小悪魔JC探偵が教えてくれる『本格ミステリ』の読み方 プロローグ『本格ミステリの読み方』 A Study in Scarlet.1887 OP01/赤ずきんの研究 小悪魔JC探偵が教えてくれる『本格ミステリ』の読み方 ひなちほこ プロローグ『本格ミステリの読み方』 A Study in Scarlet.1887 OP01/赤ずきんの研究 「シャーロック・ホームズも読んだことがないの?」  信じられない、と。  赤ずきん姿の少女・宮條が言い放つ。  お気に入りの豪奢な安楽椅子に身を埋めながら、童話の国から飛び出して来たような恰好の少女は驚愕していた。その態度は実にわざとらしく、どこか馬鹿にした色が滲み出ている。 「聞いて呆れるわ。その程度の浅学でミステリを語るどころか、『探偵役』を騙っちゃうとか、超ウケるんですけれどぉ?」  侮蔑の眼差しと共に、宮條は緋色のパーカーへと首をすくめた。  ミルクティみたいな明るい茶髪。ボブカットのウェーブを弄る手は、小指の第二関節まで隠れた甘えんぼ袖ですっぽり覆われている。軽く握り拳を作って口元に寄せると、丁寧に研磨された指先の爪が光り、ピンクに色づいた唇と相俟ってより一層の輝きを増していた。 「お腹抱えて笑い転げちゃいそう。ちょっ、まぢで勘弁してくれない? ぷぅーっ、くすくすっ! 首吊って死んじゃえばぁ!?」  キュートな表情は、小悪魔のよう。  口癖は「私に欲情しないとか、あなた、勃起不全なの?」なんて戯事なのだから、宮條は『自分が可愛いこと』を知っている。そして、その魅せ方も知り尽くしているからタチが悪い。  色香にまみれた赤ずきんは、女子中学生としての可愛さの際限を振り切って艶やかだった。  ここまでのセリフは、宮條の独り言ではない。  蔑みと嘲笑とが入り混じった冷たい瞳は、眼前の人物へと向けられる。 「これだから自称『名探偵』の探偵気取りは......」  そんな宮條と対面するのは、煤鹿と云う名の少年である。  彼は全国的な認知度を誇る『高校生探偵』であり、日本が誇る『名探偵』でもある。数奇な巡り合わせで何度も事件に居合わせ、その度に解決へと導いてしまう手腕を誇っていた。  だからこそ、煤鹿の方も黙っちゃいない。 「なんと言われようが、僕は『名探偵』だよ」 「はぁ?」 「僕は手柄を立てている。世界的にも優秀な警視庁捜査一課ですら、頭を抱えた未解決事件だって、既に何件も解決しているじゃないか。その華々しい実績は、全国紙やワイドショーで報じられているし。これはもう、実名共に『名探偵』の域に達していると言っても過言ではないはずだ」  煤鹿は、不服と不満を露わにしつつ、困ったように弁解するなんて器用な表情を浮かべていた。まるで仕方なく相手をしてあげていると云う、超上から目線そのものである。年下の迷惑女子を軽くあしらうような、どこかバカにした気配が拭えない。 「確かに、解決はしているわね」  と、宮條は認めた上で、 「気に喰わないのは、あなたが『本格ミステリ』を一冊も読んだことがないくせに探偵を気取る腐りきった性根よ。気障ったらしい演技もムカつく。正直、虫酸が走るわ本気で」 「別に読む必要なんてないだろ、『本格ミステリ』なんて。僕は『名探偵』に憧れただけで、しみったれた古本なんて読みたいとは思わないね」  宮條と煤鹿の視線が絡み合い、バチリバチリと火花を散らす。  そこは薄暗い石造りの書架だった。ステンドグラスから差す陽射しの他には、鉄の鎖でぶら下げられたランプしか明りがない。読書をする環境としては光量不足が否めないが、宮條は慣れた手つきでハードカバーの洋書を捲る。 「んで、本当に『シャーロック・ホームズ』を一作品も読んだことがないの?」 「ある訳ないだろ。名前くらいは聞いたことあるけどよ、小説なんか読むどころか、原作の表紙を目にしたことすらないな」 「あなた、『名探偵』に憧れているくせに、最も有名な『探偵役』の活躍を知ろうともしないだなんて。きっと脳に重大な疾患でもあるんじゃない? その思考回路、おかしくない?」 「いや、でも映画なら観たことあるし。ガイ・リッチーが監督を務めたアイアンマンの主人公がシャーロック役のやつ。続編の『シャドウ・ゲーム』は劇場で観たんだから、もうそれで十分だろ? 違うか?」 「馬鹿すぎて話にならないんですけれど」  深々と座った宮條は、両膝を抱える姿勢で嘲笑を浮かべていた。  身動きする都度、短いスカートの裾がわずかにずり上がる。脚の露出されている肌面積が徐々に広がりつつあるのは、この御伽の少女の計算か。小さく揺れる心許ないランプに照らされて、滑らかな肌が艶かしく色づく。 「あなた、ホームズの『四大長編』を読んだことがないとか、『五十六の短編』を発表順に並べられないとか......。そう云う初歩的な段階どころか、延原訳で読んだことすらないだなんて、流石に恥ずかしくないの?」  煤鹿の視線は、宮條の健康的な太ももに釘付けだった。日焼け跡など微塵もない肌は、皮を剥いたばかりの白桃を思わせるほど瑞々しく、純白そのもの。膝上まである漆黒のニーソックスとのコントラスは当然ながら、スカートと織り成す絶対領域は最高真珠にも劣らず目映いていた。 「ねぇ、訊いてんの?」 「ぁ、ぁあ......?」  煤鹿は若干狼狽えながら、上の空で答える。  別に、宮條が並べた言葉の数々に理解が追いつかなかった訳ではない。理由はきわめて単純にして明快で、健全な男子高校生ならば、必至の状況だった。  不覚にも、柔らかそうな内ももの陰影に目が奪われてしまったのだ。  意識せずとも凝視したい誘惑からは逃げ難かった。交差させる脚の角度と云い、高さと云い、まるで見られることを最初から意識しているとしか思えないほど悪魔的な魅惑を放っていた。 「あれぇ? ちょっと興奮しちゃった?」  間違いなく、煤鹿の目線を追って愉しむためだけに、宮條は行儀の悪い姿勢で唆している。それは相手を煽って、罵倒する性悪の小悪魔の所業。心は乱され、性的興奮は禁じえない。 「こんなに可愛い女子中学生が、『探偵小説概論』を語ってあげてんだよ? ちゃんと私のお話、聞いてんの?」 「ただ君がひけらかしたいだけだろうが」 「それとも話が頭の中に入ってこない? しょうがないよね、だって私、可愛いし」  ミルクティ色の明るい茶髪を手櫛で梳きながら、宮條は煤鹿の視線を咎めることなく、むしろ憐れな童貞でも見下げる視線で笑窪をつくる。 「世界で最も有名な『探偵役』の活躍を、正典で読んだことがないだなんて。伊達や酔狂で探偵役を名乗るのも烏滸がましいレベルよ」 「なんだ、正典って。聖書かなにかかよ?」 「馬鹿じゃないの? てゆーか、馬鹿だったわね、そう云えば」  と、侮蔑を交えた視線を送りつつ、 「シャーロック・ホームズって『探偵役』は、世界中に熱狂的なファンが存在するのよ。そして白熱し過ぎた大衆がすべきことは、偽典の執筆。あなたにも理解可能なレベルで言い換えるならば、つまりは二次創作ってこと」  パスティーシュって分かる?  と宮條が首をかしげたら、流石に煤鹿も首肯する。 「『シャーロック・ホームズ』シリーズは、熱狂的な信者の存在もあって、ここまで大きく発展したってワケ。キリスト教における聖書研究を意図的にパロディ化して、コナン・ドイルによって執筆された作品群を正典として崇め奉る。研究する彼らなくして、今のミステリ界はなかったと言ってしまっても過言ではないわね」 「ならば宮條。君も、その熱狂的な信者の一人ってことか?」 「うーん、個人的には狂信的追従者って呼んで欲しいんだけれど。私はホームズの研究家ってよりも、彼に尊敬と憧れの念を抱いている憧憬家だし」 「......、意味が分からないんだが」 「シャーロキアンは、シャーロック・ホームズを実在の人物として研究するのよ。シリーズで記された事件は、『すべてプライバシー保護の観点から日付や地名、人物名を変更している』、或いは『語り手であるジョン・ワトソンに何かしらの理由で真相が伏せられ、記述されている内容は偽りの真実である』と定義し、真相を暴こうとしたりね」 「............、ますます意味が分からないんだが」 「ま、そうなるわよね......」  少しだけ困ったような微笑を浮かべる宮條だったが、ミステリの知識に疎い煤鹿からしてみれば、何を言っているのか、さっぱりな内容だった。取り敢えず、どんな界隈においてもやりすぎな集団がいると云うことらしい。 「率直な話をすると、『シャーロック・ホームズ』シリーズは、本格ミステリとして公平に評価するなら高度とは言い難いのよ。けれど、ドイルによる設定ミスやスペルミスを、ミスではなく意図的なことであると曲解して、シャーロキアンは合理的に解釈をしようとする」 「要するにアレか。自分の好きな作品を擁護して、おバカ設定を指摘されたら『間違いなんかしてない!』とか喚き散らす頭の悪い中学生と思考レベルは同じってことかな? 空想科学読本に触発されたのか知らないけどさ、ろくに理解もしていない物理の教科書片手に2chの『最強キャラスレ』で、他作品キャラのトンデモ設定を貶めながら、推しキャラのスペック書き並べちゃってドヤ顔したがる思考回路だよね?」 「ごめんなさい、あなたの言っている意味が半分も理解出来なかったんだけれど......。多分そう云うことよ。きっと。えぇ、そう云うことにしておこ? そんでもって、それ以上近づかないで。お願いだから」  宮條にしては珍しく、口籠って小刻みに頷く。  表情から察するに、自分の理解の及ばないサブカルチャーの闇を垣間見て、ショックを隠しきれなかったのだろう。  要するに、完全にドン引きしていた。  とは云え、煤鹿の例え話は、あながち見当違いではなかった。作品を溺愛するあまり、暴走を繰り返す信者が内外問わず『害悪』と称される現象と本質的な部分では同義と云えよう。 「そこまでくると、本当に宗教の世界だな......」 「あなたに言っても無駄でしょうけれど、『シャーロック・ホームズ』の真骨頂は、記述されている内容に対して、『いかに斬新な新解釈を打ち出すか』『いかに自説が正しいと巧みにこじつけるか』と云う別解の捏造こそが最大の謎解きなの」 「なんだよソレ。なんか僕の知っているミステリとは、ちょっと違うぞ?」 「作者が作品内に用意した犯人を当てるだけの一元的な作品群だけが、ミステリじゃないってことよ」 「?」 「ある意味で、私の【誰も信じない『真相』を無視して、万人が信じる『真実』を捏造する探偵術】と構造的には変わらない、知的パズルの先駆者と云えるわね」 「すまん、日本語で頼む」 「......、いいえ、こちらこそ。『探偵』と『探偵役』の違いも分からないような探偵気取りに、『探偵術』なんて崇高な概念を理解できるはずもなかったわね。私の配慮不足だわ」  今のあなたに理解を求める方が間違いだったわ、と宮條はテーブルの上に乗せてあった珈琲カップへと手を伸ばす。一口啜ってから首を傾げ、角砂糖を三つ追加してから啜ると、今度は笑顔が咲いた。 「私が解く事件の特徴は?」 「反則技が使われた犯罪だろ?」 「そう、その通り。だから常識の枠組みに囚われた捜査機関では、『不可能犯罪』として迷宮入りにしてしまう。だって、まさか警察だって犯行者が空を飛んだり、空間転移しただなんて絵空事信じないわよね。たとえそれが『真相』だったとしても」  異常な理。  そんなイレギュラーが絡んだ事件を、解決する方法は、ただ一つ。  別解の捏造。 「だから私は、嘘にて『真相』を壊して、万人が信じる『真実』を捏ち上げる」  それこそが宮條と云う探偵役。  本当にあった『真相』を完全に無視して、最終的に起った『事実』だけを変えずに、矛盾点のない筋が通った『真実』を創作してしまう鬼才の持ち主。 「そう云う意味では、私もシャーロキアンね」  と、今度は気恥ずかしそうに、はにかみながら言うものだから、煤鹿からすれば意味が分からない。理解することを放棄して、宮條に白い目を向ける。  すると煤鹿の視線を受けて、 (あ、こいつ理解するのを諦めたな)  と一目で看破した宮條は、いつもの踏ん反り返った態度で、超上から目線の暴言を吐く。 「駄目ね。全然基本がなっちゃいない。あなた、仮にも『名探偵』を名乗ってんでしょ? ならば『ホームズ』シリーズくらい読んでおきなさいよ。冒険小説と称されるくらい、読み物としても楽しめるはずだし。てか、基本中の基本なんですけれど。それすら読まずして、なにが『全国的に有名な高校生探偵』よ。名乗っていて、恥ずかしくないの? 掛け算九九を暗唱出来ない数学者に等しく滑稽だわ」 「悪いが僕は高校生でね。そんなしみったれた古典には興味がないんだ。読むのに割く時間が惜しいよ。美少女がいっぱい出てくるマンガやアニメ、ゲームに費やす方が一億倍も有意義だろう?」  がちゃん、と珈琲カップの割れる音。  見れば、宮條が蒼ざめた表情で固まっていた。  安楽椅子の足元には砕け散ったカップと、ぶち撒けられた珈琲。刺殺現場で流血が治らない遺体のごとく、黒い液体が止めどなく石の床を侵食するが、宮條は慌てる素振りを見せなければ、片付ける素振りも見せずに一言。 「あなた、本気で言ってるの?」 「もちろんだとも」  そんな煤鹿の反応に、 「まぢで信じらんない」  と、宮條は目を張る。大きな瞳に、黒く伸びたまつげをぱちくり。正気を疑う表情そのものだった。 「あなた、ほんとに『探偵役』志望? あまりに無知すぎて、市民と間違えられて殺されちゃうんじゃない?」  今にも殺人事件が起こりそうな剣幕。殺気を眼光に宿しながら、吐き捨てるように宮條は親指で自らの首を刎ねるジェスチャーをしてみせた。  それで怯む煤鹿ではない。  萎縮するどころか、むしろおちょくるように前髪を掻き上げる。それが余計に宮條の癪に触るが、煤鹿自身に苛立ちを募らせる意図があるかは不明だった。むしろ無意識ならば、彼は他人を怒らせる真性の天才と云えよう。 「僕はもっぱら、ドラマとマンガとゲームの知識だね。せいぜい映画を観るくらいさ。いいか、時間は有限。娯楽性が強くなきゃ観る価値もない」 「本当に呆れた」  想定していたよりも、煤鹿は遥かに無知だった。  宮條は唖然を隠しきれない。文庫本の一つでも投げてやろうと、宮條は厚底ブーツで石床を高く鳴らしながら立ち上がる。  すると煤鹿が、 「格式張った昔の作品の方が偉いなんて、そんな固定観念に囚われている時点で思考が駄目だ」  がずん、と。  そのまま前のめりに転倒しかける宮條。  ヒール高10センチは伊達じゃない。ロックガールが好みそうな、アバンギャルドで過激なデザインの編み上げ厚底ブーツで盛大にこけて、危うく捻挫するところだった。  目を吊り上げ、八重歯を剥き出しで宮條が叫ぶ。 「地獄に堕ちろ、探偵気取り」  宮條は、こめかみを押さえる。  せめて『探偵役』を気取るなら、『緋色の研究』を読んでからにしろ、と白い目を向ける。ホームズなめんな、と八重歯を剥き出しにして子虎みたく威嚇する。 「所詮は、なんちゃって探偵ね。推理する能力もない探偵役なのもうなずけるわ」  宮條は最上級の蔑視で煤鹿のことを嘲弄する。 「だって、あなたは高校生探偵だけど、推理なんかしていないでしょ?」  ミルクティ色の毛先がさらりと揺れて、甘ったるいフラグレンスの香りが周囲に広がる。柑橘系を好む宮條は、水蒸気蒸留によって得られた精油を愛用していた。まるでシャボン玉が弾けたみたく、ほのかなネロリ・ビガラードの芳香を放つ。 「以前から思っていたけれど、どうやらあなたは一度、基礎から叩き込む必要があるようね。正直、あなたと話していると怒りしか込み上げて来ないから、出来れば語り合いたくもないんだけれど」 「奇遇だね。僕も君とのおしゃべりは、些か疲れが溜まってしまうよ。何も言わずに黙って激甘珈琲でも啜っていれば、『高校生探偵・煤鹿』の助手に相応しい『無口な謎の美少女』として配役をあげられたって云うのに」 「調子乗んなよ、探偵気取りが。私があなたの『助手役』? 面白おかしいのは顔と態度だけにしてくれない?」  この瞬間。  宮條の纏う空気が、急激に冷え込む。 「皮肉なことに煤鹿の頭脳は、ポンコツなあなたと違って推理するだけの力を備えてしまっている。そして頭が痛いことに、馬鹿みたいに自己顕示欲と承認欲が性欲並みに強いあなたの性格が掛け合わさって『高校生探偵・煤鹿』は爆誕してしまった」  宮條の周囲の空気は、凍りついていた。  比喩表現ではない。  もしも温度計が近くにあったならば、確実に目盛りは、氷点下まで落ち込んでしまっただろう。  宮條の周囲には氷塊が散らばる。空気中の水蒸気が凍って結晶化し、重力に引かれて落ちた跡だ。殺人的な気迫が冷気となって、煤鹿の体温を奪う。 「ふざけんのも大概にしろ?」  にんまり、と宮條は嗤った。  石床に転がった氷の塊を、10センチの厚底ブーツの踵で踏み砕く。 「話題性重視のメディアは、『高校生探偵・煤鹿』を祭り上げてしまった。でも、実際に推理をしているのは頭脳であって、あなたじゃない。それどころか、あなたは推理小説を一冊も読んだことがない」 「............」 「そんな『真相』がバレたら、今度は逆の意味で世間を騒がせるでしょうね。それはあなたにとっても、不本意なはず。違わないでしょ?」 「そうだな。せっかく築き上げてきた『高校生探偵・煤鹿』のブランドを、崩潰させたくない」 「ならばなおさら。『探偵』の宣伝塔たるあなたが、まさかミステリ初心者以下のド素人だってバレる訳にはいかないでしょ」  フェロモンなら抜群。  揮発性が高いオーデコロンが、毒々しいほど可憐な愛くるしさを盛り上げる。 「教えてあげるわ、『本格ミステリ』の読み方を。無知で馬鹿で救いようのない童貞のくせに、ミステリに詳しいふりをしたいクソ雑魚すぎる危篤患者のために」  小悪魔女子中学生探偵こと宮條は、探偵役のくせに盛大な法螺を吹く。  そんな禁じ手を使う探偵役によるミステリ概論が、ここに開幕する。 page: 2 第0章『後期クィーン的第1の問題』 The Sign of Four.1890 OP02/四人の秘密  高校生探偵・煤鹿には、秘密がある。  それは、彼が『本格ミステリ』に関してド素人だと云うことだ。  全国的に有名な『名探偵』でありながら、彼は探偵小説を一冊も読んだことがない。世界で最も有名な探偵役である『シャーロック・ホームズ』を知らなければ、探偵の始祖たる『オーギュスト・デュパン』を手に取ったことすらないのだ。 「本当に呆れるわね」  薄暗い書架で、赤ずきんの恰好をした少女が言った。 「神聖なる私の思考宮殿で呼吸しないでくれる? 馬鹿が感染ったら、どう責任取ってくれるワケ?」  この言葉に、古本に囲まれた煤鹿は絶句する他なかった。 「意味が分からないんだが?」  煤鹿は「その名を知らない日本人などいない」と、メディアに取り上げられている超がつくほどの有名人である。お昼のワイドショーでは連日のように報道され、まさしくドラマの中だけに存在するような『名探偵』だった。  そんな彼を襲った、突然のアクシデント。 「......、どうして僕を誘拐した?」  学校の帰り道で、煤鹿は殺人事件に遭遇した。事件に巻き込まれることは、彼にとって驚きに値する出来事ではない。むしろ、『名探偵』と云う役回りの性なのか、そう云う星の元に生まれたのか知らないが、彼にとって、道を歩けば殺人事件に遭遇することなど珍しくない。  だからいつも通り、煤鹿は事件に介入しようとした。  ごく普通に、いつも当たり前にしている通り、我がモノ顔で警視庁捜査一課が敷いた規制線の中へと踏み入った。見張りをしていた巡査は咎めることなく、むしろ事件の概要を説明してくれようとしていた。煤鹿の方も整った顔に手を添えて、言葉を待つ。それこそ、臨場してから15分で事件を解決してしまうみたく。  にも関わらず。  なんと『高校生探偵・煤鹿』は、誘拐された。 「パトカーに押し込まれたと思ったら、連行された先は、西洋のファンタジーに出てきそうな小さな石の古城みたいな家。この現状から鑑みるに......。あれはパトカーに偽装された車だったのかな? ここは誘拐犯の潜伏先ってところだろ?」 「いいえ。あなたをここまで運んだ車は、正真正銘、本物の警察車両よ。連れて来たこっわーぁい顔のお兄さんだって警視庁の現役警部だし」  大きな木製の扉を背にして、唯一の出入り口を塞ぐように強面の男が立っている。ちらりと盗み見るが、不意打ち程度で突破できるほどやわな防壁でないことなど、火を見るよりも明らかだ。  見ず知らずの場所へと連れて来られた煤鹿と、彼を強引に連れて来たスーツが異様に似合わない青年。  そして、この場にはもう一人いる。 「そして私は『犯罪者』なんかじゃない。つーか、誘拐犯のボスが私みたいな女子中学生とか、どこの頭の悪そうなライトノベルよ」  煤鹿の問い掛けに、赤ずきん姿の少女は微笑を浮かべる。  そこは『書架』と呼ぶに相応しかった。天井からは黒いランタンが鎖で吊るされ、石の壁に囲まれているので、部屋と云うより『書物庫』と表現した方がしっくりくる。  そんな中に、  豪奢な安楽椅子が置かれていて。  赤ずきん姿の少女が、ちょこんっ、と座っていた。 「誰だ、君」  と、煤鹿が当然の疑問を口にすれば。  赤ずきん姿の少女は、馬鹿にした目を向け足を組む。 「赤ずきんよ。以後、お見知りおきを」  緋色の装束に身を包んだ少女は、戯けて言う。 「は?」 「やっば、ちょーウケるんですけれど。自分じゃ何一つ推理していない自称『高校生探偵の煤鹿』くん。私を笑い殺す気? 横隔膜が張っちゃって、痛いんですけれど?」  怒りなんて、湧く暇がなかった。  芽生えた感情は、疑問。  煤鹿は、顔を曇らせることしか出来なかった。  不愉快だから、ではない。  もちろん一つの理由ではあるが、それがすべてではない。  そこに致命的な疑問点が生じたのだ。 「自分じゃ何一つ推理していない? 冗談だろ、君。僕は全国紙にも名前を連ねる『高校生探偵・煤鹿』だぞ。僕の推理ショーが自身の功績でないのなら、どうして影で推理した人は名乗り出ない?」 「馬鹿ね、ほんとに馬鹿。そんなの名乗り出たくても不可能だからに決まってんでしょ? 世界的馬鹿の遺産が服だけ来て歩いてんのかしら、あなたは。きちんと脳みそ、詰まってる? 電動ドリルで穴でも開けて、そこからトロトロ流れ出たりとかしてない? 大丈夫? 霊柩車呼ぼっか?」  なんだ、コイツ。  ぶっ殺すぞ。  それが赤ずきん姿の少女に抱いた、煤鹿にとって最初の感想だった。 「僕は忙しいんだ、悪いけど。君とのおしゃべりに付き合う暇なんてないんだ」 「へぇ? それはどうして?」 「僕を誰だと思ってる? 高校生探偵・煤鹿だぞ? はやく殺人事件を解決しなくちゃいけない。現場に帰してもらおうか」 「えー、まだ解決してないの? やっぱり無能なの?」 「は......?」  煤鹿は、赤ずきん姿の少女へと正気を疑う眼差しを向ける。  ミルクティを思わせる明るい茶髪のボブカットに、目元を強調し過ぎとしか思えない黒曜石みたいな鋭く尖ったマツゲ。指先には、磨き上げられた宝玉みたく光り輝くネイル。そして極めつけが、ぷっくりと膨らんだクリーミーな桃色のグロス。  清楚や純情、無垢とは程遠い。  まさしく小悪魔。 「どうしたの、ぼーっとしちゃって。私に欲情しているの?」  見て呉れは、女子中学生。  ギャル系コスメで盛った少女は、緋色のフードを被り、足を組む。  真っ赤なスカートと、漆黒のニーハイブーツ。その合間から覗く真珠みたいな白さを帯びる太ももは、眩しさの際限を尽くす。 「どう云う意味だい?」 「私、可愛いし。勃起して当然よ」 「悪ふざけが過ぎるんじゃないか?」  年齢不相応な華美さと云うか。  原宿あたりに出没していそうなメイクとコーデは、過剰な色香を惜しみなく演出し、世界中を一片として余さず虜にしてしまう魔力を帯びていた。 「君、見た感じ中学生くらいかと思うけど。一体、なんだ。ヤンキーか?」 「はぃ? 面白くなさ過ぎて笑えるわ、逆に。お腹抱えて死んじゃいそう」  くるくる、と。  甘いカラーの癖っ毛を弄ぶように、指で耳の後ろの毛先を回す少女は、完全にバカにした態度と口調で踏ん反り返る。 「私は、探偵役よ」  意味深に笑みを浮かべて、肘掛けに頬杖を突く。 「探偵だって? 君が?」  これには、煤鹿も黙っていない。  彼は、全国に名の知れた高校生探偵である。日本国内に探偵を名乗る輩は腐るほどいれど、民間人のくせして事件に介入し、捜査協力して実際に解決へと導いてしまう探偵は少ない。そんな希少とも云える役柄の代表として、煤鹿は異論を唱える。 「僕に憧れてくれているのは嬉しい限りだけど、君には探偵なんて務まらないよ。真似ごとをしたい年頃なのは理解出来るし、事実として僕の頭脳は優秀だから、魅了されちゃうのも無理はないけどさ。流石に誘拐まがいな行為は良くないんじゃないのかい?」 「だから、探偵じゃなくって『探偵役』だってば」  ぷくーぅ、と。  柔らかそうな頬をお餅みたいに膨らませながら、赤ずきんの少女は、 「まぁ、いいわ。どうせ言っても無駄だろうし」  と付け加えて、独りでに納得してしまう。 「あなたの頭脳」 「あ?」 「そこにいる警部から聞いたわ。正直、お見事だと思う」 「そりゃどうも」 「でもね、あなたおかしいのよ」 「おかしいって、どこがだい? 僕の頭脳が示した『真相』に狂いはない」 「その通り、狂いがない。だからこそおかしいの。どうして可能性の一つを提示するだけで、他の考え得る可能性の否定をしないの?」  本当に不思議そうに。  こてん、と首を傾げて赤ずきん姿の少女は問う。 「意味が分からないんだが?」 「あなたは、確かに『真相』を語っているわ。でもね、別にあなたが提示した解答以外の方法でも、その事件は再現可能なのよ」 「だから意味が分からないんだが?」 「あれ? もしかしちゃって、世の中には解が一つしかないとか思い込んじゃってるクチ?」  ぷくりと膨らんだ唇に人差し指をあてて、 「確かに馬鹿そうなホストみたいな見て呉れだし、『解』と『正解』の違いも理解出来なくても無理ないわね」  とかなんとか、赤ずきんの少女は威張ったように咳払いをする。 「例えば明らかな他殺体があったとして、死因が絞殺だったとして。遺体の近くにロープを持った男がいたら誰が犯人だと思う?」 「誘導尋問も甚だしいね、君の問題は。しかも情報が不足している上に安直過ぎやしないか?」 「ほら、御託はいいから答えてよ」  これは馬鹿げたゲームだ、と煤鹿は思った。子供騙しに付き合わされる保護者みたいな優しい目つきで、あくまでもにこやかに怒気を滲み出させる。 「十中八九、そのロープを持った男が犯人だと言わせたい君の意図が丸見えだ」  すると赤ずきん姿の少女は、首肯した。 「それで良いのよ。だって問題を設定した私が、ロープを持った男が犯人だと決めているんだから、あなたは『真相』を言い当てていることに変わりない」 「おや、なんだ。これで正解? だとしたら君の言いたいことが余計に分からなくなったよ。てっきり『実は真犯人Xが近くに潜んでいました』的な、僕の知らない情報が含まれたアンフェア極まりない出題かと思ってたんだけど」 「その通り、アンフェア極まりない」 「?」 「なに間抜けな顔をしているの? たった今、あなたが指摘した通りよ。事件の全容を『探偵役』が知っている保証は、どこにもない。だってこの世のすべてを知っているのは神様だけだし。にも関わらず、盤上の駒の一つに過ぎないくせに、不思議なことにあなたの推理には『真犯人X』が存在する可能性が抜け落ちている」  まるで自分の知らない情報などない、とでも踏ん反り返った王様ね。と、赤ずきん姿の少女は、安楽椅子の上で踏ん反り返った。 「是非、訊かせて貰えない? どうしてあなたは、別解の存在を微塵も考えていないの? あるいは、無意識の内で棄却することが可能なの?」  にんまり、と。  つらつらと言葉を並べ捲し立てる姿は、まさしく苦情としか言いようがなかった。まるで犯人を追い詰める探偵役の独断場そのもの。得意げに嗤う可愛い顔は、悪魔的とも云える破壊力を付随させていた。  赤ずきん姿の少女は、無遠慮にも核心へと触れる。 「あなたの頭脳による推理ショーは、まさしく『後期クイーン的第一の問題』なのよ」 「『後期クイーン的第一の問題』......?」 「『探偵役』が最終的に提示した解決が、本当に真の解決かどうか、同一次元の存在に過ぎない『探偵役』では証明することが不可能」  こんなことも知らないの? と。  完全に舐めきった目つきで苦情は嗤う。 「つまり『探偵役』が提示した推理に重大な矛盾点がなかったとしても、その解決が『真相』である保証にはならないってことよ」  多少なりとも探偵小説概論を噛んだことがある者ならば、耳にくらいしたことがあるに違いない提起を、煤鹿は知っている素振りも見せなかった。だから嗤う。勉学の浅はかさを嘲笑うように、最上級の侮辱を浴びせる。 「まだ分からないとか、あなた、どんだけ浅学なの? てか、知的弱者ぁ? ちゃあんと脳みそぉ、足りぃてぇまぁすぅ? 神様が決めたシナリオ通りの答えだって、どうして盤上の駒が断定出来んの? って、訊いてんの。理解可能?」 「君は一体、なんの話をしているんだい? 度が過ぎた厨二病患者ってところか?」 「そう云うあなたは、得意になって語る不正行為?」  不正行為。  この一言で、空気が変わった。  それまで赤ずきん姿の少女のことを、厄介なファンだと偶っていた煤鹿だったが、のらりくらりとした態度が抜け落ち、目つきなんかオオカミのように鋭くなる。 「不正行為って、どう云うことだ?」 「あなたの頭脳は『真相』が分かっているのだから、他の不正解を潰すロジックの必要性が発生しなかったのよね」  伊達や酔狂で、この空気感は醸し出せない。 「プロセスが逆なの。普通の『探偵役』は、緻密な推論の連鎖を経てからじゃないと『真相』に辿り着けない。だから一つの解決を見つけたとしても、安易に飛びつかない。だって、その推理は矛盾点がないだけで、数多ある可能性の一つに過ぎないのだから」 「......、」 「だから『真相』であると確信できる要素が見つかるまで、『探偵役』は決して推理を披露しない」  鎧袖一触。  チェスで云うならチェック・メイト。 「でも、あなたの頭脳は真逆。高校生探偵・煤鹿は、たった一つの『真相』を反則技で知ってから、あたかも論理的思考で導き出したように推理を披露する詐欺師に他ならない。正解を知っているから、不正解であるリスクを恐れずに偉ぶっちゃう」  高校生探偵・煤鹿の愚行を暴く探偵役は、面白可笑しそうに、くひひっ、と嗤いながら、最上級の爆弾を投下する。 「あなたは持っているのよね、異常な理に属する力を」 「......っ、」  それは探偵役による『九文字宣言』にも等しい。 「別に隠すことでもないでしょ、私はあなたと同族よ。要するに、正常な理から外れた力を持つ探偵役なんだってば」  反論が出来ないのか。  それとも本当に呆れてしまったのか。  どちらとも取れない無表情を貫く煤鹿に、赤ずきん姿の少女は、自らの頬骨の上に華奢な指先を乗せる。それは目力に溢れる瞳を、ここぞとばかりにアピールする仕草に他ならない。 「探偵役にとって、『後期クィーン的第一の問題』は向き合わなければならない命題の一つね。だって、自分の推理が正しい保証なんて誰にもして貰えないワケだし」 「それがなんだって云うんだ?」  完全に置いてけ放り。  煤鹿には、この少女が何を言っているのか。微塵も理解が出来なかった。  ただ一つ、はっきりと分かっていること。  それは。 「だから、最初から言ってるでしょ? 自分じゃ何一つ推理していない自称・高校生探偵の煤鹿くん。あなたは不正行為をしている、と」  何故か知らないが、  赤ずきん姿の少女は確信している。  高校生探偵・煤鹿の推理は、外部に推理代行させた内容だと云うことを。 「『後期クイーン的第一の問題』に対する私の答えは、〈神の眼〉」 「はぁ......?」 「私の瞳に宿る〈神の眼〉は、現場を視界に収めただけで『犯行者』と『犯行手段』が視えるの。その内容が、絶対に誤りがないことを神様に保障してもらった上で、『真相』とは異なる別解―即ち『真実』を捏造するのが、クレーマーこと嘘吐探偵なんだけれど。それはまた今度の機会に詳しく教えてあげるわ」  と、呆れてみせながら、 「要するに。私は〈神の眼〉で視れば、事件の『真相』が分かるのよ」 「はぁあああああああああああ? そんなのチートだろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」 「うっさい」  可愛らしい声に毒が帯びる。 「だから、私は異常な理が絡む事件にしか登場しないでしょ。犯行者が反則技を事件に持ち込んだなら、探偵役が禁じ手の一つや二つ使ってもいいじゃない?」  獣みたく絶叫する煤鹿に、赤ずきん姿の少女はぴしゃりと断言する。それに留まらず、分かりきった事実を口にするように。  探偵役は、宣言する。 「あなたの方が、よっぽど不公平でしょうが。何一つ異常が絡んでいない事件なのに、探偵役が反則技を使うんだから。十戒抵触にもほどがあるわ。幽霊だなんて一次元上の存在から『真相』を訊くなんて」 「...........................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................、」  今度こそ。  今度こそ本当に。  煤鹿の顔から、表情と感情が抜け落ちた。  何故ならば、それこそが『真相』なのだから。  高校生探偵・煤鹿にまつわる最大にして最深の秘匿情報。  霊感。 「高校生探偵・煤鹿の頭脳は、ミステリ好きな幽霊による推理代行ってとこでしょ」  もう言い逃れは出来ない。  そう覚悟した煤鹿は、赤ずきん姿の少女へと目を向ける。 「どうして、僕に『霊感』があると分かった?」  そもそもの疑問を口にする。 「まさか〈神の眼〉で視れば、僕が幽霊と話している様子が見えたとでも言うのか......?」 「なめんなよ、探偵気取り。あなたの不正行為くらい、〈神の眼〉を使わなくっても、論理的思考の連鎖で『後期クィーン的第一の問題』を証明できちゃうし」  煤鹿の推理には、致命的なバグが存在する。  それは、被害者から『真相』を訊く探偵役だなんて、詐欺紛いな正体に深く関係している不具合だった。  大前提として。  幽霊による目撃証言を知れる、と云う反則技のお陰で、煤鹿は『真相』を知れる立場にある。 「『霊感』を最大限に活用して、殺害された被害者から『死の状況』を聞いちゃえば、『高校生探偵・煤鹿』には推理する必要がない。あなたの隣にいるミステリ好きの幽霊にでも推理代行させて、推理ショーのやり方を教えて貰ってんでしょ?」  故に、『真相』以外の可能性を考えるキッカケが存在しない。 「あなたの集めた証拠、警察が把握している事実では、他の可能性を殺しきれない。でもあなたは、一度として違えることなく『真相』へと辿り着いていた。一度や二度なら偶然で片がつくけれど、それが幾度も続けば必然よ」  この小悪魔JC探偵は、推論で導き出した。煤鹿の示す推理には、『後期クイーン的第一の問題』を解消する手立てがない、と。にも関わらず、煤鹿の頭脳は必ず『真相』を言い当てている、と。盤上の駒ではありえない推理である、と。  ならば、盤外にバグが存在する、と。  それは誰にも存在を認知されていない幽霊だ、と。 「あなたの不自然な目の動き、妙な会話の空白、表情筋の動き。観察した内容すべてを総合して考察すると、私たちには見えない第三者と至近距離で交信をしていることは明らかよね。ともなれば、考えられるのは幽霊探偵。消去法の勝利だわ」  赤ずきん姿の少女は、観察と推察を以って、異常な理としか思えない『真相』を見抜いた。 「大丈夫よ。『高校生探偵・煤鹿』の霊感は、私とあなた、幽霊、そして無口な警部。この場にいる四人だけの秘密だから」  宮條が、一同を見回して宣言する。 「"When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth."」  赤ずきんの少女は、煤鹿の背後へと目線を向けて意地悪く嗤う。 「全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙な事であっても、それが真実となる、ってね?」  この日、煤鹿は人生で初めて敗北を味わった。 「あなたは探偵役なんかじゃないわ、探偵気取りよ」  全国的に有名な『名探偵』の煤鹿が、実は『本格ミステリ』に関してド素人であると云う事実を知る人物は、この書架にしかいない。  当人である煤鹿と、それを指摘した赤ずきん姿の少女と、スーツが異様に似合わない警部。  そして『高校生探偵・煤鹿』の頭脳である幽霊を合わせて、四人だけの秘密。 「仕方ないから、私が教えてあげるわ。ふざけているとしか思いえない浅学どころか、無学なあなたに知識を与える小悪魔として。だってみっともないったりゃ、ありゃしないでしょ」  赤ずきん姿の小悪魔JCから、屈辱的な教授を甘んじて受け入れる。 「『本格ミステリ』の読み方を、ね」  かくして、高校生探偵・煤鹿は、数奇な巡り合わせで宮條と知り合った。 「あなた、シャーロック・ホームズも読んだことがないの?」 page: 3 第1章『ホームズの探偵術』 A Scandal in Bohemia.1891/Jul. EP01/高校生探偵の醜聞  高校生探偵・煤鹿は、『本格ミステリ』に関してド素人である。  何故なら、彼は『名探偵』と呼ばれているくせに、推理小説を一冊も読んだことがないのだから。 「本当に呆れるわね」  書物がずらりと並ぶ薄暗い書架の中で、お気に入りの安楽椅子に頬杖をつきながら、赤ずきんの格好をした女子中学生・宮條が言った。  氷のように冷たい視線の先には、ソファに寝そべりながら本を読む煤鹿。ブックカバーをしているので表題こそ分からなかったが、手にしている書物のサイズからしてマンガであることは確実だった。 「その様子だと、国内ミステリも読まないでしょ」 「いや、連載中の作品とかはリアルタイムで追っているよ」  あら意外、と宮條はこぼす。 「なら『新本格』は少しかじっているってこと? 綾辻とか有栖川とか、クィーンの『パズルミステリ』を徹底及び肥大化させた日本が誇る探偵小説群よね。個人的には好きよ、鮎川や法月も」  お気に入りは米澤だけど、と付け加える。  ミステリの話がまともに出来そうな状況に、宮條も安堵していた。  いくらなんでも『名探偵』を目指している男子高校生探偵が、ミステリを微塵も知らないはずがないじゃないか。なんだ、そうだったのか。専攻ジャンルが海外ではなく国内だっただけなのね、と宮條も胸を撫で下ろす。  だが、相手は煤鹿だ。  それを忘れはならない、決して。 「あぁ、名探偵コナン。あとは金田一とかな」  格好付けたいだけで高校生探偵を演じているアマチュアに、そんな質問をしたこと自体が間違いだった。  そう後悔するも既に遅し。  宮條は引き攣った笑みで、なんとか続ける。 「お子様向け......。ま、まぁ、ドイルのホームズもジャンル的には冒険小説な訳だし、否定はしないし認めなくもないけど」  宮條の表情は、暗い。  溜め息を吐く元気も残されていなかった。疲れ切った様子で、背中から倒れ込むように安楽椅子へと身を沈める。  行儀悪く、前に投げ出した脚を組む。  靴のベルト飾りをカチャカチャ鳴らし、眼前に垂れた前髪を指でぐるぐる回して、動きに合わせて爪がマニキュアでぬるてかに光る。 「あなた、危篤患者なの? せめて東野や宮部の名前を挙げて欲しかったわ。日本の本格ミステリの巨匠・横溝や、社会派の松本は?」 「読む訳ないさ」 「なんですってぇ......?」 「だってそれ、昔の小説書いてる人だろ? 時代錯誤も良いところ。興味なんて湧くわけもないだろ、常識的に考えてくれ」 「あなたがさっき挙げた、『金田一少年の事件簿』のオマージュ元よ。じっちゃんこと金田一耕助の作者が横溝正史。完成度的には『獄門島』を推したいところだけれど、大衆的には『犬神家の一族』が一番有名人かしら」  すけきよー、と。  宮條が両手で顔を覆ってみせる。  指の間から丸くて大きな瞳をぱちくり。その瞳孔は、覗き込んでいると吸い込まれそうになるほど鈍く光っていた。 「あー、あの池から足が生えてるやつか」 「ピンポイントで変なところを覚えているのね......」 「一応、映画を見たことがあるからね。絵面的にインパクト強いシーンは、記憶に残っているさ。わざわざレンタルして見たんだから、勉強に抜かりはないだろう? なんたって金田一のじっちゃんな訳だし」 「他に覚えてなかったの......?」 「ないな、あんま面白くなかったし」 「他にもあるでしょ!? 面白い要素! 白いマスクで素顔を確認出来ないスケキヨとか、血の繋がっていない兄弟だとか、猟奇殺人とか。それこそ『本格ミステリ』の基礎を抑えている時点で、青山剛昌の『名探偵コナン』や『金田一少年の事件簿』のルーツと呼べるわ。面白さは引けを取らないはずだけどっ!?」  素っ頓狂な声を挙げて、宮條がバタつく。  宮條の『本格ミステリ』に対する執心は疑いようがない。伊達や酔狂で、女子中学生が洋書など読み耽らないだろう。  だが、そんな彼女に、 「気に食わないな」 「なにが?」 「ミステリ好きなら『最低でも何某を読んどけ』だの『基本の此れ其れは知っておけ』みたいな、クソッタレ風潮」  愚かにも、探偵気取りのくせして、煤鹿は臆することなく探偵役に持論を展開する。 「いいじゃんか、好きなものを読んで好きに感じれば。少なくとも文字がぎっしり詰まっただけの、読者に優しくない読みにくい話なんて読む意味がなければ、価値もない。どうしても読まれたかったら、読者に気を使って読みやすくしろよ。ラノベ見習ったらどうだ? 創意工夫がなされていて、改行連打の横ぶち抜きとか視覚的にも読みやすいじゃないか」 「下半分が真っ白な本を馬鹿にする気はないけれど、あれがスタンダードだと思っているなら、相当可哀想な人。文字を目で追う楽しさなんて、一生掛かっても理解出来ないでしょうね」 「古典かじっている自分に酔うのもいい加減にしたらどうだ。カビ臭い古本に埋もれて窒息死してたら、葬式くらいは参列してやるよ。なんなら書架から古本の一つや二つ、引っ張り出してきて、君の頭に被せてやろうか。ハードカバーでよろしかったか?」 「積み重ねられた歴史を老害とでも呼んで、時代の最先端を見据える既存の概念を覆しちゃう僕ちゃんカッコいーも大概になさい。能なしが余計に馬鹿に見えるわ」 「じゃあ君は、古い本を読み漁っている自分は基本を抑えていてすごいでしょ自慢を一生してろ。それがステイタスになっていると勘違いしている時点で、手の施しようがないほど痛い奴だよ、本当に」 「あなたが今読んでいるマンガがあるのも、今までのミステリ作品があってこそなんだけれど」  その指摘に、煤鹿はブックカバーを外してマンガを掲げる。表題は誰もが知っている国民的作品『名探偵コナン』だった。 「別に、娯楽性の高いミステリ作品を卑下するつもりはないけれど」  宮條の冷たい視線は、表紙を飾るメガネの少年へと向けられたまま離れない。 「少しは恥ずかしいとは思わないの?」 「恥ずかしいって、なにがだい? 僕がお手本にしている探偵の教科書だよ、この『名探偵コナン』は。古ぼけた時代遅れの探偵像より、工藤新一の方が遥かにスタイリッシュで憧れに値するじゃないか」  名言だっていくつもある、と。  煤鹿はページを捲りながら、澄ました顔で応えた。 「『不可能な物を除外していって残った物が......、たとえどんなに信じられなくても......、それが真相なんだ!』とか、痺れたよ。本当に」 「それ、元ネタは『シャーロック・ホームズ』だから」  ばっさりと、宮條が切り捨てる。  だが、それで食い下がる煤鹿ではない。 「他にもあるぞ? 『理由なんているのかよ。 人が人を殺す動機なんて知ったこっちゃねえが、人が人を助ける理由に論理的な思考は存在しねえだろ』とか。まさしく正論じゃないか」 「ウケる。ちょーウケるんですけどっ! 『論理的な思考』の意味も知らずに言葉の響きだけでカッコイイとか言っちゃう辺り、本当にあなたは探偵気取りね」  ケラケラ笑う宮條に、煤鹿の表情が曇った。  煤鹿は、「探偵ってカッコいい」だなんて理由で『名探偵』を演じているような奴だ。否定的な意見を並べられて、いつまでもニコニコしていられるほど大人ではない。  それも好きな作品であるなら、尚のこと。 「僕は『名探偵コナン』以外の作品は読んだことがないと言っても過言ではないし、せいぜい『金田一少年の事件簿』くらいかな。そんな僕が『名探偵』を演じられているんだから、十分じゃないのか?」 「あなたは仕草とセリフを真似ているだけで、本質を微塵も理解していないのよ」 「本質を微塵も理解していないだって? 少なくとも、僕は君以上に『名探偵コナン』を読み込んでいるぞ?」 「お遊戯会も大概になさい」  殺人的な眼光が、宮條の瞳に宿る。 「ホームズの『探偵術』も知らないド素人が」 「君の方こそ、もう少し工藤新一に敬意を払ったらどうなんだ?」 「なに言っちゃってんの? 憧れの『探偵役』がなんたるか知ろうともしないで、『名探偵』を騙っちゃうあなたの方が、よっぽど侮蔑してない?」  これには、煤鹿も黙っちゃいない。 「君には失望したよ」 「はぁ?」 「自分が生きている時代に流行ってる自国のミステリよりも、遥か昔に海外で廃れた古典ミステリの方が格調高いだなんて。いつまで下らないレッテルを張り続けるつもりだ、君は。素直に応援することも出来ないほど歪んでいるのか、君の性格は」 「一つ勘違いしてない? 別に私は『名探偵コナン』を見下してないし、ミステリ作品として面白いと評価しているわ」 「ほぅ?」 「それに、作者の青山剛昌はシャーロキアンだし。だからある意味で、『名探偵コナン』は青山剛昌によって生み出されたホームズの偽典とも言えるわ」 「ならば読まないとな、ホームジスト。君の大好きなホームズに連なる作品群の一つだろう?」 「だから否定してないってば。あなたに散々勧められて原作読んでるし、今年の劇場版だって、あなたに付き合って三回も観たでしょうが。映画館で隣に座ってたの、忘れたの?」 「君はキャラメルポップコーンの方にご執心だったみたいだけどな」 「当たり前でしょ!? 一回ならまだしも、同じ映画を三回も連続! しかも一日で! 挙げ句の果てに、隣に座ってんのは女の子そっちのけでスクリーンに魅入っちゃってる男子高校生とくれば、退屈しない方がおかしいんじゃないの?」 「君みたいに、不真面目な気持ちで映画鑑賞していないんでね」 「なにそれ、ウケるんですけれど」  ぷくーぅっ、と。  ほっぺを膨らませて、宮條は脚を組む。 「じゃあ訊くけれど。あなたは工藤新一が尊敬している『シャーロック・ホームズ』が、どんな『探偵術』を使うのか理解出来ているのかしら?」 「知らないね。そもそも『探偵術』ってのがなんのことだか、さっぱりだ」 「これだから、探偵気取りは......」  小馬鹿にした表情で呆れる宮條は、珈琲カップの中へと角砂糖を放り込む。見るからに甘ったるい色をした液体は、ミルクの入れすぎか、もはや琥珀色をしていた。  珈琲はブラック派の煤鹿からしてみれば、自称・珈琲通のくせに気が狂ったような糖度MAXの激甘珈琲しか飲めない宮條の方が、よっぽど気取りだが、煤鹿は子供ではないので、美味しそうに啜る横顔を温かい表情で見守る。 「探偵役にとって最も重要な『探偵術』が、なんたるかも知らないで『名探偵』を名乗るなんて......。あなた、いよいよ脳医学的に重大な欠損が認められない方がおかしい状況じゃない?」 すると煤鹿は、目を丸くした。 「おやおや、驚いたよ。君に脳医学の知識があったなんて」 「殺すわよ」  きっ、と宮條は睨んで話を強引に進める。 「言ってしまえば、『探偵術』は探偵役の思考体系そのもの。事件の『真相』を断定するに至る推理を成立させるために必要な理論よ」 「?」 「あなたの頭じゃ理解出来なくて当然ね。だってあなたには『探偵術』がないのだから。故に『名探偵』のくせに『探偵役』ではなく、探偵気取りなワケだし」 「ますます意味が分からないんだが?」 「推理と云う探偵役にとって最も大事な部分を、頭脳に代行させているあなたには、そもそも『探偵術』が不要だものね。事件の『真相』を不正行為で知っちゃう反則技が使えちゃう高校生探偵・煤鹿には」 「それが高校生探偵・煤鹿の頭脳さ。生まれ持った異能を有効活用して何が悪い? 嫉みかい? 僻みかい? 嫉妬は恐ろしいね」  幽霊に『真相』と推理の内容を聞いて、ただ演じているだけの煤鹿には、自らが事件の全容を暴くために思考する必要性がない。  その怠惰へと、宮條は切り込む。 「あなたが憧れている『探偵役』が尊敬している『探偵役』の『探偵術』くらい知っておきなさいよ」 「その必要が感じられないんだが? 現に僕は、『探偵術』なんかなくたって『名探偵』でいられる」 「確かに、実績がある以上、『名探偵』としての名声は得られるでしょうね。でもそれじゃ、状維持がせいぜい。もしも本気で工藤新一になりたいなら、彼が尊敬しているシャーロック・ホームズの『探偵術』を理解すれば、さらなる演技が出来るんじゃない? それともなに? たかが殺人事件を六つ解決した程度で、もう『探偵役』にでもなったつもりなの? あなたにとって『探偵役』は、その程度でなれてしまうようなショボい存在だったの?」  小柄で派手目な女子中学生が、ぷくりとした唇を尖らせて煽る。 「本当に君は癪に触るな。いいだろう、その安い挑発を買ってやろうじゃないか。今後の演技に役立てるために聞いてやるよ、君の探偵小説概論を」  単純なヤツ、と。  そっぽを向いて嘲笑う宮條。 「世界で最も有名な探偵役であるシャーロック・ホームズの『探偵術』は、至ってシンプル。観て察する『観察』と、推し量って察する『推察』。この二つをハイブリットに掛け合わせて論理的思考をすることによって『真相』を導き出すのよ」 「観て察する?」  ここで煤鹿は怪訝になった。 「どうも腑に落ちないな。推し量って察するのは、要するに推理することだよな? 観て察するのも推理することに他ならなくないか?」 「あなた、本当に馬鹿なのね。ホームズのセリフを借りるならば、『観て察することと、推し量って察することは、まったくの別物』よ。長編第一作目『緋色の研究』と短編『ボヘミアの醜聞』でホームズによって語られているから、読んでみれば?」 「おそらく読む機会なんて訪れないさ」 「だと思った」  宮條の言葉を受けて、煤鹿は眉間に皺を寄せる。 「残念だけど、承服しかねるね。人間の脳は必ず思考する。それが意識的なのか無意識なのかの違いはあれど、思考せずにはいられない。それが人間だ」 「あら、いきなり脳科学者気取り? 休み時間にでも読んだ本の知識をひけらかしたがる中学生ってところかしら?」 「煩い、黙ってろ」  きゃー、怖い。  茶化すように宮條が悲鳴をあげたが、煤鹿は無視を決め込み話を強引に進める。 「つまりだ、僕らは『観て、推し量って察する』のであって、観ただけで分かるなんてことはありえない。違うか?」 「馬鹿ね、本当に馬鹿。想像を絶するほど馬鹿。空前絶後の、未来永劫再誕はありえないレベルでの馬鹿がここにいるわ」 「あ?」 「あなたはただ、目で見ているだけであって、きちんと観てはないのよ」  宮條は断言する。 「瞳に映すだけの『見る』と、分析するために『観る』のは、大きな違いが生じる。例えばあなたは、玄関からこの書架に上がってくる途中の階段は、随分と見ているでしょ?」 「随分と見ているね」 「どれくらい?」 「一日に最低二回かな。君の珈琲を配膳するのに、一回のキッチンまで降りていくことも考慮すれば、四回、六回......、多い日は十を下らないかもしれない」 「じゃ、訊くけれど。何段ある?」 「何段あるかだって? 知らんがな」 「でしょ? それが『見る』と『観る』の違い。私はきちんと『観察』しているから、十七段あると知っているし、一枚一枚の木目を覚えているから、木目の模様を撮った写真だけでも、それが何段目の板なのかを答えられるわ」  世界で最も有名な探偵役の『探偵術』。  観て察することにより得られる『事実』は、協力な証拠となって『真相』を暴くための推論に組み込める。  宮條は探偵役として、この探偵術『観察』を正しく理解し、完全模倣を成し遂げて体得していた。つまりは、あのシャーロック・ホームズと同次元で推論が展開出来ることを意味している。  その真価は計り知れず。  だが、異を唱える者がいた。 「そんな戯言、信じられるかよ」  宮條の話を胡散臭そうに聞いていた煤鹿が、彼女の瞳をじっと凝視して言う。 「どうせ、〈神の眼〉だろ?」 「馬鹿言わないで。ただ『見る』ことと、きちんと『観る』ことが違うように、〈神の眼〉で『視る』ことも意味合いが全く違うわ」  これには少しばかり、むっとした宮條が頬を膨らませて反論する。 「確かに私の〈神の眼〉は、視ればそこで誰が何をしたのか分かってしまう破格の異能よ。でも、あくまでも直接的に対象となる現場を視ていなければ何一つ効果を発揮しない」  碧い瞳を煤鹿へと差し向けて、宮條は嗤ってみせた。 「私の推論が、異常な理である〈神の眼〉ありきだと思い込まないで欲しいわね。心外だわ。シャーロック・ホームズの『観察』と『推察』から成立する連鎖的推論によって、『後期クィーン的第一の問題』もクリアすることが可能なのよ」  小悪魔JC探偵の名に相応しい宮條は、異能の力が絡んだことにより、『現実的には不可能犯罪』と化してしまった事件を、いくつも解決へと導いてきた。  何故なら宮條は、世界で最も有名な探偵役の『探偵術』を完璧に理解し、完全模倣を成功させ体得している探偵役なのだから。  宮條こそが正真正銘、シャーロック・ホームズの背中を追う者。  そんな狂信的追従者が、『本格ミステリ』の読み方を教えてくれるのだから、ミステリのド素人たる煤鹿にとっては幸運この上ないだろう。 page: 4 第2章『有名なトリックの模倣』 The Red-Headed League.1891/Aug. EP02/探偵同盟 「奇妙なことがあったんだ」  古びた書架に入ってくるなり、高校生探偵・煤鹿が口を開いた。  薄暗かった室内は、開け放たれた扉によって廊下の照明を取り入れる。弱々しいランプ一つで目を慣らしていた者の目にとって、盛大に飛び込んできた光は鋭く研ぎ澄まされた剣のように大敵だったのだろう。 「挨拶もなし?」  赤ずきん姿の少女・宮條が、眩しそうに目を細める。  いつもの気怠そうな声色で、煤鹿を見下す。読書の時間を邪魔されて不機嫌なのか、鬱陶しそうな態度が小柄な身体から滲み出ていた。 「おはよう、宮條」 「おはよ、煤鹿」 「まるで目覚めたばかりの眠り姫だな。もう夕方だぞ? まさか一日中、学校にも行かずに惰眠を貪っていたのかい?」 「別に。寝てたワケじゃないし」  と言いつつ、宮條のミルクティみたいに明るい茶髪は、毛先が寝癖のようにうねっていた。  これには煤鹿も、ここぞとばかりに溜め息を吐く。 「街に出て、買い物のひとつでもしていることを期待していた僕がバカだったよ」 「どうして私が、買い物に出ていると思っちゃったのかしら?」 「僕の誕生日だぞ、明日。プレゼントのひとつでも用意しておくのが常識じゃないか? 普通ならば」 「はぁ?」  挑発的なトーンで、宮條は吐き捨てた。 「あなた、誕生日なんだ? 知らなかったわ、そんなこと。まぁ知っていても、プレゼントなんて買ってあげないけれど」 「信じられないな。僕は、あの有名な『高校生探偵・煤鹿』だぞ? ウィキペディアに生年月日が乗っているじゃないか。よもや見たことないなんて言わないだろうな?」  煤鹿は、iPhoneを掲げて画面を宮條へと差し向けた。  だが、宮條は見向きもせず。  手にした古びた洋書へと目を落とす。  すると手持ち無沙汰になったのか、煤鹿は額に青筋を立てながら大いにバカにしたトーンで言った。 「あぁ、そうか。そうだったね」 「なにが?」 「そう云えば君、機械音痴だったな」  煤鹿が口にするのは、宮條の弱点だった。 「見た目はイマドキのJK顔負けの華美な格好をしているけど、スマートフォンも満足に使えないんだった。フリック入力が出来ない以前に、アプリの落とし方も知らないんだっけ? ネットサーフィンよりも、もっぱら書物の文字を追う方が好きな古風極まりない小悪魔JC? Googleマップの使い方が分からずに、都会の中でも迷子になるレベルとか驚きが隠せないよ」  これには流石の宮條もムッとしたらしく、 「文明の利器に頼りすぎるあまり、機械に使われている生き方と化している自分が利口とでも?」  露骨なケンカ腰で、安楽椅子の肘置きに頬杖を突く。 「『探偵役』は、科学捜査の発展で駆逐されたの。その場に居ずして意思疎通が出来てしまうケータイなんて、超能力にも等しいわ。ホームズの時代ならば反則技に匹敵するレベルでしょうが。そんな忌々しい代物を、生粋の『探偵役』たる私が使うとでも?」  宮條は持論を展開する。 「驚きだな。単なる自分の機械音痴っぷりを、そこまでこじつけられる君の才能には尊敬の情すら抱くよ。流石、嘘吐探偵とでも云うべきか」 「るっさい、蹴るよ?」  赤面し、宮條はそっぽを向く。 「だいたい、スマートフォンは使いにくいのよ。よく分からない機能満載だし、たかが通信機器に何を求めてんの?」 「宮條はハマりそうだけどね、自撮りとか」 「はぁ? バカにしないでくれる? メガ盛り顔面修正機なんか、もう別人じゃん。何が楽しいんだか意味分かんないし。それをインターネットに晒すとか、もはや自ら個人情報をばら撒きまくる自殺行為でしょ」 「そう云うところは、真面目な感性なんだ......」  ところで、と宮條が強引に話を変える。  それは語りたくって、うずうずしている少女の姿そのものだった。 「最近、あなたに『ホームズ探偵譚』の話をしてばかりだったから、久しぶりに最初から読み返したくなったの」  そう言って、宮條が英字の古書を掲げる。 「あなたは読んだことがないでしょうけれど......。ほら、これが第三の正典・短編集『シャーロック・ホームズの冒険』よ」 「君にお似合いの古めかしい本だな。ブックオフに売りに出したら百円にもならないんじゃないか?」 「殺すわよ? よっぽど死にたいらしいわね?」  眠そうな声色で、宮條は囁く。  だが、その碧い瞳には殺人的な眼光を帯びていた。 「おやおや、相変わらず物騒な物言いだね。ダメじゃないか。探偵のくせに殺意を持つだなんて。そうでなくても、年頃の女子中学生が『殺す』だなんて暴言、吐いちゃダメだろ?」 「ほんと腹立つ。あなたのその澄ました態度」  愛読書を馬鹿にされてか、宮條の機嫌はさらに悪くなる。本の背から垂れる色褪せた栞紐のへたり具合が、この本がどれほど大切に読み込まれてきたのかを物語っていた。 「それよりも聞いてくれよ、奇妙なことがあったんだ」 「外出すれば高確率で事件に巻き込まれるあなたの日常の方が、よっぽど奇妙だと思うけれど?」  どうぞ、と。  宮條が顎でソファを指す。  座れ、と云うことらしい。ぶっきらぼうながらも席を薦められた煤鹿は、お言葉に甘えることにして、慣れた仕草で腰を下ろした。 「羨ましいわね、その体質。私たち『探偵役』には願ってもない稀有な異能だけれども。霊感と云い、あなた呪われているんじゃない? 一度、お祓いして貰ったら?」 「安心してくれ。いざとなれば、知り合いに腕の良い巫女がいるからね。むしろ殺人事件に遭遇することを幸運と捉えている時点で、君も精神的に病んでないか?」 「なに言っちゃってんの? 『探偵役』の活躍に憧れるだけに留まらず、霊感だなんて反則技を使ってまで『名探偵』を演じちゃってるあなたの方が、よっぽど拗らせてるんじゃない? 自分で推理もしていないくせに、すべて頭脳に任せておきながら、一丁前に格好つけて『真相』を語っちゃってる姿とか、ウケ狙いとしか思えないほどサムイんですけれどっ!」 「煽るくせに煽り耐性が低いなんて、君こそ年相応の小生意気な女子中学生だな」  宮條と煤鹿の視線が交差する。両者の間には嘲笑と失笑とが絡まり合って、蔑視さえ伺えた。  だが、煤鹿は自ら視線を外す。  煽りの応酬になり、話が進まなくなるのはいつものことだ。なので、ここは年長者である煤鹿が言いたいことを堪えた。 「それよりも聞く気はないのかい? 君の大好きな、摩訶不思議なミステリだと思うんだけどな。退屈しのぎのお茶請けには丁度良いんじゃないのか?」 「ふーぅん。あなたの頭脳は、なんて言っているの?」 「それがご覧の有様で」 「いや、見えないんだけれど」  宮條は、白い視線を煤鹿へと送る。  同時に、煤鹿の肩越しに背後を見つめた。霊感のない宮條にはその存在と意思疎通を図るどころか、気配を感じることすら難しい。だが、不思議と彼女の〈神の眼〉を宿した瞳は一点を見据えていた。  宮條が興味を持ちそうだと煤鹿が判断したのならば、それは程度の違いはあれど謎解きが絡む。しかし煤鹿には頭脳があるので、宮條に話す前に解決してしまう方が自然だろう。  となれば、当然の疑問。  どうして煤鹿は、高校生探偵の頭脳を使わなかったのか?  宮條は、そこに引っかかりを覚える。放課後の女子高生との談笑をふいにしてまで、どうして宮條邸へとやって来たのか。この疑問点を解消する答えを、赤ずきん姿の少女は持ち合わせていない。 「謎は解けている上で、私に挑戦するつもり? ずいぶんとクィーン的な洒落たパズルゲームを挑んでくるじゃない。いいわ、上から一方的に叩き潰してあげる」 「違うんだ、宮條」 「え、違うの?」  なんだ残念、と。  割と本気で凹む宮條。  高校生探偵・煤鹿の頭脳は、『探偵役』として優秀だ。いくら存在自体が反則技とは云え、論理的な思考で犯人を断定するだけの推理を構築することが出来るのだから、無能とは言い難い。これは宮條も認めている。  なので、なおさら疑問が生じた。 「だったら、なんなの?」 「それが......」 「?」 「ギャル系のクラスメイトが持っていたファッション雑誌を盗み見たのが最後。なんか昭和生まれの感性で大騒ぎしだして、聞く耳持たず。ついには発狂して日本刀を振り回しているよ。困ったことに」 「それを『困ったこと』で片付けちゃうあなたの精神力って......」  宮條の口元は引き攣っていた。  実害はないとは云え、そんな鬼の形相で日本刀を振り回している幽霊が近くにいながら、この落ち着き具合の煤鹿の方がよっぽど恐ろしい。  まぁいいわ、と。  宮條は落胆しつつ安楽椅子の上で、ちょこんっと座り直して両膝を抱える。 「それで、奇妙なことって?」 「今朝のことなんだけどさ。僕が教室に入ると、一年生の女子に廊下から声を掛けられたんだ。それ自体に違和感はないよね。モテる僕が朝から後輩女子に愛の告白を受けるのは、さほど珍しいことじゃないし」 「うっざ」 「話を続けるけど、構わないかい?」 「どうぞ? 口調と言葉選びに苛立ちしか覚えないけれど、我慢して聞いてあげる。私、お利巧だから」 「不思議なのは呼び出された後だよ。その子、チアリーディング部員だったんだけど、部室に僕を呼び出したくせに全然告白してこなかったんだ」 「は?」  これには予想外だったらしく、宮條の表情は唖然となっていた。 「ごめんなさい、あなた頭おかしいの?」 「常識的に考えてくれ。僕に告白しないとか、ありえないだろ?」 「こいつがウザいのは、今に始まったことじゃなかったわね......。地獄に落ちれば良いのに」  げっそりとした顔で、宮條は可哀想な子供を見るような冷たい目線を向けた。 「奇妙なのは、ここからなんだ」 「あなたの思考自体が怖いけれど、どう云うこと?」 「実は、昼休みにも呼び出されたんだよね」 「同じ後輩女子から? 朝の呼び出しだけじゃ、目的を果たせなかったんじゃないの? それこそ殺し損ねた相手の息の根を止めるべく、殺人者がリベンジを挑むみたく」  物騒な喩えを挙げるものの、宮條の言葉に煤鹿が動揺する様子はない。むしろ反抗期の妹を見守る兄のような態度で笑う。 「違うんだよなぁ」  煤鹿は首を横に振って、 「別の女の子だよ。隣のクラスだったけど、面識はあまりないね」 「あなたが覚えていないだけで、どこかで誑かしたんじゃないの? お決まりの気障なセリフと甘いフェイス(笑)とやらで」 「失礼だな、宮條。僕が女の子の顔を一人として忘れるはずないじゃないか。それにランチに誘われたから、一緒に屋上で過ごしたけどさ。その子も僕に告白してこなかったんだよ。おかしくないか?」 「呆れた。とんだケダモノね」  宮條は興味なさそうに言う。 「なら、どゆこと? あなたは一日に二人以上の知らない人から声を掛けられただけで大事件なの? 高校生探偵・煤鹿は、とんだコミュ症ね」 「まさか。早とちりは良くない君の癖だね、友達いなくなるよ? あ、既にいないか。ごめんってば」  ジト目を向ける宮條を煽るように、煤鹿は微笑を浮かべて話を続けた。 「不思議なのは、まだ続く。放課後も女の子に声を掛けて貰ったんだけど。陸上部のマネージャーだったから、第二グランドに移動したんだ。でも、その道中といざ到着してからも、特に話らしい話はなかった」 「話らしい話ってなによ? どんな会話を期待していたの?」 「ほぼ初対面の女の子が、僕に声を掛けて来たんだぞ? 依頼か相談か、どちらでもなければ告白しかないだろう? なにせ僕は『高校生探偵・煤鹿』だ」 「呆れるほど清々しいナルシストっぷりに、引いてるところだけれども。たまたま奥手な女の子たちがこぞって探りを入れただけじゃないの?」 「一日に三人も、か?」  そんな偶然ないだろ、と。  煤鹿にしては珍しく地に足をつけたことを言う。 「どうにも僕には分からないね。不思議でしょうがないよ。どうして彼女たちは、今日に限って接触してきたのか」 「そんなことも分からないの?」 「なら君には分かるのか?」 「バカにしないで」  宮條は大きな碧い瞳を丸くして、素っ気なく言い放つ。 「それ、赤毛同盟トリックよ」 「赤毛同盟トリック?」 「驚いた。世界で五本の指に入るほど有名なトリックなのに、知らないの?」  きょとん、とした煤鹿に宮條は最大級の侮蔑を向ける。 「1891年8月にストランド誌で発表された『赤毛同盟』にも使われている有名なトリックよ、この『シャーロック・ホームズの冒険』にも収録されているわ。『本格ミステリ』においてネタバレを語るのはご法度だけれども、構わない?」 「どうせ読まないさ、そんな古めかしい話。どう云うことか説明してくれ」 「要点だけを掻い摘むなら、とある質屋の主人が『赤毛同盟』と云う広告をアルバイトの青年に見せられて、副業の小金稼ぎをする奇妙な物語よ。一日数時間の拘束で、破格の支給金が得られる『赤毛同盟』に参加した主人。きちんと給料も支払われて、ずっと続くかと思っていた。でも突然、その小金稼ぎが出来なくなってしまった。どうしてだと思う?」  知らん、と煤鹿は首を横に振る。 「なぜなら『赤毛同盟』が解散してしまったから!」 「傑作だな!」 「だから助けてくれ、って主人がホームズのところへと泣きついてくる話なワケだけれども」 「そりゃ愉快な話だね。それと僕の奇妙な体験が、どう関係あるんだ?」 「ここまで言ってあげたのに、二項に共通点を見出せないなんて。あなた『名探偵』として恥ずかしくないの? とっとと引退したら?」  嫌味ったらしいセリフを垂れるが、宮條に嫌悪感などなく、むしろ愚弄すること自体を愉しんでいるようにしか見えない。 「せめて『赤毛同盟』くらいは読んで欲しいから、事件の核心には触れないようにするけれど。この物語は、どうして質屋の主人は割りの良い副業に就けたのか。この謎を解けば『真相』が分かる、と云うミステリなの」 「皆目見当がつかないな」 「奇妙な口実で、ある人物を特定の場所から排除するトリックよ」 「どう云うことだよ?」 「実は、質屋の主人のことなんでどうでもよかったの。主人ではなく質屋にこそ犯行者たちは用があった。一日数時間、主人を質屋から追い出すことが目的だったの。どうして追い出したのか、気になったら是非『赤毛同盟』を読んで。なんなら貸してあげよっか?」 「読まん」  そこだけは、頑なに拒否する煤鹿。  お気に入りの書物を差し出したのに、二つ返事で断られてしまった宮條は、この上なく見事な笑みを浮かべて怒気を露わにしていた。 「シャーロキアンが選ぶ『ホームズ』シリーズの中でも、首位を争う傑作を......、読まない?」  わなわな、と。  声色が怒りへと塗り変わるのを我慢しながら、宮條は、あくまでも冷静に続ける。 「きっとシャーロック・ホームズ探偵譚の代表的な短編『赤毛同盟』を読んだ誰かが、影響を受けて真似たのね。発想が程度の低い高校生らしいわ。どこかの誰かさんと同じで」  所詮は高校生ね、と女子中学生の宮條が煤鹿を盛大に煽る。刺々しい視線が『高校生探偵・煤鹿』へとぶっ刺さるが、本人は知らぬ顔を決め込む。 「だからクラスメイトたちは、結託してあなたになにかを隠している。級友たちがあなただけを除いて集まることが難しいならば、発想の転換。あなたを教室に居させないと云う方法で、話し合いの場を設けている」 「なんのために?」 「本気で言ってるの?」  可笑しそうに笑いながら、 「あなたの誕生日でしょうが、明日」 「..................................................................................................................、は?」 「クラスメイトたちは、明日の朝一にサプライズを仕掛けようとしているのね。だからあなたを教室から追い出したかった。そのために、いろんな人を使って、あの手この手で教室から連れ出した。その引き付け役があなたとは深い関わりがない理由も、そのサプライズに参加しないから。企画会議に参加しなくて大丈夫でしょ?」  唖然とする煤鹿を見て、宮條は得意になってドヤ顔で饒舌に語る。 「気付きなさいよ。あなたの頭脳ならば、俯瞰視点でこの程度の『真相』なんか見抜けれ当然。でも語らないってことには理由がある」  あくまでも宮條は、厭味ったらしくキュートな声色で喉を鳴らす。 「考えてもみなさいよ。たかがファッション雑誌で会話不能なレベルまで陥る?」  女の子に幻想を抱いたバカな童貞を、完膚なきまで詰るみたく、宮條の瞳は絶対零度の光を帯びる。 「発狂するワケないでしょ」 「でも君には見えないかもしれないが、現に」 「日本刀を振り回すなんて大道芸を苦し紛れにやらなくちゃならないほど、あなたには教えてはならないと判断したからに決まってんじゃん」  完成した推論は、誰にも否定出来ない。  宮條が語ることは、あくまでも『事実』で、それが『真相』であることなど、神でもなければ誰にも分からない。  だが、確かめるまでもなく、宮條の語る言葉には『真実』へと昇華するだけの魅力が宿っていた。  それが『探偵役』なのだから。 「煤鹿が授業以外で教室にいる時間が短かった事実と、あなたの頭脳の理解し難い状況。これだけ考えても明日、あなたのためにサプライズが仕込まれていることくらい考えるまでもないわ。違う?」 「それ言っちゃう!? 僕は明日、どんな顔をして教室に入れば良いんだ!?」 「気取って『僕は全部気付いてましたけど?』とでも言う気満々の表情なら? その方が『高校生探偵・煤鹿』らしくない?」 「いや、それは。でも僕は、アトラクションは全力で楽しみたい派なんだ。だから出切れば知りたくなかった」 「むしろ全国的に有名な『名探偵』のくせして、赤毛トリックも知らないのかってスキャンダルになりたいの?」 「厭がらせか?」 「心外ね。私は全国の『探偵役』が、あなたのせいで赤毛トリックも知らない浅学と同列で語られてしまう危険を排除しただけ。結果として『高校生探偵・煤鹿』のブランドを守ってあげたんだから、感謝こそされど非難される筋合いはないわ」  喚く煤鹿に、聞かぬ宮條。  啀み合う両者は、互いに視線で敵意を激突させて吠え合った。 「もう少し、伝え方があるんじゃないか? せめてオブラートに包むとか......!」 「だって私は『探偵役』よ。たまには、嘘で偽らずに『真相』を語りたいじゃない?」 page: 5 第3章『平穏は探偵役を殺す』 A Case Of Identity.1891/Sep. EP03/探偵役失踪事件 「平穏は探偵役を殺すわ」  薄暗い書架にて。  お気に入りの安楽椅子に踏ん反り返った宮條は、退屈を持て余していた。 「だめ、退屈すぎて死にそう......。なんかこう、知的好奇心を掻き立てるような出来事に遭遇しないかしら?」 「宿題でもしとけよ、女子中学生」  ソファに腰掛けながら、名探偵コナンの劇場版パンフレットを眺めてニヤける煤鹿は、興味がなさそうに適当な相槌を打つ。 「平和が一番じゃないか。凶悪事件なんか起こらない方が良いだろう?」 「はぁ? あなた本気で言ってんの? これだから探偵気取りは......」  珈琲カップを片手に、宮條は欠伸を噛み殺すことなく垂れ流す。 「『花婿失踪事件』でホームズも言ってたでしょ? 『日常における非現実は、人間の想像で創る物語よりも遥かに奇妙だ』って有名な言葉なんだけれども」  当然ながら煤鹿がそんなセリフを知る訳もなく、 「つまり、なにが言いたい?」 「あなた、『名探偵』として活躍したくないの?」 「愚問だな、答えるまでもない」  キメ顔で、 「もてはやされたい」  宮條は唇に珈琲カップを乗せて、固まっていた。  まるで危篤患者でも見るような目で、完全に見下している宮條だったが、そんなことなど構わずに煤鹿は前髪を手で梳く。 「事件を解決した時の快感は、他に代え難い至極の瞬間だね」  工藤新一に憧れて、自分も『名探偵』になりたい、などと思うような探偵気取りらしい発言だった。  だが、 「でしょ?」  ここで宮條は一拍を置いて、 「要するに『探偵役』は、事件がなければ存在意義がなくなってしまうのよ」  宮條は煤鹿の欲望を肯定した。  謎を解く。  それこそが『探偵役』に与えられた唯一にして至上の役割なんだから、と宮條は嘯く。 「どんなに優れた『探偵術』を持っていたとしても、それを発揮する機会に恵まれなければ意味がない。ホームズにとっても、事件は退屈な現実から逃避するための暇つぶしでしかないのよ」 「随分と、ぶっ飛んだ奴だな。シャーロックは」 「えぇ、知らなかったの?」 「知らなかったと云うより、なんかイメージと少し違うからなぁ......。英国紳士の代表格じゃないのか、シャーロックは?」  うんうん、と。  宮條は腕を組んで頷く。 「にわかホームズ・ファンにありがちな、間違ったイメージを抱いている辺り、煤鹿らしいわ」  想像を裏切らないね、と宮條はバカにした視線を向けながら、事実を伝えた。 「紳士的なホームズ像は、BBCが作り上げた幻想よ」 「なんだって......?」  これには煤鹿も、強烈に違和感を覚えた。  その名が広く知れ渡っている『シャーロック・ホームズ』と聞けば、誰しもが英国紳士を思い浮かべるだろう。  だが、宮條は一刀両断した。  ならば、英国紳士のイメージは?  その答えを、宮條はあっさり口にする。 「英国を代表する『探偵役』として、イギリス人は『シャーロック・ホームズ』を神格化させ過ぎたのよ」 「神格化って......」 「例えば、あの雑誌の切り抜き」  宮條が目をやる方向には、コルクボードがある。そこには雑誌や新聞紙の切り抜きが貼ってあり、内容はすべて『名探偵』こと『高校生探偵・煤鹿』を褒め称えるものばかりだった。  言うまでもなく、煤鹿の仕業だ。  その中でも一際目立つ、大きなカラー写真を宮條が睨む。 「ホームズに詳しくない人がこの写真を見たら、なんと言うかしらね?」  鹿撃ち帽にマント。  パイプを咥えてドヤ顔決めた煤鹿が、がっつりカメラ目線。 「シャーロック・ホームズだな」 「でしょうね」  と、宮條は首肯した上で、 「でも、正典でホームズが鹿撃ち帽をかぶる描写なんか存在しないのよ」 「なんだって? シャーロック・ホームズと云えば、あの格好だろうが!」 「バカね。それは『ボスコム谷の悲劇』の挿絵を描いたシェドニー・パジェットが、ドイルに許可なく勝手にやった案よ。キャラクターとしてのホームズに、トレードマークを持たせるために、ね?」 「嘘だろ、おい。僕を揶揄ってるんだよね? 流石に騙されないからな、バカにするのも大概にしろよ......?」 「残念ながら、事実よ。てゆーぅか、鹿撃ち帽は狩猟用よ? ホームズが活躍していたビクトリア朝時代だと、都市で被るなんてありえないんですけれど? それすら知らないとか、まぢでウケるんですけれどぉ!?」  特上の侮蔑を浴びせて、宮條がキュートに嗤う。 「それに、ホームズはコカイン中毒者よ?」 「コカイン!?」 「19世紀ロンドンでは、コカインが依存症を引き起こす危険な薬物だって認識はないに等しかったのよ。現代で云うところのタバコと同等だわ」 「なんてこった......」  ショックを隠しきれないのか、煤鹿はコルクボードの切り抜き写真を見上げて頭を抱える。そしてしばらく無言の後は、身を悶えて奇声をあげた。 「てことは、なにか!? 僕は『シャーロックのにわかファンです!』と全国紙に堂々と掲載されてばら撒かれたってことなのかっ!? うわぁあああああああああああ! オワタ! 僕の『高校生探偵・煤鹿』としての生命が途絶えちゃったぁあ!?」 「るっさい、黙れ」  宮條は言葉短く去なす。 「ホームズは、平穏な日常に退屈していた。自らの優秀な頭脳を使う機会に恵まれなければ、彼は7パーセント溶液を注射して、トリップをキメてたってワケ。重度の薬物依存にワトソンも気を揉んでいる描写も『四人の署名』をはじめとして、幾度か見受けられるわ。少しでも正典に触れたことがあれば、これくらいの知識は常識レベルなんですけれど?」 「だからアイアンマンの人がシャーロック役の映画は、どこかハードボイルドな演出だったのか......」 「そうよ? その点においては、シャーロキアンからも評価は高いわ。BBCが築き上げた従来のホームズではなく、本来のホームズを演じたから、私も楽しませてもらえたワケだし」  喚く煤鹿を、くすくす笑う宮條。 「こんなことなら撮影当日に居てくれよ、宮條」 「嫌よ。絶対にお断り。あ、でもこのブーティ買ってくれるなら考えてあげても良いけれど?」  読みかけのファッション雑誌を顎で差して、宮條は意地悪い笑みを浮かべる。チラリと目を遣った煤鹿が、悲鳴をあげるのは当然の結果だった。 「高校生から諭吉を奪おうとするなよっ!?」 「えー、めっちゃ可愛いじゃん?」 「買えるか、こんなもん!」 「欲しーぃなぁ?」 「無理だッ!」 「ケチ」  珈琲カップをソーサーの上に戻すと、宮條は角砂糖を摘み上げて投下する。どうやら甘さが足りなかったらしい。3つ、4つと波紋を広げながら沈んでいく糖分の塊のおかげで、珈琲はさらなる甘ったるい粘着性を帯びる。  その、もはや珈琲とは呼び難いシロップ状の液体を、宮條は澄ました顔で「こくりっ」と喉を鳴らして口にした。正常な味覚を持った人間ならば、糖度の高さに目を回していたことだろう。 「何もない日常なんて、『探偵役』には毒でしかないわ」 「だからって、薬物依存はヤバいだろ......」 「あれ、そこでひよっちゃうの? ホームズに憧れているなら、あなたも非行の一つでタバコ吸ってみたら?」 「男子高校生に喫煙を勧める女子中学生がどこにいるんだよ」  諸手を上げて抗議する煤鹿は、まるで非行少女を咎めるような眼差しを宮條へと向けた。  とは云え、宮條は見た目こそ華美だが、至って清らかな女子中学生だ。酒を呑まなければタバコも吸わない。  ただ、『探偵役』と云う名の存在に魅了されてしまっただけの、禁じ手を使う探偵役である。 「つまり知的好奇心を刺激してくれる事案......、たとえば猟奇的な殺人事件がなければ、『探偵役』は破滅してしまうの。薬物に手を出しかねないレベルまで追い込まれて、身を滅ぼしてしまうってことよ」 「物騒すぎるぞ、探偵役。もはや危険ドラックの無法地帯か」 「このことは、『赤毛同盟』でも語られているわ」 「この前のレクチャーで出てきた話か」  煤鹿は、つい先日のことを思い返す。  クラスメイトが屈託して、煤鹿には極秘裏で誕生日を祝うサプライズを仕組むのに使われたトリックが、ホームズの短編二作目『赤毛同盟』と同種のトリックであると宮條は指摘した。 「それで思い出した。あの後、どうなったの?」  すると煤鹿は苦笑する。 「翌日に教室へと入った瞬間、クラッカーからの拍手喝采だったね。もちろん僕は鞄から感謝状を取り出して、クラスメイト一人ずつ配ったさ。すべてお見通しだってスタンスで、『赤毛同盟』の話をしてやったら、みんな喜んで聞き入ってくれた」 「全部、私が推論してあげたのに......」  と、宮條が頬を膨らます。 「感謝はしているよ、一応。だから君にも珈琲豆をプレゼントしたじゃないか」 「えぇ、とっても美味しいわ。ありがと」  珈琲カップを掲げて、宮條は笑う。  揺れる液体はクリーム色。バリスタが見たら激怒するレベルで、宮條は牛乳を流し込んだのだ。 「その豆は『ツッカーノブルボン』と云ってね、ブラック珈琲で飲むのが一番なんだけどね。どうやら君のお子ちゃま舌には早すぎたかな? 一口啜って硬直した君の姿は一生忘れないよ、きっと」 「勝手にほざいてなさいよ。どうせスタバの店員にでも聞いた知識を、得意になって垂れ流しちゃってるだけでしょ?」 「君のは誰がどう考えても『ラテ』だ」 「『珈琲』だっつってんでしょ」  事実、宮條は珈琲と牛乳の割合を1:5にしている。五倍もの量の牛乳で、珈琲を薄めないと飲めないらしい。もはや珈琲よりも牛乳が主役の『コーヒー牛乳』だが、宮條は断固として『珈琲』だと言い張っていた。 「これが一番おいしい『珈琲』の飲み方なのよ」 「珈琲通を気取りたいなら、苦いのを我慢してでもブラックを飲むくらいの根性を見せてみたらどうなんだ? 口先だけ大人ぶっているくせに、行動は稚拙そのものじゃないか」 「探偵気取りのあなたに言われたくないし」  こくり、と。  宮條は喉を鳴らして、糖度が異様に高い琥珀色の珈琲を飲む。 「実は『赤毛同盟』と『花婿失踪事件』には、面白い研究があるの。『緋色の研究』と『四人の署名』で、ストランド社がドイルに原稿を依頼した。1891年の8月号に発表された『赤毛同盟』よりも先に書かれていることが確定しているのよ」 「なんでそんなことが分かるんだよ?」 「シャーロキアンの間でも物議を醸したひとつの題目として、『赤毛同盟』の冒頭で、『花婿失踪事件』に関すると思われる会話がホームズとワトソンの間で交わされたのよ」 「それは、敢えての演出じゃないのか? 前のエピソードで名前だけ出てきた事件をクローズアップする手法なんて、ラノベでもよくあるぞ」 「発表順が前後した理由は、ドイルが二つの作品を同時に送ったから。編集部が掲載順を間違えたのだとシャーロキアンは推理した。だから『赤毛同盟』の冒頭で、『花婿失踪事件』に関すると思われる会話がホームズとワトソンの間で交わされていると結論付けた」 「ミスなのかよ!」 「個人的な見解としては、私は編集部がわざと順番を差し替えた説を提唱しているわ」 「それまたどうして?」 「シャーロキアンが選ぶ一番面白かったエピソードとして、『赤毛同盟』は首位を争うレベルの傑作。だから編集部としても、第2回掲載の内容として相応しいと判断したんでしょうね」 「ベストセラーは、1作目より2作目の方が大切だって言うしな」 「編集部の読み通り、『赤毛同盟』でストランド誌の読者は『ホームズ』シリーズに関心を寄せたわ。だから編集部のミスではなく、手腕だと見立てるのも難しくはないでしょ?」  本当に様々な憶測が飛び交うから、シャーロキアンは辞められないのよ、と。宮條は満更でもなさそうに笑う。 「もしも短編2作目が『赤毛同盟』ではなく、『花婿失踪事件』だったらば。『シャーロック・ホームズ』は探偵役の基本として君臨することがなかったかもしれないわね」  豆知識をひけらかすことが出来て、宮條は非常に満足そうだった。 「今では聖書の次に、最も多く読まれている『ホームズ』シリーズとさえ呼称されるに至ったけれども」  ともすれば、宮條は饒舌になる。 「そもそも、どうして探偵がミステリの謎解きをするようになったと思う?」  探偵小説の起源に関する講義が始まる。 「探偵と云う職業は、最初から殺人事件に関与する権限が与えられた職業ではなかったわ」 「だろうな。宮條、君の言葉を借りるなら、探偵なんて市民にカウントされてもおかしくない役職だろ」 「でも、探偵役は生まれた」  宮條は『探偵役』らしく、回りくどい口調で偉そうに語った。 「19世紀のヨーロッパでは、怪奇幻想小説が流行っていたのよ。魔女狩りだの異端審問だの、オカルト最盛期の中世があったような文化だしね。簡単には目には見えない恐怖を払拭することは出来ない状況だったの」 「怪奇幻想小説?」 「亡霊や怨念、祟りによって不運な目に遭ってしまう人々を描いた恐怖体験を綴った小説群よ。だからオチは、悪魔だったり呪詛で殺されたり、摩訶不思議な出来事は謎に包まれて終わる」 「ホラーやパニックじゃないか」 「でもそれを、悪魔や魔女の仕業ではなく、人間が引き起こした犯罪であると解釈したのが『探偵小説』の起源よ」  珈琲を啜り、宮條はさらに饒舌になる。 「『探偵小説』の"mystery"って、英語から日本語に再翻訳すると『謎』『怪奇』『不思議』と云った不可視の恐怖を彷彿させるワードでしょ?」  宮條は脚を組んだ。 「不可視の恐怖を人間の仕業であると暴く役目を与えられたのが、金を積めばどんなことでも調べ上げてしまう『探偵』と云う職業ってワケ。理解可能?」  不可視の恐怖に挑む配役として選ばれた『探偵役』。その起源を宮條が語り明かす。 「史上初の探偵小説、エドガー・アラン・ポーによる『モルグ街の殺人』くらい読んだことないの?」 「残念ながらないな」 「これくらい必須だから読んでおきなさいよ。あなたの憧れる高校生探偵『工藤新一』が尊敬している最も有名な探偵役『シャーロック・ホームズ』の原型とされている探偵役の始祖『オーギュスト・デュパン』の物語なんだから。冴え渡る推論の連鎖に痺れるわよ?」 「たかが小説で痺れるとか......、君、本当に頭は大丈夫かい?」 「殺すよ?」  宮條の笑顔が、にっこりと咲く。 「『モルグ街の殺人』を要約すれば、人間が侵入不可能な密室内で、女性が煙突に無理やり突っ込まれて殺された、と云う異常極まりない事態よ」 「エグいな......」 「これを不可視の恐怖ではなく、現実的な技法で再現可能であると『真相』を提示したのが、すべての始まり」 「不思議な現象。オカルトを現実的に解明する仕事が探偵。でも、産業革命以降は科学の時代が到来して、信仰や迷信は失われた。必然的に探偵は不要になる」  そうして探偵小説は、歴史の影へと消えていった。 「以前話した通り、『探偵役』は科学捜査の発展で駆逐されてしまったの」 「そう云う意味じゃ、僕は恵まれているのか」 「はぁ?」  突然の自分語りに、宮條はだいぶ引いていた。 「誰があなたの話をしなさいって言ったのよ。別に興味ないから黙っててくれない?」 「シャーロックは言ったんだろ?平凡は詰まらないって。僕も同感だ。なにかしらの刺激を求めて生きているし、幸いなことに僕には頭脳がいる」  煤鹿の視線が虚空へと向けられる。  目線の先には何もない。少なくとも宮條の目には何も映らず、もしこの場に第三者がいたとしても「この部屋には二人しかない」と証言しただろう。  だが。  煤鹿は違う。  瞳が焦点距離を合わせる為に動き、なにも居ないはずの空間を目で追う。  彼の目には、確実に彼女が映っていた。 「そうだろう、影薄い?」 [言うに事欠いて、私の前で確認しますか?]  その少女は、黒いセーラー服を着ていた。  日本人形のように長くて艶のある黒髪を、まっすぐに切り揃えているせいか、どこか奥ゆかしい。年の頃は煤鹿と同年代に見えるが、『女子高生』と呼ぶより『女学生』と云う単語の方がしっくりとくる。  色焼けの跡など微塵もない病的なまでの白い肌と、墨汁のような黒の対照的な混在が、良いとこの和風お嬢様の風格を醸し出していた。 [当然ではありませんか、煤鹿くん。私の言った通りに推理を披露して下されば、一つとして間違いは生じることがありません。なにせ私は、幽霊と云う科学的な存在ですから]  幽霊は、科学的な存在。  それがこの少女、幽霊探偵・影薄いの口癖だった。  影薄いに言わせてみれば、遺体の内部に残っていた生体電気が放出され、空中を漂う過程で発生する静電気こそが人魂の正体らしい。なので火葬する前の葬儀場にて人魂の目撃談が多いとか。 [私と云う科学の申し子が、警視庁の鑑識課を上回る現場検証をして差し上げているのです。私は幽霊なので、遺体にメスを入れることなく解剖と同じ結果を得られます。なにせ透過出来ますし]  検視も見誤ることなどございません、と。  影薄いは自信満々に宙を一回転。漆黒のスカートが揺れて、雪のように白い太ももが露わになる。 「幽霊風情が調子乗んなし」  宮條が吐き捨てる。 「あなたは幽霊だから、誰にも気付かれずに存在することが出来てしまう。どんな現場にも居合せることが可能なのだから、凶行の瞬間だって例外じゃない。さしずめ、全人類監視隠しカメラってところかしら。随分と根暗な趣味を持っているわね」 [不潔な思考ですね、きっと心まで穢れきっているに違いありません。日本女子として恥ずかしくないのでしょうか、欧米文化に気触れた売国女が。嫁入り前の娘が下品極まりない格好で男を誑かすなんて破廉恥以外の何者でもありません] 「私の可愛さが理解出来ないとか、あなたの感性、終わってんじゃない?」  容赦なく宮條が毒突く。 「清楚と地味は大概違うわよ?それも理解出来ないような低レベ・コーデセンスなの?これだから昭和生まれのアパズレは」 「お黙り頂けますでしょうか、クソ売女」 「死に損ないが偉そうに語らないで」 「いい加減にしてくれ、二人とも」  間に割って入るのは煤鹿だった。  大前提だが。  宮條には影薄いが見えない。  そもそも声など聞こえもしないし、気配すら感じ取れていない。  それでも宮條は、影薄いと意思疎通を図ることが出来る。 「霊感がある僕はまだしも、なんだって霊感がない君が幽霊と言い争いになるんだ?影薄いの声なんて届いていないんだろ?」 「聴こえるワケがないでしょ、影が薄すぎて煤鹿にしか存在していることが分からない枯れ尾花もどきの戯言なんて」  ミルクティみたいな色をした明るい茶髪を指先で弄びながら、宮條は頭に人差し指を押し当てて微笑する。 「私を誰だと思ってんの? 探偵役の始祖たるオーギュスト・デュパンが『モルグ街の殺人』で披露した探偵術を用いれば、相手と言葉を交わさずに思考の盗撮なんて簡単だってば」  デュパンはね、と。  識をひけらかす少女の顔で、宮條は語る。 「探偵役の始祖だなんて大層な肩書きだと思うでしょうけれど、デュパンは凄まじいわよ?」 「それは君が好きなシャーロック・ホームズよりもか?」 「好感度と評価の値は、比例しないわ。私はホームズに惚れ込んでいるし、崇拝もしているけれど、だからって世界で最も優秀な探偵役だなんて豪語しないし」 [クソ売女にしては、まともな意見ですね] 「除霊されろ、疫病神」 [はぁ!?]  ここで影薄いが「クソ売女!」と噛み付いたが、宮條は反応しない。本来ならばそれが当然だが、今までの噛み合いが嘘のようなスルーっぷり。  あまりにも自然に無視をするので、意図的に聴こえないふりをしているのかもしれない。 [スマホも使えない売女]  昭和生まれの幽霊少女が科学信仰に傾倒し、平成生まれの小悪魔JCが書物に埋もれる。  対極の『探偵役』たちは、視線に殺意を込めて衝突させ合い、静かなる激昂で威圧し合っていた。  今にも全面戦争が起こりそうな、張り詰めた状態へと突入していたが、突然互いに視線を逸らして、明々後日の方向を向き合う。 「あなたが有難がっている科学の発展こそが、あなたの憧れる『探偵役』が活躍する場面を残らず奪ったの。事実として、産業革命が巻き起こって以来、それまで絶頂を築いていた英国黄金ミステリの時代は倒壊の一途を辿ることになる」  それは『本格ミステリ』における、一度目の死を意味する。 「だから私は、科学が嫌い」  どこか寂しそうに、宮條は呟く。 「だって科学捜査の発展によって、『探偵役』は失踪させられたのよ?」 page: 6 第4章『恋い焦がれた存在意義』 The Boscombe Valley Mystery.1891/Oct. EP04/死に損ないの惨劇 「つまんない」  珈琲を啜る宮條が、ぼやいた。 「どこかに首なし遺体でも転がってないかしら?」 「物騒だな、おい」  これに答えたのは、煤鹿である。 「君に野蛮な犯罪趣向がなくて、本当に世間は報われているね。退屈に耐え切れずにサイコパス犯罪でも引き起こさないか肝が冷えるよ。その時は『高校生探偵・煤鹿』である僕が、君に手錠を掛けてあげるから感謝してくれよ?」  Youtubeで『名探偵コナン』のMAD動画を眺めながら、煤鹿は軽く受け流す。煤鹿としては当然ながら冗談だが、宮條の方は大真面目な顔をして失笑した。 「バカね。頭部を切断するなんて芸当、私みたいな小さい女子中学生の力じゃ出来ないでしょ。もっと考えてから物を言いなさい」 「君にその力があったら、殺るのかよ」 「本当にバカなの? 私は『探偵役』よ?」  ふふっ、と鼻をならして宮條は得意になって語る。 「どっかの誰かが必死こいて隠蔽しようとした『真相』を、無残にも公に引き摺り出しちゃう行為こそが快楽だし。自分で殺しちゃ意味がないでしょ。それだと知的好奇心は満たされないわ」 「君、相当に性格悪いぞ」 「それに万が一、私が殺人を犯すとしたら他殺の可能性を彷彿させない方法を採るわ。だって凶悪事件の方が足がつきやすいし。ホームズが『ボスコム谷の惨劇』で語った通り、『事件の異常さは、それ自身が手掛かりとなる』のよ」 「じゃあなにか? 君は単純明快な事件より、複雑怪奇な事件の方が簡単とでも?」 「まったく以ってその通りよ。パディントン駅を出発した汽車の中でもホームズは言ったわ。『犯罪は特色のない平凡なものほど、犯人を突き止めにくい』って」  お気に入りの安楽椅子に深々と背を預け、宮條は組んだ脚の上に手を這わせる。大胆に露出した太ももが薄暗いランプに照らされて、艶やかな色を帯びていた。  そんな時、 「くだらんな」  男の声がした。言葉を遮られた宮條と、興味なさそうに聞き流していた煤鹿は、突然の来訪者へと目を向ける。 「人が殺される不謹慎極まりない娯楽を、なにを得意に語ってやがる」  重厚な木製の扉を押し開けて、声の主であるスーツの似合わない男が入って来た。  その男が続けて言う。 「いつ来ても不健康そうな場所だな、ここは。たまには日の当たる公園でも散歩したらどうなんだ?」 「大きなお世話よ。私、肥らない体質なの。むしろあなたの方が体重増えたんじゃない? 幾つもの難事件を抱えているみたいだけれど、進展がなくて捜査本部に引き篭もっているってところかしら」 「捜査には慎重を期すべきであり、早計な解決はかえって真実から遠退く。『結論を急ぐあまり、事実を捻じ曲げてしまう』とは、貴様が得意になって語る夢物語のセリフだったか?」 「よくご存知で」  宮條は組んだ脚を揺らして、実に満足そうに笑う。 「それにしたって時間が掛かり過ぎよ。観れば即時に察することが可能なレベルで分かりきった事実を詳らかにするのだって、あなたたちは膨大な時間を要する。老衰で死ぬまで待ち惚けて、被疑者死亡で不起訴にしたいの?」 「ごく個人的に動く私立探偵風情が、何を偉そうに語るかと思えば。捜査権限なくして現場で好き勝手に動き回り、正規の指揮系統を乱して、注目願望と承認欲を満たしている害悪の極みがほざくな」  少女と男は、互いに侮蔑の笑みを浴びせ合う。  激突する言葉尻には私怨が覗き、心の底から嫌い合っている関係性が煤鹿には手に取って見えた。 「警察は無能だから仕方ないわよね」 「犯罪なんぞ犯す異常者どもが滅びぬ限り、警察機構がお払い箱となることはない」 「私に一言でも泣きついて媚びれば、難事件なんて解決してあげるってのに。あなたのプライドがそれを赦さないから『探偵役』に助言を乞わないとか。本当にまさしく平成のレストレードね、兄さん?」  彼の名は、久遠原。  警視庁捜査一課に在籍する警部である。 「私は兄さんのやり得ない、いや理解することすら出来ない方法で、あなたの説を裏書きすることどころか、木端微塵に論破することも出来るつもりよ?」  超上から目線の蔑み視点が炸裂する。  とは云え、この程度のことで腹を立てていてはキリがない。久遠原は短く一言。 「小生意気な」 「身近な例を採るならば」  だが宮條は聞く耳も持たずに、 「私には観ただけで察することが可能だけれど、兄さんにはこんな自明の事実さえ気付くかどうか、疑わしいでしょ?」 「待て、一体何の話をしている?」 「この部屋に、死に損ないの探偵役がいることを」 「またその話か」  もう何度聞かされたことか。いい加減に久遠原も聞き飽きていた。  それでも宮條は語る。 「だって呆れちゃうでしょ。高校生探偵・煤鹿の推理には、『後期クィーン的第一の問題』が発生していた。にも関わらず、その推理ショーとやらを頻繁に目撃していたあなたは、煤鹿の頭脳の存在に気付くことが出来なかったじゃない? おバカ過ぎて、ウケるんですけれどぉ?」  私は一目で看破したのに、と。  宮條は久遠原に対して、大人をバカにする生意気な女子中学生の眼差しを向ける。  宮條と久遠原の間には、どうしようもない因縁があるようだった。煤鹿も詳しくは知らないし、別段に知ろうとも思わなかった。年頃の女子中学生が書架に引き篭もり、警視庁捜査一課の警部と言い争っている原因なんて知っても良いことはない。  ただ、一度だけ。  いつだったか書架で本を漁っている時に、古めかしい洋書の間から一枚の写真が出てきたことがった。そこに写っていたのは、高校生くらいの久遠原が、赤いランドセルを背負った宮條と仲睦まじく並んでいる光景だった。  煤鹿の目線は虚空へと向けられる。  そこには、煤鹿以外の誰からも存在が認められていない四人目の登場人物がいる。  高校生探偵・煤鹿の頭脳こと、影薄い。 [相変わらずですねー、このお二方は......]  古き良き日本の女学生を彷彿させるような、お淑やかな奥ゆかしさを備えている少女である。  影薄いは「我関せず」を決め込んで、遠い目で宮條と久遠原を眺めていた。その隣にいる煤鹿も右に倣え、である。 [年長者に対する経緯の払い方が、悍ましく致命的ではありませんか。一体どんな躾けを受けて育ったのでしょう、甚だ疑問で仕方がありません] (知るか。僕に言われても困るよ)  煤鹿は、影薄いにだけ聞こえる〈心の声〉で返事をする。 (むしろ知りたいのは、久遠原警部の方だ。正確な年齢は知らないけどさ、この人、大学生みたいな見た目してるくせに『警部』だぞ? 一体どんな出世コースだよ......)  煤鹿のイメージでは、『警部』と云えば『名探偵コナンの目暮警部』である。だが、久遠原は若い。程度で云うなら『高木刑事』や、『千葉刑事』よりも若く見えた。 [はぁ......、貴女にも呆れましたね]  すると影薄いは盛大な溜め息を吐いた。 [驚愕です。現代に生きていると云うのに、警察機構の人事も知らないとは嘆かわしいですね] (幽霊のくせに、『警察機構』とか『人事』とか言わないでくれよ......)  バランスが取れてないよなぁ、と煤鹿は思う。 [なにを仰いますか。幽霊は科学的な領分に属する存在ではありませんか。遺体内に残留していた微弱な生体電気に人格データが載り、放電現象によって宙を舞う。これが人魂の正体ですから] (まぁ、幽霊に『そうだ』と言われたら否定出来ないんだけどね......) [それに魂が抜けると体重が21g軽くなることから、『魂の重さは21gである』とマグドゥーガル医師も提唱しています] (でもやっぱり、インチキくさいんだよなぁ......)  険悪な両者の間に漂う空気を切り裂く。 「宮條、1つ疑問なんだけど」  煤鹿が問い掛ける。 「君の〈神の眼〉で、影薄いの姿は視えないのか?」  すると宮條。  ぽかん、とした後に、 「視えるワケないでしょ? 私の瞳に宿る〈神の眼〉は、殺人が行われた瞬間、なにがあったのかを神様の保証付きで視ることが可能な異能であって、常時オカルト検知レーダーじゃないんだし」  なにを言ってんだか、と宮條は呆れる。  だが、禁じ手を使う探偵役のセリフに、死に損ないの探偵役は怪訝な顔をした。 [オカルトではなくて、幽霊は科学的な存在ですけどなにか!?] 「だから逆説的に、そこにいる死に損ないの探偵役が凶行に及べば、私の〈神の眼〉で容姿を視認することが可能になるわ」 [探偵役が、殺人を犯す訳がないでしょう。祟殺しますよ? 構いませんか?] 「まぁ、視る必要もないけれどね。昭和生まれの女学生を視たところで、ダッサいだけでファッションの参考にもならないだろうし」 [奈落に堕ちろ、クソ売女]  物騒なことを言い放つ幽霊少女に、煤鹿は聞こえなかったことに決め込んだ。  宮條と影薄いは、相性が致命的に悪い。この場を去なすことなど絶対に不可能だと思い至ったのか、煤鹿も自棄気味に事実を言う。 「影が薄過ぎて、同じ幽霊にすら存在を感じ取って貰えないレベルだしね」 「もう殆ど死んでるも同然よね、それ。くたばっちゃえばいいのに」 [古きを温ねて新しきを知る。論語の美徳を微塵も理解していらっしゃらない非行娘が学問の何たるかを語るとは片腹痛いですね。これだから新参は......]  ここで煤鹿は違和感を覚えた。  古本に囲まれて古典ミステリをこよなく愛する宮條のことを『新参』と称することに。  だが、考えてみれば当たり前のことだった。いくら宮條の知識量が女子中学生らしくなくても、現代に生きる14歳の少女だ。 「そっか。影薄いから見ると宮條も新世代なのか」 [まるで私が過去の遺産みたいですねっ!?] 「そりゃそうよ、だって私は現代に生きるぴっちぴちのきゅんカワ女子中学生だし? 萎れた枯れ尾花の昭和生まれが嫉妬するのも当然のこと。若さに対する嫉妬って、こっわーぁいっ! くひゅひゅっ」  生年月日がシークレットな影薄いが、実際のところ何歳なのかなど誰も知らない。  とは云え、墨のように黒いセーラー服を纏っていることから察するに、背丈からしても女子高生の姿をしていた。  ただ影薄いの場合、『JK』なんてチャラいワードよりも、『女学生』と云う堅っ苦しい字面の方が良く似合っている。 [没年は齢17ですから、セーフですっ! 永久の未成年者とは云えませんか!?] 「なにがどうセーフなんだよ」 「年齢に拘っている時点で、もう既にアウトよ」 「うぐっ!?」  的確なツッコミに、影薄いは悶える。 「茶番劇は、その辺りにしておけ」  醒めきった声色が突き刺さる。  まるで精神異常者でも見下すような眼差しで、久遠原は宮條と煤鹿に目を向けていた。  とは云え、当然の反応だろう。  久遠原には煤鹿みたいな霊感がなければ、宮條のように『探偵術』も持ち合わせてなどいない。  声を聞くことが出来なければ、内容を察することなど出来るはずもないのだから、宮條と煤鹿が若干噛み合わない会話をしているようにしか映らず、耳触りに違いなかった。 「なぁに、兄さん? ひょっとして、可愛い姪っ子がイケメン男子高校生とお話してんのが耐えきれなくなっちゃったクチ? 嫉妬とか、超ウケる」 「黙れ、バケモノ」  宮條の言葉を戯言と切り捨てるように、久遠原は一刀両断する。 「ちょっとヒドくない? こんなに可愛い女子中学生をバケモノ呼ばわりだなんて」 「どんなに上質な服で着飾ろうが、貴様がバケモノであることには変わりない。ブランド物のバッグを提げて、華美な化粧で粧し込もうが、偽れない貴様の本質だ」 「聞いて驚くわ、これが警視庁の現役警部のセリフなんだから。児童相談所に通報しても良いレベルよね、つーぅか、ムカつくし今からしていい?」  宮條は煽り倒して、iPhoneを片手に掲げる。今にも一人の男を奈落へと突き落とし、痴漢の冤罪を押し付けられたみたく人生終了のお知らせを叩きつける微笑を浮かべた。  が。  そこから先に動かない。  どうやら通話の方法が分からないらしく、ゴリラガラス・フィルムの上で忙しなく指を滑らせるが、なかなかダイヤルが表示されない。  終いにはキレて、 「なんなの、このポンコツiPhoneはッ!?」 「ポンコツなのは、君の頭なんだよなぁ......」  宮條がiPhoneを投げ飛ばし、煤鹿がキャッチする。  その様子を三流のコントでも見るような目で眺めながら、久遠原は鼻で笑う。 「貴様がどこで何をしていようが一向に構わない訳だが、困ったことに俺は保護者だ。貴様がズルけて休み惚ける中学校から『登校させろ』と苦情紛いの問い合わせがあった。学校くらい行け、不登校児」  面を合わせれば啀み合い。  何度も巻き込まれている煤鹿は平気だが、宮條と久遠原の応酬に慣れないうちは、空気の悪さに体調を崩しかねないレベルで最悪である。  良家育ちの影薄いは、劣悪な雰囲気に耐えかねて、割と本気でドン引きの表情を懸命に隠しながら問い掛けた。 [事件ですよね、久遠原さん?] 「どうされたんですが、久遠原警部。事件ですか?」  煤鹿以外からは、誰にも存在を認められていない影薄いの声など届く訳もなく、なので高校生探偵は頭脳の代わりに口を開く。  だが。 「死に損ないの探偵に出番なんかないわよ、とっとと墓穴に身を埋めなさい」 [あ?]  煤鹿が、影薄いの通訳役に過ぎないことを察し尽くしている宮條は、蔑んだ視線を虚空へと向ける。煤鹿の表情や視線の動きで影薄いの居場所を特定して、睨み付けるなんて朝飯前。 [どうやら本当に呪い殺されたいみたいですね?]  これには影薄いも黙ってない。 [貴女が以前に指摘していた通り、『探偵役』は謎がなければ自我を保つことが極めて困難な存在です。久遠原さんが悪戯に気嫌っている貴女の元に訪れるはずもありませんから、事件を運んで来てくれたことは推理で簡単に導けます] 「いや、まだ事件を持ち込んで来たとは断言出来ないんじゃないのかい? だって現に、久遠原警部は宮條に『登校しろ』って叱ったじゃないか」 [それだけが本題ならば、わざわざ会う必要もないではありませんか? 確かに、このクソ売女はちゃらんぽらんな風体をしている癖して、科学技術の結晶『スマートフォン』をまともに使えない機械オンチですが、電話を掛けることができなくても、電話くらいは出れるはずですし] (どうだろうな......)  と、煤鹿は宮條へと目を向ける。 (だって、宮條だしなぁ......。ヘボいし)  煤鹿は、宮條がまともにiPhoneを使えている場面を見たことがない気がしてきた。  とは云え、流石に電話くらいは出られるだろうと信じたい煤鹿は、これ以上考えることをやめた。  そんな機械音痴の小悪魔JCは、ぷっくりと膨らんだ唇に人差し指を乗せて、つまらなさそうに吐き捨てる。 「こんな兄さんでも、警視庁の中じゃ優秀な部類らしいからね。そんな人が平日の真昼間に、死ぬほど憎んでる姪っ子を叱るだけに捜査本部を抜け出すとでも?」  煤鹿の疑問は、瞬時に二人の『探偵役』によって解消された。  だが。  この物語における『探偵役』は、紛れもなく宮條である。 「さて、ご退場願おうかしら。死に損ない」 「はぃ? どうしてしまったのでしょうか、このクソ売女は。一体どうして自分一人が事件を占領出来るとでも?」 「ぴーちくぱーちく耳障りだっつってんだよ」  宮條の口調が乱暴になり、空気感が変わる。 「とっとと死に絶えて歴史になれっつーぅの」  温度が一撃で氷点下まで急落する。 「死してなお現世に留まる理由って、なんなのかしらね? 死に損ないの探偵役さん」 [......]  確かに、と。  煤鹿は背筋に冷たいものを感じた。  煤鹿にとって、幽霊はいて当然の存在だった。だが幽霊と云うのは、現世に何かしらの未練がある。だから成仏せずに思念体として存在している。  影薄いの未練、それを煤鹿は知らない。 「推論するまでもないわ」  宮條は断言する。 「生前に『探偵役』として立ち回る機会に恵まれなかった。能力はあったけれど、活かせなかった。才能を抱いたまま死んでも死に切れなかった。だから現世を彷徨って、ようやく見つけたのが彼、探偵役に憧れている煤鹿ってことね」  かくして、両者は協力関係になった。  才能はあったが機会に恵まれず『探偵役』になれなかった幽霊少女と、何故か事件ばかりに巻き込まれてしまう『名探偵』に憧れた男子高校生。  普通なら、決して交わることのない二人を繋いだのは『霊感』だった。  そうして二人で一人の『探偵役』になれた煤鹿と影薄いの目の前に、宮條が立ち塞がる。 「生前に活躍の場に恵まれなかった。探偵役に対する未練が現世に幽霊として居座る理由。死に損ないは墓穴でおとなしく寝ていれば?」  探偵役としての圧倒的な才能と能力、そして機会に恵まれている宮條に、嫉妬や嫌悪感を抱かない方が難しい状況だろう。  禁じ手を使う探偵役がトドメを刺す。 「私こそがこの物語の『探偵役』よ」 page: 7 第5章『シャーロキアンの知的遊戯』 The Five Orange Pips.1891/Nov. EP05/解けない謎が5つ 「どうしたらシャーロックになれるんだ?」 「はぁ?」  ソファに寝転ぶ煤鹿に対して、豪奢な安楽椅子に身を委ねた宮條が真性のバカを見る目を向けた。  とある休日の昼下がり。  今日も今日とて宮條邸に屯する煤鹿は、持ち込んだ『名探偵コナン』のマンガ本を読み耽っていた。 「あなた、一応は全国的に有名な『高校生探偵』でしょうが。そんなマヌケが過ぎる質問、赦されるとでも思ってんの?」 「確かに僕は『高校生探偵・煤鹿』だ。道行く女子高生に辻斬りみたくラブレターを貰うことを生業としている」 「うざ」 「まぁ待て、ここは受け流してくれよ。僕がモテるのは事実な訳だし、ここに嘘偽りは介在しない。むしろ疑いを持つ方が不自然と云うか、無理があるだろう?」 「あんたの『僕ちゃんモテまくって辛いです自慢』を聞く暇があったら、兄さんの的外れな珍推理(笑)を聞き流している方が私にとっては有意義だから、お口にチャックで黙っててくれる?」  柔らかそうな桃色の唇に、白くて華奢な指をゆっくり這わせて、口を閉ざすジェスチャーを宮條はした。  女子中学生からの侮辱にも等しい扱いを受けた訳だが、ここは大人の対応。煤鹿は完璧な笑顔を崩さずに応ずる。 「嫉妬するなよ、宮條。君は容姿だけなら思春期の男子が放っておかないほど絶世の美少女なのに、その異次元レベルに曲がった性格のせいで浮いた話なんかない可哀想な非リア充。でもそれは仕方のないことだ。素材は良い上にメイクとファッションも抜かりがないならば、あとは性格を少しでも良くする努力をしてみろよ。なんなら僕が異性にモテるコツをレクチャーしてあげなくもないぞ?」 「ぶっ殺すわよ、好き勝手にほざきやがって......ッ!」  煤鹿の容赦ないセリフに、煽り耐性ゼロの宮條は口汚く罵る。 「男なんて金を貢ぐATMでしょうが。それ以上の価値を見出してやる必要はないわ」 「本当に腐ってやがる......。君に口座の預金を勝手に使い込まれている久遠原警部に、本気で同情するよ」  だが、宮條は当然と言わんばかりに目をパチクリさせて、首を傾げた。 「いやいや、何言っちゃってんの? 私みたいな可愛い子の保護者になれているのよ? お小遣いくらい出すの、当然の義務でしょ」 「本気で腹立つな、君は。理想の結婚相手は二十代で年収一千万とかほざく現実を直視出来ていない自称婚活女子(笑)と程度は変わらないじゃないか」 「いいから珈琲持ってきて」 「本気で女子中学生を泣かせたいと思ったのは、君が初めてだよ......」  そう言いながらも、煤鹿は読みかけのマンガをサイドテーブルに置いて立ち上がる。  数分後、書架から出て行った煤鹿が戻って来ると手にしたトレーには珈琲セットが乗っていた。  そんな煤鹿をチラリと横目で盗み見るだけで、宮條は別段の反応を見せない。喫茶店の店員にですら、もう少し礼儀正しく振る舞うだろうに。  宮條のお高くとまった態度に、いらつきを覚えない者はいないだろう。それこそ聖人君子でない限り。  格別のお礼などされずとも、煤鹿は手際よく珈琲セットを配膳する。その動きはよく躾が行き届いた召使いさながらで、客人を特別な気分にさせるエキスパート。  この場合、宮條こそが客人をもてなすべきホストであるのだが、彼女にキッチンを触らせたら泥棒のガサ入れ状態以上の悲劇になることを重々知っている煤鹿ならば、間違っても自分で淹れさせには行かせない。  ことん、と。  重厚感たっぷりの木製机の上に、ソーサーに乗せた珈琲カップを配膳すれば煤鹿の仕事は終わり。  もちろん、劇物としか思えないレベルの甘さを好む自称・珈琲通のために、角砂糖で満たされた小瓶とシルバー製の牛乳瓶も忘れない。 「これで御満足頂けるかな、踏ん反り返った傲慢な赤ずきんちゃん?」  煤鹿は完璧な笑みで配膳する。 「90度の珈琲に冷えた牛乳を混ぜるなんて、君は一体どんな神経をしているんだか」 「だって熱いじゃん......」 「猫舌め」 「んで、練乳は?」 「一応確認のために聞くけどさ、君が所望したのは珈琲で間違いなかったよな?」 「えぇ、そうよ? だから練乳。珈琲は苦いんだから、入れない訳がないでしょうが」 「そんな奇っ怪な飲み物、もはやカフェラテですらないだろ......」  もちろん完璧な好青年を演じる探偵気取りが抜かることはなく、キッチンから練乳の入った器を持って来ている。  宮條は一式を受け取ると、まずはよく冷えた牛乳で珈琲を明るく変色させて、さらに角砂糖を四つも投下し味を破壊。  仕上げに、まだ溶けきっていない角砂糖の山の上から練乳を垂らして香り高いツッカーノブルボンを台無しにする。  先日、バイト先の喫茶店で買った豆から挽いた本格珈琲に、侮辱されているとしか思えない仕打ちをされた訳だが、煤鹿にとっては見慣れた光景となっていた。 「たわごと聞いてあげる」  見るからに胃もたれを起こしそうな甘ったるい珈琲を啜りながら、宮條が言った。 「ホームズになりたい? てっきり『今の僕はホームズだ』とでも言い出すスタンスかと思っていたけれど。あなたにもホームズを名乗るのは恐れ多いと判断する良識があるのね」 「僕はホームズじゃない。自分が工藤新一に匹敵するだなんて、絶対に公言しない。だってそんなセリフを吐く奴より、謙遜して『ホームズに憧れています!』と笑顔で答える高校生探偵の方が好感度が上がるだろう?」 「性根まで腐り切ってやがるわね」  常にメディアのことを念頭に置き、最もファンを増やせる方法で格好付けることに全力を費やす煤鹿らしい発想ではあるが、宮條は呆れを通り越し感想すら湧かない。 「だってシャーロックに解けない謎はないんだろ?」 「バッカじゃないの?」  キメ顏の煤鹿に、宮條は呆れた表情を向ける。 「ホームズは全知全能の神様じゃない。彼にだって解けない謎はあるし、事実として『ボヘミアの醜聞』では1人の女性に敗北している。有名すぎる話でしょ」 「シャーロックが負けたことなんてあるのか!?」  聞いて呆れる、と。  驚愕する煤鹿へとジト目を向けて、自称『名探偵』の探偵気取りに宮條は初歩的な知識から教えることにした。 「かの有名なアイリーン・アドラーよ」 「あー、なんか聞いたことあるぞ。確かシャーロックの恋人だっけ?」 「違うから」  声に怒気を込めて、宮條は全否定する。  まるで情報弱者を馬鹿にするような、完全に見下した絶対零度の眼差しが黒曜石みたく鋭い睫毛の下から覗く。 「勘違いしている人が多いけれど、アドラーはホームズと恋仲じゃないし、そもそも好意的な描写なんて存在しないんですけれど?」  自称・珈琲通と探偵気取り。  本格珈琲の分野では煤鹿に遠く及ばない宮條だが、『本格ミステリ』に於いては攻守が逆転する。 「全六十編の中でも登場回数はわずか一回だし、そもそもアドラーは弁護士のゴドフリー・ノートンと熱愛して、『ボヘミアの醜聞』で結婚式まで挙げているわ」 「なんだそりゃ!? 初めて聞いたよ、そんな話」 「ならアドラーとノートンの結婚式に立ち会ったのが、みすぼらしい服を着た酔いどれ馬丁に扮装したホームズだけだった話も知らないでしょうね?」 「......ちょっと待ってくれ、それ、一体どう云う状況なんだ?」 「ホームズ自身も『それは僕が生まれてから陥った中で最も馬鹿馬鹿しい立場だった』と明言するレベルで、笑い話の傑作よ」 「実はシャーロック・ホームズって、結構コメディだったりする?」 「興味が湧いてきた?」  宮條はにやり、と。  目論見どおりだと言わんばかりに『シャーロックホームズの冒険』を掲げた。 「読んでみたかったら、貸してあげるけれど?」 「いいや、結構だ。遠慮しておく。僕は活字を詰め込まれすぎたページを読むと頭が痛くなるんでね。いつか『シャーロック・ホームズ』が全編アニメ化されたら視聴するよ。出来れば助手のワトソンは美少女JKとかに変更してある日本の萌え豚仕様なら、尚更好ましいけど」 「心の底から思うわ、滅べばいいのに」  煤鹿のふざけたとしか思えない思考に慣れつつあるが、それでも宮條からしてみれば舐めているとしか思えない言動の数々に、いちいち激怒する気力も失せてくる。 「でも意外だったな。いや、意外なことだらけだけど。ホームズが負けたことがあるなんて。どんな難事件でも解いちゃう『名探偵』じゃなかったのか」 「ホームズは全知全能の神じゃないわ。並外れた観察眼と推理力を兼ね合わせた超人であることは確かだけれども、弱点とも呼べる様々な疾患を拗らせている。でも、人間として欠けているからこそ魅力的なのよ。だからこそ研究する人が世界中にいる」 「シャーロキアンか」 「そう。正典の一単語や文脈を深読みして、時には誤字も意図的な暗号であると曲解してしまうような、ちょっと向こう岸まで辿り着いちゃった人達よ」  君とてその一員だろうに、と。  煤鹿がジト目を向けるが宮條は気付いていないのか、あるいは敢えて無視した。 「世界中にいるって云っても、どうせイギリスとかアメリカとか海外ばっかりなんだろ?」 「そんなこともないわよ? 確かに有名どころとしては欧米の『ベーカー・ストリート・イレギュラーズ』とかだけど。日本にも『日本シャーロック・ホームズ・クラブ』が1977年から設立されているし」  宮條が目線を向けた机の上には、『日本シャーロック・ホームズ・クラブ』が発行している月刊機関誌『ベイカー街通信』が置いてあった。 「シャーロキアンの正規会員様だったのかよ......、宮條」 「あなたも入会してみる? 世間に対するステイタスくらいにはなるわよ」 「全力で拒絶させてもらおうか。君みたいなホームズオタクなんかと会話を交わしたら、僕の浅学が露見してしまうだろうし。それに......」 「それに?」 「そんなディープなところまで浸かったら、もう引き返せそうになくて恐ろしいことこの上ないね」  物好きを超越した少女に、今度は煤鹿がドン引きしていた。  確かに煤鹿もシャーロック・ホームズに魅了された一人ではあるが、日本語訳された原作を読んだことがなければ、当然ながら英語で書かれた正典なんて目を通したことすらない。 「でも具体的に、シャーロキアンて何をしているんだよ?」 「論文の作成よ。定説を覆すような着眼点から展開される新解釈をユーモアも交えて面白おかしく馬鹿真面目に研究成果として発表するの」 「ユーモアか。お堅い日本人には苦手な分野だな」  そうでもないわよ、と。  宮條は得意になって語る。 「人気の高い『赤毛同盟』の一場面で、ホームズがステッキで路面を叩いて地下にトンネルがあることを見抜く探偵術を披露するシーンがあるんだけれども。果たして人間の聴力で再現可能なのかトンネル工事の現場で音響探知機を使って検証した日本人公務員もいるわよ?」 「暇なのか、日本人公務員......!」  煤鹿は呆れて、 「なんでそんなに」 「それほどまでに正典が魅力的な証拠よ。ホームズ探偵譚にはビクトリア朝の英国が閉じ込められている。新たに刊行されることもないから限られた文献の中からいかに斬新な新しい解釈を生み出すか」  宮條は貴族の嗜みとでも言わんばかりの仕草で、激甘と化した珈琲とは呼べない液体に口をつけ喉を鳴らす。 「知的遊戯の最骨頂よ」 「まるで料理人だな」  煤鹿は完全に呆れていた。  だが呆れる一方で、 「因みにどんなトンデモ説を唱えているんだ、シャーロキアンは?」 「あなたが興味を持つなんて、明日は雹でも降るのかしら?」  くひひ、と妖しい笑みを浮かべながら、宮條は嬉々として語り出す。 「星の数ほどあるシャーロキアンの新解釈のうち、5つだけ、私が特別に選んで紹介してあげる」 Twitterで共有 Facebookで共有 はてなブックマークでブックマーク 次のエピソード OP02/四人の秘密