小寺信良:
次世代DVDが起爆しない5つの理由 (1/3)
鳴り物入りで登場した感のあるBlu-ray Disc/HD DVDの次世代DVDだが、市場を見渡してみるとお世辞にも普及したとは言えない状況だ。その理由について考えてみた。

HD DVDレコーダー「VARDIA RD-A600」 もう先月のことになるが、東芝が新しいHD DVDレコーダー「VARDIA RD-A600/300」を発表した。もう店頭にも並んでいるはずなので、現物をご覧になった方も多いことだろう。

 この発表会の時に、東芝デジタルメディアネットワーク社の藤井美英社長がプレーヤーのシェアを聞かれ、ヨーロッパでは「勝ったとは言わないが圧勝」とおっしゃったが、これがずーっと気になっていた。「勝った」と「圧勝」の間にどんなレベル差があるのか考えてみたのだが、いまだによくわからない。

 米国やヨーロッパの事情は、日本にいてはなかなかわからない。それらは数字としてもたらされるだけで、実際に見たり聞いたりした感触というか、手応えがないのだ。そもそも米国でHD DVDがシェアを伸ばしたのは、プレーヤー本体に5本もタイトルをバンドルしたからだという説もあるし、先日スペインのサラゴサという街に行ったが、デパートや量販店を覗いてもHD DVDはもちろん、Blu-ray Discも見かけなかった。

 ここはスペイン第5の都市であるという。日本で言えば、名古屋とか札幌クラスである。例えば日本で「好調ですよー」というものが、名古屋・札幌のような大都市で見たこともないということが、あり得るだろうか。


2006年10月に発表されたソニーのBlu-ray Discレコーダー「BDZ-V9」 日本にいても、実感として好調という感じはしない。HD DVDの初号機はちょっと高かったので、そうそう売れるものではないということはわかっているが、それより前に登場しているBlu-ray Discレコーダーも、それほどヒットしている話を聞かない。モノとしては悪くないはずなのに、なぜ起爆しないのだろうか。

アーリアダブターの不在
 まず第1の理由として、アーリーアダプター層が存在しないということが大きいのではないか。モノが普及すると言うことは、まず最新のテクノロジーに飛びつく少数のイノベーター層があり、そこに刺激されて消費者のリーダーであるアーリーアダプター層に波及する。

 米国の社会学者、エベレット・M・ロジャーズが最も重要視したのが、このアーリーアダプター層の存在である。ではDVDの普及時において、このアーリーアダプター層はどういう人たちだったのか。それは、PCユーザーだったのではないかと思う。

 DVDがはやり始めた2001〜02年あたりの頃は、まずPC用のドライブが売れに売れ、うんちく書籍も沢山発行された。ベアドライブが手に入らなかった頃は、当時唯一標準搭載だったPowerMac G4を買って店先でDVDドライブを外し、残りの本体を目の前のソフマップに売ったというアキバ伝説も残っている。それぐらいPCユーザーのDVD熱というのは、熱かったのだ。

 なぜそれほどまでにPCユーザーがDVDを熱望したかというと、もちろんCD-Rを超える技術的な興味もあったはずだが、プログラムやデータの保存、HDDのバックアップを考えた場合、もはやCD-Rでは容量不足だったのである。例えばOSの起動ディスクイメージを作ろうと思っても、Windows系はもはやCD-Rには入らない容量にまで肥大していた。そこで4.7Gバイトという容量が、すっぽりハマったわけである。

 この点で次世代DVDを見直してみると、15GBから50GBといった容量のリムーバブルメディアを、映像記録以外で何に使うのか、という問題で答えに行き詰まる。CD-R時代にあった不足感が、今はないのである。またHDDの大容量化・低価格化もそれに拍車をかける。HDDのバックアップがHDD、ということが価格的にも可能になった今、この用途に次世代DVDは必要ないのだ。

使い道が少ない
 第2の理由としては、もっとも柔軟なはずのPCソリューションの中において、メディアとしての使い道が少ないということが上げられる。かつてDVDが流行った頃は、もちろんデータバックアップだけでなく、DVD-Videoが作れるということも重要な要素だった。つまり既製品と同じモノが作れるという考え方が、CD-Rからの延長として継承されたわけである。

 それにはまず前提として、最初にROMメディア、すなわち音楽CDであったり市販DVDビデオであったりといったものが先に存在し、定着していなければならない。それまではただ単に買うだけしかできなかったものが自分で作れるという魔力の影響力は、その状態でなければうまく機能しないのである。

 なぜならばPCとは常に、市販レベルのものが自分で作れるというソリューションを無視できない存在だからである。町のパソコン教室に行けば、Wordを使って町内会の案内を作ったり、年賀状を作ったりしている。それらは遊びと言えば遊びだが、PCを使うモチベーションとは、市販品、工業製品のようなものを自分で作る喜びに、常に支えられているのだ。

 その視点で次世代DVDを振り返ってみると、今回は市販ROMメディアと記録メディアを同時に立ち上げようとしている点が大きく違っている。「あこがれの市販品」がなければ、それと同じモノを作りたいとは思わない。ましてやPCでデジタル放送を録画し、次世代DVDに焼くというソリューションが提供されない今、PC用ドライブは使い道がないのである。

 米国ではプレーヤー、日本ではレコーダという読みは、かつてレコーダが売れた結果としては正しいかもしれない。だが日本だってCDの普及はもちろんプレーヤーの値段が下がったからだし、DVDの普及はPS2が売れたからだ。まずはハードウェアの価格障壁を下げて、市販コンテンツが売れるという状況を作る必要がある。

レンタル店の果たす役割を軽視してはならないコラム2007年07月09日 10時20分 更新小寺信良:
次世代DVDが起爆しない5つの理由 (2/3)
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 それにはまず、レンタル店の果たす役割を過小評価してはならない。DVDビデオが売れ始めた時、TSUTAYAなどの大手レンタルが従来のビデオに加えてDVDの棚を作り、プレーヤーも一緒にレンタルしていた。DVDと次世代DVDの差は、アナログテープとDVDの差のように、圧倒的なメディアチェンジを果たすわけではない。それには、自分の中で価値観を構築できるかが重要である。

 その価値観を作るのは、体験だ。まずは買って試してください、ではあまりにもリスキーである。ここはハードウェア無料レンタルでもなんでもやって、まずは買う前に自宅で試せる機会を多く創出しなければならない。

なんだかわからない
 第3の問題は、やはりフォーマットのわかりにくさである。それはベータマックス対VHSのようなわかりやすい図式に加えて、DVD時代の規格の乱立でわけわからなくなったことのミクスチャーとも言える現象だ。

 結局あんた達は何が違うの? という根本的なところが、一般ユーザーには全然伝わっていないのである。両方ともHDが録れる。容量はちょっと違うみたいだ。で、他には何が違うの? というところに対して、実家の母にもわかるような説明が誰もできないのである。もっともそれができるぐらいならば、とっくに決着が付いている問題ではあるのだが。

 どちらでもいいのであれば、どちらかを選べばいい。だが市場はおそらく、どちらかが勝ち、どちらかが負けると思っている。誰しも負け組にはなりたくない。全部がそのまま進む、という選択肢は、DVD時代にスーパーマルチドライブの登場によって実現したが、次世代DVDでは未だその解が現われていない。

 そもそも規格の乱立で大いに悩むはずだったレコーダー市場全体が、売り上げで頭打ちになってきている。ここ半年のニュースリリースを注意深く読まれているとお気づきだろうが、次世代に限らずレコーダの新作というのが目立たなくなった。一時は各メーカーが交代で新機種を出すので、毎月新モデルが市場に出るといったこともあったが、あの盛況の時期から考えれば、今の市場は停滞してしまっている。

 昨年12月から地デジのカバーエリアが拡大したこともあり、まだ伸びしろはあるはずなのだ。だが市場に動きがないことを見ると、明らかに買い控えが起こっていると見るべきだろう。

別に見なくてもいい
 そこから連想される第4の理由は、コピーワンスである。コピーワンスがあるから、ということに加え、コピー回数緩和の方法が決着せず、長引いているところがますます停滞感を産む結果となっている。

 つまりこの結論の出ない宙ぶらりんの状態が続くことで、メディアにテレビ番組を記録することに関して、消費者は泥棒のように扱われているのじゃないのか、という感覚を植え付けられつつあるのだ。これは音楽業界が踏んでしまった犬のシッポと全く同じである。

 レコード会社はCCCDで大失敗した。CDの売り上げが伸びないのをデジタルコピーのせいにして、客を泥棒扱いした。このときに消費者に産まれた敵対感情は、レコード会社に正しく向けばいいのだが、多くはアーティストに向けられることになった。アイツはケチくさい、二度と買うもんか、というルーチンを産む。このレコード会社のCDを買わないというのは面倒だが、このアーティストは買わないという方法はわかりやすいからである。

 今音楽業界は、DRMフリーへの転換を図ろうとしている。昔の平和だった状態に戻したいのだ。映像業界も、セルコンテンツはカジュアルコピーができない程度に、コピーコントロールが上手く働いていた。だがテレビのコンテンツは、私的利用の範疇においては最初からコピーフリーだったという事実は、変えられない。コピーフリーではなくコピー可能回数を増やすだけで、本当に元の状態に戻るだろうか。

「見なくてもいい、保存しなくてもいい」コラム2007年07月09日 10時20分 更新小寺信良:
次世代DVDが起爆しない5つの理由 (3/3)
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 しかも皮肉なことにコピーワンスは、さらにそれより悪いムードを産みつつある。つまり、「別に保存しなくてもいいやぁ」という状態である。それが行き着く先は、「録画してまで見なくていいかぁ」というところだ。それは、高解像度でオリジナルを見るという意味が薄れるということでもある。いくらやってもYouTubeのような動画配信はなくならないし、そこで面白いところだけちょっと見られればそれでいい、とする消費行動が、今まさに産まれようとしている。

買い直すほどでもない
 次世代DVDが広まるためには、まずそれが見られるハイビジョンテレビが普及しなければならない。だが実際には、まだSDのブラウン管でテレビをメイン見ている層が、6割を占める。これはまぎれもなく、日本の話だ。土台がないのに、上に家が建てられるわけがない。これが第5の理由だ。

 HDコンテンツの消費が増すためには、コンテンツの価格が下がらなければならない。次世代DVDだからという理由で倍近い価格に付加価値を感じられる層は、かなり限られる。多くの人はDVDの価格がリーズナブルだと感じているし、その画質で十分なのである。

 プレーヤーが米国で好調とは言うが、米国ではほとんどHD放送が行なわれていない。衛星放送では一部HDのものもあるが、基本的に地上波4大ネットワークがHD化しない限り、HDテレビは未だ金持ちの道楽でしかない。その人達は、基本的にコンテンツの値段の高い安いなど関係ない。

 また音楽と違って映像コンテンツは、繰り返し再生されるケースは少ない。いくら映画が好きでも、DVDで一通り揃えてしまったら、また同じモノを次世代DVDで買い直すサイクルに入るには、これから10年ぐらいはかかるだろう。

 この飽和状態を打開するには、コンテンツにライセンス制を導入するしかない。つまり、「俺たちはいったいいくつのパックマンを買ったんだ?」という話と同じである。プラットフォームが変わるたびに、同じコンテンツをその都度定価で買い続ける世界で納得できるのか。それならば、ソフトウェアのバージョンアップと同じように、旧メディアでコンテンツを保有しているユーザーは、アップグレード対象として格安で上位メディアを購入できるようなシステムがあっていいのではないか。

 このように行き詰まりの状況を整理していくと、今の次世代DVD戦略はあまりにも性急すぎる感じがする。うまくギアが噛み合う暇もなく、いろんな要素が個別に回転してしまっている状況だ。

 おそらく各メーカーも、次世代DVDにかけた開発費とプロモーション費を考えると、顔色が悪くなってきているカンパニープレジデントも居るのではないかと思われる。だが世界的に放送のHD化が遅れている現状で、記録メディアだけが先行するというのは、どだい無理な話なのである。

 次世代DVDが本当に必要とされる、あるいは必要とされないかもしれないが、それがわかるまではまだ相当に時間がかかる。消費者側の目線に立てば、普及に向けて打てる手はいくらでもあるはずなのだ。

小寺信良氏は映像系エンジニア/アナリスト。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、CGアーティストとして独立。そのユニークな文章と鋭いツッコミが人気を博し、さまざまな媒体で執筆活動を行っている。最新著作は本コラムをまとめた「メディア進化社会」(洋泉社 amazonで購入)。