってきたツケが今になってやってきたのだろう。  彼らにストッパーはいない。使命感があるのはけっこうだし、急がなくてはならないのも間違いないが、体調の管理は戦を生業とする者に取って必須だ。命に別状はないだろうし、今回の件は彼らにとっていい薬になる。  病気ではないようだし、恐らく数日も休めば回復するだろう。 「藤堂達はリミスの体調が戻るまでは街から出ないらしい。この隙に次のプランを立てよう。まぁプランと言っても、特に問題が発生しているわけじゃないから出来ることは限られているが……」  俺の言葉にアメリアが小さくため息をついた。若干の呆れ顔だ。 「……そうですね。高所恐怖症でもないみたいですし」  ……どうやらアメリアも同じようなことを考えていたようだ。  まぁ、藤堂達の動向を見ていればそうも思うだろう。 「ゴーレム・バレーの魔導人形の存在力はかなり高い。できればここでぎりぎりまでレベルを上げたいな」 「適性幾つでしたっけ?」 「60まではそれほど時間はかからない。無理をすれば65くらいまでは上げられるな」  ルークス王国はいくつか騎士団の持っている。  その中でも最も強力な戦力に『光輝騎士団』と呼ばれる騎士団があるが、そこの団員の平均レベルは60強らしい。つまり、ここを卒業すれば王国の守りの要として一人前という事だ。  傭兵でも65もレベルがあれば一流とされる。  それ以上のレベルにするには死と隣合わせの更なる過酷な戦闘が必要だ。恐らく、ルークス王国領から出ることになるだろう。 「更に粘れば70までいけるらしいが、かなり時間がかかるから60まで上げたら次の土地に向かうのがいいだろう」  実際、俺がここでレベルを上げた時も60までだった。  アメリアがその言葉に少し考え、俺を見上げて言う。 「私のレベルも上げられますかね?」  アメリアのレベルは55。レベルだけならばこの地は適性だが、正直相性が悪い。  打撃武器は効くがアメリアの細腕でバトルメイスが振り回せるとは思えないし、元々普通の僧侶に魔導人形は厄介だ。  剣士や魔導師をして『硬い』と言わしめる相手だ。存在力が高いのには相応の理由がある。  アメリアの平静とした表情。彼女は間違いなく優秀だが、戦闘能力が高いようには見えなかった。 「メイスは振り回せるか?」 「……恐らく無理かと」 「攻撃魔法は?」 「……ゴーレムに効くような物は使えませんね」  となると、俺がゴーレムを瀕死にまで追いやり、とどめだけアメリアに任せるという形になる。  ゴーレムの弱点は硬い装甲の中心に存在する核だ。核自体はそれほど硬くないので、装甲さえ崩して動けなくすればアメリアでも倒せるが、かなり手間だな。  そもそも、レベル55にもなると一体や二体魔物を倒したところでレベルが上がったりしない。 「……藤堂の様子次第だな。余裕がありそうだったらレベルを上げよう」  できれば上げておきたいところではある。藤堂のレベル上げはここが最後ではない。  アメリアのレベルもそれなりにないと、いざという時に不安だ。  俺の言葉に、アメリアが小さく頷く。その時、隣で椅子の上で膝を抱えて座っていたステイが手を上げた。  ステイはずぶ濡れな法衣ではなく、藍色のワンピースに着替えていた。  どうやらアメリアの私物らしく、サイズがあっていない。どうも予備の法衣は全て洗濯してしまい、着替えがなかったらしい。  確かに洗濯しろとも言ったが、着てもいない服洗濯するなよ。お前は言ったことしかできねーのか。  身長に大きく差があるのでぶかぶかだ。胸元だけがやけにきつそうである。  だが本人は気にしていなさそうだった。余った袖をくたくたやりながら首を傾げる。 「アレスさん、私のレベルは……」 「……72もあれば十分だ。むしろアメリアに分けてやって欲しいくらいだよ」  完全に無駄なレベルだった。逆だったらよかったのに、世も末である。  俺の言葉に、ステイが眼を見開き、笑顔で隣のアメリアの腕をつっついた。 「先輩。レベル、分けてあげましょうか?」 「……どうやって?」  アメリアが眉を顰める。  存在力を分ける技術など存在しない。本当にどうやって分けるつもりなのか。  ステイはしばらく考えていたが、ぽんと小さく手を叩き、はにかむように笑った。 「あ……そっか。レベルって分けられないんでしたっけ。あは」 「……アメリア、煽られてるぞ」 「……残念ながらこれは『素』です」  当のアメリアは怒りを抱いた様子もなく、ただため息をつく。  本当に残念だ。本当に残念だよ、俺は。  どうやって使えばいいのかわからないのがとても残念だ。そもそも、俺が欲しかったのは通信魔法であってレベルは低くても最低限ちゃんとしているメンバーが――。  そこでふと気づき、ステイの方を見た。  対面したインパクトがでかすぎて肝心なことを忘れていた。 「……そういえば、お前、通信魔法……使えるのか?」 「? 勿論使えますが?」  藤堂の眼よりも若干明るい黒の眼が不思議そうな表情で俺を見る。  なるほど……必要最低限の能力は備えているわけだ。  俺がステイを要請したのは、通信魔法を使えるメンバーが欲しかったからだ。  今まではアメリアが側にいないとグレシャに指示を出せなかったので、分かれて行動することがなかなかできなかった。分かれて行動した時も、俺は通信魔法を使えないので、いざという時に俺からアメリアの方に連絡することができなかった。  ステイを連れていればグレシャに随時連絡できるので、俺が藤堂をサポートしている間にアメリアが街で準備することができる。  何かあったらアメリアの方に発信することも出来る。これは途方もないメリットだ。  リスクにばかり目が言ってしまうのは俺の悪い癖だ。ヴェールの森とピュリフでの出来事が尾を引いているのかもしれない。 「なるほど……頭おかしいけどそれなりに使えるわけだ」 「えへへ……よく言われます」  俺の言葉に、ステイが気を悪くした様子もなく微笑む。褒めとらん褒めとらん。  となると、元々アメリアにステイを任せる予定だったが、俺がステイと一緒に行動した方が効率的である。なにせ、アメリアの方がレベルは低いがアメリアは迷子になったりしない。  かなりの精神負荷が予想されるが、使えるものは使った方がいい。人だと思わず、通信機器だと思えばいいのだ。  別れて行動出来るということは、手数が倍になるようなもの。背に腹は変えられない。  アメリアが、何が楽しいのかにこにこしているステイを眺め、憮然としたように言った。 「何か私にとって都合の悪い状況が近づいている気がします」 「気のせいだろ」 「気のせいですよー」  さて、問題はあっちへこっちへふらふらするステイをどう引き連れるかだが。  ……首輪とリードでもつけるか。  ふと思いついた考えにゲンナリする。  見た目だけは整っているステイにリードなんてつけて引き連れたら周りからどう思われるか、考えるまでもないことだ。  効率を取るか倫理を取るか。真剣に迷う俺に、当の本人はふらふらとアメリアにじゃれついていた。 § § §  夢を見ていた。  炎の夢だ。  暗闇の中に煌々と燃える意思ある炎の夢。  暗闇の中にあるのはリミスと炎だけだ。  そこに何気なく指先を伸ばす。その瞬間、リミスは目覚めた。  日は既に落ち、部屋は薄暗い。視界には見覚えのない天井。  状況がわからず混乱するリミスの頬に何か熱いものが当たる。  リミスの契約精霊である小さな火蜥蜴の舌だ。こちらに向けられたその名の由来、石榴石のような眼に、リミスはようやく現状を思い出した。  まだ身体はだるかったが、ゆっくりとその身を起こす。胸の奥で燻る奇妙な感覚に、薄い胸を押さえつける。  荒く息を吐き、自分の額に手の平を当てる。もう熱はだいぶ下がっているようだった。  ガーネットがきいきい鳴きながら腕に上ってくる。それに向けて、小さく声をかける。 「あぁ……思い出したわ。私――『酔った』のね」  リミスの家は精霊魔導師の家系だ。長い年月を掛けて蓄積された精霊魔術の知識は全て直系であるリミスに叩き込まれている。  ぞくりと身体を震わせる。精霊魔導師として優秀な眼を持っているリミスには、一般人には見えない空気中に存在する精霊達の気配を感じ取れる。  精霊とは自然の中でこそ多く存在するもの。大峡谷であるゴーレム・バレーは精霊で満ちていた。  体調を崩した原因は疲労などではない。  いや、疲労によって自身の力が落ちていたのも間違いないが、ゴーレム・バレーを満たす『土の精霊』に対して、身体が反応しすぎてしまったのが原因だ。  俗に言う『精霊酔い』と呼ばれる現象  同属性の精霊と契約を交わしていればそれがシールドになるので、全属性の精霊と契約を交わした一人前の精霊魔導師ならば起こり得ない現象だが、それは、火属性の精霊としか契約を交わしていないリミスは今までも何度か経験した現象だった。  ガーネットがギョロリと宙に視線を彷徨わせる。  リミスはため息をつき、その頭を人差し指で撫でた。 「ガーネット、あまり威嚇しちゃダメよ。ここは土の精霊の住む場所なんだから」  精霊にも格が存在する。空気中に存在する目に見えない精霊は意思が希薄で力も弱いが、威嚇されれば反応するし、加護を持つものが望めば力を貸してくれる。  ガーネットが舌を出し、リミスの身体に登ると、襟元から服の中に潜り込んだ。  軽く身体をねじり、調子を確認する。  まだ身体がだるい。影響が残っている証だ。経験から考えると、完全に体調が戻るには数日はかかるだろう。  病気になったわけではないので動けないこともないが、また力を消耗すれば同じ状態になる可能性が高い。峡谷で戦闘中に倒れてしまえば目も当てられない。そして、それが十分ありえることだというのは、レベルは低くともプロの魔導師であるリミスが一番良く知っている。  ……ナオ達に……謝らないといけないわね  部屋の外から足音が聞こえてくる。  扉が開くのをただぼんやりと見ながら、リミスは小さく頭を振った。 page: 91 幕間その1 アメリア・ノーマンの憂鬱  別にアメリア・ノーマンはステファン・ベロニドの事を嫌ってはいない。  同じ、白魔導師として過ごしてきた時間が長いのもあるし、そもそもステファンの性格は人懐こく、さすがに先輩先輩と慕ってくる者を無碍にするほどアメリアは冷徹ではない。  何よりも、ステファンはアメリアに持っていないものを持っていた。基本的にドジだが学ぶべき所も多く、特にアメリアの持つ社交力の多くはそのステファンから学んだものだ。  だが、人物的な好き嫌いは置いておいて、今この状況に即しているかというと全くもってそれは違うと胸を張って言える。  ステファンは愛らしくそこそこ優秀な面もあるが余り……慎重な性格ではないのだ。  ベッドの中ですやすやと眠るステファンを見ながら、アメリアはクレイオと通信していた。  ピュリフまでは宿泊はアレスと同室だった。宿には三人部屋もあるが、余り寝相が良くないこの少女が何をしでかすかわからなかったので部屋を分けざるを得なかった。  その事実もまたアメリアを脱力させる。 「ステイを殺すつもりですか? クレイオさん」  夜中であるにも拘らず、脳内に響いてくる聖穢卿の声はいつもと変わらない。 『死なない。アメリア、ステイは有能だ。レベルが高く神聖術は強力で魔術まで使える。教会広しと言えどもそれほどの人材はいないだろう』  そんなことは分かっている。数字だけ見ればステファンは類を見ないくらいに優秀なのは分かっている。  アメリアは、軽く舌打ちをして聞き返した。 「性格は?」 『……アメリア、これはアレスの決定だ。私も注意喚起はした』  考えの読みにくい上司が窘めるように言う。  アレスから新規メンバーの話を聞いたその瞬間、アメリアは何がなんだかわからなかった。それくらいに混乱した。アメリアは表情豊かではないが、もしアメリアの内心をその表情筋が正確にあらわしていたら、アレスも唖然としていただろう。  少なくともアメリアの知る限り、ステファンほどこの任務に適していない存在はいない。  だが、冷静に考えてみれば今の状況はおかしな話だ。  白魔導士は確かに貴重だが、何人も存在する。その中にステファンほどレベルの高い者はいないが、ステファンほど不適合な者もまたいない。  そんな人材が偶然アメリアの後釜としてアレスの交換手につき、そして派遣されるような事があるだろうか。  ベッドの中で規則正しい寝息を立てるステファンを見下ろしながら、アメリアが外気にも負けないくらいに冷たい声で言う。 「クレイオさん……わざとやりましたね?」 『何を言っているのかわからんな』 「アレスさんの性格を考えればすぐわかるはずです。私の他にも通信魔法の使い手を求めることも、その候補として次の交換手が一番選ばれる可能性が高いことも。大体、交換手としてステイよりも適性の高い白魔導師はいくらでもいたはずです」  交換手の仕事は難しくない。魔導具を使ってかかってくる通信を、その相手に取り次ぐ。それだけである。  任につくのにそれなりの魔術の才能は必要だが、最低限の才能があればその仕事に大きな差は出ない。  ステイは高い魔術の才能を持ちレベルも高いが、性格上交換手としては余り適切ではない。慌ててしまい取次にラグが出てしまうからだ。  魔王討伐の任――緊急性の高い任務につくアレスの交換手として余り相応しくはない。 「ステイが崖から落ちたらどうするんですか」 『……それをどうにかするのが君の仕事だ。アメリア、君は知らないかもしれないがステイは――その、少々性格に難はあるが、アレスに必要なものを持っている』  元々、クレイオはもったいぶった物言いをするきらいがある。それは枢機卿として常に言葉尻を捉えられる立ち位置にいるせいなのかもしれない。  その言葉に、アメリアは少し沈黙して考えた。  必要なもの……確かに、持っているかもしれない。緊張感をぶち破る能力とか。 「でも、必要ないものも持ってます」 『アメリア、秩序神の加護があらんことを』  厳かな声を最後に通信が切れる。  枢機卿の祝福。それを望む信徒がどれだけいるだろうか。だが、その言葉を受けてアメリアの心に広がったのは得体の知れぬ黒い何かだけだった。  クレイオを呪おうという思いが頭の中に湧き上がってくる。  殺意にかなり近いそれを抑えるアメリアの前で、ふとベッドの上に影が起き上がった。  ステファンだ。胸元まで伸びた黒髪に黒の目。ぼんやりとした表情で、その目がきょろきょろと室内を見渡す。その視線はアメリアを見つけると、にへらと笑みを浮かべた。  一見起きているように見えるが、眠っている。それをアメリアはこれまでの経験から知っていた。  頭を押さえ、相変わらずのステイにため息をついていると、ステファンが覚束ない足取りで立ち上がった。  ワンピースタイプの生地の厚い寝間着はいつもの法衣と異なり踝まで丈があり、ボタンをいくつも外さなければ脱げない様になっている。全てステファンが寝ぼけてしでかした事件を元に試行錯誤して生み出されたステファンの固有装備だ。  ボタンが多いのは寝ぼけて服を脱いだりしないようにで、丈が長いのは寝ぼけて歩きまわった際に転んで目を覚ますようにするため。  ステファンはよろよろと立ち上がると、ふらふらとアメリアの方に歩いてくる。今にも倒れてしまいそうな足取り。  だが、倒れない。 「……ああ。何で貴女は寝ぼけているとなかなか転ばないんですか」 「……むにゃ」  これが起きている時だったら何度も何度も執拗に転んでいたはずだ。わざとじゃないのかと疑ってしまうくらいに転んだはずだ。 「うにゅ……先……輩」  ステファンはふらふらしながらもアメリアの側まで転ぶことなく来ると、諸手を上げてアメリアの方に倒れ込むように抱きついてきた。  アレスだったら避けていただろうが、アメリアは動くこと無くその包容を受けた。  背の高さに反比例して理不尽に大きな胸がむにゅむにゅとアメリアに当たる。寝ぼけているせいか腕に力はないが、全身にかかる柔らかく感触は健在で、アメリアは微睡みの中にいるステファンを見下ろして言った。  先程クレイオに向けていた声よりも冷たい声で。 「それ、アレスさんにやったら殺しますよ」 「……はーい」 「貴女、それ本当に寝てるんですか?」 「にゅう……」  寝言で答えてくるステファン。  絶対に嘘だ。誰が見ても嘘だ。面白くもない冗談だ。  だが、既に交換手として共に働いていた頃にその辺りの検証は全て済んでいる。良くも悪くもステファンは白だった。潔白だった。そもそもエリート僧侶であるステファンは嘘をついたりしないのだ。  絶対にアレスに近づけてはいけない。アメリアは決心を新たに、拳を強く握った。 § § §  俺の言葉に、アメリアはただ一言言った。 「アレスさんは地雷を自ら踏み抜く趣味でもあるんですか?」 「せ……先輩、顔が引きつってますよ?」  アメリアのあけすけな言葉と冷たい表情に、ステイが怯えたように声をかける。  地雷って。後輩の事地雷って……いや、気持ちはわかるけど。  眉を顰め、俺とステイが行動を共にする事の有用性を再度アメリアに説明する。  デメリットは承知の上だ。効率を上げるには仕方ないのだ。  アメリアの顔色は俺の説明を聞いても微塵も変わらなかった。ただ、ため息をつくこともなくもう一度言う。 「アレスさんは地雷を自ら踏み抜く趣味でもあるんですか?」 「私……請われて来たんですけど……」  先輩から地雷呼ばりされ、さすがに堪えたのか、ステイが小動物のような目でアメリアの服の袖を引っ張る。アメリアはそれを無表情で無造作に振りほどいた。 「冷静に考えろ、アメリア。グレゴリオよりはマシだ。グレゴリオは藤堂を殺すがステイは殺さないからな」 「アレスさんって本当にタフですよね……」 「最悪、小脇にかかえていけばいいんだ。幸いなことにステイは身体が小さいし、数十キロくらい持った所で俺の動きは鈍らない」 「アレスさんって本当にタフですよね……」 「両手を使う時……戦闘する時とかは……まぁ、ステイが頑張る」 「……頑張りますよ〜!」  ステイが花開くような笑顔で言う。全然安心できない何故なのだろうか。  アメリアは、その笑顔をまるで魔物でも見るかのような目で見て、もう一度繰り返した。 「アレスさんって本当にタフですよね……」 page: 92 ロック・ゴーレムの憂鬱  黒の金属で出来た巨大な門。それが、ゴーレム・バレー内部への唯一の道だ。  高さ数メートル、一メートル近い厚さの金属製の門はその見た目も相まって地獄への門のようにも見える。  今は、ゴーレム・バレーに挑む傭兵達のために開け放たれているが、夜間は閉じられ厳重に警備がなされる。警備兵は対ゴーレムを想定した部隊であり、レベルも経験も装備も、この地にやってきた歴戦の傭兵に引けをとらない猛者だ。  その門を見上げ、ステイがぴょんぴょんと飛び跳ねる。洗濯していた法衣は乾き、ステイの格好はいつものやたら丈の短いスカートのような法衣だ。飛び跳ねるんじゃねえ!  隣には、ステイと共に行動する事を伝えてから妙に機嫌の悪いアメリアが無表情で門を見上げていた。 「ええ!? こんなの初めて見ました!?」 「ルークスの王都の門もここほど頑丈ではないだろうな」  ルークス王都周辺と比較してゴーレム・バレーの魔物は強すぎる。  王都を囲んでいた壁も硬度がないわけではないし、結界での補強もされていたが純粋な物理攻撃に対する耐性はここほどではない。  アメリアが俺の言葉に小さく補足する。 「無生物系の魔物には結界が効かないですからね……」 「へぇ……結界の効かない魔物なんていたんですね」  教会でその手の勉強しているはずのステイがアメリアの言葉に、感心したよう目を瞬かせた。  術には相性がある。神聖術の一分野、結界術はアンデッドや悪魔を始めとした闇の眷属に対して強い効能を発揮し、その他の魔物に関してもある程度遠ざける効果を持つが、魂なき無生物系の魔物、魔導人形はそれが効かない数少ない存在だった。  この巨大で頑丈な門はその証だ。遠ざけることではなく防ぐことのみを考えた門は世界的に見てもそれほど存在しない。  ゴーレム・バレーはとことんまでに僧侶にとって相性の悪い地なのである。内部に無数の町が存在するのもそれが理由である。結界の効かないゴーレム・バレーで野営するのはリスクが高いのだ。  後ろのステイとアメリアの方を確認し、もう一度念押しする。 「アメリア、ステイの手、ちゃんと掴んでろよ」 「……はい」 「大丈夫ですよ、アレスさん! お任せ下さい」  無意味に自信満々に告げるステイ。その自信が俺の不安に繋がっているのがわからないのだろうか。  視線を向けると、アメリアはため息をついてステイの手をぎゅっと握った。  巨大な門をくぐる。他の傭兵パーティやここに訓練に来たらしい騎士装束の男達が僧侶三人で中に入る俺達を見て目を見開いたが、全て無視して、俺達はゴーレム・バレーに進入した。  ゴーレム・バレーの構造は簡単だ。  崖を歩く外のルートと内部に開いた無数の洞窟を進むルート。どちらも道は狭いが、戦いやすいのは外のルートだとされていた。  洞窟のほとんどの道はファースト・タウンで売っている地図に描かれているが、生息するゴーレムの中には洞窟を掘り進む性質を持つ者が存在し、地図にない洞窟が見つかる事も少なくないし、そもそも磁力を帯びた鉱物が存在するゴーレム・バレーの洞窟では磁石が効かない。道の細い外では巨大なゴーレムが現れないというのも、外の方が戦いやすいとされる理由の一つだ。  今回は、外はステファンにとって鬼門となりそうなので(といっても、中も別に安全ではないのだが)、一番手近な洞窟の中に入る。  ファースト・タウンに近い場所では他の傭兵たちの姿も見られるが、峡谷地帯は広大であり、しばらく歩くとすぐに人気がなくなった。  ごつごつした岩石質の地面は起伏が多く、歩きづらい。ただの平地でも転びやすいステイは何度も躓き倒れそうになり、そのたびにアメリアに引っ張り上げられている。  洞窟の中は薄っすらと光り輝いており、墳墓の中とは異なり光を浮かべる必要はない。  アメリアが洞窟内部を注意深く観察して言う。 「ここがゴーレム・バレーですか。空気中に強い魔力を感じます」 「まぁ、元々そういう土地らしいからな。ゴーレムの動力源は魔力だ。魔力の満ちる土地でもなければ長くは生き延びられない」  ゴーレム・バレーに門が出来る前は、ゴーレム・バレーのゴーレムがその下の平原地帯にまで進出することがあったらしいが、そのほとんどが一月程度で自然に倒れたらしい。  勿論、それまでの過程で何人もの被害が出たらしいが、存在力の高いゴーレムは動くだけでも相応な魔力が必要とされるのだ。  洞窟内に響き渡るのは風の音とステイの躓く音だけだった。  ゴーレム・バレーの洞窟の多くはゴーレムが掘ったもので、自然に出来たものは余り多くない。サイズも、全長二メートルから三メートルのゴーレムを規準に掘られており、三人並んでも十分なだけのスペースがある。  洞窟の探索に光源を必要としないのも、ゴーレムが洞窟を掘り進める上で処置を施しているためらしいが詳細はわからない。  藤堂達はまだファースト・タウンに滞在している。アメリアとステイを連れてゴーレム・バレーに一足先に進入したのは、藤堂達が活動を開始する前に一度ゴーレムを彼女達に見せておいた方がいいと思ったからだ。  アメリアもステイもゴーレムは見たことがあるらしいが、この地のゴーレムは魔導師が作るような精巧なものではない。  既に魔物の生息域に入っているのに、ステイの様子は町中を歩いていた時と変わらなかった。  にこにこしながら手を取ってくれるアメリアに言う。 「えへへ、先輩。なんかピクニックしてる気分ですね」 「……もっと緊張感を持って下さい」  まったくである。  いや、確かにレベル72もあればゴーレム・バレーの殆どの魔物は敵ではないんだが……しかし、なぁ。  洞窟の中の空気は冷たく、乾いていた。  しばらく歩いていると、アメリアが急に立ち止まる。 「強い魔力反応が近づいてきます」 「了解」  俺にはまだわからない。ゴーレムは生き物じゃないので気配というものが希薄なのだ。  逆に魔力で動いているので、魔力を感知できれば遠くからその気配を察知できる。  魔導師は魔力に敏感だ。僧侶が闇の眷属の気配を遠くから感じられるように、魔導師はゴーレムの核の気配を察する事ができる。  その隣のステイもきょろきょろと当たりを見回し、何の気負いもない声で続けた。 「あー、ほんとだ。三体くらいいますね」  その言葉とほぼ同時に、ゴーレムが姿を見せた。  全長3メートル。人型を模したその身体はごつごつした黄土色の岩石で形作られており、目がある場所には黒い石が治まっている。  人と比べて腕が長く、地面につきそうな程に長いその手の先には太い指が五本生えていた。  ロックゴーレムと呼ばれるゴーレムである。表層を覆う岩石はただの岩石ではなく、魔力による強化が成されており、強靭な腕力と高い耐久力を併せ持つ最もポピュラーなゴーレムである。  弱点は水か土の精霊魔術。近接戦闘ならば打撃武器を使うのが好ましいとされているが、聖剣エクスならば装甲も簡単に切り裂けるだろう。魔力の通った岩石は確かに硬いが、藤堂の持つ、万象を切り裂く軍神プルフラス・ラスの加護はこういった結界や魔力障壁を持つ魔物を相手にする上で有利に働く。藤堂にとってロックゴーレムはただの岩くれと変わらない。  目のみがついた頭をこちらに向けてくるロックゴーレムを指差し、アメリア達に解説する。 「ロックゴーレムだ。適正討伐レベルは30から35といったところか」 「……それ、藤堂さんに勝てるんですか?」 「絡め手は使ってこないし、でかくて硬くて力が強いだけの戦い易い部類の魔物だ、何とかなるだろう」  適正討伐レベルは30からだが、倒すだけならばもっとレベルが低くてもいけるし、藤堂達は三人なのだ。安全は担保出来ないがちょうどいいリスクだろう。  腕を伸ばし、アメリアと、「すごーい」とか言ってるステイを下がらせる。それとほぼ同時に、ロックゴーレムが突進してきた。  道は広いが、ロックゴーレム複数体が横に並べる程の広さはない。地面を砕き凄まじい勢いで突き進んでくるロックゴーレム。真上から振り下ろされた腕を一歩左に踏み出し回避する。  地面が砕け、礫が足を打つが攻撃と呼べる程のものでもない。そのままがら空きになった懐にメイスを叩きつけた。  ロックゴーレムの巨体が吹き飛び、その後ろから続いていた二体のゴーレムも巻き込んで壁に叩きつけられる。  轟音に洞窟が震える。恐らく、衝撃で核が壊れたのだろう。ロックゴーレム三体分の存在力が身体に流入してきた。  メイスの底でとんとんと地面を叩き、アメリア達の方を振り返る。補助魔法を掛けるまでもない。 「まぁ、こんなものだ……大した強さじゃないな」 「一撃で三体ですか……イカれてますね」  アメリアが辛辣な言葉を出す。  まぁ、俺のレベルは適正を遙かに超えているのでこの程度出来て当然だ、何の自慢にもならない。 「ロックゴーレムはゴーレムの中では余り硬い方ではないからな」  例によってこの地も深く踏み入れば踏み入る程に強力なゴーレムが出てくる。ロックゴーレムは入門編と言えるだろう。  辛辣なアメリアとは真逆にステイがやたら黄色い声を上げる。 「わー、凄い。アレスさん、格好いいです!」 「……いいからステイは、はぐれないようにだけ注意してろ。意識を散漫にするんじゃない」 「大丈夫ですよ……! ちゃんと先輩の手、掴んでるので!」  アメリアの手を掴み、これみよがしと指を絡めて上にあげてみせるステイ。アメリアは感情がなくなってしまったかのような無表情だがなるほど、先輩後輩の仲というのも本当らしい。  アメリアがステイにある程度慣れているのと同じように、ステイもアメリアにある程度慣れているのだ。冷たい態度のアメリアに対してもステイは全く気にする様子がない。本当にそれでいいのかどうかは神のみぞ知る。  巨大なゴーレムはそれほど強くないが、威圧感がある。ゴーレムと初めて対面する傭兵の中にはそれに呑まれてしまい動きが鈍る者もいるが、ステイとアメリアは大丈夫そうだった。ステイは能天気であるが故に、そしてアメリアはそもそも肝が据わっているのだろう。  藤堂達もこんな感じであっさり適応してくれたらいいんだが。 「後何種類かゴーレムを確認したら町に戻るぞ」  俺の言葉に、アメリアが小さく頷き、ステイが意味不明な歓声をあげた。 page: 93 ステファン・ベロニドに憂鬱  魔導人形。  それは一部の魔導師が扱う、魂の代わりに魔導回路と魔力を消費し行動する人形を指す。  魔導人形を生み出す魔術は現代も残る高度な魔術の一つであり、護衛や助手として多くの高位魔導師が行使している。身体能力が貧弱な傾向がある魔導師にとっての強い味方だ。  不死種などと異なり、魔導人形は怨念や思考を持たない。その存在は、ただその組み込まれた魔導回路にのみ従い動作する。  魔導回路に組み込まれた主には絶対服従であり、その魔力が切れない限り寿命もなくいつまでも動き続ける。魔族と戦う上でも極めて有用な術と呼べるだろう。  だが、どれほど有用な術であっても使い手次第で善悪が決まるものだ。  かつて、まだルークス王国が王国としての形をなしていない頃、『人形遣いの王』と呼ばれる馬鹿がいた。  馬鹿で、しかし同時に天才でもあった。  男は魔導師だった。その二つ名の通り、魔導人形を扱う事には右に出るものはいない、正真正銘の天才だったらしい。そして、変態でもあったらしい。  男は自分の生み出した魔導人形が大好きだった。愛していた。趣味は魔導人形製造で、仕事も魔導人形製造だった。  それだけならば、ただの人形偏愛の男がいたというそれだけの話だっただろう。だが、天才でもあった男は長年に渡り魔導人形を作り続けた末に、一つの新たなシステムを生み出してしまう。  それが、魔導人形を生み出す魔導人形。その手の魔導師の間で『マザー・システム』と呼ばれるシステムである。  男はそれを行使し、自分の愛してやまない魔導人形の楽園を生み出そうとした。本来人に使われるために生み出した魔導人形が自分自身の事を考えて生きる事ができる場所を。  魔導人形は魔導師と異なり、自ら魔力を生成する術を持たない。  男は、空気中の魔力が豊富で、魔導人形の核となる魔石が豊富に眠る峡谷地帯を訪れ、その地に、マザー・システムを組み込んだ複数体の根源を生み落とした。それぞれのマザー・ゴーレムは男の組み込んだシステムに従い魔導人形を生み出し続けた。峡谷地帯に元々存在していた豊富な魔物の殆どは魔導人形によって駆逐され、その地は男のものになった。  男は魔導人形たちに魔導師のメンテナンスを必要とせずに動作し続けるためのシステムを組み込んだ。  自衛のシステム。消耗した魔力を空気中から吸収するシステム。並大抵の魔導師ならばそれでも途中で無理が出たことだろう。それはもはや生命の模倣で、神の所業に近い。だが、男は紛れもなく魔導人形製造に関しては卓越した天才だった。  何年もの年が過ぎ、術者が死んでからも、魔導人形たちは動くのをやめなかった。何十年も、何百年過ぎても止まらなかった。  ルークス王国の調査隊が峡谷地帯に踏み入ったその時にもまだ止まっていなかった。  男の生み出した魔導人形のシステムには人間に対する攻撃の抑制が含まれていなかった。それどころか、辺りを制圧し次第その領土を広げる侵略のシステムが組み込まれていた。  自動で生み出された魔導人形たちは魔導人形製造の天才が設計したシステムとボディを持って生まれてくるため、総じて多くの存在力を有していた。  故に、王国はその地を危険地帯であると同時に有用な土地と認定し、魔導人形たちが自由自在に跋扈するこの峡谷地帯は現在、こう呼ばれている。 『魔導人形の谷』と。  ゴーレム・バレーに存在する無数の道や洞窟はゴーレム達が生み出したものだ。幸いなのは、生み出された多種多様なゴーレムの大部分が人工物の破壊に対して制限がかかっていた事だろう。それはゴーレム社会の秩序を保つために組み込まれた機構だったのだろうが、そのお陰でたった一枚の門で町が保たれている。  かつて、その魔導師が何を考えていたのかもはや知る術はないが、人形への愛がこうしてレベルアップのフィールドを生み出してしまうとは皮肉としか言いようがない。  ファースト・タウン周辺で一通りのゴーレムと戦い、手応えを確認する。  ゴーレムはここでもなければ野生で出てくる魔物ではないので戦うのも久しぶりだったが、特に問題ない。適当な所で切り上げ、町に戻る。  自分より大きなゴーレムが暴れまわっているというのに、終始はしゃいだ様子を崩さなかったステイが頬を紅潮させて息を弾ませる。  アメリアがずっと手を掴んでいたので手首が若干赤くなっているが、気にした様子もない。  スキップのような浮かれた足取りで接近して俺を見上げる。 「凄い! アレスさんって強かったんですね!」  黒の瞳はきらきら輝いており、どこかスピカのことを思い出すが、ステイはスピカとは違って僧侶として修練をつんでいるはずであり、端的に言うならばもう少し落ち着きを持って欲しい。  恐らく褒めてくれているんだろうが、今後の事を考えると力が抜けてしまう。  だが、ステイの能力は役に立つ。ゴーレムの場所を察知する能力に通信魔法。どちらも俺が持っていない物だ。俺はステイを使って藤堂のサポートをやり遂げてみせる。  決意を新たにしていると、ステイが何を感じ取ったのか満面の笑みを浮かべる。この性格の差、よくもまぁアメリアと気が合うものである。  そんなことを考えていると、アメリアがちょんちょんと肩をたたいてきた。眉を顰めて深刻そうな表情で聞いてくる。 「アレスさん、私もステイみたいにした方がいいですか?」 「どういう意図で聞いているのかわからないが、絶対にやめてくれ」 「そうですか……」  何故か少しだけ残念そうなアメリア。  一人でも持て余しそうで怖いのに、アメリアまであっぱーになったら俺は……どうすればいいんだ。  必要十分なだけの能力を確かめ、町に戻った時にはすっかり日が暮れていた。  ステイとアメリアを連れて教会に向かう。マダムに顔合わせをさせるためだ。  マダムの王国での力は絶大だ。俺のいない時――万が一にコンタクトがとれなくなった際にその力は役に立つだろうとか色々思惑はあるが、一番の理由は仲間を連れてこいとマダムに言われたからだったりする。  世話になっているので無碍にも出来ない。  昼間とは違い、教会の前には余り人がいなかった。裏から回ると、扉の前に半巨人のウルツが立って待っていた。  跪いている時点でも巨大だったが、両足で立っていると輪をかけて大きく見える。彼からすれば俺など子供みたいだろう。  純粋な人間ではない人種を亜人と呼ぶが、王国では亜人は珍しい。中でも巨人種は特にその身体の大きさから人の住む町では不便を強いられる事も多く、混血とはいえ町中で出会うことは滅多にない。  といっても、彼は彼で寡黙だが頼りになる。ウルツはこの教会における力仕事を担当しており、同時にマダムの護衛でもある。場合によっては町で活動するアメリアのサポートを頼めるはずだ。粗暴な傭兵であっても、生来人を大きく越えた体力と膂力を持つ半巨人を軽く見る事はない。  目を丸くするアメリア。 「ほえー。おっきーです……」  気の抜けるようなステイの声。自分の身長の倍はある厳つい男を前にしても、ステイの表情は何一つ変わらなかった。アメリアでも少しは表情が変わるのに、物怖じしないステイの性質は割とメリットになるかもしれない。  ウルツはそちらに視線をちらりと向けたが、直ぐに俺の方に向き直った。  目を合わせるようにして膝を落とす。澄んだ茶色の虹彩が俺を見下ろしている。 「マダムがお待ちだ」  案内されたのは先日も訪れたマダムの居室だった。  シスターの部屋とは思えない無骨な家具。ガラス棚にはどこから手に入れたのか、無数の酒瓶が並び、壁にはかつてここを訪れたのであろう、傭兵の写真が何枚もピンで止められている。  中には見覚えのある異端殲滅教会のメンバーの写真もあるし、若かりし頃のクレイオが写っている物もある。それは恐らく、カリーナ・キャップというシスターが積み上げてきた歴史そのものなのだろう。  マダムはいつも通り、椅子に深く腰を掛けていた。左手薬指の白の指輪――僧侶の証を擦りながら、その視線を俺と後ろの二人に向ける。  アメリアがその見た目不相応に鋭い視線に一瞬眉を顰める。 「よく来たね、アレスや。それが今のあんたの仲間かい」 「ああ。アメリア・ノーマンとステファン・ベロニドだ」 「くっくっく、女二人連れて任務とは、随分といい身分になったもんだ」  本当に、最近では藤堂を女好き呼ばわりしてはいられないと思い始めているが、藤堂と接触させる可能性がある以上この選択肢は正しいのだろう。  力仕事が出来るメンバーもいずれは欲しいところだが――。  考え込んでいると、俺の反応がつまらなかったのか、マダムは気が削がれたかのように鼻をならした。皮肉好きな所はマダムの数少ない欠点でもあるが、俺は既にスルーできるようになっている。  二人でいる時は坊や呼ばわりしてくるのに、今してこないのは俺の部下がいるからだろう、なんだかんだ気を使っているのだ。  しかし、アメリアはマダムのその言い方に少し思う所があったのか、頬を強張らせたが直ぐに一歩前に出た。  そのまま、法衣の裾を摘んで優雅にお辞儀をする。無表情じゃなければ完璧だ。 「アメリア・ノーマンです。マダム・カリーナ、お噂は……かねがね」 「ああ……聖穢卿から話しは聞いているよ」  一体どんな話を聞いているというのか。ちょっと気になったが、マダムは詳しくは語らなかった。  ただ、うんうんと二度三度頷き、嗄れた、しかし慈愛を感じさせる声で言う。 「その子を助けてやっておくれ。いくらレベルが高くたって、この世にはどうにもままならぬ事があるもんだ」 「……それが、私の仕事なので」  そっけない様子でアメリアが答える。  その後ろから、レベルが高いがままならないステイが浮足立った足取りでアメリアの隣に立った。アメリアもたまに状況を弁えない事もあるが、あからさまに偉そうなマダムの前でそんな浮かれた様子を取れるのは純粋に凄いと思う。  そして、ステイが頭が腹につきそうなくらいに深々とお辞儀をした。  その瞬間、立ち止まっていたはずなのに大きくよろけ、そのまま数歩つんのめってマダムの上に倒れ込む。  思わず唖然としてしまう。アメリアも呆気にとられている。どうなってんだよ。  マダムは特に気にした様子もなく倒れ込んできたステイをキャッチする。  ステイがマダムの膝の上に倒れ込んだまま呟いた。 「……ステファンです」  違うだろ! まずすべきは膝の上からどけることだろッ!  ステイをどかそうと前に出たその時、マダムが深々とため息をつき、呆れたように言った。 「……ステイ。あんたは全く変わらないねぇ」 「マダム……まさか知り合いなのか?」  旧知の者に対する言葉。マダムがその指で倒れたままのステイの髪を梳く。その光景は一見、祖母と孫娘であるかのように見える。  アメリアも知らなかったのか、目を瞬かせていた。  確かに、ステイのレベルだったらゴーレム・バレーでのレベル上げを経験していてもおかしくない。ゴーレムを見て物怖じしなかったのも納得がいく。普段の行いから無意識の内にその可能性を排除していたが……。  やるせない思いでいっぱいの俺に、マダムが予想外の事を言った。 「アレス。この子は……あんたも知ってるベロニドの娘だよ」 「ベロ……ニド……」  そう言えば、クレイオも言っていた。ベロニドの姓に聞き覚えはないか、と。  聞き流していたが冷静に考えて72レベルというのは尋常ではないし、上位の神聖術を使えるというのも――。  ステイが起き上がり、涙目で額をこすっている。ある意味頭おかしいシスターを観察しながら必死に心当たりを探す俺の耳元で、アメリアが囁く。 「アレスさん。ベロニドです。ステイは……かのシルヴェスタ・ベロニドの娘です……クレイオさんから聞いているとばかり思っていたのですが……」 「シル……ヴェスタって……」  そこまで言われ、ようやく思い当たる。俺は確かにその瞬間、自分の血の気の引く音を聞いた。  アメリアがダメ押しするかのように言ってくる。 「アズ・グリード神聖教会の枢機卿の一人。シルヴェスタ・ベロニドの娘です」  馬鹿な……教会には碌な人材がいないのか。勘弁してくれ。  俺は脳内に湧き上がった激しい疑問の全てを封じ込め、頭痛も胃痛にも気づかない振りをして、とりあえずクレイオにクレームを入れる事にした。 page: 94 英雄の唄C 「……これを修理するのは難しいな……」  罅の入った藤堂の盾――『輝きの盾』を見下ろし、短く髪を刈り込んだ壮年の男――鍛冶師が眉を顰めて言った。  武器は消耗品だ。アリア達の持っている武器防具のクラスになると頻繁なメンテナンスや買い替えなどは必要ないが、一般の傭兵にとって武器の製造やメンテナンスを行う鍛冶師と、それと組んで商売を行う武器屋は最も関係の深い店の一つである。  聖勇者に与えられた武器防具はルークスに伝わる元勇者の装備だ。  アリアやリミスの装備もそれぞれが厳選された代物であり、たとえ一流の傭兵だったとしても早々手に入れられるようなものではない。  だからヴェールの村でもピュリフでも武器屋には訪れなかったが、今回改めて武器屋を訪れたのは装備の修理を依頼するためだった。  男が装飾のなされた藍色の盾の表面を金槌で軽く打ち付けている。  かんかんという甲高い音を、少し離れた所で藤堂が観察していた。  藤堂が王国から与えられた盾は『金剛青石』と呼ばれる特殊合金で誂えられた一品だ。  聖剣エクスや聖鎧フリードとは異なりその盾だけは前勇者の使った装備ではなかったが、それでもブルーメタルは物理衝撃にも魔術的な攻撃にも高い耐性を持つ金属であり、一流の傭兵の装備の素材として知られていた。  竜のブレスですら防げると説明を受けていた盾。あらゆる攻撃を傷一つ作らず乗り切っていた盾が、今ではその全面に細かい罅が入っている。  まだ完全に壊れていると呼べる程ではなかったし、実際に罅が入った後に墳墓で何度か攻撃を受けて確認してみて破砕する気配はなかったが、戦場において武器防具を常に万端にするのは戦士の間では常識であり、罅の入っている装備を使い続けるなどありえない。リミスの復調を待つ間に盾を修理しようという話になったのは至極当然の話だった。  男が苦手な藤堂の代わりに、武器防具の知識にも詳しいアリアが鍛冶師に返す。 「それはもう修理の余地がないという事か? ならば代用品を買いたいのだが」  藤堂の剣術は基本的に盾の使用を想定としている。  盾がない状態では立ち回りも勝手が異なってくるし、適当に剣を振るならばともかく、今から新たな剣術を覚えるのは難しい。  少しだけ、アリアの頭に剣術の流派を変えた際の苦労が浮かぶ。  目を細め、無意識のうちに苦い表情を浮かべるアリアに鍛冶師が小さくため息をついた。  盾を握った拳の甲でこんこんと叩く。 「いや、修理の余地がねえわけじゃねえ。あんた、この盾どこで手に入れたんだ? 金剛青石は聖銀や金剛神石には一歩劣るが、相当な貴重品だ。ここにゃ材料もないし、そもそも取り扱えるだけの設備がねえ。おまけに、この盾――成形にあたり高位の魔法が組み込まれていた形跡がある。もう術式が完全に破壊されちゃいるが、これを完全な状態に戻すには鍛冶師の他にも専門の技術を学んだ魔導師が必要だ」  その言葉に、アリアの後ろで壁に飾られていた武具の類をちらちら見ていた藤堂の表情がわずかに暗くなる。  恐らく、短い期間とはいえ自らの慣れ親しんだ盾を修理するのが難しいと言われて不安なのだろう。  アリアは一度こほんと咳払いして、 「どこに持っていけば修理出来るだろうか?」 「修理するくらいなら新しく買ったほうがいい。この盾を売ってくれた鍛冶師に頼めよ。少なくとも、うちじゃ……こんな場所じゃ作れねえな」  盾に入った無数の罅は全面に広がっており、一種の装飾のようにも見えた。  技術者としてのプライドがあるのだろう。少しだけぶっきらぼうに答えると、訝しげな表情を作りアリアを見上げる。 「あんた、何と戦ったんだ?  金剛青石は斬撃、打撃、魔法からブレスまであらゆる攻撃を防ぐ素材だ、そう簡単に傷ついたりしねえ。おまけにこいつには硬度を高める付与魔法、攻撃に対する結界までかけられていやがった。ここのゴーレムの攻撃を正面から受け止めても傷ついたりはしねえはずだ」 「……まぁ、色々あって……」  まさか僧侶と戦ったというわけにもいかず、アリアが言葉を濁す。  元々、藤堂の盾はアリアの家に眠っていた物、リザース家に代々伝わる防具の一つだ。そのスペックは旅を始める前に大体頭に入っている。  だからこそ、信じられなかった。輝きの盾は幾度もの戦を経て傷ひとつつかなかった一品である。傷つくだけならばともかく、魔術的な補強の成された盾の全面に罅が入るなど早々あることではない。ましてやそれをやったのが僧侶だなど、誰が予想出来るだろうか。  盾に罅が入ったと聞いた瞬間にアリアの中に訪れたのは安堵だった。もしも盾がもう少し悪い物だったら、もしも盾を出すのが遅れていたら、盾の代わりにばらばらになっていたのは間違いなく藤堂本人だっただろう。  鍛冶師が壁に掛けられた盾を指差す。ファースト・タウンの傭兵のレベルは高く、それだけ金も持っている。そこに並んだ盾は数々の貴重な武具を見てきたアリアの目から見ても決して悪い物ではない。  だが、鍛冶師の声は余り明るいものではない。 「うちにも盾は幾つもあるが、ブルーメタル以上の物は正直……ない」 「既に罅が入ってるんだが……」 「罅が入っていても、だ」  返された盾を受け取り、藤堂に渡す。手慣れた様子でそれを握る藤堂の姿は以前よりも様になっていた。 「ブルーメタルは硬くて軽い。罅は入っているし魔術的な補助も既に働いていないが、余程力がかからない限りこれ以上壊れたりはしないだろう。なるべく早く王都なり大都市に行って修理するんだな」 「……わかった。だが、一応予備の盾を見てもいいだろうか」  本来、重い武器や防具を複数持ち歩くのは難しいが、収納の魔導具を持っているアリア達ならばそのデメリットも緩和できる。アリアの言葉に、鍛冶師の男は物好きでも見るような目をして一言だけ返した。 「好きに見ていけ。値段は側に書いてある」  藤堂と一緒に、アリアが一つ一つ盾を検分する。  武器屋の品揃えは武器メインで、盾は数える程しかない。これは、ゴーレム・バレーでレベルを上げる傭兵のほとんどが盾を扱わない事に起因する。  そもそも、魔導師は盾を使わないし、剣士についても、盾術をその剣術の一部に組み込んだプラーミャ流正統剣術を扱う傭兵は少ない。  危険なフィールドを駆け巡る傭兵は攻撃力と身軽さ、継戦能力を重視する傾向があり、守りを重視する騎士とは勝手が異なる。  ゴーレム・バレーには騎士もレベルを上げに来るが、国に所属する騎士の防具は国から与えられた物だ。武器屋での盾の需要は低く、自ずと選択肢も少なくなった。  そして藤堂の選択肢は更に少なくなる。  以前まで使っていた輝きの盾と同じくらいの大きさの盾を壁から下ろし、手に持ってみた藤堂が低く唸る。 「……重いね」  軽く二、三度上下に動かして見せるが、確かにその動きには輝きの盾を操った時と比べ差が見えた。 「金剛青石は聖銀ほどではなくても、かなり軽いですからね……」 「うーん……戦闘中にのみ取り出すにしても慣れるには結構時間が必要そうかな……」  ただでさえ藤堂の筋力は高くないし、体力も男の傭兵程ではない。今藤堂がまともに動けているのは才覚もあるが、装備が軽いものばかりであるのも大きい。  分厚い黒の盾は確かに頑丈そうだが、受け取ってみたアリアもまた僅かに眉を顰める。  元々プラーミャ流剣術をやっていたアリアからしてもその盾はやや重めだった。 「ゴーレムは攻撃が『重い』らしいのでこのくらいの厚さが必要なのでしょう」 「レベルが上がれば軽くなるのかな?」 「多少は緩和されるかと思いますが……」  レベルアップは強力な成長だが万能ではない。元々伸びやすいステータスはより伸びるし、伸びにくいステータスは余り伸びない。  女性である藤堂の上昇幅が高いのは魔力と瞬発力などの敏捷性であり、盾を持つのに必要な筋力や体力の伸びはそれほど大きくないはずだ。  首を傾げながら二、三度盾を振る藤堂。一応持てるようだが、感覚が違うのだろう。  それを横目に他の盾を検分してみるが、他にあるのは身体全体をすっぽり隠せるようなタワーシールドや直径三十センチ程の小盾くらいで、ちょうど良さそうな盾はない。もしもあったとしても、ブルーメタルやミスリルでもなければ、盾の重さは頑丈さに比例するものだ。 「……やはり今の盾を使い続けるしかないでしょう。王都に戻れば修理の目処も立つはずです」 「まぁとりあえずこれ買っていこうか……備えあれば憂いなしとも言うし――うげぇッ……高っ!?」  藤堂がその値段を見て苦しげな声をだす。  アリア達には魔王討伐の準備金としてルークス金貨を千枚……武器防具や旅装などの旅に必要な道具の他に一千万ルクスが与えられていたが、その盾の値段には百万ルクスという値が付けられている。  その声を聞き取ったのか、鍛冶師が射殺すような目つきで睨みつけてくる。藤堂は苦々しい笑みを浮かべもう一度値札に視線を向けた。 「盾は需要が少ないのでどうしても値段が高めになるのでしょう。といっても……武器程ではありませんが」  そもそも武器防具の値段は生活用品と比較し遙かに高い。藤堂の持つ聖剣エクスは勿論、アリアに与えられた魔剣ライトニングハウルだっていくら金貨を積んでも購入できるような物ではない。 「でも、ただの金属の盾なのに……」  アリアの言葉に納得いかなそうに呟いた藤堂の声。それを聞き取り、鍛冶師が威圧するように笑った。 「ただの金属の盾じゃねえ。てめえの命を守る金属の盾だ」  ここ数ヶ月で少しずつ資金を切り崩しながら進んでいるアリア達にとってその価格は簡単に出せるものではない。  だが、男の言う言葉も尤もである。アリア達は負けるわけにはいかないのだ。節約して死んでしまえば元も子もない。  眉をハの字にして唸る藤堂。ふとその時、後ろからアリア達を呼ぶ声がした。 「ちょっと、きて。ナオ、アリア!」  リミスの声だ。藤堂と顔を見合わせると、一度盾を元に戻し声のもとに向かう。  一度倒れてしまったリミスだが、一晩寝たことである程度体力を回復し、歩けるくらいにはなっていた。万全を期して数日の休みを取ることにしたが、倒れた原因も分かっているし復調するのは遠くないだろう。  本来ならば宿で休むのがいいのだが、ずっと篭っているのも暇だからとついてきてしまったのだ。  リミスはグレシャと共に武器の置いているコーナーにいた。  剣を除いた近接戦闘職の武器が立ち並んだコーナーだ。槍や手甲、手斧など、傭兵の間では余り使用されない武器が並んでいる。 「魔導師の武器を見るんじゃなかったのか?」 「ええ……いや、そっちはもう見たわ。それよりもこれを見て」  リミスが壁に飾られた武器を指す。  そこにあったのは一つの巨大な武器だった。  黒の金属で出来た太い柄はリミスの手首程の太さもあり、長さはリミスの身長程もある。だが、それ以上に目につくのは柄の先についた頭だ。横一メートル、縦五十センチ程の金属の箱には飾り気がなく、ただただ重厚そうな雰囲気だけが出ていた。  大きさもあり、その無骨な見た目もあり、並んだ武器の中でも一際異彩を放っている。 「戦鎚だな。しかし一般的な物と比べると随分大きい。ゴーレム用の武器か?」  アリアが目を見開き、品評する。  騎士でも傭兵でも余り使わない武器だ。どちらかというと、刃物を持てない僧侶などが使う事が多いが、目の前にあるもの程大きな物は見たことがない。  ここまで巨大だと取り回しも難しいし、鎚頭が重すぎてバランスも悪い。上手く扱うには先程持った盾に必要とされるものと比べ物にならないくらいの膂力が必要だろう。そしてそれほどの力があればもっと有用な武器が使える。  明らかに実用性に乏しい武器だ。恐らく買う者がおらず長く並んでいたのだろう、その大きさに反して側に付けられた値札に書かれた数字も周囲の武器の値段と比較してだいぶ安い。 「へー、こんな武器もあるんだね……で、これがどうしたのさ?」  藤堂がアリアの内心を代弁する。武器についてあまり知識を持たないリミスでも自分がこれを扱えるかどうかくらいはわかるだろう。  視線を下に落とすと、昨日単独で外に出てしばらくして帰ってきてからどこか機嫌の悪そうな表情のグレシャが戦鎚を見上げていた。  リミスが何気ない動作でその頭に手を乗せ、撫でながら言う。リミス自身もどこか不思議なものでも見たかのような表情だ。 「この子がこれ欲しいって」  予想外の言葉。思わずグレシャの方をもう一度見る。その様子は全く以前から変わっていない。アリア達に懐いているわけでもなければ、自己主張するわけでもない。何故かついてきたいと言ってついてきてしまった謎の少女だ。  信じられずに、もう一度リミスに聞き返す。 「……え? グレシャがか?」 「……ええ」 「……これは食べ物じゃないんだぞ?」  大体、目の前に並べられたウォーハンマーはぱっと見た限り、グレシャよりも大きい。もしも食べ物だったとしてもさすがに食べきれないだろう。  そんな事を考えるアリアに、グレシャがその深緑の目を向ける。無垢というには感情の見えなさすぎる表情で小さな声で、しかし、どこか途方もない感情を押し殺したような声で言った。 「私も……たたかう」 page: 95 第二報告 藤堂一行の戦力向上について 第七レポート:藤堂達の戦力について  魔導人形と一口に言ってもその種類は多岐にわたる。  俺が腕試しに倒したロックゴーレムを始めとしたパワーに特化したタイプ。  繊細な操作が可能な長い四肢を持つスピードに特化したタイプ。はたまた硬い装甲を持つ防御に特化したタイプに、炎を噴出して攻撃してくるタイプ。  全てのゴーレムの生みの親、マザーゴーレムは環境に応じてゴーレムを発展させてきた。そのどれもがこの地で戦う事に特化した恐るべき兵器だ。  ゴーレムの種類の豊富さもまたゴーレム・バレー攻略の難易度を上げている一つの要因であり、ここをクリアできれば大きくレベルを上げられると言われている理由でもあった。  恐らくその事を知っているのだろう、遙か眼下、崖を歩く藤堂達の表情には緊張があった。  編成は藤堂を先頭に、眉間に皺を寄せた表情のアリア、復調したリミス、仏頂面のグレシャと続く。いつもと異なるのは、グレシャの背中にやたらでかい金属の鎚が背負われている事だろう。  どうやら交渉がだいぶ効いたようで、いざという時は戦うために武器を買ってもらったらしい。鎚は酷く使いこなすのが難しい武器だ。リーチは短く取り回しも困難で重量もある。果たして亜竜にその武器が使いこなせるのかどうかは知らないが、俺はひとまず静観することにした。  やる気があるのはいい事だ。 「うぅ……ここ、風が強いですねぇ……」 「……」  ゴーレムは強力だ。藤堂達のレベルは適性レベルを遙かに下回っているし、本当に倒せるのか確認する必要がある。  俺は、藤堂が進む道の一つ上。頭上十数メートルの崖の上から藤堂達の様子を観察していた。  洞窟に入られると観察する手段が限られてしまうのだが、ゴーレム・バレーの魔物は外よりも中の方が強い事で知られているので、そこそこ慎重なアリアがいれば相手の戦力を確認するまで中に侵入したりしないだろう。  藤堂の動きに応じて、俺もまた重い荷物を引きながら先に進む。 「いたッ……あ、アレスさん。痛いんですが……」  「……」  神経を研ぎ澄ませる。藤堂の様子を観察すると同時に、俺が進む道も決して安全な道ではない。  道は細いし、ゴーレムがどこから襲いかかってくるかわからない。視界は良好だがゴーレムの中には短時間だが空を飛ぶ種もいるし、切り立った壁の上から転がり落ちてきて襲いかかってくる可能性だってある。ゴーレムは外敵を排除する事に余念がないし、魔獣などと違って彼我の実力差を感じて退いたりもしない。  そして何より―― 「あ、そうだ。しりとりでもしますか?」 「……」  しっかり手を引かれていたステイが無駄に明るい表情で提案してくる。  それ流行ってんのか!? しねーよ! 「残念です」 「俺はお前が残念だよ」  正真正銘の本音に何を感じたのか、ステイがにへーっと笑顔を浮かべた。 「よく言われます」 「そうだろうなッ!」  藤堂達の観察に魔物の警戒にステイの警戒。一つならばともかく、三つもとなると激しく精神を削られる。  ましてや、優先度こそ違っても三つとも放っておけるようなものでもない。  手を握られたまま、ステイが距離を詰めてくる。まるで慰めるように俺の顔を見上げて言った。 「頑張りましょう。ね? アレスさん。ね?」 「……頑張れ」  絶対に……絶対に手を離してはならない。  徐々に馴れ馴れしくなってきているような気がするステイを見下ろしながら、俺は改めてそれを心に刻み込んだ。  シルヴェスタ・ベロニド。  このルークス国内でその男の名を知らない者は恐らくいないだろう。  それはルークス出身の商人の名であり、僧侶に転向してアズ・グリード教会最高幹部――枢機卿にまで成り上がった男の名でもある。  俺はルークス出身ではないし、あまり教会の組織体系について詳しいわけでもないが、それでもその男の名前くらいは知っていた。ステイと全く結びつかなかっただけで。  曰く、枢機卿の中で最も僧侶として相応しくない男であり、しかし同時に教会にいなくてはならない存在、と。  俺の上司、クレイオ・エイメンの役割が教会戦力の統括であるのならば、シルヴェスタは教会の財務を管理する最高責任者だ。  俺が僧侶になるずっと前の話だが、大国ルークスでも屈指の大商人だったその男は僧侶に転向すると、清貧を尊ぶが故に経済観念が薄い者が多かった教会内部で瞬く間に頭角を現したという。  いくら僧侶だなどと言っても、金がなければ信仰は保てない。法衣もメイスも経典も、その何もかもにはコストがかかっている。  シルヴェスタは信仰で成り立つ教会に商業主義の側面を組み込む事に成功し、それまではあまり良好ではなかった教会の財政を立て直した。  主に寄付で活動が成り立っていたアズ・グリード神聖教会に他の金銭獲得の道を築き、その活動を活発化させたのはシルヴェスタの商人として培われた鋭い嗅覚と広いネットワーク故であり、教会内部では好かれてはいないしいい噂も聞かないが、影響力はかなり大きい。  そんな人物とステファン・ベロニドがどうして結びつこうか。  だが、事実らしかった。親子らしかった。  シルヴェスタはもう老年だったはずだ。親子にしては年齢が合わない気もするが、アメリアもクレイオもそういう事は初めに言うべきだと思う。後自分でも自己紹介でちゃんと説明するべきだと思う。  大体、あり得ない。世界最大宗派の最高幹部の娘ともなればその命の価値はアリアやリミスを越える。俺の精神衛生のためにも、断じて魔王討伐の旅に参加させていいような女ではない。ましてや色々頭のネジが吹っ飛んでいるのだから。  すぐさま通信をつなぎ、上司にクレームを入れた俺に返ってきた言葉は辛辣なものだった。  ――アレス。ステイは可哀想な娘なのだ。シルヴェスタも匙を投げている。  クレイオから掛けられた慈愛に満ちた声。  つまり、なんてことはない。皆が投げ出した匙が巡り巡って俺の手に収まった、ただそれだけの事だったのだ。アメリアも文句を言うはずである。  ――まぁ、彼女にもいいところはある。シルヴェスタも承知の上だ、アレス、君ならばうまく彼女を扱える事を私は……確信している。  クレイオから授かったとてもありがたい言葉が頭の中でリフレインして、昨日は寝付けなかった。  結局、ただでさえ無駄にスペック高いのに変な付加価値までついてしまったステイをどうするのか迷った結果、他にいい方法を思いつくまで俺の側においておく事にした。アメリアと町で待機させるという案も考えたのだが、アメリアにはアメリアで色々やってもらう事があるのだ。  どうせならば、最悪抱えて持ち運べる俺が負担を負ったほうが効率がいい。  幸いな事に、色々匙を投げられたステイもずっと手を掴んで歩けば迷ったりはぐれたり崖から落ちたりしないらしい。今のところ大きな問題などは起こっていなかった。たとえステイが足を踏み外して落ちかけたとしても、俺のレベルならばそれに引きずられたりしない。  片手が塞がってしまうが、ゴーレム・バレーの魔物程度ならば片手で十分だ。 「あのー……アレスさん? もう手を離しても大丈夫ですよ? 気をつけるので」 「駄目だ」  恐らく純粋な善意なのだろう。身の程知らずな事をほざくステイの言葉を一刀両断しながら、藤堂の追跡を続ける。  左手でステイの手を引きながら右手でメイスを振るい、時折現れる魔物を粉砕していく。 「アレスさんは心配性ですね〜」 「黙れ」  頼むから黙ってくれ。緊張感が続かないから。  藤堂達の通る道は俺達が進む道とは異なり、ファースト・タウンから出た傭兵の大部分が通る道だ。  ゴーレム側も警戒しているのか、なかなか魔物が出現しなかったが、しばらくステイの要請を却下しながら歩いていると藤堂達の進行方向からゴーレムが姿を見せた。  ステイがそのゴーレムを見て何故か少し嬉しそうに呟く。 「あ……可愛い」  どこがだよ。  現れたのは人の頭程の大きさの魔導人形だった。数は三体。  一見、ボールに四肢が生えているような形をしているゴーレムだ。  耐久やパワーよりもスピードに特化した型であり、四肢に生えた鋭い鉤爪で絶壁を自在に登る事が可能。  五匹から十匹程度の単位で行動するゴーレムであり、巷ではその見た目からボール・ゴーレムなどと呼ばれる種だった。  その身体は軽く、空を飛ぶことはできないので、崖下に弾き落としてしまえば数を減らせるが、それでは存在力が入らない。レベル上げのために倒すには多少コツがいる魔物である。  藤堂の場所からその進行方向まで俯瞰する俺に遅れる事数秒、藤堂達がボール・ゴーレムの接近に気づいた。  藤堂が罅の入りかけた盾を取り出し、剣を抜く。アリアが一歩前に出て藤堂に並ぶ。どうやらとりあえずグレシャには手を出させないつもりらしい。  そして、戦闘が始まった。  ボール・ゴーレムは機動力は高いが、強さとしてはゴーレムの中で下位に位置する。  なにせ身体が鉱石で出来ているのでそれなりに硬いが、聖剣エクスならばその装甲を貫く事も難しくないだろう。数が多いのだけが多少懸念ではあるが、冷静に対処すれば問題はないはずだ。  跳ねるように飛びかかってくる一体のボール・ゴーレムを藤堂が盾で受け止める。  その衝撃に藤堂の身体の軸が僅かに揺らぎ、しかし直ぐに踏ん張り直した。受け止めたボール・ゴーレムに対して聖剣が振るわれる。しかし、それが当たる寸前にボールゴーレムは盾を足場にして大きく飛び退った。  聖剣が空を斬る。その隙に斜め右下から飛びかかってきた別のボール・ゴーレムの前にアリアが立ちはだかる。  魔剣ライトニングハウルがその銘の通りの、雷光のような剣閃を描きボール・ゴーレムを正面から打ち据える。鋭い金属音が峡谷に響き渡った。 「がんばれー、がんばれー!」  打ち付けられたボール・ゴーレムが地面に叩きつけられ大きくバウンドする。刃は確かにゴーレムを正面から捉えていたが、その装甲には見てわかる程の傷ができていたが――まだ殺せていない。  地面をバウンドしたボール・ゴーレムはそのまま道の外に弾き飛ばされ、崖下に落ちていった。  これじゃ存在力が入らない。 「がんばれー、がんばれー!」  盾を足場に退いたゴーレムに、最後に残ったゴーレムが体当たりをかける。次の瞬間、ぶつかったゴーレムを足場にゴーレムが急加速をかける。群れを作るゴーレムにはこういった連携する機能が搭載されているのだ。  思いもよらぬ手法で制動したボール・ゴーレムを、アリアが一歩踏み出して袈裟懸けに切りつけた。  ゴーレムが壁に叩きつけられる。しかし、ゴーレムの数は一体ではない。  足場にされたゴーレムがすかさず、隙の出来たアリアの脇腹に体当たりする。その小さな見た目に反してボール・ゴーレムの攻撃力は決して低くない。  無防備に体当たりを受けたアリアの身体が吹き飛んだ。小さく押し殺すような悲鳴をあげ、勢いよく壁に衝突する。  まぁ鎧もあるので大きな傷ではないだろうが、体当たりされる方向次第では道から弾き飛ばされて崖下に落下していただろう。 「おーおーおー」  藤堂がアリアの名を叫び、再び体当たりを仕掛けようとしていたボール・ゴーレムに斬撃を放つ。予備動作に入っていたゴーレムが避けられるわけもなく、聖剣エクスが甲高い音を立ててボール・ゴーレムを両断した。崩れたゴーレムに視線を向けることなく、呻くアリアの方に駆け寄る。  だが、魔物はまだ残っている。アリアの剣では、ボール・ゴーレムは斬れていない。  アリアの斬撃で壁に叩きつけられていた最後の一匹のゴーレムが壁を蹴りつけ、背を向ける藤堂に突進をかける。  その球体の身体が背中にぶつかるその寸前、後ろから放たれた炎がボール・ゴーレムを貫いた。  リミスの仕業だ。さすがフリーディアの娘、命中精度はかなりのものだ。  藤堂が今更気づき、背後を振り返る。リミスが呆れたように肩をすくめ、杖を持ち上げてみせた。  気の抜ける声で応援していたステイが目を見開き小さく歓声をあげる。 「おー、倒せましたね。さすが聖勇者」 「ステイ、アメリアに通信をつなげ。計画を変更する」 「……へ?」  黒の瞳を瞬かせ、首をかしげるステイ。  お前の眼は節穴か。何がさすがだ、どう考えても危なかっただろ。  ボール・ゴーレムは雑魚だ。しかも今回の数は三体で、本来作る群れよりも数が少なかったのだ。  それを相手にダメージを受けるようでは、ゴーレム・バレーで生き延びるのは難しい。  レベルが低いとはいえ、藤堂達の実力は俺の想定よりも下のようだった。  大墳墓のアンデッドと比較しゴーレムは正統派に強い。厄介な能力はないが、純粋に強い。動きのとろいアンデッドと戦い慣れたせいでギャップもあるだろう。  ある程度戦いの勘という奴をつけさせる必要がある。  勿論、この程度の事、想定の内であり、対処法についても考えてあった。  アンデッドに恐怖する聖勇者だとか、ステイが迷子になるだとか、くだらないアクシデントと比べてどれほど精神衛生にいいだろうか。 page: 96 第八レポート:戦力の向上について  レベルは人を表す上で極めて精度の高い指標だ。  基本的にレベルの高い者は低い者よりも強い。強さには他にも色々な要素があるので一概には言えないが、もしもレベル違いで他の要素が完全に同一の人物が戦えば余程運が悪くない限りレベルの高い方が勝つだろう。  だが、同時にレベルが上がってもその性能をすぐに完全に出せるようになるわけではない。  向上した腕力や敏捷などは、少しずつ慣らしていかなくてはならないし、そもそも存在が上位に上がる事で新たに出来るようになることだってある。それらは実戦の中で身につける事ができるが、それは日々の鍛錬を怠っていいという事ではない。  藤堂達のレベルはゴーレム・バレーの適性を大きく下回っているが、それを補って余りあるだけの装備を持っている。本来ならば下級のゴーレムなど相手にならない、そんな武器だ。  下級のゴーレムは今のポテンシャルをすべて出しきれば間違いなく勝てる相手なのだ。  藤堂達のパーティの問題の一つは、パーティ内にレベルの高い者がいない事だ。手本がいないのだ。  一般的な傭兵や魔物狩りは仲間や先輩から力の使い方を学ぶが、たった四人で旅をしている藤堂達にはそれもいない。国に申請すれば与えられるはずだが、申請する気配がないのは、足りないものが何なのか、そしてもしかしたら足りていないという事実さえも――彼ら自身が理解していない証拠だった。  アリアやリミスは実家でレベルの高い者を見てきただろうが、実際にレベルを上げてみてからでないと実感出来ない事だってある。  レベルが上がるというのは生物としての格が上がるという事。存在の格が変わるという事。極端に言うならば――常に地面に足を付けて生活していた人間に突然翼が生えたとしてもすぐに空を飛べるようになったりしないだろう。  手本があるのとないのとでは技能の向上に大きな差が発生する。  俺がまだ藤堂のパーティに参加していた頃は、時が来たらさり気なく誘導するつもりだった。  抜けてからは昔の友人に頼むつもりでいた。俺にはまだ昔レベル上げをした時に一緒のパーティを組んでいた高レベルの魔物狩りの友人がいるので、そいつら数人に手紙を送って助けて貰おうと思っていたが、なかなか都合がつかず。まぁ、高レベルの魔物狩りが滞在するような最前線は今激戦らしいので仕方がないだろう。  結局、ゴーレム・バレーまで何もできずに来てしまったが、何も考えがなかったわけではない。  ここにはマダム・カリーナというこの上ない味方がいる。  戦士にとって一流への登竜門。どこにでも俺に協力してくれる者がいるわけではない。  マダム達の協力が得られるこの地で奴らをある程度――仕込む。  藤堂達はその後、何度かゴーレム達と交戦すると、体力を消耗したらしく、ファースト・タウンへの道を進んでいった。  交戦の内容は初戦と大して変わらない。  力の強い魔物。速度の高い魔物。何よりも硬い魔物と戦うのに慣れていなかったのだろう。ユーティス大墳墓での初戦と比べれば遙かにマシだが、眼下に小さく見えるその表情には疲労が滲んでいた。 「なんだかまずそうですねー」 「いや、まだマシだ」  藤堂達を含めた面々で一番やばくてどうしようもないステイが俺の言葉を聞いて、口元に人差し指を当て首を傾げる。手を握っていてもちょくちょく躓きかけるので、結局ずっと手を握りっぱなしだった。  一般的な72レベルなら崖から落ちても生存できるかもしれないが、ステイだと多分無理だろうなぁ。  こいつ、今までどうやって生き延びてきたんだろう……いや、付き人がいたと言っていたな……。  少しげんなりしながら答える。 「藤堂が苦労しているのはレベルが低いんだから当然だ。技能やレベルを向上させれば解決する」  逆に、苦労しなかったらそれはそれでどうかと思う。  しかし、藤堂は問題ないがアリアは……けっこう厳しいかもしれない。ゴーレム相手でも攻撃力が不足気味になっていた。まだ何とか戦えているが今後どんどん攻撃力が不足していく事になるだろう。魔力ゼロ体質のハンデは努力で簡単に解決出来るような類のものではない。  アリアがパーティから抜けたら今より酷い事になりそうだが……  崖の上を何事か会話を交わしながら慎重に進む藤堂達を見下ろす。  どうしてルークスはハンデ持ちのメンバーを藤堂パーティに斡旋したのか。その理由はまだ分かっていない。 §  宿に戻るなり、町の方で仕事にあたってくれていたアメリアが部屋に入ってきた。  引き連れていたステイがアメリアの姿を見て満面の笑顔になる。アメリアの彼女への対応はかなりおざなりな気がするが、どうしてそんなに懐いているのかわからん。  アメリアはステイの方に一瞬目を向けるが何も言わず、俺に食って掛かるように聞いてきた。 「アレスさん、ステイはどうでしたか?」  本人の前で聞くなよ。  ステイがそんな言葉を何ら意に介すことなく、にこにこしながらアメリアの方に抱きつく。アメリアはそれを仏頂面で受け入れていた。……先輩後輩?  しばらく考え、一言だけ答える。 「まぁまぁだ」 「ッ! ま……まぁまぁ……ですか……」  一瞬絶句し、釈然としなさそうな表情でステイを見下ろすアメリア。  俺はプロだ。プロなのだ。対策を取れれば大抵の事は何とかなるものなのである。手間ではあったが問題は起こらなかったし、通信機としての役割はちゃんと果たしてる。  誰もが匙を投げた問題児にこれ以上望むのは酷というものだろう。期待しなければ絶望だってしない。 「では……明日からも?」 「通信で伝えた通り、マダムへの連絡はしたな?」 「はい。了承頂いてます」  アメリアが眉を顰め、小さく頷く。  この地にきてマダムに久しぶりに会ったその日の内に、俺はマダムに一つの頼み事をしていた。  藤堂の戦闘訓練である。  この地のゴーレムは強靭だ。レベルを適性まで上げてからやってきた傭兵の中にも、ここまで来たはいいが雑魚ゴーレムを倒せない者がいる。そういった者達のために、ファースト・タウンには訓練の場が存在している。  その施設の利用申請と高レベルの戦士の師の融通。マダムはしかめっ面を作りながらも、その時が来たら協力してくれる事を約束してくれた。  無駄になる可能性もあったが、話を通しておいてよかった。 「明日から藤堂達は訓練に入る。外に出る事はないだろう。次、外に出るまでは基本的にステイに関してはお前に任せる」  そもそも、手を引かないと何をしでかすのかもわからないのだ。町中でずっとステイの手を引いて引きずり回すわけにもいかない。すごい目立ってしまう。  最近出現するゴーレムの傾向。傭兵たちへの情報収集。物資の補給に外部への連携。やることは腐る程ある、如何にシルヴェスタの娘とはいえ、ステイ一人に構っている暇はない。魔族側の動きについても確認しなくてはならない。  アメリアには苦労をかけてしまう事になるが……  俺の言葉に顔を上げたアメリアの表情は何故か心なし明るかった。  しっかりと俺の目を見て、アメリアが唇を舐めて言う。 「わかりました。ステイの方は私に任せて下さい。しつけておくので」 「……程々にな」  ステイの性質は言って治るようなものではないだろうに、一体何をしつけるつもりなのか。  とても気になったが、詳しく言及するのをやめ一言だけかける。  多分ステイ相手ならそんな酷い事にはならないだろう。  アメリアを信用しているのもあるが、ステファン・ベロニドにはなかなか無碍に出来ない空気を持っている。さすが枢機卿の娘ということなのだろう。あるいはその空気こそが彼女がこれまで生き延びる事ができた理由なのかもしれない。 § § § 「……訓練、ですか?」  藤堂の言葉に、アリアが目を瞬かせた。  数時間の戦闘を終え、先程宿に戻ってきたばかり。食事を終え、予想外に厳しかった戦闘に今後の戦闘の布陣について考えていたところのことである。  ゴーレムは聞きしに勝る難敵だった。  まだゴーレム・バレーの適性レベルに達していないので仕方ないといえば仕方ないが、ゴーレムとの戦闘は今までレベル上げで戦ってきた魔物達とは比べ物にならない手応えを藤堂達に与えていた。  足場の悪い崖という環境に吹き荒ぶ冷たい風。固く素早く多種多様のゴーレム。  何よりも今までと異なる点は、ゴーレムがアリアの一撃で倒せなかった事だ。  今まで藤堂とアリアは現れる魔物のすべてをほぼ一撃で屠ってきた。大森林で並の傭兵を遙かに越える効率を出してレベルを上げられたのはそれが理由だし、グレゴリオの課題をクリア出来たのもそれが理由だ。  アリアの持つ剣。ライトニング・ハウルは雷の力を宿すとされる紛うことなき魔剣である。王国が保有している剣の中でもトップクラスの性能を持つ魔剣であり、巨大なドラゴンの心臓を貫いたという伝説すらある。本来ならばいかに『硬い』と称される魔導人形の装甲といえど、耐えきれるような斬れ味ではない。  アリアも幼い頃から剣の道を歩んできたが、未だその魔剣に相応しい使い手になっているとは言えない。ゴーレムを一撃で両断できなかったのも腕の未熟故。その事をアリアは強く実感していた。  盾を持たないアリアにとって、一撃で殺す事は深い意味を持つ。そして、魔剣以上の装備が簡単に手に入らない以上、何とか腕を上げる必要があった。  藤堂の方はまだ何とか一撃でゴーレムを倒す事ができていたが、それも聖剣の斬れ味あってのものであり、強くならねばならないという思いは変わらない。  ベッドの上には、崖の上の行軍でだいぶ疲労したらしいリミスがごろごろと転がっている。  そちらに視線を向け、藤堂はつい先程宿の店主から受けた連絡について話し始めた。  連絡は、この町に来た直後に挨拶しに行った町長からだった。  危険地帯の町の長だけあって、鋭い目つきをした筋骨隆々とした男である。ひと目会った瞬間にこの人苦手だな、と感じ、簡単な挨拶だけして別れたが、町長からの伝言は今の藤堂達にとって渡りに船だった。 「ああ……町長から言伝があってね。どうも、来たばかりでまだこの地の魔物に慣れていない人達のために訓練場みたいなのがあるらしくて……ゴーレムとの戦い方についてレクチャーとかもしてくれるらしいよ」 「ほー。そんなものがあるんですね……」 「まぁ、お願いしたらいいんじゃない? 私はあまり参考にならないだろうけど、もしかしたら効率的な倒し方とか教えて貰えるかもしれないし」  「……そうだな」  リミスの言葉に、アリアがじっと自分の手を見下ろす。  ゴーレムを切りつけた、その瞬間の硬い感触がまだその手に残っていた。勿論それは訓練などで何度も味わった事のある感触だったが、魔剣を振るって痺れるようなそれを感じたのは初めてだった。  すぐに顔を上げ、藤堂の方にその蒼の眼を向ける 「明日にでも向かいましょう……レベル上げは急務ですが、この地のゴーレムはアンデッドと比べてあまりに強い。少し墳墓とは戦い方を変えなくてはいけないかもしれません」  先程まではしばらくの間ファースト・タウン近郊でゴーレムと戦い実戦の中で腕を慣らしていこうと提案するつもりだったが、せっかく町長がわざわざ言伝までしてくれたのだ。  ただでさえ本来想定していたレベル上げの速度を下回っている。効率を上げなくてはいけない。  効率。それを思い浮かんだ瞬間、アリアの頭に蘇ったのは二ヶ月程前に別れた僧侶の姿だった。  そう言えば彼も効率効率と言っていたな……今頃は何をやっているのだろうか。  他愛もない考えが一瞬浮かんだが、直ぐに打ち消す。  すでに別れたメンバーだ。冷たい言い方になるが、今のアリアには関係のない。  ふとその時、椅子にちょこんと腰を下ろし、ふらふらと頭を揺らすグレシャが目に入る。  深緑の髪に眼。今までもあまり会話をする方ではなかったが、その深緑色の眼からは今まで以上に感情が見えなかった。  唇が僅かに開閉し、細い息を吐き出している。  その感情のない瞳にぞくぞくするような得体の知れない何かを感じ、思わず肩を震えたが、グレシャに愛想がないのは今に始まったことではない。  もう一度グレシャの方を見直す。やはりいつもと変わったところは見られない。アリアは安心したようにため息をつきかけ、ぎりぎりで止めた。  グレシャも頑張っているのだ。戦おうとしてくれているのだ。スピカも今頃グレゴリオの元で修行をしている。消沈している場合ではない、私もやらねばならない。  ため息の代わりに決意を新たに、拳を握る。  そんなアリアの隣でグレシャはただひたすらに小さな唇を動かし、浅い呼吸を繰り返していた。  ――頑張ってます。頑張ってます。本当です。頑張ってます。 page: 97 第九レポート:状況と訓練について  ゴーレム・バレーはルークス王国でヴェール大森林と並ぶ有名なレベルアップのフィールドだ。名高いルークスの騎士団も皆その二つの場所をベースにレベルを上げる。  人選は誤っていたが、大森林に配下の者を送っていた魔王は慧眼だ。大森林に配下を送ってゴーレム・バレーに送らない理由はない。  むしろ、フィールドの適性レベルはこちらの方が高いので、俺が魔王だったらザルパンよりももう少し有能な者をゴーレム・バレーに送るだろう。 「そうか……ああ、ありがとう。助かった」 「ぎゃははは、またなんかあったら何でも聞いてくれよ、あんちゃん!」  後ろから投げかけられた陽気な声を背に、酒場を出た。  高地故の強く冷たい風に外套の襟元を正す。これで三軒。ファースト・タウンに存在する主要な傭兵のたまり場を回りゴーレム・バレー近辺で最近何か起こっていないかを探ったが碌な情報は入ってこなかった。  結論、異常なし。ヴェール大森林とは異なり、この地では特に何も起こっていない。  それほど多くはないが金銭を、そして神聖術を代価に払っている。ゴーレム・バレーまでやってこれる傭兵が嘘をつく理由はない。  それは俺がマダムから事前に収集していた情報とも一致している。念のために自分の足でも回ったが、成果はない。だが、『異常なし』の結果が今の俺には『異常あり』よりも不気味なものに感じられた。  何もない事を証明するのは難しい。警戒を続ける他ないだろう。  そもそも、この地の傭兵達はヴェールの森とは異なる。この地に生きる傭兵はパーティを組めば竜すら屠り得る猛者共だ。栄光あるルークスの騎士団が最終修練の地として挑むような土地なのだ。実力もあるし、何よりも自負がある。  最近は戦線が激化しているようで今回はいないみたいだが、正規の騎士団が詰めている可能性だってある。グレシャのような存在が放たれた所で、傭兵達が勝手に解決してしまうことだろう。  魔王側がヴェール大森林でやったような戦法を取ろうとしたとしても……上手くいくとは思えない。  まぁ、ここはまだゴーレム・バレーの入り口だ。もしかしたら奥まで行けば何かわかるかもしれないが……。  俺はそこまで考え、深くため息をついた。どちらにせよ、最終的に俺に出来る事は力押しで、俺の役割は藤堂の補佐で、難しい事を考えてもうまくいかない。  藤堂達の戦力アップがどうなるのか。俺はマダム達を信用している、顔を見せられない俺よりも上手くやってくれている事だろう。穏便に効率よく。  心の中で祈りを捧げると、俺はすべての懸念を一端置いておき、続いて装備の補充を試みる事にした。 § § §  ――大きい。  その姿をひと目見て藤堂の頭に過ぎったのはその一言に尽きた。  岩のような、を超えて山のような巨体。隣に立つ巨漢の町長と比べても頭二つ分大きく、しかし痩せているという印象はない。その身に纏っているのは灰色の法衣であり、耳には僧侶の証も下がっていたが、藤堂の目にはそれがとても僧侶には見えなかった。  呆然として目を擦るが、男は消えない。  恐らく身長の低い藤堂の目の前に背を向けて立てば、壁のようにさえ思えるだろう。アリアもリミスもその男の姿に呆然としている。いつもと変わらないのは一番小さなグレシャだけだ。  町長の部屋。ファースト・タウンの町長がどこか自慢げに頷く。最初に会った時には合わないなと思ったが、『それ以上』を前にした今、藤堂にできるのはただただその言葉を聞く事だけだ。 「このファースト・タウンの教会で僧侶として働いてくれているウルツ殿だ。本日は多忙のところ、わざわざ勇者殿の訓練に志願してくれた」  ウルツがその言葉を受け、鷹揚に頷く。  藤堂の後ろで、同じように瞠目していたリミスが小さく言葉を出す。 「巨鬼族?」  リミスの小さな言葉を聞き取り、町長がうめき声を上げる。大げさに額を抑えると、首を大きく横に振った。 「ノーノー、フリーディア殿。それは――魔物に対する呼び方だ。彼は巨人族の血を引く勇敢なる戦士だ。ウルツ殿、気になさらないでくれ。彼女にも悪気があったわけではないんだ……少しばかり、学がないだけで」  その言葉にリミスがむっとするが、何事か言う前にウルツが深く頷き、前に出た。  一歩歩いただけで部屋が微かに揺れる。アリアの表情が緊張に歪み、自然な動作で藤堂の方に一歩寄る。  そのままゆっくりととした動作で腕を差し出した。巨大な腕は白い薄手の手袋で包まれている。 「ウルツ・グランドだ。聖勇者殿、こうしてお会いできて光栄だ」 「あ……ああ?」  見た目から想像していたよりもずっと穏やかな声に、藤堂の目が丸くなる。アリアもリミスの表情も同じように。  藤堂が恐る恐る、その手の先を軽く握り握手する。ウルツ・グランドを名乗った僧侶は大きく頷き、リミスの方を向いた。  声を潜めるようにして続ける。 「巨鬼族は魔物の種類だ。人に似て人ならざるもの。高い知性を持ちつつそれを上回る闘争本能、残虐性故、私の祖先はこの世界で最も恐ろしい魔物の一種だった」 「今では違う?」 「今でも……そうだ」  藤堂の問いに、茶色の目が爛々と輝く。その目は確かに捕食者の持つ目だった。  声が理知的でなかったら逃げ出していただろう。だが、同時にその言葉は静かではあっても力が込められている。 「だが、巨鬼族の中にもほんの少しばかり理性の強い者がいた。その者達は弱き者と生きる事を選んだ。古い話だ。人の中で生きるその者達の子孫――我々は今では、巨人族と呼ばれている。だから……巨人族を巨鬼族呼ばわりするのはやめたほうがいい。無駄な軋轢を生むだろう」 「ご、ごめんなさい……知らなくて」  言葉が自分に向けられている事を悟ったのか、リミスが慌てて頭を下げる。  町長が面白そうな表情で口元を歪めた。 「くっくっく、ウルツ殿は巨人族の中でも特別に理知的だ。理性があるといっても、巨人族には血の気の多い者が多い」 「私も昔はそうだった。だが……変わった。聖勇者殿、だから今はこうして私は――僧侶として刃を置いている」  目を瞑り、感慨深げに言う。その言葉の通り、その腰には儀礼用のメイスが差しているだけで武器などは持っていない。もっとも、法衣の上からでもはっきりわかる極度に発達した筋肉を持ってすれば武器の有無など関係ないようにも思える。 「私のレベルは――65。もう長らくレベルは上がっていないが、この地での戦い方は……良く知ってる。まだこの地に来たばかりならば……聖勇者殿の力になれるだろう。魔導の術については詳しくないが……」  ちらりと視線を向けられ、リミスが目を瞬かせて首を振った。 「……大丈夫。魔術については勝手にやるから……」 「そうか……ならば良い」  特に何も言うことなく、ウルツが頷く。その時、部屋の扉が開いた。  慌てる様子もなく入ってきたその影に、ウルツが敬々しく頭を下げる。町長が嬉しげな声を上げて入ってきた人物に近づく。 「おお、マダム・カリーナ。お久しぶりです、お待ちしておりました」  マダム・カリーナ。事前に藤堂もアリアから名前だけは聞いていた。  ゴーレム・バレーにおいて最も有名な人物であり、様々な伝説を持つ女傑。 「あんたらが聖勇者かい……」  しかし、入ってきた老女の容貌はあまりにも藤堂のイメージと違っていた。  派手な紫の髪に皺の刻まれた容貌は見た目とは裏腹にエネルギーに満ちていた。纏っている雰囲気も今まで見たことのある何者とも異なり、控えめに言って魔女にしか見えない  ここは町長の屋敷のはずなのに、その主人よりも遙かに堂々として見える。  先程まで圧倒されていたウルツが、その隣にいると何故か小さく見える。  ウルツの半分くらいの身長しかないのにその印象は衝撃的だ。言葉を失う藤堂に、魔女が歯をむき出しにしてにやりと笑う。 「話は聞いているよ。僧侶もなしに、随分と各地で大活躍しているらしいじゃないか」 「え……? はい……まぁ」  大活躍? あまり実感はしていなかったが、その言葉に思わず頷く。  カリーナは満足げに頷くと、藤堂の目をじっと見上げて宣言した。 「だが、教会からしてもそれではなかなか心苦しい。これはいい機会だ。坊やの訓練を行いたいといったのはうちの要請だよ。坊やにはここで世界最強になってもらう」 「へ……世界……最強……?」 「ってのは冗談だけどね。今の坊やはまだ弱い。こちらとしても都合が悪いのさ、最低でもゴーレムくらいは楽に倒せるようになってもらう」  目を丸くする藤堂に、言いたいことだけをいい終えたカリーナが踵を返す。足早に歩き、扉に手をかけたところで、立ち竦む藤堂を怒鳴りつけた。 「何やってんだい、さっさと修練所に行くよ。私にはとろとろやってる時間はないんだ。ウルツ、あんたも準備しな」 「承知した。マダム」  ウルツが頷き、藤堂を見て小さく顎でついていくよう示す。  町長の鼓舞の言葉を背に、足取りを緩める気配のないカリーナについていった。  後ろに続くアリアにこそっと尋ねる。 「ねぇ、アリア。僧侶って皆こんなんなの? 僕が……抱いていたイメージとだいぶ違うんだけど」 「安心してください、ナオ殿。私のイメージとも……違いますから」 § 「最初に現在のあんたらの力を見るよ」 「は、はい」  修練所は大きく開けた空間だった。四方百メートル。一方には岩の壁があり、無数の穴が開いている。  他方は大きな柵で囲まれており、そもそもこれだけ広いスペースならば崖の下に落ちる事はないが、たとえ吹き飛ばされても落下は防止できるようになっていた。  強い風の中、ウルツが立っていた。室内で見ても圧迫感はあったが、外で見てもそれは何ら変わらない。  ウルツの姿は先程とあまり変わっていない。ただ両手につけていた手袋が頑丈そうなガントレットになっており、足元のブーツもまた頑丈そうなものに変わっているだけだ。  一方で藤堂の方の装備もほとんど変わっていなかった。唯一、聖剣では訓練にならないからという事で、腰に差した武器が鋼鉄の長剣に変わっている。  いつもの聖剣よりも重い剣に眉を顰めながら、側に佇むカリーナに尋ねる。 「一対四でいいんですか?」 「気が済まないなら一対一でもいいが、今のあんたらのレベルなら一対四でちょうどいいくらいかね」  多対一の訓練は余程の実力差がなければ成立し得ないものだ。  カリーナの軽い言葉に、藤堂が目を見開く。今まで丁寧な対応をされてきた藤堂にとって、カリーナの言葉にはどこかトゲが感じられた。  短く呼吸をしながら、カリーナに提案する。 「まずは僕一人でやってみてもいいですか?」  その言葉に、カリーナが大きく目を見開く。面白そうなものでも見るような目で藤堂の顔を眺め、熱い呼気を吐き出す。 「くっくっく、勿論構わないよ。勇者ならばそれくらいの蛮勇があってもいいと、私は思うね」 「蛮……勇……」  出されたあけすけな言葉を口の中で復唱する。小さく拳を握る藤堂を、リミスとアリアが心配そうな目で見ていた。  カリーナが、まるで眠っているかのように目をつぶっていたウルツに叫ぶ。 「ウルツ! この坊やを……殺さないように手加減しな。坊やはまだ力の出し方をわかってないんだからね!」 「……承知している、マダム。私は昔と……違う」  ウルツが目を開き、静かに藤堂を見下ろした。その目の中に燻る情動に、藤堂の背筋がぞくりと震える。  声を荒げてもいないのに、戦闘態勢に入っているわけでもないのに。  目の前でなされるこちらを侮るようなやり取りを、感じる視線を、藤堂は全てシャットアウトした。  浅く呼吸をして気合を高める。腰から流麗な動作で剣を抜き、右手に罅の入った盾を顕現する。  集中するのは昔から得意だった。目の前の世界から、周囲からすべて消え、目の前の巨躯の男だけが残った。  ゴーレムは何体もいたが、今の相手はたった一人だ。レベル65。侮るつもりはないが負けるつもりもない。 「勝敗はどのように?」 「意識を失ったら負け。殺すのはなしだ。鋼鉄の剣で一撃でウルツを殺すのは難しい、坊やは思い切りやって構わないよ」 「……わかった」  藤堂はこれまで強力無比の聖剣で戦ってきた。が、それ以外の武器を使えないわけではない。  旅に出る前、ルークスの王城で一通りの武器を使っている。当然、聖剣以外の剣だって使ったことはある。  鉄の剣は長さも聖剣と同じで、重さだけが気になるがレベル27の藤堂にとって問題になるような重さじゃない。  彼我の距離の差は十メートル。ウルツの手足は藤堂よりも遙かに大きいが無手であり、リーチの差はそれほど存在しないだろう。図体がでかいのも決してメリットだけではない。ウルツの巨躯は常識から外れており、視界も広いがそれだけ死角も本来の人間のそれよりは遙かに広いはずだ。小柄な自分ならそこに潜り込むのも難しくはないだろう。  強い風が吹いた。僅かに流れ落ちた汗を冷気が冷やし、その瞬間にカリーナが開始の声を上げる。  藤堂が一歩踏み込んだその瞬間、ウルツの表情が変わっていた。  目が真紅に燃え上がり、形相が朴訥そうな表情から鬼面のそれに変わる。その形相から放たれた咆哮が空気を強く震わせた。 「うおおおおおぉぉおぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉッ! 死ねえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!!!」 page: 98 第十レポート:備品の調達について  ふと空気が微細に震えたのに気づき、俺は顔をあげた。  壁に掛けられていた盾が本当に僅かに震える。武器を見に着ていた他の傭兵達の中にもそれに気づいた者がいるようで、訝しげな表情で辺りをきょろきょろしていた。 「やってんなぁ……」  皮膚が微かに引きつるような感覚。大墳墓で藤堂も使った『咆哮』の衝撃が遠く離れたここまで届いているのだ。  恐らく、ウルツが訓練中に使ったのだろう。咆哮は距離による威力の減衰率は激しい。純粋な人間ではここまで衝撃が届いたりしない。  ウルツは半巨人だ。人族と巨人族の混血であり、両者の力をバランスよく受け継いでいる。  レベル上昇により能力を大きく向上させる人族の力と、基礎能力が著しく高い――特に耐久力と筋力に秀でた巨人族の力。  一般的に、人と亜人の混血は優秀な戦士の資質を持つ。ウルツはその好例だった。遠くまで届く咆哮は巨人族の代表的な資質であり、あまりにも威力が違うので『咆哮』と区別される形で『巨鬼の咆哮』と呼ばれたりする。  ウルツが僧侶になる前――まだ傭兵だった頃に得意としていた戦術でもある。  どうやら数年経ってもまだ本質は変わっていないらしい。  眉を顰め、神経を集中させるがさすがにこの距離では何もわからなかった。 「そこまでやれとは言ってないんだけどな」  俺が頼んだのは力の使い方を教える事だけだ。まぁ、だが頼んだ以上向こうに任せるべきである。  ウルツとの戦闘に慣れればここのゴーレムを相手にしても五分以上に戦えることだろう。  半ば現実逃避気味に考えたところで、カウンターの奥から武器屋の店主が戻ってきた。 「待たせたな。探してみたが……とりあえずうちにあるのはこれだけだ」  節くれだった指が親指の先程の弾丸をつまみ、カウンターに置く。  独特な光沢を保つ白銀の弾丸。一度見ればわかるだろうそれは世にも珍しい聖銀製の弾丸だった。  銀の弾丸というのは聞いたことがあったが、それ以上に希少な聖銀を消耗品である弾丸に成形するなんて正気の沙汰ではない。 「ミスリルの武器は滅多に持ち込まれねえし、持ち込まれてもすぐに売れちまう。うちにあるのはサンプルとして持ち込まれたこれだけだ」  弾丸を確認する。別に俺は上位結界の媒体としての聖銀を求めているだけなので何でもいいのだが、その弾丸は弾丸と呼ぶには歪に過ぎた。  元々聖銀は加工に難のある金属なのだ。弾丸として使えるとは思えない。  一通り観察した後に弾丸を机に置き、なんとなく聞いてみる。 「これを撃てる銃はあるのか?」 「ねぇよ。そもそも、撃てたとしても弾を量産できねえ。ただの道楽の産物だ」  苦々しい表情で武器屋が言う。魔族に優れた効果を発揮する聖銀に余剰はない。特に、魔王が侵攻している現在では聖銀は最もグラム単価の高い金属の一つでもある。  ザルパン戦で四本失い、現在手持ちの聖銀のナイフは二本。結界には四個媒体が必要だが、メイスとこの弾丸でちょうど四個になる。  結界を張ると無手になってしまうが、新たに教会から補充ができるまでのつなぎとしては十分だろう。十分か? 「……オーケー。それを貰おう」 「物好きだな、あんたも」  弾丸としては破格の値段だったが、背に腹は変えられない。財布から金貨を取りだし、カウンターに丁寧に置く。  正直、ミスリルが手に入るかは五分だと思っていたのでラッキーだった。最近は本当に貴重なのだ。魔族に高い効果を与える戦略物資は戦線に優先して補給される。 「他に必要な物はあるか?」  鍛冶師が金貨を数え、俺の方を見上げて尋ねてくる。  その言葉に、グレゴリオの様子を思い出した。……一度試してみようと思っていたんだ。 「そうだな……頑丈な悪魔の皮とかあるか?」 「悪魔の皮ぁ? 何に使うんだ?」 「巻きつけて引っ張ってぶん投げるんだ……メイスを」 「何言ってんだ、お前」  まるで異常者でも見るような眼で睨まれた。  まぁ、武器屋においてあったりはしないか……悪魔の生体素材は一般的に忌み嫌われる。今度悪魔が現れた時に手ずから剥ぎ取るしかないだろう。  どこか余所余所しくなった店主に礼を言い、外に出る。  ちょうど外に出た所で、アメリアとステイと出くわした。  彼女達には物資の補給と教会本部への連絡を頼んでいた。ステイが俺の姿を見つけ、アメリアに掴まれていた手を解くと、たったか駆け寄ってくる。その背中には自身と同じくらいの大きさのリュックが背負われていた。  さすがレベル72……見た目に反してけっこう力があるようだ。今更だが、こちらの体制が三人になると物資も三人分いるんだよなぁ…… 「あー、アレスさんだぁ。お疲れ様です」 「本部はなんと言っていた?」  ステイを無視してアメリアの方に聞く。アメリアは自分の手を抜けて俺の方に駆け寄ってきたステイを苦々しい表情で見ていたが、すぐに答えた。 「特には……魔王軍との戦線は未だ厳しい状況らしいですが、ここ一月は停滞しているようです」  一月は停滞、か。一月前――俺がザルパンをぶっ殺した時期と一致している。関係の有無はわからないが、その程度本部が考えていないわけがない。  魔王軍の侵攻が激化し、国がいくつも滅んだ今、人族の国々はかつてないくらいに結束している。元々は圧倒的な戦力を誇り人族の国を攻め滅ぼしていた魔王軍もさすがに連合軍相手だとなかなか押しきれないのだろう。  藤堂が正しく成長し、その名が表に出れば人の士気は更に高まる。魔王側もそれを警戒しているのかもしれない。 「70……いや、80まで上げれば……」  今いくつだっけ。29……?  一年……二年……三年……いや、五年……? うーむ……。 「アレスさん、どんどん基準高まっていません? そんな待ってる場合じゃないと思いますが」  その通りである。恐らくルークスも教会もそんなに待ってはくれないだろう。長くて二年といったところか……だが不安だ。不安なんだ。  三ヶ月弱で29までしか上がっていないんだ、あいつは。  だが、それもここで終わりだ。終わらせる。ここでレベルを上げる――そう、一月で50くらいにしたいところだ。恐らく相当無理を重ねればいけるだろう、一人か二人死ぬかもしれない。残念だがグレシャにはここで死んでもらおう。  決意を新たにする。  その時、無意味に死亡候補ナンバーワンのステイが俺の腕を掴んできた。その視線が俺の手の中の物に注がれている。 「あれぇ? アレスさん、何持ってるんですかぁ?」 「……結界の媒体にする聖銀だよ」 「手に入ったんですね」  アメリアが目を丸くする。ミスリルの希少性は周知である。聖銀のほとんどを握っているとされる教会内部でも異端殲滅官を除いた僧侶に聖銀製のアイテムが与えられることは滅多にない。  反面、俺に質問してきたステイの方は不思議そうに首をかしげていた。 「まだ足りないけどな。なるべくメイスを結界の媒体にするような真似はしたくない」  特にここだとやばい。  『神の怒り』は教会の粋を尽くされ生み出されたメイスなのだ。替えはない。もしも崖の下に落ちてしまったら俺は崖を駆け下りなければならない。  そういう意味でザルパンに飛ばされたのがナイフの方で本当によかった。  ステイが首を傾げ、黒い純真そうな眼で俺の顔を見上げている。  しかしこいつ、なんか徐々に遠慮がなくなってきてるな。 「何か?」 「ミスリルがいるんですか?」 「……そうだな。教会に届け出は出しているが――」  そこまで言った所で、ぶちっと、何かをちぎるような音をした。  目を丸くする。ステイがにこにこしながら法衣の一番上のボタンを引きちぎっていた。一シスターの法衣とは思えない特注の法衣。天秤の細かな細工がされた白のボタンだ。ボタンがなくなったことで胸元が僅かに開く 「……何をやってる?」 「はい。アレスさんに、あげます!」  白い目で見ている俺の手を取り、ステイがボタンを握らせてくる。  冷たい金属の感触。無言でそれをゆっくりと目の前につまみ上げた。  細工がされた白いボタンだ。俺は自分の頬が引きつっていくのを感じた。 「……ッ……ミス……リルだ……」 「へ?」  アメリアが間の抜けた声を上げる。  間違いない。本来の光沢は処理されているのか、消されているが、聖なる銀に間違いない。  にへらと嬉しそうな笑みを浮かべているステイを上から下まで見直す。  黒いスカート。ニーソックス。黒の法衣にはボタンが一、二、三、四……おい、袖にもついてるぞ、こいつ!?  ステイが、以前アメリアあたりから聞いたような情報を照れたように再度繰り返す。 「私の法衣……特注なんですよ」 「アメリア、こいつを裸に剥け。こいつの装備……ミスリルだ」 「え……? あ、はい」  特注な事は知っていてもミスリル製なことは知らなかったのか。アメリアがぽかーんとしている。  まぁ、普通は思わない。俺だって言われるまで気づかなかった。どんな馬鹿ならボタンをミスリルで作ろうと思うだろうか。なまじ光沢を消されているので注意深く観察しなければ気づけないのだ。  そういえば、アメリアがステイの派遣についてクレイオに文句を言った時に言われたらしい。  ステイは……俺に必要なものを持っている、と。  それってまさか――。  さすがに今の命令は不服なのか、ステイが恐る恐る尋ねてくる。 「あ、あのー……その……私の着るものなくなっちゃうんですけど?」  俺はその肩を両手で掴んだ。ステイに真剣な表情で命令する。 「ステファン・ベロニド。お前にお前にしかできない命令を与える」 「な……なんですか?」  ステイがごくりと唾を飲み込む。 「……お前の父上――枢機卿に頼むんだ。法衣の予備が欲しい、と」 「え……パパに?」  緊張に強張っていたステイの表情が緩んだ。思ったような任務とは違ったのだろう。 「そうだ。パパにだ」 「別に……いいですけど」  ステイがどこか不満げに唇を尖らせる。  匙投げられたと言っても仲が悪いわけではないのだろう、その表情には陰がない。というか陰があるステイとか想像つかないけど。  そして、会ったことはないが、シルヴェスタは多分親ばかだ。普通どうでもいい娘にミスリルボタンつきの法衣なんて渡さない。というか、今の服装、正規の法衣だって言ってたけどステイのために正規にしたんだろうな……この分だと。  さすが元大商人……金持ってやがる。 「しかも三着だ」  そして届いたら裸に剥く。  うまく使えることを確信している? ああ、そうだ。俺ならばうまく使える……! 「アレスさん、貴方鬼ですか……」  俺の意図に気づいたアメリアが愕然とした表情で体を震わせた。 page: 99 第十一レポート:成果と才能について  巨人族は強い。身体の大きさは人の数倍、その身に秘めた力もそれに比例する。  人に迎合する事のなかった同類――巨鬼の討伐適性レベルが幼体でも40を越える事からもそれはわかる。  人族との混血であるウルツの能力は純粋な巨人族程高くはないが、同時に人族の『レベルアップ』の特性を併せ持っている。人族と他種族との混血が優秀な傭兵の資質を持つと言われる由縁だ。  だから、生来の強靭な身体能力と存在力の蓄積によるレベルアップを持つウルツ・グランドにとって一般的な人族は、弱き者と同義だった。  ――以前までは。  膨大な殺気と魔力の乗った咆哮が大地を、空気を揺らす。  咆哮は衝撃と同時に精神異常を引き起こすスキルだ。特に捕食者である巨人種のそれは多くの生き物に根源的な恐怖を抱かせ動きを縛る。  戦闘態勢に入るといつも頭に血が上る。赤くちらちらと明滅する思考の中、ウルツはしかし前に出ることなく目の前の小さき者を見下ろしていた。  痩身で黒髪の青年。藤堂直継。たったレベル29の――聖勇者。  戦闘中に動きを止めるのは自殺行為に等しい。レベル差の大きい現状、並大抵の人間ならば咆哮だけで終わっていたはずだ。  嵐のような咆哮を受けて、後ろの仲間たちは青ざめている。だがしかし、目の前の青年の表情は軽く強張ったが、足は止まったが、その様子は大きく変化していない。 「聖勇者……聖勇者、か……なるほど」  マダムから、召喚が成されたという情報は聞いていた。だが、まさか自身がその訓練を請け負う事になるとは思ってもいなかった。  資質は十分か。戦士の資質とは恐怖に打ち勝つ事だ。死の恐怖に打ち勝ち、前に踏み出す事が出来なければいくらレベルを上げても意味はない。  レベルは能力を上昇させても、心までは強化してくれないのだ。  空気の震えが止まる。藤堂の強張っていた表情が和らぐ。  熱い呼吸を繰り返し、脳を燃やす熱を冷ますウルツに、藤堂が不審そうに尋ねてきた。 「なんで……今の隙に攻撃を仕掛けて来なかったの?」  その通りである。動きこそ完全に縛れてはいなかったが、『巨鬼の咆哮』の効果がまったくなかったわけではない。少なくとも、今踏み込んでいれば万全の体勢で対応はできなかっただろう。  高ぶる戦闘本能を静め、ウルツは笑みを浮かべる。 「これは……訓練だ、聖勇者殿。だが……私は決してお前を――侮ってはいない」 「侮って……いない……?」  少しでも本能を静めるために拳を打ち鳴らす。金属の手甲ぶつかり合い高い音を立てる。 「ああ、聖勇者殿。私は以前……お前のように咆哮を耐える相手と戦った事がある。その時は――咆哮と同時に襲いかかりそして……手酷い反撃を受けたのだ。以来私は――警戒を忘れない」 「ッ……僕は……あなたのレベルの半分しかない」  「レベルはただの……基準だ。聖勇者殿、絶対ではない。高ければ高いほど強いのは間違いないが……今のレベル差ならば負けようがないようにも思えるが、だが、絶対ではない」  一歩足を踏み出す。地面が微かに揺れる。藤堂の眉がぴくりと痙攣し、その表情が再びこわばる。  藤堂の胴程の太さもある腕を持ち上げ、拳を握る。その握力にガントレットが軋む。 「だから私は……お前に油断しない。腕が、脚が、五体の全てが力を振るえと唸っている。だが、私がそれを止めている。これは理性でありそして――私が臆病である証だ。笑ってくれ、巨人族は勇猛果敢で如何なる難敵にも立ち向かう事で知られているが、私は――」  彼我の距離差、約二メートル。一歩踏み出し剣を振れば当たる程の距離まで詰めた所で、ウルツは目の前の小さきものを見下ろし、凶悪な笑みを浮かべた。 「――万が一にも負けたくないのだよ」  その言葉に弾かれるように、藤堂が目を見開く。裂帛の気合を込め、咆哮と共に踏み込み、その剣を振りかぶった。 § § § 「一応聞いておくが、死んでないか?」 「何いってんだい、あんた」  今日の訓練の結果を聞くために教会を訪れた。開口一番に投げかけた俺の言葉にマダムが眉を顰めた。  ウルツ……ちゃんと手加減覚えたのか。いや、マダムがいるのであまり心配はしてなかったが、何しろ巨人族は血の気が多い者が多い、戦闘に集中するとふとそのあたりがぽっかり抜け落ちる事がままある。  隣にはいつも通り、ウルツが無愛想に立っていた。  机の上には特注の巨大な羽ペンと数枚の紙。ウルツが紙を取り、こちらに放り投げてくる。宙を舞うそれを全てキャッチした。  それは今日の報告書だった。現在の問題点や能力、長所短所などが詳しく書き込まれている。  ウルツが小さく言う。今日一日付き合ってもらったはずなのにその表情には疲労が見えない。 「才能は……ある」 「負けたか?」 「アレス……お前がレベル29だったら、私に勝てると思うか?」  なるほど、もっともな話だ。  半巨人はただでさえ身体能力に秀でているのだ、おまけにレベル差が倍もあるとなれば、正面から戦っても勝ち目はない。  レベルは30、50、70、90を大体の区切りとして出来ることが増えていく。奇跡でもおきなければウルツには敵わない。 「だが藤堂は俺じゃない」  奴は勇者だ。八霊三神の加護持ちと一緒にされては堪ったものではない。  もっとも、それを加味してもかなり厳しい戦力差だというのは間違いないが……。 「そうだ。聖勇者殿はお前ではない。彼は……正々堂々を是としているようだ」  正々堂々、か……。それは素晴らしい事だ、卑怯な勇者を民衆は勇者と認めづらいだろう、教会側で情報操作する必要がなくなる。勿論、勝利出来るならば、だが……。  眉を顰める俺に、ウルツが慰めるように肩を叩いてくる。 「伸びしろはかなり大きい。しっかりと鍛えれば……強くなる、だろう」 「そうのんびりしてもられないんだがなぁ」  伸びしろの大きさはとっくに分かっていた事だ。  俺はできるだけさっさとレベルを上げて欲しいのである。あまり尖った性能にならずバランスよく成長してさっさと魔王倒して欲しいのである。ままならねえ。  マダムが唇を歪め、軽く含み笑いを漏らして諭してくる。 「坊や、焦りは禁物だよ。なーに、人間だって強い。そう簡単に滅びはしないさ」  険しいゴーレム・バレーを開拓したマダムが言うと無駄に説得力あるな……だが、こっちも仕事なのだ、仕事。 「マダム。俺の任務は――できるだけ早く、できるだけ安全に、奴に魔王を倒してもらう事だ」 「知ってるさね。しかし、あの聖勇者も……なかなか癖が強そうだ」  マダムが使い古された高級そうなパイプを口に含み、燻らせる。  他人事のように言っているが、マダムも割と癖が強いし、俺の周りには癖が強い奴が多すぎる。  紫煙が緩やかに天井近くの換気口に消えていく。  ウルツが言う。無愛想だが若干いつもよりも明るいようにも見えるのは、久しぶりに身体を動かしたためだろうか。 「ここにいる間は協力しよう。だが、最低限必要な事を教えたらレベル上げに移らせたほうがいい。訓練するにしても……レベル29では――出来る事も少ないからな」 「ああ……助かる」  それだけでも、藤堂の戦闘能力は最低限向上できるだろう。  金蔓――じゃなかった、物資の補給の伝手もついたわけで……あれ、なんか調子いい?  運気が上昇してきた、か? なんか前は似たような事思った瞬間グレゴリオ来たんだけど、今回は大丈夫だろうな……。  なんか毎回、変なオチついてるからなぁ……毎回。あまり疑いすぎるのも精神衛生上よろしくないが……  報告書を眺めながらウルツに尋ねる。 「そういえば、全員分訓練はつけたんだよな? 誰が一番見込みがありそうだ?」  アリアは無理だろう。もう魔力なしとか欠陥過ぎて無理。  リミスは……精霊が強すぎる。他の精霊と契約結ぶ事さえできれば見込みはあるが、現状のままだとゴーレム・バレーで躓く可能性が高い。  そういう意味で藤堂が一番バランスがいい。一番目を離せないが……。  改めて考えるとひっでえパーティだな。考えているだけで変な笑いが出てくる。  ウルツは元々戦闘欲求が強すぎるという問題はあるが、優秀な傭兵だった。戦人に対する目利きは確かだ。  ウルツはしばらく難しい表情で唸り、そして教えてくれた。 「グレシャだ」  そいつはただの内部情報収集用だから訓練つけなくていい。 page: 100 第十二レポート:レベルと存在格について  存在力。その単語は、藤堂がこの世界に来て何度も聞かされた言葉だ。  だが同時に、それに対する認識が薄かった。藤堂がそれを実感したのは訓練の一番最初だ。  藤堂の目の前でウルツが消えた。  身体の大きさは藤堂の倍。体重は倍以上だろう、藤堂にとってそれは目の前にそびえていた山が消え去ったようで――気がついた時には藤堂は宙に浮いていた。  死角に回り込まれ、殴られたのだと知ったのは、訓練が終わった後、遠くから見ていたアリアの言葉からだ。  つまりそれは、死ぬ寸前まで気がつかなかったということ。  実際に大きな傷を負ったわけではないが、それはウルツ・グランドという男が手加減したからであって、戦場だったら最低でも重傷は免れない。  地に仰向けに転がり、ただ身体を大の字にして天を見上げる藤堂に、ウルツがその身の丈にふさわしい重々しい声で告げた。 「聖勇者。貴方は自分自身を理解していない。貴方が今そこで転がっているのは貴方が――レベル29の純人族が出来る事を……分かっていないからだ」 「それは……技術が不足している、と?」  その言葉に、自分なりに考えて問い返す。  剣術は学んだ。魔法も、神聖術も。師事したその誰もが藤堂の事を逸材と称した。  勿論、経験は浅い。平和な世界から召喚された藤堂はこの世界に生まれた人間と比べれば経験が薄い。だが、自信はあった。勝つことは難しくとも――少なくとも、一撃でなす術もなく、無様に転がらない程度の自信は。  藤堂の漆黒の瞳を受け、ウルツが首を振る。 「違う、聖勇者殿。逆だ」 「ぎゃ……く?」  腕をつき、起き上がる。立ち上がった藤堂に、リミスが転がっていた訓練用の剣を抱えてきて、手渡す。 「ああ。レベルとは――存在力の強さの指標。忘れてはならない、聖勇者殿」  ウルツが地面に転がる拳大の石を拾う。重さ数キロはあろうかというそれを持ち上げてみせると、怪訝な表情をする藤堂の目の前でそれを大きく振りかぶった。  藤堂の倍はある強靭な前足が勢い良く地面を叩き、地面が揺れる。風が鳴る音が聞こえた。  石が線となり、轟音を伴って空の彼方に消える。一体どれほどの力を込めればそうなるのか。  絶句するアリア、リミスの目の前でウルツが初めて穏やかな笑みを浮かべて見せた。 「聖勇者殿は己を知らねばならない。もう貴方は――レベルを上げる前の自分とは存在の格が違うということを」 § 「知ってた?」 「ええ……聞いたことは」 「そっか……」  一日目の訓練を終え、ベッドに大の字に倒れる。アリアの答えに、藤堂は深くため息をついた。  ウルツの見せた動きは常識の範疇外だった。いくら肉体を鍛えた所で、藤堂の知る人間は見えない速度で動けたりしない。  自身を遙かに越える膂力。そして、速度。いくら万物を切り裂く剣を持っていたところで当たらなければ意味がない。  結局その日の模擬戦形式の訓練で、藤堂はウルツに触れる事さえできなかった。 「物理法則に……反してる。魔法なんてあるのに……今更な話だけどね」 「巨人族は特に戦闘に適性のある一族ですからね。その血を引き、レベルを65まで上げればああもなるでしょう」  そういうアリアの表情も険しいものだ。結局、藤堂の後に訓練を受けたアリアも触れる事はできなかったからだ。  事前の説明で徐々に見えるようになるはずだと伝えられてはいたが、剣王の娘としての挟持もある。  勿論、アリアの父親は王国最強の剣士の称号を持つ男、ウルツと比べて劣っているわけではないはずだが、剣の稽古で見えない速度で動く事はない。 「世界には強い人が沢山いるね……」  藤堂の言葉には強い感情が込められていた。  少なくとも、藤堂は全ての街で自分よりも遙かにレベルの高い人間に遭遇してきた。ピュリフではグレゴリオ相手に何もできなかったし、ヴェール大森林では魔族の戦いに巻き込まれ気絶した。  大墳墓を最初に歩いていた時とはまた異なる気弱げなため息に、リミスが藤堂のベッドに腰をかける。 「何言ってんのよ、ナオ。貴女が一番強くならなくちゃならないのよ?」 「……なれるかな?」  見上げる藤堂の目とリミスの視線がぶつかり合う。 「なりなさい。グレシャも頑張ってるんだから」  呼ばれたのに気づいたのか、ぼーっと立っていたグレシャがリミスの方を見た。  揺らめく深緑の目からは少女が考えていることは全くわからない。  だが、グレシャは今日の訓練で唯一ウルツの動きについていけたメンバーである。元竜という情報は知っていたが、自分よりも小さい少女が風のように動く様子はまるで冗談のようだった。 「竜人族は特に戦闘能力に秀でた一族ですからね。竜のグレシャが戦えてもおかしくないでしょうが……」  アリアが、藤堂の表情を読み取り補足するが、不審げな視線を隠せていない。リミスがそんなアリアに深くため息をつき、グレシャの後ろに駆け寄ってその肩を掴んだ。 「いいじゃない。別にいきなりやる気を出したって。何か不安でも?」 「……まぁ、それはそうだが……ここに来るまでは何もしていなかったのにどうしていきなり……」  何度か聞いたが結局グレシャは何も教えてくれない。  そんなグレシャを、リミスがしっかり後ろから抱きしめる。グレシャはむすっとした様子でただ身を任せていた。  リミスはしばらく視線を宙に彷徨わせていたが、ふといたずらでも思いついたような声色で言う。 「……ナオとアリアが不甲斐ないからじゃない?」 「んな!?」 「大墳墓で悲鳴を上げていたのも散々見られていたし?」 「むう……それは……」 「……」  藤堂とアリアが顔を見合わせる。  リミスはその様子にくすくすと笑い、グレシャの耳元で尋ねる。 「ねぇ、グレシャ。どうして貴女、いきなり手伝ってくれる事にしたの?」 「……怖いから」 「? ……え? もう一回」  極小さな声でつぶやかれた言葉に、リミスが聞き返す。藤堂とアリアも、息を顰めグレシャの方に集中する。  当の本人はきょろきょろと忙しない様子で周囲を窺い、ぽつりと言った。 「何でもない……です」 「……」  そのあまりにも悲しげな声に沈痛な空気が漂う。  グレシャの境遇は特殊だ。藤堂は何か慰める言葉がないか探したが、状況がわからないのでかける言葉も見つからない。唯一、これ以上聞いてはいけないのだという事だけは、聞かれたくないんだろうという事は、その空気からわかる。  その時、リミスがぱんと手を叩いた。  重々しい空気を振り払うかのように明るい声で提案する。 「そうだ、グレシャ。ご飯でも行きましょ! 何か食べれば元気出るわよ」 「ご飯……食べる」  先程食べたばかりだが、グレシャの食欲は折り紙付きだ。武器を購入して懐具合は寂しくなっていたが、藤堂もアリアもそれに反対する程無粋ではない。多少多めの食事を取るくらいの金はある。 「ねぇ、何食べたい? グレシャ」 「……」  グレシャが幼気な双眸を吊り上げ、今までで一番真剣な表情を作る。  先程までの暗い空気はそれだけで霧散していた。可愛らしい顔をしたグレシャの考え込む姿は微笑ましい。  暗い空気と一緒に、先程までの悩みもいつの間にか霧散していた。  藤堂が立ち上がり、気合を入れ直す。今の実力が乏しくても、レベルを上げ訓練をして高めればいいだけのことだ。  そこで、町中を歩いていた時に見つけた店の事を思い出した。 「あ、そうだ……あれなんかどうだろう……」 「……あれ?」  藤堂は照れたような笑みを浮かべ、間接的とはいえ、気分を変えてくれた小さな仲間に、頑張ってくれた仲間に提案する。 「ほら、街を歩いていた時に串焼きの屋台が並んでてさ、いい匂いが――」 「串ッ!?」 「ど、どうしたの!? グレシャ!? グレシャーーー!?」 「お、おい。どうした!?」  リミスの腕の中でピシリと固まるグレシャ。  無表情で動かなくなった少女に、藤堂が慌てて駆け寄り回復魔法をかける。  ふとその時、部屋が微かに震えたが、藤堂達が気がつく事はなかった。 § § §  いつも使っている物とは異なる鋼鉄のメイス。轟音。崖にめり込んだそれを中心に巨大な亀裂が入り、世界が震える。  深くめり込んだそれを力づくで引っこ抜く。パラパラと欠片が落ちるが、メイスには大きなダメージはない。 「実は俺のレベルは……もう上がらなくなってしまったんだ。これ以上、レベルを上げるには化物を超えた化物を狩らねばならない」  隙を見せた俺に、ウルツは全く攻撃を仕掛ける様子はなかった。  どうやら昔ぶっ飛ばしたのが相当こりているらしい。ただ、じりじりと距離を取りながら吐き捨てる。 「相変わらずの……化物っぷりだな……」  小細工をするには距離がいる。そもそもレベル差を覆すのは難しいが、近接戦闘で地力の差を覆すのは難易度が跳ね上がる。  だから、かつて俺がウルツと訓練した時、俺は距離を取った。上位者と戦うにはノウハウがいる。  だが、今の立場は逆だ。ウルツのレベルは65。もっとも、今回は殺し合いをしているわけではないが……  黒塗りのメイスを持ち上げる。いつも使っているメイスと比べると、見た目は似ているが、その強度は極端に低い。だが、強度の低い武器も俺が使うと崖を割る代物となる。存在の格の差というのはつまり――そういう事だった。 「ふっ……アレス……お前まさか、空を飛べるんじゃないだろうな?」 「まさか。だがレベル100になれば――飛べるようになるらしいな」  肩をすくめ、ウルツの方にゆっくりと近づく。力が強くなると振るう機会は少なくなる。  少なくとも高レベルの戦士には周囲の環境を破壊しない程度の自重が求められる。俺が魔王を討伐するわけではないが、身体がなまってしょうがない。  そういう意味で、ゴーレム・バレーは俺にとっても都合のいい地である。  崖に穿たれた巨大な亀裂――小柄な人間ならば入れそうな穴に一瞬視線を向け、ウルツが苦笑する。 「この地には大地の精霊が満ちている。明日にはある程度修復されるだろう」 「ここで藤堂にもあれくらい出来るようにしてもらいたい」 「それは……」 「聖剣を使えば可能なはずだ。ウルツ、これは冗談ではない。何しろ次の場所には――お前がいないからな」  まぁ、次にどこに行くか考えてないのだが……ここでどのくらいまで成長出来るか、そしてその能力の指向性をどこに向けるかで決めねばならない。  滞在期間は最低一月といったところか。魔王の手の者が来なければできるだけ長く滞在したいところだが、どのみちファーストタウンでの滞在期間は絞る予定だった。  ウルツが低く唸り、苦笑する。鉄柱のような巨大なメイスを軽々と持ち上げ、俺に向ける。  俺もそれに対して、ウルツと比べれば小枝のように細いメイスを構えた。 「無茶を言ってくれるな」 「無茶は承知だ。俺の今のビジネスはこの無茶を通す事だ。ウルツ――」  少し考える。マダムもいるし、ウルツなら少しばかりふっかけるくらいがちょうどいいだろう。  常にある程度の余裕は持たせておきたい。 「ここでレベル60相当の実力まで上げてくれ。一ヶ月で」 「!? いや、それは不可能――」 「後、ステイをまともに動けるように鍛え上げてやってほしい」 「!? 冗談だろ!?」  俺は冗談が――嫌いだ。  その時、訓練場の外で、アメリアと一緒にこちらを見ていたステイが声を上げかけた。  元々の法衣は諸事情により接収したので、今はやたら胸の張ったぶかぶかの法衣を着ているがそのあっぱーな感じの雰囲気は変わっていない。 「あのー……アレスさん? 私は大丈夫……だと……思い……ますです……けど……」 「私は絶対無理だと思います。藤堂さんはともかくこのこは無理です」 「!? 先輩!?」  ステイの客観性の乏しい言葉を、今日のステイ当番のアメリアが切って捨てた。 page: 101 第三報告 TODO(報告書作成中につき) 第十三レポート:発生し得る問題と対策について  俺は藤堂直継に才能を見出している。  古より伝わる英雄召喚は今まで数多の勇者を生み出してきた。中には闇に落ちた者もいるし、後世に伝わる事無く消えていった者もいるはずだが、その術式の効果には一定の信憑性がある。  そもそも加護が付与される時点で強力なのだが、それを除いても――少なくとも、石を投げてその辺を歩いている連中を勇者にするよりは、資質の高い者を見出だせる可能性は高いだろう。  ゴーレム・バレーに到達してから二週間弱が過ぎた。致命的な問題は発生していない。  ウルツの戦闘手法は我流である。だから、体系化された武術を教えたりはできないが、元々藤堂に足りなかった部分はそういう部分ではない。  元々、藤堂に与えられた軍神プルフラス・ラスの加護は優れた武人の資質を持つ者が得る事で知られている。  藤堂が訓練を通して今の身体能力に適応するまで時間はかからなかった。  期間にすれば一週間程度。その期間の短さは奴のポテンシャルの高さの証明である。  隆起した崖の上から遙か眼下、訓練所の中心に立っている藤堂を見下ろす。  藤堂は目を閉じ、ゆっくりと呼吸を繰り返していた。その様だけで、一週間前の彼とは異なる事がわかる。  レベルによって上がるのは身体能力だけではない。今はまだ気づかれていないが、いずれ俺の監視にも気づくことが出来るようになるだろう。  藤堂一行に遅れる事十分、ウルツが訓練所に入ってくる。その背には一体の人形が背負われていた。  この地に生息するゴーレムの一種。それに似せて、魔導師が生み出した訓練用のゴーレムだ。  形は俺が以前倒してみせたロック・ゴーレムよりもスリムでより人型に近く、その装甲は傷だらけだが磨かれ、鈍色に輝いている。  訓練用のゴーレムはメタル・ゴーレムの一種だ。  ロック・ゴーレムよりも小さいが力が強く敏捷性に秀でている。特殊な金属で作られており、装甲も硬く、武器を扱う事でも知られており、ゴーレム・バレーの中でも滅多に出現しない存在である。  訓練用に調整されているので天然のメタル・ゴーレムよりはずっと弱いが、あれを相手にできれば実力が付いている証にはなるだろう。  藤堂がウルツの気配を察知し、目を開く。その手に握られているのは訓練用の鉄の剣だった。以前までの藤堂ならばそれでメタル・ゴーレムに相対するのは難しかっただろう。  アリアとリミス、そしてグレシャは少し離れた所で藤堂の様子を見物していた。  ウルツが抱えていた人形を地面に置き、藤堂の方に視線を向ける。 「今日はこいつを相手に戦って貰う」 「はい」 「以前の聖勇者殿ならば対峙することすら困難な相手だ。討伐適性レベルで言うのならば――45程度はあるだろう。変わった能力はないが純粋に素早く固く力が強く魔法耐性も高い」 「はい」  抑揚のない、重苦しいウルツの言葉を聞いても、藤堂の表情に変化はない。ただ、じっと目の前で佇む人形を見上げている。その様子に緊張は見られない。  ウルツが眉を顰め、尋ねる。 「それで――今日も一人で戦うか?」 「……はい。やってみます」  藤堂の返答は以前のそれと変わらない。ウルツはその言葉が分かっていたかのように小さく頷いた。  勝利に固執する傭兵ならば間違いなくパーティでの戦闘を選んでいたはずだ。  それは、奴のあり方が傭兵というよりは正々堂々の戦いに拘る騎士に近い事を示していた。傲慢とも言い換えられるが、資質の一つとも言える。訓練を重ねても一切変わることのなかったそれが今後吉と出るか凶と出るかはわからない 「ならばいい」  訓練用ゴーレムがぎしりと軋んだ音を立てて直立する。その顔がゆっくりと下り、頭が藤堂の方を向く。  ウルツはゆっくりとアリア達の隣まで離れた。  実はウルツは割と無茶を言うタイプである。藤堂もここ数日の訓練で何度もふっとばされてそのことを理解しているだろうが、適性レベル45は45でも、パーティで戦って45だ。  そして本来のメタルゴーレムはその遙か上を行く。金属製のゴーレムはこの地でも屈指の難敵なのだ。  僧侶は教義により嘘をつけない事になっているが、逆に嘘以外ならば特に制限はない。  藤堂が剣と盾を構え、じりじりと円を描くようにゴーレムに構える。そして、何の合図もなくメタル・ゴーレムが藤堂に襲いかかった。 § 「次は……もっとレベルを上げてから来るといい。今のレベルでこれ以上戦闘能力を向上させるのは難しい」 「はぁはぁ……はい。ありがとう……ございました」  膝に手をつき、荒い息を吐きつつも、藤堂が顔を上げる。  アリアも似たようなもので、メタルゴーレムとの訓練を免除されたグレシャと、魔法職故に自主練に励んでいたリミスだけが目立った傷のないメタルゴーレムを見上げていた。  結果は見えていた。元々、パーティでも適性以下なのだ、いくら聖勇者とは言え、そう簡単に奇跡は起こらない。  だが、そのレベルを考慮すれば、相対したその結果はかなり上等な部類と言える。大きな傷をつける事はできなかったが、藤堂はメタル・ゴーレム相手にそれなりの時間粘る事ができていたし、アリアもまた致命傷を受けずにその猛攻を凌ぎきった。パーティで訓練を受けていたらもしかしたら勝てる可能性もあったかもしれないし、本来の武器を使っていればまた結果は変わっただろう。  俺がもしも彼らと同じレベル帯で訓練を受けていたら多分為す術もなく負けていたはずだ。 「この型のゴーレムは滅多に現れないが――浅層に現れるゴーレムを相手にする分ならば十分だろう」  ウルツの言葉を神妙に聞く藤堂。長く訓練を受けてもらった相手というのもあるのだろうが、藤堂は元々向上心が高い。 「今回聖勇者殿がこれに勝てなかったのは――純粋に地力が低いためだ。気にする必要はない」 「分かって……ます」  絞り出すような声を出し、それでも、藤堂が悔しげに唇を噛む。  メタルゴーレムの魔法耐性は屈指。歩く骸骨のように咆哮も効かなければ、藤堂が今使えるレベルの攻撃魔法もほとんど効かない。  相性が悪かった。だが強い相手と戦った、この数日間はかけがえのない経験になった事だろう。  続いて、動きについてのアドバイスを始めるウルツ。  その様を見て、俺は踵を返した。藤堂の方は順調と言ってもいいだろう。だが、俺の考えるべきところはそこだけではない。 §  送られてきた手紙を握りつぶす。憤懣と不安をごまかすように深々とため息をついた。  手紙は藤堂の訓練中、空いた時間に依頼していた調査の結果だった。  ゴーレム・バレーの内部には五つの街が存在するが、それぞれの間はネットワークで結ばれている。傭兵達のネットワーク、教会のネットワーク、そして商人達のネットワーク。  立場が違う以上、結びつきも異なり、得られる情報も異なる。教会のネットワークはともかく傭兵と商人に力を借りるには金とコネがいる。俺は空いた時間、その三つ全てのネットワークを使って情報の取得に努めていた。  短い時間なのでそれほど情報は集められなかったが、それでも十分だった。  感情が顔に出ていたのか、アメリアが口を開きかける。 「何か――」 「何かあったんですかぁ? アレスさん」  ここ数日、金蔓にランクアップしつつも全く態度の変わっていないステイが危なっかしげな足取りで近づいてくる。 「いや……何も……ない」 「……え?」 「何もないんだ……ありえない」  手紙を強くテーブルに叩きつける。  怪我人も増えていなければ強力な魔物の出現などもない。『第一の街』から『第五の街』に至るまで、異常という異常を、噂という噂を洗った。  だが、問題が起こっていない。起こっていないのだ。そんな馬鹿な話があるだろうか? 「ここはレベル上げで有名な地だ。勇者召喚がバレていたら間違いなく手を打たれるはずだが……何もない」 「……こほん。それは……いい事では?」  言葉を遮ったステイに無表情で視線を向けていたアメリアが、小さく咳払いして言う。  そうだ。いい事だ――本来ならば。  だが、あまりにも何も見つからない。ヴェール大森林でも、有名所でもなんでもないピュリフでさえ問題が起こったのに、この地では何もないなんてありえるだろうか? いや、ありえない。  俺の言葉に何も分かっていない表情をする致命的なドジっ子を眺める。確かに問題だ。確かにこいつは問題だが、まだ問題が甘い。  こいつは確かに死なせるわけにはいかないし足を引っ張っているが、同時にメリットもある。致命的な問題でもない。  いや、内部でなければ――外部から、か!?  ここ数日、時間が余ったので本部への報告を任せていたアメリアに尋ねる。 「アメリア、グレゴリオは今何処にいる?」 「まだピュリフにいるそうです」 「……こちらに来る気配は?」 「……特には。さすがにないんじゃないですか? スピカも一応まだ生きてるらしいですし」  そっけないアメリアの言葉。そうか、さすがにない、か。  じゃーどこから問題が来るんだよッ!!  来るならとっととこい。さっさとこないと――次の備えをしてしまうぞ!? いいのか!? 本当にいいのか!?  いや――駄目だ。まだ油断はできない。今までの事を思い出せ、アレス・クラウン。  きっとまた、油断したところで落差で攻めてくる作戦に違いない。  アメリアが目尻を下げ、いつもより心なし優しい声で言う。 「アレスさん……疲れているんですよ。少し休んだらどうですか?」 「そーですよ、アレスさん。働きすぎです。ワーカーホリックだって、先輩もいつも言ってますよ?」  気遣いが痛い……だが、俺は狂っていない。今は疲れてもいない。問題が……起こっていないのだから。  むしろ何か起こってくれた方がマシである。嵐の静けさに見えてしまって気が休まる暇もない。  考え過ぎか? 考え過ぎなのか? ここまで探してもないという事は……そういう事なのか? 「いや、まだだ。まだ油断出来ない。明日から藤堂達はレベル上げに戻る。そこで何かが……起こるはずだ。予想も出来ない何かが」  だが何が起こる? 藤堂の……死? いや、まて。恐らく違う。それは防ぐ。  今まで起こった問題の傾向からすると、もっとこう、変な方向の問題が――。 「落ち着いて下さい、アレスさん。深呼吸深呼吸」 「……チッ。いいだろう、槍でも鉄砲でも持ってこい」 「アレスさん!?」  時間が空いたからと言って備えを怠るつもりはない。  万全を期していれば問題ない。なんだろうと正面から切り抜けて見せる。  上目遣いでこちらを窺ってくるステイを見る。 「んー……難しくてアレスさんが何言ってるのか、よくわからないです?」  とりあえずは……こいつから始めるか。 「アメリア、酒だ。酒を持って来い」 「へ!? な、何でいきなり?」  知れたこと。ステイに飲ませてどんな問題を起こすのか確認するのだ。  今ならば余裕がある。事前にわかっていれば次に同じ問題が起こっても対処するに易い。  事前に起こりうる問題を潰す。潰すのだ。 page: 102 第十四レポート:レベル上げと異変調査の状況について  その身の放つ強さが、以前と明らかに異なっていることは見る人が見ればすぐにわかっただろう。  存在力の大きさ――戦士の力量はある程度の経験があればわかるものだ。  『第一の街』から『第二の街』への道中、ゴーレムを危うげなく切り刻む藤堂達の姿に安心する。どうやらウルツは本当にうまいことやってくれたらしい。  藤堂の方を観察する。  以前まではついてこれなかった飛び跳ねるようなボール・ゴーレムの動きに合わせるように藤堂が足運びを変更する。凄まじい速度で変則的な動きで突進してくるゴーレムを、その眼は確実にとらえていた。  斜めから振り抜いた剣が容易くゴーレムを両断し、残骸に変える。鉄の剣ならばまだ苦労していたかもしれないが、聖剣ならば多少太刀筋が乱れても障害にはならない。当たれば切れるのだから、敵の動きが見えるようになった時点でゴーレムはただのカモだ。  続いてアリアの方を観察する。  藤堂はまず受けることを考えているが、アリアは常に攻めることを考えた動きをしていた。  元々彼女が転向したミクシリオン流剣術は殺す剣だ。歩法を重視し、敵陣に切り込むことで活路を見出す。達人になれば数十体の魔物の群れに切り込み、掠り傷一つ負うことなく全滅させるという。  アリアはまだその域にまでいっておらず、何度か攻撃を受けていたがそれでも前に出ようという気概だけは負けていない。軽装にも拘らず数体のゴーレムを前に踏み出しそれらを剣で牽制する。  そして、両断とまではいかないものの、アリアの剣もまたゴーレムの装甲を大きく傷つけられるようになっていた。うまいことゴーレムの心臓に当てれば一撃で殺すことだってできる。まだ何体か弾き飛ばして崖の下に落としていたが、これならばレベルも上がる事だろう。  リミスの役割は撃ち漏らした魔物を焼き尽くすこと、そしてゴーレムが大量に現れた際に初撃に魔法をぶつけて数を減らすことになっている。魔力の節約やレベルを均等に上げようとしているという事もあるのだろう。  強力な精霊の力故か、レベルは一番低いにも拘らず今のところ現れたゴーレムは残らず一撃で灰になっていた。  低レベルで強力な魔物を倒しているためレベルの上昇も一番激しく、常にレベルアップ特有の違和感に襲われているようで、そわそわとしていた。藤堂の神力だとまだレベルアップの儀式を何度も行えないためだろう。存在力の余剰、もったいない。  グレシャは主に前衛を抜けてきた魔物からリミスを守っていた。亜竜故の強靭な膂力と耐久力。元々ゴーレムよりも討伐適性レベルが高いこともあり、危うげな点は見受けられない。  そして、藤堂達は何体ものゴーレムを討伐しつつも道中を抜け、セカンド・タウンにたどり着き、その頃には藤堂のレベルは30にまで上がっていた。 § 「ようやく30ですか……」  セカンド・タウンの構造はファースト・タウンとさほど変わらない。  基本的にゴーレム・バレー内の街の構造はどこも一緒だ。ただ唯一、奥の街になればなるほど――数字の大きな街になればなるほど、人口が少なくなり分布比率が傭兵側に偏っていく。  アメリアと落ち合った宿の酒場も傭兵の姿で溢れていた。  恐らく、この中で藤堂達よりもレベルの低い者はいないだろう。この地はそういう地だ。レベル55の僧侶は珍しいが、アメリアのそのレベルもこの中では決して目立つレベルではない。  ゴーレム・バレーに生息する数少ない生物。琥珀鳥のソテーにフォークを入れながら答える。 「当初の予定よりは遅れてはいるが悪い傾向ではない」  とりあえずはゆっくりでもいい。積み重ねは魔王に対する剣を研ぐ事と同義である。  そこでステイがにこにこ笑いながら口を挟んできた。レベルだけは高いためか、今日一日足場の悪い崖を進み続けたにも拘らず疲労している様子もない。  ソースを口元につけたまま両手を上げて主張する。 「藤堂さん、ほんっとーにすごかったんですよ! 襲い掛かってくるボールみたいな奴をずしゃーって!」 「私は貴女を連れ歩くことができているアレスさんがすごいと思います」  アメリアが澄ました表情で毒を吐く。  手ずっと引っ張ってるだけだからな、俺。  まぁ、それはともかくとして――。  何も言わずとも俺の言いたいことに気づいたのか、アメリアが報告を始める。 「アレスさんから言われた通り、異常の調査をしました」 「何かわかったか?」  念に念に念を入れる。俺よりもアメリアの方が相手の口も軽くなるだろう。  期待を込めた視線を投げかけるが、アメリアは小さく首を横に振った。 「特に異常は起こっていない事が分かりました。平和です」 「何も……ないというのか……本当に」  マダムの情報。アメリアの現地調査。ファースト・タウンで直に洗った情報。その全てがトラブルがないことを示している。  唸っていると、アメリアがほんの少しだけ唇の端を持ち上げて微笑んだ。 「ええ。本当に。そもそも、今の状況が普通なのでは?」  確かにその通りである。  だが、それでも腑に落ちない。いきなり順調になるなんて腑に落ちない。納得行かない。今の状況、運がいいなんて言う言葉で表現してしまってもいいのか?  悩む俺に、アメリアが追い打ちをかける。自分の隣に座っているステイを指して、 「大体、トラブルなら彼女がいるじゃないですか」 「……なぁ、一つ聞きたいんだけど、何でお前ら仲いいの?」  どう考えてもアメリアはステイの方を邪険にしているんだけど。  邪険にされた本人が邪気のない笑顔で明るく言う。 「先輩は教会本部で私の隣の席だったんですよー!」   そのままステイに肩を突っつかれ、アメリアは小さくため息をついて続ける。 「……はぁ。ちなみに交換手としての仕事をステイに教えたのも私です」  だいぶ繋がるの遅かったんだけど、もっとちゃんと教えておけよ……と言いたい所だが、きっとそこには並外れた苦労があったに違いないので俺は言葉に出すのをやめた。  アメリアが続ける。その声色には苦労が滲んでいた。 「ステイは……なかなか人見知りする方なので苦労しました」  どう考えても真逆に見えるんだが、それは言わない方がいいのだろうな…… 「後、少し目を離すとトラブルを起こすので」 「なるほど……そんな風にか」  指を指す。アメリアの隣で、ステイがウエイターに酒を注文していた。  昨日試しに飲ませてみて、予定通り飲酒厳禁令出したのに全く気にしている様子がない。  多分、こういう状況で長く目を離していたら酔っ払うまで気づかないのだろう。短い付き合いだがそれくらいの事はわかる。なんか扱うコツもつかめてきたし、これはこれで――。 「そう。こんな風に……って、ステイ!? 飲んじゃダメって言ったでしょう!」 「飲まないですよー、頼むだけ、頼むだけですー」  アメリアに頬を引っ張られて涙目になるステイ。  ちなみに、ステイの酔っ払い方はアメリアとそっくりだった。先輩後輩といっても、そんなところまで似なくていいのに。  一度咳払いをして場を仕切り直す。アメリアが摘んでいた頬をぱっと離した。 「とりあえず藤堂の後はもうしばらくつける。目安としては全員がレベル30になるまでは後をつけたほうがいいだろう。本音を言うのならば適性まではつけていきたいところだが、クレイオから過保護という言葉も受けている」  最悪、俺がいなくてもグレシャを壁にすれば逃げるくらいの時間は稼げるだろう。  藤堂はそれを良しとしないだろうが……アリアとリミスが何とか説得してくれる事を信じよう。 「アメリアは引き続き調査と調整を行ってくれ」 「一つ提案があります」 「……言ってみろ」 「私とステイの役割を逆にしませんか?」  何を言っているんだ……こいつは。アメリアに任せている仕事は別に難しい物ではないが、迅速な行動と自分自身で考え判断する力と一人でも迷子にならない力が必要とされる。  まじまじと見るアメリアの表情は真剣だった。アメリアは真剣な表情でおかしな事を言うからな。 「理由は?」 「ステイとアレスさんが二人で危険な場所を探索していると思うと心配で仕方がありません」 「俺はステイを一人にする方が心配で仕方がない。却下だ」  確かに、危険地帯にステイを連れて行くべきではない、が、今更そんなこと言っても仕方がない。  もうそこの議論は終えたのだ。ステイは目を丸くして俺とアメリアを交互に見ている。  大体、俺もステイの扱いには慣れてきた自覚がある。深く考えない。いざという時は力づくで何とかすること。この二つを守っていればなんとかなるのだ。  アメリアがジト目で俺に言う。 「心配過ぎて精神病みます」 「病め」  アメリアの図太さは既にわかってる。お前は強い子だ、大丈夫大丈夫。 § § §  身体の奥底から力が湧いてくるかのようだった。  眼をつぶったまま何度か息を吐き出し、目を開ける。儀式により神力がごっそり抜けたが、そんなこと気にならないくらいに身体に力が溢れていた。  呆然と手を何度か握り確かめる。いつもレベルアップの時には力の上昇が自覚出来ていたが、今感じているそれは今までの比ではない。 「これが……レベル30……」 「おめでとうございます」 「よかったわね、ナオ」  道中、レベルが一個上がり28になったアリアと、範囲殲滅のお陰か一番大きくレベルの上がりレベル20になったリミスが祝福の言葉を駆ける。  レベル30。そのレベルに意味があるというのを、既に何度も聞いていた。  グレゴリオも言っていたし、最初に目標を決めた時にも聞いている。だが、実際になってみると確かな違いがわかって、藤堂は思わず唇を噛んだ。  大きすぎる違いだ。30になる前の自分と今の自分ではまさしく存在が違う。恐らくその二人が戦えば百回に百回後者が勝利するであろう、そういう違い。  そして、それは同時にそれまでが何も出来ない状況だった事を示していた。  仲間を見る。まだレベル30になっていない仲間を。  今まで以上の焦燥を感じる。焦燥に押されたかのようにぽつりと言葉を出す。 「早く……強くならないとね」 「そうですね……」 「ここなら直ぐに上がるでしょ……レベルアップの儀式を何度も行えないのはネックだけど……」  リミスの言葉は正しい。藤堂の神力ではまだレベルアップを何度も連続で使用できない。もしも使用出来ていて、存在力が貯まる度に儀式を行えていたら、もっとリミスのレベルは上がっていただろう。  難しい表情をしていたのか、アリアがまるで慰めるように肩を叩く。 「大丈夫、神力も徐々に伸びていきます。……私も少しは負傷を減らせるように精進しないと」 「そうね、アリアが傷を負わなくなればその分レベルアップに力を裂けるわけだし……」 「い、いや、私が傷を負わなくなっても神力の節約はしなくてはならないぞ? 戦場では何が起こるかわからん」  何やら言い争いを始めたリミスとアリアをよそに、藤堂はもう一度、今度は一人でぽつりと呟いた。 「強く……ならないとな」  レベルは最低限上がったがまだやるべきことは数え切れないくらいある。  魔術の訓練、剣の鍛錬、神力の向上。戦闘時のフォーメーションだって、まだグレシャの存在を加味したものになっていない。  一人うつむいてその事を考えていると、その時、リミスがふと思いついたように短く声をあげた。 「そうだ、ナオ。私も傷を回復できる魔法を覚えようと思ってるの。ずっと前から考えていたんだけど、ようやく習得に必要な道具が揃って……まぁ、まだ使えるようになるかどうかわからないんだけど……」 「お、おい、聞いてないぞ!?」  仲間も皆できることをやろうとしている。  リミスとアリアを見て、藤堂は笑みを浮かべて顔をあげた。  課題がどれだけあっても一つずつ潰していけば必ずそれは魔王討伐の道につながっている。  たった一人では困難な道かもしれないが、仲間達がいれば必ず達成できるはずだ。  説明を始めるリミスに、藤堂はその事を再び強く確信した。 page: 103 第十五レポート:え? 私が報告書いていーんですか? 「ああ、特に異常などは発生していない。藤堂のレベル上げも順調だ」 『わかった。また何かあれば連絡を』  宿の自室。クレイオへの報告を終え、通信を切る。  ゴーレム・バレーに入ってから既に二週間近く。状況はかなり改善していた。  大きく開かれた窓から青空を仰ぎ、ため息をつく。順調なのは間違いないが、それが嵐の前の静けさに感じて、思わず寒くもないのに身を震わせる。  どうやら、藤堂達はウルツの忠告に従い、レベル上げと訓練を交互に挟むことにしたようだ。  二日間レベルを上げ、一日訓練を挟む。拠点はファースト・タウンとセカンド・タウンを交互に取る事にしたようだ。ウルツは基本的にファースト・タウンに寝泊まりしているので、あまり奥まで行き過ぎるとファースト・タウンまで戻って来ることができず、訓練を受ける事が出来ないためだろう。  これは、幸運なことだった。  ゴーレム・バレーも大墳墓と同様に奥に行けば行くほど強力な魔物が徘徊する傾向にある。  藤堂達のレベルは適正以下なのでファースト・タウンとセカンド・タウンの間でも十分にレベルを上げられるが、当然奥のゴーレムの方が大量の存在力を持っているので、リスクを考慮せずにレベル上げの効率だけを見れば奥まで行ったほうがいい。  藤堂の性格ならばそちらを選択する可能性もあると思っていたが、ウルツから訓練を受けるという名目がその道を断ってくれた。  そして、浅層のゴーレムならば藤堂達でも油断さえしなければなんとかなる。多種多様なゴーレムについても、その特徴をウルツから事前に聞いているため、何とか対応出来ている。  勿論レベルが低いので苦労していないわけではないが、大墳墓とは状況が違う。レベルも既に藤堂が33、アリアもリミスもある程度上がっており、それほど時間を待たずに次のステップに移る事ができるだろう。今までのレベル上げ効率から考えると異常と言える。 「いや、違う。これが普通なんだ。これが普通……」  おまじないのように呟き平静を保っていると、ふと部屋の扉が小さく開いた。ミスリルの代わりに木製のボタンの法衣を着たステイが首だけ中に入れて、いつも通り気の抜けるような声をかけてくる。 「アレスさん、朝ですよー」 「ああ……わかってる」  そっけない返事にもステイは満面の笑顔で嬉しそうな声を上げた。  ここしばらくの同行で俺もステイに慣れたが、彼女も彼女で俺に慣れているのだろう。それにしては慣れるの早すぎる気がするが……。  悩みの欠片もなさそうなステイの顔。俺もこれくらい能天気に生きた方がいいのかもしれないな。  ふと思い出して、昨日頼んでいた仕事について尋ねる。 「藤堂達が討伐した魔物の種類と数、ちゃんとまとめたか?」 「はーい。まとめました」 「お前いつも楽しそうだよな」 「え? そうですか?」  目を数度瞬きし、ステイが不思議そうな表情で首をかしげた。  レベルの上がる速度には多少の個人差がある。幾つかパターンがあるらしいが、上がりやすければ上がりやすい程に才能があるとされる。  そういう意味で、藤堂のレベルアップ速度はかなり高かった。また、アリアとリミスについてもさすが貴族の出だけ言って悪くない。  ルークスの貴族とはルークス王国建国時に尽力した人物である。かつて未開の地を切り開いた戦士たちの子孫はそれにふさわしいだけの才能を持って生まれている。 ステイのまとめてくれた資料はその事実を如実に示していた。険しい道に多種多様な進化を遂げた魔導人形の群れ。装備がいいとは言え、低レベルとは思えない戦果は俺が同じレベルだったのならば到底なし得ないものだった。  まとめられた資料を読み終え、丸テーブルに置く。これらの資料は藤堂の力量に対する指標となり、また後世の勇者のサポート時の参考資料ともなる。  ふと視線をずらすと、対面で資料を作ったステイが窺うような目つきで俺を見上げているのに気づいた。  どうやら事務処理能力には適性があるらしい。戦闘記録と呼ぶにはまだ考察不足な点はあるし、何かしでかしそうだがそれは俺がフォローすればいいだけだ。  試しに仕事を任せてみたが、通信機代わり以外にももしかしたら使いようはあるのかもしれない。 「ああ、ありがとう。助かった」  俺の言葉に、ステイの表情がみるみる明るくなった。 「! どういたしまして!」 「お前っていつも楽しそうだよな」 「お仕事、とっても楽しいです!」  元気よく答えるシスター・ステイ。どうやらとっても楽しいらしい。  良かった良かった。多分、本部ではドジしすぎて誰も仕事を与えてくれなくなったのだろう。俺は面倒臭そうなのでそれ以上その件について触れるのはやめた。  ステイは姿勢をピンと伸ばしてこちらにしっかりと視線を向けている。性格も顔も全然似ていないのにその様子はどこかアメリアに似ていた。 「藤堂もアリアもリミスも順調にレベルは上がっている。今の内に根本的な問題の解決の目処を出しておきたいな」 「根本的? な問題? ですか?」  如何にレベルが上がっていてもどうにもならないものもある。  その最たるものがアリアの魔力ゼロ体質だ。あれは正直どうにもならない。  魔導師は自身の魔力を元に明確な技術を使って魔術と呼ばれる現象をこの世界に引き起こすが、剣士が魔力を使用しないわけではない。剣士はもっと原始的な方法で魔力を使う。体内に魔力を巡らせて身体能力を向上させる『激動』や身体に魔力を張り巡らせて障壁とする『防壁』が有名だが、墳墓で藤堂が見せた『咆哮』もそれらの技術の一つだ。  それら技術は『戦技』などと呼ばれるが、今は武器や防具の力で対応出来ていても、戦技が使えないというのは戦士にとって致命的なハンデだった。  魔力量とは個人の資質だが、普通の戦士でも上に行けば行くほどその差が如実に実力に現れるのだ。戦に練達した者ならば魔力がないことがどれほどの問題なのかはっきりとわかるだろう。  俺の言葉に、わかっているのかわかっていないのか、ステイが相槌を打ってくる。 「確かに? アリアちゃんが一番、ダメージを受けてましたが……」  今のレベルでは戦技を使いこなすのはまだ早い。  だから、装備の質がいいこともあり、まだはっきりとした障害は起こっていないが、いつか絶対に実力不足でパーティから抜ける事になると思っていた。  俺の心配するような事ではないかもしれないが、なるべく死なない内にチェンジしたほうがいいだろう。死なれると勇者の精神に深い影響を与えかねないし。  ただし、本人から言い出さない限りこちらで勝手にチェンジするわけにもいかない。藤堂も納得しないだろう。  さすがに、アリアならばその時が来たら自分から言い出すと思っているが……。  だが問題はアリアだけではない。そろそろ現実に目を向けなければならない。  問題を洗い出し一個一個解決に導かなくては。 「後はリミスだな。火属性の精霊としか契約していないというのは致命的な問題だ」 「あー……珍しいですよねー」  同じ魔導師として思う所があるのか、ステイが納得の表情をする。珍しいなんてもんじゃないんだが……。  そのまま続けて問いかける。 「何故だかわかるか?」 「えっとー……魔物には得意な属性と苦手な属性があってぇ……」  ステイが気の抜けるような声で答える。が、概ね理解しているようだ。 「そうだ。魔物には得意な属性と不得意な属性がある。精霊魔導師の強みは常に魔物の弱点をつける点にある」  例えば氷樹小竜は全属性に高い耐性を持つが特に氷属性の攻撃魔術に対してはほぼ完全な耐性を有する。逆に火属性の攻撃魔術は氷属性よりも効きやすい。  強力な魔族の中は皆、魔術に対する強い耐性をもつが、それだってムラがあるものだ。魔物の弱点を見極める目も精霊魔導師に求められるものだ。  アリアよりは幾分マシとは言え、選択肢が少ないのはかなり大きなデメリットである。火属性に耐性のある魔物なんていくらでもいるのだ。傭兵のパーティだったら火属性以外使えない精霊魔導師は間違いなく入れてもらえない。  だが、ここで一つ予想外がある。  俺は魔術については門外漢だ。多分ステイの方がまだ知識を持っているだろう。  唇を舐め、自身を落ち着かせて言う。 「だが、リミスはまだ戦えている。俺は絶対にここでリミスが躓くと思っていた。いくら強力な精霊と契約していたとしても、ゴーレムは基本的に火属性に対して高い耐性がある。少なくとも、リミスのレベルでは一撃で倒せるような事はないと思っていた」  だが、現実に倒せている。一撃で全てを灰にできている。相手は燃えやすいアンデッドではない。  下級のゴーレムだという事を考慮しても、これは完全に俺の予想の上をいっている。  ステイをじっと見つめる。ステイは照れたように頬を染めた。染めんな。 「ありえるのか?」 「んー」  ステイは目を閉じて少しだけ低い声で唸ったが、すぐに目を開いた。 「精霊魔導師で一番重要なのは……契約してる精霊さんの力とそして、どのくらい心を通わせているかだから……」  ありえるという事か。ステイの知識をどこまで信頼していい?  ……いや、ありえるありえないではない。『ありえている』のだ。精霊の力かあるいはリミスに卓越した才能があるのか、知らないが。  リミスの問題とアリアの問題には差がある。アリアの問題は絶対に解決できないが、リミスの問題はまだ解決できる可能性もある。  俺は彼女が火属性精霊としか契約を結んでいない理由を知らない。単一属性の精霊としか契約を結べない体質など存在しないはずだ。  俺はここでリミスに問題と直面して欲しかった。火属性の精霊では倒せない魔物という存在を実感して欲しかった。そしてできれば、他の精霊と契約する道を見て欲しかった。契約出来ない理由があるのならば、自分の力不足を実感して自らパーティを脱退して欲しかった。代わりは何とか探すから。 「アレスさん? 難しい表情してます」  ステイに指摘を受けるが、難しい表情もするというものだ。  だが、まだリミスに苦戦させる目がないわけではない。  一度水で喉を潤し、続ける。 「だがまだだ。まだリミスはヴォルカニック・ゴーレムを相手にしていない」 「ヴォルカニック……ゴーレム?」  この地に生息するゴーレムの中でも上級に位置するゴーレム。火属性の攻撃魔法に対するほぼ完全な耐性がその最大の特性である。  浅い部分には出現しないのでまだ遭遇していないが、それほど珍しい存在ではないので、もっと奥に行けば絶対に遭遇する事になる。強さ自体はそれほど強くないので藤堂とアリアが相手をすれば問題ないが、果たして自分の魔術の通じない相手と出会った時にリミスは何を考えどう変わっていくのか。 「……まぁ、魔導師は女が多いから代わりを用意するのもアリアより楽だな」 「きっと、リミスちゃんならだいじょーぶですよ」  陰のない表情でステイが適当な事を言った。 §  極度に圧縮された炎の槍が身の丈数メートルもあるロック・ゴーレムの体幹を貫く。  槍は分厚い胸甲を溶かし突き進むとそのままコアを破壊し、ゴーレムを燃やし尽くした。  属性相性を考慮しない恐ろしい威力。重い物体が崩れ去る音が空間に響き渡り、その振動がそこから随分と離れているこの場所まで伝わってくる。  しかもそれはリミスのレベルアップに伴い徐々に威力を増しているようだ。  外と異なり洞窟内での尾行はかなり難しい。視界には入る程に近づいてしまうとバレる可能性が高いので、空気の振動と音、あるいは臭いから状況を察さなくてはならないが、注意の必要もないくらいにその戦闘音は派手だった。  現在のリミスのレベルは23である、だがこの分だとあっという間に藤堂に追いつく事だろう。  しかも、あろうことか『炎の槍』は初級の攻撃魔法なのだ。23の精霊魔導師でも連続で撃てるし、見たところリミスはほとんど魔法を外さない。魔導師の中には命中率に難のある者もいるが、リミスはそうではない。  フリーディアは強力な精霊魔導師の家系だ。それが如何なるものか俺には全く予想がつかないが、古くから続く名門にはその年月に相応しいノウハウが蓄積されているのだろう。  後衛が頼りになれば前衛はより活きる。藤堂達のパーティは今、パーティとして十分に機能していた。  またレベルが上がったのか、短い歓声が伝わってくる。  無尽蔵の備蓄を可能とする魔導具と優れた武器に才能。藤堂達の進軍を止める要素は未だ見つからない。そもそも、ゴーレムと戦えば戦う程にその動きは洗練されていっている。  唇を噛み、絞り出すように評価を下す。 「ッ……この辺りに出るゴーレム相手ならば、もう大丈夫だな。追跡をやめる日も近いかもしれん」  30になるまでは様子を見るつもりだが、この分だと杞憂に終わるだろう。  俺の側でフラフラ立っていたステイが俺の言葉に目を見開く。 「そーですね。……あれ? そしたらもしかして私、役立たずですか?」 「……」  人が足りないのだ。なんとなく扱い方も分かってきたわけだし、あまり難しい事を頼むのもあれだがもう少し使ってみてもいいだろう。 page: 104 第十六レポート:アレスさんは……色々ひどいです。 「お前を少しは使い物になるようにすると言ったら、尊敬されてしまった」 「え……えぇ……」  ステイが眉を歪め、微妙そうな表情をする。俺はじゃらじゃらと太さ一センチもある頑丈な鎖を手元に引き寄せながら、文句を言った。 「『アレス、幸運を祈る』、じゃねえ! 祈るだけだったら誰だってできる。もっと具体的なものをよこせ!」  元々食えない男ではあったが、最近のクレイオは俺の忍耐を試している節がある。 「あ、荒れてますねえ……そ、で、アレスさん? あのー……」  足元を気にしながらステイが言う。スカートのような法衣から伸びるステイの右足首には金属の足輪がしっかりと装着されており、俺の手元の鎖に繋がっていた。  冷たい風が身体を打つ。藤堂達は遠くを進んでおり、音から窺えるその戦闘に問題は見られない。  周囲には他の傭兵の気配はなく、完全犯罪にはもってこいの日だった。  ステイがかがみ込み、足首に嵌められた装着具を撫でる。  唇に指をあて、何か考え込んでいたが、すぐにこちらを見上げて言った。 「うーん、アレスさん、これ私、見たことあります」 「罪人の連行に使うものだ。頑丈さは折り紙つきだ、足が千切れても取れることはない」 「へー、凄いですねぇ。……あれ? な、どうしてそれが私に??」  まだ状況が分かっていないステイにため息をつく。やはり彼女には足りていない。  わたわたしているステイの方を見下ろし、断言する。 「ステイ、お前に足りないのは危機感だ。少なくとも、俺はそう判断した」 「えっと……危機感?」 「そうだ。正直、俺はいつまでもお前とお手々繋いで先導してやる事はできない。いや、短い期間だったから繋いでやろうと思っていたが、もう面倒だからやめる」  憐れんでいるわけではないが、このままずっとステイが今の状態なのは彼女自身のためにもならない。藤堂の方で手が取られなくなったのならば、内部を改善すべきである。小さなことの積み重ねが重要なのだ。  ステイについては、みんな改善を試みて失敗しているようだが、俺はまだ試みてない。 「? ????」  戸惑いを隠さないステイに念のため補助をかける。いかに脆弱であってもレベル72だ、補助をかければその生命力は一級の傭兵に遜色あるまい。  結局考えることを諦めたらしく、ステイははにかんだように笑った。 「え……っと……ありがとうございます??」 「どういたしまして」  ステイの首根っこを捕まえ持ち上げる。ステイの身体は驚く程軽かった。  左手の鎖を強く握り直す。さすがにおかしいと思ったのか、ステイが身体を震わせ暴れ始める。脚や手が俺にぶつかるが、レベル72じゃ振りほどく事はできない。 「ちょ……ああああれすさん!? あれすさん!?」 「舌噛むぞ」 「!?」  そして、俺はステイを絶壁の下に放り投げた。  ステイの悲鳴が尾を引いて蒼穹に消える。手の中の鎖が一気にピンと張り、重力が加算された力が腕にかかる。  続けて、ステイが崖に叩きつけられる鈍い音。  俺は無力だ。人に物事を教えるのにこんな手段しか使えない。  ずるずると引き上げたステイはまるで水揚げされた魚のようだった。  ゴロンと横たわりあられもない格好でステイが荒く息をする。その目には涙がたまり、まともにぶつかった顔は少しだけ赤みを帯びていた。 「はぁ、はぁはぁ……ぃたい……」 「嘘つくな。レベル72で補助までかけて痛みを感じるわけがないだろ」  ましてや力をかけたわけでもない。落下して地面に叩きつけられたならともかく、ダメージになる理由が無い。  というか、本来ならば叩きつけられる前に反応できるはずなのだ。たとえ……不意を突かれたとしても。  まくり上がったスカートを気にする様子もなく、ステイがばんばんと駄々をこねるように地面を叩く。 「い……言いたい事は……それだけなんですか!? こんな酷い事して――」 「いや、まだある」 「……え?」  決まっている。俺は、別に好きでこんな事をやっているわけではないのだ。  枢機卿の娘。その教育の下で改善しないのならば荒療治するしかない。  俺は再びステイを持ち上げた。絶壁の寸前まで歩みを進め、空中に吊り上げる。  数メートル下には細い道が、その更に向こうには底の見えない奈落がある。たとえ鎖が切れても運が良ければ下の道で止まるだろう多分。  ステイはしばらく呆然と下を見ていたが、引きつった笑顔を俺に向けた。 「あのー……アレス……さん? じょ、冗談、ですよね?」 「もう一度だ。ステイ、これは遊びではないし、ストレスを解消しているわけでもない」  戦場でドジをすることの意味を教えてやる。 § § §  三体のボール・ゴーレムとの戦闘を終え、ふと藤堂が後ろを向いた。  グレシャと並んで杖を構えていたリミスが、突然振り向いた藤堂に訝しげな表情で尋ねる。 「どうかした?」 「いや……」  周囲には自分達の他に人影はない。  そもそも、ゴーレム・バレーには無数の道が存在する。その中でも洞窟の内部を進んでいく道と比較し、外周を行く道は効率が悪いとされ、あまり人はいない。  きょろきょろと辺りを見渡していたが、魔物の気配も生き物の気配もない。そもそも、藤堂のパーティは四人もいるのだ。警戒しているのは自分だけではないし、何かあったら気づくだろう。  分厚く金属板の入った頑丈なブーツのつま先をとんとんと整え、小さくため息をつく。  剣を鞘に戻したアリアが瞬きをして聞いてくる。 「どうかしましたか?」 「いや……少し悲鳴のような物が聞こえた気がしてね」 「? 私は聞こえませんでしたが……」 「きっと気のせいだ」 「変なナオね」  ため息の混じったリミスの言葉に、頭を切り替え、次の戦闘の事を考える。  ヒビの入った盾もまだ壊れる気配はなく、遭遇する数種類のゴーレムの動きにも慣れてきた。レベル上げがようやく順調に進み始めたのだ。ただの気のせいに気を取られている暇はない。 § § § 「うわーん。せんぱーい!」 「……何したんですか?」  一通りの尾行を終え、本日の宿を取っているセカンド・タウンに戻る。アメリアの顔を見るや否や、ステイが危うい足取りでその胸の中に飛び込んだ。  人目のある場所で足輪は目立ちすぎるので、もう外してある。だが、何度も落としたせいか、足輪がついていた場所はやや赤くなっている。  しかし、泣きはらした様子のステイを見てもアメリアの表情は変わらない。ただ飛び込んできたステイを受け止め、こちらをじっと見た。 「少し訓練したんだ。だが、まったく目が見えない。運動神経が悪いわけでもなさそうなんだが、本当に不思議だ」  正確に言えば、一度落としたり落ちたりするとしばらくは転ばなくなる。だが、一定時間でまた元に戻ってしまう。  鎖を繋いでいるので落下死する危険はないのだが、手を取るのをやめたステイは俺が突き落とすまでもなく自分から何度も落ちており、自分から勝手に落下するステイの姿はジョークにしか見えなかった。それも、乾いた笑いすら出ない、質の悪いジョークだ。 「うぅ……アレスさんなんて……大っ嫌いですぅ」  何度も響き渡ったステイの悲鳴がもうきっちり耳に残っている。こいつ、何なの?  ベルト代わりに腰に巻いていた鎖を外す。 「脚に巻いて宙吊りにしたんだ」 「アレスさん……スパルタですね」 「だがどうにもならなかった」  呆れたようにアメリアが言う。  しかし、それだけではない。こいつ、徐々に慣れ始めていた。もう一度言う、徐々に慣れ始めていた。こいつ何なの? 「ぐすっ……ちゃんと、私ちゃんとひとりでできるって……いったのに」  アメリアの細身の身体を盾にするように背中に回り、ステイがうじうじ呟く。  本当に毎回毎回その自信はどこから来ているのか。 「続きは明日だ」 「え!? まままままだやるんですか!?」  藤堂がうまくいっている今がチャンスだ。着地点が見つかるまで徹底的に付き合ってやる。  泣きわめきながら頭をぐりぐりこすりつけてくるステイを、アメリアが平手で払う。軽めの平手だったが、ステイはよろよろと地面に倒れ伏した。酷いことをする……。 「正直、アレスさんがステイと一緒に行動すると聞いた時はどうなるかと思いましたが」 「思いましたが?」  それは俺も思いましたが? 「とても安心しました。仕事とプライベートを分けるのは当然ですね」  アメリアが薄い笑みを浮かべ、ティーポットからお茶を注ぐ。うつ伏せに倒れたステイのしくしくという泣き声とお茶を入れる音が奇妙なハーモニーを生み出していた。  もうめちゃくちゃである。俺は一端その光景から目を背け、目の前に置かれたカップを取って、アメリアの方の進捗を確認することにした。 「そっちの調子はどうだ?」 「骨ですね。傭兵達は自分達が倒した魔物の種類や数なんて覚えてませんから」  アメリアが小さくため息をついて答える。  彼女には魔物の分布について更に綿密な調査を頼んでいた。  数と種類。かつてザルパンが行ったように、魔族が手を入れるのならばそこだからだ。  だが、傭兵達は大抵、ちゃんと自分の倒した魔物など覚えていない。手に入れた素材からなんとなくの数は割り出せるが、それだってどこまで正確か……。  誰も把握していないから、調査には足を使う必要がある。金銭や愛想で記憶を掘り起こし一パーティずつ確かめる必要がある。 「ただ、やはり変わった魔物などが現れたり数が増えたりなどという情報はどこからも出てきませんでした。むしろ、最近は順調で大きな被害を受けたパーティなども少ないようです」 「先行して漁るしかない、か」 「心配性では?」 「アメリアやウルツがそう言えば言うほどに心配になってくるんだよ」  杞憂ならそれでいい。  どちらにせよ力押ししかできないのだ。ステイをぶん回しながら芽を一つずつ潰していこう。 page: 105 第十七レポート:アレスさんは……本当にひどいです。 「うぐッ……あ――やぁ……あああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ…………――」  ステイが空中に投げ出される。というか、自分から身を投げ出す。  鎖が地面に擦れる音。手の中の鎖がずるりと動き、表情を変えずに反射的に鎖を強く握った。  頑丈な鎖を通じて手に重さがかかる。  騒いでいたせいか、上からボール状のゴーレムが降ってくる。魔獣などと異なり、彼我の力量差を考慮する機能が搭載されたゴーレムは少ない。  俺は襲い掛かってきたそれを拳を握ってぶん殴った。ゴーレムが天高く打ち上げられ、崖の下に落ちていく。ボールゴーレムの存在力なんて今の俺にはいらない。  ステイの身体が叩きつけられる音と間の抜けたような悲鳴に耳を傾けつつ、俺はずっと先で発生していた藤堂達の戦闘が問題なく終わったことを確認した。  どうやらまたレベルが上がったようだ。レベルアップするごとに次のレベルアップまでのスパンは長くなっているが、まだ効率はかなりいい。本来のレベル上げとは長い期間をかけてやるものなのだ。 「ぁれすさぁぁん。引き上げてぇ……引き上げてくださぁぁぁい!」  今日もいい天気だ。いい見守り日和だ。  ステイの声が聞こえない振りをして、俺はステイを引きずりながら追跡を再開した。  §  一日の追跡を終え、今日の藤堂達の拠点であるファースト・タウンに戻る。  宿に戻った時にはステイはぼろぼろになっていた。机にベタッと身体を預け、ステイが泣き言を漏らす。 「うぅ……酷いですよう。あれすさん……」 「もしお前がドラゴンだったら俺はとっくに串を使ってる」 「??? 串……?」  たとえ枢機卿の娘だったとしても容赦するつもりはないが、多分串を刺すと言ってもステイがまともになったりはしないだろう。こいつはやる気がないのではなく、そういう星の下生まれているだけなのだ。  しかし、訓練を始めてもう三日も経つのにまだ落ちていくのは一体何故なのだろうか。なんかもうステイが落ちていくのにも慣れてしまった。  慣れてしまったせいで、落ちた後に引き上げずにそのまま引きずったり色々してみたのだが、何だかんだステイはぴんぴんしている。レベル72は偉大だ。ステイのレベルをそこまで上げるには並々ならぬ苦労があったはずだが、さすが頑張っただけのことはある……もっと他に頑張るべきところあるだろこら!  ステイがその暗色の目で恨みがましげに俺を見上げる。 「すっごく痛かったんですからぁ……頭くらくらするし……」 「文句を言う前にまっすぐ歩けるようになるんだな」  もうあまりステイの方を注意していないので細かいところはわからないが、今日の彼女は多分歩いた時間より引きずられている時間の方が長かった。勿論、鎖を結んであるのは足なので逆さまである。如何にレベルが高くてもずっと逆立ちしてたら血も回るだろう。むしろ何でこいつこんなに元気なの? 「大体、何で鎖でつなぐの足首なんですか……歩きにくいし……」  ステイお前、文句言う権利ねーから。  俺はたとえクレイオに命令されたとしても今の待遇をやめるつもりはない。  非常に不服そうなステイに説明する。 「いや、腕の付け根より足の付け根の方が太いから千切れづらいかなーと……」 「えええええ!? ち、ちぎれる想定だったんですか!? アレスさん、怖ッ」 「いや、どっかに引っかかった状態で無理やり引っ張ったら千切れる可能性もあるだろ」 「今私……凄いぞっとしてます。血の気引いてませんか?」  ステイがずいと身を乗り出し、顔を近づけてくる。  頬を膨らませているが、顔色はいつもと変わらない。そしてそれはぞっとしている人間のやる行動ではない。  異端殲滅官として、何人か人を見た経験はあるがここまで面倒なのはちょっと記憶にない。よく言えば新鮮味がある。 「腕が取れても俺の術ならば再生できるが、身体が取れてしまうと俺でも再生は難しい」  俺の言葉に、ステイがびくりと身体を震わせ、ふにゃりと再びテーブル崩れ落ちた。そのままの姿勢でポツリと呟く。 「……私、ちょっとアレスさんと一緒にやってける気がしないかもです……」 「さっきも言ったが、俺はお前がドラゴンだったらもうとっくに串を刺してる」  人間に刺したら犯罪なのであまりやりたくないのだ。寝覚めも悪くなるだろうし、問題になる可能性も高い。  まだ結論を出すのは早い。ステイだって人間だ、人間なのだ。今はダメでもきっといつか改善するだろうと思っている。やる気を失うことだけは避けたいので、ステイを慰めた。 「だが安心しろ。昨日よりも今日の方が転んだ回数、少なかったぞ」 「え!? 本当ですかぁ!?」  天然か否か、やたら復帰力の高いステイが不安の欠片もない明るい声を上げる。  回数が減ったのは本当だ。昨日と違って今日はいちいち引き上げなかったからな……本当に転ばなくなっているかは知らないが……。  頭を押さえ、髪をがりがりと掻く。慣れてしまったのか、頭痛はないのだがそれはそれで収まりが悪い気がする。 「さて、藤堂のレベルが上がるのが先か、ステイの足が千切れるのが先か……」 「!?」  むしろ、どれくらい耐久力があるのか確かめてみるべきかもしれない。  死ななければいいのだ。死ななければ神聖術で治せる。傷が残らなければきっと枢機卿も許してくれる。 「ひぃッ……先輩、助けてください! アレスさんに殺されるぅぅぅぅッ!」  ちょうど戻ってきたアメリアに救いの女神でも見るかのような目を向け、人聞きの悪いことを叫びながら駆け寄るステイ。  一応言っとくけど、そいつ、お前の味方じゃないから。 「アメリア、ステイのフォローを頼んだ。何とかうまく言いくるめておいてくれ」 「……ほ、本人の目の前で言わないでくださいよぅ」  嫌そうな表情をするアメリアをぎゅっと抱きしめ、ステイが言った。  結果を出せば誰も文句は言わない。 §  自分が成長していっているのを感じていた。  藤堂の動向に注意しつつステイの様子を窺い同時に襲い掛かってくる魔物を撃退する。恐らく以前の俺ならば精神的な疲労で長く緊張を保てなかったはずだ。  やろうとすら思っていなかったことだ。人間は環境に応じて適応する生き物であり、今まで受けたことのない負荷は人を成長させる。  夜中、皆が寝静まった頃、俺は一人展望台から真下を見下ろしていた。  傭兵の中には夜に活発化する者もいるので数人の酔っぱらいの姿はあったが、さすがに人数は多くない。  夜目は効くはずだが、崖の下は全く底が見えない。ただ奈落のような闇がこちらを覗いていた。  俺のレベルで補助さえかけてあればたとえ落ちても死ぬことはないはずだ。レベルは高くなれば高くなるほど突発的な事故で死ぬ可能性が低くなる。  レベル93は大体の死を克服している。骨が砕けようが肉が潰れようが大抵の傷は治せる。 「お、おい、あんたぁ、そんなとこで、何してんだぁ?」  帯剣した男が千鳥足でこちらに近寄ってくる。酔っ払っているのか、顔は明らみ視線もどこか胡乱げだ。  だが、そんな男でもここにいる以上藤堂よりもレベルが高いのは間違いない。 「尻拭い」 「んん? なんかいったかぁ?」 「尻拭いの練習だ。次は鎖なしで連れていくからな」  忙しなく瞬きする男に一言だけ答え、俺は柵を乗り越えて崖の下に身を投げ出した。  落ちる前に絶対にキャッチしなくてはならない。 § § § 「聖勇者殿、貴方は幸運だ」  訓練終了後にウルツが低く唸る。  激しく身体を動かした後だ、藤堂は身体全体が雨に降られたように汗をかいていたが、ウルツは訓練開始前から何一つ変わった様子はない。  疲労も見えなければ汗一つかいていない。その事実が悔しくて、藤堂は下唇を噛んだ。 「幸……運?」 「……ああ。貴方には強力な武器と仲間がいる。貴方が急速にレベルを上げているのはその賜物だ」  装着していたガントレットを外し、黒の皮のケースにしまいながらウルツが続ける。  その声色は朴訥としていたが、藤堂には深い感情が篭っているように感じられた。とても初日に鬼のような形相をしていた男のものとは思えない。 「そして何よりも貴方には戦士としての才能がある。勿論欠点も多いが、勇猛と弛まぬ努力はきっと聖勇者殿の力となるだろう」 「弛まぬ……努力。いや、僕は――」  言葉を放ちかける藤堂をウルツが遮り、分厚い唇を歪めて笑った。 「いや、聖勇者殿。案外そういったことが出来ない者は……多いのだよ。聖勇者殿もいずれ――わかるだろう。自分のできることをやるというのも……一つの才能なのだ」  藤堂と同じように疲労した様子で、しかしいつも通りの姿勢を保っているアリア、そして、一人で魔法の練習をしていたリミスもまたウルツの言葉に耳を傾けていた。 「今の貴方は……弱い。まだ弱い、が、その刃を研ぎ澄ますことが出来ればいずれ必ずや魔王を討伐できるだろう」 「僕は……強くなっているのでしょうか?」  まだ藤堂はウルツにまともに攻撃を与えられていない。まだそれが見えないくらいに、ウルツ・グランドの身体能力は高くそして戦闘に熟れている。  藤堂の倍程も身長のある半巨人族はその言葉に薄く笑みを浮かべた。 「躊躇うな。疑問を抱くな。勇猛で有り続けるというのは勇者の特権だ……軍神の加護は勇敢な者に下される」 page: 106 第十八レポート:あ、アレスさんは……最低だと思います。  ウルツは元剣士だった。剣士と言っても人族用に洗練された剣術を駆使する剣士ではなく、巨人族特有の強力な身体能力と高い戦闘意欲を駆使した、狂戦士に近い戦い方をする剣士だ。  僧侶に転向してから数年経つが、まだ戦闘本能は押さえきれていないと見える。  藤堂に対する訓練を終えたばかりの男の表情には堪えきれない笑みがあった。  教会にあるウルツの自室。  ウルツが本日の訓練の結果を綴った紙をこちらに差し出しながら唸る。 「悪くない。筋は悪くない」 「そんなことは知ってる。加護だってある。魔力だってあるし、神聖術も使える。英雄召喚による召喚者は分野は違えど皆優れた資質を示してきた」 「勇気だ、アレス。戦場において最も必要なものは――手足がもがれてでも前に出る意志だ。いくら力が強くてもそれなくして戦士にはなれない。彼にはそれがある」  んなことは知ってる。資質についてはわかっている。そんな事を聞くためにウルツと話しているわけではない。  魔族の動きが見えない今、やるべきことは藤堂の強化だ。レベル上げは順調だが、強化とはレベルを上げることだけではない。  最低限のレベルをあげたら次は、その資質に応じて成長の指向性を決めなければならない。  最終的な決定は藤堂本人でしなければならないが、さり気なく可能性を示すことはできる。  俺の表情に、ウルツが額に皺を寄せて苦笑した。  まだ藤堂が送り出されてから数ヶ月しか経っていないが、なるべく早く目に見えた成果を出さねばならない。勇者のサポートにも金がかかっているし、成果が見えればより投資も大きくなるだろう。ザルパン一匹程度では足りないし、俺がやっても意味がない。  急かすと、ウルツが訓練で感じたことを話し始める。その内容のほとんどは既に知っていることだったり予想がついていることだったが、実際に刃を交えた男の言葉には説得力があった。 「力はかなり弱いな。体力も多くないが、反面、魔力が高く身のこなしも悪くない」 「剣士に向いていないということか」 「向き不向きだ。攻撃力の不足は聖剣で補える」  だが、そういうウルツの表情には迷いが見えた。巨人族の特性は人の数十倍の膂力と耐久である。その二つの要素は戦士にとって最重要の資質だ。  少なくとも、ないよりはある方がいい。 「だが……聖勇者殿の筋力は……恐らく、アリア殿よりも低い」  実際に剣を受けたウルツの言葉だ、正しいだろう。  動きが軽いことは見ていてわかっていたが、女のアリアよりも筋力が低いというのは知らなかった。  そしてそれはとても珍しい。他種の中には雌の方が強くなる種族もあるが、人族というのは雌より雄の方が身体が大きく、力が強くなるものなのだ。  確かに華奢だとは思っていたが、今まで身体を鍛えてこなかったのが原因だと思っていた。  目をつぶり、内心で首を傾げる。レベルアップといっても能力の伸びは一律ではない。資質の高い部分は伸びやすいし低い部分は伸びづらい。  レベル30にもなってアリアよりも劣っているという事はつまり、そういう風にできている可能性が高い。高い、が……どうにもならない。 「三ヶ月も経ってるんだがなあ……」 「致命的ではないが……今後苦労することになるだろう」  聖剣エクスと聖鎧フリードには重量軽減の魔法がかかっている。重さはほとんどゼロだ。  不幸中の幸いと言うべきか。それらがなければ、装備の重さで動きが鈍っていたかもしれない。  身のこなしに魔力。魔力が高ければそれを身体に巡らせる事で身体能力を底上げできる。が、それでも決め手に欠ける印象がある。  魔力が高いからといって、剣より魔法を鍛える案もいまいちだ。  魔族は強力な魔法耐性を持つ者が多い。藤堂に下された加護は近接戦闘に補正がかかる軍神の加護であり、魔法を鍛えたところでたかがしれている。  頭の中に情報を叩き込む。足りないところは道具や仲間、技術で補わねばならない。  必要なものとそれを手配する方法を洗い出さなくては……。  そのままアリア、グレシャの話と続く。なんかグレシャが一番使いやすそうに感じるんだが、きっと勘違いだろう。救いがなさすぎる。  訓練の結果を全て話し終えたところで、ウルツは一度ため息をつき、険しい表情で言った。 「アレス……あまり根を詰めるなよ。」 「最近は随分と楽だよ。大変になるのはこれからだ」  本番は大きく魔族が動き始めてからだ。可能ならそれまでに内部の問題は全て片付けておきたい……が、無理なんだろうな。  人とは大概、過ちを犯すまで問題に気づかないものなのだ。 「レベル上げを優先したい。適宜訓練の回数を減らしてレベル上げに注力させてくれ」 「ああ、わかってる。アレス、神のご加護があらんことを」  どうせなら神のご加護で藤堂のレベルを百倍くらいにして欲しい。 § 『アレス、ステイの親――ベロニド卿から話がしたいと受けていてな』 「クレイオ……不在だと言ってくれ。俺は、いない」  クレイオの声には呆れがあった。  絶対に来ると思っていた。ステイは通信魔法の使い手だ。法衣の要求もさせたし、物言いが入ることは予想できていた。  全ては覚悟の上だ。そもそも、ステイをクレイオに放り投げたベロニド卿が全て悪い。あれは魔王討伐にはほとほと相応しくない人材だ。人類滅ぼすつもりかよ。  俺はいつもステイをつなげている鎖に傷がないか確認しながら続けた。 「そうだ。もっと金をよこせと伝えろ。ステイのせいで出費が増えてる。鎖も足輪もただじゃあないんだ」 『十分な資金は与えているはずだ』 「人材は多ければ多い程いいわけじゃあないが、金はあればあるだけいい。可愛い娘の装備に使っているんだ、文句はないだろ」 『アレス……お前というヤツは……』 「報告はあげる。俺はお守りをするつもりはない。魔王討伐のサポートをしながら誰もが匙を投げた部下の教育までやるなんて、俺は異端殲滅官の鑑だとは思わないか?」  もちろん教育してみてどうにもならなかったら無責任に放り投げるつもりだが、レベル72の高僧を手に入れるタイミングは藤堂達が比較的落ち着いている今を除いて他にない。 『……アレス、私にできることにも限りはある』  ベロニド卿はクレイオと同じ枢機卿。経理を一手に握っている以上敵対するデメリットは計り知れない。  だが、結果を出せば全ては許される。鎖で縛ろうが崖から突き落とそうが泣かれようが喚かれようが。考えるのは後でいい。  クレイオには本当に申し訳ないと思っている。 「耐えてくれ、聖穢卿閣下。俺の邪魔をさせないでくれ。……そうだ、一つわかったことがある」 『……なんだ?』  乾いたクレイオの言葉。俺は目の前で磨き上げた鎖をぶらぶらさせながら答える。  ステイの訓練は藤堂達のサポートとは違って失敗しても構わないからだいぶ気が楽だ。最悪死ななければいいから無茶もできる。 「一本の線を引くんだ」 『……は?』 「銀のチョークで地面にまっすぐな線を一本引く」 『……』  実験してみた。ステイの挙動は明らかに常軌を逸している。  ちょっと能天気だが報告書の作成から考えても頭が悪いわけでもなく運動神経が悪いわけでもない。  俺だって別に鎖で引き回してばかりいるわけじゃないのだ。 「そして、ステイにその線の上を歩かせる。十メートル程だ。どうなったかわかるか?」 『どうなったんだ?』 「転ばずに歩ききった。これは一般人にとっては当然のことだがステファン・ベロニドにとっては大きな一歩だ。ステイは歩けば転び走っても転びただ立っているだけでも転ぶようなやつだが――って、くそっ! 切ったな、あいつ」  通信魔法が途切れていた。  が、まぁ俺が報告を受ける立場だったとしても切ったかもしれない。ふざけているようにしか見えないからな。  だが、大きな一歩だ。もちろん、その結果転ばなくなったわけではないし転ぶ回数が減ったわけでもないが、それでもこの実験の結果には意味がある。  傷ひとつついていない鎖を手首に巻き、俺はアメリア達の部屋の扉を開けた。  部屋の隅で、寝間着のままへんにゃりしていたステイがびくんと大きく身体を震わせる。 「おら、ステイ! 今日も行くぞ!」 「ひいぃ! 先輩、アレスさんがいじめますぅ……」  戯言をほざくステイの側にさっさと寄って、腹に腕を入れて抱き上げる。手足をばたばたさせて抵抗するがサイズがコンパクトなので無駄だ。  しばらくそのままの状態でいると諦めたのか、大人しくなった。  アメリアが憮然とした様子でステイと俺の方を交互に見ていた。  持ち運びながら、神妙な表情をするステイを見下ろす。 「お前、親に俺の事を漏らしたな?」 「え……? ななな、何の話でしょー?」 「だが無駄だ! たとえやめろと命令されたとしても手を緩めるつもりはない! 俺は間違えたことはやってないからな、いくらでも報告するがいい!」 「えぇ!?」  ステイが宙ぶらりんにされながら、目を丸くした。最近気づいたがステイは一つの事に集中すると前の事を忘れるようだ。馬鹿か!  ステイの訓練を開始した時から付けている育成ノートにはろくでもない情報ばかりが増えていく。 「ステイ、俺だって好きでお前に訓練をつけているわけではない」 「えぇええええ!? 鎖を足に巻きつけて突き落とされるのって訓練だったんですか!?」 「そうだ」 「が……崖に叩きつけられるのも?」 「そうだ」 「まっすぐな線の上を無駄に何回も歩かされるのも?」 「そうだ。お前は今まで何を考えて命令に従っていたんだ。ドジを矯正するためだと最初に言ったはずだ」  ステイが数度瞬きして、声を小さくして言った。 「アレスさんの……趣味だと思ってました」 「……くそっ、ちょっと面白い」  いきなり変化球投げてくるのやめろ!  ステイを持ったまま、ずっと黙っているアメリアに顔に向ける。  最近はずっと一人で調査に当たらせているせいか、どこか機嫌が悪そうに見える。 「今日は藤堂達は訓練の日だ。俺はこいつを叩き直すから、藤堂達の方は任せた」 「……そろそろステイの訓練は諦めた方がいいのでは?」 「まだだ。まだできることを全てやっていない」  今日から紐なしバンジーだ。 「……後、まだ寝間着なので着替えさせた後に連れて行ったほうがいいかと」  頭を押さえ、ため息をつくアメリア。どこかその動作が自分のものと重なる。もしも俺の癖が移ったのならば申し訳ないな。  いつもの法衣よりもだいぶ露出の少ない寝間着姿のステファン。別に崖から突き落とすだけだから寝間着のままでもいいが――  ステイと眼と眼があう。ステイは少しだけ恥ずかしそうに頬を染めて言った。 「そ、そうですよ。こんな格好で外に出るの恥ずかしいです……着替えるのでちょっとだけ待ってください……」 「……いつもパンツ盛大に晒してるのに今更その格好が恥ずかしいのか」 「……ひぇッ!!!!!?????」  アメリアが呪いでもかけるかのような目で俺を睨みつけていた。  ステイが奇声を上げて固まる。そして、すぐに顔を真っ赤にして震える声で抗議してくる。 「そそそおそおあああれすさん!? み……見せてませんよ!? え? ないないない」 「お前はスカートで逆さ吊りになって見えてないと思っていたのか?」  ただでさえ短いスカートなのだ。盛大に見えている。 「!!!???????」  ステイが羞恥から逃げるかのように視線をあちこちにふらふらさせる。  抜けているとは思っていたが、まさか気づいていなかったのか。 「にゃ……にゃんで言ってくれないですかぁ???」  まさかこいつに羞恥心なんてものがあったのか……。  顔を真っ赤にしたステイが涙目で訴えかけてくる。 「もう遅い。もうパンツのローテーションが理解できるくらいに散々見てる」 「……こ、殺してください」  本気で恥ずかしそうだ。というか、転んだ時点で丸見えだから逆さ吊りにするまでもない。  これは……使えるな。  俺はフリーズしてしまったステイに優しく声をかけてやった。 「ステイ。次転んだら、聖穢卿への報告の時にお前のパンツを事細かに報告するからな。絶対に転ぶなよ」 「ふぇ!? じょ……冗談ですよね? 優しいアレスさんは、そ、そんなことしませんよね?」 「たとえ査定が下がろうが深刻な風評被害を受けようが、優しいアレスさんには可愛い部下のためにあらゆる方法を使用する覚悟がある」  ステイの表情から血の気が引き、顔色がフラットに戻った。  修行とは、訓練とは辛いものだ。さぁ、修行を始めようじゃないか。 「アレスさん……最低です。幻滅します」  アメリアが最後に辛辣なことを言った。 Twitterで共有 Facebookで共有 はてなブックマークでブックマーク 次のエピソード 第一レポート:現状と今後の対応について